あゆみちゃん遍歴賦
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さようなら大井川:斎藤邦明「川漁師  神々しき奥義」から
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     2015年    2016年    2017年  2018年  2019年  2020年 2021年

中津川 相模川 大井川 狩野川 その他
遡上等 遡上状況等 遡上状況等    遡上量 遡上状況等
6月 1日  2日  4日  6日  7日  8日
13日  14日  17日  18日  19日  20日
24日  25日  27日 
道志
19日
7月 10日  13日 2日  3日  5日  9日  15日  16日
23日  24日  29日  31日
19日  20日
27日
8月 10日 3日  6日  9日  15日  19日  24日 12日  13日
9月 6日  8日 15日  17日  21日   22日   24日  25日  27日
28日
10日  11日  
10月 2日   4日   5日   10日     12日   13日  14日 8日   17日  22日
23日  25日  26日  29日
11月 1日 5日  9日
13日
 
まとめ等 2008年のまとめ

2007年

中津川 相模川 大井川 狩野川 その他
5月 3月1日山女
4月29日山女
3月の遡上情報
4月の遡上情報   中津での試験採捕
遡上状況
26日 矢作川での遡上状況
興津 27日
6月 1日  5日  7日  11日  13日  
16日  21日  27日
1日  2日  3日  4日  
道志 19日  18日
23日
7月 1日  5日  8日  12日  16日
17日  18日  19日  24日  25日
1日  25日 道志 20日
道志 26日
8月 1日  2日  4日  5日  7日   
13日 16日
21日  26日  30日 9日  10日 17日  18日
22日  23日     
9月 15日  20日  23日   1日  26日 2日  3日  
27日 28日
10月 7日  8日  13日  14日 3日  4日  10日  11日
18日 19日  23日  24日
28日  29日
11月
まとめ等
昭和のあゆみちゃん   「昭和のあゆみちゃん」に編成
故松沢さんの思い出    「故松沢さんの思い出」に編成

2006年

中津川 相模川 大井川 狩野川 その他
5月 3月1日ニジマス 24日
6月 28日  30日 23日  25日 14日 6日酒匂  8日藁科
20日道志  21日道志
7月 22日  26日  31日 15日  16日 12日  29日 7日那珂川  8日那珂川
8月 2日  6日  10日
16日  24日
17日  26日 19日  20日 12日那珂川  13日那珂川
9月 15日  16日  17日
20日
2日  3日
23日  24日
8日那珂川
10月 1日 3日  4日  15日  18日
19日  21日  22日  28日  29日
11月 1日  4日  9日
14日  18日

 2006年まとめ

相模湾に稚鮎がいた。    池田湖産の鮎は交雑種等
川鵜は、海産鮎が増えたから増えたのか:みずのようにさんの疑問
遡上鮎は見えず
2006年の遡上は?
生臭い臭い
人工鮎の変化
なぜ川は堆積し、石は埋まるのか(7月22日中津川)
苔の種別とシャネル5番は無関係か
海産鮎の産卵時期
    1 10月中旬に形成される流下仔魚量のピークは、海産鮎仔魚ではない。
    2 産卵行動としての下りは、西風の吹く頃から始まる。
       湖産ブランドに日本海の海産稚魚がブレンドされていたら?
    3 交雑種の仔稚魚は海で死滅するのに、なんで神奈川県は交雑種を生産するの?
アカぐされ、緑藻、珪藻の栄養価
コケとシャネル5番

2005年

中津川 相模川 大井川 狩野川 その他
9月 30日
10月 10日  12日 7日  8日  14日 15日  22日  30日
11月 3日  5日  11日  13日
18日  20日

   2005年まとめ等

安曇川の9月:みずのようにさん
本物と人工
みずのようにさんのハウツウ蔵書と天竜川
黄昏の狩野川その1
黄昏の狩野川その2
紫鮎消滅原因(11月5日狩野川に記述)
天竜川の紫鮎:みずのようにさん
交雑種の運命と東北での交雑種の確率
交雑種の運命と東北での交雑種の確率:みずのようにさんの返信
古の山、川、鮎と紫鮎:みずのようにさん
紫鮎消滅は、交雑ではなく環境変化
交雑種の可能性:みずのようにさん
伊藤さんの本の感想:みずのようにさん その1
伊藤さんの本の感想:みずのようにさん その2
オリンピックとも釣り大学の思い出
狩野川の黄昏:植田組合長の放流方針に反対する
狩野川の黄昏へのみずのようにさんの感想 その1
狩野川の黄昏へのみずのようにさんの感想 その2
狩野川の黄昏:海産の産卵時期
産卵時期に係るみずのようにさんの感想
狩野川の黄昏=山形県の2代目方式
狩野川の黄昏=目利きのいた狩野川
目利きのいた狩野川に係るみずのようにさんの感想




                          2008年あゆみちゃん遍歴賦

中津川 相模川 大井川 狩野川 その他
遡上等 遡上状況等 遡上状況等    遡上量 遡上状況等
6月 1日  2日  4日  6日  7日  8日
13日  14日  17日  18日  19日  20日
24日  25日  27日 
道志
19日
7月 10日  13日 2日  3日  5日  9日  15日  16日
23日  24日  29日  31日
19日  20日
27日
8月 10日 3日  6日  9日  15日  19日  24日 12日  13日
9月 6日  8日 15日  17日  21日   22日   24日  25日  27日
28日
10日  11日  
10月 2日   4日   5日   10日     12日   13日  14日 8日   17日
11月
まとめ等



2008年あゆみちゃん遍歴賦:1
                   相模川の遡上状況

新聞に、今年の遡上状況で、「去年の6倍」「去年の遡上量は400万」との記事が出ていた。
これについて、疑問を持った。
去年の沖取り海産が漁連、養魚場に販売されたであろう量、相模川での釣れ具合からすると、千万ほどのはず。その6倍となると、大量遡上があったとされる2004年より遙かに多い量の遡上となるが、信頼しがたい。

そこで、相模大堰で遡上量調査を行っているため、社家取水管理事務所に行った。
相模大堰での遡上量の計測は、
@ 左岸の主魚道と副魚道、右岸の主魚道と副魚道で行われている。
A 副魚道は、社家取水管理事務所が4月1日から50日間、漁連に委託し
て、目視で計測している。
B 主魚道は、県内水面試験場が行うことになっている。
C 副魚道の計測は平成11年から継続して行われている。
D 主魚道の計測は、委託費がないため、平成12年に遡上期間を通して行われているが、その他の年は、たまに3月に副魚道での計測が行われているに過ぎない。

そのため、矢作川天然アユ調査会とは違い、日にち別に主魚道では計測されていないため、相模川での遡上量は係数処理をしないと算定できないことがわかった。

新聞に掲載された07年の遡上量「400万」は、副魚道で計測された遡上量であるから、単純に主魚道分を倍にすると、1千万近くにはなる。
「6倍」は、4月前半の遡上量を去年の同期間遡上量と比較したもので、もし、遡上時期が遡上開始前半に集中していれば、信頼性が低くなる。
しかし、08年4月の副魚道の遡上量は4月16日まで300万、3月分を含めると、500万になるから、04年等の2000万(この数値も副魚道だけの数値であるが)ほどの遡上量が期待できるのではないか。

副魚道の計測で、遡上量が多かった年を見ると、平成14年(2002年)2200万(3月は180万)、平成16年(2004年)2000万(3月は300万)となっている。
したがって、大量遡上と巷間にいわれていた「2000万」という量は、副魚道の数値で、相模川全体の遡上量ではなかったと推測している。

遡上量に海での稚魚生存率が大きく作用しているようである。
その生存率を左右する要因として、紀伊水道では、10月以降の降水量が大きいとの研究報告があるとのこと。
これまで、10月以降の降水量は、産卵床のゴミを流す等、孵化率を上げる作用と考えられていた。しかし、降水量と孵化率は流下仔魚量を見る限り、相関関係はないとのこと。
10月以降の降水量が稚魚の生存に関わるのは、動物性プランクトンの繁殖量が多くなるから、とのこと。雨量が多いと、栄養塩の海への流入が多くなり、植物性プランクトンが多く発生し、それにより、動物性プランクトンが豊富になるから、とのこと。
しかし、紀伊水道での状況が他の地域でも妥当するか、どうか、は不明とのこと。

中津川での遡上量を左右すると考えている妻田の堰の魚道は、去年と同様、魚道を下った水が上流に反転し、堰から落ちた水と合流しているため、魚道の上り口がわかりにくい状態が改善されていないから、去年同様、遡上量は多くはないのではないか。


大井川の遡上状況

2008年あゆみちゃん遍歴賦:2
久しぶりに、地名の煉瓦造りの発電所廃屋を見て、昭和橋へ。
昭和橋上流側左岸崖のところの淵は埋まっていた。そこの岩盤に小学生が遊んでいることを期待したが。アマゴ、さつきちゃんが1匹でも遊んでくれたら、と、ルアーを振り振り、石風呂に下っていくが、石が詰まった瀬は少ししかない。石風呂の流れが以前のように右岸側になったから、岩盤底の流れの復活を期待していたが、まだ埋まったまま。
その附近のヘチ寄りのチャラで小学生低学年、あるいは幼稚園児くらいの幼魚がはねている。数十匹ほどの群れではないか。

右岸崖に流れが当たる附近に石の詰まった瀬がある。そして、一昨年よりも、右岸崖に沿って流れている区間が長くなっていた。国道の橋付近に駐車できる場所があるとのことであるが、昭和橋から釣り下ってくるには途中に魅力的な場所に乏しい。とはいえ、小学生低学年の姿はあった。その小学生のヘチ寄りには1、2cmほどの魚が群れで上っていたが、ハヤであろうか、アマゴであろうか、それとも?
左岸崖附近の流れに石の詰まったところは少ない。七曲がりの埋まった状態はさらに進み、右岸崖への流れに出来ていた密室の恋の空間は、右岸に流れが当たる附近近くしか石は詰まってない。もはや、かってのように豆腐状の石と一抱えもある石、頭大の石がびっしりと詰まった状態に戻ることはないのかなあ。流れを渡るとき、逃げていく群れがあった。

発電所廃屋前の瀬は石が詰まっているが、去年のように緑藻が繁茂しなければなあ。
その下流の左岸への流れは石が小さい。右岸崖への流れが崖に沿って流れるところは石が詰まっている。この場所であれば、鉄橋から500mほどであるから、温泉から楽に歩いてこられる。

去年と違い、磨かれた石の筋、石が、また、幼魚を見ることが出来たが、どの程度の遡上量か、わからない。


                       相模川の遡上量

2008年あゆみちゃん遍歴賦:3

4月始め、今年の遡上量は2004年以上との予想記事が掲載されていたが、オラは初期の遡上量が多かった、との感じを持っていた。とはいえ、2004年の相模川副魚道での遡上推計値である2000万を期待していたが。
結果は、去年の副魚道遡上量観察値の倍ほどで、2004年の3分の1ほどであろう。

相模大堰副魚道遡上量調査

2004年 2007年 2008年
3月20日以降から 294 計測なし 計測なし
4月 1から10日 831 27 188
11〜20日 113 24 219
21〜30日 450 275 229
4月計 1,443 326 636
5月 1〜10日 56 69 70
11〜20日 137 14 32
21〜31日 45
5月計 238 86 102
合      計 1,975 412 738

単位:万尾  2008年5月は21日まで


実際の遡上量の推計においては、3月での計測が07年、08年には行われていないため、その分が増える。また、主魚道の計測は、2000年をのぞいては継続して行われていないようであり、その分の係数処理が行われて、県内水面試験場から遡上量として公表されるであろう。とはいえ、経年変化、比較を見るには上記の数値が一応の参考となろう。

今年の冬、春の相模川の水量は例年の倍はあった。それほど、雨が降ったとは思えないが。ダムの工事で貯水量を減らせているということでもないよう。
もう一つの不思議は、5月21日、弁天に左岸への流れができたため、中州ができた。その中州が水没するほどのダム放流ではないが、弁天護岸の下まで水位があった。当然真っ黄色に濁っている。翌日は1mほど減水したが、いつもであれば、まだ濁っている。ところが濁りがとれた。1日で濁りがとれたのはなぜか。もし、これからもこの現象が続くのであれば、ダム放流による長期間の濁りを恨めしく思うこともなくなるが。

今年は、なぜか去年上らなかった小沢の堰を相当量のアユがのぼった。2004年同様、大島で遡上アユが6月下旬頃から釣れることであろう。
今年から、昭和20年代、瀧井さんが八王子から自転車で、あるいは、橋本駅から6kmほど歩いて通った神沢の一部が友釣り区になるとのこと。どの程度大きな石がまだ流れの中に残っているのかわからないが。

6月1日  相模川

2008年あゆみちゃん遍歴賦:4
遡上アユが釣りの対象とはいえ、チビでない大きさの鮎がどれくらいいるのか。県産継代人工はダム放流で死んだり、流されたりしている量が多いかもしれない。中津川漁協は、3,4代目くらいの宮城産人工を放流しておらず、残っていた県産人工を放流しているため、又、妻田の堰の魚道をどのくらい遡上できたかわからないため、やめて、弁天の瀬にはいる。

瀬肩下流の瀬を錘をつけて釣るも、吹き下ろしの風で根掛かり放流第1号。
分流との分岐点付近に行く。全国区候補がチビを釣り、錘をつけてチビを囮にして、相当量釣っていたが、6時頃には、分流へ、その後姿が消えたから、石切場に移ったのでは。逃げ足の速いこと。
14,5才を2匹、幼児のぽっちゃん数匹。
アッシ−君はチビも取り込み、5,6匹。

10時頃高田橋を見に行くが、右岸に渡りチビを含めて瀬肩附近で20ほどの人はいるものの、皆が釣れているのではないとのこと。田名の主はその附近で釣っていたがどのくらい釣ったのであろうか。

中津川に移ろうとしていると、興津川で、60,70釣った2人組が中津からやってきた。白く濁っている、チビしか釣れない、とのこと。別の人は田代で人工を20ほど釣っている人もいるが、例外とのこと。

ということで、大島か神沢となるが、大島は込んでいる可能性がある。神沢に行く。釣り人1人、準備中3人。
すぐに瀬で16才。次いで14才。一眠りしてから、小学生2匹。アッシー君は10匹ほどで、半分近くは中学生。
平水に戻ったときは、竿抜けポイントが多くある。浮き石が多く、水深もあるとのことで、立ち込みも根掛かりもはずせにいけない。

6月2日  相模川神沢

2008年あゆみちゃん遍歴賦:5
1日に新昭和橋上流、石切場下流側に入って、囮の追加をしたのにチビしか釣れなかったと文句たらたらのサボリーマンが、オラが女子高生を釣ったことから、いつものひがみ丸出しで、、本性を発揮して、忙しいはずの仕事をさぼる。
オラは案内役として、当然アッシー君を世話してもらえる。でっかい面をさげてアッシー君を顎で使えるほど釣れたら、と、神沢に行く。

昨日はすぐに釣れて、不眠症で3時前に起きたため眠く、昼寝ができたのに、今日はオラには釣れず、横浜からやってきたアッシー君が釣れた。18cmあるというから、計測。17cm。ホッとした。下顎側線孔数4対、左右対象。よって、人工ではなく、海産。ホッとしたのは、オラが昨日釣ったのは、「16cm」と書いたが17cmであったため。昨日のアッシー君は、神沢のことはホームページに書かないで、と「情報」が「人の情け」であることを否定する要求をしたため、「16cm」であればそれほど注目を引かないであろうと。

涼しい中、オラは昨日同様、マッスル背針に錘でやっと4.横浜のアッシー君は17cmだけでもありがたがらなければならないのに、バレ数匹を含み、中学生以上を9匹。ルアーの師匠も7匹とのこと。師匠の18cm級は人工の可能性もあるため、下顎側線孔数が4対左右対象であるか、調べてくれるように頼んだ。

これで、解禁日対応の県産30代目くらいの継代人工は、県に収入をもたらしはしたが、釣り人には何らの貢献もしていない、といえるのではないか。
なぜそうなったか。
@ 県産継代人工は、ダム放流後大量に死んで流れてくることがこれまでに観察されている。
A その死因調査の結果、冷水病の保菌者であっても、冷水病が死因とは言えず、川の中の雑菌に感染して死因となっていいると、県内水面試験場は話されていた。。
B これまで、6月までに、2mほどのダム放流がされることはなかったのではないか。それが今年は、5月に2mを越える増水となるダム放流があった。
C ダム放流の結果、真っ黄色の濁り水、水温の急激な変化が生じ、それが県産継代人工の死滅あるいは、流下現象を生じたのではないか。

ということで、2mのダム放流後に県産継代人工を放流した中津川では特定の場所で、継代人工が釣りの対象となることはあっても、弁天、高田橋、神沢では、釣りの対象となったのは遡上、沖取り海産鮎であり、継代人工ではない、といえるのではないか。その結果は錘をつけてもチビまじりの中学生、オラのように幸運なものは女子高生も釣れたが。

ルアーの師匠らは人工を釣るような場所:トロ、ヘチで立て竿で釣っていた。海産が川の全面で釣れるほど広がるのは、梅雨明け、あるいは6月下旬頃以降のことであるはず。
ルアーの師匠も流れの強いところを釣るようになった。

神沢の良さはもう一つあった。錘、マッスル背針で釣るところではチビが釣れないこと。中学生は釣れるが。
弁天では、青ノロが糸に付き不快であったが、神沢では青ノロが流れてこない。大島でも青ノロに悩まされることはなかろう。

1日、神沢上流の鵜止まりで、舟からドブ釣りをした人が、チビを500,600匹とのこと。大島に相当量が上っていることは確認できたと思っている。
そのチビ鮎をどうするのであろうか。今日は舟は見えなかった。


2008年あゆみちゃん遍歴賦:6

6月4日  相模川神沢

常日頃、貧乏人のオラには8割引をせえ、というても、涼しい顔で、オラの今日の米代をふんだくる釣具店のおっさんをアッシー君にして、神沢へ。
そのおっさんはまだ友釣り経験わずか。船釣りに行く予定が、台風のため、中止になり、いやいや神沢に行くこととなった。

なぜか、小中学生しか釣れない。水量が平年に比べて倍ほどあるところに、20cmほどの増水であるから、女子高生のいるところに囮を入れることができないからか。
にもかかわらず、おっさんは女子高生をたぶらかす。しかも、もったいないことに、遠距離恋愛を試みて、タモに入らず。それらの取りこぼしを重ねるも、15ほど。オラは取りこぼしはわずかであるのに16.

昼に弁天等からやってきたおっさんの同僚が10ほど。
今日は、17,8才は取りこぼしの中にいたであろうが、タモには入らなかった。小中学生に女子高生が混じる程度ではあるが、海産の成長具合からは当然のこと。高田橋、弁天と違い、チビが釣れないことはありがたい。


2008年あゆみちゃん遍歴賦:7

6月6日  相模川高田橋上流の分流

ダム放流量はそれほどでもないが、本流瀬肩には渡れないであろうし、チビが主体との話もあることから、囮は経費節減で1匹だけにする。
山椒大夫とは違い、慈悲にあふれるオラは、幼児を囮にすることなく、マッスル背針に錘をつけて、養魚をこき使うが、上流側の流れの強いところで、2個の錘をつけて無理矢理もぐらせ、錘が石に噛まれる。
囮がなくなり、幼児を囮にするとすぐに小学1年生。小学生となれば、おしんも働いていたから、働けえ。無理矢理働かせても効果は無し。結局、麦酒も飲んだし、3匹で終える。

分流の堰下が小学生、中学生主体ということで、数人が入る。オラと同様の電車族はどのくらい釣ったのであろうか。

5日、石切場の一番下流側の絞り込まれた瀬に入った3人組は中学生女子高生が100を超えていたとのこと。4日にオラのアッシー君になってくれたおっさんも、前回同様、取りこぼしを多発しながらも、10とのこと。
それを仕事をさぼって、法被姿のまま見物していた瀬が大好きな人もその瀬を釣るであろうから、品切れが心配。
今日、そこに行くことも考えていたが、行かなくて良かった。すぐに囮を弱らせるか、根掛かり放流になっていたであろう。


2008年あゆみちゃん遍歴賦:8

6月7日  相模川神沢

6日にアッシー君がいないときは、石切場の下流側瀬に行くしかない、と夕方見に行った。柳上流のトロにはドブ釣りがずっらと並んでいた。高田橋右岸が水量が多く、ドブ釣りがしにくいからであろうか。

石切場下流側の絞り込まれた瀬で、3人組よりも前に入り、中学生、女子高生を30ほど揃えたOさんが、今日は小学生しか釣れない、と。3人組が釣って、女子高生、中学生は品切れか。

ということで、大島に行くつもりになっていると、1日のアッシー君がやってきた。当然神沢へ。
前回よりも水量が2,30cm増えているから、瀬の芯に近い方を釣ることはできない。

やっと、小学生、中学生を5匹。午後、瀬肩附近で、風を考え、7mの竿にするも、身切れ2匹、取り込めたのは2匹。身切れは女子高生のはず。

アッシー君は20.女子高生が混じる中学生が主体。ルアーの師匠が12,重役出勤の横浜のアッシー君が10.
相模川は午後から風が吹くから嫌いではあるが、中津に県産継代人工と沖取り海産しかいないであろうから、風が吹こうが相模で釣るしかない。結局、1時過ぎにはオラはあきらめた。


2008年あゆみちゃん遍歴賦:9

6月8日  相模川弁天

瀬肩に近い瀬で、幼児というより、赤ん坊。マッスル背針に錘で瀬を釣り下るもなんも反応なし。いつもはせっせと釣り上げて、声を出す人もチビ、小学生を釣っただけ。2人は、石切場下流側の瀬に移動。
弁天分流に分かれる所の瀬があいた。そこで小学生、中学生にチビが混じるものの、囮には不自由しなくなる。午前14匹。

午後、左岸を流れる分流で、小学生と中学生4.
40台、30台が数人いるものの、女子高生、乙女を揃えたのは、石切場下流側瀬に行った2人組のみ。強い流れの中、16,18cm級の引きを堪能したとのこと。

オラにとってはあと4,50cm減水してくれないことには、石切場の瀬は手を出しようがない。身切れを防ぐため、7号の針を使っているとのこと。小学生やチビを囮にしなくても良いのであれば、7号の針を使いたいが、囮の大きさに合わせて、針を取り替えていたら、ますます生活が苦しくなるしなあ。


2008年あゆみちゃん遍歴賦:10

6月12日  中津川


県産の継代人工、沖取り海産しかいない中津川に今年始めていく。
雨、濁り、寒い、の三重苦。田代から、海底下流に行く。田代は満員であろうから、やむをえん。何でかすぐに、手ごろな囮サイズ。20cm近いぶくぶくの泳ぎ大嫌いな、養殖君とお別れね、と思えど、ハヤ。それにもめげず囮を出すとすぐに、竿が満月に。尺鮎、のはずはないか。複合メタル0.1号の強度を確かめることのできたニゴイ。無事囮を回収。
やっと沖取り海産ではないかと思う中学生のあゆみちゃん。

それから元気はつらつあゆみちゃんにオラ、とはならず。雨は強くなるし、風まで吹く。検量に行くには速すぎるし、困ったなあ。とりあえず、田代の方に歩く。平山橋で釣っている人がいるが、見るだけで、田代の国道際で、時間がたつのを待つ。
3種類も釣ったのはオラだけではないか。山女を釣った人もいたとのことであるが。
先日、神沢に中津、相模高田橋を経て昼にきて、3時頃までに8匹釣った人が、5匹釣って1回戦通過。
1日の昼、中津がチビしか釣れない、と弁天にやってきて教えてくれたOさんが4匹釣って、順番で予選通過。

Oさんは、球場横の瀬に入り、ヘチだけでなく、ヘチの左岸より、ふだんは水のないところで、奇形を含めて13釣って1位。
それにしても、誰も囮を入れたくないところを釣るとは、ご立派。
Oさんと1回戦に近所で釣っていたこれまたOさんは、2,3匹釣ったのに、その数では予選通過が覚束ない、と、場所を変えて、失敗した。


2008年あゆみちゃん遍歴賦:11

6月13日  相模川弁天

昨日の雨、濁り、寒い、の三重苦から解放されて、女子高生との逢い引きを夢見て弁天へ。
ところが、10日、11日と減水して更場状態のなか、女子高生を堪能できた日は夢と消え、減水前よりも20cmほど水量が増えている。
減水の時、弁天瀬肩附近で、あるいは翌日には高田橋上流の瀬肩下附近で女子高生をたぶらかせたお百姓さん。田植えがあるから当分釣りはできない、といっていたお百姓さん、嘘をついて、釣っていたあ。アッシー君にこき使われることを避けるために、嘘をついていたのかあ。

お百姓は、女子高生に乙女が混じっていた、というが、計測はしていないとのことであるから、釣った魚は大きく見える、の公理を適用して、まだ、18才女子高生止まりとしておこう。昨日の中津では、県産継代人工の囮と姿、品格が瓜二つの20cm級が釣れて、泳がない、という人もいたが、遡上鮎では、まだ、20cmの大きさには育っていないであろうと思っている。
とはいえ、女子高生を釣りたい、遊びたい。

ところが水量は、減水前よりも多いということは、オラのあんよでは、分流への分岐点を下流に渡ることができない、中学生、女子高生のいる場所まで、立ちこんで囮を持って行けない、ということになる。
なんで、嘘つきの釣り日には減水をして、更場をお百姓に提供し、純情可憐、正直者のオラの釣り日には増水をするんや。神様は間違っちょる。

嘆いても仕方ない。分流への分岐点上流側を立ち位置にして釣るも、その沖は石が悪いから釣れるわけがないよ。わかっちゃいるけどやめられね。チビ。上流へと釣りのぼり、中学生、小学生半々の計7匹。予想どおり、女子高生には見捨てられた。分流分岐点を渡り、下流の絞り込まれた瀬にはいった人も、瀬脇しか囮を入れることができず、チビ等で、女子高生はお預け、とのこと。

高田橋上流の瀬肩下流を釣りのぼるが釣れず。お百姓のお友達が堰下分流で釣っていたが、今日は2匹、と。

お百姓は、遡上鮎がいるときの9月、10月は振り子抜きをすることもあるが、一昨日等の減水時に、掛かり鮎を浮かせることに苦労をした、とのこと。遡上鮎の馬力も強くなっているということであろう。
弁天で、石の間に砂利の入っているところもある、と。砂利がなく、石が重なっているところでは、1箇所で何匹かの女子高生が釣れ、あるいは、心の準備ができていないうちに釣れることもあった、とのこと。
弁天には、まだ、竿が入っていない更場がある。神沢も同じ。オラが釣りに行ったときに減水してえ。


2008年あゆみちゃん遍歴賦:12

6月14日  相模川弁天

今年の平水、例年の数倍の水量に戻った。ということで、分流に分岐するところにはいる。10時頃までに、チビ、小学生主体に3匹の中学生を含む12匹。中学生の比率が今年一番低い。なんで?
昼近くにやっとかかった、分流側に寄せ、抜こうか、と、準備をしたら、身切れ。その時は小学生の囮であったから、6.5号の針に変えていた。なんで7号の針の時に掛かってくれなかったの?

今日は麦酒があるから、午後も働ける。お百姓が女子高生と楽しんだ瀬肩へと移動。
とてもオラには立ちこむことも、囮を入れることも無理。その上流で釣る。強いけられ2回。流れの強さから、錘は使っているものの、7号の針が軽いとは考えられない。人工か。小学生2匹。

瀬肩に立ちこみ、すぐに掛け、オラは立つことすらできない流れを軽快なフットワークで下り、抜く。その結果は?
掛かりは速い。操作も、竿を立て、のされることはない。時折への字にはなるが。振り子抜きもする。
相当の腕前。
しかし、抜くと身切れ。掛けたあゆみちゃんの半分も取り込めたであろうか。
お百姓が、減水したときに7.5号の針で掛かり鮎を浮かせることに苦労した女子高生が一杯いても、今日の水量では腕達者でも身切れが多いということは、石切場の下流側瀬と同様、オラには減水したときしか、女子校に闖入できない、とあきらめた。


2008年あゆみちゃん遍歴賦:13

6月17日  相模川神沢

久しぶりにアッシー君がいて、神沢へ。
前回よりも5mほど立ちこめるところもある。汚い石が目立つ。緑藻も生えている。鵜止まりのトロ附近で釣る近所の人が見えない。何が10日ほどで変わったのか。
アッシー君は7号の針を使うもバレ連発。

やっと掛かった。ヘチに寄せ、下り、取り込む。格好良く瀬で抜く、なんて、怪我のもと。女子高生ではあるが、節子ちゃんや小百合ちゃんのように肉付きがよい。宮城産人工か、と思った。それにしては馬力がありすぎる。
前回のスリムな女子高生とは違う。十分にふくよかになっている。土曜、日曜に立ちこむ人がいなかったのであろうか。

ふくよかな女子高生を8匹。バレが4,5匹。バラしたことは、お百姓には秘密にしておこう。平瀬に毛が生えたような所で、ばれたあ?  ねえちゃんをだっこしてベッドに運べないんなら、ヘラに転向したら?といわれそう。

もう麦酒を飲んだから帰っても良いが、アッシー君はまだ釣る。いつものように風が出てきたので、錘なしで養殖を囮にする。当然、流れが少し弱いところを引くことになる。釣れなくても良いか。と思っていたら、ふくよかな女子高生。いつものよおにヘチに寄せ、下り…。
1時過ぎにはアッシー君が竿をたたんだ。
ありがたい。

アッシー君立ち会いで計測。下顎側線孔数は、4対左右対称。したがって、人工ではなく、海産。17才以上はすべてふくよかに肉が付いている。
19才乙女1、今年初めての乙女。18才女子高生2,17才4,16才2,15才1,13才1  計11. 


2008年あゆみちゃん遍歴賦:14

6月18日 相模川弁天

分流への分岐点の本流が、水量が減り、芯に囮を入れることができる。喜び勇んで、女子校に闖入するが、チビと小学生。なんでや。
瀬頭に近い瀬肩にのぼっていく。瀬頭にはうまい人がいる。その上流にはいる。ヘチに寄せてだっこしたのは十分にふくよかになった女子高生。それを囮にし掛かる。7mの竿を満月にしてあゆみちゃんの暴走を止める。上流側には島さんが講習をしている。かっこよく取り込みたい、と。
いつもの妄想に終わる。今年初めての丼。0.3号の付け糸では女子高生か、乙女に太刀打ちできないよう。8号のチラシでは身を切り貞操を守ろうとする女子高生か乙女の行動を阻止できた。このことは次回に生かそう。

右岸から瀬頭を釣っている人も、下り取り込み、あるいは丼と、お忙しい。
テク1に、お百姓は2回の丼、オラは1回、というと、50歩100歩だ、と笑われた。50歩と100歩ではえらい違いがあるのに。


2008年あゆみちゃん遍歴賦:14の2

6月19日  道志川水源の森

道志川の状況がわからない。両国橋から見ると、ヘチのチャラ、砂の所に鮎は見えるが、瀬には見えない。冷水病が発生したとのこと。冷水病は、16度から22度の水温で、発症するとのこと。
病原菌が増殖し、その状態で、ストレスがあると、発症するとのこと。増水による水温の変化、濁りが5月にあったから、冷水病が発生したのであろう。

テク1は、右岸を流れる例年の場所で、釣れる。そのうち、変な場所を釣る。オラはその上流で四苦八苦している。いつもよりも格差の少ない午前の釣果はテク1が18,オラが10.
これだけを見れば、道志川に冷水病の影響なし、となろう。しかし、釣れたのはテク1には女子高生が混じるが、オラは小中学生。

さらに、オラは数匹バラしたが、弁天、、神沢のあゆみちゃんとは違い、背掛かりではなく、口掛かり、尻尾掛かりと、まともなところに掛かっていない。テク3は、6.5号の針が小さいというが。

午後、神社の上流側に行くと、トロが埋まってなくなっている。下流の左岸にあったトロも同じ。そのトロは、ルアーの師匠が冷水病の発生した年、元気のない鮎が溜まり。大漁であったのに。
6匹しか釣れず。
テク1は計36,テク3も30ほど、久しぶりの長老も20ほどとのこと。
瀬で掛かれば女子高生であるが、後が続かない、とのこと。テク1もテク3も、変なところで数を稼ぎ、瀬で大きさを満足させていた。


2008年あゆみちゃん遍歴賦:15

6月20日  相模川弁天 

今の時期の遡上鮎で、女子高生はエリート中のエリート。したがって、小中学校は数多あれど、女子校は数校しかない。
女子高生の禁断の柔肌を早くも味わったオラとしては、女子校に闖入するしかない。ということで、こうちょう いいっぽん  さらしにまいてえ  と、勇んで、弁天瀬頭の上流に行く。とはいえ、女子高生がまだ残っているか、心配であるから、握りなし。

18日、講習会を終えた島さんが瀬頭附近で20ほど、当然島さんのお友達もその附近で女子高生をナンパしているはず。
さらに、オラが昼過ぎにとぼとぼと歩いていると、しあわせ男が、ヘボが釣れずに囮を引き殺し、午前様か、と、にやにやしながら走り去った。しあわせ男は、石切場の下流側瀬で、何日かごとに時速15人で女子高生をたぶらかしており、テク1から、スピード違反で検挙する、といわれている。そのしあわせ男が弁天で釣ったか、も気になる。幸い、見学していただけ、とのこと。
講習会の片付けを終えたおっさんが、島さんらが釣ったところで、5人の女子高生とのこと。少しは望みがある。

トイ面の長髪さんが、瀬頭に囮を入れた後、膝下の深さから釣り上がっていく。もう少し立ちこまないと、と見ていた。瀬肩を往復して2匹。次に、股下まで立ちこみ、入れ掛かり。往復して20人以上の女子高生をナンパしたのではないか。
その後、長髪さんの足腰ではさらに1,2m立ちこめるのに、左岸側のオラに遠慮してか、前回と同じ筋を引いていたため、数匹止まり。

長髪さんが瀬頭の20mほど上流までしか釣らなかったのは、何でか。
竿を立て、竿が満月の状態になる。そのまま耐えて抜く。時にはその満月を維持して数歩下がることもある。キャッチミスは1,2回のみ。
しかし、右岸瀬頭の上流20m以下の所で、満月になったとき、下り、掛かり鮎を芯から外し、ヘチ側に寄せるも、竿はへの字に近い状態となる。抜く。大きくキャッチミス。数日前、長髪さんが右岸から釣っているのを見たように思う。ということで、20mが、取り込みの粗相の危険を回避できる限界点と知ったおられたのではないか。

8号チラシで、身切れによるバレよさようなら、とはならず。
ケラレの後、やっとかかった。ため、ヘチに誘導するも、抜けない。もた、もた、と下っているうちにいつものよおに逃げられた。
やっと瀬から抜いた17才女子高生は箱入り娘に。その後もバレ3回。そのうちの1回は、見学者がいる中での、ヘチに寄せてからのバレ、ああはずかし。
18才女子高生を取り込んだ後は、小学生2.養殖が昼まで持った。

お百姓が、瀬肩の一部で、20cm級の継代人工が釣れる場所がある、とのことであるが、今日の女子高生は、下顎側線孔数が4対、左右対称であるから、海産鮎である。

今の相模川の水量の5分の1,10分の1ほどの、5トン/秒しかない大井川の乙女をだっこするにも四苦八苦し、時には河原にほおり投げることもあるオラが、水量の多い相模の女子高生をだっこしょうとすることに無理があるのは承知しているが、禁断の味を忘れられない。次回は、8号錨、7.5号錨も持っていくでえ。悪い男の毒牙にかからず、まっててや。


2008年あゆみちゃん遍歴賦:16

6月24日  相模川高田橋

22日のダム放流は、弁天で2m近く増水したが、23日には今年の平水より30mほどの増水となり、真っ黄色の濁りがとれた。今年はなんでダム放流後の真っ黄色の濁りがすぐにとれるのかなあ。

23日夕方、着ぶくれで座ってヘラを釣る姿が、だるまさんそっくりの、ひげのだるまさんと、ダム放流が終わると、水がなくなる左岸のコンクリート床版の所を見ていた。5月のダム放流時には30cmほどしか飛べなかった小学生が、1m近く飛んでいる。中学生も混じっている。この遊泳力があれば、角田の仙台堰の高い段差の魚道も上れるであろう。妻田の魚道を上るアユが多ければ、の話であるが。

硬調1本を持って出かける。今日は、高田橋の分流付近で釣るつもりであるから、硬調は不要であるが。
分流は小学校で、中学生が混じれば幸い。分流の堰近くには何人かいる。中学生に県産継代人工の成魚放流が混じるところであるから、日々釣り人が入っている。オラは面食いで、あゆみちゃんの品格を重視するから、継代人工の場所は避けたい。

硬調にまだ体型のできあがっていない小学生が冷水病の発生した道志川のように口、腹掛かりで、時折かかる。
大きめの石のところで、まともな引き。オラでも、この流速では、竿を立て、浮かせ、抜ける。18才女子高生、下顎側線孔数4対、左右対称。

しあわせ男は、石切場の下流瀬に、貸し切り、と喜んでいったとのこと。何人くらい、女子高生をナンパしたのであろうか。

2008年あゆみちゃん遍歴賦:17

6月25日  相模川弁天瀬頭上流

今年の平水より、2,30cm水量が多いが、女子高生との逢い引きには支障はない。
養殖は3匹あるから、昼までは持つであろう。マッスル背針は残りが少なくなったから、1号の錘だけにする。
女子高には立ちこめないから、すぐに掛からなくて当然。
きた。硬調を満月にする。今日はヘチに寄せずに抜くでえ。見事だっこした。そして、箱入り娘に。その後、3連チャンの身切れバレ。7.5号太軸の去年の大井川あゆみちゃん用の残った針を使っているのに。取り込み率3対3の5割。お百姓が聞いたら笑うやろうなあ。

タモをベルトにさそうとしてもなかなかささらない。囮をヘチにおいてもたもたしてから、囮を出そうとしたら中学生が掛かっていた。助かった。
昼頃、監視員が見ている中、掛かった。いつものように、ヘチに寄せる。監視員はぬけぬけ、と無責任なことをいう。下流側にやってきた人がすくってくれた。ありがたい。

その人たちはオラの上下に入った。瀬頭のすぐ下で掛け、簡単に抜いている。上流側の人は、オラが女子高の上限と思っている附近で良く掛けている。立ちこまないで。大きいときは、竿を満月にして、2,3歩下がり抜く。
その人が満月にして、上流へと動いていく。ニゴイ。上手にやりとりをしていたが、バキイ。2番と3番か、3番と4番で折れた。腕が良いため、のされなかったことが裏目に出た。金属の0.1位を使っているのに、竿が折れるとは。

昨日は朝から風が吹いたのに、今日は昼を過ぎても風がない。風を口実に帰ろうと思っているのに。人工股関節にするしか完治しない、といわれながらも、ヒアルロン酸を股関節と膝に注射してもらって、釣りができる状態を保っている身としては、長時間労働は避けたい。
帰る口実はないがやめた。
下顎側線孔数4対、左右対称。19才乙女3.18才女子高生1,17才女子高生1,16才女子高生3,中学生3、計11.


2008年あゆみちゃん遍歴賦:18

6月27日  相模川弁天

中2日の休養は必要であるが、明日の土曜日は、大会参加者の下見があり、瀬で動く釣りができなかろう。まだヒアルロン酸の効果が持続しているから、川の中で立ち往生ということもなかろう。

瀬頭上流の瀬肩で前回よりも1,2m先に立ちこめる。養殖並の囮サイズの女子高生を3人ぽっちゃん。掛かりどころが悪かっただけで、本格的な身切れによるバラシではない。とはいえ、囮に不自由するようになる。
そして、きたあ。浮き上がらせることできず。次はヘチに寄せるも、前回のようにすくってくれる人なし。ということで2人の乙女にはり倒されることとなった。

ますます囮に不自由するも、まだ、昼までには時間がある。マッスル背針を使うか悩みながらも、錘だけで釣る。
きたあ。片手で抜こうとするから、張り倒されるのであるから、両手で浮かせる。両手を使えば、オラでもだっこできる。抜いて、目の前にぶらぶらさせてタモに入れる。次も成功。
ところが、瀬頭に近づいて行かざるをえなくなった。両手を使えど浮かない。ヘチに寄せ、河原に立ち、大井川の乙女をだっこするときと同様、両手で抜き、糸をつかむ。付け糸が切れたが、河原の上。オラの作戦勝。

右岸側の人は、前回同様、立ちこまずに中学生を囮に不自由しない程度に釣っている。ということは、右岸側は女子高に闖入する人がいない状態が3日は続いている。更場状態。誰が、女子高生を両手に花、とにんまりするのであろうか。

午前中、瀬尻の流れが右岸側に流れ、たるみになっているところの人も、下見にきて動き回っている全国区候補生も20ほど釣っていた。しかし、オラの方が大きいのを揃えたはず。
下顎側線孔数4対左右対称。 
21才2、19才4、18才2,小中学生3.計11.
これだけ釣れば、堂々と、午前様ができる。とはいえ、バラした6匹のうちの3匹は乙女ではなかったのかなあ。
今年はまだ、相模川では、人工を釣っていない。梅雨明けになれば、人工も生き残っていればいるであろうオラにとって、楽なところでの釣りもできるようになるが、当面は疲れる瀬での釣りをするしかない。

「水鮎」という言葉をどれほどの人が知っているのであろうか。昭和の後半以降、ことに平成になってから友釣りをするようになった人は、オラのような例外を除いて、知らないのではないか。
亡き師匠は、釣りのテクニック、仕掛けについて語ることは少なかった。むしろ、講習会にせっせと出かけ、釣り雑誌にかぶれていたオラの方が、流行の事柄を知っていたくらい。亡き師匠は、本物の鮎の習性、水の善し悪しと鮎の品位、品格についてはうるさかった。その点、故松沢さんに通じるところがあった。

「水鮎」とは、6月の海産鮎は、身がまだ柔らかい、との意味。味にも違いがあるということもいわれていたと思う。
そのため、「ジャストワン」という針もあった。ジャストワンのコンセプトは、初期の鮎は小さくても、身が柔らかいため、大きさに比し大きい針を使え。その後は鮎が大きくなっても、身が固くなるから、大きさに比し、針が小さくても、身切れをすることがない。むしろ掛かりを重視せよ、という意味合いであったと思う。

ジャストワンは、継代人工が川の主役になるとともに消え去った。村田さんが鎧を着た鮎と表現されていたと思うが、鎧を突き破る針が、刺されば身切れを考えることのない鮎が対象となって、針が変わっていった。細軸、小針へ。
今年の相模川は遡上鮎が対象。したがって、小針も細軸も身切れのもと。
7.5号から8号の錨に変えてやっと、乙女に位負けをしなくなった。否、負けてもヘチに寄せて何とかだっこできた。
遡上鮎が釣りの対象となる年はこれからもあるであろうが、今年ほど水量の多い年が何十年後に期待できるのであろうか。津久井ダムがなかった頃の水量かもしれない。


2008年あゆみちゃん遍歴賦:19

7月2日  相模川

1日に大会が行われていた。その影響が心配。
大会の時、しあわせ男は、どん尻で、オラが朝麦酒を飲んでいる弁天護岸を通っていった。当然、石切場下流の瀬頭と瀬肩の境、と思っていたが、弁天分流下流がぽっかり空いている、歩きたくない、とそこに入った。釣れない、込んでくる。やっと、石切場に行く気になった。すぐに掛けるがバレも。上流側の人がしあわせ男よりも立ち込み、下ってくるため、しあわせ男は動けない。あと2匹釣っていれば1回戦を通過したのに。歩くのが嫌、とは、とんでもない了見違い。と、オラはしあわせ男の不幸を見て幸せ。

2回戦では、分流合流点下流の弁天最後の瀬で、瀬頭ではなく、その下を河原から、瀬脇を釣っていた人が、20ほど釣って1位ではないか。2位は、右岸の弁天瀬がはじまる附近、お百姓が掛かり鮎を浮かせられない、と、悩んでいる附近の人ではないか。
オラが釣るところは、女子高生、乙女はいるが、動けないことには両手に花、とはなりえない。しかし、1人ずつでは女子高生や乙女を釣りきれなくても、ずらっと並んでいれば、オラの相手は?

弁天瀬頭でまず、女子高生。乙女は後からの方が、囮に不自由しないですむ。次の女子高生も楽にだっこする。そして、いつものはいそれまでえよ。
1.5号の錘に変えて、瀬頭に近づく。ガン、両手で浮かせた、抜いた、あと少しでぽっちゃん。
10月の大井川の乙女と違い、柔肌の乙女をあなたは乱暴に扱いましたね。あなたの厚顔の面と違い、柔肌ですよ。あなたには柔肌の乙女と逢い引きをする資格はありません、といつもの弁天様の最後通牒。

うなだれて、1号の錘で囮が入るところに戻っていく。やっと女子高生5人。これでは朝帰りができない。麦酒も持ってきていない。
とぼとぼと、暑い河原を高田橋に移る。

大会を見ていた田名の主が、高田橋上流では右岸よりの瀬の芯が女子高生、乙女のたむろしているところであるのに、左岸側の人は立ち込んでいない、右岸側に渡った人も瀬の芯に囮を入れていない、と、にんまりしていた。夕方、芯を釣るも、粗相の連続とのこと。
丼、バレ、空中バレ、ガンと掛かった瞬間の衝撃で錘が飛ぶ。結果は数匹しか残らなかったとのこと。2日の午前もオラが囮を入れる附近に立ちこんで釣っていたから、大漁、と思っていたが、状況は変わらず、とのこと。

なんでえ?
針は8.5号チラシ。取り込みは振り子抜き。
22,3才の乙女と水量が多いことが田名の主とオラの共通点に繋がっているのであろうか。
とはいえ、8.5号の針、2号の錘を使いこなす田名の主とオラでは、同じ現象でもレベルが違うか。

今年の春からの水量は、津久井ダムがなかった頃の水量と同じか、と思っていたが、もっと水量が多かったとのこと。
小沢の堰の付近では渦が巻いていた、船がそこにはいると、くるくる回転していた、その下流から、右岸に泳ぐと、4,500m下流の弁天まで流されて、右岸のたどり着けた、とのこと。渦を巻いていたのは、1の釜であろうか。

分流で錘を付け、やっと女子高生、中学生3人。
3時前、仕事が終わった、と、やってきたひげのだるまは、分流右岸の中州の切れるたるみところに入り、メタボ=継代人工の成魚放流を釣るとのこと。オラが1日働いた数はすぐに追い越した。

中津の田代、壊れ橋下流に行ったお百姓らは、解禁日並の混雑であるが、よい鮎も釣れた、とのこと。これまで芯に囮を入れる人がいなかったから、平水に近くなり、芯に囮を入れられるようになり、海産が釣れたのであろうか。

久しぶりに、4時過ぎまで働いたのに、やっと女子高生に中学生が混じって、8匹。ああしんどう。


2008年あゆみちゃん遍歴賦:20

7月3日  相模川高田橋

前日よりも2,30cm水が減っている。となれば、弁天瀬頭上流の女子高に闖入できるはず。
小沢さんの講習会は高田橋であるから、弁天の女子高生は指をくわえてみているしかない。高田橋右岸よりの女子高には、これくらいの減水ではオラには闖入できない。

小沢さんに聞いたこと
@ 長良川に遡上があるとのことであるが、河口堰下流の支流での発眼卵、親の育成等によるのか。  流下仔魚のある期間、河口堰をあけているため、流下仔魚が生存しているうちに海に下れるよ  うになった。しかし、郡上八幡に遡上があったのは、最近のことで、又、小さいとのこと。
その理由はわからない。
A 初期の遡上鮎の女子高生、乙女の付き場が、限定されるのはなぜか。
  頭大の石ではなく、一抱えほどある石を好むよう。その石には頭大の石とは異なる種類の苔が  付いているのではないか。

長良川のことも、石の大きさによる苔の種別の違いも、考え得ることであろう。鮎が食して、珪藻から藍藻に優占種が遷移する、との一部の研究者の実験結果よりも、検証に値する観察と思うが。珪藻が藍藻に遷移する、との説が、釣り番組で放送されたから、これを事実と信じる人が出てくるやろうなあ。

小沢さんは、分流のメタボがたむろしているところで、すぐに数匹のメタボを釣った。そして、皆さんの要望で、本流の瀬に入った。徐々に立ちこみ、流れのセンターよりも右岸寄りの瀬で乙女を釣り上げた。風が強い中、あわてず騒がず、迅速に8mの竿で取り込んだ。さらに立ちこんでいくと、中学生か女子高生になった。
その間、ノーマルで、釣られていた。オラがそこに立ちこめたとしても、錘、マッスル背針、と補助を要するのに。


2008年あゆみちゃん遍歴賦:21

7月5日  相模川

弁天上流側瀬頭付近。釣れない、上下に入る人も入れ替わり、立ち替わり。あと1m立ちこまないと、女子高に闖入できないのであろうか。それとも、品切れか。乙女の品切れはあり得るが、女子高生の品切れは考えられない。右岸側の人も立ち込み不足で釣れていない。たまに中学生か女子高生が釣れるだけ。

囮を休ませるため、麦酒を飲む。そして、錘1.5号で釣るも、音沙汰なし。今年初めてのボウズか。
昼前、やっと掛かる。両手で抜く。つまみ糸をつかめず。ぽっちゃん。
ああ無情。
テク2が、3日中津の八菅で、4日角田大橋のすぐ下の瀬で、3時間ほどで20ほど。テク2でさえ、両手で浮かせ、抜いているのであるから、テク2よりもはるかに優男のオラが、両腕で抜いて当たり前。抜いたがバレとは、ボウズに大きく前進する。

高田橋に移る。
分流のメタボは釣りたくない。ヘボは釣れねど高楊枝。ボウズに甘んじよう。
分流との合流点に立ち、本流を釣る。右岸に渡った田名の主のお友達が、立ちこんでせっせと振り子抜きをしている。
やっと掛かった、乙女、しかし、0.07号の金属がぷっつん。下りたかったが。

働ける囮はなし。水を買いに行き、囮を休ませる。やっと釣れたのは、中学生。中学生でも1人に変わりなし。ありがたや。
田名の主のお友達は、20ほど、バレが10ほど。オラが乙女をバラしても、恥ずかしいことではないか。


2008年あゆみちゃん遍歴賦:22

7月9日  相模川(間違い指摘後、訂正した日にち)

神川橋の水位計はまだ60cmを越えている。弁天瀬頭上に立ちこめる水位より高い。高田橋上流では、右岸寄りの瀬にはいることができない。石切場は下流側の瀬に立ちこめそうもない。
女子高生、乙女とのナンパの場所選びに四苦八苦するのも、立ちこめないから。

弁天の瀬頭に近い方にはいる。釣り上がるつもりが、瀬頭に近いところを釣っていた人が、オラの上流に移り、希望は風前の灯火に。
とはいえ、18才が釣れてまず安心。次も女子高生。とはいえ、女子高に闖入できない身としてはこれまでえよお。

右岸の人は立ち込んでいないから釣れぬ。そして、去っていく中、例外のおっさんがヘチに立ち、中学生を釣っている。オラがやっと、6人の女子高生等をナンパして、麦酒を飲んでいると、そのおっさんがやってきた。
なんでそのおっさんがいるんや。今日は平日やで。オラの年金代を稼げえ。

そのおっさんに、立ちこめ、針は8号に、糸は01に、と優越感に浸りながらわめいた。
おっさんは瀬頭に近いところに立ちこみ、乙女を。その乙女を囮にして、乙女を掛け、下る、こける、すぐに立ち上がり、体勢を立て直す。そして、丼。
そやからいうとおりにせえ。
次は3連チャンのバレ。そやからヘボのいうとおりにせええ。

それからがヘボとは違う。007,7.5号で、タモに入らないとわかると、振り子抜きを、乙女でも20才とわかるとタモで、と、乙女を手玉に取り、バレ率を下げていく。
そのおっさんとは、誰ぞ。去年、全国大会に片足をつっこんだジロちゃんなるぞ。
ジロちゃんが23才だあ、というが、オラはまだ23才になっていない、とわめく。計測結果は22才数ヶ月、22才にあと数ヶ月。
22才にあと数ヶ月を囮にして、22才数ヶ月をなんで取り込めるんや。

ジロちゃんは、乙女といちゃついている時間はないはず。大会の下見にきたはず。乙女の色香におぼれていたら、中津での大会の二の舞になり、ボウズになるでえ。
さすがは、全国大会に片足をつっこんだジロちゃん。1時間余り、乙女の色香に酔いしれたあと、小中学校を求めてさすらいの旅に出て行った。

オラは、高田橋上流の分流合流点に立ち、本流を釣る。小学生、女子高生。
田名の主が、オラがぼけて、時間がわからなくなり、5時まで釣っている、と心配してやってきた。いつもは、田名の主のお仕事は4時過ぎからはじまるのに、今日はその時間には帰り、オラを心配して自転車でやってきた。歩いてこられる距離にもかかわらず。
田名の主一統が高田橋上流の瀬の女子高生、乙女を洗いざらい軟派してしまい、品切れになったから、今日はさぼったとのこと。

オラは1日働いて、10匹、しかも下顎側線孔数は4対、左右対称であるから、メタボは釣っていないが、18才と数ヶ月、あと数ヶ月で18才が5人。ジロちゃんと違い、乙女はいない。道理で、今日は粗相がなかった。腕が上がったとうぬぼれていたが。
なんで、ジロちゃんが来る前にオラが立ちこめる水位に減少してくれなかったんや。オラはなんと不幸な星の下に産まれたのかなあ。


2008年あゆみちゃん遍歴賦:23

7月10日  中津川壊れ橋

全国大会に片足をつっこんだジロちゃんに指導、いや、いちゃもん、ヤジを飛ばした優越感は、前代未聞、未来永劫実現することのない快感、その幸福感をあの世まで持っていきたい。
今日、弁天上流側の瀬頭で釣り、ボウズになると、優越感は劣等感に転換すること間違いなし。
優越感を保持するには、中津に行くしかない。連日満員の中津で釣れなくても、品切れで釣れなかった、との口実も有効になる。

バスを待っていると、一位のお局さんがやってきた。てっきりオラが相模で釣ると思い、乗れと。しかし、中津、というと去っていった。

石はきれい。総なめの状態であれば、相当量のあゆみちゃんが妻田の堰の魚道を上ったことになる。ここ1週間ほど、白川になるほどのダム放流はない。アカぐされがないということは総なめの状態であろうか。
壊れ橋上流で錘をつけて釣るが19才1匹のみ。おなじみさんの監視員はメタボも瀬に入っているというが、下顎側線孔数が4対、左右対称であるから海産。

10時頃には麦酒を飲み昼寝。よく眠れた。釣り人は半分以下に減っていた。昨日、20ほど釣った人もいた堰に近い方の減り方が大きい。
せっかく掛かったのに、鉤素がフックから抜けておしまい。

弁天下流の瀬では、一位のお局さんが、大小混じって50ほど。仕事を終えて2時間ほど、下流側の瀬で釣ったKさんが丼やバレで舟にあゆみちゃんが溜まらなかった、といいながら、10ほど。
田名の主は、昨日オラが釣った、高田橋上流分流合流点を立ち位置にして、本流を釣り、沖に走られての丼やバレはあるもののいつものように2,30と。又、分流でもメタボではなく、海産がよく釣れていたとのこと。なんで、少し減水して、分流で釣れたのかなあ。

角田大橋から、朝、はんでいる鮎が大量に見えるとのこと。Kさんも、消防グランド護岸上から、夕方盛んにはんでいるあゆみちゃんが見えたとのこと。そして、時合いには真っ黄色の鮎が釣れていた、とのこと。
減水して、竿抜けであったところに囮が入り、女子高生や乙女が釣れ、それが品切れになったのが今の状態であろうか。そして、中学生はまだ縄張りを形成せず、集団生活をしている、ということであろうか。


2008年あゆみちゃん遍歴賦:24

7月13日  中津川消防グラン


テク1や2が、さんざん乙女をたぶらかしたため、もはや女子高生も乙女も釣れない、という。釣れるのはボサの近くだけ、と。
当然のこと。遡上あゆみちゃんの中で、今の時期に女子高生、乙女になっているのは、田園調布に100坪、200坪の邸宅を構えているセレブだけ。セレブの数は限られているのに、どん欲に騙し続けたから、昨日の乙女今いずこ。
昨日の大会の時、金曜日に石切場の瀬で70も女子高生、乙女をだっこしたジロちゃんが夢よ再び、と、石切場の瀬にはいる。結果は、ボウズにニゴイではなかったのかなあ。事前調査にきて、女子高生、乙女の色香に惑わされて我を失うとは。10日に、弁天瀬頭で、乙女、女子高生の誘惑を毅然と拒否して、小中学校を求めてさすらいの旅に出たのは、ジロちゃんの信念の固さではなかったのでは?オラのヤジから逃れたかっただけでは?

こんな状況の中津では、10匹も釣る人はいなかろう。10釣っても、小中学生主体であろう、とわびしく消防グランドの上流に行き、左岸、右岸のボサ附近を釣る。
空想は現実になる。ハヤ、吸盤ボウイに慰められ、女子高生のあゆみちゃんは囮が過労死する頃にやっと、遊んでくれた。18才の女子高生の時は、ボサに糸がひっかからないように、両手で動きを止めた。

午後は、カジ淵上流の楽なところに行く。時間がたつのを待つのみ。結局、計、女子高生3,小学生2.下顎側線孔数4対左右対称。なんで海産であるのに、流れの強い、石の大きいところを避けているのかなあ。テク1らの略奪におびえているのかなあ。

ところが、一位のお局さんら4人ほどが、女子高生に乙女を交えて20以上。なぜだあ。
しあわせ男がオラの境遇にはじめて共感できる状態であったから、せいぜい10台はいても、20台はいないであろう、と思っていたのに。一位のお局さんに至ってはあと1人で30ではなかったかなあ。


2008年あゆみちゃん遍歴賦:25

7月15日  相模川弁天

いつものように、上流側の瀬頭上を1号の錘で安定する附近を釣る。田名の主は、今年は2号の錘が適合するところで、女子高生や乙女がよく釣れる、といわれていたが、取り込みを考えたら、1.5号の錘で対応できるところがオラには限度。

釣れない、バレもない、ケラレだけ。吸盤ボウイが慰めてくれる。中津では吸盤ボウイとあゆみちゃんの数が接近していた。
3匹目の囮で、錘1.5号にし、8号チラシで、瀬頭に近いところへ。最後の勝負。2回目のバレ、そのうえ、根掛かり放流。もう動ける囮はいない。ビ−ルなしの昼にする。
明日は高橋さんの釣りを見るか、アカ付きは悪いが、更場の大井川にするか、それとも?思いは千々に乱れる。

少しは囮が動くであろうと、左岸側が瀬落ち風になっているところで、錘を付け、瀬脇の手前側に入れる。掛かった。ここは小中学生のところと思っていたのに、女子高生。ありがたや。そしてまたも。小中学生は中高生に成長していた。
テク2が分流で2匹の囮取りをして、4匁の錘をつけて、瀬頭を釣る、と。すぐに掛かりタメ、竿を立て、背中の後ろに抜く。 あるいは、竿を立てて少し下り、抜く。オラのように浮かせることはできても飛ばすことができず、ばらすようなへまはしない。場所を変えて下ってくる。
左岸側では瀬が終わりそうに見えるところで根掛かりして、ベストを脱ぎ、瀬に入り、外していた。瀬頭付近だけが石はいいとのこと。
テク2は、オラに囮はあるか、と聞いて、昼飯に。

オラが釣れているのを見て、上下に人が入り、動けなくなった。右岸側の人はオラの正面を支点に大きく上下していた。3,40は釣ったであろうか。その人は、テク2を見て、瀬頭に行くが釣れず。4匁の錘が必要なところに囮を入れられなかったのであろう。そのあと、右岸側の瀬頭附近に躊躇なく、立ち込んだ人がいたから、どのくらい釣れるのか、見ていたが、掛かりは遅い。せっかく掛かっても、バラしていた。

テク2は飯を食べたあとは、上流側の瀬頭には見向きもせず、下流側の瀬頭、その下流のトロへの落ち込みのザラ瀬等を釣っていた。セレブな乙女が少数であることをよくご存じ。
もう、これからは瀬頭の乙女のナンパは、囮に余裕ができたときにしょおっと。
囮に不自由しなくなり、これからやっと、人並みの生活ができる、と喜んだが、ゴロちゃんのお出まし。オラは、なんと不幸な星の下に産まれたことか。当然、一目散に逃げ出す。弁天の便所は、安全、とりあえずそこへ逃げ込めば、ゴロちゃんに焼き殺されることはない。
下顎側線孔数4対、左右対称。女子高生は半分。計10匹。


2008年あゆみちゃん遍歴賦:26

7月16日  相模川弁天

高橋さんの講習会で、遡上鮎の釣れる場所は空いていない。下流側の瀬頭附近に入るも、1.5号の錘の効果も長続きしない。すぐに掛かってくれいと。その上流の分流への分岐点附近の釣具店店長を脅して割り込む。店長は、1時間ほどで中高生を5人も引っかけている。その附近に入るもオラは、午前中働いて、やっと、中高生を5人。午後1.

高橋さんは、14日に、オラが囮をおいていた辺りに立ちこみ、右岸側によった芯を釣り、周りの人の怨嗟のまなざしのもと、女子高生、乙女を40ほど釣ったとのこと。
高橋さんの実釣を盗み見していた。上流側の、水中の柳附近を釣らされていたが、どんなに立ちこんでも、小学生、園児しかいないはず。メタボが少しはいるかも。
オラが遡上鮎の習性を知らない場所選択だあ、とわめくと、釣具店の社長が担当者に電話。上流側瀬頭に移動した。そこで、高橋さんが丼をするのを見た。2日前に、遡上鮎の成長具合、水量に熟知されているのに、丼とは。名人でも粗相をすることがる、と、ヘボ冥利に尽きる。

講習会が終わり、高橋さんがどこにはいるか、と見ていた。分流合流点付近を斜め下流に渡り、2日前、40ほど釣った場所は無視して、上流へ。上流側の瀬頭附近から立ちこんで釣る。掛かるペースは、昨日のテク2とは比べものにならないほど遅い。
根掛かりして、助けにいけなかった。しかし、2回目の根掛かりの時は、流されながらも、囮を回収していた。高橋さんらにとっては、流されることは、当たり前のこと、それへの対処法は、身についている、ということのよう。
その瀬を左岸側から釣っていた高橋さんのお仲間も、丼。浮かせてあゆみちゃんの顔を見たが、60cmつけている付け糸が、30cmしかなかったから、とのこと。オラの50cmよりも長い。もっとも、オラのはその人より太い付け糸であるが。

高橋さんが抜くと、掛かり鮎は、必ず、背後1mほどの空中に静止する。オラのようにどこまで飛ぶか、あゆみちゃんのかってでしょうとは、違う。
高橋さんは、釣り下っても、2日前に釣ったところは釣らずに、下流側瀬頭付近に移る。2日では、乙女、女子高生の補充がされない、との判断からであろうか。


2008年あゆみちゃん遍歴賦:27

7月19日  大井川:1   

今週から、やっと澄み始めたとのこと。JR鉄橋から見る大井川は濁っているがいつもの通りで、神尾から上流は濁りがないように見える。丹原で、大和田で、2,30m間隔で5,6人が釣っている。
こだまを利用すれば、10時には竿を出せたのに、のぞみ優先で、こだまの始発時間が10分遅れ、8時30分の大井川鉄道に間に合わなくなり、9時17分に。去年はこの電車には、鈍行で乗れたのに、身延線の特急を入れたため、鈍行では、間に合わなくなった。貧乏人に意地悪をするJR東海めえ。こだまが1台抜かれるたびに、500円割引しろう。
ということで、笹間渡鉄橋上流右岸への流れに囮を入れたのは、11時前。

ヘチ、瀬脇の頭大よりも大きい石は珪藻が生え、茶色。芯の大きめの石は、石裏と片方の石横に珪藻が生え、石表と片方の石横はアカがついていない。
ということで、瀬脇よりも右岸側に茶色い石の見えるところを、立ちこんで釣る。左岸側を立ちこまずに釣るべきであるが、河原は暑い、水冷がほしい。
女子高生が釣れるも、パイパイもお尻も出っ張っていない。飢餓状態がひどかったということか。

相模川では、透明度2,30cmでも、藍藻が繁殖し、遡上あゆみちゃんには、飢餓という文字がない。
ということは、珪藻が光合成をできるには、藍藻よりも、大きな値の照度が必要ということであろうか。珪藻が腐る照度は、真夏の海岸の日照、とイメージで理解できるが、珪藻が光合成できる最低限度の照度とは、どのようなイメージであろうか。
平口囮のおばちゃんが、オラが澄んでいる、というと、澄んでないわよ、澄んでいるとは、青々とした水の色をいうのよ、と。
今の大井川川口発電所上流の状況でも、相模川では未来永劫実現することのない、そして中津川では最良の澄んだ状態であるのに。

5月に、長島ダムが泥を流した。その流し方が、貯水率が50%ほどになるように、一気に流し、そのあと、上水放流をすれば、短期間の泥水の放流ですみ、珪藻の繁殖も早く、さらに掃流力が強くなるから、河口が砂利で閉鎖されることも少しは防げるであろうに。
そのようにはせず、ちんたらちんたら流したため、あゆみちゃんの飢餓状態はひどかった。
泥の排出は、ダム等の利水事業活動を行う上での産業廃棄物ではないのかなあ。砂利を洗浄した水を川に流したら、廃棄物処理法にひっかかるのでは?
原子力発電に払う注意の1000,万分の一の注意をダム管理に払ってくれたら、あゆみちゃんも飢餓の期間が少なかったであろうに。

発電所廃屋前に行く。女子高生が釣れるも、やはり、肉付きはよくない。
その上流の、左岸崖から、右岸崖へ、1kmほど流れるオラの大好きな、恋の密室空間に行く。どこが釣れるかわからん。やっと1匹。テク2に、同じように見える流れの中での、違いを見つけてもらい、釣れる場所を教えてもらうしかない。流れの真ん中は、溝になっていて、普通であれば、あゆみちゃんが大好きな場所であるのに、なんで、右岸側のヘチが好まれるのかなあ。
上流数百メートルのところで2人が右岸河原から釣っているが、釣れているのであろうか。

又、発電所廃屋前に戻る。針のすっぽ抜け2回。
そして、抜けない。女子高生と侮って、片手で抜こうとしたオラが悪いです。しかし、7.5号の針を使っているときに遊びに来てえ。ということで、大井川でのバレ1号。
結局5人しかだっこできず、粗相は3人、と、粗相の率は相も変わらず高い。

葛籠から帰ってきた人が5匹。駿遠橋のすぐ下で、20との話もあったが、もし事実であれば、毎日さんが6時頃まで釣っているはずであるのに、誰も見えなかった。20日も、電車の窓から釣っている人は見えなかった。グループ全体での数ではないかなあ。大和田での20匹の話が電車から見えた釣り人の多さであろう。大井川では5,6人が並んでいても多い状態である。

寿司屋さんが、笹間川で釣りをするとき、水中に潜って鮎を針に引っかけて囮を確保していたという。
「猿猴」一統が、物部川や仁淀川で行っていた「金突き」に類することが大井川でも行われていたということのよう。ただ、行われていたのは、笹間川であるから、潜って引っかける手法に適する条件があるのかもしれない。
寿司屋さんは駿遠橋の上流に、大井川鉄道のトンネルを通っていき、崖を水際まで下り、加賀釣り=ドブ釣りをした、とのこと。岩盤底に石が転がり、毛針に食いつく鮎がよく見えたとのこと。寿司屋さんは、ここで、友釣りもされていた。
その岩盤底が顔を見せるには、5m、6m、掘ればよいのであろうか、それ以上であろうか。


2008年あゆみちゃん遍歴賦:28

7月20日  大井川:2 

アッシー君を確保するためには、10人以上の女子高生をモノしないと。
平口囮さんに行くと、発電所廃屋前に4人組がもう行った、と。その手前の右岸への流れに行く。昨日は香りがしなかったのに、かすかに香りがする。小西翁が、香り、黄色い衣装は、相手に識別させやすくするためではないか、と推測され、夜の方が強い、と、書かれていたと思う。そうすると、かすかな香りが意味を持つが。

釣れない。昨日の先客が、荷物を右岸側に置いていたが、右岸側の黄色い石を総なめしたのであろうか。
発電所廃屋前をめざすと、4人組はもう引き上げていた。
女子高生で、肉突きはよい。なんでえ。
両手で抜く。高橋さんのように、身体の背後1mほどの空中にぴたっと止まらないが、河原で抜いたため、問題なし。肉突きのよい19才乙女。

もっと、ここであゆみちゃんを誘惑したかったが、山の雲が、楽太郎のおなかほど黒くはないが、黒に変わってきた。発電所廃屋に入れば、ゴロちゃんはやり過ごせるし、増水しても流れを渡ることなく、下界にいける。茶摘みの人が来ていたから、下界に戻る道はあるはず。とはいえ、ゴロちゃんは怖い、嫌い。
下っていく。途中囮を働かすも釣れず。
去年の9月、残りアカねらいの時、お世話になった大石が、頭だけ水中に出している。去年は1,2m下まで水中に出ていたが。もし、埋まっていなければ、垢石翁が、「物置小屋」ほどの大きさと書かれている石と同じであろう。硅藻が付いている。しかし、釣れない。あゆみちゃんは、食べ物だけに生きるにあらず。流れのないところは趣味ではない、と寄りつかないのでは。時期が悪かった。今の時期に流れのないところでのほほんとしていたら、継代人工並みのメタボになってしまうからかなあ。

最後は、評判の悪い川根温泉下流にはいる。大きめの石が形成していた瀬脇状の空間が石が埋まりなくなる。瀬の中の動かない石には、びっしりと緑藻がついている。緑藻がないのは、ころがるこぶし大の石のところだけ。これじゃ、今の時期のあゆみちゃんが住むわけないよ。

1時を過ぎたから朝帰りではない。ゴロちゃんが怖いから、早上がりをするだけ。
とはいえ、あゆみちゃんは多くなさそう。発電所廃屋前にやって来た80才にもかかわらず、よたよた歩きのオラと違って、すたすた歩く人が、コロガシを始めた。2,3回流すと掛かるのに、掛からん、鮎が少ない、といって、上流に去っていった。石風呂は釣れている、といわれていたが。これでは、アッシー君は釣れそうにないなあ。
新幹線通勤は、アカ付きがよくなったときの腐りアカの状態を見るために8月上旬、24才乙女を一攫千金でねらう10月下旬くらいになるのかなあ。

2日で、乙女1,女子高生5、中学生を含めて計8.


遡上鮎の習性について  Zさんへの返信

14,15cmあれば、囮としては十分。解禁日ではそれらが1号、あるいは1.5号の錘をつけた場所で釣れる。2号錘が最適場所とされる場所、そこがそれらの鮎の付き場と田名の主一統はいっていた。その中に16cm級が混じる。まれに17、18cmも。

7月にはいると、相模川では、2号の錘が最適の場所、軽くても1号の錘が最適の場所で、21,2cmもまじり、18cm級が主力になる。

ただ、18,20cm級は、しっかりとした縄張りを持っているため、品切れになりやすい。高田橋上流の瀬で、最初に品切れになったのは、田名の主一統がたえず芯に竿を出していたから。つまり、今のように少し減水していなくても、竿抜けポイントはなかったから。

唯一の竿抜けポイントは堰下のブロックがあるところ。そこの鮎が動けばこれからは23,4cmを釣る人も出てくる。

石切場の下流側の瀬、弁天の上流側の瀬、弁天の下流側の瀬では、今の水量になる前は、しあわせ男ら、その他少数の者しか、芯には囮を入れられなかった。したがって、芯状になっている周辺をオラ達は釣っていた。そこの6月には18cmが最大、7月には22cmが最大、という状態であったが、女子高生、20cm級は現在の水量になる前に釣りきられた。

現在の水量になり、それまで竿を入れられなかった芯に竿を入れることができるようになり、上流側の瀬でテク2あるいは、上流側瀬と下流側瀬の中間附近の右岸よりの瀬を、左岸側から胸まで立ちこんで芯に入れた高橋さんが40、というように更場状態の大漁となった。
ただし、更場でなくなった上流側の瀬でも、高橋、その仲間は丼をするも、テク2ほどの入れポンではなくなっていた。テク2が入れポンであった流速は、高橋さんでも、根掛かりをはずせない場所。

大井川は、飢餓状態が1ヶ月以上続いていたのかもしれない。そのため、遡上鮎の中には餓死し、あるいは体力が落ちた状態のため、何回目かのダム放流の時に流されたのがいるのかもしれない。
そのため、19cmが最大であった、と考えられる。ダムがなければ、10日もたてば、珪藻が繁茂し、今日の長期間の飢餓状態はなかったはず。

藍藻の相模川に飢餓はない。透明度2,30cmあるかなしか、であっても、藍藻は繁茂している。
この現象が、藍藻の光合成に必要となる最小限度の照度は低く、珪藻が光合成をできる最低限度の照度はそれよりも相当高いのではないか、と想像している。川底の石に到達できる1万ルックスになるにはどの程度の透明度であるか、わからない。もちろん、SS(浮遊微粒子)だけが照度障害としたときのイメージづくりであるが。
大井川で、流速のある瀬では、ヘチ、瀬脇での珪藻の繁茂が見られたことは、浅い場所の方が、光合成のできる最低限の照度が石に届きやすい、ということが影響しているのであろう。

テク2の友達がオラと同じ時、大井川に行っていたとのこと。葛籠、昭和橋付近に入ったが、やせていたとのこと。大きさ、数はまだ聞いていたい。その人は一昨年、何回か一緒に行ったがテクニシャンで、オラの5倍ほどは釣っているのではないか。また、取り込みの粗相は見たことがない。

百合の花が咲く頃、釣れなくなる」といわれている。
この意味は、遡上鮎の成長状態と、品切れの関係を表していると考えている。
6月に縄張りを形成するほどの大きさに成長した鮎は、百合の花の咲く頃にはほぼ釣りきられ、共住生活をしている中学生以下はまだ、縄張りを形成する成長段階には達していない、という現象を表しているのではないかなあ。

もちろん、釣りきられた、といっても、竿抜けポイントがある大河、水量が多い、流れがきつい、という条件のあるところほど、品切れの率は少なくなるが。
中津が真っ先に10トン以下の水量になったとき、大漁になり、その後1週間ほどで乙女は品切れに近い状態になった。

大島が先週から超満員であるが、大島では、水量が減らないと、竿を入れられない瀬が多く、また、立ち込むには石が大きすぎて、足腰の達者だけでなく、技術を要するため、立ち込める人が限られ、縄張りを形成していた成長段階のアユが多く残っていた。
減水して、多くの釣り人が竿を出せるようになり、その結果が新聞に出た。人が集まるが、海産鮎であるから、動けないと釣りにならない。先週中頃から、釣果の差がひどくなった。失望した人が去っていき、今週からすくのではないか。
とはいえ、遡上鮎の習性、成長段階を知っていた若者等一部の人は、減水前に大島通いをして、強い引きをたっぷりと楽しんでいた。オラには鵜止まりの淵上流の瀬に足を入れることもままならず、ましてや、縄張り鮎の住処に囮を入れることすら不可能であるから、神沢で我慢するしかなかったが。


2008年あゆみちゃん遍歴賦:29

7月23日  相模川弁天

神沢では、田名の主の一統が、腰まで立ち込んで右岸側の水深があり、大石がころがっている瀬で、乙女らを略奪しているとのこと。アッシ−君がいてもオラが囮を入れられる場所には、乙女は残っていないであろう。
乙女が残っていないのであれば、弁天でもかわりはない。

乙女や女子高生が遊んでくれた上流側瀬頭附近を無視し、その下流の、左岸側ではたるみになっているところから釣りはじめる。
釣れない。今日は錘を使わず、瀬脇を釣る。さらに減水しているから、オラにとっては楽。
最初にやっと釣れたのは吸盤ボーイ。今年は吸盤ボーイにモテモテ。
錘をつける瀬であれば、もう、囮に不自由しているが、流れが弱いため、囮不足にはならない。

瀬頭と瀬頭の中間、左岸への分流分岐点附近でやっと女子高生。
高橋さんが立ち込んでいたであろう附近に囮を入れるが、減水しているため、囮が弱ることはない。さらに釣り下り中学生も。中学生といえども、体型はできているから、元気はつらつ、どんどん泳ぐ。

風が午前中であるのに吹き、2匹のバレはあるものの、途中で、7m、使い古しの007に変えて釣る。12匹。
女子高生とはいえ、これまでの3年生ではなく、1年生に2年生が混じる程度の大きさ。

昼寝をしていると、上流側瀬頭で釣れず、下流側瀬頭に行くというテク2に起こされた。テク2でさえ、瀬頭附近で乙女と出会えないということは、オラがそこを避けたことは正解であった。

風は一段と強い。なんで、オラが夕方まで釣ろうとしているときに風が吹くのか。
高橋さんのお友達が、背掛かりであれば、小さめの針であっても、抜くときに強引であっても、飛んだ後の減速が雑であっても、バレにはならない、といわれたが、たしかに、背掛かりの時のバレはなかった。針は7.5号を使っているから、粗相の原因にならないが、その他の粗相の原因は高橋さんのお友達が話されたバレ要因を充足している。それでも風の中でのバレが午後は1件であったのは、背掛かりが多かったから。

エリート、セレブの乙女と女子高生は口のうまい、女垂らしのテクニシャンの毒牙にかかり、哀れ、花の命を散らしてしまった。
しかし、これまで、共住生活をしていた中学生が、女子高生になり、数が多いことから、郊外の戸建て住宅や、マンション住まいを始めた。その庶民が釣りの対象となってきた。
とはいえ、これまでのセレブの印象が強烈であるため、遡上鮎に関して、百合の花の咲く頃には鮎が釣れなくなる、といわれていたのではないかなあ。


2008年あゆみちゃん遍歴賦:30

7月24日  相模川

弁天  昨日と同様、上流側の瀬と下流側の瀬の間の瀬脇を釣ることに徹する。
釣り下りたかったが、上流側に人がいるため、下流側の瀬上流にはいる。なんと女子高生、しかも昨日の1年生と違い、3年生。次も。こんなに女子高生にもてると、10人、20人は夢ではないかも。しかし夢だあった。
バレ3匹。なんで朝から風が吹くんやあ。
何を言っているんですか。小沢さんは強風の中、瀬から乙女を抜いて、タモに受けたでしょう。高橋さんも身体の1mほど上流の空中にぴたっとあゆみちゃんを止めたでしょう。テク2に浮かせる動作をきちんとしてから、抜くように、としかられますよ。

早々と7mに変えて、15才2匹。それを囮にしていると、尺鮎かニゴイか、の引き。すっぽ抜け。囮のアゴはちぎれかかっていて、頭から血が出ている。なんじゃあ、これは。
ニゴイは尻尾から食いつくはず、又、囮が浮いたときに食いつくとのこと、さらに、歯はそれほど頑丈ではない。いや、口の後方にあるからルアーで釣りやすい。

先日、弁天分流で、魚がブロックの間の草むらに隠れたとのこと。ニゴイではない、とつかむ。見ると、お宝。口に手を突っ込み、逃がさないようにしたとのこと。そのため、手のひらがざらざらになった、と。それほどの歯であった、と。その名はさくらちゃあん。腸に錨が入っていて、弱っていたとのこと。45cmのさくらちゃんはその人のおなかに入った、と。

前日にカジ淵下流の瀬で山女35cmを釣った人が、消防グラン前の流れが気になる、と、鮎を餌に、石横の筋を数回流し、山女はいない、と去っていった。その人が、高田橋上流の堰下流でさくらちゃんの跳ねを見た。鮎を餌に流し、さくらちゃんが食いついた。しかし、針ガカリせず、すっぽ抜けたとのこと。

オラの前にそこを釣っていた老人が、ニゴイではない、コイでもない、白い色の魚がひらを打っている、と。
これらのことから、オラの囮の頭に食らいついたのは、さくらちゃんではないかなあ。ニゴイでは夢もちぼうもないが、さくらちゃんであれば、夢いっぱい、幸せいっぱいになる。
幸せいっぱいを胸に高田橋に行く。

釣るときは邪魔な風が、橋の下の日陰を抜けるときは心地よい。サボリーマン達が、冷房の効いた部屋で、のほほん、と、連休の疲れを休めているのに、なんでオラ一人、難行苦行をせなあかんのやあ。ということで、昼寝。

高田橋上流のアカ付きは、弁天よりもよい。緑藻も少ない。これから、庶民が郊外に戸建てやマンションを求めるようになると、高田橋上流の方があゆみちゃんが多いかもしれない。
分流合流点のすぐ下流に立ち込んで、久々の19才乙女。
007の編み付け部分を少し切り、付け直す。21才乙女をヘチに寄せ、吊しこむ。
乙女が、田名の主一統の悪行にもかかわらず、生きのびていたのは、田名の主らは右岸側からは立ち込んでいたが、左岸側は、ヘチから釣る人だけで、田名の主一統は、それらの人の釣りを邪魔されなかったからではないか。
オラの時も、下流側の人も、上流側の分流合流点の人も、立ち込んでいなかった。減水して、オラでも立ち込めるようになったから、乙女の花園に闖入できたのではないか。

下顎側線孔数4対、左右対称。21才、19才乙女に、女子高3年生2人、その他を含めて7人。21才乙女を釣って、気持ちよく竿をたたんだ。計7人。


2008年あゆみちゃん遍歴賦:31

7月27日  大井川:3

1週間で、珪藻の繁殖が盛んになり、アカ付きが非常によくなり、新しい珪藻をいっぱい食べてあゆみちゃんのパイパイも、お尻もふくよかになったはず、と、勇んで出かけた。
昭和橋上流の葛籠下流よりへ。瀬の芯まで緑藻。少しの増水でも転がらない石で、緑藻がないのは、ヘチのみ。なんで緑藻が繁茂しているんや。小学生1匹のみで、アッシー君に移動を頼む。

地名から久野脇の河原に下ると、数人の釣り人がいる。釣り人がいるから、珪藻が繁茂しているのでは、と期待する。しかし、期待はむなし。
この一週間でなんで緑藻だけが繁茂したのか。緑藻を鼻環にリングとして飾った状態で時折釣り上げている人もいたが。
中学生1匹で、またも移動。

石風呂から、七曲がりを見ることにする。瀬は相も変わらず緑藻。分流等で、緑藻がないところを見つけ、そこを釣ることにする。
ところが、しばらくすると、ゴロちゃんのお出まし。いつもであれば、ゴロ1発で、逃げ出すが、今日は10分あれば臍を隠せるため、近づくまでは、とがんばる。その決意も、上流側のゴロちゃんだけでなく、右岸側でもお出ましになると、もうあきまへん。

小沢さんは、去年等のの巴川では、緑藻が繁茂し、せっかく遡上があっても釣りができない、しかし、7月になると緑藻がなくなる、といわれていた。囮屋さんにいた人も、もうじき、緑藻は流れる、といわれた。
なんで、緑藻が繁茂するのか。水質ではないかも。栄養塩の成分であろうか。水温はどのように作用しているのであろうか。
そして、なぜなくなるのか。寿命が短いのであろうか、その他、どのような要因で消滅するのであろうか、あるいは、なくならないのであろうか。


2008年あゆみちゃん遍歴賦:32

7月29日  相模川


高田橋に人なし。オラが分流合流点下に立ち込んでいると、上流トロに2人。その後も2人増えただけ。
中学生が2匹釣れるも、あとは吸盤ボウイに針のすっぽ抜け。
乙女は先日、友釣り2,3年生で、今年はじめて年券を買ったという初心者、とはいえ、海釣りの経験十分のおっさん、増水中は1.5号の錘を躊躇することなく使っていたおっさんがさらってしまったとのこと。

田名の主が、偵察にすらやってこない。大島、神沢、葉山で乙女の残っているところを見つけたのであろうか。
中学生はまだ、集団生活をしているのかなあ。
26日、石切場下流の瀬を増水中、我が物顔に荒らしていたしあわせ男が見学をしている。その瀬はチャラ状のザラ瀬となり、今更ほおかぶりをしても色は真っ黒のままなのに、懲りずにほおかぶりをしているドラちゃんが、中学生をたぶらかせている。一人せっせと釣り上げていた。どんな殺し文句でたぶらかしているのかなあ。

その上流の蛇籠前トロでは、立ち込み大好き男等が立て竿で中学生をたぶらかしている。
高田橋上流で、そのやり方を真似るつもりではあったが、乙女が釣れた芯が忘れられず、1匹追加しただけで、昼上がり。昼寝もしないで帰った。


2008年あゆみちゃん遍歴賦:33

7月31日  相模川弁天

上流の瀬肩と下流の瀬肩の中間で釣るも、吸盤ボウイすら遊んでくれない。囮が過労死するか、と、いう頃にやっと、女子高生。すぐに2匹目。これで、うはうは、とはならず。結局、昼までに5匹だけ。

ひげだるま君が、新昭和橋上流に行ったが、入りたいところに先客がいるため、田名の主等とは別れ、弁天にやってきた。昨日は、右岸から下流側の瀬尻で女子高生を主体に楽しめたとのこと。
今日は、瀬尻のザラ瀬に入るも、小中学生、とぼやいていた。午後の差し鮎をねらうも、数匹の女子高生が混じったにすぎない、と。それでも20ほど釣ったのであるから、伊達に、独身を保持しているのではない。

昼寝をしてから、下流側の瀬肩上流、左岸への分流分岐点下で、すぐに女子高生。そして、次も。しかし、いつものよおに幕はおりたあ。2連チャンのバレ。バレのない1日と思っていたのに。
その上、吸盤ボウイがオラを慰めに2匹も来てくれた。
ということで、計10匹。高校3年生が半分。大きさだけでは、ひげだるまより上。
昭和橋上流の田名の主等は、大小混じって、2,30とのこと。
右岸側の下流側瀬頭附近を釣っていた人は、派手に下っていたが、せいぜい女子高生ではないか。

「湖畔の里」のホームページを開設されていた「みずのように」さんから、「オラ達の鮎釣り」の開設の話がありました。みずのようにさんが開設に係るすべての事柄を処理されました。
「みずのようにさん」の「湖畔の里」を読んで、人間があまりにも自然を征服しょうと、あらゆる知恵、資源を動員している状況に、みずのようにさんも違和感をもたれていることに共感をしました。
そのことは、「オラ達の鮎釣り」に、みずのようにさんが書かれた巻頭言によく表現されていると思っています。

「湖畔の里」に、みずのようにさんが、しばらくパソコンのない世界に行く、との記載をされて気になっていました。
昨日、ご遺族の方から、みずのようにさんが、今年の1月に亡くなられた、とご連絡がありました。

みずのようにさんは、天竜川に佐久間ダムがなかった頃の、伊那方面の川、鮎のこと、奥さんの故郷の川である三面川にダムがなかった頃の川と鮎のこと、を、老人から聞いてくださるとのことでしたが、それもかなわぬこととなりました。
「昭和のあゆみちゃん」「故松沢さんの思いで」で、古の川、鮎がどのような状態、習性であったか、それが現在はどのようになっているか、を、記録しておくことができて、幸いと思っています。
阿部先生の「鮎が食することによって、珪藻から藍藻に優占種が遷移する」との説がなぜ、間違っているか、古の鮎のことを少しでも知れば、一目瞭然のことです。
垢石翁等が、鮎の香りがあると書かれ、鮎は「香魚」ともよばれていることは周知の事実でしょう。
相模川等の鮎は、遡上鮎であっても、その香りがしない「香魚」であるのはなぜか。
香りの成分に変化する物質が珪藻にしか含まれていないから、ということでしょう。藍藻が優占種になったから、言葉だけの「香魚」になったということでしょう。

藍藻が優占種になったのは昭和30年代後半からで、現在においてもまだ珪藻が優占種である川は、稀少な存在でしょう。
故松沢さんが「学者先生はそういうが」のとおり、阿部先生の説は、余りにも知識のなさ過ぎ、ということになりませんか。感性、推理力のなさ過ぎ、ということになりませんか。
今年放映されたダイワフィッシングで、阿部先生が、珪藻から藍藻への遷移を語られていました。
オラは、ダイワ精工に、「昭和のあゆみちゃん」と「故松沢さんの思い出」の中の珪藻と藍藻にかかる部分を送付しました。ダイワ精工さんはどのように動くのかなあ。

このように、みずのようにさんが開設された「オラ達の鮎釣り」は、オラにとって、古の、本物のあゆみちゃんの姿を考える上で、貴重な場を提供してくださいました。
このホームページが閉鎖されることになります。
できうる限り、「オラ達の鮎釣り  その2」を開設したいと思っておりますが、みずのようにさんと違い、パソコンの知識も、ホームページのこともわからないため、時間がかかるかもしれません。

非常にお世話になったみずのようにさんに、感謝し、また、ご冥福をお祈りして、このホームページは閉じられることになるでしょう。 


2008年あゆみちゃん遍歴賦:34

8月3日  相模川高田橋

昨日、石切場蛇籠の下流側で、27の人がいた、と。しかし、朝見ていた限りではそんなに釣れている人は見えなかったが。弁天も楽ではなさそうであるから、高田橋にする。10人もいないか。田名の主一統が己のまいた種、身から出たサビ、で、1番手のエリートあゆみちゃんである女子高生、乙女を根こそぎかっさらったから当然のこと。
もう、梅雨明けから何日もなるのに、2番手の中高生がいまだ集住生活をしているようで、戸建て住宅に住んでいない。遡上鮎が釣りの対象の時、田名の主の一統は、この時期以降、鮎が全川に散らばると、ほかの釣り人が立ち込んでいる背後で軟派に精を出すのであるが。
田名の主は4時には、オラの前を通り過ぎたから、今日は、水管橋か、石切場か、弁天に行っていたのであろう。

分流合流点下流に立ち込む。釣れなくてもやむを得ん。田名の主一統でさえ、さすらいの旅に出ているのであるから。
珍しい。19才乙女。18才女子高生。このあとは、2連チャンのバラシ。その痛手にめげず、女子高生2匹。
下流がわのヘチから釣っていた人が少しくだった。それに合わせて少し下る。かかった。浮かない、ヘチに寄せるか、と思うも、なんと今季初の丼。
複合金属0.1号、絶対切れないはず。10回以上使用すると強度低下があるが、まだ大丈夫。中ハリス上の金属は2,3回の仕様ごとに少し切り、付け糸も張り替えている。
なんと、天井糸側の編み付け直下で切れている。
分流合流点で、座って、7,8匹釣り、最後は8.5号のチラシで囮を背負って上流に走る乙女をバラしたお父さんに天井糸側の接続も点検しないと、と笑われた。そのお父さんは、細かな仕掛けをまだ作ることができ、小さな八の字で接続できる。オラよりも10才ほど年上というのに。


2008年あゆみちゃん遍歴賦:35

8月6日  相模川大島


昨日の雷雨でどの程度の増水か、気にはなるが、アッシー君のおっさんには、神川橋の水位計ではダム放流がない、といって、安心させる。
鵜止まり上流の瀬。オラは瀬肩上の昨日までは立ち込み位置であったであろうところに囮を入れる。女子高生が4人。とはいえ、根掛かりをおっかなびっくり膝上まで入って、はずしに行くのは精神衛生上よくない。
ということで、その下流に行く。左岸側はトロ状であり、流されても、だれかが拾ってくれるだろう。しかし、釣れない。下流側のボサのところに、腰上まで立ち込み、錘を使っているおっさんの竿が大きく撓る。身切れ。

おっさんは、まだ9時前というのに、女子高生中心に12人。オラの倍以上。なんでや。
おっさんは乙女を釣り、囮で働かせようとする。なんじゃあ、おかしい、糸が切れている。タバコを吸いながら囮をつけようとするには10年早い。それから、おっさんは場所を変えるが余り釣れず。
おっさんは、同じ場所で、12匹、その後数匹追加したから、大会の予選通過や、という。なんちゅう新人や。

オラもあっちゃこったちゃ動いて、やっと10人目。大粒の雨が落ちてきた。ゴロちゃん雲が出てきても、今日はすぐに避難できる、と釣っていたが、もはや限界。車に戻り、早麦酒。他の人はまだ釣っている。ゴロちゃんが鳴った。おっさんは竿を投げ出して車にやってきた。那珂川で、竿に落雷して亡くなる人がいる、と知っているのに、いつまで釣ってんねん。

ゴロちゃんは去っていったが、濁り。鵜だけが漁にいそしんでいる。
しばらく鵜止まり上流の瀬を釣っていたが、シルバーシートに移る。串川の濁りが入らない分、透明度が高いのでは。
昨日まで、水はあるが、鮎は見えるが、石は汚い、というところで中高生を3匹。
下流側のシルバーシートに移る。昨日まではション便流れであろうが、石は磨かれていた。増水して、釣りやすくなった。女子高生と乙女を7人。
おっさんは、歯医者に行くから3時に上がるというのにまだやってこない。だだっ広いトロ瀬のシルバーシートに移る。石がどのように入っているのか、検討もつかないから、階段から適当に引く。女子高生、次いで21才乙女。もう十分。

おっさんは川流れか、大漁か、鵜止まり上流の瀬に戻る。
おっさんは20匹であるが、舟の蓋が開いていて逃がし、根掛かり放流した分を含めると、30近く。その上、取り込みミス多発。このおっさん、何者や。
オラは22.そのうち、21才1,19才3,18才3,他は女子高生が主体。下顎側線孔数4対、左右対称。


2008年あゆみちゃん遍歴賦:36


8月9日  相模川高田橋

6日、大島でオラ達が帰る頃やってきたお百姓が鵜止まり上流の瀬で18,Tおっさんが12とのこと。お百姓の数は、濁りがとれ、夕方の時合いになったから、納得できる数字。しかし、Tおっさんの腕を知るものは、なんでそんなに釣れるの?と、訝り、そして、その結果を聞いたお客さんは、混んでも大島へ、となびくはず。
当然、石切場、弁天、高田橋は閑古鳥が鳴き、葉山、水管橋が大島に次いで満員、ということになろう。

分流合流点のすぐ下流があいていた。立ち込んで女子高生、幸先よし。しかし2連チャンのバレ。このバレは乙女の馬力に負けたわけではない。口掛かりであるから、痛くもかゆくもない。
オラの上流側の人が派手に下ってくる。ヘチに寄せて抜いたから、取り込めたと思ったが、キャッチミスとのこと。その田名の主の一統の一人は、丼もしたとのこと。雷が鳴って休んでいるときに、
田名の主らに、0.3号のつけ糸では切れる、0.4か5にしろ、といわれていた。

オラは乙女か、と思い、ヘチに寄せて抜くが女子高生止まり。女子高生といえども、一段と馬力がついている。無理に、一歩も動かずに抜いていたら、粗相の連続であったかも。
トロの人は去っていった。大島では水深のある瀬でも釣れたから、下流へと下る。思ったよりも流れがあり、錘1号を使う。中学生1匹だけ。
なんでえ?

11匹釣って、麦酒を飲み、ゴロちゃん雲を気にしながら、竿を伸ばすと、ゴロちゃんがやってきた。今日のゴロちゃんはお行儀がよく、オラが田名の主の車の天幕に逃げるまで、警告を出すだけであった。
それから2時間余り、ゴロちゃんが派手に落ちまくる中、何週間ぶりかで高田橋にやってきたであろう田名の主らの話を聞いた。
田名の主のお友達は、新昭和橋のコロガシ区でコロガシの人の間を渡り歩いて、乙女を釣り、バーベキューをしている家族らに届けてからやってきた。

田名の主は堰下のブロックのところを釣ったものの、メタボの人工は釣れなかったが、乙女は少しで、すぐに中学生になった、と。水管橋のところは、釣れる場所が限られているとのこと。なぜ、石切場から高田橋までの間が、二番手のあゆみちゃんが釣れないのか、わからん、とのこと。

田名の主らが釣りに出かけたあと、オラは雷さんが戻ってこないか、と心配で帰った。
18才女子高生4,下顎側線孔数4対左右対称。中学生はわずか。


2008年あゆみちゃん遍歴賦:37

8月10日  中津川壊れ橋

神奈川県は、県産の30代目?継代人工の稚魚をまだ漁連に販売し、それが売れ残っているため、漁連は中津川漁協に、あるいは大会の囮に売っているやり方と、あゆみちゃんの品位、品格を損なう継代人工を釣りたくないため、今年は中津川を敬遠している。
とはいえ、やむを得ず、中津川にやってきた。

壊れ橋下流の瀬のようになっている水深のないところの右岸ヘチを釣る。18才くらいではあるが、馬力はなく、容姿も継代人工と一目でわかるもの2匹。オラの上流側でも継代人工を釣っている。午前はこれだけ。海産が釣れるかも、と、保持力重視の7.5号の針を使うと、ケラレ。
中津川が継代人工主役とわかっていたら、今年、いっぱい残ってしまった6.5号をもってくるのに。

壊れ橋上流の右岸ヘチ、歩きまわる場所、そんなところで、盛んに釣れている。中学生くらいの大きさ。沖取り海産であろうか。
午後、一列に並んで、その鮎を釣っている人を見ながら、上流の瀬に行く。人工主体に4匹。

とはいえ、数だけを見ると、30台が数人、20台を含めると、10人を超えるのではないか。
あゆみちゃんの品格、容姿、品位を問題にするオラにとっては、つらい1日でした。
この数だけが、あるいは、25cmという大きさだけが伝えられると、大きな誤解を生むこととなろう。遡上鮎ではなく、継代人工であること、ヘチで釣れるあゆみちゃんがあゆみちゃんの習性や、品格を備えていない、といえよう。あゆみちゃんの品格を気にしない釣り人にはなるな、ということが、亡き師匠、故松沢さんがオラに教えてくださったことであるから。


2008年あゆみちゃん遍歴賦:38

8月12日  大井川:4

葛籠、久野脇を埋め尽くしていた緑藻が消えたという。なんで消えたのであろうか。
6時、新横浜始発のひかりに乗る。そうすれば、9時前には竿が出せるはず。鈍行が急行優先のあおりで、静岡到着がわずかに遅れたため、9時17分に乗れていた大井川鉄道が、10時台になってしまった。こだまを利用してやっと、9時17分に乗れる。のぞみのなかった頃は、こだまを利用すると、8時30分の大井川鉄道に乗れたのに。
ひかりは、40分で静岡に着いた。小田原ー静岡のこだまよりも早い。JR東海さん、こだま運賃を安くしろ。片道1万円コース、あゆみちゃん、遊んでや。

笹間渡の囮屋さんにつくと、昨日の午前は濁っていたが、午後は澄んで、川根温泉下流の瀬で釣ったのがそこの水槽にいる、と。川根温泉の瀬に入れ、と。
オラはアッシー君を釣るために、下見をしたい。ということで、鉄橋上流にいく。もちろん、更場で大漁を、との下心十分であるが。

左岸から右岸への瀬
ヘチの泥付きの石のナメあとは太く、乙女を予感させる。アカ付きは瀬でも充分。右岸の瀬脇、ヘチは石の詰まった幅が広いため、やってはいけないことであるが、立ち込む。それに水冷がないと、ひからびジジーになってしまう。水も滴るジジーで、あゆみちゃんを軟派したい。
その思いは通じず。女子高生1人だけ。

発電所廃屋前に行く途中、小石のチャラを渡ると、あゆみちゃんが逃げていく。チャラにもつく時季になったのかなあ。
珪藻の生育は問題なし。何が問題?腕じゃ。それを言ったらおしまいよ。
女子高生1匹のみ。ゴロちゃん雲が出てくる。その上流の恋の密室空間に行きたいが、ゴロちゃんも怖い。

ということで、2台目の蒸気機関車の汽笛とともに、川根温泉下流の瀬に戻る。
瀬がぽっかり空いていて、右岸堰下の大石が数個ころがっていたところに、腰の曲がった人が、その斜め下流の小石底に2人が、左岸崖の瀬尻附近に1人。
当然、瀬にはいる。釣れない。その上、舟から囮を出すときに逃がすし。オラに遡上鮎の馬力は強いから気をつけろ、と小言を言われていたアッシー君に見られなくてよかった。

白い雲は、楽太郎の腹の色に変わる。すぐに逃げ出せる、と安心していて、ゴロちゃんの予告だけを注意していると、いきなり大粒の雨。
囮屋さんに戻ると、今日は、雷は来ないよ、これから釣れるよ、と。
そして、オラが入っていたところは、藤枝の人が30ほど釣って帰って行ったよ、と。
ナニイー、それじゃあオラと遊んでくれるあゆみちゃんがいるわきゃないよ。

20世紀の終わり頃、腰の曲がった人は、恋の密室空間で釣りをされていた。竿と糸を流れと平行にして釣る。かかると、河原を30mほどくだり取り込み戻ってきて舟に入れる。
それでも、芯を釣っていたオラよりも多く釣っていた。このことがオラに大井川のヘチ重視を教えてくれることになった。
その人が、今年も恋の密室空間を捨てているということは、何か問題があるのであろうか。一昨年頃までは、砂利で石が埋まり、去年は緑藻の繁茂であったが。

今朝乗った深夜タクシーの運転手さんが、井川ダム工事で働いていた、昭和45年頃の完成では、といわれた。オラは30年代の完成と思いこんでいたから、寿司屋さんが大河の趣を残す大井川を知っているのは子供のころだけ、と思っていた。昭和45年頃であれば、おっさんになっているから、多くのことを知っている。

寿司屋さんの話
発電所廃屋のところは流れが強く渡れなかった。右岸に山道がある。下りはよいが、上りはきつかった。大雨の時、駐車場にも使われている護岸に水が来ることは今では数年に1度であるが、宿が水につかるほどの増水をしていた(大雨の時の掃流力が半分近くに弱くなっているということであろう。この状態が続けば、河床は上がっていくがどうするのかなあ。)。ウナギは延縄のようにして枝針に鮎、ドジョウ、みみずをつけて釣っていた。瀬付きのウグイは投網で捕った。鮎カケはヤスでついた。鮎カケはうまかった。いろんな料理をしたが、刺身もうまかった。ジストマ?は、醤油で死ぬから、生で食べても大丈夫(寄生虫が醤油で死ぬとは思えないが、川魚であっても寄生虫を気にしなくてもよかった、ということであろうか)
。サツキマスを釣っていた記憶はない(サツキマスがいなかったということではないから、なぜ釣りの対象になっていなかったのかなあ)。


2008年あゆみちゃん遍歴賦:39

8月13日  大井川:5

川根温泉下流の瀬が1日で回復しているとは思えないが、まず、状態を見る。すぐに女子高生。藤枝さんはあゆみちゃんを残してくれていた。ありがたや。
しかし、けられ、けられ、の難行業苦行がはじまった。水鮎の季節が終わると、ケラレとは、なんの針を使えばこの難行から救い出されるの?

結局逃げ出す。上流側の人も1匹だけ。右岸瀬尻上流に行くがケラレもなし。瀬尻の菅笠の人が、一段高くなった河原から釣り、下っていたから、相当釣れたと思っていたが、数匹とのこと。
淵下流の去年お世話になった小石のチャラは流れが変わったが健在。気になる筋があり竿を出すがだめ。

抜く里上流の左岸への勾配のあるチャラへ。去年多くのあゆみちゃんが遊んでくれたところ。石は去年よりも少し小さくなっている。
乙女はいないであろう、と、7号の針にする。すぐに女子高生。どこにあゆみちゃんがいるか、わからないため、上飛ばしで好きにさせていると、ゴン、ケラレ。細軸はもってきていない。もっとも、細軸で効果があったかはわからないが。
ケラレ、蹴られていると、子供が左岸崖沿いの溝を流される遊びのため、チャラの一部を歩きまわる。それでも、ケラレはおさまらない。やっと3匹釣ったところで、上流でも子供が遊び回る。仕方ない、子供に明け渡すために動こうか、とはかっこいい言い分で、四方八方にゴロちゃん雲が出てくる。真っ白であるから、問題はないが、気になる。
立ち込んで、とはいっても、膝下であるが。頭大の石が詰まった見てくれのよいところに、7.5号4本錨で囮を入れる。針を重くすることで、ケラレが減るのでは、と最後の神頼み。当たった、女子高生。

このチャラはどらえもんおじさんには知られたくないなあ。オラも、あゆみの瞳は100万ボルト、とささやき、赤いバラ一輪を差し出しても、フン、と無視されるのに、どらえもんおじさんだけは、群がるあゆみちゃんを根こそぎ軟派してしまう。神様は格差社会を作っていながら、皆様は神の下に平等です、とおっしゃるが、オラには理解できん。
抜く里は右岸へ流れが当たる附近だけ数人。

川根温泉下流に戻ると、気になっていた分流に菅笠さんが入っている。女子高生を5匹、と。その分流の上流側を見るが、臍、ではなく、背鰭が出そうな水深。もう少し水量があったら、オラでも何とかできるが、その水深ではテク2のように囮を泳がせることはできそうもない。

菅笠さんが左岸岩盤の淵で、大きく、数も釣れる、と。とはいえ、左岸1人、右岸2人入っているから、流れのあるところに入れそうにもない。
ということで、瀬の上流を釣ることにする。昨日、小石底を釣っていると思っていたが、砂利の中の石を釣っていた。そして、かかった。上流側の人がいなくなったので、釣りのぼる。根掛かりしてもはずせにいけるから助かる。砂利の中の石は勝負が早い、と、どらえもんおじさんが言われていたが、その石の傍に囮をもっていくことに四苦八苦しているから、それほど多くは釣れない。

やっと10匹。
昨日のと合わせ、19才乙女1,18才女子高生5,小中学生が各1。下顎側線孔数4対左右対称。

蒸気機関車で麦酒を飲みながら、大井川を眺めていた。
駿遠橋のすぐ下の瀬に昨日同様、毎日さんがいた。昨日は10匹ほどとのこと。去年は見なかったから、今年はその瀬で釣れているということ。
大和田の駅前は、昨日はいたが、今日は人見えず。その下流側は昨日同様、人が入っている。丹原、神座も数人の人が見える。
遡上が少なかったのか、1ヶ月以上、長島ダムが泥水をちんたらちんたら流し続けて、飢餓状態の中、死んだのか、あゆみちゃんの数は多いと言えそうもない。その中、30ほど釣る幸運な人がアッチこっちでいる。昨日囮屋さんに来た人が、前日昭和橋上流に入り、釣れなかったが、一緒に行った人が、30ほど、と。釣れる場所とそうでない場所がはっきりしている、と。


2008年あゆみちゃん遍歴賦:40

8月15日  相模川弁天

もはや、22,3才のエリート、セレブなあゆみちゃんが釣れることは稀であろう。二番手の女子高生と楽しむしかない。継代人工であれば、ぐうたらぐうたらの生活をしているから、残っているのであろうが。相模川、中津川に4月上旬に放流された県産継代人工30代目?の幼魚は、5月中旬のダム放流で、川の中に生息している雑菌に感染して死に、あるいは流されて、釣りの対象とはなっていない。その後に放流された県産継代人工は少し、高田橋上流の分流等で釣れていたが、中津川漁協のように、漁連の余り物をせっせと購入して放流していないようであるから、数は多くなかろう。

故松沢さんの城鮎会が昭和の代に開催していた大会は、5匹重量であった。昭和の時代は1位は、300グラムから350グラムくらい。それが平成2,3年になると400,500,600グラム台となった。継代人工が遡上鮎に変わって、計量の主役となっていったから。
故松沢さんは、人工が狩野川の釣りの対象の主役となっていくことを哀しんでおられた。決して、大鮎が釣れた、と喜ばれたはいなかった。

大鮎バトルの下見にやってきた人が、弁天の中央付近を、子供を遊ばせながら釣っていて、20ほど釣ったが小さい、と。遡上鮎が釣りの対象であるから、当然小さい、と答えた。なぜか、水管橋附近では乙女が釣れている、と答えた。

すいているから、下流側の瀬尻近く、とはいえ、右岸側は強い瀬であるが。その瀬脇を錘をつけて4匹。分流分岐点附近での瀬脇等を動いて、8匹。 昨日40ほど釣ったひげだるまは右岸の上流側瀬肩附近から釣り下ってきたが、今日も釣れるとはいかない。2日も釣ると、集中力がなくなる、といいながら、20ほどで去っていった。
女子高生に小中学生が混じる。


2008年あゆみちゃん遍歴賦:41

8月19日  相模川高田橋

今日も田名の主らは水管橋に出かけたよう。4時過ぎまで釣っていたのであろう。
田名の主が見放した高田橋ではあるが、24日は弁天が混むであろうから、高田橋で釣るしかなさそう。ということで、どんな状況かを見る。

分流合流点の下流側にはいる。弁天では、瀬脇でも釣れだしたから、瀬脇、芯とチビ玉をつけて上下に動くがケラレのみ。相模川よ、お前もか、といいたくなる。
やっと、釣れたのは、捨てられた養殖。次は小学生。
待望の女子高生が釣れて、これからだ、と。しかし、尺鮎か、浮かばない。姿を少し見せたのは、コイ敵。ニゴイであれば、0.1号の複合金属であるから、ヘチに寄せて対応できる。コイがどんちょうな動きで沖に出て行く。切れた。幸いなことに、そろそろ水中側の手直しをしなければ、と思いながらも、女子高生ではまだ大丈夫と思い、手入れをさぼっていたため、そこで切れた。糸は使える。ありがたや。

テク2が、ケラレを防ぐには、細い鉤素を使うこと、0.8号でも切れないフック型逆針がある、と。その自動鉤素止めを使っている鼻環の完成品を使い、0.8号、8号のチラシを試す。切れなければ、大井川での救世主となる。

女子高生で切れない。とはいえ、2年生では安心できない。上下に動くも、18才止まり。やっと、19才乙女が釣れた。そのあと、すっころんで、タバコはびしょ濡れ。えらい損や。それでも竿を放さず。

高校3年生が釣れて、もく切れ、アルコール切れに耐えきれず、やめる。10匹。19才乙女1,高校3年生2.


2008年あゆみちゃん遍歴賦:42

8月24日  相模川高田橋

気温は9月10月並になるが、水温はぬるま湯並み。久しぶりの雨の中の釣り。
分流合流点真ん中がぽっかり空いている。その下流側のテク2はすぐに女子高生2人。いつものとおりであるから、ノミの心臓も痛まない。
ところが、そのあと、オラにも女子高生。そして、小学生もまじり、いつの間にやら、テク2を追い抜くという椿事に。テク2は右岸へ渡り、チャラですぐに釣るから、いつものように大差となるなあ。しかし、テク2は伸びない。
結局オラが10,テク2が8.しかも、女子高生が混じる程度の小中学生。おれでは大物賞にほど遠い。

20台も混んでいる中で釣った人もいたが、オラにとっては大漁。


 2008年あゆみちゃん遍歴賦:43

9月6日  中津川

8月終わりの雷雨で、相模川は、弁天で2,3mの増水、まだ濁っているが、釣ろうと思えば釣りはできる。数日前、高田橋上流の分流で、8時過ぎまでに4匹の小中学生を釣っている人がいた。
中津川は、100トンの放流であるから、県産継代人工は流され、あるいは、川に生息している普通の細菌に感染して死んだか、あるいは、9月15日、30日頃に採卵されているから、生殖腺が発育していて、下ったか、いずれにしても、面食いで、あゆみちゃんの品格を重んじるオラの趣味を邪魔するものは消えたはず。

ということで角田にはいる。
平水で、濁りは薄いものの、アカ付きが気になる。
テク2がダム放流前、海産あゆみちゃんと楽しんでいた角田大橋下流の左岸への落ち込み上流の瀬にはいる。錘をつけて釣るが釣れず。ところが、オラが瀬肩上に移動した後に入った人は、中学生を、次には女子高生を釣っていた。

アカが付き始めていることから、橋上流の瀬肩に移る。海底の落ちこみ下には数人が入っていた。
右岸よりの瀬脇近くで、目印が飛ぶ、走る鮎、幸い、手前に走ってくれたから、抜きやすい。
18才女子高生。下顎側線孔数4対左右対称。沖取り海産か。

盆の頃、阿武隈川支流で、目印をふっとばす遡上鮎と遊んできたおなじみさんが、オラの上流のヘチで、幼女と遊んでいる。
オラは、昼とともに去りぬ。囮屋さんで気持ちよく、麦酒。
群馬県からもやってきたくらいであるから、明日も混むのかなあ。


 2008年あゆみちゃん遍歴賦:44

9月8日  中津川 壊れ橋上流

角田の仙台堰下の方が、遡上鮎がいて、海産の密度が濃いはず。
堰と壊れ橋の中間附近にはいる。ヘチの泥かぶりの石に女子高生並のはみ跡。しかし、土日で相当量のあゆみちゃんが釣られているはず。ということで、流れの真ん中よりも手前を玉引きする。
上流へと引いて上っていく。18才女子高生。壊れ橋付近で釣ることもあり得るから、箱入り娘にする。

5人の女子高生が遊んでくれて、にやついていると、バレ。掛かりどころの悪いことによるバレで、乙女の馬力に負けたのではない、と安心していると、ケラレのみ。5人の女子高3年生が一向に増えない。
壊れ橋上流の柳前の瀬に移る。ありがたや、1年生といえども女子高生。次も。
しかし、その後は、沖に走られ、左岸側の流れに入られる。7号の針では身切れになるう、と。不幸の予想は的中。
その後はまたもや、あゆみちゃんに見放され、計9人で終える。昼の雨がなければ、10人になっていたであろうに。天気予報はなんで外れるんや。

午後、柳前付近から下は満員。
11前に社長出勤してきたお父さんの息子さんは、10は釣れたといって、上流へ。オラも上流に行く。オラが準備中に数匹釣って、消えていった。天竜玉三郎が、見切り千両と書かれていたが、逃げ足の速いこと。

田名の主が様子を見に来る。高田橋上流の分流でよく釣れていた、といいながら。金曜日、壊れ橋付近の平瀬では、県産継代人工の黒くなったメタボが、それ以外では、海産が釣れていたとのこと。
今日は、消防グランドで、しあわせ男がいい思いをしている、とのことで、釣れていなかった2人を連れて、消防グランドに見学に行った。

釣れない。3時には帰ることになるのかなあ。
やっと、15才中学生。2匹釣れて、夕方まで釣る気になる。結果は9人の女子高生に中学生まじり。
18人が遊んでくれた。

5,6日に大漁だったテク2が2時過ぎにやってきて、左岸を玉引きしていた。かかれば18才くらいであるが、数は出ない。
いつもはオラの2,3倍を釣るYさんは、角田大橋上流の瀬肩附近に入ったが、10匹に届かなかったと。
オラには県産継代人工は混じっていなかった。


 2008年あゆみちゃん遍歴賦:45

9月10日  大井川

9時に竿を出したいから、片道1万円コースを。
川根温泉下流、瀬脇を左岸から釣るも釣れず。ここで囮を釣り、さすらいの旅に出るのが不可能になる。囮の追加買いをして、鉄橋上流へ。
七曲がりの左岸から右岸への1kmほどの、恋の密室空間が釣れている、とのことであるが、そこまで行くには時間不足。とはいえ、釣れなければ行くしかないが。

右岸に沿う平瀬状の流れ、とはいえ、チャラ並みの水深、流速のところに河原よりに石が入っている。
強い引き。河原が立ち位置であるから、両手で抜く。乙女。いつもであれば、箱入り娘にするが、囮に不自由しているから、働かせる。またもや乙女。
ということで、蒸気機関車が鉄橋を通った12時半までに6人のあゆみちゃんとむんずほぐれつの情事を楽しんだ。

午後、発電所廃屋前に行こうとしたが、3人入っているのが見えたため、その手前の右岸から左岸への流れのザラ瀬状にはいる。やっと、高校1年生、ありがたや。3人の1年生が遊んでくれたから、立ち込んで左岸岩盤に囮を入れる。すぐに高校3年生。

その下流の砂利の中に頭大の石や小石がころがっているトロに、多くのあゆみちゃんが見える。中学生だけでなく、乙女もいる。
囮を入れるが、ケラレとバレ。縄張りも形成しているのではないから、当然のことか。
これらのあゆみちゃんが、稲刈りの頃、再び、瀬に戻る、ということになるのであろうか。

朝の場所に戻る。
7号の細軸ではない針が2回折れる。ケラレ、バレの時、針折れも見なければならない季節になった。鉤素のすっぽ抜けは、フックに2回かけたつもりでも、1回しかかかっていなかったのかなあ。3回もあった。

ということで、11匹ではあったが、乙女に満足。

寿司屋さんの話
1 船明ダムも東名もなかった頃、寿司屋さんは車で、山道を越えて、天竜川に行っていた。そこは、水深のある太い流れであったとのこと。
半日で60ほど釣れた、と。それ以上釣ると、友缶で酸欠死するから、半日の釣りしかできなかった、と。
昭和30年代の車といえば、軽自動車並みであろう。配達に使用していた車を釣りに転用していたであろうから、友缶を釣れる量に合わせて積み込むことはできなかったのであろう。あるいは、往復の道のりを考えると、半日の釣りが適していたのであろう。

2 長島ダムができて、水質は一層悪くなった。香りどころか、ヌメリも減った。
オラも同感である。ヌメリが減っただけでなく、鱗がくっきりと見えるようになった。もはや、ぬめぬめの美肌は戻らないのかなあ。珪藻の種別の変化か、珪藻に含まれる栄養素の変化か。

3 笹間ダム上流の鮎は、あじも香りもぬめぬめも大井川では一番よい状態。
オラはその鮎が海産馴致であれば、いきたいなあ、と思うが、継代人工であれば、それほどではない。
小西翁は、放流されたアユでも、2ヶ月ほど川で生活すると、その川の鮎と同じ味になる、と語られている。そのアユに継代人工も含まれるのであろうか。
小西翁が紀の川の鮎と川について語られたのは、昭和50年頃であるから、「湖産ブランド」に、ブレンドされていたのは、日本海の海産等が主流で、継代人工は少量であったのではないかなあ。

笹間ダムが大井川と合流する附近の笹間川の川幅は10mほど。そこから、笹間ダムがある附近まで、勾配がきつい。その渓流相の上流では、川幅は広がっている。
そのような支流にも鮎が大量に上っていたということ。当然、強い鮎が上っていたのであろう。

笹間ダムでなぜ、稚魚が生存しないのかなあ。水深はたっぷりあるから、稚魚の生存に危険がある水温8度以上の場所には事欠かないであろう。
動物性プランクトンが生息していない、とも考えにくい。植物性プランクトンは繁殖していると思うが。
もし、笹間渡ダム湖産が、津久井湖産のように、生産されるようになったら、笹間川での釣りもしてみたいなあ。


 2008年あゆみちゃん遍歴賦:46

9月11日  大井川

川根温泉前の平瀬で釣る。砂利の中に石が並んでいるところ、ころがっているところがある。
すぐに乙女。そして又。そして中学生。昨日と違い、金持ち長者へまっしぐら。
とはならんのが浮き世のならい。
蹴られるたびに引き戻される元気はつらつの中学生といえど、頭に来た。そして、みんな、こんなヘボに釣られたら、長時間労働は当たり前、休日も残業手当もなく、過労死させられるだけ。近づくな、と大声で叫んだ。

結局、8匹で抜く里に向かう。
途中、砂利のなかに少しでも石があれば、と、左岸の岩盤には囮を入れるが、無駄なこと。
左岸へのザラ瀬は、8月よりも石が小さくなり、しかも1人が上流側から下竿で面を占拠している。ということで、温泉下流の淵への落ち込み上流の平瀬にはいる。

またもや乙女。そして、8人。
働きが悪く、経費節減で蒸気機関車の前の電車に乗るため、2時で終える。

2日間の合計27匹のうち、乙女は、
22才1,21才2,20才4,19才8.  下顎側線孔数4対、左右対称
女子高生に少し中学生が混じる。


 2008年あゆみちゃん遍歴賦:47

9月13日  相模川

弁天。濁りはあるが、アカはついてるはず。下流側分流のあった附近にはいる。
中学生。大井川ではかわいかったが、3匹も続くと、女子高生の方がよい、と、不満が高ぶる。
やっと女子高生3人。
次は乙女がほしくなるが、いつものよおにだあれも相手にしてくれない。
これまでか、とあきらめていた昼前、やっと、乙女。

麦酒を飲むからか、午後釣れることはあまりない。そのとおりになる。
ただ、中学生も相手にしてくれないから、その分、助かるが。
養殖におもりをつけ、上下していて、最後は乙女。まだ2時過ぎであるが、十分。

計11匹のうち、20才1,19才1,18才3.  下顎側線孔数4対左右対称


2008年あゆみちゃん遍歴賦:48 

9月15日相模川

弁天まで歩くのがしんどいから、人気の少ない高田橋上流にする。
分流合流点沖にあった溝はなくなっている。その付近で玉引きをするも、小学生が3人。これじゃあ、弁天、大島、神沢になびくよなあ。
やっと、女子高生3人、と喜ぶと、中学生に。
しかも、今年はじめて、恋敵と遭遇。ニゴイであれば、成敗も考えるが、恋敵では竿を折られる危険もある。糸が切れて助かった。

昼前やっと乙女。女子高生の取り込みも、粗相がないように、ヘチに寄せて、抜きやすい位置まで下り取り込むという慎重なこと。その甲斐あって、14匹。これが女子高生主体であれば、ウハウハで、麦酒を買いに行くところであるが。

午後、すぐに女子高生2人。
右岸側で、オラにお尻を向けている田名の主一統の一人Xが右岸チャラで、たまに小学生を、幼児を釣っている。田名の主一統も落ちぶれたなあ、と、女子高生をすぐに2人釣ったオラが、優越感に浸っていた。
しかし、幸せはすぐに去る。

Xが、オラの正面に向き、玉引きをする。入れ掛かり。タモで受け、振り子抜きをし、と、大忙し。オラは、たまにケラレ、あるいは鉤素のすっぽ抜け、と、いつものよおに、悲哀を味わう。
惨めなひとときは、Xが、下りながら、入れ掛かりをしても、上りにはいると掛かりが遅くなったときまで続く。

オラは、下流側の人が少しくだったので、最後の目立つ波立ちを玉引きすると、小学生、幼児が数匹。小学校に闖入したよう。
最後はハヤ。

Xは、午前神沢で、乙女、女子高生30人余りと楽しんだ後、高田橋にやってきた。そして、22,3才が少なくなった、と贅沢なことをいっている。
8月に女子高生であった高田橋のあゆみちゃんは、乙女になっているものもいるはずであるが、どこにいるのであろうか。
田名の主一統も、7月中旬以降、1番手の遡上鮎の21,2才くらいがいなくなると、さすらいの旅に出ていて、高田橋上流で、玉引きする人は稀であったから、あゆみちゃんが育つ時間はあったはず。ああそれなのに、それなのに、乙女がいないのはなぜか。

25匹釣れたが、19才は1匹。下顎側線孔数4対左右対称。女子高生は半分に満たない。
Xは、神沢と合わせて50を超えたとのこと。
大会で優勝したOさんは中津川からやってきたが、中津で5,相模で5とのこと。3連休を千曲、天竜と周り、放流鮎がいない、ということで、つ抜けは今日がはじめて、と。


2008年あゆみちゃん遍歴賦:49

9月17日  相模川

台風の雨が気になる。海産であるから、ダム放流があっても、性成熟がまだ進んでいないから、下ることはない。弥太さんは秋分の頃以降の増水は、下りの動機づけになると語られているが。
弁天で、女子高生、乙女と遊びたいなあ。
釣れているのは、上流側の瀬肩上流の右岸に入ったSのみ。10時前までに16.瀬で玉引きをした初心者おっさんは、20才2匹。取り込みミス2.オラは上流側の瀬肩、その下流で女子高生と乙女だけ。

ということで、大島か、神沢に行こうとなった。
大島もすいているであろう、と、先日40釣ったYさんがいう。
ところが、鵜止まり上流の瀬は満員、4人が分散すれば入れるであろうが、動けないし、割り込むと、空間を空けろ、というひともおりそう。
ということで、中の島の右岸側に行く。ブロックが横断している下流にはいる。

Yさんと、錘の使えないにもかかわらず、この区間で唯一の瀬に入ったTが入れ掛かりをしている。平凡なヘチのチャラに入ったYさんとともに昼までに10ほど。
オラはすぐにヘチ寄りで、女子高生、乙女と釣るが芯で玉引きをするも釣れず。
狩野川で修行している玉引きのできる初心者おっさんとともに昼までに4.

午後、、Tは、瀬の下流側の人が帰ると、又入れ掛かりをしている。後の2人も入れ掛かりタイムがある。オラだけが蚊帳の外。
Yさんは24.5才を含む24匹。Tは21,おっさんは19,オラだけ、11.
平日でも、こんなに込んでいる大島では、土日ではどんな状態かなあ。
そして、弁天よりも乙女、女子高生の比率が高い。当然、下顎側線孔数は4対、左右対称


2008年あゆみちゃん遍歴賦:50

9月21日  相模川  高田橋

19日のダム放流で短時間、1m余りの増水となったが 、20日朝には、濁りはあるものの、2,30cmほどの増水に落ち着く。
濁りのある中、石切場下流の瀬では40,と。大島は満員、と。

高田橋上流、分流合流点下に入り、玉引きをするが釣れず。すぐ上流の人が1,その時、やっと掛かったが、空中バレ。下っていくが中学生の空中バレをしただけ。

昼前、瀬肩に田名の主一統のSちゃんがやってきて、立ち込んで行きつつ、時折振り子抜きをするのを見ながら、麦酒。いつもと違い、ペースが遅い、小さい、安心した。とはいえ、昼に上がるとき、タモに移して数えていたが、20余り。堰下分流からアッチこっちと釣ってきたとのこと。小中学生が主体で、女子高生はわずかではないか。

久しぶりに田名の主と会った。
先週、テク2から葉山で、5匁の錘を使い、女子高生、乙女を、40ほど、日々釣れているから来い、とお誘いがあり、出かけたとのこと。
囮取りをしてから、0.2号の金属に張り替えて、大きい石のある瀬で、3,4号の錘で引いて、3時間ほどで、20余り。手が痛くなったからやめたとのこと。玉引きで釣っている人がいないから、瀬の強いところが竿抜けポイントになっているとのこと。

午後、分流で小学1年生を2匹。中学生が跳ねているから、1年生に姉ちゃんを連れてきて、と頼んだのに、同級生を連れてきただけ。小学生から中学生へ、中学生から女子高生、乙女へのわらしべ長者の夢も破れた。
養殖で玉引きすれど、激しい当たりがあっただけ。小学1年生が1匹遊んでくれただけ。

田名の主らと葉山で玉引きをして、0.3号のフロロが切れるのでは、と、ひやひやしたIさんが葉山を見てきた。
今日は、玉引きをしなくてもよいところで釣れ、又、玉引きするところでも、小さめの錘で間に合う場所で釣れていたとのこと。

明日は、初心者らしくないおっさんと、大島の鵜止まり上流瀬にいく。月曜日にさぼる不届きものはいないはず、とは思うが、6時には場所取りをしたいとのこと。


2008年あゆみちゃん遍歴賦:51

9月22日  相模川  大島
夜中、ダム放流のサイレンが鳴ったとのことであるが、それほどは増水はしまい。高田橋を渡った初心者らしくないおっさんが、大して増水していない、濁りも昨日と変わらない、と。
天気予報は、小雨がちらつくも、午後からは晴れると。当然大混雑のする大島へ出発。

鵜止まり上流の瀬に一番乗り。
おっさんは下流側の瀬に入り、すぐに釣る。オラは、左岸側が袋になっているところで、根掛かりしたときに切っても損害のないように、0.4号のナイロン、7mの竿で釣る。

ふだんのヘチ附近で中学生が2.なぜか、雷の音。おっさんも上がる。
遠雷であるのに、おっさんも釣りを中断したのは、去年、板取川で、雷鳴とともに竿をたたんで、車に戻ったところ、まだ、緊急事態にはなっていないのに、近くの木に落雷したから、とのこと。
おっさんは5匹。

3回ゴロちゃんに邪魔され、オラは朝麦酒を飲んで休んだ。
瀬肩上流のトロは、石が大きかったから、と、いき、2匹釣るも、草等の根掛かりも多い。糸を太くしていたから、事なきを得た。
逃げ出す。

11時、おっさんは15.
おっさんは、高松さんの言いつけをよく守っている。囮を選ばない、2匹しか買わない、糸はナイロン0.25を使う、半日で20匹を釣る、を実現するため、がんばるも19匹。もし、ゴロちゃん休息がなかったら、高松さんの言いつけを充足していたかも。
オラはやっと10.

昼のゴロちゃん休息を終えて、すぐに乙女、高校3年生、と5匹が遊んでくれた。朝と同じ場所であるが、混雑しているシルバーシートと違い、この瀬には5人ほどしかいないため、上下に動ける。
とはいえ、オラにとって安全な場所は限られている。その後、たまにしか釣れず。

おっさんは、計26,オラは、おっさんの午前の稼ぎにも届かない17.
19才3.


2008年あゆみちゃん遍歴賦:52

9月24日  相模川弁天

久しぶりに日よりも良し、されどまだ水量は多い。

下流側分流分岐点附近にはいる。玉引きをしているが、平水のヘチ附近であろう。
小学生。次も。小学生に姉ちゃんを連れてきて、といえば、小学生も遊んでくれなくなるから、じっと我慢の大五郎。

にもかかわらず、小学生すら遊んでくれなくなった。
上流の瀬を玉2個つけて引く。女子高生が掛かるもバレ。乙女の美貌と激しいもだえに我を忘れてのバレではないから、それほど悔しくはない。ケラレもある。

とはいえ、ケラレと2度目のバレで、囮が働かない、とストライキ。
瀬肩上流に入っていた初心者らしくないおっさんと、22日の大島の中の島右岸側瀬で、玉をつけずにオラの倍を釣り、囮が元気だから、玉をつけなくても大丈夫ですよ、と、のたまわったTは、小学生相手に我慢できず、消えていった。行き先は、葉山であろうか。

又、分流分岐点付近に戻り、朝麦酒を飲んでから、玉2個をつけて、瀬脇に近づくことにした。
硬調の竿が大きく曲がる、乙女か、と期待したが、ヘチに寄せると、軽い。女子高生。
田名の主や、テク2が5匁、3,4号の錘を引いて釣っている場所で、オラが釣ったとしても、取り込みできないことがよくわかった。

やっと、朝帰りを免れた。
女子高生2,中学生1を含む7.


2008年あゆみちゃん遍歴賦:53
  
9月25日 相模川大島

シルバーシートの下流側、ふだんは2.3mほどの流れで、竿抜けを味わおうとしたが、世の中はそんなに甘くない。ダム放流後の22日でも、両側から釣っていたからなあ。

鵜止まり上流の瀬に移動。
初心者らしからぬおっさんが釣っていた場所には、先客が。その下にはいる。
昨日よりも50cm近く減水している。ということで、少しは立ち込めるし、錘もなくてよい。すぐに中学生。ありがたや。次の中学生の後は釣れず。先客が釣れているというのに。おっさんが釣れていたのは場所のせいで、腕ではなかったのでは。

と、やせ我慢をしていても仕方ないので、先客の上流側に移る。高校3年生。次も。しかし、目の前でぽっちゃん。7.5号細軸では無理か。7.5号太軸に変える。
案の定、ケラレの多発。18才ハチャキン娘もケラレのたびに戻され、疲れていく。

結局、細軸の7.5号に変える。
昼前、乙女。気持ちよく麦酒タイムを迎えることができた。
9匹。

午後、先客が少し上流に動いたので、おっさんが釣っていたところにはいる。釣れるが、上流に動けない。

5匁の玉引きで、淵のすぐ上流の瀬を釣っていた桐生さんがやってきて、立ち込み、玉引きをする。
桐生さんは、今年何回目かの相模川とのこと。淵上流の瀬で、ぴゅっと走る遡上鮎を30ほど釣り、再び、群馬からやってきたとのこと。
しかし、今日は、背掛かりが少なく、又、淵上流の瀬でもチビだったとのこと。明日は神沢に行けば、と話した。3時過ぎで、20ほどとのこと。

釣れない、いつもの時間がたつ。
それでも、痛くなった腕にローションを塗り、つりそうになる手のひらを筋肉をほぐす漢方薬を飲んでほぐし、がんばる。
上流側の人は、ダム放流後、オラが囮を入れていた附近に立ち込み、女子高生や乙女を軟派していた。

3時30分、疲れた。
計15匹。   20才1,19才2,18才3.下顎側線孔数4対左右対称。中学生少々。

何で、大島、葉山だけ、2番手、3番手が育つのかなあ。藍藻にも、種別によって栄養価が違うのかなあ。同じ種別でも、栄養価が栄養塩の違いで異なるのかなあ。



2008年あゆみちゃん遍歴賦:54

9月27日  相模川弁天

右岸は更場状態のはず。高田橋を渡り、右岸に行くところで、ひげだるまが通りかかった。当然、アッシー君にして、右岸運動場の駐車場まで運ばせる。

ひげだるまは、瀬肩附近に溝があるからそこを釣れ、と。オラは、その上流に中学校があるはず、と。
ということで、立ち込まないで、上下する。

中学生が遊んでくれた。とはいえ、中学校ではなさそう。中学生がハチャキン娘を連れてきてくれる等、入れ掛かりはないが、釣れた。
そして、なんと、夢の超特急である時速10匹。このまま続いてえ、と、あゆみちゃんにお願いしたが、ヘボさん、舌切り雀のお話をご存じですよねえ。欲張るとどうなるか、わかっていますよねえ。

欲張りの罰は全然釣れない。中学校がどこか、だいたいのことしかわからないため、あまり立ち込めない。夢の超特急の後は、オラのあゆみの速度。昼までに14.
中学校は、頭大の石が詰まっていた状態から、小石で埋まり小さくなったのかもしれない。

ひげだるまが、今日は釣らないといっていたのに、弁天下流分流付近に見に行った後、囮を買い、そこに入っていた。そのひげだるまが、釣れなかったのか、水中の柳付近に戻ってきて、宴会の仲間入りをしていた。

午後、ひげだるまは、水中の柳の沖まで立ち込み、オラと向き合うこととなった。
まずオラが釣り、すぐにひげだるまが。2人仲良く、4,5匹の連チャン。しかしそれまで。ひげだるまはどこへ去ったのかなあ。

ひげだるまの上を、先日、大島の中の島右岸側瀬を一緒に釣ったYさんが渡る。それを見ていると、朝、オラが釣っていたところよりも、竿1本分ほど、少し浅いところが続いている。
おらは、Yさんの上流に移り、朝よりも立ち込む。

その甲斐あって、15時まで働いた結果、26匹。
午後は、小学生が多くなった。又、さび始めた鮎も混じった。
20才1,18才2.
何でか、2番手、3番手のあゆみちゃんの育ちが大島よりも悪いことを弁天でも確認することとなりました。



2008年あゆみちゃん遍歴賦:55

9月28日  相模川昭和橋上流、橋脚工事上

瀬肩上流の平瀬で、束釣りをしたり、乙女と女子高生主体に60あまり釣ったとのことであるが、石は小さい。
と思っていたが、かけ上がりがあり、そこの石は手前と違って大きめであるから、鮎が溜まっていたのではないか、ということ。そして、24日頃のダム放流後、小さい石が入ったとのこと。

瀬尻のヘチを釣り、小学生。中学生も釣れて、囮にしていると、ニックキニゴイにさらわれた。
昨日と違い、囮に不自由してるというのに。

すく釣りがあった上流の平瀬があいたので移る。あいたということは、余り釣れず、アッチこっちと彷徨う人、ではなく、ポイントを探している人がいるから。
水温は19度であるが、寒い。
又、雄は雌よりも1ヶ月ほど早く、産卵のための下り等の行動を起こすとのこと。そのため、雌ばかり釣れたり、オスだけ、とか、オスが小石についたり、と、流芯だけが釣れる時季ではなくなったことが、皆さんのさすらいの理由。

オラは動かず、そのまま。乙女も1匹遊んでくれたりして、昼までに8.
午後は、そこを釣るも、バレ、バレ。ということで、アユが一杯いて、中学生も跳ねている。流れのないヘチ、チャラ状を釣る。2匹の中学生。

彷徨い歩いた束釣りさんは40ほど。さすが、ナンパ道に長けている。



2008年あゆみちゃん遍歴賦:56

10月2日  相模川橋脚工事上流

水温20度。28日の19度より高いが、冷たく感じる。、そう、気温が28日の15度くらいと違い、20度を超えているため。

にもかかわらず、この場所はすいている。下流の新昭和橋周辺の方が人が多い。
瀬肩上流平瀬状で小学生がわずか。その下流の右岸は水深のある強い瀬、左岸はザラ瀬。葉山は混むといってやってきたIさんはザラ瀬ですぐに女子高生を3匹。
しかし、後が続かない。

昼前にやって生きたテク2は、そのザラ瀬ですぐに釣れ、立ち込んでいく。
しかし、水が引き、どらえもんおじさんに丼を食わせた24cm級とはほど遠い。テク2は水が引いて乙女はどこかに行った、と。太いはみ跡があることから、乙女もいたはず。

そのザラ瀬でも釣りやっと8匹で、麦酒を。
午後は瀬尻に立ち込む。玉引きをしたが、立っている附近の石がよい、かけ上がりになっている、ということで、ヘチから釣る。小学生から女子高生まで8匹ほど。

Iさんは、トロから吐き出し附近で2人が入れ掛かりをしていた、ということで、その附近に移るが釣れず。石のあるところがわからないと、あゆみちゃんに遊んでもらえない、ということか。

18才、高校3年生はなし。
乙女と高校3年生はどこに行ったのかなあ。
石切場の下流ザラ瀬で数時間で60あまり釣った中学生以下をもらった。女子高生は明日の囮に使うため、確保されていた。

サビの出ているのは、先週とそれほど比率に変化がないように思う。



2008年あゆみちゃん遍歴賦:57

10月4日  相模川弁天

瀬肩上流、釣れない。ひげだるまは右岸に渡り釣れているが、9月下旬のダム放流前ほどのペースではない。
瀬の人の2人はよく釣れている。

下流に行く。流れが、深さが大きく変わっている。
幼女、小学生4.
ひげだるまに誘惑されて、朝麦酒を飲んだたたりかなあ。朝のところに戻り、錆びた女子高生、ではなく、男子。

サビの出たオスの釣れるところがある。ということはオスの集結が始まっているということか。
立ち込んで右岸の芯を釣っていた高橋さんらは、女子高生、乙女が釣れないため、葉山か上沢に移動した。



2008年あゆみちゃん遍歴賦:58
10月5日  相模川橋脚工事附近

幼児と小学生では嫌じゃあ。ということで、中学生主体に女子高生も混じる可能性がある橋脚工事に出かける。

瀬尻の石が良かったから、そこにはいるが、石が汚れている。あゆみちゃんが移動したのかなあ。瀬尻の人は動かない。
2匹目の囮はその上流のザラ瀬で使う。小学生。困った。瀬肩附近は先客がいる。やむを得ず、水管橋付近に行く。

右岸に流れがよっていて、左岸はトロ状。
ナイロンの立て竿で、目印が飛ぶ。あこがれの女子高生。黄色い衣装をまとっている。その衣装が色あせたこと、またもや、黄色い衣装の女子高生。
これで、目的は達したようなもの。

右岸から、サボリーマン常習犯が渡ってきた。右岸側は石はよい、左岸側は、こぶし大の石に、頭大の石があるとのこと。
この時期は、こぶし大の石のところでも釣れるとのことであるが、頭大の石のところを釣りたい。麦酒も飲みたい。釣り上がっていく。中学生を追加。
ということで、午前は7匹。

午後は、瀬上流にはいる。
瀬肩は流れは申し分なし。釣れない。流速に対しして、石が小さいのかなあ。それとも、稲刈りの頃に再び瀬に戻る、の時季になっていないのかなあ。

トロにはいると、女子高生。ありがたい。3人の女子高生をナンパできた。
ということで、計10匹。幼女がおらず、小学生も1,2匹。
とはいえ、サボリーマン常習犯の午前の15匹+αにも及ばない。



2008年あゆみちゃん遍歴賦:59

10月8日   大井川

初心者らしからぬおっさんを釣り上げて、アッシー君に。
アッシー君がいるからには、久野脇へ。
オラは下流へ、おっさんは上流へ、と釣り上がり、下がっていく。
石は大きい、流れ良し、アカ付き良好。少し、悪いところもあるが。乙女、女子高生の跳ねあり。ヘチにぶっといはみ跡あり。

されど、空中に頭を出している石の並んだところで、ケラレが2回あるのみ。
竿をたたんで、おっさんのところへ。10mの長さに石を1mほどの高さに堰状に積んだ上で、トロの見釣りをしている。オトリに関心を示すが追わない、ケラレがあっただけ、と。

堰状の石で流れが止められたところに24,5才も乙女も女子高生も見える。何でこんなところでさぼっているんや。お姉さん達の居場所は、瀬でしょう。「稲刈りの頃再び瀬に戻る」といわれているよ。もう稲刈りが始まっているよ。

どこを釣ればよいか、わからぬため、1km以上の空間に4人しかいない久野脇を去ることにする。テク2がいてくれたらなあ。どこかにやる気満々のあゆみちゃんがいるはず。

葛籠  右岸の駐車場所がない。久野脇まで通り過ぎ、又戻る。車が捨てられていて、とめられない。それにおっさんは、渡船した場所の岩から落ちて、4回、肋骨にひびがはいったから、雨上がりの崖は降りたくない、と。
石風呂に行く。感じの良い流れ。先客が瀬肩上のコロガシの人の様子を見ている。釣れなかったら、アッシー君をなくすことになる。人の多い下流にする。
昭和橋からは、砂利のところにたむろする小中学生が見える。なおさら、どこがあゆみちゃんの付き場かわからなくなる。

オトリをオラだけ1匹追加買い。おっさんは、高松さんの教えに忠実。
駿遠橋下流に移る。橋のすぐ下の瀬は、今年は近所の人が入っているから釣れるはず。
オラは下流へ、おっさんは上流へと。

アカ付き良好なれど波高し、ではなく、なあんの動きもなし。
前山前の分流に行く。20世紀、本流が左岸に沿って流れ、大石が水中に転がる、良きトロであった。入れ掛かりもあった。それが、トロの幅が広がり、深くなり、大石まで届かなくなり釣り場ではなくなった。今では、本流からちょろちょろと水が入り、又、水路状の支流からの流れがあるだけ。とはいえ、水中に少し、頭を出している石は磨かれている。

エロジジーが来た、キモイ、と一群のあゆみちゃんが下流に逃げていく。それにもめげず、オトリを入れる。オトリ君は、水深2mほどのトロを上下しているが、静寂の時間があるのみ。

目印が飛んだ、浮かない、両手で抜く。ナイロン0.3号。針は7.5号、流れはない、竿は硬調。これで乙女に負けるはずがない。低空飛行で飛んでくる。タモの直前で失速。
しかし、そこは河原。乙女をだっこする、とはならず。タモですくおうとするが、跳ねるタイミング、場所が合わない。すぐ近くに水深数センチの流れがある。まずい。悪い予見は当たる。逃げられた。
失速の原因は、逆針のフックが折れたため。

失意の人は、本流、家山川の正面付近に移る。
ここは増水で流れの場所が変わるところであるが、右岸ヘチ、瀬脇だけが頭大の石が詰まり、左岸側は砂利小石であることは変わらないところ。なんでか、アカ付きが悪い。
ついで、瀬肩ザラ瀬に移る。アカ付き良好、女子高生、乙女がへぼがきたあ、へぼがきああ、とはやし立てる。

昼飯も食べず、働いたのに、稼ぎなく、最初の場所に戻る。事実は、クーラーを降ろさなかったため、麦酒が飲めない、戻るのがしんどい、ということではあるが。

やっと、女子高生。女子高生をオトリにすると、目印が飛んだ。両手で抜き、糸をつかむ。中ハリスではなく、水中糸をつかんだため切れる。今度は正真正銘の河原。
もう1人の乙女を軟派できただけ。

おっさんは9匹。つ抜けができず残念、と贅沢なことをいっている。
糸なりのする初体験。23,4才はあるという。
オラはない、と。理由は、おっさんはほとんどを引き寄せで取り込んだとのことであるが、ナイロン0.25号で、20才くらいの遡上鮎をオトリにして、瀬で、丼をしないことはないから。
氷水で絞めた後の計測結果   おっさんは22才2,他は20才前後。
オラは22才、21才。下顎側線孔数4対左右対称。

狩野川と違う馬力を味わい、おっさんはアッシー君に釣り上げられたが、来週はグレ釣り大会があるから、だめ、と。
囮屋さんで、「釣り吉君の釣り日記」の管理人さんの名刺をいただき、又、どらえもんおじさんのお友達である埼玉の人が明日やって来る、との連絡を受けた。アッシー君がどっかのサボリーマンと同様であれば、1泊できるのになあ。



2008年あゆみちゃん遍歴賦:60

10月10日   相模川大島

大島での乙女が遡上鮎だけではなく、県産継代人工が相当量混じっている、と、想像している。とはいえ、事実を検証しようにも、混雑は好まないため、数回しか来ていないから不可能。

シルバーシート前は大入り。下流側の細い護岸沿いの流れは、汚い石が多い。
鵜止まり上流の瀬に行く。初心者らしからぬおっさんがダム放流後の増水の時に釣っていたすぐ上流があいている。
ヘチだけはきれいであるが、その沖は汚い石が多い。汚い石が見える附近、股下当たりに立ち込む。

おじゃま虫だけ。
やっと中学生。玉引きはしたくないから、しまう。今日の養殖はよく働く。助かった。女子高生1人を追加したのみで、ケラレはあれど、キャッチミスはあれど、舟はがらがら。

昼肝休日にしているのに、この仕打ちはひどい。風が吹けば、それを口実にやめるのに。監視員は、今日はどこも釣れていない、昨日は神沢の瀬落ち右岸に、コロガシのトロから渡り、ヘチを歩いてはいった2人組が25ずつ、と。その下流側で11匹の若者が場所取りに今朝早くその場所にはいった、と。

午後、オラの後にはいった2人組が、乙女、女子高生を釣る。しゃくじゃあ。
2人組は芯の近くにあるかけ上がりをねらう。午後になり、10cmあまり減水して、オラでも芯の近くにオトリを入れることができる。
ヘチから釣っている人は、チビがたまに掛かるだけ。右岸に渡った3人も入れ掛かりか、と思えるほど、すぐに釣るも、それまで。瀬脇では更場の右岸でも釣れていない。

2人組は、5,6匹釣っていたが、乙女は2ずづつくらい。更場の芯でもその程度の乙女の量が妥当であろう。
ということで、大島の盛況情報の中には、県産継代人工の成魚放流が相当の寄与をしていたのではないか、と疑っている。

水温20度。立ち込みには足が冷たい。6月は15度以下というのに、この感じ方の変化は人間の感覚が相対的な変化に左右されている度合いが強いということであろうか。
2人組も更場の芯附近を釣るも、丼をするも、あまり釣れているとは見えなかった。そうはいうもののオラは、軽いケラレに、大井川で経験する強烈なケラレ、と、ケラレ与三郎の面目躍如たる大島の最終日でした。
水温20度では、水温の性で釣れなかった、とはいえず、困ったなあ。鮎はいるのになあ
2008年あゆみちゃん遍歴賦:60



2008年あゆみちゃん遍歴賦:60


10月12日  相模川石切場

上流側の瀬右岸にはいるが、小学生と中学生。
蛇籠前の上流側に移る。ヘチはきれいな石であるが、立ち込んでいる附近は泥かぶりの石。下流瀬には50羽ほどの鵜がはいっていたから、釣れないと思っていたのに、その上流も含めて釣れていた。

女子高生が釣れたところで、根掛かり放流をしたくないし、水温19度はあれど、冷たく感じるから、楽をするために、柳前に移る。
もう小学生で我慢しょう、っと。
柳前は跳ねが多く、石はきれいであるが、頭大の大きさの石はわずか。又、溝もほとんどない。

午後、歩きたくないから、左岸を釣る。その後ろ、ヘチを河原から、見釣りをするテク2。チビだけでなく、女子高生も釣っていた。

多くても20匹くらいか、と思っていたのに、下流瀬附近で釣っていた一位のお局さんが30台等、20,30が数人。
さらに、弁天の下流側の二つに分かれた瀬で、チビを50台、その他の数人は、まともな大きさを30,40釣っていた。オラは8匹というのに。

なんとも、貧富の格差の大きい1日でした。



2008年あゆみちゃん遍歴賦:61

10月13日   相模川弁天

昨日、数人のプレイボーイ、ロマンスグレーのおっさんたちが、30,40人のあゆみちゃんを軟派した後で、釣れるとは思えないが、下流側の瀬をめざす。
すでに先客あり。できるだけ近い上流側にはいる。小学生と幼児。

昨日30台をナンパしたテク2が5匹のオトリを確保できた、といって、上流側の瀬に行く。しかし、浮き石が多く、根掛かりをしたらはずせにいけない、と、戻ってくる。その後は下流側の瀬附近をさすらう。

Iさんも分流ブロック前で、チビしか釣れず、アッチこっち。オトリは昨日確保しているから、不足にはならない、と。

オラの下流の人は、昼前に20ほどとのことであるが、小学生、幼児はどの程度混じっていたのかなあ。
「秋川チャラの介」ホームページに、23cmを含むあゆみちゃんと楽しんだ話が載っているが、その場所は、神沢ではないのかなあ。
神沢、葉山は、なぜか小中学生は玉引きでは掛からない。高田橋、弁天では、玉引きでも幼児が。

結局、10人とはいえ、小学生、幼児が主体で、女子高生は1人。明日はどこにしょうかなあ。
大島の鵜止まり上流の瀬も、秋川チャラの介さんですら、あまり釣れず、更場とは言えないが、大島よりは釣り人の少ない神沢に移動したからなあ。



2008年あゆみちゃん遍歴賦:62

10月14日  相模川橋脚工事附近

3日連続になるが、最後であるからやむを得ん。幸い、股関節、膝がヒアルロン酸を要求していないから、立ち込みさえしなければ、立ち往生をすることもなかろう。
高田橋のチビと遊ぶか、弁天にするか、一応悩んだが、女子高生の期待できる橋脚工事にした。

50羽は超えていると思われる鵜が、朝飯後の休息をしている。そこは、鏡のチャラで、河原から、囮獲りに絶好のところ。いったんは飛び立ったものの、瀬肩附近に舞いおりた。飛び道具をもっていないと、あわてふためいて逃げることをしないのかなあ。

12日鵜がたむろしていた石切場の下流側瀬肩附近では、20,30当たり前、と釣る人達が、10台であったのは、鵜が影響していたのではないかなあ。とすると、どうするか。朝食をどこで食べたか、わからないが、淵から瀬までは避けた方がよさそう。

瀬尻にはいる。中学生でありがたい。小学生も幼児も来る。女子高生とはいっても1年生。サビのあるのも来る。
昼前、雨。やめたあ。10匹

柔肌の乙女を、と、高望みはしなかったが、もう少し女子高生と遊びたかったのに。
まあ、おいしい乙女は、大井川にとっておこう。
長老は、10月14日の釣りが終わると、川に御神酒を与えていたが、オラはおなかに入れよう。



2008年あゆみちゃん遍歴賦:63

10月17日  大井川

しあわせ男とかあちゃんのおじゃま虫となって、大井川へ。
石風呂を見てから、昭和橋下流の囮屋さん前の瀬を見る。石はよい。ということで、オラはそこから下流へ。しあわせ男はそこから上流へ、と釣り上がり、下がる。

流れが左岸に沿って流れるようになったため、左岸の大石にあゆみちゃんがついているかも。腕の悪さか、乙女が1匹。
石風呂まで下る。見た目よりも石は大きくなく、又、網打ちも来ていた。ということで、石風呂は、釣りの対象から消えた。

上流に釣りのぼるしあわせ男のところに行くと、4匹、1号の鉤素切れ2,とのこと。石は頭大より大きい。やっと乙女を1人。その後2匹をだっこし、さらに、1匹はだっこしたのに、タモをベルトに指す前に針をはずし、タモが傾いたときに逃げられた。

次いで、駿遠橋下の瀬を見る。しあわせ男は、右岸側の瀬に興味を持ったが、見るだけにして、抜く里へ。
石は8月よりも小さくなっている。すぐにしあわせ男は釣るが、入れ掛かりとはならない。いれば、すぐに掛かるが、鮎は薄い、と。
又、しあわせ男は、下流のザラ瀬に行くが、石は良くない、と。
オラは、逆針のフックが折れるも、今回は乙女はタモにはいっていた。

最後は川根温泉下流に行く。
しあわせ男は、右岸から瀬の強いところへ、オラは淵への落ち込みの上流へ。
強い当たりではないが、気になり、引き寄せると、逆針のフックがひらいて、針が消えていた。結局1匹だけ。

しあわせ男は、24才豊満美女を釣り上げ、ますますご満悦。
オラは1匹釣っただけ。最後は、しあわせ男が淵への落ち込み上のザラ瀬が気になり、オラの竿をもぎ取り、釣る。すぐに乙女か女子高生を釣る。
結局、しあわせ男は、13人,オラは5人。そして、20才未満はわずか。しあわせ男は、体高のあるあゆみちゃんの引きの強さに大満足。また、アッシー君になるかなあ。



2008年あゆみちゃん遍歴賦:64

10月22日大井川

川根温泉の砂利の中に石があるところで、楽をしょうとしたが、ケラレがあるだけ。そのケラレも逆針が身を切り裂く激しいケラレではない。
先日、しあわせ男がオラの竿をひったくって、すぐに釣り上げたトロへの落ち込み上流、ザラ瀬に行く。

しあわせ男と違い、鮎が着く小さな段、壺、棚の川読みはできないが、しあわせ男が立っていた位置は覚えている。
すぐに来た。河原に立ち両手で抜く。乙女をオトリにしたくないが、オトリに不自由してるからやむを得ず、働かせる。しかし、釣れない。仕方なく、オトリについて釣り上がる。またもや乙女。そして、待望の女子高生。女子高生はありがたいなあ。オラのかわいい、ちっちゃな手の中に包み込めるもん。乙女は指がくっつかず、いつ逃げられるか、心配で、心配で、夜も眠れん。

瀬に行き、養殖を玉引きする。両手で抜き、水中糸をつかんだ時、錘も針も消えたが、なぜか、乙女がタモにはいっていた。0.4号のナイロンを使っていて良かった。中ハリスをつかんだつもりの時も、水中糸をつかんでいた。仕方ないよなあ。低空で飛んでくるから。

又、しあわせ男が釣っていたところで、2匹追加。
計9匹。
22才4,20才1.  オスは釣ったときはそれほど錆びてなかったが、酷使するとサビが濃くなった。雌は働かせても、下腹に赤味を帯びなかった。

営業中の看板が掛かっていても、2階の営業だけで、オラが利用できなかった食堂にはいる。
そこの女将さんのお父さんは、船明ダムが出来る少し前、天竜川で釣りをしていて、脳溢血をおこし流され、亡くなられたとのこと。
寿司屋さんや、呉服屋の大旦那のお父さんらとつるんで、気田川や天竜川等にも出かけていたよう。

女将さんとこは、駿遠橋の左岸側で、宿をしていたとのこと。渡し舟での交通の時代、川止めがあると、ねえちゃんが忙しくなる、と。そのよき時代に生きていたかったなあ。いやあ、今の時代の男女はセックスも同権、の、フリーセックスの方が恵まれている、と、いわれるかなあ。
その宿は最後まで残った、と。山に渋柿を植えていて、それを吊した風景は写真に残しておきたかった、と。
お父さんと同年代の釣り仲間は90才代で生存されている方もいる、と。

寿司屋さんも、大旦那も釣りをするのに、その子供、つまり女将さんのお父さんらの孫の世代、昭和40年代以降に生まれた子供は釣りをしていない。
なんでかなあ。


2008年あゆみちゃん遍歴賦:65
10月23日大井川

3時頃目を覚ますと、川の音以外の音がする。雨。予報と違う。しかも、名古屋は降っていない。
朝から雨、と予報していたら、駿遠橋まで釣り下ったかも。そうしたら、釣り吉さんと出会っていたかも。

氷と麦酒とタバコを買わないといけない。カッパを着て、ウエーダーをはいて、駿遠橋を渡り、コンビニへ。
夜明け前にいるコンビニのねえちゃんは、オラのナンパを避けるためか、今回もいない。2人の若者がいる。残念。

その兄ちゃんは、オラを囮屋さんで見た、と。そして、千頭よりも上流で、27才を2人釣り上げた、と。その時の25,6才は囮屋さんの水槽で泳いでいる。
にいちゃんは、塩郷ダムの魚道を遡上鮎が上ったとしても、少ないであろうから、海産馴致ではないか、日々、千頭、下泉等には1匹千金をねらって人が入っている、千頭の方がここらよりも鮎が若い、久野脇には鮎が黒い帯になる時もあるほど鮎はいるが釣れない、悪さをしている人がいるのではないか、と。

大井川で、地元の若者が釣りをしていることに始めてであった。もう一人の兄ちゃんは、抜く里の右岸瀬落ち下流の小石チャラで、乙女を、次の日は女子高生を釣った、と。
とはいえ、小石のところは、いつも釣れるとは言えないからなあ。

抜く里でコロガシをしている。投網よりも影響は少ないが。
萬サ翁は、夜網をしても、瀬で生活をするようになるから、問題ない、と語られているが、それは、水量が豊富な頃の長良川の話で、5トン/秒ほどの水量の大井川では、夜網をされたあゆみちゃんはアッチこっちと逃げまどうだけではないのかなあ。
そうすると、遡上鮎にもかかわらず、瀬で縄張りを作らず、久野脇のトロや止水状のところにいることもあり得るかなあ、と思えるが。

雨がやむと、オラだけの川根温泉ではなくなった。しかし、1台目の蒸気機関車が鉄橋を渡る頃、瀬の人が、オラのトイ面が、消えていった。残ったのはオラと砂利の中の石を釣っていた人だけ。その人は右岸の堰下流に移る。そこは大石があり、時には乙女が遊んでくれたところであるが、今や、石の頭だけが水中に出ているだけ。

どこもおじゃま虫しか相手にしてくれないから、その人の上流に行く。
すぐに掛かったのが見えた。乙女でないため、抜く。着地に失敗。やり直すとぽろり。
昨日は川原での取り込みであったから、取り込みミスはなかったが。

2台目の蒸気機関車を見送り、朝帰りではなくなったから、堂々と、ボウズのまま、竿をしまう。
釣り吉さんも書かれているように、囮屋さんから最後通牒。日曜日までは責任を持つが、それ以降は電話をかけてから来ること。
今年はまだ24才の豊満美女をだっこしていないしなあ。明日までにどのくらい、雨が降るのかなあ。

丹原付近の川原に重機がはいっている。鍋島では強い濁り。神座で少し濁りは薄らいだが。治水、利水、何の目的で、川原をいじくっているのかなあ。景気対策ではなかろうが。


2008年あゆみちゃん遍歴賦:66

10月25日  大井川

神座の水位が瞬間的に1mの増水。朝1時は60cm高。藁科か、温泉か、もある。
藁科川は濁っているが釣りが不可能ではない。大井川の千頭へと、上る。笹間川へ出る道と違って、道幅が広い。ところどころに集落がある。
途中までは、馬車便があったとのことであるから、垢石翁は、藁科から本川根への道を歩いたのではなかろうか。

大井川は平水、濁りなし。最初の川原は、鹿の足跡はあれど、ヘチの腐りアカにはみ跡なし。崎片?附近にはいる。支流の水温15度、本流16度。
オラは下流へ、テク2とタマちゃんは上流へ。
石は良好、垢も十分、にもかかわらず、静寂のみ。おじゃま虫にすら見捨てられた。

500mほど上流のタマちゃんのところへ。すぐに1匹釣れたがその後釣れず、と。その時、テク2が鉄橋下流で下り、糸をつかんで取り込んでいた。相模川の葉山、弁天で5匁の玉引きをして取り込んでいたときとは似つかわしくない取り込み方。
やっと、豊満美白の乙女。

テク2は、オラが最初に釣っていたところを見に行って、良い場所、午後からの場所、と。右岸に車で移動し、民家に2回紛れ込んで、予定の場所の下流の瀬前、川原へ到着。
オラは瀬肩附近へ。豊満美女が。これをオトリにして、瀬に入られると、ナイロンの0.4号であるから、丼はないものの、万一のことが心配。しばらくは乙女よ来るな、と願いつつ働いてもらう。瀬頭の下を釣るとき、養殖に代える。すぐに女子高生。うれしい。

女子高生は健気に働くが、小石とエビが釣れただけ。瀬頭下で男子高生。上下に石の並んだところを往復するが釣れず。
テク2が左岸瀬の袋状のところを釣り、派手に下っているから、大物、と見ていたら、上流の地元の人へのデモンストレーション、とのこと。

タマちゃんは、朝、1匹をすぐに釣るも、鉄橋と橋の間付近に移動するまで釣れず。そこで2匹は取り込んだが、2匹はバラス。
チラシの保持力を信頼し、抜こうとしたとき、乙女が逃げ去るのを見た。
次は、石頭を釣っていると、様子がおかしい、上流に走る。今度は姿を見る前に逃げられる。
テク2のように抜かなかった方が幸せであったかも。

萬サ翁は、「町から来る仁でも上手な人はたくさんおる。おるが、その仁らはカケることはうまいが、取り込むのが下手くそじゃ。」「『郡上竿』でもカケた瞬間に鮎を浮かせてまわんことには駄目すよ。」「カケたら『ついて降って取り込むもんや』と思うとったら、大まちがいや」(前實「鮎に憑かれて六十年」)

タマちゃんは、大都会の東京都民であるが、「町から来る仁」とは違い、「カケた瞬間に鮎を浮かせる」取り込みをしている。
都民とはいえ、はずれの人であるから、「町から来る仁」ではないのかなあ。オラは「町から来る仁」であるが。
そのタマちゃんが取り込みミスをするとは、同類相哀れむ、ではなく、快感。
タマちゃんは午後は釣れず、うろうろ。オラの釣っていたところに左岸から釣るが釣れず。その後、オラがまたもや、川原すれすれに乙女を飛ばす。ふたたびかいかあん。

豊満美女は22才しかなかった。テク2はそれよりも一回り大きかったから、23,4才であろう。
タマちゃんらが左岸からオラの釣っていたところにはいったとき、はみ跡がいっぱい、と。それらの主は降ったのか、それとも?
オラは5匹、テク2は7だったか。女子高生はオラの2だけ、後は乙女。



2008年あゆみちゃん遍歴賦:67

10月26日  大井川

葛籠に久野脇からはいる。
見てくれの良い瀬がある。オラは下流の、「段、棚、壺」が組みあわさり、どこでも釣れるよ、という川見を必要としない高低のあるザラ瀬状に行く。
されど釣れず。瀬落ちでやっとボインのハチャキン娘。運悪く、腹掛かり。女子高生1匹を追加しただけで、テク2らの釣っている瀬に行く。

タマちゃんは釣れない、初めてのボウズか、と悲嘆に暮れていた。テク2も芳しくない。天気予報がはずれ、秋晴れでなく、小雨がちらつき、風が吹く中、女子高生と乙女を追加して、計6.
タマちゃんは最後にやっとボウズを免れた。テク2はオラと同じようなもの。
久野脇、葛籠は、悪さをする人が消えないと、来年も鮎はいるが、釣りにならない、という状態が続くのかなあ。

昨日と違い、小さい。ぶっといはみ跡はあるが、下りの途中にはんだものかなあ。
帰りも千頭から藁科に出ることにして、釣り場所と川原への進入路をテク2がタマちゃんに教えている。

テク2のお友達が60cmのアマゴの写真をもっていた。オラはその食堂に居合わせた金髪さんのほうが興味があったが。
60cmのアマゴが、降海型でなくてもいることが信じられない。どのような条件があれば、それほどの大型になるのかなあ。

2人は、沢の変貌、アマゴの状況を話されていた。沢に工事の土砂を落として淵を埋めてしまった、伐採後の表土が流れている、山ヒルが大量に繁殖した沢、等。
まだ、天然のアマゴのいる沢もあるとのことであるが、車で近づけず、沢を上下するには危険がセットになっているところ、等のよう。
今西博士、素石さん、前さんらはそのような渓にはいり、イワナ、山女を観察されて、大家の分類を間違っちょる、と指摘されているが、道志川へ降る整備された山道でさえ、ふうふういっているオラには、経験しようのない沢の話でした。



2008年あゆみちゃん遍歴賦:68

10月29日大井川

囮屋さんに電話をすると、質を問わなければ、オトリがある、ということで、初心者らしからぬおっさんに狩野川から大井川に変更させる。

川根温泉下流左岸の袋になった瀬肩附近、今年はここで囮取りができたことはほとんどないが、今日は誰もいない。立ち込まれてはいない。
ありがたいことに、かかった。女子高生、ではなく、男子高生。まだサビの出ていない、紅顔の美少年。女子高生をナンパしてきて、とアッチこっち歩かせるが、疲れた頃、またもや男子高生。今度は錆びている。

右岸瀬頭へ。待望の19才乙女。
いつも、ナンパ率の高い左岸トロ落ち込みの上流へ。しあわせ男と違い、段、棚、壺を読み、あゆみちゃんを確実に軟派できる場所がわからないため、オトリも歩けばあゆみに当たる、と、もてる資源を酷使する。

落ち込み直前のザラ瀬できた。
トロに導き、川原が広くなったところで抜く。当然、川原に落ちる。オトリは呼吸ができない時間が長く、過労死寸前。
だっこしたのは、21才美白の豊満美女。120グラム。
あこがれの24才には届かない。
アッシー君は人工のサビ。だれかが捨てたオトリであろうか。

午後、アッシー君は前回9匹釣り、糸鳴りを初体験した駿遠橋下の瀬へ。オラは来年のためにも、駿遠橋に釣り下る。
抜く里上流上流左岸のザラ瀬釣れず。そこの左岸岩盤に沿う溝に入れる。8月は子供が流されて、楽しんでいたため、オトリを入れることができなかった溝。
残念ながら、釣れず。しかし、いるはずやけどなあ。

右岸への石が小さくなった瀬は見るだけにして、護岸前から釣り下るも、世は事も無し。
石の多くは埋まり、水中に頭を出している石の周りは砂利。
瀬落ちも大石の附近を釣る意欲のでない環境に変わっていた。

橋上流の小石のチャラで釣っている人がいた。
その下流の大石が転がっている乙女のナンパ場所へ。
目印が消し飛ぶ。0.4号ナイロンであるから、丼はない。7.5号の針であるから、身切れの心配はあるが、トロであるから、強引に乙女を曖昧宿に連れ込まなければ大丈夫。

引き寄せでだっこしたのは、美白、豊満美女の23才130グラム。
残念なことに憧れの24才に及ばなかった。
再度の挑戦はあり得る。テク2からタマちゃんがあゆみちゃんとのデートに行けるようになった、と。
25日の増水で降っているであろうが、まだ、邸宅で優雅に暮らしている豊満美女もいるはず。テク2がいれば、その場所を探してくれる。
心配は木枯らし一番。今日も、も南風、北風と、時折強く吹く季節の変わり目を表すような風が吹いたが。故松沢さんは、これからの時季、日替わりメニューといわれていたが、あゆみちゃんの動き、気まぐれも激しくなるが。

初心者らしからぬおっさんは、22才の錆びたおっさんを追加しただけの計2匹。15匹を目標にしていたが。まだあまいなあ。


2008年あゆみちゃん遍歴賦:69

11月1日大井川

藁科で囮を買い、千頭へ。杉ばかりが植えられているため、紅葉見えず。
水温15度。先週よりも2度下がっている。
崎平にはいる。テク2は、先週釣れた左岸袋状のザラ瀬へ、オラも先週釣れたその下流の瀬肩附近へ。タマちゃんは下流側鉄橋下へ。
なぜか、青ノロがヘチ寄りには繁茂している。久野脇には繁茂していなかった。

釣れんなあ。軽いケラレが1回のみ。テク2が呼んでいる。左岸に渡るとき、はみ跡は見えるが、多くはない。磨かれた石もあるが。
テク2は乙女を2匹。その上流にはいる。
かかった。喜んだものの、20才くらいの乙女と思っていたら、強い。ヘチに寄せようとしたが、のされ気味で、うまくいかない。ばれた。テク2がじっと見ていて、駄目だなあ、と。
ああ、これで、24才美白豊満美女をだっこできる機会は消え去ったか。

タマちゃん共々、石を釣ったり、エビを釣ったり。この場所で使う1匹を過労死寸前にする。
久野脇下流側へ。宿への電話は、明日の囮の確保が覚束ないため、まだしない。

タマちゃんは瀬肩附近から。テク2は右岸岩盤へのザラ瀬へ。オラはその上流の平瀬へ。テク2は釣り、左岸から右岸へ渡る時、チャラにはみ跡が多い、と、オラを呼ぶ。
テク2は右岸からまたザラ瀬で釣り上げているのが見えた。しかし、チャラへと釣り上がってくる。その時オラにかかった。やっと川原で抜く。水面からあゆみちゃんが全身を現したとき、ばれた。

高校生1匹を酷使して、さらに左岸岩盤のザラ瀬へ。川根温泉下流のザラ瀬と流れ、石の大きさが似ている。しあわせ男はどこに囮を入れるかなあ。最後はトロの立て岩盤へ。
27,8才はあるかと思える乙女が跳ねる。跳ねても釣れるはずはないよなあ。

テク2は5匹。タマちゃんは、崎平のチャラで泳ぐ鮎を、久野脇トロでもあゆみちゃんの姿をみるだけ。オラは1匹のみ。先週、タマちゃんがバラしていたのを笑った報いで、最後の最後に大井川でおなじみのばれ太郎となってしまいました。
あゆみちゃんとの逢い引きが失恋に終わることもまた人生、しゃあないなあ。
あゆみちゃんが遊んでくれそうもないため、泊まらずに帰りました。終わり



2008年あゆみちゃん遍歴賦:70

11月5日 狩野川青木の瀬

11月5日  狩野川青木の瀬
水温13度。この時期の水温としては、低いとは言えない。
狩野川大橋上流で根掛かり。一位のお局さんがこの季節に川流れをしたことがあったよなあ。ということで、根掛かり放流。

橋のすぐ下流の瀬で二人組が釣っていて、すでに2匹、1匹と釣り上げている。その下流に行く。オラのすぐ上流側の人が2匹目を掛けて下る。バレ。
オラにも来る。しかし、馬力が強すぎる。狩野川では始めてかもしれないコイ敵。
朝帰り常習犯のオラではあるが、まだ9時10分。

泣く泣く囮の追加買いに行く。
根掛かりもいや、コイ敵もいや、ということで、狩野川公園前に行くと、ザラ瀬で、根掛かりをしても川流れの心配なく、はずせにいける。水深がないから、コイ敵もいないであろう。

どこが段、棚、壺かいなあ、と、下手の考え休みに似たり、を覚悟の上で、囮を引くと、すぐに掛かった。引きからは、低学年の女子高生か中学生。抜く。
なぬう、タモに入ったのは、22才のサビがまだそれほどきつくない乙女。なんでや。大井川の22才の乙女なら、むんずほぐれつ、乙女の力に負けて、逃げられるのに。

下顎側線孔数は、4対左右対称。
初心者らしからぬ初心者のおっさんが、狩野川の海産は、大井川と違い、馬力が弱い、といっていた。
それにしても弱すぎる。海産畜養か、2代目方式の人工か。

大井川では制御不能のため、箱入り娘にするところであるが、馬力が弱いため、囮に使う。石裏の筋を引き上げていると今度は高校生のサビが目立つアユ。
ザラ瀬からチャラへと釣り上がり、計4匹。それから釣り下り3匹。

高校生の下顎側線孔数に乱れがあるのが2匹いた。どのような人工であろうか。気田川の熊切川でも、下りをしていないであろうと思われる鮎を「鮎、山女、キジさんに会いたくて」のホトトギスさんが10月25日?に観察されていると思われるが。

この日の引きでは、6.5号の針でも十分では。橋上下の釣り人が下りながら取り込んでいたから、馬力があると思っていたが。
ということで、6.5号の針でケラレが減るか、を試すしかない。
橋上流の人と踊り子で一緒になったが、12匹とのこと。橋下流の2人組はこんなことで、と思える場所でも釣り上げていたから、良く通っているのではないか、20は釣ったのでは、といわれていた。
また、大きい鮎はぱんぱんに腹が張り、泳ぎもぎこちなかった、と。

故松沢さんが生きておられたら、なぜ、引きが弱いか、どのような種別の鮎が狩野川にいるか、訊ね、オラの疑問はすぐに解決するが。
群れ、中層にたむろしていた静岡2系以外の人工も、海産畜養も、放流されたのであろうか。
また、海産畜養が放流されていたとして、幼魚で放流されたのであろうか、成魚放流であろうか。
大井川の豊満美女との違いは、引きの強さだけでなく、体高も違っていた。大井川の豊満美女は、22才になると、オラのちっちゃい手に握ると、辛うじて、指がくっつくほどの体高があった。狩野川の22才は、楽に指がつく。


2008年あゆみちゃん遍歴賦:71

11月9日狩野川青木の瀬

大井川用の8号、7.5号の針をベストから出して、6.5号、7号にして、狩野川公園前の真ん中の流れへ。
根掛かり放流とコイ敵を避けるために。
高校生、又高校生。これで出家も、朝帰りもないであろう。しかし、冷たい風が身にしむ。釣れたときは一瞬温かくなるが。

水温14度と、前回よりも1度高いが、寒い。
朝帰りはしなくてもよくなったが、でんでん、ごち等の地魚で、熱燗を飲みたい。昼過ぎ、オラのポイント予想と同じくらい信用できない天気予報が本領を発揮。
雨粒が落ちてくる。氷雨の中で高校生や中学生を釣るには老いた。

4匹。下顎側線孔数4対、左右対称でない鮎が1匹。
三島で、胃袋に御神酒を入れたいところであるが、働きが悪いため、電車の中で、麦酒で我慢する。
出家して清い半年を送りたいし、胃袋に御神酒を入れたいし、もう1回来ることになるのかなあ。


2008年あゆみちゃん遍歴賦:72

11月13日城山下一本瀬

水温14度。
中高生ではなく、美白の豊満美女を軟派して、2008年を終えたい。来年があるかどうかは、神のみぞ知る齢となれば、最後の悪あがきに賭けたい。
ということで、城山下一本瀬に行く。狩野川大橋上下も乙女の可能性はあるが、日々人が入っている。城山下であれば、更場である。

故松沢さんらが、湯ヶ島の漁師らが、鮎が下った、と、中流域に下りてくると、いそいそと湯ヶ島に出かけていた、と。鮎が下ったと云っても、全部が下ったのではない。鮎の密度が薄くなっても、更場の効用の方が大きい、と。
その教えに従い、一本瀬に行くが、なんじゃ、一本瀬がなくなっている。流れが平坦化している。

故松沢さんが淵から差してくる時合いの鮎を、効率を求めて、掛けバリを尻尾の内側にセットして、頭掛かりにして、活き締めで取り込んでいた一本瀬。丼大王が10匹余りを掛けて数匹しか持ち込めなかった一本瀬。
故松沢さんがカニ籠を仕掛けていたところは、川原か流れのない水たまりになっている。故松沢さんはなんていうのかなあ。間道が多くて、下りのザガニをとっつかまえるなんて、できん場所、というのかなあ。それとも、関所抜けの出来ない場所を見つけ、あるいは作り上げるのかなあ。

鮎が見える右岸側のチャラ状のところにオトリを入れるが、だあれも遊んでくれない。
ヘチはアカ付き良好であるが、その沖は、青木の瀬の真ん中の流れよりもアカ付きが悪い。それでも、丼大王等、一部の人しかオトリを入れることの出来なかった左岸にオトリを入れたくて。石も大きい、ねえんちゃんはきれい、はず。
ゆめはむなしくきえてえ…

中学生が相手にしてくれたのは、瀬肩があった附近。
それを囮にして下っていくとごつん。そして、強烈な引き。テク2がさつきちゃんに竿を折られたという話もあるが、その二の舞か。
針に直径1cmほどの鱗と、一回り小さい鱗が。中学生は鼻環から消えていた。ああ、またコイ敵。口掛かりでなかったことを幸運としょう。

藪下の真ん中付近の川原が広がり、流れの幅が狭まり、勾配もあり、筋も多く、流れの真ん中が甲羅状になった。当然、オトリを入れたが、川見の出来ない悲しさ。鮎が少ないから、オトリが歩けば、あゆみに当たる、とはならず。

中学生を1匹追加して三島で禊ぎを。暖かいから、熱燗の御神酒よりもビールが似合う。イトヨリ、くろむつ等の地魚であゆみちゃんに感謝。でんでん、ごちは今日はなかった。

2008年あゆみちゃんのまとめ

相模川の遡上量
4月始め、今年の遡上量は2004年以上との予想記事が掲載されていたが、オラは初期の遡上量が多かった、との感じを持っていた。とはいえ、2004年の相模川副魚道での遡上推計値である2000万を期待していたが。
結果は、去年の副魚道遡上量観察値の倍ほどで、2004年の3分の1ほどであろう。

相模大堰副魚道遡上量調査
2004年 2007年 2008年
3月20日から31日 294 計測なし 計測なし
4月1日から10日 831 27 188
4月11日から20日 113 24 219
4月21日から30日 450 275 229
4月計 1,443 326 636
5月1日から10日 56 69 70
5月10日から20日 137 14 32
5月21日から31日 45
5月計 238 86 102
合計 1,975 412 738
単位:万尾  2008年5月は21日まで

2005年、2006年は釣りの対象となるほどの遡上量はなかった。ことに、2005年は、県産継代人工が死に、和歌山県産人工がアカを磨くこともなかったため、コロガシ区を含めて解禁日に釣り人なし。中津川は、漁協単独で、3,4代目の継代人工である宮城産を放流していたため、それが初期の釣りの対象となっていた。

実際の遡上量の推計においては、3月での計測が07年、08年には行われていないため、その分が増える。また、主魚道の計測は、2000年をのぞいては継続して行われていないようであり、その分の係数処理が行われて、県内水面試験場から遡上量として公表されるであろう。とはいえ、経年変化、比較を見るには上記の数値が一応の参考となろう。

今年の冬、春の相模川の水量は例年の倍はあった。それほど、雨が降ったとは思えないが。ダムの工事で貯水量を減らせているということでもないよう。
もう一つの不思議は、5月21日、弁天に左岸への流れができたため、中州ができた。その中州が水没するほどのダム放流ではないが、弁天護岸の下まで水位があった。当然真っ黄色に濁っている。翌日は1mほど減水したが、いつもであれば、まだ濁っている。ところが濁りがとれた。1日で濁りがとれたのはなぜか。もし、これからもこの現象が続くのであれば、ダム放流による長期間の濁りを恨めしく思うこともなくなるが。

今年は、なぜか去年上らなかった小沢の堰を相当量のアユがのぼった。2004年同様、大島で遡上アユが6月下旬頃から釣れることであろう。
今年から、昭和20年代、瀧井さんが八王子から自転車で、あるいは、橋本駅から6kmほど歩いて通った神沢の一部が友釣り区になるとのこと。どの程度大きな石がまだ流れの中に残っているのかわからないが。

遡上アユが釣りの対象とはいえ、チビでない大きさの鮎がどれくらいいるのか。4月上旬に放流された県産継代人工の幼魚はダム放流で死んだり、流されたりしている量が多いかもしれない。
中津川漁協は、今年は3,4代目くらいの宮城産人工を放流しておらず、残っていた県産人工の成魚を放流しているため、興味はなし。妻田の堰の魚道をどのくらい遡上できたか、沖取り海産がどの程度生き残り、また、成長できるのかなあ。

解禁日対応の県産30代目くらいの継代人工は、県に収入をもたらしはしたが、釣り人には何らの貢献もしていない、といえるのではないか。
なぜそうなったか。

@ 県産継代人工は、ダム放流後大量に死んで流れてくることがこれまでに観察されている。

A その死因調査の結果、冷水病の保菌者であっても、冷水病が死因とは言えず、川の中の雑菌に感染して死因となっていいると、県内水面試験場は話されていた。。

B これまで、6月までに、2mほどのダム放流がされることは稀ではないか。それが今年は、5月に2mを越える増水となるダム放流があった。
C ダム放流の結果、真っ黄色の濁り水、水温の急激な変化が生じ、それが県産継代人工の死滅あるいは、流下現象を生じたのではないか。

ということで、2mのダム放流後に県産継代人工を放流した中津川では特定の場所で、成魚放流の継代人工が釣りの対象となることはあっても、弁天、高田橋、神沢では、釣りの対象となったのは遡上、沖取り海産鮎であり、継代人工ではない、といえるのではないか。その結果は、解禁日に遡上アユが主体のため、錘をつけてもチビまじりの中学生、オラのように幸運なものは女子高生も釣れたが。

2,3番鮎の成長
7月上旬までは、玉引きをする流速の瀬であれば、女子高生の遡上アユが釣れていた。
高田橋上流の瀬に移動した小沢さんは立ち込んでいき、瀬の芯で風の吹く中、女子高生を有無を言わさず引き抜いていた。その数日後、高橋さんが弁天で女子高生を釣りまくり、また講習会では上流側の瀬で丼をしていた。


しかし、中旬を過ぎると、だんだんと女子高生は釣れなくなり、下旬には田名の一統の姿が、高田橋上流の瀬から消えた。
その後は、大島の鵜止まり上流のの瀬、神沢、葉山の瀬で、女子高生が釣りの対象とはなっても、高田橋堰下流では、玉引きでもチビが。女子高生は稀なこととなった。

成長において、何が違うのか。食糧しか考えられない。その食糧である藍藻の種別の違いなのか、それとも、種別は同じであるが、栄養価、栄養素の違いであろうか。

なお、大島のシルバーシート前、串川合流点付近で、20歳代の乙女が大量に釣れた、との新聞記事が出て、いつも大入り満員であったが、その氏素性は成魚放流の県産継代人工であろう。
そもそも、土地貴族である遡上あゆみちゃんが、特別な事情もないのに、いつも、狭い空間で、皆さんが大漁であるとは空間的にも考えることのできない現象である。

さて、大井川は06年よりも遡上流が少なく、07年並ではないかと思う。にもかかわらず24才以上のあゆみちゃんとの出逢いはなかった。
07年でも、05年でも、7.5号の針折れをして、8号、8.5号に変えると、あゆみちゃんのもだえる馬力での身切れのバレは減るものの、ケラレが多くなる。
ケラレは、8号、8.5号のハリスがチラシでも2号と太い糸を市販のハリス付きの針仕掛けが使っているから、、推定している。
そのケラレも、人工の、「ふれた」というレベルのケラレではなく、逆針が身を切り裂くケラレである。

08年は、7号の針折れが2回ほど。7.5号の針折れはなし。
豊満美女の馬力に振り回されてのだっこできなかったのは、11月1日の2人ほかわずか。その点では、精神衛生上、ノミの心臓が破裂するほどの悲しみを味わうことがなかったのは、幸いです、ということかなあ。
いやそんなことはない。ノミの心臓が破裂するほどの胸のときめきを味わいたあーい。

狩野川はどの程度の遡上か、よくわからん。11月につれた中にも人工がいたことから、静岡2系とかいわれている種苗を変えたのか、あるいはそれ以外の系統の人工を放流しているのか、さっぱりわからんから、なんとも言えない。
ただ、城山下の一本瀬がなくなっているように、砂礫の堆積は一段と進んでいた。

2005年あゆみちゃん遍歴賦
中津川 相模川 大井川 狩野川 その他
9月 30日   23日
10月 10日  12日 7日  8日  14日  15日  22日  30日
11月 3日  5日  11日  13日
18日  20日

   2005年まとめ等

安曇川の9月:みずのようにさん
本物と人工
みずのようにさんのハウツウ蔵書と天竜川
黄昏の狩野川その1
黄昏の狩野川その2
紫鮎消滅原因(11月5日狩野川に記述)
天竜川の紫鮎:みずのようにさん
交雑種の運命と東北での交雑種の確率
交雑種の運命と東北での交雑種の確率:みずのようにさんの返信
古の山、川、鮎と紫鮎:みずのようにさん
紫鮎消滅は、交雑ではなく環境変化
交雑種の可能性:みずのようにさん
伊藤さんの本の感想:みずのようにさん その1
伊藤さんの本の感想:みずのようにさん その2
オリンピックとも釣り大学の思い出
狩野川の黄昏:植田組合長の放流方針に反対する
狩野川の黄昏へのみずのようにさんの感想 その1
狩野川の黄昏へのみずのようにさんの感想 その2
狩野川の黄昏:海産の産卵時期
産卵時期に係るみずのようにさんの感想
狩野川の黄昏=山形県の2代目方式
狩野川の黄昏=目利きのいた狩野川
目利きのいた狩野川に係るみずのようにさんの感想


10月7日  大井川

忍ぶ恋よりも生身の鮎美ちゃん No.[23] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2005/10/08 [土曜日] 22:08:11
「葉隠れ」の著者が,主君への忠誠を「忍ぶ恋のごとし」と表現している。日本の文化=the way of life の特質の1つである情緒的な表現で,主君と臣下の忠誠関係を表現している。
西洋の封建契約では,年間X日の軍役,子女が婚姻するときの贈与金Y円と,封臣の義務が明記されている。さらに,封臣には封主への助言義務が課されているから,義務として,堂々と封主の意見に異議を唱えることが出来る。したがって,殿への諫言をした後,切腹する,なんて情景は発生しない。
ルイ王朝はこのような封建契約に基づく扱いにくい封臣を使わずに,戦争が,政策が行えるように,傭兵による軍隊を,徴税請負人を,パリ高等法院?を創設しその卒業生を官僚に登用した。しかし,まだ戦争は王様のゲームであり,時間的にも空間的にも限定されていた。フランス革命は,祖国のために血を,と,自由,博愛,平等を守り,布教することを目的に掲げ,国民皆兵,一元的支配の国家を確立し,国民をいつでも戦争に動員できる組織・体制を作り上げた。

西洋の王様に比べて,日本の殿様は,契約を結ぶことなく,集団への帰属の承認だけで,無定量,無限定の忠誠を獲得できた。幸せな殿様であるが,情緒的な表現に弱いおらには,「忍ぶ」恋がいかなるものか,想像できない。恋は理解できるが。
恋が無限定,無定量な,相手への奉仕の側面もあるから,即物主義者のおらも生身の鮎美ちゃんをだっこするために,大枚を叩いて,またも大井川に出かけた。

10月7日  笹間ど。堰下には三面川の「萬サ」さん同様,指定席で大物を狙う腰の曲がった人。2人がチャラにいた。おらは左岸の瀬にはいる。前回と違い,蹴られも,ばれもない。吸盤ボーイが2匹だけ。
いつもは河原で見送る2台目の蒸気機関車を村の市の食堂でビールを飲みながら見送った。
2,3匹釣っていたチャラ人が朝帰りをしていた。もったいない。
右岸は釣らずに,抜く里下流,駿遠橋上流のチャラにいく。ここなら,雨が降ってもすぐ宿に行ける。
前日,ここで17匹釣って川路温泉に入って帰った地元の人が,4匹しか釣れないから帰る,という。これを聞いて鮎美ちゃんのご機嫌が斜め,と憂鬱になる。
狩野川城山下の松沢さんが,腹に子を持つようになると,日替わりメニューになる,と。鮎美ちゃんも3週間後以降に控えた星の王子様との結婚に気持ちが千々に乱れているのであろう。
2台目の蒸気機関車が通ったとき,やっと20cm級が釣れた。大枚を叩いてやってきたヘボに心優しい鮎美ちゃんが同情してくれた。同情はさらに続いて,計3匹。

満足して宿の前の河原へ。
又きたのか,との声。監視員をしていたというその人の話。
夜0時から2時頃,刺し網をするものがいる。その形跡は,鮎を網に追うために投げたあかの付いていない石が流れの中に転がっている,ライトを消して河原を走るため,走路に目印が残っている,今年は既に,大和田の付近で行われた,と。
これでわかったこと
囮屋さんが状況を見て鮎を仕入れるか決めるから,くるときは電話して,と。おらは台風の発生もないのに,と思った。
藁科川であった人が,その囮屋は鮎を釣るのか,と尋ねた。その意味は,鮎を釣る人であれば,刺し網が行われたか,注意を払っているから,ということなのであろう。
川の出水がないのに10月に囮がおかれていなかったのは,刺し網のせいであった。
そして,大井川よりも藁科川の方が鮎が小さくても釣り人が多い,ということであろう。
9時30分を過ぎていたのに大和田付近に釣り人が見えなかったのは刺し網によるのであろう。

いつもの旅籠が閉まっているので,その人に聞くと,婆さんが転んで入院した,と。前回きたとき,おじいさんが何回目かの足の痛みによる入院をしていた。隣の創業113年の看板の木賃宿に行き,夕食は外で食べるから,と泊めてもらった。その看板を見てもう10年ほどになる。
明治23年創業とのこと。材木屋,渡し船を兼業していたとのこと。

寿司屋さんに行き,刺し網の話をすると,投網も昼は余り捕れないため,夜やるものがいる,とのこと。
寿司屋さんが祭りの頃,イカイ鮎が釣れていた,という頃にも密漁をしていたのかもしれないが,笹間ダム等が大井川の水をとっておらず,水量の多かったから,刺し網が出来る場所が限られ,釣りには影響がなかったのかもしれない。

10月8日  大井川

八幡さんの祭り幟を見て,東雲が茜色に染まる頃,野守の池を巡っていると,川の水が増える,との放送,サイレン。真ん中が空いたブロックに入れてある船を見に行く。1km程歩いて川に着くと,又放送,サイレン。7月23日と違い,ダム放流までにたっぷりと余裕がある。
笹濁りになるがそれほど水は増えていない。とは言え,6人が釣っている駿遠橋上流のチャラに行くにはおらのあんよの長さでは橋上のトロを渡るのがおぼつかない。
駿遠橋下流の左岸への流れで釣るが釣れず。1台目の蒸気機関車が通ったときには,いつかえろかな,雨が強くなったら確定であるが。そんな哀れなおらに又鮎美ちゃんが同情してくれた。20cm級2匹。
そして,また,かえろかな,モードになる。2台目の蒸気機関車が通った頃,7.5号錨の針が1本なくなっていた。23,4cmがいる,と,8.5号に替えるも無駄な抵抗でした。

水も飲まず釣っていたため,のどはからから。ビールを,と食堂に行くが2軒とも準備中。抹茶入りの緑色の鯛焼き屋で,ビールを飲んで焼きそばを食べて満腹で蒸気機関車に乗りました。島田には東海道中一の鯛焼きがあります。鯛焼きよりもビール,忍ぶ恋よりも生身の鮎美ちゃんのおらには無縁ですが。

Re:道 No.[26] [返信]
投稿者:みずのように [URL] 投稿時間:2005/10/12 [水曜日] 07:28:30
山本常朝や三島由紀夫、ルイ王朝
鮎釣とは恋のこと  恋し方は百人百様

私は「居ても立っても織れなくなり」「鮎美ちゃんの尻を、しつこく追いかけて、挙句、ふられる」
そして、我に返り、周りの風情が見えてくる秋風も身に沁みる

Re: No.[31] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2005/10/16 [日曜日] 18:07:26
山本常朝の名前が出てくるとは,文系と想像しますが,パソコンに強い,となると,理系とも思えますが。
おらは,ふられても,我に返ることはありません。免疫がたっぷりできているため,ふられることが当たり前,
鮎美ちゃんを4畳半ふすま張りの部屋に連れ込めたらありがたや,です。
したがって,花より団子です。

まだ,狩野川があります。とはいっても,今年は単に松沢さんに本物の鮎のことを聞き,川の状況を見る
だけになりそうですが。しかし,鮎美ちゃんの同情は期待しています。


Re:4畳半 No.[33] [返信]
投稿者:みずのように 投稿時間:2005/10/18 [火曜日] 20:39:00
友釣りは理系?
四畳半は文系? 否、本能系友釣りは文系かな? 本能系

パソは文系でしょう
プルトコルとかTCP(?)とか理解しようとしないもの
鮎美ちゃんって「いいね」「ゴックン」


10月12日  相模川

相模川の大鮎2 No.[28] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2005/10/12 [水曜日] 19:10:21
10月12日,相模川高田橋に相模川最後の釣りに行く。禁漁は15日からであるが,14日は海産の本物の鮎美ちゃんとのデートに大井川に行く予定であるから,今日が2005年相模川最後の日になろう。
相模川に友釣り区を作れ,と,旗を振っていた人達の一人であった,釣具屋・囮屋さんの爺ちゃんが入院してからも,売れないのに囮をおいて,爺ちゃんの気持ちを守っている婆ちゃんにお別れの挨拶をすることが目的であるから,釣れなくても良い。

今年の相模川の鮎事情

去年の11月は相模川は増水しており,笹濁り状態であったから,孵化率は悪い,と推定していた。しかし,神奈川県内水面水産試験場の渚帯での調査で,12月には,04年並の遡上量が期待できるほど稚魚がいたとのこと。それが1月になると,海の透明度は上がり,海の魚すら少なくなり,稚魚は見えなくなったとのこと。プランクトンがいなくなったのか,プランクトンの種類が変わったのか,は不明とのこと。
そして,3月,沖取り海産が捕れず,4月以降の遡上も僅少。

放流された鮎は,湖産放流全盛時代から続いている群馬県産に次いで継代が古い28代目?に,病気持ち,安売りをする,との噂のある継代人工。

その放流結果は,相模川では,解禁前に発病し,石を磨く鮎がなく,数人が釣りをしている解禁日となった。中津川では,解禁日までに発病した継代人工鮎は少ないようで,6月は石が綺麗に磨かれていた。しかし,7月になると,石は汚れ,初旬には流れてくる鮎が見られた。
道志川は,ルアの師匠が解禁日の翌日に行って30匹台を釣った。道志川は,ダム補償として,県が琵琶湖産の購入資金を出すことになっているから,今年も琵琶湖に買い付けに行ったとのこと。
解禁の1週間後,ルアの師匠が大漁だった道志川のやまめのキャッチアンドリリースが行われていたところにいった。師匠はトロで17匹?を釣ったが,特定のトロ以外では数匹。そして,釣るよりも流れてくる鮎を拾った方が大漁になっていた。

ということで,解禁日でも稼げなかった相模川,解禁日には,あるいは6月には,客を呼び込んだ漁協孝行の中津川,道志川であった。
8月下旬になると,相模川では,冷水病にも,川の中の雑菌にもめげず,病死することなく,生き残った数少ない継代人工の大物が釣れだした。(成魚放流による瞬間的に釣れた事例のことは省略)
そして,大島で尺が出た,望地で尺が出た,という状況になって,宝探しの釣り人が少しはやってきた。ある監視員は,去年は日釣り券を2千枚切ったが,今年は100枚,といっていた。

伊藤さんと同じく,本物に近い人工,継代人工でなく,山形県が行っている1代目方式の人工が放流されるように望んでいる。

高田橋上流,瀬の石裏に囮を入れると,すぐにごつん。瀬に出ても囮を引きずらない。重い。エビか,小石を釣ったか。と思っていたが動く。
大井川の海産のように囮を引きづり回すのではない。チャラに寄せたときばれた。
これで今年の相模川とさようなら,かと思ったが,新しい囮を別の石裏に入れるとこつん。チャラに寄せると素直によってくる。又ばれたか,と思っていたが24cmがついていた。
夕方,20cm2匹。

今日釣れた継代人工は,下顎側線孔数が4対そろっていないか,非対称であった。しかし,さび始めている段階で,99年までの継代人工とは異なっていた。
99年までの継代人工は,10月になると,真っ黒にさびていた。その意味でも,釣趣だけでなく生殖線の発達時期についても継代人工は多様になったのであろうか。
水温はいつもの年よりも高い19度であったが,水温の高さがさびるのを遅らせているのであろうか。
00年から04年までは遡上鮎が釣りの対象で,特定の場所以外は人工と無縁であったから,どのような継代人工になっていたか,わからない。

伊藤さんが「実際に自然に近いように育てるのは非常に手間が掛かる(少量ずつ餌を何回にも分けて与えなければならない)し,養殖業者にとっては,短期間で大きなアユを生産したいがために,人に都合のいいように孵化させ,安定水温で飼育されている」と書かれている。
山形県のように,1代目方式の再生産につながる鮎の生産,あるいは,「アユ種苗の放流の現状と課題」(全国内水面漁業協同組合連合会発行)が提言するその川のアユを親として雌500匹以上で,自然産卵させる,という人工の生産を行うには,孵化時期がバラバラであることから,餌の種類も多様に用意する必要があるとのこと。
しかし,安物買いの銭失いになるよりも,再生産への寄与も視野に入れた1代目,あるいは2代目方式に転換すべきではないか。少なくとも,川に放流する鮎については。


Re:相模川の再生 No.[32] [返信]
投稿者:みずのように 投稿時間:2005/10/16 [日曜日] 21:31:18
佐藤垢石は
「我は、相模川で邪道の友釣りを覚えたことが不覚であった」と嘆いている。
夢枕さんが、チンチン釣りを楽しんでいる。
子鮎さんという方が、嘆きながら通う相模川。

相模と相模川の地理的な隔たりに違和感を感じる関西在住ですが、川の異変には悲しさを感じます。


海産鮎美ちゃん No.[22] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2005/10/02 [日曜日] 23:01:12
湖産の産卵時期が9月中旬前後,継代人工が10月初旬,中旬,海産が11月から。仁淀川では,西風が吹く頃から(仁淀川川漁師:弥太さんの自慢話)。狩野川城山下の松沢さんは,西風が2,3日吹くと,鮎は下りのためにそわそわする,と。(その時期は,11月1日前後=木枯らし1番)
この鮎の種別による下り,産卵時期の時期の違いが研究者の一部にも認識されていなかったことが,混乱を招いている一因と思っている。三面川に係る「満さ」の「相模川の遡上鮎は人工の子孫」との記述も同じ線上にある認識であると考えている。


9月30日  大井川笹間渡 
左岸から釣るが,8号の針のすっぽ抜け。仮称Aタイプの8号の針を使う機会は少ないため,古いものを使用した。接着剤の劣化にのるもの。
8号で,逆針で囮の身が裂かれているのに,蹴られる。右岸に移る。Aタイプの8号では蹴られが多いため,仮称Bタイプの7.5号にする。
蹴られはなくなったが,針が折れ,又,抜いて河原まで飛んできたのにばれて,三回転宙返りで水の中に逃げられる。
大井川で始めて囮の追加買いをした。
そして,4連ちゃん,20cm,22cm。しかし,4匹目をへ地のチャラに寄せたから,抜いても大丈夫,と浮かせて身切れ。午前はそれまで。
午後1匹釣って,蹴られ与三郎,どこにゆく?
蹴られのAタイプ8号か,身切れを覚悟するBタイプ7.5号か,悩みながら抜く里にゆく。

ここは去年の増水で,流れが変わったところ。頭大の石の詰まったところで釣る。3匹釣れた。午後にも釣れたとは有り難い。午前様の汚名返上。

何年ぶりかで,大井川のアッシー君になってくれた山口さんが遡上鮎の馬力に感心していた。山口さんが奥さんの弟さんに連れられて始めて鮎を釣った気田川での当たり,引きの強さを思い出した,と。人工の相模川,富士川の馬力とは比べものにならない,と。
その気田川も砂利で石が埋まり,又,90年代になって天竜川の遡上量が減って,天竜川で採捕した遡上鮎の放流では間に合わなくなり,人工等が放流され,病気による放流効果の消滅が書かれていたこともある。

旅籠のある川根町家山は,うだつのある家並みと重文の井上家?がある長良川に近い美濃と異なり,古い建物はないようである。しかし,気持ちの良い散歩ができる。4時前には目が覚め,商店街,野守の池付近を彷徨う。
野守の池は,大井川の河跡池であるとのこと。小高い丘:天王山の頂上からは,縄文,弥生時代の土器片,弥生時代の住居跡3軒,古墳が出土している。天王山から見ると,昔,大井川が抜く里で蛇行して,商店街を流れ,天王山の裾,野守の池を流れていたことが,理解できる。

10月1日。抜く里。絞られた瀬近くを釣るが釣れず。その下流のチャラにいく。蹴られ,身切れをするも,20cm級4匹。それで打ち止めのようであったから,下流のチャラにいく。小石の中に頭大の石が埋まっている。その付近に囮が泳いでいくと,がつん,相模,富士川のこつん,とは異なる当たり。ばれはかわらないが,22cmを含み6匹,計10匹とはありがたや。

山口さんは,友缶から船に鮎を移すとき,人工と同じに扱い,つかんだ結果,河原で作業をしていたのに,22cm級に水の中に跳ねていかれた。おらは1日休んだ遡上鮎の強さが身にしみているため,水に飛び込めない位置で,クーラーに移し,4匹に逃げれれたが事なきを得た。山口さんは,最後に22.5cmを釣った。
前日25cmが出ていたとのことであるが。
23cmすらでなかったが,1週間前よりも鮎美ちゃんに肉が付いていた。豊満熟女になる日も近づいている。

10月2日,藁科川
藁科川。遡上量が多いところ=安倍川合流点からの距離がそれほど上流ではないところ。
釣れた人の鮎には,16cm級前後に20cm級が混じっている。
おらはすぐに釣れたが頭掛かり,午後も1匹釣れたが腹掛かり。
30匹台,20匹台と釣っている人がいる中で,いつものとおり,釣れない人になる。

大井川の海産は,絞めると婚姻色が出てものもいたが,藁科川では美白のままであった。この違いは何が要因となっているのであろうか。

返信を3回も送る操作ミスをしてすみません。
特別のページ?まで用意していただきましたが,期待にそえるとは思えません。今後もよろしくお願いいたします。

Re:鮎美ちゃん No.[25] [返信]
投稿者:みずのように [URL] 投稿時間:2005/10/12 [水曜日] 07:15:06
山口さんと海を故郷にもつ鮎美ちゃんと遊んだんだ川もいいけど家山の風情もよさそうな

安曇川の9月:みずのようにさん
錆び鮎 No.[21] [返信]
投稿者:みずのように 投稿時間:2005/09/28 [水曜日] 20:15:34
9月17日に安曇川で釣りましたオトリ屋さんが「荒川が釣れている」と言ったので荒川に初めて行きました

人は少ないのに窮屈な場所だったので午後から、水嵩のあるいつもの場所に移動しました
いつもの場所には1人居ましたので下流の釣れない場所を探りました
午後3時ころ、いつもの場所に居た方が帰りました

辺りは私だけになり私はいつもの場所に移りました
ポツポツ、11匹掛かりました

重いけど、静かな21cmや23cmが釣れました
(ちゃんと計ったらもう少し小さかったかもしれない)
3匹に1匹は元気鮎でした
大きさは16〜18cmのスリムでした

錆び鮎が掛かるようになると納竿です

土手にはヒガンバナが咲いていました
昨年は9月18日の納竿でした

納竿から2ヶ月くらいが私には鮎が恋しい恋しい季節です
解禁前より重病です


本物と人工 No.[13] [返信]

投稿者:片岡相模原 投稿時間:2005/09/25 [日曜日] 06:58:16
9月22日冨士川蓬莱橋下流
冨士川の静岡側は放流をしておらず,山梨の放流鮎が流れてくるか,下ってきたとき,及び遡上鮎が釣りの対象になる。遡上鮎は,高松さんが今年は駿河湾では興津川より西でしか沖取り海産が採捕されなかった,といわれていたから少なく,又堰の魚道が流れの延長上に設置されていないから,僅少であろう。
台風の増水で流れてきたものと,継代人工の下りがあり,静岡側で漁期になった。26cm,23cm等計5匹。アッシー君たちは9,6匹。


9月23日大井川笹間ど
大井川が水無川から5トン/秒の水量が流れるようになって10年ほど。人工の放流はない。汲み揚げと,遡上鮎だけ。
台風で左岸側の河原の2mほどの高さの崖がなくなり,足腰の弱いおらでも,楽に釣りが出来る。そして,これまで3回,左岸側の人が釣れて,右岸側のおらは「私見る人」であった。よって,左岸側にはいる。
冨士川,相模川の人工のこつん,と違い,がつん,へ地に寄せても沖に走り,しかも,富士かの鮎と違いなかなか浮かない。どんな大物,と思えど20cm,スリム。次の時は,丼をすれば貧乏街道まっしぐらであるから,瀬尻まで下り取り込むが,20cmに過ぎない。賃金を払っているから,遊ばすことは出来ない,と,新の養殖を使う。又,20cm級であろうと,少し強引に浮かすと23cm。うはうは,るんるんもここまで。
右岸に入ったおらよりも年寄りがすぐ1匹,良かったなあ,しかし,2,3,5,7匹と釣られ,何でや。前回までと違うやン。
台風で左岸の瀬脇の溝がなくなっていた。それだけではなさそう。20匹台と,5匹。又,「私見る人」になってしまった。
人工と海産の違いについて,鱗数,口吻の長さ,下顎側線孔数がいわれている。伊藤著「鮎釣りしませんか」には,下顎側線孔数の4対,左右対称が海産,孔数の欠損,あるいは左右非対象だけが区別の指標として表現されている。継代人工の生産技術が向上し,鱗数,口吻については,海産と区別が付きがたいものが生産されるようになったからであろうか。
冨士川と大井川の比較。23cm,20cmを並べると,冨士川は下腹は出っ張っていない質の良い人工であるがふとっちょ。口吻は少し短い。大井川の下顎側線孔数は4対,左右対称,背鰭の頭側は長く,尻尾側は短い。冨士川は16cmの泳ぎが達者で,23cmを連れてきた海産では,と思ったものも,片方の孔数が3個であった。又背鰭は帆掛け船同様,頭側も尻尾側も同じ長さであった。
今回の台風がそれたから,又,大井川の鮎美ちゃんに会いに行ける。


Re: No.[18] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2005/09/26 [月曜日] 08:07:41
早速,伊藤さんの書名を間違えました。
斉藤邦昭さんの「鮎釣り大全」がおらに,本物の鮎と人工の鮎の違いと影響を考えさせる大きな要因となりました。この本に出会っていなければ,でっかい鮎が釣れた,たくさん釣れた,と素直に喜べたのに。
斉藤さん信者になってしまってから,大物である,追いが良い,と,人間の都合に適する鮎を生産し,放流することが好ましくない,と,釣れる,釣れないだけでなく,川の状況,どんな鮎なのか,にも関心がいくようになりました。
釣り人のエゴの視点で鮎美ちゃんのことを考えるのではなく,太古から生きている鮎そのものと,その鮎美ちゃんが生存し,さらには快適に生存することが出来るように,と,考える1人となりたいと思っています。

みずのようにさんのハウツウ蔵書と天竜川
Re:本物 No.[14] [返信]
投稿者:みずのように 投稿時間:2005/09/25 [日曜日] 09:01:46
大井川の左岸で本物釣りでしたか
それにしても「右岸の人が盛んに釣っている」のを見る人になったのは残念でした

私は9月17日に安曇川のさび鮎を釣って今年は納竿としました

私、8月22日に天竜川(長野県)で釣りました
川であった人最初の人「静岡の藤枝から来た」という
貴兄の「大井川のシャネルの5番を纏った鮎姫さま」の記憶から「大井川が近いではありませんか?」
「大井川は水がなくて鮎が小さくて・・・だから天竜川」

川で「そこは釣れない」と指摘してくれたお節介は静岡市だ
「安部川、藁科川、興津川、鹿野川など天然遡上が豊かなのに、なして、天竜なの?」
「こんなデケエ鮎はおらんずら」
「そうずらか?確かに、天竜の鮎は元気がいいじゃんね」

伊藤著「鮎釣りしませんか」は伊藤 稔先生の「鮎釣りをやってみよう 」定価¥2,310(税込)のようですが、
鮎釣りのノウハウ書を5・6冊も読めば鮎つりインポになるそうですが、私も買うことになるでしょうね
そして「下顎側線孔数」の勉強をしましょう

ちなみに、私のハウツウ蔵書ですが(順不同、敬称略)
大西満 ★★★
高桑健 ★
杉本隆一 ★
村田満3冊 ★
古川トンボ2冊 ★
大橋昭司 ★
西門喜昭 ★★
伊藤稔 ★★
鹿嶽繁 ★
鈴子陽一 ★★
佐藤進 ★★
高塚靖弘 ★★★
世良康 ★
斉藤邦明 ★
俺たちの鮎つり ★★★★★
★は感化度です
これに伊藤先生の「鮎釣りをやってみよう」が加わるのです



10月30日  狩野川

黄昏の狩野川その2 No.[40] [返信]

投稿者:片岡相模原 投稿時間:2005/10/30 [日曜日] 22:33:19
11月23日まで狩野川に釣りに行っているというおらよりも年輩の人が同じ電車に乗っていた。その人は寒かった26日,狩野川大橋付近で,26cmの人工を含む3匹とのこと。22日におらが釣った貴重な1匹も20cm級の人工。なぜ継代人工がまだ釣れるのか。
9時の水温は11度。22日の16度から5度下がり,生殖線重量がピークに達した海産であれば,産卵行動としての下りにはいるのが出てくる水温である。

石は綺麗。海産が磨いているのであれば歓迎するが。
90年代にはいると,11月23日にも綺麗に磨かれていた石が,ばばっちく曇りだし,その日が年々早まっていき,95年の遡上量なし,と思える状態になった。今年はそれほど酷い遡上量の減少であるかどうかはわからないが,駿河湾で沖取り海産が採捕されたのが,興津川よりも西とのことであるから,遡上量が僅少であると判断できる。にもかかわらず石は綺麗。

城山下石コロガシの瀬肩チャラにはいる。去年よりも水深が浅くなっている。釣れず。珍しく釣り人が10人近くいる。瀬脇を左岸側から釣っている人と,瀬尻の上流側を釣っている人が釣れていた。
瀬尻の下流側に行く。11時30分,常連さんがトイメンの右岸に入った。常連さんは,2回蹴られて針を変えると1匹。それから,瀬の芯を釣りのぼって12時までに3匹追加。その内の1匹は美白の雌とのこと。下りながらへ地に寄せてすくっていたのがその鮎美ちゃんであろうか。羨ましい。

淵上流の1本瀬で4匹掛けたのに午前中に持ち帰ったのは1匹,という人もいた。夕方までに6匹の人は,26cmは人工であるが,その他は人工か,海産か,わからないとのこと。
おらは丁寧にへ地に寄せてのバレと,抜こうか抜くまいか,と躊躇していてのばれのみ。7号の針を久し振りに使ったから,鮎の大きさ,素性もわからず慎重になりすぎた。

「鮎釣りをやってみよう」のなかで,おらが伊藤さんを素晴らしい,と思って箇所が「アユという魚について」である理由は,次の事例によります。「」書きは,「鮎釣りをやってみよう」からの引用です。
1 「産卵は,やはり9月半ば頃から始まりますが,産卵期は採卵から1年後というのが研究者の定説になっています。したがって,採卵日が前年9月20日の魚は9月20日頃〜」

96,7年頃,高塚さんは,天竜川の紫鮎の減少を人工との交配が原因,と,鮎の友釣り最先端に書かれた。
おらは,60年代から80年代,8月に天竜川を新幹線から眺めていて,餌釣りをする釣り人を見ていたのに,90年代にはいるとその風景が消えたから,遡上量の減少がある,と想定した。

又,90年代後半,相模川に放流されていた2種類の継代人工のさびが10月にはいるときつくなり,14日には黒子ちゃんを釣っていた。このことから,海産の産卵とは時期を異にするから継代人工との交雑は生じない,と考えている。仮に例外的に交雑が生じても,その後判明した海水温20度が稚魚の生存に影響していることから,紫鮎の減少は遡上量の減少によって生じたに過ぎないと確信している。
見立てが誤れば,対応策も誤る。
遡上量の減少が紫鮎の減少の原因であれば,山形県のように1代目方式の人工を育てること,そして,解禁1,2カ月のうちにアユ資源の半数以上が釣獲される餌釣りを禁止すること,となる。

さて,90年代は,10月中旬には産卵行動を起こしていた継代人工が今年は2週間遅れている。10月26日には,相模川ザカエ橋上流浅瀬で大量の大鮎が跳ねているのが目撃されている。下りの途中であろう。
そこで産卵するとしても数日後であろう。
そうすると,海産の早く産卵する群との交雑が,産卵場所が同じであれば,生じることになる。その交雑仔魚が淘汰されるのは海水温の高さだけなのか,それとも,海産と湖産の交雑仔魚同様,海水に対する浸透圧調節機能の不全が作用するのであろうか。

なぜ,継代人工が産卵から,どころか,孵化から13カ月経過後に産卵行動にはいるのであろうか。21世紀の継代人工に何が起こっているのであろうか。性成熟抑制ホルモンが投与されている等の人為的操作が行われているのであろうか。養魚場では,電照によりさびないようにしているが,囮箱に入れると半分は使い物にならないほど黒くなるとのこと。
     注:継代人工も多様化しているようである。そのことが、産卵時期が、神奈川県産継代人工と異なる現象を生じているようである。

     注:継代人工が下りをしない、との観察が、長良川の萬サ翁らによってなされている。これがどの程度の状況であるか、わからないが、ザカエ橋での10月26日に観察された現象が、下りの途中とは言えない、かも。

2 「本物のアユに近い人工産アユを生産してもらいたい」
群馬県産人工
メーカーの講演会の中で最後まで続いた講演会において,野島さんは追いがすごい,他の人工とは違う,と絶賛していた群馬県産人工。
しかし,これは湖産と違って縄張りを形成して,攻撃衝動を高めているのではない。湖産を親とする30何代目かであるが。

野島さんが推奨する群馬県産の中でも病気もなく優れている,というブランドが,長良川支流吉田川に放流された。
天龍玉三郎は,解禁日から束釣り,1週間後には鮎はいなくなった,これが恐るべき群馬県産人工の実体である,と,天龍玉三郎釣行記に書かれている。

縄張りをつくるのではなく,個体間距離を犯した囮に突っかかってくる鮎もどきである
もちろん玉三郎も,個体間距離の均衡が破られたときに,攻撃衝動が解発されることがあると別のところに書かれている。その場合とは,増水で濁りが入ってきたとき,濁りの遅いところに先住の鮎がいて,そこに濁りを嫌って鮎が入ってきたとき,と。
群馬県産は,眼を切った,と,つっかかてくる鮎の風下にもおけない鮎である。本物の鮎は、王国の定めの一要素である領土を確定する土地貴族である。群馬産のように、土地貴族・王様が主役でないアユは本物の鮎とはいえない。

埼玉県の荒川には,継代人工には下る性質があるということで,それが放流された場所よりも上流に群馬県産の中でも野島さん推奨のブランドアユが放流された,と。
その講演会に出席されていた人が荒川に行った。病気で死んで鮎は少ししかいず,それが釣れても,病気持ち,とのこと。
安定した水温で飼われた人工産アユは胸腺の発達が悪く,抗体を作る組織が発達しにくい
冷水病だけでなく,川に生息している雑菌に対しても罹患し病死する


この続きは次回にします。

天竜川の紫鮎:みずのようにさん

Re:天竜のムラサキアユ No.[41] [返信]
投稿者:みずのように 投稿時間:2005/10/31 [月曜日] 21:05:17
高塚靖弘『明快友釣り読本』より引用
昭和50年(1975)から、ダム建設による義務放流がなされるようになった。他の種ともいえる琵琶湖産の稚アユが積極的に放流されるようになった(琵琶湖産のアユは追いが激しいとのことで、人気が高かった)。
海産アユと湖産アユは産卵期が違い、絶対に交配しないという定説を聞き、一時は楽観していた。
いざ放流がなされてみると、どうだろう。2年目には天然遡上アユは、ムラサキの追い星のまわりに少し黄色が混じり、体色、ヒレも黄色をおび、アブラビレの赤まで黄色に変色してしまった。真っ白な魚体にムラサキの追い星、ヒレは黒と赤が鮮やかな天竜アユは、1年にして全く消えてしまった。
2年、3年と放流が続き、追い星はほとんど黄色に、自慢のムラサキ色は、首筋に若干残る程度になってしまった。

子供時代に興奮させられた、あの「天竜アユ」はどこへ行ってしまったのだろう。

高塚靖弘(1956年生):昭和50年(1975)当時19歳 
『明快友釣り読本』(1997年発行)著者当時41歳
義務放流
内水面漁業:陸水域(河川、湖沼、ため池、用水路等)で営まれる漁業のことで淡水漁業とも言う。水質汚濁、頭首口やダムの建設による魚道の閉鎖及び水量の変化、農薬被害、干拓、森林の伐採など環境の支配を受け、資源の減耗を招き易い。そこで漁期・漁具・漁法・漁区(産卵場の保護)の制限が行われている。

《海面漁業との違い》
1.漁業権管理者に稚魚の放流など、増殖義務を課していること。(繁殖保護を条件に漁業権が許可される)積極的に稚魚の放流が行われている魚種はアユ、サケ、マス、コイ、フナ、ウナギ等で年間約10億匹2.一般に公開され、遊びの場としての公共性が強いこと。(遊漁の制限、入漁料金の決定には都道府県知事の認可を必要とする)
組合数 約900組合 組合員約431,000人  年間の遊漁者数 年鑑札者約 26万人 日鑑札及び無鑑札者約 200万人 

バブル経済期(1974―1990年)
昭和62年(1987 )みずのように:鮎釣ことはじめ 

私の見解
1.川のことだけに限定しても、学者の定説には騙されてきた。

2.中学生の頃には大人顔負けの鮎釣師だった高塚さんの現実の観察の方に真実味がある。

3.義務放流が始まったのはバブル経済期の初期で、天然遡上の豊富な河川も対象外にしなかったのは「河川環境の本格的な崩壊の予測があり、先手を打った」などと考えてしまう。バブル経済期に河川の環境破壊が急激に進行したのは事実である。

4.定説「人工産、琵琶湖産、海産は交配しない」は御用学者の説ではないかと疑う。

5.100歩譲って、ムラサキアユは天竜川の水質の悪化で「幻のアユ」になってしまった。


昭和62年10月某日、コンビニで昼飯を買って、東名高速下の河原で、天竜の鮎釣を見物した。激流に立ち込む釣りに驚き、ワンドで入れ掛りの釣りも見た。河原にはたくさんの車が止まり、鮎釣に活気を感じ「俺もやがてここに釣りにこよう」と考えた。しかしその後、衰退していく天竜川の鮎釣情報ばかりで、静岡天竜の鮎釣は実現していない。

伊藤さんの本感想:みずのようにさん その2

伊藤さんの本 No.[38] [返信]
投稿者:みずのように 投稿時間:2005/10/27 [木曜日] 22:08:03
「鮎釣をやってみよう」
鮎を釣ったことがない人へのメッセージ  しかし、この本読んだら鮎釣は難しそうだから「やーめた」になりそう

伊藤さんには会ったことがないのでわかりませんが生真面目な性格を感じながら132ページまで読みました
そして、前著「鮎読本」では書いていなかった糸、針などの商品名や号数が参考になります

海産と人工継代とダム湖産について書き
琵琶湖産を省略しては???
冷水病で最悪の時期にシッピツしていたのだから仕方ないかもしれませんが

鮎釣って難しいのですね

伊藤さんのあとがきには感じます(前にも書いた)
5回ほど読みました
「ご自愛あれ」とエールを送ります

マイクロゲージで糸の号数と実態を確認するなんて凄いですね
データを公開してくれたら「いいのにね」

オリンピック友釣り大学の思い出
Re: No.[39] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2005/10/29 [土曜日] 19:34:40
みずのようにさんはまじめなんですね。おらは鮎美ちゃんのたぶらかし方については,とうの昔に上達をあきらめています。
80年代,オリンピック友釣り大学何回かの狩野川での出来事。

1 条件  海産遡上鮎が主体。時期は各回とも6月下旬
2 室田さん
宮田橋下流分流に入るもチビ1匹。名人でも釣れないことがあることがわかって安心しました。

3 殿淵早朝
大西さんであったか,が,植田,高松さんの釣りを解説して,立て竿で探っています,といい,釣れた。植田さんは,今日は水温が低く釣れないだろう,と。おら達はあまり釣れなかった。なのに講師は時速何匹かで釣れた。

4 殿淵から右岸へのざら瀬。ドラエモンおじさんが竿を貸せ,と。もう囮はくたばっている,といったが,かまわん,と。
そのざら瀬で,囮を流れに対して,斜め上流に引く。おらがやれば嫌々をされるだけであろう。

5 テニスコートの前で,16cmの湖産か,海産蓄養か,が木村さんの前で釣れたときは気持ちが良かった。木村さんが釣れてなかった人の竿で釣って,釣れなかったから,なおさらのこと。

伊藤さんは,手感が誰にでも感知できると思っているが,おらには出来ない。去年の高級竿が使える相模川での6月下旬の講習会で,19ぺージにのっている竿の中で一番高い竿を使った。いつも使っている2ミリの穂先の竿やH2.5よりも扱い易いとの感じはしたが,グリップや軽さであろう。囮がすんなりついてきたのも,12cm級でも遡上鮎であったから,泳ぎに達者で,又,過労させないほどの数が釣れたからであろう。

今年の10月2日,藁科川ざら瀬で,ドラちゃんは30匹余りを釣った。それを見て,まわりは釣り人で埋まったとのことであるが,おそらくその人たちは釣れなかったであろう。おらが相模川望地のざら瀬で,ドラちゃんの竿先を利かせた釣りをまねると,囮を過労死させかけて逃げ出すのが常体。多分,そうなったのであろう。昼にはそこに釣り人は見えなかった。

ということで,名人のことを学んでも身につける能力がないから,ヘボのヘボたる所以,と,これだけは悟りを開いているので,伊藤さんの書いていることにも抵抗はありません。
おらが,「鮎釣りをやってみよう」に,伊藤さんが素晴らしい,と思ったのは,「アユという魚」の項です。
これについては明日狩野川から帰ってから書きます。

黄昏の狩野川は? No.[36] [返信]
狩野川放流方針に反対する

投稿者:片岡相模原 投稿時間:2005/10/22 [土曜日] 22:20:35

狩野川の鮎放流について,「鮎の友釣り最先端2005」に植田組合長が書かれている「復活へのロードマップ」の考えに反対する者としては,遡上がなく,雑多な氏素性の人工が放流されている狩野川がどういう状況か,見ておく必要を感じている。
とはいえ,継代人工を釣るのであれば,狩野川まで行かなくても相模川,中津川で間に合うし,大井川に行けば海産鮎が釣れるので,解禁日とその1週間後以来の狩野川である。
植田組合長の放流方針に反対する理由は,「自然に対する礼節を源流として」につきる。その根拠は,狩野川での釣りが終わってから書くこととするつもり。つもりは禁煙と同様,破られるための決心に類するが。

10月22日  狩野川城山下

解禁日は,成魚放流が多く行われたであろう上流部に人は集まり,成魚放流はするな,という松沢さんのいる城山下は閑散としていた。海産が解禁日からは釣れないことを熟知し,酒を飲んで松沢さんとおしゃべりをしていることの多い天龍玉三郎も今年は,仕事の都合か,上流に行き,60匹台を狭い空間で釣っている。

当然,おらは閑散とした城山下で,例年通り坊主。
1週間後,成魚放流が客寄せをしていた上流の1つ,雲金地区に行く。
40匹,20匹以上釣った人は,大見川等で,畳1畳ほどの空間で釣ったもの

その鮎は,酒匂川大口橋から上流のトロで見た,中層で,定位し,群れたまま動かない鮎と同じであろう。事実かどうかは分からないが,ともに同じ産地で,九州ダム湖産の鮎を親とする人工との話があった。
そして,一杯釣った人の鮎は,素人目にも,冷水病とわかるのが混じっていた。おらは2匹しか釣れなかったが,流れてくる鮎をすくった方が大漁であったと思うのは,道志川と同じである。

その雑多な人工の生き残りが狩野川でもまだ釣れているとのこと。
伊藤さんが,「産卵期は採卵から1年後」と書かれているが,これが基準となり,いろんな要素で+−x日間の変動を生じるのではないかと思っている
相模川でも見られてた継代人工の性成熟の遅れが気になる。生殖線,性成熟を遅らせる生産技術が行われているのであろうか
11月になれば継代人工も消え,どの程度の遡上量であるか,判断できると思っているが。

城山下の渡場の大きな石が埋まった。にもかかわらず,砂底のえぐれの場所もある。河床が高くなったのであろうか。
石コロガシの瀬肩,ドブ釣りをしている人の下流:淵,と釣るが釣れず。午後,瀬尻右岸から釣って,20cm級雌,背が黒くなっているのが1匹。
上島橋付近も含めて,10人以上の釣り人がいたということは,植田商法の効果か。
松沢さんはその放流の考え方に反対し,又,その御利益もなかったか,少なく,売れないのに囮をおいていた相模川の婆さん,大井川の釣り人でもある囮屋さんと同様ではなかったか。

松沢さんの話

1 海水温が20度以上のとき,流下仔魚が死ぬ,ということ等について。
川の水と海水との温度差が生存に影響すること,湖産仔魚が海水で生存できないこと,を認識されていた。

2 大井川10月15日のトロにおける乙女たちの乱舞について。
寝場は川の上下でなく,幅の中で行われ,トロに大量の鮎が集結していたことは,寝場とは別の要因と考える。

産卵行動による集結であれば,鮎の跳ねは,鮒が空気を吸うような形で行われ,上流に跳ねる形態ではない。

網打ちがあったのではないか。網打ちへの鮎の恐怖は大きい。鮎語がしゃべれないからわからないが。

網でとった鮎をそのまま囮に使うと,網打ちの恐怖から,石の間に潜り込んで泳がない。そのため,捕ったときに背中に針を刺して,網の恐怖を他の恐怖に転位,転換する。そして,鼻管を付けて,穴をあけたお茶の缶に入れて,翌日使うと,良く泳ぐ。それほど,網打ちへの鮎の恐怖は大きい。

「相模川の大鮎」で,狩野川の遡上鮎の大きさと重量の関係について間違って書きました。
大鮎の長さを10倍して,その値から110を引くと,重量の近似値になるとのことです。
したがって,20cmであれば,200−110=90グラム,25cmであれば250−110=140グラムとなります。

伊藤さんの本感想:みずのようにさんその1

Re:伊藤さんと松沢さん No.[37] [返信]
投稿者:みずのように 投稿時間:2005/10/24 [月曜日] 21:22:18
片岡の「鮎三昧ですのう」
片岡さんと対話するためにアマゾンで昨日注文した伊藤さん著の本が今日、届きました

私は変な習性で「あとがき」をはじめに読みました
伊藤さんはトーナメンターできなくなってこの本を書いたのですね
「はじめに」を読みました
「鮎を釣ったことがない人のために」とかそのあと難しいことが書いてあり「竿はダイワの高級竿がいい」と書いてありました

鮎を釣ったことのない人は読まないか 読んだら「鮎釣が嫌いになる」ねっちこい専門書ですね

若者が鮎釣を選ばなくなった理由は
「川が崩壊しているから」が一番の理由で 二番目が「分別のない老人が多いから」 そして「メーカー主導の鮎情報」と、私は思います

松沢さんに賛同
「成魚放流は鮎釣文化の否定」ではないかな

川に天然を呼び返すのが「正道」でしょう

伊藤さん本、隅々まで読みます
でも、もう、前著と全く同じ記述に出会って辟易ですが


10月14日  大井川

大井川の鮎美ちゃんさようなら No.[29] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2005/10/15 [土曜日] 22:04:31

蹴られても,振られても,鮎美ちゃんの艶めかしいお尻を追いかける哀れな男。しかも,面食いで,ヘップバーン,原せっちゃん,小百合ちゃんの方が,ダンプ何とかさんよりも美しく,清楚と感じている。したがって,継代人工よりも海産鮎美ちゃんに会いたくて大井川に出かけることになる。
ハートは,海産鮎美ちゃんに恋いこがれても,ボデーは,又振られるだけやンか,無駄な抵抗はやめて,少しは休ませてくれ,と,文句いう。
雨にも降られたら,ボデーの言い分に従わざるを得ない。朝のうちは雨よ降るな。

10月14日。おらのハートの願いが叶い,天気予報はおらのポイント予想同様,はずれる。絶好の鮎美ちゃん日より。しかし,鮎美ちゃんと秋の空。今日の鮎美ちゃんはお花,お茶の花嫁修業で,合コンに出かけてはダメ,といわれているのであろうか。それとも?
笹間ど。囮屋さんに囮は終わりと引導を渡された。3匹を購入。

左岸瀬。すぐにがつん。相模,冨士川のこつんと大違い。にやっと笑いが。沖に走られてもそんなに引きを強く感じない。小さい,と,判断し,抜く。ポロリ。囮より大きかった。なぜ引きが弱いと感じたか。
答え  養殖は22cm。ハチャキン娘といえど,22cm,100グラム以上のオトリを引きずり回すのは大変であったのであろう。
世界一幸せ男が,相模川の望地のトロ瀬ではなく,弁天の瀬で釣る理由について,弁天の方が流速の加護を受けて,引き味がよいから,と。
流速の加護もなく,自らの力だけで,囮を引き回している。18cm,20cmの囮しか使わないおらが,22cmを囮にしたのであるから,鮎美ちゃんの引きの強さと大きさの関係を誤った。しかし,引き抜くな,引き寄せよ,は鉄則としたはず。

新しい囮でも,すぐにがつん。へ地に寄せても,沖に走る。

  連れ込むな  わたしは急に  とまれない

おらが知っている唯一の川柳である。
鮎美ちゃんは必死で抵抗する。札束でなびかなければ,花束で,甘いささやきに振り向かなければ,スカーレットオハラがされたように有無をいわさず抱きしめよう。

鮎美ちゃんに諭吉さんを握らせようとしたら,失礼ね,わたしをそんなはしたない女とみていたのですか,と怒った。
ゴメンナサイ,相模川,冨士川のねえちゃんは,一葉ちゃんを握らせたら素直に4畳半ふすま張りの部屋に入ってくれたんで,誤解しました,と誤り,バラの花を1輪差し出した。鮎美ちゃんのご機嫌が直った。
しかし,あいまい宿の敷居をまたごうとすると沖に逃げ出す。鮎美ちゃんがあきらめるまで我慢して,やっと,引き寄せて連れ込んだ。23cm。

2台目の蒸気機関車が通ったらビールを飲みに行こうと思っていたが平日のため,鉄橋を渡らず。食堂でビールを飲みながら時計を見ると2時。しまった。夏であれば4時間以上あるが。桜エビのかき揚げうどんを食べて抜く里へ,と向かう。
メーカーの看板をしょって,記録係を連れて,大きく場所を移動しながら釣っている人に釣れたか,と聞くと,ぼちぼち,とのこと。この人たちのぼちぼちは,10匹であろうか,20匹であろうか。

抜く里。瀬肩に近いところにはいる。がつん,しめしめ,と。またも抜いた。ぼっちゃん。22cmの養殖が囮ではどんな引きの強さになるか,もう忘れたんか,すんません。
その下流のチャラでの釣りは出来ず,旅籠へ。明かりがついている。見慣れない人が出てきた。夕食はいらないから,泊めて,と。その人は誰かに尋ねている。おばあさんが帰ってきたの?と聞いたが,「おばあさん」だけが聞こえて,おばあさんではありません,といわれた。
足を引きづったなじみの顔が出てきた。
神棚の榊を取り替えようとして,踏み台が倒れて入院したが,骨折ではなかった。
よかった。そして,来年も泊まるところに不自由しない。


10月15日  大井川

朝の散歩のために傘を用意していたが晴れている。又天気予報ははずれた。有り難い。しかし雨は名古屋まで来ている。抜く里下流チャラで釣り,水が増えだしたらやめよう。
8時前,駿遠橋上流トロで,20cm以下の美白が一杯跳ねている。初めて見た光景である。奈美江,鮎美のコンサートに娘が集まっているのか,井戸端会議をする年頃,下りの集結ではなかろう。

小石が見えるところの集団に囮を入れる。18cm美白。それを右岸よりの群に入れる18cm。ともに背掛かり。群アユ崩しの交通事故ではない。個体間距離の均衡が崩れて,接近したため,鮎美ちゃんの攻撃衝動が解発されて,平手打ちにあったのであろう。

その行方を知りたくて,瀬尻の,静岡の人が棒鼻間で25cmを囮にして釣っていた,という右岸岩盤,大石のところに囮を入れる。見た目以上に流れは複雑で強く,18cmでは狙った筋に入ってくれない。
9時前,跳ねは減っていた。その前から,砂利底の溝をきらきらと,あるいはまっすぐに上流に差していく鮎が見えていた。そのトロは寝場か。

差していく先のざら瀬,チャラに行く。少し前に先行者がざら瀬付近に入り釣っていた。その上のチャラに行く。20cm,そして右岸に渡る。先行者は10匹以上釣っていた。そして,ざら瀬に立ち込んでくる。あとで見ると,幅10mほどで,川幅一杯に頭大の石が詰まっていた。

昼飯も食わず,ビールも飲まず釣ったのに,釣れず。やっとがつん。なぜか早い時間につまみ糸がつかめた。しかし暴れられて逃げられた。
トヨタマヒメから,鮎美ちゃんが自発的に連れ込み宿の敷居をまたぐまでは,手を出したらダメ,と,何回言わせるのですか。腕の悪いのは死んでも直りませんが,鮎美ちゃんの心を理解することは,ヘボでも出来ますよ,と怒られた。
22cmを含み,6匹。

蒸気機関車の窓から大井川を眺めて,にやにや,にたにた,鮎美ちゃんとの激しかった情事を思いだして,恍惚の人,玉手箱を開けた浦島太郎,瘋癲老人になっていました。


Re:ばあちゃん No.[35] [返信]
投稿者:みずのように 投稿時間:2005/10/18 [火曜日] 20:54:02
おらの知っている(書いてある場所)川柳は 「鮎くれてよらで過行夜半の門」 だけかな
これは俳句かもしらん

ばあちゃんが元気になってよかったです

「2台目の蒸気機関車が通ったらビールを飲みに行こう」といういい釣りですね
蒸気機関車の窓から大井川を眺めて「ビール」にやける、光景も与謝蕪村みたいです


10月10日  相模川

相模川の大鮎 No.[24] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2005/10/10 [月曜日] 18:50:34
10月10日。今日は,鮎美ちゃんの尻を追わずに清い生活をしょうと思っていたのに,コンビニにコーヒーを買いに行くと見慣れた車。昨日釣れたよ,と。雨が降るのにやむを得ず,あるいはこれ幸い,と出かけた。軟弱ものは姉ちゃん同様,御しがたし。
弁天の瀬で,おらは20cm級,継代人工の生き残り1匹。
かあちゃんを働かせて釣りに興じている世界一幸せ男が,昼に来て,飯を食っているおら達に,釣れたところを見せる。しかし,囮が飛び,次いで,大きな掛かり鮎も取り込み寸前にさようなら。ざまあ見ろ,かあちゃんを働かせて遊ぶ呆けているからや,と憂さを晴らす。幸せ男は,かあちゃんは旅行に行っているから,迎えに行くまで釣っていてもいいんや,と。

幸せ男はその後釣れなかったのに,瀬をおらが釣った後に下ってきて,まず囮サイズの20cm級を釣る。その次は29cm,そして28cm,と。何でねえちゃんを釣る腕の良い男は鮎の釣りもうまいんや。

望地の蛇篭前のトロで,いつも釣れないと文句を言っている三味線弾きが,30.3cm,350グラムが釣れた,と。
おらが10月20日頃,狩野川で27.5cmを釣ったとき,そんなに重量はなかった。その鮎はさびておらず,スマート。狩野川城山下の松沢さんは,狩野川の大鮎の重量は,長さに110を加えた値が目安になるといわれた。
それから見ても相模川の大鮎は,継代人工の特質の1つである大きくなる,太る,の特徴を備えている。これが海産の大鮎の姿と誤解する人が多い。
今年の鮎雑誌に,去年釣れた秋川の尺鮎の写真が載っていたが,鮒のような顔立ち,下腹の出っぱた姿は,鮎美ちゃんとは似ていない。「おれたちの鮎釣り」に,海産,湖産のほかに人工という別の種別がある,と書かれていたことがあるが,そのとおりと思っている。その写真よりは鮎らしかったが。


Re: No.[27] [返信]
投稿者:みずのように 投稿時間:2005/10/12 [水曜日] 07:34:25
「鮎に恋恋」の皆さんが、相模川でかか様に養ってもらっている「髪結の亭主」はうらやましいなかなかの腕前なのでしょうね髪結の姫を探さないといけません


Re: No.[30] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2005/10/16 [日曜日] 17:55:03
髪結い亭主も楽ではないようで。
かあちゃんから電話がかかってきたら仕事に駆けつけないと三行半をつきつけられる,と,不平を言っています。そのため,大井川には行けず,相模川で我慢をしています。しかし,おらは,かか様に感謝をしています。幸せ亭主が大井川に行ったら,おらの取り分を根こそぎさらわれてしまいます。
6月終わり,メーカーの高級竿が使える講習会が中津川で行われました。今年は,おらは,9m190グラムを使いました。若い講師は,4人の生徒のうちの2人がなかなか釣れなかったようで,釣れていたおら達2人組のところに指導に回ってくるまでに1時間以上かかっていました。おら達2人のところで実釣をすると,それぞれすぐに釣りました。
おら達2人組の腕が良かったのでも,竿が良かったのでもなく。単に場所が良かっただけかも。

去年の講習会では,藁科川の主が講師で,36万?の8割引でも買うのが困難な,竿を使いました。その講師が,今年は生徒に釣らすことが出来ず困っていました。
幸せ亭主は,そのような場所の状況で,その講師に近いところで,午前中に20匹近く釣っていました。講師の1人であるドラエモンおじさんに囮が必要になるから,一杯釣っておけ,といわれてさぼらずに釣ったとのことでした。


Re:190グラム No.[34] [返信]
投稿者:みずのように 投稿時間:2005/10/18 [火曜日] 20:44:39
髪結いの亭主は、大井川にはいけない運命でしたか
「いいきみだ」

私の竿は9m280グラム   昨年までは310グラムでした
190グラムは中くらいのトマトの重さですね

そして、やっぱり、場所ですか   幸せ旦那もがんばるのですね


11月11日  狩野川

黄昏の狩野川 No.[50] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2005/11/11 [金曜日] 21:28:31
11月11日。水温12度。石はまだ綺麗。遡上鮎が少ないのに綺麗ということは放流アユが磨いているのか。それとも,コケの生産力が以前の今の時期に比較して,低くなっているのであろうか。

午前 石コロガシの瀬尻。
囮が流れる。竿を上げると,掛かっている。しかしばれた。ごそごそと感じるが蹴られ。こつんとくるがバレ。4度目の正直,20cm級をへ地に寄せて引き寄せる。
4回とも逆針ははずれているが,大井川と違い,逆針が身を引き裂いていないため,逆針を打つ場所に困ることはなかった。午後,石コロガシの瀬で釣れていた2人組が2時半に上がったので瀬にはいる。22cm。

2回坊主にあった練馬さんが1本瀬で3匹。まともな引きは1匹だけとのこと。
おらのはそこそこの引きがあり,へ地に寄せたとき,囮を上流に引いていったが,それほど強い引きではなかった。下顎側線孔数が4対,左右対称であるから,海産であるが,どこの海産蓄養であろうか。

釣れればよい,釣り人が集まるから,と,いろんな継代人工等を放流した狩野川。
湖産と海産の交雑は,北を除いて,人間の叡智,あるいは愚行が,人知の及ばなかった自然の摂理で,海産の遺伝子汚染をもたらすことはなかった。しかし,海産アユを親とする継代人工と狩野川周辺の海産との交雑はどのような結果をもたらすのであろうか。
又,自然の摂理に助けられるのであろうか。それとも海産アユの変質した年,愚行としての記念される年になるのであろうか。

11月9日,相模川弁天。鮒のように空気を吸うアユ:継代人工がいた。そこは,下流側が流れとつながり上流側は,鮒釣り場に流れ込んでいる水路の水が流れているところ。狩野川にも釣れなくてもこのような13,4カ月生きているこれまでとは異なる継代人工が今産卵行動に参加しているのではないか。
鵜が数羽,おじゃま虫は立ち去れ,と羽を広げて怒っていた。


Re:真髄 No.[52] [返信]
投稿者:みずのように 投稿時間:2005/11/17 [木曜日] 20:47:30
10月までは「ちょっと羨ましい」感じがしたが、当月は「とことん、酔狂な」と感じながら、真の海産アユを求める活力に”乾杯”です

この季節になると、落ち葉が引っかかったようなアタリに落ち葉を3枚引き寄せるような・・・
(大変失礼)

研究者が思いつきのような交配をして新しいアユを放流して「再生産は難しい」と嘆いているようですが なかなか大変な状況であることを知りました

そして、注目されない小さな川に豊かな遡上があったことも知りました
来年には何の補償もないのですが 来年は「南川」に行こうと思います


11月5日狩野川

黄昏の狩野川その4 No.[44] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2005/11/06 [日曜日] 08:43:58
11月5日,城山下。水温13度。暖かい。
石コロガシの瀬脇で何回かのけられの後,20cmさび鮎。馬力はないが,重量があると,くたびれた糸が切れるので,へ地に寄せて引き寄せる。
この大きさと馬力では6.5号でも大丈夫,と針を変えるがそれっきり。城山に太陽が隠れた3時にやっと2匹目。22cmさび。

相模さんは藪下で1匹と3匹。1泊さんは1本瀬で5匹であるが,さびていて,海産か人工かわからない,とのこと。サイバークラブの人は,石コロガシ上流チャラで2匹。
サイバーさんは今年,益田川,熊野川,高津川等に行ったとのこと。高津川は,遡上がなかったとのことであるから,日本海の遡上の復活も,全ての地域でのことではなさそう。9月の雨後には,狩野川の今年の鮎らしくない目印を飛ばす当たりがあって,楽しめた,とのこと。高津川支流の匹見川は,高津川に遡上があってもなぜか,狩野川ほどの大きさの支流であるのに,遡上しないとのこと。匹見川は岩盤底,大石が転がっていて,放流アユの大鮎が対象であった,と。狩野川を含めて,引きが弱いから,と抜くと大鮎で,重量によって糸を切ったことが何回かあった,とのこと。

サイバーさんと松沢さんでおらのアユを鑑定した。側線孔数が4対左右対称であることから,海産であるが,遡上鮎とは,背鰭の形状,体型から違う,海産蓄養ではないか,となった。おらも,さびているが,生殖線の発達がピークに達しているとは思えないのに,引きが弱かったことから,遡上鮎とは思えなかった。

4時を過ぎているのに,狩野川大橋で,3人が釣っていた。1人が釣れて竿を立てて下っていくが,へ地に寄せたときにばれた。帰り支度を終えていた池袋さんは4匹,1匹は腹がぱんぱんに張った雌で,囮に使えなかったとのこと。池袋さんが今年ええ思いをしたのは,桂川で29匹,帰りには手が痛かった,と。桂川の放流が成功した,との話は事実のようである。

今年,遡上鮎が釣れるか,だんだん期待薄となってきたが,池袋さんが12月にもくるかもしれない,というから,おらもがんばらないと。まだ数回は機会がある。

みずのようにさんが天竜川の紫鮎消滅に,「明解友釣り読本」を引用されたので,146ページを開いた。
真っ白な魚体にムラサキの追い星,ヒレは黒と赤が鮮やかな天龍アユは,『1年』にして全く消えた。」(その形状を体現する遺伝子をmー1遺伝子とします)

2年,3年と放流が続き,追い星はほとんど黄色に,自慢のムラサキ色は,首筋に若干残る程度となってしまった。」(m−2遺伝子とします。

おらは,1年とか,数年とかの表現ではなく,減少していった,という表現と思いこんでいた。したがって,何世代にも渡るn年乗の計算であり,最後は感性の問題になるしかないか,と考えていたが,年数が書かれているとなると,算数の問題になる。

m−1遺伝子が,m−1遺伝子を消し去る−m−1遺伝子に1年で交代するには,水中感染して入れ替わるのではなく,生殖行為を媒介として遺伝子は入れ替わるから,湖産が放流された年のアユは,海産と湖産が産卵時期を同じくし,あるいは,産卵時期に重なる部分と重ならない部分があるにしても,湖産と海産の交雑種だけが生き残った,ということとなる。

おらは湖産の産卵時期は,9月中旬から10月中旬頃と考えている。海産は,木枯らし1番が吹く11月1日頃から始まり,12月1杯と考えている。したがって,湖産と海産の交雑が生じる期間はほんのわずかにすぎない。仮に1%としておく。
数年を5年とすると,m−2遺伝子が交雑で消滅するのは,(1+0.01)の5乗−1(複利計算がこのようであったか保証の限りでないが)となり,この数値が1よりも小さいことは,算数に弱いおらでも,カンピュータで判断できる。
よって,紫鮎の特質が遺伝子によるとは考えられない。
高塚さんが湖産と海産の産卵時期が同じ,と観察しているのであれば,別であるが。

アユは海を介して他の川と交流している。
河口に下った仔魚は,河口域から,渚帯,沿岸域と,成長にあわせて回遊している。相模川の鮎は三浦半島の長井にいっている。その先に行っているか,は知らない。
長井まで行っていることが事実であるのは,以前の沖取り海産の採捕場所であったから。現在はその手前の小坪沖で採捕されている。
南にはその距離から考えて酒匂川付近には行き,その先の伊豆半島の東側に行っているかもしれない。そこまで行っていなくても,酒匂川の稚魚は距離的に伊豆半島に行っていると想像できるから,酒匂川を介して,相模川の鮎が伊豆半島の東側のアユと交流していることは想像可能と考える。

天竜川の鮎は浜名湖にも入っている。浜名湖に流れ込んでいる都田川には紫鮎が遡上していたと考え得る。又,距離的に見て,太田川にも,紫鮎が遡上していたと考え得る。
鮎は,鮭,マスと異なり,母川回帰性がない。鮭,鱒は,幼児期等を川で生活するため,その川のアミノ酸を覚えていて,その川に戻ってくる,と,北海道のどこかの報告書に書かれていた。
鮎は,孵化後,1週間ほどで海のプランクトンが食べられないと死滅する。川での生活が赤ん坊の時であるから,母川の記憶は出来ず,母川回帰性はない。

都田川,太田川に遡上していたであろう鮎は,紫鮎で,その鮎は,天竜川の紫鮎の消滅とともに消えたのであろうか。

交雑=遺伝子が紫鮎消滅の原因ではない,というからには,環境が原因である理由を説明する責任がおらに発生することは自覚している。
しかし,天竜川で釣ったことも,紫鮎を見たことも,さらには船明ダムがいつ出来たかも知らないおらが,環境変化を空想することは不可能である。
遡上した天竜川の「追わない鮎」が遺伝子要因=交雑が原因である,と,明解に書いていてくれたら,これへの反論は可能である。しかし,何となく交雑と関係あるような表現となっているので,ミスリーディングを覚悟の上で,交雑が天竜川の追いが悪くなった一因でもある,と,曲解することにする。
そうすると,環境要因と遡上鮎の「追いの悪さ」を語ることが出来る。
その現象は狩野川にも通じるから。

ただし,おらは山が病んでいなかった頃の狩野川を知らない。したがって,語り部は松沢さんになる。
山が病んでいなかった頃,狩野川の水量は,今の倍はあり,立ちこめないところもあった。(相模川に友釣り区を作るための旗振りをしたE爺さんが松下の瀬は大石がゴロゴロしていて隣の釣り人が見えなかった,という話からも推測できる)

山が病んでから,水量が減っただけではない。腐葉土を通してしみ出す水の栄養分がなくなった。その結果,狩野川のコケもかわった
山が病んでいなかった頃のコケは,ダイヤモンドであり,金の塊であるから,アユは体を張って守っていた。2番鮎,3番鮎は,その金塊を虎視眈々と狙っていた。そやから釣り返しが効いた。(松沢さんは,関西弁をしゃべれないが。)

今のコケはすかすかの栄養分のないもの,鉄くずと同じ。欲しかったら,勝手に持っていけ,という価値しかない。(単に大鮎になるのであれば,藍藻が繁茂する富栄養状態が適するが,そのアユは目利きには質の悪いアユと断定される質のアユになる。したがって,アユは,美食家ではないか。)


交雑種の運命と東北での交雑種の確率

Re: No.[48] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2005/11/07 [月曜日] 19:23:12

「アユ種苗の放流の現状と課題」に山形県内水面水産試験場の方が,「湖産アユと海産アユの正逆交雑による仔魚も翌年の遡上稚魚の中に含まれる可能性が非常に低いことも示している。これは海産アユ雌親魚卵が無駄になることになり,湖産由来の仔魚が翌年の資源添加に結びつかないどころか,その河川の海産資源の減耗要因にもなりかねないことが推測される。」
と。

相模原よりも以西の太平洋岸では,海産の産卵時期が11月頃からであることから,この減耗要因は稀少であったと推測できる。しかし,湖産との交雑が大きいと想像する北の方では切実な問題ではなかったか,と推測している。

湖産と海産との交雑は,海の作用によって,人間の叡智の及ばぬところで,遺伝子汚染が避けられたが,今年の継代人工が大量に11月になっても生き残っていることは,海産との交雑を生じる。その結果が人間に認識されるようになるのであろうか,それとも,自然の摂理でまたもや人間の過ちを顕在化させないで解決してくれるのであろうか。

北の交雑種の確率へのみずのようにさんの返信

Re:北のアユ No.[49] [返信]
投稿者:みずのように 投稿時間:2005/11/07 [月曜日] 21:17:03
片岡さん「山形県内水面水産試験場」の推察は納得がいきますね。北の海育ちの雌アユに恋をした琵琶湖産の雄アユの子供も、琵琶湖産の雅た雌アユに横恋慕した素朴な北の雄アユの子供も海から帰ることがなかった。年々繰り返されたら、海産は激減ですね。
人の貧困な知恵は大自然を壊す危険が大きいということですが、些細なことだと考える勢力のほうが多いのでしょうね。

鮎釣師の願いが「本来の鮎釣を楽しみたい」というささやかなことだから、軽んじられてしまいます。

古の山、川、鮎と紫鮎:みずのようにさん

Re:水の色 No.[46] [返信]
投稿者:みずのように 投稿時間:2005/11/06 [日曜日] 14:50:01

山が健康だった頃、川の水量は豊富だった。
流域の水田の昭和後半の基盤整備が行われるまで、川の水量は豊富だった
三面川支流の高根川の水量が極端に減ったのは、流域の水田の基盤整備が始まってからだった
田んぼの基盤整備が終わり小川はコンクリートのU字水路に変わった頃には、水はめっきり減った。
「伏流水の流れを壊してしまったからだ」と私は思う。
この頃高橋オトリ屋のオヤジが「川相が悪くなった」と、嘆いていた

天竜川のアユについて、生き証人がいる。
佐久間ダムが建設される前、海で育ったアユは激流を約200km遡って最上流部まで至った。
生き証人は「兄ちゃんが青年会の頃、たくさんのアイを獲ってきて、囲炉裏でジュージューと焼いて皆で食べていた」
私の80歳を超えた母の証言なのだが、そのアユがムラサキアユであったか否かは解らない。

私は20年前の静岡天竜の水色を見て「この水が独特のアユの色を育むのか」と思った。伊藤さんが本で書いているように「保護色」ということだ。

片岡さんがいわれるように「短期間には遺伝的な特性は変わらない」のは事実でしょう。

高塚さんのいっている「2年,3年と放流が続き,追い星はほとんど黄色に,自慢のムラサキ色は,首筋に若干残る程度となってしまった」ことから、「放流が始まった頃から、海産アユに重大な異変が起きた」と釣師が実感していたという点です。

似たような言質がNet上にありました。
湖産と琵琶湖産 あゆ迷人 【2003/08/01 18:52:18】
(前略)海産と琵琶湖産との交配の件ですが、今年、岩手県を営業で回ったとき釣具店で尚且つ組合長でもある方とお話しすることが出来ました。あちらの河川は惚れ惚れするくらいよい川でしたが、今は、天然遡上がなく放流に頼っているそうです。理由は、かつて、放流事業で補助金が出ていたとき、海からの汲み上げでは、補助金がもらえず、仕方なく追いがよいとされていた琵琶湖のアユを放流したそうです。数年後、あゆは、ぜんぜん遡上しなくなったそうです。9月になると海産アユも東北では、日照条件・水温等で湖産と同時に産卵期を向かえる為でした。一学者の推論から「絶対に海産と湖産は、合体しない」このことで県もこのような指導もしたわけです。自然の摂理を無視したことで、その川に実在していたアユを絶滅させた訳ですから、(以下略)

植物のことで恐縮ですが、西洋タンポポが繁殖を始めると、最初は混在していた日本タンポポは、いつの間にかすっかりなくなります。一方で「開花期が違うから交配しない」の定説は自然交雑によると思われる新しいタンポポが誕生で、覆されます。

人間の場合も、日本ではアイヌが、アメリカではインディアンが勢力を衰退させる一方で、混血はちゃんと存在するというようなことがあります。

西洋タンポポが増えても、同じキク科でも縁の遠いノコンギクなどの野菊が減ることはなく、最も近縁の日本タンポポが最も影響を受けるのは不思議なことです。

「天竜川の海産アユと琵琶湖産のアユは生活をともにできなかった」のではないかなあなどと空想します。

山が病んで、川が病んで、アユが病んで、釣人から本当の楽しみを奪い去ろうとしているわけですね。

片岡さんにおかれましては「何とか、禁漁までに、海産の遡上の鮎美ちゃんに会えるといいですね」

紫鮎消滅は交雑ではなく、環境変化

紫鮎の続き No.[45] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2005/11/06 [日曜日] 08:52:27

交雑=遺伝子が紫鮎消滅の原因ではない,というからには,環境が原因である理由を説明する責任がおらに発生することは自覚している。
しかし,天竜川で釣ったことも,紫鮎を見たことも,さらには船明ダムがいつ出来たかも知らないおらが,環境変化を空想することは不可能である。
遡上した天竜川の「追わない鮎」が遺伝子要因=交雑が原因である,と,明解に書いていてくれたら,これへの反論は可能である。しかし,何となく交雑と関係あるような表現となっているので,ミスリーディングを覚悟の上で,交雑が天竜川の追いが悪くなった一因でもある,と,曲解することにする。
そうすると,環境要因と遡上鮎の「追いの悪さ」を語ることが出来る。
その現象は狩野川にも通じるから。

ただし,おらは山が病んでいなかった頃の狩野川を知らない。したがって,語り部は松沢さんになる。
山が病んでいなかった頃,狩野川の水量は,今の倍はあり,立ちこめないところもあった。(相模川に友釣り区を作るための旗振りをしたE爺さんが松下の瀬は大石がゴロゴロしていて隣の釣り人が見えなかった,という話からも推測できる)

山が病んでから,水量が減っただけではない。腐葉土を通してしみ出す水の栄養分がなくなった。その結果,狩野川のコケもかわった。
山が病んでいなかった頃のコケは,ダイヤモンドであり,金の塊であるから,アユは体を張って守っていた。2番鮎,3番鮎は,その金塊を虎視眈々と狙っていた。そやから釣り返しが効いた。(松沢さんは,関西弁をしゃべれないが。)
今のコケはすかすかの栄養分のないもの,鉄くずと同じ。欲しかったら,勝手に持っていけ,という価値しかない。(単に大鮎になるのであれば,藍藻が繁茂する富栄養状態が適するが,そのアユは目利きには質の悪いアユと断定される質のアユになる。したがって,アユは,美食家ではないか。)

みずのようにさんが引用されている神奈川県水産についての部分につい
ては,次の状況です。
      ショットガンによる採捕量
           人工     海産     湖産
早川       
00年5月       0      34    17
00年8月       1      64     8
00年9月       5      47    23
00年11月      2      31    33
00年12月      0      22    22

01年5月       35     136    2
01年7月       2      127   56
01年8月       7      220   82
01年9月       0      50    16
01年10月      0      52     7
01年11月      1      58     7
01年12月      0      38     1

酒匂川下流
99年6月       1      1      23
99年8月       0      6      30
99年10月      0      16     11
00年5月       1      86     53
00年7月       0      52     28
00年9月       0      36      3
00年11月      2      77     13

01年6月       0      38      1
01年7月       0      78     58
01年8月       0      39     11
01年9月       0      33     11
01年10月      1      46      5
01年11月      0      73      4

識別方法は,鱗数を使用しています。
早川は,湯本の温泉街のネオン等が電照効果を持っているため,性成熟に乱れが生じていると考えています。
そのため,流下仔魚量調査において,交雑が推測された仔魚が混入していたことも事実であるとおらも判断しています。しかし,その仔魚が海で生存できたか,は,別の問題です。
それでも,00年の11月,12月の湖産数値は異常です。それ以前よりも大きく増加した理由は何か。海産は,縮小再生産のアユ資源の常識どおり月を経るごとに減少しています。又,01年の早川でも月を経るごとに減少しています。その数も01年の8,9月では,00年を上回っているのに,00年の11,12月の数量よりも少ない数量です。
なぜですか。常識派のおらには理解できません。
その他の引用について,釣り人としてはおかしいと感じる箇所もありますが。           
作成日 05/11/06(日) 08:38 JST 片岡 一郎

   注:現在は、「湖産」しか放流していない、との漁協のいわれたことを「事実」とされて、海産や人工がブレンドされていたことが10月、11月の「湖産」とさ      れる種苗の調査結果と判断しているー「昭和のあゆみちゃん」「故松沢さんの思い出」


Re: No.[47] [返信]
投稿者:みずのように 投稿時間:2005/11/06 [日曜日] 15:09:45
早川のアユは人工光で、日長の変化を正しく感受できず、性成熟に乱れが生じているのですか。(夜遊びもするのかな?)
引用文を支持してるわけではなく「定説に対する異論も有りますなあ」といった感じです。

願いは「海産の鮎美ちゃんに遊んでもらいたい」です


11月3日  狩野川

黄昏の狩野川その3 No.[42] [返信]
投稿者:ayuayu16@jcom.home.ne.jp 投稿時間:2005/11/03 [木曜日] 22:43:58

11月3日,相模川の仲間が青木の瀬に釣りに来ていた。チャラで囮取りをして,狩野川大橋付近の瀬で釣り,午後は,狩野川公園前のトロ瀬で釣る,と。おらもそのようにするが,ちゃらで釣れず,囮にいつまで働かせるんや,乙姫様に言いつけてやる,と怒られることになる。

よって,鮎の見えるチャラをあきらめ,城山下石コロガシの瀬脇を左岸から釣る。瀬脇であれば,過労死をさせなくてすむはず。
水温13度。昨日は11度であったが,どんどん上がったとのこと。
22cm,20cmを丁寧に引き寄せで取り込む。人工なら26cmが出ているが,海産は20cmほど,との話から,慎重にすることはないが,バレ太郎を返上したい。しかも,7.5号のはりが品切れで,8号を使うと蹴られ,7号にしたことも影響している。馬力が弱いから,ハリスが切れることはないが,ばれの懸念はあった。

昼,淵に流れ込む1本瀬を釣った大宮人,足立人が,昨日,10匹以上を去年の丼大王が釣ったため,1匹しか釣れなかった,と。ばれはその人たちもやらかしたと聞いて,ばれのなかったおらは少し優越感を味わった。

午後,石コロガシの瀬の瀬尻で1匹,瀬で1匹。
松沢さんの鑑定に持ち込む。おらは,下顎側線孔数から,1匹が海産,と判定したが,松沢さんも同じであった。
ということは,まだ継代人工がいる。産卵後13カ月+半月ほど経過しての産卵となる。石は綺麗。
継代人工は産卵時期が年々早くなると同時に,性成熟は川に放流されると,年々遅くなっていくのであろうか。全然理屈になっていないが。

大宮人が飛騨川の木曽福島上流に今年は九州ダム湖産が放流されたため,久し振りにええ鮎が釣れたとのこと。

「鮎釣りをやってみよう」の伊藤さんがすごい,と思う理由
3 「養殖池で何代も世代交代した人工産鮎については,(山形県のF1方式と違って再生産が)未だ未確認だそうです」
村田さんが,相模川の遡上鮎は人工が親である,と書かれている。
99年までに相模川に放流された人工は,20代以上の継代を重ねた県内水面試験場生産の人工と,その他はどこかから購入したもの。11月5日前後にピークを形成している流下仔魚の親が継代人工と想像している。
2000年からは沖取り海産が義務放流量の主流になったため,04年までは継代人工の放流量は減り,解禁日対策と,一部の場所だけに放流されていたと推定している。
継代人工が遡上鮎になりうるということにおらは同意できない。
継代人工の仔魚は海水で生きられるか,海水温が高くても生きられるか,の説明がいると考える。

天竜川の紫鮎について
95年から99年までの「最先端の鮎釣り」の目次には紫鮎の消滅が人工が放流された時期と同じで,人工との交雑が原因,という記載は見あたらなかった。別の雑誌かもしれないので,後日調べます。
それ以前に高塚さんが湖産との交雑が紫鮎の消滅,と書いていたことは知りませんでした。

海産と湖産との交雑については,
「アイソザム分析に用いるための供試魚については鼠が関川及び日向川で採捕した」
「アイソザイム分析に用いたアユの供試尾数は」日向川が97年246,98年421,99年189,鼠が関川が99年366,00年101,01年261,計1584匹。
結論「遡上鮎は海産集団の特徴を保っており,湖産鮎由来の稚魚の混入の可能性は低いものと考えられる。」
「又,毎年遺伝子頻度に変化が認められないことは,湖産アユ雌雄の交配による仔魚のみならず,湖産鮎と海産鮎の正逆交雑による仔魚も翌年の遡上稚魚の中に含まれる可能性が非常に低いことも示している。」
(アユ種苗放流の現状と課題:全国内水面漁業組合連合会発行)

ということで,湖産との交雑,人工との交雑,のどちらが正しいのでしょうか。007は2度死ぬ,と同じとは考えられませんが。

交雑種の可能性:みずのようにさん

Re:恋は成就 No.[43] [返信]
投稿者:みずのように 投稿時間:2005/11/04 [金曜日] 09:38:46
狩野川には「諦めのつかない方々が、寒さに震えながら」熱く燃えているのですね(やや妬ましい)。

さて、海産の鮎美ちゃんと琵琶湖産(放流)の彼の恋ですが、成就する可能性はあるようです。

要約
1.1975年:天竜川の義務開始(恋は成就しないが定説)
2.1995年:アユの耳石縁辺部を観察による分類の可能性を発見
(岐阜県淡水魚研究所)

1995年から2004年まで、河川環境悪化のスピードより、ゆっくりとしたスピードで研究は進んだ

3.2004年:交雑個体が存在する可能性も認められ、その由来は河川における陸封型と両側回遊型の無作為交雑によるものと考えられた。(岐阜県淡水魚研究所)
4.12月13日でも全体の半数以上琵琶湖産種苗が生存し、産卵に参加しているのが確認された。このことは自然界でも海産種苗と琵琶湖産系種苗が交雑する可能性があることを示しており・・・
(神奈川県水産技術センター内水面試験場)

ということで「海産の鮎美ちゃんと琵琶湖産(放流)の彼の恋は、成就する可能性が高い」ということになります。

以下長々と引用
岐阜県河川環境研究所(岐阜県淡水魚研究所)
http://www.cc.rd.pref.gifu.jp/fish/FLAME01.HTM
アユに関する研究
県の魚に指定されているアユは、本県の河川漁業の対象としても遊漁の対象としても、最も重要な魚種であり、県内各漁業協同組合、遊漁者ともに強いニーズがあります。しかしながら、近年では河川での漁獲量の減少が問題になっています。淡水魚研究所ではこれらの諸問題を克服するため、アユの効果的な放流方法、天然資源の維持、増殖方法について研究しています。
○アユの遺伝的多様性保全に関する研究
 天然アユの資源に与える悪影響の1つとして、遺伝的に遠縁なものや、多様性の消失した放流種苗との交配が問題となっています。これらは、近年のアユ漁不振の1要因としても取り上げられているため、県内河川においてその現状を把握します。
○環境調和型アユ増殖手法開発研究
近年、アユ漁の不振とともに場所ムラの激しさが問題となっており、この要因の1つとして、河川内における付着藻類増加速度の差が指摘されています。このため、物理的、化学的環境が似ており、アユの密度差が認められるポイントにおいて付着藻類の増加速度を調査するとともに、その原因を究明します。
○環境調和型アユ増殖手法開発研究 (漁業がアユ資源に与える影響の解明)
産卵期に降下するアユをとらえる漁法(ヤナ、瀬張り網等)は、大量の(産卵)親魚を漁獲するため天然資源に影響を与えている可能性があります。また、天然資源に悪影響を及ぼす要因として遺伝的に遠縁なものや、多様性の消失した集団との交配が考えられます。
 そのため、それら漁法によりどの程度の数量が漁獲され、また、上流域中心の放流魚(琵琶湖産系)がどの程度下流まで降下し、どの程度の割合で漁獲されてくるかを把握するため、長良川上中流域の郡上漁業協同組合管内の4統のヤナで採捕されたアユをアイソザイム分析により由来別(海産系又は琵琶湖産系)の割合を推定します。また、各ヤナの漁獲数量を把握し、漁獲魚に対する海産系の割合を推定します。さらに、友釣り解禁後の琵琶湖産系アユの動向も調査するため、友釣り採捕魚の混合率の推移も調査します。

岐水試研報 No.42(1997)要  約
1.天然アユ資源の増殖の方策を検討するために、長良川において時期別に天然遡上アユを採捕し、耳石の日齢査定からふ化時期を調査した。
2.長良川で1995年4月4日から5月8日の間に採捕された天然遡上アユの孵化時期は、9月14日〜11月30の範囲と推定された。
3.長良川に天然遡上するアユは、ふ化日が早く、成長率が良く、被鱗体長の大きなものほど早く遡上してくると推察された。
4.木曽三川において、アユの産卵保護のための禁漁期間及び区間の延長を行うことが、天然アユ資源を増大させる積極的な方策と考えられる。
5.天然遡上アユ、琵琶湖産アユ及び人工産アユの耳石縁辺部を観察し、確認された形状を4種類に分け、各群の縁辺部のType別の割合について検討した。
6.(財)岐阜県魚苗センター産の人工産アユの耳石縁辺部の形態で天然遡上アユと判別できる可能性が示唆された。

岐水試研報 No.49(2004)
○長良川で採集した仔アユ内における陸封型の混合率と交雑個体   要  約
1.主にマイクロサテライトDNAを用いた手法により、長良川で採集した仔アユ内における陸封型の混合率と交雑個体の存在について評価した。
2.仔アユは2001年9月27日から11月8日の間に合計4回採集したが、本報では9月27日のものについてのみ、その評価を行った。
3.9月27日の仔アユには陸封型の混入(混合率0.635)が認められた。また、交雑個体が存在する可能性も認められ、その由来は河川における陸封型と両側回遊型の無作為交雑によるものと考えられた。

神奈川県水産技術センター内水面試験場
http://www.agri.pref.kanagawa.jp/suisoken/naisui/n_index.as
p
早川では、12月13日でも全体の半数以上琵琶湖産種苗が生存し、産卵に参加しているのが確認された。このことは自然界でも海産種苗と琵琶湖産系種苗が交雑する可能性があることを示しており、放流種苗に海域での再生産を期待する河川では、琵琶湖産系種苗の放流に注意が必要である。


狩野川の黄昏=植田組合長の放流方針に反対する   (これまでの「狩野川の黄昏」は、10月下旬以降の「あゆみちゃん遍歴賦」を見てください)

黄昏の狩野川おわりの1 No.[60] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2005/11/23 [水曜日] 09:00:55
植田組合長の放流方針反対の理由
「狩野川は現在でも天然遡上が相当数あります。ところが,天然アユが本格的に追い出すのは,実のところ,7月に入ってから。それまでは,放流アユでつないでいかないとダメなんです。
そうしないと,『釣れない!』という噂が立ってしまって,釣り人が来てくれなくなる。」(アユの友釣り最先端2005)

そのため,05年の放流は「逆算式放流計画」を行い
「初日の3月30日は海産人工1000kgで,10g以下の稚アユが約12万尾。続いて4月2〜3日の2日間は14〜15gの九州ダム湖産を2000kg,約15万尾。
4月6日には琵琶湖産500kg,小型サイズで約7万尾を行いましたが,もし冷水病が発生しても被害を最小限に食い止められるように,下流域の大門橋〜千歳橋間に放しました。4月期の最終放流は4月14日,10g前後の海産を1100kg行いました。5月に入ってからは1〜2日の両日に九州ダム湖産3000kg,さらに解禁直前には海産1000kg,解禁後にも海産2000kg予定しています。」
  (「釣り人」05年7月号から)

この記述が事実かどうかはおらには判断できない。
しかし,事実と想定した上で,事実でない表現を感じる。

1 九州ダム湖産

九州ダム湖産は,那珂川にも04年,05年(それ以前のことは不知)に放流された。その姿,領土の縄張り形成は湖産と同様のものと感じていた。
しかし,狩野川のは,冷水病持ち,また,群れていて「眼を飛ばした」といって突っかかる鮎美ちゃんの「風下」にもおけないアユであった。
畳1畳ほどのところで釣れる人は釣れ,それ以外の場所では釣れない。
おかしい,と感じていた。
高松さんが,九州ダム湖産を親とする人工,といわれて,納得できた。
どうも同じところの人工は,酒匂川でも放流されたのではないか,と想像している。産地が同じであるから。

人工,継代人工,と,海産蓄養,遡上鮎,湖産あるいは九州ダム湖産の稚魚放流は,全く別のものとして区別すべきであるのに,同一に扱っていることは間違っていると確信している。
「おれたちの鮎釣り」で,KIKUさんが継代人工は別種の鮎と書かれたが,そのとおりと考える。

2 次に,海産との表示

駿河湾で海産が採捕されたのは,興津川よりも以西との高松さんの話は,狩野川,興津川での遡上が僅少であったこと,藁科川,大井川で海産が釣りの対象となっていたことからも,事実であると推定できる。
3月30日は,「海産人工」と表示し,その後は「海産」とだけ表示して,あたかも海産が放流されているようにミスリーディングさせようとするレトリックではないか,と邪推している。
もし,本物の海産であるならば,どこから入手したのであろうか。浜名湖か。

3  放流アユの氏素性

九州ダム湖産は,冷水病に感染していないことから,評判がよくなり,高価であるはず。植田さんが講習会で,狩野川漁協は貧乏,といわれていたが,入漁料収入だけで,ダム補償のない漁協に買える品物ではないと想像している。
同様に海産稚魚も他の川に売れるほど,採捕されている地域はないはず。大量遡上があった04年の相模川漁連では他に海産稚魚を回した,という話はあるが。

ということで,放流されたのは,湖産はわからないが,海産,九州ダム湖産とも,人工又は継代人工と推測している。釣れていた鮎からもそのように推定できる。
したがって「汲み上げ放流した海産」との表現は事実でないと判断している。
又,「自力で遡上してきた天然アユも4月25日現在,2g級の個体を2500kg,約150万尾確認しています。」との記述も事実でないと確信している。(理由は後日)


Re: No.[61] [返信]
投稿者:みずのように 投稿時間:2005/11/23 [水曜日] 19:17:37
ミスリーディングとかレトリックとかは嘘ではないけれど真実ではないということですね。

天竜川漁業協同組合(長野県上伊那地区)
平成17年鮎放流明細表
 放流量 5,380kg 610,400尾
 人工鮎(県産及び他県産)2,890kg 湖産鮎2,490kg
 (放流場所別の明細表示有り)
ここの鮎の引きは天下一品(私の経験範囲)
人工か湖産かはわからないが、運良くハリスを切られなければ、スリリングな遣り取りが楽しめる。
最初から話がそれていました。

狩野川漁協が良い稚鮎をたくさん放流して、釣り人を楽しませようという計画は「是」でしょう。
様々な種類の稚鮎を放流して、リスクを軽減しようと考えるのは「認」でしょうか?
天然遡上が本来生態の川に様々な血統を放つのは「疑」です。

狩野川の取り組みと宣伝も、釣り人に認められる結果でなければいけません。
結果が出るのは早いのではないでしょうか。
たくさん放流しても、150万尾の遡上があっても楽しい釣りができなければ「絵に描いた餅」でしょう。

竿の「ミスリーディングとかレトリック」とかは、見抜くのは難しくても、良い釣りであったかどうかは、私でも解る。


無題 No.[59] [返信]
投稿者:みずのように 投稿時間:2005/11/22 [火曜日] 23:41:23
シーズンに「30日も鮎釣に呆けてみたい」と、鮎釣初心の頃からの願いですが、せいぜい15〜20日です。
片岡相模之守に妬けます。

相模殿の「おらに、来年の保証はない」は説得力の言草です。
年に関係なく「鬼が笑う」と言うことですが、老いも若きも「来年こそは」と思う。

鮎姫様も「来年こそは」の期待に応えてくれ、婿殿は生涯唯一の、射精と相成り大往生、かな。


11月20日  狩野川

黄昏の狩野川その8 No.[57] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2005/11/20 [日曜日] 21:04:07
11月20日。水温11度。
狩野川大橋上下は釣り人なく,その上流のチャラに2人,手ぶらの東京人はどこにはいるのか。
石コロガシの瀬。瀬脇から瀬尻へとつり下がるが釣れず。1本瀬で釣れなかった大宮人が右岸に,足立人が左岸瀬にはいる。ともに釣れず。
珍しく,大宮人が瀬尻トロにいく。それで,おらは瀬脇をはずさないように釣りのぼっていく。18cm。又,出家が出来なくなった。

午後,1本瀬にいく。大宮人も足立人もめでたく出家して帰っていく。
沖に走り,無理をせずに淵に誘導し,時間をかけて取り込んだ23cm。これで満足してもよいが,時間はたっぷりある。
2時10分すぎ,先程よりも引きは強い。とは言え,7号の針でなければ,沖に走られても,引き寄せ可能。が,去年の丼大王改めバレ太郎のようにはなりたくない。2時20分,淵に誘導して取り込んだ24.6cm,110グラム。気持ちよく,引き上げた。

松沢さんは,海産であるものの,遡上鮎とは断定できない,と。おらも,生殖線がピークに達していない割には,引きが弱い,背鰭の尻尾側が相対的に長すぎる,よって,遡上鮎とは言えないと感じた。しかし,大鮎に記帳してもらった。来年の解禁日に,大宮人と足立人に自慢できる。とは言え,来年があるかどうかは,神のみぞ知る年頃。
3匹とも雌で,釣れたときは白かったが,絞めると黒くなった。
いかなる氏素性の海産蓄養であろうか。

3時過ぎであるのに,狩野川大橋周辺には釣り人なし。釣れなかったか,と思ったが,店じまいをしていた囮屋さんが,東京人が3,湘南さんが8,3,0匹とのこと。
お日さんが雲に隠れると,手がちじこまり,風が冷たかったから,みなさん早じまいをしたのであろう。

植田商法の御利益に与ることもなく,夜逃げをしなくてもすんだものの,釣り人が少ないにも係わらず,毎日出勤し,おらが戻るまで寒いテントで過ごしていた松沢さんにさようならをいって,踊り子号の車内でカップ酒を飲んで帰りました。

「アユ種苗の放流の現状と課題」の提言の項
1 堰堤等の河川構築物によって,鮎の遡上,降下が妨げられている河川
 このような条件の河川では,漁業協同組合員,遊魚者のニーズ,漁獲形態(友釣り,餌釣り,網魚)の違い,漁場環境(水温,流量,河床構造など)などによって,早期放流,晩期放流,二次放流と湖産,海産,人工産継代種苗を様々に組み合わせて漁場の活用を図っていくこととなる。(以下省略)

2 毎年海産アユが遡上し,かつ毎年産卵が行われ,再生産が行われている河川
 このような河川では,地先産海産アユ資源の保全,増殖を図り,それを有効利用することが前提となるが,‥‥。このような河川においては,‥‥海産資源に影響のあると考えられる種苗の放流を避けるべきであろう。河川構築物周辺に溜まった遡上稚アユの上流への汲み上げ放流,その河川の産卵親魚(親魚数が十分に多いことが条件)からの人工種苗の放流にとどめ,親魚・卵の放流,産卵場の造成,禁漁期間の適切な設定,漁具・漁法の制限,産卵用人工河川,魚道の設定,沿岸域の環境保全などにより,一層,産卵及び,仔稚魚の保護をめざし,資源の維
持増殖していくことが肝要である。
(全国内水面漁業協同組合発行:206ページ)

植田商法は,海とつながり,再生産が可能な狩野川での鮎放流を,堰堤等の河川構築物によって鮎の遡上,降下が妨げられている河川と同じ放流手法を行っている。
おらも,松沢さんも植田商法に反対する。その理由は後日。


狩野川の黄昏へのみずのようにさんの感想:2

Re「:さよなら」を言ったの? No.[58] [返信]
投稿者:みずのように 投稿時間:2005/11/20 [日曜日] 21:28:59
24.6cmでしたか?「でかいですね」
「私だったら30cm位のが釣れた。ちゃんと計ったらもう少し小さかったかもしれない」と書きます。

松沢さんに会いに行きたくなってきました。
”夜逃げ”の危機もあるような状況ですか?

植田商法は狩野川漁協の最後の選択だったのでしょうが、変な放流をしないで5年、10年待って、
鮎が居ことを確かめてからの札でしょうか?

日本海の小さな河川に天然遡上があるらしいです。
「今年は良かった」
「来年の補償は、何もない」(おら様と同じかな)

引きの良さは天竜川上流です。
1号のハリスを簡単に切っていきます。


11月18日  狩野川

黄昏の狩野川その7 No.[54] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2005/11/18 [金曜日] 21:07:20
11月18日,城山下。
狩野川大橋のところでは1人が左岸河原からへ地よりを釣っていた。昨日,丼大王は2匹,13日に15匹釣った常連は,その時と同じく,石コロガシの瀬にはいったものの,釣れず,立ち込んで左岸瀬脇を釣って5匹とのこと。
石は汚れてきた。継代人工は11月上旬に,そして,どこの海産蓄養かわからないものも相当下った模様。鵜は下流の松原橋付近で100羽以上が漁業に励んでいるとのこと。

瀬の石は13日にも汚れていたが,今日は一層汚くなっている。最も,遡上鮎は,この時期,石の上の方ではなく,底の方をなめるとのことであるから,遡上鮎がおれば,必ずしも,ハミ跡がない,とはいえないが。
へ地,チャラの汚れた石にはくっきりとハミ跡が見える石もある。

水温11度。遡上鮎がいないから,出家して,煩悩を断ち切り,清い生活に戻れるかもしれない。そして,三島で,でんでんやごちの魚で,酒を飲んで三途の川に近づくことになろう。
0.8号のハリスはすでになく,丼大王同様,1号以上のハリスを使わざるを得ない。

石コロガシの瀬,瀬脇を釣るも釣れず。瀬尻に下る。何と釣れてしまった。
22cm,下顎側線孔数左右対象4対,背鰭は頭側が長く。尻側が短い。もしや遡上もの?。松沢さんは肩から口にかけての線が撫で肩であるから,遡上ものであろうと。今年始めて狩野川で遡上鮎が釣れたことにしておこう。

午後,朝帰りの口実がなくなり,1本瀬が淵に流れ込むところにはいる。淵はかっての石底から,砂底にかわり,1筋だけ石がある。そこで20cm牡。海産蓄養か遡上鮎か。
ばれが1.

伊藤「囮を追った野アユがハリに掛かるときは,直接ハリにふれて掛かる場合もありますが,だいたいはハリスにさわり,その反動でハリが魚体にからみついてハリ立ちします。したがって,ハリスは柔らかいほどよいことになります。」
松沢さんが長良川に出稼ぎに始めて行った頃,既に長良川の漁師は,錨ハリを使っていたとのこと。そのハリは,馬素等堅いハリスにまいてあったので,蛇の目傘のようであった,と。
その中に松沢さんがふにゃふにゃのハリスのチラシを持ち込んだ。そんなハリでは釣れン,といわれた。ところが大漁であったことから,長良川の漁師が1升ビンを持って,夜やってきたとのこと。

松沢さんの仕掛け。
ハリスは子供が釣りに使うナイロンが一番しなやかで,囮取りをするときは0.3号,その後は0.8号を使った,と。
ハリスは,鼻管上の中ハリスに何カ所か結び目をつくり,そこに囮の大きさに合わせてハリスをチチワで結ぶ。したがってハリスの長さは25cm以上になる。
ハリスに固定式の逆さ針を付け,囮が大きいときは尻尾に近いところに皮をすくうように打っていた。

おらは0.8号で鼻管上にチチワで結び,自動ハリス止めを使うことを考えている。大宮人のお父さんは,木曽川で逆さ針を付けない吹き流しで釣っていたとのことであるが,今時,吹き流しで釣れる川はなかろうから,自動ハリス止めを使わざるをえない。
しかし,そこに掛かったときの力が掛かれば,ハリス切れ確実。
さあ,どうすれば,大井川の鮎美ちゃんのハーレムを形成できるか。


Re:0.8号で鼻管上にチチワ結び No.[56] [返信]
投稿者:みずのように 投稿時間:2005/11/20 [日曜日] 19:56:20
寒そうな釣りですが、心は熱そうです。
1号のハリスは太いですか?
ハリスは流れと平行だから太さは気にならないですが。

私の釣歴では「自動ハリス止め」を使う意外にないのですが、天竜川の上流では1.2号も簡単に切られます。
0.8号だったら、2回に1回は切られてしまいます。
だから、「自動ハリス止め」なしの仕掛けを考案中です。
鮎釣を始めた頃は逆針と錨が一体の針仕掛けでしたが、あれがいいかもしれません。

さて「0.8号で鼻管上にチチワ結び」はどんな効果ですか?
来年の「大井川の鮎美ちゃんのハーレムを形成」の工夫ですか?
いいですね

狩野川の黄昏へのみずのようにさんの感想:1

物語が見えてきた No.[55] [返信]
投稿者:みずのように 投稿時間:2005/11/19 [土曜日] 06:14:08
「黄昏の7」にいたり、オラ様の鮎釣の源流が半端でないことが見えてきました。
しかし「初期釣行記不明」と「中抜け」があり、物語の流れがつながりません。
↓の一覧表の状態では「愛読者としては納得がいかない」

オラ様の場合
「盛んに釣れている人のこと」も気になるし
「同行の長老のつ抜け」も気にはなるが
鮎美ちゃんとの逢瀬に一途な気持ちで・・・
(ストーカーのようでもあるが・・・)

読者を代表して
「初期釣行記不明」と「中抜け」を埋めていただくことを
強く要望します。

月日 お題 川名
(初期釣行記不明)
7月30日 またも大井川悲恋 大井川
7月31日 またも大井川悲恋(次の日) 大井川
8月6日 那珂川大漁 那珂川
8月7日 那珂川大漁(次の日) 那珂川
8月10日 那珂川3回目 那珂川
8月11日 那珂川3回目(次の日) 那珂川
(この間不明)
9月22日 本物と人工 冨士川
9月23日 本物と人工 大井川
9月30日 海産鮎美ちゃん 大井川
10月7日 忍ぶ恋よりも生身の鮎美ちゃん 大井川
10月8日 忍ぶ恋よりも生身の鮎美ちゃん(次の日) 大井川
10月10日 相模川の大鮎 相模川
10月12日 相模川の大鮎2 相模川
10月14日 大井川の鮎美ちゃんさようなら 大井川
10月15日 大井川の鮎美ちゃんさようなら(次の日) 大井川
10月22日 黄昏の狩野川は? 狩野川
10月30日 黄昏の狩野川その2 狩野川
11月3日 黄昏の狩野川その3 狩野川
11月5日 黄昏の狩野川その4 狩野川
11月11日 黄昏の狩野川(その5) 狩野川
11月13日 黄昏の狩野川その6 狩野川
11月18日 黄昏の狩野川その7 狩野川

思い起こせば、8月6日「那珂川大漁」のカキコ
「皆が釣れなければ気にしないが、今回は気にする」の行に惹かれて、遡り、シャネルの5番の鮎美ちゃんの大井川を読み、その後を楽しみにしていた矢先の「俺アユ閉鎖」
魚卵さんの好意でオラ様に連絡がとれ、急遽「おら鮎」開幕
11月初旬の鮎釣に、人事ながら「あきれ」
11月18日(私の母の日)の鮎釣に至り
「一途な恋」に敬服してます。

早朝に、人様の釣行記録の一覧表を作成し
オラ様にリクエストを書くオラもまた
「一途な気持ちを持つストーカーまがい人間であろうか」

   注:みずのようにさんから、中抜けを埋めるように、と依頼されましたが、その原稿の写しを     とっていないため、できませんでした。


11月13日  狩野川

黄昏の狩野川その6 No.[51] [返信]
投稿者:無記名 投稿時間:2005/11/13 [日曜日] 19:51:15
11月13日。8時過ぎ,狩野川大橋の瀬で,釣れて,竿を立てて下り,取り込んでいる人がいた。
それなのに,城山下松沢さんのテントでは,常連さん達が解禁日でもないのに,1生ビンを開けている。遡上があれば見ることのない光景である。

午前,水温13度。石コロガシの瀬にはいる。すぐに20cm,次いで同じクラス。右岸で釣っている常連さんは釣り下っていく。
そのあとに,1本瀬で釣っていたが,他の人は釣れたのに,釣れないから,とやってきた常連さんの1人がおらのトイメンにはいる。すぐに2匹。2匹目はへ地に寄せて,すくい込んでいた。おらも釣れていたから余裕で眺める。しかし,おらがけれれているのにその人が3匹目を釣ると,穏やかではない。その人は3時で上がったが15匹。

1本瀬で3匹釣った丼大王がやってきた。しかし,今日は蹴られ与三郎で,石コロガシでは釣れず。
丼大王が釣っているところまで,へ地を鮎美ちゃんに引きずられて取り込んだ23cm,計4匹。

1本瀬で,6号の針を使った大宮人が4,練馬人が5,藪下のきらきら見える鮎美ちゃんを追いかけた相模さんは1匹で,朝帰り。

午後。午前も午後も釣れることはない,と,大宮人も練馬人も熟知しているのに,帰らない。おらも,三島で酒を飲む覚悟できたのに,釣れたから,鮎美ちゃんのサービスをするから,延長してよ,に逆らえず午後も釣ることになった。
案の定,釣れず。3時近くに瀬で1匹。
大宮人と練馬人はまだ釣っていた。

青木の瀬では25cmが釣れた,と,東京からクーラーも持たずに来た人が。

丼大王と松沢さんの鑑定の結果,下顎側線孔数から海産であるが,背鰭や尻尾等から見て,遡上鮎とはいえない,となった。
もう,人工はいなくなったかもしれないが。
石はそれほど汚れていない。

今年は鵜を数羽見ただけであるから,数が減ったのか,と思っていた。
しかし,偵察隊が来て,鵜の目鷹の目で,放流ものがたむろしているのを探し,見つけると携帯電話で,本部に連絡している。大将は,1班は下流側,2班は上流側を固めよ,3班,4班は突撃し,腹が一杯になったら,1班,2班と交代せよ。出撃は明朝5時。ということで,50羽,100羽が1羽乱れぬ団体行動をとり,漁協に感謝して,飛び去っていくとのこと。


Re:黄昏て No.[53] [返信]
投稿者:みずのように 投稿時間:2005/11/17 [木曜日] 20:57:16
この続きの鮎釣と、
三島女郎衆との遊びの顛末を聞きたい

朝から松沢さんのテントで一升瓶を抱えさせたら「自信あり」の私です
屋外で飲む酒は「なぜか旨い」

狩野川の黄昏:海産産卵時期

黄昏の狩野川おわりの3 No.[64] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2005/12/12 [月曜日] 15:54:09
海産産卵時期について
相模川以西の海産の産卵時期については,11月以降と推定している。
しかし,このことが釣り人だけでなく,研究者でも常識でないことがわかった。

経緯
 「天然アユを川にたくさん遡上させるための手引き」(全国内水面漁業協同組合連合会発行)
相模川の遡上アユについて,「耳石輪紋数から遡上魚のふ化日を推定すると,10月下旬から11月上旬にピークが見られ,アユ仔魚の降下時期と一致していた。」
この報告書が発行される前に,神奈川県内水面水産研究所の報告書で,92年から96年の相模川の流下仔魚量調査結果は公表されていて,おらは,10月中旬にピークを形成している仔魚の親は湖産,11月中旬にピークを形成している仔魚の親は海産,ということが当然の了解事項であると思っていた。
ところが,10月の仔魚が耳石調査から海産と判断されていてビックリした。
耳石調査が川で採捕されたアユについて行われたのであれば,放流された湖産等のアユのふ化日と間違えた,と推定できるが,沖取り海産を対象とした,とのことであるから,一層ビックリした。
しかし,釣り人の経験から,事実ではないと確信していたから,試験場に理由を書いて異議を申し立てた。

その時に付けた資料
「続狩野川の不思議」(鮎釣り’91  鈴木啓二著)
狩野川のアユを北里大学水産学部に送ってもらい,生殖腺重量を体重で割った生殖腺体重比で成熟状況を調べたものである。この結果,狩野川のアユは11月,12月に産卵することが推定されている。
また,伊藤「産卵期は採卵から1年後」ということは自然界でも通用するのではないか。その事例として,89年,狩野川のアユを砂鉄川に放流した。その結果は,縛れる中でも美白が釣れた。(その報告が「鮎釣り’90にでているはずであるが見つからない。鈴木先生の「釣りシーズンが2カ月延びたとの話である」の記述で我慢する)
このことから,性成熟,生殖腺重量比のピーク,産卵時期は川の水温変化ではなく,産卵からの日数が,その目安としては産卵から12カ月,と推定してよかろう。

湖産の産卵時期が10月1日前後2,3週間,したがって,流下仔魚量のピークが観察されるのは10月中旬頃であるとのおらの釣り人の経験に基づく推測は省略。

試験場の研究発表会の場で,おらに声をかける研究員がいた。その人から,「アユ種苗の現状と課題」が発行されること,また,おらが送った「続狩野川の不思議」が大切にファイルをされているといわれた。
鈴木先生も晩熟型のアユは狩野川の特異現象と書かれている。しかし,「四国や九州にもいるかもしれない」とも書かれている。
植田さんは,講演会で狩野川の特異現象と説明されていた。しかし,村田さんが11,12月に南紀で友釣りをしていることがわかって,狩野川の特異現象ではないことに確信を持った。

相模川「漁連だより」:平成15年4月1日発行に,試験場の研究員が,平成13年相模川で採捕したアユを鱗数で海産と判別して,その排卵結果を報告している。
海産の排卵は,10月末から始まっている。
そして,平成13年に腰越漁港で採捕された海産稚アユを養成し,秋に採卵・孵化した人工種苗と同じ時期になった,よって,「2代程度の継代飼育による成熟期のずれはないと考えられた」
なお,相模川に放流されている種苗の1つである25代目の排卵ピークは9月中旬である,と。

東レフィッシング鮎名人へのQAでも,岩淵研究員は,「手引き」の神奈川県水産試験場の10月中旬の流下仔魚が海産であるとの判断は間違っていない,との回答をされた。おらは,試験場に送ったのと同じ理由:釣り人の経験から,10月中旬の流下仔魚の親が湖産である,と,
異議を唱え,回答担当者の和気さんには,試験場に送った資料,及び,
試験場の性成熟調査結果を送付したが,まだ回答はない。

00年から04年まで,相模川の遡上量が多く,また,沖取り海産も取れたから,その沖取り海産の耳石調査結果がでれば,すっきりするのであるが,まだ調査結果はでていないとのこと。
その理由は,耳石調査を行うためには研磨作業が必要で,その作業が非常に大変とのこと。
そうすると,研磨作業の出来具合で,日齢の判定に誤差を生じることになるのではないかと推測している。

さて,狩野川に放流された「海産」と表示されているのはいかなる種苗であろうか。
おらは継代人工と想定していたが,それでは,11月になっても産卵していないことが説明できない。植田組合長の「狩野川河口で汲み上げた海産」の記述は事実ではない,と疑っている。
9月,出水後の1本瀬で丼大王が大漁であったとのこと。上流に放流されたのが流されてきて,1本瀬付近に溜まったからとのこと。
そのアユは人工らしくなく,鱗も細かかったとのこと。
そうすると,海産2代目ではないか,と想像している。
植田組合長は,海産は4月14日に10グラムが放流された,と書かれている。その大きさに海産がなっているのであろうか。
また,中津川漁協のアユ放流情報に,4月15日に海産8〜12cmとの記述がある。この海産は,相模川漁連が仕入れたもので,沖取り海産ではなく,ある産地の養魚場から来たものといわれている。そして,この産卵時期も11月1日頃であったと推定している。
よって,狩野川に放流された「海産」も2代目方式の海産ではないか。

04年のテレビで,四国の川で,12月に産卵する親と11月産卵の卵の保護のため,12月のコロガシ解禁を禁止した,との報道があった。
今年は,12月のコロガシが行われている映像の放送があった。
四国でも,遡上鮎を多くするための方策がまだ,普遍化していないようである。

「海面水温上昇と天然アユの減少」 〜11月生まれのアユは大量死する?〜  (鮎釣り2000):高橋勇夫著
「産卵場での孵化のピークは11月中旬にあり,大部分のアユは11月に孵化したことは確かであった。
つまり,80年代と比べて産卵期が大きくずれたわけではなかったのである。
しかし,海や河口で採取したアユのふ化日を調べると,12月や1月生まれが大部分で,11月生まれの魚はほとんど現れない。」
舞台は高知県の川である。

このことからも,11月12月,ことに,12月頃の産卵親を保護することが必要であるのに,その対応が高橋さんの研究場所となっていた高知県でも十分には行われていない。
駿河湾では,海水温だけではなく,プランクトンの質あるいは量等の別の問題があって,仔魚が海で死ぬことになっているのかもしてない。

産卵時期に係るみずのようにさんの感想

Re:片岡殿は理系 No.[65] [返信]
投稿者:みずのように 投稿時間:2005/12/14 [水曜日] 21:49:12
「なるほど」感心しています。
片岡殿は理系の脳みそですか?
(失礼かなと感じながら「ストーンブレイン」かな?)
併せて、行動派であることに「感心至極」であります。
私は「文化系」のお勉強をしたから
(脳みそが豆腐みたいに柔らかであります)

さて、鮎釣雑誌の「水産研究者」の記事ですが、私はまじめに読んだ記憶がありません。
片岡殿に返信を書くのが失礼な気がして、改めて、読まないといけない気がしてきました。

私の場合「釣技」を求めすぎていたような気がします。
本当は「今釣れるか、今釣れるか」の釣り師の表情が見たい。
掛かってから、浮き上がるまでの、真剣なやりとりが見たい。
美しい川が見たい。
だから、鮎釣雑誌はたくさん買ってきたのですが、21世紀になって、あまり買わなくなりました。
見たいものが「少なくなった」からです。

研究者のしていることは「思いつき的な研究」のように感じます。
川も、鮎も「遊漁者から銭をたくさんいただくため」だから。

ほんとうの鮎が釣りたい


Re: No.[67] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/01/21 [土曜日] 21:15:26
おらも,鮎の生態よりも生身の鮎美ちゃんとの情事の方がええねんけど,90年頃から,川に,海に異変が発生したようである。その影響か,鮎美ちゃんの生存が脅かされ,単なる遡上量の減少ではなくなっていると感じた。

長良川は河口堰で出来た止水域が流下仔魚を死滅させている,とはっきりしている。
しかし,狩野川は何が原因か,天竜川は何が遡上量を激減させたのか,釣り人も考えざるを得ないのではないか,と。ことに,本を書き,あるいは漁協役員として,放流事業に携わる人,その人たちへの助言をすることが望まれる研究者が適切な鮎美ちゃんの生態を知って欲しい,そして,鮎美ちゃんが天然記念物にならないようになって欲しい,と考えざるを得なくなりました。

1日も早く伊藤さんのように,鮎美ちゃんの生態がわかる人がふえ,少しでも本物の鮎美ちゃんが,あるいは本物に近い鮎美ちゃんが,川で快適に生活をして,おらを楽しませてくれるように願っています。

狩野川の黄昏=山形県の2代目方式

黄昏の狩野川 おわりのおわり No.[66] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2005/12/17 [土曜日] 20:21:20
小国川漁協組合長が,「元気なアユを取り戻す決断」において,湖産アユが病気持ちであることから,平成10年,「9月下旬から10月に小国川下流最上川合流地点近くで鮎止めにより親魚を採捕,三瀬栽培センターはその中から産卵に適した,熟した鮎を選んで採卵し,0.6gまで育て,2月に中間育成場に運び,5月下旬放流適期に5gから6gの稚魚を放流することになりました。」(どの雑誌か,忘れました。)

狩野川に放流された海産について,植田組合長は「狩野川河口で汲み上げた海産」と表現されているが,4月14日に10グラムになっていると書かれていること等から,河口で採捕した鮎のF1:2代目方式ではないかと想像している。その数は10万。
狩野川が,小国川漁協:山形県のように,再生産に寄与するF1:2代目方式に全てを切り替えることになることはあるのであろうか。

「海産アユと湖産アユとの間で明らかな独立性が保たれており,交わったという遺伝的な違いは認められず,川に上ってくる天然遡上の海産アユの群には,琵琶湖産鮎と交わった稚魚はいないだろうと谷口先生はいう。」
また,「あくまでも推論だが,海産アユと琵琶湖産鮎が交わらない要因として 〜 琵琶湖産鮎の方が産卵し孵化するのが海産アユよりも1〜カ月早いことから,琵琶湖産鮎の仔魚が流下したときに海水温が高すぎて死んでしまうこと,琵琶湖産鮎の仔魚が海水に適応できないこと等が考えられている。」
(友釣りスペシャル’98  未来の友釣りを考える  上る,上らないは時の運か  どうなる 天然遡上  編集部:谷伸一)
この推察が,「アユ種苗の放流の現状と課題」に報告されている研究結果で確認されたと判断している。

継代人工の子孫が相模川の遡上鮎である,湖産と海産の交雑が紫鮎消滅の原因である,あるいは,領地を守るのではなく,個体間距離の均衡を破り,眼を付けたといってけんかを売る鮎を推奨する,さらに,海産アユは伊藤「6月はいくらなめ跡があってもそれほど追いません」という自然の営みに逆らい,6月から釣り人を釣るために,継代人工その他を放流する「逆算放流方式」が,好ましいのであろうか。

伊藤「本物のアユに近い人工産アユを生産してもらいたい,というのが私達釣り人の望みではないでしょうか。」
という伊藤さんは,名人の中でも少数派で,このままではいけない,と危機感にとらわれているのではなかろうか。
「人工産アユ」の項に,「山形県栽培漁業センターでつくられたF1(2代目)」を紹介されているのは,このようなアユが放流されることが,日本の川から本物の鮎が消えないようにする1手法である,と確信されているからではなかろうか。
おらも同感である。

80年代後半,狩野川の青木の瀬で,片腕のない方が友釣りをされていた。どのように囮を付けていたのか,気になっていた。
松沢さんもその方のことを知っていた。
囮を付けるときは,タモにアユを入れて,水の中の石上におき,足の指で優しく押さえて鼻環を通していたという。鼻環は片手でもしめやすいようにフック式ではないか,とのこと。
取り込むときは,引き寄せて糸を唇に挟んで操作していたとのこと。
そして,夕方,ありがとうよ,といって,翌日の囮を残して川に返していたとのこと。
もう1人,東京からの人が同様の釣りをされていたとのこと。

それほどの感動を与えるアユが,遡上アユ以外にいるのであろうか。

おらは文系も文系,算数も出来ない状態です。
ただ,事実は何か,というとき,山本七兵が「日本教について」あるいは「私の中の日本軍」で表現されているとおり,日本人は「『書かれたということ』は事実である」と,「『書かれた事実』は事実である」ことは別個の事柄であるにもかかわらず,両者を区別しない文化の中で育っている,ということを肝に銘じています。

狩野川の黄昏=目利きのいた狩野川

黄昏の狩野川おわりの2 No.[62] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2005/12/03 [土曜日] 07:03:10
「釣り人」7月号に記述されている植田組合長の放流量を事実と想定した上で,その量を見ると,4月の放流数が,56万尾。5月については4000kgで,匹数は書かれていない。4月の10g級よりも大きいのが放流されたと想定しているが,仮に4月と同様としても,40万匹。合計で100万匹ほど。
また,遡上量については,「また,汲み上げ放流した海産以外に,自力で遡上してきた天然アユも4月25日現在,2g級の個体を2500kg,約150万尾確認しています。」

この遡上量が適切であろうか。
適切な推定値とすれば,おらに10月20日頃から釣られた鮎美ちゃんは,半数以上が遡上鮎ということになるが。
遡上鮎と判定されたのは1,2匹。
狩野川漁協ニュースのあゆ試し釣りに「上流部はとてもよく,下流部については,災害復旧工事の濁水がでているところはやはりその影響がありました。」と,書かれている。
この記述のうち,濁り水は事実とのことである。そのため,遡上鮎は,上流の湯が島にのぼり,濁り水のところには,とどまらなかったとのことである。

遡上量「150万尾」が湯が島で観察された量からの「逆算」推定値とすれば,事実とは大きく異なろう。11月の城山下で釣れた人において,遡上鮎であると,実感できた数からも,「150万尾」をはるかに下回り,04年以下の遡上量ではないかと想像している。

目利きの話
郡上八幡では,九頭竜川の鮎を長良川の鮎に紛れ込まして持ち込まれても,識別して九頭竜産をはねていたという。
00年頃,本間さんに,まだ長良川に行っているのか,と尋ねた。
本間さんは,友達がいるから行っているが,何が郡上ブランドだ,と吐き捨てるようにいわれた。
松沢さんが狩野川の下流に近い松原橋で釣った鮎を目利きでない仲買人に持ち込んだ。仲買人は,狩野川の鮎か,と尋ねたので,そうだ,と答えた。松沢さんらの予想どおり,夕方,その鮎を持ち込まれた旅館等から引き取りを拒否された,と電話があったとのこと。

なぜか。
上島橋下流に,醸造工場からの澱粉をたっぷりと含んだ水が流れ込んでいた。
その水路の下流の瀬では,おらが釣った80年代後半でも水質基準法に基づく処理水であるにもかかわらず,その水路よりも上流の20cm以下,16cm級主体の鮎に対して,20cm台の鮎が釣れていた。おらは大きいから喜んでいた。
富栄養状態であることから,藍藻が優占種となり,鮎が大きく育っていたのであろう。
そして,その鮎の質が悪いことが,味のわかる料理人にはわかっていたのであろう。味音痴のおらには経験できいないことであるが。

松沢さんが味の悪いことがわかっている松沢橋で釣ったのは,白川のためであった。松原橋付近には水草がはえており,その水草にはコケがついているのか,鮎がついていた。釣れると,水草に入り込まれないうちに引き上げたとのこと。
水草にコケがついているのではないか,と想定しているおらの経験は,柿田川で12月に餌釣りをしていたとき,小石のところではさび,あるいは,半分叩いたような鮎が釣れ,梅花藻の上では,美白の鮎が釣れたことによる。

植田組合長が「汲み上げ放流した海産」と書かれているが,沖取り海産が捕れず,遡上量も何十万匹かの水準ではないかと,想像していることから,事実であるとは考えられない。
中津川漁協のアユ放流情報に,「人工海産」「海産」の区分がされている。「海産」は,8〜12cm6.8万,7〜12cm4万,「人工海産」は,3〜5cm12.8万,16.5万(ともに成魚放流と思われる5月下旬以降の放流は除く)
また,植田組合長は,遡上鮎を「4月25日現在,2g級」と書かれている。他方,「4月14日,10g前後の海産」と書かれている。遡上一番アユを汲み上げたのであろうか。それとも,前年に採捕したアユを親とするF1方式のアユなのであろうか。

高松さんは,遡上鮎と海産蓄養のアユについて,少し違う,といわれていた。
海産蓄養でも違いがわかる釣り人が増えないと,植田商法=釣り人を釣れればよい,アユの質,再生産は考えなくてもよい,大きければよい,という商法がまかり通ることになるのではないか。

伊藤さんが海産アユについて「6月はいくらなめあとがあってもそれほど追いません。〜 しかし,7月にはいると本格的に強い瀬で釣れ出します。」
このことは,釣り人に,6月から16cm,18cmの鮎が釣れることを求めるな,湖産放流全盛時代でも大きくても14cm級であったではないか,継代人工だけが16,18cmではないか,と,釣り人への警告ではないか。
「本物のアユに近い人工産アユを生産してもらいたい,というのが私達釣り人の望みではないでしょうか」という,伊藤さんの記述は,伊藤さんの願望に過ぎない状態ではないか,というのが,おらの感想である。
見上手,聞き上手は,役者,芸人を育てるというが,アユの質,生態がわかる釣り人になろうと,思っている。

狩野川の黄昏=目利きのいた狩野川へのみずのようにさんの感想

Re: No.[63] [返信]
投稿者:みずのように 投稿時間:2005/12/04 [日曜日] 20:33:15
放流量100万尾、天然遡上150万尾と宣伝しても釣人は結果で判断するから事実と違えば別の川に行ってしまうでしょうね

狩野川漁協の場合、体裁のよさそうなHPはあるけれど観光案内に偏っているような

片岡殿のご指摘のような放流情報はありません

天竜川漁協は
放流量5,380kg 610,400尾 人工鮎2,890kg 湖産鮎2,490kgと公開し、放流場所の詳細も公開しています
佐久間ダムができてから放流鮎だけではあるのですがなかなかの元気鮎に会える川であります

鮎を料理する料理人はすごいですね
料理人には嘘は通用しない
誤魔化しは聞かないのですね

釣人は「釣りたい一心」
釣人は「ほら吹き」だからついつい、誤魔化されてしまいます

「鮎の質、生態がわかる釣り人になろう」と、思う片岡殿の弟子になろうと考えるオラだ

片岡殿は
本間さん、高松さんとの交流もあるようで羨ましい

本間さんや高松さんの実像でも、良いとこだけを伝えてくさい




2006年あゆみちゃん遍歴賦

中津川 相模川 大井川 狩野川 その他
5月 3月1日ニジマス 24日
6月 28日  30日 23日  25日 14日 6日酒匂  8日藁科
20日道志  21日道志
7月 22日  26日  31日 15日  16日 12日  29日 7日那珂川  8日那珂川
8月 2日  6日  10日
16日  24日
17日  26日 19日  20日 12日那珂川  13日那珂川
9月 15日  16日  17日
20日
2日  3日
23日  24日
8日那珂川
10月 1日 3日  4日  8日   9日  14日
15日  18日  19日  21日 
22日  28日  29日
11月 1日  4日  9日
14日  18日
カワウは海産が増えたから?  みずのようにさんの疑問 これらは、「昭和のあゆみちゃん」にまとめたつもりです。
川鵜か、冷水病か
2006年遡上量は?
人工鮎の変化
苔の種別とシャネル5番は無関係か
シャネル5番は縄張り、勢威 松沢さんの話
海産鮎の産卵時期 学者の常識、職業漁師の非常識?
海産産卵時期 高橋先生への疑問
海産鮎の産卵時期


 3月1日 中津川

中津川虹鱒 No.[68] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/03/01 [水曜日] 16:27:49
06年3月1日,雨であるが家に居場所がないから,アッシー君を釣り上げて出かけた。
養殖の虹鱒に,釣っても感動はないが,薫製の材料にはなる。
角田大橋下流トロ。水深は1m以下であるため,サスペンドであるのに1m以上潜る大好きなミノーは使えない。50mほどしかもぐらず,そして,あんまり尻をふらないミノーを使う。
8匹。アッシー君は,養殖虹鱒の習性である下り,そして,狭い流れにはいることから,堰上流の左岸水路状の所にはいる。いくらでの釣りは始めてで2匹。そこは満員でブドウ虫の人が大漁であったとのこと。
おらの上流のフライの人は,30匹ほどをキャッチアンドリリースしていた。9時を過ぎると釣れなくなり,その人は移動した。

ルアーの師匠と同行者は田代に入り,2人とも,いくらで30匹ほど。
限られた場所に固まっていたとのこと。

05年3月37日,オレたちの鮎釣りに,KIKUさんが赤川でのさくらちゃんのことを書かれていた。8才のねええちゃんが60cmのさくらちゃんを,お父さんの助力を拒否して釣り上げた,と。そのお父さんも,その時と,先週にさくらちゃんを釣っていた,と。
騙しのテクニシャンであるKIKUさんがやっと,26日に59cm,2.4kgを釣ったというのに。
そのような感動を中津川で得ることは所詮叶わぬ夢。
KIKUさんは,凍り付いたガイドを川につけて氷を溶かし,凍える手でルアーを換え,今年は何匹のさくらちゃんをものにしたのであろうか。

狩野川で1.5トンの沖取り海産がとれたという話があった。2,3cm,0.8グラムとして150万〜200万匹。これが蓄養して放流され,また,沖取り海産がとれたとすれば,その何倍かの遡上があるはず。
05年と違って,本物の鮎が釣りの対象となるかもしれない。
とは言え,海産が釣れるようになる,=14,16cmに育つのは,伊藤さんが書かれているように,7月以降である。5月下旬の解禁に釣り人を釣るための人工が放流されるのであろう。
10月以降,本物の鮎だけが釣りの対象となるかもしれない。

相模湾,駿河湾にも稚魚が見えた,との話もあった。江ノ島,大磯の岸壁でさびき釣りの人がおれば,遡上が期待できることになるが。


Re:虹鱒 No.[69] [返信]
投稿者:みずのように [URL] 投稿時間:2006/03/17 [金曜日] 21:08:36
まだ寒いのに、虹鱒でしたか。
釣果は燻製ですか。燻製はしたことはないのですが、あれやこれや調べて、やってみたいことのひとつです。

アユを始めた頃、渓流にはそれなりに興味があったのですが、一言二言話してみると、気質が違うのかな?とか、感じてしまい、足を踏み込む元気が出なくて、時々、見るバカをしています。

静岡の海は、豊産の兆しありなんですね。
7月からでいいようにも感じますが、待ちきれない人々を釣るのが上手い、組合長なんですね。

始まるまでが楽しみな鮎釣ですね。


 2006年、相模湾に稚鮎がいた

相模湾に稚アユがいた No.[70] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/04/03 [月曜日] 19:57:33
桜が咲く頃、さくらちゃんを追い回す人と、おらのように、海に鮎がいるのか、が気になる人がいる。
駿河湾に稚鮎が多いとのことは、事実ではないか、と推測しているが、相模湾はどうか、わからなかった。05年の異なるのは、大磯等の岸壁に、サビキで稚鮎を釣っている人がいる、ということだけで、量についてはわからなかった。

3月の終わり近く、中津川、相模川で、06年初めての鮎放流が行われた。
その鮎については、相模湾の腰越沖で採補された海産稚鮎のと話がある。大磯にある漁連の池が満杯になって放流されたとのこと。4月4日にも放流されるとの話もある。

そうすると、海に稚鮎がおり、05年と異なり、7月頃からは海産鮎が釣りの対象になるかもしれない、との期待がもてる。ただ、採捕量は不明。

05年に放流された海産人工はそれまでの継代人工とは異なり、10月になってもさびず、11月にも下りのための集結をしている鮎がみられたことから、11月頃から、産卵が始まったのであろう。その仔魚が遡上してきて、親になり、再生産を繰り返していったとき、紀伊半島のアユと相模湾のアユとの地域間での遺伝子の多様性に問題が生じないのであろうか。

神奈川県水産技術センター内水面試験場から、池田湖産の鮎の種別について、次のような回答をいただいた。
1 アロザイム分析で調べられた文献では、海産アユに近いという結果であったが、その後、ミトコンドリアDNAとマイクロサテライトDNAでは、ミトコンドリアDNAの結果では琵琶湖産アユと近くなる個体は1個体にとどまったが、マイクロサテライトDNAの結果では、海産アユと琵琶湖産アユの中間的な遺伝子頻度を持つことがわかった。

2 卵サイズの計測では、海産アユと琵琶湖産アユの中間的なサイズであることがわかった。

3 これらのことから、池田湖のアユは、海産に起源を持つが、今までに琵琶湖産と交雑して、両者の中間的な形質を持つようになった。

4 なぜそうなるか、考えると、マイクロサテライトや卵サイズでは両者の中間であるが、ミトコンドリアでは海産という結果から、成熟の遅れた琵琶湖産アユのオスが、もともといた海産アユ起源の池田湖産アユの早熟メスと交配したと考えられる。

とのことです。

ダム湖あるいは、琵琶湖に流れ込む川に海産を放流すると、海につながっている川と違い、塩分による交雑種の淘汰が行われず、交雑種が再生産される可能性がある、との、指摘が「アユ種苗の放流の現状と課題」で行われているが、その指摘の事例であろうか。

なお、同試験場から、高橋勇夫・東健作著「アユの本」を紹介していただいた。

去年放流された海産人工の子孫が今年遡上してきたとして、群れていた親と同様の習性を持つのであろうか。
遺伝子にはちんぷんかんぷんのおらとしては、釣りの対象としての行動様式に興味がいくが。
「自然に対する礼節を源流として」には、不謹慎であることはご容赦ください。
 

カワウは海産が増えたから?  みずのようにさんの疑問

Re:中津川 No.[73] [返信]
投稿者:みずのように [URL] 投稿時間:2006/04/09 [日曜日] 21:20:08
片岡さん桜鱒の頃、沖の鮎に思いを馳せてますか。
私は最も鮎と遠のいている時季です。
私の場合、納竿から2ヶ月くらいが「恋しい恋しい」時です。

今日のTVで中津川のカワウの放送をしていましたが、憎き敵を滅ぼすのではなく「共生だとは?」、如何なものかな?

カワウが増えたのは中津川の鮎(海産)が増えて自然が回復してるからであり、鮎とカワウのバランスを保つことが・・・・だとか。

ほんとうでしょうか?


カワウは海産が増えたから?
Re: No.[74] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/04/12 [水曜日] 08:51:15
自然が回復して、海産アユが多くなって、カワウが増えた、というのであれば歓迎する現象かも。
相模川では、95年をのぞき、90年代に遡上鮎が釣りの主役になることはありませんでした。カワウは90年代に入って急速に増えているはず。

そのため、漁協はアユが釣れなくなった、少なくなった、という釣り人に対して、カワウが食べたからで、漁協、漁連はちゃんと320万匹を放流している、と語っていたことをもう、忘れているようです。
実際は、冷水病の湖産アユ、その後は、川の中で生存していて、海産アユでは感染しても発病することのない雑菌に、薬漬けで育てられた継代人工が感染して死んだ(当然、冷水病アユもいる)、ということから、生存しているアユが減ったという側面を鵜のせいにしていたこともあったと想像しています。

とはいえ、鵜は1日に600グラムほどの食料を必要としているようですから、放流アユの量にとっては、小さい比率とはいえない、と考えます。

愛鳥家が鵜を退治することにかっては反対していたが、現在では反対しないとの話がありました。理由は、カワセミ等がえさとする小魚が減ったから、とのことです。

「ここまでわかった『「アユの本』」に、冷水病について次のことが書かれていました。

発生について、「川の水温が16〜20度Cぐらいになる5〜6月に集中しているが、秋の産卵時期に発生することもある。」

菌そのものの病原性は弱いという。健康な魚であれば、発病することは少なく、〜」
「冷水病のように大量死を起こす病気は過去にもいくつもあったが、10年もすれば自然消滅的に終息していた。ところが冷水病はすでに発生から10年以上経過しているのに収まる気配がない」

「病原性は大して強くもない冷水病がしばしば甚大な被害を引き起こす背景には、日本の川の荒廃があるという人もある。水量の減少や水質汚濁等々、あげればきりがないが、今の川にはアユのストレス(=冷水病の引き金)となるものがあまりにも多いため、冷水病の蔓延を助長しているというものだ」

「冷水病は私たちの抱える今日的な問題の一端をわかりやすい形で見せてくれているのかもしれない。これまでに死んでいった数億尾のアユと引き替えに。」


遡上鮎は見えず

06年4月相模川 No.[75] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/04/28 [金曜日] 20:23:24
04年の遡上が大量にあった年には、4月末には高田橋で何時間も続く遡上鮎をみることができた。06年は沖取り海産が採補されたことから、遡上があるはず。

4月28日、ルアーを堰下の淵状のところに投げるが音沙汰なし。高田橋まで下るが、ハヤの跳ねも見えず。
さらに、遡上鮎どころか、4,5回放流された継代人工の痕跡も見えない。

橋下流のトロ状のところ。60cm以上の鯉が見える。合コンをしているのか、60cm、70cm級が2,30匹単位で、何組も左岸浅瀬に見える。
色気よりも食い気もいる、と想像して、ルアーを投げる。
リールからじーじーと音を立てて、4ポンドの糸が出ていく。しかし、外れる。何で鯉は捕食がへたなんや?。

それを2回繰り返して、それまでとは違う引き。60cmのニゴイ。ニックキ恋敵の片割れを成敗。
その後も観客の前で、リールからぎーぎーいいながら糸が出ていくものの、数分でばれ。

せっかくの見釣りでの恋敵退治も本命は不発。

高橋勇夫・東健作著「アユの本」はおもろかった。
「はじめに」の「今日のアユの減り方というのは『異常』といってよいのかもしれません。それも何もせずに放っておいたのではなく、資源を維持するために放流や漁場の維持に膨大な資金と労力をつぎ込んできたにもかかわらず、です。『何か間違っている』のでしょうか」という記述は、みずのようにさんの巻頭言「自然に対する礼節を源流として」に通じる展開を期待させる文であり、事実、おらの期待を裏切らなかった。

ということで、05年は、「アユの本」と「おれたちの鮎釣り」の魚乱さんが紹介してくださった大熊先生の「洪水と治水の河川史」等を素材として、あゆみちゃんと川とに対する人間の関わり方の礼節を考えたいなあ、と思っている。
とはいえ、今だかって、係る高邁な目標を掲げたこともなく、当然実現したこともなく、ジゴロを目指すおらには実現不可能な課題といえよう。

実現可能性を無視して、志だけは高邁であることが、お釈迦様の、いや、閻魔大王様の最後の審判において、ありがたい極楽行きになるかもしれないことを期待して、あゆみちゃんのお尻を追っかけていこうっと。


2006年の遡上は?

遡上鮎が釣りの対象になる? No.[76] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/05/03 [水曜日] 20:59:34
中津川漁協のホームページに放流アユの種別、産地、大きさが記載されている。
4月上旬、中旬  継代28台目くらい   県産  13cmほど 
 7万ほど
4月21日    海産人工 富山県産   3.5cm   23万
ほど
4月27日    海産人工 愛知県産   4〜6cm   10万
ほど

中津川漁協が、種別、産地、大きさを公表してくれて感謝している。公表されたことから、次のことを推定している。
1 6月に釣りの対象となるのは、県産の継代人工とこれから放流されるであろう成魚放流だけである。
2 遡上鮎、富山県産、愛知県産が釣りの対象となるほどの大きさに成長するのは、7月頃からである。
3 富山県産、愛知県産が遡上鮎と同じ時期に産卵行動を行う可能性がある。

中津川に放流されたアユは、漁連が行ったため、相模川に放流されたアユと、種別、産地、大きさは同じである。

県内産継代人工は生きているのであろうか。
中津川漁協では、放流された継代人工の一部を田代にあるます釣り場の池に入れて畜養した。病気が出た、との話である。

その県内産が畜養されていた池に入った沖取り海産はどうなったのであろうか。発病したのであろうか。
また、相模川に放流されるのであろうか。 

5月1日か2日だったかに、相模大堰の魚道に設置されているトンネル状の施設で、相当数の遡上が観察されたとのこと。
ということはそれまではあまり遡上がなかったということであろう。
栃木県水産試験場が、遡上時期と遡上漁には相関関係がある、遡上時期の遅いときは遡上量が少ない、早生まれが生育していないから、と書かれていたと思う。早生まれの死が遡上量の少ないことと相関関係がある、という判断は、「アユの本」に書かれている判断と通じる。 

富山県産はちびであるのに元気がよく、遡上性があり、石を磨いているところもあるとのこと。

4月末、参加資格60cm以上、との合コンを行っていた鯉は、色気ではなく食い気であった。
浅瀬に集結していた鯉のさらにヘチ寄りには、アユ玉が何カ所もあった。アユ玉が消えると、鯉も消えた。

その後は、橋脚のところで、リールからジージー糸が引き出されるもののその回数は減った。そして、今日、ジージー引き出されて弱った糸が切れてルアーをとられた。
明日は恋敵を退治し、ルアー泥棒を懲らしめるで。   


生臭い匂い

Re: No.[77] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/05/05 [金曜日] 05:02:17
5月4日、内水面祭りで賑わう河原に18cm級を焼いているアユの魚くさい臭いが漂っている。
内水面祭りで放流体験でアユが放流されたから、アユ玉ができていてその近くに恋敵がたむろしているはず。

アユ玉は放流地点近くに何個か見えるが恋敵はいない。アユは10cmほどの大きさ。どのような種別、産地のアユを放流したのであろうか。

橋脚のところでかかる。跳ねる。ジージー糸を出していくがばれない。
100mほど下り1時間後に、ルアーをただ食いした一味を捕まえた。
75cm、重量たっぷり。食い物の恨みを晴らしたが、4ポンドのフロロは弱くなり、張り替えることになった。

これがさくらちゃんであれば、あゆみちゃんと併せて両手に花、の年になるのであるが。


   人工鮎の変化

人工アユの変化 No.[78] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/05/18 [木曜日] 06:12:10
5月17日、中津川の中津川漁協管轄である日向橋から角田大橋まで見てきた。
日向橋では、湖産放流全盛時代、5月の連休に、はんでいるアユが見えていた。その時期から半月遅いが、はんでいるアユは見えなかった。ひらは見えたが、アユか、ハヤかはわからない。
磨かれれている石も角田大橋までの間、所々に見えたが、その数は多いとはいえない。

4月上旬に放流された県産の継代人工はどの程度生き残っているのであろうか。
富山県産、愛知県産が釣りの対象となるほどの大きさに育っているのはどの程度あるのであろうか。
5月16日には、相模川第一漁協が10体ほど、県水産技術研究所で病原菌調査を行い、病原菌を持っていない、とわかった宮城県産を放流した。
これは漁連の事業ではなく、第一漁協、中津川漁協の漁協単独事業として、行われたものである。その中の数匹が水槽にいた。
10cmに満たない大きさであった。

05年の松沢さんのところに入ってくる養殖が11月20日頃でもさびていないこと、相模、中津に放流された和歌山県産の産卵時期が11月以降であることにこれまでの人工と異なる性成熟の時期を感じていた。

これまでは、早い時期に大きく成長させるために継代人工を育て、連休中の内水面祭りで生臭い魚の焼く臭いが河原に漂い、その正体は18cm
級の人工であった。その産卵時期は10月1日前後であるから、性成熟も早く10月中旬には産卵行動を行っていた。

その人工に異変が生じた、と感じていた。
「変態するアユ」(アユの本p114)
「アユが変態するサイズというのは、個体によって相当に異なる。」
[35mmを越えると、一転して生まれた時期によって発育の仕方がずいぶん異なっていた。たとえば、早く(11月)生まれたアユの子供は、35mmを過ぎても体系は細長く、体表の色素(銀色と黒色)もなかなか発現しない。つまり、海での生活に適した形(シラス型)を大きくなるまで維持していることになる。
これとは対照的に1月生まれのような遅生まれは、35mmを過ぎるとすぐに、体型は親のアユに近づき、体表に色素も発達する。川の生活に適した形にあわてて変化しょうとしているように見える。実際、これら遅生まれが遡上を開始するサイズは40mm前後で、早生まれの遡上サイズ(45〜50mm)と比べるとかなり小型であった。」

中津川漁協管内に放流された富山県産、愛知県産、宮城県産が泳いでいる水槽がある。県内産は水槽に入れなかったから、現在のところ病死はしていない。
18cm、16cm級に育っている。宮城県産の8cmほどよりも小さいサイズで、飼育を開始して1ヶ月あまり。十分に食用として使用できる大きさである。

「変態」の考え方を養殖に適用すれば、継代人工にこだわることなく、又、飼育期間を短くして、大きくすることができる、ということであろうか。
水槽のアユは養魚場と同じ飼料を使用しているとのこと。

自然界で、水槽のアユほどの大きさに育ちうるのは一部のエリートであろうが。
産卵時期が海産の産卵時期と一致する多様な産地の人工アユを放流することが、どのような結果になるか、県水産技術研究所は、継代人工の産卵時期統一による孵化率の効率性維持よりも重視して研究し、漁協に伝えることを望む。

連休の頃、遡上鮎が多いとき、酒匂川の護岸はきれいに磨かれていた。
今年の狩野川松下の瀬の護岸はきれいに磨かれているとのこと。
狩野川漁協は釣り人を釣るために多様な人工放流を今年もしてるのであろうが、釣り人に海産アユが釣りの対象となるほど、大きくなるのは7月頃から、であると、教育することが必要ではないかと思っている。雲金釣りの家の故大竹さんがオリンピック友釣り大学で話されたように。


 5月24日  狩野川

あゆみちゃん、こんにちわ No.[79] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/05/25 [木曜日] 05:25:34
5月24日狩野川城山下。
午前  石コロガシの瀬にいく。石はきれいに磨かれ、人間にびっくりしたちびが逃げていく。
遡上鮎の優等生は、釣りの対象となるほどの大きさに育っているであろうが、その住処は瀬であろうと、瀬肩、瀬と囮に働いてもらうが、音沙汰なし。
坊主は当然のことと達観しているため、釣れなくても痛くもかゆくもない。しかし、ベストにあるはずのライターがなく、ニコチン切れが我慢できなくなった。ライターを取りに戻る。


一本瀬で囮ちゃんに働いてもらう。
10cmの幼女。それにちびおもりをつけて幼女虐待をし、さらに2匹。
幼女と思い、取り込みをのんびりと行うと、走られた。生まれて初めて買った20万を超える高級竿、2割5分しか割り引かないのに店長の甘言に釣られて買った新品、しなやかに曲がっているから、007が切れることはないものの、下りヘチに寄せて取り込む。16cm少女。少女買春ができるとはなんたる幸せ。

さらに幸せは続き、淵まで下って取り込んだのは18cm、うら若き乙女。人工ではない。本物のあゆみちゃん。帰り際にはアッシー君達にも美人を見せびらかせる。
幼女3,少女3,乙女1  という何年ぶりかの狩野川初日の贅沢に昼前にビール。出家してのビールと違ってうまいこと。

午後、鵜がいた石コロガシにいくが釣れず。1人2瀬の閑散とした城山下、つまりおらしかいない。どこでも釣り放題。1本瀬に戻る。
途中ビール休憩を挟んで幼女2匹。
蓮華にいったアッシー君達は、少女を12と8.

何年ぶりかの狩野川初日のあゆみちゃんとの逢い引きに成功したことに嫉妬した雷神が怒り狂った帰り道。しかし、るんるん。


 6月1日  相模川

生き残りは? No.[80] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/06/02 [金曜日] 04:34:41
6月1日中津川
相模川高田橋は05年と違って、釣り人が見える。しかし毛針の流し釣りが主とのこと。中津川角田の堰下流は大入り満員。
そのうち囮が疲れて釣り人もお休みの時がくるであろう。

相模川漁連は320万の放流義務量が課せられているという。「漁連だより」第15号に書かれている各漁協の05年放流量を合計すると190万。重量表示の2漁協を加えても200万余り。
内訳の「人工」が県産の継代人工であろう。その数字が40万。
この継代人工が100万であったとの話がある。
なぜ40万になったのか。相模原市小山にある県の種苗センターの地下水の湧出量が少なくなり、仔魚の生育に適さない水質になっている、そこの稚魚を飼育している厚木のA漁協の池が冷水病の発生源との話がある。

厚木の池が冷水病の発生源との話は、今年、そこに入ったであろう沖取り海産が放流されていないことからも事実であろうと想像できる。
また、06年の県内産継代人工を一部放流せずに漁協の池に入れて飼育した中津川漁協で、それらが死滅したことが確認されている。
なお、中津川漁協では、産地、種別を異にする放流アユのうち、10体ほどを県に依頼して病原菌調査を行っているとのこと。

ということで、6月1日に釣りの対象となるほどの大きさに育っているはずの県産の継代人工があまり生き残っていないと想像できる。5月下旬に漁連ではなく、漁協の放流した宮城県産や浜名湖産は釣りの対象となる大きさであろうが、その数は多くない。

壊れ橋下がすいていたのでいくが釣れず。去年と違い、石は汚い。去年は漁協孝行な放流アユで、6月いっぱい発病しなかったが。
午後、壊れ橋と堰の中間の瀬にはいる。風の中、竿がしなる。19cm。
馬力はあったが、昔なじみの鮫肌人工。=県内産の生き残り。

その下流のチャラ状の所では姉ちゃん達がチビを釣っていた。

28日雲金では、30匹台、20匹台が何人もいる中、5cm1匹という最下位の状態であったが、しぶとく、まだ坊主なしの06年が続いています。


 6月4日  相模川

今年も閑散 No.[81] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/06/04 [日曜日] 16:53:05
6月4日相模川望地:石切場
3日は中津川角田堰下流で当然の坊主。アッシー君は県内産継代人工の生き残り1匹。
狩野川にいくにも海産が釣りの対象となるほどに成長するには早すぎる。酒匂も群れアユで人により差がありすぎる、とのこと。よって、歩いていけるところにする。

蛇篭前にはいるが当然0.囮君はけなげにも長時間労働に耐えて働いてくれるが。
午後、柳下流の瀬肩に移る。赤シャツ軍団の1人がやってきて、蛇篭前の落ち込みにはいるが釣れず。安心した。
その人の話 : 藁科川の鍵穴等で、15cmほどの放流ものを2日間で60匹とのこと。遡上鮎は合流点から1kmほど上流でうじゃうじゃ見えるが、富厚里橋付近でも少なく、そのさらに上流では少ない、とのこと。
堰があるのであろうか。

放流に成功しているところもあれば、病気の県内産を放流し、また、たぶん生きていると思える海産人工は、どぶ釣りで時に1束、2束釣れてもトロ等を移動しているアユの相模川もある。

午後赤シャツ軍団が弁天からやってきたが、1人が1匹だけ。釣りの対象となるアユがいないと、へぼも腕達者も差がなくなりありがたくもあるが。

湖産を放流していれば、6月1日から釣れる、という時代ではなくなったはず。
どのようなアユを放流するか、再生産につながるアユの種苗の生産等の事柄を考えることが必要な時代になっているはず。名望家支配では対応できない漁協、漁連を取り巻く環境になっているのではないか。
小国川漁協が最上川のアユを親として、F1:2代目方式に放流手法を転換した事例があるのであるから、創業者の苦しみは軽減されるのではないだろうか。

継代人工が親の生殖能力をフルに活用できるのに対して、F1:2代目方式が親の生殖能力の4割しか活用できない、孵化率も4割と低い(「漁連だより」第15号の「長期継代アユの利点」)との理由で、継代アユを生産し、病気持ちあるいは川に生息していて川で生まれ育つ魚類では発病しない雑菌に感染し発病するひ弱なアユを放流していてよいのであろうか。
効率性が選択肢の判断基準となり、その結果が病死になることが改まる日が来るのであろうか。


 6月6日  酒匂川

酒匂にアユはいた No.[82] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/06/06 [火曜日] 19:08:43
6月6日酒匂川足柄大橋、川音川合流点等
酒匂川については、釣れるところと釣れないところがはっきりしている、との話をテクニシャンから聞いていた。そのテクニシャンは坊主、とのこと。

足柄大橋上流から下流に下る。下流側で跳ねがあるからアユはいる。しかし、出家への修行は続く。我慢、忍耐、ニコチン過剰に負けない体質作り等。
11時、やっと橋下流の瀬で12cm級。次いで、16cmを釣ったところで、修行の甲斐なくビールで1人乾杯。

珍しく長い距離を歩いたアッシー君が左岸から右岸への瀬肩で1匹、そして鉄橋まで歩いたとのこと。川音川のところが釣れていたとのこと。
午後の修行をさぼりたいから移動する。

左岸から右岸への瀬に人がたまっている。それを眺めて瀬肩にはいる。
老いも若きも、ではなく、18cm、10cmが多数跳ねている。石はきれいに磨かれている。蹴られがあったのみ。

川音川合流点右岸にはいる。酒匂川はダム工事の頃から砂が増え、工事終了後少し減ったと思っていたら、又増えた。どこまで石があるか、わからないため、ヘチを釣る。

左岸川音川合流点を立ち位置とする人が盛んに18cm級の人工を釣っている。成魚放流ではないようで、取り込みには下り、やりとりをしながら抜いていた。
沖にも石があるようで、少し沖に囮を出す。14cm級1匹のみ。

アッシー君はその上流で18cm級1匹。
おらが釣っていたところで午前釣っていた人が3匹、その後、左岸から右岸への瀬に移動し、釣れたとのこと。

特定のところで釣れた、との話から、去年のように、本物のアユが釣れる場所ではないところで釣れている、と、想像していたが、流れがあり、石があるところで釣れていた。まともなアユの性質を持っている放流アユようである。
湖産、愛知県の海産、そして去年中層にたむろしていた裾野産が放流されたとのこと。
18cm級の人工は裾野産であろうか。

アユがいるだけ、相模川よりもまし。土、日曜でなければ、釣れる場所にはいることもできるであろうから、遡上鮎が釣りの対象となるほどに成長するまでは酒匂川に通うことになろう。


 7月7日  那珂川 寒井

那珂川のあゆみちゃん:その1 No.[92] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/07/09 [日曜日] 18:07:23
7月7日那珂川寒井。
上流は青ノロ。少しの増水でも転がるこぶし大の石のチャラには青ノロがついていない。そこで釣るが、「変化のある場所」である水深の変化をねらえど、水深のあるところに立ち込んでいたり、と、午前に釣れたのは11時過ぎに14,12歳が2匹だけ。

3代目になる那珂川へのアッシー君が、上流の中では青ノロが少ない瀬で8匹、12歳から20歳までよりどりみどりとのこと。
これほどの青ノロの多さは、はじめてのこと。去年も多く、今年のHPからも青ノロの碇への付着、鼻管へのリング、等の記述があり、もしかして、とは想像していたが、増水で流れていることを願っていた。

午後、青ノロの希薄な梁前の瀬で釣る。養殖3匹を動員して、各人が1匹ずつ、16歳から20歳のあゆみちゃんを連れてきてくれた。養殖を使ったのは、根掛かりをすると、おらのあんよでは助けにいけないため。
囮取りができたため、その下流のチャラに行き、2匹追加。そして囮に余裕、という願っても実現できない状況で、橋下流に行く。

釣れない。ひげのおじさんにどれくらい釣れた、と聞くとそこそことのこと。何匹くらい?と聞くと30ほど、とのこと。30匹でそこそこ、それに対しておらは朝から7匹。
この格差はひどくなることはなっても、縮小することはなかった。
4時過ぎ5匹追加して、合計12匹。

何回目かの雨が降り出し、竿がぬれるのを避けるため、あゆみちゃんとのデートをあきらめた。
雨がやんで、おらが3匹の入れ掛かりをした瀬で入れ掛かりをしている人がいる。
その人はドラちゃんのお友達の新様。

新様は2時頃、その瀬に入り、40匹ほどとのこと。
3千匹以上の那珂川のあゆみちゃんを釣り上げている新様でも、おらと話しているとき、竿操作が雑になり、囮が流れていく。
おらが入れ掛かりの継続を期待して、そのままその瀬で釣っていたら、根掛かり放流と水中引き回しの刑で囮を引き殺し、ドジョウの唐揚げを肴にやけビールを飲むいつか来た道になっていたであろう。

午後10匹を目標としていたアッシー君は橋下流等を釣るも、2匹、合計の10匹となる。
アッシー君が雨の中でも釣りをしているから、大漁、と思っていたが。

青ノロは、水温が上がると消え、石についている根も腐る、との話があった。しかし、青ノロが水温との関係だけで、発生するのであろうか、疑問に思っている。大井川でも8月に青ノロが繁殖している年がある。
他の要因もあるのではないかと想像している。
川はあゆみちゃんとデートする快適な環境とはいえない状況であった。


 7月2日  中津川 馬渡橋

大きくなった No.[91] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/07/03 [月曜日] 19:46:28
7月2日中津川馬渡橋
1日に馬渡はすいているとのことで入った銭さんが20匹釣った、と聞いて、アッシー君がパチンコをせずに、釣りに行こうという。
アッシー君達は馬渡橋下流へ、おらは上流のトンネルの下流側にはいる。

右岸へのザラ瀬で、蹴られ。その上流のチャラで14歳、12歳10歳。10歳でも、飯炊き、風呂焚き、薪拾いはできる。
しかし、蹴られ与三郎。囮が小さく、流れが弱いため、パンチ効果が小さいからであろうか。それとも、針が合わないだけであろうか。
午前5匹、16cmまで。チャラであるから小さいのであろうか。馬渡下流に入ったアッシ−君達は各人、20cm台を含めて5匹ほど。
チャラ瀬の上流の瀬、下流のザラ瀬では16cm、、20cm級であろうか。

午後、雨の中の釣りをやめてパチンコにいこうとするアッシー君を引き留める。しかし、ゴロちゃんまで出てきた。ゴロちゃん恐怖症のおらのことを知っているアッシー君はほくそ笑んで下流から戻ってきた。


 7月3日  中津川 角田の堰下流。

1日は満員御礼であっても、2日は釣れていないであろうから、あゆみちゃんがいないとは思えない。
鮎の多かった馬渡は水辺まで草が生えているため、アッシー君がいないと、荷物の置き場がない。

ところが、2日に友釣りをはじめて2,3年の若者が27匹釣ったとのこと。(中津川漁協の釣果は濁りを避けるための雨宿りの時のもので、その後も釣ったとのこと)
これではおらのあゆみちゃんがいなくなる。若者よ、余命幾ばくもないジジーのためにあゆみちゃんを残しといて。

16cm、14cm18cmと、一段と成長している。今が一番成長する時期か。
午前5匹。しかも今年はじめて丼を食べる。貧乏人は丼を食べるな、が、鉄則であるのに、根掛かりの時に糸に掛かっていたゴミによる傷を軽く見たことが原因。

20cm、18cmも含んで1日働いて14匹。しかも、昼ビールを断っているのに。
若者に10匹も及ばないとはあわれ。

冷水病が出始めたと思われる。赤く傷のある鮎、流れる鮎が今年はじめて観察された。
放流される前からの保菌者の鮎であるのか、それとも、川のなかの鮎から感染したのであろうか。


6月30日  中津川角田の堰下流

囮に苦労 No.[90] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/06/30 [金曜日] 19:35:53
柳の下のドジョウはあり得ない、と思えど、前回と同じ場所。
堰近くの瀬はあいている。ということは品切れか。壊れ橋の下流の瀬は入れる空間はあるが、動き回れそうもない。よって、前回の場所、と、ずぼらな選定。

下流の人が上流に動いてきたため、その人の下流の瀬の強いところに移る。2匹目の囮は泳ぐことを知らない。おもりをつけて瀬に入れるが、おもりの後ろでふらふらしている酔っぱらいにあゆみちゃんがなびくことはなかろう。
唯一の可能性は、小沢さんが丼か根掛かりで放流された鮎が草に引っかかり、その鮎に野鮎が激しく攻撃していた、という現象。その現象がないなら、囮の追加買い第1回となる。
しかし、釣具店の社長と違い、貧乏人に優しいあゆみちゃんは酔っぱらいに早く出て行け、とほうきを投げつけた。
ありがたや、16cm。

14cm、12cm釣ったところで、又、囮を酷使したため、まともな養殖におもりをつけて瀬に入れる。
19cm、浜名湖産。肌はきれい、鮫肌人工ではない。下顎測線孔数も4対左右対象に見えた。浜名湖産とは海産畜養であろうか。囮に余裕があれば、箱入り娘にするところであるが、同級生ではなく、下級生を連れてきて、といってはなす。結果はハヤ。丼になるよりもましか。

結局6匹、しかしそのうちの1匹は囮を代えるときに逃げられた。かまととぶって、おとなしそうにしていたので、優しくつかんでタモに移したが、スカーレットオハラがされたように、有無をいわさず、抱きしめなかったのが失敗。女の扱いには熟練しているはずであるが。

午後。堰と壊れ橋の中間の瀬が釣れていなかった、ということはあゆみちゃんが残っているかもしれない。昨日、テクニシャン2達が大勢のあゆみちゃんをたぶらかした、というのであればなおさら、中間の瀬の方があゆみちゃんとの出会いは期待できるはず。

おらの下流側の人はよく釣っていた。おらはまずかわいい12cm。それでも働かす。14,16cmと、やっと囮に不自由しなくてもすむようになった。
しかし、その後は下流の人の釣れるのを指をくわえてみるいつもの状況。
3時頃から、やっとおらもあゆみちゃんとのデートができるようになった。18cmを含め、馬力のあるあゆみちゃんと楽しめた。
合計17匹。
しかし、抜くときのばらし等多発。もう保持力のある7号の針に代えるべきか、6.5号はやめるべきか、明日、明後日、なやもう、と。


6月28日  中津川 角田の堰下流、壊れ橋上流の波立ちのある瀬

中津川のあゆみちゃん No.[89] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/06/28 [水曜日] 19:52:49
相模川では、5cm前後で放流された富山県産、愛知県産が16cm、14cm級になっているのもいる。中津川では少し小さいと、24日の八菅のバリバス大会の時は見えたが。

今日はアッシー君がいないため、バスで、しかも高田橋が通勤渋滞しているため、道志よりも遅い9時からの釣りになる。アカはついている。
アカぐされにはまだなっていない。

すぐに14cm、そして1時間に8匹という快調。道志の再来かと喜んだが、11時半まで空中ばれ、ゆるんだフックからのハリス抜け、と4匹の損失。
とはいえ、午前11匹で終えることができた。

12cmから18cm。富山県、愛知県産が12cmから16cm級に育っている。そして、馬力がついている。18cm級は浜名湖産とのこと。

午後、堰下流の瀬には釣り人多数。壊れ橋との中間の瀬があいている。
2匹。
午前釣ったところの近くに下る。動き回って、午後の計11匹。
幼魚で放流されて2ヶ月余り。遡上鮎と同じくらいの成長度合い。
下顎測線孔数が4対左右対象の12cm級が2匹いた。

5時まで働いたとは久々のこと。
宮城県産はこれまでの継代人工とは違って、放流地点にたむろすることなく、すぐに上っていったとのこと。よって、八菅橋下流に鮎がいなかった、釣り人がいなかった、ということではないか。
堰の下の瀬に釣り人がたむろしていたのも、遡上性のある海産人工であったからではないか。そこで8匹釣った人が動けなかった、といっていたが、動ければもっと釣れていたであろう。

継代人工が親の生殖能力、孵化率の点で、2代目方式よりも効率はよいものの、そのことによって失われている事柄も多いと考える。
再生産に寄与しない、友釣りの対象として不適切な縄張り根性の希薄、鱗が荒い、きれいではない、等。
宮城県産の生産者が、鮎らしい形質を維持できるのは6代目が限度、といわれていたとのこと。
継代人工の親の持っている生殖能力、孵化率が高いことから、「漁連だより」第15号に神奈川県内水面試験場がプラスの評価をされていることに異議を述べた。その回答はまだない。


6月25日  相模川

修行も終わりのはず No.[88] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/06/25 [日曜日] 18:58:52
24日中津川八菅橋でのバリバス大会で、上流に多くの人が行くため、下流に行く。斎場下に行くがあゆみちゃんのいる気配なし。釣り人も減っていく。八菅橋下にはアユはいるものの相手にされず。火の見櫓あたりで10ほどもあり、5匹ほど釣って予選通過とのこと。
とはいえ、上流に行った人が入るところがなく、上限のカジ淵まで歩いたとのことであるから、歩き、釣れない時間を我慢する修行をした、と考えよう。
1位は火の見櫓前に入った顔見知りの10匹(囮を含まず)
大きさは12cm級で、相模川よりも1周り小さい。藍藻が主体の相模川と珪藻が主体の中津川との水質の違いであろうか。

25日相模川望地
23日の大会の時よりも20cmほど減水している。
大会の時よく釣れていた付近の瀬にはいるが、右岸側とおらの上流側の人は釣れているのに、おらはいつもの蚊帳の外。
瀬の芯で県内産継代人工の生き残りの20cm台を釣って、丼をしていたひょうきんな名人。

弁天に行った人は10匹前後釣ってきた。1本瀬で釣れて、大会の時の1,2位が出た分流は減水で釣れなかったとのこと。
県内産の生き残りは瀬の芯に入っているのもあり、21,2cmになっていた。これが冷水病等で病死していなければ、6月の相模川が閑古鳥の鳴くこともなかったであろうに。


6月23日  相模川

大漁の相模川 No.[87] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/06/23 [金曜日] 18:08:46
6月に釣りの対象となるはずの神奈川県内産の継代人工は、冷水病原菌のがいると思われるA漁協の池で飼育されていたため、相当数が病死し、生き残りは少ないと推定できる。
その池で畜養された沖取り海産は放流されていないことからも、病原菌のいる池と推定して舞い違いではないと考える。

4月中旬に放流された愛知県産と富山県産は、10cmあまりの大きさになっているにすぎず、その育ったあゆみちゃんの釣れる場所は限られている。水深が50cmほど以下の瀬、ザラ瀬であろう、と。従って、1匹釣れば予選通過、と。

22日、ザラ瀬等に竿を出した名人が、各場所で、すぐに12cm級を釣っていたが、そのように釣れる場所は少ない、と思い、石切場まで歩く。
なぜか、柳下流の瀬肩下があいている。その斜め下トイ面に、名人がいる。名人の下流側の瀬の人は左岸、右岸側ともせっせと釣れている。おらと、おらのトイ面は蚊帳の外。予選通過は5匹以上釣らないと無理ではないか、と思える釣れっぷりであった。

名人は10匹を超え予選通過。おらは1匹、14cm級。
釣れる場所は多く、予選通過は5匹釣った人の一部が入っただけで、アッシー君の1人が2匹釣ったのに、去年と違いお呼びでない、となった。予選の最高は17匹であった(囮含まず)。

決勝も、10匹台が2人(囮含まず)、その2人は弁天の左岸への落ち込みにできている分流。予選でもよく釣れていたところ。アッシー君の1人はその下流の流れが弱くなるところで釣っていたため、2匹にとどまった。

まさか、これほどまでに釣れる場所が多い、とは思わなかった。愛知県産も富山県産も病死をしておらず、釣りの対象になるほどの大きさに育っているのが少ないだけ、と思っていたが、まさか、6月下旬に釣れるようになるとは、想定外。

おかげで、これから相模川で釣りができて、経費節約ができ、失業者にはありがたいことであるが。
明日の中津も同じ人工が放流されているから、水深が50cmほどの瀬をつろっと。


6月21日  道志川水源の森。

湖産あゆみちゃんとデート その2 No.[86] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/06/21 [水曜日] 18:14:11
アッシー君を釣るには金も女もいらん。釣れたという事実のみあればよい。湖産あゆみちゃんと同じく単純、明快。シェークアップも蟹横釣法もいらん。

ということで、又道志へ。国道沿いの囮やさんにサボリーマンがたむろしている。昨日以上に込むのか、と不安になる。水源の森を見て、道志の湯の付近を見て、余り人がいないので安心した。

水源の森にはいるが昨日の午前の場所は空いていない。道志のそば打ち道場への橋上流に行く。アッシー君が左岸護岸の水深のあるところで釣っている。その下の釣りやすい瀬があいている。
今日もすぐに入れがかり。
二重追い星、黄色の着物をまとった10歳から16歳までのあゆみちゃんが9時過ぎには15匹。これで満足し、橋下流に行く。木の枝が前、後ろにある。糸が引っかからないように取り込むが取り込めたのは1匹のみ。

川原の開けたところまで、川を歩いていけるかどうかわからないため、神社に戻る。すでにあゆみちゃんと楽しんだから、もう幸福一杯、あゆみちゃん一杯。アッシー君が戻ってくるまで、ビールがお預けになるのがつらいが。4匹追加。

アッシー君は橋下流に行き、壊れ吊り橋を恐怖の中、渡ったとのこと。
しかし、河原が広がったところには出ることができず、帰りは吊り橋を渡りたくないので、国道まで崖をのぼって戻ってきた。根掛かり放流をし、怖い思いをしたのに10匹に届かないとのこと。

午後。昨日釣れたところが釣れなかったのか、あいている。あゆみちゃんが釣りきられたのかもしれないが、何日分もあゆみちゃんをいただいたから、釣れなくてもよい。木を気にしなくてもよい。根掛かりも外しにいける。

テクニシャンが釣っていたところの人は朝から釣っていて釣れている。
おらも釣れた。しかし、18cm級は釣れない。アッシー君は神社の近くで17cmを釣った。
ということで、午前様のおらが午後も16匹釣れて、合計36匹。こんな大漁見たことがない。23日から25日まで、川は変われど、坊主街道まっしぐら、坊主の釣りにも耐えるゆとりを与えてくれた道志の湖産あゆみちゃんでした。

なお、まだ水位が少し高く、解禁前の16日の増水から強い瀬には竿が入っていないところがあり、平水に戻ると強い瀬で18,16歳のあゆみちゃんが相手をしてくれるかも。


6月20日  道志川水源の森

湖産あゆみちゃんとデート No.[85] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/06/20 [火曜日] 17:05:25
昨日は白川の中津角田で1,立て竿の人は3,アユがいない川での修行はつらい。

道志川は18日解禁、午後は雨であったから、湖産といえども釣りきられてはいるまい。
道志川にはダム補償契約に基づいて、湖産の現物補償が行われている。
去年は解禁日には大漁であったが、1週間後には死んでいくアユを拾う方が大漁、という状況になった。

水温14度。「アユの本」には、冷水病が発症するのは水温16度から20度と書かれている。安曇川では水温23度以上になると、冷水病は収まると書かれている。(今年発売のアユ雑誌)
幸いまだアユは健在。

テクニシャンが神社前は釣れないと判断し、下流に行く。右岸から左岸への瀬の上で、入れ掛かっている。それを眺めていて、今日も何倍もの差をつけられるのか、と、思いながら竿に仕掛けをつける。テクニシャンと上流の人の間にはいる。
珍しく、おらにもすぐに釣れた。10cmから16cm。釣れすぎて数を忘れた。

上流側の水深のある瀬尻付近を釣っていた人が釣れずに動き、10時を過ぎたから水深のあるところを釣る。
18cmも出る。

午後、ビールを飲んで満足し、釣り場を求めてさまようが場所がない。
テクニシャンは勾配のある絞られた瀬が開くところで18cmを釣る。しかし、30匹+のはいった船がなくなっている。探しに行くも見つからず。
おらは木の下だけがあいていたので竿を出すが、枝に引っかけないように取り込もうとしてばれ。釣り場所がないからやめた。

午前で26匹。前代未聞、空前絶後の釣果。

時間はたっぷりあるから下流の紅椿湯付近をみる。人は少ない。そこを見に来た人が水源の森より上流で40とのこと。よって、道志の湯にいく。
中津川のおなじみさんがいた。昼にきて2時間で30,すぐに釣れておもろくないからあがった、と贅沢なことをいっている。

水源の森が込んでいたのは釣れた、という話が広がったためであろう。
それにしてもサボリーマンの多いこと。さぼってないで働いてくれんことには年金が破綻するから困る。アッシー君達は働けよ。平日に道志にいこうとはゆめゆめ考えるな。


6月14日  狩野川 松下の瀬

さすが名人 No.[84] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/06/15 [木曜日] 04:20:04
相模川で行われることになっていた講習会がアユが釣れている狩野川に会場変更となった。
松下の瀬は10年ぶりになるか。石がまだごろごろしていて、歩きにくい。これでも、昔に比べると、石が埋まり、川が平坦化したとのことであるが。

午前。まず16cm、海産畜養と推定できる黄色く染まった下顎測線孔数が4対左右対象、スリムなのあゆみちゃん。これで狩野川にきた甲斐はあった。馬力がつけばあゆみちゃんとのやりとりが一層楽しくなる。チビと14cm、12cmとり混ぜて5匹。

午後。島さんが実釣を行う。見学しやすいように、分流で、解説を行いながらの釣りであるが、人工と思われる18cm級をつり上げた。

2時過ぎから釣るも釣れず。ビールを飲むと満足して午後は釣れない、といういつもの状態になる。ところが20cm級の人工が釣れ、その後も10cmから16cmまでのあゆみちゃんが相手にしてくれる。5匹。

島さんは2時間あまりで20cm、18cmの人工主体に20匹台。その近くで釣っていた釣具店の1人も16匹。
人工の付き場が鉄筋棒のところから、その上流に変わったとのこと。川の環境変化によるのか、放流された人工の変化によるのか。

超高級の竿の筆おろしを行ったハタ坊は、大安吉日を選んでの儀礼であるのにおらの半分。上下の、右岸側の人が釣れるのを寂しく見ている1日となった。
糸の時代から竿の時代になった、との宣伝文句もあるが、腕がよくても、竿がよくても釣れないこともある、ということの事例である。

11日、雨の中、中津川鉄塔下流ザラ瀬で12cm、10cmの鮎計2匹。朝帰りをして、相模川で行われていた講習会を見に行く。
ドラちゃんも永浜さんも生徒に釣らすことができなかったよう。
相模川では、かあちゃんに店番をさせてあゆみちゃんと戯れている幸せ男も、生まれも育ちも水郷田名の練達者もどぶ釣りに宗旨替え。どぶ釣りでは束釣りも出ている。
6月の釣りの対象となるように放流された県内産28代目の継代人工は病死、4月中旬に放流された5cm前後の愛知県産、富山県産人工?は、この時期の遡上鮎と同じ大きさで放流されたため、まだ小さく友釣りの対象となるほどには成長しておらず、どぶ釣りへの転向者を生み出している。


6月8日  藁科川

シャネル10番? No.[83] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/06/09 [金曜日] 05:01:08
若者が6月1日、2日で60匹を釣ってきたというから、遠路はるばる猿の鳴き声が聞こえ、去年10月には鹿が川に飛び込み、うりんぼうが出てきた藁科川赤沢にやってきた。その上流の寺里の方が釣れているとの話であったが、駐車できるとことへの道がわからない。

午前  釣りやすいところで釣るが、16cm、10cm各1匹。上流に行ったテクニシャンも同じ。下流に移動して、枝に糸が引っかからないように気をつけて3匹追加。
18cm、16cmはシャネル5番とはいえないが、10番の香りはする。なぜか。

「アユの本」に、香りについて次のように記述されている。
「海で動物性プランクトンを食べているアユの稚魚もやはりアユの香りがする。アユの香りというのは、じつは食物とは直接的には関係なくそのもとになっているのは不飽和脂肪酸が酵素によって分解されたあとにできる化合物であることも確かめられている。」
よって、アユが食べたこけに由来するのではない、と。

しかし、スイカの香り、相模川ではキュウリの臭いが、ある時期に手に残り香となることがある。
その時期は湖産放流全盛時代の、ダムのなかった中津川では6月中旬頃。
海産の大井川では7月20日頃。
この香りと不飽和脂肪酸との関係はわからないが、おらは成長段階の通過儀礼、と思っていた。しかし、通過儀礼とすると、成長の個体差の幅に合わせてシャネル5番を振りまく期間にも幅があるであろう。しかし、それほど長い期間にわたって、乙女の甘い、なまめかしい香りを味わうことはできない。

そして、6月8日の藁科川のあゆみちゃんから、乙女の香りがする。
このあゆみちゃんは海産畜養で美しい。
テクニシャンはこの香りをこけ、水、との関係であると推測しているが、それだけでは説明できないと考えている。
「アユの本」では、スイカの香りを不飽和脂肪酸としてこけとの関係を否定し、また、強い香りを振りまく時期の限定については説明していないが、適切な判断であろうか。

午後、テクニシャンが吊り橋下流の勾配があり、大石がごろごろしていて、だんだん瀬を形成しているところにいく。
おらはその場所を見て、囮が石の間に吸い込まれたら、助けにいけない、糸がもったいない、と朝の場所に戻る。
枝に糸がひっかからないように気をつけていたのに、根掛かりを外しにいって、枝にひっかけて糸を切ってしまった。これがわかっていたら、だんだん瀬で養殖を使って釣っていたのに。

テクニシャンはだんだん瀬のところで15匹ほど。朝を含めて合計25匹ほど。だんだん瀬では、遡上鮎の10cm級と放流の18cmまで、アユがいるとすぐにガツン。幸いまだ馬力が弱いため、抜けたが、馬力がつくと、抜けなくなろう、とのこと。
おらは午前5匹、午後2匹。

海産畜養が放流されているとなると、若者にあゆみちゃんを奪われる前におらがものにするで。来年の6月1日は藁科や。

永浜さんは、レベルアップ講習会に相模川に行くとのこと。1匹を釣らせたい、とのことであるが、掛けバリの代わりに毛針をつけないと難しいのではないか。

永浜さんは、30万円以上する竿が使える講習会が相模川大島で行われたときのおらの組の講師であった。遡上鮎が一杯いたため、おらはチビ主体に釣れた。根掛かりしたとき、永浜さんは外せる、といって外してくれた。
04年の講習会では、中津川壊れ橋上流に入った永浜さんの組は釣れず、山口さんの組であったおら達は壊れ橋下流に入り釣れた。午後永浜さんはそこに生徒を連れて行ったが、釣らせることができなかったようである。
その永浜さんが、去年、おらが大井川から藁科に転戦してきたことを覚えていて、大井川は梅雨明けから、いい思いができ、10月には25cm級が釣れる、といってくれた。
ドラえもんおじさんも今月号の釣り雑誌に大井川をねらい目の川の1つにあげ、ダム放流で川が荒れなければ、との条件つけている。


8月6日  中津川 トンネル横

出家できた No.[102] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/08/06 [日曜日] 18:00:36
狩野川はアカがついているであろうが、交通費がかかる。相模川は、高田橋上流の分流合流点の上流側とその瀬肩、弁天の瀬のあちこち、望地は柳下流の瀬尻下でもつれだした、とのことである。しかし、昨日、腕を休めるため、弁天で生まれも育ちも水郷田名の、0.2号金属で振り子抜きをするKさんを見ていたが、時速数匹。
ということは、瀬で1時間以上囮君に働いてもらわないと。マッスル背針を使ってもオラでは難しい。

中津川は、カジ淵下流の瀬、壊れ橋下流の瀬、角田大橋上流の瀬が釣れるであろうが、大入り満員のはず。

ということでトンネル横に行く。
オラが釣りたい波立ちのあるものの、強くない瀬の下で、3匹釣り、心の準備ができていない手前で大物に来られて、ばらした人、その人の上流にはいる。
場所は満足。後はあゆみちゃんの気分次第。

ハリス切れ。何で中津でハリス切れ第一号になるのか。想定外。
7号、1号のハリスにすると、蹴られ。又6.5号、0.8号のハリスに戻す。

厳しい出家の修行に励み、めでたく午前は、女への煩悩を断ちきり、永遠のやすらぎを得る道へ。

午後、すぐに煩悩を復活させる事態となるが、抜くときにばれる。
オラは16歳、18歳の女子高生が趣味で、20ウン才のねえちゃんは、女子高生が釣れてから、のお楽しみにしたいのに。
これで、6.5号の針が使えるのは狩野川だけ、と決心がついた。

高田橋上流、弁天に帰りのバスから釣り人が複数見えたから、釣れているのであろう。腕の休養がすんだら、那珂川に行く前に、望地で相模川のあゆみちゃんのご機嫌を伺うことにしょう。


8月2日  中津川 馬渡橋上流トンル横

又中津川 No.[101] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/08/02 [水曜日] 18:26:40
相模川の高田橋で20cm、22cmを8匹釣った銭さん、弁天の瀬で25cm級を含めて大漁であった、との話はあるが、石が見えて、あゆみちゃんのいるところがわかりやすい中津川にする。
角田の壊れ橋上下は、名人が荒らしたから、純情可憐、初心でヘボにもだまされるあゆみちゃんはいないであろう。ということで、トンネル横に行く。

チャラの波立ちで掛かる。今日は楽な釣りができる、とほくそ笑んだ。
しかし、良型の吸盤ボウイ。
囮が弱り、嘆き悲しんでいると、あゆみちゃんが私にも選ぶ権利があります。ヘボに釣られた、となると、恥ずかしくて町を歩けません。弱った囮でも釣れるように、修行をしてください、とかわいい顔に似合わない意地悪発言。
休肝日を設けていつまでもお酒が飲めるのがよいか、毎日飲んで肝硬変、肝臓ガンになるのがよいか、よく考えなさい、とかわいい看護婦さんに、いわれたことを思い出す。

上流の人が立ち込んで場所を荒らしているから、その上の場所に行く。
20cm、16cm、やっと、未来が明るくなった。
しかし、絞り込まれた瀬とその瀬落ちには人がいる。動けない。
午前5匹で終える。

上流から下ってきたテクニシャンに、釣れた?と聞く。「だめ」何匹?「10匹」
何でテクニシャンは贅沢なのであろうか。オラが1日働いて手に入れることができるか、どうかのあゆみちゃんを釣っているのに。

午後、チャラに立ち込んで、去年までの人工が好んでいた左岸の水深のあるトロを釣っている人がいなくなった。
水面に頭を出している石の頭に囮を入れると、重い。下って取り込んだ21cm。

上流の瀬には2人が釣っているから、そこだけで釣る。12cmから20cmまでやっと、5匹。
キャッチミス2匹の原因は、腕が十分に伸びない、という職業病?
そして、大井川のハチャキン娘に身切れで逃げられた、というトラウマから、人工の皮は固い、とわかっていながら、6.5号の針での身切れをおそれ、慎重にやりとりしたため。

アッシー君の1人が寒河江川に行っている。どんな川、どんなあゆみちゃんであろうか。


7月31日  中津川 馬渡橋上流トンネル横。

中津川のあゆみちゃん No.[100] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/07/31 [月曜日] 18:41:16
角田は日曜日は大入り満員であろうから、テクニシャンが入ったであろうトンネル横の方があゆみちゃんの犠牲者も少なかろう、と。

0.05号の金属を上から下まで細糸仕掛けで作られた立派な仕掛けをまず使う。中津川で5cm前後の大きさで、4月中旬から生活し、遡上鮎と氏素性は異なるものの、育ちは中津川であっても、細糸仕掛けで丼になることはなかろう。

この仕掛けは、接続部分のナイロンは二重にしてよってあり、すべて編み付けで接続している。又、中ハリスと付け糸が一体になっており、オラがつけ糸だけでも太い糸に取り替えたい、と思っても、仕掛けの作れないおらには対応不可能。
この使い古しを来年まで持ち越したくないから、やむを得ず使用した。

波立ちのあるチャラで16cm。箱入り娘にする。
養殖を取り出し、波立ちに入れる。先ほどよりも馬力がある。
昨日、伊藤さんをまねて0.125号のナイロンで、相模川で丼をしたという初心者を笑った手前、丼をするわけにはいかない。0.125号よりも強度のある金属の0.05号で丼をすることは、白髪、シミ、しわの沽券に関わる。
隣の釣り人まで、50mほどチャラであるから、十分に下っていける。数メートル下って、20cm。

当然、0.1号の使い慣れた金属に張り替える。上流の絞り込まれた瀬の瀬肩でもつれる。おじゃま虫のハヤ、吸盤ボウイも。
20cm3匹を含む8匹でビール抜きの握りを食べる。

午後。なぜか、ツイギーのようにやせたあゆみちゃん2匹と16cm。
釣れない、と嘆いても、囮に不自由しないから、余裕。
八菅から移ってきた人が0とのこと。子供か孫に釣らせている人がチャラに立ち込んでいるが丼だけとのこと。

結局、午後は5匹止まり。
あゆみちゃんは少なくなっているよう。とはいえ、角田よりも楽に釣れたであろう。


7月29日  狩野川 城山下

狩野川 No.[99] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/07/30 [日曜日] 00:26:58
太陽は一杯、狩野川大橋上下の瀬は満員。大漁のはず。
石コロガシの瀬:左岸に釣り下っていく人がいるから、右岸の瀬にはいる。大きい石があるから流れが強くても、養殖の囮でも止まるところがあるはず。
しかし釣れず。上流の瀬肩チャラへと釣り上る。
根掛かりを外しに入り石をなでると、アカがついていない。かすかにつき始めたところ。左岸でヘチのチャラを釣っていた人が正解であった。

ひたすら出家の修行を行い、今年はじめて狩野川で出家できる雰囲気。
午後、一本瀬。残りアカを狙うしかない。小沢さんの言う縦波が交錯しているところで養殖が踏ん張る。16歳、うら若き乙女。根掛かりを外しにいけないため、箱入り娘にする。

養殖を瀬に入れると、流される。エビか、とあげると掛かっている。チビ、小型の口掛かりの3連チャン=バレ。さすがの我慢強い養殖君もヘボに愛想を尽かせた。

瀬肩チャラに行き、箱入り娘を働かせる。12,14歳と釣れたが、口掛かり、囮で働かせることができたのは1匹だけ。
結局、4人の少女の誘惑に成功して出家に失敗。

中津川の角田大橋上下のアカが飛んでいたところが、21日にはアカがついていたから、狩野川でもアカがついている、と判断していたが間違っていた。
松沢さんは、昔は、1mほどの増水では、アカは飛ばなかった、と。砂が増えて、石をたわしで磨いている状態になっている、と。

石コロガシの渡場は深くなったのに、砂底。深くなれば石が出てくる、と思っていたが、そうではない。なぜか。川全体で堆積が進んでいるのであろうか。安倍川のように。

コマドリの瀬で、チビ主体に16,と、全国区の人についてきた人。

大井川よりも馬力がないのはなぜか。同じ遡上鮎であるのに。
アッシー君が大井川で釣った20cmは下顎測線孔数が4対左右対象であり、16cm級に乱れたものがあった、とのこと。オラのも16cm級で乱れていた。
藁科川の漁協のHPでの放流には、海産馴致と、人工が書かれている。

中津川の囮店の水槽に、今年4月中旬、相模川漁連が放流した6cmほどの愛知県産と、4cmほどの富山県産が泳いでいる。5月下旬には友釣りの対象となる12,14cmに育っていた。人間が手を加えると、自然界での成長よりも早く大きくなることを示していると考える。6月上旬に藁科で釣れたのも海産馴致ではなかったのか。HPでは放流したときの大きさを欠いていないため、推測でしかないが、12,3cm程度の大きさ以上で放流したのではないか。


7月26日  中津川 角田堰下流

中津川で釣れた No.[98] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/07/26 [水曜日] 19:26:38
お天道様は元気はつらつ。角田大橋のところではアカが飛んでいるのに、堰下流ではアカが飛んでいない。

壊れ橋上流50mほどの瀬にはいる。
午前、すぐに、上下の人が立ち位置にしている付近で14cm、16cm。これで囮の心配はなくなった。しかし、5匹止まり。動き回れるほどの空間はない。

午後、さらに釣り場は少なくなる。午前と同じようなところで、左岸よりを釣る。すぐに2匹。これで大漁、とは甘かった。その後は音沙汰なし。
20cmの浜名湖産2匹も釣るが、大井川の14,16cmのあゆみちゃんと違って、ラブホテルの門をくぐるまでは激しく抵抗するが、部屋にはいるときは素直についてくる。

10匹になることを願って5時まで働いたが、10匹目は鱗のみ。人工の皮、鱗が荒いことから、針はこまめに代えるべし、を忘れて節約したため。
大井川では身切れが6.5号で多発したが、さすが人工、6.5号での身切れは20cmでも生じなかった。

壊れ橋のすぐ下流、左岸へちから釣っている人が入れ掛かりをしていた。時合いか、腕か、場所か。そこは混んでいたが2人だけになっていた。


7月22日  中津川

なぜ川は堆積し、石は埋まる? No.[97] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/07/22 [土曜日] 14:06:32
相模川は濁っているが、中津川は笹濁り、20トンのダム放流。釣りになる川の状況。
しかし、今年初めての中津での坊主。根掛かり放流をして朝ビール。そこに若者がやってきた。これから短竿を使って分流等で釣りをするというのを引き留めて、話を聞いた。

若者の話。
1 神通川は遡上アユが一杯いるが、縄張りを形成する環境の石がない。秋川の群れアユは直線に並んで移動しているが、神通川では、乱舞しながら移動している。
このような群れアユは攻撃衝動がある。
その群れが回ってきたときは入れ掛かりになる。よって、群れを求めての釣りになる。

2 米代川は鹿角には石があるが、中流は石が埋まり、山から石を買って入れている。その大きい石には何十匹ものアユがついていて、1つの石でたっぷり釣れる。

2 阿仁川には堰があるが、遡上時期と雪代の時期が合うと、増水しているため、堰を越えて遡上できる。
遡上時期の水温は高くない。

3 神奈川県産の継代人工はやめるべきである。歌舞伎の襲名には、代数が重みを伴うが、アユは本来の習性を失う。
水中に潜ってみると、継代人工は中層を泳いでいる。

若者の観察は適切であると判断している。
それにしても、なぜ川は堆積し、平坦な川になるのか。
川は、堆積と浸食、そして蛇行を繰り返すものとのことであるが、今生じている堆積もその循環の流れの中の現象であろうか。それとも、その循環とは異質の堆積であろうか。堆積は下流でおこるはずであるが。

大井川等のダムのある川だけが堆積をしているのではないようである。
気田川の堆積もひどい状況とのこと。
堆積が進んで、石が埋まると、縄張りを形成したくても形成できない、とは、あゆみちゃんにとっては、由々しき環境悪化といえよう。その状況が続くと、鮎は流れを釣れ、石を釣れ、との友釣りの楽しさ、技術もなくなることになろう。
90年代から、鮎釣りは終末への道を歩んでいるのであろうか。

みずのようにさんがスミレにも種類があると、みずのようにさんのHPに書かれているが、ゆかしいスミレがなくなり、濃艶なスミレだけになれば、芭蕉が嘆くことになろう。
本物のあゆみちゃんが、少なくともオラがくたばるまでは日本のどこかに残っていてほしい。


7月16日  大井川 鉄道のトンネルとトンネルの間

大井川のあゆみちゃんその2 No.[96] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/07/16 [日曜日] 22:41:04
アッシー君は駿遠橋の下のザラ瀬にはいる。18cm、20cm級がアッシー君を瀬を下らせ、あるいは囮が掛かりアユに引っ張られて、あたりがあったのに、おかしいと思い、竿先を効かすと急に走られてあわてる等、馬力満点のあゆみちゃんを楽しんだとのこと。ザラ瀬で7匹、下流の平瀬でチビ1。

おらはトンネルとトンネルの間に右岸へ。
16cm、14cm、12cm、と多彩に釣れる。
18cmの時は、瀬落ちまで釣り下って浮かそうとしたが浮かない。ばれ太郎も男の勲章、と、ラブホテルにはいることに激しく抵抗するあゆみちゃんに、平手打ちではり倒されてもやむを得ん、と、有無をいわさず、抜く。
男は度胸、ばれずに取り込めた。

幸運は少ない。蹴られ与三郎、ばれ太郎のオンパレード。理由は6.5号の針にあると考えている。
アッシー君は8号のチラシに切り替えて、身切れなし、とのこと。おらも7号の保持力重視の針を用意しているのに。
アッシ−君と違って、14歳以下も恋人になってくれるため、幼いねえちゃんに7号はきつい労働を強いることになろう、というおらのねえちゃんへのいたわりが徒となった。

男は度胸、で、無理に浮かせて成功してもタモに入る前に外れることも。しかし、河原に落ちて2匹のあゆみちゃんの柔肌を抱くことができた。

おらを知っている人から、おらがその人が見ているときでも2匹を釣った、聞かされて、アッシー君がやってきた。
アッシー君は遠慮しておらの下流に入り、取り込むために瀬落ちに下っていく。
アッシー君は強い引きからどんな大物か、と。あげてみれば今回最小の12cmとのこと。

2台目の蒸気機関車が汽笛を鳴らして上流に向かったとき、やめた。16匹。
楽しかった。半日で10匹以上釣れたのは何年ぶりのことか。しかも7月中旬で大きい。このまま成長すれば、9月10月は、豊満熟女との逢い引きができる年に今年もなる。

ばれ太郎を卒業するため、次回から、7号以上の針を使おうっと。


7月15日  大井川 川根温泉下流

大井川のあゆみちゃんその1 No.[95] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/07/16 [日曜日] 22:13:24
06年の大井川は、遡上が多い、との話があったので、狩野川と同じく、12歳から大きくても16歳が混じる程度と思い、おらにとってはトラブルメーカーの0.05を使う。
いきなり、強い引き。遡上鮎特有の馬力がある。困った。丼は食うべからず。釣り人が右岸側のおらより下にはいないため、下りやっと取り込む。18cm。想定外。

糸を張り替えるか、悩んだ。幸いなことにその後は16,14,12歳と、0.05でも安心できる大きさで助かった。

しっぽ、尻びれ等を緑色というか、黄色っぽいというか、過去に大井川のあゆみちゃんがまとっていた蛍光色のような黄色とは異なる衣装をまとった美人のあゆみちゃんも釣れた。
しかし、蛍光色の黄色のきれいな衣装をまとったあゆみちゃんも少なく、シャネル5番を振りまくあゆみちゃんもいなかった。

とはいえ、8匹釣れて満足。
アッシー君は左岸の流れが弱いところで動かないから、入れ掛かりか、あるいは、人工と同じ場所を遡上鮎が好むと、誤解しているのか、わからなかった。

アッシー君は20cmをまず釣り、3匹で午前を終えた。18cm等大きかったとのこと。20cmの下顎測線孔数は4対左右対象であったのであろうか、それとも捨てられた養殖囮であろうか。

午後、年券購入者としては、今年のあゆみちゃんとのデートの場所を適切に選択する必要があるため、駿遠橋まで下る。
抜く里のところは、左岸から右岸へ流れが変わる蛇行地点で、毎年の流れの変化が激しいところ。
瀬がなくなり、チャラとザラ瀬になっている。おらは釣れなかったが、先行者2,3人は釣れていた。
右岸護岸は瀬状になっていて、頭大の石も見えるが釣れず。

鉄道のトンネルとトンネルの間に下る。
ザラ瀬上流は砂利が入り、石が埋まっている。ザラ瀬も流れが広がり、浅くなっている。14歳が2匹釣れた。

駿遠橋の下のザラ瀬は、形状は変わったが健在で、釣れている。その下流の左岸への平瀬は、右岸側の崖状の段差が崩れて歩きやすくなった。
石はある、ひらを打つあゆみちゃんも見える。釣れない。

アッシー君はおらが釣っていた川根温泉下流の瀬で午後3匹、その上流の流れが弱く、水深のあるところよりも小さい、とのこと。

旅籠近くの人で、おらが大井川に毎年何回か、来ていることを知っている人の話。
1 解禁前、ダムから濁り水が20日ほど放流されて、幼魚の多くは死んだのではないかと推定している。

鮎は多くないと思った。従って、大きくなるものもいたのではないか。

2 天竜川でえさ釣りが禁止になった。

「アユ種苗の放流の現状と課題」に、天竜川での調査報告に、「解禁後1〜2ヶ月のうちに餌釣りによるアユ資源の半数以上が釣獲されることが判明し、餌釣りがアユ資源に与える影響は相当大きいと推察された。
そのため、産卵親魚を確保しアユ資源を回復させるためには、釣獲量の制限、禁漁区の設定、解禁日の遅延などの対策を検討していかなくてはならない。」(66ページ)
の漁法制限が、やっと実現したといえよう。

「アユの本」の「『漁獲しながら親アユを残す方法』も考えなかればならない。基本的には漁期の制限と漁法の二本立てとなる。」
の視点で、天竜川において必要不可欠であった、漁法の制限がやっと実現できたということであろう。

大井川にとっては、ダム管理者が、ダム事業の産業廃棄物ともいえる泥等を長期間川に流すことをやめること。
中部電力が「環境に優しい水力発電」との横断幕を塩郷ダムに張っているが、「環境に優しい」とは、二酸化炭素を排出しないことだけではないはず。その効果、効用がもたらしているマイナスの要因、要素の自覚とその対策がないと、「環境に優しい」事業とはいえないと確信している。

ということで、チビがこけをはんでいるのも場所によって見えるとのことであるが、アユの量は多いとはいえない状況になっているようである。


7月12日  狩野川 松下の瀬

狩野川のあゆみちゃん No.[94] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/07/13 [木曜日] 20:29:03
今日の講師は小沢さん。
中州真ん中付近の本流に下流のザラ瀬から移る。ザラ瀬で12歳、14歳のあゆみちゃんとのデート、と目論んだが、10歳の小学生ですぐに移動する。
移動してすぐに14歳、16歳と。

小沢さんが個別指導にやってきたときには5匹、と快調。縦波と横波の説明を聞いているときにも釣れた。
縦波は水中の石の下流にできる波、横波は空中に頭を出している石で、流れが2つに分かれ、その石の下にたるみができる状況の波。
縦波のところでは、おもりをつけてでも引き釣りをする。
横波のところでは元気な囮を使うときに、使用する。弱った囮ではエビになる、と。

おらが釣った14歳あゆみちゃんを横波のある石裏に入れると、追い気のない鮎でも、じっと侵入者を見つめていて、裕次郎か、錦之助か、と品定めをしているから、あゆみちゃんのお眼鏡にかなえば釣れるとのこと。

天城山に雲がかかっている。天城に雨が降り、少しでも増水すると、おらのあんよでは分流を渡れなくなる。
ということで、分流を渡らなくても丘にあがれるところに移動する。釣れない。縦波があり、あゆみちゃんもいるはず。さっきの時速換算10匹以上の場所から、50mほどしかはなれていない。なんでや。
午前9匹。

午後、小沢さんが実釣を、島さんが実釣を行ったところと同じ分流、何の変哲もないところで行う。島さんとの違いは立て竿か、引き釣りか、である。波立ちの筋を引いて次々とつり上げる。

実釣の後、段々瀬に行く。朝はチビしか釣れなかったが、12歳14歳がいるはず。いた。釣れた。4匹。そのまま段々瀬で釣ればよいものを楽な平瀬状のチャラに行き、朝からの合計14匹。

16歳は海産畜養ではないかと思う。
小沢さんはもう1,2cm大きくなると、しっかりとした縄張りを形成するから、爆釣になる、といわれた。その時期は1週間後か、10日後か。

小沢さんは、しっかりとした縄張りを形成していない遡上鮎を釣り上げるから、おらとの差は大きくなる。
2時過ぎから釣った小沢さんは6時になっても戻ってこない。生徒で30匹を釣って、今年最も釣れなかった、という人が、小沢さんを見るたびに、取り込んでいた、とのことであるから、何十匹を釣ったのであろう。
島さんの講習会の時との違いは、16歳以上の放流が主体であった6月14日と、遡上鮎が主体で10歳から14歳のあゆみちゃんであるというあゆみちゃんの氏素性であろう。

少し香りがした。そろそろ遡上鮎がシャネル5番をまとう頃であろうか。


7月8日  那珂川

那珂川のあゆみちゃん:その2 No.[93] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/07/09 [日曜日] 19:08:49
町裏で、大会に参加。おらにアッシー君がいなかった頃、那珂川や鬼怒川での大会の時、宇都宮まで送ってくれた高橋さんに会う。シードであろう、釣り姿をしていない。

上流の組になり、高岩の方に行く。土手の上から見ると、ドラちゃんが好むザラ瀬・増水しているので、波立ちのある瀬があいているように見えた。歩きたくないので行くと、草陰に何人かの釣り人がいた。一等地があいているわけないよな。

高岩上流右岸護岸で、次いでその上流で、さらに上流に黒羽橋が見えるところで釣る。そこでやっと=囮をひき殺す危険状況で、14,16歳、3匹。
こつんときてエビかな、と糸を張ると、下流に入られる。強引にヘチによせると、身切れ。何で7号の保持力のある針にしなかったのか。ベストに入れてあるのに。
4匹が釣れていれば、結果を待つが、アッシー君も3匹とのことであるから寒井に向かう。

早昼を食べながら、新様の瀬を見ると、あいている。入ろうか、と思っていたが、アッシー君が品切れでは、という。そして、そこに入った人は消えていく。

品切れ説に同意して、おらはその上流のチャラへ。
その瀬の下流は釣り人が数人入っている。
アッシー君は昨日の場所へ。しかし、そこには釣り人がたまっていて、2匹しか釣れなかったとのこと。

3時頃、又雨。おらは竿をたたんで、屋根のある建物から高見の見物。
雨脚が強くなり、アッシー君も戻ってくる。そのとき、新様の瀬で入れ掛かりをしている人がいる、と。

50匹ほどをその瀬の下流、釣りやすいところで釣ってきた人が、売れる大きさの囮をクール宅急便に仕分けをしていた。
何であんな変哲もなく、釣り人もいるところで50も釣れたのか。

アッシー君が見た入れ掛かりの人を、雨がやんだから、ビールも飲んだから見に行く。
新様であった。品切れと推測し、又、釣り人が何人も去っていったのに、何で新様だけ釣れているのか。
あゆみちゃん獲得競争は、あゆみちゃんがいさいすれば、貧富の格差の激しい格差社会である、とまたもや実感した。

アッシー君も、3年前の今の時期のあゆみちゃんとの違いを感じていた。
おらの感じで述べると、
1 目印をひったくる、水中に引きずり込む、という激しいあたりがない。去年の8月にはその現象があったから、今年も8月には味わえるのかもしれないが。
しかし、3年前には7月上旬に味わえた。

2 去年は青みがかった肌をしていなかった。今年は去年と違い黒ずんではいないが。

3 掛かりどころの悪い鮎が増えた。単に水温等の環境の影響であろうか。人工あゆみちゃんの性格、習性の変化であろうか。

これらの変化は何が原因か。
那珂川には九州ダム湖産を親とする人工が放流されている。その大きさは、数量比率はわからないが時期を分けて数種類の大きさで放流されているとのこと。また、試験放流として、那珂川の鮎を親とした人工も少量放流されているとのこと。

その九州ダム湖産の人工が継代を重ねているから、鮎の性質、習性の変化を生じているのではないかと、想像している。
那珂川が相模川のように、あるいは群馬県産が放流されている川のように=おらから見ると、あゆみちゃんとはいえない鮎の川にならないことを願う。

さて、遡上鮎も友釣りの対象とあるほどの大きさである12歳から16歳に育っているはず。
当然、狩野川、大井川、藁科川に行く。アッシー君が見つかれば安くあがりありがたいが、見つからないときは電車で行こう。
おらは本物のあゆみちゃんが大好き。
今月号の「つり人」にも、鈴木編集長がおらと同じように感じているのでは、と推測できる文を書かれている。


訂正 No.[111] [返信]
投稿者:ど素人 投稿時間:2006/08/21 [月曜日] 22:57:20
すみません!!文を間違えました。中津川で無料で釣りができる場所ってありますか??


Re: No.[112] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/08/22 [火曜日] 08:30:14
無料で釣りができるところはありません。カジ淵から八反田橋上流の坂本の堰までは相模川第一漁協、カジ淵上流は中津川漁協の管轄で、漁業権が設定されています。
ただ、子供は無料、又、雑魚を水遊びの時に、片手間に釣っているときは、運が悪くない限り入漁料を支払わずにすみます。

なお、宮が瀬ダム上流では、3月のヤマメ、ニジマス解禁頃以外は、監視員が回ってくることはないでしょう。宮が瀬ダムの橋から、ワカサギをリールで釣っている人も入漁料を支払っているようには見えません。


質問 No.[110] [返信]
投稿者:ど素人 投稿時間:2006/08/21 [月曜日] 22:54:30
初めまして!釣りをはじめたばかりなんですけど中津川で無料ができる場所ってありますか??


8月20日  大井川

大井川のあゆみちゃんその4 No.[109] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/08/21 [月曜日] 05:23:37
夜がまだ明けきらない野守の池に何十人かの釣り人が釣り座にいる。クラブの大会とのこと。鮎釣りよりも老人が少ない。
相模川弁天のどぶのへら釣り場は老人天国であるのに、何で、静岡では老人よりも若い人のへら釣り人が多いのか。不思議やなあ。

温泉下流だけが釣れた状態で、温泉までつり上がる?、下流に新天地を求める?  下流は電車から見る限り、水遊びに適する状態から変わっていない。
昭和橋付近、その上流と違って、少女しか遊んでくれない、とわかっていても、昭和橋に行けない。

アッシー君が釣った棚から下ることにする。けられたのみ。朝1の蹴られは老骨にこたえる。
とぼとぼと、左岸の淵跡に行く。チャラになって、淵にあった大石も埋まる。
家山川合流点付近の右岸には石があるはずと、流れの真ん中に立ち込んで、右岸へ地を釣るが、無駄な抵抗。
水遊び適地をとぼとぼと船を引いていく。

やっと釣り人がいる瀬、流れに行き着く。
左岸瀬肩付近を立ち込まずに釣る。対面の赤い竿は少女3匹を釣り、その場所をしゃがみ込んで釣っていたヘボに譲り、瀬肩上流のチャラに移り1匹釣っていた。

少女達が話していた。
「余命幾ばくもないから、又、すべての女性から見放されて、かわいそうと思って、敬老精神から遊んであげたのに、私たちよりも、お姉さんがよい、とは失礼ね。こんな恩知らずのジジーはほっておいて、ヨン様を探しに行きましょう。」

オラは、大切にしなければいけないヘチに立ち込んでいって、少女達に謝った。姉ちゃんよりも世の中の泥にまみれていない、純情可憐な少女の方がすきい、と。
オラの真心が通じて、少女は機嫌を直してくれた。風があり、大きさがわからないため、ヘチに寄せて取り込む。16才。

この少女がお友達を連れてきてくれる、と期待するが。
瀬に移った赤い竿が、瀬を下っていき、抜く。バレ。赤い竿はこれを機に、竿たたんで自動車で移動。
オラもあゆみちゃんが少ない、と思い、テクシーで移動。

ダム放流の濁りを嫌って、家山川に差したあゆみちゃんが残っているかもしれない。合流点近くに1人いる。その上流の水深10cmほどで釣る。
少女3人。
下流の人も動き、オラも移動。

左岸淵跡。ここに水がとおり、大石がごろごろしていたとき、夕方18cm級の入れ掛かりをしたことがあった。その後、淵は広がり、深くなり、流れがなくなり、恋敵の巣窟になった。
そして、埋まった。
左岸岩盤付近は水深がある。大石の頭が水中に出ている可能性もある。
釣れた。18cm太め。

その上流の水遊び場を過ぎたところの瀬脇に石が見える。1人釣れた。

やっと、2時になった。釣れない、釣れる場所がない、坊主になる修行に耐えた1日でした。
下顎測線孔数は太めちゃん以外は、4対左右対称であった。
昭和橋上流はアッシー君がいないといけないし、つづらは行けるが歩く距離が長いしい。温泉下だけでは飽きるし。
悩みはつきず。


8月19日  大井川

大井川のあゆみちゃんその3 No.[108] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/08/21 [月曜日] 04:30:09
川根温泉下流に10時過ぎにはいる。アカ付き良好。
7月に14cm、16cmであった遡上鮎は、18cm、20cm以上に、12cmは16cmになっているであろう、と、7.5号碇、8号チラシを用意し、7号を予備にする。

すぐに、14才、その少女はお友達を連れてきてくれる。16才の3人目までは早掛けマックのの面目躍如。
小さい。8号から7号にする。しかし釣れず。流れが少し強くなる瀬で、18才。瀬の強いところは大きい?、と、7.5号に替える。蹴られだけ。
昼前にやっと16才1人の少女を追加。これが5匹目になるが、なんと釣れない時間が長く感じられたことか。

午後、温泉下流の少し強くなった瀬で少女を4人追加し、抜く里に行く。
左岸から右岸への瀬は、10人の釣り人がいる。温泉下よりも多い。先客の上流にはいる。石はあるが変化に乏しく釣れず。
護岸下流の落ちこみ上の瀬肩を釣ろうと思ったが、立ち込んでいる。

トンネル横に行く。釣り人1人。
7月のザラ瀬はこぶし大の石で埋まり、平坦化している。当然釣れず。

駿遠橋橋脚の先掘を防止するためのブロックから流れる何筋かの一つの流れが形成しているザラ瀬状の棚で、アッシー君は7匹ほど釣っていたが、そのときよりも棚が小さくなっている。
その下流の流れもだだっ広くなっている。
少女1匹。

大人も子供も流れてくる。安全な水遊びの場所。そのような場所が増えた。
何で、7月よりも小さいのか。海産馴致が釣りきられた、ダム放流による20日ほどの飢饉で遡上鮎が成長できなかった、ということであろうか。


 8月17日  相模川

相模川の状況 No.[107] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/08/18 [金曜日] 08:26:44
7月1日前後に相模川で行われた大会でも釣れていたが、8月にはいると、6cm、4cm前後で放流された富山県産、愛知県産も友釣りの対象となるほど、成長し、釣れる人は釣れ、貧乏人はますます貧乏になっている。

弁天の瀬で5時間で27匹、ドラえもんおじさんも体を休めつつ、3,40匹と思う。その他の釣り人にも3,40匹の人あり。大きさは25cm級までとのこと。

高田橋上流でも、この日は大漁で、まじめに働いた人には30,40の報酬があったとのこと。

8月17日
少し増水。そのせいか、弁天での髪結い亭主予備軍も8,生まれも育ちも水郷田名のUも8。ドラちゃんも入れ掛かりとはいえず、お休みの時間が長い。

高田橋での分流合流点瀬ではたまに釣れているが、昨日のスピードには遙かに及ばない。
昼から、生まれも育ちも水郷田名のKが、瀬肩を釣りながら右岸に渡る。連発とはいえないが、振り子抜きで取り込んでいる。20はいったか。

1日違いで大漁から不漁へ。あゆみちゃんが少なくなったからか、少し増水したからか。
ただ、釣れるまでの間隔が長いと、水流が中津川と違って強いため、貧乏人はますます貧乏に、金持ちはますます金持ちになる傾向が強く、貧乏人確実のオラとしては、中津川の方が楽でええわ。

大井川上流の中川根町出身のテクニシャンの一人が、盆に大井川で釣った。藁科川を山越えして午後から、つづらの上流側で10匹台。芯にはアカがついていないが、ヘチ等にはついているとのこと。
翌日、昭和橋上流、竹藪上のザラ瀬で10何連発とのこと。
藁科で大井川は釣りにならない、といわれての至福とのこと。オラも、そのあゆみちゃんの分け前にあずかるため、20日前後に行ってくる。
8号のチラシも用意し、肩を休めることもしているから、いつでも出発できる。ただ、アッシー君がいないと、昭和橋上流には行けないし、つづらも、宿まで8キロ以上釣り下り、歩くことになるから、あきらめるしかないが。


8月16日  中津川 田代

中津川 No.[106] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/08/16 [水曜日] 18:30:50
まだ全国的にお休みの釣り人も多いであろうから、角田大橋の堰下流は混んでいるはず。田代がすいているとのことで、アッシー君につれていってもらう。

球場横の瀬にはいる。9時までに、14才から23才まで8匹。この調子で釣れたら大漁、と。いつもの捕らぬ狸の皮算用。次に釣れたのは昼前。10匹に届かず。

午後、国道に近い瀬を釣る。20cm、18cmが釣れるもそれまで。その上流の瀬は見てくれはよいが、午前中釣っていた人たちが消えたように、オラも釣れず。

石の色は悪くないが、何で球場横の瀬しか釣れないのか。
その上流のチャラ瀬状のところでは、何の気配もなし。アユがいないはずはないが。
見てくれがよくても、釣れる場所が限られている等の理由で人が少なかったのであろうか。

国道護岸下流から、夕方戻ってくる人がいたが、その方は釣れていたのであろうか。


8月13日 那珂川 寒井

那珂川のあゆみちゃんその4 No.[105] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/08/14 [月曜日] 05:55:53
橋下流のチャラで、周りよりも波立ちのあるところですぐに14cm。
根掛かりを外しにいって、真ん中の中州状のところから、左岸のチャラを釣り2匹。口掛かり等掛かりどころは悪い。
やっと背掛かり。喜ぶ。ハヤ。

梁上流に移動。
堰状の付近には釣り人が見える。その数百メートル下流の勾配のある瀬には1人しかいない。
青ノロが一杯。青ノロのリングを鼻管につけて、囮を弱らせることになるのか、と、移動場所を考えながら、釣る。

少し勾配が緩くなり、波立ちが小さくなるところに下り、取り込む。20cm級。
根掛かりをしたときに石を見ると、青ノロのついていない石もある。又、上流から下ってきた上級者が青ノロのついている石の底はアカがついているから、あゆみちゃんは食料に困らない、といわれた。

オラと、オラの上流の上級者が釣れたのであるから、青ノロがあるから、ポイントではない、とはいえないのかもしれない。

16才、18才のオラの大好きな女子高生が青ノロの中、6匹。青ノロに守られていたから、あゆみちゃんが残っていたのか。
上級者も、1カ所では数は出ない、といわれた。

しかし、余笹川合流点下流に行ったブロック大会での落選若者、名人予備軍が梁横の流れ、梁下等のチャラに移ってきた。
若者は午前で30,予備軍達は3時過ぎまでに43,33匹等、釣りまくった。

テクニシャンは朝苦労していたのに8匹。オラの9匹と変わらない。

午後、若者達をまねて、梁横チャラにはいる。釣れた。そして2連チャンの腹掛かり。囮には不自由しないため、腹掛かりも、12,14才のあゆみちゃんでもアリガタヤ。
新様の釣っていた瀬は予備軍が荒らしていったが、20cmが釣れ、気持ちよく竿をたたんだ。

午後は釣れない、とあきらめていたのに、思いもかけず、6匹も釣れた。キャッチミス、ぽろりは5回ほど。大きさがチビから20cm級と、バラバラであると、取り込みミスが多くなってしまう。

テクニシャンは橋上下のチャラで結局、1日16匹、オラよりも1匹多く釣る。いつもは倍の差をつけられているから、その点ではオラの腕が上がった?  いや、テクニシャンが初めての場所であっただけ。

何で特定の場所のチャラが一級ポイントであったのであろうか。


8月12日  那珂川 馬洗い

那珂川のあゆみちゃんその3 No.[104] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/08/14 [月曜日] 05:08:19
瀬尻下流の水深が浅くなる境目付近ですぐに20cm級。恥も外聞もなく下り取り込む。なんと優しい那珂川のあゆみちゃん、と喜ぶ。丼をしてせっかくのあゆみちゃんを失いたくないから、養殖を囮にする。またも釣れた。

早撃ちマックならぬ早掛けマックの快調もこれで終わり。
下り、抜いた、バレ、の後は音沙汰なし。
保持力重視の7号の針であるから、人工のあゆみちゃん故、ばれるはずがない、と確信していたのに。

高岩でのテクニシャンは以前と流れが変わり、釣れず。

午後、ゴロちゃんがやってきた。那珂川のゴロちゃんは、那須と八溝山系に囲まれているため、お出ましの回数が多いだけでなく、あゆみちゃんとのデートに対する嫉妬も激しい。
ところが、この日のゴロちゃんは短時間で去ってくれた。夜中に出発したのに、渋滞でやっとたどり着いたオラ達に同情してくれた。

重い。エビか、違う。石を釣ったか。沖に行く。掛かりどころが悪いからか。寄せるも抜こうとすると沖に出て行く。ニゴイか。違う。
22cm。はじめから22cmとわかっていたら、抜かなかったのに。

結局1日働いて6匹。
テクニシャンも同数。出足不調でも、必ずオラを抜いていくテクニシャンの腕がオラにあったら、早掛けマック改め、テクニシャンになれるのに。



8月10日  中津川 角田の堰下流、壊れ橋上流の中間より下

たいした雨量でない No.[103] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/08/10 [木曜日] 18:38:39
相模川は少し濁りがあるが。1mも増水していない。中津川は濁りなし、20トンのダム放流であるが明日は14トンになるとのこと。

角田大橋から見るとアカは飛んでいる。しかし堰下流は芯だけが飛んでいるように見えた。
波立ちのある瀬の右岸側へちよりに囮を入れる。外見も気にすることなく下る。もっとも下流の釣り人とは50mと離れているが。下らなくても取り込める可能性はあるが、人工とはいえ、水量の加護を受けていること、金属糸が疲労困憊していること、よって、丼を避けるには下るしかない。
20cm。何で乙女が最初から釣れるんや。女子高生が趣味やのに。

いったんはしまったが、養殖のもう1匹を草に掛けて弱らせたから、囮に使う。
今度こそ、体重の軽いのがこいよ。18cm。14,16cm、とすぐに釣れる。

早撃ち、ではなく、早掛けマックはこれで終わり。昼前に1匹追加したのみ。
朝帰りを想定していたため、ビールも握りもない。囮屋に戻り、梅酢に漬けたミョウガでビールを飲み、カップラーメンを食べて満足。

午後、壊れ橋に近い波立ちの瀬脇で釣れた。その上流でも1匹。しかしこれまで。

宮城県産は4代目とのこと。今年放流された人工はなぜか瀬につくが、継代の代数が少ないからであろうか。
漁連が漁協の放流に対して、同額のマージンを取らなければ、宮城県産等がキロ2千円で放流できるから、放流量が増えるのに。
酒匂川漁協は全国内水面漁連を脱退しているとのことであるが、中津川漁協も相模川漁連、全国内水面漁連から脱退したら、と思うが。



9月20日  中津川 角田大橋上流

大アユの中津川 No.[121] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/09/20 [水曜日] 20:25:50
もう苦行はしない。ただ、ハリス切れはしたくない。よって、1.5号以上のハリスを使う。又、身切れのバレをしないため、引き抜きはしない。
釣れなければ朝帰りをする。

瀬肩上のチャラには立ち込んでいる人がいる。そして根掛かりを外しに右岸側まで行く。ポイントをすべてつぶしている。
その人の下流、瀬肩下にはいる。釣れず。
その人の上流で、立ち込みの影響がないであろうチャラを左岸側から釣る。

今日の囮は、遡上鮎を畜養したものという。
豊川が産卵床の整備、親鮎の保護をしているため、流下仔魚が多く、遡上鮎が多いとの話がある。そして、遡上鮎を一定数量にするため、遡上した鮎を採捕しているとの話がある。
その鮎が畜養されたのであろうか。16cmほどの大きさであるがよく泳ぐ。継代人工とは異なる。

流れの真ん中よりも沖に出たとき、20cm。次いで18cm。
これで囮の心配はなくなった。
その上流で、立ち位置を流れの真ん中にして、少し水深のある左岸を釣り上っていく。
100mほど犬の散歩をして、少し水深のあるところにくる。
目印が飛ぶ。

針は8.5号、ハリス2号。無理をしてもあゆみちゃんを逃がすことはないはず。ただ、糸が金属の0.2号であるが去年の使い古し。たぶん11月に狩野川で使ったもので、それほどいたんでないとは思うが。
時間と、瀬肩までの距離はたっぷりある。

あゆみちゃんの瞬間的な引きは大井川の20cm台のあゆみちゃんに比べて、鋭さに欠ける。たっぷり時間を掛けて取り込んだ大アユ。

午前5匹。
今日は昼休肝日 の予定を変更して、囮屋でビールを飲む。

午後、瀬肩上の立ち込まれていないチャラであろうあたりを流れの真ん中から左岸を釣る。20cm、18cm。
これで2時頃からの時合いの時の囮に不自由しない。

平山橋からの瀬落ちの流れがあるところに行く。根掛かりをしたときに左岸に入っていくと、石が大きく、頭大の石が詰まっている。そして、1m近い水深の溝になっている。
この環境で、時合いでも釣れないのはおかしい。上流側で掛けて下ってきたコロガシの人がそこは荒らした、とのこと。オラがビールを飲んでいる間にコロガシをされた。

50mほどくだりちゃらを釣る。
目印が飛ぶ。瞬間的な引きが午前の大アユよりも鋭い。まだ瀬肩まで50mはある。
たっぷりと時間をかけて、あゆみちゃんが弱ったところでだっこした24cm、スリム、さびなし。

午後6匹。
さびの出始めは、20cm前後に見られる。大アユを含めて、22cm級にはさびはない。
大アユは27cm・200グラム。
中津川漁協のH・Pに写真が出るかも。
今日釣れたあゆみちゃんが、今年放流された人工のどの種別に該当するか、はわからない。県内産の28代目がオラのあゆみちゃんに混じっていないことだけは識別できる。


9月17日  中津川

苦行の中津川3日目 No.[120] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/09/17 [日曜日] 18:31:10
苦行も3日目になると、早く本物のあゆみちゃんの柔肌をだっこしたい、との欲望が強くなる。

角田大橋上流、瀬肩からチャラを釣るが釣れず。1時間ほど後にやってきたテクニシャンは、しばらく釣って、釣れない、とさっさと消えていった。見切りの早いこと。
オラはこんでいない、との理由で移動しない。
20cm級、さびなしが釣れた。

その付近を釣るもそれっきり。50mほど上流の水深のあまりないトロに行く。
砂混じりの真ん中に立ち、左岸を釣る。目印が飛ぶ。軽い。蹴られか、と引き寄せると、10cm。ちびっ子賞はないのかなあ。
またも1.2号のハリスを飛ばされる。

出家の道を断たれたから、瀬を釣り、ついで、壊れ橋上流に移る。
なんと、オラの下流の釣具店社長が25cmを釣った。オラの上流側の人も。さらに、その上の相模川で振り子抜きをしているドラえもんおじさんが、振り子抜きの仕掛けでないためか、引き寄せで取り込んでいる。
いつものようにオラだけが蚊帳の外。

25匹を壊れ橋と消防グランド中間のトロで釣った人もいるというのに。
苦行は覚悟の上とはいえ、3日間の苦行はしんどかった。
ただ、18cm、20cm級の富山県産、愛知県も、また、25cm級も出ている宮城県産もさびていないこと、及び人工としては鮫肌ではなく綺麗であった。
去年の和歌山県産と同様、大アユの中津川でした。もっとも和歌山県産は、瀬に着く、遡上性がある、という習性はなかったが。これまでの人工とことなり、鮎らしい美しさと習性を持つ人工鮎の恩恵にあまり恵まれない苦行僧もいるが。

相模川でも3日間の苦行を覚悟しているので、その前に狩野川、大井川で、本物のあゆみちゃんの柔肌をだっこして、精力をつけておかないと。
台風の雨量が気になる。


9月16日  中津川 角田、壊れ橋上流

中津川苦行2日目 No.[119] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/09/16 [土曜日] 16:04:12
女犯も、女体も、すべての煩悩を断ち、清い生活を、と、今日も修行に励む。

意に反して、いや本音に反して、昼前まで、悪魔に修行のじゃまをされることなく、修行が続いた。
やっと、目印が飛ぶ。ためる。大きさはわからないが、20cm台のはず。
大井川の本物のあゆみちゃんよりも瞬発力、厳しい引きはないが、よってきても沖に行く。走るというほどではないが。
1.2号のハリスが飛ばされた後であるから、弱るのを待つ。たぐり吊しこむ。

手の指がくっつかない。25cm。
体高があるとはいえ、まだ抱卵前。やはり太っているということ。肩が盛り上がっていても人工との識別の指標にはならないということを実感した。
さびなし。

中津川で釣れている24,5cm級は、さびのあるのと、さびのないのがある。
さびのあるのは、9月中旬、下旬に採卵し、40万匹?が放流され、そのうちの9割が死んだ、と、この種苗を生産している神奈川県が認めている28台目継代人工であろう。
さびのないのは、宮城県産とのこと。宮城県産は10月中旬以降に採卵されたのではないか。

18cm前後に育っているはずの富山県産と愛知県産は何で釣れてくれないのか。これが釣れたら、囮に不自由しないのに。

テクニシャンが昼にやってきた。
消防グランド前は満員、田代は角田よりもすいている、とのこと。
テクニシャンはすいているところを探していたが、昼で壊れ橋上流がすいたので、ここで竿を出した。しばらくして釣れないため、車で移動した。
テクニシャンでさえ、見捨てた場所であるから、オラは1匹で満足すべしということ。


9月15日  中津川 角田大橋上流

中津川修行 No.[118] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/09/15 [金曜日] 18:24:14
旧平山橋から下流側を見ると、頭大の石が敷き詰まっていてアユが見えていたから、様子を見たいと思っていた。
新旧平山橋の間に、コロガシの人がいる。ここはコロガシができるところ。
やむを得ず、橋上流で釣るも、釣れず。

角田大橋上流の瀬尻に近いところにはいる。テクニシャンがその下流のチャラで1匹釣り、1匹ばらしていた。
すぐに釣れた。22cm。
何回使用した糸か、わからない糸のため、仕舞い込む。

テクニシャンはチャラからオラの上流に入り、すぐ1匹。その後、瀬肩チャラ、瀬肩下の瀬、橋上のチャラ等を釣り、オラが帰る4時までに13匹。
いつも以上の差をつけられた。

オラは1匹のみ。22cmであるから、5月に成魚放流された宮城県産ではないかと想像している。
下顎測線孔数は4対左右対象であるが、間隔が不揃い。3代目とのことであるから、下顎測線孔数の乱れが少ないのであろうか。

中川根町出身のテクニシャン2が大井川に連れて行ってくれ、オラも天国の贅沢を味わえるはずであった。本物のあゆみちゃんを一杯侍らせる2日であるはずであった。雨さえ降らなければ。
お天道様まで、オラの幸せのじゃまをして、大井川ではなく、中津川でも苦行をすることとなった。

相模川は増水していて、高田橋上流の分流に両側から10人ほどが釣っていた。分流下流では、いつもと違って、ヘチから釣っている人がいた。
弁天では、瀬肩トロに釣り人がいたが、瀬には見えなかった。昨日は瀬尻に釣り人がいたとのことであるが。


9月8日  那珂川

苦行の那珂川 No.[117] [返信]
投稿者:相模原片岡 投稿時間:2006/09/10 [日曜日] 05:52:04
午前0時の水分データーベースの水位上昇は雷のため、とわかる。濁りと増水。
黒羽五峰の湯にいく。ビールを飲みながら同年配と年上の元ねえのおしゃべりを聞く。温泉で、オラの鮫肌が本物のあゆみちゃんのぬめむめぬるぬるの柔肌になる。

午後、余笹川合流点下流は濁っているが、上流は笹濁り。
寒井梁下流の7月に新様が入れ掛かりをしていた瀬でオラも入れ掛かりのはず。
3匹目の口掛かりをぽっちゃんしてから、新様になる道は閉ざされた。
橋上のチャラで2匹追加のみ。8月にこのチャラらでも20,30釣った人がいるというのに。そして明日でも釣れたというのに。

橋上下のチャラで様子を見たテクニシャンが7.余笹川合流点上流瀬の2人は、ハリス切れ丼等で各1.

9月9日  那珂川 
ダイワチームバトル。
上流500mほどに黒羽橋の見えるところに行く。頭大の石が埋まり、溝もなくなり、平坦になっている。右岸へのザラ瀬釣れず。先行者は釣り下り消えていく。
トロの人は左岸は石があるから釣れ、右岸は石がないとのこと。その地元の人は頭大の石がないのを知った上で釣り続けていた。時合いで釣れることを知っているのであろうか。

馬洗いに行く。8月に釣れた瀬は釣れず。
検量に囮2匹を持ち込むには、根掛かりがはずせる流速、水深で釣るしかない。さらに下流に行く。いつもはこんでいるのに数人しかいない馬洗い。高岩では、真ん中に並んで左右を釣っていた。

那珂川での出家を覚悟していたが、1匹。そして、すぐに又かかる。しかし、口掛かりのぽっちゃん。ぽっちゃんが不幸の始まりになるのは今日も同じ。
3匹追加して検量へ。
8月の大アユ:大漁が忘れられず、余笹川合流点下流に行った中では、テクニシャンが15,その他は転んでタモを流したり、ドングリをしたり、で2匹止まり。

矢組に入った那珂川初めての(全国大会出場者は黒羽は経験しているが)興津川のチームが優勝。
寒井のチャラにチームの何人かが入った「E」チームが込みの100匹で3位。オラ達「A」チームは過去最低の94位。ねえちゃんが17匹釣っているというのに。

寒井のチャラが水位が下がり釣れたという説明があったが、それだけではないのかもしれない。
出家はできなかったが、厳しい修行に耐えた2日間でした。


 9月2日  大井川

大井川のあゆみちゃんその5 No.[115] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/09/04 [月曜日] 03:59:54
アッシー君があゆみちゃんよりもパチンコ台の方が遊んでくれる、と、パチンコを選んだため、先週、中川根町出身のテクニシャンが30ほど釣った昭和橋と久野脇の中間付近には行けない。川根温泉下流で釣るしかない。

囮屋さんで、家山の大旦那、ご隠居?が、こんなところで釣れるのか、と思われるチャラで20cm級が大漁であった、と話されていた。又、抜く里の瀬がよく釣れている、釣り人が多い、とのこと。

10時過ぎから釣り始めるが、釣れない。
盆の頃、14才、16才であった少女もその後は飢饉になることもなかったから、18才、20才の乙女になっていると思い、8号チラシを使うが、針掛かりしない。釣れている人を見ると、少女である。
碇にして、昼の蒸気機関車が通るときやっと少女が1人。

7号、1号の碇のハリスが一撃できられる。これがあるから少女と侮ってはいけない、と注意していたのに。
さらに、7.5号、1.5号の碇にする。きた、少女とは違う。ためる、乙女の柔肌をだっこできる、と胸きゅん。その思いは無惨に散った。
中津川では23cmでも、7号でばれなかったのに。
人工と本物のあゆみちゃんでは、皮の厚さが違う、馬力が違う、と、承知しているからチラシを持ってきたのに。
午前に10匹ほど釣れた人のように、ためずに20mほど下り寄せる方が身切れがしにくいのか、と。その人も、オラのすぐ上まで下ってきてつまみ糸をもって、吊しこもうとしたときに身切れをしていたが。

電車から、神座、丹原に10人以上の釣り人が見えた。今年見る釣り人では、一番多い。温泉下流にも20人ほどの釣り人が入った。トンネル横のこぶし大の石で埋まった元ザラ瀬にも2人の釣り人がいた。
鉄橋上流の元右岸岩盤が張り出し、頭大の石が詰まっていて、小石で埋まった、ところにも釣り人がいた。

晩飯を食べに行った寿司屋さんの話。
大和田で60匹釣れていた。
頭大の石があり、波立ちがある誰が見てもつれる筋で、必ずしも釣れていない。

チャラ、こぶし大の石のところで釣れているのはなぜか。
彼岸花の咲く頃になり、海産あゆみちゃんもおっぱいがふくらみ始め、物思う年頃になたからか、それとも、瀬の頭大の石のこけが腐っているところもあり、こけが腐りにくいこぶし大の石のチャラのこけの方がうまい、という美食家としてのあゆみちゃんの習性によるものか。つまり、土用隠れの時と同じ現象か。


9月3日  大井川

大井川のあゆみちゃんその6 No.[116] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/09/04 [月曜日] 05:00:05
9月3日。4時頃から散歩に出るがまだフクロウの鳴いている時間。季節の変わり目をあゆみちゃんの心変わりで知るなんて。
野守の池でルアーをしている。ルアーは禁止になっているが。ブラックバスは暗くてもルアーに反応するということか。
ブラックバスを退治ないと、野守の池のタナゴ、ハヤ、フナ等の減少になるのではないか。

温泉下流。今日は何匹かの囮がいるから、昨日よりも囮に不自由しないはず。
瀬肩上流に広がるチャラで釣る。同業者が2,3人いる。
乙女しかいないであろうが8号のチラシから始める。
少女のくせに、2連続のぽっちゃん。身切れではなく、掛かりが悪い。その後も1人が口掛かりでぽっちゃん。

7.5号の碇にして瀬に移動。2人の少女が相手にしてくれた。

オラは飲まず、食わずで働くつもりであった。しかし、あゆみちゃんが炎天下で、何時間働かすの、と、おなじみのストライキ。
やむを得ず、村の市の食堂で、天ぷらおろしそばでビールを飲みながら、蒸気機関車を眺める羽目になった。

午後、チャラにはいる。
立て竿の目印が吹っ飛んだ。乙女?
軽い。蹴られ?  背掛かりで1匹アユがついている。エビになった?
結果は、囮がいない。
那珂川、狩野川で、4.9mmの鼻管で、20cm級を囮にして、20cm級が釣れたとき、囮がいなくなったことはあった。
その4.9mmの鼻管につけていた囮は少女。釣れたあゆみちゃんも少女。
何で、囮が外れた?  少女であるのに、目印がすっとんだあたりではあったが。

一撃で1号のハリスが切られたときも、竿がひん曲がることはなかった。囮を支点にして、どのような力のかかり方をしているのであろうか。

電車の時間調整のため、囮屋さんでビールを飲んでいるとき、友釣りの大先輩が話してくれた。
1 天竜川の餌釣り禁止は、一部の区間で行われているだけであるから、遡上鮎の保護にはならない。

2 大井川の河口は砂礫で埋まっているため、海とつながっていない。
川の水は砂礫の間を通って流れ出しているため、鮎の遡上はできない。(増水等の状況によって遡上できる)
水を通すため、砂礫を除去することにはなっている。

3 大和田の瀬に、石が一面に詰まっているところがある。その下流のトロも石が入っている。
そこが竿抜けになっていると、大漁になる。

4 昔、寒狭川にも紫アユがいた。そのアユは湖産である。寒狭川は、岩盤、花崗岩の大石が転がっている。

大井川の河口が埋まっているということは、砂礫の川への流入に対して、掃流力が不足している、ということであろう。
大熊先生の日本河川史で、洪水と水害を区別されていて、洪水は、良寛のように、受容すべき現象、とされている。

ダムが洪水まで制御することが、掃流力を減少させているのではないか、と疑っている。
中津川もダムができる前は、大石がごろんごろんと、大きな音を立てて流れていくような、水量の時もあった、とのこと。
今は、100トン/秒に制限されている。
馬渡のトンネル横の水辺まで、アシが生い茂っていることも、愛川橋上流の瀬が流れの幅が広がり、大石が埋まっていったのも100トンの放流量に制限しているから、と想像している。

アッシー君を働かせるほどのあゆみちゃんは釣れず、2日間で12。
振られても、蹴られても、ばれても、めげずにあゆみちゃんを口説きに来るで。
振られたから、邪険にされたから、パチンコに宗旨替えをする、ということは、プレイボーイの名折れや。

本物の、清楚、清純、美人のあゆみちゃん、よこしまな男の毒牙にかからずに、待っててや。


 8月26日  相模川

大アユの相模川 No.[114] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/08/27 [日曜日] 13:53:02
8月26日
高田橋上流。
瀬肩上流のトロ瀬で、オラの上流側3人ほどは次々と、又、トイ面の人は時には何メートルも下り取り込み、10人ほどのあゆみちゃんとデートをしている。
オラだけ蚊帳の外。20cm級1匹のみ。

橋すぐ上流のトロの銭さんまで、午前に7匹ほど釣れたという。
オラと同様釣れなかった人もいるから、しょうがないか。

午後弁天の瀬に行く。
右岸側でせっせと釣り上げているブロック大会に皮1枚で落ちた若者が3時にあがったにもかかわらず、30近く釣る。
少し又増水しているから、分流に入るも、蹴られただけ。
瀬肩付近に移っても音沙汰なし。

8月27日高田橋近くのトロ。昨日、銭さんが釣れたのに、オラは釣れず。
オラの上流側の3人は1,2匹釣っているのに。
昨日、わびしい思いをした瀬肩上流に行く。昨日の場所よりもよりはほんの少し上流に入れたが、もう少し上に行きたかった。
すぐに23cm。仕舞い込む。

オラの上流側の人が大きな弧を描いてためたいる。ヘチに寄せ取り込んだ27.5cm。
その人は恋敵に囮を持って行かれていたため、それを囮にする。20cm級を釣った。それを見た後、オラは根掛かり放流でやめた。
2匹の寸法が基準の大会のため、残った囮と23cmで計量。

オラの上流の人はその後も27.5cmを釣って、1位。2位は弁天の瀬で26cm2匹の人。昨日30匹近く釣った若者は、10匹に届かず、また、昨日の25cm級にも見放されていた。若者よ、老人からあゆみちゃんを横取りしたその天罰と思え。

まだ30cmは出ていない。大島地区はわからないが。

片足が義足の人が、望地の蛇篭前で、23cm2匹。


8月24日  中津川 角田の堰下流

あゆみちゃんが少なくなった No.[113] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/08/24 [木曜日] 19:53:44
相模川弁天の瀬で、23日すぐに3匹釣り、相当のあゆみちゃんをたぶらかした幸せ者も、余り釣れなかったわびしい男もいる相模川にするか、中津川にするか、悩んだ末、破産する確率がまだ低い中津川にする。

田代球場横に行きたいが、アッシー君がいないため、又竿を盗まれる可能性がある。トンネル横は、テクニシャンが曲がり角の絞られた勾配のある瀬で、30ほど掛けて、丼や身切れで10台になったとのことであるから、すねに傷持つあゆみちゃんが遊んでくれるか、不安。
ということで、壊れ橋上流から釣る。

これまで、遊んでくれるあゆみちゃんが多かったが、汚れた石が多くなっている。壊れ橋上流の瀬釣れず。
壊れ橋下の瀬を見ながら、平瀬状に変化するところに行く。蹴られはあるが釣れず。ハヤのみ。ハヤが蹴られの当事者か。
午前は坊主。

ビールを飲み、足腰が弱い上に、気分がよくなっているから、朝釣ってところの上の瀬で釣る。
下流側の人は立ち込んでいるが、オラはその人の立ち込んでいる筋のあたりを釣る。

20cm、きわどく出家を免れた。
次は寄せると沖に走る。大井川の本物のあゆみちゃんに似ている。何回かの痴話げんかの末に取り込んだのは23.5cm、遡上鮎でこの体型は抱卵している場合であるが。抱卵した遡上鮎と間違えるほどの体高のある人工。

23cmを囮にする仕掛けに替えたくないから、仕舞い込む。
次いで、20cm。ありがたや。
23cm。快調。仕舞い込んで養魚に何回目になるか、働いてもらう。
結果は18cm。

人生これから、のはずが、草を、吸盤ボウイを釣り、わしゃ働かん、と20cmにいわれる。
他のあゆみちゃんもまだ休養中。よって、廃業する。
囮が確保できていたとしても、ゴロちゃんのお出ましであるから、やむをえん廃業であった。

中津川の常連に近いオラが、4人のあゆみちゃんで四苦八苦しているのに、中津川2回目の東京の人が、角田大橋上流の瀬で22,3cm級を含む17匹とのこと。
この格差社会がなくなることはなかろう。
江戸期以来の同格、同質、の価値基準がなくなるのは悲し。


9月23日  大井川 久野脇

大井川のあゆみちゃん:残りアカの巻 No.[122] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/09/24 [日曜日] 19:22:27
台風で神座の水位計は1mの増水。20日、笹間渡の囮屋さんは、少し濁っている、残りアカはある、温泉下流で6匹釣れた、と。

オラが2日働いても、10匹にもならなかったとき、中川根町出身のテクニシャン2は50匹、半日で30匹と裕福な日を送っていた。その同行者はそのときの贅沢が忘れられず、台風による増水前に又贅沢を味わった。

今回のアッシー君はそのテクニシャン2。オラも贅沢な生活が送られるはず。

流れは、右岸が少し細く、真ん中が本流で、その沖が普段は下流側が本流につながっていない、伏流水になっていると思われる。
この沖の流れを「ほぞ」としておく。

分流は上流側の瀬落ちは大石があり、残りアカはある。しかし、腐りアカをなめる鮎は少ないよう。
その他の場所はあかつきは悪く、残りアカの場所も少ない。

午前、分流、本流、上下1kmほどを歩き回ったテクニシャン2は釣れず。長老が分流で少女2を匹釣る。テクニシャン2が釣れないから、オラが坊主でも恥ずかしくない。

午後、テクニシャン2は長老から、釣れた鮎をもらい、分流、本流、ほぞと釣る。ほぞで入れ掛かり。オラ達をよぶ。
長老が移る。すぐに釣る。オラも、水深10cm前後、水面上に石が頭を出しているところに、テクニシャン2からもらった18才処女のハチャキン娘を泳がせる。毎度おなじみの身を切り裂く蹴られ。

やっと、少女2匹、18才乙女1匹が釣れるも、頭、口掛かり。
テクニシャン2は、20匹近く。目印がどこにあるかわからなくなったり、囮を引きずり回したり、頭を出している石に水中糸を巻き付けられたり、と、大井川の本物のあゆみちゃんに楽しませてもらった、とのこと。

ほぞのようなところにあゆみちゃんがたむろしていたのは、増水時にここに避難したところ、食料があったため、居座っているためではないか。分流の腐りアカが食べ尽くされていない、ということは、他にも食料があるのかもしれない。

後1,2ヶ月で、お嫁さんになるあゆみちゃんを甘い言葉でたぶらかしたのは、テクニシャン2であって、オラは物欲しげに眺めていた。午前中の安心感はいつもと同様、悲しみに変わった。

残りアカ、とはいっても、ほぞのような場所もあるということをテクニシャン2から学びました。
なお、23日午後、ここに入った若者テクニシャンはアユが小さかった、と。テクニシャン2が18才乙女を釣り尽くしたのではないのに、何で小さかったのであろうか。


9月24日  大井川  昭和橋下流石風呂

大井川のあゆみちゃん:群れアユの巻き No.[123] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/09/24 [日曜日] 20:01:49
残りアカは見あたらない。
瀬肩上流チャラ、トロにはおびただしいあゆみちゃんがいる。その群れは瀬に下っていくのもいる。瀬にもアカはないから、又戻ってくるのであろうか。

テクニシャン2はそのおびただしいあゆみちゃんを見て、囮を泳がせる。囮は元気な、昨日釣れた鮎。すぐに釣れる。
オラも昨日釣れた元気なあゆみちゃんを泳がせる。釣れず。鵜の真似をするカラスには幸福はない。

テクニシャン2が女子校の校門前でナンパをして成功しているのを眺めるだけ。ねえちゃん綺麗、セクシー、ねえちゃんの瞳は100万ボルト、とオラも口説いているのに、釣れない。テクニシャン2はどんな口説き文句を言っているのであろうか。

テクニシャン2は、校門前でナンパしているのを阻止しょうと先生が出てくると、校門から2,30mはなれた波立ちのある瀬肩チャラでナンパをしている。

あゆみちゃんが縄張りを持っているとはいえない。こぶし大の石で、アカはなし。
ガンをつけた、と攻撃してくるどこかの名人が推奨している人工アユと同じく、本物のあゆみちゃんの習性である土地貴族ではなく、ガン黒のねえちゃんを口説いている。

やっと、敬老精神旺盛なあゆみちゃんが、チャラで入水自殺をされたら困る、と、遊んでくれた。そのけなげな少女を、袋ダモに水を入れるときに、逃がしてしまった。

もう、水深のあるところで入水自殺をするしかない。上流の左岸岩盤横に石が転がっているところに行く。やっと、18才乙女。
その乙女は大石の岩盤寄りには行かない。他のあゆみちゃんもそこで蹴られてから、いやじゃと、いってくれない。
又、群れアユがおびただしい数のいるところに戻る。少女2匹。

テクニシャン2は10匹を超えている。
長老はオラと同じ。

かあちゃんはサイクリング、とおちゃんはあゆみちゃんと浮気をするために相模原からやってきた若者テクニシャンは、瀬肩下の瀬で乙女を5匹。甲羅状になっているヘチで釣る。
オラは同じ瀬で釣るも釣れず。

オラ達は昼にあがり、若者テクニシャンは昨日テクニシャン2が釣ったところに移る。

残りアカの場所だけでなく、遡上がいっぱいあるときは、アカなし状態の場所であっても、群れアユも口説くことが可能である、と見本を見せてくれたテクニシャン2でした。

あと5日か、10日か、アカがついて、チャラ、トロに群れていたあゆみちゃんが一杯釣れる状況になるのは。
そのときはオラは抜け駆けするで。


10月3日  大井川 川根温泉下流

大井川のあゆみちゃんその7 No.[125] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/10/04 [水曜日] 20:06:18
もうアカがついているであろう。ついていなければ、流れの幅が広がり、久野脇の分流のような形状になっているところ(「袋」とする)で釣れるはず。
神座、大和田に釣り人が見える。

袋に入ろうとすると、立ち込んでいる人がいる。何で立ち込むんや。
右岸に渡り、その下流付近の瀬肩下のヘチを釣る。すぐに14才。そして16才。このまま釣れたら1束、2束に。
16才は瀬の芯にはいる。10m以上上流のこぶし大のまだアカがついていないと思う増水で転がった石のところも泳ぐ。あゆみちゃんに無駄な働きをさせている間に、オラのすぐ後=10時半頃に袋に入った人は5匹,6匹と釣る。立ち込んでいた人は下流に下り、下流側の瀬を釣るが昼過ぎには消えた。

瀬の芯と大きな波立ちのところはアカはついていても、今のあゆみちゃんの好みでないかも、と思い、瀬脇とヘチであゆみちゃんに働いてもらう。「稲刈りの頃、又瀬に戻る」といわれているのに、まだ瀬に戻っていないのであろうか。
焼き芋の方がキャビアやビフテキよりもうまいのであろうか。

蒸気機関車が鉄橋を渡る12時半までの2時間に7匹。
袋の人は10匹以上。しかし、午後はペースが落ち、下流の瀬脇等に移っていった。

午後、少し下流の強い瀬脇等で10匹。14cmから18cmのスリムな、ぬめぬめぬるぬるの本物のあゆみちゃん。
瀬尻に近い瀬で釣って人が2時過ぎにあがり、20匹ほどとのこと。

囮屋さんが千頭に行っていた。
23cm3匹他。腹に子を持っているが、さびていない。性成熟がどの程度になったとき、外形上にさび等の表象で現れるのであろうか。

寿司屋さんが、村の八幡さんの祭礼の頃=10月15日頃、腹がぱんぱんに張った鮎が釣れた、といわれていた。その頃、千頭よりも上流、笹間川のダムになったところよりも上流まで上った1番アユがその頃に、家山の付近まで、下ってきていたのであろうか。
囮屋さんが釣ってきた鮎は、下顎測線孔数が左右対象であった。海産馴致、あるいは塩郷ダムの魚道を上った鮎であろう。
以前、塩郷ダム上流で、8月にラージぽんぽんの鮎が釣れた、とテクニシャン2がいっていたから、人工が支流と塩郷ダムの上流に放流されているのかもしれない。

あかつき良好、大漁、との新聞報道で、寿司屋さんが、満員であったでろう、といわれたが、10人ほどが2,300mほどの瀬付近にいただけ。
にもかかわらず、残りアカの時のテクニシャンの午後の数と同じ、とは、だましのテクニックの差をまたもや、思い知らされたものの、本物のあゆみちゃんとのデートは楽しかった。


10月4日  大井川 川根温泉下流

大井川のあゆみちゃんその8 No.[126] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/10/04 [水曜日] 20:55:27
朝散歩に行こうとすると、雨。カッパなし。忘れた。天気予報の9時頃から曇り  を信じるしかない。

囮屋さんに活けてある鮎を10匹ほど締めて、残りを囮にする。
袋の水面上に頭を出している石で、流れが複雑になっているところにはいる。養殖で囮取りをする。いつもテクニシャン2からし娘をもらえるとは限らないから。
しかし、逆バリが身を切り裂く蹴られがあり、本物のあゆみちゃんに替える。

ドラえもんおじさんがそこを見るとニヤアっと笑い、べた竿ですぐにあゆみちゃんをたぶらかす、そして、おっかない顔、にがりばしった顔が、鼻の下をながあくのぼし、にやけた顔に変身する場所。

ドラちゃん語録に溝を釣れ、石の間の流れを釣れ、があったと思う。べた竿で、そのところにあゆみちゃんを入れる。
来た。河原を立て竿で下る。テクニシャン2でさえ、あゆみちゃんの動き、瞬発力が強く、水面上に頭を出している石に糸を巻き付けた、というのであるから、オラにとっては非常事態である。
石を避けながらヘチに寄せてきて抱きしめたあゆみちゃんは22cm。
何で乙女がこんな水深10cm前後のところにおるねん。
これやから、女子校でナンパをしていても、7号の針にできない。

5匹釣ったところで、流れが複雑で、オラの腕では、あゆみちゃんをたぶらかすこと不可能、と、右岸に移動。
ヘチ、瀬脇のあゆみちゃんは品切れか、と芯に入れる。やっと釣れた。
2匹目も。
しかし、3匹目を、今回初めて浮かせるときにばらした。柔肌を切って、オラの毒牙から逃れたあゆみちゃんは、変なジジーがダイヤをやるといって、近寄ってくるから気をつけてえ、本物のダイヤは金持ちのドラちゃんしかくれないから、と、回状を回したために釣れなくなった。

瀬尻上まで行くも、又瀬の強いところに戻る。
昨日、20匹ほどを瀬尻上で釣った人が10匹にも届かない、と帰って行った。

蒸気機関車が鉄橋を渡る時間になっても、飲まず、食わずで働くオラを哀れんで、20cm。

越すも越されぬ大井川で、根掛かりを外しにいって川流れをしたのであれば、名誉ある戦死になる。
しかし、中津川と同等の水量の大井川で、川流れをしたのであれば、嘲笑もの。
助けるべきか、切るべきか。
芯に行くと流れが少し弱くなっている。助かった。
囮を助けたが、もう、怖い思いはしたくない。その下流に囮を入れる。
河原に戻る前にかかった。20cm。
10匹目。これで気持ちよく、2時半の電車に乗れた。

袋の上流側を釣っていたうまそうな人はオラの後に入り、1,2匹釣るが、昨日の人ほどのペースではない。
その人は、袋の場所にこだわっていたが、何かの修練をしていたのであろうか。

台風が雨を降らせなければ、又本物のあゆみちゃんと逢い引きができる。その日がくることを楽しみに、電車の中で、蒸気機関車のラベルが貼ってあるワンカップを飲み、新幹線でビールを飲んで帰りました。


10月8日  大井川 昭和橋上流2kmほど

大井川のあゆみちゃんその9 No.[127] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/10/10 [火曜日] 04:55:09
前日テクニシャン2とそのお友達のタマちゃんが、さらに上流2kmほどの秘密の花園で、40,50匹釣っていてくれたから、囮取りの苦労はしなくてすむ。
若者テクニシャンはオラ達よりも少し前に着き、もう2,3匹釣り、借金返済をしょうとしている。

若者テクニシャンのすぐ上の流れが広がっているザラ瀬状のところにはいる。
そこは、ドラえもんおじさんが見ると、にやっと笑い、べた竿ですぐに
あゆみちゃんをたぶらかして、おっかない、苦虫をかみつぶした顔が、鼻の下をながあくのばし、にやけた顔に変身する場所。
16才が、16才は姉貴を連れてきて、楽な釣りが始まる。
テクニシャン3、テク2が動き回り、瀬尻近くの絞り込まれた瀬で大きいのを4,5匹。大きいとはいえ、20才の乙女級であろう。
その頃、オラは12匹。テクよりも瞬間的にもオラの方があゆみちゃんにもてたのは前代未聞の珍事,椿事。

午前、上流チャラまで釣り歩いた若者テクが32,オラが17。チャラを釣ったタマちゃんが20ほど。

午後、オラは右岸分流等からチャラを釣るが余り釣れず。チャラで12,14才の女子中学生が目印をすっ飛ばすが、おっぱいがふくらんだ女子高生の方がよい、と瀬に行く。

瀬の強いところで18才。その女子高生は20才の姉貴を連れてきてくれた。いつもは乙女は箱入り娘にするが、囮にする。根掛かり。普通の人は何でもない流れであるが、根掛かり放流。
箱入り娘にすべし、と、いつもの反省。

テク3は、100mほどの延長のある、こぶし大の石が詰まったチャラで、水の色の違いで溝を見つけて、18才を含む女子中学生を釣りまくる。
長老も夕方チャラにやってきて中学生を楽しむ。

生まれも育ちの大井川、今は故あって相模の国にわらじを脱いでいるテク2、大井川のあゆみちゃんの性格、馬力の強さを熟知しているテク2が瀬尻近くの絞り込まれた瀬で丼。中ハリスが切れた、と。
テク3は22cm、20cmを4匹掛けて、1匹はばらし、1匹は鼻管を通すときに逃げられる。

1日終わってみれば、若者テクが45,テク達とオラが25から30.若者テクノかあちゃんは千頭の先までサイクリング。


10月9日  大井川 秘密の花園

大井川のあゆみちゃんその10 No.[128] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/10/10 [火曜日] 05:58:04
昨日の場所は、釣り場が広いため、ドラちゃん達の修練場になる。テク2が残りアカの時に一杯釣ったところに行く。

テク3は、本流を上流チャラから、瀬尻上の絞り込まれた瀬へと釣り下っていく。瀬尻付近の瀬で10連発。
長老は、その上流の瀬で入れ掛かりをしているときもある。
オラも長老の上に移動する。

ヘチに寄せるが、浮かそうとすると、ベッドに運ぼうとすると、沖に走り、抵抗する。乙女か、と思い、囮をつけている長老のすぐそばで抜くと、18才、女子高生にすぎない。

又、女子高生か、と思うが、ラブホテルの玄関に入るときから猛烈に抵抗する。ひょっとすると、乙女?との思いはあったが、女子高生にも馬力がある。オラの釣り位置の上流側にアユがいるから、抜く。
22才花も恥じらう乙女。20才乙女も釣る。

テク3も,乙女である、との心の準備ができていなくて,竿を立てたら走られて粗相をした、とのこと。
長老も下がりながら抜く場面がある。

テク3が、長老の釣っていた場所のはみ跡が大きいから、アユは大きく、数は出ない、と見たとおり。
ところが長老は午前で10匹以上釣る。オラは6匹。テク3は20匹近く。

午後、オラは上流へと放浪の旅に出る。
トロの中の大石付近で釣れていた。ただ、その大石の周りの石はこぶし大であった。
オラはさらに上流の絞り込まれたザラ瀬、頭大以上の石が詰まっているところに行く。テク2,3が喜んで釣る場所。

左岸から囮を入れる。ガッツン。いつもは上竿にしてためるが、そうすると石に糸が巻き付く危険がある。やむを得ず、竿を立ててためるがあゆみちゃんは走る。あゆみちゃんについて下ることはオラのあんよではできないため、無理を承知で抜く。バレ。
3連発のバレ。

あゆみちゃんがストライキ。根掛かりを外しにいって、石に滑ってころり。袋タモが流れなくてよかった。たばこが少ししかぬれなくてよかった。

あゆみちゃんが、ここがヘボの釣る場所ではないことくらい、年を食っているのやからわきまえなさい。あんたには深窓の令嬢を相手にする腕はないわ、と。
すごすごと瀬肩に行く。蹴られの多発、4回目のバレ。

大井川では、やってはいけないことであるが立ち込んでいく。右岸分流で1人が取り込んでいるだけで、オラ1人の場所であるから、許して。

4匹目の囮に、もうこれで最後、と言い聞かせて働いてもらう。
女子高生が相手にしてくれた。6人で満足して、意気揚々と戻っていく。

テク3と長老はまだ釣っている。長老が瀬尻で取り込んだ。オラも分流で取り込んだ。テク3がオラが戻ってきたのを見てやめた。
釣ったときからさびているあゆみちゃんはいないが、使っていると、少し黒ずみ、あるいは下腹が赤くなるのが混じる。

長老は、今年、釣れず、引退し、カワハギ釣りに専念しょうか、と悩んでいた。
その長老が22匹。公式発表25匹。テク3よりも1匹多い。
意気軒昂な長老。カワハギも、大井川も、今週やろう、とテク3を誘惑している。
長老がおごってくれた。笑みの絶えぬ長老と生ビールを飲んで,うまかった。
ごちそうさま。又、長老が竿頭になって。
テク2,タマちゃん、2日間、寒いテント生活ご苦労さん。事前調査と囮ありがとう。


10月14日  大井川 久野脇の花園

大井川のあゆみちゃんその11 No.[129] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/10/15 [日曜日] 21:05:52
テクニシャン2は下流1kmの竹藪付近に。オラとテクニシャン3は上流1kmほどの瀬に。長老とアッシー君が秘密の花園に、と思っていた。オラ達よりも上流に行くのは、タマちゃん、のはず。とこらが、普段は車を降りたところから、余り歩かないアッシー君がオラ達よりも上流へ。そのため、タマちゃんは秘密の花園があいていて、そこで釣ることになった。

オラが瀬肩上右岸、テク3が左岸。テク3が上とばしで囮が上れなくなるほどの状態で掛ける。
瀬は釣れず。オラは女子高生6匹でやむを得ず、花園に移動。テク3は10匹しか釣れず。
タマちゃんは20ほど。午後からも同数くらい。

アッシー君は、チャラで、まだ船をおく場所を探しているときに掛ける。寄せてきたが沖に走られ、丼。
オラがナイロン0.2号以上にせよ、といったのに、0.175にしていた。
テク2でさえ、0.175をビニミツイストで接続していなかった天井糸との接続部分で丼を食べたとのこと。
アッシー君は1匹しかいない囮で、囮の身を切り裂くバレ2,3発、にもかかわらず、午前に4匹とは立派。
これからは大井川の本物のあゆみちゃんの馬力、柔肌が人工と異なることに気がついてくれるであろう。

午後、オラは右岸分流の上流側の瀬で釣る。中学生主体に10ほど釣る。
その瀬肩と上流の大石はあるが、周りに頭大、こぶし大の石のないところを釣っていた地元の人が23cmを含む30ほどとのこと。そのトロはオラも、テク3も、大石だけしかないため敬遠していたが。
地元の人も大漁にびっくりしていた。

テク3は37,タマちゃんは午後も20ほど。
長老は本流と分流が合流する付近の瀬を中心に20台。テク3も午前の倍釣り30ほど。
アッシー君はオラと同様、10台。
午後はテク2をのぞいて、秘密の花園で釣るも、差が大きい。

20cm以上の乙女は数匹。さび出るのが半分くらいか。
タマちゃんはよく釣る。タマちゃん、テク3には、20,30匹という数字は辞書にないのではないか。
オラ達の倍を釣って当たり前。釣具店には5割、8割は常識、と願っているが。

瀬の芯で釣れるところは限られている、とのこと。どこが釣れるか、それが知りたい。

テク2でも蹴られ、バレがあるとのこと。
タマちゃんにどのように身切れを防いでいるか、と聞いた。
答えは、ためる、止める、囮を空中に出す。そのままためる。一瞬あゆみちゃんが浮く瞬間がある。そのとき、有無をいわさず、ベッドに運ぶ、とのこと。
オラのように、あゆみちゃんが疲れて抵抗する力が弱まるのを待つよりも、身切れは少ないかもしれない。
しかし、一瞬の判断が適切に行えるか、の腕の問題が残る。


10月15日  大井川 昭和橋上流1kmほど。

大井川のあゆみちゃんその11 No.[130] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/10/15 [日曜日] 21:37:45
前日に釣れたテク達のアユがあるため、囮取りの苦労はない。
本流瀬肩下のザラ瀬状のところで女子高生2匹。このまま釣れたら竿頭も夢ではないが。
しかし、いつものように幕は開かず。
5匹で午前は終了。午後動くが釣れず、チャラに中学生を誘惑しに行く。8人をたぶらかすことに成功。

長老、アッシー君も似たもの。テク3も17ほど。タマちゃんは終日チャラを主体に釣る。オラ達に瀬で釣らすため、遠慮をしていた。
テク2は動き回る。午前はそれほどでもなかったが、テク2が今の時期は昼が勝負、飯抜き、との命令通り、昼頃から本領発揮。

テク2は、アッシー君も、テク3も、釣り場として探った分流の絞り込まれた強い瀬でとんでもないことをしてくれた。
美白の24cmを含む20cm台が5,6匹、そして、37匹。この数はタマちゃんの40ほどに匹敵する。
2人のあゆみちゃんを入れた真空クーラーはまたもや、佃煮の材料のようにアユで一杯になっていた。

テク3は動き回ったのに、20に届かない、長老、アッシー君、オラは10台。

テク3が大井川の石の色が変わった、と。以前の茶色が黒ずんできた、と。
オラにはまだ茶色に見えるが。
石の色が変わる→珪素の優占種の種類が変わる→尻鰭がオレンジ色の蛍光色で彩られ、その中に放射線状に青系統の筋が走っていたあゆみちゃんにここ何年かあっていない、今年も数匹だけ。アユの色彩に変化を生じる。
このように、コケの、珪素の種別の変化があゆみちゃんの彩りに影響しているのであろうか。
そして、その珪素の優占種を替えたのが、長島ダム、ということにならないのか。

今日の結果で、まだ釣りにこられるか、それとも、狩野川の鉛筆サイズと遊ばざるを得ないのか。
囮屋さんがまだ営業してくれれば、アッシー君が見つからなくても、又大井川のあゆみちゃんと遊ぶことができるが。


10月18日  大井川

大井川のあゆみちゃんその13 No.[131] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/10/19 [木曜日] 22:04:15
今日はアッシー君がいないため電車通勤。笹間渡の囮屋さんに下泉で釣れた26cmが4匹、その他20cm台が、囮のいなくなった1つの水槽に泳いでいた。そこにいた地元の人が、グランド前か、柳の枝が張りだしているところか、と聞いていた。囮屋さんはそこだ、と答えていた。
大アユのつく場所が定まっているのか。

囮屋さんで、鉄橋上流でとった女子高生をサービスでもらい、3匹で出発。
左岸の袋釣れず。右岸の瀬肩もつれず。瀬尻付近の釣り人は消えていく。左岸の白波の立っている瀬の人のみたまに釣れている。
やっと女子高生が釣れた。それのみ。

河原で蒸気機関車を眺めるか、食堂でビールを飲みながら蒸気機関車を眺めるか。それが問題だ。
まだ1時間あまりしかたっていないが、ビールを飲みながら蒸気機関車を眺める。

温泉下を去り抜く里へ。
抜く里の流れは変わり、左岸岩盤と大石が何年ぶりかで、流れが通っている。
まず女子高生。それが黄色の衣装をまとった3重追い星の16才女子高生を釣れてきた。
16才で土地貴族とは、鮎が少ないのか。

3重追い星は友達を連れてきたが、2連チャンのバレ。それでもさすが土地貴族。空中につるされた苦痛にもめげず、仲間を連れてきてくれた。

秋の夜は長いがつるべ落としの昼間。
左岸から右岸への流れに移る。頭大の石が詰まっている。釣り人もいる。
温泉下と違い、アカぐされはない。水質が違うのか、珪素の種類の優占種が違うのか、それとも、アユの密度が違うのか。
瀬肩付近でバレ。そして1匹。

瀬尻上流のザラ瀬に移る。1,2匹釣って、またもや2連チャンのバレ。下ってためたのに、即浮かせて取り込もうとしたのに。
アッシー君には黙っておこう。来年になったらオラがアッシー君のバレについていったことを忘れていよう。
アッシー君のバレは乙女に逃げられたことであるのに、オラのバレは女子高生。恥ずかし。
その上、けられも多発。1つの針が遡上鮎には機能していない可能性が大。釣具店に文句を言おうっと。

バレと蹴られの多発でも10匹の女子高生が釣れた。
オラの周りの悪ガキどもと違い、2連発のバレをしたとき、あゆみちゃんは失敗は誰でもあります。気にしないで働きましょう、といってくれた。そしてお友達を連れてきてくれた。なんと優しい、思いやりに満ちた大井川のあゆみちゃんであること。
これだけでも大満足。


10月19日  大井川 抜く里

大井川のあゆみちゃんその14 No.[132] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/10/19 [木曜日] 22:39:40
瀬尻上流ザラ瀬。16才、18才の女子高生がすぐに釣れる。
上流のチャラ、その上のザラ瀬までつり上がるが、蹴られても蹴られても、のいつもの哀れな男になる。

色欲むんむんの黒子ちゃんにはあゆみちゃんも敬遠するのか、蹴られも1回だけ。渋い中年男に替えると、蹴られた後すぐに釣れた。
あゆみちゃんの好き嫌いの激しいこと。

蒸気機関車が通ったとき、14匹。上流の瀬を次回のために見ておくべきか、下流に移り釣る時間を増やすべきか。
上流に行く。1人やってきた。その人の上流側にするか、、下流側にするか。残り1時間。

その人が歩み寄ってくる。昨日、囮屋さんでオラと一緒に26cmを眺めていた人であった。
福用にいったが、アカぐされがひどく、移動してきたとのこと。
その人の上下に入り釣るも、目印が沖にすっ飛ぶ等の蹴られがあったのみ。
その人は2匹釣っていた。

今日は昨日と違い、バレはない。
ザラ瀬でかかったとき、ヘチに寄せるも沖に走られ、瀬落ちまで下り、ヘチに寄せ、河原にたって抜く。キャッチミスも多発しているための措置。
抜いてみれば18才に過ぎないが、体高がある。

2日間で、20才乙女が2匹、さびの絶好調が2匹、絞めてもさびてないのが5,6匹。
優しく、コケティッシュなあゆみちゃんに翻弄されたいつものオラであった。

次回は、囮取りに失敗して、養殖がくたばったら、抜く里左岸からの瀬でおもりをつけて釣ろうっと。おもりが有効な瀬があることがわかったので、次回は抜く里に直行する。

三途の川で、アユが再生産できるように、産卵床を整備しろ、親を保護するため、漁法を制限しろ=餌釣り禁止、産卵行動時の投網とコロガシ禁止、等、騒ぎ立てられて、冥界の静謐が損なわれるのはかなわん、と、お天道様が台風の雨を富士川以東にとどめてくれて、しかも、囮屋さんがまだ働いてくれている。
こんな好機は一生に何回もない。土曜日も肩が痛くとも働くでえ。

アカぐされの場所とそうでない場所が何でできるのか。
中津川でも、角田の堰下流ではアカぐされであるのに、田代ではアカぐされがなかった。水質が影響しているとして、どのように影響しているのであろうか。


10月21日  大井川

大井川のあゆみちゃんその15 No.[133] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/10/22 [日曜日] 22:47:13
アッシー君が行くという。久野脇の秘密の花園に行く。車2台すでにあり。入れないから、昭和橋上流1kmほどに行く。
相模ナンバーと栃木ナンバーの車が並んでいる。不吉な予感がする。アッシ−君は犬小屋が積んでないから違う、というが。

バレもなければ、蹴られもない。理想的な状態であるはずではあるが、掛かりアユもなし。
おかしい。移ろう、と、アッシー君に言う。
異変の原因=ドラえもんおじさんと、Hな名人、ではなく、H名人、X名人が前日60匹ほどずつ釣り、この日も各人20ほど釣っているから。
こんな状態でオラ達の相手をしてくれる優しいあゆみちゃんが残っているはずはない。H名人が対岸のチャラだけを釣っているのも、まともな場所にペンペン草も生えていないからであろう。
オラの不吉な予感は見事に当たってしまった。

笹間渡の囮屋さんに追加買いに行く。もう囮はいないが、今取りに行っている、と。そして、釣ったのならある、と。当然それをいただく。しかも1匹おまけ付き。
しかし、悪いことをした。昼であるから、もう、お客さんはいないと思っていたが、かわいそうに、囮がくるのを待てないお客さんが次々やってきて、釣ったラージぽんぽんまで持って行ったとのこと。

抜く里左岸岩盤にはいる。2重追い星の16才。そして、2匹追加。
オラが釣っている背後の、左岸への何筋にも分かれて流れ込んでいる水深10cm以下、こぶし大の石よりも小さい石のところにドラちゃんがいる。ドラちゃんは、10cm前後の水深で頭大の石のザラ瀬を釣るときと違い、水面との竿角度で少し立てている。囮の自由度を増しているのであろうか。
4匹釣って誰でも竿を出す頭大の石があり、水深のある瀬肩付近に移った。
腹に子を持つとはいえ、ドラちゃんが竿を出しているところで釣る人はいるのか。いないであろう。ドラちゃんは入れ掛かりのはずであったが、すれたあゆみちゃんしかいなかった、と。

1時に握りを食べて、オラはX名人に、名人のじゃまをしても許されるよねえ、と、理屈にならないことをいって、X名人の下流、波立ちのあるところにはいる。
上飛ばしで16才。
次に釣れた18才を、その付近では流れのきついところに入れて丼。20ウン才の乙女ではない。乙女であったかもしれないが、糸に傷があっただけ。
下流の人がよけてくれるほど下り、ヘチに寄せて、バレ。
貧乏生活になれているオラもこの日の夜と同様、ツキのない闇夜になる。

アッシー君の下流を、余り上下に動かず河原から名人達並の数を釣っている人が、あの人達は何か、という。オラが説明すると、大井川にもそんな名人が来るようになったのか、とびっくりしていた。

アッシー君は、ドラちゃんがトイ面に来て、すぐに5,6匹釣ったため、何でや、と悩んでいた。ヘボの考え休むに似たり。
名人、テクニシャンがオラの前でばかすか釣っても、痛くもかゆくもない。良寛様が洪水を受容していてのと同様、自然現象に過ぎない。自然現象に対抗しょうとしない良寛様の心境になっている。
アッシー君や長老が目の前でばかすか釣ると話は別である。

アッシー君の下流側に入り、ドラちゃんの前で2匹釣れた。かいかあん。

H名人は、右岸護岸前でも釣る。はじめての場所であるのに、いかなる現象から、護岸近くだけ石があると判断したのであろうか。護岸上の観客から拍手。
さらに下流の右岸岩盤の落ち込みに行く。そこは大石もあり、流れが複雑で大鮎が釣れるとわかっていてもオラには竿を出しにくいところ。

H名人は護岸付近で釣った少女はワープ釣法で、そこで釣れた乙女は手前からポイントに入れていたように見えた。どのくらいの乙女を釣り上げたのであろうか。

名人達は抜く里でも30ほどを釣っていた。


 10月22日大井川

大井川のあゆみちゃん2006年最終章 No.[134] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/10/22 [日曜日] 23:24:24
闇夜から逃れるには、ドラちゃんと今日やってくるテクニシャン達のオーラーが及ばないところに行くしかない。
寿司屋さんが教えてくれた久野脇親水公園から河原に入り、下流の行き止まりまで車で行く。

右岸から16才が釣れた。アッシー君を呼ぶ。オラの上流で、流れの真ん中からヘチを釣って、1匹のあゆみちゃんをものにしていたアッシー君が左岸側に入り、ヘチ、分流状のところで入れ掛かり。
オラののみの心臓はきりきりと痛む。
しかし、新聞では気田川が釣れているのに、とか、帰ろう、とか行っていたアッシー君が、来年のアッシー君に釣れた、とほくそ笑んでもいたが。

頭大の石が上下に並んだところで18才1重追い星。追い星が1つであるから、まだいる、と、のぼらせて同級生。
6匹釣れたが、アッシー君に遙かに及ばない。

アッシー君が瀬の下流側にに移ったから、オラも左岸へ。分流との間に立ち分流でまず女子高生。
分流、本流と釣り、目印を吹っ飛ばす女子高生を楽しむ。

アッシ−君は、瀬落ち上流の瀬で23cmも釣るが数は伸びない。

2時に近くなったので、右岸ヘチ寄りの頭大の石が上下に並んでいるところを流れの真ん中に立って釣る。20才美白、体高のある乙女。それをのぼらせて18才美白女子高生。
この女子高生が2006年大井川での最後のあゆみちゃんとなった。

この場所は頭大の石が分流等、一部にしかないため、今の腹に子を持った時期には適するかもしれないが、夏の釣り場所としては、狭いのではないか。

とはいえ、アッシー君が余裕で、「来年」のために、1km程下流まで見に行って、1台の車しか止められない道路下の瀬に2人が入っている瀬を見つけてきた。
ここまで車を入れて、歩くと、あゆみちゃんがたむろしているあんみつ、ケーキ屋さんのある可能性がある。

アッシー君は予想に反してオラと同じ16匹。
分流付近を早く離れすぎたよう。瀬でのバレがなければ乙女を増やせたのであろうが。

10月の台風による雨を富士川までにとどめてくれたお天道さんと、去年の10月15日よりも遅くまで囮をおいてくれた囮屋さん、ありがとう。
来年も、三途の川で釣っていなければ、お世話になります。


 10月28日  大井川

大井川のあゆみちゃん:アンコール1 No.[135] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/10/29 [日曜日] 20:56:29
笹間渡の囮屋さんが釣った囮をおいてくれるという。電車で行って、今年のあゆみちゃんとの逢う瀬を、神田川の年頃の過ぎ去りしねえちゃんを思い出して、秋にふさわしく一人感傷に浸ろうと思っ
ていた。
先週、名人達が60匹とのことに釣られて、長老が行こう、と。

囮屋さんには養殖もおいてあり、釣った鮎を含めて各人3匹を持って、昭和橋下流石風呂へ。
瀬肩下流にはいる。その下流、勾配のある絞り込まれた瀬の始まる付近で、テク3がすぐに釣る。その後も、時折釣れていた。
9時頃、瀬肩上のチャラから、白川状態の時と同様、群れが瀬に入っていく。その旨をテク3にいって、下流の瀬に移る。

長老はうろちょろ動いているから釣れないのであろう。
平瀬状のところで、全国大会4位の四位のお局さんが釣っている。オラはそれよりも下流の瀬にはいる。
さびていないメス中心に4匹。テク3はオラが釣っていたところも含めて15ほど。

午後、昭和橋下流の瀬に移る。瀬肩上でオラはすぐに女子高生2匹。下流の長老も同じ。しかしそれまで。
四位のお局さんは余り釣れていない。午前の場所には鮎がいない、といっていたお局さんであるが。
そして、左岸側から瀬を釣る四位のお局さんのところにははみ跡が一杯あった、とのことであるが。

大きい石があり、段々になっているところに鮎が見えた。囮を入れる。
がつんときて、目印が水中に引き込まれる。水深のあるトロでないのに、あゆみちゃんはどんな動きをしたのであろうか。
今日初めての激しい蹴られ。囮はグロッキー。頭を石にぶつけたのであろうか。

オラは午前4,午後4。テク3は30ほど。四位のお局さんは20以下。テク3にダブルスコアか、というと、否定する。4位の沽券に関わるのであろう。小数点以下切り上げるとダブルスコアは確実であろうが。

オラには黒くさびた鮎はいなかったが、他の人は黒く、あるいは下腹が赤くさびた鮎が混じっていた、と。又、テク3は、鮎が前回と変わった、と。
目印を吹っ飛ばす鮎は少なくなった、瀬に磨かれていない石が多い、等の変化がある。

テク3に左岸側から立ち込まれて、オラが釣っていたところで釣られたり、長老が立ち込んでいたすぐそばで釣ったり、と、四位のお局さんだけでなく、オラ達もテク3のワンマンショウを見せつけられた1日でした。
長老が立ち込まずに、はじめのようにヘチから釣っていたら、もっと、釣れたのに、と、テク3にいわれていた。

天気予報が雨。長老は納得できない、雨でも釣る、と。テク3は雨なら釣りたくない、と。
温泉に入り、8時前には全員気持ちよく寝ました。


10月29日  大井川

大井川のあゆみちゃん:アンコール2 No.[136] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/10/29 [日曜日] 22:01:15
雨の天気予報は、外れる。天気予報での時刻、時間、量の予報は当てにならない、という点では、オラのあゆみちゃんのたむろしている場所の予測としたりよったり。
やる気満々の長老は、散歩から戻ったオラとテク3が増水して濁り、釣りにならない、というと、落胆し、それが嘘とわかると、嘘をつくな、とおこっていた。
お日さんが燦々と降り注ぐ中での釣りになった。

昭和橋上流竹藪。ここの流れは以前と変わり竹藪のところは流れがない。
長老は1kmほど上流の秘密の花園へ。
右岸から左岸への流れの上流側にテク3が、左岸岩盤上の瀬肩に四位のお局さんが。オラは1kmほど下流の瀬へ。

今の大井川には、下りの体勢の鮎と、産卵行動をする鮎と、美白の鮎の3種類がいるよう。
オラは美白を釣りたい。

流れの筋を釣るが釣れない。やっと、やっと豊満美白の美女。美女を使いたくないが、使うと、すぐにかかる。下り、ヘチに寄せて、抜く、ばれる。
テク3らは6.5号以下の針を使っているが、オラは、乙女を釣ったときのバレ、ハリス切れの悔しさが染みついているため、7号、7.5号しか使っていないのに。
あゆみちゃんも美女には弱いよう。

やっと、さびの出たオス。テク3らがサビの出たオスでは泳がない、あゆみちゃんに相手にされない、というが、よく泳いでくれた。

上流の何回目かの左岸岩盤に流れが当たっているところに、竿が見えた。
そして、テク3が瀬肩上の袋状のチャラで、ドラちゃんの裏釣法を実践していた。
四位のお局は下流の瀬落ちまで見て、途中囮を出すが、すぐに、鮎がいない、と見切り、テク3とともに上流に戻っていく。

オラも上流に移動。
左岸への最初の落ち込みの水深のあるところに鮎が見える。水深2mほどか。砂の中の石を狙うが、囮が浮いているのか、釣れない。その上のザラ瀬状へ。
尻ビレから、しっぽまで黄色い女子高生が釣れた。

長老が戻ってきている。釣れなかったのか。いや、秘密の花園の瀬落ち等で乙女を含む9匹。寂しかったから帰ってきたとのこと。

午後、オラは豊満美女をベッドに運んだとき、重く感じた。肩が筋肉疲労している。囮を絞めて、四位のお局さんを見学する。
左岸分流の水深10cmほど、鏡に鮎がいるから囮を入れる。釣れず。
その上のザラ瀬へ。
女子高生が釣れた。囮が変わると、前にも通した筋を又通す。狭い場所をまんべんなく、通している。囮が変わると、泳ぎも変わるから、と。

次に釣れた目掛かりで、右岸側には行かない囮を根気よく扱っていた。
鮎がいることがわかっているときは、場所移動をしない、あの手、この手でだまそうとする。
見切りの良さの判断と、粘りの判断のもとになる中状況の見立ての的確さが、オラとテク達の差であろうか。

3時直前、長老が釣った、抜いた、気持ちよく、今年のあゆみちゃんとのデートを終えていた。
4位のお局が14,長老11,テク3がその間。オラだけ3.

長老にとっては、大井川のあゆみちゃん様々、
四位のお局にとっては、1週間遅かった大井川。とはいえ、大井川のどこかで釣っているドラちゃんが30と聞いて、安心していた。

もう、囮屋さんに働いてくれ、とは頼めない。
まだ、木枯らし1番は吹いていないが、下りに入った鮎もいる。大井川のあゆみちゃんの産卵行動が開始する10月末の状況もはじめて経験した。
10月の台風の影響がなかったから、10月末まで、オラと大井川のあゆみちゃんの逢い引きができた。お天道様の暖かい思いやりのある配慮に感謝して、幕は下りる。


10月1日  相模川

相模川苦行 No.[124] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/10/01 [日曜日] 17:13:04
9月28日、中津川でコロガシが行われている角田大橋上流瀬肩上で釣れず、30日には相模川でも釣れず。そして、10月1日は相模川弁天一本瀬での苦行となる。

30日、一本瀬の左岸ヘチ際の溝で朝2時間に8匹釣って、周りの人から追放刑を宣告された幸せ男がどれほど釣るのか。
瀬肩上の水量が少なければ、チャラ状のところにはいる。
幸せ男は、トイ面の少し下流の瀬肩ですぐに2匹釣る。
それを左岸側で見たテクニシャンは右岸に渡り、すぐに釣る。

オラの上流の人がためた状態で、少しずつ下ってくる。25cm級の囮に25cm級がかかると、ためても下らないとばれるのであろう。
トイ面、上流が釣れるのにオラは蚊帳の外。やっと、22cm前後が2匹。

午後、同じ場所にはいる。オラの下流側の人が2匹掛けるも取り込む直前にバレ。3匹目でやっと取り込む。
オラから米代をふんだくるニックキ釣具屋の社長は、右岸に渡り、すぐに下っていく。ヘチに寄せて24cm級が2匹、そのほか2匹釣ったあと、丼を食ってやめていた。

ひょうきんな名人は、6月にも2杯の丼を食べて囮がなくなったにもかかわらず、又丼を食べたとのこと。幸せ男にその瀬の場所は大アユがついているから、0.8号の付け糸では飛ばされる、といわれていたのに。
よっぽど、相模川の丼が好きなんであろう。

午後は雨が降る中、10匹釣った人はいなかったのではないか。ただ、丼がなければ、10匹になった人はいたであろうが。

高田橋が混んでいる、とのことで、一本瀬で釣ったが、3時頃、やっと1匹。右岸の石には、はみ跡がいっぱいあるとのことであるから、右岸に行きたいものの、オラには渡れないため、アッシー君がいないと、右岸には行けない。

高田橋での状況はどうであったのであろうか。トロは満員か。
彼岸花の咲く頃、瀬では釣りにくくなる、とのことであるから、継代が少なく、海産の習性を残していると思われる今年の人工が、瀬に又戻るのは、稲刈りの頃:10月10日頃か。

幸せ男が瀬付きのようにさびた鮎を1匹釣ってが、オラが釣った鮎はさびていなかった。

苔の種別とシャネル5番は無関係か

06年あゆみちゃん遍歴賦:1 No.[142] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/11/28 [火曜日] 05:56:28

1 コケとシャネル5番 その1

高橋勇夫等著「ここまでわかったアユに本」(築地書館)に、「アユの香りというのは、じつは食物とは直接的には関係なく、そのもとになっているのは不飽和脂肪酸が酵素によって分解された後にできる化合物であることも確かめられている」
よって、「釣りたてのアユが持つスイカのような独特の香りは、鮎が食べた藻類(コケ)に由来する」との考えが誤解である、と書かれている。

オラは、シャネル5番の香りはコケ、ことに、珪素の種別が関係しており、また、珪素の優占種は、川の中にとけ込む山からの栄養素と関係がある、その珪素の優占種が変化すると、シャネル5番の形成が行われなくなる、と想像している。

(1)現   象

@ 90年頃の湖産放流全盛時代の中津川では、6月中旬の10日ほど、シャネル5番を振りまくあゆみちゃんが釣れたが、宮が瀬ダムができてからは、遡上鮎がいても、その香りをかぐことはなくなった。

A 大井川では、7月下旬、チビでも、シャネル5番を振りまき、その香りにうっとりしていたが、ここ数年、たぶん長島ダムが貯水を開始してからではないか、と想像しているが、香りを楽しむことはなくなった。

B 湖産放流全盛時代のらん藻が優占種と思われる相模川ではキュウリの香りであった。

C 今年の狩野川の8月始め、藪下で釣った人の鮎から発散されたシャネル5番がテントに満ちた、という。そこは城山の地下水が流れの中にわき出しているところである。

D 6月8日、藁科川の猿の鳴き声が聞こえるところで、シャネル5番よりは香りの質が落ちるものの、強い香りをかぐことができた。 

(2)香りの変化

年、時期、川による香りの変化、違いを不飽和脂肪酸でどのように説明できるのであろうか。
珪素の種別の中の優占種が香りに作用していないとすると、なぜ、香りの違いが出てくるのであろうか。
不飽和脂肪酸は食物と関係なしにどのように、香りの違いに作用しているのであろうか、あるいは何に影響を受けているのであろうか。香りの違い、時期等による変化が現象として観察されるが、不飽和脂肪酸の量、質が変化する要因は何か。
という疑問が出てくる。

(3)古のあゆみちゃんの香り

松沢さんは、シャネル5番は、アユが縄張りを形成する全段として、己の勢威を誇示するための行動の一つである。香りが川面から立ち上っているときは、まだしっかりとした縄張りが形成されていないため、入れ掛かりにはならない、と。
おらにはこのような香りの経験はない。ただ、藁科川の6月の香りから想像すると、海産の香りが7月20日頃に限られるものではない、ということかもしれない。

(4)結論

高橋先生は、自己の経験から、不飽和脂肪酸が香りの原因との研究結果を追認されているのであろうが、「アユの本」には、香りの強弱、変化、違いの説明がなく、そして一般にいわれている食物との関係を神話とされていることに疑問を持っている。
なお、高橋先生からの返事にはこのことに関してはふれられていない。


 11月1日  狩野川  城山下

狩野川小学校1 No.[137] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/11/01 [水曜日] 20:33:05
11月1日、大井川のあゆみちゃんも産卵行動の時期になり、又、囮もないことから、狩野川のチビちゃんをたぶらかすことにする。

ポロシャツに麦わら帽子での釣りになるとは、温暖化が云々されていた90年頃でも考えられないこと。その頃でも、11月になると、熱燗娘がありがたかった。
3時の水温17度も、高い水温。「アユの本」には15度が産卵行動の水温と書かれており、その著者の高橋先生からの手紙にも、水温が高いと、孵化率が下がる、と。

狩野川城山下。
青木の瀬でも数人しかいない。城山下はオラだけ。
遡上が正常にあるというのに、これでは松沢さんが夜逃げをすることを心配せざるを得ない。

一本瀬にはいる。すぐにはたいた高校生。何で瀬ではたいた鮎が釣れるのか。
テク3ならば、囮に使わないであろうが、オラにはその後の展開がわからないため囮に使う。瀬肩上チャラまで釣って、小学生に中学生が混じる。釣れたときはさびてないのに、囮に使うと黒子ちゃんになる。

8匹。囮に使ってもさびなかったのは1匹だけ。
午後、石コロガシの瀬に行き、チャラから瀬尻まで釣って4匹の小学生。皆囮に使うとさびる。

90年頃、サビのある鮎が釣れるところと、美白の釣れるところは棲み分けがされていた。
何で、さびるのか。何で瀬のアユでもさびるのか。

松沢さんは今年の遡上量は異常量でも何でもない、それが育たないのは、食料であるアカの栄養分がないため、と、持論を述べる。
オラも、7月中旬に釣れた14才、16才が18才、20才になっているはずなのに、小学生主体、というのはおかしい、と思う。
その小学生がさびる。

90年頃でも、小学生がさびることはあった。タモに卵がつくこともあった。しかし、瀬の強いところには乙女がいた。
何で15年ほどで変わったのか。松沢さんは川が病んでいる、とあきらめていた。

湖産放流全盛時代の酒匂川の9月下旬以降のアユの状態と同じ。サビアユ、はたいたアユのオンパレード。
これがどのようになるのか、20日頃まで見ていくしかない。
石は、91,92年頃の狩野川に遡上が正常にあった頃と同じく、綺麗に磨かれている。鮎はどこにでもいる。
何でサビアユと美白の棲み分けがされていないのか。

Aメーカーの大会2位、Bメーカーの大会優勝、千曲川、豊川での東西対抗では村田さんとあたり負けたXさんが、松沢さんと同じく、支流にはまともな大きさのアユがいると。
それを釣っている人がいる、と。
支流のアユにまともな大きさのアユを期待しているのは松沢さんも同じ。
まともな大きさのあゆみちゃんが釣れるのか、石の色はどう変わるのか、週2回は観察しょう、っと。

Xさんは、水深4メートル以上の石についている大鮎を釣るときは、20歳代のハチャキン娘を使う、それでも底を泳げないときは、おもりを使う、と。
29日の大井川の水深2メートルほどで、囮が底を泳いでいないとき、おもりを使えば、釣れていたかも。
とはいえ、どのようにおもりを使えばよいのか、来年試すしかない。


11月4日  狩野川  城山下

狩野川小学校2 No.[138] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/11/04 [土曜日] 19:05:28
狩野川大橋の瀬でも3人しかいない。城山下では松沢さんが夜逃げの支度をしているかも。幸い今年は夜逃げをしないでがんばるとのこと。

大井川の目印を吹っ飛ばすあたり、いつ身を切らせてオラの腕の中から逃げ出すか、という、やりとりは狩野川のあゆみちゃんには期待できない。囮が流された、というときは掛かっているとき。
このようなあゆみちゃんに育てたのも人間。山を病ませ、川を病ませて、あゆみちゃんの食料を悪くしたのは人間。

かわいそうなあゆみちゃんの行く末を見るのも人間のつとめ。
前回、石コロガシの瀬を右岸から釣らなかったため、右岸にはいる。
ヘチに転がっていた大石が埋まり歩きやすくなった。喜ぶべきか、哀しむべきか。

左岸に入り、ヘチから瀬肩上チャラを釣る人は釣れず。
後からやってきた丼大王と思える人が瀬肩上チャラの流れの真ん中で釣れていた。
丼大王は3,4年前の遡上の少なかった年の11月頃、一本瀬で、1日に10杯ほどの丼を食べていた。今年は丼を食べたくても食べることはなかろう。

釣れないから一本瀬に行く。瀬肩の人は釣れていた。オラはその下流の瀬の強いところにはいる。すぐに掛かる。小学生と思い、瀬落ちまで下るのは、観客のいることから、恥ずかしく、抜く。女子高生がぽっちゃん。女子高生とわかっていたら下ったのに。

幼稚園児、小学生。さびなかったのは園児だけ。4匹釣ってやめた。
ベストから、7号以上の針を出し、0.07号の金属、0.15号のナイロンに入れ替えたとき、ベストのポケットから、5千円札まで出てきた。那珂川や大井川で、釣れなかったら、ビールを飲んでさぼろう、と思い、入れていたが、取り出すのを忘れていた。もおかった。
三島で、昔はでんでん、ぐちという魚と酒で冷えた体を温めたことがあった。
今回は朝帰りをして、地魚盛り合わせにビール。

石コロガシの瀬の石をさわると、水面すれすれの石はぬるぬるであるが、その他はざらついている。増水から20日以上たっているのに。
松沢さんが栄養のあるアカがつかなくなった、というが、質だけでなく、量も不足している。これであゆみちゃんに育って、といっても無理な相談。

石がどうなるか、あゆみちゃんがどうなるか。
大門橋の産卵場上のトロ、淵をエンジン付きボートで、8帖の投網を使い、産卵のため下ってきた鮎を一網打尽にし、しかも、鮎を外すのは丘の人が行う、という、とんでもないことをしている人が今年は鮎が下ってこない、今日の漁協の会議で何とかしろ、というとのこと。
瀬にもサビ鮎がいるということは下りをしていないのかもしれない。
雨とともに、一気に下りをし、鮎がいなくなるのか。
その意味でも異常な年の変化を観察することにする。そして、異常は今年だけの現象ではなくなるかもしれない。

テク2は、大井川に行った。神座で23匹、サビ強くない、とのこと。
今日、先週、富士川パーキングから見える瀬で、30匹釣った人の相棒が、富士川ではなく、大井川に行く、とのこと。
大井川では、下流の方が若い鮎がいるということであろうか。
もう、囮がないから、オラにはいけない。藁科川でもそろそろ囮が終わるとのことであるから、藁科川で囮を買って、大井川に行くこともできなくなる。


11月9日  狩野川  城山下

狩野川小学校3 No.[139] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/11/09 [木曜日] 21:18:05
曇った石が見える。しかし、あかがぬるぬるについて、曇っているのではなく、薄くついている状態で、曇っている。それをなめていることから、よほど食糧事情は悪いのであろう。

曇っている石があるのは、6日に雷雨があり、30cmほど増水したから、下ったアユがいる。
性成熟が一定程度になった段階で、西風が吹く、増水する、ということが下りの行動を起こす動機付けになるのであろう。西風の下りへの役割は「仁淀川川漁師  弥太さんの自慢話」にも出てくる。

一本瀬にはいる。ツイギーのような小学生、女子高生等4匹。
次いで石コロガシに行く。チャラで、囮が流れる、重い、又草か。いや18才女子高生が掛かりどころが悪かっただけ。

午後、習志野さんが石コロガシで1匹しか釣れない、といっていたが、同じく足場のよい左岸から釣る、瀬肩上で1匹、瀬で2匹。

小学生から女子高生までまんべんなく釣れた。しかし、10月中旬以降の大井川と違い、豊満美女はいない。釣れたときにさびているのに、スマート。

11時、ヒデVさんのお友達のトム?さんが囮を買いに来た。湯ヶ島に行くという。11月3日の連休に、2日とも50台釣れたから、と。雷雨でチビが下っても適切な数は残っている、と。

松沢さんが、あゆみちゃんを売って、ねえちゃんを買う、ではなく、おまんまを食べていた頃、湯ヶ島を漁場としている人が、下ってアユがいなくなった、と下ってくると、松沢さん達はいそいそと湯ヶ島に繰り出
した、と。そして、束釣りもしていた、と。
理由   下るといっても、一度に全部が下らない。そして、湯ヶ島はサラ場と同じ状態になっているから。
トムさんはこのことを知っているのであろう。

瀬でもさびたアユが釣れるとはどういうことか。
増水で下りの動機付けができたのであるから、さびたアユは下り、下りの途中のアユはチャラ等の流れが緩いところで休息するはずであるが。
チャラで釣れた女子高生はこれに当たるであろう。



11月14日  狩野川  城山下

狩野川小学校4 No.[140] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/11/14 [火曜日] 18:50:05

一昨日、一本瀬の波立ちの大きいところのすぐ上で、昼に来て、石に座って、2時間に14匹釣った人がいる、と。
そこに囮を入れるが釣れず。その下の波立ちの大きいところにおもりをつけて囮を入れる。
囮が流れて かかるう。抜くと女子高生が口がかり。ぽっちゃん。

瀬肩上のチャラまでいくが音沙汰なし。
西風が吹き、増水もして、一昨日、淵にも下りのために集結している小学生がいた、とのこと。
しかし、産卵場に近い千歳橋からは、大きな集団は見えない、とのこと。
相模川に大量遡上のあった04年、内水面試験所の観察では、チビは砂利で産卵していて、砂礫層のところでの産卵ではなかった、と。
産卵後、しっぽで産卵した砂礫をひっくり返す動作を行うことと、産卵場所の砂礫の大きさが関係しているのであろうか。

下りの鮎が休んでいるであろうチャラへ。
石コロガシには広々としたチャラが広がっている。
四位のお局さんが去年の11月に狩野川大橋で、寒中水泳をしたが、その真似をしたくないのでチャラにする。

囮が弱っているから、波立ちのあるチャラに入れる。
上流から吹き下ろす風が出てきた。風で竿がおれたら、保証期間中であるから、新品になる、ありがたや。

やっと、掛かった。小学生のサビの出始め。
富士にユーフォー雲がかかる。風が強くなるはず。やめよかなあ、かえろかなあ。
さっきよりも黒い小学生。

小学生の囮の動きがおかしい。あげると、幼稚園児がついている。
竿がおれるのはよいが、帽子が飛ぶのは困る。園児を働かせたくない。
よって、あゆみちゃんと遊ぶのをやめた。

豊満美女が遊んでくれるのであれば、少々天気が悪くても、よだれを流してやってくるが。
とはいえ、出家をする前に、あゆみちゃんにお尻を追いかけさせることをやめるのは、女たらしの名折れである。しかし、小学生のラージぽんぽんでは寝転がっている方がよい、との声も無視できない。
悩む。悩んで悩んでビールを飲んで考えよう。

あかつき悪くても、磨かれている石か、石本来の色か、を松沢さんは識別できるという。四位のお局さんも識別できるのであろう。オラにはさっぱりわからん。
石コロガシのヘチの石で泥かぶりになった石があるが、その石でさえ、はみ跡がある。このようなことは識別できるが。

水温12度、暖かい日差しの中、物思いにふけり、千々に心の乱れた晩秋のひとときでした。



 11月18日  狩野川  城山下

狩野川小学校卒業 No.[141] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/11/18 [土曜日] 18:55:38
11月始めから、気温は20度以上であったが、水温は15度以下で、海産アユの孵化に、産卵に適する水温になっていた。今日は、気温も15度以下か。ダウンジャケットが役に立つ。
水温は11度。

15日、80cmの増水、濁りであることを奇貨として、丼大王らは、酒盛りをし、丼大王は水が引いた昼から2時間で、一本瀬のお座り石のところで、30以上かけて、30近く取り込んだとのと。この数量の差は、丼ではなく、ぽっちゃん。丼大王といえども、今年の狩野川のあゆみちゃんで丼を食べるのは至難の業であろう。

丼大王ご一行が仕事中に、密議をこらしてやってきた。3人組は机を並べてお仕事をしているとのこと。
丼大王は、一本瀬の左岸側を、オラは石コロガシの瀬のチャラへ。
アカつきは前回よりもよくなっているが、泥かぶり、曇った石は少ない。

瀬肩付近で掛かった。水面に頭を出している石裏に入ったため、下り、吊しこむ。
口掛かり、21才あまりの美白。口掛かりでよかった。糸は少しキンクしているが、小学生では切れないはず、針は6号。
背掛かりで瀬に走られていたら、丼か、ばれていたであろう。
美白であったが、船の中でさびた。

瀬尻まで行くが小学生は釣れず。乙女が釣れたのは、6月の人工を除くと、はじめてのこと。乙女が釣れて、小学生が釣れないとは、なんでや。
人間の姉ちゃんと同様、すれ違いは人生の常。思惑が外れるのはいつものとおり。
丼大王らがどれほど釣れたか、見ることなく、竿をたたんだ。

スーパーで、小エビをまぶしたはんぺんを買い、青木の瀬を眺めて、カップ酒。
左岸側の釣りあがる人は、小学生3匹、右岸側の3人は各1匹。
朝、分流と橋下流の瀬落ちに入っていた人は消えていた。

水が冷たい、小学生等、あゆみちゃんの追っかけをやめる理由は何でもある。
今年の遡上量が狩野川にとって、格別多い量ではなかろう。7月には12cm、14cmに育っているのがいた。にもかかわらず、なぜ、11月に小学生が瀬でも釣れたのか。
コケの質が悪くなっているだけではなく、繁殖量も少なくなっているのではないか。
山が荒れて、栄養を含んだ水が流れ込まず、珪素の質が落ち、流域下水道が完備して、藍藻を育てる生活排水が流れ込まなくなった、ということが考え得るのであろうか。

来年はどこの川で本物のあゆみちゃんと遊べるのであろうか。どの程度の量が本物のあゆみちゃんに近い人工として放流されるのであろうか。
コケの質、量は、人間の営みで悪くしたのであるから、当分悪くなっても、よくなることはなかろう。川を選んで、よりましなところに行くしかなかろう。

ということで、出家をすることなく、狩野川小学校を卒業することにした。
冬は、「アユの本」の疑問点を、この本の著者:高橋先生からの手紙も用いて考えることにする。

海産鮎の産卵時期
学者先生の常識、職業釣り師の非常識?
オラは弥太さん、松沢さんの観察を信じる

海産鮎の産卵時期:1
11月中旬に形成される流下仔魚量のピークは、海産鮎仔魚はない

06年のあゆみちゃん遍歴譜:4 No.[145] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/12/17 [日曜日] 12:05:25
4 海産鮎の産卵時期

神奈川県内水面試験場が行っている流下仔魚調査結果の評価について間違っていると確信している。
それは、10月中旬と11月中旬の2回形成される流下仔魚量の2つのピークがともに海産親に由来する、という箇所である。
このことについては、高橋先生の手紙中、「湖産を放流している河川」や、「継代人工を放流している河川でも、継代人工は産卵時期が早くなる傾向があるので」二峰ピークになる可能性がある、ということで決着しておこう。
なお、高橋先生は、上記の場合以外に二峰ピークが現れる場合として、海産鮎だけの川で、産卵期中に大雨があって、卵が流されるときでも孵化は2つのピークが形成されるとも、手紙に書かれている。

(1)孵化期間

「鮎卵が受精から孵化するまでに要する時間は水温により大きく異なり、低水温になるほど長くなる。鮎の産卵盛期の河川水温が10数度Cとすると、一般に鮎卵は2週間程度で孵化する。産卵末期の12月ともなると1ヶ月以上もかかる。」
(「天然アユを川にたくさん遡上させるための手引き」P21)

(2)四万十川の産卵時期

「アユの本」P94に、四万十川のの流下仔魚量、河口・海域生活期と遡上期の鮎の耳石調査による孵化日が掲載されている。

@ 96年流下仔魚量

流下仔魚量が観察されているのは、10月20日頃から始まり11月5日頃がピークで、10月20日頃以前はわずかである。そして、11月5日頃以降は急速に減少している。
この年は、湖産放流が減り、あるいは死に、数量が少なく、継代人工が主な親ではないかと想像している。

A 86年河口域の稚魚の耳石調査による孵化日

10月15日頃が初出で、10月25日頃1つのピークを形成している。次のピークは11月20日頃で、前回のピークよりも高い。
92年は11月1日頃がピークである。
これらの違いが、親の種別に由来する、とオラは想像している。
92年の親は、継代人工に由来すると想像しているから、93年の遡上量は少ない、と想像している。

B 高橋先生は、「11月に大量に孵化した鮎は海に下りた段階でそのほとんどが死んでしまったらしい。孵化のピークの遅れというのは、じつは早生まれが選択的に死んだための見せかけ現象であった。」(「アユの本」p93)

(3)研究者における10月産卵の「常識化」の指標

高橋先生は、河口域とその周辺のアユの耳石調査から、10月生まれが相当数がいる、とされている。
11月1日に河口域で観察される稚魚は、孵化期間を考慮すると、10月15日頃に産卵していることになろう。オラの経験では、11月1日頃が海産アユの仔魚が観察され始める時期であり、10月20日頃以前に観察される流下仔魚の親は湖産、継代人工に由来すると考えている。

@ 「アユ釣り’91」の「続狩野川の不思議」(鈴木敬二著)の生殖腺体重量調査における10月11月の生殖腺発達が遅いとの記述に違和感を覚えた、と高橋先生は手紙に書かれている。
そして、「海産アユの産卵は水温が20度ぐらいから始まり(20度以上では子に奇形が多くなるそうです)、14ー16度Cでピークとなるケースが多いと思います(10度C以下になると卵の発生がうまく進まなくなるようです)。ですから、高知県であれば海産鮎の産卵は遅くなった今でも)10月中旬から1月上旬まで続きます。」

A 性成熟の表象

高橋先生は、「産卵期の前期は中ー大型のアユが深瀬(1m以上)を中心に生むため、余り目立ちません。深瀬でコロガシをする人か、私のように潜る人間でないと余り知られていないようです。」
しかし、友釣りでも、サビの状態で性成熟の段階を識別できる。

サビの段階
1 釣れたときは美白であるが、絞めると下腹が赤くなる
2 釣れたときはさびていないが囮に使うとうっすらと黒ずむ
3 釣れたときから薄く黒ずんでいる
4 釣れたときから黒い
1 半分はたいたようになっている。

これらのサビの段階が、性成熟度とどのように相関関係があるのか、わからない。3までは性成熟が余り進んではいないのではないか、と想像している。
ローレンツの「ソロモンの指輪」か、「攻撃」に、セックスを生殖以外の目的で行う動物は人間だけ、との記述があったと思う。そうすると、性成熟が余り進んでいない段階で産卵することはないのではないかと想像している。

B サビの度合い

05年、本物のあゆみちゃんしかいない大井川の10月はじめ、絞めると下腹が赤みを帯びるアユがいた。15日にはうっすらと黒ずむのがいた。
06年、サビが目立ったのは10月20日頃からであった。
なお、県試験場が相模川に海産アユに満ちていた年、海産アユと特定して、生殖腺体重量比を調査したが、10月末から生殖腺体重量比のピークが現れた。

(4)なぜ「10月」産卵が常識化したか

オラも10月15日頃から産卵する早熟なあゆみちゃんがいることは否定しない。しかし、10月中旬に流下仔魚として観察される仔魚に由来する親が、相模川以西では、海産アユではないと確信している。
高橋先生は、温暖化で産卵時期が半月ほど遅れている、と書かれている。又、河口域での観察であるから、10月15日頃から観察された稚魚は海産親に由来すると書かれている。
ということは10月1日頃から海産の産卵が始まっていることになる。

この四万十川での調査結果が研究者の間で、海産の産卵開始を10月1日に始まるとのことを常識化する契機となっているのではないかと想像している。
温暖化で産卵時期が半月遅れる前のことはオラにはわからない。しかし、大井川では、村祭りの頃=10月15日頃、腹をぱんぱんにした大鮎が釣れた、ということから、その頃から産卵が始まり、流下仔魚が観察されるのは11月1日頃から、と考えている。

海産鮎の産卵時期

産卵行動としての下り等は、西風が吹く頃からはじまる。
「湖産ブランド」に、日本海の海産、人工がブレンドされていたとしたら?

06年あゆみちゃん遍歴譜:5 No.[146] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/12/19 [火曜日] 10:04:03
5 海産鮎の産卵時期 続き

(1)86年調査結果について

「アユの本」P94に、四万十川河口域及びその周辺の海で採集したアユの耳石調査結果グラフが掲載されている。
@ 周辺海での採集アユ仔稚魚の孵化時期の構成比は
  初出=10月10日頃
  10月15日の構成比=10%程
  1回目のピーク=11月1日頃、20%
  2回目のピーク=11月15日頃、25%
A 河口域と周辺海域とでの採集アユの孵化日は10月15日から11月1日の間には乖離が見られる。周辺海域の方が構成比が高い。その他の時期では同じような構成比になっている。

(2)高橋先生のコメント

高橋先生は、初期の産卵が水深1m以上で行われるから、産卵を目にするのは水に潜るか、コロガシの人とされているが、オラはサビの状況から友釣りでも産卵時期の推測ができると考えている。その指標がサビであるが、サビの状態と性成熟度の相関関係はわからない。
ただ、絞めても、あるいは船に入れても、下腹が赤みを帯びる、あるいは薄く黒ずむ段階では、生殖腺体重量比はピークに達していない段階であり、産卵を行う状況になっていない、と想像している。
そして、そのサビの薄い段階の鮎が10月上旬に釣れることはあっても、9月には釣れない。
当然、湖産と継代人工はのぞくが。
したがって、サビが強い鮎が釣れるのは10月下旬あるいは、昔の大井川では10月15日頃からであったと想像している。
又、孵化期間を2週間としておくと、10月はじめから、サビ鮎が目につくほど釣れていることになるが、これは大井川での経験からも、狩野川での経験と松沢さんらの話からも異なる。

高橋先生は手紙で、86年の10月生まれの鮎は「間違いなく海産である」。
94Pのデータは「海や河口域で採集した仔稚魚から分析しています。そのため、湖産はあれには混じりようがないのです。(塩分耐性が低いため、海でごく初期に死亡することはご存じだと思います。)。その当時人工種苗は使われていませんので、すべて海産ということになります。もっとも、最近では温暖化の影響か、産卵期は半月くらいは遅くなっています。」
と書かれている。

(3)オラの疑問

10月15日孵化日の鮎が10%もの構成比で観察されると、10月はじめには海産のサビ鮎=釣ったとき、あるいは絞めたとき、船に入れたときに真っ黒になる海産鮎が釣りの対象になるはず。
10月中旬以降にそのような鮎が混じることはわかるが。

とはいえ、相模川と違い、四万十川で釣りをしたことがないため、なぜか、を想像することはできない。

(4)「仁淀川川漁師秘伝 弥太さんの自慢ばなし」

四国に行ったことのないオラには、四国のあゆみちゃんを知るには弥太さんの自慢話しかない。
「産卵が始まるのは11月に入ってからよね。彼岸を過ぎて大水が出たら、鮎はだいたいその水に乗って下っていきゆう。このへんじゃと、伊野町あたりから下の浅い瀬がその場所よね。秋に大きな水がでん年は、11月に入って木の葉が舞うほどの大風が吹いたときに一斉に下るわね。木枯らし一番というか、ああいう風じゃ。まあ、今度あんたらがその時分に来て、その風に遭遇すればわかるけども、アユはまるで合図をしたように見事に下っていきよるぜ」

(5)疑問は解けず

相模川に関する県試験所の93年から95年の調査報告書の評価に関しては、釣り人の経験から間違っている箇所、理由を指摘できるが、四万十川については四国での川で釣りをしたことのないオラ、経験だけが判断基準のオラには、なぜ、10月はじめに四万十川で海産鮎が産卵したとの調査結果になるのか、考えようがない。

弥太さんの自慢話は、狩野川での遡上鮎が釣りの対象となるほどの量があるときの10月以降の状況=川の色=石の色 と 釣れるアユの状況から、「そのとおり」、と同意できる。

06年の狩野川では、彼岸以降に大きな水は出なかった。水位計の場所での1mほどの短時間の増水はあったが。
又、木枯らし1番であろう西風が吹いたのも11月15日頃。(通常、3,4日吹き荒れるが1日だけとのこと)
そのためか、大量に下っていく姿は城山下では11月20日までには観察されなかったとのこと。もちろん、下っていく群れは何度も観察されているが。又、11月20日以降は狩野川に行っていないから、大量の下りがあったか、はわからないが。

大井川でも、彼岸頃以降の神座の水位計で2,3m以上の高さのダム放流があると、家山より上流では釣りの対象となるほどのアユがいないように見える。
ただ、大井川は、1回ダム放流があると、2週間あるいは20日ほどアカ付きが悪い。そのため、食糧不足から体力が衰え、次の増水で流れていくのがあるのかもしれない。
又、大井川で10月以降に囮をおいてくれるところが見つかったのは05年からであるが。

なお、彼岸頃以降の増水で下ったとしても、すぐに産卵を始めるのであろうか。あるいは、下りをしたことによって、性成熟が急速に進むのであろうか。
松沢さんの話では下りの群れは多様な大きさ、性成熟段階のアユで構成されているとのこと。
86年四万十川には10月1日頃に下りを促す要因があったのであろうか、そして、下りをした後、すぐに産卵行動を行ったのであろうか。

注:現在は、「四万十川には湖産しか放流していない」との、漁協関係者の発言を基に、高橋先生は「湖産」しか放流されていない、と判断されているが、前さんの本と「鮎種苗の放流と現状と課題」に掲載されている足羽川での調査において、「湖産」ブランドが人工、海産のブレンドと推察されていることから、四万十川の「湖産」ブランドに海産がブレンドされていた、と考えることが適切であると考えている。



海産鮎に産卵時期
交雑種の仔稚魚は海で死滅するのになんで神奈川県は交雑種を生産するの?

06年あゆみちゃん遍歴譜:6 No.[147] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/12/24 [日曜日] 10:50:03

6 海産アユ産卵時期の補記
海産鮎の産卵時期については、弥太さんと松沢さんと同じであり、オラも「西風の吹く頃から」が、大量現象として産卵が行われる時期と考えている。それに対して「アユの本」では、河口域、その周辺海域で採集されたアユであるから、湖産ではない、したがって、海産の産卵が10月はじめから行われている、と。
相模川については、県試験場報告の流下仔魚調査における10月中旬のピークが湖産、次いで継代人工で形成されている、海産の流下仔魚量は11月以降に現れる、と推測できるが、四万十川ではなぜか、を想像できない。

(1)交雑種は再生産されない。

「アユ種苗の放流の現状と課題」には、鼠ヶ関川の遡上鮎がアイソゾム分析に基づいて、海産アユの遺伝子である、と、報告されている。
海での生存が交雑種、湖産では困難であることを示している。この調査では、いつ、何が要因となって、湖産、交雑種の稚魚が死滅するか、までは書かれていない。

@ 高橋先生は、湖産が塩分耐性が低いため、海では生存できないと手紙に書かれている。

A 鼠ヶ関川調査では海での湖産、交雑種が遡上期までに死滅する理由について、「海域に到達した湖産親魚由来の仔魚は遡上期までに何らかの理由で斃死する運命にある。」

B 「アユ種苗の放流の現状と課題」に、新潟県海川の調査結果が報告されている。この中で、各種別の仔魚を温度、塩分濃度を変えて飼育した結果が報告されている。その結果は「交雑により生まれた仔魚が海域で生存する可能性が示唆された。」とあり、又、湖産の生存事例も例外的には生じている。

C 鼠ヶ関川の渚帯で「2000年度に採集された体長4〜8mmの仔魚における耳石観察結果では、10月26日の船曳採捕魚に湖産AGL標識魚が5尾、11月14日の渚曳き及び11月15日の船曳、渚曳きの採捕魚にあっては海産TC表仔魚が計30尾確認された。

これらを考慮すると、海域で多くが短期間に斃死するとしても生き残る湖産親由来の仔稚魚もあり、それらがその後の海域での塩分濃度、水温等の変化で斃死していく、ということであろうか。
とはいえ、海域に生存する稚魚の構成比の10%を湖産親由来の稚魚が占める量になるとは考えにくいが。

ということで、四万十川の海域での耳石調査結果から、10月1日頃から、あるいは、5日頃から相当量の海産鮎が産卵したであろうという結果が、海での稚魚の観察現象となって現れているが、このサビ鮎の出現時期とは相容れない調査結果の理由はわからないままである。
なお、海川?での調査では、孵化期間が7日との記述もある。水温20度頃以上の時、孵化率が低下する、奇形発生率が多くなる、ということではあるが、20度以下のある適正水準では孵化期間が短い、ということであろう。

(2)6月はじめの海産鮎の大きさ

「弥太さんの自慢話」に「今、仁淀川のアユの解禁は6月1日(網は6月15日)じゃが、昔は5月15日じゃった。6月に変わったのはこの6、7年じゃあないかね。」「余り小さい鮎を獲るのはどうか、と、組合の会議で動議を出した。たしかに意見としては正論よ。この時期はなんぼ若鮎というても、まだ15〜16cmのもんじゃき。」

遡上期について、「昔は『3月皿丈』というてね、3月の中旬になると、小皿の直径ぐらいのもんが、このへん(越知町)に上がってきよった」「まあ3寸ばあのもんじゃろう。」
「3月にもうアユの針子が見られということになくなったがね。」

松沢さんも解禁日に湖産ではなく海産18cm級が釣れた、と。
今は7月にならないと、海産が釣りの対象となる大きさにならない。今年、海産遡上鮎の大きさに近い大きさで相模川に、中津川に、4月中旬に放流された愛知県産6cm、富山県産4cmも中津川で釣れだしたのは6月下旬からである。

なぜ、昔の成長と異なるのか。
県試験場の水槽に9月中旬に採卵した継代人工が入れられていた。2月にはドングリの背比べで、10cmあるかなしかの大きさ。
4月中旬、1匹は18cm、その後に14cm級が何匹か。そして10cmほど、という構成になっていた。
アユは土地貴族であるから、勢力のあるものはどんどん大きくなれる。
ピラミッド型に大きさの分布が形成され、その頂点であるアユが6月に18cm級になり、それが釣れていたのであろう。
しかも、その頃の水量は現在の倍、そして、大きい石が領地を形成しやすく、さらに栄養分豊富な「金の塊」のコケが繁殖していたから、成長の早いものも多くいたのではないか。
変態は、川で生活できる体型になること、コケを食める歯に生え替わること。この時期が3月中旬から4月中旬になったのはなぜか。
あゆみちゃんの心も生活もよくわからない。もっとも、養老先生は科学ですべて理解できるようになる、というのはフィクションである、といっているが。

相模川漁連もやっと、放流種苗の検討を行うこととなった。
海産の生態に関する適切な知識、再生産を助長する施策が決定されることを願う。
間違えても釣り人の欲求だけを考えて、質を、生態を考えることを欠如している群馬県産、神奈川県産の継代人工を放流することがないように願う。


Re: No.[148] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/12/28 [木曜日] 17:37:45
05年のあゆみちゃん遍歴譜はとりあえず、終えることにする。ただ、あゆみちゃんの生態について、気がついて書きたくなれば追加をするつもりです。

おそらく「変態」の性格を利用していると想像している新しい養殖:人工の生産手法、特性がわかれば、と思っている。

「珪素」は、「珪藻」の間違いです。
そのほか松沢さんへの送付文を作っていて、何カ所か、誤字に気がつきました。すみません。

コケとあゆみ:その3

アカぐされ、緑藻    珪藻の栄養価

06年のあゆみちゃん遍歴譜:3 No.[144] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/12/11 [月曜日] 04:48:52

3 アカぐされ、緑藻

オラは、アカぐされができるのは、コケの消費者であるアユが少なく、コケの生産量に比し、消費量が少ないから、と考えていた。
しかし、松沢さんが、昔の狩野川でアカぐされがあった、といわれた。
なぜかわからなかった。

「珪素の生物学」に次の記述がある。

光合成の活性が光の強さに依存することはよく知られている。珪素の種類によって程度は異なるが、1万ルクス程度までは光の強さにほぼ比例して光合成は大きくなる。しかし、それ以上の光は光合成を阻害する。このような光合成の光阻害は緑色系列以外のすべての藻類に見られる現象で、2万ルクスの光では光合成が全くできないばかりか、短い時間でも死滅することがある(ちなみに快晴の海岸の日照は5〜10万ルクスになるのが普通である)。
この光阻害の原因は、光合成色素の光分解によるものと見られている。」

緑藻以外、とのことであるから、藍藻も珪素と同様の光阻害現象があるのであろう。
90年代終わり頃の大井川の8月、駿遠橋下流、左岸岩盤と大石が転がっていたトロ状のところで夕方入れ掛かりをした。その下流の瀬は余り釣れなかったのに。
そのとき、数匹釣れると、色気よりも飲み気、いつもの悪い習性であるビールにおぼれなければ、時速10匹、20匹の大漁になっていたであろう。

そこは、真夏の日照を遮ることのできる場所であった。
鮎が満ちあふれていた狩野川でも、アカぐされがあった理由が光合成の光阻害であると考えて間違いではないと考える。
旧盆の頃は、あゆみちゃんの避暑地に闖入するようにしょう、っと。

ダムがなかった頃の中津川の愛川橋上流は黄色い色の石であったが、今は黒い色の石になっている。花崗岩の石では、必ずしも黒には見えないが。その上流の日向橋では、緑藻が繁茂した、とのことである。
06年の那珂川は、去年よりも緑藻が繁茂していた。寒井の梁上流は緑藻のなかを釣っているようであった。
町裏、高岩の緑藻が少ない、と思ったら、増水で流れたから、との話があった。
那珂川の緑藻がなぜ繁茂している、繁茂するようになったのであろうか。

狩野川が上島橋下流の水路合流点の下流以外の場所でも、藍藻が優占種になって久しいが、今年は、そのコケの種別変化だけではなく、生育量にも変化が出た。
10月10日頃の増水から1ヶ月過ぎても、城山下の石はざらついていた。
なぜか。一時的な要因によるのか。
この現象が80年代と違って、小学生主体のあゆみちゃんしか10月、11月にもつれなかった理由になるのか。

「珪素の生物学」から

『肉はすべて草から(all flesh is grass)』は陸地の、『魚はすべて珪素から(all fish is diatoms)』は水界のエネルギーの流れを端的に示している。珪素が植物連鎖の出発点として優れているのは、生産量が大きいだけではない

(1)動物の消化管内で分解されやすい。被殻が消化を邪魔するように見えるが、この殻の微細な孔は消化液の進入に都合がよく、2つの被殻は容易に割れるし、中間帯や環帯もこわれやすい。

(2)動物の栄養としてバランスが保たれている。タンパク質、糖類、脂肪の比は、およそ100:50:15である。ビタミンAをはじめ多くの微量必須化合物が含まれている。ただし、以前にいわれたビタミンDはほとんどないことが明らかになった。

(3)毒性がない(以下省略)

(4)爆発的な増殖が少ない。(以下省略:藍藻や緑藻が水の花を形成すが、そのような増殖がない、あるいは集塊を作るほど増殖しても、沈降する)

(5)単細胞性で小型である。(以下省略:餌に利用できる動物の範囲が広い)

藍藻ではなく、珪素が優占種の川でいつまで釣ることができるかなあ。
松沢さんは狩野川の回復はあきらめているが。


コケとあゆみその2

あゆみちゃんの衣装


06年のあゆみちゃん遍歴譜 No.[143] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2006/12/01 [金曜日] 14:10:33

2 コケとシャネル5番 その2:あゆみちゃんの化粧あゆみちゃんは彩り鮮やかな化粧をすることもある。
(1)事例
@ 高塚「明解友釣り読本」  天竜川の紫アユの装いを、紫の追い星、鰭は黒と赤が鮮やか、と。
A 藁科川、大井川では、尻ビレが蛍光色のオレンジ色に染まり、その
中に放射線状に青い筋が走っていた。
B 寒狭川にも天竜川の紫アユとは、黒の部分の色が少し違うが、紫アユがいた、と。
C 城山下の松沢さんは大見川にも藁科川と同様に彩られたアユがいた、と。
D 「アユの本」には、赤石川に、鮮やかな金色の色彩の金アユ、と。

(2)化粧の原因
@高塚さんは、遺伝子要因による、と判断し、湖産との交雑で、天竜川の紫アユは消滅した、と。
山本七平「日本人とは何か」に、五公五民が事実ではないことの説明箇所で、これを事実として、江戸期民衆の困窮説を創造した唯物史観の後裔が講師をする講演会で、米国人に「では、日本は、その米をどこへ輸出したのか」と質問されて立ち往生したことが書かれている。
江戸期後期の人口三千万のうち、武士7%、工商7%、百姓84%、その他3%の構成では、農民外の16%の消費者が米の総生産量の42%くらいを消費することは不可能である。
このレベルの定量分析的な知見にも思い及ぶこともなかった高塚さんの説は取るに足らないと考える。
80年代のある年までは、天竜川河口では10トン、15トンの遡上鮎が採捕され放流に回されていた。1トン30万匹ほど。
湖産と海産の産卵時期の違いに無知であるとしても、湖産放流量の何倍もの海産がいて、湖産との交雑が1年2年で100%生じるとは計算上不可能なことである。
なお、「アユ種苗の放流の現状と課題」には、遺伝子分析から、交雑種が海では死滅し、再生産されていないことが報告されている。=浸透圧調節機能の欠如あるいは脆弱性

A 高橋先生は、金アユを「色素の異常個体ではないかという感じがした。アユの体色異常は時々あるようで、その飼育池にはコバルト色の鮎も飼われていた、」と。ただし、高橋先生が潜って3日間で観察した数は1匹である。

B 大井川では、01年以降、化粧をした鮎が減った。今年は数匹にしか逢っていない。
01年とは、長島ダムが稼働した頃である。

(3)珪素について
巖佐耕三著「珪素の生物『学』」は、藻とよばれる生物が大まかな分類では色で区別される、と書かれている。
@ 珪素
「黄色藻とか、黄金藻とよばれるなかまか、それに近い群に入れられている。淡水、海水を問わず、珪素の付着した岩石や泥土の色は黄色っぽい褐色をしている。

A 藍藻
黒っぽい藍色

B 紅藻
鮮やかな紅色

C 緑藻
緑色

テク3が今年の大井川のコケの色が以前に比し、黒っぽくなった、といっていたが、珪素に藍藻が混じるようになったのであろうか。
巖佐先生は「珪素の『話』」も書かれているが、「話」でさえ、理解できないため、「学」がわからないのは当然のこと。藻類の栄養としての無機化合物、有機化合物の関係が書かれていて、栄養と珪素の種別の群落形成に関係があるようであるが。
なお、「魚を育む豊かな流れ」(全国内水面漁業組合連合会)には、流量、流速等が「付着藻類の現存量、生産速度、組成(飼料生物としての質)などへの影響を与える。これらの変化要因は単一に働きかけるだけでなく、複合的に働きかけることが多い。」との指摘がされている。

   こけやあらぬ  川や昔の川ならぬ  
            あゆみ一つは  もとの身にして


コケも、川も変わってしまった、あゆみちゃんだけが昔のままである、
とはいえ、香りと化粧はコケの影響を受けて装いを変えざるを得ない、ということがオラの想像である。



昭和のあゆみちゃん:21 No.[171] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/04/13 [金曜日] 09:03:33
(3)嘆き節

斉藤さんが「鮎釣り大全」で長良川河口堰に反対され、他方、建設省が
遡上鮎がいなくなれば人工鮎を放流すればよい、と考えていた環境にま
で、川が、鮎が変貌した平成において、垢石翁は、まだ、鮎を釣ろうと
するのであろうか。

大多サも長良川に遡上鮎がいなくなり、放流鮎の川になった昭和三十年
代半ば頃からであろうと想像しているが、その時期には、長良川での鮎
釣りを止めたとのことである。
小山さんが奥さんから、お骨を流してくれと頼まれた川も今や本物の鮎
が釣れない。
06年、遡上鮎が釣りの主体になっていた狩野川であるが、あゆみちゃ
んを育む垢はすでになし。大井川の人からはあんなどぶ川では釣りたく
ない、といわれていたが、流域下水道が整備されたから、水質は改善し
ているであろうが。
馬瀬川も、群れていてガンをつけた、と、突っかかる土地貴族とは無縁
な人工が放流されているとの話である。

なお、垢石翁は、海外の鮎について、次のように書かれている。
「台湾新竹州の頭前渓、台北州の武老坑渓などには、尺に余る大きな香
魚がたくさん棲んでいるという。けれど、亜熱帯にある台湾の諸川は、
水温が高すぎるので香魚は徒らに大きくなり、肉はやわらかい上に香気
に乏しく内地の香魚の味を知っているものには、賞味できないのである
。」

「また、朝鮮の何れの川にも棲んでいる。だが、内地のものに比べると
香気にも食味にも格段の差があって、ただ形だけ香魚であると言うに止
まっている。さらに、満州、直隷省、沿海州の一部にも産するが、これ
も半島の香魚の味に変わったところがない。たヾ、満州鳳凰山の下を流
るる渓流は、黄塵の降り込むことがないので大陸には罕なほど清冽な水
が流れている。そこで、この川には頭の小さい青銀色の香魚が棲んでい
るというが、ほんとうのことはよく知られていない。」

高度経済成長が始まる前と後では、鮎を育む珪藻の栄養価、海産仔稚魚
の生存可能な時期、遡上を開始する時期等、あゆみちゃんの成長、大き
さにかかわる環境に大きな違い、変化があるのかも知れない。

その違いを意識せず、又、湖産、継代人工等の人工鮎、海産の性成熟時
期の違いを考慮することなく、昔の時間軸と同調させるて評価をするこ
とは事実、生態を適切に理解することとはならないのではないか。
さらに、「湖産」ブランドに海産畜養、あるいは継代をあまり重ねてい
ない海産人工が含まれていたことを考慮しないで、昭和の後半に放流さ
れていたアユが「湖産」であると判断することは、適切ではない、と考
えている。

垢石翁は、球磨川、長良川の一部、筑後川等と同様に、静岡県内の解禁
日を早めることとなったことに関して、「全国に先立って鮎を東京、大
阪地方へ搬出するため、独占的な相場により、漁師の利益は莫大であっ
た。」
それで、静岡県でも解禁繰り上げ許可の運動をなした、とのこと。しか
し、友釣りのみが5月にはできて、毛針釣りはできない、と。
また、友釣りは職業漁師の釣りで、毛針は素人釣り人の釣りである、と
のこと。

アユは強いものはどんどん大きくなる。当然、格差社会であるから、大
きく成長できる数は限られるはずである。今のように、友釣りに素人衆
が参加していては、1人当たりの分け前は僅かであろう。職業漁師と数
少ない素人衆が一番アユを、その周辺の2、3番アユを狙っていたから
、成り立っていた5月解禁であろう。

さらに、10月下旬産卵の仔稚魚が海で社会死をすることなく育っていた
こと、そして、ダムの影響がなく地下水が豊富で今よりも川の水温が高
ったことから、3月上旬に遡上があったのであろう、と想像している。

長良川河口堰がなかった昭和の終わり頃でも、長良川下流の5月解禁の
釣りの対象は放流もの主体であったという話が書かれていたと思う。
今の狩野川では解禁日の釣りの対象は当然放流もの、多くは人工である
。湖産が主役の時もあったであろうが。

なお、若鮎観察記に「伊豆の狩野川は、昨年に比較すると、鮎の遡上が
余ほど早かった。2月下旬には中流の大仁地方へ姿を現したのである。

「この頃は、一週間もたてば倍以上に育つのであるが、育ち盛りにこの
有様であったから(注:四月中旬から五月に入ってからは水温が四月上
旬並であった)昨年のきょうこの頃に比較して鮎はよほど小さい。去年
五月中旬に試釣したときは、二五匁以上のものがいた。ところが、今年
の試釣の最大は一七匁であったのである。」

遡上鮎が満ちていたのに、狩野川にも「放流鮎は、相州小田原湾産二五
萬尾を数えたという。」。
この意味はどういうことであろうか。「アユの本」で、高橋先生が漁協
の事業として放流事業が義務づけられていると法令に定められている、
そして、これが再生産のための事業実施の妨げとなっていると書かれて
いるが、そのことを示しているのであろうか。

昭和15年頃は、海産稚魚の直放流をしても、その稚魚の生存率も、成長
の行く末も考える必要性はなかったはず。遡上鮎が釣りの主体であった
から。

しかし、放流鮎に頼らざるを得ない平成の世では、再生産に寄与する貴
重な親ともなる海産稚魚の生存率、成長を考慮した放流の仕方、人間が
どのように産卵、遡上、生存率の向上に手助けをするか、を考えるべき
である。

07年相模川漁連が放流した130萬匹ほどの海産稚魚がどうなるか。川で生
活する体型に変態していない稚魚、垢をはむ歯に生え替わっていない稚
魚、それを放流してどの程度、生存できるのであろうか。又、それら放
流された海産稚魚の成長度合いの構成比はどのようになっているのであ
ろうか。

高度経済成長前の川は、3月の水温はダムができる前よりも高く、仔稚魚
が海に入る10月末前後の海水温は現在よりも低い、ということが、3月上
旬に遡上する鮎の「変態」時期、5,6月の成長度合いに関係していたの
であろうか。

このような条件がなくなったなかで、相模川漁連が、放流アユの検討会
を設置したとのことで期待をしていた。しかし、矢作川や小国川のよう
に、遡上鮎を増やすための適切で、効果のある手法が採用されることは
ないようで、再生産に寄与することのない交雑種の継代人工が放流アユ
の主役、種苗育成の主体のままとのこと。

ふとっちょで、ぶよぶよのやわらかいあゆみちゃんは当たり前、香気の
あるあゆみちゃんは得難い稀少な存在、さらに、それらの違いを意識す
る釣り人は伊藤稔さん等少数。
違いのわかる人は、コーヒーのコマーシャルには存在しても、釣り人で
は年々歳々滅んでいく。

あゆみちゃんが、釣れればよいというだけの存在では、あゆみちゃんが
若者の恋の対象となることも、あゆみちゃんにうつつを抜かせて失楽園
の壮烈な末期を味わう「不幸な」人も出てくることはない。
めでたし、めでたし

  時は夏   日は朝  朝は7時  川面に朝霧みちて     
 あぶらせみなのりいで   おとり川に這い 
      神そらに知ろしめす   すべて世は事も無し




2007年あゆみちゃん遍歴賦
中津川 相模川 大井川 狩野川 その他
5月 3月1日山女   試験採捕
4月29日山女
3月の遡上情報
4月の遡上情報   中津での試験採捕
遡上状況
26日 矢作川での遡上状況
興津 27日
6月 1日  5日  7日  11日  13日  
16日  21日  27日
1日  2日  3日  4日  
道志 19日  18日
23日
7月 1日  5日  8日  12日  16日
17日  18日  19日  24日  25日
1日  25日 道志 20日
道志 26日
8月 1日  2日  4日  5日  7日   
13日 16日
21日  26日  30日 9日  10日 17日  18日
22日  23日     
9月 15日  20日  23日   1日  26日 2日  3日  
27日 28日
10月 7日  8日  13日  14日 3日  4日  10日  11日
18日 19日  23日  24日
28日  29日  25日
11月
まとめ等
昭和のあゆみちゃん   「昭和のあゆみちゃん」に編成
故松沢さんの思い出    「故松沢さんの思い出」に編成


 07年4月の遡上情報

Re:相模川遡上状況 No.[172] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/04/14 [土曜日] 18:09:04
寒川の堰には大量の遡上鮎が見えるとのこと。まだ、寒川の堰を越えたのは少ないのではないか、とのこと。なぜならば、磯部の堰で見えるのは少ないから、と。
オラも明日見てくる。
沖取り海産が130万ほどであるから、4〜500百万の遡上鮎はいると想像している。問題は磯部、妻田の堰をどの程度の数が魚道を探し当てることができるか、である。

去年の9月の藁科川の満さんのテレビが放映されていたが、海産はきれい、馬力がある。今年の相模川は遡上鮎が釣りの対象になると想像している。

沖取り海産は、コケを食べる歯に生え替わったものは僅少で、又、シラス状から脱色した成長段階の稚魚も含まれていることから、生存率、成長には期待できないと想像している。
今日、高田橋下流のトロのヘチに何百匹ほどの塊でいたのは、沖取り海産の一部であろう。


昭和のあゆみちゃん:20 No.[170] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/04/08 [日曜日] 19:39:43
4 むかしの光 いまいずこ  

(2)佐藤垢石「釣趣戲書」(昭和17年三省堂出版)から
(漢字は当用漢字に置き換えています。仮名も今様に変えています。)
  続き

E 大井川の評価 (295ページ)

オラが、ダム放流が1ヶ月ほどの間に2回続くことがなければ、飲まず食
わずの生活をして貢いでいる大井川のあゆみちゃんについて、垢石翁は
次のように評価をされている。

「中川根へ出て、大井川を望むと驚かされる。石の立派なので半ば水成
岩、半ば火成岩で、物置小屋程あろう岩が水中に没して、瀬をなしてい
る。ちょっと見は嘸ぞかし大物が沢山棲むでいるらしく感ぜられるが、
どうも大井の本流には鮎が尠い。それは上流の一部に露出している火成
岩が多量の硫黄を含むで居り、且つ鉄分が流れすぎるものではないかと
思われるのである。」

「前述の様に白根三山は、古成層の山塊であるから、下流中川根付近ま
では石が非常に宜しいが、その附近から岩層が悪くなって下流に及んで
いる。殊にこの川は、サ流し(木材流し)の為に、毎年魚族を損傷させ
ることは大したもので、本流には鮎の棲み様がない。」

「大井川のサ流しも他川と同様に杉、松、檜、椹等の針葉樹を伐採して
何萬本となく上川根の上流から流し込み、川底を滑り、南岸を磨つて下
流島田の町迄下すのであるから、比較的石は好条件を備えているのであ
るが、悲しい哉、鮎が棲み得ません。」
「その結果太平洋から遙かに溯ってきた僅かばかりの鮎は中川根の対岸
にある寸又川へ指して終います。」

「寸又川は大井川の支流でも有数の方で、却々激流であります。」
「岩石は水成、火成の混淆でありますが、火成岩の方も余程質が硬いの
であります。したがって、硅藻の発生も美事でありまして、本流の如く
悪水の流れる様子もありません。」

「そんな関係で、寸又川の鮎は充分に食い、育って、すでに八月下旬か
ら九月上旬になりますと、悉く片子を持って、下りに向かいます。同地
方ではこれを『寸又川の鉈鮎』と称しているのであります。幅が広く肉
が厚く、頭が小さいので非常に姿が宜しい。香気も高い。」

「しかし、大井川の上流と、その支流の鮎はもう亡びてしまった、」

井川ダムが着工されたのは、1952年:昭和27年であるが、その前に、大井
川ダムが1936年:昭和11年に完成している。このとき、寸又ダムもできた
のではないか。
井川ダム、大井川を水無川にした笹間ダム、平成14年に完成した長島ダ
ムに比べると、小さなダムに過ぎない大井川ダムの完成で、垢石翁は「
大井川上流と、その支流の鮎は、もう亡びてしまった。」と書かれてい
る。

垢石翁は、藁科から峠を越えて、中川根町に出られたのであろうか。
その道中にある笹間ダムができるまでは、笹間川に東京の釣り人を案内
していたという旅館が笹間渡にある。家山の寿司屋さんも笹間川の渓流
相で育つ鮎の思い出を語ってくれた。その笹間川よりも寸又川の方がす
ばらしいあゆみちゃんを育てていたとのことである。

オラは、亡き師匠と大師匠に連れられて、大井川で川原乞食をした後、
垢石翁とは逆に、藁科へ、と車で行った。
大井川の川原は広く、草の生えているところまで100m以上もあるため、
火をともしても、虫はよってこなかった。
笹間ダム上流の笹間川では、放流鮎を釣っている人がいた。途中の沢で
囮缶の水を入れ替え、狸の交通事故を見て藁科川に着いた。その時も藁
科川では、鮎が見えるのに釣れなかった。

今、オラがすばらしいあゆみちゃん、珪藻の育つ川として入れ込んでい
る大井川に、垢石翁が触手を動かされることはないとしても、オラにと
っては、美女と逢い引きのできる貴重な空間である。

その意味で、クレオパトラも、楊貴妃も、小野小町も知らないオラは今
の大井川のあゆみちゃんを天下一品の美女と有頂天になることができる
から幸せ者といえよう。
ルカの福音書に、祝宴には貧しい人等を招きなさい、「その人たちはお
返しをできないので、あなたは幸いです。」とあるが、高度経済成長の
影響を受ける前の美女を知らないオラも、古の本物の美女を知らないこ
とは「幸いです」。

寸又川の鮎が、片腹に子を持った段階で下るとのこと。まだ性成熟がピ
ークに達していない段階で、増水がなくても下りをするということをは
じめて知った。寸又川から、家山の寿司屋さんが10月15日頃の八幡様の
祭りの頃に大鮎を釣っていた家山付近まで下るのに、1月ほどをかけると
いうことであろうか。もっとも、大井川ダムができる前の祭りの頃のあ
ゆみちゃんと出会うことができたのは、寿司屋さんのお父さんであるか
ら、もはや確かめることはできないが。
渓流相の支流である寸又川や、笹間川では、日照時間の短縮を平野を流
れる川よりもあゆみちゃんが早く感知して、性成熟が促されたのであろ
うか。

F 「若鮎視察記」の章から(339ページ)

「釣趣戲書」の発行が、昭和17年であるから、昭和15,6年のことであろ
うか。
狩野川、興津川、相模川、富士川のことが書かれている。

相模川については、「今年の相模川は、3月上旬来夥しい若鮎の遡上振り
であった。下流の厚木から磯部方面も中流の久保沢から中野方面も、上
流の与瀬付近も随分活況を伝えてきた。その大群が、甲州地内の桂川へ
も溯り込んできたのである。」「水底の石に印した歯跡は素晴らしい。
だが、伊豆の狩野川と同様に、相模川から桂川にかけての今年の鮎の発
育は随分遅れているようである。これが何に原因するかはよくわからな
いが、相模川今年のねらい場所は磯部から久保沢方面の中下流の方がよ
ろしいと思う。
 堰堤で道路工事がはじまっている。上中流の方は分が悪いのではある
まいか。」

富士川について
「今年は早春以来、水温が高く水量が豊富であった上に、激しい増水が
なかったから、若鮎は夥しく海から溯った。」
「3月上旬、静岡県駿東郡芝川村の上手の釜ヶ淵と称する難所に、五六日
間続けて、幅二尺ばかり、厚さ三尺ほどの若鮎の大群が、真っ黒になっ
て溯ったそうである。その数は、到底想像も及ぶまい。」

「この若鮎が富士川四〇里を次第に上流へ上流へと、溯り行って育つの
だ。さらに中流の山梨県西八代郡富里村大字波高島地先では、三月中旬
に四五日間続けて若鮎の大群が黒になって、帯のように毎日上流へ遡っ
たという。」
「流れの中心には三〇匁近い大物が遊んでいるに違いない。解禁は六月
一日であるから、それまでに三〇匁以上に育つであろう。」

「昨年解禁当初の釣り場は、身延が中心であったが、本年はそれより二
里上流の波高島が中心となるであろう。」

「富士川では、今二カ所の発電所工事中である。この二カ所の堰堤が竣
工すれば、富士川の水は海と縁を絶つから、来年の遡上は絶望だ。」
「何にしても、富士川の鮎は今年限りで終焉を告げる予定である。」



昭和のあゆみちゃん:19 No.[169] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/04/06 [金曜日] 05:42:19

4 むかしの光 いまいずこ
(2)佐藤垢石「釣趣戲書」(昭和17年三省堂出版)から
(漢字は当用漢字に置き換えています。仮名も今様に変えています。)

@ 鮎の品質と岩質の深い関係(142ページ)
「鮎の育った川の石の質によって、味と香気とに確然とした差が生じて
来るといふのである。」

「水源地方に、古成層つまり水成岩の層を持った川の鮎は品質が上等で
ある。これに引きかへ、水源地方の山塊が火成岩である川に育った鮎は
味も劣り、香気も薄い。殊に、磧に火山岩が磊々としている川の鮎は、
まことに品質がよくないのである。これは、古成層の岩の間から滴り落
ちる水は、清冽な質を持ちそれから発生する水垢は、少しの泥垢も交え
ないので純粋であるからよく鮎の嗜好に適している。ところが、火成岩
の山塊を水源とする川の水は、水成岩のそれのやうに清冽ではない。し
たがって、発生する水垢の質は上等とはいえない。」

「そればかりではない。河底にある水成岩の石の面は滑らかであるから
、鮎が石の面の垢をなめるに都合よくできている。これと反対に火成岩
の石の面は甚だ粗荒である。鮎の口を損ないやすいことが知れよう。良
質の水垢を豊かに食った鮎は香気が高く肉が締まり、泥垢を食った鮎は
匂いが薄く、肉がやわらかである。」

今は亡きEじいさんが高田橋等に花崗岩を入れたとき、あんな石は鮎に
役立たない、道志の山にある水成岩を入れるべきである、といわれてい
たが、垢石翁の書かれていることに通じる。

A 水温と鮎の質との関係(145ページ)

「食品の特質に興味を持つ人は、水温と魚の骨の硬軟に微妙な関係のあ
ること」を知るべし。
「鮎は好んで水温の高い川に棲むというが、水温の低い川に棲んでいる
鮎の方が肉も締まり、香気も高い。そして、骨がやわらかいのである。
焼いても煮ても、頭も骨も歯を労することが少なく、却って骨を味わう
ために一種の風趣を感じるのである。であるから、骨の硬い鮎を箸にし
た時は、下流の水温の高い緩やかな流れに泥垢を食って育ったものと知
っておく必要がある。」

「利根川は中部日本では、四季を通じて最も水温の低い川の一つである
。五月下旬から六月上旬、若鮎の遡上最も盛んであるという頃に、水温
は摂氏八度から十二度位を往復している。銚子河口や江戸川から冬中、
海で育った小鮎が淡水に向かうのは三月下旬から四月中旬へかけて、雪
解け水が出始めた頃であるが、人の肌を切るような冷たい水を小鮎は上
流へ、上流へと溯っていく。
そして溯りつめたところは、死魔の棲むという谷川嶽に近い水上温泉の
下流二里ばかりの奥利根川である。この辺は眞夏でも日中二十度を超え
ることが少ない。」

「それでも鮎は大きく育つ。五六十匁から八十匁の姿となるが、胴が圓
く肉が締まり骨はやわらかである。水が冷えるほど、頭と骨が柔らかく
なる。」
そして、このことは、ヤマメでもハヤ、鰍でも共通するとのことである


B 月夜野の鮎(322ページ)

「月夜野橋近くまで辿り着いた香魚は、鼻曲がり、姿は細身に変わって
、長途の奮闘を嘸かしと思う。食ってしまうのは惜しい位である。背に
青藍色の澤を泛べ、胴の肉張り圓くなって眼の輝きは、どんな長瀞をも
貫き溯ろうとする意気を面魂に示している。この辺の水垢は、香魚の香
気をほんとうに高くさせる。であるから月夜野橋下流の利根本流と、三
国峠の東側に源を持った赤谷川との合流点近くで釣れた香魚は、大利根
百里のうち、随一の称がある。」

「関東水電の大堰堤が上越線岩本駅前の利根本流を遮った大正十五年以
後というものは、そこの魚梯を溯る鮎は甚だ罕となったのである。余程
体力のある香魚でなければ、この長い魚梯は溯破し得ない。しかし、一
度この魚梯を登り越えれば香魚の味は俄に違う。また、釣鉤を背負って
水の中層を逸走の動作にも、その強引と闘争力のほどが窺い知れるので
ある。」

C 利根川なきあとは

「函嶺から東で、全国に誇るに足るという立派な鮎が、昔も今も変わら
ず棲んでいるというのは常陸国の久慈川である。川という川の香魚は、
質が衰え、数が滅びていくとき、関東に残されたただ一つのこの川の香
魚を、心から保護してやり度いと思う。」

「久慈川は、常陸国の南部に広がる阿武隈古成層に源を発していて、久
慈郡の大子、袋田、頃藤、西金等の河底には水成岩の転石が白泡を揚げ
て激流を遮っている。その岩の水垢に、肥育絶頂に達した大きな香魚が
メスの光るように身を翻しているのが、崖上の奥州裏街道から眺めるこ
とができる。」

D その他の川のあゆみちゃん評価:抜粋
東海道では、興津川の鮎、北陸では神通川の鮎を第一とされている。
そして、小山さんが奥さんの骨を流された美山川については、「大正天
皇御即位御儀の時、大嘗祭庭積机代物に用いた香魚は、丹波の三国嶽か
ら源を発した由良川で漁れたものである。」、そして、「今上天皇御即
位式の時にも同じくご用命があった」「まことに名誉ある香魚である」
が、「釣魚家からみると、あまり上等の質の香魚であるという訳にはい
かぬ。」とのこと。

その理由は、「昔から京都府内は稲作が発達していてどんな山の中腹へ
も水田を拓いたのでこの川へ落ちる水質はあまりよろしくないのである
。したがって、香魚は圓々太っていて甚だ見ごとであるけど、肉がぶく
ぶくである。」

何という贅沢なあゆみちゃんの品比べであることか。
このような評価基準でみると、昭和の御代でも天下に名をとどろかす美
女のあゆみちゃんのいるところはどんどん狭まっていたようである。
そのような、美食家、面食いで、女の違いのわかる垢石翁からみると、
平成の川、あゆみちゃんを、たとえ遡上鮎といえども、誘惑しょう、と
、触手を動かされることはなかろう、と想像している。



昭和のあゆみちゃん:18 No.[168] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/04/01 [日曜日] 17:48:44
4 むかしの光 いまいずこ

(1)「鮎釣りの記」から
熊谷栄三郎「名川」(初出:不明・「鮎釣りの記」出版年の1984年
・昭和59年の頃であろうか)

「アユの友釣りは、他人サマとの接触を避けることが本来的に不可能な
ように仕組まれているような気がする。なんとなれば、オトリアユ購入
の時からして、オトリ屋の主人と会話を交わさねば用を足せないのであ
る。同時に、どの瀬で、どんな型のアユが、どれくらい釣れているかの
最新情報もそこで得なければならない。それが何年も続くと、いきおい
互いに親愛の情も湧いてきて、ときには土産を持って行ったり、逆にも
らって帰ったりということにもなるのだ。」

釣り場所も「数人がある程度の間隔で並んでも十分に釣れるから、やが
ては何人かと顔なじみにもなって、あいさつを交わすようになる。そこ
で、毎年のようにその場で顔を合わせていた常連が、ある年のシーズン
が始まっても一向に姿を見せないと、つい、あの男、病気にでもなって
苦しんでいるんじゃなかろうかと、気をもんだりするのである。」
「つまり友釣りという釣りは、なるほどアユや清流といった自然物を相
手にしてはいるのだが、その背景として人間の存在が相当に大きい比重
を占めているように思われる。ついつい他人の生活というものに接触す
ることが多く、したがってそのつど人生に関する何がしかの感慨を抱く
ことにもなるというものだ。」

熊谷さんは、今シーズンは真っ先に由良川の最上流である美山川に行っ
た。例年のごとく、囮屋さんでもらったスモモをかじりながら川原に下
りた。
7,8匹釣ったところで本降りになった。漁協事務所にいると、50年
配の人が「いえ、実はね、女房が三ヶ月前に死にまして。それで遺言で
、骨の一部を美山川に流してくれといってましたので。」と。

その小山さんは「特にアユの友釣りが大好きで、そこへ持ってきて大の
愛妻家でもあったから、十二,三年前からは」奥さんを川に連れ出すこ
とになった。奥さんの腕も上がった。
そして、長良川や馬瀬川、狩野川等に出かけていた。この春先に乳ガン
でなくなる前、その四川にも骨を流してほしい、と。

「『そうですねん。特に女房はこの川に知り合いが多おしてな。オトリ
をつけたままの竿を放り出して、いったいどこへ行ってしもたんかいな
と探したら、川っぷちのお百姓のばあちゃんと話し込んでいたり、袋に
いっぱいスモモをもろてきたり、そんなことがようおしたなア』」

熊谷さんが、「『そういう呑気な、そして地元の人と話し込んだりする
ような釣りこそ、本当の釣りのように思いますね』」というと、
「『そう、ほんまにそうや。田舎の人とあれこれ話すのが本当に楽しい
釣りなんや。ちゅうことは、女房もあれでけっこう一人前の釣り師にな
っておったんやなア』」

その名川が、そして、美しく、コケティッシュな小悪魔の魅力をふりま
くアユが、忘却の彼方に。
高度経済成長で、人間が自然に対する礼節よりも利便性、物質的な欲望
を優先させたことを悔やんでも始まらないか。三途の川ではどんなあゆ
みちゃんと遊べるのであろうか。

先日亡くなったオラの師匠は、道志川、酒匂川の谷峨・山北地区には釣
りに行っても、中津川にすら釣りに行かなかった。相模川は水が汚いか
ら当然としても、中津川を毛嫌いした理由はわからなかった。
相模川漁連は、1980年(昭和55年)頃から県の継代人工種苗と「湖
産」を放流していた。「湖産」として購入された鮎であっても、人工あ
るいは海産畜養が混じっていたと想像している。
なにかで、湖産出荷量と、湖産の氷魚等の採捕量が異なり、出荷量がは
るかに多い、とのことが書かれていたと思う。
相模川漁連が購入していた「湖産」に、まがい物が含まれていることは
、伊南川、益田川、福士川、滝谷川等の湖産を釣りに出歩いていた師匠
や、去年亡くなった師匠の師匠:大師匠にとっては、姿、形から自明のこ
とであったのであろうか。
それが、本物の湖産鮎を放流していた奥道志や、酒匂川にいっていた理
由であったのか。

大師匠の足が酒匂川から遠のいたのは90年代初めのこと。湖産とはいえ
ない姿の鮎であった。腹を割くとナイフにべっとりと脂が付く。囮屋さ
んが、鮎が薄くなったから、まいてもらおう、といっていたとのこと。
湖産が、冷水病の蔓延で生存率が下がり、一級品の湖産を放流していた
酒匂川でも、数が減り、人工成魚を放流することで、客寄せをせざるを
得なかった、ということではないか。

オラは、師匠や大師匠が何で、湖産、海産、人工の違いを口うるさくい
うのか、理解できなかった。去年、群馬県の川で行われた釣りのイベン
トで、魚乱さんが成魚放流を釣ってもおもしろくない、と、釣りを止め
たことに対して、若者が釣れるのに何で止めるの、といった、と書かれ
ていた。オラは若くはなかったが、その若者と同様の感性であった。
今やっと、本物のあゆみちゃんと、まがい物のあゆみちゃんの違いを意
識すべきである、と考えるようになった。
師匠と大師匠は、未熟者め、と笑っていることであろう。

小山さんの奥さんがお骨を流してほしい、と頼まれた長良川、馬瀬川、
狩野川、美山川に、昭和の釣り人が今もうつつを抜かして通う川とあゆ
みちゃんが住んでいるとは思えない。



昭和のあゆみちゃん:17 No.[167] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/03/28 [水曜日] 04:34:57
「鮎釣りの記」(朔風社発行)から  その8

3 亀井巌夫「長良川ノート」(初出:1978年・昭和53年)から

(2)「大多サ覚え書」の章から  続き

C 鮎の遡上、下り時期

「長良川に遡上する天然鮎の群れは、例年三月下旬に美並村に達し、四
月にはもう八幡に姿を見せていた。」
「七月に入れば解禁となり、天下晴れて稼ぐことができたが、当時の天
然鮎は、“五月川”でも昨今の七月鮎に負けぬほどよく肥えた大物が釣
れた。しかも放流鮎と違って天然鮎は九月十月まで川に滞っていたから
、十月半ばまで友釣りをしたものだという。」
 「十月なかばすぎようやく落ち鮎期となると、坪佐や神路、中野とい
ったヤナ場では“一と水百五十貫”といわれるほど、多いときは一日で
三百五十貫もの鮎が獲れたそうだ。」

三百五十貫とは、1トン以上ではないか。
三百グラム、四百グラムの鮎が釣れていたこと、五月でも今の七月、い
や、昭和の後半ではなく、平成の世では八月の鮎の大きさに育つほど、
栄養のある珪素が育っていたのであろう。

栄養豊富な珪素の育つ環境の違いを無視して、「大きさ」だけに着目し
て、釣り人が大鮎を望めば、ずんぐりむっくりの、激流を泳ぐ体型とは
ほど遠い、脂肪に満ちた人工鮎がありがたがられることになる。
オラは、「鮎釣り大全」の斉藤さん信者であるから、そのような鮎もど
きはまっぴらである。

相模川漁連の人が、津久井ダムがなかった頃、3月に遡上していた、と
いわれた。その頃の川の水温は、今よりも高く、川面には朝霧が立ちこ
めていた、と。川の水温が10度以上で、また、11月1日頃産卵の早
生まれが海水温20度以下の条件があって、社会死をしなかった、から
、ということか。

D 長良川の黄昏の予兆
「昭和34年の八幡町での鮎の漁獲高はヤナで千五百キロ、釣りで三万
七千五百キロに上り、この釣りには千百四十人が従事したと〈町史〉に
ある。また〈漁業従事者としての戸数は七戸であり、その他の多くは夏
季の副業としている〉とある。現在では釣り一本で生計を立てている人
はなくなったようだ。」

「戦後になっても天然遡上は昭和三十年頃までは昔と変わらぬくらい盛
んだった。
『(昭和)二十五年頃かしらん、深戸から木尾の間を帯になって遡る鮎
の行列をみたですで。そりゃ見事なもんで、道路から一時間見とろうが
全然行列は途切れんで続きよりました。その年の凄かったこと。釣りに
出て川を向こうへ渡ろうとする間に、五つも六つの鮎が足に当たりよっ
たもんで』

 しかし、大多サの記憶では、それ以後は年ごとに遡上は減った。「(
昭和)三十年頃からここ四,五年前までは、天然鮎が遡ったということ
はわしは言えんと思う、と彼は言う。」

「昨年あたりから(注:「長良川ノート」が掲載されている「釣りの風
土記」の発行が1978年・昭和53年である。ということは、昭和50年頃の
ことか)今年にかけて、再び長良川に天然鮎が遡り始めたのだ。不景気
になったせいで、川の汚れが少しましになったのだろうという。」

昭和の終わりに近い狩野川でも、鮎足袋を鮎が突っついていた。川の大
きさが異なるから、長良川での遡上量は凄い数であったのであろう。
それが、家庭雑排水の流入による河川の富栄養化、産卵床の荒廃による
孵化率の低下なのか、あるいは伊勢湾の汚染により仔稚魚の生存率が著
しく低下したのか、わからないが、長良川でも、昭和三十年代から放流
鮎河川の趣を呈するようになったということか。
昭和34年のヤナでの漁獲量が、1500キロということは、昭和30
年以前にみられた特別豊漁の年の1日分に過ぎない。

そして、昭和40年代後半、水質汚濁防止法の効果が現れて、伊勢湾で
仔稚魚の生存ができるようになったということであろうか。
河口堰さえなければ、長良川に遡上鮎が増えて、オラも美濃に行くこと
になったであろうが。うだつのある家並みはどの程度残っているのであ
ろうか。

E 終焉

もし、亀井さんが、長良川河口堰を知らないで亡くなられていたのであ
れば、幸せであったかもしれない。
八幡の目利きが集荷場に持ち込まれれる鮎の中から、九頭竜産の鮎と長
良川産の鮎を峻別していた、とのことであるが、今や人工鮎が主役であ
る。
目利きはまだいるのであろうか。今は何を基準にして、鮎の質を判定し
ているのであろうか。それとも、質を問わない、単に重量だけが判定基
準なのであろうか。

「天然鮎の消長とともに人生の軌跡を描いてきた老漁師、〈昔の漁師は
士族じゃった〉と眉をあげて語った大多サ、小柄な老人の後ろ姿に、私
は颯爽とした心意気のようなものを感じたのを忘れることができない。


今、古に長良川に生息して、人間と対峙していた鮎は、絵の中:水野柳人
の絵の中でしか、みることができない。
「おもだか家の土蔵を改良した展示場には今も百点余りの鮎があるが印
象に深いのは代表作といわれる簗場に跳ねる鮎の姿である。六尺×三尺
という大作で、竹の簀の子の上に数匹の鮎が跳ねている。背びれを逆立
てて怒り狂う鮎、大きく口を開き、目を光らせている鮎、驚きととまど
いに身を震わせている鮎…一尾一尾が生々しく、簀の子の上の阿鼻叫喚
が描かれている。何ともすばらしい迫力である。
 中野の簗場をモデルにしたものということだが、ここに表現されてい
るのは、まさしく長良川の奔流に棲む猛々しい天然鮎そのものである。
製作年代は昭和三年頃であるから、八幡の町でようやく友釣りが本格化
し、幾多の名人・上手が豪快に郡上竿をしなわせて天然の大鮎を追って
いた頃の作品だ。」



2007年3月遡上情報

平成19年の遡上予想 No.[166] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/03/23 [金曜日] 08:18:27
相模川漁連に行って、海産稚鮎の採捕状況、放流鮎等のことをお聞きした。
1 今年の海産採捕状況
これまでに小坪等の港で、139万が採補でき、3月22日までにそのうちの102万を放流した。

2 採補された稚鮎の状況
1週間ほど、海水から、真水への馴致を行っているうちに、シラスの色素から脱却する成長段階のものから、歯が生え替わり、コケを食べることができるほどに成長している段階のものが混じっている。
平均0.5グラムほどである。なお、県産29代目は、12月末に漁連の池に入れたが、その時の大きさは5グラムである。

シラス段階から、川での生活に適合できる体型への変態をした直後のものと、変態をしたもののコケを食する櫛歯状の歯に生え替わっていない稚魚については、畜養してから、放流することが、放流後の生存率、成長を高めるために好ましいと思うが、池の規模に限りがあるため、畜養をしないで放流をしている。
なお、昔は、採補された稚鮎を直放流していたとのこと。
中津川で、はみ跡のある石が少し見えたのは、歯が生え替わった稚鮎がつけたのでであろうか。

3 継代人工について
県産種苗の継代人工の放流をやめることができない理由は次の通りである。
@ 海水で仔稚魚を生産している人工鮎もあるが、今年、浜名湖産で冷水病とは異なる病原菌で大量死したように、病原菌で汚染されていない人工が安定供給される見込みが立たない。

A 県産種苗が開発された初期はドジョウのような姿で、数代を経て鮎らしくなった。その点からも、継代を経ていない人工への信頼性に欠ける。

B 三崎にある県の施設で、山形県のように、F1・2代目方式の仔稚魚の生産をすることは、そこでヒラメの養殖を行うため、ヒラメとの競合が生じてできない。

人工の生産技術が上がっているというものの、病気持ちでない人工の安定供給の観点からは、まだ問題があるようである。
ただ、継代数を重ねていない人工の方が鮎らしい人工であることは、山形県のF1・2代目方式から、実証済みであると考えている。また、去年中津川に解禁日対応として、放流された4代目くらいの宮城県産が鮫肌人工よりもきれいに見えたことから、継代を重ねなくても、それなりに姿のよい人工が生産できるようになっているのではないか、と想像している。
そして、飯田静岡県内水面漁連種苗センター場長が、「吉川さんから初期の人工はひどい魚だった、という話がありましたが、初めの頃はきれいなアユでしたよ。むしろ継代を何代も重ねていくとだんだんひどくなってしまう。狩野川なんかでも最初はおそらく海産と見分けがつかなかったんじゃないかと思う。」と語られている。(「’98 鮎解禁号」の「今年は大丈夫か?冷水病」)
これらのことから、神奈川県産種苗だけが継代を重ねていない初期にひどい姿をしていたのではないだろうか。

海産を親とする人工鮎と再生産
去年、漁連が4cm、6cmの大きさで放流した愛知県産、富山県産の人工の代数はわからないとのこと。
それらの人工鮎は瀬に付き、また、姿も鮫肌人工ではなかった。
代数が知りたい理由は、今年の海産が豊富なことと愛知県産、富山県産人工鮎が関係しているのか、つまり、再生産に寄与しているか、ということである。
湖産、交雑種が浸透圧調節機能に劣るためか、海で生存できない、ということは「アユ種苗の放流の現状と課題」の研究報告から、事実として確認できることではないかと、判断している。
それでは、F1・2代目方式の親が再生産に寄与できるとして、何代目の海産人工親までが再生産に寄与できるのか、ということである。

今年の海産遡上量は、沖取り(小坪等の港で採捕しているため、「沖取り海産」とは表現しない、とのこと。海産稚魚を採捕していた初期は三浦半島の長井沖で捕っていた、との話が何かにあったと思うが、そこから「沖取り海産」という表現が生まれたのであろうか。)の4,5倍と想定すると、4百万、5百万になる。当然、海産が釣りの対象となる。

海産鮎がどの程度の量になるか、は、親の数、産卵場の状態、孵化率、仔稚魚のときの海水温、プランクトンの質、量等が要因となろう。
海での状況を人間が仔稚魚に快適なように助力できる余地は少ないであろうが、再生産に寄与できる親を増やす、産卵場を整備することは人間にできることである。

06年、海産稚鮎は20万ほど獲れた。それは畜養後、遡上性があるため、三川合流点下流付近に放流されたとのこと。したがって、病死をしたのではなかった。単に、放流状況をホームページに掲載している中津川漁協、相模川第一漁協管轄区域に放流されなかっただけであった。
海産稚魚採捕量の4、5倍を遡上量と想定すると、今年:07年の海産稚鮎の親となる鮎の量は100万ほど。そうすると、通常よりも非常に高い孵化率、海水温等の海での環境による社会死が僅少であること、及びその他の海の環境が仔稚魚の生存率を非常に高く保つ要因があったこと、それらの生存に適する快適な要因があって、07年の大量遡上になった、となろう。
もし、富山県産、愛知県産人工が再生産に寄与していたとすれば、親の数は遡上鮎の量に加算されることになるが…。

遡上鮎が釣りの対象になる07年であるが、遡上鮎が友釣りの対象となるほどの大きさに成長するのは6月下旬頃以降である。解禁日は、県産の継代人工を釣ることになろう。中津川漁協、相模川第一漁協がどのような人工鮎を追加放流されるか、わからないが。
県産継代人工は、水流を起こしている漁連の池で10cmほどの大きさで泳いでいた。よって、この仔稚魚を生産している県の小山の池は非常に汚い水色をしているが、病気は発生していないと推定できるのではないか。

ただ、川には雑菌が生息している。継代人工は、その雑菌に対する耐菌性は非常に劣るのではないか、と想像している。また、冷水病原菌は16度から21,2度で増殖するから、飼育段階の水温がそれ以下であれば、冷水病原菌検査をしても、無菌と判定される確率は高くなるであろう。それが「湖産高種苗性稚鮎」が、あるいは無菌証明付き稚鮎が、冷水病で死ぬ理由であろう、と推定している。(「鮎釣り ’04年解禁号」の吉川賞冶下伊那漁協副組合長「湖産高種苗性稚アユは冷水病の決め手になる?」)

中津川への遡上を妨げていた妻田の堰をみた。
数年前、新聞に、底性魚も行き来できるすばらしい魚道ができた、として報道され、写真も載っていた。
しかし、環境に、生態系に適したすばらしい魚道ではなかった。
2,30メートルの堰の幅に対して、右岸端に5メートルあるかなしかの幅で設置されている。魚道を流れた水は、そのまま下流に流れるのではなく、斜め上流に反転して堰から落ちてくる水と合わさっている。したがって、遡上鮎にとっては、魚道への水がとらえにくい状態である。
そうすると、せっかく中津川に入った遡上鮎がこの堰をどの程度遡ることができるのか、疑問である。いかにも生物が堰の障害を意識しないで行き来できるかのように表現された写真は、事実を表現していなかった。
角田の仙台堰は、一番下の水面との段差が大きいため、増水したときしか上れないが、今年、そこに石を入れるとの話がある。そうすると、仙台堰も遡上できるようになるが、妻田の堰で遡上が妨げられるのであれば、中津川の遡上量はどうなるであろうか。



昭和のあゆみちゃん:16 No.[165] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/03/19 [月曜日] 16:49:13
「鮎釣りの記」(朔風社発行)から  その7

3 亀井巌夫「長良川ノート」(初出:1978年・昭和53年)から

(2)「大多サ覚え書」の章から  続き

B 稼ぎ

昭和十年米一升(上)が二十九銭、オトリ一匹二十銭。
「漁師の中には一日に一俵や二俵の米代を稼ぐ人もざらにあった。」

大多サは父親の病気をシオに竿一本で稼ぐ決心をした。
「昭和の初め頃、漁師となった大多サは毎日三百五十匁(約一.三キロ
)六尋という、重くて長い竿を振って大鮎を追った。」
その釣り場での生活もこの章には書かれている。

「『言いにくい話やが、私の若い盛りの頃は雪が積もってひと冬商売に
ならんようなときがあっても、夏の鮎の稼ぎで、炬燵に当たってぶらぶ
らしとられましたで。』」

昭和12,3年頃のこと=「記憶は定かではないが8月の釣り難い時期
で、大川で粘っても、一人前の漁師でさえ2,3匹しかあがらないとい
う条件の悪いときであった。」「その年は吉田川の市島へ試験的に鮎を
放流したときだったと思う。…大川の天然鮎ほどではないがなかなかよ
う肥えた鮎でした。…大川のように釣りかえしが効かんのですで。」

「その鮎を組合へ持って行った。計算してくれたのが、二入りが二枚、
三入りが二枚、四入り、五入り、六入り、八入り、十入り各二枚にビリ
がいくつかという釣果だった。
 二入りというのは百匁の鮎が二匹入るコウリのこと、三入りは同じ大
きさのコウリに鮎が三匹入るもの、四入り以下同じで、七入り九入りは
ない。ビリは小型の鮎のことである。十入りまで数えると、この日大多
サが釣った鮎は七十六匹、ビリを入れると八十か九十になっていたはず
である。」
「『これでもらったのが四十九円といくらかで、その前の伝票と合わせ
ると百円になりました。』という。当時の相場からみると一日で月給に
近い稼ぎをやってのけた話になる。」

吉田川への湖産の放流年は、萬サの話と少しずれているが、大多サの話
が湖産放流開始年のことか、どうかはわからない。
吉田川でも、400グラムほどの鮎が釣れていたとは、珪素の生産力、栄養
価、水量が今とは比べものにならないほど、豊かであったということか


継ぎ竿になったため、
「大多サら漁師たちは毎日三人、五人と気のあった、腕達者揃いが集ま
っては一団となって川筋を走り回った。めいめいが造りあげたカン継ぎ
竿を自転車に積み、長良川が調子が悪くなると和良川へも行き、馬瀬川
へも行った。
 特に高山の宮川と神通川もぐっと下流の富山県に近い蟹寺付近にはよ
く出かけた。遠征に出るときはいつも新品流行の自転車だった。古いの
は修理工場がないので途中での故障が怖ろしかったし、新しいのが働き
者たちの心意気でもあった。」

「漁師たちはこうした遠征には十日から長いときは一ヶ月もかけていた
。旅籠に泊まっては近所の魚屋や旅館に鮎をおろし、帰りは竿も手玉も
現地の人に請われるまま譲ることが多く、手ぶらで自転車を押して戻っ
た。ただし懐中には百円、二百円という大金が入っていたはずである。
この銀輪部隊は、だから郡上釣法の伝播者たちともいえた。」



昭和のあゆみちゃん:15 No.[164] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/03/19 [月曜日] 16:41:14
「鮎釣りの記」(朔風社発行)から  その6

3 亀井巌夫「長良川ノート」(初出:1978年・昭和53年)から

(1)激流:モモノキ岩

「北濃、白鳥と奥長良の水を集めた本流は八幡で吉田川を合わせて膨れ
上がると、渦を巻いてデアイ、フトナ、シンブチを一なめするように流
れ下り、イワモンの尖り岩にぶつかりながら流芯を右岸に振り、タテカ
ベをかすめたあと、地鳴りのような号音をあげてモモノキの足許に押し
寄せてくる。」

亀井さんは、弁天のオチコミとか相生のホウデン淵、モモノキ等の難し
いところを好むためか、長良川ではここ2,3年15匹以上釣ったこと
がない。
「とりわけモモノキは、これまでどうしても歯が立たない。柔らかい竹
竿を捨て、堅めの穂先をつけたグラス竿で挑んでみても、この水勢では
とても抜きあげられない。二度耐え切れなくてバラしたことがある。―
私の竿を使ってみたら―と青地さんは自家製の郡上竿をすすめてくれる
のだが、とても重いし、名品であるから傷つけるのが恐ろしくて手にし
たことはない。」

名人級、竿師等が「幾度かモモノキに上がり、ある時は秘術を尽くして
会心の戦果をあげ、ある時は切磋扼腕不漁をかこったことだろう。」「
彼らは一様に、白泡立ち、噴き上げ、巻き返すこの淵の底へ叱咤激励の
オトリを送り込んだ。そのたびに、満悦や焦立ちや放心が、この岩の周
りの渦のように湧き、あふれたはずである。」

「―その時、大多サはこの岩角に足を踏ん張ったろうか、まさとサは身
動きもせず岩の窪に腰を落としていたろうか。古田萬サは畏友・山本素
石が語るように、受玉をラケットのように構えたろうか―
 一人一人が手をつかえ、足を踏んばり、腰を降ろした岩角や窪みがそ
の時の高鳴る鼓動をそのまま伝えているかのように思える。それはまた
奔流に立ちはだかり、青筋たてて耐えているモモノキ岩そのものの胴震
いでもあるようだ。岩肌にそっと耳を当てると、どぶっ、どぶっと脈打
つような響きで、岩がなっていた。」

「そんなモモノキだが、八幡に来るたびに一度は竿を出さずにはいられ
ぬ魅力を覚える。それは決して難関に挑もうというような気負いからで
はなくて、この岩に立つとき、たちまち長良川そのもの、八幡の釣りそ
のものにふれたような想いに駆られるからなのだろうと思う。」

オラは、うだつのある家並みと重文の井上家がある美濃から歩いていけ
るところで4,5回釣ったことがある。掛かったとたん、沖に走られる
、という、未知との遭遇で丼を食べたことがある。
松沢さんは、長手尻で、郡上漁師の長竿に対抗していたとのことである
が、その仕掛けで長良川の漁師に太刀打ちできたのは、オトリが沖へ沖
へと泳いでいったから、といわれたことがあったと思う。
河口堰ができて遡上鮎がいなくなってから、郡上では、中津川のような
安全なところと吉田川でオトリを泳がせたことがあるが。人工が主役に
なってからのことであるが。

(2)「大多サ覚え書」の章から

@ 友釣りの黎明期

「網漁に替わって竿釣りが少しずつ盛んになりだすのは明治末期から大
正の初め頃である。大多サも小学校六年生になっていた。」
「大正も中頃になると、鮎はもう竿釣りでなければならなくなっていた
。網で傷ついた鮎は値も安く、大物も少なかったのだ。そして決定的な
竿釣り革命が郡上で起こった。その導因は伊豆の漁師たちの出現であっ
た。」

A 竿革命

「角館という宿に伊豆が泊っとりました。三人、五人と一緒に来た」
「みな継ぎ竿を持っとりましたで。今から思うと竹を三つに切って、ふ
たとこブリキで継いだだけの幼稚なものじゃったが、わしらの藪から切
ってきたまんまの竿と違いますで、とにかく長い。その長い竿で、そり
ゃあ、どえろう釣りよりました。役者が一枚も二枚も上でしたで」

「伊豆の漁師が八幡町に伝えた技術は継ぎ竿作りのほかに、錘の付け方
やゲロ(鼻環のこと)など仕掛けの細部にもわたっていた。
 伊豆式はゲロの替わりにシュモクを使っていた。これは、オトリの泳
ぎ方に癖が出るというので、八幡の人たちは銅線の環を主に使った。し
かし、錘の付け方は大いに学ぶところがあった。伊豆式は現代風な、糸
に鉛を噛ませるやり方だったが、八幡ではそれまで鮎に直接ナマリをつ
けるアゴ玉を使っていた。…(アゴ玉の説明略)」

「仕掛け糸は“伊豆の太糸”といわれたくらい、一厘五毛(一.五号)
から二厘という“綱みたいに太いもの”を使っていた。そのかわり、一
週間も十日も、そのまま使っていた。
『かかった鮎はみんな取り込んでやろうということやで。しかしオトリ
を泳がすことには不得手じゃった。』」

「大多サは本テグスの六毛か八毛を使った。“八月川”の水枯れには専
ら四毛を使い、掛け鉤は馬ノ毛を三,四本撚りにしたヤナギの二本鉤が
主であった。オトリを泳がす方が大事だと考えて、細い糸を使い、鉤は
鉤先が常に下を向いていれば一本でもいいということを知った。」



昭和のあゆみちゃん:14 No.[163] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/03/16 [金曜日] 10:19:53
「鮎釣りの記」から  その5

2 初体験

(3)桜井均「懐旧」(初出:1978年)

「私は弟子入りのしるしに、その頃すでに入手難だった灘の生一本を手
に入れ、おかんをしてアユ釣用の魔法瓶に入れて持って行った。垢石老
喜ぶまいことか。あの酒焼けしたエビス顔を子どものようにほころばせ
、魔法瓶を膝の中に抱えこみ、小さな手びしゃくで汲んでは飲み、汲ん
では飲み、上野駅から宇都宮駅までの間に、たったひとりであらかた平
らげてしまった。それでもまだけろりとしていたが、烏山行きに乗りか
え、残り酒をすっかり飲み干した頃には、さすがにへべれけで、宿に着
いたときには酒仙もすっかりへたばっていた。」

「師匠がここぞと選んだゆるい瀬の中へオトリアユをおくりこんでもら
って、指図どおりに竿を構え、胸をときめかせながら、今やおそしと身
構えているとやがてきた。ガクンという強いアタリを手元へ感じると同
時に、竿先がぐーんと大きく曲がって急に重くなり、掛かったアユの激
しい動きが竿を通して全身に伝わってくる。しびれるような感動の一瞬
だ。すわこそと、竿をあげようとすると、『引っ張られるままに下れ、
竿を寝かせて岸へ寄せろ』」

「竿を立てっぱなしだったからたまらない。引っ張られているうちに、
強い流れに乗ってしまった。さあことだ。どこまでも、どこまでも流さ
れていく。もうかけ足でないと間に合わない。『どこまで行くつもりだ
ア』と師匠が遠くで怒鳴っているのが聞こえた。なおも追いかけると、
すぐ下手でだれかが釣っているのが眼の中へ飛び込んだ。あツと思って
横っ飛びにひきさがり、夢中で竿を強引にひっぱたら、それが運よく下
手のつり人の眼の前に引き寄った。」

「それからがまた一騒動で、背掛かりのアユだったので、そっちへ、こ
っちへと跳ねまわる。もしや切られやしないかと不安におびえながら、
やっとのことで取り押え、思わずほーっとため息をついた。眼の前であ
わてているようすがよほどおかしかったとみえ、『えらい格闘ですな』
と年配のつり人が笑った。遠くで垢石老が手をたたきながら笑っている
のが見えた。まさに初陣の功名だった。」

「あのガクンというアタリの瞬間の恍惚感は、ある生理的な快感に似て
いるな、とその時ふと思った。」

今、これらの初体験を経験できる人がどれほどいるのであろうか。管理
釣り場のニジマスを釣っても、恍惚感を得ることはできないのと同様、
人工アユを釣っても、あら 釣れた、というだけであろう。ましてや、
成魚放流の人工では、あゆみちゃんに魂を奪われる悲惨な人生、失楽園
の情事に身を滅ぼすことにもならず、平穏無事な人生を全うできるが。

前さんは、アマゴ釣りの水沢さんから鮎釣りを習いたい、といわれたと
き「止めときなはれ。あれはあまり感心したもんやもまへん。それとも
“エイズ”に感染したいのなら無理に止めません。」

「エイズを含めて難病といわれるもんは大抵“合併症”を引き起こすも
んです。鮎釣り病も例外なくたくさんの合併症が出てきます。考え方に
よったらエイズよりずっと怖ろしい業病かもしれませんぞ」

「まずこの業病は解禁前からわいわいとやかましい騒病、釣りに夢中で
食事をしない拒食症、他人に感染させたい狂気、つまり精神病。まじめ
なところで神経痛。…まだまだ数え切れないほどの合併症がある。半世
紀も前からこの病気で苦しみ治療もままならん私がいうのやから、万に
一つの間違いもおません。」

「二昔も以前、ある人にこの釣りの面白さを話した結果が大の鮎狂いに
なられて奥さんに愚痴られたことがあるんです。以来鮎釣り師にアマゴ
釣りは奨めても、その逆は絶対にしないことにしとります。」

前さんの心配は、人工、成魚放流が釣りの対象となった今となっては、
杞憂に終わるであろう。
「『鮎釣り』に一度手を染めると、濡れた手はまず乾くことはない事例
が多いためである。」(「鮎に憑かれて60年」)のコケティッシュな、
小悪魔な、妖艶でかつ強力のあゆみちゃんが日本にどれほど残っている
のであろう。

前さんは『釣り狂症候群』の『鮎釣り症候群』について、
「実際の釣りでますます重病になる一方、釣期でない冬に釣り具と遊ぶ
。鉤を結んだりほどいたりして夢遊の世界に入る症状の者もいる。
医師であっても例外ではない。この病は悪くなっても快くなることはな
い。知人は医師である奥さんと息子に『特効薬』もないと、匙を投げら
れてしまった重病人である。その上因果なことに、近年この病原菌が息
子さんにとりつき、親子仲良く入院されている始末。
 『親子入院』となると、親の方がうれしいらしく入院の心得を教えた
り、何かと世話をやいているのが微笑ましい。」

オラはこの症候群にかかる機会のあった、最後の世代のようである。

なお、桜井さんは、富士川における職業漁師あがりで、友釣りの達人で
ある中島さんの釣り方について「ひとつところで釣っていて終日ほとん
ど動かなかった。それでいて、いつも成績は百尾を下らなかった。ある
時その秘密をひそかに聞くと、場所を選んだら、まず竿を入れていみて
、釣れたら少し下ってそこでまた竿を入れる。それを繰り返して釣れな
くなったところを境に、おもむろにその間で釣るのだといった。」

この釣り方は、人工アユが群れる習性があることから、畳一畳以下の空
間で大釣りになることとは異にする。つまり、海産の釣り返しのきく習
性を利用したものではないか。

金のコケが繁茂する場所では、一番アユの動静を絶えず二番アユ、三番
アユが狙っており、一番アユがいなくなると、その一等地にすぐ二番ア
ユが入ってくる、との松沢さんの話の、本物の鮎の習性を熟知された釣
り方ではないか、と思っている。

06年の大井川の抜く里で、名人ら並の数を釣っていた地元の人が、流
れに対して上下に余り大きく移動しなかったのは、中島さんの釣り方の
有効性を熟知されていたのではないか。



相模川弁天 No.[182] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/06/03 [日曜日] 20:24:34
6月3日

2日に40、50釣った人がいるとのことであるが。釣り場が平面的に広いた
め、中津のように品切れになることはあるまい。
瀬肩より数十メートル下流左岸にはいる。
右岸のトイ面はせっせと釣っている。オラの下流側もそれなりに釣って
いる。

煙草を吸い吸い、それらの幸せな人をねたましく眺めている。この精神
衛生上の苦痛に対する修行は充分に積んでいるから、やけっぱちになる
こともなく、囮ちゃんに働いてもらう。
とはいえ、囮ちゃんは、中津川とは違って、水量が多いため、早く休ま
せろ、と文句を言う。

やっと釣れても、幼児に小学生。中津川では、幼児も働かせたが、ここ
の流れでは無理。
結局、囮は養殖から釣れた鮎に変わらず。囮を休ませるため、麦酒を飲
み、昼食をするために、やむを得ず、食堂に行く。
オラが3匹しか釣れないというのに、トイ面は30、40は釣ったのではない
か。

午後、下流側に行く。
午後になると、全般に釣れる量は減っている。
分流地点の本流側で、宮城県産の女子高生。これでやっと囮が変わった


分流で小学生を2匹追加して、苦行は終わった。
40,30台が数人いるというのに、6匹。ああ、世の中は不公平や。

テク3のいうように、宮城県産は容姿が継代人工に比し、きれいで、ヌメ
リがあり、かすかに香りがした。しかも、瀬についていた。県産継代人
工とは比べものにならないほど、鮎の習性と容姿を持っている。

さて、中津川がしばらくは品切れ状態であるとわかっていても中津にす
るか、まだ、女子高生が残っているであろう弁天、望地:石切場の瀬にす
るか、ゆっくり考えておこう。

瀬肩上で川流れをしたひょうきんな名人は、無理に踏んばろうとじたば
たせずに、流れに身を任せて、流れる方がよい、といわれた。
どのような状況でも流れに身を任せるのが適切か、どうかはわからない
が、水を飲むこともなく、岸に上がっていたから、名人の対処の仕方は
年期のはいった適切な動作であったのであろう。

オラは、川流れではなく、タモ流し。タモを使おうとすると、ない。
沈んではいなかった。50mほど下流の人が叫んでいた。助かった。今年
、やっと、5割引くらいで買ったオラにとっては、三途の川でも使う高い
、高い、タモであるから。
天は貧乏人に味方セリ。


  6月4日  相模川

Re: No.[183] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/06/04 [月曜日] 07:16:42
海産鮎が石を磨いているようには見えないものの、小学生、幼児が瀬の芯、瀬脇で釣れていることから、遡上鮎が大量ではないものの、釣りの対象となるほどの量はあるといえるのではないか。

現在の相模川の状況は、藁科川と似ているようで、「ごせっぽいね!」HPの「川小屋情報」に次のように書かれている。
「川の様子が、例年と違いメリハリが無いのも事実で、鮎の数がいそうも無い状態なのだが、ひとつ考えられるのは、放流鮎の特質が要因であると言う事です。 
それは こんな事です。
1.食み方の性質、石を部分的に磨く事。(裏側、下の方)
2.天然鮎を川の中心に入らせない。(瀬脇に寄っている)
3.流芯、深みに群れをなしている。」

相模川は、相模湖で浚渫作業を行っている、との話もあり、透明度が低く、観察がしにくい。
中津川は、もう人も少なくなり、釣りたい場所で釣りができるから、のんびりと、囮を働かせて、どのように石が変化していくか、見ていくことにする。


6月2日  相模川

07年相模川 No.[181] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/06/02 [土曜日] 14:03:42
6月2日
昨日、高田橋右岸で、束釣りをしたドブ釣り族の1人に、県産継代人工と海産の比率を聞こうと思ったら、8時に訪れたときにはすでに高田橋に出勤していた。
ドブ釣りの人は、9時頃には休む人がいたことから、品切れか、回遊を待っているのか。

テク3は、1日、中津川消防グランドで県産継代人工を、平山橋下流の瀬で宮城県産を、そして、最後に入った高田橋上流の分流との合流点付近の瀬で宮城県産を20匹ほど釣る。
テク3は、県産継代人工は釣れても鮎が下るだけ、鮎とはいえない容姿、食べてもまずい、と。宮城県産は容姿が鮎らしく、ヌメリも香りもある、脂がのっているようであるのに、さっぱりしていた、うまかった、と。

その宮城県産人工は、遡上性があり、瀬についていたが、1日、合流点附近の瀬では、4位のお局さんら、口説き上手の一団が30,40ずつ釣ったとのことであるから品切れではないか。
2日、合流点付近に入った1人だけが、宮城県産と思える女子高生を10匹以上釣りあげていた。
県産継代人工は、その瀬の上流のトロ等でたまに釣れていた。

弁天一本瀬
中津川、酒匂川は、超満員であろうが、弁天は高田橋よりもすいている。
下流よりの瀬で宮城県産女子高生と思える鮎を、1人がよく釣っていた。
そのほかにも、海産のチビ20匹、宮城県産多数の人もいた。
とはいえ、貧乏人もいた。

宮城県産の生産者が、1日、瀬についているか、遡上性は充分か、を見に来たとのこと。
去年の宮城県産も、今年の宮城県産も、瀬につく鮎らしい習性を持っていると思う。姿も鮎らしい。親は、去年が小国川、今年が阿仁川の鮎とのこと。湖産と同じ産卵時期の親を使うことで、解禁日に女子高生の大きさに育てるように、との考えで、人工の親を選択したいるのではないか。

宮城県産がもっと多く放流されると鮎らしい鮎を釣ることになるが、漁連の放流事業ではなく、相模川第一漁協、中津川漁協単独の事業で、各漁協の資金による放流事業のため、放流量は少ない。
各漁協の収入が、各漁協の事業に使用できる仕組みになっていない。
漁連に収入の多くが集まる構成になっているのに、漁連では、妻田の堰の魚道が、遡上鮎に見つけられやすいように管理することもしていないことに疑問を持っている。
なお、県産継代人工と沖取り海産の放流は漁連の義務保有流量を構成している。義務放流量320万がどの程度達成されているか、釣り人が検証できる仕組みはあるのであろうか。

海産が釣りの対象となるほどの大きさになるのは、6月下旬頃からであろう。
月曜日以降は中津川もすくであろうが、宮城県産は残り少なくなっているのであろう。当分、海産の小学生、幼児と、いつまで生きているのか、わからないが県産継代人工で時間を過ごすこととなろう。



6月1日  中津川  相模川

07年中津川 No.[180] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/06/01 [金曜日] 20:08:34
前日の雷雨による濁りも増水もなくなっている。当然、満員御礼になるはず。
ということで、放流地点ではなく、車から降りてすぐに釣れる場所でないところ、に入ることとする。トンネル下流側から川にはいる。

瀬尻に入ったアッシー君は7時までに4匹、当然2,30匹コースの皮算用。
しかし、4匹を追加したのみ。宮城県産人工、県産継代人工、遡上あるいは、3月の沖取り海産と、18cm級から幼児までそろう。
オラはスリムな小学生:沖取り海産の採捕時に4,5cmであった海産ではないか。
その後、幼児のみ。ぽっとんとか、針ガカリしないのはあったが。

馬渡橋上流側のドブ釣りの人は、10匹ほど、10cm以下。トンネル下流側から入ったところの左岸えぐれのドブ釣りの人は、県内産継代人工と思われる中学生、高校生を含んで、50匹ほど。狭い場所であるが。

継代人工も含めて、トンネル横までのぼっている。跳ねる鮎はたくさん見えるが、土地貴族にはなっていない。

人出の予想はあたった。馬渡橋より下流は大入り満員。おなじみさんは、壊れ橋上流の、空いた空間に入り、20ほど。30,40当たり前、とのこと。

夕方、高田橋。
右岸ドブ釣りの人が6時を過ぎても、5,6人。束釣りの人はどれくらい出たのであろうか。
小沢堰下流の分流では、ねえちゃんが毛針の流し釣り。ねえちゃんは釣る人、友釣り上手のとおちゃんは外す人。ねえちゃんは、毛針マスターズはないのお?とか、あんたは唐揚げになるのよ、といいながらせっせと釣りあげていた。
沖取り海産か遡上鮎の小さいのか、はわからない。10cmを越えるのも混じっていた。

中津川は、妻田の堰の魚道をどの程度の鮎が見つけられたか、わからないが、磯部の魚道は相当量の鮎が見つけることができたのではないか。

中津川で、身をくねらせながら流れていくアユが2匹見えた。
トンネル上流側で釣った2人組が、高田橋上流に移り、10匹台を釣ったが、病気持ちがいたとのこと。
継代人工の多くが病死する日が来るのであろうか。

明日、明後日は、中津は満員であろう。高田橋では、20,30釣った人もいるとのことであるが、まだすいているのではないか。

宮城県産は遡上性を有していて、小沢の堰を上ったものもいる、瀬についている、との話があった。まだ、3,4代目であるから、鮎の習性を保持しているのであろうか。



5月26日  狩野川城山下

07年の解禁 No.[178] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/05/27 [日曜日] 20:35:58
1mの増水後、60cmほどの増水、濁り。
アッシー君には大見川に行くように、といったが、オラと一緒に城山下で釣るとのこと。これで、アッシー君が1人失われるであろう。
もっとも、大見川に行っても、入れる場所があったか、疑問であるが。

松沢さんのテントには、習志野ナンバーさんが寝転がっている。オラはまじめに働く。囮ちゃんよ、早く過労死をして、と、ねがえど、元気はつらつ。ご主人様の気持ちを知らず。
しかし天はオラに味方セリ。ビニールで、丼2匹。かくて、昼間から、麦酒3杯。肝臓の薬を飲むようになってから、久しぶりの昼麦酒3杯。
アッシー君はチビ1匹。

大見川は満杯、60,70の人もいるが、釣れない人も、と。
オラに明日の集合場所変更を伝えるためにやってきたテク2は、人の絶えた本流で、尺アマゴ、次いで、興津川の夕方、27日の朝、放流サイズのアマゴ大漁。

習志野さんは、2時間ほど働いて、昼に帰る。お父さんは、養殖と、本物のあゆみちゃんとの区別がつかなくなっているため、大きい本物の鮎が釣れた、という、といって、囮2匹を持って帰った。


5月27日  興津川

興津川は、垢石翁が
「国家が若し、鮎の保護河川を指定する計画を起こすならば、我々は第一に東海道の興津川を推薦したいと思うのであります。第二に常陸の久慈川、第三に上野の神流川を推薦したいのです。」

 「しかし、興津川は鮎のために恵まれています。流程僅かに34里に過ぎませんが岩質といい、雨風削磨の状態といい、林相地貌といい、流れの方面といい、曲折豊富な点といい、何一つとして欠けている所はありません。故にこの沿岸には一つとして工業的の営造物の建物を見ない事を希望したのでありますが、文明はそれを許しませんでした。遂に先年製紙会社ができて、カルキを流し、沿岸漁民を泣かせましたが、今回清水市の上水道水源地となって終まいました。
 日本の特有である鮎は年々繁殖が減じつつあるのですから、日本の水道当局が早く覚醒して鮎の保護河川を指定したならば興津川に、鮎の遡上を阻害するような各種の営造物はできなかったであろうにと、怨むのであります。(以下略)」
(「釣趣戲書」306ページ:当用漢字、現代仮名遣いに変えています。)

オラは、興津川は、新幹線の窓から見ただけ。随分水の少ない川、と思っていたが、堰で取水されていたため。
そして、堰はさらに増え、山は針葉樹に変わっている。

矢崎橋下流500mほどに入る。朝の水温15度。
砂利が多く、左岸寄りにチャラで、石があるだけ。ほかに行っても入る場所がなかろう、とそこにはいる。
オラの上流の瀬尻のねえちゃんはよく釣れていたので、上目遣いで眺めていた。
背びれは長く、尻ビレに黄色の入った中学生が4,小学生が1.放流鮎が主体であろうか。

27匹釣れた人もいるが、放流地点がポイントのよう。
垢石翁の嘆きは昭和17年に書かれているが、今や、垢石翁が嘆くことも思い及ばぬ川になっているのであろう。

緑藻が所々に繁茂していた。緑藻の繁茂が、BOD,COD,SSといった水質だけを要因とするのではないよう。
水温が関係する、との話があった。これらの要因がどのように緑藻の繁茂と関係するのであろうか。

習志野さんは、大規模温泉が循環湯を使用していて、何とか菌を死滅させるため、塩素をたっぷりと使っている、それが川に流れると、PH4とかになる、と。そのことが珪藻、藍藻の周期的に生まれ変わることを阻害し、コケの生育を妨げている、と。
塩素の大量流入がコケの生産量に影響しているとすれば、去年11月の城山下のアカつきの悪さ、他方、湯ヶ島では正常であった、という話との現象の違いの理由の説明になるが。
なお、水分水質データーベースから、PHのデーターが消えたとのこと。

Re: No.[179] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/05/27 [日曜日] 20:40:54
相模川の昭和橋付近に遡上鮎が多くいた、との話があった。
磯部の堰の魚道を上ったアユが相当いたのであろうか。


5月16日  中津川での試験採捕

中津川の試験採捕 No.[177] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/05/20 [日曜日] 15:12:22
5月16日、中津川で、試験採捕が行われ、その結果が、中津川漁協のホームページの「お知らせ」にでている。

角田大橋上流側で、コロガシで試験採穂をしているのをみていたが、遡上鮎は少ない、との結果は妥当と考えている。妻田の堰、磯部の堰の魚道への入り口がわかりにくい流れになっているから当然のことであろう。寒川、相模大堰の魚道は相当量が上ったであろうが。
角田の仙台堰に、はしご状の簡易魚道を設置しているが、その方式を妻田の堰で行ってくれたら、遡上量が増えるのであろうが、そこは中津川漁協の管轄外。

今のところ、県内産29代目の継代人工も生きているよう。
去年は、高田橋直下の右岸で、ドブ釣りで束釣りが出ていたことから、今年もドブ釣りが盛況になるのではないか。
群れで生活している継代人工であるから、友釣りはお呼びではないのでは。
6月の友釣りでは阿仁川の鮎を親とする宮城県産:3,4代目とのことであるが。それが釣りの対象となるのではないか。
そして、継代人工の優等生が加わるのではないか。

試験採捕のとき、立ち会っていった県試験場のオラの面倒を見てくれている技師に、シラス状の稚魚から、脱色した稚魚へ、変態した稚魚へ、コケが食める櫛状の歯に生え替わった稚魚へ、との成長の度合いがわかる資料をお願いした。
その研究報告書を4,5編送っていただいたが、まだ読み終わっていない。
沖取り海産で、シラス状から脱色した初期段階の成長段階の稚魚は、相当死んだのではないか。川虫を採捕している人が、石の間で死んだ稚魚を見つけている。
シラス状から脱色した初期段階の稚魚の比率がわかれば、沖取り海産稚魚の生存率も見当がつくのでは、と思っている。

今年から、平山橋下流の自由区はなくなった。当然、海産アユであれば、高級住宅街となる瀬、石のところがあるから、狙っている人は多かろう。
壊れ橋上流で会ったおなじみさんもその瀬等を狙っている。とはいえ、海産が釣りの対象になるほど育つのは6月下旬以降であるが。


5月3日  大井川の遡上状況

大井川は不漁か No.[175] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/05/03 [木曜日] 21:30:21
07年5月3日
9時17分の大井川鉄道に乗るためには、こだまでも、在来線でも変わらないことがわかったので、在来線にする。

富士川の鉄橋下流には20羽ほどの鵜がいた。上流側左岸の魚道は
「(注:魚道の多くは)上流側から流れてきた土砂が貯まり、プールが埋まっている場所が多かったことだ。プールの水深が浅くなると、流れ落ちた水の勢いを弱められなくなるため、魚道内の流速が上がり、魚が上れなくなってしまう。
 又、プールの中には、水流が乱れ、気泡が渦巻いて、洗濯機の中のよ
うな状態になっているものが多かった。これでは、魚たちも休息どころではない。

 多くの魚道では、プールの問題以外にも、致命的な欠陥があった。魚たちが魚道の入り口を見つけられなかったのだ。魚道の入り口とは、遡上する魚にとっての入り口という意味で、魚道を流れる水の流出口のことである。
 魚が魚道を上るには、まず、入り口を見つけて魚道に入らなければならない。魚が魚道の入り口を見つけられるかどうかを決める大きな要因は、川の流れと魚道の入り口との位置関係だ。」

「もし、魚道の入り口が本来の遡上ルート上にあれば、魚たちは自ずから魚道の入り口にたどり着くが、遡上ルートからはずれたところにあれば、迷子になりやすい。」

「魚道の入り口に関して、もう一つ重要なのは、袋小路のポケットを作らないことだ。当時の多摩川の魚道はすべて、入り口が堰よりも下流側に大きく突き出した構造だった。これだと、堰の直下まで上りつめた魚が、魚道を見つけられないまま、ポケットの中で右往左往することになる。」
(田辺陽一著「アユ百万匹がかえってきた  いま多摩川でおきている奇跡」小学館発行)
の、魚道の入り口がわからないタイプに見えた。

この点、相模川の磯部の堰、中津川の妻田の堰の魚道の問題と同様である。
大井川では、塩郷ダムより下流では、堰の問題はないが、河口が海とつながっていない、浸みだし水があるだけ、との話があったが、事実はどうなっているのであろうか。神座の水位計では、30cmの増水しか4月前後にはなかったが。

興津川の石はきれかった。
福用からみた大井川の石は汚かった。

地名から昭和橋に行く途中に、煉瓦造りの発電所廃屋がある。「赤煉瓦の会」の人は当然知っているであろうが。
今年発行された初心者用の冊子に、まなみちゃんが橋から川を眺めている写真が載っている。その写真の場所は昭和橋と思っている。
橋の下流側:砂利のチャラが泥かぶりのように見えた。アマゴか、ニジマスがいた。
上流側のトロの岩盤に磨かれたような色のところがあった。

昭和橋下流の囮屋さん附近からルアーを振り振り下っていく。
泥かぶりと見えたのは、腐りアカであった。流れが強くないところは至る所、腐りアカ。

石風呂までは去年とそれほど石のあるところは変わっていない。右岸崖に沿って流れ、瀬落ちになっているところは水深3mはあろうが、大石以外は砂。

ここから七曲がりになる。
右岸崖から左岸崖への流れは小石と砂利。
左岸崖に沿っての流れの延長が長くなったが、石の入っているところは少ない。
左岸崖から河原の真ん中を流れて右岸崖に至っていた流れは、2年前から砂利になっていたが、そこが河原になった。1,2mの河床の上昇が生じているのであろう。
その左岸寄りに流れができて、300mほどは砂利で埋まる以前の流れと同様、かまぼこ状の石と頭大の石がつまっている。

右岸崖の下流:発電所廃屋前の溝状の流れは、河原からヘチへの傾斜が緩やかになり、オラのあんよでもヘチに下りられる。
右岸側河原に大石がごろごろしているところの左岸崖への流れは、頭大の石がつまっている。
これより下流は麦酒が恋しくなり見なかった。

鵜は七曲がりで2匹見ただけ。
鮎は同じく七曲がりで、100匹以下の群れを1つ見ただけ。
水温18度。遡上に充分な水温。
高松さんが、今年の狩野川沖の鮎が去年よりも少ない、といわれていたが、大井川近くの駿河湾でも同じであろうか。
この時期の大井川は2,3回しか見ておらず、又、遡上が多いときには来ていないため、今日の状況を去年のように遡上が多かったときと比較できないが、遡上が少ないのではないか。

もし、遡上が少ないとすると、まなみちゃんが大井川に来ることもなかろうし、オラがたまに様子を見に来て、「一匹」千金のあゆみちゃんを得るため、囮を過労死させる年となろう。
アッシー君には日本海へ、と、頼もうかなあ。


 矢作川の遡上調査

Re:矢作川 No.[176] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/05/04 [金曜日] 20:02:23
矢作川天然鮎調査会が遡上状況を日々公表されている。
それによると、4月20日以降、1日あたりの遡上量が急増して、5月1日現在350万になっている。
調査地点は、河口から35km地点である。三河湾と駿河湾、矢作川と大井川での違いを無視しして、遡上距離だけを見ると、大井川でも遡上量が相当量あるのかも知れない。
まだ、笹間渡よりも上流には到達していない、というのであれば幸いであるが。
とはいえ、捕食者の鵜もサギも、大井川鉄道からは駿遠橋右岸分流で、サギ1羽しか見えなかった。


3月1日  中津川の山女

中津川のヤマメちゃん No.[173] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/04/26 [木曜日] 12:55:11
3月1日のために、今年はヤマメが釣りの対象となるほどの量が放流された。その後、4月中旬の田代ルアー釣り場の水深を深くする改修の時に逃げたヤマメが管理釣り場と中津川合流点の上下で釣れている。それも品切れに近いと思うが。

4月26日、田代に行く。合流点上下は餌釣りの人が5,6人。その下流の瀬でルアーを振り25cm級ヤマメ1匹。
連休にあわせて、ヤマメを放流するとの話がある。その時は中津川漁協のホームページに書かれるとのこと。

先日、壊れ橋上流でヤマメを釣っている人が、成魚放流のヤマメを狙わないから、田代には行かない、といっていた。その人が満足できるようになるに何年かかるであろうか。
現在でも、幼魚が釣れることがあるから、自然繁殖があるが。


 4月29日山女

Re: No.[174] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/04/29 [日曜日] 12:18:22
4月29日愛川橋下流側。9時前からミノーを振り、ヤマメ4匹。
オラの着く前から釣っていて人はその時までに1匹。
昨日、オラがニジマスが1匹しか釣れなかった角田大橋から移ってきた人は、角田でヤマメ3,ニジマス1とのこと。それらの人は釣れた理由がヤマメの追加放流と知って、がっかりしていた。


 6月23日  道志川水源の森

道志川:その3 No.[193] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/06/23 [土曜日] 19:12:10
6月23日道志川水源の森
テク1が釣っていたところに行く。テク1が釣ってから、もう数日が過ぎたから、テク1後遺症も消えているはず。
しかし、釣れず。1匹だけ。オラの下流側の人が接近してくる。その人に気づかれないように、草むらの後ろをとおってその人の下流に行く。

流れが右岸側を流れている最下流になる場所。これまで入りたかったが入れなかったところ。
小学生が4匹。5匹目でやっと中学生。
午前、中学生と小学生は半々くらい。女子高生はなし。真っ黄色な衣装をまとったあゆみちゃんはなし、二重追い星は1,2匹。

橋付近のトロから、1匹しか釣れずにやってきて、オラの少し上流、大石の瀬落ちに入ったアッシー君は、午後もその付近で釣り、合計21匹。マイナスがなければ、25くらい。

オラは、午前23匹で満足、当然麦酒、そして、午後は楽な神社前。
そこで、昨日の雨の日を除いての、毎日族さんが、午前40ほどとのこと。流れはなんの変哲もないところであるが、放流地点であることから、絶えず補給があるのであろう。

オラは、合計32匹。テク1がいなければ、竿頭にもなれる。テク1がいればテク1の1/2あるいは1/5であるが。

道志川に放流された鮎は、湖産人工が主体であると思う。
吉川賞冶さんが「湖産高種苗性稚アユは冷水病の決め手になるか?」(鮎釣り’04年解禁号)に、高種苗性稚鮎が医薬品投与と高水温の飼育槽内で育成されている、と書かれている。
放流された鮎が、この氷魚の高種苗性稚鮎であるか、湖産親の人工であるか、わからないが、湖産親の人工ではないか、と、想像している。
アッシー君が、一昨日、流れる鮎を見たとのこと。また、今日釣った鮎の1匹は冷水病とのこと。
しかし、幸いなことに、今日までは、大量の冷水病は出ていないと思う。

神社前付近は、補給があるからか、中学生が小学生と同じほどの比率で釣れる。しかし、下流側では、補給がないため、小さい。
増水で鮎が動くまで、小学生で我慢するか。


6月21日中津川

閑散 No.[192] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/06/21 [木曜日] 20:01:47
道志川が解禁になって、中津川がすいている、とのこと。よって、多くのあゆみちゃんが遊んでくれるはず、とはならなかった。

午前、平山橋下流の瀬に行く。
瀬尻釣れず。流れが曲がるところまで釣りのぼる。その間釣り人は、オラのみ。カーブから上流を見ても、1人しか見えない。
瀬尻上流の最初の波立ちで、海産小学生。
その小学生が、瀬の中で、沖に走るあゆみちゃんをすぐにかけた。中学生か、と期待したが、同級生。

中津で今年初めての根掛かり放流。助けにいって流されると、50mほどで、オラの脚力でも何とかなる、そこでも立ち上がれなくても、あと50mほど流されれば、間違いなく立ち上がれる。
しかし、先日、小沢の堰で流された人は、胴長をはいていて、足が浮き、顔が沈んで、おぼれて翌日亡くなった、と。
どんな流れ方をするのかわからない。ということで、根掛かり放流をする。

小学生に、人工中学生2匹、そのほか、海産と思える中学生もいて、8匹。

午後、今年初めて仙台堰下流に行く。
平山橋下流に4,5人入ってきたから、朝のようには動けまい。また、楽な堰下を見ておきたい。
壊れ橋上流の左岸へ地の溝がなくなったこと、人が多いことから今年はまだいってなかった。

堰と壊れ橋の中間附近から釣り始める。波立ちのあるところですぐに中学生。人工のよう。

その後も小学生、人工高校生は釣れるが、今年初めての吸盤ボウイを釣ってからはウンともスンとも言わない。
おまけに最後は尺アユ、ではなく、尺ハヤ。ジャンプをしたからニジマスか、と思ったが。

堰上流のトロで釣れていた。
今年の初体験もあって、午後は、6匹。
アユの数は、平山橋下流の瀬よりも多いかも知れない。
堰下流も、釣れる場所はまだ少ないのかも知れない。


6月19日  道志川 水源の森

道志川:その2 No.[191] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/06/19 [火曜日] 17:04:22
テク1は、昨日と同じ場所に行く。オラはその途中にあいているところがあったのでそこにする。対岸から枝が出ているが、7mの竿では大丈夫。
電線には穂先が触れるが注意をすれば対応可能。

すぐに中学生が2匹、その後小学生を含めて、8匹が釣れるが打ち止め。
テク1の所に行くと、相も変わらず釣り上げている。ただ上下ともあまり空間がない。
昨日、オラが釣ったところの人は釣れない、とのこと。

また、もとの所に戻る。
しばらくして、上下に人が入るが、17匹で朝のお勤めを終える。

午後は、1時間余りしかないため、テク1友神社の前で釣る。
大小のアユがいっぱい見える。右岸側のテク1を見ていると、オラの囮が流れている。送り出すときにかかった。
その後もはじめは注がkすえい、その後は小学生が釣れた。
中学生が半分くらいか。

今日も合計27匹というオラにとっては、大漁。テク1は50に届かなかった、と。

鱗が少し荒い、泳ぎが下手、という15,6才のアユが混じった。
道志川漁協の人にきくと、養魚場で、湖産として購入しているから、氷魚から畜養した湖産か、湖産を親とする人工か、はわからない、とのこと。
テク1も人工が混じっている、との感じを持っていた。冷水病は、人工の方が感染防止をしやすい、ということから、人工も入れているのであろうか。

昨日は中学生、女子高生に真っ黄色の衣装をまとったあゆみちゃんが10匹ほど混じったが、今日は1匹だけ。
二重追い星も少なかった。

解禁3日目で、縄張りを持ったあゆみちゃんは少なくなったのであろうか。真っ黄色のアユは、縄張りアユと関係ない、とのことではあるが。

15才くらいまでの大きさであるから、大きいのも少なくなったのであろうか。
とはいえ、まだ大きいのも、小さいのも、いっぱい見えるところがある。午後から釣ったところは、そのようなアユが石の周りにいっぱいたむろしているところであった。


6月18日、道志川水源の森

道志川 No.[190] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/06/18 [月曜日] 18:18:02
昨日の解禁日に長老が40匹台とのこと。
道志川は、亡き師匠、大師匠と山道を登り下りしたこと、車をおりてからすぐに川に行ける水源の森での釣りはあるが、あまり来ることはなかった。

道志川共管区とその上流は、ダム補償により、湖産の現物給付が行われている。怖いのは冷水病だけ。今年は冷水病がまだ出ていない。

テク1は、流れが右岸側から左岸側に変わる上流へ。その下にオラが、その下は昨日60釣ったという人が。
テク1はすぐに釣り、その後も釣れ続ける。オラは釣れず。

やむを得ず、上流に動く。
テク1が入ろうと思っていたが、フライの人がいたため、入らなかったところに偶然はいった。
すぐに小学生、そして、5匹ほどの小学生学生が遊んでくれた。

その後、二重追い星に、尻ビレまで真っ黄色に染めた中学生、女子校生が遊んでくれる。
背びれが長く、氷魚から育てられたからか、大井川のあゆみちゃんよりも太っている。17才女子高生でも大井川のあゆみちゃんより馬力は弱い。

中学生まで真黄色の衣装を着ているあゆみちゃんが多いが、なんで?
香りはかすかにする。
奥道志の水質は、貧腐水ではなかろう。中腐水のβなのか、それともβ中腐水と貧腐水との間の水質なのであろうか。

午前、オラは17才女子高生数匹を含む中学生と小学生が半々くらいの28匹。
もう大満足。
テク1は、小学生の低学年は取り込まないようにしても、42匹。

午後。
オラが麦酒を飲んでいると、場所移動をする人が、麦酒を飲んでいてはもう釣れないよ、と。
そのとおり。楽をしょうと思い、歩く距離の少ないところで釣るが、川に張り出している枝が気になり、結局竿の出しやすい下流へと行く。

せっかく1匹釣ったのに、根掛かり放流。さらに下り、午前オラが釣ったところも、テク1が釣ったところでは釣れず。
あと2匹、釣れて。

昨日60匹の人の下流に入り、5匹。合計33匹の大漁。
テク1は左岸護岸に流れが当たるところまで、釣りくり下り、左岸の枝に糸を引っ掛けて、終了。合計60匹台。
年券があるから、また明日も。

この間沢には冷水病が出ているとのことであるが、そこに放流されているのは、相模川漁連放流であるから、県産継代人工であろう。


6月16日  中津川

中津川 No.[189] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/06/16 [土曜日] 20:32:58
平山橋に行くが、竿1本分で旧平山橋下流には人が入っている。よって、その橋の上流にはいる。チャラ状の上流は釣れず。オラの下流の瀬の人もたまに釣れているだけ。
犬を連れた、かあちゃんから日本酒を飲むな、麦酒ならよい、と、厳命されているSが、昨日30釣ったよ、と。

2番アユ、3番アユがすぐに1等地に着く、というのではなく、アユが縄張りを作るまで、3日ほどかかるよう。ということで、田代に行く。
上流側の瀬は竿が何本か見える。下流側の瀬はあいている。
下流側の瀬に入るも釣れず。

波立ちの大きい瀬に移る。
幼児。困った、朝帰りか、と悩んでいると、海産中学生が2匹。これで囮もオラも元気はつらつ。
女子高生の宮城産、海産の中学生、小学生で6匹。無事朝帰りをしなくてもすんだ。

午後、平山橋もすいているであうと、新平山橋下流の瀬肩に行く。瀬肩は釣れなかったが、下流側の人が釣り下ったので、瀬にはいる。
海産中学生がすぐに2匹。小学生も加えて、合計10匹になり、楽をしたいので、新平山橋上に行く。

アユがついている場所がわかる人は、すぐに釣れるような石がつまり、流れの筋がいっぱいある。
オラには釣れず。女子高生がつれたときはありがたや。
その後は抜くときのバレ。6.5号の針で、この瀬では、無理なのかなあ。とはいえ、7号では中学生、小学生にはかわいそうやし。

結局、合計12匹になった。

原下の堰上流に入った人は、人工放流20cm前後を10.県産継代人工の放流地点から下流になるため、遡上ではなく、下ったのであろう。もう1匹釣れたが冷水病がひどく、捨てた、と。持ち帰った中にも穴あきが1匹。

この間沢は冷水病で、釣り人無し、との話があった。
明日の道志川の解禁は、湖産放流であるが、冷水病は出ていないのであろうか。



昭和のあゆみちゃん:22 No.[188] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/06/14 [木曜日] 08:33:01
珪藻からラン藻への遷移説への疑問  その1 

07年6月号「月刊 つり人」に、アユがはむと、珪藻からラン藻に優占種
が変わる、とのことが書かれていた。
オラは、この見解に疑問を持った。

1 なぜ、ラン藻が優占種になるのか

「友釣 酔狂夢譚」ホームページの「石垢の話」から、つり人に書かれ
ている事項の根拠となったと思われる研究報告書にアクセスできる。
それは、中央水研ニュースNo.28(平成14年3月発行)掲載の、阿部信
一郎「アユが自ら創る生活空間ーアユと付着藻類の相互作用を通してー
」である。

(1)調査方法

実験方法は、「アユが付着藻類群落に及ぼす影響を明らかにするため、
アユを収容した人工河川(実験区:2.2匹/u)とアユのいない人工河川
(対照区)の底に発達した付着藻類群落の現存量及び種組成の時間変化
を調査した。」
調査期間は、平成9年から12年である。

(2)調査結果

「その結果、対照区では、実験期間中、常に珪藻が優先し、最終的には
…(注:珪藻の種別が5種書かれている)の優先する群落が形成された。
一方、実験区では、アユの摂食によって現存量の増加が抑制され、かつ
、対照区で優先していた珪藻類に変わって糸状ラン藻 Homoeot
hrix janthina の優先する群落が形成された。」

「この糸状ラン藻優先群落の形成は、実験という特殊な環境下でのみ認
められるわけではない。木曽川で調査を行ったところ、アユの摂食圧が
高い場所、いわゆるアユによって磨かれた石ではH.janthina
優先群落が形成されることが観察されている。すなわち、アユは、藻類
を摂食することによって、付着藻類群落の現存量増加を抑えるばかりで
なく、珪藻優先群落から、糸状ラン藻優先群落へと質的な変化を引き起
こすことがわかった。摂食によるラン藻優先群落の形成は、他の草食性
・雑食性の魚においても報告されており、普遍的に見られる現象と思わ
れる。」

(3)種構成変化のメカニズム

「一般に動物の摂食による付着藻類群落の種構成変化の原因として2つの
メカニズムが考えられている。」

@ 藻類の増殖力の違いによる

「全ての藻類が同じように摂食されるのであれば、旺盛な増殖力を持っ
た藻類が動物に摂食された損失を直ちに補完し優先すると考えるもの」
「しかし、一般に付着藻類群落の遷移初期には珪藻が優先しており、ま
た、魚の摂食圧が無いと糸状ラン藻は直ちに珪藻に覆い尽くされてしま
うことが知られている。これらのことは、糸状ラン藻優先群落の形成に
おいて、増殖力の違いによるメカニズムは否定的であると思われる。」

A 動物の選択的な摂食に起因するもの

「動物の選択的摂食は、植物に対する食料としての嗜好性の違いによっ
て生じる場合と、植物の形態的特性などによる食べられやすさの違いよ
って生ずる場合とがある。」
「アユが付着藻類のような微細な食料を積極的により分けて摂食してい
るとは考えがたい。むしろ、微細藻類の特性による食べやすさの違いに
よって選択的摂食が生じると考える方が妥当であろう。」
「すなわち種間競争において比較的劣勢な藻類でも、食べにくい特性を
持っていれば、競争力が強く食べられ易い藻類が除去されることによっ
て、優先できると考えられる。」

B H.janthinaの秘められた能力

しかし、千曲川で行った調査では、「胃内容物の90%以上がH.jan
thinaの糸状体で占められている個体も多数見られ、H.jant
hinaの糸状体はアユにとって特に食べられにくいわけではなさそう
である。」

このことから、珪藻からラン藻への優占種の遷移には別個のメカニズム
が考えられる。
「櫛状歯によって、削り取られた部分では、ほとんどの珪藻類が取り除
かれていたが、基質に付着したH.janthinaの連鎖体は数多く
残っていた。基質に付着した連鎖体は、小さく固着しているため、アユ
の摂食に対して強い抵抗性を持っているものと考えられる。H.jan
thinaの糸状体は、基質に付着した連鎖体が伸長することによって
生長する。すなわち、伸長した糸状体は鮎に摂食されるが、基質に付着
した連鎖体はアユに食べられにくいため、アユの強い摂食圧を受ける状
態でもその旺盛な生長によって群落を維持できるものと考えられる。」
さらに「魚の摂食による群落上層部の藻類の除去が、群落下層への光・
栄養塩供給を向上させ糸状ラン藻の増殖に有利に働く」

2 オラの疑問

@ もし、珪藻からラン藻に優占種に遷移するのであれば、垢石翁は石
の色から、珪藻が繁茂している川とは判断できなかったはずである。
A 実験区では、どのような水質を設定されたか書かれていないが、木
曽川、千曲川については、どのような水質であるか、想像できる。こと
に、古はいざ知らず、平成の千曲川は、濁り、ヘチには相模川のように
ぬるぬるのコケが繁茂し、とても貧栄養の川とは思えない。
したがって、珪藻が優占種となる川の水とは異なる条件での話ではない
か、と想像している。


6月13日  中津川

中津川 No.[187] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/06/13 [水曜日] 19:40:03
仙台堰下流で、20、30,壊れ橋上流でも、同じ、愛川橋上流の原下堰下流でも同じ。
そのような話と無縁のオラは、平山橋下流の瀬尻にはいる。釣れず。今日はその上流の瀬に2人いる。その間にはいる。

14,5才の中学生が2人。これで囮が楽になった。17才女子高生は海産か。小学生も体型ができあがっていて、よく働いてくれる。
中学生主体に9匹で午前は終了。

午後、角田大橋下流は、沖取り海産の箸のように細い鮎と小学生しか釣れない。とはいえ、午前に入った瀬は、頭大の石で転びそう。
しかし、その瀬の瀬尻では、麦酒を飲んでいても大丈夫。
ということで瀬尻に行く。

すぐに小学生2匹。県産継代人工と思う女子高生。これ以降、他の人が瀬尻で釣るも、オラは蚊帳の外。

角田大橋上流の瀬の上流側に行く。
海産中学生、2人その後、海産と思える青みがかっていて、きれいな17才女子高生。

珍しく、1日の稼ぎが15匹。
前日に20,30釣れていても、翌日にも釣れる、とはいえないよう。
3日ほど縄張りを創るのにかかるのかも知れない。今日、新旧の平山橋の間に入った人はどの程度釣れたのであろうか。

秋川に先日の増水で、堰を越えて、遡上した、との話があった。多摩川は、魚道が改修されたから、上れるが、秋川にも上ったか、気になっていた。もし、上れたのであれば、秋川も7月以降、行きたい場所になるが。

沖取り海産の、海のプランクトンを食べていた成長度ではない大きさで放流された海産、遡上鮎にも女子高生が混じるようになった。もうじき、海産女子高生が釣れるようになるのであろう。


6月11日  中津川

やっとつ抜け No.[186] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/06/11 [月曜日] 18:33:35
昨日の雷雨で、オラのために年金代を支払っているはずの皆さんは釣りをできず、そして、今日はお仕事。
当然、すいている。平山橋下流の数百メートルの瀬の瀬尻にいく。
土曜日に、瀬尻の左岸側溝で、すぐ2匹を釣った人が、お仲間さんがその溝に入って、釣れなくなった、とのこと。
ということは、まだ残っているはず。瀬に行きたいが、まだ少し水が多いから、瀬尻附近で釣れたら助かる。

すぐに中学生の遡上もの。しかし、なかなかお友達を連れてきてくれない。瀬までつり上がったりしてやっと中学生。宮城産の女子高生を含めて、7匹。

オラの上流の前回釣った瀬にはヘチ釣りの人が。どの程度釣れたのかはわからない。その人の上流は、流れが曲がっていて、アシがヘチまで生えているために釣り人がいるかどうか、わからない。

午後、平山橋下流の瀬に行くと、頭大よりも大きい石で転び、流される危険がある。当然、麦酒を飲んでの釣りであるから、安全な角田大橋流川のチャラにはいる。

沖取り海産の育っていないほそい幼児。橋下流にはオラしかいないため、立ち込んで右岸側を釣る。
幼児に小学生。5匹。

昨日の雷さんの中、新旧平山橋の間で、45匹を釣った人が、4時過ぎに囮を買いにやって来た。
平山橋の上流側は、去年も橋の上から見ると、多くのアユが見えた。ただ、コロガシができるところのため、竿を出すことはなかったが、今年は友区。オラもそこに入りたいが、雷さんがお出ましのときはいやじゃ。
その人は、半原にいくという。理由は、駐車スペースが少ないため、宮城産も、海産の中学生も残っている量が多いはず、とのこと。

仙台堰下流は、しばらくは厳しいのではないか。オラよりもテクニシャンが、昼までに1匹で、高田橋に行くと。
高田橋上流の瀬には両側から5人ほど入っていた。弁天の瀬には人は見えず。


6月7日中津川

中津川 No.[185] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/06/07 [木曜日] 18:30:23
平山橋下流の瀬がどのようになっているか、見たい。
ということで、戸倉の瀬に下流側からはいる。瀬尻は、前回釣れなかったため、錘をつけて釣りのぼっていく。

頭大よりも大きい石でできる波立ち、流れの筋、これらを見て、あゆみちゃんがどこにいるか、判断できるテクニシャンとはここで会いたくないなあ。5倍、6倍の釣果の差は当たり前、の、いつもの哀れなオラになること間違いなし。
遡上鮎がいっぱいいれば、下手な鉄砲も数打ちゃ当たる、の恩恵に浴せるが、妻田の堰の魚道登り口をどの程度の鮎が見つけることができた事やら。

50mほどのぼって、15才中学生、中学生はすぐに同級生を連れてきた。
さらに50mほどのぼって、右岸側に流れが当たっている近くで、18才女子高生。これは宮城県産か。

100mほど上流まで、釣り人はいないが、根掛かりをしてせっかくのあゆみちゃんを失いたくないため、下っていく。
瀬の芯で小学生が2匹、中学生1匹を追加して、楽な瀬尻左岸の溝を釣るつもりでいたら、角田大橋上流の瀬肩附近を釣っていた人が、左岸を上ってきた。流れの真ん中や、右岸側が浅いことを知らないよう。

囮屋さんで、孟宗竹ではないタケノコを肴に麦酒を飲んであゆみちゃんに乾杯。なんとか竹は、今が旬で、孟宗竹とは違って、地面の上に出ているところを食べるとのこと。
もう満足。朝帰りでもよいが、世間の目があるので働くことにする。

午後は角田大橋上流の瀬で釣るも釣れず。すぐに橋下流のチャラへ。チャラであれば、川流れもあるまい。
18才女子高生2匹。宮城県産と県産継代人工ではないか、と思う。それに小学生2匹。
またもツ抜けできず。


 6月5日  中津川

静かな中津川 No.[184] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/06/05 [火曜日] 18:15:35
にこやかな解禁日を味わった人も去り、どこでもすいているはず。当然、宮城県産も、海産の女子高生、中学生もいなくなっているはず。

平山橋下流の瀬へ。
瀬は、100mあまりある。少しは釣り残された女子高生、中学生がいるのでは、と。
瀬尻は釣れず。瀬の下流側で、15才中学生。背びれが長く、尻ビレ、尻尾の縁がオレンジ色に彩られている。ただ、大井川のあゆみちゃんの縁取りよりも明度が劣る。背びれにも、先の方にオレンジ色がある。スリム。
残念なことに掛かりどころが悪く、囮に使えない。

次も中学生。これで稼げると、やり手ばあさんの算段をしたが捕らぬ狸の皮算用。
ライターを忘れて、禁煙に禁断症状。瀬から離れ、下っていくが、釣れず。
左岸の溝で釣れるようになるのはまだまだ先のよう。

午後、又、戸倉の瀬に行く。小学生3匹。
バスの時間調整のため、角田大橋上流の瀬へ。
16才女子高生。海産か、宮城県産かわからない。
海産の女子高生にしては大井川のあゆみちゃんに比し、少し太めで、囮を引きづり回す馬力が少し弱い。美形で、ヌメリがあり、鱗も細かいが。
囮屋さんは、宮城県産はもう少し大きいというが。

ぽっちゃんが3回、がつんときたが、針ガカリしない、ということは追い気が弱い、針が合わない、ということであろうか。
6月下旬になれば、海産の中学生が女子高生に、小学生が中学生に、幼児は幼児のままになるであろう。

流れてくるアユを2匹見た。1匹はえら近くに穴があいているのが見えた。オラの下流側の人も流れてくる鮎をみていた。
水温20度。
漁連は、県産継代人工が無菌である旨の証明書を持っていた。
オラは、吉川さんや小国川漁協と同様、この無菌証明を信用していない。

理由は、無菌である確率の問題と考えている。
漁連の池及び県の小山の池では、冷水病原菌が増殖する水温では飼育していない。
したがって、水温20度で、一定の匹数を、一定期間飼育後に保菌者であるかどうかを検査すべきであると考えている。
又、県産継代人工は、川の中に生息していて、継代人工以外の魚では病死することのない雑菌でも死ぬとのことであるから、川の水を使用して飼育すべきである。

今年、県が種苗生産している継代人工を、漁連の池に入れることなく、脂ビレを切り、放流したとのこと。
それが放流地点よりも下流で採補され、又、穴あきの症状が出たものがいる、とのことである。

県にとっては、事業縮小になるのであろうが、川で生存できない、さらに、群れて土地貴族になる習性を希薄化させている継代人工の生産を中止すべきであると考えている。
一日も早く、山形県のようにF1、2代目方式に転換すべきである。それが親の生殖能力の有効活用、効率性に問題があるというのであれば、宮城県産人工のように、3,4代目方式にすべきである。
当然、「アユ種苗の養殖の現状と課題」で提言されているように相模川のアユを親とし、メス親を500匹以上使用するべきである。
相模川には再生産に寄与しない交雑種の県産人工も放流されているため、川での採捕ではなく、交雑種の仔魚が海で死滅することから、沖取り海産を畜養して、親とすべきであると考えている。

県は、生産者責任を負うべきである。


7月16日中津川

台風一過大漁の人も No.[203] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/07/16 [月曜日] 19:41:12
昨日の台風で、相模川はダム放流があり、当分、コケはつくが、濁り水。
宮が瀬ダムは放流をしていない。また、津久井ダムは底水放流のため、濁りがとれるのに時間はかかるが、宮が瀬ダムは選択放流であるから、底水放流よりも濁りは少ない、と予想。

水量は少し多いだけ、濁りはあるが釣りに支障なし。
ただ、予想と違えたのは、釣り人がいっぱいであること。オラの独壇場、と思っていたのに。
インターネットのせいかなあ。

壊れ橋と堰の中間の波立ちの大きいところにはいる。やっと、中学生。
これで囮は少し楽になる。その次は幼児。幼児を働かせることは避けたい。
チビダマをつけて、養殖を芯附近に入れて、16才女子高生。ありがたや。

午前は、幼児を追加して、4匹。壊れ橋に近いところの波立ちに移りたくて、早麦酒、とにぎり。
入りたいところの少し上流にはいる。下流側の人が昼休みをしない。女子高生が釣れたから、囮の不自由はなかったが。ハヤにまでヘボ、とからかわれた。

その人がいなくなって、18才海産女子高生を含めて、午後7匹。

しかし、おなじみのOさんは、午前オラが釣っていたところの下流で、平らになっているところを、いつものように、立て竿を主に、左岸へ地を釣り、午前に20匹。幼児から女子高生まで。
Oさんは、午後も同じところで、5時には20匹。こんなに釣れたことはない、と。

壊れ橋上流の電線附近に、11時過ぎに、中津川が釣りのできる状態、と知ってやってきた若者テクが、30匹ほど釣っていた。
時速10匹には少し足りないが。
何で、時速10匹の人もいるのに、日速10匹のオラもいるのか。まあ、いつものことではあるが。

昨日の増水で、流れが緩いところに、避難した鮎がまだ残っていたのではないか。
明日、今日釣れた人の場所にはいると、またもや、日速10匹になるかも。

海産が18才女子高生も混じるようになった。
瀬で、強い当たりがあっても蹴られているのは、18才女子高生の仕業か。
6.5号では、ハンマー効果がない、ということであろうか。7号も用意をすれが、小学生も、幼児も遊んでくれる。これらのあゆみちゃんには、7号は大きすぎるが。


 7月12日  中津川

海産あゆみちゃん No.[202] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/07/12 [木曜日] 19:44:36
壊れ橋下流に行こうとしたが、2人が左岸側を釣っている。右岸側を釣っているのであれば、目的地に楽につけるが、左岸側を釣られていては、右岸側のポイントを荒らし、また、その人たちが右岸側を釣ろうとしたら、下っていけなくなる。ということで、橋と堰の中間附近の波立ちのあるところに入る。

さほど時間をかけずに15才中学生。ありがたや。囮に不自由しなくてすむ。
10時頃、テク1がやってくる。テク1は、馬渡橋下流の成魚放流、人工が溜まる場所に行くという。そこで、先日30釣ったというと、問うた釣り人がびっくりしていたとのこと。

その後、元気な海産15,6才の中学生、女子高生が5匹になる。
昼前、3匹の囮を確保して移ってきた、テク1がすぐに女子高生、次いで左岸へ地で中学生。いったい時速何匹で釣ると気がすむんや。
テク1は、馬渡橋下流で、ぶっといとぐろを巻いたアオダイショウと目を合わさなければ、オラの上流にやってくるのはもっと遅かったかも知れないのに。アオダイショウよ、何でオラの恋路を邪魔するんや。

麦酒を飲み、天気が悪いから、いつでもすぐに逃げるのに便利な角田大橋上流にはいる。囮をつけて、女子高生との逢い引きを、とほくそ笑んでいると、ゴロちゃんのお出まし。ゴロちゃん怖い、のオラは、すぐに囮屋さんに逃げ帰る。
未練たっぷりに、囮は生かしておく。

しかし、2度目のゴロちゃんはすぐ近く。もうあきらめてあゆみちゃんを氷水に入れる。
珍しく、囮に不自由しない釣りができる状況になっていたのに。
海産が女子高生になっているのに。なんとオラは不幸な星の下に生まれたのであろうか。

2時のバスに乗ることにしていると、テク1が迎えに来てくれた。
テク1は雷を怖がっていては、20万ボルトの実験はできない、と。とはいえ、気まぐれな雷が近くにいる中での釣りをするほど、蛮勇とは無縁の常識の人。

一昨日、テク2から、大井川で、ええ思いをした、との電話があった。
先日、タマちゃんから大井川に行こう、とのお誘い。テク2は天気予報が雨といっているから、気乗りはしない。しかし、タマちゃんは去年4,50匹が当たり前、の経験をしているから、夢よ、もう一度、ということで、強引に誘う。

2人は、昭和橋上流は、予報どおり雨。ヘチで釣れる。日が出ると芯で釣れる。結局、大漁となり、翌日も。
今年は去年よりも大きいとのこと。
オラも、先週天気予報に惑わされずに行けばよかった。この押しのなさがねえちゃんを逃す大きな原因とわかっているのに、未だに改められず。
連休にテク2やタマちゃんらと大井川に行くことになっていたが、台風まで、あゆみちゃんとの恋路を邪魔しそう。
ダム放流があると、垢付きまで20日ほどかかるから、8月にならないと、大井川の本物のあゆみちゃんとのデートはお預けになってしまう。
なんと不幸なオラでしょう。


  7月8日  中津川 壊れ橋上流

アッシー君は釣れるか No.[201] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/07/08 [日曜日] 15:04:30
ルアーをやっている人を友釣りに誘い込むことができた。初体験で釣れれば、アッシー君の持ち駒を増やすことができる。
しかし、昨日の中津では4匹。危うく、デジタルの世界に逆戻りしそうであった。

道志にいっても、込んでいる可能性があり、今日は、囮をつけて、どういう動作をするか、を体験するだけで、釣れるとは思わないで、といっておいた。

まず、ルアーも新人であるほうが海産中学生を釣った。そして、もう1匹。
バス用のボートも持っているルアーのベテランは釣れない。しかし、竿さばき、おとり操作は初めてとは思えない形、さまになっている。1匹高校生を釣った。
昼前、というよりも11時を回ったら、やめようと、ルアー新人が言う。

オラはコーチをしながら、差し入れの朝麦酒を飲み、ルアーベテランが焼く焼き肉でまた麦酒を飲む。こんなに飲むと、肝臓に悪いのに。

焼き肉を食べてから、新人に鼻環通しの練習をさせて、あゆみちゃんは、氷水の中へ。
そのあと、相模原に住んでいるのに、中津では、釣ったことがないという2人に、3月1日のニジマス、ヤマメの放流地点と釣り人が溜まる場所を案内して、コーチは終わり。

ルアー新人は、足がつる。川の中でなくてよかった。オラに足がつることを予防することもできる薬を販売しているルアー新人が病人になるとは、薬局の不養生。そして、運悪く、オラがいつも持ち歩いているローションをわすれてきた。
あの痛みは十分理解できる。オラもそうならないように、予習、復習を怠りなくやろう、っと。


 7月5日中津川

デジタルの世界脱出 No.[200] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/07/05 [木曜日] 19:35:10

7月に入って、0,1のデジタルの世界に浸りきり。当然、うんざり。早く脱出したい。
確実なのは、奥道志の湖産人工?を釣りに行くこと。しかし、山また山奥の  おらあサンタだ、のふるさと:道志村が、隣村になったとはいっても、バスが相模原から出るようになったのではない。アッシー君がいないと、奥道志には行けない。

名人が時速20匹の壊れ橋に行けば、オラにもその1/10のお裾分けの希望がある、ということで、壊れ橋に行く。

壊れ橋下流に今年初めてはいる。右岸ヘチで釣れていた、との話もあり、そこを釣るもつれず。釣り下っていく。オラが独り占めであるから、あゆみちゃんのたむろしているケーキ屋さんか、アイスクリーム屋さんを見つければ、時速5匹も夢ではないが。

やっと、18才人工、そして、中学生。これがいつまでも続くと思うな、おっかさん。
幼児や吸盤ボウイにすかれるものの、時速2匹が危うくなる。いつもの捕らぬ狸の皮算用、が見えてきた。

しかし、波立ちの大きいところで、小学生3人。もう一息で、悲願の時速2匹になる。
数年前、オラ達4人の講師であった山口さんが、午前中の釣り場として指定した範囲内の、オラともう一人が釣れていた場所にまで下り、7匹目。
美事、時速2匹を達成。
山口さんは、その時の上流側の2人を釣らせるのに、苦労していたが、オラ達2人の所では、すぐにそれぞれの竿で釣り上げた。
その時の石が頭の一部しか水面に出ていない。50cmほど河床が高くなっている。

午後、昼休肝日の万全の体制で時速2匹に挑戦。
壊れ橋と堰の中間近くの波立ちの大きいところにはいる。
18才人工、海産中学生と快調なれど、それまで。
釣り下り、また、上流から釣り、18才海産ではないか、と思えるあゆみちゃんに、18才人工から小学生まで多彩な顔ぶれで、8匹。
いや、幼児も1人いたなあ。


7月1日  相模川

相模川の大会 No.[199] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/07/03 [火曜日] 20:15:29
望地の石切場の瀬があいている。その下流の瀬落ち右岸にはいっぱい人がいるのに。柳前は、溝がなくなりどこで釣れるかわからないし、養殖君がまじめに泳いでくれるとの保証もないし。
ということで、瀬にはいる。

1匹目はそれほど時間がたたないうちにきた。もちろん、右岸側の斜め下流の人は、何匹かを釣っていたが。
しかし、それで終わり。

瀬落ちの右岸側で釣っている人は、いつもと違って、あまり竿が曲がっていなかった。
柳前の人は、しばらくすると釣れる人も出てきた。瀬では人工の20cm前後で、取り込みに苦労しているときもあったが、柳前では、沖取り海産で、小さいように見えた。
オラの上流側の人は、小学生に換算すると数匹分になる大きさの人工を釣っていた。

10匹以上を釣っている人が30人ほどいるというのに、1匹。
しかし、いつも30,40釣っているテクニシャンが、弁天一本瀬の右岸側に入ったのに数匹とは、オラの1匹も恥ずかしくない。
何でいつもは釣れる右岸側が余り釣れなかったのであろうか。

昼、予選通過者5人が一本瀬の瀬肩附近でよく釣れている。そこは、テクニシャンIが、朝入り数匹しか釣れなかったところ。
何で、数時間の差で、10匹以上釣れる人が5人もいる場所になったのであろうか。
あゆみちゃんの腹時計か、水温のわずかな上昇か、それとも、単なるあゆみちゃんの気まぐれか。

一本瀬の最下流側の瀬落ち直上に移った四位のお局さんが一時入れ掛かりをして、9匹釣り、階段を1つ上った。外野から、ほかの全国大会と日程が重ならないの、との声。

ということで、事前に釣れる場所、と保証付きであっても釣れず、相模川が初めて、ということで、原則どおり、瀬肩附近に入った人が1位に。
こんな気まぐれなあゆみちゃん相手で、純情可憐なオラが手玉にとられるのは、想定内のこと。


おなじく中津川 No.[197] [返信]
投稿者:田名の住人 投稿時間:2007/07/01 [日曜日] 22:18:05
7月1日(日)角田大橋下流に行きました。2時間半ほど粘りましたが全くのボーズ。水温は19度から20度ぐらいまでには上がりましたが、これじゃあね。宮が瀬ダムが出来てから全くいいことなし。
つくづく腕が悪いのだと思い知らされてます。
中津川漁協のHPなんてどうなっているのでしょうね。


Re: No.[198] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/07/02 [月曜日] 06:03:30
ご苦労様でした。
格差社会の中で、勝ち組になるか、負け組になるか、その時の基準は何か、わかる人にはわかるものの、その人でさえ、運任せになることがあるようです。

昨日のことでしたが、ドラちゃんが、何日か前、幼児1匹?しか釣れなかったという田代グランド下流側の瀬肩に近い右岸ヘチ附近で、オラの生活費をふんだくるニックキ釣具店社長が、13匹。人工、海産小中学生混じりでした。そのトイ面のねえちゃんも10匹。

オラは安定して釣れていた去年のコロガシ区にいってやっと2匹。テクニシャンが上流から釣り下ってきて、その瀬尻に入るも、あきらめてさらに下流へと消えていきました。

本物のあゆみちゃんだけであれば、付き場であるケーキのうまい店がどこか、名人たちには見当がつき、その判断の正解率の確率も上がるのでしょうが、海産、人工でも県産継代人工、宮城産と、氏素性、習性を異にしているものを放流し、さらに、量は不明ですが、妻田の魚道の登り口を見つけることのできた遡上鮎がいる、という状況が、名人の判断すら、狂わせる確率が高くなっているているのではないか、と思っています。

漁協等のホームページの数字は事実と思っても、間違いではありません。
ただ、その数字の恩恵に浸ることができた人は何人か、は詠み人の判断になるということでしょう。

昨日の漁協等の釣果情報は見ていませんが、40と出ていても、間違いではありません。
田代の管理釣り場からの水と合流する地点下流の瀬落ち付近で、昨日放流された成魚を入れ掛かりしていた人がいましたから。その人は舟が満杯になり、他の人に場所を譲っていましたが。


7月1日 中津川

くたびれもうけの中津川 No.[196] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/07/01 [日曜日] 15:54:16
7月1日角田大橋と平山橋の中間の瀬にはいる。いつもは下流から上ってくるが、今日は、田代から右岸の道を歩いていく。
誰もいない。
独り占め、と喜んでいた。2人がやってきたとき、コンクリート塊下流で、17才人工。すぐに釣れるとはありがたや。余裕の1匹目。

しかし、上流側に釣り人が3人、4人と増えていく。上流に動けなくなる。そして、釣れない。
やっと釣れたら、ハヤの小学生が、父の敵、と仕掛けをめちゃくちゃにする。オラは、おまえのとおちゃんを邪険にしなかった、お酒を振る舞って、帰したでえ、と、釈明をしたが。

昨日まで、小学生に、ねえちゃんとお遊びたい、といったことが、小学生の機嫌を損なったのか、と思い、謝った。もう2度と、小学生だから、といって、ふくれっ面をしません、と。
その甲斐あってか、苦節3時間、やっと小学生が瀬で遊んでくれた。

その後、16才女子高生が釣れるも、コロガシの糸、錘にかけて放流。これで、過労状態になっていない囮はなくなった。

昨日の成魚放流のたまりでたっぷり釣れた人、小学生、中学生で満足した人、それらを20,30を釣る人がいるのに。オラの場所は、釣り人だけが多かった。

田代よりも、壊れ橋付近の方が釣れるのかも知れない。

昨日、田代の上流側の瀬で、1時間ほどで6匹釣ったアッシーN君、その下流側の波立ちの大きいところで釣れなかったオラ。
そして、壊れ橋に移り、N君が橋下流にはいる。N君の下流側の人が、右岸へ地で入れ掛かりとのこと。
また、オラがやっと5匹釣っている中、2時までに16匹を釣って引き上げていく毎日族がいた。

どうも、釣れる場所は限定されているよう。



昭和のあゆみちゃん:23 No.[195] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/06/28 [木曜日] 07:56:36
コケとあゆみ  その2

3 珪藻と水質
「鳥海山麓有用植物園」ホームページの「付着性藻類による水質評価の
概要」に、水の栄養度と腐水度が珪藻の種別とどのように関係を有して
いるか、について書かれている。

栄養度と腐水度との概念については、「水質評価基準としての栄養度と
腐水度」の項を見ていただくとして、「栄養許容性」の項のうち、オラ
にも読むことのできる箇所を抜粋する。

(1) 栄養許容性

「栄養許容性とは、付着藻類のそれぞれの種が、貧栄養と富栄養の間の
、どの範囲の栄養度の湖沼に出現するかを示すもの」
そして、
@ 貧栄養型の種群  
貧栄養にのみ生息し、中栄養と富栄養には耐えられない

A 貧栄養ーβ中栄養型の種群  
貧栄養から弱い中栄養にまで生息し、強い中栄養と富栄養には耐えられ
ない

B 貧栄養ーα中栄養型の種群  
貧栄養から強い中栄養まで無制限に生息するが、富栄養には耐えられな


C α中栄養ー富栄養型の種群  
強い中栄養から富栄養まで、富栄養化した環境にのみ生息する
D 富栄養型の種群  
もっぱら富栄養に生息し、富栄養の指標となる

以上の「5つの許容種群にまとめられました。これらの種群が、栄養度の
指標として用いられます。」

(2) 生態的重心(好み)

「付着珪藻の栄養度に対する許容性は種によって異なり、それぞれの種
には一定の許容範囲がある。この許容範囲の中で、その種が最も高い頻
度で出現する位置(その種がもっとも好む栄養度)が、その種の生態的
重心であり、栄養指数によって表示されます。」

(3) 腐水許容性

「付着性珪藻の有機汚染に対する許容性は、種によって異なり、それぞ
れの種は、最高でどの段階の汚染(水質等級)にまで生息するかによっ
て、7つの差別群にまとめられています。ここで重要なのは、差別種群は
、腐水体系の指標種とは異なり、特定の汚染段階の指標ではない、とい
うことです。なぜなら、例えば後述の“水質等級Wを差別する種群(a
ms/ps)”は、貧腐水からα中腐水と強腐水の境界までに生息し、
明確な生態的重心を持たないからです。つまり、この限界を超えて汚染
された環境には出現しないため、それぞれの限界を超えた汚染(水質等
級)を“差別する”、つまりその可能性を排除する種群として、水質の
評価に重要な役割を果たすのです。」
     (「水質評価に用いられる7つの差別種群」のグループ分  
    けは省略する。)

(4) 栄養体系と腐水体系

@ 貧栄養の水  

「その水がごくわずかな無機栄養物と、より一層わずかな有機生産物(
植物プランクトン)しか持たないということを意味します。それは、透
明度が3メートル以上で、水面から水底まで一様に高い溶存酸素濃度が測
定されるような、青く澄んだ水です。したがって、この貧栄養は、腐水
体系にいう貧腐水と概念的に同じであり、同じ水質を示すことになりま
す。」 

A 中栄養と富栄養の水  

「無機栄養物が次第に豊富になり、それに伴って植物性プランクトンが
ますます大量に発生するため、透明度は1メートル以下になります。そし
て、この段階で、栄養度と腐水度の間に平行関係がなくなり、富栄養化
と腐水化は互いに独立に進行します。そのため、富栄養で強い有機負荷
(α中腐水)を持つ水もあれば、同じ富栄養でありながら軽度の有機負
荷(β中腐水)しか持たない水水もあることになります。」

「貧栄養型と貧栄養ー中栄養型の種群は、低い腐水段階の環境にしか出
現しませんが、より富栄養化した環境への入植者たち(寛容型、中栄養
ー富栄養型、そして富栄養型の種群)は、種特異的さまざまに異なる腐
水許容性を持っているため、さまざまな腐水段階の環境に出現するので
す。
したがって、栄養度と腐水度は、いずれも水質評価の基準として重要で
す。」

このように、「珪藻」といっても川の水質、環境で著しく異なる種別が
あり、そのことがラン藻との共存あるいは競争関係にも影響し得る場合
がある、と考えるのが適切ではないか、と想像している。
実験で用いられた珪藻がどの栄養許容性に属し、あるいは、寛容型か否
か、もわからない。しかし、珪藻だけがアユを育んでいる水質の川の話
ではなさそう。ラン藻も生える川、水質での実験であると考えている。



6月27日  中津川

中津川 No.[194] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/06/27 [水曜日] 19:35:56
平山橋下流瀬に、瀬尻からはいる。流れがカーブする終点に1人、カーブの始点に2人、カーブの瀬に1人。思惑どおりすいている。

カーブの終点の人は釣れているが、その下流のオラは釣れず。中津では解禁日以来の囮不自由になる。瀬尻へと下るつもりであったのに、3人やってくる。さらに、1人増加。

下流側の人が釣れず動いた。瀬尻上流の波立ちの大きい瀬に下る。
11時前、やっと、中学生。助かった。しかし、それまでよお。

午後、壊れ橋に行く。今年初めて、壊れ橋下流に行くつもりであったが、3人が見える。空間はあるがしんどいから、橋上流で釣る。
中学生が釣れて、ほっとした。そして、次は沖に走る。今年初めての海産16才女子高生。

これで10匹はあり得る、と。しかし、ニックキ吸盤ボウイ。前回は吸盤ボウイを釣ってから、あゆみちゃんに下品ねえ、品位を疑うわ、と、非難されて釣れなくなり、最後は尺ハヤ。
前回同様、あゆみちゃんが相手にしてくれなくなった。疫病神の吸盤ボウイめ、今度、あゆみちゃんとの恋路を邪魔したら、味噌汁に入れてしまうで。

疫病神が来て、釣れなくなる。1時間ほどして、やっと釣れたのは小学1年生。
1年生が瀬で遊ぶのは危ないよう、といって、錘をつけて送り出す。その結果は、1年生が2匹。

3匹目の1年生囮に、またもや吸盤ボウイ。1年生から養殖に囮を代える。
左岸近くで大きい。丼。もう、宮城産はいないと思っていたのに。糸が弱っているのはわかっていてが、中学生では大丈夫、と思っていたのに。またもや、吸盤ボウイは疫病神であった。

中学生を追加して、合計8匹。
なんで、平山橋下流の瀬が釣れなかったの?

今日使用した養殖は、沖取り海産を畜養したものとのこと。
沖取り海産は、養魚場の中でも、格差社会で、大小不揃いになると。これを均等の大きさに育てるには、大きさで選別し、池を別にすることが必要とのこと。
選別は網をくぐった小さいのとくぐれなかった大きいのと、というように選別できるとのこと。

6月終わりで、18cmということは、5月はじめには、沖取り海産を畜養して10,12cmの小学生にできるのではないか。そうすると、解禁日に中学生の大きさになっているのではないか。
もし、これほどの大きさに育てることができるのであれば、湖産と同様、解禁日に釣りの対象となる鮎を継代人工に頼らなくても生産できるのではないか。


8月5日  中津川 八菅鉄塔下

中津川 No.[214] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/08/05 [日曜日] 20:19:40

昨日と同じ所にはいるのに、4時間の難行苦行。幼児ですら遊んでくれない。最初の場所に戻ってやっと小学生。
小学生はよく働いてくれるが、女子高生をっぽっっちゃん、次いでハヤ。
小学生が長時間労働をさせられた、と、乙姫様に直訴するという。それは困る、幼児虐待の前科もあり、お嬢さんに訴えられると、花の女子高生とも、乙女とも、交際できなくなってしまう、行列のできるドウナツ屋さんに連れていくから、もう一度働いて、と頼む。

小学生は女子高生を連れてきてくれた。なんと、小学生は素直なこと。
何で女子高生や乙女になると、デートをしてほしい?、味噌汁で顔をお洗ってから出直しておいで、と、ヘボをいじめるのか。

結局午前は5匹。坊主にならなくて助かった。30匹を釣った人もいるというのに。上を見るのはやめよう。

午後、朝の場所の左岸側を釣る。オラの下流は、いつも釣る人になるテクニシャン。その下流はテク2。
オラがなぜか釣れる。朝釣った右岸側を真ん中から釣っても釣れる。取りこぼしさえなければ、30にも?

結局、18才女子高生2匹を含む合計19匹に。
何で昼から釣れたのであろうか。朝釣れた人もいるというのに。
かわいいかあちゃんが18匹、その亭主は、負けてのでは、と心配していたが、同数で安心していた。

30台が10人近くいる中では、19匹は見劣りをするが、オラにとっては幸せいっぱい、あゆみちゃんいっぱいでした。


8月4日  中津川 八菅上流の鉄塔下。

中津川 No.[213] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/08/04 [土曜日] 15:59:10
数年ぶりに来たが、頭大の石が小石に埋まっている。歩きやすいがあゆみちゃんにとっては、好ましくない生活環境になっている。
ダムからの最大放流量を100トンに制限していることと、数年前に行われたカジ淵附近での橋脚工事のときの進入路による砂礫が流れてきたのではないか。

カジ淵下流の瀬に行くが、かっての頭大の石が敷き詰められ、所々に大きい石が流れを複雑にしていた、という状況ではなく、大きい石の頭が所々に水中に出しているに過ぎない。

鉄塔下流のザラ瀬状に行く。
中学生2匹。これで囮の不自由はなくなる。

午後、カジ淵からの瀬が落ち込む手前で、2号の錘をつけて、養殖を入れる。根掛かり放流をしても惜しくはない。
ガツン、ときた。18才女子高生。久しぶりの18才。

結局、ザラ瀬附近を主に、小学生から女子高生混じりで10匹。
3連チャンのバレをした針はもう買わんぞお。

アッシー君は2匹釣るも、午後、それを根掛かり放流してお昼寝。2時までは働いていると思っていたが、お昼寝の真っ最中であった。


8月2日  中津川 壊れ橋上流

濁りのとれた中津川 No.[212] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/08/02 [木曜日] 16:56:06
昨日と違い、濁りはほとんどなくなった。泥かぶりの石もヘチだけで、垢はついている。
これであゆみちゃんがいっぱい遡上していたら言うことはないが。

今日も風がある。
すぐに中学生。しかし、いつもの貧乏生活。那珂川から流れてきたおなじみさんが、昼頃2時間ほどで、10匹余りを釣っているというのに。

壊れ橋上流から下流へと釣ったアッシー君が10匹ほどかけて取り込んだのは5匹。オラと同じ。

午後はおなじみさんが釣った上流側の瀬の瀬尻付近にも行くが、釣り残してくれていない。また、その下流側の瀬上流等で釣る。
小学3年生が、17才女子高生を連れてきたときは下って取り込んだ。風もあり、また、身切れを警戒していたから。

小学生から、女子高生が混じって、合計9匹。アッシー君は午後は釣れず、7匹。
大井川に行かなくてよかった。抜け駆けをしょうと狙っていたが、風、遠雷、時折の雨、お天道様はご機嫌斜め。


8月1日  中津川 壊れ橋上流

濁りの中津川 No.[211] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/08/01 [水曜日] 18:18:16
大井川に行きそびれ、その上、ゴロちゃんでまた少し増水。もうそろそろ垢がついているところもあると思っていたのに。

中津川もゴロちゃんで増水をしているが、10トンのダム放流であるから、平水の2倍に過ぎない。濁りはあるがアカは飛んでいない。

壊れ橋上流瀬ですぐに中学生1匹。
しばらく、品川ナンバーの友釣り初心者の面倒を見るという、ヘボ冥利に尽きるお仕事をする。

女子高生、中学生計4匹。
瀬尻附近で12匹釣って、朝帰りをする幸せもんもいるのに。

午後、、昨日20匹ほど釣ったおなじみさんよりも先に瀬の上流にはいる。小学1年生2匹から、女子高生まで、計6匹。
品川さんも3匹釣るも、根掛かりで1匹、舟に入れるときに1匹なくす。
しかし、また釣る、と元気はつらつ。

なぜか、ゴミが多かった。それに嫌気がさしてやめた人もいた。オラは風でやめた。

相模川では2,3人が竿を出していたが。アカは飛んでいないと思うが。



7月28日  中津川

中津川 No.[210] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/07/28 [土曜日] 18:34:03
解禁以来不漁であった大島が急に釣れだした、弁天の瀬の瀬尻側で、30,40釣れている、との話であるから、あゆみちゃんが少なくなった中津川はすいているはず。

囮屋さんについたとき、奥道志で、40cm台のやまめを釣ってきた人がいた。
その人は、もっと大きいのをかけたが、切られた、とのこと。ということで、今回も剥製の材料が手に入らなかった、と。

その人は、エサに鮎を使い、針を2本刺しておくとのこと。2本を別々の場所に刺しておくことで、ヤマメがどの方向から食いついても、どっちかの針が口ガカリするとのこと。

鮎で一番よいのは、湖産で、湖産の鱗が流れると、死んだ鮎では反応しなかったヤマメでも飛びついてくる、とのこと。
また、雨が降ってくると、ヤマメやイワナが水面近くに浮いてくるとのこと。

もう、中津川のあゆみちゃんが少なかろう、と、やむを得ずの釣り気分。
壊れ橋上流の瀬は、瀬肩側に人がいる。瀬尻側に入るもつれず。

堰との中間の瀬があいている。瀬肩から釣り下るつもりで、瀬肩にはいる。釣れず。しかも、下流側に人がいる。瀬肩だけしか釣りようがない。

また、最初の瀬に移動。相も変わらず、瀬肩側の人はいる。その下流で玉曳きをして、中学生2匹。助かった。今年初めての囮の追加買いを覚悟していたから、あなうれし。

どんどん人は増えてくる。早麦酒にして、昼休みで瀬肩の人があがるのを待つことにする。
瀬肩にはいるが釣れず。眠くなったのでお昼寝。2時頃起きると、入る場所がない。

中間の瀬に行く。下流側の人が根掛かりを外してから、オラの方に寄って来るから、その人の下流側にはいる。玉曳きで、女子高生等が釣れる。
瀬尻の常連さんが休んだのでそのあとにはいる。
合計、幼児2匹、中学生に17才女子高生を含めて、11匹。
一時はどうなるか、と思っていたが、ほっとした。
今年は、酒匂にも顔を出さざるを得ない状況。相模では、悪ガキにヘボ、といじめられるし、昼の風がいややし。


7月26日  道志川

最後の道志川 No.[209] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/07/26 [木曜日] 18:43:17

垢がついている石が多い。7時の水温15度。毎日族よりも早く出勤して、水源の森へ。
右岸側の流れの最下流に行く。煙草の火をつける間もないほどの、女子高生4匹。この調子では、日速10匹ではなく、夢の時速10匹に、と。

夢が幻、幻想、妄想へと変わるには時間はかからない。全然釣れない。
それどころか、前回、テク1が根掛かりのたびに掃除をしてくれたのに、根掛かり多発。石の間の大量のゴミを掃除していて、囮まで消える。

そこをあきらめて、駐車場前へ。
中学生が3匹、ありがたや。これで、再度、夢の実現へ、とはならなかった。7mの竿で糸が枝に掛かり、あわれ囮は逆さ吊りの刑に。

アッシー君は、3匹釣って、オラが最初に釣っていたところに下ってきて、20才乙女を含む4匹。
オラのあとに入った、下流から上ってきた人は釣れなかった、と。ちょっぴり安心した。

毎日族が誰も来ていない。釣れない場所になったのか。
午後は、山道を歩かなくてもすむところ、キャンプ場等を探す。そこの河原が開けていれば、流されたか、死んだかわからないが、湖産人工が溜まっているかも。

河原に下る道の2箇所目にはいるが、立ち位置さえままならず。大石が、水深が、オラの侵入を妨げる。
このような場所がいっぱいあれば、竿抜けポイントが多く、大鮎に育つことができるのであろうが。

雨が降ってきたことを奇貨として、やめる。しかし、すぐに雨がやむ。
仕方がないので、上流にとぼとぼと歩いていって、囮を入れる。懸念したとおり、根掛かり。

1日に3匹の囮をなくすとは、オラでも前代未聞の椿事。
アッシー君は、釣りにくいところでも2匹(3匹やったかな)。
ということで、年券代を回収して、今年の道志川は終了しました。


7月24日  中津川 壊れ橋上流

中津川 No.[207] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/07/24 [火曜日] 18:27:58
休肝日は実行不可能であるが、休筋肉日は実行できる。もっとも、お天道様の助力があったからではあるが。
久しぶりの30度の気温予報。珍しくあたり、水冷が気持ちいい。水漏れのするウェーダーにすればよかった。

壊れ橋上流の瀬を玉曳きをするが釣れない。小沢さんの印籠の御利益も週が変わるとなくなるのかなあ。
やっと中学生。
瀬尻側の人が少しくだったので、瀬尻にはいる。中学生、女子高生、と、玉曳きの効果、小沢さんの印籠効果は出た。

今度は、瀬肩側の人が消えたので瀬肩にはいる。
また釣れた。ということで、午前9匹。

午後、堰と壊れ橋の中間の瀬に行く。瀬肩附近と、堰下流は人が入っている。
釣り下りながら、8匹。

16才女子高生が5匹混じる合計17匹。玉曳きの効果か、小沢印籠の効果か。

酒匂川の報徳橋上流に通っているMさんと同じバスで出勤。酒匂川が白川であるから、ここのところ、中津川に日参している。
Mさんは、堰下流の人工が主体であったところにはいる。昼も食べないで、3時まで働いて、15匹。
Mさん以上に釣れたのは初めてではないか。

テク1は10時頃に出勤してきて、壊れ橋下流に入る。
そこから、消防グランド上流のチャラまで釣り下り、小中学生に女子高生が数匹混じる30匹とのこと。
壊れ橋下流に行かなくてよかった。道志川の二の舞で、いつものとおり、4倍の差をつけられていたであろう。

宮が瀬ダムの濁りは当分とれそうもない。沢水の増水が収まってから、見に行った人が、宮が瀬ダムに流れ込む早戸川が、土砂崩れがあったのか、管理釣り場の修復工事かわからないが、濁り水が入っていたとのこと。それも含めて、宮が瀬ダムの濁りがきついよう。

相模川の方が磯部の魚道を上った海産が多いと思うので、これからは、相模川の方が数は出るのではないか。        


 7月25日  相模川

Re: No.[208] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/07/25 [水曜日] 10:30:30
相模川の状況

濁りは、中津よりも薄い。
高田橋上流の分流との合流点付近のヘチでは新垢がつき始めており、チビが跳ねていた。
その付近で釣っている人が釣り上げるのは見なかったが、瀬肩附近の人は釣り上げていた。

弁天では、瀬肩附近の上下に人が集まっている。瀬肩すぐ下流の人が釣り上げていた。
左岸への分流付近にも人が集まっていた。

宮が瀬の水が入る前は、ダム放流から1週間もするとヘチ寄りでは垢がびっしりとついていたが、その頃よりも富栄養状態が改善されて、アカツキが遅くなったよう。

この附近のダム放流による増水は、1mほどであったから、残り垢のあるところも多いのかも知れない。したがって、新垢がつき始めている場所も多いのかも知れない。


7月20日  道志川 水源の森

道志川 No.[206] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/07/20 [金曜日] 18:42:43
昨日は、今日は筋肉休み、地下1,700mから湧出する温泉に行く、と固い決意。
しかし、テク1から、道志川に行こう、とのお声がかかると、すいすいといってしまう。これじゃ金持ちになるわけないよ。

10時前、水温16度、白川、しかし、どこかに残り垢があるはず。
テク1は、こんなにきれいな水で釣るのは、馬瀬川以来、とのこと。奥道志でも、家庭排水等の有機物が入っているのであろう。

テク1は、右岸側の流れが左岸へ変わる付近に行く。
オラは、神社前に行く。残り垢がありそうに見える大石の下流側に鮎が数十匹見えるが、左岸からは釣りにくい。天秤持ちにしても、石がヘチ過ぎる。きらりとしたが蹴られ。

そこをあきらめ、テク1の場所に行く。大石によって残り垢があるところで釣るが、鮎はみえれど釣れず。
下流側のテク1が釣れている。オラは、テク1が釣ったあとを釣っていた。
これじゃ釣れるわけないよ。
テク1から釣りたての女子高生をもらい駐車場に戻る。

オラが残り垢があると思った駐車場前の右岸について、地元の人がそのとおり、とのこと。
ということでそこにはいる。すぐに20才乙女。今年初めての乙女。海産、湖産ではなく、湖産人工であるのが残念であるが。

泣き20才、次いで同サイズ。しかし、3匹目は落ち込みの流れでバレ。
乙女は、囮に使い、根掛かり放流をしたくないため、箱入り娘にする。
ということで、囮が厳しくなる。
しかし、それから女子高生が釣れてありがたや。

テク1は、最初の場所で10ほど、オラが釣っていた神社前を右岸から釣って5ほど、そして、午前の場所に釣り残しを釣りに行くといって、10ほど。合計24.
オラの6匹の4倍。いつものとおりの格差で安心した。

冷水病の状況はわからないが、もし、発症していないのであれば、8月近くから、20cm級を含んであゆみちゃんが遊んでくれるのではないか。


7月17日  中津川

18才女子高生あゆみちゃん今日わ No.[204] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/07/18 [水曜日] 19:34:52

若者テクが釣ったあとが釣れるのか、また、明日の講習会で養殖でない囮を使いたい、ということで、昼には雨がやむ、との天気予報を信じて、昼頃から、壊れ橋上流で釣る。

若者テクが釣ったあとは、中学生のぽっちゃんだけ。昨日、その上流の瀬尻近くの人は20ほど釣っていたであろうが、釣りの残しもあるのでは、と思っていたが、そこに入っている人が昼飯を食べない。困った。

ということで、いつものその上流側の波立ちのある瀬へ移動。
幼児2匹。これでは明日の囮確保は絶望。
しかし、小学1年生が釣れた。1年生に、次の囮もないほどの貧乏暮らしやから、申し訳ないけど働いて、といって働いてもらった。
1年生はけなげにも瀬脇に入り、同級生を連れてきた。

明日の囮取りをあきらめかけていたとき、18才女子高生。きれい、馬力抜群。
結局、中学生を含めて、7匹。


 7月18日  中津川 壊れ橋周辺

昨日の瀬にはいる。小学生が。
講師の小沢さんが上流側の人を指導しているとき、16才女子高生2匹、そして、オラと話しているとき、18才女子高生が。
去年、狩野川での講習会のときも、小沢さんと話していて、釣れた。
小沢さんの印籠をかざすと、あゆみちゃんがオラにかしこまり、相手をしてくれるのではないか。

結局、講習会では、小学生から女子高生まで11匹。
小沢さんの実釣では、15分ほどで、小学生2匹、18才女子高生2匹。
名人にとっては、時速10匹は最低水準かも知れない。

講習会が終わってから、角田大橋上流に行って、17,8才の女子高生2匹を含めて5匹。

女子高生相手は疲れる。
小沢さんのように芯から外してすぐに抜く、ということを真似ても身切れ。使用していた竿は高級竿で、9割引にならないと買えそうもないから、竿の弾力で鮎が浮くはず。しかし、タイミングがあるよう。無理な力がかかり、身切れになった。オラには、流れが弱いところに誘導して、取り込むことが無難。

中津川で18才女子高生が、20才乙女も釣れた、との話があるから、海産が急に大きくなったのであろうか。
しばらく、瀬の芯の釣りが続くのではないか。

矢作川は親鮎の保護、産卵床の整備、産卵時期の水量確保による流下仔魚が卵黄を食いつぶさないうちに海に下ることができるように、との活動をしている。その結果、今年も5月1日頃に300万の遡上量になっている。
そこで、遡上鮎をどのように採捕しているのか、巴川に遡上できるのか、を聞いた。

小沢さんの話
魚道上流側に籠を置いて、飛んだ鮎がそのカゴに入り採捕してる。
巴川の魚道整備ができて、遡上できる。
遡上鮎はいるが釣り人はいない。緑藻が繁茂していて、縄張りが形成できないからか、成長が悪いからか、わからないが。
増水で緑藻が流れると、釣りができるようになる。

那珂川でも去年、緑藻が大漁に繁茂していた。何で緑藻が大量に繁茂するのであろうか。


7月19日  中津川

Re: No.[205] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/07/19 [木曜日] 20:06:00
今日は、地中1700mから出る温泉で、3日間の疲れを癒そうと思っていたら、アッシー君からお誘い。。昔は、お誘いがあると、いそいそとナンパに、飲み屋さんへ、と出かけたが、今は川へ。
この習性がなければ、ホリエモンさんの第1、000番目の弟子になれたかも。

昨日の瀬にはいる。
すぐに18才女子高生、次いで、16才女子高生、中学生と小沢さんの印籠効果は絶大。
しかし、小学生が釣れると、印籠の御利益も終わり。

昨日、意地を張って、中津ではなく、相模川弁天瀬肩上に行き、3匹を釣り、3時に中津に戻ってきた、雨を奇貨として、農作業をさぼったお百姓さんが、11匹釣った堰と壊れ橋中間の瀬の瀬肩にはいる。
ここでも、小沢印籠効果は出て、すぐに18才女子高生。以下下流側の瀬と同様の展開になり、午前8匹。

なぜ、オラのあゆみちゃんに、急に18才女子高生と女子高生の割合が増えたのか。
台風を境に急に成長したとは考えられない。
小沢さんが実釣されていたとき、小沢さんでさえ、養殖囮で引くと、目印がぶれて、囮が安定していなかった。錘をつけようと考えていたとき、運良く、18才女子高生が釣れて、それを囮にするとすぐに、18才女子高生が釣れた。

ということは、これまで、オラが、瀬の芯を引いているつもりであっても、囮は芯からはずれて引かれていたり、ぎこちない泳ぎをしていたのではないか。そのため、元気はつらつの中学生を囮にしたときとか、玉引きをしたときに偶然18才女子高生が釣れた、ということではないか。

今日は玉引きを多用した。
人工のあゆみちゃんを対象とする釣り方のアッシー君に、海産、殊に遡上鮎の1等地は人工とは異なる、としつこく説明をして、小沢さんが話された増水等で、川等の状況が変わったときの、付き場の見分け方を説明した。
小沢さんは、そのような変化(成長、性成熟等の変化も含むのではないか)のとき、浅いところにつくか、水深のあるところにつくか、大きい石につくか、小さい石につくか、を判断すること。
そして、今の中津川では、大きい石、水深のあるところについているはず、と。したがって、波立ちの大きいところを釣ること、と。

午後は、あっちこっちと動いただけ、3時前には冷やかし専門。
おなじみさんがいつもの場所で、午前6匹、午後は3時休憩前に17,ということは午後に11匹釣っている。オラには何で午後は釣れなかったのかなあ。

3時前、テクニシャンの1人が相模川で6匹釣って、移ってきた。そのテクは、朝オラが釣っていたところに入ったが、すぐに下流へと下っていった。オラの釣り残しもあまりなかった、ということか。

テクだけではない。あゆみちゃんであれば、老若男女を問わず、甘い言葉をかけて、言葉巧みにたぶらかすあゆみちゃんの天敵おじさんまで来ていた。
天敵おじさんは、アッシー君が1匹しか釣れなかった壊れ橋下流で、せっせとあゆみちゃんをたぶらかすことに成功していた。
天敵おじさんから、来い、との身振りはあったが、若い身空で、天敵おじさんの餌食となるあゆみちゃんが不憫で断った。
事実は、そろそろ、アッシー君が囮を過労死させて帰ってくるかも。

アッシー君は堰下流を左岸に渡るも、上流側の人は人工等をせっせと釣り上げているのに、蚊帳の外、とのこと。結局、1匹だけ。

練馬ナンバーの府中住まいの人が、田代の漁協前で人工を釣って移ってきた。
府中さんは、県生産の継代人工の生産をやめるべきと考えている。種苗センターか、漁連に行って、何で継代人工を生産し続けているのか、と聞いたところ、オラが聞いているのと同じく、繁殖、飼育の効率性、とのこと。

府中さんは、その効率性で犠牲になっているマイナス面と、継代人工でなくても、優れた人工生産方法がある、と考えられていた。
事例として、三面川に放流されている人工は3,4代目までで、きれい、鮎の習性を残している、と。
もちろん、継代人工と異なり、解禁日の大きさは小さい、と。

解禁日に16cm、18cmが釣れた、と喜んでいる釣り人がいるうちは、継代人工のマイナス面に着目して、やめよ、との意見を県に述べるのはオラ等の少数であろうが、久しぶりに同じ思いの人に出会えてうれしかった。

18才海産あゆみちゃんが釣れるようになって、今年も夏になった、と思える。まだ今年の梅雨は明けてはいないが。
野菜等、季節感をなくすことが豊かさの現れ、との考えが当然、となっているようであるが、生活に、生存には寄与することの少ないあゆみちゃんの領域だけでも、季節感を大切にしたいもの。


8月26日  相模川 高田橋上流

相模川悲恋 No.[224] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/08/26 [日曜日] 16:56:06

昨日、ここで花火大会があったので、堰下の淵に入っている阿仁川の鮎を親とする宮城産と県産継代人工が火振りと間違えて、下流に逃げ出したのではないか、と。そうすると、20代乙女が釣れるから、大井川の乙女のために、8号チラシでどの程度ばれないか、見ることができる、と。
立派な目標を立てての出勤であるが。

田名テク2は、5時から瀬肩上流のトロがいつものように釣れていたから、あゆみちゃんはいつもどおりの営業時間ではないの、という。
花火の効果はなく、いつものとおりの釣り場所の展開となった。

田名テク2は、右岸に渡りたかったが、釣り人が多く渡ることができず、分流との合流点下流にはいる。ヘチから釣っているが、いつもの30,40当たり前、のペースより遅い。
そこで、分流合流点があいたのでそこに移ると、オラも囮を入れたところですぐに3匹。
なんでや。不公平や。

「ごせっぽいね」に、
「あっ また釣った  も〜しらん」  「なぜ釣れん」
「あっ 横で釣れた」
という情景が動画と一緒に書かれている。

オラはその情景のとおりになった。いつものとおりではあるが。
相模はこの情景が多すぎるため、敬遠している。

30釣って午前様の幸せものもいるというのに、オラの相手をしてくれたのは、20才1匹、女子高生2匹だけ。

田名テク1が分流との合流点付近から下流では、田名テク2が釣っていたように、ヘチからチャラを釣れば、釣れる。それから少しずつ立ち込んで行くべし、と。チャラの石は綺麗だろう、と。

瀬肩上流のトロは大入り。毎日よく釣れている、と。それに反して、橋上流のトロは釣れていない、とのこと。
何が違うのか。



07年大井川:6 No.[223] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/08/23 [木曜日] 22:17:57
8月23日
駿遠橋の正面にオリオンが見える。今年、何回オリオンを見たのやら、
と思いながら、ねえちゃんが深夜勤務をしているコンビニで氷を買う。
オリオンが見えるのに、雨が落ちてくる。下流側で稲光、ゴロちゃんの
うなり声。宿に着くと土砂降り。

宿から見える大井川は濁っているが、ダム放流はない。笹間渡から、駿
遠橋まで下ることはやめ、川根温泉で釣ることにする。ここなら、ゴロ
ちゃんから臍を隠すまで、10分ほどですむ。

雨がやみ、左岸瀬肩附近に囮を入れる。地元の人が右岸河原からヘチ、
瀬脇を釣っている。どこを釣ってよいか、わからないため、その人のト
イ面を釣るようにする。

女子高生が2匹釣れたところで、気になる瀬を見に行く。
そこは、緑藻の群落。
ということで、また瀬肩付近に戻る。

ガッツン。囮は浮けど掛かり鮎は走り回る。河原にたち、キャッチミス
をしても抱きしめるで。
わくわくしながらあゆみちゃんを見ると、女子高生。女子高生の馬力に
翻弄されるとは、年はとりたくはない。

右岸の人は上流のトロの中の大石に移り、消えていった。瀬尻附近に2,
3人はいるが釣れたのであろか。1匹釣れたのは見たが。

7匹釣ったところで右岸に移る。地元の人が、河原から釣っていたので、
水の中から釣る。
中学生。白川のときのツイギーではなく、肉付きがよい。

結局、中学生を含む9匹で、乙女は無し。

麦酒を飲みながら、電車の待ち時間、天竜玉三郎と関係があるかも知れ
ない人たちの話を聞く。
静岡2Kを放流している、藁科でも同じ。
鍋島は鮎の密度が濃い。久野脇は薄い。
緑藻は水温が高くなると繁茂する。

緑藻は、水温が低いから繁茂すると言う話もあるが、水温との相関関係
があるのであろうか。何で、鍋島、昭和橋上下の中の瀬で緑藻が繁茂し
ないところがあり、また、温泉下の瀬のように繁茂しているところがあ
るのか、水温では説明できないと思う。小石にはつかないことは、事実
であると思うが。

静岡2Kと球磨川産は同じ人工であろうか。裾野で生産されている人工
とすると、中層を泳ぐ人工が静岡2Kであろうか。

鮎の品質に釣り人が関心を持つ日が来るのであろうか。挽肉での虚偽表
示、魚沼産コシヒカリの他の銘柄の混入、といったレベルで、鮎の氏素
性が問題になることがあるのであろうか。

今年大井川で釣れた鮎の中に、人工では、と思えるのも混じっている。
それがダム放流で流れてきたのか、塩郷ダム下流でも放流されていたの
か、は、わからないが。
目利きの亡き師匠らであれば、人工か否か、見分けるであおるが。



07年大井川:5 No.[222] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/08/23 [木曜日] 21:42:34
8月22日
「宅子さん、お伊勢詣りに行きまっしょうや、拍子もない話のごとあり
ますが、ほんなこて、旅は足腰の立つうち」ということで、52才の小田
宅子さんら、うば桜4人は天保12年に筑前から伊勢、善光寺、日光、と、
旅に出る。(田辺聖子「姥ざかり花の旅笠」 集英社文庫)

オラもうば桜に負けないように、足腰の立つうちに大井川のあゆみちゃ
んとの逢い引きをしておこう。青春時代、日々ねえちゃんを誘惑しなか
ったことを、今、悔いているが、その轍を踏まないように。
ということで、天気予報は逢い引き日和と入っていないが、出かける。

オラがあゆみちゃんとの密会をしていて、一番気に入っていた外界と遮
断された密室の空間である七曲がりを見に行く。
大井川鉄道の鉄橋上流のトロの中に大石が転がっている所を通り過ぎよ
うとすると、やり手ばあさんが、白川のとき、遊ばせてあげたのに、裏
を返さないでいくのお、という。
仕事を終えたら寄るから、と、上流に歩いていく。

配電所廃屋前は、溝状の流れが普通の瀬になっている。
1人釣っていて、11時頃であったが、4匹釣り、乙女を囮にして、丼、と
のこと。
糸は0.3号フロロ。富士川が根拠地のため、25,6cmを囮にすることも
、細糸にこだわっていないことも、経験十分であるのに、丼とは。
オラも金属0.2に代えなければ、とは思えど、先日のように、囮に不自
由しない限り、20代の乙女を囮をすることはないから、まだ0.1号でも
よいかなあ。

左岸崖から、右岸崖への流れが、さらに河床が上がり、左岸河原に転が
っていたイカイ石の中には、水につかっているものもある。
流れの幅は以前の2倍ほどになり、チャラの形状。
豆腐状のつまった石の上、間に、頭大の石が転がり、行列のできるドー
ナツやさんのように、あゆみちゃんにすかれていた環境はなくなり、並
の場所になっていた。
しかも、腐りアカ、緑藻の生えている石がある。

釣り人は、チャラ瀬の波立ちが始まる附近で、河原から立て竿で釣る人
、その下流で、左右各1人。オラはその人の下流にはいる。
1km余り歩いてきたのに、桃源郷は消え去り、並の場所になっている
ことにがっかりしながら、緑藻のない石に囮を入れる。
女子高生が3匹釣れた。しかし、腹掛かり、頭掛かりで囮にならず。

横にねんねしていないあゆみちゃんを囮にしてやっと、背掛かり。
ほっとして、そこを逃げ出す。発電所廃屋前に行くと、富士川さんはす
でにいない。余り釣れなかったのであろう。
瀬は緑藻が多いため、瀬肩附近を釣る。
掛かったものの、風が強く、ヘチに寄せ、下って取り込む。

右岸から左岸崖への流れのチャラにあゆみちゃんが見える。囮を入れる
が、おしゃべりに夢中である女子高生を軟派できる腕はオラになし。
チャラの下流に行くと、差していく鮎が相当数見えた。上流のチャラに
行くのであろうか、発電所廃屋前の瀬に行くのであろうか。

白川のときに遊んでくれたトロに囮を入れる。やり手ばあさんも暑さに
まいって、昼寝をしているのか、あゆみちゃんを世話してくれない。
水温は27度。
鉄橋を2台目の蒸気機関車が通ったのをシオに、煙草を吸い終わったらや
めよう、と。
その時女子高生が遊んでくれた。
これで、6匹釣り、3匹が明日働いてくれることとなった。ゴロちゃんが
来ないうちにかえろ、っと。宿に着くと雨。

鉄橋上のトロで、子供を泳がせていた人が、何匹釣れた?と。その人に
どこがよいか、聞くと、台風後は、伊久美川や藁科にいっているため、
わからない、とのこと。

家山の食堂で、次の話をされた人がいる。
今年、何で川根付近への遡上が遅れたのか、わからない。
塩郷ダム上流には球磨川産の背びれの長い人工を放流しているが、その
下流には人工は放流していない。その人工は気田川に放流されている。
家山川の上流には、滝のようになったところがあり、そこを大井川から
遡上してきた鮎が越えて、肩の盛り上がった鮎になる。そこは石がつま
っている。河原が広く、長竿が使える。もっとも、9月になると、網打ち
が入る。
と。



07年大井川:4 No.[221] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/08/18 [土曜日] 22:37:51
8月18日昭和橋上流500mほど。
鍋島が釣れている、との話があった。鍋島に行くには、険しい山道を上
り下りするが、車であるから険しくてもよい、とはいえ、どこでも釣れ
るのではなく、釣れる場所は限られているはず。
亡き師匠らと道に迷いながら、鍋島に行ったことがある。師匠はすでに
、抗ガン剤の治療を行っており、鍋島に着くと、熱が出た、といって、
亡き大師匠が運転して帰っていった。残ったオラ達は釣れず。
鍋島のあゆみ会の人とも、もう10年ほど会っていない。

昭和橋上流1kmほどの所を釣り場に、そして、そこで釣れなければ、昨
日の昭和橋下流へ、と決める。
最初の場所は、河原へおりるには、車が落っこちなければならない崖状
になっている。ということで、昭和橋上流500mほどの、車が川原に
下りることのできる場所にする。

右岸分流の大石のアカは腐る寸前、その下流のこぶし大の石のチャラに
あゆみちゃんが見える。
すぐに3匹の女子高生。ありがたい、これで、乙女を囮にしなくてもすむ
はず。ということは、身を引き裂いて、逃げ出す乙女を減らすことがで
きるはず。

昨日、大漁さんがこぶし大の石のところ、あるいは水遊びをしていた人
がいなくなったところを釣っていたが、あゆみちゃんが新鮮なアカのつ
くこぶし大の石のところを好んでいる、ということを意識して釣ってい
たのであろうか。もちろん、午前は、アッシー君らが釣っていた瀬を釣
ったのであろうが。

本流の瀬に行く。なんと15匹が釣れた。
河原が1mほどの高さがあるため、オラの伸長が1mズームした状態での
取り込みであるが、沖に走られたのを引き寄せ、また、あゆみちゃんを
浮かせることに四苦八苦。

左岸に1人の釣り人がやってきた。その人はものすごく礼儀正しく、また
、謙虚な方で、オラがあわただしく、どたどたと、もたもたと、河原を
下って取り込み、また舟の場所から20mほど釣りのぼってくるのに、
オラに接近しょうとはされない。
その人がためて、少し下り、抜いた。空中バレ。
空中バレは、オラだけではない、と安心したが。ただ、頻度はオラにか
なうものではない。

合計18匹のうち、22才乙女1,21才乙女1,19,20才の番茶も出花が5。
その他は女子高生。
疲れた。オラには乙女を相手にする体力はないのかも。しかし、それを
いっちゃあおしまいよ。

アッシー君は今日も粗相をした。節落ちをしたのに、まだかかっていた
にもかかわらず、大きいため、金魚すくいをして逃げられた。もう何回
も、つまみ糸をつかんで、といっているのに。
昨日は乙女を取り込んだのに、タモから逃げられた。遡上鮎の馬力、跳
躍力が人工等の放流ものといかに違うか、何回も学習しているのに。

瀬でも緑藻が繁茂しているところがある。
アカ付きは良好なれど、あゆみちゃんがついている場所にムラがるので
はないか。
久しぶりに、駿遠橋下流の駐車場に使用しているところまで、水が出た
、ということであるから、流れも、石の状態も変わった。どこがどのよ
うなところか、当分さまざまに模索される状態が続くのではないか。



07年大井川:3 No.[220] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/08/18 [土曜日] 21:45:05
8月17日大井川
もうアカがついているはず。珍しくアッシー君が大井川に行くと。理由
は、奥さんが熱中症で、茨城に行けなくなったから、と。オラにとって
は、熱中症様々である。

葛籠の秘密の花園に行く。
浜松ナンバー3人の後につく。
川原に下りたところの大石はアカ付き充分、むしろアカぐされ気味。先
週にきていれば、あゆみはパンのみに生きる、と、オラのお相手をして
くれたであろうが、すでに遅し。

あゆみはパンのみに生きるにはあらず、となっていて、どこでおしゃべ
りをしているのか、わからない。右岸分流側で20才乙女。最初から乙女
は困る。案の定、20才を囮にして、囮を浮かせることができても、抜く
ことができずに身を切り、空中バレ。7.5号の針を使っているのに。

その上流の瀬肩上チャラでまたも乙女。しかしそれっきり。
浜松さんも1人が去年長老がよく釣っていた瀬尻近くから動かないものの
、他の2人はあゆみちゃんを求めて、あっち、こっち。そして移動してい
った。
地元の人が、7月15日の台風前はよく釣れたが、流れが変わり釣れなくな
った、と。
オラにはそれほど流れが変わった、とは思えないが。

久野脇親水公園から河原に入るも、去年10月末に釣った下流側の流れは
なくなっている。河原へ入れるところから、河原に乗り入れるが、2人が
釣っているだけ。
「武士の一分」のロケになった場所の詮索をすることもなく、流れの場
所があまりにも大きく変わっているため、久野脇を逃げ出す。

昭和橋下流、橋と石風呂の中間付近に行く。
石風呂では数年前と同様、右岸を流れている。釣り人1人が見える。
アッシー君とその弟子は瀬にはいる。オラはその下流の平瀬状のところ

その下流では、カッパが左岸岩盤数メートルに上り、飛び込んでいる。
去年は1mほどの水深であったが、3,4mの水深になっているのであろう


ここで5匹釣れた。アッシー君はせっかくタモに入れた乙女が、年寄りは
いやじゃ、と跳ねてタモからとびだして、その後は釣れず。
その上流の釣り人は3,40は釣ったのではないか。その人を大量さんとし
ておく。

結局、合計7匹に空中バレ5匹ほど。
簡易計測で、21才2,20才2。7月中旬に、乙女に成長したあゆみちゃん
がいたということであろう。
ダイエットの効果はすでになし。

川根温泉で、石風呂を釣った人にあった。大漁であったが、女子高生の
大きさとのこと。
鮎の付き場、大きさが偏在しているのではないか、と思う。



中津川 No.[219] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/08/16 [木曜日] 19:46:35
8月16日
地獄の釜の蓋が開くから殺生をするな、と、アッシー君の弟子が。
オラは殺生をするのではなくあゆみちゃんと逢い引きをするのであり、
また、仏教徒ではないから、中津川に行く。高田橋上流では、瀬肩より
の上流のトロに、弁天では、左岸への分流付近の瀬ではなく、瀬肩附近
とその上流のトロに人が見えた。
みんなで釣れば怖くない、そして、鮎の付き場が変わったのか。

午前、海底にいく。予想どおり、誰もいない。左岸から右岸寄りへの流
れのザラ瀬下の瀬から釣る。前回と違い、中学生、女子高生と。
囮の不自由はなくなった。
そのうち、瀬尻上流に、また、堰下に行ったが人が多くてすいているか
ら、と1人がやってきた。そして、200mほど上流に2人。

下流からやってきた人は、ザラ瀬でどのくらい釣ったのであろうか。午
後も釣っていたから釣れていたのであろう。
オラは、空中バレ2匹はあるものの、小学生1,中学生から女子高生まで
計7匹。

下流側の、オラと同じ麦わら帽子の人は去年老人性白内障の手術をした
とのこと。オラのかかったお医者さんは、生活に不便がなければ手術を
する必要はない、とのことで、去年片方の視力が0.2くらいになったと
きに片方だけ手術をした。
下流側の人は、片方が1.2の視力があるのに、両方手術をすべし、とい
われたとのこと。その人は片方だけでよい、と。
さて、どっちのお医者さんが適切なのであろうか。

その人は、瀬尻で、昼のチャイムの鳴る寸前に、5匹目を釣っていた。小
さい、といっていたので、小学生でも充分に囮になること、18才女子高
生を釣りたいなら、相模川の方が育つ時間を与えられているから、好ま
しい、と答えたが、オラと同様、足許が覚束ないから、中津の方がよい
、と。

午後、海底の瀬尻下50mほどから釣りのぼる。去年は左岸寄りに1mほど
の溝があったが少し浅くなっている。とはいえ、鮎がつく時期になって
いるはず。
中学生に女子高生。そして、これから、というときにゴロちゃんがうな
っている。

ゴロちゃんと蛇が怖い、のオラは、逃げ出す。
遠雷は聞こえるのに、なかなか去っていかない。仕方なく、また麦酒を
飲む。5時前やっとゴロちゃんのお出ましはない、と判断。しかし、すぐ
に逃げ出せるように、角田大橋下流のチャラへ。

予想どおり小学生。
その下の瀬で、女子高生が跳ねた。この瀬は石が大きく流れもあり、見
てくれはよいものの、釣れたことがない。しかし、付き鮎もいるのでは
、と。
18才女子高生が2匹。時合いで釣れたのか、どうか、はわからない。上流
に差していく鮎が見えたが。

合計12匹。18才女子高生が2匹混じり満足。
橋から上下のチャラを見ると、汚れていた石が綺麗になっている。下流
のトロから鮎が差してきているのであろう。
午前は海底に、午後は歩く距離が短くてすむこの瀬とチャラ、という場
所の選択ができると、ありがたい。



中津川 No.[218] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/08/13 [月曜日] 17:04:23
8月13日
大井川での逢い引きがアカ無しでなくなり、人も減ったであろう中津川
に行く。とはいえ、仙台堰下流は混んでいるであろうから、海底(おぞ
こ)にいく。

瀬尻に2名、瀬尻上に1人、その100mほど上流に1名。よくすいている。
瀬尻上の人の上流にはいる。

空中バレ2連発。空中バレは囮を弱らせる。弱った養殖を玉引きして、小
学生よ遊ぼう、というが遊んでくれない。
午前様か、囮の追加買いか、悩んでいると、やっと小学生。これで養殖
君を休ませることができる。

休んだ養殖君を引いていると、18才女子高生。次の2匹も女子高生。あり
がたや。気持ちよく、麦酒タイム。
瀬尻は釣れなかった。

午後、角田大橋上流瀬に行く。瀬の上下の中間があいている。
19才乙女に女子高生2,中学生1
水冷が効いているとはいえ、あつすぎる、風が強すぎる。引き上げる人
もいるから、それに便乗する。

橋上流の瀬は腐りアカの石が多い。海底ではあまり目立たないのに何で
鮎の量が少ないのであろうか。

11日には23度の水温になったとのこと。
ニジマスやイワナが死んで流れてきた。伏流水や沢水が多く流入し、ま
た、深い淵があれば、避難できたであろうに。



07年大井川:2 No.[217] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/08/10 [金曜日] 19:33:20
8月10日川根温泉
「07年大井川:1」の日にちは、「8月16日」ではなく、「8月9日」です
。すみません。

右岸に渡り、瀬肩附近の瀬脇に囮を入れる。つり上がっていると、女子
高生。
囮屋さんと気田川に行った人が見ているときにまた、女子高生。ついで
に中学生も。
中学生は、ツイギイのようにやせ細っている。飢餓は中学生の年頃に大
きな影響を与えているのであろうか。

ここ2年ほど、鉄橋下のトロに大石が転がっていて、そこに大きい鮎が付
いており、七曲がり(鵜森?)の瀬が砂利、小石で埋まってから、そこ
で日々釣っていた腰の曲がった人がやってきていた。
当然そこには鮎が避難しているはず。

しかし、大石は埋まって、頭が水中に出ているだけなのか、以前の状態
では見あたらない。
ただ、河原からではなく、砂利で膝下10cmの浅い状態となっているた
め、流れの中から釣ることになるのでオラにとってはありがたい。

いきなり18才か、20才か、と思えるあゆみちゃんが。ダイエットの効果
が現れているものの、それほどやせてはいない。ただ、優男のオラを引
きずり回す馬力はない。根掛かりをしてもはずせにいける深さではあろ
うが箱入り娘にする。
すぐに女子高生3匹。

その後は1台目の蒸気機関車が鉄橋を通るまで釣れず。
結局9匹も釣れた。
いつもは、2台目の蒸気機関車が鉄橋を渡るまで昼飯時間とはしないが、
白川の中で、9匹も釣れたから、12時のチャイムとともにやめた。

昨日の分とあわせて氷水で絞めた後、計量すると、20才乙女2匹、18才女
子高生3匹、中学生2匹残りは16,7才の女子高生という構成でした。

あゆみちゃんの体力が回復すると、7.5号。8号の針を使い、身切れを防
ぐ、ということになろう。
あゆみちゃん、女たらしで、甘い言葉巧みにあゆみちゃんを誘惑するテ
クニシャンたちに気をつけて。
そして、次にオラが行くときはまた遊んで。

コテージ村の食堂で、天ざる茶そばに麦酒、といういつもの組み合わせ
で、あゆみちゃんにかんぱあい。



07年大井川:1 No.[216] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/08/10 [金曜日] 19:04:31
8月9日川根温泉
川口発電所から下流は、黄色い濁り、その上流は3日前から水色の濁り。
囮屋さんは垢がついていないから来るな、と。
恋の道にリスクはつきもの。囮屋さんの反対を押し切り出かける。

温泉下流左岸の袋状になっているところ。アカ無し。
駿遠橋まで下るには3回川を渡らなければならない。10トンあるいは15ト
ンの水量では、渡ることができるか不安。
ということで、上流に行く。

鉄橋上流に大石が転がっているところがある。すぐに18才女子高生。
底は、大石同士の流れが干渉しあっているためか、流れが複雑で、糸を
ゆるめるとすぐに囮は流されるが、根掛かりをすると助けに行けない深
さのため、18才女子高生は箱入り娘にする。

そしてもう1匹女子高生が釣れた。
20日ほど、ダイエットをしているため、少しダイエットの効果が現れて
いる。
2匹も釣れて大満足。

囮屋さんにやってきた人は、気田川に行くと。
気田川は、本流だけでなく、支流でも石が埋まったいる、と。その中で
、石がまだ残っている支流に行く、と。

その人は、気田川に放流されている鮎は、球磨川産の人工、とのこと。
その人工が海産か、交雑種か、どれほどの継代か、は知らない、とのこ
と。ただ、背びれは異常に長い、と。
球磨川産は、大井川でも、塩郷ダム上流、笹間川等に放流されている人
工に混じって、いる、とのこと。

5月はじめに大井川に来たときは、アカぐされで、鮎の気配無しであった
。しかし、6月になっても、川根で帯状に遡上する鮎が見られた、とのこ
と。
何で、途中で遡上を縦断したのであろうか。
笹間ダムがなかった頃、金谷にあった岩盤底の大淵で、いったん遡上を
休む、との話があったが、それと似た現象であろうか。

笹間ダムがなかった頃、南アルプスの雪解け水の影響がなくなるまで、
遡上を休んでいた、と想像していたが。
笹間ダムは底水放流で、その水が流される川口発電所の下流は、水温が
低いのであろうか。
それにしても、遡上を再開する時期が遅かった、とのこと。

囮屋さんが、コケの種別、変化に詳しい人がいる、と。しかし、その人
はパソコンを操作しない、と。その人に会える日を楽しみに、大井川に
かよおっと。

アカ無しであるのに、一部に緑藻がついている。何で緑藻が先について
いるのか、何で緑藻がついているところがあるのか、どういう条件があ
るのか。

家山の寿司屋さんが、今年、富士川の身延にいった。緑藻の大量繁茂。
去年の那珂川と同様であろう。それで、福士川に逃げた、とのこと。

寿司屋さんは、ここ数年、激流立ち込みの、大井川の習性が消えぬ仲間
と九頭竜川に行っている。
相模川であった勝山から流れてきた人が、九頭竜川でも、勝山では、ぬ
るぬるのコケではない、といっていたので、確かめたところ、ぬるぬる
のコケ、とのこと。3,40年前とコケの種別が変わったのであろうか、そ
れとも、勝山といっても場所の違いがあるのであろうか。

寿司屋さんに、笹間ダムがなかった頃の、スイカの香りがいつ頃してい
たか、と聞いたところ、いつもしている、と思っていたので、わからな
い、と。
日常的な事柄は、記録、記憶で追体験をすることが困難、との事例が、
スイカの香りであろうか。
オラは、「釣り人」7月号に紹介されている中央水産試験場の藍藻の方が
香り成分を多く含んでいる、との研究成果に疑問を感じている。

家山川の2つの橋から、釣りの対象となるほどの鮎の数が見えるが、頭大
の石が多くは埋まり、小石、砂利の中での釣りは気が進まない。



中津川 No.[215] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/08/07 [火曜日] 20:08:01
8月7日
午前、仙台堰と壊れ橋中間の瀬肩。下流側に那珂川から流れてきたおな
じみさん、その上流側の人との間があいている。
すぐに女子高生。日曜日の難行苦行とは大違い。そして、また女子高生


気持ちいい、というのはこれまでよ。沖に走られ、ためて寄せようとし
ても抜いたときにバレ、下流側には段差があるため、下らずに抜くとば
れ。7号の針ではオラには小さすぎるのか。
バレに吸盤ボウイ、と、いつものよおに苦行が始まる。
小学生から女子高生まで7匹。

秋川チャラの助風の風貌の人が2時間ほどで20,那珂川からの流れ者おな
じみさんは14.オラも取りこぼしがなければ、10を超えたのに。

午後、海底(おぞこ:去年までの自由区)がまだ釣れないか、見に行こう
とした。
瀬尻に1人、その上流の瀬の人は1人、しかし消えた。ということで、角
田大橋上流の瀬肩上のチャラを釣る。なお、瀬尻の人は12ほど釣って、
田代に移った、とのこと。

そろそろ、チャラで釣れだしてもよい頃と思えど、小学生のぽっちゃん
のみ。
瀬肩附近の人の下流に行く。

18才女子高生から始まる。
小学生と思えば、女子高生で、伸されないよう、あるいは、抜く距離を
縮める為に下り、と。女子高生ではなく、小学生のときは、みまがえた
ことが無駄になり。

テクニシャンでも、最初の一撃で、小学生か、女子高生か、の判断に間
違いがあり、あわてた、とのことであったから、オラがあわて、取りこ
ぼしをすることもやむを得ない。

小学生から女子高生まで、合計20匹。
那珂川からの流れ者さんは、4時頃になっても、30には届かない、とのこ
と。もっとも、30台の人もいたとのことであるが。



いつ濁りがとれるのかなあ No.[231] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/09/15 [土曜日] 15:14:02
9月15日
底水放流の相模川は真っ黄色。とはいえ、富栄養状態の水であるから、
アカはついているところもあるのではないか。
中津川は、強い笹濁り。秋雨前線のあとのほうが、その前の台風のとき
よりも濁りが強い。

「あゆ一番」のHPに、宮ケ瀬ダムと、そのダムの水が落ちているはず
の副ダムの水色の違いがわかる写真が掲載されている。

副ダムの水は濁っているが、ダム本体の水はそれほど強い濁りではない
。つまり、ダムの底水が放流されているのではないか。
昨日、宮が瀬ダム管理事務所に電話をした人がいる。電話口に出た女の
人は、底水を放流している、と。しかし、男の人に変わると、そのこと
を明確に否定はしないが、ごちゃごちゃとしゃべっていた、といわれた


「あゆ一番」のHPには、宮が瀬ダムのHPに書かれている「宮ケ瀬ダ
ムでは、水温の変化や濁りによる下流河川の自然生態系への影響をでき
るだけ与えない位置を調整し、きれいで適温の水を下流に流すことので
きる、選択取水設備を設けています。」の宣伝文句が引用されている。

「あゆ一番」の管理人さんも、選択放流の機能の適切な活用等、ダム管
理が「下流河川の自然生態系への影響をできるだけ与えないように」配
慮されていない、と書かれている。
オラも同感である。

100トンの放流量の制限は葦原の河原を作り出し、田代右岸葦原にイノシ
シが住み、あるいは、まむし等の蛇の住まいを提供している。
8月、選択放流ができるにもかかわらず、上水放流をしていたため、27度
の水温になり、ヤマメやニジマスが死んで流れ、底に横たわっていた。
漁協の抗議で底水放流に切り替えて、水温は3日ほど後には23度以下にな
ったが。

今年、田代の中州に溜まった土砂をダンプで撤去していた。
川は、浸食と堆積を繰り返すようであるが、浸食を生じるほどのダム放
流量がないことがダンプの出番になるのではないか。
なお、宮が瀬ダム管理事務所のホームページでは、ダム放流能力として
は、100トンが上限ではないとのこと。

そうであれば、ダム放流を放流設備の上限値で行い、ダム満水よりも貯
水率を下げ、濁り水を早くなくすことが好ましいのではないか。その後
、どれほどの流入量があるか、の計算は管理事務所にとっては、簡単で
あろうに。
現在、宮が瀬ダムでは、流入量に見合う放流量とのこと。必ずしも数値
の一致は見られないが、その方針で放流量が調整されていることは読み
取ることができる。

宮が瀬ダムが、看板どおりの広告文で運用される日が来ることを「あゆ
一番」さん同様願う。


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Re:奇特な人 No.[232] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/09/16 [日曜日] 16:04:44
9月16日、狩野川が白川のためか、大会が中止に。
久しぶりに囮に鼻管を通す。
まだ底水放流をしているようで、強い笹濁り。

壊れ橋上流、堰上流のトロ釣れず。奇特な人は何人もいるが、釣れてい
るのを見ることもなかったから、精神衛生上は楽であった。とはいえ、
トロではオラの上流側の人が2匹とのこと。

午後、角田大橋上流瀬肩上のチャラに行く。去年は釣れたのに今年は釣
れない。そこに右岸2,左岸1人いる。釣れているのであろうか。
小学生と女子高生各1.久しぶりのあゆみちゃん。
海底の瀬尻とその下流を釣っていた人は、よく釣れていた。オラのトイ
面は1匹釣れたのが見えた。
5時間ほどしか働いていないのに、疲れた。

八菅、消防グランド前は、混んでいたとのこと。どの程度釣れているの
であろうか。


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Re:久々のボウズ No.[233] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/09/20 [木曜日] 18:36:55
9月20日中津川
壊れ橋上流で釣れず。オラの上流側の瀬肩状附近の人は5くらいか。
アカはついているようであるが。
川を見に来ることはあっても、竿を出すのは16日目とのおなじみさんも
ぽっちゃんが1とのこと。安心した。
角田大橋下流のトロ釣れず。

午後、橋下流の普段はチャラ釣れず。
昨日、堰下流で15ほど釣ったという米さんが、がんがんの瀬を釣れ、と

そんなことを言われても、平水でも下ることができず、取り込むのに苦
労し、また、根掛かり放流をしてもよいように、くたびれた糸を使って
いるし、と、その瀬で釣りたくない理由には不自由しない。いいわけは
いっぱいできる。

とはいえ、跳ねるあゆみはあれど遊んでくれる鮎美はいないため、橋上
流の瀬へ。ぽっちゃんが1あっただけで、囮は過労死寸前。ということで
、底水放流ではあるが、水量は10トンほどの中津川から退散しました。
堰下流に2時過ぎに入った米さんはどれくらい釣ったのであろうか。


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Re:濁りの相模川 No.[234] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/09/21 [金曜日] 12:28:27
9月21日高田橋上流
底水放流をしている中津と同じくらいの濁りになった相模川、富栄養状
態のために中津よりも早くアカのつく相模川、ということで、囮3匹を持
って、高田橋上流の分流へ。

昨日よりも放流量が多い、黄色い濁りになっている。
それでもめげずに釣る。
しばらくすると、こつん、と。小学生か、と。ぐんぐん引く。金属0.1
号ゆえ切れるはずはない。下り、寄せ、囮を何回も宙づりにし、やっと
タモに吊しこんだのは、背掛かりの  尺 ハヤ。
誰も見物人がいなくてよかった。

石には全くアカがついていない。以前はダム放流が落ち着くと、1週間ほ
どでアカがつき始めていたと思うが。

津久井湖から多くのワカサギが流れてきたであろうから、今年の冬はワ
カサギ釣りの人が、弁天等に並ぶことになるのであろうか。



07年大井川:8 No.[229] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/09/04 [火曜日] 04:59:12
9月3日
抜く里のザラ瀬へと一直線。すぐに蹴られ。2回目の蹴られで、もうこ
の針はかわんぞお。
針をかえれど、蹴られ与三郎意気軒昂。苦節2時間、やっと女子高生。
これで世の中、景気は一変、とはならず。

しかも、囮を代えるとき、逃げられる。1日休養した囮を舟から出すと
き、いつもは河原で作業をするが、乙女がいないから大丈夫、と水の中
での作業で泣きっ面に蜂。遡上鮎が一晩休んで体力を回復すると、人工
と違い、馬力があるから、河原で作業をせよ、と言い聞かせているアッ
シー君に見られなくてよかった。

10時頃、昨日島田さんが釣っていた附近に1人、左岸に沿って流れる
大石が転がっている附近に1人見えるだけ。もう、禁忌を破るしかない
。立ち込んでいき、見てくれのよいところへ、と囮を入れていく。

されど、蹴られ与三郎は去っていかない。ぴったりとオラにくっついて
いる。やっと、二重追い星の女子高生。
しかし、はいそれまでえよ。

12時になったから護岸前の平瀬状のところに行く。
竿をたたんで先客がやってくる。
その人の話
先日大和田で30釣ったが、ここには始めてきた。8匹掛けて、取り込
めたのは4.大きい。ここはいい場所、と。

その人は、昨日の大会の結果を知っていたが、ここが大会エリアに入っ
ていることは知らなかった。オラがエリアであるというと、その人は、
鮎の薄いことは感じていて、大会エリアであることがわかると、その判
断が適切であることに納得して、下流に移動をしていった。

様子を見に来た神座を釣り場としている人の話
川口発電所からの放流のないとき、必ずしも大漁になるとはいえない。
むしろ、急激な水量変化に鮎が落ち着きをなくして、移動し、水深のあ
るところがポイントになる。土曜日にその状態になったが、余り釣れな
かった、と。

蹴られ与三郎を廃業できず、アカ無し状態のときの1日目と同じ2匹で
終わり。
蹴られ病と、バレ病を同時に治す針、しかも、ハリス付きで売っている
のはないのかなあ。
これであきらめんでえ。難行苦行に耐え、ナンパの決意を新たにし、大
井川鉄道、新幹線車内で、麦酒で乾杯。

去年の11月、柚木さんが富士川で束釣りをしている、と聞いた天竜玉
三郎が11月から通い、束釣りを楽しんだ、と、天竜玉三郎釣行記に書
かれている。
玉三郎は、富士川の魚道が改修されて遡上できるようになった、水が綺
麗になった、と指摘されている。
JR上流の魚道を見ると、中津川の妻田の魚道と違って、魚道を下った
水はまっすぐに流れている。台風前もその状態であったか、はわからな
いが、魚道の入り口がわかりやすく、また、段差も遡上を妨げる状態で
はないように見えた。


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Re:皆で見よう No.[230] [返信]
投稿者:銭なし公務員 投稿時間:2007/09/10 [月曜日] 22:06:14
 折角の貴重な情報も、共有のブログが使用できない期間が長く続いて
いる。そろそろ違うプロバイダに変えたいと思う。TとMにも相談したい



07年大井川:7 No.[228] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/09/03 [月曜日] 21:23:48
9月2日
天気予報が最良の日となるときを待っていては、台風が来て、前回台風
と同様、4週間を悔し涙で泣き暮らすことになる。テク2は、1日に相模川
にいなかったから、大井川のあゆみちゃんを軟派しているのかも知れな
い。タマちゃんはちょくちょく通い夫をしているとのこと。

大井川鉄道神尾、福用、大和田から見える大井川には、各所ともこれま
でで一番多い10人ほどの釣り人が見える。
川根温泉では、竿1本分の間隔で、緑藻が繁茂している瀬にまで人がいる
。新大井川漁協の大会で、12時に終わるから、あと1時間ほどすれば、1
人1瀬になるというが。

昨日、久野脇の吊り橋付近に入った人が、昼過ぎまでに24とのこと。こ
こには右岸の久野脇親水公園からも入れるとのことであるが、前回河原
に入る道がわからなかった。左岸側には、地名の駅前を通り、お墓の所
から、河原にはいることができる、と。天竜玉三郎釣行記に、去年、地
名を一山越えて河原に行った、との記述があるが、吊り橋付近にも行っ
たのであろうか。

川根温泉の瀬では、左岸には入れそうなところはないが、右岸瀬肩附近
には、竿二本分あいているところがあった。上流側は、頭大の石の頭だ
けが水中に出ていて、そのまわりはこぶし大の石のため、オラの場所と
違い、波立ちが小さい、少ない。そこに入っている人が乙女を釣った。
乙女を囮にしてまた、乙女を掛けて、ためた状態で下ってくる。オラも
それにあわせて下る。その人はオラと違いのっぽであるから、抜けるは
ずであるが抜けない。ばれた。オラはたっぷりうれしかった。

それをシオに下っていく。瀬尻は、豆腐状の石が出ていて、一段高い河
原からの釣りをすれば、よく釣れそう。瀬落ちは以前よりも幅が狭くな
り、左岸岩盤に囮が届くかも知れない。鮎が見えたので囮を入れるが釣
れず。

抜く里への流れは、以前のように、左岸崖に沿って流れていて、崖附近
に大石が転がっているため、釣れるはず。しかし釣れず。
抜く里の左岸から右岸への流れは、頭大の石が埋まりこぶし大の石にな
っている。

そこで休んでいる人の話。
今年は島田で三年ごとの大祭がある。島田の名物は、東海道中一の鯛焼
きのほか、子餅?もある。
大会の人が動き回ったから、鮎は消えたが、しばらくすると、ヘチでき
らきらするようになる。10匹釣れたら、おかずにも、明日の囮にもな
るから、十分、と。
その島田さんは、水際から2,3mはなれて釣りのぼっていく。

オラは石のつまったザラ瀬にはいる。すぐに女子高生、うれしい。島田
さんは釣れず、右岸崖に大石が転がっているトロに行く。そこで1匹と
のこと。オラは5匹釣って、護岸前に行く。
護岸前は石がつまっている平瀬状。釣れず。
その下流のザラ瀬で1匹。

トンネル横の浅い平瀬状に行く。2人が釣っている間にはいるが釣れず
。頭大の石の間は小石。
大会に参加した人は、1位お取り込み14,2位12,その他は数匹、
とのこと。
鍋島、丹原で行われた大井川漁協の大会では、1位が30,と。
川根地区とは倍の数量差がある。釣り人の頭数で割れば、同じくらい、
となるのかなあ。

オラの上流側の人は、先日ここで、30釣り、2匹目のドジョウを求め
てやってきたが、芳しくないので右岸へ渡り、下流へ、と動いている。
駿遠橋上流の小石底に鮎が見える。柳の下さんにそれが釣れる?と聞く
と、竿を出していた。

オラは駿遠橋下の、以前は分流であった瀬に行く。石はつまっている。
瀬尻側に囮を入れる。8号チラシで蹴られ数回。平瀬状から釣り上がっ
てきた人も、上流側に入った柳の下さんも釣れず。
今の時期、強い瀬はあゆみちゃんの好みに合わないのかなあ。

ということで、天気には恵まれたものの、ナンパに成功した数は、アカ
無し状態の2日目に及ばず。



相模川 No.[227] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/09/01 [土曜日] 13:50:23
9月1日高田橋上流
分流との合流点付近でヘチから釣る。
去年の四位のお局、今年は別の大会で一位のお局へと昇格した名人の下
流に、竿間隔が十分にとれない状態で割り込む。
名人の立ち位置の下流ですぐに21才。名人よりも先に釣る。
しかし、その後は名人がせっせと釣り上げていく。
オラは1匹追加しただけで、空いている場所は分流しかないため、分流
に移る。

分流ですぐにガッツン、せいぜい女子高生と思っていたが、浮かない。
河原にたって無理に抜くこうか、と考えていたら、ばれた。
分流にも乙女がいるよう。

蹴られがあるものの、小学生、中学生と、分流らしい大きさが3匹。
空いている場所が右岸側という中では、5匹で満足。
1位のお局さんは、午前、23匹。

今日は、25cm以上を午前に釣った人はいないよう。
さすがお局さんは釣果は1番、大きさは1位ではないが。



相模川乙女 No.[226] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/08/30 [木曜日] 17:35:53
8月30日相模川弁天
天気予報がよくないため、大井川はあきらめざるを得ない。せっかく青
ノロのない場所の見当がついたというのに。
中川根町で育ったテク2は、台風による大雨で、茶畑の肥料が流れ込んだ
からではないか、と、緑藻の繁茂の原因を推測されている。
緑藻の繁茂の環境条件は1つだけではないのかも知れない。

瀬肩近くの瀬は混んでいる。分流付近の瀬はすいている。
分流付近の瀬に入り、玉曳きをするも、トイ面や下流側の人、そして、
上流側の人はよく釣れているのに、釣れない。
幸い、いじめっ子がいないから、他の人が釣れても、精神衛生上の痛み
はない。

女子高生が釣れてありがたや、と思えど、根掛かり放流もある。69才の
アッシー君でも入っていける場所であっても、オラには無理。
これも、相模で釣りたくない理由の1つ。
結局、午前は女子高生が5匹。囮の心配がないだけよしとするか。

午後、分流付近の瀬は混んだ。午前、混んでいた瀬肩近くの瀬はすいた

その中間のトロ瀬状の瀬で玉曳きをする。
まわりもたまにしか釣れていないから、気は楽。

21才乙女を囮にして、21才乙女が釣れるとしんどい。8号チラシで蹴られ
ることがあり、7.5号碇にしているため、ばれないか、気が気ではない


逆に中学生を囮にして、21才乙女が釣れると、やったあ。
午後からは引き寄せに徹する。これも大井川の乙女ちゃんをだっこする
ための試練。

結局、22才乙女1,21才乙女3を含む8匹。合計13匹というオラにとっては
、楽しめた1日でした。



中津川 No.[225] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/08/28 [火曜日] 18:45:42
8月21日
相模川では、上の人や下の人、トイ面の人が釣れていて、オラだけ釣れ
ない、ということで、精神衛生上よくない。
中津川の海底であれば、上の人も下の人もいないはず。よって、自尊心
、うぬぼれを打ち砕かれて、心身症になることもないはず。

予想どおり、上下左右に釣り人は無し。しかも、煙草に火をつけるいと
まもなく、中学生。
当然、その状態はまぐれ。次の女子高生まで時間はかかる。とはいえ、
囮に不自由しなくてもすむ状態になる。瀬尻の幼児を含めて5匹。

今後は富士川の尺アユを追いかけるという人が瀬で1匹。先日、田代上流
側の瀬で、30ほど釣れたのに、と。
ここはなぜか、7月頃から釣れないため、広々している、と答えた。

午後、角田大橋下流の瀬へ。
チャラは小中学生と思い、瀬肩に入ろうと思っていたが、先客あり。先
客はオラが見ている間でも20は釣ったのではないか。
オラはその人の下流側の瀬で玉曳きをする。

すぐに女子高生。下ることはできないがヘチに寄せて取り込む。しかし
2匹を空中バレ。
8号のチラシにしてバレはなくなる。

玉曳きでの釣りはしんどい。先客さんが帰ったので、瀬肩付近に移る。
先客さんが釣ったあとに余り残っていない。
結局、午後は11匹。瀬では女子高生、瀬肩附近では幼児から中学生。

壊れ橋下流の瀬に入った人が40ほど。その人は、吸盤ボーイも持ち帰り
、唐揚げにするとのこと。オラも試してみようかなあ。

ウナギを1匹、タマネギ等を入れる網袋に入れた人がやってきた。その人
は、石の間を見て、ウナギがいると、竹につけた針にえさをつけて、釣
る。

テレビで四万十川の鮎を食べさせるイベントを放映していたが、その鮎
は火振りで獲ったもので、人工とオラは思う。四万十川も人工鮎河川に
なったのであろうか。
利き鮎会の平成18,17年の準グランプリに相模川が入っている。
どういうことであろうか。
対象となっている鮎は、17年は浜名湖産、18年は富山県産、愛知県産、
それらに宮城県産が少し、という人工鮎での構成のはず。
人工がうまいのはなぜか。味音痴なのか、脂がある方がうまいのか、そ
れとも?
田名テク1は、今年放流された阿仁川の鮎を親とする数代目の宮城産人工
はうまい、といわれた。味音痴のオラには検証のしようがないが。
本物のあゆみちゃんの味も姿も力も、知らない釣り人だけになる日も近
いということか。那珂川で、「天然鮎」ののぼりのあるところで売られ
ている鮎も、放流鮎が主体のはず。すでに、遡上鮎は販売の「天然鮎」
から消え去っているのではないか、と思う。

先日放流された成魚は海産畜養とのこと。沖取り海産は、3月に相模、中
津に放流されたでけではなく、漁連の池で畜養され、あるいは、養魚場
にも販売されたとのこと。
そうすると、沖取り海産は、300万かそれ以上の量になるのではないか。
その3倍としても、遡上量は1千万はあることになるが。
県の内水面試験場のHPで沖取り海産採捕量を報告をしてくれたら助か
るが。試験場の研究報告同様、特定の人が移動してしまうと、情報がH
Pに掲載されることもなくなった。組織で仕事をしているはずなのに。



相模川悲恋 No.[245] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/10/13 [土曜日] 17:42:09
10月13日
バスの便が悪くなったため、1時間以上歩くことになるため、敬遠してい
た望地:石切場に行く。
柳の前のトロも石があり、その下流の瀬尻下の水深のあるトロ瀬も釣れ
る、とのこと。ここ数日は水深のあるところがよく釣れている、と。

ということで、アカがつき始めていた頃、よく釣れていた瀬肩と瀬はす
いていた。当然すいているところにはいる。
石の状態は良く、あゆみちゃんも一杯いる。しかし、遊んでくれない。

トイ面も始めは数匹釣れたが、それまで。みんなで釣れなければ心臓も
痛まない。
2匹の乙女が釣れただけ。1匹は美白であるが、1匹はサビかかっている。
そんな貧乏生活にもかかわらずぽっちゃんが2。

午後、瀬肩で女子高生。
混んできたから、柳前の鮒釣りもできるような止水域にいく。釣れてい
る人は釣れている。石は入っている。
しかし、オラと遊んでくれたのは、女子高生2匹のみ。にもかかわらずぽ
っちゃん2とは、もったいない。

40,50は当たり前、の人が、昼から3時間ほど、六ツ倉合流点上のザラ瀬
等で釣ったが、20にはいかなかったとのこと。
安心した。あゆみちゃんはけんかよりも読書、音楽鑑賞の日。

釣れるときだけ釣り、釣れないときは不平たらたらで、文句の絶えない
おっさんが、午前も2,3匹釣って、不平たらたら、午後も4時前にはいな
かったから、釣れなかったのであろう。

柳上流の投網区域まで、友釣りが入っている。あゆみちゃんは、女子高
生も、乙女も、ヘボヘボ、と、オラをからかって楽しんでいる。ヘチの
泥かぶりの石のはみ跡は、チビのものではなかった。
何で、われときて遊べやあゆみちゃんとはならなかったのかなあ。
弁天のへら釣り場からの流れ出しにまで釣り人が入っているほど、あゆ
みちゃんは多いのに。



07年大井川:14 No.[244] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/10/11 [木曜日] 21:34:32
10月11日
今日こそはサラ場で釣りたい。左岸前山前の分流に行く。釣れない。お
かしい。やっと1匹。前回は一杯見えたあゆみちゃんが少ししか見えない

食糧事情がよくなり他に移動したのか、夜網が打たれたのか。

家山川との合流点があった附近の左岸に車が数台やってくるが、人は下
流に向かう。それに従うと、相当の距離を歩くことになるから、斜め横
に動き、新しい本流で釣る。どこを釣ればよいのか。こぶし大の石が主
で、砂利はなくなっている。

上流の分岐点ザラ瀬、チャラを釣っていた人がおりてきた。昨日のひげ
さんであった。オラの下流に入りすぐに2匹。そのあと、立ち込んで右岸
ヘチを釣り、下流へと消えていった。

オラにもやっと釣れた。その瀬にはオラと、右岸側の座って釣っている
人だけ。あゆみちゃんのいない瀬?
何十メートルは動ける。あゆみちゃんを上流のザラ瀬までのぼらせ、と
、働かせる。囮には不自由しない。
囮は河原で舟から出す。心配していたとおり、乙女が舟から飛びだした
が、河原をはね回るだけで、脱走はできず。

ザラ瀬で4,5匹、この日の計12匹。
不幸な日は、昨日だけではなく、今日も。しかも、どこでもあゆみちゃ
んがいる状況であるのに、どこでもあゆみちゃんが遊んでくれるとは限
らない。

2日間の合計23匹のうち、21才2,20才2
絞めてからの黒ずんだのは4,腹が赤くなったのは2
ひげさんらにオラの乙女をさらわれなければ、また、23,4才の乙女とに
ゃんにゃんができたのに、ああ、無情。



07年大井川:13 No.[243] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/10/11 [木曜日] 21:11:44
10月10日
連休のときは、いつも閑散としている大井川も、大入り満員という。連
休明けの1日の休養で、あゆみちゃんの疲労が回復しているとは思えない
が、天気予報が信用できないから、週末まで待って、悪天候でデートが
できない、となると、泣くに泣けない。ということで、天気予報は雨の
予報もあるが、オラのポイント予想同様、はずれることが多い。よって
、10時に笹間渡におりる。

囮屋さんは、七曲がりを奨めるが、9月のダム放流でどう変わったか、不
安。10数匹釣れた、とのことであるが。
川根温泉下流の瀬肩には先客あり。よって、瀬にはいる。ここまでは前
回と同じ。

瀬脇で乙女。乙女を囮にして、乙女が。水面すれすれで歩いてきた乙女
をキャッチミス。河原で跳ねる乙女と囮をやっと舟に入れる。
次も18,9才。しかし、それを囮にして、瀬脇に入れるも、上竿の準備の
できないうちに掛かり、竿を立てる。瀬尻の人までは、50m程あるか
らどこかでヘチに寄せること可能、と。しかし、捕らぬ狸の皮算用。芯
に、下流に走られ、バレ。
これで、はい、それまでえよ。

オラはサラの場所を釣っているつもりでいたが、瀬肩から、チャラ瀬へ
と釣り上がり、あゆみちゃんと遊んでいる先客の友缶がオラの舟の下流
にあるではないか。先客の釣り残しに遊んでもらっていたということ。

しかも、昼に下流から、九頭竜川等の大河川で使われている大きな舟の
人が帰ってくる。
いやな予感が的中。
このひげさんは、オラが昼から行こうとしていた抜く里上流の大石の転
がっているところも、その下流のチャラも釣った、と。
その数20近く。
大石ごろごろの所では、24,5才も。ひげさんは、005愛用者で、丼は
嫌いではないと。24,5才が005で取り込めたのは口ガカリであったから
、と。
ひげさんはいろんな所を釣りたい、と消えていった。

右岸に渡り、釣るも時間の無駄。
大石の転がっているところに行く。なんと、そこには2人組が、チャラに
も2人組がいる。前回はオラと先客さん1人だったのに。

やむを得ず、大石の上流、砂利の沖にあるこぶし大のチャラを見ている
と、あゆみちゃんがいる。しかも、砂利の所に差していくあゆみちゃん
が見える。
4匹の18,9才。それが優男のオラでも抜けたのは腹掛かりのため。1匹は
内蔵が出たが。

大石の上流側の人が少し下ったので、上流側にはいる。当然釣れない。
チャラの2人組の間にはいる。アカは前回と違いばっちりとついている。
女子高生が3匹。
そして、2連チャンでどう取り込むか、悩んでいて、バレ。またもや、は
いそれまでえよお。

上流側の人が、砂利の所を歩いて、左岸の水深のあるところを釣る。そ
こに石があるとは知らなかった。掛ける。抜けない。竿を立てて寄せる
。最後は吊し気味の金魚すくい。

下流側の人が、ブロックの前で掛ける。抜けない。しばらくやりとりを
して取り込む。
オラだけではないなあ、取り込みに苦労するのは。と思えど、20才くら
いで苦労をしているのはオラだけ。

最後は女子高生。女子高生であると、水の中に立っていても抜けるよお

チャラの2人組は、2,30を釣っていると思っていたが、10匹にいかない
、と。ということは、チャラに来る前に抜く里のザラ瀬等で釣っていた
のであろう。車の位置からの想像である。

もう4時を過ぎたのでやめたあ。トンネル横では、流れの真ん中に立ち、
右岸を釣っている人あり。どれほど釣れたのであろうか。

サラ場での、釣りすらのできない、という不幸な星も下に生まれてきた
のかなあ。その上、トンネル横では転ぶし。
テク2が混雑している6日に昭和橋上流で23,7日に駿遠橋下の右岸側瀬で
8匹を釣ったというのに、11匹だけ。しかも、23,4才はいない。



大入り満員 No.[241] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/10/06 [土曜日] 18:13:16
10月6日相模川高田橋上流
何の大会?と聞かれるほどの人出。
右岸に渡った人は、広い空間を占有でき、しかも、分流状のヘチから、
瀬脇、芯まで釣れて、少ない人でも20を越えているのではないか。
それをうらやましげに眺める左岸は、動くこともできない中、瀬肩上流
の数人だけが20、30の豊漁になったのではないか。

田名テク1の指導のもと、午後は分流に行くが、ぽっちゃんの2匹。2時間
ほどで、左岸から釣って10数匹の田名テク1のお友達から囮をもらうが。
中学生と小学生が3のみ。分流で一番成績が悪かったのではないか。

弁天瀬肩上流は、5時前でも5,6人がいた。昼間は大入り満員で、高田橋
よりも混んでいたとのこと。

大井川昭和橋上流に行ったテク2は、23cm止まりの23匹。混んでいた
とのこと。
初めてやってきた人がどこを釣ればよいのか、と訊ねたので、ヘチと答
えたとのこと。その結果は目印が飛んでわからなくなったとのこと。

テク2が混んでいる中で23ということは、オラは10にも届くまい。動き回
れる来週のいつに行こうかなあ。
これくらいのハンディがないと、ヘボは生きていけないよう。


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Re: No.[242] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/10/07 [日曜日] 13:52:05
10月7日
高田橋上流は、釣れないところがある、ということで、昨日よりもすい
ている。右岸も昨日のように、30,40当たり前、ではない。

瀬肩上流トロでは、一人がよく釣っていた。また、鯉、と間違えるほど
の大きさを釣った人が今日も出ていた。ただ、昨日の人たちは糸を太く
したのか、釣れないからか、丼は見なかった。鯉に持っていかれた人は
いたが。

弁天は瀬肩上流にはいっぱい両側から並んでいる。その下流も、右岸側
は少ないが左岸側には竿が見える。



07年大井川:12 No.[240] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/10/04 [木曜日] 21:12:11
10月4日
先週は、駿遠橋の上流に行くか、下流に行くか、悩んで夜明け前の町の
徘徊したが、今日は裕福であるから、悩まない。下流に行き、釣れなけ
れば、久しぶりに食堂で昼食を食べれば良い、と。

橋下の瀬は根掛かりが怖いから見るだけ。瀬尻は先週と違いうっすらと
アカがついてる。釣れず。
チャラに下るとき、頭大の石が転がり歩きにくいヘチで仰向けに倒れる
。筋肉痛用のローションをたっぷり塗り、筋肉をほぐす漢方薬も飲んだ
というのに。
関節が乙女とのむんずほぐれつで疲労しているのかなあ。

チャラに行く。やっと女子高生2匹。
後続の左岸にやってきた人がどこにはいるかを見ていた。釣れてない。
左岸前山の大石が転がっているところの人がよくしゃがんでいる。そこ
に行く。

以前は流れが一つであったが、二つに分かれ、左岸の流れは分流になっ
ている。淵もなくなっている。
先客の人は流れが緩く、水深の50cmほどの所を釣っている。
オラはその上流の流れがあるところにはいる。

女子高生か乙女か、計測しなければ判別しがたい大きさのあゆみちゃん
が4連発。夢の超特急:時速10匹の達成か。
いつも見ている夢に終わる。ぽっちゃんをして、はいそれまでえよ。
先客が釣るのを眺めて苦節1時間以上。やっと、釣れたのは、口ガカリに
腹掛かり、何で、口ガカリで死ぬんや。

先客もペースは落ちたものの釣れている。先客は、昼に去っていったが
、4,50は釣っているであろう。

オラは、舟から囮を出すとき、とんで とんで はいさいなら と、な
らないか気が気でない。
やっと、その心配から解放された。釣りのぼり、乙女を袋ダモに入れて
舟まで戻り、  という 動作をしていて、効率は悪いが、女子高生主
体に計17匹。

1時、囮を交換しなければならなくなった。7半の舟の水を少なくするこ
とはできないから、河原で囮を出すことになる。手間がかかる。しかも
、どこが釣れるか、わからない。ということで竿じまい。

舟を水から出すと大騒ぎになる。水の中を歩くしかない。しかし、転ん
だところは歩きたくない。
ということで、チャラの上流に舟を置いて、クーラーをとりに行く。そ
のため、いつもよりも帰り支度に倍の時間が掛かって、食堂での昼食を
することなく、2時半の電車に乗りました。

2日間34匹の計測結果
24才  1   23才  1   21才   3  20才  6
なお、釣ったときは美白であるが、絞めて腹が赤くなったのは、5匹。 



07年大井川:11 No.[239] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/10/04 [木曜日] 20:35:52
10月3日
相模川の水色が良くなり、弁天の瀬等で20cm前後が釣れ、29日の氷雨
降る望地石切場の瀬肩でも釣れていたというのに、何で大井川?
今週末からプレイボーイが大井川の乙女をたぶらかしに行く。その前に
、1人でも多くの乙女を救済したいから。

伝導の場所である川根温泉左岸には、瀬尻と瀬肩に先客がいるので、瀬
にはいる。
ヘチで女子高生2匹。これで囮は4匹になり、ありがたや。
女子高生は乙女を釣れてきてくれた。乙女を囮にすると、乙女が。河原
に立ち、両手で抜くと、水面のすぐ上をよたよた歩いてくる。キャッチ
ミスをしたが問題なし。22才乙女は箱入り娘にして、女子高生に働いて
もらう。

瀬の芯に入れると、ガガ  やっとの思いでヘチに誘導するが、囮は浮
けど乙女は浮かず。テク2があゆみちゃんに遊ばれるな、すぐに抜け、と
。そんなこと言われても、スカーレット オハラがクラークゲーブル?
にされたように、有無をいわさず、オラが乙女を抱きしめたら、はり倒
されて、川流れに。
しかし、テク2の指導に従い、両手で抜く。いかい。
24才美白乙女。人工の太った腹と違い、流線型の胴を握ると、かろうじ
て指がくっつく。体高が高い。

左岸瀬肩を釣っていた人は、繁盛してますなあ、という。その人は2匹。
良かった、オラが瀬に入れたのはその人のおかげ。
ここで、乙女4人を救済し、計6匹を釣ったが、右岸瀬に2人がやってきた
ので、いつ瀬肩に移られるか、気になり右岸に渡る。

ヘチで女子高生をぽっちゃんしただけ。
先週と違い、乙女は瀬と芯に、女子高生はヘチへ、と、転居していた。
そして、右岸の乙女にも愛想を尽かされた。

蒸気機関車が通過したので、下流に行く。瀬尻の1人は6匹、と。
抜く里上流左岸大石が転がっているところに行く。先週24才を手に入れ
たところには先客がいる。その上流の大石から始める。目印がすっ飛び
、乙女が。

先客が下っていったので、数十メートルがオラの縄張りになった。
乙女を囮にして、ゴン  乙女であること、いかいことがわかる。河原
に立つと、5メートル以上の遠投になり、失速して、ぽっちゃん、もあり
得る。
引き寄せしかない。弱るまでまとうあゆみちゃん。やっとベッドに担ぎ
上げたのは、23才美白。

大石が転がっているところを上下して、箱入り娘2,女子高生2,20才く
らいの乙女5、計9といううれしい結果になった。
先客は、オラの釣っていたところで、大きいのを10ほど、移ったこぶし
大の石のチャラで女子高生を10ほど。話しているとき、乙女が。
先客はアカ付きが悪いのになんで釣れるのかなあ、と。そして、オラに
もどうぞ、というが、抜く里のザラ瀬を見たかったので下っていく。
先客はさらに10匹は追加したことであろう。

ザラ瀬上流のこぶし大の石のチャラ釣れず。ザラ瀬へと移るも釣れず。
護岸前に4人が立て竿で釣っているが、ザラ瀬はオラだけ。やってはいけ
ないことであるが、立ち込んで見てくれの良い筋を釣る。やっと、女子
高生。次いで、竿じまいのとき1匹追加。

護岸の最後の2人が戻ってきた。1人は30を超えている。1人は10台。30台
の人が午前はザラ瀬を釣り、午後に護岸前に移った、と。オラは空き家
で釣っていたことになる。

プレイボーイの毒牙から乙女を救済するという、オラの高邁な理念は達
成されました。
めでたし  めでたし
計17匹



07年大井川:10 No.[238] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/09/28 [金曜日] 21:29:08
9月28日
山里の町を通る満月か十六夜の月の下、中天近くに位置を変えたオリオ
ンを見ながら、今日は抜く里にするか、駿遠橋下流にするか、思案をし
ていた。
前山下流のどの附近が釣れるかわからない。橋下流の瀬は、アカがつい
ているかわからないし、根掛かりをして乙女と生き別れになるのは断腸
の思い、と。

そうすると、抜く里か。
トン遠ル横のチャラの黄色い石を見ながら、抜く里のザラ瀬上流付近へ

掛かり、抜こうとするが浮かない。乙女はいないはずでは、と、思いつ
つも、どうするか迷っているとばれた。

大井川で、ナンパ場所に適さないところとは、
@ 違法な刺し網、夜網が行われたところ
A 前日に名人、テクニシャンが入ったところ。
ばれたが釣り残しの期待が持てた。
オラより年配で、オラと同じ麦わら帽の後客は、オラのところで釣りた
かったのであろうが、右岸に行くという。昨日、テスター風の人は、右
岸を釣っていない、というと、ほっとしていた。

麦わら帽さんは、ヘチのチャラ状ですぐに女子高生、瀬脇でも同じ。
ザラ瀬で掛けると、上竿で寝かせて、河原の所まで引き上げ、河原に竿
を置いて、あゆみちゃんとやりとりをせずに、糸を引っ張る。0.8号と
か1号の糸を使っているのであろうか。

それをうらやましく見ながら、10月には、女をだまし、たぶらかせ、だ
っこすることが生き甲斐となっているテクニシャンらがやってくる。そ
んなすけこましの毒牙から、一人でも多くの乙女を救いたい一心で、乙
女救済の説法に励む。

その甲斐あって、乙女が救済できた。その乙女は、8号のトンボの散らし
バリを背負っていた。ということは、オラも8号の針にする必要があるの
かなあ。

麦わら帽子さんが下る。しかし、ブロックまで流れがあり、深くなって
いるから、それ以上下れない。竿を立てる。硬い竿が満月になる。囮す
ら浮かない。  キュン 囮が飛ぶ。
8号か、8.5号の針を使っていても、乙女と力比べをすると、身切れをす
るということであろうか。

女子高生が釣れた。かわいい。すぐに乙女を釣れてきてくれた。もう1匹
乙女が釣れたとき、移動する。

トンネル横。
先客は右岸2名、左岸2名。
女子高生、次いで、抜けない、と思ったのは乙女。
臨時の蒸気機関車の汽笛が聞こえたとき、6匹しか釣れないから、移る、
といった人は、葛籠、石風呂は大きいがここは小さい、といっていたの
に。河原で抜いてよかった。

12時半の蒸気機関車がとおったのに、麦酒を飲まず、食わずでがんばる

にもかかわらず、団子状で釣れて、付け糸までごちゃごちゃになる。修
繕して、あと1時間ほど釣るか、時折吹く風に竿を折られないようにする
か。
やめたあ。9匹で十分。

1時30分の電車に乗せてもらえた。麦酒を飲みながら、釣り人の居場所を
見る。家山川と大井川は、直角に接していないが、家山川を直線で延長
した附近の瀬が釣り場のよう。

新幹線でも飲み、食い、吸い、そして、ロマンスカーは禁煙になったた
め、暇で、乙女の計測をした。
2日間の合計15匹の内、21才以上は
24才  1    22才  1   21才   5  でした。
乙女が多いということは、遡上量が少ない、当然乙女の数も少ない。も
う、今回ほど乙女とむんずほぐれつを楽しめることはないでしょう。
なお、富士川の新幹線鉄橋下に数人の釣り人がいました。



07年大井川:9 No.[237] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/09/28 [金曜日] 20:34:56
9月27日
富士川、安倍川は、相模川並の濁り。大井川の神尾も同じ。川口発電所
が濁り水を放流しているのであろう。
神尾を過ぎると澄んでいる。石があると思われる各所の瀬には、数人の
釣り人が見える。
車中の人が、駿河徳山の人に鮎がほしいといわれたので、昨日小和田で
釣った23cmを含む10匹ほど持って行くところ、といわれた。
これで、一泊する決心がつき、川根温泉の公衆電話から宿にその旨電話
をした。

10時30分、川根温泉下流のいつもの場所に、いつもの時間に行くと、あ
ら不思議、瀬尻と瀬に両側から、各2人がいる。オラの独り占めでない。
左岸の瀬の人は、立ち込んで、芯を釣っている。立ち込んでいる足許は
釣れるのに。

瀬肩附近のヘチを釣る。ヘチの頭大の石は黄色い。こぶし大の石は白い
。瀬の芯さんが釣れた。芯にもアカがついているのか。芯さんがオラが
釣っているところに置いてある友缶にやってきた。
5匹目で、瀬よりもオラが釣っているところの方が23cmと大きい、と。
ということは、オラの所は空き家か。

右岸に移る。右岸の瀬の人は、舟を瀬に置いている。
瀬肩附近の、ヘチの黄色い石のところに囮を入れる。ゴン 下りながら
ヘチに寄せ、河原に立ち、抜く。乙女。
箱入り娘にしたいところであるが、囮を2匹しか買わなかったから、囮に
する。

ガン 河原に立ち抜くが、低い位置で飛んでくる。逆針が竿尻になるよ
うにしているが、これ以上手尻を短くすると、鼻管を通したり、逆針を
打つとき不便。ということでキャッチミスになるが、河原であるからこ
と無し。
4匹の乙女までは快調であったが、釣れなくなる。

乙女は、美白で、やせていない。ということは、少ない食料を独占でき
る大土地所有の土地貴族ということであろう。
後客が、こぶし大の、アカがついていないであろうチャラで釣り上げて
いる。
乙女をチャラへと釣り上げていくが、乙女とけんかする女子高生は無し


蒸気機関車が鉄橋を通るのを見て、大井川鉄道の売店で買ったにぎりを
食べて、下流に向かう。
瀬尻は黄色い石であるが、先客が釣ったあと。

抜く里の手前、トロで大石が転がっていて、左岸ヘチだけえぐれて、生
きた流れになっている。
そこの大石表に養殖を入れる。キュン  目印が飛ぶ。笑みがこぼれる
。竿を立てると沖に走り、上竿で寝かすと、浅いところに来ると跳ねる
。跳ねと身をくねらせる動作は、バレの大敵。
どうするか。弱らせるしかない。むんずほぐれつに疲れて、ベッドに運
ばれたのは、簡易計測で23cm、死後計測で24cm。

同じような場所はあと数カ所あるが、乙女を囮に使い根掛かりすると、
左岸手前が深いため、助けにいけない。それに乙女相手では、老体が持
たない。

抜く里の左岸から右岸への流れは、小石。
ザラ瀬に近いところの、テスター風の人と、その下流のザラ瀬を釣って
いる連れの人が釣れている。
テスター風の人が下り、ヘチに寄せしばらくして抜いた。大きい。その
人でさえ、下りヘチに寄せるのであるから、オラが同様の取り込みをし
ても恥ずかしくない。
連れの下流、ザラ瀬で1匹。

護岸前は、頭大の石がまた埋まった。
トンネル横は、10匹ほど釣った人を見るだけ。
駿遠橋下流に行く。右岸側の本流となった瀬に3人。瀬尻に1人。
ヘチにもアカはついていない。

オラよりも年配の、帰りの自転車の人は釣れたが、ゴミが多く、根掛か
りを外しにいけず、持ち帰るのは少し、と。軽トラのオラよりも年配の
人は30と。そして、瀬にはアカがついている、と。

瀬尻で釣るが釣れず。
左岸の3人組が友缶に鮎を移している。瀬尻で釣っていた人が30ほど。多
分下流で釣っていて集合時間近くに瀬尻に入ったのであろう。
左岸前山下流から帰ってきた人が20ほど。その人が鮎を移しているとき
、対岸からでも、1m近く白い物体が飛んだのが見えた。30さんが一番大
きいのを逃がしたな、といっていた。
最後に瀬で釣っていた人が戻ってきた。10ほど。

オラが泊まりと知っている近所の人が、これまでは、左岸側の流れが釣
れていた、と。そっちが分流的になっている。
軽トラさんの30は、事実ではないのではないか。

ということで、乙女ばかり6匹。疲れた。しかし、バレもなく、蹴られも
致命傷にはならず大助かり。



中津川 No.[235] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/09/23 [日曜日] 15:26:29
9月23日中津川八菅上流、右岸への流れの瀬肩附近
彼岸花が咲き、瀬で乙女も釣れるはず、とはならなかった。
囮をすぐに糸切れでなくし、囮の追加買いを考えていたら、すぐに女子
高生。そのあとも小学生から女子高生まで8匹。
とはいえ、1時間があゆみちゃんの遊び時間で、その後はいつものとおり
の時間だけが過ぎていく。幸い、左岸側の人も釣れていなかったから、
精神衛生上は苦痛無し。

午後、火の見櫓上流の瀬を、皆は、流れの真ん中から左岸を釣っている
中、オラだけ右岸ヘチ寄りを釣る。
2匹の中学生。

石が埋まっていないから、濁りがとれ、あるいは、アカがおいしくなれ
ば、乙女も釣れるようになるのであろうか。
はみ跡は石の上にある、とのこと。したがって、底を泳がせていても、
余り釣れない、とのこと。


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Re:相模川 No.[236] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/09/26 [水曜日] 14:00:18
9月26日
相模川の濁りは底水放流の中津並みになっているが、アカ付きはまだ悪
い。
海産あゆが主体のため、鮎はいっぱいいる。人工は流れたか、下ったの
であろう。昭和橋でのコロガシでも、中学生が主体。

弁天は、流れの幅が広がり、緩やかな流れになったが、左岸へのザラ瀬
附近では、中学生が釣れている。量は不明。


07年大井川のあゆみちゃん:21 No.[255] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/10/29 [月曜日] 21:55:47
10月29日
月明かりの中、家山八幡宮に行き、鰐口をならすと、恵比寿様、海神(
わたつみ)の神、とよたま姫、乙姫様が、眠い目をこすりながら下りて
きてくださった。
来年は遡上あゆみちゃんが一杯遊んでくれますようにお願いいたします

「来年のことをいうと、鬼が笑いますよ。それに、あなたは来年もまだ
この世にいるつもりですか。憎まれっ子は世にはびこってはいけません
よ。
それに、この世にいたとしても、河原を歩くことができるのですか。今
年でさえ、幼児でも転ばないところで転んでいましたね。河原を走る車
いすはありませんよ。」

全知全能の神様のおっしゃることはごもっともです。今日だけ、あゆみ
ちゃんと遊べるようにお願いいたします。
「そうねえ、蹴られても蹴られても、振られても、振られても、年甲斐
もなく、あゆみのお尻を追っかけ回す情熱にお応えいたしましょう。今
日は敬老の日とのおふれを出しておきます。」
「でも、お賽銭は払ってくださいね。神代も年金の破綻や天界財政の破
綻で、八百万の神が瀕死の状態ですのよ。」

お賽銭は持ってきていますが、小遊太さんのように、お賽銭を取る人が
いるようで、扉が閉まっているため、あげることができません。

川根温泉左岸、昨日、下流側の人が立ち込んでいたところ。
いれぽん。
囮が泳ぐとすぐにゴン、乙女。10秒もかかっていない。
神様のご威光か、はたまた、昨日立ち込んでいた人のお陰か。

奇跡は2度おきず。
2人の乙女を追加しただけ。
右岸瀬尻にいく。囮を取り替え、何往復したことやら。蹴られとぽっち
ゃんのみ。貧乏生活のぽっちゃんは骨身にしみる。
栄光の日を追い求めすぎた。

左岸大石も釣れず。左岸チャラに先客あり。左岸側に立ち、チャラ上流
を上飛ばしで釣っている。オラは下流側にはいる。
苦節5時間、女子高生がやっと釣れた。2匹追加。

もう、電車の時間が気になる。
最後は抜く里護岸前にする。
目印が大きく円を描き、ガン。しかし、囮だけ。針折れか。8号の針は
健在。こんな激しい蹴られは2回目。蹴られよりも、バレ、針折れの危
険の方がよい、と、7.5号に代える。

囮君は健気に泳ぎ回ってくれる。しかし、神はオラを見放された。
神様曰く「神にできることは、あゆみをあなたの前に差し出すことまで
ですよ。悪い腕につける薬もなければ、神の恩寵もありませんよ。」
ああ、きびしいなあ。ナンパ道は。

ということで、2日で9匹。今回の計測はすぐに終了。21才1匹、サ
ビ5.

島田の三ツ合町に、囮が置いてあるとのことですが、アッシー君がいな
いと、そこは利用できない。
ということで、寂しく、大井川のあゆみちゃんに別れを告げました。
   ゆく秋や  あゆのめにも   なみだかな
ではなく、
   ゆくあきや  ヘボのめにも  なみだかな
 


07年大井川のあゆみちゃん:20 No.[254] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/10/29 [月曜日] 21:16:30
10月28日
今日で、笹間渡の囮屋さんは終了、ということで、10時過ぎにつくと
、縁者が宴会の準備をされていた。

川根温泉左岸瀬肩附近。
水温21度。先週の18度よりも3度も高い。西風=木枯らし1番の吹
く時期に、台風が暖かい雨を降らせたためであろう。
富士川、安倍川が濁っているのに、濁り無し。
気温も高く、先週はカッパまで着込んだのに、セーターを脱いでも暑い


こんな異常な水温の変化にあゆみちゃんもとまどっているのかなあ。
釣れない。しかもオラの2匹釣れたのを見たオラより年配の人がすぐ上
に、そして、下流には若い人が入り、動けなくなる。
それでも、立ち込まずに釣っていてくれたら、そのうち去っていくだろ
うから、動けよう、と思えど、2人とも立ち込む。

万事休す。チャラで日永釣っている人が、瀬尻等に動いている。雨の降
る土曜日に網打ちが入ったとのこと。そのためか、余り釣れずに動いて
いる。

オラは、3匹目を遠距離恋愛で掛ける。そして、いつもの破局が。しか
し、今回は、鼻管下の中ハリスが切れていた。1号であるから、もつれ
てもほぐし使っていたが。
これで全ては終わり。

右岸瀬尻に移る。先週はすぐに釣れたのに、釣れない。やっと1匹。

監視員が、鉄橋上流のトロがおもしろい、といわれていたが、網打ちの
影響か、水温のおかしな変化か。

ということで、囮は確保できたが、前回とは違い、乙女に翻弄されるこ
とのない1日でした。



07年大井川:19 No.[253] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/10/26 [金曜日] 08:12:12
10月25日
今日は、駿遠橋下流、大和田上流付近までを釣るつもりでいた。
犬を散歩させているおなじみさんの話。
先日、前山付近とその下流にいったが釣れない。揃いの竿、いでたちの
人たちも釣れなかった、と。

オラが刺し網が入ったのか、と聞いた。前山前の分流のアユが1週間後に
はいなかったことが刺し網の可能性を持った理由であるが、アユを刺し
網に追い込むために投げ込まれる石が流れの中になかった、と話した。
おなじみさんは、アユを追い込むために、石を投げる方法と、竹竿で水
面をたたく方法がある、と。その竹は河原の林に隠してある、と。

竹竿で水面をたたく方法が行われると、刺し網の痕跡を見つけることは
できないことになる。
また、刺し網を行うのは1組だけでは、というと、ここで大声で話すと聞
こえる距離の所にも、刺し網をする人がいる、と。

ということで、またもや、抜く里へといく。
護岸前は昨日の2人が釣りきっているかも知れないが、やむを得ない。

幸い釣り残してくれていた。
乙女(きんきらきんのおっさんもいるが)を5匹釣り、気持ちええわ。
余裕で、トンネル横チャラにいくが、舟からタモに飛び出したのは、24
才、一度はたいた、尻尾から、胸ビレまで真っ黄色にしたきんきらきん
の、色欲丸出しのおっさん。

このきんきらきんのおっさんに女子高生がちょっかいを出してくれたな
らば、オラの老いらくの恋にも希望を持てるが。
護岸前を数十メートルのぼっても、誰にも相手にされなかった色欲丸出
しのおっさんに、チャラの女子高生どころか、乙女もちょっかいを出す
わけがない。当然、オラの老いらくの恋の可能性も夢と消える。
なお、最初にこのおっさんを囮に使ったとき、尻尾の黄色は消えたが、
他の場所のきんきらきんと大きな追い星はそのままであった。

一箇所気になる場所がある。
駿遠橋のすぐ上流、右岸の、砂利の中に大石が転がっているところ。
今年の大井川の最後かも知れないため、悔いを持ち越さないように、根
掛かり放流を覚悟して、女子高生を入れる。

水深は2m以上、底まで見えるがゴミは見えない。
大石の所に女子高生が行くと、どこからともなく、2,3匹の鮎が現れ、
囮と並んで泳ぐ。もし、大石に囮をくっつける操作ができれば、こらあ
、と突っかかってくるのであろうが。あゆみちゃんは、囮を偵察するだ
け。

何個目かの大石に囮がいった。
キラッ   ガン   強い引き。
両腕に、渾身の力をこめて抜いた乙女は、24才豊満美女。
うれしや、うれしや。
いろんなことがあったが、苦労が一変に消し飛んだ。

28匹のうち、
24才  豊満美女2,きんきらきんの色欲おっさん1
23才乙女1   22才3,   21才4.
女子高生は数匹。

サビが出たのは、10匹+α。
水温18度で、一昨日よりも1度下がっている。まだ、6月上旬の15度前後
の水温よりも高い。
釣り人も、研究者も、相模川以西の太平洋側の海産あゆみちゃんの性成
熟、産卵時期について、湖産や継代人工とは異なることに、気がつくの
はいつのことであろう。
産卵時期の誤解は、下りの集結、産卵行動のときの共生時期に行われて
いる投網、コロガシの大量殺戮から親を保護する手段の判断を誤らせる
ことになろう。
取り敢えず、相模川での12月再解禁をやめるべきであろう。四万十川の
ように。

今回、乙女が主流になり、また、錆び鮎の比率が前回よりも多くなった
のは何で?
水温が19度以下になったから?
性成熟が進んだ段階のあゆみちゃんが好むところを釣っていたから?

来年は、大井川に放流されている鮎の種別について、少しはわかるよう
になるかも知れない。
20世紀の終わり頃、水の戻った大井川は、ダム上流と支流を除いて、新
大井川漁協管内では放流は行われていなかった。
昭和橋の囮屋さんが、第二東名の橋脚工事補償で、人工が放流された、
と聞いて、こっちに放流してほしい、といわれていた。
日釣り券500円、年券3000円の頃は、釣れるあゆみちゃんは遡上鮎、と、
種別に悩むこともなかった。
今は放流が行われ、海産馴致といわれているものの、大井川河口で採捕
されたものだけではないのかも知れない。



07年大井川:18 No.[252] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/10/26 [金曜日] 06:58:53
10月24日
囮缶を借りているから、舟には20才くらいまでのあゆみちゃんしかいな
いため、囮を取り出すときの気苦労をしなくてすむ。
トンネル横の、幅30m、長さ100mほどのチャラには、所々頭大の石があ
り、波立ちのあるところもあるが、どこで、どのように操縦すれば釣れ
るのか、わからないところであるから、入りたくはない。しかし、抜く
里が空き家の可能性がるため、囮を入れる。

釣れない予想はよく当たる。見てくれの良いところ、あるいは、右岸側
から、等、あっちこっち囮を動かすが、釣れる人はあとから来た立て竿
の人と、毎日族さんだけ。
立て竿の人が取り込みに下るのを見て、逃げ出す。

抜く里護岸前にはいる。
ここは釣れている人を見ることはあるが、その上流のザラ瀬の方が好み
のため、9月のダム放流後は見るだけであった。
7月のダム放流で頭大の石がびっしりつまった状態になったが、9月のダ
ム放流で砂利の中に頭大の石がある状態になったことも敬遠する理由に
なる。

しかし、根掛かりで流れに入ってみると、水深の変化があり、また、頭
大の石がつまったところもあった。

22,3才の乙女2匹を含む9匹の乙女が釣れて大満足。
午後、オラが釣れているのを見ていた、ザラ瀬の人が1人移ってきた。そ
の後、昨日、ザラ瀬で大漁であった人も移ってきた。
オラは、飲まず、食わず、出さず、の我慢の釣りには無縁であるため、
腹減ったあ、飲みたいい、と、腹とあゆみちゃんとのデート心との格闘
が始まった。

トンネル横に移る。やっと、ここで女子高生が釣れた。
腹は、もう、我慢の限界、と騒ぐ。ということで、夕方を待たずにあが
る。

昨日の合計は12,今日は10。
そのうちの多くが乙女。こんなに乙女にもてるとは。乙女はロマンスグ
レーが好みなんかなあ。
にやにや、にたにたしながら酒を飲んで時間を過ごす。

久しぶりに大井川で釣りをした寿司屋さんは、先日鍋島に入ったとのこ
と。良いヘチがあるが、立ち込んで釣っている人がいる。その人は釣れ
なくて、移るはず、と判断し、釣っている人の状態を見ていた。
予想どおり、その人は移り、ヘチで8匹釣った。

しかし、アユに落ち着きがない、と。網が入ったのではないか、と。
網が入ると、小石がひっくり返るから、白い小石があるところは網が入
ったことがわかる、と。
また、昼網では、数がとれないため、夜網をする、と。
投網と、刺し網、コロガシがなくならないかなあ。制限できないかなあ

少なくても、あゆみちゃんの大量虐殺だけはなくしてほしい。



07年大井川:17 No.[251] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/10/26 [金曜日] 06:20:50
10月23日
川根温泉下流には、左岸チャラに毎日10匹ほど釣っている人が、瀬尻に
2匹釣った人が、右岸瀬肩には立ち込んで釣って、釣れると左岸まで戻る
人が、そしてオラと同時に釣り始めた人が瀬肩から釣り下っていく。
左岸瀬肩には舟が置いてるが、あいているからそこにはいる。

前回とは違って、すぐには釣れない。女子高生さん、遊んでえ。
願いむなしく、いきなり乙女。これで終わりかも知れないので、箱入り
娘にする。

つよい引き。河原に立ち、両腕でベッドに運んだのは、24才豊満美女。
養殖を囮にしていて助かった。ここで24才が遊んでいるとは想定外。
次も乙女。

蒸気機関車が鉄橋を渡ったから、オラも右岸に渡り、瀬尻にいく。そこ
の人が昼食で車に戻り、あいているので、その下流にはいる。すぐに乙
女2匹。
それを見ていた昼食の人が戻ってきて、また、左岸にも地元の人が入る
。2匹の乙女を追加して、下流に行く。
左岸大石の所は釣れないであろうが、上流から下流へと、囮を入れてい
く。乙女が1匹残っていた。

左岸チャラは釣れない。3匹のみ。女子高生は住所変更をしたのであおる
か。
抜く里右岸ザラ瀬を右岸側から釣っているうまそうな人は、よく釣れて
いて、ときには下り、そして抜くまでに時間が掛かることもあった。
しばらくその人の釣りを見ながら、オラが明日釣ろうと思っていたのに
。その人は左岸も釣りきっているのであろう。困ったなあ。

トンネル横には釣り人はいなかった。
女子高生を求めていたのに、3匹だけ。乙女は豊満美女を含めて、6匹。
囮屋さんから借りた友缶にあゆみちゃんを移し、宿前のブロックに沈め
る。時々盗む人がいるとのことであるが。



07年大井川:16 No.[248] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/10/19 [金曜日] 21:00:30
10月19日
大井川の特徴となる場所がそろっている抜く里にはいる。
上流左岸に沿って流れるチャラにいく。アッシー君はその下流左岸のブ
ロック前の水深のあるところを釣る。まだ、ヘチの重要性には目覚めて
いない。とはいえ、そこの石1個で1匹ずつ3匹釣る。

オラは18,9才を2匹釣るがそれ以降、バレ、蹴られで、上流へとあゆみ
ちゃんと散歩に出かける。
大石が転がり、24,5才の乙女が出没するところにいく。
あゆみちゃんが、あなたもしつこいわねえ。お嫁入り前で忙しいの。だ
いたい、9月の終わり頃から、しつこく通っていいるけど、24,5才の乙
女は少ししかいなのよ。あんた以外のしつこい男が日々やってきて、誘
惑するから、もう、お嫁入り前の乙女はいないわよ。
当然、しょぼくれて、チャラに戻る。

チャラで、7.5号の4本碇の2本の針が折れた。今年、何回か、1本は折れ
ているが、1本折れたときと同様のこつん、というだけの、石を掻いたの
か判別できない現象があるのみ。
2本も折れるとは。人工対応と思われる昨今の細軸、ふれガカリの針とは
違い、相当古くからある針であるのに。

どんなあゆみちゃんが折ったのか、あるいは、たんに逆針が切れない刺
し方をしていたからなのか、確認したくて、8号にするが、女子高生が釣
れたのみ。女子高生は、蹴られても、蹴られても、健気に働く。
8号のチラシに代えても蹴られはなくならず、下流のザラ瀬右岸に逃げ出
す。

ザラ瀬上流のヘチで18,9才2匹。もう、バレよりも蹴られをなくしたい
、と、またもや宗旨替えをして、7.5号4本碇にする。
ここで、寸法はそれほどではないが、体高の鮎あゆみちゃん等、20才位
を主体に、6匹。計9匹。
アッシー君は、9匹釣るも2匹を根掛かりと丼で放流。
そして、護岸下流の落ち込みではアユカケまで釣る。ぞうきんを釣った
、と思ったとのこと。

水温19度。1週間がたつごとに1度ずつ下がっている。しかし、気温はそ
れよりも低く、今日は、上着の上にカッパを着ている。それでも寒い。

夜明けの散歩のときに、オリオンが中天の少し西に見える頃は、大井川
のあゆみちゃんとの別離の季節。しかし、サビが出ているあゆみちゃん
は少ない。囮屋さんは、今日入荷した鮎で終わり、という。オラは囮屋
さんが釣った鮎を用意して、という。
川根温泉下流瀬落岩盤のところで釣れた27才が3匹、囮屋さんの水槽で泳
いでいるのを見て、大井川のあゆみちゃんにさようなら、とはいえない
。まして、今生の別れになるかも知れない。
ということで、来週来るときは電話をする、ということで、合意をした


アッシー君と釣った30数匹のうち、
20才10匹    22才2匹   23才1匹
サビの出ているもの、さび始めは9匹。サビが顕著なあゆみちゃんはその
うち2,3匹。

20,21日はテク2らがあゆみちゃんをたぶらかせていると思うと、気が気
ではない。飛んでいってあゆみちゃんを助けたいが、ボデーがいうこと
をきかない。夜中に足がつるも、枕元に置いてあるローションを塗りす
ぐに回復したが。
残された人生もあゆみちゃんとの逢う瀬も残り少ない。来週もがんばる
でえ



07年大井川:15 No.[247] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/10/19 [金曜日] 20:05:07
10月18日
今年できた中津川のあゆみちゃんファンクラブ構成員で、大井川初体験
者が今回のアッシー君。
バイパスが途中渋滞したため、下りて、笹間渡のどこかの地名でのナビ
を開始したところ、どんどん山中に入っていく。結果は、10数年ぶりか
で、笹間川の上流を見て、と、とんでもない道中となった。

昭和橋上流にはいる。
アッシー君は、昭和橋上流1kmほどの、連休の大入り満員にもかかわら
ず、23匹を釣ったテク2がいたであろう附近に、オラはその500mほど下
流にいく。

アッシー君には、ヘチは重要なポイントである、舟は1箇所に置き、ビニ
ール袋に釣れたあゆみちゃんと囮を入れて、舟まで河原を歩くこと、針
は7.5号以上を使うこと。細糸にこだわるな、等を指示したが、どの程
度守られたことやら。

オラの場所は、9月15日のダム放流で、本流が分流に、右岸崖沿いの分流
が本流になっている。しかも、石が埋まり、大石等が食料の供給源にな
っている。
さらに、2人の網打ちが来て、その時は幸いにも、新規分流で数回打った
だけで去っていったが。

大石の頭で18,9才が2匹。しかし、その1匹を囮にしたとき、石と石の
間に吸い込まれる。助けにいく。急に深くなる、やばい、と思ったが、
砂が崩れる。少し流れる。幸いすぐに足がつき、また、タイツであるた
め、煙草が濡れただけですんだ。

ということで、この場所では18,9才位を5匹釣ったところで逃げ出す。
アッシー君は、左岸に沿って流れる瀬尻近くにいるが、芯を狙っている

釣れなくて、3匹の囮が弱り、左岸沿いのトロでやっと釣れたとのこと。

オラは、右岸河原からすぐに20才位を2匹。そのあと4連チャンのぽっち
ゃん。1匹はあと10cmで河原に落ちていたのに。運のええあゆみちゃん
や。
バレの原因は、トロに上流からではなく、横から長い範囲で落ちている
肩を、沖に向かって、竿と糸がへの字になるくらい、沖を釣っていた。
その状態で抜くには遠距離恋愛となり、オラの金銭負担能力を越える。
やむを得ず、少しでも近くに寄せてから抜こうとするが、水深10,20c
mでは、あゆみちゃんが身をくねらす等の変な動きをする。そのような
状況で委細かまわず抜いたから、と思っている。

結局あゆみちゃんとのデートはこの場所で5匹しか成功しなかった。アッ
シー君は7匹。
右岸からの流れは、石の状態はよいが、ぴくりともしない。網が打たれ
たのであろうか。

ドラちゃんは、今年の鮎を釣る方法が遡上鮎とは異なるから、海産馴致
が多い、といわれた。また、遡上鮎と、海産馴致では容姿にも違いがあ
る、と。その説明は聞き漏らした。
オラも遡上鮎の目印をすっ飛ばす行為が少ない、とは思っていたが。



相模川の終わり No.[246] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/10/14 [日曜日] 17:40:19
10月14日
あゆみちゃんは一杯いるが今日で漁期は終わり。
下りのための集結、産卵のための集結、それらのあゆみちゃんをコロガ
シや、投網のように、あゆみちゃんの意思を無視した手法によるジェノ
サイドの漁法がなければ、友釣りだけであれば、漁期が長くても良いが

コロガシや投網が行われることから、海産の下りの集結の前に禁漁にす
ることは適切といえよう。

弁天の瀬肩上数十メートル上流左岸にはいる。
流れも、石も申し分なし。右岸のテクニシャンが釣れても、眺めるだけ
。しかし、瀬でも釣れている人とそうでない人がいるので安心。
その上流の水深10cmほどの所では20匹前後が数人出ていたが、視界の
外であるため、気にならず。

ということで、見てくれの良いところに入ったつもりのオラは、18歳前
後を6。
見てくれの良い瀬でも、見てくれの悪そうな人が沖に歩いていくところ
のチャラでも釣れるひとがいるとは。
遡上鮎様々の今年でした。

午前に終わるが楽しい1年でした。狩野川の前に、また大井川のあゆみち
ゃんに会いに行ってきます。

なお、3時頃から、ヘチのチャラを釣った人で10以上の人もいました。遡
上量が多いとは、ありがたいこと。
その多くの親が生んだ仔魚が海で育つのか、どうか、それは神のみぞ知
る。


故松沢さんの思いで:8 No.[267] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/12/02 [日曜日] 09:19:46
故松沢さんは、狩野川でのしのぎをさぼって、長良川にも出かけていた
。何が故松沢さんを長良川が引き寄せていたのであろうか。
前さんは、「鮎に憑かれて60年」に「岐阜・郡上の名手 古田萬吉翁と
語る」の章で、萬サ翁が語られたことを記録されている。

その前に、香りについては、垢石翁の「釣趣戲書」を読むと、ドブさん
が手取川等の川で昭和30年代までに経験されていたように、コケをハミ
始めてから、錆びるまでシャネル5番の香りを漂わせていたのではないか
、と推測できるのでは?。そして、珪藻の種別によって、香りの薄い川
もあった、ということではないか。いまや、長島ダムができた大井川、
宮が瀬ダムができた中津川でも、シャネル5番の鮎が一時期といえども釣
れることはなくなった。
米代川から安倍川に流れた人が、米代川の本流で、香りのするのは一時
期、といわれていた。米代川でも、香りを育む種別の珪藻が繁殖する時
期は、一部の支流をのぞいて限られた時期になった、ということであろ
うか。

「香魚」の「香」も、言葉は残れど、今はその香りの鮎はなし、という
こと。故松沢さんが最後にシャネル5番の香りを味わったのは、2,3年前
の藪下で釣られた鮎がテント小屋に持ち込まれたとき。
藪下は、昭和の時代には大入り満員であったが、いまやたまに釣り人が
いるだけ。故松沢さんは、藪下が鮎に嫌われるようになったのは、一本
瀬の上で、河床が盛り上がり、流れが溜まり水のような形状になったか
らではないか、と語られたことがある。
その藪下の左岸のお墓下附近に、山からのわき水が流れの中に湧いてい
るところがあるとのこと。水温が30度近くになったとき、そのわき水の
流れの筋で釣った人の鮎が、昔ながらの香りをテント小屋一杯に漂わせ
ていた、と。

味については、前さんが「一部の悪徳観光業者は『梁で取りました』と
いって養殖鮎をお客様に供したりするらしい。鮎をだまし、そしてお客
様をもだますのである。」
「素人衆の多くは疑いもなく『さすがに天然鮎は旨いナー』と味わって
おられると聞けば、ずいぶんと腹立たしい話である。」
との意見で十分であろう。比内鶏の燻製がブロイラーの廃鶏を利用して
いても、気づかれない、わからない、という状態が鮎の食世界でも当た
り前になっている、ということが利き鮎会で相模川の鮎がが準グランプ
リになった一因ではなかろうか。それとも、日本の川のコケが相模川並
のラン藻優占種になった、ということであろうか。

萬サ翁は、「天然は広い海で育ったで、性質が『ゆったり』しとるのか
、喰み刻のほかはあんまりボワん。しかし、いきなり体当たりをしてき
てカカる時もあるで、荒瀬では油断ができん。それに躰も『イカイ』(
大きい)し、特に尾ビレがイカイで、引きが強い。」

「ー天然は顔が長く、湖産は丸顔ー」
「昔、といっても終戦までは、天然遡上の鮎は放流も含めて現在(注:
昭和48年頃のことか)の50倍くらいも八幡まで来たものだ。大きいのも
のは140匁(525グラム)、100匁(375グラム)クラスは幾らでも釣れた
。その頃の鮎はどういうわけか、各支流へは余り溯らず本流に居ついた
。そこで忘れもしない昭和九年、支流の吉田川へ琵琶湖産を試験放流し
たところ好成績であった。以後、各支流へも湖産を放流するようになっ
た。そのとき『萬さ』は鮎の顔を見て、こんな表現を用いたのである。

このことからも、垢石翁の「身丈は短いが、頭が小さく肩の付根から、
むっくりと肉が盛り上がって腹が圓く膨れ、」という水成岩の川で育つ
鮎の表現も、人工の短頭とは否ものである。
湖産と海産の顔はオラには区別がつかない。故松沢さんは、オラが持ち
込んだ鮎の人工との識別に、顔の長さをまず判断基準とされていた。と
ころが、容姿は全く遡上鮎と同じというアユがいた、と。その鮎の背び
れを持つと、帆掛け船であったから、人工と判断されたこともあったと
いわれていた。継代を重ねていない人工の生産技術が向上したことから
、オラには識別困難な人工が増えるであろう。ドラちゃんは、今年の大
井川に放流されていた海産馴致まで識別されていたが。

「脂ビレから下が細長くなって尾ビレが大きかった。これからはますま
す見られなくなるじゃろ。寂しい事じゃが仕方あるまい。」

故松沢さんが集荷場に鮎を持ち込むと、尺か、と居合わせた人たちが騒
ぐ。故松沢さんは29cm止まりと推定していた。計測結果は泣き尺。
故松沢さんが郡上八幡の名人兼雑貨屋兼釣り宿(仮に、服部さんとして
おく)の所にわらじを脱いでいた頃は、すでに、100匁の鮎が釣れること
は少なくなっていたということであろうか。
そして、珪藻が大鮎を育てない、ラン藻が大鮎を育てる、というオラの
先入観も間違っていたということになる。醸造工場の廃液処理水が流れ
込む狩野川の上島橋下流で、その上流よりも大きい鮎が釣れたのは、釣
り人が少なく(松原橋も同様)大きく育つ時間を与えられていただけ、
ということであろう。相模川の人工が大きいのも、人工が縄張りを持つ
土地貴族ではないため、育つ時間が長くなる、ということではないか。



故松沢さんの思いで:7 No.[265] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/11/29 [木曜日] 09:07:12
故松沢さんは、釣り人がオラだけのときでも、昼には味噌汁を用意して
いてくれた。そして、ちょっと煮詰めすぎたから、塩辛いかもしないよ
、とか、(具の)何々はおいしくないかも知れないよ、ごめんね、とい
われた。
しかし、オラは味音痴であるから、故松沢さんの言われたことを知るこ
とができない。故松沢さんも、オラが掛け値無しの味音痴と認識されて
、あゆみちゃんの味については、話されることはなかった。

その味音痴が味について、云々するのは筋違いと分かっているが、ラン
藻と珪藻を食する鮎の味が異なるのは当然、と思っていた。ところが、
利き鮎会で、相模川の鮎が準グランプリになったと知りびっくりした。
最初は中津川か、と思ったが、相模川の鮎とのこと。しかも、準グラン
プリになった05年、06年は、遡上鮎が釣りの対象となることはなかった
年で、人工放流アユが川にいただけ。
05年は、県産の継代人工が死んだようで、解禁日でも釣り人がいなかっ
た相模川である。浜名湖産といわれる人工と、宮城産といわれる人工が
、その後、釣りの対象とはなったが。
06年は、愛知県産、富山県産、成魚放流の宮城県産がいて、県産の継代
人工はどの程度生きていたのか。

ということは、あゆみちゃんの氏素性は、味には関係なく、氏よりも育
ちということであろうか。その育ちもラン藻優占種の川であるが。

佐藤垢石「釣趣戲書」の「鮎の質と石の質」の章に、「火成岩の層に源
を発している川に育った鮎は、香気甚だ少なく、肉が軟らかであります
。理由について断定的には申されませんが、水成岩から湧き出る水は、
火成岩のそれに比して、一層清冽であります。それから水成岩の水に発
生する珪藻は火成岩のそれより上質でかつ豊富であろうと、考えられる
からであります。」
また水成岩の方が表面が滑らかで、なめやすい、と。
「そこで(水成岩の川で)育つ鮎は、香りがまことに高く、肉張りが実
に豊かで、しかもしまって居ります。身丈は短いが、頭が小さく肩の付
根から、むっくりと肉が盛り上がって腹が圓く膨れ、いかにも飽食した
かのような形を備えておりますが、〜」

後段の記述だけを読むと、人工と間違える人も出るのではないか。海産
鮎の水泳岩と火成岩で育った鮎に見ることのできる違いの記述という視
点をふまえることが適切な読み方であろう。
垢石翁は、当然、人工鮎のことは語らない。石の違いまで、味に関わっ
ているという。

前さんは、「水問題とダム」の章で、「和歌山の日置川は、日本中の鮎
釣り師たちのメッカのようにいわれていますが、ダムができて女性化し
てしまった。すぐ東にある古座川はその昔、清冽ともいわれる水であっ
た。ここでもダム造りに賛成した人々が今では後悔をしている。支流の
小川の鮎を1匹食べると、ダムの水が流れる本流の鮎はもういらない、と
地元の人がいう。確実にダムが水を悪くし、鮎もまずくなってしまう。

とはいえ、いま、この味の違いを分かる人が何人にることやら。但馬牛
の名を知っていても、その味を知らず、と同じことであろう。

前さんは、別の章で「私が若い頃の吉野川は中流域の下市町付近でも、
きれいな流水で附近の皆は、ごく自然に川の水を飲んだものだ。現在、
水の汚れは『BOD』などと舌を噛むような表現をするが、昔は、その
水がおいしく飲めるかどうかがその目安であったと思う。」
昭和30年頃、芦屋のロックガーデンから、六甲、布引の滝に通じるトゥ
エンティクロスを下った。のどが渇くと、その流れの水を飲んだ。行き
交う人もいない時代であったが。

故松沢さんも、水質をBOD等でだけ評価することに疑問を表明されて
いた。腐葉土をとおり、ミネラルその他の栄養分を含んだ水に違いがあ
る、と。いまの水は下水と同じで、金のコケを育む水ではない、と。

故松沢さんは、長良川の集荷場に持ち込まれた鮎を選別するとき、九頭
竜川産の鮎をはねていた、といわれた。容姿に、九頭竜川と長良川の鮎
に違いがあるということ。当然、味にも違いがあったのであろう。
いまは人工放流の長良川。何を基準に選別をしているのであろうか。本
間さんが、長良川には友達がいるからいまでも行っているが、何が郡上
ブランドだ、といわれていたことを覚えている。容姿だけではなく、味
についても料理人としての本間さんには耐えられなかったのではないか


故松沢さんらは、白川であるが、富栄養状態で、水草の生えている狩野
川下流域の松原橋では、釣れる、ということで出かけ、大鮎を釣り、目
利きでない仲買人に持って行った。仲買人は、オラと一緒で、大きい、
素晴らしい、どこで釣った?と問うので、狩野川と答えた。
翌日、金を取りに行くと、旅館から返された、売れない、引き取って、
と。皆で有無をいわさず、代金を回収したとのこと。
当時は、味の分かる、違いの分かる料理人が一杯いたということ。
利き鮎会で、相模川の鮎が準グランプリに、しかも、人工鮎で、という
ことは、垢石翁の想像を超える現象であろう。
故松沢さんは、あきらめの境地であったが。鮎が悪いのではない、山の
保水力をなくすことをした人間が悪い、といわれていた。



故松沢さんの思いで:6 No.[263] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/11/24 [土曜日] 16:35:11
故松沢さんが、あゆみちゃんが命をかけて守っていた金塊に値する珪藻
がどのようなものであるのか。今西博士の本からは残念ながら、結論を
得ることができなかった。しかし、ヒントはある。ヒラタのうち、エス
キュラスとウエノイの水温を契機とする棲み分けと同様、珪藻とラン藻
が清浄な水と汚れた水で棲み分けをしている、別個に群落を形成してい
る、ということ、及び、それぞれの種別によっては、共存している水質
もあるのではないか、ということである。

川辺川に繁茂しているコケを調査して、ラン藻は4種類、珪藻は何十種類
、川辺川と本流が合流する下流ではラン藻が何十種類、珪藻が何種類、
と記載された本があった。この本のコピーをとらなかったので、図書館
で探しているが、見つからない。コピーしなかったのは、この調査結果
は、ラン藻、珪藻の繁茂量を表すものではない、との記述があったから

しかし、清浄な水の所と、汚れた水の所のラン藻、珪藻の種別を突号す
れば、清浄な水にしか繁茂しない珪藻、そこにも繁茂するラン藻、汚れ
た水にも繁茂できる珪藻、の仕分けができるのではないかと考えている
。 その仕分けの結果、阿部先生の調査が、両者の共存できる種別であっ
た、と分かれば、めでたし、めでたし、となるのであるが、それほど簡
単であれば、イワナ、ヤマメを求めて今西博士が5万分の1の地図が2回も
塗りつぶされるほど歩き、釣り回らなくても良かったはず。

とはいえ、ずぼら人間には、努力はしないで、成果だけを得たいもの。
今年の「つり人」に、村上哲生「エサから見たアユ  藻類で分かるア
ユ河川健康度」が掲載されている。
「付着藻類の種類構成は、河川の水質により著しく異なっている。塩分
、PH、汚濁の程度などにより、それぞれ特徴ある群集が形成される。
特に、河川の代表的な付着藻類であるケイ藻類は、水質変化に敏感に反
応し、なれた藻類研究者ならば、付着藻類を見て、それが生息している
環境を言い当てることができるほどだ。」

村上先生は、川辺川とその下流とのコケの種別の調査結果の記載を省略
して、鮎の胃袋の内容物から、珪藻と藍藻の棲み分けを書かれている。
「すでにダムが運用されている球磨川本流と、いまだ大規模なダムがな
い川辺川で捕獲されたアユの消化管の内容物を比較してみたことがある
。」
「両河川ではエサである付着藻類の種類構成が全く異なっていた。ダム
のない川辺川では消化管の中は珪藻類の遺骸で満たされていたが、ダム
のある球磨川では糸状のラン藻類でいっぱいであった。」

「ダム下流の川の付着藻類群集では、ケイ藻類よりもラン藻が卓越する
ことは、きちんとした観測データは少ないものの、しばしば見られる現
象である。ダム下流の水位や水温、水質の著しい変動がラン藻の生育に
適した環境を作り出しているのかも知れない。」
この指摘は、宮が瀬ダムができてからの中津川の珪藻の衰退から、よく
理解できる。そして、大井川では、長島ダムができてから、珪藻が優占
種ではあるものの、その種別がかわって、明るいオレンジ色に縁取られ
た尻ビレ等に蛍光色の青い線の入ったきれいに着飾ったあゆみちゃんが
見られなくなった、と想像している。藁科川でも、このように着飾った
あゆみちゃんは上流でしか見ることができない、との話もある。

村上先生は、中央水産研究所の阿部先生の研究報告を意識されているの
か、「一方、ラン藻類の優占は、ダムのためではなく、アユの過密な放
流によるものであるとの観測例もある。一般にラン藻類はケイ藻類に比
べて、増殖速度が速いと考えられており、アユによってしょっちゅう齧
り取られる環境は、ラン藻類に有利に働くためだ。」と書かれている。
大井川で、ラン藻が優占種にならないことは、過密になるほどアユがい
ないからであろうか。そんなことはない。06年は、名人たちは1日60以上
が常識。今年は、アユは少ないが、その分乙女が釣りの対象になってい
た。数は少なくても1匹あたりのコケ消費量は多い。

「ダム下流の球磨川での糸状ラン藻類の優占については、毎年同じよう
な傾向であり、また放流密度も球磨川だけで極めて高いわけではない。
違いの原因は、未だ不明のままである。」
研究者としての村上先生は、阿部先生の研究報告を否定される現象をあ
げておられても、ラン藻優占の原因を「不明」とされている。
素人のオラは、珪藻の繁茂に適する水であるか、ないか、の違いであり
、阿部先生の実験はたんに汚い水でも群落を造る珪藻の種別があり、そ
の後、少し清浄な水に繁茂することのできるラン藻の種別が優占種にな
った、という、限られた環境での現象に過ぎない、と考えている。とは
いえ、今西博士が、大家の唱えるイワナ4種説に異議申し立てをして、そ
の結果を得るまでにどれほどの労苦を費やしたことであろうか。
研究者の優れた感性と多様な環境の調査をされることを願うのみ。

なお、珪藻を摂取しているアユと、ラン藻を摂取しているアユの大きさ
について
「体長や体重には大きな差はなく、肥満度【体長/(体重)3乗】で若
干川辺川が高いとの結果を得た。」
対象となったアユが海産のくみ上げ放流か、人工かは分からないが。



故松沢さんの思い出
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Re: No.[264] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/11/25 [日曜日] 07:56:54
今西博士は、昭和45,6年頃、「魚釣りの範囲をもう少し広げて、せめて
鮎でも釣ったらどうかといってくれる友人もあるが鮎は中流魚であるこ
とが、山男の潔癖感に訴えて、なんだかその釣りの堕落を意味するよう
であり、それに放流した魚を釣るということになると、すでに釣りのた
めの釣りという要素が入ってくるような気がして、いまだに鮎釣りを見
合わせているのである。」

今西博士は1940年に「山登りとスキー」の看板を「探検と魚釣り」とい
う看板にかけかえられたとのことである。
この掛け替えられた看板が、中流域の鮎も対象となるように、もう少し
幅を広げられていたら、故松沢さんの口癖であった「金の塊」であるコ
ケがどのようなものであるか、その生息できる環境はどのような条件が
あるところか、今西博士の素晴らしい感性が解き明かしていたかも知れ
ない。

そうすると、オラは今西博士の本を読むだけですみ、また、村上先生も
中央水産研究所の「権威」に気を遣わずに、珪藻の種別の分布条件と鮎
の関係を語ることができたであろうに。
そして、珪藻の種別による鮎の香り、味について、故松沢さんの話され
たことや垢石翁の記述に関して「科学的」な見解を書きやすかったので
はないか、と想像している。

なお、放流鮎がすでに対象となっているとの認識であるが、それは湖産
であり、また、渓流に近い川を意識されているため、遡上鮎を対象とは
想定されなかったのではないかなあ。
オラは、人工放流を対象とするとき、気が進まないから、狩野川が平成
の世になり、放流河川に成り下がってからは、大井川に行くようになっ
たが、大井川でも放流が行われるようになった。残念。



故松沢さんの思い出:5 No.[262] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/11/24 [土曜日] 08:45:16
今西錦司「イワナとヤマメ」(平凡社ライブラリー)を読んでいる。
今西博士が、おサルさんとマナスル登頂に関わっていることは知ってい
たが、ヤマメやイワナにも関わり、当時の常識を作り上げていた大家の
説を間違っている、と、山を歩き、釣りをして検証されていたとは、素
石さんの「遙かなる山釣り」を読むまでは知らなかった。
もちろん、オラの関心は、故松沢さんの言われていた「金塊」である珪
藻に関わる記述がないのかなあ、ということであるが。この期待は、今
西博士の観察が昆虫から始まっているため、夢となったが。

「渓流にいる水生昆虫の幼虫は、何もカゲロウの幼虫ばかりではないし
、またカゲロウの幼虫がヒラタばかりでもない。」
「このヒラタと呼ばれるエペオラス(注:ローマ字での表記もされている
が、全て省略します)の幼虫は、カゲロウの幼虫の中でも、特に急流に
適応したものの一つであって、川底にころがった角のとれて表面のすべ
すべした大礫の上に棲んでいる。ところでイワナやヤマメも、渓流魚と
はいうものの、渓流の中ならどんなところにでもいるというわけではな
い。」
「しかるにヒラタにもいろいろあって、その中でももっとも急流部の大
礫に見いだされるものに、エスキュラスという種類とウエノイという種
類があるが、おもしろいことにはこの二つがちょうどイワナとヤマメの
棲み分けのように、一つの渓流を上下に棲み分けているのである。」
このヒラタの棲み分けは、「イワナとヤマメの分布境界線における水温
としてあげた、最暖月の最高水温セ氏一三〜一五度というのは、またま
さしく、エスキュラスとウエノイの分布境界線における水温にも当たる
のである。」
「〜これを生態学では、イワナとエスキュラス、あるいはヤマメとウエ
ノイは、それぞれ同じ共同体の構成要素であるという。」

この同じ共同体の構成要素には、「エスキュラスはイワナのいない渓流
にもいる」、あるいは、激流の大礫の上には、他の幼虫もいる等の例外
も記述されている。
そして、今西博士は、イワナの分類と分布にかかる大家である大島博士
の説がまちがっちょる、と、昭和四〇年頃、渓流も歩く。そして、釣る


今西博士の結論は
色彩変化について「同一種のイワナがその分布範囲内で、実に見事な、
連続的な色調の変化を表している。」
「類型的には斑点のないのが北日本型、黄色の斑点があるのが中部日本
型、柿色の斑点があるのが南日本型、というようにしておいた方が、そ
れぞれのイワナにわずらわしい別名を冠するよりも利口であろう。」
「いつかの昔には、日本のイワナも全部海に下ってアメマスになってい
た時代があったのだけれども、その時南の方から順次海に下らなくなっ
て、陸封されたところに今見るような南日本型や中部日本型のイワナを
生じた。そして今では、北日本の一部だけに、今も海に下ってアメマス
になっているものがある、〜」
「これはやっぱり同一の種だ。同一の種類の地方差にすぎないのだ。そ
うすればせっかくではあるが、私は大島博士が別種として取り扱うため
に新しく造られた、ニッコウイワナとヤマトイワナという名前を、ここ
らで返上しょうと思う。」
このように、日光イワナとか、ヤマトイワナとかの名を冠して、四種の
イワナがいるとの大島博士の説を否定されている。

なぜ、日本に複数のイワナの種がいるとの説になったのか。
「このビワアマゴとサクラアマゴの分布が、関西ではー九州をのぞきー
太平洋流域と日本海流域というように、たいへんはっきりした棲みわけ
になっているため、これが悪くいえば先入観、よくいえば学者の作業仮
説になって、こんどはイワナの方まで、太平洋流域に注ぐ川の上流にす
むイワナにはあかい斑点があり、日本海流域に注ぐ川の上流にすむイワ
ナにはあかい斑点がない、といわれるようになった。」
とのことである。

故松沢さんが、学者先生の説に必ずしも同意されないことがあったが、
オラも同感で、経験主義者のオラは、「仁淀川川漁師  弥太さんの自
慢話」や「鮎に憑かれて60年」の方が適切な観察をされていると判断し
ているため、「湖産」として購入したから、早川に放流された鮎は「湖
産」である、と判断して疑わない研究機関等の見解にたてついている。

今西博士が渓流を歩いている頃(昭和40年代前半頃まで)、まだ、他の
場所からのイワナ、ヤマメの人間が介した移住事例は少なく、さらに、
移住の事実は特定できている。鮎のように放流が一般化されなかったの
は、イワナ、ヤマメの養殖がニジマスと違って容易ではなかったこと、
根尾川から尾根を越えて運ぶ等、自動車による輸送ができずに大変であ
ったこと、まだ釣りきられていなかったこと等が、影響しているようで
ある。
もし、鮎のように地域差等を考慮せず、人工の氏素性に関心を持たずに
、そして自動車による運搬が可能な現在において、今西博士が渓流を歩
いたとしても、大家の説を覆せる標本が手に入ったか、オラは疑問に思
っている。

「鮎に憑かれて60年」の著者:前さんは、昭和41年頃今西さんを招かれて
いる。その席には、珍客があると知らされていた素石さんも同席をされ
ている。
「前氏はご商売の薬種を集めるため、実によく方々を歩いておられ、と
くにお国元の大峰山脈については、その詳しいこと、全く掌をさすがご
としである。」
「例えば、白川又谷のどの小谷の奥と、旭ノ川のどの谷にとには、間違
いなしにイワナがいますよ、といわれてギョッとし、私と素石氏は顔を
見合わせたまま、開いた口がふさがらなかったのである。このことを知
らせてやったら、紀伊半島におけるイワナの分布を調査した、五条の御
勢久右衛門氏はどんな顔をするであろるか。」
「前氏はまた、揖斐川のシロについてもよくご存じで徳山村あたりでは
、やはり十一月頃が盛期である、とのお話であった。」



故松沢さんの思いで:4 No.[260] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/11/17 [土曜日] 20:29:56
ドブさんが、3丁目の夕日の頃の能登近辺の川のあゆみちゃんの容姿、香
りの事例としてあげられた手取川も、ダム建設で今も昔の珪素の種別が
、栄養素が残っているか、不安である。

山本素石「遙かなる山釣り」(産経出版)の「ほろびゆく川」の章に、
「この手取渓谷だが、両岸の壁は渓谷の名にふさわしい見事なものだけ
ど、肝腎の水がなけなしに細っている上にひどく濁っていた。工事のた
めである。渓谷と名のつくところに泥水が流れているのは何ともそぐわ
ぬ景観で、いかにも情けない気がする。上流へ行けば何とかなると思っ
て遡ってみたが、行けども行けども川らしくならない。憎らしくなるほ
どの導水管の連続である。水は谷よりも遙かに高いところをパイプで運
ばれ、ところどころで川へ吐き出されるが、すぐまた堰堤に遮断されて
次の送水管へと吸い込まれていく。
 川底をさらけ出した水のない川というものは、畳を剥ぎ取って床板を
むき出しにした座敷のような感じがする。この川は『手取川』というの
だそうだが、実を伴わぬ名はよして『水取川』と改めるべきである。」
(1966年10月)=昭和41年

素石さんは、アマゴ、ヤマメ、シラメ、ビワマス、イワナの関係、ある
いは、分布と容姿の地域的な変移等を釣りながら調べており、今西錦司
博士の研究協力者の一人でもある。手取川にも何度も出かけており、ダ
ム工事によるイワナ、ヤマメ、ビワマスの絶滅、あるいは生態系の変貌
を危惧されている。

ダムができて、手取川の水質=故松沢さんがいつも言われていたBODやC
ODといった学者先生が問題とする水質ではなく、金の塊を生産していた
水質・水に含まれていた栄養素が、ドブさんが闊歩していた頃のまま維
持されているとは考えがたい。ということは、ドブさんが高度経済成長
の影響を受けない能登近辺の川で釣っていたシャネル5番を振りまくあゆ
みちゃんは、今は昔のお話になっているかも知れない。

故松沢さんには、今年の「つり人」に掲載されていた高橋勇夫「アユに
優しい川床を取り戻す」と、村上哲生「エサから見たアユ  藻類で分
かるアユ河川の健康度」の写し等を送ってあり、11月にその記事に係る
意見を聞くことができると楽しみにしていた。
故松沢さんは、自らは、昔の川、鮎状態を語ることはされないため、オ
ラが具体的に、適切な質問をしないと、故松沢さんが経験された事例、
現象を聞き出すこともできない。その点、コケについては、適切な経験
を聞き出せたか、疑問ではあるが。

いまはなくなった金の塊を生産するコケがどんなものか、知りたいとは
思うが、珪藻がアユに食べれらてラン藻が優占種になる、との現象が普
遍的である、とする研究報告からは故松沢さんの学者先生のいうことに
どれほどの価値があるのか、と、言うことになる。

矢幅弘一「下手の横好き『鮎釣り』の上達法則」(講談社α新書)の「
第3章 気合いと見きわめが勝負を分ける釣り場」の章に、阿仁川上流の
比立内川でのことが書かれている。
途中寄った比立内川の25センチクラスのの鮎、肌がぬるぬるでつかめ
ない、強烈な香り。あれほど美しい鮎にはいまだかってお目にかかった
ことがありません。風の便りでは、平成17年も比立内川の美鮎は超人気
だったそうです。熊が出没してもおかしくない山深い清流には8月半ばか
らはアブが襲来し、釣り人は近づけなくなります。


宝くじが当たったら、比立内川に行ってみたい。そこには金塊を生産す
る水があるのではないかと思っている。
宮本常一「忘れられた日本人」には、今はもはや見たくてのみることの
できない村落での生活が、人と人の関係が記録されている。
常民文化研究所にかかわった人たちの本は、速見融等「歴史の中の江戸
時代」、網野良彦「無縁・公界・楽」あるいは直接の関係はないかも知
れないが、「中世の罪と罰」が気に入っている。
「中世の罪と罰」には、泣く子と地頭には勝てぬ、の、地頭の横暴の例
証として引用されているあで河荘百姓言問い状について、学校で教えて
いることとは異なる見方が書かれている。
@ 言問い状の宛名は、山林荘園領主あてで、地頭が女の子らの耳を切
り鼻をそぎ、と脅して勧農を強制するので今年の山からの材木の切り出
しはできない。=山年貢が払えない
A 百姓らは、山に逃散し、女の子らがムラに残り、食糧を運んでいた

B 詐欺罪には肉刑もあるから、逃散の偽装を詐欺罪と見れば、地頭の
脅しは合法である。
等、材木が儲かるか、農業が儲かるか、あるいはどっちの年貢を優先し
て収めるか、の領主間の争いを利用して、百姓が利益を得ようとしてい
る文書、というような記述であったと思う。

なぜ、阿部先生は、今も、昔も、川の水に含まれる栄養素が同じという
前提で、実験結果の川での検証をされたのであろうか。
そして、BODやCOD等の水質基準では判断できない水質の領域、コケとか
かわる領域がある、と、故松沢さんのように考えることが適切ではない
かと考えている。
ただ、それを検証できる川は、熊との出逢いもあり得る、という環境に
しか残っていないかもしれない。
常民文化研究所は、社会現象の領域ではあるが、現在と昔の文化=th
e way of life  が異なり、昔の文化は消えていくから
、今のうちに記録しなければならない、との渋沢敬三、柳田国男らの考
えに基づいて組織化された団体である。
コケにしても、アユの姿態、香りにしても、まだ、ダムができる前の状
態を知っている残り少ない人から聞き取りをしないと、「利き鮎会」平
成15年、16年の準グランプリに相模川の鮎が入っている、ということが
不思議と感じる人もいなくなる。
「違いの分かる人」「目利き」がまだ残っているうちに。



故松沢さんの思いで:3 No.[259] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/11/12 [月曜日] 08:14:15
アユが自ら創る生活空間ーアユと付着藻類の相互作用を通してー」に
おけるアユがコケを食することによって、ケイ藻からラン藻への優占種
の遷移が行われている、との現象を普遍化する阿部先生の評価は間違っ
ている、と考えている。

その理由は
@ もし、ケイ藻からラン藻に優占種の遷移が行われているのであれば
、シャネル5番の香りはラン藻優占種の所でも、質の優れた香り、と、強

さの現象が体験できるはずである。しかし、ラン藻が優占種となってい
る昨今の川でシャネル5番の素晴らしい香りをかぐことはなくなっている

A ラン藻が優占種とはなり得ない水質での検証がなされていないと考
えている。検証がなされた木曽川、千曲川の場所の記載がないため、ど
のような水質の所かは想像でしかないが、その場所がアユ釣り場であれ
ば、千曲川では、相模川並の水質、コケであると、経験上、推定してい
る。したがって、昔の川の水質、コケの状況を検証したことにはならな
い。

「3丁目の夕日」の舞台が用意されていた昭和30年代、能登から流れてき
た1本針でドブ釣りをしているドブさんの話。
ドブさんは、手取川や犀川等でドブ釣りをしていた。町中でもアユはう
じゃうじゃいたが、釣り場は、手取川では、土石流で流されてきた百万
貫岩附近から上流とのこと。その附近の石の色は、ケイ藻の繁茂を表す
黄色ともいえなかった、と。むしろ、石そのものの色に近かった、と。
その色であっても、ツルツルにコケがついていた、といわれた。

そうすると、ケイ藻の種別によっては、黄色みが薄く見える種別もあっ
たということか。そして、そこでは、錆び鮎になっても香りがあった、
と。したがって、そこにアユがいるときは、四六時中、香りが川面から
漂い、川から離れたところにもスイカの香りがしていた、と。

「アユの体表の黄色はゼアキサンチンというカテロイド系の色素に由来
している。この色素はコケ(付着藻類)に含まれていて、アユが食べる
ことで体内に取り込まれ、体表に黄色みが出る。」「このゼアキサンチ
ンはコケの中でもラン藻に含まれていてアユの主食のようにいわれるケ
イ藻には全く含まれていない。」(今年の「つり人」から)
ドブさんに、手取川等で、シャネル5番のかぐわしい香りを振りまいてい
たあゆみちゃんの体色をきくと、追い星の黄色を除いて、白かった、と


ドブさんの経験からも、ケイ藻が優占種で、ラン藻に遷移することのな
い川が昔は存在していて、今はなくなった、あるいはわずかに生き残っ
ている、ということではないかと考えている。
高橋先生は、金アユを探しに、赤石川に行かれたが、赤石川の石の色、
そして、コケはどのようであったのであろうか。ラン藻に遷移していた
のであろうか。

故松沢さんは、昔の大見川の水はきれいであった、といわれていた。そ
の大見川の水に繁茂するコケはケイ藻だけではなかったのか、聞きたか
った。
また、長良川その他の川で、香りがぷんぷんする所の石の色、コケのこ
とを聞きたかった。

道志川の水源の森に生活排水が流れ込んでいる、とテク1が気がついた。
流入地点はすぐ上流のようであった。そのため、石の色は、増水後の水
量の多いときを除いて黒かった。
しかし、上流側に本流の流れ込みがなく、伏流水の流れの中にある石の
色は黄色、あるいは、薄い黄色で、石の色が勝っている、というように
見えた。
このような川がなくなった状況で、「アユが摂食して、ケイ藻がラン藻
に遷移する」ということを普遍化する評価は間違っていると考えている


しかし、昔の川、水質、コケ、アユの姿態と習性等を知っている人があ
と何人生きておられるのであろうか。研究者の間違いに気がつく経験を
持っている松沢さんが亡くなられて、オラの本物とは何か、目利きの練
習をする機会は大きく減少することとなった。



故松沢さんの思いで:2 No.[258] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/11/05 [月曜日] 08:47:34
中央水産研ニュースNo.28(平成14年3月発行)に、「アユが自ら創る
生活空間ーアユと付着藻類の相互作用を通してー」に、アユを収容して
いない実験区では「実験期間中、常に珪藻が優先し、最終的にCocconei
s placentula、Cymbella Turgidula、C.protrata,Melosira Varians
およびNitzschia yuraensis の優占する群落が形成された。」
「一方、アユを収容した実験区では、アユの摂食によって現存量が抑制
され、かつ、対照区で優先していた珪藻類に変わって糸状ラン藻Homoet
hriz janthina の優先する群落が形成しされた。この糸状ラン藻優占
群落の形成は、実験という特殊な環境でのみ認められるわけではない。
木曽川で調査を行ったところ、アユの摂食圧が高い場所、いわゆるアユ
によって磨かれた石ではH.janthina 優占群落が形成されていることが
観察されている。すなわち、アユは、藻類を摂食することによって、付
着藻類群落の現存量を抑えるばかりでなく、珪藻優占群落から糸状ラン
藻優占群落へと質的な変化を引き起こすことがわかった。」

もし、この阿部信一郎さんの研究報告が、適切な観察、あるいは、古の
川の状態を示しているとすれば、亡き師匠らが、何で、水のきれいな川
を求めていっていたのであろうか。
ラン藻を食べているのであれば、なぜ、珪藻ではなく、ラン藻が優占種
である相模川と、宮が瀬ダムがなかった頃の珪藻が優占種であったであ
ろう中津川とで、アユの香りの質に違いがあったのであろうか。ラン藻
が優占種であるはずの相模川の方が強いシャネル5番の香りを振りまいて
いるあゆみちゃんがいたはず。しかし、相模川のアユはシャネル5番では
なく、キュウリの香りであった。

ということで、珪藻の群落がラン藻の群落に変化することを普遍化する
阿部先生の評価には経験上同意できない。とはいえ、あゆみちゃんの振
りまいていたシャネル5番の香りについて、数人の釣り人に古の状態を聞
いた結果、まだよくわからないことがわかった、という状態。アユが川
に入ってきて、去るまで、川にはシャネル5番が漂っていた、川から離れ
たところにも漂っていた、等、の話もある。そのようなコケを育んでい
る川がなくなったであろうから、検証することは困難。高度経済成長の
影響が及ぶ前の川を知っている人から聞き取りをするしかない。

今年の「つり人」に、高橋勇夫「アユに優しい川床を取り戻す」の記事
の中に、「ナワバリアユはなぜ黄色い?」のコラムがある。
「アユの体表の黄色はゼアキサンチンというカテノイド系の色素に由来
していてる。」
「このゼアキサンチンはコケの中でもラン藻に含まれていて、アユの主
食のようにいわれるケイ藻には全く含まれていない。ケイ藻ばかり食べ
ているアユは黄色くならない。」
そして、阿部先生のケイ藻からラン藻優占種への遷移を引用されて、「
ナワバリアユは一定の場所のコケを食べるので、ナワバリ内はラン藻の
卓越したエサ場になりやすい。そのためラン藻に含まれるゼアキサンチ
ンを多くとることになり、結果として体表の黄色みが強くなるのである
。」

真っ黄色のアユがラン藻を主食としているから、とすれば、相模川のア
ユはいつも真っ黄色、藁科川上流のアユはいつも真っ白、大井川も同じ
、となろう。
しかし、真っ黄色の鮎が釣れるのは常時ではない。食糧が1つの要因とし
ても、なぜ、真っ黄色に発色することも、しないこともあるのか。

故松沢さんの経験した話
狩野川城山下の淵は、昭和の終わり頃でも石がつまっていた。今は砂底
であるが。その淵に流れ込む一本瀬では、夕方の時合いになると真っ黄
色の鮎が釣れた。その時は、掛け針を尻尾よりも内側に打つ、と。そう
すると、頭掛かりとなり、活き締めと同じになり、鮮度が保て、また、
てがえしが早くなる、と。
その時、囮はどうするの?と聞くと、錘をつけて沈めればよい、とのこ
と。もっとも、沈めるだけではなく、操作をしているのであろうが。
その時合いにやってくる真っ黄色のアユは、一本瀬に縄張りを作ってい
る縄張りアユではなく、淵から差してくる鮎、とのこと。
故松沢さんは、淵の中の光線の加減ではないか、と想像されていたが、
わからない、と。食糧の中の栄養素とは直接の関係はなかろう。

オラの経験
今年の奥道志解禁日2日目からの水源の森
2日目は、真っ黄色のアユが主体。3日目は少し、その後は無し。
10月終わりの大井川では、真っ黄色の衣装をまとって、1回はたいた色欲
丸出しのおっさん。この真っ黄色はなぜ?そして、他の鮎は追い星だけ
が黄色いのはなぜ?そして、囮に使用していくと、尻尾から黄色が消え
ていったのはなぜ?

もし、ラン藻と関係があるのであれば、ケイ藻がまだ優占種として、ラ
ン藻群落に遷移することのない川では、どうなるのか。また、同じラン
藻を摂食していて、発色するのと、しないアユとの違いが出るのはなぜ

そして、故松沢さんが真っ黄色のアユの事例として話された現象は、ナ
ワバリアユではなく、差しアユである。



故松沢さんの思いで:1 No.[257] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/11/04 [日曜日] 08:20:10
狩野川城山下の松沢さんが亡くなられた、と、今年中津川にできたあゆ
みちゃんファンクラブの方から知らせていただいた。

故松沢さんに、本物のあゆみちゃんのこと、そのあゆみちゃんを育んで
いた栄養素を含んだ山からの浸みだし水の大切さなどを話していただい
て、20年ほどになる。
今年も、本物のあゆみちゃんが振りまいていたシャネル5番の香りがいつ
頃していたのか、あるいは、いつ頃からその香りが始まり、薄れ、ある
いは、変な香りになったのか、話を聞くため11月から、狩野川に通うこ
とにしていた。

 河川環境の変貌とあゆみちゃんの変化
故松沢さんは、現在の河川環境、その中で生活をしているあゆみちゃん
と、古のあゆみちゃんが同じではない、とよく言われていた。
この意味を十分に理解できたとはいえないため、今も困っているが、少
しでも、故松沢さんが言いたかったことを理解したいと思っている。

故松沢さんのあゆみちゃんとは、人工鮎は本物の鮎ではない、というこ
とで対象外。湖産も線香花火、と表現されていたように、必ずしも鮎本
来の性格、習性を持っていないといわれていた。
もちろん、本物の鮎とは、海産遡上鮎である。湖産を「線香花火」と表
現されたのは、その攻撃衝動の強さで、オラのようなヘボの操作する囮
にも攻撃してくること、その結果、釣りきられる速度が速いことによる


狩野川の解禁日に18cm級が釣れた、との故松沢さんの話も、オラを
悩ませている。6月に18cm級で釣れる遡上鮎とは、オラの経験にはない

この現象を考える上で、オラは次のように考えた。
@ 川の水量が現在の倍ほどあり、食糧の量が現在の倍はあった。また
、石の表面積も現在の埋まった石が多い状況よりも何倍も大きかった。

A 珪藻の種別・優占種が異なる、あるいは同じ珪藻であっても、その
珪藻に含有されている栄養素が、現在よりも優れていた、量が多かった


B 鮎は、格差社会で、大ききなるものはどんどん大きくなる。
継代人工は、大きさを揃える飼育が行いやすいとのことである。それで
も、ある年の神奈川県内水面試験場の水槽に入っていた9月中旬産卵の継
代人工は、2月始めは全員そろった大きさであったが、4月には、16cm
級1匹と、その少し小さいのが数匹、そして、その他大勢、という構成に
なっていた。

今年、相模湾で採補された海産稚魚は、相模川漁連への販売だけではな
く、養魚場にも販売をされていた。オラは、海産稚魚は漁連にしか販売
されないものと思っていたため、遡上量の推測量を間違えたが。
養魚場に販売された海産稚魚の飼育において、成長における大きさのば
らつきが大きかった、とのこと。もし、均等な大きさに揃えるには、絶
えず大きさの選別を行い、大きさ別に、別々の池に入れる飼育方法を必
要とする、と、養魚場の人が話されたとのこと。その飼育方法が行えな
いため、9月にその時期としては小さい16cm級の囮が囮屋さんに置かれ
ることもあった。

このように、食糧たる珪藻の量と質、そして、鮎の土地貴族にならんと
する習性が、5月下旬の解禁日でも、18cm級が釣れたのではないか、と
想像している。
そして、故松沢さんらは、あゆみちゃんを売って生業としていたから、
18cm級が釣れるところを、あゆみちゃんにとっての一等地を釣ってい
たから、ということではないか。

「18cm級」のあゆみちゃんに関しても、現在では経験できないこと、
検証できない現象であろう。
そのような状況を考慮しないで、研究者、釣り人が、あゆみちゃんのこ
とを誤解する、あるいは、人工鮎等の手段を用いて、古に存在した現象
の一面を実現しょうとしていることには、故松沢さんは懐疑的であった
、と思っている。殊に、現在狩野川漁協が行っている人工鮎に頼る釣り
人を釣る営業の仕方には。

故松沢さんが、食糧の変化で語られていたことは、現在のコケはすかす
かのおからのようなもの。昔のコケは金塊であった。命をかけて守る価
値があった。今のコケは鉄くずで、ほしければ持って行け、という価値
しかない、と。
おからは、今の機械絞りになる前のおあからはおいしかったと思うが。
とはいえ、食糧の変化があゆみちゃんの行動等にも影響しているのでは
、ということで、「コケとあゆみ」を書き始めたが、古のコケを語るこ
とのできる人が一人、また、この世を去られ、オラの疑問が一層解決困
難になった。
しかし、故松沢さんらに教わった、「違いのあること」に気がついてい
るだけ、「ラン藻はケイ藻に比べてタンパク質の含有量が多く」とか、
「アユがコケを食べ始めるとケイ藻が減少し、かわって糸状のラン藻(
ビロウドランソウ)の群落へ変化する」とかの研究成果、試験結果の評
価を読むと、ほんまかいな、と思ってしまう。千曲川で実験の成果を検
証した、となると、平成の千曲川のコケの状況を見たことのあるオラに
は、千曲川がラン藻が優占種の川であることは当然、他方、大井川でも
ケイ藻が優占種のはず、藁科川上流では、ケイ藻が優占種のはず、と、
研究者の報告に異議を唱えたくなる。



故松沢さんの思いで:11 No.[270] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/12/08 [土曜日] 09:10:39
長良川に稼ぎに行った故松沢さんのことろに、地元の漁師が1升瓶を下げ
てやってきた。故松沢さんが一杯釣っていたため、話を聞きに。
故松沢さんは、その人達が使っていた針について、馬素をハリスに使っ
た碇で、ハリスが硬いため、唐傘のようであった、と。オラがチラシを
使っていた遙か前に碇針があった。
他方、故松沢さんは、子供が使うくしゃくしゃのナイロンをハリスに使
ったチラシ。

狩野川衆が継ぎ竿を郡上八幡に伝えて、郡上八幡衆が自転車で宮川等に
出かけたと、大多サは語られているが、 お互いに情報を交換することは
、その後も行われていたのであろう。とはいえ、郡上衆にとってはもは
や過去の仕掛けとなった長い手尻に、なよなよのハリスを使用したチラ
シの主が大漁であると知って、びっくりしたのではないか。

故松沢さんは、囮取りをするときは0.3号、そのあとは0.8号を使った
、と。絡みの良さを考えてのこと。この仕掛けでもハリスが飛ばされな
かったのは、鼻管上の中ハリスに3箇所の結び目を造って、囮の大きさに
合わせてその中の1つのこぶの所にハリスをチチワで結わえたこと、さら
に、掛かりアユが上流にすっ飛んでいくから、最初の大きな負荷がハリ
スに掛からない、ということであろうか。

ハリスの長さは、鼻管上の結び目の位置で調節できるとして、囮の尻尾
から出すハリスの長さはどのように調節していたのであろうか。亡き師
匠は、逆針の固定に接着剤を使用していなかった。マニキュア?を使用
していた。そうすると、逆針の位置を調整できる。故松沢さんもマニキ
ュア?を使用されていたのではないか。このことは聞き忘れた。

故松沢さんは、チラシの針先が下に向くようにするには、逆針の向きを
いじらなくても、右から差して針先が下に向かなければ、反対側の左か
ら差せば下向きになる、と。これはオラが試すとうまくいかない。逆針
を差すときの角度が作用するのであろうか。それとも?
丼大王に聞きたいが、これからはいつ会えるのか分からない。去年まで
は、休みの日に行けば、11月23日まで逢える機会はいっぱいあったが。
馬素は、平成の初期までは売っていたが、今は見ることはない。もし、
硬いハリスが適切であるのであれば、馬素使用者も存在していて、今で
も販売されているであろうから、故松沢さんのしなやかな、柔らかいハ
リスの方が絡みがよい、ということは理にかなっていたのではないか。

萬サ翁は、「『今年は(昭和62年)遊びで鮎カケをしてはじめて判った
んじゃが、友釣りのカケ鉤は“蝶鉤”が好いようじゃ。オトリの下を横
切った野鮎にぴったり吸い付く感じでカカってくるんすよ。吸い付くか
ら間違いなくカカる。遊びで釣りをすると気持ちに余裕があるから、い
ろんなことを試してみるんすよ。遊びの釣りは楽しいもんじゃ。そんで
蝶鉤の好いことが判った。渡世で漁をしているうちは、やっぱりゆとり
がないんすなあ。』
 『萬さ』からシカケばなしが出たのは後にも先にもこのことだけで、
あるいは最初で最後かも知れない。漁を仕事にしていたときと、この日
では『萬さ』の表情も違っており、川魚への『慈しみ』ともいえる温か
さが滲みでていた。」(前實著「鮎に憑かれて六十年」)
故松沢さんが、血気盛んなまっちゃんから、仏のまっちゃんに変わった
のも、漁をやめて、囮屋さんになってからであろうか。
また、「川魚への慈しみ」の情は、故松沢さんにも強かった。

なお、萬サ翁は、エビス鮎についても語られている。
故松沢さんは、エビス鮎が釣れると、翌日のオトリ取りが、そして大漁
が約束されている、と。その前祝いに飲みに出かけたかどうかは聞き忘
れたが。
「『肛門から尾ビレにカケて急に凹んでいるのは、戎鮎でなく、ペッシ
ャンコ鮎じゃ。戎鮎は躰全体がフナのように丸くて、それぞれのヒレの
間隔もバランスのとれた鮎じゃ』」
 前さんは、昭和62年、江川で釣った戎鮎の泳ぎっぷりを確かめるため
、「水勢の強い瀬に戎鮎をオトリとして放してみると、なるほどよく潜
ってゆく。普通の鮎はオモリを必要とするのにグングンと泳いですぐに
野鮎がカカった。戎鮎は強い。もう一度行け!と出してやるとクックッ
と押しの強い水を掻き分けるように潜った。そのとたんにグンと手応え
があった。迂闊にも竿をためる余裕がなく対岸に走られて0.6号の糸が
高切れをした。もったいないことをしてしまった。逃がした魚は大きい
、とはいうが、かけがえのない標本を失って、しばらく茫然としたもの
である。」

故松沢さんは、戎鮎がオトリに最適といわれたとき、尻尾を激しく振る
から、と説明をされていた。泳ぎが達者なことについては語られなかっ
たのではないか。とはいえ、健忘症甚だしいオラが忘れただけ、という
ことかも。
故松沢さんは、戎鮎が役目を終えると、神棚にまつったとのこと。
今年の大井川で釣れた奇形は戎鮎であろうか、それとも、人工に多いペ
シャンコ鮎であろうか。前さんは、戎鮎とペシャンコ鮎の絵を描いて素
人にも判別できるようにされておられるのに、オラは戎鮎かどうかの観
察をしなかった。そして、そのとき、丼でもしていたら、前さんとは違
って、逃がした魚を残念に思っていたであろう。



故松沢さんの思いで:10 No.[269] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/12/05 [水曜日] 14:05:02
故松沢さんは、金の塊のコケが川に繁茂していた頃、1番鮎が占拠してい
た場所を虎視眈々と、2番鮎、3番鮎が狙っていて、1番鮎の動静を絶えず
監視していた、といわれた。
前さんは、「『萬さ』と語る」の章で
「空き家になったら、すぐに引っ越して来る。『あそこがええ、あそこ
がええ』とねずらって(狙って)たのが『今度は自分が行く』とやって
来るわけや。30分か1時間たたねばボウようにならんがだいたい1時間や
な。」
そのような、金塊のコケはなくなり、鉄くずのコケになり、ほしければ
持って行け、という価値しかないコケになっては、鮎らしい鮎が育つわ
けはなかろう、と、故松沢さんはよくいわれていた。
さらに、遡上鮎が減り、人工が主役になれば、昭和40年頃の長良川の大
多サのように、竿を出さなくなろう。(井伏鱒二編「鮎釣りの記」の亀
井巌夫「長良川ノート」)

金の塊のコケがどのようなものか、オラには分からない。
しかし、珪藻と藍藻の違いは、相模川の石の色と大井川の石の色の違い
で、区別がつく。宮が瀬ダムのなかった頃の中津川の愛川橋上流も大井
川の石と同じ色であった。
巖佐耕三「珪藻の生物学」の、「「藻類とビタミン要求性」に、「ビタ
ミンB12とビタミンB1の両方または一方を要求する」ものに、珪藻が、
「ビタミンB12を要求する」ものにラン藻が含まれている。
このように、要求される物質が異なることにより、珪藻の種別にどのよ
うな変化が生じるか、分かれば、とは、思うが。

故松沢さんは、遡上鮎が満ちていた狩野川でも、垢ぐされがあった、と
いわれていた。オラは鮎が一杯居れば、垢ぐされはないと思っていた。
「珪藻の生物学」に「光合成の活性が光の強さに依存することはよく知
られている。珪藻の種類によって程度は異なるが、1万ルクス程度までは
光の強さにほぼ比例して光合成は大きくなる。しかし、それ以上の光は
光合成を阻害する。
このような光合成の光阻害は緑色系列以外の全ての
藻類に見られる現象で、2万ルクスの光では光合成がまったくできないば
かりか、短い時間でも死滅することがある。(ちなみに、快晴の海岸の
日照は5〜10万ルクスである)」

水と珪藻の関係については「珪藻は最後の強腐水性には生活できない。
その次のα・中腐水性に大量発生するものに、ある種のニッチア(Nitz
schia palea)が知られている。しかし、ほとんどの種はβ中腐水性か
貧腐水性の水、及び井戸水などの有機化合物を含まない清水によく増殖
する。珪藻はきれい好きの藻類であるといえる。」
狩野川の水は、貧腐水性の水、あるいはβ中腐水性に水ともいえないの
ではないか。

村上先生は、川辺川の鮎の胃袋から、珪藻の殻が出てきた、と書かれて
いる。オラは、その殻が、ラン藻よりも珪藻の摂取効率が悪くなる要因
となり、ラン藻の川よりも、珪藻の川の鮎が小さい、と思っていた。
しかし、「『肉はすべて草から(all flesh is grass)』は陸地の、『
魚はすべて珪藻から(all fish is diatoms)』は水界のエネルギーの
流れを端的に示している。珪藻は植物連鎖の出発点として優れているの
は生産量が大きいだけではない。

(1) 動物の消化器官内で分解されやすい。被殻が消化を邪魔するよ
うにも見えるが、この殻の微細な孔は消化液の侵入に都合が良く、2つの
被殻は容易に割れるし、中間帯や環帯もこわれやすい。


(2) 動物の栄養としてバランスが保たれている。タンパク質、糖類
、脂肪の比は、おおよそ100:50:15である。」
(以下略)
そして、村上先生は、川辺川とダムが運用され、ラン藻が優占種になっ
ている球磨川本流との鮎の大きさについて体長や体重に大差がない、と
、書かれている。

村上先生は「アユ独特のスイカやキュウリに似た香りは、アユの皮膚に
ある酵素が、脂肪酸を分解して、揮発性のあるアルコール類を作り出す
ことにより生じると考えられている。エサの付着藻類の香りが直ちにア
ユに移るわけではないのだが、脂肪酸の種類組成や酵素の活性は、当然
エサにも影響されるもので、エサの違いにより、間接的に鮎の香りに差
が出てくる可能性は否定できない。」


アユが摂食することで、珪藻からラン藻にコケの優占種がかわる、と研
究報告をされている阿部先生は、シャネル5番の香りを経験されたことが
あるのであろうか。とはいえ、今も、アユが川にいる間はずうっと川面
に香りを漂わせている川があるのかどうか、分からない。
そして、一時期に香りのする鮎が釣れていた大井川、中津川でも、香り
をする鮎が釣れなくなった。かすかに香りのするアユはいるが。

村上先生は味について
「アユの味との関連になると、もっと問題は複雑になる。若アユが旨い
か、脂の乗った真夏のアユを好むかは、人によって異なる。魚肉の中の
アミノ酸や脂肪の量を規定できても、美味しさを客観化した指標として
示すことはできない。やはり『官能試験』という標準化した味見、つま
り、保存や焼き方などを統一して利きアユをする方法に頼らざるを得な
い。

 不完全な標準化ではあるが、矢作川(愛知県)、高津川(島根県)両河川
のいくつかの場所で獲れたアユの味を比較したことがある。結果は、水

質汚濁が進んだ水域で採集されたアユは、明らかに低い点数であった。
先に述べたように付着藻類の種類組成は、水質により著しく変化する。
水が変われば、付着藻類の種類も変化し、それを食うアユの味も異なる
ようだ。」
故松沢さんが相模川に来たことはないが、相模川の人工アユが2年連続で
、準グランプリになった、と聞かれたら、どんな反応をしたことであろ
うか
。残念ながら、今年は解禁日しか狩野川に行かなかったから、分か
らない。
「本物の味を知らない人がどんなアユを旨い、と判断できるの?、狩野
川と相模川と似たようなもの、ということは、日本中同じではないの?
」とは、いわれないやろうなあ。

故松沢さんは、金塊のコケをはむ鮎が戻ってくることには、悲観されて
いた。
村上先生は「エサから見たアユ 藻類で分かるアユ河川の健康度」を
付着藻類の知識が増えたことで釣果に影響することことはないだろう
うが、アユの味を守るため、ひいては川の自然環境を維持していくため
にはぜひ知っておいてもらいたいことだ。いままで、川の研究者と釣り
人は、同じ川に入っても、違うものを見てきたように思える。そろそろ
お互いの知識を交換し、一緒に議論する場があってもいいのではないだ
ろうか。

と締めくくられている。
オラも同感ではあるが、現在の川ではなく、現在の鮎ではなく、金塊の
コケが繁殖していた頃のことを知る人がいない状態で、適切なあるべき
状態、あるいは存在していた状態をを再構築できるのか、不安である。
その一つが、阿部先生のアユの摂食による珪藻からラン藻への遷移説で
ある。シャネル5番の香りを経験されていれば、おかしい、あるいは普遍
化できる現象ではないと気づくことができるであろうが。古の川と鮎を
経験し、観察されていた松沢さんに頼ることはできなくなった。



故松沢さんの思いで:9 No.[268] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/12/03 [月曜日] 17:23:24
前さんは、「『萬さ』と語る」の章に、
「トロの群れ鮎は、『喰み刻』 になると瀬に出てくるんや。そんでトロ
の鮎を夜網で不意討ちしても『ここは恐いから寝れん』と、鮎はなかな
か利口なんすよ。そんで次の日は瀬に出てってしまうんよ。そうしたら
瀬の鮎の数が急に増えたもんで、他の鮎の地盤を荒らすことになって物
凄く友釣りにカカるんすよ。網がボッて(追って)友釣りにカカるわけ
や。
漁師が網で獲ってまったと心配することはいらん。淵やトロの群れ
鮎は『ゴチャゴチャ』とね、遡ったり下ったりして喰んどるだけでボア
(追わ)ないんすよ。」
と書かれている。

故松沢さんは、仮称服部さんに、明日行くから、と電話をした。仮称服
部さんは、釣れない、来るな、という。故松沢さんは、囮のような形の
ものを用意しておいて、といって、出かけた。
大石に腰掛けて釣るも、午前は釣れず。
昼頃、網打ちが下流から上ってきて、上流にいった。それから、120匹余
りの大漁となった。その場所は、水がまいているため、鮎がかかると、
流れを1周して、故松沢さんの前に糸が来るから、それをつまんで取り込
めたとのこと。

故松沢さんは、網打ちが戻ってきたとき、岩の上に置かれている弁当を
取って、と頼んだ。網打ちがとってくれると、鮎を20匹ほど渡した、と
。網打ちは、こんなに釣れるのなら、明日ここで釣る、というから、故
松沢さんは明日はもう鮎はいないよ、と。

宿に戻ってくると、仮称服部さんが、まっちゃん、鮎を持ってないか。
急に注文が来て納めなあかんようになった、と。
故松沢さんが、鮎はそこにあるよ、というと、素早く選別していたとの
こと。
仮称服部さんは、故松沢さんに、10万円余りのお金を渡した。故松沢さ
んは、仮称服部さんの気質を熟知されていて、そのまま受け取った。そ
して、仮称服部さんの雑貨店で、のし袋を購入して、2年前に亡くなられ
たおばあさんのご仏前や、子供さんの小遣いを包まれた、とのこと。

このときは、商売で郡上八幡にいったのではなさそう。仏のまっちゃん
にはほど遠い、ケンカぱっやい、血の気の多い年頃の松沢さんであった
から、オラのように、あゆみちゃんとの郷愁に浸るために晩秋の長良川
に行ったのではあるまい。とはいえ、釣れない、との名人の忠告を無視
して出かけていたということは、長良川に、生業とは離れた何らかの思
いがあったのではなかろうか。

長い間やっとっても雨の日、曇りの日いろいろの日があるが、それで
もその場所の喰み刻はかわらん

「それから夕立があっても 〜 こん時は目の前の浅いところに鮎はお
る、鮎は足もとからおるんすよ。濁っとるもんやで人の姿も見えんから
浅い所で安心して喰んどる。」

故松沢さんは、仲間達と一緒に郡上八幡にいったときも大漁であったと
のこと。
分流の沖にある大岩に乗り、よく釣れていた。仲間は、増水してきたの
で釣りをやめてその河原にやってきた。故松沢さんは、ぎりぎりまで釣
り、仲間に道具を投げて拾ってもらった。そして、泳いで河原に流れた
、と。
濁りが萬サのいわれるほどになっている前の状態ではないかと想像して
いる。このときは、稼ぎに来ていたから、危険と隣り合わせの釣りをし
ていたのではなかろうか。

「町から来る仁でも上手な人はたくさんおる。おるが、その仁らはカケ
ることはうまいが、取り込むのが下手くそじゃ。やわい(柔い)竿で無
茶に糸を長くするもんで、引き抜くことができん。なんぼでも引っ張ら
れるもんで〜」
「この辺の漁師は『郡上竿』の強いので釣るんすよ。〜なんぼじょうぶ
い『郡上竿』でもカケた瞬間に鮎を浮かせてまわんと駄目すよ
。〜」

故松沢さんの竿の調子は分からないが、手尻は一尋とっている。理由は
、長良川の囮は瀬をものともせず、沖に泳いでいく。故松沢さんは、急
流に立ち込むには、体格が伴わない。ということで、沖を釣るには手尻
を長くすることになる、と。
取り込むときはどうするか。故松沢さんも、萬サ翁と同じく、釣り方の
技術はみな同じ、ということであまり語らないが、取り込みについては
語ってくれた。

当然、引き抜きはできない。しかし、掛かりを手ではなく、目印で察知
して、その瞬間、手の甲を返す、とでもいうような動作をすると、鮎は
上流に走る、と。そこで、下流に引き戻して糸をつまめばよい、と。

手に掛かりの感度を感じてからでは遅い、と。ほんの一瞬の出来事を察
知し、動作をする、とのこと。
萬サとは取り込み方は違うが、オラのようによたよたと下って取り込む
ことはしない。
なお、「カケた瞬間に鮎を浮かせよ」とは、オラが大井川でいつもテク
2らにいわれたいること。そうはいっても、乙女の馬力は強いからなあ。



故松沢さんの思いで:12 No.[282] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/12/13 [木曜日] 10:23:59
海産鮎の産卵時期については、神奈川県内水面試験場が、「海産アユを
たくさん遡上させるための手引き」「アユ種苗の放流の現状と課題」(
全国内水面漁業協同組合連合会発行)に、10月1日頃から産卵をして、1
5日頃に流下仔魚の1つのピークを形成する現象を海産鮎によると評価さ
れ、あるいは、11月以降に早川、酒匂川で観察された鮎を湖産と評価さ
れていることは、間違っている、と判断している。

海産鮎の産卵時期は、故松沢さんは、西風:木枯らし一番が吹くと鮎はそ
わそわし始める、と。弥太さんは下りが始まると。

この原則に対して、どのような例外現象があるのか、故松沢さんに聞い
たことがある。

@ 10月上、中旬頃に産卵する。その鮎は下りをしないこと、また、卵
は腐る。

A 1月の雪の降る湯ヶ島で、蟹籠に美白のアユが獲れたことがある。
このうち、10月上、中旬産卵の鮎の存在が気になっていた。例外現象で
あるから、数は多くない。

ヒネ鮎かとも思ったが、前さんのヒネ鮎観察で、雌雄ともいるとのこと
であるから、授精の可能性はある。
萬サは「去年の十一月の中頃(注:昭和48年の前年)に鮎がたくさん死
んで流れた。その後に『ウグイ』を獲りに行ったら、吉田川(岐阜県)
との出合いの浅いところで、魚が『バチャバチャ』やっとるで、よく見
ると、鮎が産卵しとる。それも『ペシャンコ』の鮎や、その時に『人工
の鮎は、こんな所で瀬ずり(産卵)して、海に帰ることも忘れてしまっ
たのか』と思ったんすよ。それで、参考になればと何匹か獲ってみたん
やが、湖産などと比べて、卵がうんと少なかったのでよう覚えとるんや

 せっかく苦労して育てて、放流した鮎が、どうしてこんな鮎になって
しまったのか?」
「そんで本能まで忘れた鮎になってしまって雪の降る年末近くになって
も郡上辺りのこんな上流で産卵して、海へも帰らん。卵もかえるわけが

ないじゃろに。ほんにかわいそうなことやと思うとるんすよ。」
と、前さんに語られている。

オラの思いこみは
@ 昭和の狩野川は、鮎タビを突っつくほど遡上があったから、湖産放
流はしていても、人工の放流はしていない。
A 人工は、6月の解禁日に釣りの対象となる大きさに育っている必要が
あるから、また、「湖産」ブランドとして販売されているから、湖産並
の大きさになるように稚魚は育てられている。
B 海産は、その川の漁協にしか販売されていない。

しかし、静岡県で人工の生産が始まったのが昭和45年頃。当然、一部は
放流されていたのではないか。
萬サが観察された人工の産卵で、下りをしない、という現象は、故松沢
さんが語られた例外現象と同じ。しかし、産卵時期が異なる。
故松沢さんに、下りをしないアユの産卵を観察されたのが何年頃か、聞
こうと思っていたが。
卵が腐る、とは、なぜか。人工でも孵化する。萬サは低水温で孵化しな
い、と。狩野川では低水温が原因とはいえない。むしろ、20度以上、あ
るいは20度を境に変動している頃。内水面試験場では19度でも海産は孵
化するといわれていることから、水温、というよりも、1日の水温変化、
あるいは孵化期間中の水温変化を想定することになるのであろうか。

田辺陽一郎「アユ百万匹がかえってきた  いま多摩川でおきている奇
跡」(小学館)に、「一般に関東平野でのアユの産卵は、9月末から11月
初旬頃だ。2002年の9月末、私と賢さんと私との(原文のまま)、アユ探
しの日々が始まった
。」

「とうとうそのまま11月の声を聞いた。その日は、賢さんが名古屋で仕
事だったため、私は一人で産卵場を探していた。ずいぶん気温が下がり
水も冷たくなっていた。」
「と、目の前に広がったのは、信じられない光景だった。
 アユ、アユ、アユ…!   見渡す限り、辺り一面がアユだらけだっ
たのだ。いったい、昨日までどこにいたというのか。黒く染まった体が
水中に入り乱れ、うごめいている。間違いなくアユの産卵群だ。
 瀬の中一面に広がる群れは、ほとんどがオス。そこに銀色の体をした
メスが入ってくると、産卵が始まる。頭を川底につっこむようにして、
腹を砂利に押しつけ、雌雄ぐちゃぐちゃになって体を震わせる。こうな
ると動きが速すぎてどれがオスだかメスだか肉眼で追うことはできなく
なる。」

田辺さんは、学者先生のいわれることを信頼して、1ヶ月、無駄な観察
をしていた。いや、「〜をした」という現象だけでなく、「〜をしない
」ということも観察し、記録することが「プロ」の観察であるから、そ
の意味では、有意義な1ヶ月であったが。

湖産、人工、海産の性成熟、産卵時期の違いを意識せず、あるいは、意
識をしても、「湖産」を購入したから、「湖産」であり、人工も、海産
畜養も含まれていない、との前提で、評価をされる学者先生には、今年
の一文字「偽」を煎じて飲ませたいなあ。魚沼産コシヒカリの「ブラン
ド」での他の米の混入、比内鶏の看板でのブロイラーの製品、この現象
は、アユ稚魚の販売では昭和40年頃から常識であったはず。


1千万ほど遡上のあった相模川では、12月2日高田橋上流の分流で、
群れアユ崩しの人が60ほど釣った。美白とサビの比率は不明。瀬の人
は20cm級も。大鮎は釣れなかった、と。
カモメが10羽ほど来ているということは、弁天より上流にも産卵場があ
るのであるのであろうか。15日も10羽ほどの鵜の群れと数羽の鵜が、そ
してカモメもいたから、まだアユが残っているのではないか。

「アユの本」に記載されている10月中旬に海で観察されていた大量現象
に近い稚魚の現象がなぜか、分からなかった。海での観察であるから湖
産、交雑種は死んでいる。海産しかいない。その点では高橋先生と同じ
判断。しかし、弥太さんの経験とは異なる。弥太さんの経験に適合する
には、秋の彼岸の頃以降に増水したことが10月中旬での稚魚存在の条件
になる。とはいえ、これは下りをする条件ではあっても、下ったあと、
急に性成熟が進行し、どれくらいの期間で産卵行動をするのか知らん。
相模湾の小坪等で採捕された稚魚は、漁連だけに売られると思っていた
。しかし、養魚場へも、さらに他の川からも買いに来ていた、との話が
あった。そうすると、日本海の稚魚が四国に湖産として売られていたこ
ともあり得るのではないか。


故松沢さんが、長良川の鵜飼いのため、たえず、徳島からアユが運ばれ
てきた、といわれた。オラも、毎夜火振りをし、いつもアユが獲れるの
はおかしいと思っていた。そのアユの素性は、鵜にとっても、見物人に
とっても、食べる人にとっても、我関せず、ということであろうか




故松沢さんの思いで:14 No.[296] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/12/23 [日曜日] 06:20:10
村さんは、高遠を流れている天竜川の支流、三峯川で友釣りが始まっ
たときのことを次のように書かれている
。(「釣りの歳時記の「銀流香
魚」の章)

「小学校の三,四年ごろ、ヤナのアユの次に、アユの友釣りというもの
をはじめて見た。関東大震災のあった大正十二年より二,三年前のこと
であるからずいぶん古い。静岡県安倍川育ちのKという筏師が、三峯川
に仕事に来ていて、激流をのぼるアユの群れに気づいたのである。注意
してみると、どの瀬にも大きなアユがいっぱいついている。この土地の
アユ漁はヤナと投網の方法だけで、アユを釣る術を知らなかった
。Kは
安倍川で覚えた友釣りの心得があったので、投網の漁師に頼んで、種ア
ユを一匹捕ってもらい、それを囮に使ってはじめて友釣りを試みたので
ある。」
「私がこの友釣りを見たのは、Kがその異様な釣りをはじめて四,五日
たってからであった。」
「流れの中に弁天岩という巨岩があって、それに向かってぶつかるよう
に流れる荒瀬で釣っていた。町の人が珍し気に四,五人見ていた。料亭
の主人もいたが釣りにはまったく関係のないような人もいた。Kは半纏
に素脚であったが、一五分に一匹ぐらいの割でアユを釣り上げていた。
みんな固唾を飲んで見まもっていた。囮アユの鼻に通す鼻環は、今のよ
うな丸い針金製でなく、縫い針を短く切った撞木形ではなかったろうか
。」

なお、島村さんが鮎釣りを覚えたのは、昭和13年の夏で、多摩川。
そのころの多摩川の水は、「いまの奥多摩川の水の色と同じであるが、
さらに武蔵野の伏流水が加わっているためか、練ったようなやわらかさ
があった。(昔から多摩の遁げ水といって、広大な雑木林や草原、野菜
畑ににわか雨が降ると、あたり一面はたちまち洪水のようになり、小径
を歩くこともできなくなる。しかし、雨がやむとあふれるような雨水は
どこかへ流れ去るのではなく、短時間のうちに地表から土のなかに吸い
とられてアッという間に消えてしまう…この遁げ水が地下の伏流水にな
り、立川辺から下流の多摩川に湧水となったといわれていたが、いまは
舗装地表が多くなり、また下水工事や野川が完備して、伏流水はほとん
どなくなってしまったようだ。
)」
この伏流水が豊富であった多摩川の鮎について「当時の多摩川のアユの
香りはまたすばらしかった。水の質がよく、水成岩の石につく水垢も良
質だったのである
。」
「味はお世辞でなく、どこの河川にも負けないくらいによかった。」
「狛江を流れる多摩川のアユはちょっと小ぶりであった。しかし、秋に
なっての下りは大きかった。」

魚道の落ち込みに汚れた波の花のように、風で飛ぶ汚水の分身は、公共
下水道の整備によって、生活排水等の川への流入がなくなり、消えてい
く。そして、貧腐水水の水質になり、ラン藻から珪藻への優占種の変化
も期待できる。
しかし、山の保水力が減り、伏流水が減少したことによって、金の塊の
コケを育む何らかの栄養素を含んだ浸みだし水が川に戻ってくることは
ない。それが、故松沢さんが狩野川、ひいては日本の多くの川に、古の
鮎が戻ることがない、といわれたことの理由であった。今後、多摩川で
も、「香魚」を育む珪藻が生育することがあるとしても、特殊な条件に
恵まれたときのまれな現象ではないか。

なお、垢石翁は、多摩川のアユについて
「多摩川は優れた水質と岩質を持っていたから」「武州の多摩川で漁る
香魚が絶品なりとして、信ぜられてきた江戸から東京へ、であった。」
「〜の花崗岩の割れ目から滴り落ちた多摩川の源は、軈(やがて)下っ
て香魚の餌として最も上質な水垢を発生する武州の古成層地帯へ入る。

御嶽あたりでこの上等の餌を飽食した香魚は、味品の絶頂に達したの
である。

「ところが、近年多摩川の鮎は亡びてしまった。それというのは東京上
水道が完成したからである。」
現在多摩川の下流にせせらぐ水は、奥多摩川の清麗な水とは全く縁を
絶った田甫の落ち水や、泥垢の多い枝川の集まりである。何で上質の香
魚が得られよう
。」

羽村の堰上流については「今では、琵琶湖や江戸川から稚い香魚を掬い
来たって放流してゐるが、これは天然の香魚の味に比べれば極端に劣る
。香気薄く、徒らに脂肪ばかり豊富に乗って、串にさして火に焙れば、
鰯を焼くに異ならぬ
。」

垢石翁には、湖産であるだけで、海産畜養あるいはくみ上げ放流である
だけで、品位を下げるものとされている。こんな贅沢な評価された垢石
翁は、相模川の人工鮎が利き鮎会で準グランプリとなる現象を見ても、
鮎釣りを、鮎を礼賛されたであろうか
。鰯を焼く臭いは、5月連休に相模
川で行われている内水面祭りの18cm級の人工鮎から漂ってくるが。人
工は脂肪が多いと思うが、脂肪の多い、ぶくぶくの鮎が旨い鮎に評価さ
れるのであろうか。

高橋先生は、早く産卵行動を行うアユは大きい、と。この観察は適切で
あろう。しかし、相模川では、継代人工が10月1日頃から産卵行動を行っ
ているであろうから、遡上鮎か、人工か、湖産か、あるいは日本海の海
産か、の峻別を行わないと、現象は同じであっても、評価を誤ることと
なろう。



故松沢さんの思いで:13 No.[290] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/12/20 [木曜日] 07:57:12
「アユの本」に掲載されている10月中旬に海で観察された稚魚が、産卵
時期の早い日本海の海産が「湖産」として販売されていたであろう親の
子供と推測できるが、戦前、大正の頃のこととなると、見当がつかない


(1)島村利正「銀流香魚
「 春先の3,4月、浜松近くの天竜川の河口から、無数の群れをなしての
ぼってくる小アユは、やがて静岡県の県境を越えて信州南部に入り、多
くの支流にも群れを分かちながら、本流を目指す群れは、五月頃すでに
天竜峡を越えて伊那谷にはいり、七月から八月にかけて、天竜川水源地
の諏訪湖にまで到達する
。以前はどこにも本流を完全に堰止めるような
本格的なダムがなかったから、アユののぼりも自由だったのである。
々一八〇キロの激流をのぼってきたアユはすでにたくましく、体長は二
〇センチをこえ、体重も一五〇グラム級になっている
。河川遡上を本能
とするアユは、さらに諏訪湖を横切り、八ヶ岳山麓から湖に流れ込む、
宮川という小さな川にまで差しのぼったという。」
高遠を流れる三峯川は「水は青く冷たく、八月の中頃にはもう泳ぐもの
は一人もいない。そのころから川を堰止めて仕掛けられるヤナでアユを
はじめて見たのである。もう腹に赤味を帯びていて、町の人はそれを錆
アユといっていた。大きいのは三〇〇グラム級のものもいたが、水のあ
たたかい本流の天竜では、化物のような一〇〇匁(四〇〇グラム)アユ
も見られたという。」

「アユが錆色になって、腹にオスは白っ子、メスは卵をもちはじめると
、アユはすでに下りに向いて、三峯川では、九月の末にはもう姿を見る
ことはまれであった
。」
(伊藤桂一編「釣りの歳時記」TBSブリタニカ)

(2)垢石翁「釣趣戲書」の「アユの質と石の質」の章
「寸又川の石は、浅い黄色の垢がついていて、純粋な珪藻ばかりである
ことが分かります。その上水温の関係上、例年秋の半ばにならねば、垢
が腐るということがありません。
 そんなわけで寸又川の鮎は充分に食い、十分に育って、既に八月下旬
から九月上旬になりますと、下りに向かいます。同地方ではこれを寸又
川の『鉈鮎』と称しているのであります。幅が廣く肉が厚く、頭が小さ
いので非常に姿が宜しい。香気も高い
。」

(3)大井川:家山の寿司屋さんは、笹間ダムがなかった頃、八幡様の祭
りの頃=10月15日頃に、腹がぱんぱんに張った大鮎が釣れていた、とい
われていた。

これらの現象は、西風が吹いたあとの11月1日頃から始まる海産の産卵行
動との関係で、どのように考えれば適切であろうか。
狩野川では、雲金釣りの家の故大竹さんが、講習会で、稲刈りの頃=10
月10日頃に、鮎は再び瀬に戻るといわれていた。このことは、故松沢さ
んも、瀬で活発に釣れ出すと認められていた
。ということは、下りの集
結前の現象である。そして、故松沢さんは、西風が吹いた後は、釣れる
場所が日替わりメニューで、日々変わる、といわれていた。下りのため
の集結、下りの途中、そして、まだ瀬についているあゆみちゃん、と、
ポイントの変化が激しいことを表現されているのであろう。

故松沢さんは、鮎が下りをするときは、頭を上流に向けて、尻尾で安全
を確かめながら下っていく、といわれていた。障害物があると、下りを
中断する。それどころか、上流にすっ飛んでいく、と。妊婦が坂道を下
りることが大変なように、下りの鮎にとっても、下りは大変な注意力と
、慎重な行動を要求されているとのこと。


21世紀になって、上島橋の橋梁掛け替え工事の時、水がヒューム管で下
流に流されていた。その時、上島橋上流に下りを中断したアユが溜まっ
ていたため、釣り人がはいっていた。さらに、ある日、故松沢さんは、
早朝、上流に向かって泳いでいく大群を城山下の淵で観察されていた。
その群れがどの辺りまで戻ったか、分からない、とのこと。

青木の瀬の上流側に、11月1日頃(3日か、毎年特定の日)に、梁が掛け
られ、採補される場所に鮎を誘導していた。観光ヤナとは形状が異なり
、たんに通せんぼうをするだけ。高速道路の建設の時、そのヤナが狩野
川大橋下流に設置場所が変わった。そのヤナの流れに対する角度を見て
、あれでは、採捕場所にアユを誘導できない、と、故松沢さんはいわれ
た。また、そのヤナにびっくりしたアユは、修善寺まですっ飛んでいっ
た、と。
この頃の採捕量がどの程度であったのか、また再度下ってくるとき、左
岸側の梁のない流れを選択したのであろうか。気になるが、もはや、訊
ねることはできない。

増水で一気に下ることのない時、1日に下る距離はどの程度であろうか。
寿司屋さんが大鮎を観察されていた頃は、寸又ダムはある。笹間川の渓
谷から下ってきたものであろうか。井川ダムあるいはセッソダム(当時
既に建設されていたのか分からないが)の下流から下ってきたのであろ
うか。
とはいえ、8月下旬に下りが始まる、との指摘はオラの想像を超える。9
月中旬頃であれば、理解しやすいが。三峯川の状況は理解しやすい。
とはいえ、垢石翁の指摘を根拠に、即、海産産卵時期に関して、何らの
評価を行わずに適用することは、適切ではあるまい。さらに、湖産ブラ
ンドに人工、海産畜養も混入していた昭和45年頃以降においては、親の
種別を異にするアユが川にいたのであるから、遡上アユの産卵行動とは
峻別する作業が必要なはず。
気温が高くなり、現在は産卵時期が早くなった、という高橋先生の説明
は適切であろうか。戦前、あるいは、昭和30年以前との比較ならば、少
しは妥当性があろうが、昭和62年と平成の比較では妥当性に乏しい説明
であると考えている。



故松沢さんの思いで:15 No.[307] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/12/26 [水曜日] 04:27:35
なお、島村さんは、「私がアユの友釣りを覚えたのは、昭和十七年の夏
である。」「瀧井さんに伴われて最初に行った川は相模川で、津久井渓
谷下流の大島という場所であった。」とも書かれているから、昭和十三
年の多摩川でのアユ釣りはドブ釣りかコロガシかであろう。
「私は瀧井さんに友釣りを教えられて、すぐ夢中になった。近くの多摩
川は石が小さく、友釣りのできないのが残念に思われた。」

島村さんが素晴らしい味とたたえた多摩川の鮎も、羽村の堰により、下
流では水質が悪くなり、垢石翁は評価されていない。その垢石翁は、島
村さんが通うことになった相模川の鮎については、どのように評価をさ
れているのであろうか。

延長44里に「全く立派な石の露出を見せません。火成岩に終止してゐる
のであります
。試みに、平塚町東方の馬入川砂利採集場へいってご覧な
さい。悉くが、質の脆い、比重の軽い火成岩であります。この川の鮎が
、いかに貧しき食物に苦しみ来たってゐるかを知り得ませう。


「殊に山中湖の湖畔に浮く軽石は豪雨があると、桂川に流れ出します。
鮎は軽石を非常に嫌ふ。その軽石が相模川の磧に散在するのを見るので
ありませう。立派な珪藻の発生を見る理由を持ちません。」

そして、猿橋の下流に桂川水電発電所ができたため、「水量の関係によ
って猿橋まで溯る鮎は、全く稀となったのであります。殊に馬入村から
厚木町迄の間は、砂利採取船が四季を通じて、川底を掻き廻して居りま
すからあれでは鮎も溯れません。溯った鮎は辛うじて貧弱な珪藻を食っ
て育ったが、産卵場所を砂利掬ひで捏ねられるのですから、繁殖のいと
まがないといえましょう。」

ということで、相模川が垢石翁の興味の対象となる動機付けは何もない
。もっとも、ドブ釣りには垢が悪く、また砂がまいているから好適であ
るが、と。

今、垢石翁の評価基準にたえうる川がどこにあるのか、の問題はさてお
いても、砂利採集で産卵場が荒らされていた頃の方が今よりも遡上量が
多い、あるいは安定していたのであろう。
そして、垢石翁には「水質」を問題にするのは、多摩川の羽村の堰下流
の泥垢の水、という程度であって、それも、貧腐水水は当たり前、その
中でも善し悪しがある、ということが前提となり、質のよい珪藻の繁殖
と鮎にとり食べやすい石の質が評価の基準となっている。


「砂の流れる川は、元来良質の珪藻がない上に、砂のため絶えず珪藻が
洗はれるのです。」
「相模川は輝石安山岩と、白雲母花崗岩の、小石も満たされております
から、良質の硅藻を得ることができず」毛針で釣れる。

「水中にある岩を検して見る時、岩の肩即ち上流に向ひて流れを受ける
面ばかりをナメて、岩陰即ち下流に向ひて流れに淀みを作る面をナメて
ゐない岩がありますが、これは大部分火成岩に限られています
。これと
反対に岩の陰も肩も綺麗に、真っ黒にナメ尽くしている岩を見ますが、
これは大部分水成岩であります。水成岩は火成岩に比べて、泥垢まじり
の硅藻が付かないといふ事と、岩の面が概して滑らかでナメ易くなって
ゐる為、残す処なく食ひ尽くして終うのではないかと思われるのです

だから水成岩の層を上流に持つ鮎は、良質の硅藻が発生する点といひ、
岩が滑らかである点といひ、まことに恵まれてゐるのです。


また、道志川については「石は矢張り火成岩と白雲母花崗岩とで、火成
岩でも比較的質が硬いのであります。硅藻は相模原ほど泥垢は混じって
ゐません。それは、上流の水源林が長年月保護されてきた関係上、堆積
土が多い為めで、上流に洪積土を多量に持つ川の様に、洪水時に泥土の
流れを見ないからであります

 この川は鮎の育ちもよく香りも高い。しかし水量の関係で数は多くあ
りません。
 この川の鮎も、遠からず発電所の新設と、水道工事の為、昔の俤はな
くなるでありませう。」
(釣趣戲書)(「珪藻」には「硅藻」の字が使われている。その他、当
用漢字に書き換えている。)

石裏、石裏の筋は砂が巻いているから、石裏から1,2m下流を釣れ、と
狩野川等、砂の巻いている川ではいわれているが、砂の巻いていない川
がある、ということ。オラには想像も付かないが。
しかし、水成岩であっても、腐葉土、垢石翁は「堆積土」と表現されて
いるが、保水力をなくした山から雨水が奔流となって流れ落ちる川では
、相模川と同じ環境といえよう。ということは、どこに行けば垢石翁の
お眼鏡にかなう川を経験できるか、心細い
。道志川に公共下水道が整備
されれば、少しは古の川に近付くのかも知れないが。その時、下水処理
水はどうするのかなあ。コミュニティプラントで、やはり汚水処理水を
あちこちの道志川に流すことになるのかなあ。
遡上鮎がいるだけで、また、ラン藻ではなく、硅藻が優占種である川と
いうだけで、幸せな気分になるオラと違って、古の川を知り、経験をさ
れている故松沢さんには昭和後半・平成の川とあゆみちゃんの状況は、
あきらめの境地にしかなり得なかったのであろう。


故松沢さんは、狩野川の名人(故松沢さんの師匠ではないかと想像して
いるが)から譲り受けた竹竿を持って旅立たれたが、古の金の塊である
垢が繁茂し、遡上鮎が満ちている川で釣りをされているのであろうか。
狩野川に少しは遡上鮎が戻ってきた2000年以降ではあるが、04年
の解禁日、故松沢さんは、茶か盛りや酒盛りをしていて釣りに行かない
丼大王らを追い出されたとのこと。にもかかわらず、天竜玉三郎は、オ
ラがテントに着いた9時前でもまだ居座っていた。玉三郎は、オラのため
に三途の川で囮をとってくれるといわれたが、翌年からは人工が放流さ
れている雲金に釣り場を移されたから、その後、解禁日に会うことはな
し。オラへの囮取りの約束を忘れていることであろう。
なお、故松沢さんは、城山下に人工を放流させなかった。当然、玉三郎
も丼大王もボウズ。みんなで頭を剃れば恥ずかしくはない。
垢石翁は、今の相模川を見て、こんな汚い垢は「泥『垢』」とはいわな
い。「泥垢」は、既に亡びた、これは「泥垢」ではなく、「泥」じゃ、
といって、一升瓶を抱えこんだまま、竿を出すこともなく、虚ろな、悲
しげな眼で流れを眺めるだけであろうか。


故松沢さんの思いで:17 No.[326] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2008/01/05 [土曜日] 07:21:46
平成2、3年頃までの城山下は、砂とは無縁であった。
ある年、漁協から城山下の淵を埋めたい、との話があったとのこと。故
松沢さんは、時合いになると真っ黄色の衣装をまとった鮎が一本瀬に差
してきて、手返しの良さを図るため、針を囮の尻尾よりも内側にして、
手返しを重視し、頭掛かりにする釣り方をされていたから、淵が鮎の補
給源であることは知っていた。
それでも、待てよ、と急いで帰り、淵に潜った。夥しいアユがいた。ま
た漁協に行って、淵を埋めることに反対された、とのこと。


オラなら、差しアユが釣れることから、淵は重要な補給源や、というだ
けであるが、何事にも実際はどうなのか、を観察しなければ納得されな
い故松沢さんは、淵に潜って、鮎の補給源であることを観察された。
この観察眼がオラと故松沢さんの釣果の違いになっているのかも。いや
、技倆も、心構えも、違うよ、何々も違うよ、と丼大王ら、城鮎会の面
々はいわれるやろうなあ。

その淵も平成に入って砂底になっていった。そして、砂の範囲は、石コ
ロガシの瀬肩まで達した。07年11月3日、前年まで渡っていた石コロガシ
の上流で渡ろうとしたら、砂、砂、砂。石が埋まってしまった。にもか
かわらず水深は以前よりも深くなり、ダウンジャケットのポケットにあ
る煙草が濡れそうになり、渡ることをやめた。河床がどんどん上がって
いるのであろう。

平成10年頃までは、テントは淵の前の河原に設置されていた。平成6年頃
まではまわりは石ころだらけ(平成9年から11年までは、平成7年に遡上
のなくなった狩野川、その後も遡上が回復しなかったため、年券を買う
ことも、行くこともなかったから、いつ河原に砂の堆積が始まったか、
分からない。)。石ころの河原の中に1箇所、狭い面積で砂の処があった
。そこを少し掘ると水が湧きだしていた。その水がお茶に、味噌汁に使
われていた。今は2,3m以上、石の上に砂が堆積している。

藪下も砂の中に大石の一部が頭を出している、という場所が多くなった
。石コロガシの瀬肩上流、2本電線、柳のあったところは、流れは弱く、
石がつまっており、河原からも釣りができるため、平成の代に変わった
前後、オラにとっては一番楽な釣り場所であった。殊に、西風が吹いた
後の、水温が12,3度になった10月下旬以降はありがたかった。その場所
が砂で埋まり、さらに石コロガシの瀬肩まで砂まみれになっている。
なぜ、平成の代になって、急激に砂の堆積が始まったのであろうか。同
様の現象は、ダムのある相模川、中津川、大井川でも生じている。

故松沢さんの河原のテントは、オラが狩野川に再び行くこととなった平
成12年までのある年に流された。その日、故松沢さんは増水の様子を見
に行き、雨量からもテントを撤去しなくても大丈夫、と判断された。し
かし、狩野川放水路の水門を開くのが遅かったため、テントを流す水位
となった。
河川管理者は謝りに来たとのことであるが、テントに置いてあった城鮎
会が主体となって開催されていた大会の記録を流されたことが残念でな
らない、といわれた。

その大会には昭和の終わりから参加していた。平成4年までは9月15日、
それからは8月最終日曜日が開催日であった。5匹重量で順位を決めてい
た。
昭和の代では、350グラム前後が1位の成績であった。昭和64年=平成元
年、9時前にテントに着くと、第x回の記念大会とかで、高松さんと井川
さんが居られた。井川、高松さんは、淵のすぐ下流トロに入った。オラ
はその下流に入り、2人の釣りをのぞき見していた。1時間ほどたった10
時頃、高松さんは1匹しか釣れず、石コロガシの方へと移動した。オラも
移動した。昼に戻ってくると、井川さんが20匹釣って帰って行った、と
。故松沢さんは出鮎の時合いにまとめて釣ったのであろう、といわれた


平成の代になって、1位の重量は、400グラム台、平成4年には600グラム
、平成6年には670グラムになり、釣果の1位は9匹に過ぎなくなった。
遡上量が減少して、遡上鮎が大きくなったことから、中学生ではなく女
子高生が釣りの主体となったこと、さらに、人工が主体となったことに
よる。オラでも人工と分かるアユが主体となっていった。

遡上量の減少は、釣れる鮎の大きさだけでなく、石が曇る日が早くなっ
てきた事からも推測できた。昭和の代では、11月23日でも綺麗に磨かれ
ていた石が、22日には綺麗であったのに23日には曇り、さらに11月には
汚れた石が目立つように、と、変化していった。
そして、1995年:平成7年、遡上量が僅少で、解禁日から相模川で見慣れ
たババッチイ石のまま。ドラちゃんは、冬の川、と、スポーツ新聞の取
材に対して表現されていた。

平成7年は相模川の遡上が多かった年。平成16年も相模川は、古はいざ知
らず、2000万ともいわれているほどの大量遡上があった年。その両年と
も、狩野川の遡上量が僅少であったとは、相模湾と駿河湾とで何が異な
り、また、なぜ反対の現象になるのであろうか。
故松沢さんは、大会の為にアユのいない川に来てもらうのは忍びない、
と、ある年から大会を中止されたとのこと。95,6年は年券を買っていた
が、解禁日しか狩野川に行かず、その後は行くこともなかったから、何
年に中止にされたのか、分からない。

ある年、オラは5位くらいになって、銀で作られたように見えるオードブ
ル等を入れる大きな台座付き皿をもらった。そこに盛る品物がないため
、その器はいつの間にか消えた。
故松沢さんが用意された料理を食べ、飲み、しゃべることが大会の主目
的であったが、もはや遡上鮎が回復しても、たまり場がなくなり、その
ころの人に会うことは難しくなった。



故松沢さんの思いで:16 No.[313] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2007/12/31 [月曜日] 04:05:27
故松沢さんが鮎釣りを始めたのは、17才の時(昭和32,3年頃であろうか
)といわれていた。
この「始めたとき」という意味は、友釣り初体験ではなく、あゆみちゃ
んを売って生業とする女衒家業のために、名人の所に弟子入りをしたと
きであろう。その修行生活がどのくらいの期間であったか、厳しかった
か、は聞き忘れた。というよりも、囮を買う人がない年でも、西風が3,
4日吹き荒れていてテント小屋が飛ぶのでは、と、木枯らしが小屋をきし
ませる音に首をすくめられていた日も、11月23日まで、休むこともなく
テント小屋に出勤されていたから、いつでも話を聞けると思い訊ねてい
なかっただけ。

故松沢さんは、青木の瀬の付近の板を渡しただけの橋にたたずむ着物姿
のねえちゃんの写真を持っておられた。そのねえちゃんとの関係も聞き
忘れたが、当時、今の狩野川公園付近にあった廓のねえちゃんとのこと
。その廓は昭和33年の狩野川台風で流されたとのこと。
もし、その廓と故松沢さんが馴染みであったとすれば、修行前、あるい
は修行開始後すぐに、稼ぎを得ていたのではないだろうか。もちろん、
大工仕事でも稼いでいたから、必ずしも、あゆみちゃんからの収入とは
いえないが。

田辺聖子「姥ざかり 花の旅笠 ー 小田宅子(注:いえこ)の『東路日
記』(注:あずまじにっき)」に、和歌をたしなむ筑前の50代おばさん
4人組が、天保の世に伊勢、善光寺、日光、江戸、そして、箱根関と新居
関を避けるため、鎌倉から諏訪湖、秋葉神社を経て、京、大坂で遊んだ
ことが書かれている。(通行手形を所持していない)
京で、博多独楽を見物している。田辺さんは、慶応には欧米にまで出か
けた芸人もいた博多独楽の芸について書かれた珠楽さんの「博多独楽の
手練」の一節を紹介されている。
「独楽(注:こま)を演ずる以上、技倆の優秀さは、必要であるが、それ
よりも先に、演ずるものの心の真剣さ、純粋さ、豊かさを教えている。
木台に鉄心を通しただけの独楽に、生命の息吹をおくり、躍々として空
間に舞わせるのは、独楽師の気魄である。独楽師の心がゆるめば、独楽
もおとろえてくる。裂帛の気合に独楽も勇むというものである。声には
出さないが、一芸を無事に終えて、舞いおりてくる独楽に与える、労い
の言葉が、物心一如となって、独楽に光彩を与えることにもなる。」

この文を読んで、故松沢さんもこのような心境ではなかったか、と想像
している。
故松沢さんは、技倆のことは誰が語っても同じ、といわれて多くを語ら
れなかった。そして、精神の領域に鈍感なオラが心の持ち方に関して聞
くこともなかった。しかし、故松沢さんは、次のことを話されていた。
祖霊に対して、日々感謝し、まつりごとをされていた。また、戎鮎が働
きを終えると、神棚にまつり、感謝をされていた。
狩野川の左岸藪下の上にあるお墓に、左岸道路まで増水した後にいった
ときのこと。お墓の処でぶっといものが動いている。大ウナギが湧き水
をのぼっていたとのこと。お墓でなければ蒲焼きにするが、お墓では、
といわれた。オラなら、仏心よりも食い気、大ウナギを下げて帰ったで
あろうが。

昭和の終わり頃、青木の瀬に片腕のない人が釣りをされていた。オラは
どのようにして囮をつけるのか、興味はあったが、分からなかった。
故松沢さんは、タモに入れた鮎を石の上に置き、優しく足裏で押さえて
鼻環を通していた、といわれた。そして、夕方、帰るとき、翌日の囮を
残して、「ありがとうよ」といって、逃がしていた、とのこと。この人
の話をされていたとき、故松沢さんはその心境に強い共鳴を感じられて
いると思った。

故松沢さんは、もし鮎と出会っていなければ、どのような人生になって
いたか、分からない、鮎に感謝している、とよく言われていた。たんに
釣れた、釣れない、の感情を越えている。
これらの鮎への感情、思い入れは、釣りの場面でのことではない。しか
し、釣りの場面でも同じであったのではないかと想像している。
声には出さないが、一芸を無事終えて、舞いおりてくる独楽に与える
、労りの言葉が、物心一如となって、独楽に光彩を与えることになる。
」の、「独楽」を「囮」に代えれば故松沢さんの心境になるのではなか
ろうか

永井さんは、講習会で、囮は健気に石の間を泳ぎます、囮をいたわって
ください、というようなことをいわれていた。このことからも、囮をい
たわる点だけでも、オラの想像はかすかに故松沢さんの思いを伝えてい
るのではなかろうか。

もし、故松沢さんが平成の世に女衒の修行を始められておれば、あゆみ
ちゃんに人生を左右されることもなく、別の道を歩まれたのではないか
、と思っている。

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Re:故松沢さんの思いで:18の追加 No.[319] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2008/01/02 [水曜日] 15:24:00
田辺さんの「姥ざかり 花の旅笠」は、高倉健さんの5代前の小田宅子さ
んが書かれた紀行文を、田辺さん自身が道草をしつつ4人のおばさんと一
緒に旅をされている趣がある、とのこと。

「東路日記」は、健さんが、「うちの先祖の人が、こういう手記をもの
にしているがこれをわかりやすく読めるようにならないものだろうか、
面白そうだけれど」と、「イラストレーター・福山小夜さんに示され」
、巡り巡って田辺さんの知るところとなった旅行記である。

あと何時間、あゆみちゃんのお尻を追っかけることができるか、分から
ないが、姥桜4人組が、お伊勢詣りをしょうと決断をし、お伊勢詣りを果
たすと、善光寺まで脚を伸ばし、さらに日光も、江戸も、京も、大阪も
、と道草をする活力にびっくりした。

同時に日本史の教科書で植え付けられた江戸期のイメージとは異なる庶
民の存在を又知ることとなった。
発展史観や、明治政府の正当性、業績誇示のために貶められていた江戸
期の評価が、相当、改まっている世になっていると思うが、楽しく読め
た。

故松沢さんの思いで:18 No.[338] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2008/01/09 [水曜日] 07:42:05
故松沢さんは、女衒家業の頃、見栄えのよい、高価な囮缶に翌日の囮を
入れて川に活かしていたとのこと。しかし、よく盗まれた。そこで、実
利を求めていろいろな入れ物を試された。
その結果、たどり着いたのが茶筒とのこと。

茶筒に穴を開けて、水がとおるようにして鮎を入れておけば、翌日はよ
く働いてくれるとのこと。友缶で休めた鮎よりもよく働く、と。その理
由について、推測されたことを説明されたが、忘れた。
さらに、茶筒に入れる鮎に鼻環をつけておくと、翌日、実によく釣り手
のいう事を聞いて泳いでくれる、とのこと。

また、網でとったアユを囮にすると、恐怖ですくんでしまい、石の間に
入って、動かない、と。
しかし、前さんは「ある好天の夏の日、私は『萬さ』を訪ねた。彼は吉
田川出合いの船繋場に腰を降ろして、『躰の燃料(日本酒)』を、チビ
リ、チビリと補給の最中であった。私の顔を見るなり『ン、来たか。今
から一網打つから手伝え』という。」
「酔っぱらいの『萬さ』が相手であれば、いわれるとおり手伝うことに
した。」
「ウム、と彼はよろけるように舟に乗り込んだ。頑丈な竿を手に一突き
くれて舟を出すとたんに顔は別人になる。
 『酒など一滴も飲んだことはない。酒とはどんな味か?』とでも言い
たげな涼しい顔になったのである。」
「彼は長い小鷹網を両端が鍵の手に見事な手捌きで打つ。」
「普通、網にカカった鮎が、そう簡単に外れないのは周知の事実なのだ
が、彼はアッと驚く間もあらばこそ、バケツに十一尾の鮎を入れてしま
う。見事に手際がよい。そして、『お前さんのタネができた』と笑いか
けるのだ。バケツの中の十一尾すべてが元気な鮎。」
前さんも投網の経験者であるから萬さ翁が、網から鮎を外す手際の良さ
にはびっくりされた。「奈良の吉野川で覚えた杵柄、手頃な石を一五,
六個も舟に積む。」等の手伝いをされた。(「鮎に憑かれて六十年」の
「萬さのこと」の章)

前さんがその鮎を囮に使った結果が書かれていないから、萬さ翁が手際
よく網から外した鮎は、石の間にすくむことなく泳いだのか、どうかは
わからない。しかし、萬さ翁は網で獲った鮎を囮に使うことに違和感を
もたれていなかっということであろう。

故松沢さん、萬さ、垢石翁、今西博士、素石さんと、よく酒を飲んでい
る。その点ではオラも量は少ないものの仲間入りはできる。
故松沢さんは酒で転んで脚の骨を骨折された。オラも骨折をしたが、オ
ラはがっぽりと稼げて、そのお陰であゆみちゃんのお尻の追っかけが後
数年できる。ボデーさえ持てば、の話であるが。故松沢さんの後遺症は
、あぐらをかけることからオラよりも軽かった。
とはいえ、故松沢さんもオラも、肝臓の負荷を気にせざるを得ない。故
松沢さんは、ウコンを飲んで、ドクターストップを回避されていた。そ
のウコンには、春ウコン、秋ウコン、紫ウコン?等の種類があって、何
とかウコンだけが霊験あらたかなり、とのこと。オラも酒をさらに飲め
るように、処方箋で求めている薬の他に、ウコンを飲もうと思った。薬
局に行くと、量の少ないウコンの値段が非常に高い。それで、ウコンの
購入はやめた。ということで、霊験あらたかなウコンの名前も忘れた。

故松沢さんは、囮をつかんだとき、囮が暴れるのは、強く握りすぎるか
ら、といわれた。赤ん坊を男親が抱くと、赤ん坊が泣くのと同じ。男親
は赤ん坊を落としはないかと強く抱きしめるから、泣く。囮も強くつか
まなければ暴れない、と。
そうはいわれても、釣りたてであれば、鮎が弱っているから、優しくつ
かめるが、1日休養した後では逃げられないか、心配で、大井川の河原で
鮎の出し入れをすることになる。また、故松沢さんは、囮をつかむとき
、眼を指で押さえることはしない、ともいわれた。



故松沢さんの思いで:19 No.[347] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2008/01/11 [金曜日] 15:11:21
故松沢さんは、平成の代になって、殊に、平成7年以降の遡上鮎が釣りの
対象となることがなくなり、あるいは、ほんの1,2年遡上鮎が多かった
年があったに過ぎない状況の中で、どの程度の損失があったのであろう
か。
釣り人が一杯いても、10月下旬以降、養魚場から囮箱に入れられた養殖
鮎は、翌日には半分が使い物にならないほど黒くさび、販売の対象とは
ならなくなった、とのこと。養魚場での電照がなくなり、日照時間が急
に短くなった状態になったからではないかと思っている。
そして、夏でも、初秋でも、たまに釣り人がやってくるだけ、という状
態が、平成7年以降の状態であったはず。

故松沢さんの囮家業は、鮎を愛し、鮎に惚れ込んで、魅せられて、その
結果、真っ当な生き様を歩むことのできたことへの感謝の気持ちからの
奉仕であった、と、思っている。他の店が11月には、あるいは10月下旬
に閉める中、誰も来ないことが分かっていても出勤されていた。
熱があるから、悪いけど、今日は昼に上がらせてもらうよ、ごめんね、
といわれたことも何度かあった。

ある年のこと、長良川に出張された故松沢さんは、竹竿3本の腰を抜かせ
てしまった、といわれていた。
丁寧に作られた、調子も、強さも1級の竹竿の腰を抜かすとは、どれくら
いの大きさの鮎をどのくらいの数を釣ったのであろうか。また、何日間
でのことであろうか。
この頃の狩野川や長良川での稼ぎを蓄えていたから、平成の代になって
、仕入れてから3,4日たっても売れなかった囮をつぶすことの方が多か
ったにもかかわらず、夜逃げをしないで、アメニモマケズ、風にも負け
ず、釣り人の来ない寂しさにも負けずに、毎日、11月23日までテントに
通われる資金になっていてのではなかろうか。

家を出るときは風はないのに、相模湾はウサギが跳んでいる。狩野川に
着くと風に飛ばされそうになり土手を歩けず、家屋の間の道を歩いて城
山下に行く。松沢さんはそれでも出勤されていた。そして、ばあさんは
、西風は3,4日吹き荒れる、といっていた、と、オラの楽観的、恣意的
天気予報を戒められた。
大宮人、練馬人、丼大王等、11月になっても釣りをするおなじみさんに
会うことはあっても、見知らぬ人に会うことはまれになった平成の代で
あった。07年に中津川にできたあゆみちゃんファンクラブの会員である
相模人:オラに松沢さんが亡くなられたことを知らせてくださった方 に
、06年に会ったことが久しぶりの初対面の人であった。

ある年の11月、石コロガシの瀬の右岸瀬からテントに戻ってくると、2人
の釣り人がオラに声を掛けてこられた。それがtomさんとヒデVさん
であった。美白を8匹ほど釣っていたからオラは朝帰えりをした。翌日、
魚卵さんがやってこられてtomさん、ヒデVさんと一緒に釣りをされ
たのではないかと思っている。
故松沢さんは、tomさんは、子供の頃から狩野川に親しんでいると思
うから、以前の狩野川のことを知っているのではないか、川の見方はよ
く知っている、といわれた。tomさんが昭和の川を知っているとして
も、お若いから昭和50年頃のことではないか、と思っているが、もはや
お会いすることもないかも知れない。

現在の狩野川漁協組合長の前の、その前の組合長は、自ら竿を出して、
鮎が薄いから、どこそこには鮎を入れておけ、と指示されていたとのこ
と。
ということは、遡上鮎が多くても、釣りの対象となるほどの大きさの鮎
が少ないときは、人工を放流していたということであろうか。

商売にならなくても、古のアユがいないと分かっていても、毎日出勤さ
れて、蟹籠を見てザカニを取り、時には料理をしてくれた。
平成7年:1995年の夏、たまにアッシー君になってくれる人と、解禁日以
来の城山下にいった。ババッチイ苔のついた石。アッシー君は移ろう、
と。途中、湯ヶ島で椎茸を買う等、ドライブ気分で河津川にいった。
河津川の石には、熱帯魚の水槽に着く苔を除去するために使用されてい
る小さな貝が川に捨てられて大量繁殖していた。それでも竿を出して、
何匹かを釣った。当然、楽しい釣りではなかった。昼、ザカニを食べた
が殻だけが気になった。身は少なかった。
旬ではないから?(冷凍?)、また弥太さんの自慢話に出てくる蟹を砕
いて、漉した後の殻等を捨てて、水の部分だけを煮る、という料理の仕
方でななかった事を覚えている。



故松沢さんの思いで:20 No.[356] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2008/01/13 [日曜日] 08:10:13
故松沢さんが経験されていた「金の塊」の価値を持つ珪藻を経験してい
ないことは、オラにとっては幸せであった。また、湖産ブランドに、人
工や海産が混入されていても気がつかなかったことも、そして、亡き師
匠らの熱心な教えにもかかわらず鮎の質・氏素性による容姿や味や習性
の違いに関心を持つことが少なかったことが、本物の鮎がいなくなった
、あるいは僅少になった平成の世にもあゆみちゃんのお尻をおかっけら
れた条件と思っている。

とはいえ、古に生存していた本物の鮎がどのようなものであったか、そ
の鮎はどのような川で、どのような食料を得て、どのような生活してい
たのか、気になる。村上先生は、研究者と釣り人の連携が生態等の観察
上必要と書かれているが、本物の川、、苔、鮎の観察ができる人が、ま
た1人この世を去られた。

今西博士が、「イワナとヤマメ」を書かれる前に、素石さんらと渓流を
釣り歩いて観察されたことと同じ次元で、鮎の氏素性、環境等の要因を
考慮しながら、適切な観察を何人の鮎釣り人ができるのであろうか。湖
産を放流したというから、湖産である、と、湖産ブランドに「偽」が横
行していたことに何らの疑問を持たれなかった研究者と同じレベルの釣
り人が多いのではないかと危惧している。
釣る技倆はある。しかし、人工、海産畜養、湖産あるいは湖産の人工が
放流されている中で、遡上鮎の生態を観察できる、目利きである釣り人
は、あと、何人この世に生きておられるのであろうか。

人工鮎の長良川になって、郡上ブランドの鮎に関して、目利きはどのよ
うな基準を採用さているのか、分からない。
目利きを不要とする世は、本物とまがい物の区別を不要とする世のはず
。だからこそ、釣れるだけで、また、大きいのが釣れた、と、人工でも
何の違和感を持たない釣り人が楽しく、釣りをしている。オラのように

しかし、目利きのいない世には適切な観察と、本物の再生産を講じる対
策が適切に行われることもなかろう。

故松沢さんは、湖産を「線香花火」と表現されていた。すぐに釣りきら
れる、と。湖産放流全盛時代、そのようにならない川もあったのは「湖
産」ブランドで、海産畜養、人工が販売時の値段によって比率を異にし
ながら混入されていたからであろう。
ブレンドされた湖産は、昔は湖産の値段がが高く、海産、人工が安かっ
たために。今は、湖産の冷水病による病死で生じる川のいない状態を軽
減し、川での生存率を高めるために。それは湖産を売るために必要なご
まかしではないか、と疑っている。

07年の解禁日、故松沢さんの腰がくの字に曲がっていた。椎間板ヘルニ
アが悪くなった、と思った。それでも、杖をついて出勤されていたとの
こと。
オラは40年以上の椎間板ヘルニアとのつきあい。30年ほど前、正月に動
けなくなりブロック注射をしてもらおうとタクシーに寝転がり、初めて
の整形外科に行った。そこで、針麻酔をされた。仰向けに寝て腰を上げ
下する運動をせよ、と。できるわけないよ。ところが、針麻酔をすると
、それまでは便器に座ることも、寝ていてもしびれ、時折走る痛みに耐
えかねていたのに、腰を動かせた。そして、牽引、ブロック注射をした
帰りは、歩ける、バスで帰れた。そのような幸運に故松沢さんは、恵ま
れなかったのではないか。
行きつけの整形外科の先生は、なぜか、症状が安定することがあるとい
われていた。そろそろ、動けなくなることもあろうと、時折、整形外科
巡りをしているが、かかりつけの先生がされていたように、動作を見、
触診をして症状を見ることなく、レントゲンを見るだけの医師にしか出
会わない。針麻酔で、動作を可能とされた先生は亡くなられた。

以前、故松沢さんが生死を彷徨うことがあった、と。その時、華麗に飾
りをした船がやってきて、乙女らが乗りなさい、と招く。乗ろうとする
と、ばあさんが、その船に乗るな、といわれた、と。そして、三途の川
を渡らずにすんだといわれていた。
今回は、ばあさんの忠告も間に合わなかったのであろうか。

故松沢さんは、骨折で入院されていたとき、他人に下の世話をしてもら
うのが耐えられないといわれていた。他人の面倒は見るが、己の面倒を
見てもらうことには潔しとしない、という気質の人であったと思ってい
る。

故松沢さんが、ウコンを飲まずにお酒を飲んで、垢石翁や萬さ、仮称服
部名人らと、狩野川の名人から譲られた竹竿で釣りをされていることを
願います。

  ゆく秋や  松枯れ鮎の  目は涙

(  行 春 や 
      鳥 啼 魚 の  目 は 泪   芭蕉  )





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Re:訂正 No.[360] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2008/01/14 [月曜日] 06:10:18
「故松沢さんの思いで:19」記載の「魚卵」さんは、「漁乱」さんの
間違いです。すみません。


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Re:再度の訂正 No.[372] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2008/01/17 [木曜日] 19:07:37
「魚乱」さんが正しい表記です。たびたび間違えてすみません。
もっとも、「魚乱」さんは、お魚を一杯釣られる人のようですから、「
漁」乱さんが身は体を表現しているかも知れませんが。


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記:1 鮎への慈しみ No.[373] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2008/01/19 [土曜日] 07:40:20
「姥ざかり 花の旅笠」に、姥桜がどのようないでたちで旅をされたか
、田辺さんは「〈庶民時代裂(注:ぎれ)研究会〉の堀切辰一先生にお
目にかかってお話をうかがったのだが、〈まあまず、木綿の縞物でしょ
うか〉ということだった。」
そして、水呑み百姓は、「〈あたらしい反物が手にはいることはまずあ
りません。多分、古布を継ぎ合わせ、縫い足して、大切に、大切にいた
わって、着たでしょうな。〜〉」
宅子さん、久子さんは商家のお内儀、あとの2人に高持ち百姓のお内儀は
いたのであろうか。商家のお内儀であるから、継ぎ接ぎの着物ではなか
ろう。

堀切先生は、「かねて心を惹かれていた庶民の、古い時代の裂の蒐集、
そしてそこにひそむこころを、調査研究されているよしである。」
「さて堀切コレクションの真骨頂は祝い着もさりながら、庶民の日用衣
服、裂にある。
〈これは腰巻です。〉
 といわれて拡げられたのは、ちょっと見れば襤褸のかたまりか、雑巾
をつくねたものにみえた。」

「堀切先生は物静かで、何のけれん味もない淡々たる方である。しかし
その〈継ぎ接ぎ腰巻〉に見入られる先生の慈眼は、さながら、癒しよう
のない苦患に苦しむ病人に対し、医術の無力に忸怩たる名医…というふ
うにも見える。あまりに大きな情念におしひしがれ、先生は深いものを
抱えたまま、平静、淡々としてしまわれたようにもみえる。」
そして、「貧乏も農民であることも、その人の責任ではないのですけど
ね。」と。

ここに描写されている情景は、故松沢さんがオラの繰り言に対して説明
されるときに、「鮎は何も悪いことをしていないよ。すべて、人間が悪
い。山から雨水がいきなり川に流れ込むようにしたのは人間よ。」と、
付け加えられたときのことに通じると思っている。
自ら子孫を再生産をして釣り人を楽しませることもあたわず、人間が作
り出し、放流する人工を釣らざるを得ない状況、環境に対して、あるい
は、その環境に生きる健気な遡上鮎に対して、故松沢さんのまなざしは
「慈眼は、さながら、癒しようのない苦患に苦しむ病人に対し、医術の
無力に忸怩たる名医…というふうにも見える。」に通じると感じていた



故松沢さんの思いで:21 No.[383] [返信]
投稿者:無記名 投稿時間:2008/01/24 [木曜日] 08:23:15
補記2:沖取り海産の「湖産ブランド」偽装

「鮎に憑かれて六十年」に四万十川の変化が書かれている。
四万十川がダムのない、最後の清流、と、昭和60年、昭和62年にNHK
,朝日テレビで放映されて、「『四万十川人気』が一般にあがるばかり
である。」という状況の時に、前さんはもう四万十川に行かない、と。
(四万十川にもダムはある。)

「その昔、私も四万十川へ出かけたことがある。鮎の放流事業を全くし
ていない時代だったから『海あがり』の鮎がよく釣れた。最上流の大見
村までの水も知っているが、NHKはどうも大袈裟と思えてならない。
 近年この方五,六年も四万十川に通っている友人がある。」
その友人は、「『前さん、もうアカン。昔は大正、昭和地区で一番仔が
早う溯っとりましたが全然!五月の中旬に喰み跡がない。地元の漁師の
話やと一番、二番仔は高知や徳島の養殖業者が網でごっそり河口で獲っ
てしまうちゅうことですわ。飛行機代払うて川を見に行くだけになって
しもうた。川も仁淀川の方がきれい』と嘆くのである。また、地元は川
漁が盛んな土地柄、秋に産卵する親鮎も漁師が舟を出して乱獲するとこ
ろもあって、激減の鮎事情なのである。」

「『昔はなあ、川のこっちに潜ってアッチを見たら向こう岸で水遊びを
しとる女の子の黒いところも見えたもんよ。放流?そや、放流事業もせ
んならんようになってしもうた』とは、上中下流の漁協を統合する組合
長、土井さんの話。」

もし、仮に四万十川河口に集結した一番、二番仔が海域漁師に獲られ
て畜養の後、『琵琶湖種』として再び四万十川に放流されでもすれば、
それは悲劇を通り越して喜劇になる。私がこんな想像をするのは海域業
者が乱獲した仔鮎を、わざわざ滋賀県へ送りつけ、その足で『湖産』の
名称をつけて各地に配給する、などという妙な噂が出たこともあるから
である。つまり、それだけ、釣り人に『湖産』の人気は高いということ
である。


前さんも、故松沢さんと同じで、自ら検証されたことを語ることはあっ
ても、オラのように想像たくましく、先走りをされることはない。
湖産ブランドで販売された量が、湖産氷魚等の採捕量の何倍にもなると
、統計資料を使用して書かれた記事が平成の7,8年頃の鮎雑誌に記載され
ていたが、まだ、その記事が見つからない。
ラは、『湖産』ブランドで売られていた増量剤=稚魚、幼魚は人工鮎
と思っていたが、相当量の海産畜養も含まれていたと考えることが適切
ではないか、と変わった。


ミートホープの牛を含まない牛合い挽きのように、人工、あるいは海産
だけの「湖産」ブランドはないとは思うが。養魚場が事実を書かれない
限り、目利きのできた釣り師だけが、オラの亡き師匠らだけが、その事
実を感知されていたということで、事実は解明されることはなかろう


故松沢さんは、狩野川の産卵場に近い淵で行われている投網の方法を話
されたことがある。今では、エンジンをつけた船で、投網を打ち、網か
ら鮎を外さずに持ち帰り、待ち受ける人にその網を渡してまた網打ちに
行く、と。こうして、8帖の網を使い、効率性を実現した投網が行われて
いるのであるから、産卵に携わる親鮎がどのくらいの減少になっている
のであろうか。
1人の生活のために、仔魚量が何千万と、減少させられている。
それを補うために放流された、畳半畳ほどの処に群れ、縄張りを持たず
に生活をし、ガンをつけた、と突っかかる人工鮎を釣っている釣り人。
その土地貴族とはかけ離れた人工鮎で、数を釣ってもオラには楽しくな
い。最も、オラはそのような場所に行き当たることもないが。

沖取り海産、「海域業者が乱獲した仔鮎」の産地は、産卵時期が湖産と
同時期の10月1日頃を中心とするプラスマイナス1ヶ月ほどであろう日本
海、東北の河口域であろうと思っていたが、06年に中津川に放流された
富山県産、愛知県産の人工鮎が、6cm、4cm、と中津川漁協のホーム
ページに書かれていたことから、6月の解禁に中学生の大きさに育ってい
ない大きさでも、「湖産」にブレンドされていたのかも知れないと想像
するようになった。そうすると、四万十川生まれが「湖産」として、販
売されていたこともあろう。
中津川漁協が行った人工の種別、大きさを公表すら、異例のことで、ま
してや、「湖産」と養魚場がいえば、「湖産」であるということになり
、漁協、研究者で疑う人は少数。この状況は現在でも変わっていないの
ではないか。もっとも、湖産の方が安くなっているため、湖産を隠して
人工として販売されているのかも知れないが。

研究者に、早川に放流された鮎が「湖産」と漁協が語っているから、「
湖産」である、と判断することは間違っている、との感性を持って、と
期待することは無理な要求かなあ。早川に放流された鮎の鱗数が、人工
の鱗数から、湖産の鱗数まで幅広い、という事実から、「湖産」ブラン
ドとして販売されていても、人工も、海産畜養も含まれている、と、想
像することがなぜできないのかなあ。


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訂正と追加 No.[386] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2008/01/26 [土曜日] 05:34:42
「故松沢さんの思いで:12」に、狩野川のアユの産卵時期の例外現象
として、「10月上中旬に下りをしないで産卵する」と書いたが、「10月
初め頃」の間違いです。ただ、故松沢さんが「10月初め頃」と表現され
ていたか、「10月上旬」と表現されていたか、は忘れました。
おらは、この例外現象としての下りをしないアユの産卵現象が、萬さ翁
が語られた長良川での下りをしない鮎の産卵と同様、すっきりとはして
いない。
理由
@ 相模川では、県内水面試験場の流下仔魚量調査で、厚木の三川合流
点より上流での流下仔魚観察量は僅少で、下流の門沢橋や神川橋での観
察量に比しわずかである。ということは人工でも下りをして産卵してい
る、と考えていた。
A さらに、紀の川について「ただ、湖産鮎ってのは早熟です。だいた
い自然のものに比べて約1ヶ月早いですな。湖産鮎が腹へ子を持つのは1
ヶ月くらい早いです。和歌山の海でとる海産鮎は遅れます。この海産鮎
は自然に遡上する鮎とよけい変わらんですな。放流したものは、放流場
所へ秋になったら戻る。これは増水のおりでも、チリジリ、チリジリに
、放流した場所に戻ってくる。上流にいっとてもね。放流場所はわが根
拠地で、なるべくはその付近で産卵したい気持ちもある。それからまた
、水が出るというようなことがあったら、そりゃずっと下るわけですけ
ど、水のでない場合は、その付近で産卵する。こりゃ、鮎の習性ですな
。放流した場所、これは母親の場所へ戻ったという気持ちちゃないかし
らと思う。それで産卵すれば海へ落ちるわけですよ。そのあと一週間な
いし二週間のあいだに孵化したものが下るわけですな。」
(小西島二郎  佐藤清光「紀の川の鮎師代々」徳間書店)

「紀の川の鮎師代々」は、NHKが昭和52年に制作した「紀の川・鮎師
」のディレクタ?であった佐藤さんが、小西島二郎翁から、放映後の機
会に聞き取りをされたことを書かれている。
小西翁は、「紀州徳川家の御用鮎師を先祖に持つ」人で、「小西家には
伝わる茜屋流と呼ばれる独特の漁法が伝わっている。」その伝承者であ
る。

人工鮎が下りをしないで産卵するだけでなく、海産畜養も下りをしない
で産卵をする、となると、オラの空想力も機能できない。
これらの鮎の氏素性と下りの関係、流下仔魚の観察結果をどのように考
えればよいのか。小西翁ももう、ご存命ではなかろうから、その知識を
頼ることはできない。
小西翁の海産畜養も下りをしない、ということに関しては、まだ「紀の
川の鮎師代々」を読み始めたところであるから、故松沢さんに尋ねる項
目には入っていなかった。

故松沢さんが下りしないアユの産卵と例外現象であげられた鮎は人工と
思っていた。産卵時期が10月始めであることから海産畜養ではなかろう
。(日本海の稚魚でなければ)
故松沢さんの観察力が凄いと思ったのは、産卵現象を観察することはオ
ラでも運がよければできる。しかし、その卵がどうなるかまではオラは
気がつかない。当然孵化すると思ってしまう。
故松沢さんは、例外現象としての産卵結果がどうなったか、まで観察さ
れていた。

「例外は原則を検証する」ほど、重要な現象である。しかし、この検証
も、何が原則で、何が例外現象か、の知識がないと、神奈川県内水面試
験場のように、湖産も、継代人工も、海産も誤った判断基準=漁協が「
湖産」を放流したといっているから「湖産」である、ということが事実
であるか否か、に疑問を持たないで、産卵時期を判断する結果となる。

小西翁が海産畜養も増水で下がらない限り、下りをしないで産卵する、
との現象が普遍化できるのであれば、山形県が行っている2代目方式の人
工鮎が親としての子孫を残す役目も限定的になるのであろうか。



No.21、20から
松沢さんの思いで:23 No.[398] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2008/02/08 [金曜日] 07:56:18
補記4:再度の黄色い衣装と香り その2

C  子どもの鮎獲り
(弥太さん)
「夜のアユは不思議なもんで、光を当てると飛び跳ねよるね。暗がりで
変なもんに当たりそうになったら、とりあえず上へ飛べちゅうような本
能があるがじゃろうか。
 街灯の明かりのように、いつもじっと動かん光には、アユは神経質じ
ゃないんだが、例えば道路を車が走って、淵にライトの光がかかると、
アユは怖じけるわねえ。」

小西翁は、火振りを松明のメラメラの状態にアユの恐怖心を説明されて
いるが、弥太さんは必ずしも松明の明かりに限定されていない。

「瀬張りは一度に100kgも200kgも獲れるが、準備も人手もか
かる。火振りの漁獲はせいぜい一晩に20kg、30kgばあのもんじ
ゃが、操船する者とおどす者、最低これだけおれば十分よ。それが利点
じゃろう。
 網をはずすのは女子供に手伝うてもらえばはかどるわね。うちでは一
族や友人を集めてワイワイガヤガヤとやっている。気分の半分は納涼よ
。」

小西翁は、火振りについて「最後には川原へ跳び上がりよる。」「それ
を拾い子といって、子どもたちと女の人が手づかみで拾うたもんです。
」と、弥太さんと同じ状況の記述をされている。
ただ、火振り漁の漁獲について、小西翁の記述は弥太さんよりもアユに
とっては過酷な漁法とされているが、この違いはどのような理由による
のであろうか。

子供の遊びについて、弥太さんは
「ひとつが手づかみよ。つまみとか、握りともいうたわね。これは細い
谷に限った方法じゃが、まあ、これほど簡単なアユの獲り方ちゅうたら
、そうはなかろう。
 アユは夜、深場でじっとしておるという話はしたが、浅い谷におるア
ユの場合は、瀬の中の、なるべく流れの緩やかなところで休んどる。そ
ういう場所にそっと入って、下に向いてしゃがむがよね。それで手のひ
らを、野球のボールを受けるように構えて水に沈める。
 ただそれだけよ。静かに待っておると、じきにアユが入いってくるき
、これをパッとつかむ。いや、ほんまじゃ。それだけで獲れよる。
 なぜかとゆうたら流れじゃ。上にしゃがんで手を開ければ、真下の流
れは緩うなるろう。近くに休んでおるアユは、少しでも緩いほうが体に
楽じゃき、次第次第に手のひらのほうへ近寄ってくるちゅうのが種明か
しよ。
 もちろん昼にはとてもじゃないが通用せん。鮎の眼が利かん夜じゃか
らできることじゃ。」

アユが、夜に休む場所を選択する習性と夜目が利かないことを利用した
子供のアユ取りであるが、10匹、20匹をつかめたとのこと。今は「
アユが小さな谷間まで真っ黒になってのぼった時代とは違うきね。」ま
ず、獲れないのではないか、と。

昼間の谷でのアユ獲りについて=タモすくい
「これは昼の遊びじゃね。サカキの枝を輪にした枠に、目の細かい網を
付けて、アユがおりそうな場所へそっと近付く。
 もう片方の手には2mばあの棒を持って、それを川に入れてアユを追
うがよね。」
「昼のアユは危険を感じるとまず下流に走るちゅう習性がある。そうや
って構えて追ったタモへ追い込むわけじゃが、あれらは何しろ眼がええ
きに、ただ下流で構えて追うだけでは絶対に入らん。
 オイカワやカワムツは、わりかた鈍ながやけどアユはちょっとでも怖
いもの、つまりタモが見えると川底とタモの隙間をすり抜けて逃げてし
まう。タモで追いかけても、とても追いつくものではないぜよ。
 ではどうやって追い込むかというと、大きめの石をタモの前に並べて
、アユから見えんようにしてしまうわけよね。棒に追われて下に走る。
石がある。それを乗り越えて逃げようと思ったら、もう目の前にタモが
ある。気がついたときには体が半分ほど入っているというわけじゃ。
 瀬張りの時にね。筒へアユを誘い込むのに、手前にひとつ石を置いて
筒の口を隠すのと同じ理屈じゃ。」

これらの子供の遊びを含めて、釣り人、研究者の中に、経験し、あるい
は理解できる人はどのくらいの数であろうか。
珪藻から栄養分の多い藍藻に優占種を遷移させる素晴らしい自然の営み
、との評価を行い、あるいは、「湖産」ブランドといわれたから、湖産
が放流されている、と疑わない研究者は、古のアユの営みとの違いを少
しでも知ろうと、あるいはBODとかCODとかいった汚染度とは異な
る次元での違いが川の水には存在していたかも知れない、と、想像する
ことをなぜされないのであろうか。
オラは、師匠や故松沢さんから、川の水等の今昔の変化、それによる鮎
の質等の変化、湖産ブランドのブレンド化:偽 について、説明を受けて
いたから、理解できなくても、違いがわからなくても、現在とは異なる
世界があったことは知ることができた。とはいえ、どのような世界であ
ったかを聞くことはもはやできなくなった。
子供がアユとどのように戯れていたか、一度でも故松沢さんに尋ねてお
けば、と、悔やまれる。

城山下右岸の護岸に土が張られたとき、故松沢さんは、子供がその法面
を滑って遊ぶように、テレビゲームをして家に閉じこもっていないよう
に、との町長の思惑で行われた事業である、と。しかし、故松沢さんは
その説明の高価を否定されておられた。

昭和の終わりころから見ている狩野川で子供が釣りをしたり水遊びをし
ている風景を見たことがない。否、1,2回は淵にルアーを、練り餌を投
げているのを見ていた。
何で子供の来ない狩野川か、わからない。故松沢さんが子供のころ、狩
野川でどのような遊びをし、魚とつきあっていたのか、聞いておくべき
であった。

中津川の食堂の人は、子供のころ、厚木の堰が鮎の遡上を妨げていなか
った中津川で、拾ったコロガシの針に、網で獲った小鮎を付けて、ウナ
ギのいる穴、石のあいだに入れて、日々、ウナギを捕っていた、と。そ
れは日々の食卓に上ったため、蒲焼きが大嫌いになった、と。
そのような情景も狩野川にはあったのであろう。



故松沢さんの思いで:22 No.[397] [返信]
投稿者:片岡相模原 投稿時間:2008/02/02 [土曜日] 05:26:46
補記4:再度の黄色い衣装と香り その1
弥太さんは、鮎は川魚の中で一番「鈍」な魚といわれている。
その理由は「『火振り』に『瀬張り』ろう。大水が出れば『濁り掬い』
というものがある。とにかく網だけでもいろんな種類の漁ができる。わ
しらが子供のころはタモ(手網)でもすくいよった。」
釣りにも、友釣り、毛針の鮎釣り、ドブ釣りがある。「ニセのエサに騙
されるかと思うたら本物のエサにも釣られる。」
「子供のころは、よう『金突き』(ヤス)でも獲りよった。」「昔、金
突きができたときは、夜にやりよった。光で川底を照らしながらアユを
探すんじゃが、光の真ん中を見ておったらいかん。動かしていくと光の
縁の、ぼうっとしたところにアユが見えるとき、そこを突く。アユの真
上からまともに照らすと、あれらはたいてい光の外側に逃げてしまう。
ウナギらは割合平気で、明るう照らしても穫れるがね。」「ぼーっと薄
暗いところで一発で捕まえんと、アユはぴゅーっと走って逃げる。」

しかし、漁の種類が多いということは、それだけ習性が単純で騙され
やすいということじゃろう。本当の意味で頭のよい、警戒心の強い魚じ
ゃったらこんなにたくさんの方法では穫れんはずではないかね
。エサ。
好んで付く場所。怖じたときに逃げる方向。夜に休むところ。好みの水
流。産卵場所。あの魚は、習性をみんな人間に見抜かれとるから、いろ
んな方法で穫られるぞね。
 だからわしは、アユは川魚の中で一番鈍な魚というがよ。」
(「仁淀川川漁師秘伝  弥太さんの自慢ばなし」)

これに対して、小西翁は、同じ現象についても弥太さんとは異なる評価
をされている嫌いがないでもない。

見掛け釣りで、大きな岩場に2尾の縄張り鮎がいるとき「今釣ったばかり

の鮎をおとりにして、隣にいる縄張り鮎を釣ることは不可能に近い。ほ
かで釣ってきたばかりの鮎をおとりにしなければ、よく追い立ててこん
のです。それがまた戻ってきたとなると警戒する。まあ、その鮎が逃げ
る場合もあるけども、全然追ってこんのですよ。警戒しておって。同じ
状態におとりを操作してもなかなか追わんです。そんなことで、鮎とい
うのは頭がいいんですよ。鼻もよければ目もいいし、耳も近いし、それ
は敏感です。それを相手にするところに、釣りのおもしろさがあるわけ
ですな。」

「だいたい鮎はすべて濃い色は嫌いますが、特に黄の濃いものがいやな
ようですよ。縄張り鮎の腹部の黄点や各鰭が黄色になってくるものを見
ても明らかなように、黄色によって相手を威嚇するものと考えられるか
らです。」

視覚だけではなく、「それと耳、音感も鋭いわな。腹の両脇にある側線
が耳らしいですな。相当敏感です。とにかく嗅覚、視力、音感、どれを
とっても驚くべき相手であることを忘れてはあかんと思いますな。」

と、小西翁は鮎の五感能力をほめる。しかし、そのあとは、弥太さんと
同じで、その五感能力を逆手にとって、鮎をたぶらかす方法を習得すべ
し、となる。

小西翁は、小鷹網を主にする網漁で、注文数量を確保したり、1番電車に
乗って売りに行かれていた。


五感を逆手にとった事例
@ 火振り漁
小西翁
「昔、茜屋で行っていた火入れ漁に使ったかがり火も濃い黄色です。め
らめら動く明かりが鮎には一番嫌な色で、その嫌な色が川面一面に揺れ
動くため、うろたえさせて鮎を網に掛ける、これも鮎の嫌いな色をたく
みに利用した漁法といえるんじゃないですか。」
「水面のあちこちに火が熾りますね。すると鮎が自分の影におびえてパ
ーッと狂ったように動く。」
「かがり火のためにうろたえた鮎の多くは網に跳びつくけれども、網を
さけてどこかへ逃げんならんという鮎は、最後には川原へ跳び上がりよ
る。」「それを拾い子といって、子どもたちと女の人が手づかみで拾う
たもんです。
「ようけいおるおりは、飛び跳ねるわ、無数に網にかかるわ、両岸に跳
ね上がるわ、それこそむごいもんですよ。こんな漁法を殺生というんや
ろうとわしは思いますな。技術じゃないんですよ。道具にまかせること
ですから、かわいそうです。」

弥太さん
「アユはほんまに鈍な魚じゃ。明かりを当てるとそれこそパニックを起
こして、下に張った刺し網に簡単にかかってしまう。網にかかった仲間
がきりきりと白く舞うとるがじゃき、反対(上流)向いて逃げればよか
ろうものを、それをよけい驚いて、わざわざ自分から網に飛び込むよう
な魚よ。」

A 夜網(小西翁
「魚が寝ているというても注意は怠らん。他の魚でも同じことですが、
夜はやはり動かんですよ。なるべく川べりに近づいて、鰭もなるべく休
めておるわけです。夜は目が見えんので、安全な流れ、余り急やない場
所で鰭もよけい使わんところで休んどるわけです。」
「外敵がやってきても、すぐ逃げられるところ」にいる鮎を狙って「足
音を立てずに静かに行ってもそいつはちゃんと知っとるわけですよ。そ
れで砂地の音のしないところから接近していくわけです。これは接近の
仕方によっては漁になるかならんかてことですよ。」

B 瀬張り漁(弥太さん)
この瀬張りが、アユがした下に逃げる習性を利用した漁よね。」「こ
の漁の場合は、網にアユを絡めて獲るがではないがぜ。糸は太うて、編
の目もその気になればアユがすり抜けられるほど大きい。この網の役目
は、じつは通せんぼをするための網よ
。」
「竹を縄暖簾のように結んだ網を持って」アユを追い込む。
「アユはまず下流に逃げよるわね。ところが行き先には網が通せんぼを
しとる。アユは、脳味噌はどうちゅうことはないが、目だけはよい魚じ
ゃき、昼はどんな細い糸でも見破る。まして太い糸でこしらえた網よ。
すぐに気がついて逃げ場を探すわね。
 そしたら川の底に、なにやら穴があるじゃあないか。とりあえずそこ
に逃げ込んじゃろうと思うわ。わが身の安全のために。それがつまり竹
で編んだ筒よ。ひとつの筒に、多いときは20匹も30匹も入るぞね。」
「そんなふうに、瀬張りは目がよいというアユの自信を逆手にとって裏
を掻く方法じゃが、火振りはその逆で、アユは夜目が利かんちゅうこと
を利用する漁じゃな
。」

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