相模川 | 中津川 | 狩野川 | その他 | ||
3~5月 | 相模大堰副魚道遡上量調査その1 相模大堰副魚道遡上量調査その2 5月22日磯部の堰の魚道を上った? |
3月1日 3月9日 | |||
6月 | 1日 14日 15日 19日 21日 22日 27日 29日 |
3日 | |||
7月 | 6日 | 13日 21日 | 16日酒匂川 24日酒匂川 27日酒匂川 31日酒匂川 |
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8月 | 8月15日 24日見学 31日 |
2日 | 13日大見川・発電所下流 17日 |
3日酒匂川 6日大井川 |
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9月 | 4日 5日 6日 19日 | 10日大井川 14日大井川 | |||
10月 | 8日 | 12日 19日 26日 29日 |
1日大井川 | ||
11月 | 6日 11日 16日 19日 23日 |
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3月1日 中津川
田代に着いたのは、8時半過ぎ。
もう、空いてますなあ。数回ルアーを投げて、満足。
去年も人だかりがしていた国道下流から左岸への流れ出しのところも空いてますなあ。
まちゃんはいたが、ヤマメねえちゃんらのご一行の姿はなし。
まちゃんと一緒に釣っていたアユ釣りの「へぼ」さんがヤマメ4匹で勝ち組のよう。
何で「へぼ」さん?
何しろ動くことをしないであゆみちゃんの軟派をしているから。まあ、継代人工が対象の世の中になっているから、理にかなっているともいえますが。
平山橋が放流地点か、どうかわからないが、人は少ない。
海底には放流されていないとの話があった。
角田大橋上流には放流されているとの話があったから、ニセあかしやの木があった付近で数回ルアーを振る。あたりがあったから、ヤマメはいるのでしょう。
角田大橋下流へ。
サボZがミノーでヤマメ1匹、餌釣りの人で8匹の人も。
去年、田代の管理釣り場の柵が壊れて大量のニジマスが流れ出したが、その生き残りがまだいるようで、餌釣りの人で糸切れの人が出ている、と。
まあ、サボZも1匹とはいえ、勝ち組に入っているから、めでたしめでたし。
バスに乗ろうとしていたとき、サボMが田代を見てやってきた。
サボZ同様、角田大橋下流でルアーで釣り始めた。ルアーの師匠であるサボMのルアー釣りを見るのは10数年ぶりのこと。
師匠は、スピナーを使った。そして、ルアーは5回ぐらい流すとヤマメが慣れてしまい、というか、飽きられて反応することはなくなる、と。したがって、動く回るように、と。
また、ルアーに反応する条件の時はすぐに釣れる、と。去年、愛川橋で大漁になったとのこと。そのときは、ヤマメが追加放流された時ではないかなあ。
師匠ですら、1回当たりはあったが釣れなかったから、オラが釣れなくても恥ずかしくはない。
去年の狩野川は慶応病院付近でのこと。
まちゃんは、雲金付近よりも上流部に多く放流されたご利益を得て50匹台のあゆみちゃんが釣れた。
そのとき、動かざること山のごとしの「へぼ」さんの上流に入った。そして、まちゃんは釣り下っていく。やむを得ず、「へぼ」ちゃんも下って行かざるを得ない。その結果、「へぼ」ちゃんも大漁になったとのこと。
小雨が降る中、田代から角田大橋まで歩いて、何回か、ルアーを振ったから、あんよの練習になったということにしておきましょう。石ころだらけの川の中は、杖がないと寒中水泳をしそうになるのでは、と。バランス感覚が悪くなっているということでしょう。ということで、水の中に入ったのは少しだけであったが。
3月9日 中津川
あんよの弱り方が早いようで、水の中を少しでも歩いて筋力をつけなければ。
田代でちょっぴりルアーを振るが、水量が1日よりも多いとはいえ、釣れそうもなし。どのくらい散らばったのかなあ、と思いながら、下っていくと、ヤマメキラーさんが。
ヤマメキラーさんは、60トンのダム放流をしたから、ヤマメは流されたはず。八菅付近で止まっていて、友釣りの外道として喜ばれる型のヤマメが釣れるのでは、と。
道理で石がきれいになっていた。水量も6トンくらいとのことであるから、この水量があれば、維持されていたらあゆみちゃんに喜ばれるでしょうに。
角田大橋下流に止まったヤマメがいるかもと、ルアーを振るが反応なし。
1日、ここで餌釣りの人が糸を切られていたが、その主はニジマスの生き残りと考えていた。
しかし、ヤマメキラーさんは、27歳のヤマメも放流しているとのことであるから、20歳くらいの大きさを想定して細い糸を使っていての糸切れかも。
ヤマメキラーさんの古の中津川
ヤマメキラーさんが子供の頃の昭和30年頃、友釣りをする人は僅少。川崎ナンバーの人に仕掛けをもらって友釣りを始めた。
アユが半ズボンに入ってくるほどおり、また、河原にシャネル五番の香りが立ちこめているほど遡上アユは多かったとのこと。その香りがいつ頃消えたのか、記憶にない、と。
8月、9月には、鯖のような大アユが釣れた。
縫い針に糸を巻いて、橦木のようにして使っていたから、引く方向を変えるときは、橦木を逆の方に通す必要があった。大きな鼻管も川崎ナンバーの人からもらって、それからは鼻管を作るようになった、と。
角田大橋のところにも水深6mの淵があり、岩盤で、大石が転がっていたから、その上下の瀬にも絶えず補給されていたとのこと。
堰ができてからも、増水したときに遡上してくるアユがいたとのこと。
淵は、子供にとって危ない、ということで、埋められていった、と。オラは、宮ヶ瀬ダムの影響で埋まっていったと思っていたが、ダムができる以前から人が埋めていたようである。
淵が埋まるということは、魚にとっては、住みにくい環境になった、と。
さて、ヤマメキラーさんも、雪が多くてまだまだ秘密の渓にに入ることはできない。秘密の渓でフライで釣り上げたヤマメは、根こそぎ持ち帰らない。将来も子孫が残るように、川に戻して、一部をいただいている。さすがです。
なお、アユの香りはアユが本来有していて、食料と関係はない、川面にシャネル五番の香りが立ちこまなくなったのはアユの数が少なくなったから、との記述があったが、仮にその説が適切であるとすれば、1匹のアユからはシャネル五番の香りがぷんぷんとするはずですがねえ。
中津川で、時期限定でシャネル五番の香りを楽しむことができたのは、平成の世が始まって数年までの愛川橋上流の、大石がごろごろしていて、流れの幅が狭くなり、また、半原の汚水が流れ込んでいる水路よりも上流でしたが。
2014年相模大堰副魚道遡上量調査 その1 単位:万
2000 年 |
2001 年 |
2002 年 |
2003 年 |
2004 年 |
2005 年 |
2006 年 |
2007 年 |
2008 年 |
2009 年 |
2010 年 |
|
4月1日 から10日 |
23.2 | 204.9 | 568 | 18.4 | 830.9 | 5.6 | 0.5 | 27.4 | 188 | 20.3 | 19 |
4月11日 から20日 |
9.4 | 40.6 | 895.2 | 264.5 | 113.2 | 0 | 2.5 | 24 | 219 | 54 | 81 |
4月21日 から30日 |
36.6 | 125.3 | 387.1 | 232.3 | 499.2 | 42.2 | 23 | 275 | 229 | 40 | 70 |
4月計 | 69 | 371 | 1,850 | 515 | 1,443 | 48 | 26 | 326 | 636 | 114 | 169 |
5月1日 から10日 |
4.4 | 129 | 112.8 | 32.8 | 56.2 | 0.8 | 9.9 | 68.6 | 70 | 2 | 59 |
5月11日 から20日 |
5.5 | 40.7 | 48.5 | 41.2 | 136.7 | 0.6 | 6.1 | 13.8 | 32 | 7 | 3 |
5月21日 から28日 |
3.7 | 8.6 | 9.7 | 108.8 | 45 | 0 | 0.7 | 3.2 | 36 | 0.4 | 2 |
5月計 | 13.6 | 178.3 | 171 | 182.8 | 237.9 | 1.4 | 16.7 | 85.6 | 138 | 9 | 64 |
合計 | 101 | 550 | 2,199 | 706 | 1681 | 49 | 43 | 412 | 774 | 123 | 233 |
3月20日 ~3月31日 |
16 | 1 | 177 | 80 | 296 | 調査 対象 期間外 |
|||||
遡上初出日 | 23日 | 20日 | 25日 | 29日 | 25日 | 4月 4日 |
4月 3日 |
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初出日 最高水温 |
ー | 12度 | 11度 | 12度 | 12度 | 15度 | 13度 |
2011 年 |
2012 年 |
2013 年 |
2014年 | 2015 年 |
2016 年 |
2017 年 |
2018 年 |
2019 年 |
2020 年 |
2021 年 |
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4月1日 から10日 |
61 | 18 |
60 | 89 | |||||||||
4月11日 から20日 |
271 |
56 |
29 | 170 | |||||||||
4月21日 から30日 |
417 |
457 |
63 | ||||||||||
4月計 | 749 |
531 | 152 | 259 | |||||||||
5月1日 から10日 |
62 |
31 | 15 | ||||||||||
5月11日 から20日 |
139 |
20 | 73 | ||||||||||
5月21日 から28日 |
22 |
4 | 7 | ||||||||||
5月計 | 223 |
64 | 95 |
||||||||||
合計 | 972 |
595 | 247 | ||||||||||
3月20日 ~3月31日 |
遡上なし | 遡上 なし |
遡上なし | 4月1日に 7万の遡上があることら3月下旬に遡上の可能性あり |
|||||||||
遡上初出日 | 4月4日 | 4月3日5千 | 4月4日2万 | 4月1日 7万 |
|||||||||
初出日 最高水温 |
13度 | 12度 | 16度 | 13度 |
3月下旬の調査対象期間外の遡上の有無は、不明であるが、遡上があったかも。
3月下旬、4月初めの遡上アユは、解禁日には女子高生、9月頃からは番茶も出花娘や乙女に成長する可能性があるのでは。
4月下旬以降の遡上アユは、「親」資源として貢献してくれるが、友釣りに適する大きさには成長できないのではないかなあ。
成長できる大きさから考えると、2011年並みかも。
しかし、磯部の席の魚道の遡上達成率を低下させる状況になっていなければ良いが。
中津川は、去年でも2カ所の魚道の修繕を要望していた様であるから、遡上できる状況になっているのかなあ。
もし、去年のような放流ものの状況であれば、放流ものの質が高いと想像している酒匂に行くことになるのかなあ。ただ、砂利が多いことが難点であるが。
大井川はどうかなあ。遡上量は?3月下旬の河口の水温が7,8度とのことであるから、遡上開始は4月に入ってからのようで。
狩野川は上流への放流偏重が改まるかも。
2014年相模大堰副魚道遡上量調査 その2 単位:万
2000 年 |
2001 年 |
2002 年 |
2003 年 |
2004 年 |
2005 年 |
2006 年 |
2007 年 |
2008 年 |
2009 年 |
2010 年 |
|
4月1日 から10日 |
23.2 | 204.9 | 568 | 18.4 | 830.9 | 5.6 | 0.5 | 27.4 | 188 | 20.3 | 19 |
4月11日 から20日 |
9.4 | 40.6 | 895.2 | 264.5 | 113.2 | 0 | 2.5 | 24 | 219 | 54 | 81 |
4月21日 から30日 |
36.6 | 125.3 | 387.1 | 232.3 | 499.2 | 42.2 | 23 | 275 | 229 | 40 | 70 |
4月計 | 69 | 371 | 1,850 | 515 | 1,443 | 48 | 26 | 326 | 636 | 114 | 169 |
5月1日 から10日 |
4.4 | 129 | 112.8 | 32.8 | 56.2 | 0.8 | 9.9 | 68.6 | 70 | 2 | 59 |
5月11日 から20日 |
5.5 | 40.7 | 48.5 | 41.2 | 136.7 | 0.6 | 6.1 | 13.8 | 32 | 7 | 3 |
5月21日 から28日 |
3.7 | 8.6 | 9.7 | 108.8 | 45 | 0 | 0.7 | 3.2 | 36 | 0.4 | 2 |
5月計 | 13.6 | 178.3 | 171 | 182.8 | 237.9 | 1.4 | 16.7 | 85.6 | 138 | 9 | 64 |
合計 | 101 | 550 | 2,199 | 706 | 1681 | 49 | 43 | 412 | 774 | 123 | 233 |
3月20日 ~3月31日 |
16 | 1 | 177 | 80 | 296 | 調査 対象 期間外 |
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遡上初出日 | 23日 | 20日 | 25日 | 29日 | 25日 | 4月 4日 |
4月 3日 |
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初出日 最高水温 |
ー | 12度 | 11度 | 12度 | 12度 | 15度 | 13度 |
2011 年 |
2012 年 |
2013 年 |
2014年 | 2015 年 |
2016 年 |
2017 年 |
2018 年 |
2019 年 |
2020 年 |
2021 年 |
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4月1日 から10日 |
61 | 18 |
60 | 89 | |||||||||
4月11日 から20日 |
271 |
56 |
29 | 170 | |||||||||
4月21日 から30日 |
417 |
457 |
63 | 194 |
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4月計 | 749 |
531 | 152 | 453 |
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5月1日 から10日 |
62 |
31 | 15 | 52 |
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5月11日 から20日 |
139 |
20 | 73 | ||||||||||
5月21日 から28日 |
22 |
4 | 7 | ||||||||||
5月計 | 223 |
64 | 95 |
52 | |||||||||
合計 | 972 |
595 | 247 | 505 |
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3月20日 ~3月31日 |
遡上なし | 遡上 なし |
遡上なし | 4月1日に 7万の遡上があることら3月下旬に遡上の可能性あり |
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遡上初出日 | 4月4日 | 4月3日5千 | 4月4日2万 | 4月1日 7万 |
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初出日 最高水温 |
13度 | 12度 | 16度 | 13度 |
1 遡上量から見れば、漁連の義務放流量が数年前から160万になっていることから、相当量の鮎が相模川にいることにはなる。
しかし、磯部の堰の魚道の遡上達成率は、上り口が上流を向いていることから、高くはないと考えている。
2 5月10日、高田橋から見える石は、冬の川の石のまま。14日には、少しきれいになった石があったが、内水面祭りの時の体験放流された人工?が、磨いているかも。
3 中津川は、魚道の修繕が行われたのかなあ。友区が広がったから、魚道がのぼれる状態のところに釣り場ができたのかなあ。
4 5月10日、新昭和橋から見える袋状のチャラに、1メートル×2メートルほどの密集状態の稚鮎がいたが、その氏素性は何かなあ。
大きさは5センチくらい。「トラックで運ばれてきた鮎」の子孫かなあ。昭和橋下流には湧き水のたまりがあるから、そこで生き残ったのかなあ。
もし、遡上アユとすれば、4月上旬、中旬遡上の稚鮎が高田橋付近の石を磨いていると思うが。
5 遡上アユが多いときは、昭和橋下流左岸に流入している八瀬川の塩田桜橋に稚鮎が見える。5月10日には見えなかった。
数年前、磯部の堰の魚道に水が流れない状態になっていた。このときは、遡上開始前に手入れが行われたが。
6 50万以上の大量遡上があった日は、
4月11日 59万 4月17日 57万 4月25日 100万
5月22日 相模川 磯部の堰の魚道を上った?
あんよの練習不足が6月になってどのようにたたるかなあ。
両手のばね指は、注射で対応可能。両肩は注射で対応できていたのに、右肩はリハビリ半年。未だ竿を立てる動作はしんどい。
とはいえ、少しでもあゆみちゃんに元気な姿を見せたいから、川に入った。
鵜はいなくなった。魚道のサギは2羽だけ。右岸の袋になった浅瀬のサギも失業したよう。
内水面祭りの体験放流は、高田橋近くではなく、鯉のぼりのロープが張られていた上流側。
ということで、堰下流からルアーを投げる。
石は冬の川の石のままですなあ。高田橋までそれほど変化はなし。
あゆみちゃんは、磯部の堰の魚道を上っていないのではないかなあ。仮に上っていたとしても、遡上達成率は低い。
迷人見習いが大会に出る。師匠から泳がせの仮免、いや、免許を得、去年の納竿会では、直近の増水で、放流の上流偏重政策で放流された鮎が流されてきて、松下の瀬に止まり、それを相手にして一位になった。
しかも、去年までの上流偏重の放流政策の御利益をたっぷりと享受して、20,30匹は当たり前であったから、鼻息は荒い。
もし、相模大堰副魚道を上った500万ほどの鮎のうち、磯部の堰を100万とか上っていれば、迷人見習いの足下にひれ伏さなければならないなあ。
その心配はなさそう。
磯部の堰の魚道が上ることができるように維持管理されていないかも。そうすると、放流ものだけが釣りの対象であり、しかも、数はそれほど多くなかろうから、ウデではなく、ウンの釣りになる。オラに勝機あり。
もっとも、磯部の堰の魚道は、何らかの条件が生じたときは大量に遡上することもあるようであるから、まだ、迷人見習いのウデを軽んじることはできないかも。
6月1日 相模川
相模大堰副魚道の遡上量調査で500万。磯部の堰の魚道の遡上達成率が、30%、中津川や小鮎川への遡上が仮に100万とすると、100万の遡上鮎が昭和橋上流にいることになる。
漁連の義務放流量が160万であり、そのうち昭和橋上流への放流量が仮に50万とすると、今の倍の鮎が川にいることになる。いや3倍か。
ここ2年間、狩野川の上流偏重放流政策の御利益を得て、2,30は当たり前、と鼻息の荒い迷人見習いが大会に出るため、下見にやってくる。
当然、河原においた竿などの荷物が盗まれないように気を遣わなくても良いから、迷人見習いをアッシー君にする。
それに、迷人見習いがオラよりも多く釣ることは当たり前、とおっしゃっているからそのウデの程を見学することもできる。
高田橋から群れ鮎を探す迷人見習い。その群れの行動をカメラに収めるとのこと。
しかし、下流側に100匹ほどのちびの塊があっただけ。ひろおい水の中にぽつんと100匹ほどがいてもなんの足しにもなりませんなあ。
橋の上流側の石が汚いことを見て、鮎が少ないことを実感してくれた。
釣り人の一部にはちびが釣れているが。いや、釣り人といっても、ちんちん釣り:毛針の流し釣りでは、何十匹と釣れているが。
内水面祭りの時の体験放流地点は、橋のすぐ上流側ではなく、鯉のぼりの上流側ロープの上流側。そのため、橋から見える鮎が少ないともいえるが。
迷人見習いは、橋の少し上流右岸を釣る。オラは、放流地点付近のトロというか、平瀬というか、遡上アユなら敬遠するところへ。
泥アカの石しかないのに、小学生が2匹釣れた。
チャンプ君は、迷人見習いが釣り場とした付近を左岸から右岸へと釣り10匹ほどとのこと。それで、堰下へと移っていったが、又下ってきて右岸側に入った。
田名の主は、オラの竿を河原から持って、今年の鮎釣りはおしまい、と。田名の主に見放される川であり、鮎ではなあ。
さて、鼻息の荒かった迷人見習いは、当然オラの何倍も釣り上げていることでしょう。
しかし、ボウズ。なんじゃあ、ウデはもとのままじゃあ。面だけがでっかくなったということですね。
弁天に移る。
ここも高田橋同様、ばばっちい腐り苔のついた汚い石だけ。それに、水がくさい、ということで、石切場に移動。
11時。ビールタイムには最適ですなあ。つまみは、スーパーの「高級」なチーズにするか、辛子明太子にするか、悩んだ末、和食に。
ウン倍の差をつける、と豪語していた迷人見習いに花を持たせてあげようと、ビールタイムに。弁天で釣れず、移ってきたテク2が瀬に入りすぐ2匹。しかし、迷人見習いはその対面に入っているのに1匹。中学生かなあ。
午後は、ビールを2本も飲んでおぼつかいあんよがいっそうおぼつかないのに、竿を持った。竿保険がなくなるとのことであるから、転んで竿を折りたくないなあ。
とはいえ、オラも大会に出るから、状況を見るしかない。迷人見習いに負けることはあり得ないでしょうが。
中学生が1匹。合計3匹。迷人見習いは中学生が1匹、幼児が1匹。テク2は7,8匹。
石切場の石は、腐りアカが剥離して流れたのか、きれいであったが、鮎が磨いたからきれい、というのではない。
迷人見習いさん、鮎がいないところでも釣れるようにならんとなあ。修行が足りませんなあ。今度の日曜日は荒い鼻息を回復してくださいよ。
丼大王が、春燃えん、と。夏も燃えんとなるのかなあ。解禁日の狩野川に行かないとは、前代未聞の珍事ですから。
人のことをいえる義理ではないですよねえ。オラも狩野川の解禁日を回避したから。
しばらくは相模、中津、酒匂をうろちょろすることになりそう。
相模川に放流された鮎には、F1はおらず、F2,F3と、海産畜養との話が。
継代人工と違い、F1,F2,F3は、大きく育てることが難しいのかなあ。海産畜養は大きいとのこと。大きいといっても女子高生であるが。
数少ない3匹+1匹の下顎側線孔数は、四対左右対称ではなく、3対左右対称であった。
これがF2,F3の特徴を表現しているのか、どうかは、今後も調べる必要がありそう。
6月3日 中津川
去年のどうしょうもない鮎の放流から一転して、F1、F2そして数は少ないと思うが、海産畜養、あるいは寒川の堰でのくみ上げ放流もされている。汲み上げ放流が、網ではなく、逆梁で採捕されるようになれば、遡上アユが堰魚道の遡上阻害、あるいは遡上達成率の著しく低い水準を少しは改善することに寄与するのではないかなあ。
とはいえ、解禁日は、芯で、昨日は芯が品切れになったが、ヘチよりで20,30匹を釣る人は少なくない、という状況になっている。
さて、そのように状況が良い中津川であるが、また、数年前からアオノロが繁茂し、また放流量も少ないのではないかと思っている日向橋地区でオラにとっては大漁である2,30匹が釣れているとのことであるが。
にもかかわらず、何でか、仙台堰下流は釣れていないとのこと。
まずは、その釣れていないという仙台堰下、壊れ橋との中間付近に入る。
すぐに15歳くらいが。観察をしなければいけないため、根掛かり放流をしないように箱入り娘にする。
しかし、その後は蹴られが二回あっただけで、さっぱり。広い空間を独り占めにして、寂しかったが、10時頃に仙台堰下流100メートルか50メートル付近にやっと一人が。
その後釣れたのは小学生2匹。合計3匹も釣れたから、オラにとっては満足すべき数ですね。
まあ、11時になったから、そして最初の中津でボウズにならなかったから、ビールを飲まないと。
もう、止めようかなとの誘惑があるが、角田大橋上流も見ておかないと。
ビールを飲んでいるから、ニセアカシアの木があった付近は根掛かりをはずしにいけない。それで、芯よりも手前に囮を入れましょう。
中学生が釣れた。そして3匹目が釣れた時、2時をすぎた。よねさんが、角田大橋下流で釣れずに上流へと移り、釣り下ってきた。5匹とのこと。オラよりも少ないとは前代未聞の珍事。
気持ちよく囮屋さんに戻ると、田代の車止めから戻ってきた人が、2,30匹。
あゆみちゃんの独り占めは犯罪じゃあ、と文句たらたらいいながら、田代の状況を聞いた。下流側の瀬は、両側から釣っているとのこと。
去年の大会の時は、がらがらやったのになあ。
田代のあゆみちゃんを独り占めにした、とオラにねたまれた人は、大会の時は、ここ数年、下流側になっているとのこと。仙台堰下流が何で鮎の密度が薄いのか、わからないが、大会で下流側に当たると、「ウン」が決め手になるかも。
釣れた6匹の下顎側線孔数は、4対左右対称ではなく、3対左右対称であった。小さいから、一対の孔数が見えにくいということもあるかも。
馬力というか、囮にしたときの元気は、継代人工とは比べものとならないほど。その点で、F1かF2の方が遙かにあゆみちゃんらしい。
しかも容姿も鮫肌人工とは比べものにならないほど美形である。1匹は青みを帯びて一段ときれいであった。
6月14日 相模川
中津川が、100トンのダムの放流から10トンだか、20トンの放流量にしたとき、釣れていた。水曜日だったか、再度100トンの放流にしたが、現在は10トン台の放流量。
白川でも釣れるのであるから、中津にするか、相模にするか、悩むなあ。
相模川も、神川橋で4メートル、厚木で2メートルの増水になった。
しかし、いつものダム放流と異なるのは、まっ黄黄ではなかったこと。十分釣りが可能な濁りであった。
チビがはねているから、増水時に避難した放流ものも多いかも。
ビールなし、クーラーなし、囮1匹を持って、高田橋へ。
先客さんは、ちんちん釣りで40ほど釣り、そのうちの大きいものを囮にして3匹。
オラは15歳と小学生の合計2匹。
囮を養殖に代えて、沖目に出して、根掛かり。普通の人なら、楽に根掛かりをはずしにいけるが。糸を切り終了。1時間働いた。ボウズにならず、あありがたや ありがたや。
田名の主から、神奈川県の種苗生産の仕方が新聞に出ていた、とのことで、その記事を見た。
F2とF11だったかの交配のよう。
島根県や山形県のF1の生産とは大違いであるかも。
ということは、相模、中津で釣れた鮎が、F1やF2の容姿、生活誌を表現していないかも。
ただ、県の種苗生産量が、漁連の義務放流量をまかなえるほどの量ではないようであるから、他の種苗も放流されているのでは。
なお、今日の2匹は、下顎側線孔数がはっきりとは出ていたなかった。なんでかなあ。
丼大王の「春燃えず」、「夏燃えず」病に感染したようで、1時間の労働でも疲れたなあ。
丼大王が、10回以上の丼をして、故松沢さんをあきれさせてから、早くも10年を過ぎたのでは。
その丼大王が、狩野川に行かずに、目の前の川で、ちんちん釣りをして、ビールのつまみを調達しているとは、ご時世ですかなあ。
「藁科川の鮎釣り」のよしよしさんが「質」を求めると書かれていたが、その「質」とどこで妥協するか、の違いがあるとはいうものの、昭和の代のように、遡上アユが釣れていた狩野川であれば、それだけでも満足できるのになあ。
明日、迷人見習いが、相模川にやってくる。
大会でみっともない成績で、師匠の顔に泥を塗りたくないから、と。
なんちゅう自信じゃあ.師匠の顔に泥を塗る、なんて心配をしなければならんほどのウデとはおらは評価しませんぞお。
なにしろ、ダム放流前の高田橋、石切場でオラに負けているとは、へぼの足下にも及ばんということでっせえ。
とはいえ、アカ付きが悪い状態でもアユさえいれば、釣ってくる人がいらっしゃるからなあ。
今年の相模川は、去年の中津同様、3匹釣って1回戦を通過したオラにとっては、「ウン」で釣るありがたあい鮎の密度の状況かも。
6月15日 相模川
まず、石切場へ。
水量は2,30センチ高くらいかなあ。
前回は、瀬肩上流で釣れている人は見えなかったが、平瀬というか、平水ではトロになる付近に入る。跳ねがあり、チビだけでなく、小中学生も跳ねている。
下流側の瀬から避難してきたのかなあ。上流の弁天とか、高田橋から流れてきたのかなあ。
オラの上流側の人は、5匹ほどの小中学生に女子高生も釣れたのではないかなあ。
それに対して、オラは毎度おなじみの吸盤ボウイ。そして12,3歳が1匹。
迷人見習いは釣れていませんなあ。
迷人見習いの鼻をへし折りたくても、前回、へし折ったから、団子鼻しかなし。少し鼻が伸びてくれないとへし折り甲斐がないのに、釣れていませんなあ。
弁天に移るが、少し竿を出しただけで、魅力に欠けるため、高田橋へ。
ただ、弁天の瀬肩上流でも跳ねが見えた。また、瀬肩上流のヘチの泥かぶりの石に食みあとがある。とはいえ、石が砂利の間にあるような雰囲気のため、好かんなあ。
瀬に入っている人、右岸の瀬肩から下流付近に入っている人もいたが、釣れたのかなあ。
高田橋では、迷人見習いは、吸盤ボウイの数でオラよりも上、と。
そして、去年の納竿会の時、松下の瀬に入り、大物賞を獲得した実力を発揮して、鯉をかけた。狩野川で囮を食べに来たさつきちゃんは2回釣り上げているのに、糸を切っていた。竿を折られたくないから、と。
石切場でも、囮が勢いよく逃げるから、あゆみちゃんに追われたのかと思ったが、鯉に追われたのではないか、と。
オラは中学生1匹。
迷人見習いは、地球を釣って根掛かり放流をしながらも小学生1匹。
またもや勝ってしまった。
お百姓さんに、マイナーな争いとさげすまれますなあ。
それほど、鮎の密度は低いということですよ。磯部の堰の魚道に遡上できない何らかの要因が発生しているということではないかなあ。
今度の日曜日、アカ付きがよくなるだけでなく、縄張り鮎がいるようになるのかなあ。
それとも、アカ付きは良好になるが、縄張りアユはいない状態になるのかなあ。
迷人見習いさんの大会初出場は、鮎が少ない川での「ウン」で釣る釣りになる可能性の高いことを実感してくれました。
あ、そうそう、「大物賞」の栄誉に相応しい情景がもう一つあった。
迷人見習いさんが狩野川並みの強いあたり、強い引き、そして、オラに鼻をへし折られる屈辱を受けることもなくなる番茶も出花娘を取り込んだ。
にもかかわらず、ボウズ脱出に大喜びをせざるを得ない結果とは。ハヤでした。
ハヤといい、鯉といい、地球といい、迷人見習いさんの大物釣りは見事でした。
6月19日 相模川
あんよの練習をしないと、すっころぶ確率は、いっそう高くなり、あゆみちゃんの数よりも転んだ数の方が多い、ということになりそう。
18日、昭和橋下流のコロガシに行ったご近所さんは、30匹とのこと。
朝から釣っていたMさんは30ほど。しかし、4時頃からの地合いを待たずに帰ったとのこと。鮎が多ければ、50,100は当たり前のMさんであるが、何で地合いを待たずに帰ったのかなあ。
ご近所さんは、2時頃に釣り場に着いたが、釣り場があいた4時頃から釣り始めた。
当然、ご近所さんの餌食になった鮎は、トロから差してきた鮎と考えてよいはず。
しかし、数日前に、同じところで、同じ時間に釣ったときは、数匹とのこと。
そうすると、「地合い」でトロから差してきた、ともいえない。Mさんも地合いの頼りなさを知っているから、3時頃に帰ったのかも。
そうすると、いかなる氏素性の鮎か、が問題になる。変わった生活誌、習性を持っている何らかの放流ものでしょうが。
それと同様、まともな鮎が放流されているとは考えられない相模川であるが、高田橋へ。
数人が入っているが、右岸側を釣っている人も釣れていませんなあ。早々と竿をたたんだ人も。オラの上流側から右岸へ地を釣るために渡った人は、ヘチ寄りで1匹釣ったが、その後は釣り下っていった。
オラの下流側の人は、15歳くらいを2匹釣ったが、竿頭かも。
なにしろ、オラが、チビが1匹で、小学生のばらし1回だけですからねえ。
なにい、迷人見習いに勝ったからといっても、へぼ同士のマイナーな勝負に過ぎない、おまんが釣れなくても当たり前じゃあ.図に乗るな。
ごもっともです。
ヒイヒイ、いいながら、朝ビールを飲んだかったるいあんよで、旧大山街道の坂道を上ると、雄物川さんがいた。
雄物川さんは、昭和橋上流のコロガシができなくなって、ドブ釣りに。
釣り場は、高田橋橋脚の右岸側。1カ所だけ、二つの流れがぶつかるとこだけ、一点豪華主義の場所があるとのこと。先日もぴったりと50匹。
アカ付き良好、泥かぶりが多くなっている。何で、雄物川さんの釣り場だけ、鮎がたまっているのかなあ。
6月21日 相模川
高田橋には、10人ほどが、そして9時頃には20人ほどが入っている。今年最高の「大入り満員」かなあ。とはいえ、どこにでも入ることのできる空間があるが。
大会の下見が多いかも。大会が終われば、鵜だけでなく、釣り人にも見向きもされなくなるでしょうなあ。
それにしても取り込む動作が見えませんなあ。
イさんがやってきた。そのとき、団子でかかったが、バレ。前回は幼児が出家を阻止してくれたが、今回は慈悲深いあゆみちゃんとは出会えず。
オラの上流側の人は団子で取り込めたのに。というか、取り込んだ動作を見たのはそれだけ。
団子のばらしが終わった頃、イさんにテク2から電話が。
葉山に行く、囮はある、と。
テク2は解禁日しか囮を買わないから、囮の補充ができているということでしょう。
ただ、テク2が釣れても、イさんに「備わった鮎」がいるとは限らないが。
数年前、葉山でテク2は大漁、イさんは惨め、ということがあったなあ。強い瀬だけが漁場の時は、イさんには手が出ないよう。今年はどうかなあ。
6月22日 相模川
21日、テク2らは葉山に入り、26匹?。前日、幸せ男共々、葉山で30ほど。当然、囮はいっぱいありますなあ。
釣り場は、瀬ではなくトロっぽいところで、石裏のたるみでの待ち釣りとのこと。
マムシキラーさんがやってきて、テク2の竿を取り上げて釣り上げるも、自らの竿を出すことも、タイツに着替えることもなし。
マムシキラーさんにとっては、釣り場が瀬でないこと、大きさが気に入らないことから、釣り支度をする状況ではないと考えたのかなあ。
なお、イさんは6匹?とのことであるから、いつものように5倍くらいの差がついている。
葉山に、上流から流されてきた鮎が淵等にたまったのか、それとも、放流量が多かったのか、わからないが、大会エリア外であるから、石切場へ。
雨の中、大会の下見で20人ほどが。ご苦労様。釣れているのは、ブロック下流くらいかなあ。瀬肩付近で1回取り込みの動作を見たが。
当然トロへ。跳ねているからアユはいる。縄張り鮎がいる、なんて、夢のまた夢。鮎がいるだけで満足しないと。
この調子では、1匹か、2匹で1回戦通過かなあ。2回戦は早掛けがあるのかなあ。
暇をもてあましている。
太宰は、「御伽草子」の中の「浦島太郎」で、乙姫様が約束を違えた太郎に懲罰としてジジーにした、との通説に異議を唱えて、見ず知らずの人々の中で生きていくことが大変であり、追憶の世界で生きていくしかない、そのためにはジジ-になるしかない、との思いやりから、玉手箱を渡した、と。
オラも追憶の世界に身を置きましょう。シャネル5番の香りを振りまく鮎も、遡上アユも希少価値となった今が生きにくいから。それに、カッパを着ての釣りは21世紀になって初めてのことでしょうから、雨でも釣りをしていた頃を思い出すために。
20世紀の終わり頃、那珂川は黒羽での大会の2回戦、すぐに2匹釣れた。
しかし、雨は降る、ゴミは流れてくる、釣れる鮎は相模川と同様、継代人工。当時、磯部の堰を遡上できなかったから、高田橋にいるアユは放流ものだけ。
その中で釣りをしたくないから、早々と検量して、川沿いのラーメン屋に入り、熱燗とラーメンをゆっくりと味わっていた。
大会を見ていたアッシー君たちは、早掛けを嫌々している人がいた、と。
今年の相模川も早掛けになるのかなあ。
那珂川のついでにもう一つの思い出を。
故須合さんが亡くなられる1,2年前の湯殿大橋での大会の時のこと。
丸太ん棒に囮を持って行かれて検量に。
故須合さんが、よお、戻ってきたか、と、にこやかに迎えてくれた。
しかし、舟から10匹の鮎が出てくると、最後までガンバらな駄目だ、と雷を落とされた。1回戦通過は、須合さんの読み通り12匹であった。
故須合さんは、その大会の2回戦の時も怒鳴られた。
須合さんの仲間が、背後の人への注意を払うことなく、後退したとき。湯殿大橋下流の瀬は、3列になっていた。
マナーに厳しい人であった。
町裏に現在の護岸ができることになった洪水のあと、故須合さんが3時頃から瀬に入り、掛かったときに、ホッホッと、かけ声を出されていた瀬はなくなり、石も埋まってしまっていた。数年前に、といってももうすぐ一昔になるかも知れないが、湯殿大橋に入ったときは、少し瀬が回復していた。
湯殿大橋下流の土手と、ぽっぽ農園?の間に水路が流れている。ある年、その水路で上流側と下流側から大きい網・さで網?で鮎と捕まえて、ぽっぽ農園のところで塩焼きにして、やってきた人々に振る舞っていたなあ。
ぽっぽ農園の食堂は大好き。昼ビールが飲めたから。
いつごろから、那珂川が放流河川に成り下がったのかなあ。
なんて、追憶に浸っていると、掛かった。
しかし、ハヤ。しかも仕掛けをぐちょぐちょにされた。
迷人見習い共々仲良くボウズのまま、高田橋へ。
波立ちのところに入るも釣れません。釣れている人は何人いるのかなあ。
昼に飲んだビールは「寒い」なあ。
天気予報が外れて、ビールを飲んでからも雨が降っている。もう釣りをしたくない。
チャンプ君はさすがに釣れていて、オラの見た数でも2匹いる。
迷人見習いもボウズにならず、また、鼻が伸びた。1匹ですが。まあ、団子鼻じゃあ、折ることができないから、もう少し鼻が伸びてからへし折りましょう。
平成の初め頃、鈴子さんが相模川の講習会にやってきた。帰るとき、相模川には鮎がいない、と。長良川に堰がなかった頃、長良川で釣りをしていた鈴子さんから見ると、「鮎がいない」相模川ですよね。
6月27日 相模川
昨日の大会の1回戦通過者は、1匹との話があった。そしてトップは10匹。当然囮を含まない。全国大会への切符は6匹で、トップは9匹、と。
磯部の堰を遡上できないから当然の結果でしょう。しかも、大きくなれない鮎が放流されているようであるから、縄張り鮎は夢としても、眼をつけた、と囮に突っかかってくる鮎も少ないでしょう。
去年、中津川での大会で始めて大会参加をした人が下見に来ていた。去年の大会の時はボウズであったが、周りもボウズ、と。
今年の相模川の大会は、そのときと同じ、と話して、弁天、石切場を見ながら説明した。ご本人は桂川に行きたかったが。
弁天の瀬は、放流地点ではない、上流からダム放流で流されてきた鮎がどこかにいるかも。
分流は、遡上アユが多いときは鮎がいるが、今年はいないであろう。しかし、分流は人盛り。迷人見習いが生体反応がない、といって、早々と見限ったところですがねえ。
弁天の瀬尻は、石切場に放流された鮎が回遊してきてたまることはあるが、今年はどうか、わからない。
石切場に行くと、まちゃんがいた。まちゃんは、昨日放流された状況を見ていた。
そして、放流地点は、左岸ブロックの下流側。ヘチを通って上流に行く鮎がいた、大きさは、通常の継代人工の成魚放流よりは小さい、と。
さて、迷人見習いが一番気にしていた大会直前の放流がどのように影響するのかなあ。
ブロック下流の人が1匹しか釣れない、と場所移動をしていた。1匹が釣れるなら、そこは特等席なんですがねえ。
ブロックのところに入っている他の人たちは立ちこみすぎではないのかなあ。
ということで、遡上アユがいない磯部の堰上流に逆戻りをしていた。
2回戦トップは、高田橋の釣果とのこと。
どこが釣れたのかなあ。2回戦であるから、他人に邪魔をされない釣りができるでしょうが、羨ましいなあ。
囮を1匹持って、弁天に行き、金脈を探すか、高田橋で時間をつぶすか。当然あんよが楽な方を選択。
上下の人は1,2匹釣っていたが、ボウズ街道今日も健在。相模川の鮎をまた1匹増やしました。
漁協役員の人に、磯部の堰の魚道が遡上できないのはなぜか、と聞くと、遡上している、と。
遡上量が多ければ、昨日の結果にはならないんですがねえ。
チビがいるから、と。
高橋勇夫さんのご託宣によれば、アユの数が多いから大きくなれない、となるが。食料はたっぷり、ダム放流後もあかぐされを起こしているんですがねえ。
大きく育つことのない鮎を放流しているからでしょう。夏至の頃までに消化器官が発達していないと、大きくならない、との話があったが、10月14日まで、大きくなることはない鮎でしょう。
遡上アユが多ければ、ドブ釣りで2束、3束当たり前、コロガシで50,100当たり前の人もいるんですがねえ。
今年は、ドブ釣りで、雄物川さんが高田橋下流で50がダントツ、昭和橋下流のコロガシで20,30が大漁という状況ですがねえ。
漁協役員が、磯部の堰の魚道を遡上できる、している、との認識であるから、20世紀のように、磯部の堰上流には遡上アユがいないという相模川に逆戻りをするのでしょう。
さて、明日、迷人見習いはどこに入るのかなあ。
迷人見習いもご存じの女性が、松ヶ瀬の大会で1回戦を通過している。迷人見習いが1回戦ボウイとなると、団子鼻が、鼻ぺちゃになってしまうなあ。
6月29日 相模川
昨日の大会1回戦で、高田橋は鏡を除いてこんではいるが、窮屈な釣りをしなくてもよい状態。弁天分流には水深のないところに人が固まっている。本流は、トロと瀬では、トロに入った人の方が多いよう。石切場は波立ちのある瀬にほとんどの人が入っている。
迷人見習いは、石切場のブロックのすぐ下流にいた。
右岸側の下流境界線近くの人が釣れたのを見ただけ。
跳ねが少ないなあ。
分流では人は減っているが、2人が釣れているよう。秋川名物の群れ鮎崩しの仕掛けかなあ。
さて、迷人見習いは相模川名物?のボウズ。見事に師匠の顔を泥まみれにしました。
ブロックのところの人が突然釣れだしたとのこと。
迷人見習いのお隣さん?になった先日の大会を見ながら釣り場の説明に引きずり込まれた人が、4匹目をばらしていなければ、2回戦へのじゃんけんの仲間入りができた、とのこと。
ということは、上下の人は釣れて、迷人見習い1人だけが蚊帳の外ということのよう。
さて、今日の天気予報は、雨なし、5時前のネットでも雨雲なし。カッパを持たずに出掛ける。ところが、迷人見習いの涙雨は止まない。7時を過ぎてからやっと止んだが。
石切場に行くKさんが後ろから追いついてきた。囮配りの順序が遅いため、高田橋をあきらめて石切場に行くとのこと。それで、ブロック下流側に入るように、と。
石切場の瀬肩から下流は、昨日よりも人が少ない。Kさんは、ブロック下流の2番目に良さそうに見えたところに入った。そして4匹釣って、2回戦へ。じゃんけんコースは3匹。
オラは? トロに入り、釣れたのはゴミとエビと地球だけ。吸盤ボウイにも相手にされず。
吸盤ボウイがいっていました。「こんなアカぐされに泥がついた食料を食べることができるか」、と。贅沢をいいなさんな。戦中、戦後はこんな食料でもありがたかったんですよ。
それにですよ、まずいアカでも食べると、すぐにおいしいアカが繁殖してきますよ。
「何をとんちんかんなことを言ってんじゃあ。食料を食べる鮎がいない、少ないから、すぐに腐りアカの泥かぶりの石になってしまうわ。」
そうおっしゃいますがねえ、漁協の人たちは、いっぱい磯部の堰をのぼり、遡上アユが多いといってますがねえ。
名人のご託宣通り、2回戦の頃から、瀬の芯が釣れだしたよう。
車の通行量が非常に少ない中、交通事故を期待する釣りでは手も足も出ないということで、困りましたなあ。
名人は、また、人工鮎の成魚放流が行われ、管理釣り場の釣りになった、従って、その状況に適合する釣り方をしないと釣れない、と。
まあ、鮎釣りをして3回目?のボウズと悩み悲しんでいる迷人見習いを悲しませないためにも、オラがボウズであってよかった、よかった。
桂川が、人工の放流とはいえ、きれいな鮎との話があった。まちゃんは、中でも鶴川の鮎、水は良い、と。100匹釣ることも夢ではない、と。ただ、車をおいて川に下り、1キロは歩かないと数は出ない、と。
駐車場が完備していて、川に楽に行けるところでは大釣りは困難、と。
アッシー君がいれば、桂川の人工鮎がどんなものか、見てみたいなあ。
7月6日 中津川
丼大王の「春燃えぬ」、「夏燃えぬ」病が感染したようで。
丼大王は庭先の小川で小さい遡上アユと戯れ、あるいは、友釣りをすると吸盤ボウイに大歓迎され、と、未だに狩野川に行っていなかった。今日はさすがに出掛けたのではないかなあ。オラは、ボウズから脱出するため、酒匂川に行こうと決意を秘めていたのに、朝になると邪魔くさいなあ。質のよい鮎が放流されているでしょうが、電車に乗っていくほどのことはないか、と。
中津川には、数日前に2日に分けて放流された。
その鮎の一つは大きい継代人工、もう一つは小さかった、と。
ともに、放流地点にとどまらず、ヘチを上流に泳いでいったとのこと。
そして、瀬に入ったものもあり、瀬でも釣れるが、集団であるから、少し塊をはずすと釣れない、とのこと。壊れ橋上流では、ヘチが釣れるとのこと。
また、角田大橋上下も釣れる、との話があったから、橋のすぐ下流付近に入ろうと思ったが、先客がずらあっと入っている。
やむを得ず、皆さんがすたすたと渡る流れをやっとこさ、渡るが、今度は草の中を歩くことに。釣り人道はなし。いや、貧弱で、茨で柔肌を傷つけた。
壊れ橋までいっても入るところはないでしょうなあ。ということで、放流ヤマメの釣り場である瀬落ち下流に入るが、鮎が全然見えません。
あきらめて、壊れ橋方向へと歩いて、あいているところを探す。
壊れ橋付近では、流れの真ん中にたち、ヘチを釣っている。その上流の波立ちのある瀬でも、同じく、左岸へ地を釣っている。瀬の芯よりも手前に囮を入れれば、先客さんの邪魔の度合いも少なかろう。
暇ですなあ。煙草がすすみますなあ。周りも釣れていませんなあ。壊れ橋上流の真ん中に立って、ヘチを釣っている人も釣れているようには見えないが。カーブしている下流では釣れているのかなあ。
ヤマメの子供が釣れただけ。ダムがなかった頃、愛川橋上流では、ヤマメの子供を釣ったことがあったが、ダムができてからは初めてのこと。100トンのダム放流で流されてきたのかなあ。
ダム下流でもヤマメの再生産が行われているのかなあ。それとも、子供も放流しているのかなあ。
周りで釣れたのを見たのは、竿をたたんでいるとき、下流側の人が囮並みの大きさの継代人工を釣った時だけ。
大会の結果は、10匹ほど釣らないと、1回戦を通過できない状態。そんなに塊が多数あったとは、心外です。
2回戦も20匹ほど釣った人が上位。その人たちは、1回戦と同じ場所に入ったとのこと。ということは、塊は大きいということかも。
何で、瀬にいても、集団生活をしているのかなあ。
テク1の川の見立ては正確でした。
そして、ボウズ街道まっしぐらです。これじゃあ、「夏燃える」ことは永遠にやってきませんね。
昭和橋下流のコロガシでは、小中学生はいない、とのこと。高校生に番茶も出花娘が混じる、と。先日、ご近所さんが釣ってきた2人分で、20匹ほどを見た。たしかに、高校生の継代人工。
ということは、漁連の義務放流でも、漁協により放流する鮎の氏素性を異にしているということかも。
高田橋に放流された鮎が、小沢の堰の魚道を上っていたとのこと。そのことと、チビ鮎がいることから、「磯部の堰の魚道を遡上している」との話になっているよう。県産の30ウン代でやっと生産中止となった継代人工では、小中学生や幼児が放流されることは考えられなかった。小中学生や幼児は、海産畜養か遡上アユであったから。
それが、現在では、F1かF2とF11を掛け合わせた人工が県種苗センターで生産されているよう。それが、小中学生の素ではないかなあ。決して、チビ鮎のいることが磯部の堰の魚道を上っている証拠にはならない。
相模川で行われた先週の大会で、上位大会進出が高い確率で保証されているような面々が1回戦ボウイ。2回戦に行ったのは1人だけかなあ。
その方々が葉山で憂さ晴らし。テク2同様、淵から差してくる鮎をだっこして大会で釣れなかった鬱憤を晴らしていたとのこと。
相模川は、1週間前の大会では何でか追加放流された鮎が釣れる鮎の主役にはなっていなかったよう。
しかし、昨日の相模川での大会では、追加放流された鮎も釣りの主役となっていたようで、1週間前よりも1回戦、2回戦の釣果が、増えていた。
相模川では、追加放流された鮎が、釣りの対象となるのに1週間あまりの時間を必要としたのに、あるいは、一部の例外を除いて少し時間がかかったのに、中津川では放流後時間が数日しかたっていないのに釣れる状態になったのはなんでかなあ。
氏素性にどのような違いがあるのかなあ。
遡上アユでも、棚一つ違えば、オラが名人にたっぷりと差をつける天変地変が生じることはある。しかし、その幸運は、例外中の例外に過ぎない。
県産継代人工には見られなかった瀬に入る、小沢の堰の魚道を上る、という行動をしても、何で、集団生活をしているのかなあ。
時間がたてば、自発的にばらけるのかなあ。
集団生活をしている放流ものの攻撃衝動が解発されるのはいかなる動機付けによるのかなあ。
「縄張り鮎」という行動特性も「香」魚同様、絶滅危惧種になるのかなあ。
そして、大会は、「ウデ」ではなく、「塊」に入ることのあんよ勝負になるのかなあ。
ますます、「管理釣り場」的な鮎のいる川では「夏燃ゆる」は、昔々あったとさ、になっていくなあ。
昨日の相模川の雨降る大会と違い、お日様にこにこ、ビールが旨い日和であったことに感謝しましょう。
7月13日 狩野川
「こてんぱんに、やっつけますから、首を洗ってまってなさい。」
と、迷人見習いが狩野川に連れて行ってくれることに。
磯部の堰上流には遡上アユが居らず、「管理釣り場」のようになった相模川であるから、オラに大差で勝つ頃ができない、狩野川では、20,30当たり前、の凄腕を見えつけてやる、と。
西平橋下流の何とか淵橋という吊り橋へ。
吊り橋から群れ鮎が見える。数百くらいの規模ではないかなあ。放流地点ではないから、遡上アユ。遡上量の多いときは、吊り橋上下に数組の群れ鮎がいるとのこと。それより少ないから、今年の遡上量は余り多くないのでは、と。
大石が転がっている河原は歩きにくいなあ。迷人見習いはすたすた歩いているが、その歩き方を真似たら転んで竿を折ることになるから、足の置き場をよく考えながら、瀬へ。
そこでもどこに足をおいたら、取り込んだとき、タモが水につかるようにできるか、考えながら立ち位置を選ぶ。
迷人見習いは、群れ鮎の見えた付近から釣り下ってくる。1匹ばらした、と。
右岸側へ地で小学生が跳ねているが、瀬にひらを打つ鮎が見えない。流れの強弱は、石の影響を受けて微妙に変化している。適切な囮操作ができているとは、思えないが、1番鮎なら、すっ飛んできてくれるでしょう。
しかし、なんの反応もなし。
その原因は?
迷人見習いが、迷人見習いの師匠がここにやってきた痕跡を見つけた。
師匠が前日に入ったあとで、オラに「備わった」鮎が残っていることあり得ず。
1番鮎どころか、2番鮎、3番鮎もだまくらかいてかっさらっていったはず。
竹内さんがあゆみちゃんと戯れていた昭和30年か、40年代でも、釣り返しが効かなくなった、と書かれていることから、遡上量が少ない現在、師匠がかっさらったあと、数日たたないと、空き家が埋まることはなかろう。
あきらめて、また、えんやこら、両手を使って護岸をのぼり、10時半頃、吊り橋から覗くと、群れ鮎がはみ出している。今なら群れ鮎のいる付近でも釣れるはず。迷人見習いは、時の運に見放されていた。
ということで、遡上アユが釣れる場所を見ながら車は下流へ、と場所移動。
とある瀬に数人が入っている。その人たちから50メートルほど下流に師匠が入っている。
そこも遡上アユしかいないはずであるから、師匠は広く動きながら、あゆみちゃんを軟派しているのでしょう。
入る空間のある瀬もあったが、遡上アユはあきらめて、松ヶ瀬へ。
迷人見習いが、右岸側を上ってきたアユが、左岸側へ上るルートに変更するから、ここは最上の場所、というところにオラを入れてくれた。
そして、このことは絶対に書いておけよ、と。
その最上の場所で昼のチャイムとともに、継代人工が釣れた。
と、迷人見習いの涙雨が降ってきた。竿をぬらさずにたためたから、竿を乾かさなくてもすむ。
涙雨は、ビールを飲み終えても続いている。ゲートボール場のトタン屋根のある休息所で雨の止むのを待っていた。
止んだから、川に入り、迷人見習いの上流へと歩いて行く。そうすると、今度は迷人見習いの大粒の涙雨が降ってきた。カッパのないことだけでなく、天城に大雨が降り、10センチほど増水しても、オラにとっては大変な事態になる。慌てて、草むらの十分整備されていない釣り人道へ。最後に溝があったから困ったなあ、と思ったが、板がかけられていた。ありがたや。
もう、釣ることを止めましょう。
迷人見習い達と師匠が勝負するとき、迷人見習い達に師匠の倍の釣り時間のハンディが与えられるとのこと。それを実行して、迷人見習いの悔し涙雨を止めましょう。
4時頃、やっと、迷人見習いが1匹、中学生を釣り上げた。おめでとうございます。
とはいえ、オラのクビを切るという大言壮語は、どこに消えたのでしょうかねえ。
松ヶ瀬が釣れなくなったのは、大会用に放流された人工が品切れになったからでは、とのこと。
オラにとっては、継代人工が釣れなくても痛くも痒くもないが。
迷人見習いは、今度の休みには2日釣りをするとのこと。オラも2日の釣りをしたいのは山々なれど、今年、1日に3時間ほどしか働いていないため、2日も川に浸ることは、ボデーのどっかに支障が出るかも。ということで、1日だけつきあうことにする。
迷人見習いが、やっと、鮎の質に関心を持ってくれるようになった。
平成の初め頃まで、神島橋の東洋醸造の廃液処理水が入る水路の下流は、釣り人なし、大きい鮎が釣れる、ということで喜んでいた。
その頃までは、「鮎の質」にこだわる人が多かったため、釣り人がいなかっただけ。
故松沢さん達が、白川の中、松原橋の水草の上に囮を泳がせ、釣り上げた大鮎を新規開業していた仲買人に持ち込んだ。
仲買人は、ええ鮎や、どこの鮎や、というから狩野川の鮎と答えた。ウソはついていないよ。翌日、代金を取りに行くと売れなかった、引き取ってくれ、と。故松沢さん達は、仲買人から無理矢理代金を取り上げた。
その頃は、釣り人も、仲買人も、料理人も、「鮎の質」がわかる目利きがいた。そして、オラのように大きければよい、という人はトウシロだけということ。
トウシロの仲買人は迷惑千万、退場しろ、ということが、故松沢さん達のいたずらでした。
迷人見習いが、下顎側線孔数が4対左右対称でも、容姿を異にする鮎が4種いる、と。
残念ながら、その4種にはお目にかかれなかったが。
継代人工でも、下顎側線孔数が4対左右対称になる。下顎側線孔数が「乱れる」とは、「乱れない」ものもいるということ。ある釣り人は、「乱れた」結果、下顎側線孔数が4対左右対称になる継代人工は2割ほどある、と書かれていたが。
迷人見習いさん、師匠に「目利き」への道を修行をしてもらいなさいよ。
そして、最後に、もう、オラに負けているから、と涙雨を降らさないでえ。寒かったよ。車の中で飲んだ酒で少しは暖まったが。
それから、涙雨を降らせて、オラに無限大の格差をつけられないように迷人見習いを応援したお天道様、神様、仏様に感謝するんですよ。箱根を降りると雨のかけらもなかったことからも、迷人見習いの大言壮語を「大嘘つき」としないための神々の恩寵ですよ。
さて、迷人見習いの涙雨のため、今日も3時間ほどしか働かなかった。
53キロの体重は、シーズンに入ると、47,8キロになるのに、今年は54キロに増えた。このままいくと、お百姓様や腹に札束を詰め込んだ社長様と「腹」友になってしまうよお。
いやじゃああ。
早く、1日釣りをしたくなる川に行きたいよお。
ニホンオオカミを調べている方が、「昭和のあゆみちゃん序章」→素石さん編の「山釣り 遙かなる憧憬の谿から」掲載の亀井さんの「イヌワシの飛ぶ渓」に、オオカミの遠吠えを聞いたとの記述を見つけられた。
それで、状況をたずねてこられた。
残念ながら、亀井さんの「伝聞」の記述に過ぎないと返事をしたが。もし、オオカミの痕跡があれば、薬草を採るため、大台ヶ原にも入り、大台ヶ原に岩魚が生息されていることを観察された前さんや、あるいは今西博士らが調査をされたのではないか、と思っているが。
それにしても、アナログ人間には想像もつかない検索手法をされているということかなあ。
いつになったら、あゆみちゃんとの逢い引きのことを自慢できるようになるのかなあ。
7月16日 酒匂川
1日3時間労働から脱却し、お百姓さまらと「腹」友にならないようにするには、いつでも、どこでも、釣れる可能性のあるところに行くしかない。
丼大王は、狩野川の松下の瀬に入り、上流放流偏重の組合長交代のご利益を受けているが、どうも、配分の正義・平等が達成されているとはいえないよう。夕方には、鵜と丼大王だけが取り残されていたとのことであるから。
それに、継代人工を釣りに狩野川まで行きたくないしなあ。
酒匂川は、放流ものの質が高い、ということは、湖産放流全盛時代からの伝統のよう。湖産に等級があり、湖産のブランドに海産、そして昭和55年頃からは、継代人工がブレンドされていた。等級が高いものは高価。相模川には等級の低いものが放流されていたようで、亡き師匠らは、ダム湖補償で湖産の現物が補償されていた道志川に出掛けていた。当然、等級の高い湖産を県と漁協が琵琶湖に買い付けに行っていたとのこと。
その道志川と同等か、同等に近い等級の湖産が酒匂川に放流されていたため、亡き師匠らは、酒匂川で水のきれいな谷峨に出掛けていた。
現在、湖産の放流は限定的であろうが、海産畜養の放流も行われている。その量はわからないが。新十文字橋上流、神栄倉庫下流へ。
10時前について、どこでもお好きな場所をどうぞ、というほど、酒匂川がすいていることはないですよね。7時に家を出たんですがねえ。
湖産放流全盛時代とは異なり、隙間はある。その隙間に入る。すぐに掛かった。下流側の人が右岸側の人が入れがかりをしているのを見て、右岸側へ移動。そのため、オラの釣り場が広がり、大きい石の付近にできた流れに囮を入れるとすぐにまた掛かった。
オラは上手いなあ。迷人見習いにクビを切られなかったのは、当然のことですなあ。
しかし、11時頃から反応なし。
12時のチャイムが鳴ったとき、掛かったが、今日初めてのバレ。
先日の狩野川と違い、お日様にこにこ、こんな日にビールを飲まずして、いつ飲むんじゃあ.それにですよ、水深2,30センチ。オラのあんよでも川流れはありません。
さらに、10匹釣れたから、今年の累計あゆみちゃんだっこ数がやっとつ抜けしたんですよ。こんなめでたいときにビールを飲まずに居られようか。
もう、帰ってもよいが、それでは1日3時間しか働かないという陋習を打ち破ることができません。
それで、囮を入れるとすぐに掛かった。しかし、またもやバレ。4本碇から3本碇にするか、身切れではないはずであるが、ハンマー効果を期待して7号にするか、一応悩みました。
悩んだだけで、4匹追加。
やっと2時30分になった。バスが混む前に帰らないと、鮎バックが邪魔になり、他の乗客にご迷惑をおかけすることになる。
それに14匹も釣れたからめでたしめでたし。丼大王に張り合って、20匹台なんて、そんな野望は捨てましょう。
2匹目が釣れたとき、監視員がやってきたから、海産畜養では、と聞くと、そうだ、と。
14匹は、女子高生。厳密に計測すると、番茶も出花娘も混じっているが。
海産畜養と継代人工は半々くらい。
これは、場所によって比率が変わるのでは。
2時半頃、流れがよいように見える新十文字橋付近は空いている。オラの入っていた付近も空いている。混んでいたのは、新栄倉庫の上流。
海産畜養、継代人工が好む場所があるのかも。
また、小中学生が多いところもあるとのこと。
7月21日 狩野川
前回は、迷人見習いに大差をつけられるどころか、オラが「無限大」の大差?をつけていたため、迷人見習いの大粒の涙雨で、昼からも釣をされていた方々にご迷惑をおかけした。4時にやっとオラに追いついて、といっても1匹であるが、涙雨は降り止んだ。
せっかくの連休に迷人見習いの涙雨で、釣り人の楽しみを奪うことは忍びない。今日は、迷人見習いに花を持たせてあげましょう。
狩野川大橋、修善寺橋、ドーム前等、道から見える場所の釣り人は少ないなあ。
吊り橋である鈴が淵橋へ。
迷人見習いは、群れ鮎が見える付近へ。群れ鮎の食堂で5匹。小中学生に幼児。
オラは瀬で中学生2匹。
迷人見習いは、前回の数少ないバレ対応として、ヤナギを使用。
ここにいる鮎に、遡上アユだけでなく、上流に放流された鮎も少しは混じっているのではないかなあ。それが増水の時、流れてきたのもいるのではないかなあ。右岸へ地で跳ねていた番茶も出花娘はその仲間ではないかなあ。
中学生で気になったことは、下顎側線溝数が四対左右対称でないこと、背びれが帆掛け船であること。とはいえ、11月に遡上アユのチビ鮎を釣っていたときから幾星霜。したがって、遡上チビアユの容姿の記憶はなし。
殿淵へ。
川にブルが入り、殿淵を、また、殿淵から右岸へ流れていたザラ瀬を、右岸の瀬を、川の流れの変化をすべてなくして、平坦化したのは二昔ほど前のこと。やっと、川らしい流れの変化が少し回復してきた。
柿木川出会いの石がごろごろしていた流れは砂利になっている。
放流ものが多いから、ということで、やってきたが、河原も水の中も歩きやすいなあ。
鈴が淵橋の河原で、迷人見習いはすっころんだ。残念ながら、竿は無事。そのような事態に、殿淵ではオラでもならないでしょう。
迷人見習いは、立ちこんで左岸へ地を釣っている。そのような釣り方をしないと、継代人工も残っていないということかなあ。
ヘチ釣りを止めて、普通の釣り方をして、迷人見習いは継代人工を5匹。オラはボウズ。
3時に釣り上げた継代人工は、迷人見習いの快心の1匹。それは、迷人見習いのハリを蹴飛ばした鮎。蹴った鮎は、10分ほど時間が経過するか、囮が変わるか、どっちの要因か、はわからないが、必ず釣れる、ということ。それで、囮を替えて釣り上げたもの。その知識の成果であるため、一段と笑顔に。
あ、オラには吸盤ボウイが釣れた。久々の吸盤ボウイ。懐かしいなあ。
ということで五倍の格差をつけた迷人見習いのご機嫌のよいこと。
そろそろ、大井川の石にアカが付き始めているのではないかなあ。放流ものの密度は、酒匂川の方が高いのではないかなあ。
こんどはあ いずこの川かあ。
丼大王ですら、2匹の川では、おらが2匹も釣れたとは、上々のできです。
7月24日 酒匂川
放流ものを求めるしかない状況では、少しでも質のよいあゆみちゃんが好ましい。よねさんは、先日足柄大橋で20匹台とのこと。鮎沢川での崩落後の砂利まみれの状況になる前は、よねさんが、相模川で竿を出すことはほんの僅か。
酒匂川の囮屋さんに道具を預けて、昭和50年頃から、酒匂川に入り浸っていたよねさんに「勝負」なんてことは口が裂けても言えません。
先日と違い、少し空いている。よねさんは新十文字橋付近へ。オラは前回同様、その上流の大きい石がある付近へ。
竿泥棒対策として、竿は1本しか持ってきていないが、荷物が盗られることも困る。よねさんは橋脚のところの中州に、オラは、水辺まで草が進出していない小さな空間に荷物を置く。
すぐに釣れた。しかし、午前は4匹のみ。
昼、よねさんを見に行くと、12,3匹とのこと。
午後、10匹が釣れて、合計14匹。よねさんは合計22匹。21才くらいも混じっていたが、海産畜養よりも継代人工の方が多かった。
オラはバレが4匹。
バレその1 目印が見えない。両眼の白内障の手術が終わっているから、度入りの新しい偏光眼鏡を買えばよいが、高いからなあ。掛かり鮎に目印をすっ飛ばされて目印を見失うのであれば、自慢できるが、囮を送り出して、立ち上がるときに目印が見えなくなる。
まだ、掛かる場所ではないはず、と思っていたところで掛かり、竿が伸される状態に。よねさんは0.175であるが、オラはフロロの0.25.切れるはずはない。
しかし、鮎との間合いを詰めることができない。歩きやすいとはいうものの、すたすたと歩くことあたわず。
バレその2 放流ものに力負けをして、空中に出すことができず。
大井川では、乙女でなく、番茶も出花娘ですら、河原に立って、両手で抜くしかできない、ということになるのかなあ。
9メートルの硬調から、7.5~8メートルに替えて大井川の乙女に備えたが、その有効期間は短かった、ということになるのかなあ。腕力の低下はすさまじい、ということかも。
あと2匹のばれは、通常のバレ。
手の指がこわばり、右手の筋肉も疲労する。
筋肉をほぐす漢方薬を4袋も飲むことになった。
よねさんもこの漢方薬を使っている。よねさんはあんよの筋肉の攣りで。よねさんは、この漢方薬に適合できない人もいる、という話をされていた。オラはその心配がないから、ありがたや。
9時前から4時まで働くという今年の最長の労働時間への対応が困難ということかなあ。次回は、塩飴を持っていこう。
よねさん、新松田の居酒屋でビール、冷酒が飲めて、ごちそうさま。
あ、そうそう、酒匂川の砂利まみれは鮎沢川での崩落だけが原因でないかも。
海岸の砂浜がやせ衰えていくのは、ダムが砂利の流失を止めているから、との考えで、砂利山を造り、ダム放流の時に海まで流れ出すようにした、との話が。
その考えは適切とはいえないのでは。
三保ダムがなかった頃、小田厚の赤橋付近でも石がびっしりと詰まっていた。砂利があったのは一部の分流の、それも限られたところだけ。
それが、三保ダムができてから、どんどん砂利が河原にも、水の中にもたまっていった。三保ダムができて、掃流力不足により、海まで砂が流されなくなり砂浜がやせていったのではないのかなあ。
7月28日 酒匂川
名人見習いが、お初の酒匂川でのナンパ術を披露します。
ところが、オラに高くなった鼻をへし折られたくないため、風を味方にした。
あめにもまけず かぜにもまけず なんて、うん十年前のお話し。とはいえ、不戦敗はいやじゃあ。
1時間余り囮君を働かせたが、また、吹き下ろしの風のためおばせが十分に効いていたが、あるいは、引き寄せで取り込むしかないなあ、と考えていたが、なあんも変化なし。
こういうときは朝ビールに限る。
新十文字橋、十文字橋へと、竿をたたんで偵察に行った。1,2人が風の中、取り込んでいた。小さいながらも瀬らしい瀬もあるが、そこがあゆみちゃんの好みに合うのか、わからない。
名人見習いは、新十文字橋から新栄倉庫付近まで動いたとのこと。
結果はボウズ。
名人見習いの話
気泡が流れている、これは酸欠状態を示している。
前回、左岸側のヘチには気泡が流れていたが、右岸側でも流れているとは気がつかなかった。
酸欠状態の影響範囲は、どのくらいの巾かなあ。
右岸側の袋になった砂利のところにいっぱい鮎がいたとのこと。なんでかなあ。1日中そこにいるとは思えない。どこで食事をするのかなあ。
その袋のところはいつも人が入っているが、群れ鮎崩しの釣り方をしているのかなあ。
湧き水が出ているのかなあ。
風が吹き荒れていて、収まる見込みもなさそうであるから、団体さん達同様、釣りをあきらめましょう。
次回は、風を味方にしょうなんて、ずるいことを考えないで、迷人見習いさん。
まだ、名人見習いの大粒の涙雨の方がよかったなあ。ことに35度の気温が予想されていたから、涙雨で体を冷やしたかったなあ。
あ、そうそう、名人見習いが、前回狩野川で五倍の格差をつけてオラに勝ったとき、間違えていた。もう1匹チビがいたから、11匹、5.5倍の格差じゃあ、と。
それから、名人見習いが勝ったときも、たくさん書けえ、と。
大きい石が詰まっていた瀬、そして、淵が一体になっていた藪下のうらぶれた姿を見て帰りました。
7月31日 酒匂川
昨日、酒匂川に行くつもりであったが、起きると左足のかかとが痛み、歩けない。しばらくすると、痛みは和らいだが、酒匂ではなく、整形外科へ。
起きたときにきつい痛み、しばらくすると緩和する、という現象は、ばね指と同じ。
しかし、かかとの痛みは、注射では対応できないとのこと。土踏まずにも負荷を分散する補助具をつけるとのこと。
いつ、かかとが痛くなるかわからんため、痛みの出ない今日、カンニングをするために酒匂川へ。
何しろ首を切り落とされるか、長く伸びた鼻をへし折るか、の戦いに備えねば。
お百姓さんは、へぼの、マイナーな争い、と、鼻で笑っているが。
新十文字橋付近の人は少ない。その上流のオラがいつも入っているところは数人が入っている。
新栄倉庫上流が一番混んでいる。
新十文字橋橋脚のところの中州に荷物を置いて、上流へと釣り上がるが。気泡の流れは前回よりも増えている。
見てくれはいつもの場所よりもよいが。波立ちはあるとはいえ、所詮チャラであるが。
囮君は元気に働いてくれるが、蹴られがあっただけ。
いつものオラの場所は1人だけが昼も残っていて釣り上げていた。
水温32度。ある年の千種川よりも低いが。ビールを飲んで、上流へと歩いて、囮を出すと死んでいた。
真ん中の流れ、さっきまで働いていた流れであって、ヘチではないから、死ぬことはないと思っていたが。
走り回るあゆみちゃん
釣りをしても無駄ですよ、との囮君の親心かも。
それで、十文字橋へ。十文字橋の下流側には歩道がついているから、川の中のあゆみちゃんを観察できる。
本流に釣り人あれど、ひらを打つ鮎見えず。
右岸側分流を見ると、右岸へ地には頭大の石が駆け上がり状に、狭いながらも並んでいる。
その沖、左岸側からは手前は砂利。
そこを、あゆみちゃんが走り回っている。団体行動をとっているのではない。好き勝手に走り回っている。
群れ鮎、縄張り鮎とはいえないはず。この新人類をなんと呼ぶのかなあ。
本流に合流するすぐ上流まで、走り回っている鮎がいっぱい見える。
ハリスを長くしたヤナギで釣れるのでは。永井さんは、そんな釣り方は友釣りとはいわない、と怒るでしょうが。
初めて見る現象を眺めた後、本流を見た。釣り人は去っていた。
さっきまで見えることのなかったあゆみちゃんが、ここでも走り回っている。
鈴が淵吊り橋で、迷人見習いが群れ鮎に近づくと、あゆみちゃん達は石の影に隠れたとのこと。しかし、ここには頭大の石しかない。その石の間にじっとしていたということかなあ。
さて、この「走り回る」あゆみちゃんはどのような条件の時に攻撃衝動が解発されるのかなあ。
それとも、時季が来ないと走り回っている行動を改めないのかなあ。その「時季」とは何かなあ。
故松沢さんは、「鮎に聞いたことはないからわからないが」の、枕詞のあとにどのような事例を話されるのかなあ。それとも、継代人工に特有の行動現象かなあ。
丼大王は、松下の瀬で、釣り人が消えていく中、アオノロが「大漁」の中、12匹のあゆみちゃんを釣り上げたとは、さすがですなあ。遡上アユが満ちあふれていたときに、一人勝ちは毎度おなじみであったが、放流ものでも1人勝ちとは。
かわいそうなのはご近所さん。せっかく釣ったあゆみちゃんを根掛かり放流、そして、ウナギにかじられる。ウナギを釣り上げたら、丼大王のアッシー君のご近所さんも報われたでしょうに。
丼大王は、前日獲って砂抜きをしたハマグリをご近所さんにあげたとのことであるから、ビールのつまみには不自由しなかったようであるが。
田名の主は、鮎竿を捨てて、昭和橋下流、3段の滝付近でひご釣りを。最上川さんも、たまにはコロガシやドブ釣りをしているが、ウナギ釣りが本職とのこと。その鮎釣りも、ウナギのエサ捕りかも。
狩野川も、相模川も、ウナギ釣りをする方が、効率がよいのかも。
さて、日曜日、迷人見習いとの対決をどこにするかなあ。迷信見習いが、将来の大会で対応できるように酒匂川にするか、それとも、まともな行動をするであろう鮎がいる可能性のある大井川にするかなあ。
土曜に、大井川に電車通勤をしょうかなあ。
悩みながら、電車の中でお酒を飲んでいました。
8月2日 中津川
ボウズ街道まっしぐらであるから、軟派よりも有効な時間の使い道があれば、それを選択するかも。
とはいえ、あんよを含めた筋肉の衰えは激しく、その防止には川に入るしかない。
去年の大井川は七曲がりで、しゃがんで、立って、の動作は1時間に数回するだけと、腰は確信していたのに、数分で3回もしゃがんで、立っての動作をされて、怒り出して、ぎくっ、と。
それで、入れがかりを放棄することになったが、ボデーの機能低下を少しでも遅らせる必要がある。それに、大井川のあゆみちゃんと逢い引きしたときに力負けをしないためにも竿を持って腕力を鍛えておかないと。
まあ、そんな低次元の目的では、中津川のあゆみちゃんが遊んでくれるわけがないですよねえ。新平山橋下流、ニセアカシアの木のあったあたりに囮を入れたが、予定通りボウズ。
ナスや、昔懐かしいマクワウリでビールを。
マクワウリは昭和30年代のいつごろになくなったのかなあ。その皮は、スイカの皮と同様、漬け物にしていたほど、なじみのあった野菜?であったのに。
昭和橋上流のコロガシが禁止になり、雄物川さん達は2,3キロ下流の八瀬川や鳩川が流入している付近へ。
磯部の堰まで続くトロから、雨の日は7時頃、晴れの日は9時頃に差してくる。それをコロガシの対象としているとのこと。
なんで、食住分離なんかなあ。なんで、食堂まで1キロ、2キロと差していくのかなあ。この現象は昭和橋付近でも見られるとのこと。
ただ、ご近所さんのゴールデンタイムは、午後5時、6時頃とのこと。
差してくる鮎を掛けて、雄物川さんはハラ掛かりが多いが、相棒は、背掛かりとのこと。
相棒は、2号のおもりで、0.8号の水中糸を使っているとのこと。
差してくるとき、浮き気味に泳いでいるということかなあ。
21才も釣れたとのこと。中津川でも氏素性が定かではない21才が釣れている。継代人工ではないよう。背びれが頭側が長く、しっぽ側が短い。帆掛け船の背びれではない。
酒匂川の藪下に通っている人が、釣れるのは夕方。昼間はねんねをしているように、と。
放流ものの生活習慣に変化が生じているのかなあ。
8月3日 酒匂川
ボウズ脱出に協力をしてくれた酒匂川であるが、「お前もか」と、いいたくなるボウズ街道まっしぐらの協力川になってしまった。今日もそうなるのか、また、オラだけがボウズなのか、確かめるため、迷人見習いと一緒に。
地区大会は、川を選ぶことはできても、その上の大会は、放流河川かも知れませんよ。放流河川でボウズになったら恥ずかしいでしょう。そのためには、放流ものしかいないと思われる栢山の堰上流にある新十文字橋付近を見ておいた方がいいよ。
十文字橋から川を眺める。
本流の石は汚れてはいないが、鮎が見えない、まだ9時前であるから、食事中の鮎がいてもよいのでは、と思うが。1匹、走っている鮎が見えただけ。
前回の昼過ぎ、多くの鮎が走り回っていた右岸側分流を見る。
数が少ない。時間的な問題かなあ。少ない鮎とはいえ、右岸へ地の石で食事中の鮎もいる。囮を入れると釣れそうな動作をしている。
迷人見習いは、前回、風の中の短時間とはいえ、新十文字橋から上流へと、様子を見ているから、今回は、十文字橋付近から釣る、と。
オラは、いつものように、新十文字橋上流へ。この場所が何で釣れなくなったのか、また、釣れないことを確認したい。
オラの対面の2人が1匹づつ釣って去って行った。上流側、下流側の人も去って行った。
当然、オラはボウズ。車に戻る途中、水量が多ければ平瀬、ということになるであろうところの人が、10匹ほど釣ったが、中学生とのこと。何で、中学生が釣れたのかなあ。2週間前には釣れていなかったのに。海産畜養は、不均等発展、大きさにばらつきが出るから、高校生以上の海産畜養が消えて、あるいは少なくなって、元気を発揮できるようになったのかなあ。
新十文字橋のところで、2人が友缶に鮎を移していた。2人とも20匹ほど釣っていた。品切れで移動ということかなあ。
さて、迷人見習いもボウズであれば、恥ずかしくないが。
迷人見習いは、十文字橋下流から釣り始めたが釣れず。橋から鮎が見えた右岸側分流の鮎は消えていた。どこに移ったのかなあ。
11時頃、新十文字橋下流の瀬へ。
この界隈で唯一の瀬。瀬といっても他の川ではチャラ扱いをされるでしょうが。
昼前には人が少なくなりその瀬に入ることができて6匹。
掛かった場所は、浮き石のところ。あゆみちゃんは、避暑に行きたくても淵はなし。やむを得ず、浮き石の底に身を隠し、石を枕に寝そべっていたとのこと。
したがって、浮き石の横に囮を這わすと掛かった、流れの筋が数本集まっているところがよい、と。
オラが釣っていたところには浮き石なんて存在しない。頭大の石も数が多いとはいえない。
迷人見習いが、新十文字橋以外は釣れないのでは、と。
お二人さんが40匹ほど、それに迷人見習いの6匹を加えると、それほど長い瀬ではない新十文字橋下流の瀬も品切れでは。
とはいっても、他にめぼしい場所はない。
さっぱり釣れませんなあ。オラの上流、橋のすぐ下でおとなしく釣っていた迷人見習いが、オラが囮を入れたところに、迷人見習いにもろうた囮を入れていたところに下ってきて囮を入れた。
すぐに釣れた。
こらあ、オラのあゆみちゃんであると背中に書いてあるやろう。オラのあゆみちゃんを寝取るとは不届き千万、首をちょん切るぞおお。
迷人見習いは、右岸側に渡り、オラの穂先に空中糸が絡むくらいの位置関係になった。
今季最大の鮎。しかし、オラの穂先に糸を絡めることなく、風の中、素早く抜いた。馬力は弱い、と。
やっと3時になった。昨日会った藪下に入り浸っている人は、夕方にならないと釣れない。それまで昼寝をしていたらよい、といっていたが、夕方まで釣る元気はなし。
迷人見習いのあゆみちゃん11匹の氏素性調査結果。
23才継代人工 21才継代人工 20才継代人工2匹
女子高生のうち、海産畜養4匹。
ということで、図体はでっかくても馬力がなかったのは、継代人工であったから。
そして、オラは今日もボウズ街道まっしぐら。いや、心優しい中学生が掛かった。しかし、風の中で抜いたんではどこに飛んでいくかわからんああ、と、もたもとしていると、中学生ごときに悩んでいるへぼに釣られたくないわ、と逃げられました。
迷人見習いに首をちょん切られてしまいました。ああ無情。首なしジジーに御報謝、ちーん。
これで、迷人見習いさんは、大きい遡上アユが釣れている大見川の上流に気持ちよく専念することができます。
めでたし、めでたし。
なお、右岸側の方が水温が低いとのこと。左岸側は先日よりも水温が下がって27度。
よねさんが、左岸側から新十文字橋下流の右岸側ヘチ寄りを釣っていたが、理にかなっていたということでしょう。
8月6日 大井川
迷人見習いに首をちょん切られて失意のうちにこの世を去るのか、はたまた、天女様が現れて失意を慰めてくれるのか、天女様を求めて大いに宣伝をする。
宣伝効果はありました。腹に札束を詰め込んだ太っ腹さんが大井川に行ってくれる。
太っ腹だけあって?日帰りも、1泊もどちらでも可能。
ビールに冷酒に、そして熱射病にならないように飲み物を買いにコンビニに行くと、釣り吉さんと会うことができた。たしか、去年も1度会うことができたのではなかったのかなあ。
釣り吉さんとは、囮屋さんで、葛籠か、久野脇に行くといって分かれた。釣り吉さんはそのあたりの鮎は多い、と。
去年、太っ腹さんやお百姓さんらと入った竹藪へ。
「竹」藪と思っていたが、普段見る竹とは異なる。太っ腹さんに聞くと、何とかという竹の一種とのこと。
ひろおい かわらに ぽつうんと 下流側に2人、オラの下流側対面・左岸側に1人、そして、上流の右岸崖にぶつかった流れが左岸へと流れるチャラではと思うところに3人くらい、そして、竹藪に沿った分流に2人。
太っ腹君は、瀬肩よりも更に上流、右岸から左岸への流れのチャラではないかと思えるようなところへ。そして、さかんにしゃがんであゆみちゃんの面倒を見ている。
オラは、去年、くぼちゃんが大漁になった瀬の少し上流へ。ただ、去年と異なるのは、流れの幅が広がり、また、大きい石が隠れてしまったこと、瀬らしいところにアオノロが繁茂していること。石の色は茶色であるから、硅藻が優占種であるが、アオノロが繁茂しているところがある。
太っ腹君よりはちょっと遅れてオラにも女子高生が。そして、番茶も出花娘が。番茶も出花娘をだっこするのは大変であった。右肩の注射、リハビリで腕をテンに突き上げる動作の不便は減ったとはいえ、まっすぐには腕が伸びない、腕力が弱った、という状況であるから、乙女には手を出せない。番茶も出花娘を囮にして、番茶も出花娘が釣れると、河原に立って両手で抜くしかない。そのため、舟をベルトからはずしたが、女子高生で助かった。
太っ腹君はその後もさかんにしゃがんでいる。オラは打ち止め。一番よい流れのところがアオノロとは。
結局、太っ腹君は11匹であるが、仕掛けの手入れの悪さから、天井糸の長さ調節ができず、手尻1メートルほどで抜いていたため、キャッチミス多発。丼も、ハリス切れも。
オラは10匹。
午後、去年とはあゆみちゃんの住まいが変わったことは理解できたが、去年と同様のところをうろちょろした。そのため、2匹。ただ、午前は蹴られ、バレがあんまり発生しなかったハリであるのに、午後はキュンと、鈍感なおらの腕でもあたりがはっきりとわかるのに蹴られ。ハリを替えたがあんまり効果なし。何が午前と変わったのかなあ。
太っ腹君は4匹しか釣れないため、午前の場所から瀬落ちに移動した。
そこに入っていた2人は去って行ったから、釣れないのでは、と思っていたら、すぐにしゃがんだ。
それでオラも太っ腹君の下流に移動した。
なんと、去年は砂利であったのに、左岸側は石が並んでいる。しかも流れの芯は左岸側に通っている。
太っ腹君は、ここで6匹?。合計23匹。番茶も出花娘と女子高生。
オラは番茶も出花娘が1人いるとはいえ、合計12匹だけ。
太っ腹君は、丼、ハリス切れ、キャッチミスがなければ30台に。
くぼちゃん、去年、太っ腹君の倍でしょう。ということは60匹がくぼちゃんのあゆみちゃんになりますよ。
お百姓様、太っ腹君と同数でしょう。そして取りこぼしがなかったから30匹ですよ。
しかも、久野脇に行くこともなく、竹藪だけで1日過ごしたから、久野脇ではもっと釣れるかも。畑を、田んぼを手入れしているときではありませんよ。
なお、遡上アユと海産畜養だけでなく、継代人工も混じっているように思う。
去年よりも釣り場が広がっている。
瀬落ちのところはテク2好みに。右岸からの吐き出しは、テク3がしゃがみ込んで上飛ばしをしたくなる場所になっている。
川根温泉に入り、身を清めました。1泊してビールを、酒を飲みたい太っ腹君に当てつけるように、車の中で冷酒を飲みました。うまいなあ。
8月13日 大見川
迷人見習いの大粒の涙雨でオラの釣りを止めさせた「故知」に見習い、大井川にダム放流をするほどの雨を降らせてくれた。おかげで、大井川の予定は消えて、迷人見習いの期待通り、狩野川に行かざるを得ず、またまた迷人見習いに首をちょん切られる事になりました。いや、今度はあんよをちょん切るとのこと。
大井川の強いあたりの蹴られの話をくぼちゃんにしたら、逆バリを深く刺す、と。
それで思い出した。ハリの大きさを1ランク上げることを。
もう、数年、強いあたりの蹴られにご無沙汰しているため、忘れていた。
太っ腹さんが、強いあたりの蹴られに悩まされなかったのは、7号のハリスを飛ばされてハリスを太くする目的で、7.5号のハリに替えていたから。オラは、7号のハリの形状を変えただけ。
今回は、釣れる場所も、蹴られ対応もわかっていたから、番茶も出花娘をたっぷりとだっこできるはずであったのに。
湖産放流全盛時代の大見川に亡き師匠らに連れてきてもらったことがあるはずであるが、どこに入ったか、さっぱり記憶にない。
遡上を妨げていたなにかがなくなり、遡上できるようになった、との話を聞いたことはあるが、大見川にやってくるのは、10月、11月、大仁に泊まるときにテク2らと小川橋のところの熱い温泉に入るときだけ。小川橋から見る川には、時にはアオノロが大量に繁茂していて、釣りたい気持ちにはならなかった。
発電所のところの橋から見ると、鮎がいっぱい見える。去年よりは少ないとのこと。
そのあゆみちゃんは浮いている者もいる。番茶も出花娘もいる。どこを食堂にしているのかなあ。
食住接近でないよう。下流側の瀬しか食堂はないと思うが。
このあゆみちゃん達は、この周辺には放流地点がないため、遡上アユとのこと。
迷人見習いの兄弟子がすでに入っていた。あんまり釣れないとのこと。
迷人見習いはどんどん釣り下っていく。
見てくれのよい瀬はあちこちにあるが、棚が狭く、また石でできる流れの筋が単純でないため、オラにとっては釣りにくい。
それでもやっと女子高生が釣れたが。
昼、オラは小学生から番茶も出花娘まで6匹。迷人見習いは15匹くらいとのこと。稼いだのは、分流のチャラ。何でか、いつもそこでは釣れるとのこと。先客さんがいたが、その人の釣り方ではそのチャラのあゆみちゃんは釣れない、と安心していて、ばかすか?釣り上げると、先客さんは去って行ったとのこと。オラも見てくれのよい瀬ではなく、平瀬状の、少し魅力に少し欠けるところで釣れた。
雲金釣りの家の故大竹さんが、講習会で、稲刈りの頃=10月10日頃、あゆみちゃんは再び瀬に戻る、と話されていたが、そのようになるのかなあ。
ビールを飲んで、橋から様子を見ると、居残りアユは減っている。中層を泳いでいる鮎もいない。出アユになって、どこかで食事やおしゃべりをしているということのよう。
午後、迷人見習いのドル箱の分流チャラは鮎がいなくなったということで、そこから上流をさまよっている。
オラも歩きにくいから、護岸の降り口付近をうろちょろしているだけ。
1日の結果は、迷人見習いが24匹、イさんが20匹、オラが10匹。
迷人見習いは、舟のストッパをかけ忘れて、数匹とんずらされたからもっと釣れた、と。
女子高生主体であると思う。番茶も出花娘は、迷人見習いの直感で、迷人見習いが10匹を超え、オラは5匹くらいというが、これは過大な評価。18才女子高生も番茶も出花娘に格上げしての評価です。
イさんは、大見川の下流側にアオノロの繁殖することが多いため、汚い川と評価して敬遠する人が多いが、ここの水・発電所下流の水は浄蓮の滝を落ちた水ほどきれい、とのこと。
発電所は、貯水型ではなく、流水型。したがって、ダムでの水質悪化の現象は発生しない。
なお、この日は、丼大王が松下の瀬で格闘していたほどの量ではないが、アオノロが付いている石もあった。
狩野川で一番旨い、よいアユという鮎をイさんにもらったため、大漁になりました。
イさんありがとう。
迷人見習いさん、ごめん、整形外科は盆休みではないが、木曜日が定休日であることを忘れていた。整形外科から狩野川に進路を変更して。もっとも、その結果、手術をしなければならない事態になっても、当局は一切関知せず。
8月15日 相模川
ご無沙汰している相模川の鮎を1匹増やすため、竿を、舟を持って出掛けた。
しかし、風。あゆみちゃんが、遡上アユがいるのであれば、竿を出す気も起こるが、どっかの人工種苗の放流ものじゃあ、風の又三郎になる気分になれず。もっとも、海産が釣れだした、遡上鮎がいる、との話もあるが。もし、遡上アユがそれなりの数が居れば、オラに「備わった」あゆみちゃんもいると思うが。
田名の主のお仲間達が、高田橋と堰の中間より上流に数人入っているが、田名の主の姿はなし。
蒲焼きの食材調達にいっているのかなあ。
イさんからもらった鮎や、迷人見習いの鮎などを氷水で締めて、そのうちから、塩焼きサイズをもらった。
それを持って、おらよりも1つ若いババ様のところへ。
釜山に住んでいたババ様のお父さんやお母さん達は、昭和17年、この戦争は負ける、とのNHKに勤めていた親父の弟さんの伝言が、じいちゃんから伝わり、京城から帰国するための乗船券を何日も並んで買ってくれた。
ババ様のお母さんと、ババ様と、2才の弟さんは、済州島で終戦を迎えたおじさんの帰りを住んでいた釜山で待っていた。しかし、軍の解散式が現地ではなく、軍司令部?のあった平城で行われたため、戻ってこない。おばさんと幼児2人は、最後の引き揚げ船に乗った。
門司港は満船のため、山口県の仙崎漁港で下船して、おじさんのふるさとへと、超満員の汽車で向かった。
ババ様は、今もオラの年金代を支払ってくれている。
数年前、テーブルマウンテンから帰ってきてから、あんよが少しおかしい。
テーブルマウンテンへは、ヘリコプターで行ったとの事であるから、下りもヘリコプターを利用したと思っていた。
しかし、下りは歩いた。
硫黄岳から八ヶ岳を縦走したことがあったが、編笠山からの下りは、起伏がなく、ひたすら下り。小淵沢の宿で、2,3日ねんねしていた。下りのあんよへの負荷が厳しいとは知らなかった。
そのことからも、テーブルマウンテンからの下りが、ババ様のあんよに影響を及ぼしたのでは。
しかも、山「ガール」の頃は、回復もするが、ババ様になってからは完全復調は困難かも。
今年は、ヒマラヤのトレッキングではなく、ヒマラヤが見えるところへ歩きに行くとのこと。
ババ様から、冷酒にするお酒や、ビール券や、葡萄酒をもらいました。
あゆみちゃんを売って飲んだくれる女衒と同じですなあ。
小鮎川では、遡上アユが釣れているとのことであるが、どのくらいのところまで遡上できるのかなあ。上流まで、障害物がないとの話もあるが。
8月1日、大漁をもくろんで太っ腹さん達ご一行は神通川へ。
楽な釣りをしたくて2日は三面川へ。そこで、「香」魚が釣れたとのこと。手の残り香を存分に楽しんだとのこと。
何で、三面川に「香」魚がいたのかなあ。
ダム湖に雪解け水が大量に流れ込み、ダム湖の水が入れ替わり、新鮮な水になった、そして、梅雨時の雨量が多かったから、硅藻に取り込まれて鮎の代謝経路を経てシャネル5番の香りを精製する物質が、ダム湖の浮遊植物プランクトン、ポタモプランクトンに消費されなかった、ということが想像できるが。
もっとも、現在の鮎でも、海の鮎でも「香り」がする、香りは藍藻を食していてもする、とおっしゃる高橋勇夫さんの「説」、「観察」に依拠しなければ、の話であるが。
巌佐先生や、真山先生、村上先生の観察、調査に基づけば、の話であるが。
高橋さんは、「香」魚の香りを経験したことがないのに、「香」魚を、硅藻、ラン藻を語っていると確信している。
なお、同行していたくぼちゃんの話では、シャネル5番の香りのする鮎もしない鮎もいたとのこと。
三面川は成魚放流も多いとの話があるから、「香」魚でなかったのは成魚放流かなあ。
故松沢さんが、最後にテントに立ちこんだシャネル5番の香りを楽しむことが出来たのは、21世紀の、城山下の竹藪のところがオールドファンの郷愁の場に過ぎない、といわれていた頃のこと。
「香」魚は、左岸のお墓もある山から伏流水になって竹藪の川に流れ込んでいるところにいた。そこだけ、硅藻が優占種であり、また、故松沢さんが腐葉土をとおり、腐葉土に含まれているミネラルをいっぱい含んだ水が流れていたのでは。
8月17日狩野川
宮ヶ瀬に入った。
縦貫道の工事で、迷人見習いがいつも利用している降り口は通行止めになっている。その下流の川への降り口から入る。
迷人見習いは、宮ヶ瀬で釣ると、腕の差がはっきりする、師匠や師範代と一緒に釣ると、大差をつけられる場所とのこと。
また、見釣りをして、囮の動きとあゆみちゃんの反応を勉強するように、といわれている場所とのこと。
囮をつけていて、杖を車に忘れたことに気がついた。
囮をつけて立ち上がるときあんよに力が入らない。あんよの位置を変えて立ち上がることになるが。
筋肉?には、持久筋と何とか筋があり、持久筋は、三浦さんが80才でエベレスト登頂が出来たように、鍛えるほど機能は向上する、何とか筋は加齢によって退化する、との話を理学療養士に聞いたように思うが、オラの場合は両方の筋肉が低下しっぱなし。丼大王が骨折したところと無縁のところに障害が出て、潜り漁が不便になっているようであるが、まあ、似たようなものかも。
女子高生が波立ちのあるところで2匹。
オラの下流側の人は、オラのところよりも波立ちの大きいところで3匹。しかし、それで打ち止めのため、下流へと移っていった。下流左岸に、垢石翁が、大井川の中川根町の岩を見て、「物置小屋のよう」と大きさを表現しているが、そのような岩が左岸へ地に鎮座している。
したがって、そこは流れの幅が狭まって、強い瀬になっているのではないかなあ。下流側の人はそこに囮を入れていたが、釣れたのかなあ。
オラは、すぐ上流の鮎が見えるところへ。
番茶も出花娘くらいのあゆみちゃんが釣れた。これが瀬でかかっていたら、取り込みに苦労し、7号のハリでは身切れを起こしていたかも。
そこで根掛かり。流れはないものの、転ぶと大変なことになる。タイツであるから腰上まで入ったが、更に深くなりそう。杖はないし、困ったなあ、と思案していると、根掛かりが外れてくれた。ありがたや。
それで止めた。
迷人見習いが上流から下ってきた。オラに勝ち続けて、今日も、何倍の差をつけたらぎゃふんと言う?なんて、自信満々であるから、ウン10匹と思いきや、オラと同数の3匹。
なんじゃあ、「腕の差がつくところ」で、オラと同数ということは、おらの腕と変わりはないじゃん、でっかい顔をするな。鼻はどんどん伸ばしてもええでえ。高く、長くなった鼻をへし折るのはかいかあん。
その上、名人見習いの「3匹」には小学生が含まれている。大会には、同数の時は重量勝負もある。そのやり方では、オラの方が「腕が上」となるが。
お父さんが友釣り初めての息子さんに教えている。息子さんは釣れなかったが、お父さんは、息子さんにつきっきりであるのに4,5匹を釣ったとのこと。
お父さんは、迷人見習いよりも遙かに腕は上じゃあ。
放流ものがいるところへ、と殿淵へ。遊びの人たちの車で満員。松ヶ瀬へ。駐車場の車が少ない。しかし、川にはずらっと人が。
たっぷりとあいたところは、吊り橋から50メートルほど下流まで歩かないとなかった。迷人見習いは、川に入った付近に。
浅くなっているよなあ。棚が貧弱になっているなあ。
まあ、放流ものが好む場所とはいえそうもないが、迷人見習いと腕の差がないことが、いや、重量勝負ではオラの方が腕が腕あることが証明されたから、のんびりと釣りましょう。
正真正銘の番茶も出花娘。下顎側線溝数は4対左右対称。
迷人見習いに、2年、3年前に放流された東北・日本海側の海産畜養か、それを親としたF1では、といったが、房総以西の太平洋側の親の子孫ではないかと思う。
駿河湾の海産畜養を親としたF1ではないかと思う。
狩野川の鮎の親を採捕する話の中に、12月になると、雄が少なくなり、雌が多くなるから、大変、という話があった。「釣りびと」創刊号かな、と思っていたが、違っていた。
竹内さんの記述である。
平成2,3年頃まで、現在の大仁橋下流、自動車道付近に11月になると、下りの鮎の通せんぼうを設置して、鮎を止めて中州に造られた採捕場所に誘導することが行われていた。自動車道建設の時に、その通せんぼうは狩野川大橋下流に移った。
その通せんぼうの設置を見た故松沢さんが、流れに対する通せんぼうの角度が適切でないから、あれでは採捕場所に下り鮎は入っていかない、と。
そして、平成4,5年頃から始まり、1995年、遡上量0ではないかと思われる川に、冬の川のままの川になって、通せんぼうは消えた。
ということは、狩野川の鮎を親とするF1の種苗生産が昭和何年頃から行われていたということではないのかなあ。
親が獲れなくなったからか、生産効率が悪いからか、その他の理由によるのかわからないが、継代人工の生産に変化したということかも。
なお、故松沢さんが、町長であり、釣り人であり、組合長であった人が、あそこは鮎が薄いから鮎を蒔いとけ、と指示していたとの話をされたことがあった。
オラは、まだ継代人工は群馬県と神奈川県が生産を行っていた頃であったから、湖産か海産畜養を蒔いていたと思っていた。
しかし、狩野川の下り鮎から採卵したF1のよう。
神奈川県は、新聞報道によると、F1かF2とF11を掛け合わせた人工を生産して今年相模川、中津川に放流したとのこと。そのへんてこな鮎が、未だにチビのまま、高田橋上流右岸岸側にいるよう。何で、種苗生産検討委員会とかを作りながら、そんなへんてこりんな種苗生産をするのかなあ。
7月29日に丼大王が、骨折したあんよとは無縁の場所に発生した痛みの中、アオノロとの格闘をし、松下の瀬でだっこした番茶も出花娘や、乙女、そして、丼の主体は駿河湾の海産畜養を親としたF1ではないかなあ。
丼大王のメールの一部
「自分は松下の左側から竿を出す、青ノロとの戦いだ。
1時間後にやっと囮が代わった、良い鮎だ。
そこで3本続く、みんな20センチ以上ある。
松下のガンガンは青ノロが凄すぎて竿を出せない、この瀬の中でノロとのやり取りは囮がもたないと判断。
テトラ前の落ち込みへ、直ぐに16センチ。
そいつに錘を付け放す、また直ぐに来た、竿を立て、ためた瞬間に金属の編みつけ上から切れた。
多分、何回も何回も青ノロが掛かり、その度に金属と編みつけ部分から引っ張ってノロを外す、
この繰り返しで、その部分が劣化して、そして錘をかまし、やや深い場所でのやり取り。
そのためでしょう。
編みつけから仕掛けを作り直して開始するが全然反応なし。
このテトラ前は諦めて、1匹目が釣れた所へ移動、そして錘を付けて入れると掛かった、
これはデカイ、瀬の向こう側に走られた、じっくりためて瀬を横切らせる。
抜きの体制に、また金属から切れた、今度は切れた理由が分からない。
ここで006の金属から006の複合に変える。
結局はご近所さんが帰るまでに5匹、昼飯を食べてから右側で午後の部を初め2匹釣るが後が続かず、
1時45分で竿をしまう。
魚は平均20センチで合計7匹です。」
丼大王がだっこした鮎は、継代人工と思い込んでいた。もちろん、継代人工が、丼大王好みの流れの強いところに入っていること、また、馬力があることには気になっていたが。
しかし、迷人見習いがあんまり動かず、あるいは先客が釣れない、といって去ったあとに入り9匹のあゆみちゃんをだっこした。
そのあゆみちゃんの多くは、F1。下顎側線孔数は4対左右対称。
オラと同じ腕であるのに、優越感に浸りっぱなしの迷人見習い。
あたりが強すぎて囮が鼻環から飛ばされた、碇バリにいっぺんに2匹掛かった、1匹は目掛かり。
その他の強い引き、蹴られのオンパレード。7号のハリでは持たない、と。
さて、オラと同等の腕の名人見習いがあゆみちゃんにもてたのか、不思議ですねえ。
名人見習いは、酒匂川と同様、止め泳がせは釣れない、石横を泳がせないと釣れない、それは技術だあ、腕だあ、と。
腕ですかねえ。ヤナギでは2匹掛かることはあるが、碇で2匹掛かるとは縄張り鮎とは思えませんが。
石横を這わす?。石がなく、砂利のところもありましたよ。
先客が釣れなくて移動したあとで釣れたから腕の差?。
時間は関係していませんかねえ。
松ヶ瀬の駐車場からホースで放流した、との話が何年か前にあったと思うが、放流地点に近いということが関係していませんかねえ。
いや、放流地点である、ということは関係なさそう。
なぜなら、7月13日、今日と同じところに入り、オラに無限大の大差をつけられそうになって、大粒の涙雨を降らせて、やっとオラと同数になったことから、何で、1ヵ月前にはこの付近では釣れず、今日は釣れるようになったのか、何で、F1が釣れているのか。
それに興味があります。師匠に聞いといて。
まあ、腕の差ではないと思いますが、なんで、F1が急に釣れだしたのか、もしこれまでも釣れていれば、大きさ、馬力から、遡上アユ、継代人工との違いに注目する人がいたのではないかなあ。
ということで、「ウン」でF1を楽しんだ名人見習いに対して、オラはF1の番茶も出花の他は、継代人工の高校生が1匹。
迷人見習いは丼だったか、なんだったか、忘れたが、粗相がなかったら、もっと釣れていたとおっしゃっていました。
雄物川さんは、昭和橋上流のコロガシが禁止になり、3段の滝?、3段の棚?の下流に行っている。そこで、更に下流のトロから差してくる朝の差しアユを相手にしている。
その差しアユの中に、シャネル5番の香りがぷんぷん、ぬめぬめぬるぬるの鮎がいるという。
雄物川さんは、高橋勇夫さんと違い、「香」魚を経験している。
昭和30年代のいつごろか、まではわからないが、津久井ダムはなく、奥相模湖もなく、相模湖はあるものの、小沢の堰の付近から上流に1の釜、2の釜、3の釜があった頃、弁天の土手を上ると、スイカの香りが漂ってきていた、と。
その「香」魚がどこまで差していくかわからないが。
去年まで雄物川さんが釣り場にしていた昭和橋上流までは差していかなかった。
ご近所さんが釣り場にしている昭和橋下流まで差しているか、わからない。ご近所さんは、あゆみちゃんの質に関して無頓着であるから。
狩野川の城山下の左岸竹藪と同様、伏流水が豊富なところが、トロのどこかにあるということかなあ。
そこは硅藻が優占種で、三つ星レストランがあるのに、何で、藍藻が優占種のところへ差していくのかなあ。食事目的ではなく、散歩かなあ。それとも?
シャネル5番の香りを振りまくとはいえ、その氏素性は、遡上アユではなく、放流もの。海産畜養であるかどうかは不明。
差していく鮎は、朝と夕方にあるよう。雄物川さんは、朝差していく鮎を対象にし、ご近所さんは夕方差していく鮎を対象としている。
そうすると、昼間、トロに戻っていくのでは。
しかし、戻っていく鮎はコロガシの対象にはなっていないよう。三々五々に戻っていき、集団行動をとっていないからかなあ。
雄物川さんが、その釣り場に近いところで、舟から投網をしている人が1網50匹ほど獲ることも、集団が見つけられないときはスカもあると話していた。集団はどのような行動をしているのかなあ。
駿河湾の海産畜養を親としたF1であるとすると、高橋勇夫さんら学者先生の海産の産卵時期を10月11月と考えず、川漁師の故松沢さんや仁淀川の弥太さんのように、西風が吹き荒れる頃=木枯らし一番が吹く頃から、下り等の産卵行動が始まると考えているから、まだハラに子は持っていない。したがって、番茶も出花娘が乙女に成長するものも多いと思う。
ただ、放流量がどのくらいか、気になるが。
追伸
迷人見習いから、まちがっちょる、と抗議が。
それは、2匹の鮎をいっぺんに掛けたのは、「碇ではなくチラシ」である、と。
チラシのハリの号数を上げなかったことが激しい蹴られ、バレにつながったとのこと。
「チラシ」と「ヤナギ」の区別が行われなくなったのはいつごろかなあ。
平成の世になり、数年たつと、碇が主役となったのでは。その頃以前の人はヤナギとチラシを区分していたのでは。
そして、碇が主役になるとともに、ハリもカーボン100など、これまではアルカンサス等で研ぐのが当たり前のハリとは異なるハリが出現してきた。
亡き師匠は、メーカーの商業主義に毒されている、と使い捨ての針を評価して、亡き大師匠が最先端のハリを研いでくれた事があったが、すぐになまってしまった。
その頃は、グラスファイバーの竿からカーボン竿へと変化していく頃とも一致する。
その頃、まだハリを研いでいた人に、鬼怒川の大会で鬼怒川亭に一緒に泊まっていたり、狩野川の大会で殿淵の宿で一緒に泊まっていた人が、薄暗い店の店頭に茶色いサビの出た紙の包みに入ったハリを使っているから研いでいる、とからかっていたが。
そのからかっていた御仁とも、21世紀はじめには会ったことはあったのではと思うが。
迷人見習いには、パソコンにメールを送っている。ツイッター等の単文での意見表明が肌に合わないため、長文になるから。
にもかかわらず、すぐに抗議が。
パソコンのメールを元携帯、現在はなんやったかなあ、で見ることが出来るとのこと。
8月24日 相模川見学
23日高田橋下流側の左岸ヘチ、水深10センチ、20センチのところの百単位どころか、千単位の中学生クラスの大きさの鮎は健在。
先日の時は、ヘチに平行に帯状の集団生活をしていたが、23日は、方形の塊になっていた。
その方形の塊は、23日の花火大気会でも崩れず。
弥太さんだったか、火振りは、橙色のめらめらとした火に恐慌を起こすが、街灯の明かりには恐怖を感じない、と話されていたと思うが。花火の橙色は、橋に隠れてあゆみちゃんには見えなかったのかなあ。
その集団生活のあゆみちゃんと、大見川発電所、狩野川鈴が淵の吊り橋から見えていた遡上アユの集団と同じ生活習慣なのか、それとも異なるのか、遡上アユの集団と何が同じで、何が異なるのか、前さんに倣って観察をすべきではあるが。
多分、高田橋の集団生活をしているのは、F1かF2とF11を掛け合わせた県産種苗のちんちん釣りで釣られなかった生き残りと思うが。そして、堰下流の右岸側に多くの鮎がいる、との話も、県産種苗ではないかなあ。
これも漁連の義務放流量の160万の立派な構成員でしょう。
高橋勇夫さんは、この鮎をどのように評価するのかなあ。いや、ぷかぷか浮いて川を流れることが不可能であるから、「調査対象」、「観察対象」にもならないということかなあ。
一昨年、高橋さんが中津川の鮎は、1平方メートルに5匹だったか、7匹だったか、いるから、過密である、したがって小さい、とご託宣をされたときも、ヘチを含めて、アカを食する鮎が少なく、腐りアカがいっぱいあったが、それを観察し、あるいは評価することもなかったから、「ぷかぷか」浮いて流れる箇所以外は観察、調査対象外との信念をお持ちかも。
石切場は、昨日同様はやっていますなあ。
今日は3人が取り込むのを見たが。釣れている鮎よりもヤナギ前のトロで跳ねている鮎の方が多いのでは。弁天の瀬尻からヤナギ前のトロにも釣り人は入っているが。
石切場では例会が行われていて、1位は松坂肉との張り紙が。何匹で松坂肉を食べることが出来るのかなあ。5匹以上になるのかなあ。
昭和橋下流のコロガシにご近所さんが、数匹しか釣れない、と、暫く行っていなかったが、一昨日大漁の人がでた、との話で、昨日久々に出掛けていたが、その結果は?
迷人見習いは例会のはず。
あんまりにも釣れず、師匠に怒られて、へぼが感染した、と八つ当たりをする事態になっているのかなあ。それと、にこにこ顔かなあ。
8月31日 相模川
先日、高田橋下流側に釣り人が入っていた。その人は、ウン千匹と思われるヘチを生活圏とする県産種苗のいるところに舟をおいて、沖を釣っていた。
ヘチを荒らされた県産種苗の中学生はどういう行動をとったか、興味があった。
鯉が泳いでいる水深50センチほどのところは、 数匹がいただけ。残りは?
橋上流側のヘチに移動していた。水深2,30センチのヘチを縦断に移動することがあっても、沖に移動するのは少数のよう。
これまで、第2漁協管轄と思っていた新昭和橋付近から厚木観光管轄までのところに、「相模川漁協」ができたとのこと。
したがって、新昭和橋付近から磯部の堰までは「相模川漁協」の管轄になった。
そのため、昭和橋上流への放流量がこれまでよりも増えたからか、あるいは釣り人の数が少なくて、残り鮎が多いからか、わからないが、水管橋付近に釣り人が多く見えた。
さて、漁協の増加にいかなる要因があるのか、わからないが、漁連の義務放流量も変わっていた。平成26年4月1日発行の「漁連だより」第23号によると、平成25年の鮎の放流量が、120万ほどになっている。かっては230万?で、数年前に160万になったが、更に放流量が減少している。
4漁協管轄で単純に放流量を配分すると、1漁協に付き30万。以前の半分の放流量。
磯部の堰を遡上する鮎がいなければ、オラのボウズ街道まっしぐらも当然のことか。
なお、放流量の配分は、各管轄の河川延長で行われているとのことであったから、このルールが変更されていないとすれば、第一漁協管内ではどのくらいになるのかなあ。
今日は、釣具店の大会が2つ、高田橋、弁天に本部を置いて行われている。
ボウズ街道まっしぐらで、また、迷人見習いにへぼとさげすまれているへぼが参加しても意味のないこと。
ということで、囮を1匹ぶら下げて、今年まだ入ったことのない弁天へ。
テク2は、弁天の瀬に時折入っているようであるが、それを品切れにして瀬尻へ、あるいは水管橋のトロ、平瀬に行っているとの話もあるが。
いつもと違って、高田橋も弁天の瀬も人が入っている。
しかし、瀬にも空間はたっぷり。
対面に幸せ男がいる。継代人工の番茶も出花娘がかかった。幸せ男に見せつける快感。
快感は1回限り。その後はいつものように幸せ男がぽつりぽつりと釣り上げるのを眺めるだけ。そこへ、テク3がやってきた。
テク3はオラの竿を持って、河原から釣り、すぐに番茶も出花娘の継代人工。また釣り上げたがタモをオラが持っていたため、手渡すのにもたもたしていて、バレた。あと10センチバレるのが遅かったら、河原に落ちていたのに。
テク3は、鮎が薄いから、反応がなければすぐに動くこと、と。
その言葉通り、テク3は動くことが早い。また、反応があっても長続きしない。ということで、蹴られたが、あゆみちゃんをだっこできず。
テク3は、昭和橋の状況も見て、午後に入るところを決める、といって去って行った。
ビールを飲んだから、大会の結果を立たずに去りました。
今日の目的は、弁天で今年始めて竿を出すこと、そして、来週の、いや今週の大井川へのアッシー君を釣ること。
両方の目的を達成できて、旨いビールが飲めました。
9月4日 相模川
かあちゃんに、高校生と援助交際をしていることをばらすぞお、小遣いのへそくりをしていることをばらすぞお、と、脅してやっとアッシー君を釣り上げたというのに、2日の大井川は駿遠橋で50センチの増水。濁りあり。
長島ダムがなかったときであれば、濁りも流入する水の濁りがなくなれば消えるし、50センチの増水ではアカ飛びも限定的。
しかし、砂利まみれの川となってはアカ飛びが限定的ともいえないかも。
泣く泣く、大井川をあきらめて、リハビリに、そして、肝臓の薬の処方箋をもらいに、と、お医者さん巡り。
ウソか、事実か、証明することは大変ですからねえ。ことに、何々をしていない、という証明は、なおさらのこと。
しかも、日本には、「嘘も方便」ということで、「証言」が事実を表現していなくても、社会的に抹殺されることはないから、来週のアッシー君を釣るために、また、アッシー君候補を脅かしましょう。
先日、ご近所さんは、大漁の話を聞いて、出掛けたものの、成果なし。
3日、相模川のダム放流は2,30センチ高、濁りなし。ということで、昭和橋下流に出掛けた。そして、今年一番といえるほどの大漁。
しかし、去年まで、昭和橋上流を釣り場にしていたご一同さんが、今年始めて勢揃いをしたのに、恵まれた人は、ご近所さんとその相棒のみとのこと。
迷人見習いは、例会で22匹?を釣り、上位の成績とほくそ笑んでいた。しかし、結果は10位台。師匠達は50匹コース。
水の引き際の時、濁りから澄み口になるときは大漁になると、誰が書かれていたのかなあ。滝井さん?垢石翁?竹内さん?。思い出そうとしても不可能ですよねえ。
今日は、酒匂川の富士道橋にするか、同じ放流ものを相手にするなら、相模川は弁天でもよいか、と悩みました。鮎バックが重たい、といって担がなくなれば、2度と担げなくなることはわかっているが……。
結局、楽な方を選択。
囮1匹の入った舟を持って弁天へ。
前回と違って、右岸側は空いている。瀬尻は前回も途中から人は消えていったが、今日は1,2人だけ。右岸側の対面下流から上流に動いたひとはツぬけをしたのではないかなあ。
瀬肩に近い方の瀬が空いているからそこに囮を入れる。
すぐに番茶も出花娘の海産畜養。2回連続でボウズにならないとは、なあんちゅう幸運でしょう。前回は、下流側の人が釣れずに去って行ったから、テク3が釣り下っていけたが、今日の下流側のお二人さんはお地蔵さんの釣りをしている。
その人達の下流に移ればよいが、荷物が心配。河原に草が生えていなければ、見通しがきくのになあ。
ということで、あんまり動けない状態で中学生。これが、県産の種苗の優等生かなあ。
3匹目は番茶も出花娘の継代人工。
相模川に放流されている鮎の全種苗を釣ったことになる。
9月5日 相模川
ボウズ脱出もつかの間、またもやボウズ街道に逆戻り。
弁天まで歩いたが、先日と違い、釣り人は10人もいない。
右岸側の人は数人で、立ちこんでいる。先日よりは釣れていないとはいうものの、ぽつぽつ釣れている。
左岸側には先日、お地蔵さん姿の人が、場所守をしていたはず。が、釣れず。
釣れないときは、何を生け贄にするか、ウソも不便であるから腕の性ではない理屈を考えるしかなし。
一昔あまり前にも、鋭い刺さり、ということで発売されたハリがあった。
このハリは、狩野川でハリ折れが多発した。
先日、「鋭い刺さり」のハリで、ハリ折れをした。放流ものしかいないのに。数ヶ月川で生活して馬力が強くなったとはいえ、放流ものでハリ折れするようでは、大井川では使えないなあ。
先日、取り込めた3匹でハリ折れをしなかったのは、掛かりどころが悪かったから。幸運にもハリ折れをしなかったということかなあ。
21世紀になった頃、ハリ折れを多発していたハリについて、お百姓さんがハリ折れが減った、その改良版?の何々は素晴らしいハリ、と。
鋭さと、硬度と、粘りの兼ね合いが難しいということかなあ。
なんて、考えていません。まだ9時半か、止めた。
また、暫くは雨こんこんが降る予報。
大井川に行けるのかなあ。0.5号のフロロの仕掛けを新調したのに、使う機会はないのかなあ。
お百姓様が、本職の農作業がすすまない、と嘆いているが、その原因を作ったのはおまんでしょう。
お天道様が、女たらしの放蕩息子が、あゆみちゃんに見向きもせず、孝行息子に、まじめ人間に変身したため、びっくらこいて変なお天気にされているんですよ。
先日の相模川のボウズで今年を終わることは、高級な竿・ウン十本に申し訳が立たないでしょう。
あゆみちゃんがいる川に、遡上アユがいる川に行きましょうよう。
お百姓様が昔の道楽息子に先祖返りをするなら、お天道様は最良の釣り日和を用意してくれますよ。
迷人見習いが、沖縄で戻り鰹を釣ったとのこと。
その大きさは、土佐の1本釣りの鰹とは比べようもないほど大きいとのこと。しかも、腹子を持っていない、と。
ということは、ウナギだけでなく、鰹も南洋の海で産卵をしているということかなあ。
遡上アユと海産畜養の見分けは、しっぽの切れ込みの深さの浅いものが、海産畜養とのことであるが、鯛?でも同じで、養殖物のしっぽの切れ込みが浅いとのこと。
9月6日 相模川
鮎の密度が低く、ボウズは易し、つ抜けは夢のまた夢の相模川にするか、それなりの放流量がある酒匂川にするか、悩ましいなあ。
と、一応悩んだ末に、土曜日の酒匂川は混むし、その上、釣れるところは限られているようであるし…。
いつものよおに 舟に囮1匹入れてええ 弁天へ。
高田橋上で立ちこんでいる人、その上のチャラに人が多いなあ。どの程度釣れているのかなあ。弁天の右岸側で立ちこんでいる人は2人だけ。品切れになったのかなあ。
瀬肩より上流の鏡が混んでいるなあ。8月31日以前と同様の布陣に戻っている。瀬の左岸側は2人だけ。
どんどん釣り下っていける。
その結果は、下顎側線孔数4対左右対称の海産畜養が6匹。5匹が番茶も出花娘、高校生が1匹。番茶も出花娘のうちの2匹は、端数を切り上げたら、乙女と評価されるかも。
今回は背掛かりでないのは1匹だけ。ハリ折れはなし。先日、ハリ折れをしたのは、たまたまかも。
テク3が、鮎の気配がするところの表現で、もぞもぞする、と。この表現は、へら釣りの気配の表現と同じ。ということは、縄張り鮎ではない、ということでしょう。
今日は、縄張り鮎がたまたまいた。
川那部先生が、攻めるに難しところの縄張り以外は、群れ鮎に蹂躙されていることを観察され、報告書を作成した翌年、縄張りばかり。
この落差が、アユの量、密度に関係していることを観察された。
今年の遡上アユがいない磯部の堰上流、放流量がかっての半分ほどになった今年の状況は、縄張りを作らなくても、食料に不自由しない、食いっぱぐれない、という状況でしょう。
なお、川那部先生は、高橋勇夫さんとは違い、群れ鮎が縄張り鮎よりも優勢であるときの方が平均の大きさは大きくなると書かれていますがねえ。
高橋さんが、漁連の義務放流量削減に一肌脱いだのでは、と勘ぐっていますが。
氷を買うためには、高田橋に行かないと。
水の中を舟を曳いて高田橋へ。橋下流で、ヘチを釣っている人がいた。ついにヘチで平和に暮らしているあゆみちゃんもケンカをせざるを得なくなったのかなあ。それとも、平和を守ったのかなあ。
旧大山街道を上ったが、あんよも心臓もくたくた。鮎バックは背負っていないというのに。そろそろ、付け人がいないと、釣りが出来ない、という状況に突入したのかなあ。
9月10日 大井川
これまでは大島にだけ?放流されていたと思っている継代人工のデカアユの成魚放流が中津川でも行われたよう。
「本物」のあゆみちゃんをだっこしたいよう。太っ腹君を、女子高生と援助交際していることをかあちゃんにばらされなかったら、大井川に連れて行けえ、と、騒いだ効果がやっと出ました。
太っ腹君は、帰りの運転がしたくないから、くぼちゃんを道連れにしました。
葛籠の竹藪へ。
台風前、太っ腹君はここのチャラ等で20匹台、粗相がなかったら、30匹に、くぼちゃんは、去年、30匹ほど掛けて、大きいハリを使っていなかったため、身切れ等の粗相で半分しかだっこできなかった。
お二人にはなじみのある場所であるから、ダム放流後どのように変わったのか、アカ付きはどのような状況か、わからないこともあって、経験と比較しててもらうためにまずは竹藪へ。
前回、あゆみちゃんにかわいがられた太っ腹君の右岸から左岸へと流れるチャラは、右岸からではなく、川の幅の真ん中付近から左岸へと流れている。
ということは、今回オラの入る候補の1つに考えていた右岸崖に沿った瀬も変化しているであろうから、その候補はリスクがあるから除外した。
チャラは、前回よりも石が小さくなっているようであるが、砂利まみれではない。
くぼちゃんは、去年、入った付近の瀬へ。太っ腹君は、チャラを渡り、右岸側から竿を出し、また、新しいチャラになったところにも、竹藪に沿う分流にも竿を出していた。
くぼちゃんは、すぐにあゆみちゃんをだっこした。それからも盛んにだっこしている。オラの下流側の瀬に入っている2人連れもすぐに5匹ほど。チャラをあっちこっち歩いてきた太っ腹君もしゃがみ込んでいる。
にもかかわらず、チャラから瀬へと入ったオラはボウズ。
ダム放流後の50センチほどの増水によるアカ飛びは、「動かなかった」石については考慮しなくてもよい状況。というよりも、竹藪ではアカは十分についている。
下流側の2人連れは、5匹ほど釣ると、品切れと判断したのか、左岸側へ。それで、空いた瀬を釣り下っていく。オラはボウズのまま、くぼちゃんのところへ。
くぼちゃんは、強いあたり、それがふっと軽くなった、蹴られかと思ったら、上流にすっ飛んでいた、と。7.5号のハリで身切れは発生していない、と。
くぼちゃんが10匹ほど釣った棚は、流れが袋状の様相を呈していて、そこには鮎がいっぱい見えるから入れ、と。
ありがたいお言葉ですが、場所が小さいからなあ。そのまま瀬落ちに行くと、前回は砂利であったのに、石が入っている。
そこで、女子高生であるがスリム。瀬の女子高生や番茶も出花娘は肉付きがよいのに、ここのあゆみちゃんは、食料に恵まれなかったのかなあ。
オラの下流側の人は、去年、竹藪だけで釣りをしていたが、今日は、寸法は十分であるが、痩せている、仲間が鍋島に入っていて、楽しんでいるから、鍋島に移る、といって去って行った。
くぼちゃんが上流へと釣り上がっていく。オラも瀬を釣り上がっていく。
穂先は、天を向いていて、囮は空中にでていて苦しんでいるのに番茶も出花娘を抜けない。
左右の肩の痛み、動作障害は、注射で対応できたが、右肩は、リハビリをしないと機能が低下する、ということで、半年ほどリハビリをして、吊革につかまるには不自由がなくなったが、まっすぐに天に向かって腕を伸ばすことが出来ないから、やむを得ないか。
幸い、くぼちゃんが7.5号のハリでは身切れをしないといっていたから、スリムな女子高生が釣れていたときも7.5号のハリを7号に替えていなかったから、身切れにはならなかったが。
午前、くぼちゃんは16匹の番茶も出花娘と女子高生、太っ腹君は、前回には及ばないものの、相当釣り上げていたと思ったのに、5匹。オラは番茶も出花娘と女子高生が6匹。
他のところも見ようということで、石風呂へ。去年と大きく流れが変わっているから、どこに囮を入れればよいのか、見当がつかないため、見ただけ。
川根温泉下は、砂利が多いから見ただけ。抜里も同文。
昭和橋手前を右折してゲートボール場の横をとおって、竹藪下流の瀬へ。
去年と違い、分流が大きくなっている。本流には2,3人入っている。右岸側河原に車が見えたから、竹藪から移動してきた人もいる。
太っ腹君は、瀬落ち上に、オラは、本流からの水がザラ瀬状に流れ込んで、水量が増えている付近に。くぼちゃんはオラと太っ腹君の間に。
中学生から、番茶も出花娘まで、4匹すぐに釣れた。しかし、それまで。4時までに2匹を追加して6匹。
くぼちゃんは、前半は釣れていなかったが、後半、番茶も出花娘か乙女かというものも含めて8匹。
太っ腹君は、4時頃から入れがかりになったが、それだけのようで、5匹。
七曲がり下流の発電所廃屋前とか、久野脇がどのようになっているのか、次回にしましょう。
アカ付きは心配なし。遡上あゆみちゃんは健在。ただ、去年よりは量が少ないように思う。
デカアユの素が放流されているのか、どうかはわからない。
くぼちゃん、囮缶担ぎを卒業するには、若者をたぶらかして、女道楽に引き込むしかないですよ。
土砂降りの中、運転ご苦労様。もう、お百姓様や、鼻を高々と伸ばしている迷人見習いよりも腕は上かも。
お百姓様、迷人見習いさん、くぼちゃんに負けると悔しいでしょう。大井川で勝負をされては如何でしょうか。
追伸
23才乙女、22才乙女、21才乙女が各1人。
23才と22才乙女は、くぼちゃんがだっこした乙女でしょう。21才乙女はオラがだっこした乙女かも。
乙女を含めて、番茶も出花娘、女子高生も、海産畜養か遡上アユで、継代人工ではない。
9月14日 大井川
迷人見習いを釣りあげるのは、簡単ですなあ。くぼちゃんが、もう、迷人見習いには負けないよ、と、言っていたよ、と囁けば十分ですからねえ。
前回よりも川の状況、鮎の状況がよくなっているのか、悪くなっているのか、東名の帰りの渋滞がどうなるのか、わからないが、釣れるようであれば、1泊する、ということで、出発。
まず、葛籠の竹藪へ。
石が汚れている。きれいな石が減っている。上流チャラの人々は早々に去って行った。
くぼちゃんが楽しんだところもあゆみちゃんの気配は減り、磨かれていない石が見える。僅か数日で、これほど石の色が、状態が変化するとは。あゆみちゃんが少ない。
瀬の中間付近から釣り下り番茶も出花娘と女子高生各1匹だけ。
右岸にも渡った迷人見習いも2匹だけ。
島田の人も去って行く。オラ達も放浪の旅へ。
久野脇親水公園下流1キロほどのところに入る。
数年前と流れが一変してしまっている。左岸地名から流れてきて、石が詰まっていた瀬は砂利がほとんど。右岸に沿う流れもザラ瀬になり、ここは石はあるが。水深が10センチ、20センチほど。ここで、女子高生か中学生の頭掛かりが1匹だけ。
地名からの流れの波立ちに入った迷人見習いは、波立ちはあるが、石が小さい、と。当然のボウズ。
石風呂に移る。ビールを飲み、握りをほおばって、去年と流れの変わった石風呂に入っている人たちを見ていたが、上流側で、番茶も出花娘らしきあゆみちゃんを1匹釣れたのが見えただけ。
昭和橋から左岸を上っていく。
ブクの電池切れ。これでオラの運命は決まった。生きている鮎を囮にするが、囮任せの釣りしか出来ないオラには、迷人見習いを喜ばせることになる運命しか残されていない。
本流に数人、分流の人はお休みの人が数人。
迷人見習いは本流に入って、おらが根掛かり外しに入り、ハリを踏みつけて、それをフェルトから外す動作に四苦八苦しているというのに、3匹をだっこしている。
石は竹藪よりはきれいというのに吸盤ボウイの子供が遊んでくれただけ。
迷人見習いは出足快調であったが、本流を大きく移動してあっちこっちに囮を入れている。
やっと、強いあたり。抜くときにバレた。囮ちゃん、ごめん、もう疲れ切っていることはわかるけど、もうちょっと働いて。すぐに女子高生が。またもや抜くときにバレた。
7.5号のハリを使っているから、身切れはあり得ない。ただし、前回の7.5号がなくなったため、別のハリを使っている。.ハリの問題かなあ。
どこかのサボリーマンたちとは違って、囮君はまだ働いてくれる。サラリーマンの鏡です。
次は、味噌汁の具にすると、食いでのある吸盤ボウイが。
そして、とどめは、ザガニの1年ボウズが。何でザガニじゃあ。しかも針を外そうとしたときに、その行為の意味を理解できずにハサミで力一杯はさみつけるという礼儀知らずめえ。
さて、迷人見習いの結果は?
東名の車の中で、土曜、日曜は、平日よりも釣れないことは公理である。したがって、くぼちゃんと同数釣れば、くぼちゃんよりも腕は上じゃあ、とおっしゃっていましたねえ。
竹藪で2匹、これはオラと同じ。久野脇でボウズ、オラは1匹。この時は焦っていましたねえ。
竹藪下流の瀬で、すぐに釣れてほっとしていたのでしょう。
しかし、くぼちゃんの半値にも及ばない合計9匹。しかも、番茶も出花娘や乙女をだっこしたくぼちゃんに対して大きさでも大きな差をつけられましたねえ。
迷人見習い曰く。
同じ日に勝負をしないと、腕の上下はわからない。(あらあ、朝とはいっていることが違いませんか。)
もう、お百姓さまは、女道楽よりもお仕事にうつつを抜かしているし、今年始めて相模川に竿を出した先日の大会の時はボウズ、ということでは競争相手脱落ですなあ。
くぼちゃん、お百姓さま、その迷人見習いと勝負して、ながあく伸びた鼻をへし折ってください。
そのときは、立会人として、おらを乗せていってください。
大井川の遡上量は、去年よりも少ない。遡上開始も河口の水温が7,8度と低かったという3月下旬にはまだ始まっていないかも。
ダム放流による増水は2メートル以下であるのに、底水放流による濁りが長く続いた、また、ダム放流終了後の雨による濁りもあり、アカがつき始めて日が浅いかも。
しかし、肉付きのよい女子高生も番茶も出花娘もいる。ただ、迷人見習いが、糸鳴りを経験した数年前のあゆみちゃんよりも馬力が少し劣っているかも。
さて、7.5号のハリでは身切れをするから、8号のハリにしょうかなあ、と悩むあゆみちゃんと出会えるのかなあ。
あ、そうそう、迷人見習いが、大鮎ではなく、「大」吸盤ボウイとザガニを釣ったことを必ず書いとけ、と。自らの腕と、へぼの腕の違いを際立たせるために厳命していました。
次はどのようにして、アッシー君を釣ろうかなあ。あゆみちゃんを釣ることも大変であるが、アッシ-君を釣ることも大変であることを思い知らされた大井川の1日でした。
9月19日 相模川
オラのボウズ街道まっしぐらでは、気も滅入るでしょうから、体に障害が出ても元気溌剌な丼大王の狩野川から
丼大王の狩野川 9月16日 | ||||||
片岡さん、お久しぶりです。 体の右側が病んでる大王です。 16日に狩野川の松下に行ってきました。 8時半過ぎから14時までで23匹、大は24センチ、小は8センチ、 連休でかなり責められて釣られて、魚の大きさがばらついている。 平均は17、18センチてとこかな。 今年は超異常だ、狩野川には雨が降らない、ずっと渇水のまま。 8月に入り青ノロも枯れた後にほんの少し水が出たら流れたが、また少しずつ出てきた。 そしてこのままだと青ノロがふさふさしてくるのではないかな、 青ノロの根まで流すような水が欲しいが、今そんな大水が出たら川が終わってしまうし、 とりあえず今年はこの渇水でいくしかないか? |
丼大王が骨折して手術をしたのは右足。その箇所から距離的には1メートルは離れている箇所に潜るときの動作障害が発生している。
まあ、そんなことで、サザエやアワビを、鮹をあきらめる丼大王ではないが。もっとも東伊豆でアワビが獲れているのかどうかは知らんが。
さすがの丼大王も、アオノロとの戦いには負けてしまい、ここしばらくは、海の漁師さん:漁協組合員として、稼いでいた、いや、ビールのつまみを調達していた。
大体、ちょこっとやってきて23匹も釣り上げるとは、とんでもない。日曜日ごとに、休みごとに狩野川に入り浸っている迷人見習いが、つ抜けは当たり前、20匹を超えないと一人前とはいえん、と、豪語なさっているが、大井川の翌日の15日には1桁。
にもかかわらず、23匹も釣り上げるのでは、乙姫様も弁天様も子孫繁栄のために丼大王に罰を与えますよねえ。
弁天へ。
先日、田名の主が久しぶりというか、今年初めてというか、数時間竿を出していたが、その高田橋は空いているなあ。
橋下流の左岸へ地で平和に暮らしていた県産種苗ではないかと思う中学生も釣りの対象となっているくらい、流れには鮎はいないよう。
これじゃあ、ボウズも恥ずかしくない。
弁天も10人も入っていない。
瀬に入るが、いつものよおに、ではなく、釣れた。高校生の海産畜養と県産種苗ではないかと思う中学生が各1匹。
バレも蹴られもあった。それぞれ1回であるが。
想定外の展開で11時を過ぎたから帰り支度をしていたら、先日、3時半頃にやってきて、大漁になった人が。
昭和橋下流でも、午前、そして午後4時頃からの差し鮎がやってこないと釣れていないから、弁天でも同じでは、居付きの鮎は少ないのでは、と話した。
久しぶりに雄物川さんに会った。
昨日は20匹以下であったが、30匹台を維持している、と。3段の滝付近は、鳩川と八瀬川の増水で流れの状況が変わるとのこと。
そこで差してきた鮎が、遊ぶのか、食堂にするのか、わからないが、たまる場所がある。そこでころがすとのこと。
歩行の網打ちが来ると、大歓迎。鮎をそこに誘い込んでくれるから。
舟からの網打ちは、大きい鮎はドン深のトロに入っていて捕れない、と。
ご近所さんはダム放流後10匹以下が多い。
雄物川さんは朝の差し鮎を対象とし、ご近所さんは、夕方の差し鮎を対象にしている。そのとき、釣れる場所というか、人は限られているとのこと。雄物川さんの話のように、たまる場所があるよう。
そこに入る人はいつも大漁になっているとのこと。その場所を反対側からころがしてもなんでか掛からない、とのこと。
差し鮎が居付きの鮎になることが少ないほど、鮎の密度が低いということでは。
テク2は、葉山へ、次いで石切場、弁天の瀬へ。そこも空っぽにしてからは昭和橋上流の瀬に行っているようであるが、まだ品切れにはしていないのかなあ。
10月1日 大井川
相模川漁連の義務放流量が、2013年同様、120万とすれば、数年前までの230万、次いで160万と減った後の更に少ない数しか相模川には鮎がいないことになる。いや磯部の堰上流には、2漁協合わせた50万くらいしかいないのでは。
更に、高田橋下流左岸へ地を生活の場としている県産のF1かF2とF11と掛け合わせた小中学生のままのへんてこな種苗もその構成員であるから、まともな鮎は超過疎状態では。
へんてこな鮎は、新昭和橋上流側の本流から離れたチャラにもあまた群れている。高田橋の成長の出来ない鮎は、他の鮎が僅少のために、釣りの対象とされているが、新昭和橋のへんてこな鮎は、チャラのない世の中は考えられない、と、我が世の春を謳歌している。
テク2でさえ、葉山を品切れにしてから、弁天、石切場の海産畜養も空っぽにし、今や、新昭和橋と昭和橋の間の瀬で残り少ない海産畜養をせっせと集めている状態。テク2でさえ、数をそろえるのに苦労なさっているあゆみちゃん状況では、オラと遊んでくれるあゆみちゃんがいなくても当然のこと。
9月28日の迷人見習いは、狩野川は松ヶ瀬に入るも、つ抜け出来ず。
遡上アユだけの場所ではオラとどっこいどっこいであるのに、そして、放流もののいるところでオラに差をつけているのに、放流もののいる松ヶ瀬で、オラと同水準とはなあ。
腕が悪い?それとも?オラのへぼが感染した?
ということで、遡上あゆみちゃんをだっこするには、大井川しかない。
しかも、今回の増水は駿遠橋で1メートルとはいえ、すぐに平水に。しかも上水放流で、すぐに濁りは消滅。アカ付きが心配ではあるが、釣りが不可能な状況ではないはず。
大井川の遡上量も少ない、よって、アッシー君が釣れなければ、電車通勤をするしかなし。
しかし、拾う神あり。太っ腹君が釣れた。
囮屋さんに着くと、天竜川の遡上が少ないとやってきた天竜川ご一行様が待っている。
本当に困った囮屋さんじゃ。オラが7時頃着くと電話をしたら、7時にやってきた。オラ以外にもお客さんはいらっしゃるんですよ。
大きな囮の入った友缶を担ぐ人は、太っ腹君。前回のくぼちゃんは居らず。
葛籠の竹藪へ。
アカが付いている。
太っ腹君は、くぼちゃんご指定席の瀬の中の棚へ。すぐに3匹を。
それで、品切れのようで、下流へ、左岸側へと動き回る。1匹追加出来ただけ。
オラはボウズのまま。瀬落ち付近の人は1匹釣れていたが。瀬肩上流チャラにご一行様が入ったが、釣れたのかなあ。
蹴られはあるが、いつもの強烈な蹴られとは異なり、相模川や狩野川でおなじみのこつん。
鮎が見えたのはチャラで跳ねた女子高生のみ。
ということで、昼前に下流側の瀬へ。
4駆であるから、河原を走り到着したが、駐車スペースが小さい。ということで昭和橋左岸を上流へ。
分流の水量が本流よりも多いように見える。ただ、本流の流れの巾は分流とは違い、狭いため、流れの強さは本流の方が遙かに強いと思う。
ビールを飲みながら天下の情勢を観察。3人組さんが、分流の、前回は釣りの出来るほどの水のなかったところに移ってきて、数匹釣り上げていた。
ということで、アカ付きは竹藪よりも悪いとはいえ、釣りになることがわかった。
本流で川流れはしたくないから、分流でおとなしく釣りましょう。
すぐに3匹の女子高生。ただ、気に入らないのは、あたりが弱いこと。掛かってからの引きはそれほど衰えておらず、番茶も出花娘かと誤解するほどではあるが。
分流下流側の太っ腹君は、盛んにしゃがみ込んでいる。10匹の女子高生に番茶も出花娘交じり。
オラは、4匹追加して7匹。
午後から本流に入った3人組さんは盛んに取り込んでいる。2人が同時に掛けた。下流側の人は、少し下りながら、手前の流れに誘導して抜いた。丼。上流側の人は、同じ動作をして取り込んだ。
細糸を使っているのかなあ。乙女はまだいないと思うが。
3人組さんは、午後からも20匹コースではないかなあ。当然、午前は分流に入っていたから、オラ達はその人達のおこぼれを頂戴していたよう。
分流の瀬落ちのすぐ上流の人もよく釣れていたなあ。そこを品切れにして、右岸側の流れがあるのか、ないのか判然としないところに移動しても取り込んでいた。その、よく場所をご存じの方も午後だけで2,30匹コースでは。
太っ腹君は、空中分解がなければ、合計15匹になったのに、と。オラも空中分解があった。身切れでないバレとは、あたりが弱いのかなあ。
とはいえ、強烈な当たり、強い引き、番茶も出花娘かと思えど、女子高生というあゆみちゃんにも数は少ないながらもお会い出来たから、感謝感謝。
継代人工が2人の中に1,2匹入っていたが、地名に放流されたものか、養殖君を持ち帰らない人が放流したものか、いずれにしても遡上アユと海産畜養が主役の大井川に変わりはなし。
太っ腹君よりも何倍も腕が上であると、自信たっぷりのお百姓様、くぼちゃん、それから……、放流ものでないあゆみちゃんに出会えるのは、嵐の静けさの今だけですよ。
オラはいつでも暇ですよ。
追伸
太っ腹君が釣り上げた中に、21,2才の乙女が2,3匹混じっていた。
煮浸しにしたが、まだ食べていないため、腹子が小さいながらも存在するのか、どうかは、不明。腹ぼてになっているあゆみちゃんがいないことだけは間違いなし。
10月8日 相模川の状況
6日、厚木で3メートルほどの増水。今日は水量は減っているが、いつもの真っ黄色の濁り水。津久井ダムが底水放流であるから、当分澄まないのでは。
瀬がよくなったのかなあ。
昨日、雄物川さんが、今年から釣り場にしている3段の滝下流を見て、昭和橋下流、戦車道上流へ。
最上川さんらが、竿を積んでいた雄物川さんに釣れ、と。
釣れた。それを見た最上川さんら、3人も代わる代わる雄物川さんの竿を使い、釣った。
41匹。
次から次へと差してきたとのこと。
雄物川さんは、3段の滝付近の鮎と違い、容姿、ハラワタがきれいであったから、ウルカを作ったとのこと。
さて、その氏素性は何かなあ。腹子ができはじめた頃とのことであるから、海産畜養ではないかなあ。大きさは番茶も出花娘と女子高生。
これらは、磯部の堰上流に広がるトロ、淵に避難出来たということのよう。
釣り場は広くないようであるから、湧き水がでている付近ではないかなあ。
湧き水のところは、濁りがでたとき、鮎がたまる場所とのこと。 その影響範囲だけ、釣り場になっているということかなあ。
雄物川さんは、他の釣り人の腕を褒めることはあまりないが、例外の釣り人がいる。
その人は、2号のおもりに、0.6号の水中糸で、4段のハリの仕掛け。
流れを利用して、おもりを、ハリを沈めているとのこと。
迷人見習いから、訂正しろ、との抗議が。
先日の狩野川は松ヶ瀬で、つ抜けをしなかった、ということは間違い。つ抜けをしている、遡上アユが少なかったことは間違いないが、とのこと。
その遡上アユは、6日の大仁で3.5メートルの増水で、どのように避難したのかなあ。
城山下の淵等、石底の淵が健在であれば、淵に避難する鮎もいたが、砂底ではどうなるのかなあ。ヘチには避難出来たであろうが、上流にはヘチが出来なかったのではないかなあ。
そうすると、松下の瀬等が避難場所になったかも。
来週には様子を見に行くしかないか。
10月12日 狩野川
6日の台風による増水後、あんよの練習をしていないから、どのくらい機能低下をしているのかなあ。
迷人見習いが、竿先よりも沖に囮を泳がせる方法を練習しているとのこと。その成果で、前回松ヶ瀬でつ抜けをするほど、釣れたんじゃあ、と。
故松沢さんも、長良川で、手尻一尋を利用して、囮を竿先よりも沖に泳がせたから、地元川漁師よりも立ちこめない不利を補ったと話されていたなあ。そのときは、長良川のアユの馬力が強かったから、と話されていたが、「腕」の技量もあったのでは。故松沢さんは、「腕」自慢をされなかったからなあ。
大仁の水位計で3.5メートル増水したから、まだ釣り時にあらず、とは思えど、次の台風が来るしなあ。
迷人見習いは、大仁の水位計での増水が、「2.5」メートルと書かれていた、と。それは間違っている。大仁の平水は「マイナス1メートル」であるから、「3.5」メートルの増水になる。
1,2メートルの増水と、3,4メートルの増水では、あゆみちゃんの避難場所、アカが付くまでの時間に大きな差が生じる。
城山下の左岸道路の低いところが水没するほどの増水になっていないと思うが、久々の3メートルを超える増水。まだ、2,30センチ水が高いから、すっころんでも粗相のないように、ウエーダーではなく、タイツにする。
コンビニで、昨日上流に入った迷人見習いのお仲間達と逢う。お仲間は、上流は白川で釣れない、と。オラは、「白川」であるから、ではなく、増水で避難するヘチがないから、流されたと思う。上流を橋から見て、迷人見習いは、これまで見えていた鮎が見えないから、鮎がいなくなったことに納得。
松下の瀬の上流の田向の瀬?に入る。
お仲間達の一部と、師範代が流れのイン、アウトの関係で、アウトになる右岸側しか残りアカはない、ということで、強い流れを渡っていく。
流されることに慣れている迷人見習いであるが、タイツでないこともあって、左岸側から釣ることに。
オラは、少しでも楽なところがないかなあ、と下流へとよたよた歩いて行く。そして、立ちこんで釣っている人たちの立ち位置付近の筋に囮を入れる。
女子高生が2匹。生殖腺重量体重比は、ゼロかゼロに近い。
高橋勇夫さんは、このような10月中旬の鮎を見ても、四万十川海域で捕った鮎の耳石調査の結果、10月始めに孵化している、とおっしゃるんでしょうなあ。耳石調査が孵化日からの日数を表現している、と、どのように検証されたのかなあ。また、耳石は、「24時間」という時間観念で形成されるのかなあ、それとも、明度の変化によって形成されるのかなあ。
迷人見習いも2匹。
迷人見習いは、師範代達とお話をしに行く。オラは、水温17度、それに曇り空ということで、震えながらの釣りであったから、ビールではなく、お酒にするか、と悩んでいたが。
西風が吹き荒れる頃=木枯らし1番が吹いた後は、あゆみちゃんがそわそわして下りが始まる水温は12度くらいになる。その頃、小春日和が数日続くと、16度くらいの水温になり、暖かい、と思っていたが、17度の水温で震えるとはなあ。
生足の女子高生の発熱量が羨ましいよ。
右岸に渡った人たちは、師範代の15匹を筆頭に、皆さん10匹くらいとのこと。
そして、残りアカは、ヘチだけでなく、師範代が根掛かりを外しに行って、流れの芯の右岸側の瀬にも付いてることがわかったとのこと。
それでかなあ、立ちこんで右岸寄りの流れに囮を入れていた人たちがよく釣れていたのは。
河原から釣りたい、と松下の瀬の分流に行くが、水に入らざるを得なかった。しかも、釣れている人はなし。
幼女が釣れただけ。
それで、また、田向の瀬?に戻る。
右岸側に入っている人が声を出している。
なんと、丼大王。
丼大王の釣り姿を見るのは何年ぶりかなあ。故松沢さんが亡くなられる1,2年前以来であろう。もう10年前のことでは。
城山下の淵に落ち込む1本瀬が年々貧弱になり、令嬢が住む高級住宅街でなくなり、やむを得ず、石ころがしの瀬にやってきた丼大王を見たのが最後の釣り姿でしょう。
城山下の淵が大石ごろごろの石底の頃であれば、城山下の淵も増水時の避難場所となり、そして、大石ごろごろの1本瀬や石コロガシの瀬には、石裏に残りアカがあり、丼大王が松下の瀬へ、そして田向の瀬?へ、と、やってくることはなかったでしょうに。
迷人見習いは、流れの強いところでも残りアカがあることがわかり、立ちこんで釣る。
強い引きに満足した5匹。とはいえ、根掛かり放流もしたから、そのはちゃきん娘も1,2匹しか舟に残らなかったようであるが。
10月19日 狩野川
先週見た上流の橋から川を見る。アカ付き悪し、鮎見えず。釣り人は10人ぐらいが準備している。
迷人見習いは、3.5メートルの増水で生じるアユ、石への影響を確認して、松下の瀬の上流、田向の瀬?へ。今回はアウトの流れになっていた右岸側へ。左岸側に新アカがつき始めているかも。とはいえ、右岸側に避難したアユが左岸側へと移動しているとは期待出来そうもない。これは師範代も同じ見方であった、と迷人見習いの話。
石により、深さが異なり、歩幅が異なるところは、オラのあんよにとっては非常に歩きにくいから、迷人見習いが竿を出し、そして、すぐに掛け、ばらしたときもまだ、竿を出す状態になっていない。
オラもすぐに掛けたが、ぽっちゃん。
迷人見習いは女子高生か番茶も出花娘をだっこしようとしたが、掛かりアユはタモの外。その後は3匹取り込んだ。
さすが、迷人見習い、今日もつ抜けは軽い、はず。
しかし、見事に根掛かり放流を繰り返して養殖を含めてボウズに。
オラは、1人の女子高生であるが、雌であるが、根掛かり放流をしたくないため、すぐに箱入り娘に。ということでオラは養殖を1匹根掛かり放流したものの、2匹が舟にいた。
迷人見習いが破産したのは11時。
今日は、水が2,30センチ高い、タイツではないから根掛かりを外しに行かない、囮の追加買いをしない、ということにしていた迷人見習いに便乗してオラはいそいそと竿をたたむ。
迷人見習い曰く。葦が絡まっている石、筋、その付近でないとアユの反応はない。
先週、丼大王も根掛かりをしたとき、根掛かりの場所まで立ちこんでいたが、根掛かりを外す動作を行わず、糸を切っていた。石ではなく、葦に根掛かりをすると、根掛かりを外す動作をすれば、バランスを崩しやすいということかも。
右岸土手の道を松下の瀬に行くと、迷人見習いが師範代の車を見つけた。
師範代は、遅くやってきたため、めぼしい場所が空いてなくて、護岸に座って、オラが囮を入れるような魅力に乏しいところに囮を入れていた。
それは、迷人見習いにとって幸運でした。
師範代とたっぷりとお話しが出来て、操作の仕方を教えてもらい、「今年」その練習をする、と。
ということは、11月始めの例会で鮎を終えて、ワカサギに、磯釣りに専念するのではなく、11月も鮎釣りをするということですね。それでないと、あゆみちゃんの一生はわかりませんよ。高橋勇夫さんら学者先生の海アユが「10月」11月に産卵している、とのご託宣がまちがっちょるということを経験出来ませんよ。
左岸側の立ちこんでいる人が根掛かりを外していて流れた。顔は空中にでている。下流が白波の立っている瀬ではなく、流れが弱く、浅くなっているから、川流れにはならないでしょう。
竿を折った。折れた竿を回収しょうとしてまた流れた。
結局元竿以外は回収出来なかったよう。
数年前、Tさんの講習会が相模川は弁天の瀬で行われた。Tさんは、流れながら根掛かりの囮を回収していた。そのときは、竿を持ったままであったが、瀬の強さがTさんにとっては竿を持っていていも障害とならない強さということ。なお、その瀬は年々貧弱な瀬になり、今回のダム放流で一層オラにとっては囮を入れやすい楽な瀬になったよう。
そのTさんの姿が、大仁橋下流の囮屋さんに見えた。
迷人見習いはその頃から鮎釣りを始めたが、根掛かりを外しに行って狩野川で流された。
迷人曰く
竿を持って根掛かりを外しに行くと、竿に水圧を受け、また強い力を竿にかける動作を無意識のうちにするから、竿を折りたくなかったら、竿を河原において、糸を口にくわえて、根掛かりを外しに行くこと。なお、竿を折る経験を早々にした、と。
舟は外すこと。舟に掛かる水圧が強いため。
まあ、オラには関係ないか。流されたら、はいそれまでえよお。それどころか転んでも立ち上がることに四苦八苦するから。
城山下、上島橋を見た。
上島橋の左岸ブロックの流れは一段と丼大王好みになったと思うが、今年はどのくらい鮎がいるのかなあ。東北、日本海側・対馬暖流の海産畜養かそれを親としたF1が放流されているようであるが、数年前と違って、その量は少ないのではないかなあ。
11月は、根掛かり放流を避けるためには、青木の瀬の、自動車道上流のチャラっぽいところに入るしかないのかなあ。
青木の瀬、といっているが、かっては、中段、しょっこ、青木の瀬と、三つの名前があった。それがどこであるのか、忘却の彼方に。しかも、自動車道橋脚の影響でか、流れがすっかり変わってしまったから、かっての呼称の意味もなくなったと思う。
10月26日 狩野川
青木の瀬へ。今日は電車通勤であるから、迷人見習いとは別行動。
先週、狩野川を見に来たテク2が、狩野川大橋下流側左岸が釣れるはず、と。
橋を渡り、階段を降りて楽そうな処へ。
オラの下流側の波立ちに近いところを釣っている人は、よく釣れているなあ。午前中に2,30匹でしょう。立ちこんでいって流れの強いところに囮を入れていたが釣れずに、また左岸へ地付近を立ち位置にしていた。大きさに不満があって、立ちこんでいったものの、鮎がいなかった、ということかなあ。
それを見ながら、囮を入れるとすぐに釣れた。次は水温を測っているときに女子高生が。
はいそれまでえよ。
ところが、11時頃また釣れだした。小学生、中学生であるが。
昼前に10匹ほど。
根掛かり放流2回。迷人見習いがいたら、外してこい、といえば、ほいほい外せる場所であるが。もっと、わからないことは、中学生が掛かったとき、鼻環が空き家になっている。鼻環が外れて囮が逆バリでくっついている、と思った。ところが、囮が鼻環から外れていて、背掛かりのアユが掛けバリについていた。何で、中学生ごときで、囮が飛ばされたんじゃあ。
まあ、なんやかやとマイナスもあったが、10匹近くの小中学生に女子高生まじり。
背びれが帆掛け船ではなく、頭側が長く、しっぽ側が短い遡上アユが主体であるが、継代人工が1匹混じっていた。
中学生であるのにさび始めている雌もいた。故松沢さんが、早熟も奥手もいると話されていた早熟ものでは。
とはいえ、テク2の川見の適切さにに感謝、感謝。
もう、午前様で、お酒を飲み行くベし。
ということで、囮屋さんに戻ると、テク3が来ているとのこと。
着替えが終わった頃、雨が。今朝3時の大仁の予報では雨が降るのは15時であったのに。
上流も見てきたテク3に乗せてもらう。
そして、朝買っておいた酒を車中で飲む。箱根新道を降りてから一般道に入り、また酒を買う。迷人見習いや、テク2と違い、飲める方の横で、酒を食らって済みません。
大橋から見える右岸側は石が埋まり、めぼしいところは少なくなったかも。左岸側に残りアカがあり、また、石が多いかも。
上島橋には人が多い。乙女やデカアユをねらっているのかなあ。左岸側は残りアカがあるとのことであるが。
そのほかの処はどの程度釣れたのかなあ。まあ、次回、今日のところで囮捕りをしてから、あっちこっち歩きましょう。そのときは、今日よりも2,30センチ水が減っているでしょうから、根掛かり放流は少なくなるかも。
なお、今日の根掛かり放流は、葦ではなく、石に根掛かりをしていた。
10月29日 狩野川
「お願い、 引っ張らないでぇぇぇ~」
乙女に翻弄されて、この可愛い悲鳴が大井川にとどろき渡るはずであった。
やっと、平水になり、発電所廃屋前や七曲がりにいける、乙女と逢える、はずが。
囮がない、と。
「お願い、 引っ張らないでぇぇぇ~」の可愛い悲鳴は、2013年11月3日、荒川に響きわたった。
H・P「(新潟県 坂町)いづみや旅館」の中に「いづみやブログ」がある。
いづみやの女将さんは、鮭様の季節到来前から、そして鮭様の季節中、荒川を走り回り、鮭様と人間の格闘、悲哀、感激、ロマンをブログに掲載されている。
荒川の鮭釣りは、
1 完全エントリー制
女将さんが、日本一厳しい釣りと書かれていたと思うが。
三面川は、漁協組合員しか釣れないのでは。
2 ルアー、フライ、餌釣り
三面川は、コロガシも可能では。
2013年11月3日、小学三年生が荒川にやってきた。
そして、鮭様を掛けた。その動画が、いづみやブログの2013年鮭釣りの中の「ナイスランディング」に紹介されている。子供さんは、場所替えをしてからも鮭様を取り込んでいる。
子供と同程度の腕力であるオラも乙女を掛けて「お願い、 引っ張らないでぇぇぇ~」と可愛い声で叫びたかったのになあ。
大井川をあきらめて狩野川へ。
狩野川大橋から見える右岸側は、アカがつき始めたのではないかなあ。
狩野川大橋下流側左岸で、26日に大漁だった人のところへと釣り下っていく。
あゆみちゃんがいない、ということではないが、釣れませんなあ。
水量が減って、オラでも根掛かりがはずせに行けた。それほど深くはないが、溝がある。その先は亀の甲羅になっている。
先日、あゆみちゃんがいっぱいいたが、下りのための集結ではない。
腹子を持っているあゆみちゃんもいたが、その腹子は、ちっぽけで、まだ性成熟にほど遠い段階。もちろん、継代人工は腹子が大きくなっていたが。
増水で避難し、僅かではあるが、食料があるから集まっていたゆえ、アカがつき始め、他の食堂も開店するとなると、移動するものが出てくるのは当然のこと。
とはいえ、まだとどまっている小中学生が白い裸体を翻しているから、釣れん、ということは腕の問題ですなあ。
右岸側の二,三人、左岸側の一人が、瀬へと釣り下っていったが、数匹釣れてはいるが、つ抜けにはほど遠いペースではないかなあ。
そして、釣り下っていった左右からの三人が瀬落ちに集まっていたが、釣れたのかなあ。
テク二や三がいれば、あっちこっちと動いて、人気のある食堂街を探し出してくれるから、そのお裾分けに預かればよいが。
番茶も出花娘が釣れたが、継代人工の雄。そして、中学生の継代人工の雄。
雄とはいえ、継代人工とはいえ、泳ぎは達者であるが。
遡上アユの小中学生はどこに移動したのかなあ。
2匹の継代人工は、囮に使っていると、真っ黒になった。養殖物は真っ黒にはならなかったのに。よほど、性成熟がすすんでいるのでしょう。
ボウズでなかったことに感謝して、午上がり。
神島橋では、放流もののデカアユや、遡上アユの乙女ではないかと思うものも釣れているようであるが、この界隈ではどこに遡上アユの食堂があるのかなあ。
水温は14度であるから、前回よりも2度低い。
しかし、「西風が吹き荒れた頃」に生じる17度くらいから、12度くらいの水温に低下した状況とは違い、徐々に低下しているから、「水温の低下」が不漁の理由にはならない。
故松沢さんは、急激な水温低下があっても、暫くすると、低い水温になれるから釣れるようになる、と。
これから、遡上アユの下りもあるから、「日替わりメニュー」になる。しかも遡上量は少ない。まあ、どこで釣れるかも運次第か。
車窓から、富士を眺めながら、飲む酒は旨いなあ。小学三年生にはできない至福の時、と、変な優越感に浸ることにしましょう。
11月6日 狩野川
10月26日、増水後の定点観測をしていた上流の橋から、アユがみえるようになった、と、迷人見習いからの電話。
その橋の付近に増水時に避難出来る場所があり、避難する能力のある鮎がいたということでしょう。避難する能力のある鮎とは遡上アユに海産畜養が含まれるかなあ。継代人工は流されるか、その他でもはや上流にはいないのではないかなあ。
迷人見習いの話。
11月2日、迷人見習いのクラブの納竿大会。
宮田橋よりも下流に行った人は一人だけ。嵯峨沢、大見川に行く人もいて、皆さん釣れていた。
迷人見習いは、14匹、根掛かり放流がなければ、15匹釣れた。根掛かり放流をしたということは、相当流れが強いところが釣り場であり、強い瀬にあゆみちゃんがいるということ。
14匹と養殖囮を持ち込んだが、念願の10位以内に入ることは出来ず。
雌の女子高生が主体。とてつもない馬力の女子高生もいた。
さて、故松沢さんたちは、湯ヶ島の漁師が鮎が下り、いなくなった、といって中流域にやってくると、いそいそと上流域、湯ヶ島等に出掛けていた。
理由は、サラバほど効率のよい場所はないから。アユの密度が低下しても、サラバでの効率性に勝るものはなし。
迷人見習い達の大漁は、サラバ効果によるのかなあ。雌が主体である理由は、継代人工が消滅し、雄が雌よりも先に下る習性のあることから、雌の比率が高くなり、理にかなっていると想定出来るが。
迷人見習いは、ワカサギをあきらめて、23日の連休からの磯釣りまではあゆみちゃんを軟派するということであるから、上流の状況も見ることが出来そう。
遡上量が少ない中での雌であるから、サラバ効果ではないかと想像しているが。
狩野川大橋下流左岸の定点観測をしたいとは思えど、歩く距離が長いからなあ。
昨日、テク3が短時間竿を出して6匹?とのこと。テク3が6匹ということは、オラはボウズでも恥ずかしくない。
ということで、自動車道から、右岸側の流れを釣り下ることにする。
蹴られ。逆バリは外れているが、逆バリが囮の身を切り裂くほどのあたりではない。しかし、鮎がいることがわかった。
中学生が、そして、真っ黒の高校生の雌が。まだ、雌が真っ黒になるほど性成熟がすすんでいる時期とは思えないが。
平瀬へ、そして、又上流へ。ヘチの大きい石が埋まり歩きやすいから助かるなあ。とはいえ、流れの中の大きい石も埋まってしっているが。あゆみちゃんが好む流れ、瀬ではなくなっているよう。
4匹の高校生と1匹の中学生。すべてメス。1匹を除いて、下顎側線孔数4対左右対称。背びれは、頭側が長く、しっぽ側が短い形状で、帆掛け船ではない。
藤田栄吉「鮎を釣るまで」(博文館 昭和七年発行)(ふりがなは省略。旧字は当用漢字を使用)に、「下顎に八個の内部まで貫通せざる小孔を有す。遡上の際吸盤の用をなすともいひ、又、音響を聴くものとも称するが何の役目をなすものであるか判明しない。」
下顎側線孔数が「4対左右対称」であることには触れていないが、継代人工が存在しなかった時代の観察であるから、「下顎に八個の」「小孔」の観察で十分でしょう。ということから、下顎側線溝数が4対左右対称であることは、「本物のアユ」の容姿を、形状を識別する一つの指標になるでしょう。
藤田さんの本は、「故松沢さんの思い出:補記8」の素材とするものの、竹内さんの本とは異なり、寝転がって読み、理解出来る水準ではない。なにぶん、オラが生まれていない時代のお話しであるから、学者先生並みの間違い、何が「事実」であるか、間違わないようにに気をつけます。
又、藤田さんを読むには、「元気」が必要。その元気の素を、天保の代に、お伊勢詣りをした筑前の四人の姥桜が、善光寺にもお詣りしないと片詣りになると、善光寺へ。そして、二荒山に詣でて花のお江戸へ。往来手形なしの旅のため、箱根と新居関を避けるため、甲州街道から秋葉道へ。
こんな精力絶倫、ではなかった、活力ある姥桜の霊気を得ることにします。なお、姨桜の一人の小田宅子さんは、高倉健さんの5代前のババさま。
アマゴの幼魚を釣り、竿をたたむと、12時のチャイムが。もう朝酒ではないよ。
囮屋さんに戻ると、玉三郎さんが、これから釣りに行くとのこと。
玉三郎さんを見るのは何年ぶりかなあ。故松沢さんのテントから豪傑笑いが河原に響くと、玉三郎さんが来ている、とわかったもんです。
11月のこと。コマドリの瀬に出来た中州が年々成長し、高くなっていた頃、玉三郎さんは、中州の左岸側の流れが強いところで、大漁になった。多分その時が最後に会ったときではないかなあ。
いや、中津川での大会責任者として、前日にやってきて消防グランドから上ってきたのではないかと思う玉三郎さんが、「こまい」と。そして、壊れ橋の所で立て竿で釣っていた。
玉三郎さんが、大会会場に行くと、瀬がない。それで、本間さんに立て竿泳がせ釣りを習ったとのこと。
そして、瀬の強いところで囮操作をするため、細糸を使用。立て竿泳がせ釣りは、糸を切ることに見たり、と書かれていたのではないかなあ。
いずれにしても、一昔ほど前のこと。
玉三郎さんはどこに行ったのかなあ。11月2日には60匹釣っている玉三郎さんですから、半日で30,40当たり前でしょう。
それにしても、何で性成熟がすすんだのかなあ。10月中旬の二回の増水が動機付けになるとすれば、上流は何でいつもの美白の雌が主役かなあ。
アユは元気であれど、オラは疲れた。昼の踊り子車中で、酒を飲みました。
11月11日 狩野川
狩野川に行くのに、八時過ぎに出発することは数年前には考えられなかったこと。大井川が余裕をもって日帰り出来るようになったご時世であるから、当然のことか。
午前は狩野川大橋に左岸側から入る。
オラは大橋下流左岸の流れのゆるやかなところ。前回よりも更にアユは減っている。根掛かり放流1.熊ちゃんは橋上流の瀬で中学生を1匹釣ったが、掛かりどころ悪く死亡。
午後、神島橋へ。
橋のところの二人が、握りをほおばりながら見ているときに共に数匹。黒子ちゃんではない。
オラは橋下流の、丼大王が左岸側の流れの強い瀬を釣るときに立ちこむであろう立ち位置付近に囮を入れる。
中学生の雄であるが、泳ぎは達者、サビは出ていない。次は高校生雌これも美白とはいえないまでも、錆びはなし。沖に出て行くが、根掛かりをしたら外しに行けないから、瀬脇よりも手前にたえず移動させる。
久しぶりの引きを味わったが、水中バレ。そのあと、番茶も出花娘の雌。いつもの竿よりも硬い穂先であるから、楽に抜けると思ったが、抜くまでにかかった時間はいつもの通り。竿の調子ではなく、腕力の問題かも。サビを感じない状態。当然箱入り娘に。
次の雄は膚がざらついているが錆びはなし。
ということで4匹が釣れた。
橋上流に入ったご一行は、10匹とか、10匹掛けたが、取り込めたのは半分とか。橋上流の方がアユが多いのか、腕の問題か。くぼちゃん、雨の降っていないときに神島橋にいこうよう。
皆さんのアユをもらったが、雄の方が多い。
前回、青木の瀬で釣れたような真っ黒けの鮎はいない。囮に使うと黒くなるが、その黒さも真っ黒けではない。
この青木の瀬、狩野川大橋下流との違いは何かなあ。
神島橋では、増水で避難したアユがそのまま居座っているが、狩野川大橋では避難先からどこかへ移動した、神島橋では避難先から移動した鮎がいない、ということかなあ。
青木の瀬は、下りの鮎がいたのかなあ。神島橋では下りのアユよりも、増水で避難した性成熟がまだすすんでいないアユが多いということかなあ。
二十一世紀に入っての神島橋は、橋掛け替えの時に、ヒューム管で水を流していたとき、それに異変を感じて、ヒューム管の上流にアユがたまっている、との話があり、石ころがしの瀬から移ってきたとき以来のこと。そのたまっているアユの御利益にはあずからなかったが。
二十世紀、神島橋下流にあった大石はどうなったのかなあ。埋まってしまったのかなあ。
東洋醸造の廃液処理水が流れ込んでいた水路の付近の流れは様変わりして瀬になっていた。熊ちゃんがそこに入ったが、釣れない、と橋上流に移っていった。
くぼちゃあん、大井川でも最初は掛けたあゆみちゃんの半分しかだっこ出来なかったでしょう。今日の狩野川でも同じでしたねえ。もう一回神島橋に行こうよお。そのときは2,30匹が釣れるはずですよ。迷人見習いのように、正月の甘露煮か煮浸しの素材が調達出来ますよ。河原の土道を走ることが困難なら、土手に止めれば問題ないですよ。
大井川だけでなく、狩野川でも遡上アユが居付く場所の偏りが大きいよう。遡上量が少ないことだけがその要因かなあ。
11月16日 狩野川
11月1日、迷人見習いが15匹美白を釣ったことが、増水後の避難者であるのか、それとも下りのアユなのか、気になりますねえ。
迷人見習いに大差をつけられたといっても、殿淵や松ヶ瀬の継代人工等の「放流もの」がいるところの話であって、遡上アユしかいなかった鈴が淵の吊り橋、宮ヶ瀬、大見川の発電所では、マイナーなドングリの背比べでしたよねえ。
宮田橋からは汚れた石が見える。八熊橋は、石はきれいが、左岸へ地に少しアユが見えるだけ。鈴が淵の吊り橋からは、100匹単位の群れが見えるものの、それらが釣れる場所に入っても密度は低いなあ。
松ヶ瀬は石が埋まり、浅くなり、石が形成していた棚もなくなった。吊り橋から鮎は見えず。
ということで神島橋へ。
上島橋付近とその上流のチャラでは、前回と違い、あんまり釣れていないなあ。
橋下流の瀬落ちより下の波立ちが小さくなるところへ。
瀬脇より手前では反応なし。やむを得ず、瀬に入れて根掛かり放流。
しかし、その後、12時のチャイムが鳴るまでの1時間ほどで、中学生、高校生、番茶も出花娘が5匹。
迷人見習いは水路が流れ込む瀬に入ったが釣れず。おらのところへやってきて、やっと中学生でボウズ脱出。
迷人見習いは、はたいた後のぺしゃんこアユという。
しかし、釣れたときは錆びていない。
湖産放流全盛時代の酒匂川で、9月下旬ころから、真っ黒けのぺしゃんこ鮎が釣れていた。それとは異なる。
オラの5匹と迷人見習いの1匹、計6匹の腹を割くと、性成熟はすすんでいない。細い卵巣、精巣があるだけ。絞めると黒くなったが。
ということで、神島橋にいるアユは、下りをしてきたアユではなく、増水で避難してきたアユが居座っているということでしょう。
そして、迷人見習いらが、11月1日の納竿会で松ヶ瀬等上流で釣った鮎は、下りのアユが多かったのではないかなあ。
水温11度。迷人見習いは、冷たい、と不平を言うが、11月の木枯らし1番・西風が吹き荒れてからの水温は、11度は当たり前。それを冷たいとは、修行が足りんぞお。
磯では寒風に吹きさらされていても、文句を言わないのになあ。
相模川の高田橋すぐ下流の左岸ヘチに2,3センチの稚鮎がいる。その親は、県産の大きくならない種苗の子孫か、どっかの継代人工か、わからないが。
ヘチは止水域で、植物プランクトンが繁殖出来るということでしょう。したがって稚鮎のエサとなる動物プランクトンも繁殖しているから、孵化した稚鮎が餓死しないということでしょう。
弁天へら釣り場横の分流に本流からの流れ込みがなくなった10月下旬、2,3センチの稚鮎が跳ねていたが消えた。しかし、護岸前の中州側のヘチには2,3センチの稚鮎が跳ねている。高田橋よりも多いと思う。
もうすぐ、生存限界の7度以下の水温になるが、湧き水のあるところに避難出来るのはいるのかなあ。
ということで、今年も「トラックで運ばれてきたアユ」が下りの行動をしないで産卵する現象は健在。
石切場より上流は、鵜にも見放されている。ミサゴを観察する人たちが、今年も大きな望遠鏡を持って並んでいるが、鮎がいないところではミサゴも来ないのでは。磯部の堰よりも下流でないと、ミサゴもやってこないのでは。
迷人見習いは、多摩川は鵜の花盛りとのこと。
そのこともあって、迷人見習いは鳥がいる付近に入ったんですがねえ。
まあ、オラに花を持たせた、とおっしゃっていますが、川見の腕も、あゆみちゃんを誘惑する腕も、まだまだオラよりも劣るのでは。
へぼに負けたとなっては、クラブから除名されるかも。来年はもっとオラのアッシー君になって、修行を積むんですよ。
オラはまだ難行苦行をしますからね。ただ、上流にいる遡上アユが少ないことから、ボウズ覚悟で。そして、乙女も期待出来ないが。
午後も修行するつもりであったが、迷人見習いのファイトが湧かず。オラも300ミリで700円の「高級なお酒」を飲んでいるから、今日の目的は達成したようなもの。
しかも、迷人見習いに「大差」をつけている。
ということで、夕方、水温が上がって釣れるかも、との期待はあれど、竿をたたむ。
迷人見習いは、今日で納竿。磯釣りに精を出すことになるが、11月の川の水は今日の水温で当たり前ですよ。それを「冷たい」なんてぼやいていると、オラに遡上アユのナンパで勝てるようにはならないよ。
11月19日 狩野川
青木の瀬の右岸側の流れに。
自動車道近くの瀬で根掛かり。オラでも根掛かりを外しに行ける瀬。ヘチだけでなく、流れの中の石も磨かれているとはいえないなあ。あゆみちゃんが少ない。神島橋の石よりも汚れている。
平瀬へと釣り下っていくと、左岸側でアユが跳ねている。水面と平行に跳ねているから、下りのために集結しているアユではない。故松沢さんは、下りのために集結しているアユは、フナのように空中に口を出してパク、とするような動作をするとのこと。先日、狩野川大橋下流、左岸でその動作をするアユが見えたが。
高校生か番茶も出花娘か、という大きさのオスが、「オスA」が掛かった。このオスは元気で、竿と糸が「への字」になるほど対岸へと泳いでいく。跳ねた鮎がいる付近まで泳いでいくが。
今日は、小中学生が釣れないなあ、と思っていた時、12時のチャイムが鳴った。小学生が釣れた。自己成就型予言ができるとはなあ。乙女よ釣れろ、といっても、自己成就型予言にはならないでしょうに。
6匹でありがたや。昼の踊り子に乗る。
この6匹の内訳は、オス2匹、雌4匹。
前回、迷人見習いが、腹びれの形状による雄雌の区分をして、「雌」と判断したものが、余りにも強い黒に変身したため、「ぺしゃんこアユ」では、と判断した。
しかし、性成熟はそれほどすすんでいないアユ。今日の6匹も同じ。
にもかかわらず、雌でも「ぺしゃんこアユ」並みに黒くなる。なんでじゃ。
その上、「オスA」は、下腹に、朱色の線が出ていた。絞めると消えたが。
10月中旬ころからの大井川の乙女や番茶も出花娘の「雌」には、朱色の線が腹の下側に出ているものもいるが、「オス」の下腹が、婚姻色のハヤのような色を呈していた。
藤田栄吉「鮎を釣るまで」(博文館)にも雌に朱色の斑点が出現する旨の記述があったが、見つからない。「故松沢さんの思い出 補記8」では見つかるでしょう。
オス、雌の性成熟に比して強い錆び、オスの朱線と、遡上アユの性成熟の特色に異変が発生している。
18日、多摩川の産卵情景が放映されていた。
マンションの明かりがいっぱいあるところ、小石が詰まっているところ、その小石の大きさは、産着卵を手にした子供の手のひらのウン分の1の大きさ。
「アユが100万匹かえってきた いま多摩川でおきている奇跡」(リンクができない。 「故松沢さんの思い出 12」です)の田辺さんたちが、学者先生の10月、11月産卵説を信用して、10月から毎夜毎夜、産卵風景を求めていたが、実現したのは11月に入ってから。その場所は、川崎市中の島住宅団地付近。産卵場は大体毎年同じ場所のようであるから、その付近の撮影でしょう。
そこに写っている雌は美白。
そうなんですよねえ、雌は絞めたときはともかく、生きているときは美白なんですよねえ。だから、迷人見習いが、尻ビレの形状を見て、「雌」と判断したのに、黒く錆びていたからオス?と自信をなくしたようで。
オラは、遡上アユではない、狩野川のアユを親としたF1?と疑っているが。
狩野川のアユを親とするF1種苗の生産は、「つり人」創刊号の垢石翁や漁協組合長らの座談会から想定すると、戦前から行われていたようであるが。
多摩川の遡上量は、500万とのこと。今年の相模大堰での遡上量調査の数字並み。調布の堰も上ることができるようになった、秋川にも上っていると、迷人見習い。秋川の堰は、増水時には上ることができる、とのこと。ただ、数カ所の堰があるとのことであるから、どこまで上ることができるのかなあ。
本流は、河辺町?付近まで上ることができるのかなあ。
田辺聖子「姥ざかり花の旅笠 ――『小田宅子の東路日記』」(集英社文庫)は、高倉健さんが、祖先の人が残した著作を現代人が読めるようにできないか、と、知り合いの出版社の人に話したことから、田辺さんが書かれることになった。
筑前の姥桜たちは、お伊勢詣りから、予定外の善光寺詣りへ。花のお江戸からの帰路、往来手形を持っていないため、箱根と新居関を回避するため、諏訪から秋葉路へ。
その秋葉路の情景の下書きをしているときに、健さんが亡くなられた、との放映が。
「東路日記」は、小田宅子さんが書かれている。健さんと名字が違うのは何でかなあ、と思っていたが、健さんの本名が、「小田」であることがわかりすっきりした。
10年ほど前、「姥ざかり花の旅笠」を読んだときは、元気な姥桜やなあ、と。いまは、その元気をちょっぴりちょうだい、と願って読んでいる。
健さんの御霊は、すでに善光寺さんに預けられたでしょう。
11月23日 狩野川
23日は、故松沢さんがテントを畳まれていた日。
当然、丼大王は、後片付けにいっていた。
しかし、後片付けは近所の人たちが済ませていたから、丼大王は、お酒や料理を胃袋に片付けていたとのこと。
海の幸を積んだ車にでんと座り、かあちゃんが山越えの運転をしていたのでしょう。
囮だけでなく、かあちゃんまで、意のままに操ることができるなんて、羨ましいなあ。
囮は取り替える事ができてもかあちゃんは取り替えがたいからなあ。困ったなあ。
城山に日が沈み、石ころまみれの河原をとぼとぼと、哀愁漂う男の背中を演じたのは、健さんを気取っていたのはいつの日か。石ころの河原であるから、平成の初め頃までのこと。故松沢さんのテントがあるときは、おらが戻るまでテントにいた故松沢さんとおしゃべりをしてから土手を歩いたであろうから、哀愁漂う男を演じることはなかろう。ということから、20年以上前の11月23日ではないかなあ。
23日には、城鮎会の人たちは川には居ない。おらが一人ぼっちで釣りをしていたのかなあ。
青木の瀬の右岸側の流れへ。瀬とはいっても貧弱になり、丼大王が囮を入れる事はないでしょう。ということは根掛かりを外しにいける。
根掛かりとエビの大漁。今の時期の養殖に働きが悪い、といっても、おまんがへぼや、といわれておしまいですなあ。迷人見習いがいないから、泳がせもできず、力任せに沖に出しても、差し支えない。
やっと、腹びれの形状から見ると雌、しかし、さびている。まあ泳ぎは達者ですなあ。左岸側の跳ねている鮎のいるところまで、竿と糸がへの字になりながら泳いでいく。
ここで、お邪魔虫が登場。
はちゃんとプラス二人が。
はちゃんは、左岸側の鮎が跳ねていたところへ。まあ、お祭りしたら、外せといえば済む。
困ったのは2人がオラの下流へ入った。釣り下っていけない。
3人はすぐに高校生か番茶も出花娘を釣った。
ああ、オラのねえちゃんを横取りされた。とはいえ、下流側の2人はそれで打ち止め。隙間ができたから、2人の間の少し波立ちがあるところへ。しかし、品切れ?
はちゃんは、空中に石頭がにょきにょきと出ているところで、石の間に囮を入れて盛んに釣り上げている。そこを品切れにしてから、また最初の跳ねる鮎がいたところに戻る。
10匹には達していないと思うが。
ボウズでないから、感謝しましょう。今年もあゆみちゃんのお尻を追っかけることができた事に感謝しましょう。
丼大王が胃袋に片付けた酒と料理には遙かに及ばないが、昼の踊り子とロマンスカーの車中で、御神酒を胃袋に流し込みました。
松沢さあん、遡上アユで、腹子がまだそれほど成熟していないのに、はたいていないのに、黒くさびた雌がいた事はあるの?
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