相模川 | 中津川 | 狩野川 | その他 | |
3月から 5月 |
相模大堰副魚道遡上量調査:1 相模大堰副魚道遡上量調査:2 磯部の堰を遡上した 「大量」遡上ではない |
3月2日 3月5日 3月12日 3月20日 3月26日 3月31日 |
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6月 | 1日 4日 7日 15日 20日 24日 28日 |
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7月 | 10日 12日 20日濁り | 7月24日見学 7月26日 29日 31日 |
大井川のシャネル5番の番茶も出花娘 | |
8月 | 8日 9日 11日 14日 15日 16日見学 19日 23日 27日 |
4日 | 1日 | |
9月 | 5日 9日ダム放流で | 21日 23日 30日 | 27日 | |
10月 | 3日 4日 8日 12日 13日 14日 | 10日 | 18日 23日 28日 31日 |
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11月 | 28日 | 5日 13日 20日 |
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3月2日中津川見学
1日は雨、雨の中で釣りをするほどの元気なし。
噂では釣れてないよう。ヤマメの放流量が少ないのかなあ。様子を見に田代へ。
ヤマメキラーさんがいた。同じく、毛鉤のお仲間も。
昨日、ヤマメキラーさんが初めてのボウズとのこと。ということは放流量が少ない、質の悪いヤマメが放流された、と思った。
しかし、放流するところを見ていたヤマメキラーさんは、違う、逆だ、と。
放流されると、直ぐに勢いよく泳いで去って行く元気者、F1か、それに近い本来のヤマメの資質のあるヤマメとのこと。
そのため、例年のニジマス化したような塊を形成するいとまもなく、散りじりになった、と。
そのため、川になじんでいない、水温変化になじんでいない、等のことが考えられるが、とのお話し。今日もフライを振るも釣れない、と。
釣れる環境になるには川虫が飛ぶ頃、或いは水温になれる頃では、と。
毛鉤の話で、ドブ釣りの毛鉤、フライの毛鉤についてたっぷりと聞いたから、「故松沢さんの思い出補記:8」の藤田栄吉さんの「ドブ釣り」の紹介のところに書くネタを仕入れることが出来た。少しは藤田さんの記述が理解できるかも。ただ、直ぐに忘れてしまう悪い癖、もう、聞いた話のウン分の1しか覚えていないかも。
さて、ヤマメキラーさんでさえ、ボウズということで、餌釣りで釣れた人も稀。ルアーでは激しい操作をしていた人だけ釣れていたとのこと。
あんよの練習をするため、次回はルアーを振ることにしましょう。釣れたら、ヤマメキラーさんに自慢できるヤマメが放流されているようで。
ヤマメキラーさんは、中津川で、ピンク色の肉になった60センチほどの「ヤマメ」も釣ったとのこと。毛鉤のお仲間も。銀毛して海に下ったカワマスとは、違う、とのこと。「戻りアマゴ」といわれている海までは降らなかったヤマメかなあ。
迷人見習いも狩野川でピンク色の肉のアマゴを2匹友釣りの時に取り込んだが、1匹は幼魚紋が残っていたとのこと。去年、数回河原です転んだ迷人見習いであるから、もはや「外道」を取り込むことができるフットワークはなくなっているのではないかなあ。
3月5日 中津川
馬渡橋から角田大橋までルアーを振り振り歩こう、と志は高し。
しかし現実は?
バスは田代で下りて早くも志中半。更に増水している。馬渡橋に行かなくてよかった。
田代でルアーを振るも、根掛かり。当然根掛かりを外しに行くが、あと一歩の流れが怖い。幸い、糸を切るつもりになってひっぱたらはずれた。ありがたや。
ヤマメキラーさんがドブさんと仲良しになったのは、2人とも1束、2束当たり前、ということでの嫌われ者同士のほかに、加賀鉤の生産者が師匠?を同じくする人とか。
ヤマメキラーさんは、ベンツ1台分の毛鉤を持っていて、ドブさんをびっくりさせた。1本1300円?とのこと。
オラのミノーも同じくらいの単価。とはいえベンツどころか、鮒寿司も買えないが。
毛鉤の鉤の大きさを小さい順に並べると、土佐鉤、播州鉤、加賀鉤になるとのこと。
藤田栄吉さんのドブ釣りの章が少しは読みやすくなるかも。
そして、激流でもドブ釣りが出来るとのこと。錘を重くするだけでなく、ヤマメキラーさんのドブ釣りのハリスは他の人よりも長くしているから、激流でも対応できるのかも。
まあ、ヤマメキラーさんでさえ、見学するだけであるのにルアーを振ったから十分です。
ヤマメキラーさんは、平水に戻ったとき、とのようになるか、口を使うようになるか、調べるように、とのこと。
去年、本流の天然ヤマメが釣れだしたのは、4月12日からとのこと。何で、そんなに遅いのかなあ。雪代もないのに。
3月12日 中津川
あんよの練習が目的とはいえ、せいぜい1,2時間が限界のよう。4ヵ月ほどしかたっていないのに、なんて劣化が、機能低下が早いんでしょう。
まあ、迷人見習いですら、整形外科で脊柱管狭窄症と膝の関節への注射をなさるご時世ですから、当然のことか。しかも、迷人見習いは去年何回か河原で転んでいた。竿も骨も折ることはなく、カヤの木のタモの枠を折っただけとは悪運の強いことで。
田代で石に滑らないように、と、ルアーを振りながら歩いた。ヤマメキラーさんが車を拭きにやってきた。その言いぐさは、ヤマメが口を使うようになっていたら、車拭きなんてしないよ、と。
川の中を平山橋まで歩くと、寒中水泳の危険が大。
ということで、新平山橋まで土手の舗装道路を歩いて行き、数回ルアーを振った。
すぐに風が吹いてきた。なんて、優しい風でしょう。風が吹いてきたから帰りましょう。
ヤマメは食わねど高楊枝、はいつまで続くのかなあ。食糧を食べないでもう2週間近くになるのになあ。
ヤマメキラーさんは、今年の放流ヤマメは、川で生まれ育ったヤマメと同じ習性を持つ質のよいヤマメとのことであるが。
まあ、暖かい日には様子を見に来るように心がけて、ささやかながら、あんよの練習をしましょう。
3月20日 中津川
2月末に放流された「養殖」らしからざる行動をしたヤマメが、いつ、口を使うようになるのかなあ。
そんなのんきなことをいっておられんぞ。
テク1の孫殿が、1500円もするルアーに細工を施して、この間沢でヤマメを釣り上げているようで。
ガキのくせに1500円もするルアーを買うなんて、とんでもはっぷん。オラが1300円のミノーを買って自慢しているのに。勿論費用負担者は裕福なジージー。
オラは、裕福な孫殿がほしいよお。
その孫殿に負けんようにせんと。
いや、その前に、竿保険がなくなったから、すっころんで竿を折らんようにすることが、重要です。
ということで、今日の目標は、水の中を100メートルは歩くこと。
漁協前は先日、5羽の鵜が食後のお茶の時間を楽しんでいた。従って、人間が釣り上げていなくても鵜がヤマメの数を減らしているでしょう。
その下流、田代の上流から釣り下る。餌釣りの人の上流まで下った時、自殺願望のヤマメが釣れた。放流地点とは離れているから、2月末放流の河で育ったヤマメ並みの習性を持ったものでしょう。
今年初めてのお魚さんです。
100メートルは水の中を歩いたし、ヤマメちゃんも釣れたから、国道横の田代へ。
10人近くの人が入っていて、釣れている。
2月末放流ものが口を使うようになったのかなあ、と思ったが、今日追加放流されたものとのこと。
いつもの放流ものと同じく、放流地点付近にたむろし、すぐに食事をする習性のものです。放流量の5割以上が釣られたのではないかなあ。
20世紀のある年、大室山からやってきたとの話があったニジマスが、下りをせずに上流に泳いでいったことがあった。それで、角田大橋下流がさっぱりでした。
2月末放流のヤマメといい、どのような育て方の違いがあるのかなあ。或いは種苗に違いがあるのかなあ。
まあ、孫殿に無限大の格差をつけられなかったから、幸いでした。
3月26日 中津川
暖かき日射しはあれど…
先日、解禁日に2匹のヤマメを釣り勝ち組であったKさんに会ったが、その後はこの間沢通いとのこと。
この間沢は、毎週追加放流しており、又、ヤマメだけか、或いはヤマメの比率が高い追加放流もしているのではないか、とのこと。
まあ、ヤマメに見放されていても、恥ずかしくない中津川で、あんよの練習をしましょう。
平山橋から下っていく。新旧平山橋に近いところは石もつまっているが、少し下流に行くと、流れは貧弱に、そして石は小さくなった。チャラですなあ。
更に、海底(おぞこ)・竹藪に行くと、白波が立っていた瀬はなくなり、大きい石が形成していた流れの変化もなくなり、溝もなくなり、と、あゆみちゃんが生活空間として選択することはなかろう、と思う流れに変わっていた。
大きい石が再び、顔を出すことがあるのかなあ。
まあ、「石を釣れ」との藤田さんの格言が通用しない継代人工であれば、棲むでしょうが。とはいえ、バケツでの放流があるか、どうかという場所ですから、釣り場になることもないかも。
3月31日 中津川
29日、田代の上流側から国道横に下って来ると、ヤマメキラーさんら3人のフライマンがヤマメの「見釣り」をしていた。「喰わせ浪」なんて、何処にもない砂底の瀞で。いや、瀞という名称も間違いです。水深50センチもないのでは。
キラーさんが観察されていたように、先々週だったか、追加放流されたヤマメは、いつものよおにい 放流地点付近にたむろし、 底を切ってうろちょろと泳ぐ養殖さん。
その生き残りを相手に「見釣り」をして遊んでいる。
白い虫が水面に落ちると、その養殖君が食べた。
しかし、キラーさんの「白い」フライには反応しない。匂い?容姿?なにが違うんでしょうねえ。
そのうち、フライマンの1人が釣った。皆さんは胃袋の内容物調査をした後、去年、キラーさんが釣った「河で生活をしていた」ヤマメの写真を見て、品定めをしていた。
サボMが、管理釣り場のルアー釣りと、川での釣りは全く別物、と話されていたが、その意味するところには、「喰い浪」でなくても、釣れるヤマメがいる管理釣り場と、「喰い浪」でないと釣れない川で育ったヤマメとの違いという意味もあったのではないかなあ。
キラーさんらが、見釣りをして遊んでいるということは、二月末に放流された、養殖ヤマメらしくない放流されたら直ぐに底をはって、上流へと素早く泳いでいったヤマメの釣り時はまだやってきていない、ということでしょう。
その意味では、田代上流寄りに二月末放流のヤマメがいるはず。
いたとしても、口を使うようになっていたとしても、「喰い浪」が識別できるとしても、その喰い浪にルアーを入れたり、しかるべき場所で、ルアーのお尻をぷりぷりと振ってむらむらとさせることが出来ないから、ボウズは当たり前。
しかし、キラーさんらでさえ、「釣れない時」であるから、ボウズも恥ずかしくない。それどころか、オラは2月末放流ヤマメを既に1匹釣り上げていますからね。
ということで、のんびりと水の中の散歩を楽しみましょう。
分流が流れ込む場所の石組みと流れにはあゆみちゃんの住まい・食堂に相応しい場所があった。しかし、遡上鮎がいないと、その場所に鮎が着くことはないでしょう。継代人工ではなおさらのこと。
2015年相模大堰副魚道遡上量調査 単位:万匹
神奈川県内広域水道企業団社家取水管理事務所調査から
2000 年 |
2001 年 |
2002 年 |
2003 年 |
2004 年 |
2005 年 |
2006 年 |
2007 年 |
2008 年 |
2009 年 |
2010 年 |
|
4月1日 から10日 |
23.2 | 204.9 | 568 | 18.4 | 830.9 | 5.6 | 0.5 | 27.4 | 188 | 20.3 | 19 |
4月11日 から20日 |
9.4 | 40.6 | 895.2 | 264.5 | 113.2 | 0 | 2.5 | 24 | 219 | 54 | 81 |
4月21日 から30日 |
36.6 | 125.3 | 387.1 | 232.3 | 499.2 | 42.2 | 23 | 275 | 229 | 40 | 70 |
4月計 | 69 | 371 | 1,850 | 515 | 1,443 | 48 | 26 | 326 | 636 | 114 | 169 |
5月1日 から10日 |
4.4 | 129 | 112.8 | 32.8 | 56.2 | 0.8 | 9.9 | 68.6 | 70 | 2 | 59 |
5月11日 から20日 |
5.5 | 40.7 | 48.5 | 41.2 | 136.7 | 0.6 | 6.1 | 13.8 | 32 | 7 | 3 |
5月21日 から28日 |
3.7 | 8.6 | 9.7 | 108.8 | 45 | 0 | 0.7 | 3.2 | 36 | 0.4 | 2 |
5月計 | 13.6 | 178.3 | 171 | 182.8 | 237.9 | 1.4 | 16.7 | 85.6 | 138 | 9 | 64 |
合計 | 101 | 550 | 2,199 | 706 | 1681 | 49 | 43 | 412 | 774 | 123 | 233 |
3月20日 ~3月31日 |
16 | 1 | 177 | 80 | 296 | 調査 対象 期間外 |
|||||
遡上初出日 | 23日 | 20日 | 25日 | 29日 | 25日 | 4月 4日 |
4月 3日 |
||||
初出日 最高水温 |
ー | 12度 | 11度 | 12度 | 12度 | 15度 | 13度 |
2011 年 |
2012 年 |
2013 年 |
2014年 | 2015 年 |
2016 年 |
2017 年 |
2018 年 |
2019 年 |
2020 年 |
2021 年 |
|||
4月1日 から10日 |
61 | 18 |
60 | 88 | 32 | ||||||||
4月11日 から20日 |
271 |
56 |
29 | 170 | 464 | ||||||||
4月21日 から30日 |
417 |
457 |
63 | 193 |
|||||||||
4月計 | 749 |
531 | 152 | 451 |
496 | ||||||||
5月1日 から10日 |
62 |
31 | 15 | 15 |
|||||||||
5月11日 から20日 |
139 |
20 | 73 | 16 | |||||||||
5月21日 から28日 |
22 |
4 | 7 | 11 | |||||||||
5月計 | 223 |
64 | 95 |
80 | |||||||||
合計 | 972 |
595 | 247 | 531 |
496 | ||||||||
3月20日 ~3月31日 |
遡上なし | 遡上 なし |
遡上なし | 4月1日に 7万の遡上があることら3月下旬に遡上の可能性あり |
三月終わりに遡上目撃 | ||||||||
遡上初出日 | 4月4日 | 4月3日5千 | 4月4日2万 | 4月1日 7万 |
|||||||||
初出日 最高水温 |
13度 | 12度 | 16度 | 13度 |
1 四月一日の水温は12度。遡上量は31万匹 三月終わりにも遡上が目撃されていた。調査対象期間外のため、量は不明。
しかし、四月二日から四月十二日までは遡上量ゼロの日が殆どで、遡上があった日でも数千匹。
2 去年よりも現在のところ、遡上量は多いが、磯部の堰の魚道が維持管理されていて、魚道に水が流れているか、どうか不明。去年同様、魚道の維持管理が行われていなければ、磯部の堰上流には、トラックで運ばれてきた放流ものしかいないことになる。
漁連の義務放流量は、去年と同じであれば、120万匹。それを五つの漁協で均等に放流すると仮定すると、2,30万ということになるが。
なお、漁連の各漁協への放流量の配分は、漁協管轄の流域「延長」で行われていて、「水面の面積」ではないとの話があったが。
3 中津川は2箇所の魚道の修繕が必要との話があったが、若し事実とすれば、今年も坂本の堰を上るアユは見ることが出来ないのでは。
4 四月一日に相模大堰副魚道を遡上した稚鮎は、水温12度であるから、汽水域、或いは真水のところまで上っていたと想像しているが、何処で時間をつぶしていたのかなあ。
2015年相模大堰副魚道遡上量調査 その2 単位:万匹
神奈川県内広域水道企業団社家取水管理事務所調査から
2000 年 |
2001 年 |
2002 年 |
2003 年 |
2004 年 |
2005 年 |
2006 年 |
2007 年 |
2008 年 |
2009 年 |
2010 年 |
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4月1日 から10日 |
23.2 | 204.9 | 568 | 18.4 | 830.9 | 5.6 | 0.5 | 27.4 | 188 | 20.3 | 19 |
4月11日 から20日 |
9.4 | 40.6 | 895.2 | 264.5 | 113.2 | 0 | 2.5 | 24 | 219 | 54 | 81 |
4月21日 から30日 |
36.6 | 125.3 | 387.1 | 232.3 | 499.2 | 42.2 | 23 | 275 | 229 | 40 | 70 |
4月計 | 69 | 371 | 1,850 | 515 | 1,443 | 48 | 26 | 326 | 636 | 114 | 169 |
5月1日 から10日 |
4.4 | 129 | 112.8 | 32.8 | 56.2 | 0.8 | 9.9 | 68.6 | 70 | 2 | 59 |
5月11日 から20日 |
5.5 | 40.7 | 48.5 | 41.2 | 136.7 | 0.6 | 6.1 | 13.8 | 32 | 7 | 3 |
5月21日 から28日 |
3.7 | 8.6 | 9.7 | 108.8 | 45 | 0 | 0.7 | 3.2 | 36 | 0.4 | 2 |
5月計 | 13.6 | 178.3 | 171 | 182.8 | 237.9 | 1.4 | 16.7 | 85.6 | 138 | 9 | 64 |
合計 | 101 | 550 | 2,199 | 706 | 1681 | 49 | 43 | 412 | 774 | 123 | 233 |
3月20日 ~3月31日 |
16 | 1 | 177 | 80 | 296 | 調査 対象 期間外 |
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遡上初出日 | 23日 | 20日 | 25日 | 29日 | 25日 | 4月 4日 |
4月 3日 |
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初出日 最高水温 |
ー | 12度 | 11度 | 12度 | 12度 | 15度 | 13度 |
2011 年 |
2012 年 |
2013 年 |
2014年 | 2015 年 |
2016 年 |
2017 年 |
2018 年 |
2019 年 |
2020 年 |
2021 年 |
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4月1日 から10日 |
61 | 18 |
60 | 88 | 32 | ||||||||
4月11日 から20日 |
271 |
56 |
29 | 170 | 464 | ||||||||
4月21日 から30日 |
417 |
457 |
63 | 193 |
273 | ||||||||
4月計 | 749 |
531 | 152 | 451 |
769 | ||||||||
5月1日 から10日 |
62 |
31 | 15 | 15 |
125 | ||||||||
5月11日 から20日 |
139 |
20 | 73 | 16 | |||||||||
5月21日 から28日 |
22 |
4 | 7 | 11 | |||||||||
5月計 | 223 |
64 | 95 |
80 | 125 | ||||||||
合計 | 972 |
595 | 247 | 531 |
895 | ||||||||
3月20日 ~3月31日 |
遡上なし | 遡上 なし |
遡上なし | 4月1日に 7万の遡上があることら3月下旬に遡上の可能性あり |
三月終わりに遡上目撃 | ||||||||
遡上初出日 | 4月4日 | 4月3日5千 | 4月4日2万 | 4月1日 7万 |
4月1日31万 | ||||||||
初出日 最高水温 |
13度 | 12度 | 16度 | 13度 |
1 遡上量は、豊漁なれど、磯部の堰を遡上できているのかなあ。五月一〇日時点では、遡上鮎の兆候なし。
昭和橋下流左岸に流入する八瀬川の塩田桜橋に遡上鮎の気配なし。
高田橋、新昭和橋から見る川は、「冬の川」の石のまま
四月二九日に高田橋上流側で行われた体験放流の初日の翌日には、「放流する」と鵜には通知をしていないのに、10羽程の鵜が、左岸ヘチに頭を突っ込んで朝食中。
その後、高田橋では早朝から人出があるためか、鵜の食事は見かけなかったが。
1羽、又は数羽の鵜を見かける事はあるが、集団での食事風景はなし。
2 三月終わりと四月一日に相模大堰を遡上したの30万は、必ず乙女の大きさになるはず。
四月中旬の464万は、乙女か番茶も出花娘に成長するのでは。
四月下旬の273万は、女子高生止まりか、番茶も出花娘に育つのか、気になりますねえ。
五月上旬の125万は、小中学生ではないかなあ。
まあ、こんな予測をしても、磯部の堰を遡上できなければ、去年同様、「トラックで運ばれてきた」多様な氏素性のあゆみちゃんと数年前よりも半分程の数量に減った
「貴重」というか、数少ないあゆみちゃんを相手にするしかないが。
何処か、遡上鮎が堪能できる程居る川はないかなあ。
磯部の堰を大量遡上
5月16日、石切場で大量の遡上鮎がいた、と、電話が。
女子高生も跳ねていたとの事。
ということで、3,40万程のトラックで運ばれてきた鮎を相手にしなくてもよくなった。
垢石翁のご託宣で、解禁日は鮎の付くところを事前に調査をして、その場所に入りさえすれば、大量間違いなしの状況に。
「大量」遡上と違うのでは
5月17日、よねさんらと、遡上したという相模川の石切場を見に行った。
ヘチの石の色は15日以前と変わりなし。「大量」遡上といえないのでは。
よねさんが、おもろい表現をしてくれた。
魚道は、段差、流速をいかに緩和した構造にするか、が問題であるが、それの十分条件を求めると、非常に長い魚道になり、又、流速を緩和するための仕掛けが必要になるから、現実には遡上が困難な魚道が多い。
磯部の堰は、現在は、建設された時よりも遡上阻害が高くなっているかも。
人間でも、100メートルを10秒で走る人も、1分の人もある。オラのように100メートルどころか、5メートルも走ることが困難な者も居る。
したがって、体力に優れた鮎だけが磯部の堰を遡上できたのではないか、と。
18日、高田橋から川を見たが、15日以前と石の色に変わりなし。鵜もゴールデンウイークに体験放流された県産種苗のF2?を食べ尽くしたからか、姿なし。鷺も。幼児が少し見えるが。
とても、遡上鮎がやってきたとは思えない。
2004年、2008年の4月終わりの高田橋、弁天では、1メートルの幅で、何層にもなった帯が、何時間も続いた。その遡上鮎の「大量遡上」とは異なるよう。
体力のある優等生だけが、磯部の堰を上る事ができたという事かも。したがって、高田橋でちんちん釣りをしても、体験放流された幼児が釣れるだけで、何束も釣れることはないのでは。
優等生だけが磯部の堰を越える事が出来たという事であれば、何処に途中下車するのかなあ。
6月1日 相模川
相模大堰副魚道を遡上した鮎は大量、しかも4月1日に30万、そして3月終わりにも遡上が目撃されたとのこと。
もし、2004年、2008年のように、磯部の堰の魚道を遡上できたら、うはうはの相模川になるが。
中津川漁協のH・Pに試し釣りの結果が掲載されているが、それが、遡上鮎であれば遡上量が少ないと思われる狩野川には10月後半から行けばよいことになるが。
中津川は、二つ?の魚道修繕がなされていないようであるから、遡上鮎は試し釣りが行われた田代にはいないと考えている。
中津川の瀬の石は数カ所から見ることが出来て、サボMの見立て通り、遡上鮎はいない、という観察に同感である。
問題は相模川。昭和橋下流左岸に流入する八瀬川の塩田桜橋に鮎が見えないから、磯部の堰の魚道は遡上できる状態ではないと考えている。ただ、相模川の瀬の中の石を見ることが出来るのは、高田橋、新昭和橋からで、しかも、瀬脇だけである。
そのことから、遡上鮎が試し釣りの主役である、との話にまちがっちょる、とは言い難いが…。
6月1日 相模川
高田橋の盛況を見ながら、弁天へ。
一匹の囮の入った舟、3リットルのクーラーには350ミリのビールしかしか入っていない、そして、竿ケース。数年前まではこの出で立ちで腕が疲れることはなかったのに、何遍も小道具を持ち替え、ふうらふら、というコマーシャルを実演するていたらく。
それでも、一度体力が低下したら、動作が衰えたら、二度と回復することのないお年であるから、炎天下の磧をよたよたと歩いた。
瀬肩付近は込んでいる。その少し下流で、ビールを飲み、握りをかじり、皆様の状況を見ていたが、時折釣れている人がいるだけのよう。昼休みに入る人は六匹とのこと。
風が強いから囮操作ができず、ボウズになったといいわけをしょう、っと。
一時前、やっと竿を出す。釣れた。中学生。ボウズにならない解禁日とは有難いなあ。
取り込んで、立ち上がろうとしたら、しゃがんだ時の足の位置が悪く杖を使っても立ち上がれない。困った、ともたもたしていたら、またもや掛かった。しゃがんだまま取り込んだ。それでも粗相がなかったのは、去年の仕掛けを補充することも、状況を調べることもなく、ベストに入れたが、水中糸が短すぎた。そのためズームを使わなくてもよく、しゃがんだままで取り込めた。
神さま、仏様、ありがとうございます。
釣り始めて1時間ほどで、あっちこっちが痛くなったり、こわばったから、やめた。
腹に札束を詰め込んだ社長様らが、視察にやってきた。
大島がよく釣れていたとのこと。しかし、動かないで。
垢石翁が、黄門様の印籠(リンクが出来ない。「故松沢さんの思い出補記8」の終わり近く)を手に入れて、禁漁中の那珂川を釣った時も、動いている。そして大漁になっている。そのことからも、大島で釣れている鮎が遡上鮎とは考えにくいなあ。テク2らは新昭和橋へ行ってうはうはとのこと。弁天は、流れの幅が広がり、「瀬」というよりも、ザラ瀬状になっているから、テク2ら、瀬が大好き人間には物足りないということかなあ。
二匹の中学生は、下顎側線孔数4対左右対称。
海アユであるが、遡上鮎かなあ。海産畜養か寒川の堰での汲み上げ放流ではないかなあ。弁天は放流地点ではないから、石切場や昭和橋に放流されたものが上ってきたのではないかなあ。
丼大王が、狩野川の解禁日に発熱で行かなかった、とのことであるが、去年よりもどの位遡上量が少ないのかなあ。昭和の代には、仕事をせえ、出勤せえ、と命令されていても、解禁日には鬼の霍乱を偽装して狩野川に出掛けていたであろう丼大王が狩野川に行かないとは、余程、遡上量が少ないということではないかなあ。
名人見習いは、解禁日に22匹?を釣ったが、そのうち、下顎側線溝数が4対左右対称の鮎は4匹?とのこと。人工も汚い人工がいた、とのこと。
6月4日 相模川
今日は、弁天まで前回よりはフウフウ ハアハア が軽く済んだ。少しはボデーが強くなったのかなあ。リハビリをしてくれている理学療養士が、筋肉には、何とか筋と持久筋?がある。持久筋は鍛えるほど機能低下をしない、したがって、80歳の三浦雄一郎さんはエベレストに登頂できた、と。
そんなことをいわれましても、日常の動作でさえ、使わない筋肉だらけですからねえ。
弁天の瀬肩と瀬落ちの中間近い所に、テク2が。
テク2ですら、身体を馴らす時、ということで、解禁日に新昭和橋の瀬に入ったものの、磧に座り込んでいる時間が多かったとのこと。それで、ザラ瀬の弁天に来たのかなあ。しかも、10時に。
まあ、そんなご時世ですから、オラが前回は1時間、今日は2時間を目標としても、妥当ですかねえ。
テク2は、午前中、釣ったものの丼。中高生に丼とは、テク2らしくないなあ。去年の仕掛けを使っていたからかなあ。
ビ-ルを飲み終えて、穂先に天井糸をつけようともたもたしていると、オラの下流のテク2が取り込んだ。それから入れ掛かり。10匹ほど釣ると、右岸へと移っていく。
オラもすぐに掛かったが、そんなに早く掛かるはずはない、と、もたもたしていてタモの手前でぽっちゃん。次は蹴られ。こんなにもてるとは、と思えど、運の尽き。はいそれまでえよ。
最後は根掛かり放流。タイツであれば外しに行くが、ウエーダでは粗相があると対応不能になるからなあ。まあ、下流には高田橋からやってきた一位のお局さんがいらっしゃるから拾って呉れるでしょうが。
竿を持って居るだけで手の指が隣の指と合体しそうに。慌てて筋肉をほぐす漢方薬を飲む。前回よりも頻度、持続時間は減った。ばね指の注射は6ヶ月の有効期間を経過していないから、発症しないが、指がくっつく現象は始めて。
腰もこってくるし、困ったなあ。ブロック注射をしてくれるほどの状況ではないしなあ。
まあ、あと何回、ボデーの慣らし運転になるのかなあ。くらあい、くらあいお話しのあとは、幸せ一杯になったくぼちゃんが登場。
くぼちゃんは、3日、桂川の猿橋上流へ。1等地に見えた所は、先客が。やむを得ず、帰れ、帰れと、念力を掛けながら10匹ほど。2時頃やっと念力が効果を発揮して、その場所へ。
合計35匹?とのこと。
くぼちゃんの相方は75匹?
相も変わらず桂川は質の高い継代人工等を放流しているよう。
6月7日 相模川
狩野川の解禁日に嵯峨沢で22匹?、先日はリハビリ前で一番上りの強い当たり、強い引き、美しい容姿を満喫した迷人見習いが、狩野川ではなく相模川に様子を見にやってきた。
もっとも、二匹であるが。今年の遡上鮎の少ない狩野川で、遡上鮎の馬力を、容姿を味わえたとは幸せですなあ。
大会の下見、プチ大会等で混雑している弁天を見た時、かっての瀬がザラ瀬になっていることに失望していた。リハビリ前で一番上りが釣れた所は、ザラ瀬とはいえ、勾配がある所。その石表に囮が入ると目印がすっ飛んで釣れたとのことであるが、同じザラ瀬とはいえ、弁天のザラ瀬とは河相が異なるよう。
石切場であれば空いているでしょう。
予想通り、石切場は空いている。
年々瀬の俤がなくなっていく。オラにとっては釣りやすいが。
午前は小学生か幼稚園児というチビ二匹の迷人見習いに対して、オラは人工の高校生一匹。昼から1時間ほど釣ったが、オラは柳下流のチャラ状の、そして流れが弱く、石も小さいところで人工の高校生と人工の幼児各1匹。
トラックで運ばれてきた海産畜養等の海アユは弁天に移動したということかなあ。
ここでも、磯部の堰を遡上したという話は適切な観察とはいえない、と、確認する結果になった。迷人見習いも遡上鮎がいない、と。
迷人見習いは、早く大井川に行きたい、と。その前に大見川と酒匂川の状況を見に行くとのこと。
雄物川さんは、昭和橋上流のコロガシが出来なくなった去年から、三段の瀧下流に行っている。
98匹を釣ったことも驚異であるのに、その後も80,60匹台。アッシー君は20匹台であるから、その数であればびっくりしないが。
雄物川さんは、夜明けに寝場から食堂に移動するあゆみちゃんを先ず獲物にする。その後、食堂のあゆみちゃんを釣り上げる。そして、10時頃には竿を終う。昭和橋上流左岸側流れで釣っていたとき、横浜ナンバーさんが雄物川さんよりも早く釣り場を占拠するようになり、その影響で、30,40匹になっていたが。
まだ、横浜ナンバーさんに邪魔されないとはいえ、放流地点ではないと思う三段の瀧下流で何で大漁かなあ。上流に放流した人工等が流されてくるほどのダム放流はないし。
人工の20歳クラスも交じっているとは、何でかなあ。大島には20歳くらいの人工も放流されているようであるが、弁天や石切場にはその大きさの人工はいないと思うが。
トラックで運ばれてきた鮎が、下りの行動をしないで産卵し、その仔魚が止水状のの磯部の堰上流で生活が出来たということかなあ。
止水状であるから植物プランクトンが蕃殖でき、それを食べる動物プランクトンが蕃殖して、仔稚魚の餌が存在し、さらに、生存限界以下の水温にならないように、湧き水がある、ということかなあ。
20歳くらいの人工の馬力は強かったとのこと。
6月15日 相模川
磯部の堰を遡上しているとおっしゃる方々が多いようであるが、オラは遡上していないと判断している。
先週の大会の1回戦通過は2匹釣ればよかった、との話がある。その前日、小鮎ちゃんは弁天で2匹釣っている。チビであるが、2匹に変わりがあるじゃなし。その勢いで上位大会に行けますよ。来年は申し込むんですよ。
小鮎ちゃんは、鮎釣りは面白いのかなあ、と。
そりゃあ、本物のあゆみちゃん・遡上鮎を釣り上げないとおもろくはならないよなあ。
仕方ないから、男を釣ったら、というと、ジジーばかり、ちょっと若そうに見えても4,50歳。およびでないよ。
神さま、仏様、弁天様、恵比寿様、遡上鮎がいる川は何処ですか。
遡上鮎がいないと、小鮎ちゃんは、ルアーマンの若者に釣り上げられてしまいます。何とか、鮎釣りに止まるように、お力を貸して下さい。
昼、いつものよおにビールの入ったクーラーと舟をぶら下げて河へ。
弁天に行くつもりであったが、暑い。フウフウ、くらくら、行き倒れになりたくないから、一番近い堰下流へ。水冷の効いた桃源郷に入り、やっと元気になった。勿論、ビールで体内から冷やしたが。
右岸側の人は、溝のある所を既に過ぎているが、どの位釣れたのかなあ。先日、ジロちゃんが溝のある所をヘチから釣って居たが、その後釣り下り、そして立ち込んでいたから、溝の長さは去年よりも短くなったのかなあ。
腰まで立ち込んで釣り始める。オラが腰まで立ち込むということは、流れがないから。鯉がヘチで盛んに食事をしょうとしている。弁天の瀬落ち附近は釣れたが、アオノロが多く、それが糸にくっついて囮を浮かせたため、ニゴイに囮を持って行かれたとのこと。釣り人とニゴイは競合関係にあるのかなあ。
まあ、オラは鯉に恋を邪魔されなかったが、2回囮が走ったときは、ニゴイか鯉と遭遇したのかも。
水冷の効いている中で、風の中で、釣れなくてもヨシ。その無欲で小学生の低学年が。次は幼児が。
2時間で2匹とは、1回戦通過が出来るかも。
小学生は、下顎側線孔数は、4対左右対称でない。幼児は4対左右対称である。
小さい鮎は、遡上鮎、という人がいるが、間違った判断であると確信している。
県産の30ウン代で、河の雑菌にさえ感染して死ぬ、薬漬けでないと生存しないことが判明してその継代人工の種苗生産が中止になる前、県の内水面試験場、種苗センターが生産して養魚場が育てていた継代人工は、他県の継代人工共々、高校生、時には番茶も出花娘の大きさで放流されていた。小さくても中学生の大きさであった。
その頃、遡上鮎は、2004年、2008年と磯部の堰、中津の妻田の堰を遡上できるようになると、3番上り、4番上りのチビもやってきた。
沖捕り海産でも、大磯の淡水に馴致する施設に入れた後、採捕量の多いときは、1週間ほど後に放流され、或いは和歌山に売られて養殖され、それを漁連が購入していた、との話があったが。
ということで、海産の遡上が出来るようになると、チビが目立つようになった。それで、チビがいるから、「遡上」している、との話になったのではないかなあ。
2012年?、県産の継代人工種苗生産が、やっと終焉。2014年、県種苗センター(正確には財団法人かも)が、新たな種苗生産を始めたが、F1か2とF11を掛け合わせたもの。大きくなる能力もない種苗生産ではなかったのかなあ。それを親としてF2が生産され、養魚場でも養殖をしているよう。5月連休頃、中学生の大きさで放流されたものもいたようであるが、県内水面試験場の内水面祭りで展示されていたF2、また、高田橋で体験放流で使われたものは小学生の低学年の大きさ。
その外、相模湾に大量の稚鮎がいたから、沖捕り海産も相当数採捕され、その一部は相模川、中津川にも放流されたのではないかなあ。寒川の堰での採捕は、逆梁でなく網を使用していたから、大量には採補できなかったのではないかなあ。
その外、何処かの継代人工も放流されているのかも。
さて、梅雨明け以後、チビも大きく育つ、との話があるが、それは事実ではない。
1992,3年頃までの遡上鮎が満ちていた狩野川で、11月でも小学生が一杯いた。12月生まれと想像しているが。
夏至の頃迄に消化器官が成長していないと、大きく育つことはない、との話は適切であると思うが、何でかなあ。
もう一つ、大きくなれない要因が存在するよう。
それは、いつ遡上を開始したか、ということ。
数年前の荒川の8月。温泉橋上流、大石川との合流点の瀬と瀬尻。雪解けが収まるまで、2週間は遅れた、と。たった、2週間遡上が遅れても大きさには大した影響が生じないと思っていた。
瀬で釣れるのは、例年の番茶も出花娘や乙女ではなく、小中学生。女子高生や番茶も出花娘は瀬尻で。
高瀬温泉のH・P「旅館山路」の親父さんは、遡上鮎とトラックで運ばれてきた鮎との区別が出来る人。女子高生や番茶も出花娘は、トラックで運ばれてきた鮎、と。
何で、川に入り、コケを食べることが遅れると、大きく育たないのか、気になりますねえ。
故松沢さんは、「鮎に聞いたことはないからわからないが」との枕詞のあと、どのような事例を話され、説明をされるのかなあ。
大井川は、3月27日の河口の水温が10度、3月19日の河口の水温が10度。この水温で遡上を開始するのかなあ。河口に鵜が集結していたとのことであるが。
それに、川口発電所の濁り水が出たとのことで、遡上はいつ頃から始まったのかなあ。
小鮎ちゃんをルアーの青年に奪われないため、何処に行けば、迷人見習いのように、あゆみちゃんに身上をつぶすようになるのかなあ。大井川の駿遠橋で、女子高生を釣っていた迷人見習いが、糸鳴りがした、と、馬力にびっくりしていた。それから、師匠に何でかを聞き、あゆみちゃんの氏素性、育つ環境に一層興味を持つようになったのではないかなあ。
小鮎ちゃんも迷人見習いのようになってくれたら、ルアー青年に拉致されることはないが。
6月20日 相模川
6月18日、弁天の一本瀬の瀬肩から瀬落ちまでの右岸を釣り下ったしちゃんが57匹とのこと。そして、19日の雨の中、3人が大漁であったとのこと。
それがいかなる氏素性か、気になりますねえ。
その写真が、「井上友鮎販売所」に掲載されている。
高校生は、番茶も出花娘は継代人工でしょう。中学生は海産か、継代人工か、どっちかなあ。
さて、弁天は放流場所ではない。
そうすると、継代人工は上流から下ってきたか、石切場から上ってきたか、ということになる。継代人工が流されてくるほどのダム放流はない。したがって、石切場に先週放流されたとの話のある継代人工が上ってきたのではないかなあ。
放流地点附近の瀞を回遊する並みの継代人工とは違い、瀬を上ってきたとは、高い質の継代人工ではないかなあ。
今年初めて会った田名の主が、しちゃんが釣っているとき、からかっていたとのこと。しちゃんは、右岸側を膝の深さの所を立ち位置にして、それ以上沖に出て行かないから、先日ザラ瀬の芯で釣れていたぞお、と叫んだとのこと。しちゃんは一切お構いなし。
先日、田名の主は石切場の瀬肩で、それなりの大きさの鮎が跳ねているのを見た、と。それが、弁天に上ってきたのではないかなあ。
19日、雨の中3人組が弁天で大漁だったとのこと。
今日は、弁天は混んでいる。といっても竿1本以上は充分に空いているが。
ビ-ルを呑みながら、見ているが、竿は余り曲がりませんなあ。
幸せ男がやってきたが、すぐに釣り支度をしょうとはしない。そのうち、テク3にTさんもやってきた。ジロちゃんとNさんが、10匹台?で、2週間後の下見を終えて戻ってきた。
その結果、しちゃんが大漁であったのは、特定の筋に継代人工が生活していて、その筋を外すといないよう、とのこと。そうすると、しちゃんが、膝までの水深を立ち位置にしていたことに意味があるということかなあ。
皆さんが、腰を上げないが、昼のチャイムが鳴ったから、オラは川に入った。1番のりで釣りをするとは、元気ですなあ。
アオノロが大量発生と聞いていたが、左岸側には蕃殖していない。流れの真ん中付近に大量発生していて、右岸側のヘチ寄りには蕃殖していないとのこと。とはいえ、流れてきたアオノロが糸、鉤に少しはつくが。
1匹の小学生の人工が釣れた。口掛かり。しかし、これでボウズにはならない。ありがたや。
テク3は左岸側で、オラの釣っていた付近ですぐに釣った。Tさんと幸せ男は、右岸側の瀬肩付近をヘチから釣っている。幸せ男が瀬を釣らないなんて、考えられない。曰く、何処に瀬があるの?大島は小倉橋上流に瀬はあるが、そこの石は、「冬の河」の石でばばっちい、と。ということは、遡上鮎の、少なくとも1番上り、2番上りは、磯部の堰を遡上していない、との証明になるのでは。
瀬でなくてもさすがに川見は適切で、すぐに小学生?を釣っていた。
1時間は働いたから、熱中症にならないうちに帰りましょう。
弁天に来て、大漁が石切場に放流された継代人工の成魚放流効果が大きいとわかって安心した。仮に遡上鮎であれば、品切れとはならず、大会でボウズとなれば、迷人見習いになんちゅうへぼじゃあ、と蔑まれることになるが。
さて、海産がチビということはどういうことかなあ。
「畜養」をした海産稚鮎が少なく、沖捕り後、すぐに川に放流された海産稚鮎が多いということかなあ。
くぼちゃんが道志川の青野原に行った。青野原は漁業権が設定されておらず、地元の有志が自発的に放流をしている。その中に、海産のチビが居たとのこと。
継代人工だけでなく、海産の稚鮎・チビも安く購入出来たということかなあ。
昭和の初め頃、相模湾の稚鮎は、三浦半島の長井で採捕されていたと思う。故松沢さんの思い出に紹介したが、何処に書いたか忘れた。図書館では開架室にあったが、今は書庫に移されている。それで、確認できなかった。署名は相模川漁連X年誌というようなものと記憶しているが。
海アユの浸透圧調整機能は、湖産、交雑種、継代人工とは著しく異なり、非常に高いから、海水から淡水に移しても死ぬことはない。
しかし、運搬時間が長くなると生存率が低下する、ということが、大磯の池で1週間ほどの淡水馴致期間を設けたということが記載されていたと思う。
既に昭和の初めから幾星霜、現在の活魚運搬車は、沖捕り海産を採捕してきた舟から直接運搬車に移しても、生存率を低下させることはないということでは、と想像している。
数年前、大磯で、沖捕り海産をしてきた舟から直接運搬車に海産稚鮎を移して養魚場に運んだことがあったとのこと。
ところが、海の魚の混入が多く、漁連に文句を言おうと思っていたが、漁連から請求書が来なかった、との話があったが。
故松沢さんが、狩野川河口域の海域で採捕した稚鮎を遡上できない川に運ぶ車に乗っていた。その川に放流すると、「稚鮎」はぴょんぴょんと跳ねていた。その川の漁協の人は、さすが、海アユは元気がいい、と喜んでいた。
故松沢さんたちは、それが、海の魚と気がついていたから、食事をどうぞ、といわれたとき、断って、大急ぎで遁走したとのこと。
その事例とは異なるが、海アユである稚鮎を舟から運搬車に直接移すと、経費節減になるのかも。
それを、「畜養」せずに川に放流すると、一層安価に放流できることになるかも、と想像している。
そして、それがチビの海アユでは、と。そして、「畜養」をしなくても差し支えないほどの「稚鮎」が今年の相模湾にはいた、ということではないのかなあ。
テク3は、既に、大井川までの川に見切りをつけて、日本海側の川で愉しいあゆみちゃんとの逢い引きを夢見て、検討している。雪代の遅れがあったのか、ないのか、気になるが。夢を持ちましょう、いつまでも。 いつでもゆめえを…
6月24日 相模川
磯部の堰を遡上した稚鮎がいるのでは。
3月の終わり、4月の上旬、中旬に相模大堰副魚道を遡上した1番上り、2番上りは、中高生が継代人工であることから、磯部の堰を遡上していないと確信している。
しかし、5月に相模大堰を遡上した3番上り、或いは4番上りは、磯部の堰を遡上できたかも。「4番上り」なる言葉があるとは思えないが。
現象
1 沖捕り海産を畜養することなく、舟から活魚運搬車に移し替えて、川に直行したとしても、チビ、小学生の数が多いように感じている。勿論、オラの釣った数は1,2匹であるから参考にならないが。
2 3段の瀧下流付近を釣り場にしている雄物川さんが、コロガシで、98,80,60匹を釣っていたのは、「トラックで運ばれてきた」下りをしないで産卵する親から生まれたものと考えていた。
しかし、大量に仔稚魚が生存できるほどの湧き水、動物プランクトンが磯部の堰上流の瀞に存在するのか、疑問ではある。
先週、雄物川さんが6匹。目を皿のようにして、「差し鮎」がやってくるのを探していたとのこと。
差し鮎ではなく、遡上鮎ではないのかなあ。
3 石切場の柳の前で、チビ、小学生が一杯跳ねていた、と、田名の主。
ということで、6月23日、昭和橋下流の左岸に流入する八瀬川の塩田桜橋を見に行った。
チャラに1,2匹の鮎がいる。
その上流は、一抱えほどある石を流れを横断するように並べて、4段の「堰」状になっている。
下流側の「堰」は、段差が低く、稚鮎が跳ぶことは可能。その上流及びもう一つ上の「堰」は、段差が大きいが、石と石の隙間を泳いで上ることも可能。
一番上流の「堰」は、適度の増水がないと、遡上できないのではないのかなあ。
ということで、下流から3段目までにひらを打つ鮎が見えた。
水深五〇センチほどあるから、数はわからないが、数匹というレベルではない。
また、小学生の高学年と思われる鮎はいるが、中学生がいるか、どうかわからない。
ということで、3番上り、4番上りであろう5月に相模大堰を越えた稚鮎の一部は磯部の堰を越えることが出来たのではないかなあ。
そうすると、1番上り、2番上りに遡上性向が旺盛であった4月には磯部の堰を上ることのできないどのような要因、条件があったのかなあ。
そして、6月1日頃からなんでその要因、条件が消えたのかなあ。
水量は、3月4月の降雨が多かったことから、現在のダム放流量とたいして変わらないのでは。
ということで、今週、来週に開催される大会は、海アユの小学生、チビを何処で、どのように釣るかということになり、先々週の大会とは違って、2匹で1回戦通過、ということにはならないかも。
弁天まで歩くつもりであったが、暑すぎてひからびそう。ということで高田橋上流で水冷を。
目標2時間の勤務時間は達成した。それに小学生の人工を顔掛かりで釣ったから、ボウズではないよ。
この高田橋で、先日、Nさんがウン十匹も釣ったとのことであるが、何処で、どのようなだましのテクニックを駆使したのかなあ。
大正か、昭和の初めに、藤田栄吉さんが、鮎は石を釣れ、と書いて、これが格言となった。
しかし、「石」についていますかねえ。縄張りを持っていますかねえ。
田名の主は、その石が何処にあるの、と。昔の人間であるから、「石」についていない鮎を釣る気はせんよ、と。それで、石切場の柳の前で、ちんちん釣りをして、鮎の氏素性を観察したのかなあ。
6月28日 相模川
昨日の大会では、1回戦通過が込みの8匹かなあ。大会結果がまだ掲載されていないため、大会の数値は「その程度」ということで、理解して下さい。
先々週の大会の1回戦通過が込みの4匹であることから、5月に相模大堰を上った3番上り、4番上りの効果かなあ。
今度の土曜日の大会の下見をしている幸せ男らの観察によれば、高田橋でも、弁天でもチャラっぽい、というか、ザラ瀬というか、が、3番上り、4番上りの生活空間、と。
そして、石は綺麗になってきている、と。
その状況がどのように変化していくのかなあ。幸せ男らは、それを一番気にしている。
石切場であれば、空いている所がある。瀬落ち上流の大会エリアの旗が立っている上に行く。石は汚い。何で、この附近でIさんが釣っていたとき、幸せ男らが大漁になったのかなあ。
先々週、石切場に放流された継代人工の成魚放流のうち、優れた資質を持っているものは、瀬を越えて弁天へ、並みの継代人工は、放流地点付近で回遊しているということかなあ。
竿を畳んだままで眺めていると、縄張り意識の強い方々が、ほかに行け、と。
単に、川の状況を眺めていただけですがねえ。
瀬肩付近のチャラというか、ザラ瀬というか、は、大盛況。
柳の前に溝はなし、石は小さい、とのことであるから、広々としていても、そこに入りたくないなあ。
ブロックが転がっている上流側が空いている。上流側の人が縄張りを主張することもなし。
囮が元気で助かりますなあ。折角釣れた継代人工の高校生は掛かりどころが悪くないのに流される。とはいえ、逆バリが外れるものの、逆バリが身を切り開くことのない蹴られとバレから脱出して、いや、ボウズから脱出して、ありがたや。ボウズであれば、迷人見習いになんといわれるか、蚤の心臓がちくちく痛むだけで済めばよいが、心臓が止まってしまうかも。
次の継代人工の高校生は、よく働く。そして、小学生の海産を連れて来てくれた。3匹も釣れれば大満足。
オラの上流側の人は1回戦通過の10数匹釣れたよう。
幸せ男らの関心は、1週間後の川が、鮎がどうなるのかということ。今日の1回戦通過は10匹ほど釣らねばならないが、この状態が持続するのか、さらに増えるのか、それとも?
昨日、綺麗になった高田橋の石がまた、汚くなっているというのに、何で、昨日よりも多く釣れているのかなあ。
3番上り、4番上りの海アユは、まだ自立しておらず、小さな集団で生活しているとのこと。
その小さな群れが、人間がどたどた川に入り、平穏な生活が中断されるとのこと。その時、他の空間に移動しないのではないか、という話のよう。そして、暫くすると、元の集団が形成される、とのこと。その時に釣れる、とのこと。
したがって、目をつけたチャラというか、ザラ瀬で粘るようにとのことであるが、そこがすかなら?。
迷人見習いは、先週かその前の週、大見川で幸せ一杯、胸一杯であったとのこと。
小川橋よりも上流に入った。
22匹のうち、下顎側線孔数が4対左右対称でないのは、6匹?とのこと。残りは遡上鮎主体の海アユ。
その中に21歳番茶も出花娘がいた。容姿端麗、馬力たっぷり、目印がぶっとぶ、しかも、働きもんで5人をナンパしてきてもまだ余力があったとのこと。
巴御前のような番茶も出花娘が、遡上鮎であるか、海産畜養であるか、は気になるが。
大見川の方が、本流よりも遡上鮎が多いのではないか、と。
松下の瀬は閑散。組合長が替わっても、放流場所と、そこに放流される鮎の数は変化しないということかなあ。
迷人見習いも、狩野川で有効な釣り方だけでは他の川では通用しないことがあることに気がついた。それで、酒匂川の大口橋付近に行くことに。
栢山の堰の魚道を遡上できるのか、どうか、確認できる。ただ、漁協の地図でも堰の記載がされていないから、栢山の堰上流にも堰があるのか、どうか、わからないが。
7月10日 中津川
今年初めての中津川。
よねさんら、中津川の常連さんたちは、短時間に10匹、20匹台を釣っているが。
上流エリアであれば、田代まで歩くつもりであったが、下流エリア。何処に入っても変わりがないかも。ということで、歩く距離が短くて済む仙台堰上流のチャラへ。
石はどんどん小さくなっているなあ。
かってはニジマス釣りの目標となっていた大石も消えている。藤田栄吉さんが、大正か昭和の代の初め頃に、「鮎は石を釣れ」と書かれて、その言葉が格言となったと、「鮎を釣るまで」に書かれているが、そんな石は何処にも見当たらない。
跳ねる鮎がいるから、交通事故があるかも。
しかし、世の中、そんな甘いもんじゃあおまへんでえ。
吸盤ボウイですら相手にしてくれない。代わりにハヤが相手をしてくれた。ハヤを釣ったのは2昔前か、それ以上前か。
なんで、ハヤが激減したのかなあ。生活環境の変化かなあ。鵜の食害かなあ。
Kさんは、消防グランドまで行って、10匹余りで、1回戦通過。
Mさんは、田代の車止めのところまで歩いて10匹ほど釣って1回戦通過。
歩かなきゃあ、青い鳥はいないということかなあ。
2回戦は、Kさんが新平山橋下流の瀬肩付近で上位大会の切符を。
Mさんは、疲れた?ということで、田代まで歩かず、10匹以下しか釣れず。
壊れ橋付近の人は10匹台のよう。
まあ、今年もビールを飲めたから、ボウズでも満足です。しかも、昨日とはいって変わって、お日様にこにこの30度ほどの気温。お天道様まで、ビールが似合う環境を用意して下さった。
シャネル5番の香りを振りまいているモンローちゃんをだっこしたテク2
くらあい、くらあいお話しのあとは、艶っぽいお話しを。とはいえ、オラではなく、テク2の経験ですが。
テク2は、6月30日、大井川へ。葛籠に入り、遡上鮎が少ない、その他、よき評判のない大井川であるのに、11時から3時迄に17匹。18センチ2匹。20センチ以上1匹。
それよりも香りが凄い。馬力が凄い。
羨ましいなあ。
長島ダムが出来てから、梅雨明けの時期限定で存在していたシャネル5番の香りを振りまく「香」魚は絶滅したと思っていたが。何で、シャネル5番の香りぷんぷんの「香」魚が、一時的とはいえ、「復活」したのかなあ。
お転婆娘は、長島ダムが出来てからも健在であるが、「香」魚と
いまひとたびのあうこともがな
と恋い焦がれているに。
テク2からお誘いがあったが、週に1,2回、1,2時間しか釣りをしていないポンコツに、3日も釣りが可能か、どうか、不安いっぱい。もし、熱中症の症状が出たら、2度と回復しないかも。
人間ドックで優等生であった血圧が、薬を飲むお年に。何で、血圧が高くなったか、わからないとのこと。脳梗塞の可能性もあるのかなあ。
聴診器で、心臓の雑音が気になる、といわれて、超音波の検査を受けたが、これは、年1回くらい、超音波の検査を受けるように、ということで、とりあえずは釣りの支障にはならないが。
テク2は、7月1日は、石風呂から七曲がりの頭へ。
午前10匹。
瀬の中の大石では型大。竿に掛かり鮎を感知するまで暫し、という猛者が今日も掛かった。2匹。ばらされたものも。
テク2がばらすとは尋常ではない。尋常ではないはちゃきん娘が掛かったということかなあ。テク2の腕を持ってしても、今年初めての番茶も出花娘との出会いには身体がついていかなかったということかなあ。
当然、トラックで運ばれてきた継代人工ではなく、遡上鮎です。
昭和橋上流の瀬は、本流と分流の位置関係が変化した。本流はアオノロ。12,3本釣ったが、小さい、とのこと。
しかし、ダム放流。釣りになるまでに、どの位の期間が必要かなあ。1ヶ月?20日くらい?
2日間とも、容姿端麗、美女、しかも、長島ダムが出来て絶滅していた、季節限定で存在していた「香」魚、シャネル5番の香りを振りまくモンローちゃんが。
羨ましい。今生、もう一度、「香」魚をだっこしたかったのに。
7月12日 相模川
天気晴朗なれど、ボウズは嫌、熱中症も嫌、坂道を上るのも嫌、と、困っていた所に迷人見習いが、狩野川ではなく、「臭い」川にやってきた。当然アッシー君にしないと。
昭和橋上流側の2つに分かれていた流れは1本になり、分流が本流になっていた。1メートル足らずの増水でも流れが変化するとは想定外。
流れの幅が狭いため、流れは強い。迷人見習いは錘を使っていたが。根掛かりを外しに入っていたが。
瀬肩より上流の平瀬は水深があり、また、ヘチが崩れることがある、とのこと。
一応、囮を出したが、高田橋へ。
橋に近いザラ瀬は、朝は繁盛していたのに、がら空き。多くの人は、波立ちのない所に囮を入れている。この変化が何でかわからないこともあり、弁天へ。
迷人見習いは、何で右岸側がよいのか、調査のため、膝の痛みを気にしながら渡る。オラは左岸側の瀬肩と落ち込みの中間ぐらい。
下流側から声がする。誰か、わからなかった。ひげだるま君であった。
午前、迷人見習いは小学生を3匹。オラは1匹。さすが、迷人見習い、オラの「3倍」も釣った。もっとも、その数では1回戦落ちですなあ。
ひげだるま君は、ひげを剃ったため、ひげに廻っていた栄養が腹に廻って、ウエーダーを絶えず新調しなければならない体形になっている。
ひげだるま君は、瀬落ちの上流側の棚で20匹ほど。
磧には、テク3,タマちゃん、幸せ男がいるが、午前中、竿を出したのかなあ。
昼にはマムシキラーさんもやってきた。帯状疱疹にかかり、痛みがひどかった、とのこと。マムシのたたりかなあ。
テク2もやってきたが、竿を出したのかなあ。
午後も竿を出す。
瀬肩付近から釣り下るが、瀬肩に近い所の石は汚いなあ。
少しは綺麗な石になった所で、囮が流れて、バレ、次は継代人工と思われる大きさのバレ。
疲れたなあ。幸せ男も釣れていないようで。
ということで、ゴールデンタイム、との話のある3時前にやめた。
まあ、迷人見習いの鼻が少しは伸びたから、よかった、よかった。
その鼻をへし折るのは7月終わり頃。大井川か、狩野川か。大見川のアオノロもなくなっているでしょうから、大見川かも。
7月20日 相模川の濁り
2,3メートルの増水となるダム放流から、1メートルほどの増水に減水しているとはいえ、真っ黄色の濁りがとれるのは、8月のいつ頃かなあ。
大島に放流された継代人工は、神沢に流されて、広々としたヘチを避難場所にしたのではないかなあ。
神沢の磧は、数年前と違い、頭大の石がびっしりと詰まって、平らになっていて窪地は無いようであるから、ダム放流量が減少しても、鈍な継代人工といえども、磧に取り残されることはなさそう。
大島の海産畜養はどの位の量が、大島に踏みとどまることが出来たのかなあ。
大島の20センチくらいの鮎を「遡上鮎」とおっしゃる方もいらっしゃるが、継代人工と、海産畜養で、1番上り、2番上りは磯部の堰を遡上できなかったと確信している。
もし、1番上り、2番上りが磯部の堰を遡上できていれば、「途中下車」する1番上り、2番上りもいるから、弁天でも、石切場でも、その姿が釣り人に、観察眼の優れた釣り人に、観察されているはず。
もっとも、1番上り、2番上りは、「途中下車」することなく上流へ、上流へ、と遡上するとおっしゃる「腕達者」な方がいらっしゃって、迷人見習いに鮎の生活誌を教えていないのか、と蔑まれたが。
垢石翁が、黄門様の印籠を手に入れて、禁漁中に久慈川では、1番上り、2番上りが酉金から上流に上っているのに、下流で釣ったため天狗の鼻をへし折られる事態となったが、那珂川では茨城県内でも黄門様の鮎が喰いたい、というご要望を楽々と実現していること、また「つり人」創刊号の狩野川での座談会で、大仁付近が一番大きい鮎との記述からも、「途中下車」があることいえるでしょう。
勿論、昭和の代が終了する前の「大仁」の松下の瀬、青木の瀬、城山下の一本瀬、石ころがしの瀬があった頃の、しかも、狩野川台風による川の変化もなかった頃のお話しではあるが。
なお、垢石翁の「黄門様の印籠」をかざしての密漁は「故松沢さんの思い出:補記8」に紹介をしているが、「他のファイル」のラベルへのリンクが不調のため、リンクの設定をしません。ホームペ-ジビルダと「8.1」の相性の悪さは、ビルダのアンインストール、インストールに各2時間、「サイトを開く」→「新規サイトの作成」→「既存のサイト使用」での頻繁に発生する現象と転送設定、これらはリモート接続を何回も繰り返して、対応を覚えたものの、新たな現象も発生している。このような状態で「10」にしたらどのような不具合が発生することやら。
さて、昭和橋下流のコロガシはいかに。
ご近所さんは、19日、昭和橋下流の湧き水が、或いは八瀬川の濁りのない水が流れ込む付近に行ったと思われるが、その結果はまだ聞いていない。
雄物川さんは、3段の滝付近へ。
鳩川、姥川は、公共下水道が整備されてから、生活排水が流れ込むことがなくなり、嘗てと比べると格段に水質はよくなっている。それでも、濁りがない所は相模川に合流するまでのところとのこと。
したがって、Mさんのお兄さんが本流に合流する手前のところで、しゃくり釣りをしていて大漁になったが、濁りの強い本流でコロガシをする雄物川さんは、貧果とのこと。
しかし、転んでもただでは起きない雄物川さん。
うなぎを掛けた。そして旨い蒲焼きを食べた、と。ダム放流で、うなぎ穴を失って、うろちょろしていたうなぎではないか、と。
2メートル余りの増水であるから、流れを大きく変えることはないと思うが、継代人工の居場所は変わったのではないかなあ。
中津川は、100トンのダム放流では、田代を除くとヘチの避難場所が小さく、去年或いは一昨年だったかの5月の100トンのダム放流の時と同様、八菅橋付近から坂本の堰上流迄が避難場所になったのではないかなあ。
まあ、濁りがとれるのは中津川の方が早いから、たまには様子を見に行きましょう。
7月24日 中津川見学
相模川は、濁りで当分釣りは不可能。ということで、よねさんらが中津川の角田その他で釣れているから、様子を見に行った。
水量は、平水の5トン以下の2,3倍であるが、濁りなし。
お百姓さんに、相模川が濁りで釣りにならないから、当分、釣りに行かない理由、或いは釣れない理由を考えなくてもよくなって、よかったね、と。そんなことはない、いつでも川に入りたいんじゃあ。とはいえ、竿をかついでいく気力はないから、見学するだけ。
角田は数人。八菅は、講習会の受講生を除いても20人ほど入っている。どの程度釣れているのかなあ。
冷やかしのはっちゃんは、受講生のねえちゃんにああせえ、こおせえ、とうるさいこと。はっちゃんは、大して釣れないことがわかっているから、あるいは小学生主体であるから、野次馬の方が気楽ということで、竿を出さないのかなあ。
はっちゃんは、よねさんが釣っている所で根こそぎ釣り上げたから、当分よねさんは釣れんでしょう、と。大丈夫、米さんは1カ所に執着する人ではないから。
はっちゃんは、桂川通い。大きいから、数が釣れるから、というはっちゃんの価値基準にぴったりで、よかったね。
消防グランドは10人ほど。田代は見なかった。
ダム放流で転がらなかった石には残り垢がついている所がある、というレベルのアカ付きかなあ。
故松沢さんが、砂が増えて、グラインダーで石の表面を削っていることと同じであるから、大した増水でなくても白川になる、と。
明日は竿をかついでいきましょう。
数日前、ご近所さんと昭和橋下流を見に行った。
昭和橋上流の流れはまた変化したかも。人工的に作られた「分流」が「本流」に変わっていたが、その「本流」の一部が去年までのように左岸に流れるようになったかも。減水をしないと確実なことはいえないが。
3段の瀧上流の相模川に八瀬川の流入地点があるが、八瀬川の水が濁っている。6月始めは田水が入っていて透明度が低かったが、今回の濁りは工事が入っているのかなあ。
3段の瀧の姥川、鳩川の水には数群の群れ鮎が入っている。護岸から1人釣って居るが、しゃくり、ちんちん釣り、毛針の流し釣り、どれでも束釣りが出来るのではないかなあ。但し、限られた人だけが。
「人形の家」のノラをしょうがないお嫁さんねえ、といっていたおばたりあんが、ウーマンリブに絶滅される頃に誕生したと思われるさちゃんは、イモリをつかみドバミミズを餌にすることが出来る。
まことに現代娘ならぬ化石娘である。天野礼子さん並みの「野生人」。
さちゃんが、ドバミミズを餌にうなぎを釣り、蒲焼きにした。
さちゃんを見ながら釣りをすれば、ボウズでも退屈しないのになあ。さちゃんを早くあゆみちゃんにのめり込ませてえ。
まあ、空想、妄想はジジーの特権。
迷人見習いからお誘いがあったが、狩野川のアカ付きも中津川のアカ付きも似たようなものでは。それでも釣れるとはいえ、藤田さんの「鮎は石を釣れ」を実践したいから、断って、中津川であんよの練習をしましょう。
高倉健さんの5代前のババ様(「故松沢さんの思い出:補記8」)たち、「姥ざかり」4人組が、箱根の関、新居の関を避けるため秋葉道を歩いたが、厚木から小原宿まで中津のどのあたりを歩いたのかなあ。荻野、志田峠を通ったようであるから、八菅から角田か、箕輪付近の道を歩いたと思うが。その距離のウン10分の1を歩いただけで疲れるとは、姥ざかりの爪の垢を煎じて呑まないと。
八菅で釣りをしたのは1昔前か、それ以上前か、定かならず。その頃と基本的な流れは変わっていないように思うが、釣り人は少なくなったのでは。
かっては釣り人道で整備されていた所が、草むらに変貌。
7月26日 中津川
濁りはなく、鮎が流されていなければ、角田大橋付近でも釣れるはずであるが。
橋下流の取水口上流のジジーでも楽なチャラへ。
今年初めての中津川のあゆみちゃんは中学生。そして小学生。その上毎度おなじみのタモの手前でのぽっちゃん。
そのぽっちゃんがなければ、ブロック大会の切符を手にすることが出来た人がいたなあ。まあ、中学生が1匹とはいえ、釣れたから満足しましょう。しかも小学生を合わせると3匹も。
流れる川遊びの邪魔をしてごめんね。
ビールを飲み、帰ろかなあ、釣ろうかなあ。
あんよの練習のためにも釣りましょう。海底(おぞこ)に行くつもりで上流へ。その瀞が終わる附近に釣り人が。その人達を避けて上っていくのはしんどいなあ。ということで、新平山橋下流まで歩いていく。車の通る道を。もたもた、よたよた歩いているが、早足で元気に歩こうと意識して歩いても、すぐによたよたもたもたになってしまう。35度くらいの気温であるから、もたもた歩け、と、おつむがボデーに命令をしているのかなあ。
暫く、見ていたが釣れてませんなあ。
同じ釣れないのであれば、根掛かりも外しに行ける楽な所がええなあ。
ということで角田大橋が日除けをしてくれる所へ。
日陰は有難いなあ。風も心地よいし。タイツであるから水冷も効いているから有難いなあ。普段は膝くらいしか立ち込まないのに、腰まで立ち込む。
今年初めての鮎らしい引き。
女子高生が3匹、中学生と幼児。5匹も釣れた。色男は辛いなあ。
1時間は費やしたが、2時間は越えていないのでは。
ここは楽でええなあ。平日なら空いているかも。
下顎側線溝数が4対左右対称とはっきりわかるのは女子高生だけ。その他は、近々眼鏡の度が少し合っていないため、判別困難。虫眼鏡を併用すれば、わかるが、そこまで調べるのも面倒。
それにしても、今年始めて中津川で釣れたあゆみちゃんの中に女子高生の海産畜養か沖捕り海産の直放流がいるとはありがたいなあ。継代人工ではありがたみはないが。
まちゃんがいた。今年はまだ竿を出していない、と。
先日の八菅での講習会で、講師のお手伝いをしていたとのこと。
受講生全員が釣れてよかった、と。
まちゃんは何処の川に行くのかなあ。
午前は、「オラの辞書には背掛かりという言葉はない」と書くつもりであったが、昼過ぎ、女子高生が釣れて、この表現は使えなくなった。
アカが少しついている石があるが、縄張りを形成しているのかなあ。
まあ、たまにはに真夏日の気温に負けずに、あゆみちゃんのナンパに時間をつぶすことにしましょう。
7月29日 中津川
27日、お医者さんに行くバス待ちの時によねさんが中津川へ。
よねさんは、28日も中津に行って2日とも20匹台のよう。小さいといいながら、せっせと楽しんでいますなあ。
前回同様、角田大橋下流に入るが、中学生が1匹だけ。
おなじみさんがやってきてオラの下流、瀬落ち上流に入った。昼過ぎに10匹ほど釣って小さいから帰る、パチンコに行く、と。 おなじみさんの上流のコーチ付きの女の人は、10匹を超えたのではないか、と。
何で、オラだけ蚊帳の外なんですかねえ。
ビールを飲んで憂さ晴らしをしないと。
囮屋さんに行くと、年を食った方のKさんがいた。今年始めて川で会う。
次には若い方のKさんがやってきた。昨日、20ウン匹も釣っている。
大会出場の常連さんの若Kさんが、今年の大会に出ていなかったから、どないしたのかなあ、と心配する御仁がいた。
お仕事が忙しくて、あゆみちゃんとの逢い引きどころではない、と。
ひさんが、海底に入ったとのこと。
溝が復活した、立ち位置になる所の石が出て、石と石との間に足が入ると、骨折のおそれがある、と。したがって、掛ったら、動かないで抜くしかない、と。
ということは、数年前と同じような河相に戻ったのかなあ。
午後は、その方面に歩いてはいくが、途中で上っていくことをあきらめた。
そして、午前と同じ角田大橋下流の楽な所へ。
午後も、中学生が2匹釣れただけ。下顎側線溝数4対左右対称。したがって、海アユと判断してよかろう。
若Kさんが橋下流にやってきた。2時間たったか、どうかであるのに、10匹コース。しかも1匹は素晴らしい当たりとのこと。海産畜養ではないかなあ。
そのKさんが、オラの下流側にはいって、すぐに中学生を2匹釣り上げた。
そんなに差をつけないでえ。オラは、朝から働いているんですよ。
蚤の心臓に悪いし、バスもやってくるから、逃げ出した。
年を食ったKさんは、平山橋方向に行ったようであるが、年寄りのよしみで釣れてませんよねえ。
なにい、年寄りではないわ、ばりばりの現役じゃあ、とおっしゃるでしょうなあ.。
お見それいたしました。でも、ジジーの蚤の心臓が破裂しないようにやさしくしてえ。
ということで、格差社会の厳しさ、悲哀をまたもや味わった1日でした。
昭和41年生まれのおじさんに、いつ頃までシャネル5番の香りをぷんぷんさせる「香」魚がいた?、と聞いたところ、小学生の頃は香りが川面に漂っていた、と。そして、鮎が一杯いた、と。
ということは、昭和40年代の終わり頃迄は、硅藻が優占種であり、また、堰で遡上が妨げられていなかった、ということかなあ。
望地河原が水田になっていなかった頃、そして、津久井ダムがなかった頃、石切場の上流で地引き網で魚を捕っていたとのこと。川で地引き網漁が出来るとは、小石と砂利のところがあったということではないかなあ。
そして、地引き網で捕った鮎やハヤは煮たとのこと。それを天日干しにして、保存食にしていたとのこと。
滝井さんらは、焼きからして、乾して、保存食にし、紀の川の小西さんは、焼き鮎にして販売していたが、煮てから乾す保存食のやり方があるとは知らなかった。
焼くよりも煮る方が、手間が掛からないということかなあ。
また、その望地の住人は、洪水の時、崖の下を流れる水音が凄く、怖かった、と。愛川橋付近に住んでいた人は、大石、岩が転がる音が怖かった、と話されていたが、川の状況で洪水の時の音の怖さも変わるよう。
7月31日 中津川
ひさんでも、海底まで歩いていったとなると、歩きたくないなあ、なんていっちゃおられませんは。
以前あった瀬落ち上流側の大きなおつむを空中に出していた数個の石はまだ埋まっているよう。
瀬落ち、瀬尻に2人、瀬に2人。空いていますなあ。
にもかかわらず釣れませんなあ。ひさんが、根こそぎさらっていったということにしましょう。
瀬尻、瀬落ちの人も消えていったから、そろそろ消えようかなあ。
瀬で掛かったのでは。水中糸の天井糸に近いところから動かない。なんじゃあ。石に糸が絡んでいた。それが外れてもまだ囮が回収出来ない。根掛かりか、と外しに行くと、動いた。また石に絡んでいた。
そして、鮎が掛かっている。下顎側線孔数4対左右対称の女子高生か番茶も出花娘。
継代人工を除くと、今年最大。馬力も充分。
結局、素早い動きに竿操作がついていかなかったということでは。
せいぜい、中学生か、高校生の1,2年しかいないと思っていたから、対応が遅れたよう。
先日、若Kさんが凄い当たりといっていた海産畜養がオラにも掛かったということでしょう。
中学生を1匹加えて、早ビール。
午後は、熱中症にならないように、角田大橋の影の中へ。
楽ではあるが、小学生が2匹。ここは小学校かなあ。
やむを得ず、日向へと出る。中学生。
そして、今日2回目のトラブルは、糸を枝に絡ませてしまった。
これで3時前ではあるが上がりましょう。
夕バミはよく釣れるとの話があるが。
また、日向橋下流から原下の堰まででよく釣れていたとのこと。海産がその付近にも溜まったのかなあ。
まあ、先日の八菅の講習会でこあゆちゃんが釣った数にはなったから、ヨシとしましょう。
8月1日 狩野川
アカ付き良好、石を釣れ、という状況になっているはず。ただ、遡上量は去年よりもさらに少ないとのこと。
迷人見習いの天狗の鼻を伸ばし、へし折る楽しさを味わうことにしましょう。
大見川の発電所下流へ。
去年は、橋から3番上りの小中学生の群れが見えていたが、今年は見えない。
迷人見習いの話では、増水前は小中学生の群れが見えていた。ただ、その中には、今年は放流されたという話のある継代人工も交じっていたのでは、と。
ほかの場所では大きい、しかし、ばばっちい継代人工が釣れているから、雑多な継代人工が放流されているよう、と。
発電所のすぐ下流に入ったが、川の中を動き回ることは、石が大きいことと、水深がヘチといえども変化することから、オラのあんよでは無理。河原が草むらでなければ、河原を歩けばよいが、びっしりと葦?などが茂っている。
ということで、護岸の降り場所が作られているところを降りたところの瀬に囮を入れることに。
河相は、大きい石が転がれ、その石によって、流れの筋が複雑にぶつかり変化のある流れになっているように見えるが、釣れませんなあ。
対面、上流側の人もたまに小中学生が釣れているだけでは。
土手に上り、下流の迷人見習いが釣っているところへ。
迷人見習いは3匹とのこと。
上流のところと同様、鮎が食堂に、居間にしてもよい場所に見え、増水前、迷人見習いが囮捕りにも使っていたということであるが、さっぱり。
下流側のご一行も釣れていないのでは。
囮を休ませるために、ビールタイム。
囮がゆっくり休めるように、おらもゆっくり休もう。
野島玉造さんと激流立ち込みを競っている古稀の人がやってきた。今日、大きい鮎が釣れるところにするか、小さい鮎を釣り、うなぎ釣りにするか、思案しながら、場所を見てる人が。
全国を股に掛けて釣り歩いているとのこと。
かって、松下の瀬に大石、というか、岩がごろごろしていた頃、その上に寝転がって、うなぎ釣りをしていたことも。遡上鮎が満ちあふれていた頃は、解禁日に束釣りは当たり前、と。
この近くに天然うなぎを販売しているところがある、と。迷人見習いは、浜松まで天然うなぎを食べに行ったとのことであるが。高いでしょうなあ。
古稀さんは、激流の大鮎を釣るときは、メタルではなく、ワイヤーを使っているとのこと。メタルでは衝撃で切れる、と。あとでこの話を迷人見習いにすると、メタルが衝撃で切れないようにするため、天井糸を有効活用する、と。どのような材質を使い、どのような細工をするか、は、オラには無縁の話であるから聞かなかったが。
また、うなぎ釣りの餌とする鮎は、その川の水が染みこんだ鮎でないと、食いつかない、ということはガキの頃のうなぎ釣りで経験済み、と。
あんまり休んでいると、敵前逃亡と思われるから、釣り場に戻った。
もう、オラに「備わった鮎」鮎がいないから、釣れなくて当たり前。
根掛かり。今日、迷人見習いに作って貰った八の字仕掛けを、よねさん御作の鼻環仕掛けを切りたくない。そこで、迷人見習いに根掛かりを外して、と言った。
迷人見習いが外す前に根掛かりが外れた。
迷人見習いはそのまま、左岸草むらの直前に囮を入れた。
迷人見習いの竿が大きく曲がる。
大石に葦?が生えている、石で出来た瀬落ちがある、迷人見習いは、竿を横にし、立ててと、竿操作をして障害物を避けている。
上流側の人たち同様、丼を期待して見ていた。
しかし、取り込んだ。21歳番茶も出花娘。下顎側線孔数4対左右対称。1番上りでしょう。
迷人見習いは、竿操作は、磯釣りと同じであるから、障害物への対応に粗相が生じることはない、と。それにしても、馬力があった。大井川で糸鳴りがする女子高生を釣った時の馬力にびっくりしたが、その時に匹敵するほどの馬力。
40センチのメジナを2匹釣ったくらいの疲れ、と。
迷人見習いの粗相をしない竿操作とは違い、昨日、中津川の女子高生に水中糸を石に2カ所も巻き付けられたのは、なんともみっともない竿操作ですなあ。
その原因は?
掛かり鮎がオラに向かって疾走してきたから。
河口堰がなかった頃の美濃。沖に走られて丼をしたときもびっくりしたが、下流、上流に走るのではなく、沖に走るなんて、初体験。
それと同様、美男子のオラを近くで見ようと、掛かったところよりも手前に走ってきたのも初体験。
故松沢さんは、手に掛かり鮎の動きを察知する前に、目印で掛かったことを察知して手の甲を返すような動作をする。そうすると、掛かり鮎は上流にすっ飛んでいく。それを下らせてきて、水中糸たぐり、最後は鼻環仕掛け糸、つまみ綸をつまんで鮎を持ちあげる。
振り子抜きと同様の取り込み方を、鮎が上流に疾走する操作で行っていた。
そうすると、故須合さん同様、タモがなくてもよいことになるかも。
丼大王さん、教えて。タモを使っていた?
オラが故松沢さんの釣り姿を見る機会が1回だけあった。誰もお客さんがいないとき、オラに見つからないように、城山下の1本瀬で、草むらに隠れて釣っていたとき。当然竹竿。手尻は1尋。
オラは石コロガシの瀬に行ったから、貴重な見聞が出来なかった。
ということで、迷人見習いは7匹。1匹、人工がいる、と。番茶も出花娘以外は、小中学生では。女子高生も交じっていたのか、どうかは見なかった。
お百姓さあん、くぼちゃあん、迷人見習いの天狗の鼻を折る快感を楽しめますよ。群馬の管理釣り場に行ってるときではないですよ。テナガエビを釣っているときではないですよ。
8月4日 中津川
まだ、アカがついていないところもあるが、飢饉ではないと思う。
海底へ。今日は、瀬の上流側に1人だけ。
もし、鮎が一杯いて、腕がよければ、ウン10匹コースになるが。
そんな妄想は、迷人見習いに無限大の差をつけられた者としては、実現可能性はゼロですなあ。
さっぱりですわ。
しかし、拾う神もあり。下顎側線孔数4対左右対称の女子高生。
まあ、これで充分ですが、ビールには早すぎるなあ。中学生の海産。
2匹も釣れたから、でっかい面をしてビールを飲みましょう。
シーズンに入ってから始めて、ドラえもんおじさんを見た。といっても釣りに来て居るのではない。
カンニングをして、午後は角田大橋下流へ。
しかし、カンニングをしたからといって、腕が上がることはないですよねえ。
まあ、中学生が3匹釣れたから、カンニングの効果はあったと考えましょう。1匹は継代人工。
5匹も釣れたとは、松下の瀬に入った丼大王の悲惨さに比べれば、極楽ですわ。
ハヤが瀬の芯?を占拠し、ボウズハゼが食糧敵の鮎がいないためにでっぷりと肥り、それら外道に歓待されるとは、丼大王も落ちぶれたなあ。
いや、丼大王が落ちぶれたのではなく、鮎がいないということでしょう。
有から無を生じる、ということはオラの専売特許であり、丼大王は、無から有を生じる超能力者では、と思っていたが、ただの還暦通過のジジーということかなあ。
東伊豆の、丼大王の庭を流れる小川、いや、間違えた、丼大王の庭の横を流れる小川で、1番上り、2番上りの遡上鮎を堪能した丼大王が、狩野川で嘆き悲しむとは、1995年から数年以来のことかも。
オラは、年券を買ったから、11月の「西風が吹き荒れる頃」、下りに入った乙女を、希少価値のある乙女を待つことにしましょう。
待てば海路の日和あり、と信じて。
相模川は、釣りの出来る水色になったが、アカはついていないでしょう。
昭和橋下流のコロガシで釣れている鮎は、やせっぽちとのこと。
10日くらいたてば、少しは飢饉による痩せぎすのボデーから回復するのかなあ。
8月8日相模川
8月5日の弁天で行われた講習会で、初心者コースの子鮎ちゃんが2匹釣れたとのこと。
しかも、色仕掛けで釣ったのではない、16歳もいたという。
どんな状況か、見に行って、9日の講習会受講生よりはよき場所に入ることを心がけないと。
瀬肩付近は人が多いが、それより下流の瀬は空いている。瀬落ち上流の棚付近にいるのは、手拭いでほおかぶりをしているのは、タマちゃんかなあ。ということは、テク2も来て居るなあ。
瀬肩と瀬落ちの中間よりも少し上流側に入る。
アカ付き良好、されど釣れず。対面も下流側もぽつんぽつんとは釣れているが。やっかむほどではない。
ただ、竿の曲がり具合から、小中学生ではない。
ところがオラに掛かったのは小学生。そして、丼大王のボウズハゼ病が50キロ離れたおらに感染して、味噌汁の具にしたら食いでのあるでっかいボウズハゼが。
囮は1匹だけ。迷人見習いの集中力を養う為というのではなく、熱射病怖い病から早く川から上がるため。
とりあえず、囮を休ませるため、ビールタイムにしましょう。
そこへ、マムシキラーさんがやってきた。
昨日、午後から番茶も出花娘らを50匹、綺麗な鮎を釣った、と。ということは、オラは、マムシキラーさんが空っぽにしてしまったところを釣っていたことになる。1番上り、2番上りが磯部の堰を越えていれば、いかにマムシキラーさんやテク2が昨日50匹づつ釣っても、品切れにはなるまい。
昨日釣った鮎を揚げて持ってきていた。マムシキラーさんは、骨が柔らかい、頭から食える、と。オラは、歯のかみ合わせが低下しているから、骨は食べたが、頭は食べなかった。海アユは継代人工と違い、骨を食べることに違和感を感じない。
瀬落ち上流の棚に入ったテク2が30匹ほど。その中の弱った鮎を貰った。囮もやるといったが、長時間労働をしたくないから、それは断った。
テク2が入ったところは、お3人さんが、昨日囮を入れなかったところ。
そこまで釣り下る前に、水を飲む時間もない、煙草を吸う時間もない、という超お忙しになったとのこと。
タマちゃんは丼をして戻ってきた。
ダム放流前とは違い、左岸側の方が石はよい、溝もある、と。右岸側の石の色はおかしい、と。ただ、1カ所綺麗なところがある、と。
囮は元気になっている。
やっとオラにもまともな鮎が釣れた。しかも続けて。マムシキラーさんは、オラの上流から、取り込みながら、右岸へと渡り、オラの対面へ。釣れてはいるが、それほど早いペースではない。
やっと、1時を過ぎた。
もう止めてもよかろう。午後もボウズハゼのでっかいのが。何で、昨日、テク2やマムシキラーさんの邪魔をしなかったんじゃあ.。
4匹も釣れたから、2時前になったから、上がりましょう。
今年始めて計測した。
18歳継代人工1,16歳と17歳海産畜養?3番上り?各1,小学生1。計4匹。
テク2が午前中に釣り、掛かりどころが悪く弱っていて、貰った鮎は、中学生海産、17歳海産、14歳継代人工、18歳海産畜養?3番上り?の4匹。
オラが迷人見習いのように、竿を立て、倒し、と鮎の馬力を軽減する竿操作を必要とせずに、また、タマちゃんのように丼の心配もなかったのは、遡上鮎でない、番茶も出花娘の大きさではない、ということでしょう。
とはいえ、今年最大の大きさ。
なお、小学生以外、やせっぽちはいない。充分に肉がついて、ふっくらとしている。
長老が亡くなられたとのこと。
猛暑の府屋大川だったか、での釣りのあと、体調を崩されてからもう5年以上になるのかなあ。
日常生活の不便が段々増大していったのかなあ。
長老は、水を飲まない、との習慣で育った人。オラは水を飲んでいるから、熱中症とは無縁と思っていたが、その判断が間違っているとのこと。
たしかに、汗が、玉のような汗をかくことは稀になったなあ。その現象が危ない、となると、川に入る時間を減らすしかないのかなあ。
8月9日 相模川
弁天の左岸側瀬のヘチの石は汚くなった。1日でそんなに変化するとは。これも、マムシキラーさんやテク2等が、2日で200匹以上の番茶も出花娘や女子高校生を釣って、品薄にしたことが影響しているのでは。それとも、真夏のアカぐされ現象かなあ。
講習会が開かれているから、瀬肩付近は混雑している。
それを避けて瀬に入るが、残り福があるのかなあ。しかも、今日は、今年或いは数年ぶりに会う方々もいらっしゃる。ということは、オラの分け前、分配は一層少なくなる。
まあ、釣れなくても、ビールがあるから真夏の夢を見ることにしましょう。
高校生が釣れて、次に番茶も出花娘がかかった。しかし、番茶も出花娘は一気に引き抜くこと能わず、空中バレ。右腕がまっすぐに上空に伸びれば粗相はなかったのになあ。手尻をそのうち、短くしておこう。
ということで、楽な瀬肩付近にも入って7匹の高校生と小中学生。
まあ、ボウズでなかったからヨシとしましょう。
講習会の講師である名人の兄弟対決は、30分間。
瀬肩付近は、当然小中学生。瀬は、高校生に番茶も出花娘。乙女も釣れていたという人もいたが。
瀬では、1号の錘を最初から使っていた。錘を使わなくても囮が流されないとは思うが、どのような効用を錘に求めていたのかなあ。
オラが1日掛かって稼いだ数を30分で稼がれてしまった。
まあ、当然ですな。
テク2やタマちゃん、その外、腕自慢さん達はどの位釣れたのかなあ。
少なくとも、昨日の勢いはなさそう。
なお、旧友の皆さんのうち、午前中に10匹を超えた方々が数人いた。午後もその勢いが続いたのかなあ。
瀬尻には多くの人が入っていた。
鮎が溜まっているのかなあ。マムシキラーさんは、差してくるから、そして、オラが瀬で釣っていたところが通り道であるから、夕方まで動くな、と。
そんなことをいわれましてもですよ、立ち込んでいなくても疲れてしまう。その状況で転んだら、生命の問題にはならなくても、竿の問題にはなります。竿保険があれば少しは無理をしますが。
なんとも締まらない有様ですが、仕方がないですなあ。丼大王よりはましな釣りをしているということで、感謝しましょう。
8月11日 相模川
おちゃんが、30才頃、磯釣りに行って、こわあい こわあい経験をしたとのこと。
汗が一杯出ていたのに出なくなった、寒気がする、という状況になったと話していたと思う。正確な現象はおちゃんに聞いて。
異常な事態であるから、磯の少しでも日が遮られているところに移り、幸いにも持参していたスポーツドリンク=塩入 を飲んだ。それで事なきを得たとのこと。
おちゃんは、まだ若かったから、回復したが、オラでは無理。
ということで、弁天まで舟を下げて歩くことはやめた方がよかろう。
瀬尻にまだ人が入っているのか=補給庫になっているのか、どの位アカぐされをしているのか、気になりますが。
ということで、橋の影の快適さを角田大橋で経験したからには、その知識を利用しないことはない。当然、高田橋止まり。
泥かぶりの石は多いが、アカぐされの石は少ないのではないかなあ。綺麗なアカがついた石はどのようなところにあるのかなあ。
まあ、川見が出来ないのに、あゆみちゃんの食堂を考えても意味ないか。
釣れるとは思えないのに、高校生が釣れた。これでボウズはなくなった。
次は、抜けない、番茶も出花娘か。引き寄せで取り込むしかない。近くまで寄ってきたら、凄い馬力で泳いでいく。迷人見習いは、瀬を駆け下って2匹のさつきちゃんを取り込んだというが、さつきちゃんもサクラちゃんもいるわきゃないよ。
鯉かニゴイか。見事な丼。今年初めての丼。
いつもであれば、箱入り娘にして、根掛かり放流を免れるようにするのに、根掛かりを外しに行けるところであるから、囮に使い、ボウズ街道に迷い込むことになった。
今年の相模川名物の幼児が、次は小学生がぽっちゃん。そして、やっと、高校生が。〆は小学生。
もう疲れた。2時間以上は働いたはず。
熱中症にならず大満足。
8月14日 相模川
10時頃、雲が太陽を隠してくれていた。炎天下の弁天路ではないため、舟をぶら下げて歩いて行ける。
弁天のヘチのアカぐされは拡大していない、泥垢も少ない。
巌佐先生は、2万ルクス以上になると、硅藻は枯れる、と書かれているが、藍藻ではどうなのかなあ。
また、透明度が、垢石翁が「鮎の友釣り」(昭和9年発行 萬有社)に書かれているアカぐされの描写とは、全く異なり、透明度50センチくらいでは、2万ルクス以上の照度になるカ所は限られているということもありうるのではないかなあ。
そうすると、瀬のアカぐされは限定的かも。
先日の兄名人が入った瀬ではあるが、兄名人とは異なり、立ち込むこと能わず故、兄名人が立ち位置にしたところよりも手前に囮を入れる。
釣れた。箱入り娘にして、ボウズを免れることにした。
1時間余りで3匹。兄名人のペースにはウン倍の格差があるとはいえ、0,1の世界にどっぷりと浸っているへぼとしてはありがたや。
ヒゲさちゃんが、瀬落ち上流の棚でまともな大きさとチビを釣ってやってきた。
根掛かりを外して貰った。
他の人のペースもそれほどではない。タマちゃんも5,6匹とのこと。最もこれはウソで、10匹+αであったが。囮シンジケートのノルマを果たすためには、もっと釣らないと、という意味合いでの発言のよう。
ビールタイムを早めにして、天下の情勢を見ることにしましょう。
瀬尻には今日も数人が入っている。瀬肩上流と違い、午後も入っていた。
タマちゃんがオラの上流側で釣っていたが、昼、テク2から電話があり、日本ミツバチの巣箱を点検するため山に入るとのこと。
それで、上がることになったタマちゃんから、囮にならないから、と、21歳下顎側線孔数4対左右対称の番茶も出花娘を貰った。兄名人もこの大きさは釣っていたと思うが、計測をしなかったとのこと。
また、ヒゲさちゃんは、右岸側、左岸側で、丼をしていたが、この大きさが掛かっていたのではないか、と。
午後も釣れて、5匹に。
もう、3時間くらいは働いた。雷さんがやってくるかも、熱射病になるかも、それから、疲れた、ということで上がる。
17歳は下顎側線孔数が4対左右対称ではない。ほかの12歳、14歳、15歳、17歳は下顎側線孔数4対左右対称。
しかし、番茶も出花娘を含めて、15才、17才は遡上鮎ほど下顎側線孔数4対左右対称がくっきりとはしていない。海産畜養を親としたF1かなあ。
F1は、意識してみたことがないからどんな容姿、特徴を持っているのか、わからない。というよりも、F1が生産されている県が少ないため、釣ったとこがないかも。
ただ、狩野川では11月1日?に、大仁の1つの流れに通せん棒をして、中州の生け簀に下りの鮎を導いていたから、F1の生産は昭和21年以前から行われていた。1985年頃、群馬県、次いで神奈川県で継代人工の生産が始まって、効率性の追求からか、F1の生産から継代人工への転換を試行していたのではないかなあ。
そして、1993年、或いは94年に遡上量が激減して、F1の生産は消滅したのではないかなあ。
「海産畜養」のブランドに、「F1」がブレンドされているということがあるのかなあ。
お墓参りに夫婦で出掛けたテク2は、途中で、かあちゃんをほったらかしてあゆみちゃんと逢い引きをする算段。
しかし、その下心にご先祖様が、水神様が怒った。
大井川はアオノロまみれとのこと。
ヘドロの、窒素を多量に含んだ水がアオノロの原因かなあ。それとも?
相模川が品切れになることはないでしょうから、のんびり釣りましょう。
8月15日 相模川
昨日よりも弁天の人出は少ないなあ。
テク3はいるが、テク2はいないなあ。ヒゲのささんが今日もやってきた。昨日は10匹に届かなかった、と。
午前、4匹釣れて満足。早めのビールを飲んで、上がってきた幸せ男とテク3と話す。
幸せ男とNさんは、昨日、水管橋附近に入り、2人とも大小入り交じって、50匹コースとのこと。そこは、成魚放流地点との話があったから、成魚放流?と聞くと違う、と。
そもそも、幸せ男の好む瀬はなく、そして無視する瀞や平瀬しかなかったのではないかな。今回のダム放流で流れが変わったのかなあ。
幸せ男は、高田橋上流の小沢の堰に近いところでも、ダム放流で溜まっていた鮎を50匹コース。もう、品切れでしょう。これも小中学生だけではなかったとのこと。
幸せ男が水管橋付近ではなく、弁天に来たということは、品切れになっている、との判断からかなあ。
テク3は、瀬肩に近い瀬に入るが、いつもの勢いはなさそう。それに小中学生のよう。
オラは高校生も中学生も幼児も、と巾広い。
ヒゲささんは、オラの上流側でやっていたが、瀬肩上流に移っていったのかなあ。
何年ぶりかのおさんは、瀬落ち上流付近へと行ったが、釣れたのかなあ。
幸せ男は帰るとのことで、18,9才の2匹を貰った。
幸せ男から貰ったものと、オラの釣ったものの区分が困難なため、オラの釣った6匹と貰った2匹を合わせて、あゆみちゃんの下顎側線孔数を見る。
19才、番茶も出花娘1匹は、下顎側線孔数4対左右対称。18才高校生は、1匹が継代人工、2匹が下顎側線孔数4対左右対称。
16才高校生、小学生は下顎側線孔数4対左右対称、幼児は不明。
テク2は、今日も日本ミツバチの巣箱の見回りで山へ。
暫く弁天を休ませないと、愉しい釣りにならない、ということかなあ。50匹コースが無理でも、2,30匹は釣れないと、ということかなあ。
先日、Nさんが、弁天は釣れない、というから、何匹釣ったの、と聞くと、22匹、と。
オラにとっては、数年に1度、あるかなしかの大漁。それで、釣れないとは贅沢、というと、兄弟名人よりは釣れない、と。
比較対象が違いすぎる。
8月16日 相模川見学
2日も川に浸かったとは、久々のことでは。
幸せ男が50匹コースになった高田橋上流・小沢の堰に近いところに数人入っている。その中には、残り福を得ることの出来る場所に入っている人もいるでしょう。しかし、残り福がいるか、どうかはわからないが。
橋に近い方も数人。もう、大入りの賑わいは戻ってこないのかなあ。
弁天の瀬肩上流には一杯入っている。
瀬が満員で閉め出されたのか、と思ったが、瀬はがらがら。
継代人工であれば、瀬肩上流がよき生活空間とは思うが、トラックで運ばれてきた海アユと、自力で磯部の堰を上った3番上りにとっては、愉しい愉しい我が家になる時期ではないと思うが。
土用隠れをするほど、瀬のアカが腐っているのかなあ。仮に瀬のアカが腐っているとしても、瀬肩上流の水深があまりない瀞が代替地になるのかなあ。
弁天の瀬にテク3がいた。連日とは珍しいことで。
昨日は3時過ぎまで働いて20匹コースとのこと。
その中の一部を囮として持ってきていたが、友缶を活ける場所を、ヘチの水温が高くなるところから外すため、暫し悩んでいた。底水放流の津久井ダムであるが、そろそろ底水の水温も高くなってくる時季であるから、ヘチのたまり水様のところを避けて、水通しのよいところを選ぶことが好ましい時期になってきた。ことに、囮シンジケートの鮎を活かしている池は、湧き水が豊富で、水温が低いから、温度差が気になるのでしょう。
テク3は、幸せ男らが、50匹コースを狙ってか、昭和橋に行った、と。
弁天の瀬尻は1人だけになった。
昭和橋での大会の時、上流側では水管橋付近に放流したが、その後、石切場にも放流したとのこと。20センチ台の大きい継代人工。当然大島にも放流されたことでしょう。
なるほど、見事に石切場の瀬は貧弱になっている。チャラ瀬に毛の生えたようなもの。
これじゃあ、テク2や幸せ男が仮に50匹コースを狙えるとしても、竿を出すことはないでしょう。
瀬がなくなり、石切場の放流地点と弁天瀬尻までが、継代人工にとっては、一連の生活空間になったから、弁天の瀬尻に人が入り、また、石切場のヤナギ附近に横一列に人が入っていたのかなあ。
もし、この河相が来年の大会の時まで続けば、継代人工のたまり場ということで、縄張りを形成する方もいなくなり、何処がポイントか、わからない状態になるということかなあ。
県央道附近から水管橋付近までに、瀬はなかったが。
瀬は僅かにできていた。流れの幅が石切場と違い、狭まっている。そして、右岸側に波立ちがある。右岸草近くに溝が出来ていて、よき食堂になっているのでは。
大見川は発電所下流で、1番のぼりと思われる21才番茶も出花娘を釣り上げた迷人見習いが囮を入れた環境に似ている。
迷人見習いくうん、その場所に囮を入れることが出来たのは、オラの根掛かりを外しに下ってきたからですよ。これからも、気持ちよおく、根掛かり外しをするんですよ。
県央道から水管橋付近に数人入っているが、釣れているのかなあ。
その下流のトロ瀬は、継代人工が溜まる場所のようであるが、今年はどうかなあ。
昭和橋上流は、オラと迷人見習いがマイナーな争いをしたときよりも釣りやすい流れになっている。
昭和橋付近に放流された継代人工も生活の不便を感じないのではないのかなあ。
もし、ここが50匹コースになったとしたら、継代人工が相当交じるのではないかなあ。
もう、幸せ男らは、他に移ったのではないかなあ。
葉山に行ったかも。それとも、幸せ男は、腰が痛い、と帰ったかなあ。
昨日のテク3は、中学生がタモの手前でぽっトン、次は吸盤ボウイ。それでも腐らず。この場所の鮎は、誘いを掛けないと反応しない、と、おしんさながらの釣り態度。
オラもその心意気を真似しましょう。
8月19日 相模川
8月18日は、ダム放流で、高田橋で30センチほどの増水、濁りはない。今日は、お天道様におつむを焼かれることもなかろう。とはいえ、ゴロちゃんがやってくるかも。
せさんに弁天に運ぶ、といわれたが、クーラーなし、ビールなし、昼飯ない、ということを口実に断った。せさんも、3時頃迄しか釣らない、とのことであるが、オラは2時間が限度かも。
くぼちゃんは、昨日、釣りなんてやりません、という顔をしていながら、カワハギやイカ釣りでは、竿頭になっているのかどうかわからないが、トップクラスになっているひさんに友釣りの個人教授をした。
まずは、中津川の壊れ橋、次が日向橋下流、あんまり練習にならないため、道志川のこの間沢へ。
この間沢は、鮎が一杯群れていたとのこと。何でかなあ。サボZ達、この間沢の常連さんに虐められていないのかなあ。高速代を払えば、この間沢までの時間で、桂川に行けるから、この間沢の釣り人が減ったのかなあ。
この間沢の鮎は、スイカの香りがしたとのこと。
桂川も水質はよくなっているのではないか、とのこと。少なくても透明度は1メートルどころか2メートル以上かも、と。
それに、桂川では、継代人工の放流がダム補償で行われているかも。それで、質の高い継代人工が大量に放流されているのかも、と。
それに、人家を見ることもない風景での釣りの出来るところもある、と。ただ、大きな、わかりやすい駐車場でない駐車スペースを知るには案内人が必要とのこと。
ということで、桂川は繁盛しているとのこと。
この頃は、余り繁盛していない高田橋へ。
監視員が、大きい鮎が釣れなくなった、と。大きい成魚放流をしたのかなあ。
1匹の囮が過労死すれば、それでやめることが出来る。
しかし、21才、番茶も出花娘が。20才番茶も出花娘も、2匹の高校生も。
番茶も出花娘とはいえ、引きが弱いなあ。もし、これが遡上鮎や、遡上鮎でなくても、海産畜養であれば、取り込みに苦労するのになあ。
下顎側線孔数は、4対左右対称に近いが、少しおかしい。
くぼちゃんは、鱗が粗い、と。
くぼちゃんが、鱗の細かい、荒い、で、継代人工か、海アユか、を区別するのは、1つの適切な観察の仕方。
上方側線横列鱗数が、湖産は、24枚から27枚、海産は22枚、継代人工は、17枚くらいであるから、鱗の粗い、きめ細かい、であゆみちゃんの氏素性を判断できる。
さて、番茶も出花娘の氏素性は、何かなあ。海アユではなさそう。
海産畜養を親としたF1かF2かなあ。
いずれにしても最近成魚放流された鮎でしょう。それが残り少なくなった、ということではないかなあ。
根掛かりを外しに行って、特別変な動作をしていなかったのに、左足の股関節附近に異常が。
両足の膝を人工関節にしたババ様が、手術をしたところには何の異常もないのに、日常生活の動作で、右肩の筋肉が切れた、と。注射で対応していたが、1週間入院の手術を。切れた筋肉?筋?を全部はつなぐことは出来ず、リハビリで対応している。
そういうことにならないように頼みまっせえ。
帰りはくぼちゃんを無理矢理アッシー君にしました。
8月23日 相模川
単なる太ももの筋肉痛と思っていたが、椎間板ヘルニアの悪化とのこと。
もし、あゆみちゃんとの逢い引きの時期でなければ、水に入る支障が生じることなく、「筋肉痛」として放置していたかも。
あゆみちゃんに感謝。
ブロック注射にも、症状によって、薬剤だけでなく、注射する場所に違いがあることのよう。ヒゲのささんは、椎間板附近に、レントゲンの画像を見ながらの注射。大の男が注射されたときは痛みにぴくんとなったとのこと。3回?の注射の後には暫く通っただけで安定して、もう数年、異常なし。
おらはそんな痛い注射になる前の注射で助かった。とはいえ、これまでのブロック注射よりは痛かったが。
その上、3種類の薬も。もうじき、薬の種類がつ抜けをするかも。いや、薬の種類はつ抜けをしている。一番飲む種類の多い朝食後がつ抜け寸前。
とはいえ、原因がわかり、治療法があるということはありがたい。
その整形外科に、嘗てのアッシー君がいた。
針治療をしていたが、よくならないと、やってきた。椎間板ヘルニアには、ブロック注射とリハビリ。膝の関節には注射とのこと。
まだ、手術をしろとはいわれてないとのことであるから、それほどひどくないのかも。
肩の筋肉が切れたババ様は、切れたとき、痛みはなかったとのこと。ところが水が溜まったり、何とかで、異常が。そして、手術をしたが、全部の筋肉を接合することは出来ず、まだ切れたままの筋肉もあるとのこと。
まあ、日常動作で何らかの不都合が生じる年頃であるから、早めに対応することにしましょう。
ということで、あゆみちゃんへの感謝を込めて、元気な歩ける姿を見せるため、弁天へ。
花火大会のため、河原に入ることが有料であり、弁天の釣り人は少ない。
やっとボウズを免れた。下顎側線孔数4対左右対称であるが、くぼちゃんのいうように、鱗が細かいともいいかねる。海産畜養と見てよいのか、どうか気になりますねえ。まあ、高校生が釣れたからヨシとするか。
先日の3,40センチの増水で、弁天の瀬が浅くなった。その程度の増水で浅くなるとは想定外。
そして、右岸側が食堂になったかも。とはいえ、対面の人が、変則振り子抜きで2匹取り込んだのを見たぐらいであるが。
瀬尻、石切場の柳前には釣り人が多いよう。まだ、成魚放流効果が続いているよう。
雄物川さんが、昭和橋の大会用、そして、そのあとに放流された鮎を釣るため、昭和橋下流へ。先日のダム放流後で、雄物川さんだけが40匹ほどの一人勝ち。増水後はそこしか釣れないと、ご近所さん。
その釣れたものは、三段の瀧の3番上りとは違い大きい。しかし汚い。そして、腹に子を持ったものもいる、と。
継代人工のいずれかの成長段階で、電照を使用したのではないかなあ。
前さんは、性成熟の進行を、短日化ではなく、積算日照時間と考えられている。1992年頃、湖産に冷水病が蔓延して、出荷量が激減したとき、電照で育てた継代人工が出回った。大きさだけ、湖産に似せようとした結果でしょう。そのため、解禁日から腹子を持った鮎がいた。
今年、何が養魚場、養殖アユに発生したのか、わからないが、電照使用をしなければならない事態が発生したのではないのかなあ。
藁科川でも同様の養殖アユが放流されているよう。
なお、短日化が性成熟を促していない、と、岩井先生も書かれている。
昨日、料理番組で、中津川の鮎が登場し、スイカの香りがする、と。どのようなからくりかなあ。
湖産放流全盛時代の1990年頃には、愛川橋上流とか、日向橋上流で、時折、スイカの香りのする鮎が釣れたが。現在、スイカのする鮎を釣る人はいないのではないかなあ。
かって、「最後の清流、四万十川、ダムのない川」との放映がされたことがあったが、前さんが事実ではないと。野田さんも。そして川那部先生は、「清流」と富栄養水の場所がまだら模様、と。
中津川で、「スイカの香り」は、どんなからくりで放映されたのか、げすの勘ぐりは出来るが。
今夜の花火大会で、小沢の堰下流に溜まっていると思われる成魚放流はどう行動するのかなあ。
仁淀川の弥太さんは、火振り漁をすると、母なる海に逃げようとして下流に逃げていた、と。しかし、その行動をしない鮎のことを話されている。
トラックで運ばれてきた鮎、ことに継代人工のことではないかなあ。
仁淀川でも、遡上鮎が減り、トラックで運ばれてきた鮎がのさばったときがあったのでは。
数日前、小沢の堰下流に、数十羽の鵜がいて、食事を楽しんでいた。今年始めてみた鵜の量。数羽のことはあったが。
8月27日 相模川
23日は、右岸側の食堂が繁盛していたのに、24日は左岸側の食堂が繁盛した、との話が。
水量変化もないのに、何で、右から左に繁盛する食堂が変化したのかなあ。
昨日の雨で2,30センチ増水している。濁りは少し。
この状況で、何処が繁盛するのかなあ。
昼ごろ弁天瀬肩付近に着くと、1時間ほど前に釣り始めたせさんが、瀬肩上流付近で4匹、小さい、と。
身の程もわきまえずに瀬へ。錘をつけないと、無理ですなあ。わかっちゃあいるけど、根掛かり、石に錘を埋め込むのは嫌じゃあ。
なんて、言っていたが、10分、20分で、枝を釣り囮君さようなら。
これで、きっぱりとあきらめがついた。テク2らがやってきて、また、せさんが、囮はあるよ、と言ってくれたが。
幸せ男が、普段は竿を出さない瀬肩上流で囮捕りをして、昼の1時間ほどで6匹。小さい、と。
マムシキラーさんでさえ、右岸へ渡るついでとはいえ、瀬肩上流に囮を入れている。
ささんは、昼までの1時間余りに6匹?釣って、瀬落ち上流へ。
テク2は、最初から、オラが釣り場にしている附近を玉引きしてあゆみちゃんをだっこしている。勿論、オラは7.5メートル、テク2は9メートルの竿であるから、流れの芯に近いところに囮を入れているが。
そして、高校生も番茶も出花娘も、中学生も、と、大きさは多彩。明日の囮が確保できたから安心、と。
23日、弁天の瀬落ち上流その他を釣っていたジロちゃんが、海アユの22才を釣り、それをNさんが貰ったとのこと。海産畜養ではないかなあ。
テク2も乙女を釣り、また、昭和橋上流左岸側でも、海アユの番茶も出花娘や乙女を少ないながらも釣った、と。
そうそう、23日、ジロちゃんが、10時頃に20匹以上を釣って戻ってきて、夕まずめまで釣るから、70匹だ、と。廻りの皆様は、計算上はな、と。Nさんは、その通りになったが、Nさん共々40匹コースとのこと。
ビールを飲んだし、薬も飲んだし、川にやってきて1時間以上たったから、帰りましょう。
テク2が食堂街に入って、釣れていることはわかったし、その対面の右岸側の人も取り込んでいたから、23日以前の状況に戻ったのかも。
9月5日 相模川
雨が止んで、晴れた昨日は、弁天に腕達者な方々が押しかけてきたのではないかなあ。
今日は、大会をしていることもあってか、その面々はやってきていない。
瀬肩上流の瀞などに入っている人が多いから、瀬は楽には入れた。
やっと、1匹。これでボウズはなくなった。しかし、釣れる予感がしないため、ビールタイム。12時過ぎ、3匹。そして、強い引き。女子高生でも浮かせるのに手間取ったから、どうなることやら。しかし、取り越し苦労。バレた。6.5号では無理、7号にしたいが、中学生に7号はかっこわるいからなあ。
4匹の下顎側線孔数は4対左右対称。女子高生1、後は中学3年生。
さて、3回のブロック注射を終えたから、囮を取り替える動作に異常なし。とはいえ、ちょっぴり腰が突っ張った。
安全圏には入っていないのかも。
Sさん、中腰が大変、しゃがむ動作が大変、と、あゆみちゃんを軟派することに必要な動作に異常を生じているということは、へぼが見ても椎間板ヘルニアですよ。
突然動けなくなることもありますよ。
へぼでないお医者さんに行くんですよ。
中津川は、遡上達成率はわからないが、八反田橋や才戸橋付近には遡上しているのかも。
小鮎川は、1番上りも2番上りも遡上しているはず。その密度を見れば、相模大堰副魚道を1千万ほど遡上した時の鮎の密度のイメージがつかめるのではないかなあ。
来年、もし遡上量が多ければ、小鮎川を見に釣れていって。
9月10日 ダム放流の相模川
9日には、今年始めて、高田橋下流のサッカー場が水没した。
これで、流れはどう変わるのかなあ。
継代人工は何処に流されたのかなあ。
川に居る鮎は、3番上りだけになったのかなあ。
磯部の堰下流で相模川に流入している小鮎川に連れて行ってえ。
1番上り、2番上りも遡上しているから番茶も出花娘も乙女もいるのでは。
それに、増水時の避難の能力もあるから、流されていないと思う.。そのことも検証したいなあ。
釣りに行けないから、丼大王の「放流もの」の大見川での「デカアユ」行状記を見て下さい。
(リンクが適切になっていないため、「意見、感想」の「目次」の9月からたどることになりますが)
9月21日 中津川
先週の100トンのダム放流で、やっとついたアカも飛んだのでは。
田代では、球場前付近や、国道に接するところの大きい石附近では釣れているとのことであるが。
田代まで歩いても、満員でしょうから、今年始めて壊れ橋上流に歩く。
数人が入っているが、釣れているのかなあ。
まあ、のんびりと釣りましょう。
煙草を吸う時間はたっぷりとある。
丼大王が、アカ付きの悪い大見川や松下の瀬で、「デカアユ」や継代人工を釣り、何で、食糧を巡る縄張り形成がなされていないのに、釣れるんじゃあ、と、あゆみちゃんの生活が変化したのでは、と、悩みながらも、20匹ほどのあゆみちゃんをだっこしたのとは大違い。
アカがないから釣れないのか、鮎がいないから釣れないのか、わからないまま、昼近くまで働いた。
ボウズは免れた。幼児。中津にトラックで運ばれて放流されたときのままの体形、大きさの幼児。
幼児であるのに、何回かのダム放流の時、避難できたとは驚異です。
昼からは、角田大橋で時間をつぶしましょう。今年始めて、よねさんが釣る姿を見ながら。
よねさんは、今年1度も酒匂川に行っていない、と。かって、ウエーダーや舟を預けていた囮屋さんが廃業したとのこと。
湖産放流全盛時代は、土手に9月中旬頃まで、囮屋さんが多数、開店していたが、もう、土手の囮屋さんは、1カ所だけになったのかなあ。
よねさんは、口、いや鰓掛かりで死んだ鮎が1匹だけ。数だけを見れば、オラと同じ。
よねさんが1匹なら、「同数」であるから、恥ずかしくないが。
とはいえ、消防グランドの1人は、20匹ほど釣っているから、溜まっている場所があるということかなあ。ウデだけの問題かなあ。
亡くなられたKさんが、オラが相模川は葉山で87才の人が友釣りをした、と話したとき、中津には90才の人が80才の人をおつきにして釣りをしている、と。
その90才の人は、90ウン才になって、中津にやってきて釣りをしている、とのこと。
羨ましいなあ。
新聞に、相模川が大量遡上であること、大物が釣れる、と、恰も遡上鮎が大きく育っているかのごとく、表現されている記事があった。
相模大堰副魚道の遡上量調査では、「大量遡上」。
しかし、相模川では、1番上り、2番上りが、磯部の堰を遡上していない。魚道に何らかの要因で、水が流れていなかったと考えている。
1番上り、2番上りの遡上性向がなくなった、薄れた5月下旬、何でか、3番上りだけは、磯部の堰の魚道を上ることができた。
このため、弁天の瀬で、ウデ達者な方々が、小中学生に海産畜養を含めて、50匹なんて、オラよりも1桁多い数を釣っている。
なお、中津川では、遡上達成率はわからないが、多分低いとは思うが、八反田橋或いは才戸橋まで遡上している、との話はあるが、見に行っていないので事実かどうかわからない。
相模川は、数日前からの真黄色の濁りから乳白色の濁りに変わったが、まだその色は濃い。
その中で、10人ほどが弁天の瀬肩付近から、高田橋の間に入っていたが、4時過ぎに高田橋を通ったときには消えていた。
9月23日 中津川
壊れ橋のところで釣れているのは、橋上下の流れの強いところのよう。まあ、オラには無理でしょうなあ。
ニセアカシアのところの瀬に入るが、錘をつけないと駄目。鼻環仕掛けを失いたくないから、瀬脇をちょこっとやって、角田大橋のところの流れの弱いところへ。
中学生が憐憫の情から掛かってくれた。
昼からは、橋下流の堰上流の流れの弱い、浅いところへ。
中学生だけでなく、昨日に続いて、幼児が。
3匹の下顎側線孔数は、4対左右対称と見てよいのでは。
そうすると、沖捕り海産を畜養しないで、直接川に放流したものということかなあ。
まだ、動物プランクトンを食べ盛りの幼児が、川に放流された、ということかなあ。
コケは食べることが出来るようになっていたのかなあ。櫛歯状の歯に変化しているのかなあ。
相模川の乳白色の濁りは薄くなったとは思えない。
朝、高田橋から釣り人が見えたが、3時には消えていた。昨日相模川で釣った人が何匹か釣れたとのことであるが。
9月27日 狩野川
迷人見習いが、今度の日曜日に行われるチーム対抗に出るため、みっともない結果を避けたい、と、毛嫌いしている青木の瀬や、神島橋を釣り場に。
神島橋は、数人が入り、その中の1人は、迷人見習いのお知り合いのよう。
時折釣れているが、中高生のようで、「デカアユ」はいない。あと1週間で、アカ付きが 良好になった時、瀬で生じる変化は?ヘチはアカがついているが。
丼大王は、今回の増水後の24日に、大見川で20歳代の継代人工をだっこしているが、「デカアユ」は含まれていない。
前回、デカアユが放流されたとき、デカアユのメッカの一つとなった神島橋にデカアユがいるのかどうか、不明のまま、コマドリの瀬へ。
迷人見習いは、狩野川大橋下流で右岸から中州に渡り、瀬に入る。囮を弱らせただけで午前はボウズ。
オラは瀬尻で中学生。それを箱入り娘にし、養殖を根掛かり放流してからコマドリの瀬肩上流の平瀬へ。
中学生は、高校生を連れて来て、お昼のビ-ルに。
迷人見習いは、貧弱とはいえ、天狗の鼻をへし折られ、どんな罵詈雑言を書かれるのか戦々恐々で昼飯を食べていたが、まずかったでしょうなあ。
昼から、迷人見習いはコマドリの瀬肩へ。ヘナヘナ囮であるから、囮の提供を申し出たが、へぼに憐憫の情をかけられることは、恥辱である、とやせ我慢をしていた。
やせ我慢の結果は、まともな蹴られがあったのみのボウズ。
他方、オラは、何処がポイントか、わからんところで、囮をうろちょろさせて、昼から4,5匹は釣ったと思っていたが、迷人見習いが数えて、全部で5匹、と。
数も数えられなくなったとは、アルツハイマーの進行は危機的な状況かなあ。
丼大王は、大見川で、瀬を釣り場にしていたが、先週の増水は、瀬を白川にしていないかも。
オラが囮を入れたところは、泥かぶりの石、時折磨かれた石が混在しているよう。
迷人見習いが、デカアユがいるのか、いないのか、継代人工の大きさがどの位か、調べたい、といっていた大会下見ではあるが、ぼうずじゃあなあ。
下顎側線孔数が4対左右対称か、どうか、虫眼鏡で見たが、やっと識別できる状態で、くっきりと4対左右対称とはいえなかった。
ということは海アユではなかろう。海産畜養を親としたF1かなあ。F1とはっきりわかる鮎の下顎側線孔数を見たことがないから、「基準」を持っていないから、F1の識別が適切か、否か、自信はないが。
9月30日 中津川
9月27日の狩野川で、F1では、と疑念のある鮎は、中高生で、19才番茶も出花娘は、チャキチャキの継代人工。しかも、高校生よりも馬力がなかったから、成魚放流かも。
これらが、何処から増水で流されてきたのか、気になるが。嵯峨沢かなあ、それよりも上流かなあ。
狩野川探訪にするか、中津川にするか、アッシー君がいる方が楽ですなあ。
ということで、中津川は八菅へ。
昼前に着いたが、大入り満員といってもよいほど、八菅橋上下は混んでいる。
まずはビールを飲んで、天下の情勢を見学。
釣れている人もいるが、中高生では。
ビールを飲んで気持ちよく、空いている場所を求めて下っていく。
ヘラ釣り場近くまで下ったところに瀬が空いている。
熊が下流に。
中学生が釣れたが、根掛かり放流をしたくないから箱入り娘に。
熊が移動したため、その後へ。高校生と番茶も出花娘をだっこしたが、杖を忘れ、足許がおぼつかない上に、根掛かりを外しに行ける瀬ではない。熊が消えたから、養殖が疲れた、といえば、根掛かりを外しに行けるところへ移動するしかない。
八菅橋上流で、人のいないところへ。石が小さいから歩きやすいのは有難いが、あゆみちゃんの食堂もないのでは。
風は強くなる、ザラ瀬が空いてきた。
ザラ瀬で1匹。合計4匹。下顎側線孔数4対左右対称。堰の修繕をしていないから、遡上鮎はいない。沖捕り海産の直放流でしょう。
腹に札束を詰め込んだ太っ腹さんの5匹からくぼちゃんの3匹まで。
サラバ状態の相模川の弁天に入った方が大漁になったのか、八菅の方がよかったのか、弁天に入った人もいるから、そのうち、聴いてみましょう。
なお、番茶も出花娘に危うく竿を伸されそうになった。
目印が少し上流に動いたが、止まった。エビかな、と糸を張ると、下流に走った。折悪しく、お茶を飲んでいた。0.25号の糸であるから、丼を免れたが。
10月3日 相模川
水量はまだ多いが、釣りの出来る水色になって1週間ほど。
弁天の分流に流れ込む石には小さい食み跡がある。瀬のヘチには小さい食み跡だけでなく、番茶も出花娘くらいではないかと思われる太い食み跡もある。
釣り人は、瀬肩付近から上流に多いが、瀬にも入っている。
流れの幅はダム放流前よりも広がったが、流れは以前よりも強くなったかも。白い波立ちが出来ていた石は、下流側に移った、或いは、下流側の石が出た、ということかも。
9月30日、昭和橋下流のコロガシで、ご近所さん達は、右岸側に入り、桶が満杯になるほどの大漁。
雄物川さんらは、増水後の定番の左岸側の場所に入ったが、貧乏人になったとのこと。
食堂の問題で、あゆみちゃんの付き場が偏在しているということではないのではないかなあ。そうすると、どんな要因かなあ。
弁天の瀬でもそのような偏在があるのかなあ。
根掛かりをしたら、糸を切るしかない。ということで、2匹の囮とビールを持って、弁天へ。
途中、明日子供と何処に入るか、下調べのTさんに会った。Tさんは、八菅橋で子供さんが10匹ほどの入れ掛かりをしたから、八菅橋がよいこと、また、安全であることもわかっている。しかし、混雑することも知っている。
高田橋で、釣れている状況を見ていて、よき釣り場とはいえんなあ、と、悩んでいた。
とはいえ、テク2が、ダム放流後に石が出たところに入り大漁であったことから、釣りやすいところ主体に釣り人は入っているのかも。
ヘチから瀬に囮を入れるが、高田橋から移ってきたジロちゃんは、オラの囮の入っている延長線上に、腰まで立ち込んで、入れ掛かり。高校生に番茶も出花娘。
タモのヘチに綸を当てて中ハリスを切ったり、ハリスを切ったり、と、「華麗」な釣りとは縁遠い取り込みであるが、悪運の強いことに、掛かり鮎はタモの中。
ジロちゃんの腕でも、水量と馬力に翻弄されているとはいえないまでも、手こずっている。
当然、オラはボウズ。先日、迷人見習いがボウズであったから、つきあってあげないと悪いからなあ。
何しろ、年齢制限があることにも気がつかず、「後期」おっさんであるのに、その上、横に乗せる女性もいないのに、スポーツカーを買うという「場所見」もできんおっさんが、アッシー君をやめる事態になったら困るからなあ。
テク2は、瀬落ち上流で20匹コース。ジロちゃんも。タマちゃんは瀬肩付近で10匹には届かなかった、と。
テク2から7匹の鮎を貰った。水量が少なければ、根掛かりを外しに行ける場所があれば、それを囮にするが。八菅橋下流のヘラ釣り場付近の瀬でさえ、根掛かりを外しに行けない、というあんよでは弁天の瀬どころか、瀬肩より上流でも危ないなあ。
テク2に貰った22才乙女、19才番茶も出花娘の下顎側線孔数は、4対左右対称。
残り5匹の中高生には、下顎側線孔数が4対左右対称ではなく、乱れたものが1匹いた。
乙女や番茶も出花娘がいるから、瀬で丼をしている人が何人もいたということですなあ。
なお、瀬肩近くに上ってきたジロちゃんは、空中バレの多発。テク2から小さい針か、といわれたが、大きい針、と。
強い当たりをしていないのかなあ。既に午前中何人も入った場所ではあるが。
10月4日 相模川
懲りもせずに弁天へ。
昨日、テク2ら、ウデ達者さん達は、昼からどの位釣れたのかなあ。
それを聞きたかったのに、皆様はいらっしゃらない。
故松沢さんが、かっては、1番鮎の動静を2番鮎、3番鮎が絶えず見ていて、1番鮎が消えると2番鮎がすぐにその場所を占拠していたから釣り返しが効いた。今のコケは、金のコケではなく、鉄くずの価値しかないコケであるから、欲しければ勝手に持って行けえ、というレベルのコケで、命を賭けて守ることはなし。
その上、攻めるに難く守るに易という石組みの場所も減っている。
ということで、縄張り鮎がいるようになるには、2,3日かかる、ということで、瀬が復活したとの話のある石切場か、葉山か、昭和橋に行っているのかなあ。
昨日と違っていることは、水量が少し減り、沖まで立ち込んでいる人がいること。
その人達はサラバを釣っているにもかかわらず、あんまり掛かっていない。丼をする人もいない。
という状況であれば、オラがボウズでも恥ずかしくないなあ。
昨日の場所よりも少し下流の方が釣りやすい。
すぐに釣れたが、小学生。下顎側線孔数は4対左右対称。虫眼鏡を使わなくても明確に識別できる。
その後は、他の人の釣り姿を眺めるだけ。
やっと、昼になった。1時前に上がった。
股関節附近が筋肉痛になった9月27日の後、理学療養士に筋肉痛になったことを話したら、もっと、筋肉痛になるほど動け、と。
そうはいわれましても、あゆみちゃんが遊んでくれないから、長時間労働は苦痛ですねえ。
ということで、昨日の栄光今いずこ。
10月8日 相模川
まずは、中津川下流のコロガシで、遡上鮎の馬力と美しい容姿を楽しんだ雄物川さんらのお話し。
雄物川さん達は、右岸側の大漁を見ながら、釣れなかった昭和橋を棄てて、鮎見橋?へ。そこで、数は20匹ほどであるが、雄物川さんは22才、しゃくりさんは23才の遡上鮎の馬力と、美しい容姿の乙女を堪能した。今日も行っているのでは。
雄物川さんや最上川さんは、海アユと継代人工を識別できる。ただ、その違いにこだわらず、大きい鮎を求める嫌いはあるが。
さて、246のところの堰で、迷人見習いは、遡上出来ない、と。雄物川さんは、その話をほかの人から聞いているが、遡上している、と。
2004年、2008年の大量遡上の年は、中津川にも遡上鮎がいたから、遡上出来ると思っているが、246附近の堰があっても何で遡上出来るのか、気になるが。
朝、鵜がV字型の隊列を組んで、上流に飛んでいく。先頭は、3,4列のV字型隊列で。40羽ぐらいの団体。その後を隊列の数が3,2と減り、また、一つのV字型の構成員も減る。
とはいえ、100匹余りの鵜が上流へ。大島に行っているのでは。時には早々に戻ってくることもあるから、花火で追い立てられることがあるのかなあ。
そして、時には、鵜の後から、鷺が鵜の真似をして、編隊を組んで上流に飛んでいく。
小沢の堰下流には数羽しかいない鵜が、今日は、10羽以上がいた。しかも、いつもは右岸側を食堂としているのに、左岸側を食堂としていた。オラが食事の邪魔をすると、未練たっぷりに魚道の側壁にたむろしていた。
何で、左岸側が食堂になったのかなあ。県産種苗が性成熟が進んで、固まっているのかなあ。昭和橋に入ったご近所さんは、小中学生も腹子をもっている、と。そのため、右岸側が大漁になるのかなあ。
そんな、大所高所のお話しよりもおまんの釣りが問題じゃろう。
その通りです。ということで、昼前弁天へ。高校生が釣れたから、ボウズではなし。もう十分かも。
ということで、ビールタイムに。ビールを飲み終えた頃、テク2とマムシキラーが登場。昨日、風の中、大漁であったとのこと。Nさんですら、風の強さに負けて見学するだけと話していたのに。
マムシキラーは、瀬のオラの下流側へ。すぐに釣る。ヘチを立ち位置に、その後は立ち込んでいき、せっせと高校生か番茶も出花娘をだっこしている。テク2は、瀬肩付近から右岸へと釣りながら移動しているが、瀬にはおらが帰る3時前までには入っていかなかった。右岸へ渡る途中に、輝く筋を見つけたのかなあ。
たちゃんが、石切場から移ってきた。
15匹ほど釣ったが、石は小さい、鮎も小さい、と。オラの場所を明け渡すといったが、瀬肩付近から右岸へと釣っていった。
オラの場所を何で敬遠したのかなあ。オラの下流側の人も立ち込んでいき釣れているのに。
あ、そうそう、たちゃんに、今日は平日や、オラの年金代や健康保険料を一杯払うために働けえ、といったら、ここ2週間、出張していて休みなしには働いたんや、と。ご苦労様。
もう一人、今年初めて会ったのでは、といったら、心臓の手術をしたから、今年は釣りをしていない、と。
心臓の手術のリハビリをしても、川には入れんよ、と。
その点、整形外科の手術は楽ですなあ。もっと、筋肉痛になるほど、動けと、いわれているから。
まあ、相模川であと数日、ボウズにならないように祈りましょう。
くぼちゃんは何匹釣れたのかなあ。午前、小中学生ではない大きさを含めて、5匹?くらいと話していたが。瀬落ち上流に入っていたのではないかなあ。
10月10日 中津川
今日は、混むでしょう。平水であるから、海底(おぞこ)に行ける。海底の瀬に2人いるが、瀬落ち附近は空いている。
高校生が、次は中学生が、これでボウズはなくなった。3匹は時間がかからずに釣れたが、その後は音沙汰なし。
もう、引き上げよう、と、へ地を歩いていて転んだ。煙草がぬれてしまった。只見川さんが、ここで転んで煙草を濡らしたのは何年前かなあ。その頃は、ヘチの石も大きかったのに、今は、小石が主体。それで転ぶとは、あんよがいっそう弱っているなあ。
天気予報ではお日様にこにこの筈が、お日様は雲に隠れたまま。冷たいなあ。
とはいえ中津川の最後の日。寒いから、と、禁ビールには出来ません。
囮屋さんのおばあさんが、ショウガを薄切りにして鰹節、昆布、ごまなどで煮た始めて食べるつまみを出してくれた。旨い。
予定していたバスを乗り過ごした。仕方ない、もう1本ビールを飲む。
それでも時間が余った。何しろ1時間に1本のバスであるから。
河原を歩いていて、葦に足を取られて転ぶ。ありがたや、竿をもっていなくて。
何年ぶりかで、ドラえもんおじさんの釣り姿を見たが、いつもと違い、入れ掛かりではなかった。
丼大王を真似して2本もビールを飲んだら、竿を持つな、という教訓を得ました。
海底の瀬の人は、10匹コースではなかったのかなあ。そして、高校生以上では。
同じバスに乗り合わせたバス通勤の人は5匹とのこと。その人は、奥さんから免許を返上しろといわれて、バス通勤になったとのこと。
ということで、今年もつつがなく中津川を最後まで川流れをすることなく、終えることが出来た。
もっとも、だっこしたあゆみちゃんの数は、よねさんの1日分くらいの20匹に達していないと思うが。
それでも、あゆみちゃんのナンパが出来たことに感謝。
それに、「後期」高齢者のオラよりも若いのに、「ばあちゃん」といってごめんな。
いろんな漬け物、らっきょ、コゴミだったか、ゼンマイだったか、また細い何とかというタケノコなど、うまかったよ。後期高齢者に、「来年も」ということはいえないけど、もし、来年もあゆみちゃんのナンパが出来るときはよろしく。
10月12日 相模川
弁天では、いつもは瀬肩上流に人が多いが、今日は、瀬が混んでいる。とはいえ、入る場所はあるが。そして、瀬落ち上流が繁盛している。
ということで、瀬が少し浅くなるところへ。
高校生が釣れたから、ボウズはなし。それを箱入り娘にする。次の養殖君にもやってきたが、空中バレ。
囮君を休ませよう。まだ、10分ほどしか働いていないが、昼になっているからなあ。
ビールを飲みながら、天下の情勢を見ていたが、特別釣れている場所はないのでは。
それよりも気になるのは、昼ごろにやってくるテク2とマムシキラーさんが姿を見せないこと。昨日、根こそぎ釣ったのかなあ。それとも、繁盛している食堂のある場所に行っているのかなあ。
鵜は、6時過ぎ、相も変わらず、上流へと、100羽ほどが飛んでいくが、大島ではなく、神沢との話があった。大島では相も変わらず、人出が多いと思うが。その客寄せとなっている継代人工はサビが出ている、との話もあるが。人が多ければ鵜も敬遠するかも。
囮が元気になったはず。
中学生が釣れたが、杖を忘れて足許がおぼつかない、根掛かりが発生する、転ばぬ先に退散しましょう。
まあ、2時間は働いたのではないかなあ。2匹もあゆみちゃんが遊んで呉れたから満足です。
ただ、その1匹は、絞めると、下腹に朱の線が出た。
下顎側線孔数は4対左右対称であるのに、何でかなあ。
故松沢さんは、あゆみちゃんにも早熟も奥手もいる、と話されていたが、まだ10月中旬。ちょっと早すぎる。
丼大王が、10月9日、松下の瀬で、小中学生の腹子をもったメスまで釣っている。
抱卵メスの小中学生の発生が早すぎるが、それは、F1かも。相模川同様、継代人工ではない種苗生産が、裾野でも行われているのかなあ。
丼大王の指摘しているように、雄の方が早く下りをするため、11月中旬、下旬には小中学生のメスの方が多く釣れていたとは思う。
ただ、遡上鮎が、僅少である今年は、雌の遡上鮎とはいえないのでは、と思っているが。いずれにしろ、裾野の種苗生産が、継代人工だけではなくなっているかも。
10月13日 相模川
今日は、杖を忘れなかったのに、またしても新たな教訓を得ることとなった。
それは、飲む前に釣りをしろということ。飲んだ後では、もう目的を達ししているから、釣れなくても後悔しない、ということ。
テク2らを真似して、昼に出勤、ビールを飲む。これは、絶対にしてはならないということ。
いつものところよりも少し下流の瀬落ち上流の流れが少し弱く、少し浅いところへ。
根掛かりを太っ腹さんに外してもらったが、太っ腹さんもそれよりも沖であれば、根掛かりを外しに行けなかったかも。
結局、オラはボウズ。太っ腹さんは4匹。
テク3は、午頃、ヘチの石が綺麗になり始めた、ということで、斜面の河原から釣り、あゆみちゃんをだっこしている。そして、ヘチを立ち位置に。オラがいつも釣っているくらいの流れの筋を釣って10匹台。
それがわかっていたら、いつものように、その場所で、ヘチを立ち位置にして釣っていたのに。
タマちゃんは、オラの下流側でせっせと釣り上げていて、10匹台。数を忘れた、と、冗談を。
瀬落ち上流や、上流の瀬を歩き回った幸せ男も10匹台。テク2は、上流側の瀬から動き回ったが、10匹台になったのかなあ。幸せ男共々、派手なばらしをしていたが。
ダークホースは中津から移ってきたはちゃんが上流側の瀬の芯で、20匹ほどとのこと。
明日は、いつものようにヘチから釣ることにしょう。そして、竿を出してから、ビールを飲むことにしょう。囮をいたわり、休ませるために。
はちゃんは、ダム放流で相模川が濁っているとき、大島の串川で束釣りをしたとのこと。
最戸橋でも愉しい釣りをしたとのこと。
明日は、最戸橋か、それとも弁天にやってくるのかなあ。
さて、今日も、テク2らが釣ったあゆみちゃんの一部を貰った。腹子をもっている、肌はヌメヌメぬるぬる、海アユであることは間違いないが、性成熟が早いものが一部にいるのは何でかなあ。
丼大王の松下の瀬での小中学生の腹子持ちとは違って、高校生の大きさであるが。
テク2から、囮操作の注意を受けたが、その注意を守ろうという殊勝な気持ちも今宵限り。夜があければ、お日様にこにこの河原で、いつビールを飲もうかなあ、と。俗人に塗る薬はなし。
10月14日 相模川
今日で、海アユとはお別れ。狩野川では継代人工と、継代を重ねていないと思われる種苗の小中学生との付き合いしかなくなる。
弁天に行くが、空いてますなあ。昨日の半分の人出かなあ。テク二や幸せ男らが、昼出勤ではなく、10時頃には竿を出しているというのに。
ヘチに立ち、瀬に囮を入れると、中学生、高校生が。
他方、瀬の芯に囮を入れて番茶も出花娘や高校生を、狙った場所から竿を大きく曲げているはずのマムシキラーさんらはさっぱり。
何と、マムシキラーさんに午前は、オラが勝つという前代未聞の珍事、椿事発生。
ともかく、縄張りを作るであろう場所が空き家。なんでじゃあ。
テク二は、狙ったところでは釣れない、変な場所で釣れる、と。ということは、流れの筋を読み、川見の出来るマムシキラーさんらよりも、「運」で釣るオラの方が有利ということか。
午後も状況は変わらず、3匹釣れた。合計5匹
勿論、いつも大漁の面々も徐々にではあるが、釣れている。ただ、番茶も出花娘は釣れていないのではないかなあ。対面の振り子抜きの人も18才高校生くらい。
根掛かりをしたとき、上流で立ち込んでいたテク二がえんやこら、下ってきて、外してくれた。次の根掛かりの時は幸せ男が。
そもそも、オラが10時頃に釣っていること自体、相模川では大会以来の異常時。
昼ビールの後、いつ昼寝をするか、それが問題だ。
今年は、まだ、河原で昼寝をしていない。長年の行事をしない訳にはいかない。2回目の根掛かりを外して貰ったときに、昼寝の時が来た、と。
ところが、皆さんとの出合の中では、麦わら帽を顔にかぶせて目をつぶるが、眠れない。この動作を間を開けて2回したが。
さて、ウデ達者さん達も昨日とは打って変わって、釣れるべき場所では釣れず、釣れても小さい、ということで、竿を畳む人が。10匹を超えた人はいなかったかも。
最後まで竿を出していた球磨川にも通っていたうさんは、しかるべき場所に囮を入れて、番茶も出花娘を硬調の竿をしならせて2匹取り込んだ。
そして、うさんも竿を畳んだ。
テク二は、清めの塩と御神酒を用意していた。
かっては、亡き長老が執り行っていた儀式をテク2主宰で行った。
オラがその儀式に立ち会うのは何年ぶりかなあ。10年以上前のことではないのかなあ。
さて、オラの5匹で、海アユは1匹だけ。後は継代人工で雄にはサビが、メスの性成熟度、腹子の大きさは食べていないため、わからないが、片腹ではないと思う。
ということで、弁天の瀬にダム放流時に紛れ込んだ継代人工がヘチ寄りにいた、或いは、海アユが少なくなり、でっかい面をしていた、ということかなあ。
河原での昼寝も、海アユとの別れも出来なかったが、久々にウデ達者達と、相模川の最後の日を過ごすことが出来ました。
10月18日 狩野川
いつでもゆめえお いつでもゆええおお
とはいえ、
ゆめはあ むなしくきえてえ
も、浮き世の常なり。不易なり。
では、遡上量が、1995年、6年並みに僅少で、遡上鮎が釣りの対象とはなり得ない状況で、どんな夢を見るか。
大仁駅へと歩く道の焼き鳥屋さんで、焼き鳥と焼き魚で酒を飲み、〆は稲庭うどん。
そのためには、囮を過労死させないで、夕方まで働かすこと。そして、遡上鮎の乙女や番茶娘が下って来る西風が吹き荒れる頃=木枯らし1番が吹く後まで、川に入ること。とはいえ、11月23日までは囮を置いてくれないでしょうから、とりあえずは、丼大王が10数匹を掛けたのに、取り込んだのに、数匹しか持ち帰らなかった11月3日までは通うことを目標にしましょう。
10月4日だったかの大会では、迷人見習いは、コマドリの瀬に入るが、ボウズとのこと。2回連続ボウズとは、迷人見習いらしいなあ。天狗の鼻も今宵限り、ということでしょうなあ。
その時、狩野川大橋よりも下流に入るとはなにごとじゃあ、橋上流しか鮎はいない、とお仲間達にいわれたとのこと。
とはいえ、それから3週間、継代人工の生殖腺重量体重比はピークを越えて、下りをしないで産卵行動をしたものも多数いることでしょう。
それを確認するため、そして、今日は大会が行われていて、橋上流は満員であるから、コマドリの瀬上流の瀞、平瀬へ。
ばばっちいい石ばかり。
迷人見習いがボウズになった時の継代人工は、既に産卵を終えているということのよう。跳ねる鮎も小中学生が数匹。
瀬肩の人も消えていく。瀬落ちの人も消えていく。
時折、左岸側の瀬、右岸側の瀬に入る人もいるが。左岸崖への落ち込みの数人は止まっていたが釣れたのかなあ。そこは大きい石があるが、その廻りは砂利になっていたが。とはいえ、その状況は故松沢さんが亡くなる1年前のことであるが。砂利が減るとは考えられないが。
水量が減っているから、オラでも瀬落ちに入ることはできるが、少しは泥かぶりの石が少ないが、何で釣れていないのかなあ。
そろそろ、大会参加者が引き上げるから、青木の瀬に移りましょう。囮を1匹働かせていないことも癪ですから。
自動車道上流の浅い平瀬状の所に、はちゃんがいた。釣れるからここに入れ、と。
はちゃんは、大会参加者。
そういわれても、はちゃんの後に入って釣れる訳がないですよなあ。
石は、泥かぶりではない。見た目には綺麗な石。
しかし、磨いているといえるのか、どうか。テク3はどのように判断するのかなあ。
嫌々、釣り始めたが、トップから糸が外れた。
まあ、こんなもんですなあ。
ということで、夕方どころか、2時台どころか、12時台の踊り子に乗ることに。
ゆめはあ むなしくきえてえ
踊り子の車窓からすっぴんの富士を眺めて、酒を。
小田急の秦野や開成から見える富士は、おしろいを塗っているというのに。
迷人見習いからお誘いを受けた場所は、リハビリ上流。遡上鮎であれば、今でも盛期のように釣れるが、継代人工では、増水で流され、或いは下りをしないで産卵して、継代人工が残っているのかなあ。
ということで、大仁に行くといって、断ったが、迷人見習いは、リハビリ上流に行っていない。
スポーツカーでねえちゃんを釣りに行って、ボウズでしょうなあ。
あゆみちゃんでも、ねえちゃんでもボウズということでしょう。
なお、10月13日、丼大王は、松下の瀬の新堤の右岸側を上っていって、継代人工を釣り上げているが、そこは、瀬の中に弛みや袋があるから、そこにも囮を入れたのではないのかなあ。
10月23日 狩野川
遡上鮎がいない、僅少という狩野川にあんよが向きたくない、といっているが、あんよの機能低下を少しでも防ぐには、川を歩くしかない。
自動車道上の浅い平瀬状には、継代人工がいるよう。
その下流はどうなっているのかなあ。右岸側の瀬は、去年よりもさらに貧弱になっている。おらでも根掛かりを外しに行けそう。橋に近いこの界隈では、一番波立ちの大きい所に1人。その下流に入る。
跳ねる鮎はいるから、廃墟ではなさそう。石は綺麗であるが、総ナメで綺麗、ということではなさそう。総ナメで磨かれた石、という状況であれば、テク2やタマちゃんらもやってくるでしょう。
釣れないなあ。左岸側のテク3が去年囮を入れていた附近に1人、その人も釣れないなあ。下っていき、去年、はちゃんがぴょこぴょこ掛けていた、石頭がぴょこぴょこ空中に出ているところでも反応なし。
左岸側の流れとオラが下ってきた流れが合流する瀬らしい雰囲気のあるところに1人。
釣れているのかなあ。
その人の下流へ。石が小さい、歩きやすい、有難いなあ。流れの中の石が小さくても、問題なし。
藤田さんが、「鮎は石を釣れ」と書かれて、これが格言となって100年ほど。
しかし、遡上鮎であれば、10月下旬では、藤田さんの格言に逆らうことは、ボウズ街道まっしぐらになるが、相手は、性成熟が進んだ継代人工。既に下りをしないで産卵をして命を終えた鮎もいるでしょう、生殖腺重量体重比がピークになっているか、ピークに近接したものが川の主でしょう。
ということで、流れの中の石が小さくても何ら、差し支えはない。
もちろん、丼大王が18日に松下の瀬、20日に神島橋の瀬であゆみちゃんをだっこしているように、瀬を生活空間にしている性成熟が進んだ継代人工もまだいるが。
狩野川大橋の上流側に一人、下流側に数人。
高校生が。それを囮にして、20才番茶も出花娘が。この番茶も出花娘が遡上鮎であれば、取り込めたかどうか。
肩が痛くなり、注射で対応していたが、右肩については、注射に頼っていると筋肉が固まってしまう、といわれてリハビリを始めて2年ほど。まっすぐに腕を天に突き上げる動作が出来ないから、継代人工といえども河原に立って抜くことになった。そのもたもたで、6.5号のハリでは身切れをしていたでしょう。
根掛かり外し棒を何回使ったかなあ。
丼大王は、葦に根掛かりをして仕掛けを切らざるを得なかったが、オラは腰の深さまで入って根掛かりを外せた。いかに流れが緩やかであるか、おわかりいただけたでしょう。
そして、石に根掛かりをしたときよりも、葦に根掛かりをしたときの方が外しにくいこともわかった。
といことで、下顎側線孔数は、4対左右対称ではなく、4匹とも乱れていた。
その継代人工は、20才雄、19才メス、高校生雄、中学生雄。
丼大王よりも雄の比率が高いかも。
囮には不自由しないが、何処で釣れるのか、わらん釣りもあんまり愉しくないなあ。
迷人見習いにコマドリの瀬上流の瀞で、「大差」をつけたとき、まぐれで釣れただけ、と揶揄されたが、縄張り鮎を釣るのではないから、やむを得んなあ。
まあ、3回連続のボウズの迷人見習いさん(スポーツカーという、「超高級」な道具を使いながら、ねえちゃんを釣ることが出来なかったから、それも立派な「ボウズ」ですよ)、納竿会はボウズにならないようにな。「偶然」で釣る腕を磨くんですよ。
遡上鮎がいれば、「狙った」場所で釣れるでしょうが、ラージぽんぽんの継代人工が主役ですからねえ。
数回の使用で水がじゃじゃもりになったウエーダ。
修理に何万円もかかると。そして、どの位の期間、使用できるか、返事なし。
「安かろう、悪かろう」と日本の製品がいわれたのは昭和30年代のいつごろまでかなあ。とはいえ、その「悪かろう」も使えないほどの「粗悪品」ではなかったが。
それが、「高かろう、悪かろう」に。
もし、そのメーカーの看板がなかったら、買うことはなかったのに。
カーソンが「沈黙の春」を出版するとき、一番気をつけたことは、殺虫剤メーカから損害賠償請求で訴えられることがないように、ということで、これへの対処を充分に行ったとのこと。
オラも、販売店からメーカーに「粗悪品」であることのメールを送って貰い、業務妨害等で「損害賠償請求」をされないように「事実」を積み重ねているが、メールを送ってくれたのかなあ。未だに返事なし。
10月28日 狩野川
25日に、テク2らが大仁にやってきた。
テク2は、狩野川大橋下流の押しの強い瀬に入ったが、さっぱり。橋上流の貧相になった瀬を釣り上り、自動車道上流へ。結果は20匹近くは釣っていたとのことであるが、汚い継代人工。遡上鮎はなし。
テク2は、貧相になった瀬では釣る気はない、綺麗な遡上鮎がいないから、今年は終了、と。
テク3やタマちゃんは、自動車道上流の浅い平瀬状のところでも釣る気が失せることはないが。テク2はそこでどのような釣り方をしたのかなあ。竿先を効かせながら、停めては尻尾を振らせていたのかなあ。
なお、そこには何本かの溝があるとのこと。その溝はどのようにして見つけたのかなあ。川に入っていけば、オラでも見つけられるが。
26日、丼大王は、松下の瀬の新堤で、ベストを忘れた罰で、仕掛け作りにいそしみ、そしてボウズとのこと。去年も丼大王は、頓馬を演じてくれたが、あゆみちゃんへの罪滅ぼしでしょうかねえ。
人様のことはどうでもよろしいわ。
さあ、前回同様、右岸側のチャラ瀬並みの瀬に入りましょう。自動車道付近の少し瀬らしいところに一人いるが、その人は橋上流へと動いて行った。
左岸側から竿を出している人一人、オラ同様釣れませんなあ。前回よりは少ないとはいえ、数匹の鮎が跳ねているから ひろおいこうやにぽつんと というほどではないようであるが。
狩野川大橋上流の小石の歩きやすいところへ。
数人が竿を出しているが、時たま、釣れる人がいるが。
12時台の踊り子に乗るか、鈍行にするか、思案をしているとき、12時のチャイムが鳴った。もう、鈍行コースしかない。
やっと釣れた。結局、12時から1時間ほどがゴールデンタイムのようで、5匹。
丼大王様あ、ボウズの大王様を差し置いてへぼが釣れたのではありませんよ。大王様もチャイムが鳴ってからも釣っていれば、いつものように、大漁かも。
下顎側線孔数は、4対左右対称ではない。乱れている。
20才雄、18才等の高校生は、メス3,雄1.
え、何で、前回とは違い、流れのないところでメス?
丼大王が、根掛かりを外しに行けないところの松下の瀬等で釣り上げていたのにはメスが多かったはず。
雄の方が、先に産卵場へと向かうはず。トラックで運ばれてきた継代人工で、増水で流されてきた継代人工でも、この習性は変わらないと思っていたが。もちろん、向かう先は、その近くの砂礫層の所で、遡上鮎とは違い、産卵をするための下りはしないが。
と、なんでかなあ、と思いながら、囮屋さんに戻ると、こてこての関西弁の瀬に入った人が。相模川で見かけたことのある顔のよう。
その人は、3匹のメスを釣ることが目標であったが、真っ黒な雄ばかり。
え、瀬で雄?テク2も狩野川大橋上流の瀬では雄を釣っていた?
オラの釣っていた流れの弱いところに、メスがいても不思議ではないが、何で、瀬が「真っ黒」な雄ばかりになったのかなあ。
遡上鮎が満ちあふれていた11月、丼大王が城山下の1本瀬で、雄が大漁、なんてことはなかったのではないかなあ。
淵下流の2本電線、柳のあった平瀬では、下りの途中の雄も釣れたが。
オラに釣られた雄は、「真っ黒」ではない。まだ、産卵行動には参加していない。
伊豆には、まだ、西風が吹き荒れていない。木枯らし1番は吹いていない。したがって、数は僅少とはいえ、遡上鮎の下りは始まっていない。もちろん、早熟な鮎もいるから、例外的には下りの行動をしているあゆみちゃんもいるが。
下りの行動をする遡上あゆみちゃんを1匹でも釣りたいなあ。
なお、相模川は弁天の分流に、2センチくらいの稚鮎が跳ねている。
2センチくらいの大きさであるのに、跳ね方は、親や姉、兄と同様に、水面に対して平行に跳ねている。
9月中旬、下旬に孵化したものでしょう。その親は、県産の種苗ではないのかなあ。
10月31日 狩野川
「鮎師天竜玉三郎」さんでもボウズであるから、ボウズは怖くない。
1995年、6年の遡上鮎がいなかったと思われるほど、遡上量が僅少であったときは、解禁日に年券を取りにいき、竿を出したかどうかもわからないが、まだ、来年があるさ、と余裕があった。
しかし、今は、その余裕はない。
ということで、テク2らが、汚い継代人工にうんざりして竿をしまっても、オラは狩野川に行くしかない。
ああ、年は取りたくないなあ。
狩野川に遡上鮎が消えたとき、玉三郎さんが、大井川の塩郷堰堤下流に水が戻ったこと、遡上鮎がいることを鮎雑誌に紹介をしてくれた。
1995年、大井川鐵道の家山に降りて、駅員に囮屋さんの場所を聞いたのか、玉三郎さんの記事に囮屋さんの場所が書かれていて、その場所を聞いたのか、記憶になし。
駿河湾の稚鮎がいないはずであるのに、大井川では、遡上鮎がへぼにも釣れた。それで、天竜川水系の稚鮎も大井川に遡上しているのでは、と想像しているが。
それから、大井川通いが始まったが。
狩野川大橋上流の流れの弱いところへ。
平日ではなく、土曜日であるから、混むかも、と思ってのことであるが、人出は多くならず。ただ、左岸側の瀬、右岸側の瀬には、また、橋下流には、いつもよりは人が多いが。
当然釣れませんなあ。囮君は、ヘチにねえちゃんがいると思っているのか、ヘチに寄って来る。瀬であれば、錘をつけて、そんなわがままを封じることも出来るが。
まあ、囮君の働きが悪くて釣れない、なんて、嘘も方便かなあ。
前回、食慾で釣れたのでもなさそう。豊満熟女を囮にしても、オラのように飢えた、女たらしのおっさんが釣れたのでもない。性欲で釣れたのでもなさそう。
ということは、遊びかなあ。
遊び人を釣る知識もウデもなし。
何でか、釣れた。雄の高校生、18才と16才のメス。
18才メスは腹掛かりで、内臓は飛び出していないが、箱入り娘に。
16才メスは、前回でもなかった背掛かり。
背掛かりであるから、友を連れて来てくれるはずであるが。
夢はむなしく消えてえ
12時のチャイムが鳴った。女子高生も疲れたかも。煙草を1本吸って釣れなければ、12時40分の踊り子に乗ろう。
水温は14度であるから、西風が吹き荒れた後よりも2度ほど高い。
しかし、天気予報が外れて、お天道様は雲の上で寒い。
ああつきちしおの という年頃ではなく、 かわらのかれすすき には、寒さが堪えるなあ。
きっぱりと踊り子へ。
10月30日の相模川は小沢の堰上流の瀞。
10羽余りの鵜が、鴨のように泳いでいて、潜水をしていない。もう、朝食は済んでいるのでしょう。
水が冷たいから、というのでもなかろうが、暫くすると、右岸側の河原で甲羅干し。
左岸側の10平方メートルほどの空間に小中学生は盛んに跳ねている。一跳ね1000匹とはいかないとしても、数千か数万の小中学生が跳ねている。
3番上りでしょう。
しかも、下りのための集結ではない。
なぜなら、水面に平行に跳ねていて、鮒が空気を吸うような垂直の跳ねではないから。
鰹やヒラマサに追われたなぶらでもないでしょう。何で、特定の場所で跳ねているのかなあ。
その小中学生は、下りをするとき、小沢の堰の魚道を下ることが出来るのかなあ、堰の斜面を下ることになるのかなあ。
あ、そんなことは考えても仕方ないか。
最上川さんが、ワカサギを釣っている。
去年は津久井湖のワカサギが少なく、ダム放流で流れてきたワカサギの群れは小さい、群れの数は少ない、ということで、ワカサギ釣りは長続きをしなかったが。
最上川さんは、丼、いや、ハリスを切られたり、釣り上げたり、と、継代人工の番茶も出花娘、乙女や高校生を釣り上げているが。
バケツには高校生の継代人工が入っているが、ワカサギはなし。高校生のハヤやヤマベは、最上川さんをしたってやってくる猫のために草の上に置かれているが。
磯部の堰の魚道に、1番上り、2番上りが遡上性向を有する4月、5月上旬に水が流れていなかったのは、人為かなあ、水が流れるように手入れをしていなかったからかなあ。
養殖の囮や釣れている継代人工の採卵時期が、気になる。
故松沢さんが、10月下旬以降、囮箱に入れた養殖は、半分が真っ黒となり、囮として使えない、と話されていたが、現在の養殖は、そのようにはならないよう。
県産の30ウン代で廃嫡になった継代人工は、9月15日、10月1日頃に採卵をしていたが、現在は、10月中旬以降に採卵している継代人工もいるのではないかなあ。松ヶ瀬近くの養魚場には電照設備もなかったと思うが。
18才高校生は、卵をぱんぱんにもっていた。産卵間近ということかなあ。
11月5日 狩野川
駅まで、1時間近くを歩きたくない、ということで、バスで駅へ。
当然、小田原から鈍行を利用すれば、熱海での乗り継ぎがうまくいかない。
ということで、2200円で新幹線に。
昭和の代には、小田原ー三島間の6枚綴り回数券は、1枚当たり1200円であった。それが、キセルを防ぐため、ということで、1枚当たり1800円になった。
しかし、自動改札が整備されたから、キセル防止であれば、1枚当たり1200円の回数券に戻してもよいはずでは。と、恨み節。
丼大王も、テク2らも、遡上鮎がいない狩野川に愛想を尽かせて、竿じまい。迷人見習いも、ボウズが嫌じゃあ、ということで、スポーツカーを武器に陸釣りをしているが、ボウズ街道まっしぐらでしょうねえ。
オラも、来年があるさ、と、竿を畳みたいよお。1995年、6年のように。
しかし、「後期」高齢者には「来年があるよ」とはいえないよなあ。
囮屋のおばちゃんは、今月は店を開ける、と。
故松沢さんも、だあれもやってこないテントにぽつんと座って、11月23日まで働いていたなあ。お仕事は、弱った囮を絞め、干物にするくらい。
自動車道下の右岸側の流れを歩く。前回、アオノロが糸についた。落ち葉ではなく。
アオノロが増えているが、松下の瀬や自動車道上流ほどではないが。
いつもの狩野川大橋上の、オラでも根掛かりがはずせに行けるところへ。数人入っているが、充分に動ける。
継代人工の、高校生の豊満熟女が2匹。
12時のタイムがなった。踊り子に乗るか、それとも、12時からのゴールデンアワーに期待するか。
欲をかいて、ゴールデンアワーを選択。
ゴールデンアワーはやってこない。
跳ねる鮎も少ない。継代人工の雄は近くの砂礫層で産卵行動のために待機しているのかなあ。
上流側の人が、ヘチから、河原から囮を入れているが、そのような雄を、メスを対象にしているのかなあ。
「高かろう 悪かろう」の「粗悪品」のウエーダでなければ、もう、最後のウエーダーになったであろうが、数回の使用で、水がジャアジャア漏れ。
「安かろう 悪かろう」は、昭和30年代のいつごろまで続いたのかなあ。
「悪かろう」とはいっても、ガキがお年玉+親の援助で買えた竿は、数年は使えた。決して「数回」で使用不能になることはなかった。
Tちゃんは、お客さあん、ドライタイツにしたら、と、悪魔のささやきを。
「後期」高齢者には9割引にしろ。そうしたら買うわ。
Tちゃんは、こあゆちゃんの婚活資金も必要ですから、そんなことをいわないで。今なら安くなっていますよ。
Tちゃんを、何を理由に脅かしたら、弱みを暴露するぞ、と脅迫したら、9割引が実現できるか、思案しているときに「来た」。
秒殺ではなく、「秒丼」。
尺鮎かなあ、さつきちゃんかなあ。そんなことはないですよねえ。「鯉丼」ですよねええ。相模川でもここ数年「鯉丼」がないのに、狩野川で「鯉丼」とは、初体験。
こんなことじゃあ、昼の踊り子に乗っておればよかった、まだ、使っていない養殖がいるから、それを囮にすればよかった。
「高かろう 悪かろう」のウエーダ同様、反省することばかり。「看板」を信用したらいけない、という教訓をこの年で経験するとは。まあ、フォルクスワーゲンの例もあり、くい打ち作業記録の偽装もあるから、浮き世では「不易」の現象か。
今日もはいているウエーダは、10年くらい前のもの。ハリペタ(接着剤方式ではないフェルト張り替え方式のことのオラ風の表現)が販売された頃のもの。フェルトがまだ少しは残っているから、捨てなかった物。
足首附近の「ガード」?は、剥離しているが、その下の防水層は異常なし。そろそろ、補修剤を使わないといけないなあ。
このメーカーのドライタイツであるから、三途の河でも使えますよ、と、Tちゃんはいううでしょうなあ。
まあ、Tちゃんに釣り上げられることを覚悟するしかないかなあ。
それの使い勝手を見るため、また狩野川にやってくることになるのかなあ。
11月13日 狩野川
トラックで運ばれてきた継代人工は、既に叩いて川から消えているでしょう。遡上アユは、僅かしかいないから、下りに入っているとしても、お目にかかれることは、低い確率でしかなし。
にもかかわらず、又もや、バス、新幹線ルートで大仁にやってくるとは。
高倉健さんが、亡くなられて1年とのこと。去年は、「故松沢さんの思い出:補記8」の下書きを始めていて、健さんの5代前の小田宅子さんの「東路日記」を田辺聖子さんが現在の人にも読めるように、と書かれた「姥ざかり花の旅笠」を楽しく読んでいた。
そして、テレビで、健さんの本名が「小田」さんと報じてすっきりした頃。
寒いから駅まで歩きたくない、と、いう、軟弱もんでは、天保の代の姥ざかり四人と、旅をともにすることはとても不可能。
そもそも、「姥ざかり」四人組の行動力と比較することがまちがっちょるよ、不遜な態度ですよ。
青木の瀬と呼ばれていた頃の俤は何処にも見当たらない自動車道橋脚から、右岸側の流れを歩いていくが、アオノロの石と汚い石。もはや、跳ねる鮎もなし。
狩野川大橋上流のいつもの場所へ。
左岸側の瀬に一人。釣れているのかなあ。
ヘチの小さい石は、まだ、ばばっちくはないが、食んでいるから、とはいえないのでは。
1匹が跳ねただけ。
囮が急に走ったときは、蹴られたとき。逆バリが外れていないか、ハリが尻尾に絡まっていないか、点検すべし。
そのような事態もなし。
昼ごろやっと、その状況になった。色気ムンムンの、働きたくない、とごねていたサボリーマンの雄が、その後は、元気溌剌に泳ぎだした。鯉に遭遇したのかなあ。瀬落ちまで釣り上るが。
もう1匹の雄は、色気を封印して働いていたから、また、橋上流から釣り上っていくが。
昼前、左岸側の瀬に数人がやってきたが、昼を過ぎると消えていって、また、二人だけの川に。
その左岸側の瀬の人も2時には去って行った。
2匹の囮君は、3時迄働いてくれたが。
水温14度。西風が吹き荒れた頃よりも2度ほど高い状況は変わらないが、遡上アユがいないから大勢に影響がないのでは。
ダウンのありがたみを感じる気温の中で釣ったから、もうよいか。とはいえ、手がかじかみ、水の中の方が暖かく感じるほどの寒さではないが。
1992年までの遡上アユが満ちあふれていたときでも、早上がりはあった。
しかし、ボウズが原因ではない。小中学生しか釣れなかったとき。
もちろん、城山下の1本瀬、石コロガシの瀬に入れば、番茶も出花娘や乙女がだっこできることはわかっていたが、石コロガシの瀬は、21世紀の流れの幅の半分以下の幅で、大石ごろごろ。一本瀬同様、オラには手も足も出なかった。
ということで、2本電線、柳のあった平瀬や、藪下で釣るしかなかったから。
粗悪品と考えているウエーダの代わりに、ドライタイツを使おうと思い、Tちゃんに選んで貰う。
普通の姿勢では、右足の靴下をはくことはできないから、靴紐を結ぶ必要のない靴を。
しかし、タイツが窮屈すぎる。とても、はけない。
古い者ほど、新しい物を欲しがる、というような台詞の映画だったか、があったと思うが、オラには、古い物の方が似合うよ。
短足大根足には、ドライタイツははけないよう。
ということで、又もやウエーダを。
そのウエーダがかってのウエーダと同じであるか、どうか、川で試すことになるのかなあ。
ボウズとはわかっていても、「漂泊の思い止まず」の心境となり、また、大仁にやってくるのかなあ。
その時は、沼津の「鯵寿司」を三島で買って、豪勢な昼食にしましょう。
11月20日 狩野川
10月31日の小沢堰上流で跳ねていた3番上りは、そして、弁天分流護岸附近で跳ねていた県産種苗を親とすると思われる稚鮎の跳ねも2,3日後に行った時は見えず。
3番上りは下ったのかなあ。稚鮎は、生存限界以下の水温ではないから、動物プランクトン不足で死んだのか、或いは、動物プランクトンを求めて移動したのかなあ。
それにしても、老いも幼児も何で跳ねていたのかなあ。
津久井湖のワカサギが少なかったようで、ダム放流量がたっぷりでも流れてきたワカサギが少なく、ワカサギ釣りは消えた。
11月10日頃、石切場上流、柳前の瀞には、数十羽の鵜がいた。3番上りがその附近にたむろしていたのかなあ。
ミサゴを観察していた人は、今年は去年よりもミサゴがやってくる数、回数が少ない、と。
磯部の堰下流にいっぱい遡上アユがいるから、当然のことか。
ミサゴは、鳶とは違い、水に身体を突っ込むことができるとのこと。そして、爪で魚を捕まえているとのこと。
小田急陸橋付近で、酒匂川でも相模川でも鵜を見かけなかった。
今日は、厚木で、鵜ではなく、鷺が大量に、鉄橋上下に分かれて食事にいそしんでいた。
その対象は、下ってきた遡上アユかなあ。それとも産卵行動をした鮎かなあ。
遡上アユの産卵場所は、小田急鉄橋よりも数キロ下流であると思うが。
11月18日、大仁の水位計で、夜、短時間だけ、50センチほど増水になった。
この増水で、もし、遡上アユがたっぷりといたら、下りの行動はどうなるのかなあ。これ幸いと、夜でも、短時間の増水でも、大量に下りの行動をするのかなあ。
今年は遡上アユは僅少、トラックで運ばれてきた継代人工も殆どが産卵を終えているから、狩野川にアユがいないことはわかっている。
丼大王も早々と竿を畳み、テク2らは一回だけ狩野川で竿を出したにすぎない。
迷人見習いは、仕事があるから、と、納竿会を欠席したとのこと。
ほんまかいな。
オラに貧弱な天狗の鼻をへし折られ、その上、2回連続のボウズ。3回連続のボウズとなれば、オラにどんな悪態をつかれるか、と、蚤の心臓ではなく、毛の生えた心臓をおもんばかって無理矢理仕事を入れて、納竿会を欠席したのでは。
遡上アユが、釣りの対象となるほどの量を回復するには数年かかるでしょう。
よかったね、「後期」おっさんであるからまた数年後には狩野川の遡上アユをだっこできるから。
オラは、美男子薄命ですから、三途の河から見ていますよ。
なお、相模川も、大量遡上の翌年は、遡上量が激減する傾向にあるから、来年、迷人見習いが、大会会場に狩野川を選んでも、相模川を選んでも、継代人工が相手でしょう。
来年の相模川で、遡上量が釣りの対象となるほどあるとすれば、今年ダム放流が多く、栄養塩が海にいっぱい流れて、植物プランクトンが多く蕃殖し、それを食べる動物プランクトンが豊富になった、という条件があるか、どうかでしょう。
そして、磯部の堰の魚道に水が流れている、という条件も必要ですが。
沼津の鯵寿司を買ったから、今日の目的は達成した。
囮を1匹だけもって川へ。まだちょっぴり水が高いから、狩野川大橋上流ではなく、自動車道上流へ。
50センチほどの増水で、アオノロのヒゲは流れている。水温14度。
やっと、昼のチャイムが鳴った。
昼の踊り子のテーブルに、鯵寿司、ホタテの缶詰、酒を並べて、豪勢な酒盛り。
小さく切ったワサがついている。ワサビをする器も小さいからすりにくいなあ。大仁の焼き鳥屋さんでワサビを頼むことができる。1本出てくる。それをサメの皮でする。するのは、テク2とタマちゃん。その夜が再びやってくるのかなあ。
小田原の駅前にあった創業100年の和菓子屋さんが10年ほど前に消えたから、廃業したと思っていた。2,3年前、駅ビルで営業しているとわかった。
それで、クーラーの中は、アユではなく、和菓子が。
城山に陽が落ちて、故松沢さんのテントが片付けられた河原を、満ち足りたあゆみちゃんとの逢い引きを胸に抱いて歩く、という11月23日を再び味わうことはもはや叶わぬ夢でしょう。
かなしくて かなしくて とてもやりきれない
きょうもゆめはもつれ わびしくゆれる
このもえたぎるくるしさは あしたもつづくのか
あの すばらしい あゆを もおいちどお
あの すばらしい あゆを もおいちどお
11月28日 中津川の状況
久しぶりに雄物川さんを捕まえた。
津久井湖のワカサギが少なかったようで、早々とワカサギ釣りを止めていたから、会うことができなかった。
そして、中津川にザガニを捕りに行っているとのこと。一篭で22匹が捕れるほど、豊漁とのこと。相模川ではザガニが少ないと、最上川さんが話していたが、中津川は何で豊漁かなあ。
その篭を仕掛けに、八反田橋よりも下流の橋に行くと、水深50センチほどのところで、アユが足に当たりそうになるほど、あるいは踏みつけそうになるほど、いるとのこと。
中には大きいアユもいるとのこと。
おまんでもコロガシで鮎を掛けることができるほどの量、密度とのこと。
鵜は、磯部の堰下流や厚木方面に100羽単位でいるとのこと。弁天瀬尻に10羽程いるだけの相模川は石切場上流とは大違い。
雄物川さんも、246のところに堰があり、遡上出来ない、魚道は見えなかった、と。
しかし、遡上出来ていたということは、名人見習いの推測のように、堰を避ける流れがあるのかも。
ということで、12月1日の再解禁では、中津川の下流を含めて、コロガシで束釣りが多発するのでは。
磯部の堰の魚道に水が流れなくすることは簡単にできるとのこと。
堰下流には深い場所があったが、浅くなったから、投網がどこでも打てるようになった、とのこと。
鼻っ柱の強い雄物川さんに、磯部の堰の魚道に水が流れるようにしてえ、というと、あそこには行けないよ、と。
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