2012年あゆみちゃん遍歴賦 | ||||||||||||||||||||||||||||
相模川 | 中津川 | 狩野川 | その他 | |||||||||||||||||||||||||
5月まで | 2012年相模大堰副魚道遡上量調査 相模大堰遡上量調査その2 |
3月1日 3月3日 3月8日この間沢 3月16日 4月7日 4月21日 5月27日 | 5月23日 気が重いなあ | |||||||||||||||||||||||||
6月 | 5日 7日 10日 14日 17日 19日 20日ダム放流 |
1日 | ||||||||||||||||||||||||||
7月 | 3日ダム放流後の状況 5日7日 7月10日 11日 13日 15日 16日 18日 21日 25日 26日 28日 |
6日 | 7月15日迷人見習い 丼大王と狩野川 |
7月31日 荒川 雪代と遡上の遅れと成長への影響は |
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8月 | 8日 10日 15日 19日 21日 28日 |
1日 2日 3日 岩牡蠣のこと 8月23日魚野川 8月24日三面川 |
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9月 | 4日 6日 9日 13日 16日 20日 26日 29日 | 丼大王:13日の大アユ | 2日那珂川 | |||||||||||||||||||||||||
10月 | 6日 8日 10日 12日 | 3日 4日丼大王 迷人見習いの泣き尺 10月12日丼大王 21日 21日、22日の丼大王の打率 25日の丼大王の丼状況 26日お仕事の丼大王 |
大井川:10月14日 大井川10月15日 大井川10月16日 |
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11月 | 1日丼大王の幸せ 4日丼大王、山ちゃん 8日丼大王 |
3月1日 中津川
去年の倍の山女魚が放流されていると、漁協のホームページから考えられるが。
去年は釣れた人は僅かであったが、今年は多くなるのでは。
漁協前には数人。田代には20台ほどの車が。
馬渡橋も日向橋も釣れていない、と。まあ、あんよの練習をしましょう。ウエーダーは、雪の上を歩きにくいなあ。斜面は滑るなあ。杖を忘れたし、水温が10度以下のようであるから、水の中は歩かないようにしましょう。
放流して5日ほどになり、お腹が減っているのではないかと思うが、なんで釣れていないのかなあ。ニジマスと違い、放流後2,3日で群れが解消していたとのことであるが。放流後、鵜もやってきたとのことであるが。
田代にやってきた山女魚キラーさんの話を聞く。
・山女魚キラーさんは、6月以降、山女魚が大きくなってから釣るとのこと。その頃は少しは馬力が強くなっているということかなあ。
・解禁をするには、セシウム調査が必要ということで、早戸川上流に山女魚を釣りに行った。
検査には1キロ余りの量が必要で、ほかの人達は釣れなかったが、山女魚キラーさんは、必要な量である1キロ以上の山女魚をそろえたとのこと。
・ヤビツ方面の本谷川や塩川、早戸川の滝付近とその上流には、在来種の山女魚やイワナがいる。。細流でも、一定の水深があれば、1ヵ所で5,6匹の山女魚が釣れる。木っ端山女魚ではない。
ただ、そのときに合う餌を使っていること、自然条件が合っていること、の条件がないと釣れない。
どのような自然条件か、は、聞き忘れた。
・5月の連休には南アルプスに大物のイワナを釣りに行く。
オラと一緒に話を聞いていた人も山女魚釣りの人で、本谷川や塩川での釣りをされている人であったから、南アルプスのどこか、は秘密、と。しかし、4時間歩くと行っていたから、大井川でしょう。
・去年6月1日は、高田橋でドブ釣りをしたが、遅く出かけたから1束。ドブさんは数束。翌日は朝から働いて、4束。
去年は、12月生まれが主役で、遡上量が多かったから、ドブ釣りとコロガシは大量に釣れていた。とはいえ、ダム放流の影響はドブ釣りでも生じていて、年間でみると、それほど大漁とはいえなかったとのこと。当然数千匹であろうが。
山女魚キラーさんと別れて、水の中ではなく、雪の河原を歩いて角田大橋へ。
最上川さんらが様子を見に来ていた。最上川さんは、奥道志に釣りに行っていたこともあったとのこと。
この間沢は相模川の年券で釣りができること、去年の3月1日は大漁で、人出も多かったとのこと。ただ、山女魚とニジマスの比率は判らない、この間沢のすぐ下流の奥道志ダムからでっかいニジマスが差してくる、と、最上川さんに釣り場案内をした。
この間沢に行ったであろうサボZは釣れたのかなあ。奥道志に行ったサボMは、雪の積もった崖を下ったのかなあ。
アマゴは山女魚より釣りやすいから、狩野川に行くか、東北、関越に行くか判らないといっていたヤマメねえちゃんは、どうしたのかなあ。関越、東北では2泊しないと大変でしょうから、休みがとれたのかなあ。それとも、雪の中の釣りはしたくない、ということで、別の場所へ?
どうも、人工種苗の成魚放流の山女魚とはいえ、ニジマスほど楽な釣りはできないのかも。
県産継代人工鮎のように大量の病死ということはないでしょうから、釣れ残りが多い、ということではないかなあ。
中津川の放流魚が、ニジマスの放流を止めて山女魚だけになってからのこと。去年か一昨年の3月1日のこと。日向橋上流で釣れないから、と、あがった人の後に入った山女魚キラーさん。ばったばったと釣りまくり、周りの人達の顰蹙をかった前科がある。山女魚キラーさんの毒牙にかからなかった数だけでも、釣れ残っているはず。
朝まずめ、夕まずめでないと、あんまり釣れないということかなあ。
今度は杖を忘れずに持っていって、馬渡橋から下流へ、水の中を歩きましょう。
3月3日 中津川
水の中を歩くこともなく、大した距離を歩いていないのにふくらはぎが痛くなり、腰が張るとは継代人工鮎以下の体力ということか。
とはいえ、少しでも川を歩けるようにならんと困るし。ということで、馬渡橋から角田大橋まで歩く目標、決意を。
禁煙と決意は「破るために」するもの。寒いなあ、天気予報の嘘つき、お天道様がでんぞお。
やっと、少し暖かくなった頃には、身も心冷え切っていた。
馬渡橋上から、お仲間の餌を目で追っている人が、今、餌が近づくと山女魚が逃げた、餌釣りでもドライブ?がかかると釣れないということ、と。
1匹釣れた人がいたが、女子高生の大きさ。山女魚キラーさんが6月までは釣らないと話していたのは、大きさの問題もあったのかなあ。
漁協前はニジマスなら好む深さのトロになっているが、その上流の瀬に入っていた人達も移動していた。
右岸側は石が詰まっているから、放流ものの鮎は喜んでつくトロではないかなあ。田代上流の瀬にも釣り人がいたが、動いていた。
もう、疲れた。次回はどこをほっつこうかなあ。
3月2日、この間沢のサボz | |||||||
6時半前にこのま沢に着くも、既に主要なポイントには先客あり。 おそらく、年金暮らしか公務員か? 下流にはダンプカー、ショベルカーが入っており、河川を整地する模様。 橋の上流に一人入れる場所があり、そこで粘ってヤマメが2匹釣れる。 橋のすぐ上の淵が空いたので、そこに入るがあたりは一切なし。 ダンプカーが鬱陶しいが、移動し最下流の段々瀬の左岸を狙えば、 そこが竿抜けらしい。 連続してヤマメが5匹釣れ、まだ釣れそうであったが、雨が激しくなり、 昼過ぎ、計7匹で勘弁してやることとした。 ニジマスは一切、混じらなかった。 帰り、国道から田代グランドを覗いたが、車は1台も停まっていなく、 釣り人もいなかった。こんな雨天では当たり前かな。 |
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還暦初心者のサボzさんは元気ですなあ。 雨の中の釣りなんて、21世紀になってから行ったことはないのではないかなあ。 この間沢では、同じ頃に放流されたと思う山女魚がなんで釣れているのかなあ。 中津川は何時になったら釣れ出すのかなあ。まあ、釣れ残りがたっぷりといると思うから、そのうち釣れ出すのでは。 県産継代人工のように、死んでいなければ、ではあるが。 |
3月8日 中津川とこの間沢
万札をふんだくられたのに、動きが悪くなったリール。文句をいったら、「お客さん、パッキン?の経年劣化ですよ。そろそろ新しいリールはいかがですか。お客さんさんも経年劣化をしているから、同類相哀れむですよねえ。」
釣りバカ日誌の最後の映画では、スーさんがゴールドカードしか持っておらず、三途の川の渡船料を支払うことができず、この世に追い返されたが、オラの場合は、腹に札束を詰め込んだ社長やそのいいなりの社員に6文銭までふんだくられているから、三途の川の渡船料を支払えないんじゃあ。これ以上、ふんだくるなあ。
ということで、リールが戻ってくるまでの2,3週間は、ルアーを振ることができない。
平成5年頃までかなあ。3月10日くらいの日曜日に、中津川の本流でニジマス釣り大会が開かれていた。ニジマスは下る習性があるため、大会区域外の平山橋下流でも釣れていた。
その頃は、9メートルの竿を振り、相模川で捕ってきた黒川虫や鬼チョロを餌にしていた。その後、田代の管理釣り場で大会が行われるようになったから、解禁日前に放流されたニジマスしか釣れなくなった。
その頃以来の餌釣り。
3月7日、馬渡橋へ。イクラを餌にした。あまれば、酒のつまみに、と。
しかし、なんちゅう上げ底じゃあ。イクラがこんな高級品とは知らなかった。
もし、北海道に行けたら、イクラ丼を註文して、お玉で何十杯もイクラをすくって今生の食いだめをするぞう。
とはいっても、いくら丼のイクラ食べ放題、というメニューは夢か幻になっているかも。あの時、もっとイクラを食べておけばよかったなあ。
馬渡橋の数人は釣れず、愛川橋から移ってきた人も。
田代へ動くことにするが、ダム放流をしているため、この時期の水量の3,4倍はある。漁協前で渡ることができるかどうか不安であるから、左岸道を歩いて田代へ。
ちょっとは竿を振ったが、気が乗りませんなあ。
まあ、放流された山女魚が病死をしていなければ、ある時から釣れるはずと、期待しましょう。
3月8日、餌を何にするか、それが問題だ。
高価なイクラはメニューから消えた。以前、中津川の川虫は少なかったなあ。馬渡橋のすぐ下では採れたが。相模川も去年の4メートルのダム放流で石が転がり、川虫は少ないよう。
中津川の状況を見るしかない。竿を担いで、竹でできた魚籠も持たずに出かけた。そのとき、ベストを忘れたことに気がついた。
ヤマメねえちゃんが狩野川に行ったとき、ベストを忘れが、ヤマメねえちゃんにとっては山女魚ちゃんと岩魚ちゃんが本命であゆみちゃんは浮気相手ということかなあ。
田代で川虫を捕るかどうか、考えることにしてバスに乗った。田代にサボZが、釣れない、あたりがない、と、竿をたたんでいた。この間沢に行こう、と。
両国橋でバイオのブドウ虫を買い、サボZの仕掛けをもらい釣るも釣れませんなあ。サボZはすぐにニジマスを釣り、また、ねえちゃんも、ルアーの人も1,2匹釣っているというのに。橋下流のトロの3人組の1人は10匹ほど釣っているというのに。
サボZは、2日よりも30センチほど増水している、と。
道志川漁協は、今日、追加放流をしたとのこと。解禁日は、国道は通行できたものの、雪の積もった崖を降りた人は僅か、とのこと。そうすると、釣り残りは多いとは思うが、サボZは、この水量では川を横断できないとのこと。水源の森等、崖を下らなくてもよい場所なら、移動もできるが、崖を下る場所では移動ができない、と。
お酒を飲んで心身を暖めた結果、2匹。サボZは3匹。ニジマス。ということは、この間沢で追加放流されたのはニジマスということではないかなあ。
バックには、クーラーも魚籠もなくてもよいように、塩とカッターナイフが入っている。始めて、これらが役に立った。
サボZは、塩麹?という魚の保存、下調理方法がある、と。西京漬けや味噌漬け、粕漬けは判るが。この塩麹は、1日に1回かき回すが、その作業をすると、お肌がすべすべになるとのこと。そうであれば、糠味噌は女の敵、大和撫子と共に滅び去った化石、とおっしゃる今様の女どもも飛びついてくるかも。
7メートルの竿を振っても肩が張っている。この訓練で、乙女のあゆみちゃんを有無を言わせずに抜くことができるようになるのかなあ。それとも、経年劣化であるから、新品に取り替えないと、腕力は回復しないということかなあ。あんよも張っているなあ。去年並に体力に戻ってほしいなあ。
3月14日 中津川
釣れていない中津川で、あんよの練習をするのは気が進まないといえど、経年劣化を少しでも遅らせるには、雨に負けても、風に負けても、寒さに負けても、竿を振るしかない。
エサは、この間沢の残りのバイオのブドウ虫。釣れないから何でもよし。
馬渡橋から歩くつもりが、田代へ。
8度の水温では、川虫が採れるか、どうかも確かめたくないなあ。
1時間は竿を振ったから良しとしましょう。
田代のご近所さんが散歩。これじゃあ釣れているわけはないよ。ご近所さんの解禁日は、田代を上から下へと歩いて、左岸護岸のところでチビのハヤだけ、と。
そろそろ、放流された山女魚が死滅したかも、と考える時期かなあ。
冷水病の病原菌は、水温16度から22度くらいで増殖し、増水による濁りや水温変化等のストレスで発症するとのことであるから、冷水病で死んだということはあり得ない。
道志川漁協のアユの解禁日は6月15日であったと思うが、その頃、道志川の水温が16度くらいになるから、冷水病で死ぬ鮎が大量に出ている。
神奈川県産の30ウン代になる継代人工アユは、冷水病の保菌者であったとしても、冷水病で死んだとはいえず、川に棲息している雑菌に感染して死んでいると、内水面試験場の話があった。ということは、中津川が放流した山女魚も継代を重ねすぎていて、川に棲息している雑菌で発病して死んだということかなあ。
川で生活できる能力を失った山女魚が放流されたという可能性が大きいと思っているが。
4月7日 中津川
寒い、風が強い、と、あんよの練習をさぼっていて、昨日、相模川への坂道を歩いただけでふくらはぎが張るという事態に。これじゃあ、水の中にはいることが出来なくなる。少しは水の中を歩かないと。
先々週の追加放流の後に、このま沢や奥道志の山女魚のエサ釣りに飽きたから、と、ちょこっとやってきて愛川橋下流でルアーを振ったサボMが数匹釣れていた。それはその直前に追加放流されたものとのこと。
その話を聞いたサボZも角田大橋下流で釣れた。
次回の追加放流は21日?との話があった。
田代から角田大橋まで水の中を歩くつもりではあったが田代で終わり。
ご近所さんが、先日、追加放流を釣るために3回転んだとのこと。足腰のしっかりしているご近所さんでさえ、転んでいるのであるから、オラにおいておや。水温10度くらいで転んでは冷たいからなあ。
ご近所さんは、沖取り海産が採れた、と。ということは、継代人工の放流モノでない遡上アユも川にいる可能性がある。
サボMは、奥道志の水源の森・神社前の石が出た、中津川の馬渡橋上流もいい瀬になった、と。奥道志は、冷水病の問題があるから、行くにはリスクが大きいが。
高田橋上流の小沢の堰左岸側の下部床の工事は終わった。魚道に水が流れている。
しかし、石切場は、蛇篭のところの護岸工事をするため、右岸河原から重機を入れて、流れを塞き止める工事をしている。工期は3月31日となっているが、4月終わり頃まで続くのでは。
この工事の影響は大きいのでは。流れを塞き止める工事をしているところは、柳下流の瀬肩附近。その工事による土砂が下流に流れるから、ドロ被りの石になっているのでは。
とすると、高田橋と弁天しか釣り場がなくなる。大島の鵜止まり上流の瀬は非常によくなったとのことであるから、お百姓を撫で撫ですることになりそう。
神沢はトロが大きくなったとの話があるが。葉山はどのように変わったのかなあ。
あそうそう、今年初めて、いや2回目の昼麦酒を飲みました。
4月21日 中津川
2回目の山女魚の追加放流が行われた。
継代人工種苗の習性は、鮎でも山女魚でもニジマスでも同じということかも。
放流地点で、管理釣り場での放流時と同様、すぐに釣れていた。ヘチに近いところで。ルアーの根掛かりを外しに行って、怒られた。立ちこむな、と。それでも3回あたりがあったが、外れた。
恩田さんが、前年12月に放流されたアマゴでも放流地点が1級ポイントと話されているから当然のことかなあ。恩田さんはそのようなアマゴは食わんとも。
足腰頑丈なご近所さんが転んだから、オラが石の苔に滑るのは当然ではあるが、水温11度、まだ水も滴るええ男にはなりたくないが、あと1ヵ月でどのくらいあんよが上手になるのかなあ。
2012年遡上量調査:相模川大堰副魚道その1 単位:万
2000 年 |
2001 年 |
2002 年 |
2003 年 |
2004 年 |
2005 年 |
2006 年 |
2007 年 |
2008 年 |
2009 年 |
2010 年 |
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4月1日 から10日 |
23.2 | 204.9 | 568 | 18.4 | 830.9 | 5.6 | 0.5 | 27.4 | 188 | 20.3 | 19 | |||||||||||
4月11日 から20日 |
9.4 | 40.6 | 895.2 | 264.5 | 113.2 | 0 | 2.5 | 24 | 219 | 54 | 81 | |||||||||||
4月21日 から30日 |
36.6 | 125.3 | 387.1 | 232.3 | 499.2 | 42.2 | 23 | 275 | 229 | 40 | 70 |
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4月計 | 69 | 371 | 1,850 | 515 | 1,443 | 48 | 26 | 326 | 636 | 114 | 169 |
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5月1日 から10日 |
4.4 | 129 | 112.8 | 32.8 | 56.2 | 0.8 | 9.9 | 68.6 | 70 | 2 | 59 |
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5月11日 から20日 |
5.5 | 40.7 | 48.5 | 41.2 | 136.7 | 0.6 | 6.1 | 13.8 | 32 | 7 | 3 |
|||||||||||
5月21日 から28日 |
3.7 | 8.6 | 9.7 | 108.8 | 45 | 0 | 0.7 | 3.2 | 36 | 0.4 | 2 |
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5月計 | 13.6 | 178.3 | 171 | 182.8 | 237.9 | 1.4 | 16.7 | 85.6 | 138 | 9 | 64 |
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合計 | 101 | 550 | 2,199 | 706 | 1681 | 49 | 43 | 412 | 774 | 123 | 233 |
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3月20日 〜3月31日 |
16 | 1 | 177 | 80 | 296 | |||||||||||||||||
遡上初出日 | 23日 | 20日 | 25日 | 29日 | 25日 | 4月 4日 |
4月 3日 |
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初出日 最高水温 |
ー | 12度 | 11度 | 12度 | 12度 | 15度 | 13度 |
2011 年 |
2012 年 |
2013 年 |
2014 年 |
2015 年 |
2016 年 |
2017 年 |
2018 年 |
2019 年 |
2020 年 |
2021 年 |
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4月1日 から10日 |
61 | 18 |
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4月11日 から20日 |
271 |
56 |
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4月21日 から30日 |
417 |
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4月計 | 749 |
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5月1日 から10日 |
62 |
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5月11日 から20日 |
139 |
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5月21日 から28日 |
22 |
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5月計 | 223 |
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合計 | 972 |
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3月20日 〜3月31日 |
遡上なし | 遡上なし | ||||||||||||||||||||
遡上初出日 | 4月4日 | 4月3日5千 | ||||||||||||||||||||
初出日 最高水温 |
13度 | 12度 |
2012年の遡上状況
1 3月下旬の遡上なし
去年同様、中高生に番茶も出花娘が混じる程度の大きさにしか育たないのでは。
12月生まれしか遡上していないと考えている。
2008年や2004年のように、乙女が釣りの主役になることはなかろう。
2 沖取り海産が捕れたから、遡上量の激減にはならないでは、と思っていたが。
大量遡上の翌年の遡上量の激減は、海の動物プランクトンが稚アユの胃袋を満たす量がない、「全滅するには忍びない」ということで形成される順位制や縄張りの社旗組織が稚アユの段階では形成されないため、食糧不足で生存率が低下する。
しかし、去年は何度もダム放流があったから、栄養塩が大量に海に流れ込んだはず。その結果、
→植物プランクトンが大量発生する
→動物プランクトンが大量発生する
→稚鮎の餌は潤沢で、餓死しない、生存率が高いかも、と皮算用をしていたが。
3 相模大堰右岸側副魚道の遡上量が数年前から激減している。右岸側の遡上阻害が生じているのかなあ。
4 去年の遡上量の5分の1くらいかも。
そうすると、磯部の堰の遡上達成率が2,30%くらいではないかと思うから、放流ものが釣りの主役かも。
中津川は、去年、三川合流点付近の砂礫の堆積でチャラチャラ水しか流れいなかった状態になっていたが、砂礫を取り除いて、流れができた。
妻田の堰上流の3つの堰の魚道の維持修繕をした。
その結果、数年振りで遡上ができるようになったが、遡上量が少ないから、去年並の魚道の機能がが維持されているとしても、大した遡上量にはならないのではないかなあ。
5 東伊豆の小川での遡上の開始
丼大王は、川の水温10度、海の水温15度くらいの東伊豆で、3月22日に遡上を確認しているから、その稚鮎が相模湾を生活圏とするものであれば、3月下旬に相模大堰を遡上するかも、と期待したが、駿河湾を生活圏とする稚アユかも。
名人見習いさん、相模川での遡上アユが釣りの対象となることは僅少であるようで。狩野川の遡上状況を調べて。
駿河湾の稚アユの状況も聞いといて。駿河湾の稚アユが多かったのであれば、大井川に行くしかないかも。
相模大堰副魚道遡上量調査その2
2000 年 |
2001 年 |
2002 年 |
2003 年 |
2004 年 |
2005 年 |
2006 年 |
2007 年 |
2008 年 |
2009 年 |
2010 年 |
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4月1日 から10日 |
23.2 | 204.9 | 568 | 18.4 | 830.9 | 5.6 | 0.5 | 27.4 | 188 | 20.3 | 19 | |||||||||||
4月11日 から20日 |
9.4 | 40.6 | 895.2 | 264.5 | 113.2 | 0 | 2.5 | 24 | 219 | 54 | 81 | |||||||||||
4月21日 から30日 |
36.6 | 125.3 | 387.1 | 232.3 | 499.2 | 42.2 | 23 | 275 | 229 | 40 | 70 |
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4月計 | 69 | 371 | 1,850 | 515 | 1,443 | 48 | 26 | 326 | 636 | 114 | 169 |
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5月1日 から10日 |
4.4 | 129 | 112.8 | 32.8 | 56.2 | 0.8 | 9.9 | 68.6 | 70 | 2 | 59 |
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5月11日 から20日 |
5.5 | 40.7 | 48.5 | 41.2 | 136.7 | 0.6 | 6.1 | 13.8 | 32 | 7 | 3 |
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5月21日 から28日 |
3.7 | 8.6 | 9.7 | 108.8 | 45 | 0 | 0.7 | 3.2 | 36 | 0.4 | 2 |
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5月計 | 13.6 | 178.3 | 171 | 182.8 | 237.9 | 1.4 | 16.7 | 85.6 | 138 | 9 | 64 |
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合計 | 101 | 550 | 2,199 | 706 | 1681 | 49 | 43 | 412 | 774 | 123 | 233 |
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3月20日 〜3月31日 |
16 | 1 | 177 | 80 | 296 | |||||||||||||||||
遡上初出日 | 23日 | 20日 | 25日 | 29日 | 25日 | 4月 4日 |
4月 3日 |
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初出日 最高水温 |
ー | 12度 | 11度 | 12度 | 12度 | 15度 | 13度 |
2009年 浜名湖産放流。駿河湾の稚鮎大量。11月以降、12月始めまで、昭和橋付近に鵜山ができる。「トラックで運ばれてきた」
海産畜養の産卵場所になった。
2011 年 |
2012 年 |
2013 年 |
2014 年 |
2015 年 |
2016 年 |
2017 年 |
2018 年 |
2019 年 |
2020 年 |
2021 年 |
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4月1日 から10日 |
61 | 18 |
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4月11日 から20日 |
271 |
56 |
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4月21日 から30日 |
417 |
412 |
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4月計 | 749 |
531 | |||||||||||||||||||
5月1日 から10日 |
62 |
31 | |||||||||||||||||||
5月11日 から20日 |
139 |
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5月21日 から28日 |
22 |
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5月計 | 223 |
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合計 | 972 |
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3月20日 〜3月31日 |
遡上なし | 遡上 なし |
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遡上初出日 | 4月4日 | 4月3日5千 | |||||||||||||||||||
初出日 最高水温 |
13度 | 12度 |
1 4月25日 100万 4月28日81万 4月29日129万 4月30日118万
の大量遡上があった。
2 5月は2日から7日まで調査せず。 濁りのため。5月8日は26万。
3 ということで、4月遡上計530万。5月8日までで562万。
4 ふざけえ すぎいいたあ きせつうの あとでえ
5月3日はサイレンなしのダム放流。そのため、葉山の護岸工事の人たちが取り残された。
神川橋で3メートル余りの増水。厚木で1メートルほど。
4月終わりに大島で放流された鮎が継代人工なら、死んだり、流されたのではないかなあ。
幼児が、増水にどのように対応できたのかなあ。
厚木では、ヘチがあったと思われるから、避難できたのではないかと思っているが。
5月10日現在、まだ濁りが残っており、光合成ができるのは、ヘチ等の限られたところだけではないかなあ。
幼児がどのくらい飢餓に耐えうるのかなあ。中高生であれば、餓死することはないと思うが。
5 石切場の流れを堰き止めていた土砂は流れた。工期は6月末までに変更されていた。
また、瀬肩で流れを堰き止めるのかなあ。護岸工事をしなくても洪水が起こる危険は皆無であるのになあ。堤防を車が通る空間はできあがっているのになあ。
6 幼児が餓死せずに生き残ったとしても、4月終わりの遡上であるから、小中学生の大きさにしか成長できないのではないかなあ。
そうすると、釣りの主役になるのは4月上旬と中旬に相模大堰を越えた遡上鮎だけかも。それも女子高生か、大きくても番茶も出花娘くらいの大きさかも。去年並の大きさではないかなあ。
5月23日 狩野川 気が重いなあ
駿河湾の稚鮎が少ない、遡上量が少ない、遡上が遅い、と、楽しくない話が。
5月3日の
ふざあけすぎたあ きせえつの あとでえ
継代人工は流されたか、死んで消えたよう。
試し釣りの前に継代人工の成魚放流が行われたところだけ、釣れていたよう。
もし、遡上鮎が多ければ、小中学生が釣れていたはず。
解禁日は、雲金に入ったであろう迷人見習いが目出度くボウズに。
迷人見習いがヘボであるから?
まあ、オラよりは1,2匹はヘボですけどお。
とはいってもですよ、そんなことはありませんよ。迷人見習いの師匠が、迷人見習いの泳がせ釣りに、免許皆伝を与えた、とはいいませんが、「仮免」は与えたようですしい。
1995年、96年の遡上鮎がゼロ水準の悪夢がふたたびやってくるのかなあ。
その頃、年券は予約販売。95年はやむを得ないとしても、96年は、鮎雑誌に「狩野川復活」なんてガサネタの宣伝文を信用して損したなあ。故松沢さんに確かめれば何ら問題はなかったのに。
結局、2年間は解禁日だけの釣り。
次に年券を買ったのは2000年。
そのころは、 あしいいたが ああるうさあ
と余裕があったけど。
お天道様がおいで、おいでと暖かいお誘い、とはいえ、アッシー君もいないとなれば、気が重いなあ。
ということで、狩野川に行く費用で宝くじを買いました。当たれば、素石さんの「ツチノコ探検隊」に張り合うつもりで、「香」魚探検隊を編成します。どっちが、「発見」の確率が高いかなあ。
さて、相模川でも状況は同じ。
5月3日、神川橋で3メートルのダム放流の増水。厚木では1メートルの増水であるから、ヘチがあり、遡上鮎は避難できたはず。しかし、継代人工は避難する能力もなく、流されたり死んだのではないかなあ。
高田橋左岸へ地には5センチあるかなしかの稚鮎が跳ねているが、それらは5月2日の内水面祭りの時の放流体験の稚鮎であろう。高田橋のところには川原がたっぷりあるから、ヘチへの移動は楽にできたのではないかなあ。
遡上鮎は、磯部の堰を上っていないのではないかなあ。
もし、上っているのであれば、弁天へら釣り場横の分流に稚鮎が見えるはず。5月20日でも見えなかった。
磯部の堰の魚道は上下、2段ある。その上流側の魚道の上り口が、上流側に向いていると思っていたが、下流側の魚道の上り口が上流側に向いていた。
従って、遡上達成率が低い魚道である。何らかの条件があり、リーダーが上流側の上り口に気がつくと、集団行動で上ってくるよう。
5月3日のダム放流で、石切場の瀬肩附近に設置されていた護岸工事のための流れを止める土砂が流されて安心していた。そして、護岸工事が中止になるとの話があり、左岸側の土砂が流されて、鮎の棲みやすい環境になったと安心していた。
ところが20日頃、ユンボが2台、流れの中に入っている。ダム放流の時に流された発電機が見つかり回収している、と。
埋まった発電機を掘り出すため、底をかき回している。
これで、瀬肩下流20メートル付近、ブロックが入っているところから下流の左岸側では、また土砂が石についたのではないかなあ。
なお、その土砂がついた石のところに大きい鮎や小さいアユが見えるとのこと。最近、放流されたのであろう。
やっと、30ウン代目の県産継代人工種苗が廃棄されたよう。
「漁連だより」第21号:2012年4月1日号には
「内容は継代数をより天然に近いものにするため、本年度はF9ですが、次年度は相模川水系のF2の計画。」
中津川角田大橋左岸支流での生存率がゼロに近い30ウン代目の県産継代人工種苗の生産が中止されたことは歓迎するが、F2生産の時の親が、「遡上鮎」でることを識別されるよう願っている。
漁協が「湖産」を放流したといっているから、側線上方横列鱗数が20枚以下でも「湖産」と識別されていた「目利き」ではない県の方では、大丈夫ですかねえ。
放流された「継代人工」を「海産」鮎と判断して「親」としないで下さいね。
5月27日 中津川
やっと、5トンほどのダム放流量となり、流れの中を歩く気になった。
それにしても、3週間も濁りがとれないとは、宮が瀬ダムになにが生じているのかなあ。早くも相模湖並の濁りが長期間続くダムに変身したのかなあ。
角田大橋下流のヘチは泥まみれ。数年前のように、ダム底のヘドロを放流し、さらに土砂が大量に流れ出したのかなあ。
壊れ橋上流にいくと、やっと、泥まみれの石は減った。泥をかぶった石に小さなハミ跡が。
アカは付いている。しかし、鮎の気配が感じないなあ。アカ腐れをしていないから、食する鮎がいるとは思うが。
700万遡上といわれている遡上アユは、磯部の堰を上っていないと思う。
磯部の堰の2段になった魚道の下流側魚道上り口が上流側に向いていた。ということで、上流側の魚道の上り口が上流側に向いているとのオラの記憶は間違っていた。
昨日も弁天のへら釣り場横の分流にはアユの姿はなし。はんでいるアユがいるであろうが、その量は少ないはず。
中津川も、魚道下流側がえぐれて上ることのできない魚道があるとのこと。漁連の方はブロックの間を上っている、とのことであるが、その方は、「遡上達成率」という概念をご存じないのかなあ。小学生の三谷ちゃんよりも観察力、推理力が劣るように思いますが。
さて、中津川漁協の試し釣りの結果が出ているが。
5月3日前に放流されたであろう継代人工は流され、あるいは死んだであろう。5月3日の雨で宮が瀬ダム放流量は100トン。今日は5トンほど。
その後に継代人工等の放流をしているが、今年は、成魚の入手が厳しく、大小混合でしか買えないとのこと。そして、遡上アユは中津にのぼっていない。となると、釣りの対象となるほどの小中学生の大きさのアユが、それほど多く川にいるとは考えにくい。まあ、写真は囮を含んだ可能性があるよう。
なお、高田橋での試し釣りも散々な結果であるとの話があった。
先日、石切場で行われた放流地点を石切場の瀬の下流側と書いたが、瀬肩附近とのこと。
そうすると、弁天瀬尻から始まるトロにはいるものもいる。柳の前のトロに溝があれば、そこに居つくものも多いとは思うが。
一点豪華主義の、恣意的放流の狩野川を嫌い、興津に流れた人がいて、昨日よりも大入り満員とのこと。はっちゃんは携帯にでない。釣れているのでしょう。
中津、相模の解禁日は? もう、前夜祭から小休止の後、釣れずに宴会が再開するとの観測が。
6月1日 中津川
相模大堰を遡上しても、中津川はどこかの魚道の下流がえぐれて段差が大きくなり、相模川は磯部の堰の魚道を上った遡上アユがいない、となれば、5月3日以降に放流されたものしか釣りの対象とならない。
小沢の堰の魚道付近にサギはいても1,2羽。席取りゲームをするサギはなし。閑古鳥が鳴いている。マムシキラーさんが磯部の堰の魚道も閑古鳥が鳴いていた、と。
それでもどこかに行かないと、あゆみちゃんに義理を欠くことになるしなあ。
お百姓から、カジ淵から角田大橋まで大入り満員とのメールが。
海底(おぞこ)であれば空いているはず。
始発のバスに乗り(といっても7時発のバスであるが)、8時過ぎには囮をつけた。迷人見習いだけに、解禁日のボウズを味わせたのでは、泳がせ釣りの「仮免」の名を、いや腕を汚すことになるから、ボウズになって迷人見習いを喜ばせてあげましょう。
上流側のねえちゃんが釣れた。放流場所ではないかもしれないが、少しはあゆみちゃんがいるのでしょう。
釣れました中学生が。まだ9時半か。1時間ほどしか釣ってないなあ。迷人見習いは、狩野川の解禁日に3時間釣っているなあ。お仕事の時間を迷人見習いよりも短くすると、もう釣る体力もなくなったのか、と蔑まれるからもう少し頑張りましょう。
やっと11時になった。幼児に小学生、計4匹。
迷人見習いよりも釣ってしまった。ごめんね。梅雨明けの大井川で敵討ちをしてえ。
よねさんは、放流場所の角田大橋上の、浅い、流れのないところで、どのくらい釣ったのかなあ。よく、あんな場所で釣ることに我慢できるなあ。
麦酒を飲んだ後は、壊れ橋上流へ。1匹釣った人が2人いたが…。 釣れないから、朝の混雑は消えている。
はっちゃんは、午前、よねさんの隣で、サンダルばきで他人の竿を使って釣るも、自らは釣る気配もなし。興津では40台コースを3日も味わい、満足しているのかも。
Oさんも二日酔いとかいって、竿を出すことなし。
ドブ釣りで4束の人が。継代人工は、個体間距離の許容度が遡上アユに比し、著しく狭いということかも。スエーデン人?は、壁厚1メートルほどでプライバシーを確保しないと満足できない。日本人は満員電車の個体間距離でも満足できる。この個体間距離の違いが、継代人工と遡上アユに存在するということかなあ。
去年、山女魚キラーさんが遡上量は多い、小中学生に育つ鮎しかいない、というなかで4束を釣ったのは1日仕事であったが。
はっちゃんは、朝4時、4時半集合と、4束の人と調整をしていた。
30匹近くを釣って来た人がいたが、その人並みに釣ったのはよねさんくらいかなあ。よねさんが戻ってくる前に帰ったからわからないが。
バスを待っていると、アッシー君の1人が来たから乗せて貰い、昭和橋へ。コロガシの姿見えず。磯部の堰下流に行ったのかなあ。ご近所さんは、磯部の堰下流、座かえ橋等ではコロガシ族の縄張りが強固で、侵入したくないといっていたが、背に腹は替えられずに磯部の堰下流に行ったのかも。
ご近所さんが戻ってきた。3人でチビ5匹ほど。昭和橋では他の人もさっぱり、と。磯部の堰下流には行きたくないから行かなかった、と。
さて、中津も、相模も遡上アユがいないという20世紀と同様の状況になれば、そして、1995年、96年並の遡上量となっている可能性もある狩野川となれば、遡上あゆみちゃんを求めてて歩くしかない。そのためにはアッシー君が必要。
そのアッシー君の希望の星であるお百姓に異変が生じている。
道楽息子、サボリーマンで、とおちゃんから勘当じゃあ、と怒られていたお百姓が、真面目人間に変身。今日もですよ、以前のお百姓であれば、軽トラに釣り具一式を乗せて竿をだして、帰ってからとおちゃんにこっぴどく怒られていたのにですよ、竿をだすこともなく、川を見ただけで、畑か田んぼに行ったとは、天変地異の前触れですよ。
だあれえが こおんなおとこにしたあ
女か、結婚か。
神様、仏様、お百姓に女ができても、結婚しても文句はいいません。しかし、今年だけは女を遠ざけて、道楽息子に戻してください。お願いいたします。
サボMからのメール
友釣りの対象となるような、鮎はいません〓
高田橋上流、一本瀬、葉山と見て回るも、毛鉤でチビ鮎が釣れてる程度で友釣りでは釣れていません〓
で、上大島でZさん、Sさんと合流して竿を出すも・・・鮎がいませんでした。
結局、Z、Sさんは、ボウズの様です。
で、お昼前にTさんと角田上流に転戦しましたが、オトリが代わらず、苦労しました。
なんとか小型5本釣ったところで、どしゃ降りです。
なお、T名人は開始早々にオトリが変わり9本でした。
さすがです。
6月5日 相模川
相模川にいるアユは、継代人工のチビを含む放流もので、遡上アユなし、。今日も、小沢の堰の魚道にはサギは見えず。
そして、2,3日の土曜、日曜は、今月中旬の大会参加者だけでは。とても、解禁2,3日目とは思えない閑散振り。
オラの予想は、大島にはたっぷりと継代人工が放流されたと思っていたが、外れて他のヵ所並かも。右岸松の木側の流れがなくなり、ブルを入れて水が流れるようにしたとの話があったから、例年通り、松の木側には一杯入れると思っていたが。漁連組合長が替わったことが影響しているのかなあ。
そんな相模川ではあるが、中津の糸にくっつく汚水処理水で発生しそうなSS状のものを避けたい、どっちも放流ものしかいないのであれば、のんびりと相模で時間を過ごすのもよかろう。
とはいえ、難行苦行は避けたいなあ。
クーラーなし、握りなし、麦酒なし、囮1匹。
目標、迷人見習いが解禁日の狩野川で働いた3時間。
堰下流に6人。ここが一番混んでいる。右岸へ地は釣れてないなあ。
石がどの程度出たのか、関心がある。4メートルのダム放流前よりはでているが。
平成の始め頃まで、高田橋から弁天にかけてのヘチを含めて頭大の石がびっしり詰まっていてアカが飛んだ後は最初にアカが付いてた。その頃の玉石がびっしりと詰まった状態とはいえないなあ。
磨かれた石、輝いている石はないなあ。ヘチの腐りアカにハミ跡が少しあるが。
今の伸縮性の根掛かり外し器ができる前、平成の始め頃まで鉛のワッカに糸が付いたものが使われていた。今、鉛のワッカではなく、長方形でステンレスでできた根掛かり外しが売られている。その性能を試した。根掛かりをはずすことができた。慣れれば、囮の救助数が増えるかも。
やっと9時半。迷人見習いさん、3時間働きましたよ。そしてボウズですよ。安心して梅雨明けの大井川に行きましょう。決して迷人見習いさんの「仮免」の名声をおとしめる心配はありませんよ。
チビを釣った人が堰下流からやって来たが、今月中旬の大会はどんな結果になるのかなあ。野次馬は楽しいなあ。麦酒を飲みながら見学しましょう。
なお、酒匂の鮎沢川からの濁りは原則おさまったよう。今は白川であるが、様子を見に行くかも。
大井川の塩郷堰堤下流の新大井川漁協管内では、放流が行われていなかったが、現在は行われているよう。
その影響を考慮して釣れた状況を判断する必要が生じている。
今年は、鮎の里の丹原、抜里、川根温泉、昭和橋上流のゴルフ場付近との話があった。1日の釣果で影響があったと思われるのは川根温泉。
昭和橋下流の囮屋さん付近でも釣れているが、上流から流れてきたのかなあ。
6月7日 相模川
前回同様のスタイルで行くか、なあんもたずに行くか、難行苦行は嫌だし。
テク1が竿を出した、というから、どこで?と尋ねると、ケースから、と。テク2は今日も弁天瀬落ちで左岸からドブ釣り。
そのような方々と比べると、オラは、すでに2日も難行苦行をしているから、散歩で十分でしょう。
小沢の堰の魚道にサギは3羽だけ。磯部の堰の魚道を遡上鮎が上ったとはいえませんなあ。
昭和橋のコロガシで、15センチ級の「成魚」放流が釣れている、その場所に固まっているのか、回遊しているのかわからない、と。じゃあ、釣りに行けば、というと、くたびれるだけ、と。
テク2はドブ釣りをしながら、弁天の瀬の釣り人を観察している。
ヘチ寄りの波立ちのあるところしか釣れていない。芯は釣れていない。弁天瀬落ちのすぐ上のカケアガリは釣れていたが、釣り返しは効かない。何日か、間をおいたら釣れるのか、それとも、品切れか、わからない、と。
もう、梅雨明けにどのようになるのか、待機しているだけですなあ。
磯部の堰を遡上できないのか、それとも、5月3日のダム放流後の食糧不足で餓死したのか、磯部の堰下流のざかえ橋や厚木のコロガシで、唐揚げの食材が束釣りできているか、どうか、見てきてくれたらわかるのになあ。
冷水病が蔓延し始めた頃の愛知川?の解禁日。満さんは束釣りの自信満々で…。しかし、満さんの腕をもってしてもボウズ街道まっしぐら。マスターズ優勝者の幸野?さんが、犬の散歩を。そして、鮎はいないよ、と。
その情景に相模も狩野川もなっているということかなあ。
近く、成魚放流がされるとのことであるが、その結果は、「公表」可能な数字がどこかで出るということかなあ。そのあとは?
今年の「成魚」放流にチビのブレンド率が高いのはどうしてかなあ。県産の30ウン代目の種苗生産をやっと中止した、ということだけではないのかも。高田橋上流のちんちん釣りの人は、小学1年生と幼児が10匹ほど。
弁天は放流されていないであろうから、そこにいる鮎は石切場の瀬肩附近に放流されたものかなあ。高田橋から流れてきたものかなあ。
6月10日 相模川
握りなし、麦酒なし、クーラーなし、囮1匹の貧乏生活はいつまで続くのかなあ。
どこに行ったら、昼麦酒が飲めるのかなあ。
ファンクラブの大会が行われているから、高田橋も弁天も釣り人がそれなりに入っている。とはいっても満員御礼には程遠い。
弁天の瀬落ちのすぐ上のザラ瀬には数人が。空き家でなくなったのかなあ。
瀬のヘチの石は汚いなあ。1人は玉曳きで釣れているが。
去年まで瀬肩であった付近、現在はザラ瀬状のところに右岸からも左岸からも立ち込んでいる。左岸側のヘチに入る。
あれえ、釣れた。トイ面のうち、2人も釣れている。オラの斜め上流に立ち込んで、下流へと下っていく玉曳きの人も釣れている。それら、釣れている3人組は10時過ぎには上がったが、そのうちの1人は10匹台では。後の2人も10ほど釣れたのでは。チビはなし。小中学生。女子高生も混じっていたかも。
11時近くまで働いて、14歳、15歳の2匹。
下顎側線孔数4対左右対称。
高田橋と違い、弁天は、遡上鮎が対象のよう。
相模大堰遡上量調査では、4月上旬20万、4月中旬50万。
左岸、右岸のヘチを同数が遡上したとして、磯部の堰がある左岸側は30万。さらに、下流側の魚道の上り口は上流側に向いているV字型であるから、遡上達成率はさらに下がると考えられる。7掛けとして20万。
2,30万しか磯部の堰を上っていないのではないかなあ。
4月終わりの大量遡上の群れは、磯部の堰を上る前に5月3日のダム放流で、2,3週間ほど飢饉になり、生存率を落としたのではないかなあ。量が多い分、飢饉の影響は磯部の堰上流よりも深刻になっていたのではないかなあ。
いずれにしても、高田橋と違い、弁天では、遡上鮎が釣りの対象であることがわかったから、今週の大会のときは、麦酒片手に弁天でカンニングをしましょう。一刻も早く、極貧の生活から脱出するために。
6月14日 相模川
今日は、大会の状況を見てこれからの行く末を考えようと。久々にクーラーを持ち、麦酒を入れ、握りをもって、と、フル装備。囮も1匹。
高田橋は放流ものが主体のようであるから、弁天へ。
釣れている人がいるが、どのくらいの量かなあ。
混んではいるものの、空いているところもある。囮を働かせないとは、女衒道に劣ることになるからちょっとの間、働かせたが。
昨日、ヤマネねえちゃんが右岸側の瀬肩附近で午前中に4匹釣ったというのになあ。太っ腹の社長ですら4匹釣っていたというのになあ。釣れませんなあ。
顔見知りの人たちとオシャベリをして、天下の情勢を把握しょうと一生懸命。狩野川の大会では、1回戦のボウズが多すぎて、じゃんけんで2回戦進出者を決めた、と。
中津では、塊さえ見つければ20,30当たり前、塊が見つからないと?
そのような状況から見ると、相模川は恵まれているということかなあ。
1回戦の後、1人残った左岸の人が、大会の人たちが囮を入れていなかった瀬の芯を玉曳きして下っていった。釣れず。まだ芯には付いていないのかなあ。
田名の主は、コイの産卵が6月でも行われていた、弁天のへら釣り場でワームで退治しているブラックバスもまだ産卵が終わっていない、等、季節の移ろいが遅れている、川の出来も遅れている、と。川の出来が遅れているとはどのような意味かなあ。
川原で昼麦酒を飲むという目的を果たしたから、残る課題は、釣り返しが利くのかどうか。
2回戦参加者はほとんどの人が右岸側に渡った。瀬尻のトロのようなところまでびっしり。左岸側は空いているから、また囮君に短時間労働を。
右岸側は、1回戦よりも釣れている数は少ないのではないかなあ。ただ、ボウズ街道まっしぐらの人は少ないのではないかなあ。
瀬尻の人が釣った鮎には、石切場で放流された「成魚」放流の大きめの人工が、トロを移動してきたものもいるのではないかなあ。左岸のブロックが切れる付近のトロに入っていた一般の人も動いていなかったから、瀬尻の鮎は遡上鮎でないかも。
田名の主は、2回戦のとき高田橋には4人?しか入っていないため、右岸の放流ものが溜まるところを釣っている人もいた、ちんちん釣りの場所でもすぐに4匹釣っている人もいた、とのこと。
1位の釣れた数は10匹を超えていたのではないかなあ。一位のお局さんも10匹くらいで全国大会へ。
テク2は、今日も瀬落ちの袋でドブ釣り。テク1は中津で遊ぶようになったが、放流ものの塊を見つけるのが大変、と。塊を見つけることが出来れば、20,30コースに。その場所には棄てられた囮もやってきていて、すでに2匹釣ったとのこと。
消防グランドから壊れ橋まで、右岸側のまともな流れを釣ったが3匹。放流ものは、自力で分散する能力がなく、増水という自然の力を借りないといけないということかなあ。
まっちゃんが、大会を見学しながら、中津川角田大橋下流の瀬で4匹?とのこと。そのようなまともな場所で釣れる放流ものはいつになったら増えるのかなあ。
桂川はその塊の典型とのこと。
田名の主は、大島のシルバーシート前を含めて、鵜止まりの淵までの区間がええ瀬になったが、鮎がいない、と。遡上鮎が付けば田名の主がホイホイと出かけるであろうが、放流ものはお呼びでないよ、と、流れの緩やかなところに行くでしょうねえ。
大島に放流された鮎は、5月3日のダム放流でどこに消えたのかなあ。生きているとすれば、川原が広く、ヘチが出来ていたであろう神沢かなあ。田名の主に様子を見に行って、というと、川原に車を入れてえらい目にあったから行きたくない、と。水のそばまで車で行かないと我慢できないとは困った習性ですなあ。
お百姓さあん、昨日、ヤマメねえちゃんの竿で2,3回バラしたんですってえ。
恥ずかしいでしょう。女、結婚をとるか、それともかっての道楽息子に戻るか、よおく考えなさああい。
今日、蹴られが数回。水鮎の遡上鮎に蹴られるとはなあ。継代人工でもないのに。鎧のウロコでもないのに。お百姓さあん、去年巻いた針をちょうだあい。資源を無駄にしないために。お仕事に生きる決断をしたようですから、もうハリは入らないでしょう。
ということで、大会参加者は釣れていたのに、オラはボウズ。しかし、お日様ニコニコの川原で麦酒が飲めただけで満足です。昨日は、発熱量たっぷりのヤマメねえちゃんでさえ、寒い、といってましたからねえ。
迷人見習いさあん、たった1回のボウズで、海釣りに精を出すとは不謹慎ですよ。師匠に言い付けますよ。川見の修行に励んで下さい。そして、梅雨明けには大井川へ連れて行ってください。
6月17日 相模川
迷人見習いからのお誘い。しかし、動機が不純です。海が荒れているからやむを得ず、と。
せっかくのアッシー君であるから相模縦貫道橋梁付近を見に行く。数人入っていて、右岸側の瀬の芯に囮を入れている。
石切場は11時前というのにそれほど混んでいない。弁天も入る場所がある。
午前、釣れず。迷人見習いはバレ1.午後、迷人見習いが釣った。こりゃあ、なにを言われるか、困ったなあ。どんな言い訳をしょうかなあ。
鮎釣りを初めてボウズは2回しかない、とおっしゃっている迷人見習いにこてんぱんに苛められるなあ。ますます鼻を高くさせることになるなあ。
麦酒効果が出て、やっとオラにも釣れた。下顎側線孔数4対左右対称。その後の4匹も、迷人見習いの釣った2匹も同じ。ただ、少し太めがいたから、海産畜養も混じっているのかも。
オラは16歳女子高生が1,中学生3,小学生1. 迷人見習いは中学生2.
他の人もあんまり釣れてないなあ。昨日の20センチほどの増水で上ったのかなあ。
3時頃の石切場の瀬は、両側からびっしりと竿が出ている。しかし、あんまり釣れているように見えないなあ。弁天と似たりよったりかなあ。
結局、今日も3時間ほどしか働かず。いつになったら、あんよが痛い、腕が痛い、というほどの時間、働くようになるのかなあ。
迷人見習いに2.5倍の差をつけた効果はてきめん。大井川でこてんぱんにやっつけるぞお、と。
ありがたいですなあ。あとはダム放流がどうなるか、飢饉がどの程度の期間続くか、心配です。
14日、新昭和橋下流に午後からコロガシに行ったご近所さんが、30ほど。鮎が動いた、と。
夕バミの時間には、チビだけでなく、高校生くらいの鮎も跳ねていた、きらきらさせながらはんでいる鮎もいた、と。
午前は雄物川さんが同じ所を釣っていたが、数はわからない、と。やっと雄物川さんが編み笠を使うようになった。釣りに出かけていないときは、編み笠が玄関に吊してある。釣り場は、昭和橋上流の左岸側が深くなり、また流れが強くなったから、新昭和橋下流になったとのこと。そこであれば、囮をもらい、友区にすぐにいけるから、編み笠のないときは様子を見に行く気になる。
とはいっても、雨がどのくらい降るのかなあ。いつ頃までダム放流がないのかなあ。
日暮れ近く、新昭和橋下流のコロガシから、ご近所さんが帰ってきた。午後から釣り、40ほどの15歳くらいを揃えていた。午前は同じ所に雄物川さんが入っていて、たっぷり釣れたと行って帰っていったが、数はいわなかったとのこと。
すでに遡上鮎が15歳くらいに育っていることはわかるが、なんで縄張りをもつ鮎が少ないのかなあ。新昭和橋の方が遡上鮎の密度が濃いのかなあ。
6月19日 相模川
今晩から降る雨がどのくらいのダム放流になることやら。
2,3週間の飢饉になるかも。となると、今日は出かけるしかないなあ。麦酒なし、握りなし、クーラーなし、囮1匹の貧乏生活に1日で逆戻り。
今晩からのダム放流に備えてか、20センチほど増水している。弁天瀬肩附近のヘチから、手前側の筋だけに囮を入れておれば、根掛かりを外しにいっても、粗相はなかろう。
久々に囮を過労死させることになるのかなあ。0.8号の玉では流され。1号の玉に。日曜日の残り物の囮であるから、網をかいくぐるほどの元気者か、はじかれた囮しかいないから当然のことか。
釣れちゃった。下顎側線孔数4対左右対称の女子高生。太めんであるから海産畜養であろう。「成魚」放流には相当量の海産畜養が入っているということのよう。新昭和橋下流のコロガシで釣れているものも海産畜養が主体のよう。
昨日、ご近所さんが2時ころから釣ってきた20ほどの鮎も海産畜養。去年までは、雄物川さんらの群れと、ご近所さんらの群れは釣り場を異にしていたが、今年は昭和橋上流で流れが1本になったから、2つも群れは同じ瀬を釣っている。雄物川さんは午前中を、ご近所さんは午後を釣っているが、雄物川さんは釣れた数を秘密にしている。多分50以上釣っているから、邪魔されたくないのかも。最上川さんに聞いておこう。
小学生も釣れた。
これが遡上鮎か、海産畜養かわからない。
海産畜養は、継代人工とは異なり、同じ大きさの成長にはならないとのこと。同じ大きさにするには何回も大きさによる仕分けをしなければならないとのこと。したがって、小学生であるから遡上鮎である、とも云いきれないようである。
まあ、2匹もあゆみちゃんが相手をしてくれたから、ありがたいことですなあ。天気予報よりも早く五月雨が降ってきた。「五月雨」とはいっても、旧暦での季語であるから、今日の雨を「五月雨」と表現しても誤用ではなかろう。
海産畜養と、どのくらいの量が磯部の堰を超えたのかわからないが、遡上鮎とは、ダム放流による増水でも避難する能力があり、また、2,3週間の飢饉に耐える体力もあるであろうから、弁天、石切場の鮎の密度は現在とそれほど変わらないのではないかなあ。弁天瀬尻の鮎は継代人工ではないかと思っているから、消えるかも。まあ、7月上旬の大会のときにどのような変化が生じているか、いないか、で、見当はつくと思うが。もっとも、その頃にどの程度、光合成が可能になっているのか、ダム放流量によっては問題ではあるが。
6月20日 相模川 台風と前線によるダム放流
台風と前線による雨で、神川橋で4.5メートル、厚木で2.5メートルの増水。
高田橋の川原は残っているから、海産畜養の避難場所は存在している。
弁天では、中洲の一部が空中に出ている。
石切場上流の柳付近から上流では、右岸側に避難場所がある。そこにサギがいた。
中津川は110トンのダム放流。
さて、中津川は、継代人工が放流の主体で、海産畜養はわずかなよう。相模川は、海産畜養が放流鮎の主役ではないかなあ。
7月上旬に行われる中津川と相模川の大会に出る。中津川では、群れから自発的に抜けだす能力すら希薄な継代人工であるから、流されて消えてしまったのではないかなあ。止まるとしても、八菅橋付近から下流の川原ではないかなあ。そうすると、狩野川の大会同様、2回戦進出者は、じゃんけんになるのではないかなあ。根掛かり放流をしなければ、オラにも勝機あり。去年の狩野川で使った0.3号、0.4号のフロロを使い、粗相をなくそうかなあ。
相模川は、海産畜養が避難できたとしても、大会の頃は、ヘチ等の一部が光合成ができるようになった頃ではないかなあ。とすれば、こちらも、鮎はいても、釣りの対象となる鮎は少ないかも。
日曜日、迷人見習いに「2.5倍」の差をつけて勝っていてよかったなあ。
負けていたら、今年、いや三途の川を渡るまで、どんなに苛められたことやら。
大井川は、神座で3メートルの増水。昭和橋や、抜里には避難できるところがあると思うが。とはいえ、飢饉が2週間以上続く。遡上鮎がどの程度いるのか、気になりますねえ。
7月3日 相模川
6月20日台風によるダム放流よりも濁りがきつかった23日のダム放流のまっきっきの濁りから少しは澄んできたといっても、透明度は10センチくらい。光合成はヘチ等の一部で可能になっているにすぎない。
小沢堰下流の伏流水のところは、チビが跳ねている。海産畜養の養魚場で育つ前に放流されたものであろう。それでも、継代人工とは違い、増水時に避難する術を身につけている。
20日のダム放流が減水した23日、雄物川さんが、ダム放流のサイレンの鳴る中、パトカーなどの人たちに見守られて、昭和橋下流の伏流水のあるワンドで、97匹。ということは、海産畜養は増水時に避難できたものが多いということではないかなあ。
今日、雄物川さんの玄関にぶら下がっている編み笠が見えなかったから、昭和橋下流の伏流水のワンドに出かけているのかも。
小沢堰の落水のところは、20日のダム放流前は、ドブ釣りの一大聖地であったが、今日の人は釣れない。濁りに適する毛バリを使っていないからか、それとも?
その下流の伏流水のところではチビが跳ねているが、ニゴイも。
去年まで分流が合流していた付近のちんちん釣りの人は、すぐに5匹釣れたが、その後は1匹釣れたのを見ただけ。その付近では小学生が跳ねているが。
弁天分流の瀬肩附近、その下流の分流にちんちん釣りの人が。
左岸護岸上流には友釣りが。小学生を囮にしていたから釣れているということであろう。
弁天瀬肩上に着水した鵜は、ヘチを泳ぎ下り、瀬にはいると流れのまんなかを下っていたが、商売になったのかなあ。
今週の大会はどうなるのかなあ。
中津川の継代人工は八菅橋付近に流され、その付近のヘチに囮を入れている人が釣れていたとの話があったが。この状態で大会になれば、じゃんけんで勝機あり、と思っていたのに、数日前に放流したとのこと。ボウズ街道まっしぐらでない人が増えて、
夢はあ むなしくきえてええ
相模川の大会では、海産畜養が存在するものの、アカが付くところはわずかではないかなあ。とはいえ、アユがいるから、どこかで釣ってくる人がいるでしょう。こちらもじゃんけん大会での進出は
夢はあ むなしくきえてええ
ということになるのではないかなあ。
7月1日解禁の三面川では、囮が空っぽになって待ち人あり、というほど盛況であったとのこと。東京人は、東名に乗らず、関越を走るでしょうね。
高根川では60匹の人がいたとのことであるが、放流モノの塊とのこと。放流モノか、遡上アユかを識別される人に知り合えてありがたい。
5日の荒川の解禁で、遡上アユの量、雪代の影響による育ち具合がわかるのでは。荒川の年券を買う覚悟はできた。課題はアッシー君を、しかも、平日のアッシー君をいかに確保できるか、それが問題だ。迷人見習いは三面川まで高速でいけると聞くとその気になったが、夜行はオラのボデーが持たんしなあ。還暦経過組のサボリーまんさん達を釣りあげるか。
7月5日 相模川
週末の相模川の大会は延期に。
これで、じゃんけんによる勝ち上がりの夢は相模川でも消滅したなあ。
4日、昭和橋のすぐ上流左岸ブロックのところのコロガシで、小中学生が30匹とのこと。
その人は雄物川さんらと違い、コロガシの腕が達者とはいえない。
その場所は、6月20日のダム放流前は、深くなりすぎ、流れが強すぎて、コロガシの釣り場になっていなかったが、6月23日のダム放流でまた釣り場に変わったよう。
1週間の大会延期は、濁りがあるものの、光合成が行われる場所が増えて、食糧不足がそれなりに改善され、じゃんけんでの勝ち上がりは完全に消滅したのではないかなあ。瀬の芯までアカが付くとは思えないが。
中津川の継代人工主体の放流とは異なり、海産畜養主体の放流であるから、増水時の避難の術を知り、避難する能力をもっているから、アカが付くとどのくらい釣れるのかなあ。
今月号のつり人の相模川が日本1の放流量という記事は間違い。相模川漁連の義務放流量は160万くらい。
7月6日 相模川
今日、相模川で開催される予定の大会が延期されたため、カンニングができなくなった。
しかし、昨日の3時前、しあわせ男が石切場の瀬肩上流で釣っていたから、状況が分かった。
しあわせ男は、コロガシで獲ったアユを貰ってきて、瀬肩上流側を右岸柳付近へと往復した。
7,8匹を取りこみ、同数ほどをバラした。
柳側のヘチは石が大きく、跳ねが多く、大きい鮎が跳ねている、と。
釣れたアユは、海産の中高生。痩せているようには見えなかった。
左岸から釣っている人の竿を取りあげ、岸から釣った人が、すぐに数匹を釣りあげると、周りの人は、竿のご主人よりも腕が上、と喝采。
相模川には海産アユが存在している。その量はコロガシで釣れている量が1つの参考になるかも。ただ、全川に散らばっている状況ではないため、密度の濃いところでの釣果であろうから、川にアカが付いた時、どの程度の密度になるのかなあ。
弁天右岸側に2人入っていたが、立ち込みすぎではないかなあ。アカはヘチ寄りしか付いていないのでは。
7月7日 中津川
6月23日のダム放流が落ちついてから、3回継代人工が放流されている。
どこが放流地点か、考えても仕方ない。
角田大橋直下が空いている。歩いて壊れ橋方面にいっても、入る場所があるとはいえないし、歩かなくても竿を出せるところに。
小学生のバレと1匹。ボウズにならずにすんでありがたや。
もし、上流側であれば、どこに入れたのかなあ。平山橋、田代は大入り満員であると思うが。海底はドロ被りの石との話があったから、空いているのでは。
小学生は、沖取り海産ではないかなあ。
まあ、数匹釣れていたとしても、蚊帳の外。
八菅にいった人たちはどのくらい、釣れたのかなあ。人工らしく、海産畜養よりも大きかったが。
7月8日 相模川
弁天でも20人以上は入っている。大会の下見さんは苦労なさっているなあ。
これまでの噂では、高田橋は小学生とのこと。弁天は?弁天の状況が分からないため、麦酒なし握りなしで出かける。クーラーは持って行くが。
弁天へと、舟をぶら下げて歩いていると、まっちゃんが。
昨日、中津の大会の時にまっちゃん、はっちゃん、ヤマメねえちゃんがいたから、よからぬ謀議をしているとは感じていた。その謀議は八菅に行くことでは、と思っていたが、予想は見事に外れた。
何と、小鮎川の上流。そこは、観光協会が放流しているとのこと。ヤマメねえちゃんでも20ほど釣ったとのこと。ヤマメねえちゃんはへなへな竿を使っているため、抜くことができず、何と、腰を落として抜こうとするから、ますます鮎が浮かない、と注意をしたとこと。さらに、ヤマメねえちゃんは、教えたことを首を3回振ると忘れている、と。この指摘は、お百姓とも共通しているよう。
しかしですよ、ヤマメねえちゃん、気にすることはないですよ。オラなんて、首を1回振る前に忘れていますから。それに、「何のために」ごちゃごちゃ言われているのか、分かりませんよねえ。今度、お百姓を山女魚やイワナ釣りに釣れていって、その筋は男波、女波、そんな場所に餌を釣り込むなあ、と、説教してあげたら、少しは優しくなるのでは。
あ、そうそう、まっちゃんにそんな指導をしたら返り討ちに遭いますからね。何しろ、労働基準法で定められた年休の何倍もの休みをきれいに消化して、あゆみちゃんや山女魚ちゃんを追っかけていた垢石翁の「正統」後継者かも。そんなサボリーマンのくせにですよ、今は若者が休めるように、一生懸命働いているから休んでない、と。こんな自己評価を信用する人はいないと思いますが。
まっちゃんは、今日、はっちゃんが相模川に来るというから、やってきたのに、小鮎川に行っている、と。
はっちゃんは、あゆみちゃんの容姿、氏素性に無頓着で、数が釣れればよい、大きければよい、との考え方ですから、大きい人工が釣れるとなれば、小鮎川に出かけますよね。面食いのオラとは正反対。
7月20日のダム放流前の6月中旬?に行われたA大会とB大会が弁天右岸瀬尻で大漁であったことが気になっていた。
まっちゃんは、大会前に継代人工が放流されたから、と。釣りに行っていた?飯田から放流されるときまで見ていた、と。
オラも、継代人工の放流を疑っていた。その大会後、右岸瀬尻のトイ面にああたる左岸トロに入って釣れている人がいたから。
しかし、チャンプ君は、A大会の50も海産と。その頃右岸瀬尻には棚があり、海産も付きたくなる場所であった、と。
どっちの観察が適切なのか、あるいは、継代人工と海産の相互作用なのか、分からないが。
なお、チャンプ君は、中津川のカジ淵でも海産が釣れた、と。これは八菅等に放流された第一漁協の海産が上ってきたものではないかなあ。
弁天瀬肩附近に入るが釣れませんなあ。霧雨は降ってくるし、涼しいし、早く囮君が過労死をしないかなあ。泳ぐことは大嫌いなくせに、体力はあるなあ。迷人見習いにこんな囮操作を見られたら、最初の調教が間違っちょる、ヘボ、といわれるでしょうなあ。
オラの上流側のチャンプ君が瀬に動いた。そして、また上流側へ。瀬ではヘチだけアカがあり、そこで3匹。ということは10匹を超えている。さすが、チャンプ君。
右岸からしあわせ男が戻ってきた。2匹とのこと。しあわせ男が2匹なら、オラのボウズは上出来ということですなあ。
那珂川の大会では、1匹、あるいは2匹を釣ると、上位大会選出者の対象になっていた。じゃんけん、あるいは重量がその中から進出者を決めていたよう。
そのような状況とは違い、感謝しないと。
今日の不漁は、ジローちゃんが30?も釣ってからかなあ。品切れかなあ。それとも?
大会前に継代人工が放流されるとの話があった。放流ヵ所はトラックが入れるところであるから2ヵ所しかないのでは。また、大会の攪乱要因になるかも。
7月10日 相模川
明日の天気は雨、今日はぴっかぴっかのお天道様。
もし、ゼロサムゲーム、ではないく、0か1かのデジタルの状況でなければ、麦酒を抱えて出かけるところではあるが。
よしよしさんがドブ釣りに手を出し、ホトトギスさんがウナギの飼育?調教?に励まれているというご時世では、見学だけで我慢するしかないか。
石切場は明日の大会の時にカンニングをすればよいから、高田橋へ。
まだ、竿を出していない一位のお局さんが。帽子をかぶっているときは気がつかなかったが、背後から見ると後光が差している。見事に禿げ上がっているなあ。
11月の狩野川で寒中水泳をしたことのある一位のお局さんは、そのときはタイツであったとのこと。それで、流されても岩に掴まることができたんですよね。
しかし、神経痛が出たからウエーダーとのこと。ウエーダーではあんよが浮くからタイツの時のようにあんよが動きませんよ。流れのないところでも立ち上がることが大変ですよ。
チャンプ君は、日曜日、本流を釣り歩いて40とのこと。さすがです。しかし、大会の時は動きまわれないからなあ。
しばらく見ていたが、チャンプ君でも釣れない。そして、右岸に渡って行ったが、先客のサボリーマン君共々釣れるところが見えなかった。
一位のお局さんのお知り合いが瀬に入っていって、水深50cm余りのところの石を拾いあげて、ぬめりはあるが、ヘチの石のように黒々とはしていない、と。
アユが少ないのかなあ。
今日は、弁天に入っている人は少ないなあ。
昨日、人工が放流されたという話があったが、八菅等、第一漁協管内全体かなあ。そうすると、各放流場所での放流量はそれほど多くはないということかなあ。
暑いし、ジジーは汗をかく能力が低下しているから熱中症になりやすい、とのことであるから、早めに引き上げて河岸段丘の上の道に出ると、最上川さんが、雄物川さんのかあちゃんが巻いたコロガシのハリをとりに行くところに出会った。昭和橋まで乗せて貰う。
新昭和橋すぐ上の瀬落ちでできた袋に雄物川さんが。2匹かかることもあるが、束釣りのペースではなさそう。
新昭和橋下流の瀬の人がすぐに掛けていたが、数匹止まりで、下っていき、瀬脇へ。
雄物川さんが釣ったアユを見たが、15歳くらいの中学生。下顎側線孔数は4対左右対称ではない。
昨日、40匹を釣った最上川さんは、立派な腹子を持ったアユを釣った、と。
ということは、1990年頃から95年頃まで、養魚場で冷水病が蔓延して、人工を湖産並の大きさに育て、「湖産」ブランドとして販売していた頃と同様、電照によるアユの養魚が行われているということのよう。
それほど、今年は放流用のアユの生産が品薄になっているということかなあ。
5月3日、6月20日のダム放流で流されてきた継代人工は、新昭和橋周辺から磯部の堰上流のトロまでで止まったということかなあ。
ご近所さんが、昭和橋下流の戦車道と呼ばれているコンクリートの道状のところで、トロから差してくるアユが見えるときはまとめて何匹もかかる、と話していたが、それは海産かなあ、継代人工かなあ。
今日の雄物川さんは、50匹くらいで帰るのでは。最上川さんはどのくらい釣れたのかなあ。
そして、アユの密度はどのくらいかなあ。遡上アユは何十万の単位でしかないのでは。
7月11日 相模川
天気予報は外れてぴっかぴっかのお天道様。
上流側に当たった人で高田橋に行った人は可哀想に、まともな釣りができた人は少ないのではないかなあ。
しあわせ男は、堰下のコイやニゴイがたむろするところへ。それでも、あと1匹釣れていれば、2回戦に進出可能性があったから、さすがですなあ。
右岸に渡る人の、真ん中に入る人の渡場となった左岸側の人たちは、どの程度釣りになったのかなあ。
上流側でも、弁天瀬肩上の境界ぎりぎりのチャンプ君らは、1回戦通過の釣果を上げていた。
分流の人も釣れた人とそうでない人がいたよう。
石切場は、瀬肩附近とそのすぐ下流の瀬の人達は釣れていたなあ。
2回戦は風の中での釣り。
チャンプ君は、弁天本流から分流に移り、上の大会へ。その上下の分流の人も上位の大会に行けるのではないかなあ。
高田橋では、2回戦の人たちの選択者が少なく、普通の釣りができていた。左岸側から、ヘチの少し沖を釣っていた一位のお局さんも上位の大会の切符を手に入れていたが。
まあ、高田橋では、二回戦の人たちが入った人数の数倍の人員しか入れないのではないかなあ。一回戦の人数では、釣りの楽しみも、入る場所もない、という状況でしょう。土曜、日曜の大会は、上下の区分のないことを願っている。
今回の囮はどこの種苗、養魚場のものかなあ。変色したアユ、泳げないアユ、浮いているアユ、これまでの大会では経験したことのないひどい囮と複数の人が話されていた。県財団法人の種苗センターとの話もあったが。もしそうであれば、30ウン代目の継代人工の生産を中止しても、まともな養魚・人工アユの生産ができず、販売先だけ安定している、という状況が、再生産されるということかなあ。
土曜、日曜の大会にはほかの養魚場の、種苗センターの人工アユが手配されることを願う。
7月13日 相模川
増水は20センチくらい。透明度は変化なく、30センチくらい。
とはいえ、竿を出す気にはならない。石切場まで散歩をしましょう。
石切場には瀬肩に近い瀬に1人、柳前のトロに1人。そこへ、飯田の養魚場のトラックがやってきた。
瀬肩附近で、3つの仕切りがあるうちの2つの部屋に入っている継代人工をホースで放流した。
あと1つは、葉山に放流するとのこと。
大きさは女子高生に番茶も出花娘。
それらは、弁天瀬尻まで移動するのかなあ。それとも、柳前のトロを回遊するのかなあ。
先日の大会とは違って、上下の区分がなければ、柳前でひなたぼっこをしながら、のんびりと過ごしましょう。とはいえ、先日のどうしょうもない、売れることがない養殖とは違う養魚場の人工が囮として配られないと、のんびりと囮を遊ばせることもできないが。
まあ、明日の大会で、弁天右岸瀬尻や、柳前がどのような状況かを見ておけば、心にゆとりを持てるでしょう。いや、じたばたしなくてもすむでしょう。
7月15日 相模川
今日の大会は、上下の区分がなければ、石切場の柳前へ。13日に放流された継代人工が、柳前のトロを上って、弁天右岸側瀬尻に行くことはなかろう、柳前のトロを回遊するであろう、回遊してくるときに当たれば、ボウズにはなるまい。
そして、釣れないと暇であるから、大会に出場せずにお手伝いをするというお百姓様に、麦酒ともろきゅうと冷えたトマトと…の出前を頼み、準備万端整えていたのに、延期。
延期の判断をされた大会関係者の予知能力はすごいなあ。14日の夜明けにもゴロちゃんはやって来るし、大会の始まる頃にはダム放流のサイレンが鳴るし…。
14日の天気予報では風が吹くというから、温和しくしていたのに風は吹かず。夜には強風。天気予報を信じたオラがバカでした。
15日の夜明けにはその強風も収まり、麦酒なし、囮1匹の貧乏生活を再開。
水量は2、30センチ高くらい。濁りは13日と変わりなし。アカは、ヘチ、瀬脇は飛んでいない。瀬の芯は元々付いていないはず。
風が夜明けよりも強くなっている。高田橋上流で働くことにしましょう。弁天まで鮎バックを担いでいくと、老体にはきついからなあ。
あれえ、囮が流されている。まだタバコを吸い終わっていないのに。風がなければ何でもない取り込みであるが。上流側に吹き上げられてやってきたのは小学1,2年生。これを風の中で囮に使うと、根掛かりをしてもわからんなあ。
次はタモに入る前にぽっちゃん。最後は囮に辛うじて使える小学生。もう養殖君がまだ働かすとは、囮の人権侵害じゃあ、とわめくから、やめましょう。1時間ちょっとは働いたなあ。疲れたなあ。まともな大きさのアユが釣れることが、囮に使えるアユが釣れることが、弁天や、石切場よりも少ないということが確認できた。
着替えていると、さっちゃんが川の様子を見に来た。釣りのできる状況であるから、かっちゃんに電話。弁天分流にはいる、と。
そこへしあわせ男が。葉山に行く、囮はある、と。テク2が葉山の分流で釣れているから、と。
13日に飯田から運ばれてきた3部屋の継代人工の1部屋分が葉山に放流された。柳前は2部屋分であるが、流域面積からすると、葉山の1部屋分の方が、柳前よりも密度が高い。
さすが、テク2ですなあ。
オラは断って、朝帰り。さっちゃんとかっちゃんは葉山へ。
中津川は70トンのダム放流。アカは飛び、6月23日のダム放流が収まってから何回か放流された継代人工は流され、生きていても、八菅橋付近から下流にいるでしょう。
よねさんは、オラが今シーズン釣ったアユよりも多い1日平均20匹を釣りあげているが、その1日分の釣果はこれからは望めないのではないかなあ。追加放流がされれば別であるが。
お百姓さまあ、テク2もお百姓様が孝行息子、真面目な仕事人間から道楽息子に先祖返りすることを願っていますよ。テク2は、越後荒川まで運転することは無理、平日にいけるのは、お百姓様だけ、と。荒川まで運転しても疲れない若者はお百姓様だけです。余命幾ばくもないオラを荒川に連れて行ってえ。
7月15日 狩野川 | |||||||
久しぶりに海釣りではなく、あゆみちゃんを軟派するために狩野川に行った迷人見習いから 松下の瀬で3匹?掛けて取りこんだのは1匹。 なんでってえ、石に潜られての丼などとのこと。あんなあ、今時のアユに石に潜られるとは、解禁日の生涯2度目のボウズに意気消沈して、海に逃げていたからやああ。少しは反省しろ、オラのボウズと0,1のデジタルの難行苦行を見習え。 釣りの場所は、分流。しかし、腰のあたりまで入ると、流される危険があるとのことであるから、本線に合流する近くでしょう。 師範代でさえ、7匹?とのことであるから、オラはボウズを覚悟しないとダメでしょうなあ。 みなさんが釣ったアユの氏素性を調査したとのこと。 下顎側線孔数4対左右対称の海産。当然、沖取り海産の放流は行われていないから、遡上アユ。大きさは、番茶も出花娘とのこと。 しかも、シャネル5番の香りがぷんぷんとのこと。 その香りが、スイカの香りか、キュウリの香りは、は聞き忘れた。 雨量が多いということは、ダムがないということは、珪素が優占種であるだけでなく、鮎の体内で香り成分を生成する「ミネラル」と故松沢さんが表現していた物質が十分に山の腐葉土から川に流れ出しているということでしょう。 さて、幻となった「香」魚には興味はあるが、ボウズではシャネル5番の香りを嗅ぐことはできないかなあ。困ったなあ。 それと、遡上アユであるのに、なんで松下の瀬の分流かなあ。分流の上流側であれば、オラでもなんとかなるが。その点では本流よりもありがたいが。 荒川でも、温泉橋上流よりも小見橋付近から下流の瀬の方がアユが多いとの話が。その現象と共通性があるのかなあ。 まあ、迷人見習いからお誘いのあったときに狩野川のボウズ修行に出かけるか、考えましょう。 |
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NHKの日曜朝、味いちばんだったかで、利き鮎会日本1になったことのある和良川のアユが紹介されていた。 和良川も藍藻が優占種とのこと。当然、「香」魚はいないはず。 しかし香りがよいと話されていたが。事実ではないでしょう。 らん藻が優占種であるから大きく育つ、ということも、昭和20年代まで、珪藻が優占種の川に成育していた「サバのようなアユ」のことからも事実ではない。村上先生も、珪素の方が栄養価が高い、とはいえない、と。 ただ、「事実」を話されていると思ったのは、腹の「苦ウルカ」に係ること。 藍藻が優占種の川のアユは、腸が苦くない、ということ。 これまで、腸の苦さについて、気にしていなかったが、いわれてみて、たまに箸をつける相模川等の鮎には、苦味を感じる腸ではないことに気がついた。 |
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7月16日 相模川
今日も風が強いなあ。
昨日、葉山に行ったさっちゃんでも?ツ抜けとのこと。ということは、テク2やしあわせ男はいかほどのことやら。
高田橋に数人、弁天分流に1人、本流に数人。
石切場に行くとテク3やしあわせ男たちがたむろしている。
柳前で釣っている人はいないなあ。溝でもあれば、ポイントになるが、平坦であるようで、回遊してくるのか、居つきがいるのか分からないが、瀬肩や瀬が空いているとき、あえて暇をもてあますかも知れない柳前には入らないですよねえ。
テク3は桂川、その支流を見て、半分竿を出しかけてやめたとのこと。石の色良好、鮎がいること間違いなしの場所であったが、コロガシが近接しているから、と。桂川の支流も追加放流を頻繁に行っているとのこと。
当然、テク3を見つけたらには、荒川に行こうよお、とおねだりを。テク3は三面川や荒川の小型でも目印をすっ飛ばす鮎のこと、石の大きい荒川のことを知っているから、すぐに釣れた。
これで、梅雨明けに1回は荒川に行けそう。
14日の荒川の大会では、1回戦込み30,2回戦が込み20であったと思う。放流量は20万で、解禁日の女川で釣れていたのは、放流モノとのことであるが、大会の時に釣れていたアユは、遡上アユが対象と思っている。
しかも、その量は、狩野川で師範代でもツ抜きができなかった量に比し、はるかに多いはず。
2泊はするはずであるから、あと1回荒川に行ければ、年券代の元が取れる。
右岸瀬肩に入ったふっちゃんが、掛けてはいるが、チビも混じっているよう。
左岸瀬の仮設ブロック下流の人がよく釣れているが、そこは馬の背になっているから、立ち込まない方がよいとのこと。
全員釣れているが、風が強く、取り込みには苦労して、バラシも発生していた。
しあわせ男が右岸瀬肩に入ったのを見て、風と共に去りぬ。
アカ付きは、6日の大会よりはるかによくなっている。
7月18日 相模川
梅雨明けとはいいながら、ボウズ街道まっしぐらの危惧は消えませんなあ。石切場の瀬肩、瀬であれば、中高生の海産が遊んでくれるとはいえ、アユバックを担いで、2キロほど歩くということは、オラが干からびてしまうかも。
ということで、弁天へ。囮屋に着くと、今日は、伊藤正弘さんの講習会をやっていると。しめた、水の入った舟をぶら下げて1キロほどを歩かなくてもすむ。会場に電話をしてもらい、囮の現地渡しを実現。ありがたや。それにしても暑いなあ。
講習会にはヤマメねえちゃんも参加している。講習会は、伊藤さんの竿と仕掛けを使い、受講生が操作を行い、伊藤さんが解説をするという形式。山女魚ネエちゃんはあとのグループに入っているから、メーカで借りた竿で釣っている。
コイにすぐに囮を持って行かれて釣れたのは1匹とのこと。
講習会とヤマメねえちゃんの間の空いているところに入る。
団子のぽっちゃん。
そのうち、山女魚ネエちゃんの組の講習会が始まる。瀬に近い方の瀬肩に移動した。その分、オラの釣り場は広がったが、瀬落ち上のザラ瀬まで、瀬の情況を見に行く。アカ付きは、芯は解らないものの、十分と思われる。これで、芯に石があれば十分釣りになると思うが。
また瀬肩に戻り釣るが吸盤ボウイのみ。さっき、ヤマメねえちゃんが釣りあげて笑ったのになあ。そして釣れません。ヤマメねえちゃんが3匹釣ったというのに、またもや団子のぽっちゃん。
この状況での相手が、迷人見習いや、お百姓であれば、麦酒どころではない。何としても汚名を着せられないように頑張るしかない。またもや、ついている。
麦酒を飲みながら、天麩羅受講生となり、伊藤さんに「香」魚のいる川と尋ねた。付知川と馬瀬川の名を上げられた。とはいえ、これらの川は人工放流。面食いのオラには気が乗らない。それに、付知川が現在も珪藻が優占種の川かどうか気になる。
ヤマメねえちゃんは高原川を上げたが、昭和50年頃、E爺さん達が高原川に行っていたときも、湖産畜養:「準天然」湖産であったのではないかなあ。ということは現在は継代人工ではないかなあ。神通川から遡上できる状況とは思えないが。
午後、伊藤さんが、分流の、しかも、普通に人が釣る護岸寄りではなく、車が通るすぐ下流で釣り出した。
釣れた。その後も、囮が逃げ、あたりがあり、蹴られがある。ハリをストレート系に替えたり、ハリスを短くしたり…。囮との相性がある、とのことで、囮を替えたり…。どのくらい釣れたのかなあ。
オラは途中で、瀬肩附近へ。斜め下流のトイ面の人はよく釣れているなあ。中学生止まりとは思うが。
そこだけ石がよいのかなあ。ヤマメねえちゃんと同じ組の受講生が、講習の時に瀬に近い瀬肩に立ち込んで、回れ右をして、ヘチ側を釣り出した。あとで、その人の話を聞くと、沖は砂利の中に動く石があるだけとのこと。
去年9月下旬のダム放流で出た石は埋まってしまったということかなあ。そうであれば、瀬の芯の石も期待できないなあ。
3時前、今年はじめて釣りをする真面目人間に変身したお百姓がやっていた。年券を買っているというのに、今日が今年初めてとは、なんちゅう変身でしょう。去年買った高級竿を使い、今年の高級竿はまだ使わない。そういうのを宝の持ち腐れというんですよ。軽い竿をちょうだい。
伊藤さんは、ジムニーを3台取ったあと、マスターズですぐに優勝したから、 どのくらいのサボリーマンかと思っていたら、土用、日曜以外は休まないとのこと。もちろん、大会等の時は除かれるであろうが。
サボMさん達、あなた方よりもお仕事に精を出しているんですよ。
伊藤さんがジムニー3台を取ったオリンピックの大会、そのオリンピックが倒産して当然ではと思っている。
アユ足袋のフェルトが数回ではがれた。すり減ってもはがれていないダイワのアユ足袋とともに送ったが、何の反応もなし。
かっては、鬼印のワラシナの鼻環仕掛けを使っていた。銅で出来ていて変形をしやすいが、非力のオラの指でも鼻環を閉じることが出来る。それに、鼻環を付け替える動作が多くなると、爪がふやけてますます鼻環を閉じる力が弱くなる。ということで真鍮等の素材で出来た鼻環仕掛けを使うことは出来なかった。
ある年、使い始めの鼻環が中ハリスから外れた。手元に残った中ハリスと状況を書いた手紙を送った。
鬼印さんから返事が来て、編み付けの余長を短くしたために生じた、と。そして、何組かの鼻環仕掛けを送ってくれた。
ワンタッチ鼻環を使うようになり、鬼印の鼻環仕掛けを使うことはなくなったが。鬼印の製品が置いてあるとチェックしていた。
あ。そうそう、オラのジムニーカップの最後は、鬼怒川の柳田大橋の時の大会では。
前々日、那珂川の湯殿大橋、前日、烏山で釣り、柳田大橋付近のビジネスへ。
鬼怒川の上平橋、東北道付近での釣りは何回かあるが…。
ジャパンカップ、リョウビの大会、そして、その送り迎えをしてくださった三平クラブの人、Tさん。そして、アユ雑誌でその時に泊まっていた鬼怒川亭が橋架け替え工事でなくなったことを知ったが。
大会1回戦は、人工放流ものと思っていたから、トロを捜して囮を入れた。根掛かりをしたから外しに行くと浅い。それで、その上流に移ると、1回戦通過。
2回戦は、その年のアユ雑誌に関谷さんが紹介されていた大石のところへ。すぐに2匹釣れた。大石の向こう側を釣り、根掛かり。外しに行くとまたもや浅い。結局、大石の手前側を釣り上がればよかったということ。上流の人が下ってきて、それも適わず。
釣っているときに関谷さんと話が出来て楽しかったなあ。不正行為といわれそうであるが、関谷さんは釣り方を見て、その他大勢と判断されたから、付き合ってくださったのでは。
そのときのアッシー君も亡くなられた。宇都宮のきれいとはいえない餃子の店で、水餃子とか、なんとか餃子とか食べておいしかったなあ。アッシー君は、宇都宮の同僚に店を教えてもらっていた。カーナビのない頃によく間違えずにたどり着けたと思っている。
ついでに、鬼怒川亭に泊まっていたMさん、そして早くにH・Pを開設されていた方とは、21世紀の初め頃には会うこともあったが…。
さて、やっと1匹釣れた小学生か中学生。養殖と違ってよく泳ぐなあ。
根掛かり。伸縮性の根掛かり外しの出来る前の鉛のワッカに糸をつないだ根掛かり外しの変形で、最近売り出された方形のステンレスに糸を結びつけた根掛かり外しを使用。どのような状態になっているか、見に行ってもらうと、囮の下まで方形が降りていない、と。
習熟するまで時間がかかりそう。
養殖君を棄てて終わり。ちんちん釣りの人が大きいアユが釣れたと喜ぶでしょう。
ヘチのドロ被りの石についてる大きいハミ跡は、これらの棄てられた養殖君ではないかなあ。
お百姓さんはどのくらい釣れたのかなあ。
お百姓さあん、断っておきますが、オラが釣っていた時間帯はお天道様が真っ盛りの時。
お百姓さんが釣っていたときは、夕まずめにかかる時から。
伊藤さんが、分流は夕まずめになると入れ掛かりになるはず、と。そのような条件の違いがあることをお忘れなく。
いや、荒川に連れて行ってくれるのでしたら、そのような時間の違いに目をつむり、お百姓さんの今年初めての釣りを祝福してあげますよ。
昨日、よねさんが、中津川角田大橋上流の偽アカシアの木のあった付近の瀬で、20匹ほど。
そこは大石があり、残りアカがあったのではないかなあ。そして、継代人工ではなく、沖取り海産がいたのではないかなあ。
よねさんの20匹コースと、オラの0,1コースの格差はちじまりそうにないですなあ。
熱中症
遅刻してきた受講生は、昨夜、43度くらいの室内で働いていて、熱中症に。涼しいところで休んでいて治ると、働け、と。
くぼちゃんは、いつもはスポーツドリンクを飲んでいるのに、今日はお茶を飲んだ。それで、車のクーラーをがんがん効かせて休んで事なきを得た。
オラはお茶派であるから、塩をなめる必要があるということのよう。アユバックには塩を入れてあるが、しょっぱいなあ。握りに塩を振りかけて塩分補給を多くしないと、くぼちゃんの二の舞になるなあ。
7月21日 相模川
ついに、相模川での大会は中止になった。
今回は、今は、それほど増水していないが。
この増水を絶好の釣り時と考えている雄物川さんは夜明けとともに昭和橋下流で竿を振っていることでしょう。
14日のダム放流のサイレンが鳴る中、昭和橋下流の雄物川さんは束までの数を数えたが、それ以上は邪魔くさいから数えなかった、と。右岸側の人はダム管理者から注意されても釣りをやめなかったとのこと。左岸側はすぐに運動公園に避難できるが。
雄物川さんは、14日の前のダム放流の時も束釣り。磯部の堰上流のトロから大量に差してくるとのこと。なんで、トロを生活圏にして、遡上をしょうとしないのかなあ。
そのトロに流れ込んでいる八瀬川の5キロほど上流、塩田の橋から、遡上してきた鮎がはんでいる姿が見える。早く濁りがとれる、あるいは濁りが薄まる水を求めて避難しょうとする鮎が、昭和橋下流の湧き水のところに集まるということかなあ。
昨日の昼前、弁天の瀬落ちのすぐ上のザラ瀬状のところに入ったテク2が20台。稲妻がはっきりと見える状況ではないのに竿を持つ指にびりっと来たとのこと。確かに雨が降りだす前、雲の上というか、間から稲光は見えたが、ピカッという状況ではなかった。それでも竿が電気を感じるということは、相当離れたところの稲光も竿が拾うということかなあ。
そうであれば、稲光が頻繁に生じているなかでも釣っていたかってのお百姓さんらは危なかったということでしょう。
そのお百姓さんが、どら息子から孝行息子、仕事真面目人間に変身したことが、今回の天候不順の原因、お天道様を怒らせている原因でしょう。
7月25日 相模川
久しぶりに竿を出す。
去年の9月下旬のダム放流で出ていた石は、今年のちんたらちんたらのダム放流で埋まってしまった。石切場の瀬肩、瀬には少しは残っているようであるが、とても石切場までは歩けない。ということで、弁天の瀬肩へ。
今日も遊んでくれるのは吸盤ボウイだけかなあ。
小学生がやっと遊んでくれた。これで打ち止めかなあ。
朝麦酒は飲みたくないが、囮君がもう働かん、とすねているから、休ませてあげましょう。
それにしても暑いなあ。ペットボトル2本が空になり3本目に手をつける。
瀬尻に人が入っているが、同じ人たちがいるのかなあ。入れ替わっているのかなあ。小学生は嫌じゃあ、と、石切場に放流された人工を狙っているのかなあ。
瀬尻の好調は、いつまで続くのかなあ。人工だけでなく、海産の大きいものも釣れているとのことであるが。
時計を持ってきてないが、12時のチャイムがなかなか鳴らんなあ。
少し働いて、昼には帰るとするか。
中学生が。それを囮にすると、今年初めての女子高生が。下顎側線孔数4対左右対称。海産畜養かなあ。
石切場の瀬肩や瀬で、新昭和橋のコロガシで女子高生が混じっているというのに、やっとオラにも女子高生が。
川原を歩いていて2回転んだ。あんよの問題かなあ。熱中症の問題かなあ。木陰に入って休んでから坂を上りましょう。
中津川は、70トンのダム放流後、また海産畜養や継代人工を放流したよう。
これでは、よねさんの20匹コースが途切れることはないでしょうなあ。
一昨日だったか、夜行日帰りで三面に行った腹に札束を詰め込んだ社長達ご一行は、40,30。小中学生主体で満足していて、番茶も出花娘にちょっかいを出さなければ、60コースになったであろう、と。
オラも来週、昼の高速バスで新潟に前泊し、荒川で1点豪華主義の幸せを求めて来まっせえ。とはいっても、荒川で4日も川に入れるかどうか、自信はないが、今年が最後かもしれんしなあ。川原で転ぶだけでなく、水の中で転ぶ危険が予見できるから、タイツにしましょう。
もし、オラが幸せいっぱい、となれば、両手に花、となれば、次回はアッシー君が釣れるでしょう。
7月26日 相模川
昨日のアユを盗られてもよい舟に入れて、置いてあるから、いつもと違う道順。何よりも囮の入った舟をもたないだけでも助かる。それに、荒川でスッ転んでもなんとか対応できるかも、と、タイツを試験使用。アユバッグがウエーダーの入っているときよりも軽い。
そのタイツ君、裏返しに履いて、やっとはき直したら、チャックがすぐにずり落ちる。お百姓さんのように妊娠8ヵ月のお腹にはなってないぞお。もちろん、働きが悪いため、例年であれば47,8キロになる体重が50キロ台を維持しているが…。タイツは縮んでいくのかなあ。
何とも締まらない話であるから、川に入っても同様に。囮が出て行くとき、すぐに吸盤ボウイが。元気な囮君が怒っているぞお。
タイツであるから少し立ち込んでみるが、石は小さいだけでなく、汚いなあ。アユが少ないということでしょう。大会の時、それなりに釣れていたのは、アカ付きが悪く、ヘチ寄りに集まっていたからかなあ。
顔馴染みさんが、右岸瀬尻付近が釣れていることを知っているのに、あえて、左岸瀬落ち上流へ。4匹釣れたとのこと。昨日、囮を入れたもののすぐに退散したところであるのに、顔馴染みさんが釣れたということは、腕の差でしょうなあ。
瀬肩附近は、右岸も余り釣れておらず。左岸を含めて午前中にツ抜けをした人はいないのではないかなあ。
やっと中学生が2匹釣れたが、暑い。昨日は昼前に4本のペットボトルが空になったが、今日は、9時頃までは心地よい山風が吹いていたからか、昼前に3本を飲んだだけ。とはいいえ、昼とともに、木陰へ退散。
老人は汗をかかないから、熱が体内に溜まりやすい、との話があったと思うが、そのとおりではないかなあ。
とても、水冷が効いているとはいえ、午後のお天道様に耐えうる状況ではないよう。
今日も、右岸瀬尻は好調のよう。
ただ、瀬尻ではなく、瀬落ち上の袋状になったところの人がよく釣れていた。右岸側はどのようになっているのかなあ。
昨日は、瀬尻に立ち込んで左岸側の水深のあるところを釣っている人がいたが、今日はそのような人はいない。釣り人の場所の変化はなんでかなあ。
アユを抜いて肩が痛むなら、大歓迎であるが…。あんよが瀬を歩きまわって痛むのであれば、本望であるが…。
川に浸かることをサボっていて痛むとは、過去にあったかなあ。狩野川に遡上アユがいれば、増水があり、白川になっても1週間ほどでアカがつき始めるから、サボりで肩が、足が痛むことはないが。中高生が遊んでくれるが。
まあ、愚痴を言っても始まりませんよねえ。
7月28日 相模川
今日は、大会以外では今期最高の人出。囮が売り切れる。
弁天は右岸瀬尻付近しかまともな数は出ないよう。右岸側瀬肩の1ヵ所は石が詰まっているようであるが。
左岸側の瀬肩は石も汚い、アユも少ないかも、となると、高田橋の方が歩く距離が少なくてすむ。それに、橋下で休むこともできる。熱中症に気を遣わざるをえないとは、年を食ったなあ。
高田橋のアユは小さい、との話であったが、右岸側はそうでもないとの話も。
チャラ、ザラ瀬は無視する。
右岸側を釣っている人が立ち込んでいる足元付近の線に囮を入れることにする。
上流側の人はよく掛ける。しかし、掛けた場所でアユを止めることができないため、オラの前でアユが何度も水面にはね、身切れ。取りこんだのは1匹だけ。
その逃げたアユを見てびっくらこいた。女子高生どころではない、番茶も出花じゃあ。いや、乙女もいるかも。
身切れを5回はしているのに、囮に不自由していないということは、オラが見る前に何匹か、取りこんでいたのでしょう。
オラの下流側の人は、取りこぼしもなく、相当の腕に人ではあるが、大きくても女子高生で中学生が主体ではないかなあ。
上流側の人の上には、おなじみさんが振り子抜きをしている。それも女子高生止まりではないかなあ。何しろ暇なもんで、堰下流の人たちの動きまで見ている。そこがよい釣り場であれば、立ち込まなくてもよい。今日の場所は上下に入っている人の位置まで立ち込むことはオラには無理。その手前でもしんどい。タイツであるからなんとか立っているが、歩いているが。
やっと中学生。養殖君、休んでからまた働いてや。
中学生は勝手に泳いでくれるから楽で、助かりますわ。来た、と思ったら丼。今年初めての丼。理由は簡単。小中学生で、女子高生が混じれば幸いです、と、フロロ0.15を使っていたから。女子高生でも危ないかもとは思いながらも、まさかの番茶も出花娘とは。しかも、海産とは。
0.2のフロロがあるから、それに張り替えて、橋に近い空いているところに立ち込む。
女子高生。やっと2匹目。
無事、熱中症にならず、昼のチャイムを聞くことができました。
いっちゃんがやってきたから、右岸で番茶も出花娘がよく掛かっていた話をすると、その場所だけ、いつも30匹ほどの大きいアユが出ている、と。
その場所はかって大石が頭を出していたところでは、というと、そう思う、と。
その大石の周辺には数個の大きい石が転がっていたから、いつも大きいアユが着いているのかも。そうすると、弁天右岸瀬尻やその上流、縦貫道付近の番茶も出花娘も海産では。もちろん、石切場に放流された継代人工が弁天瀬尻まで回遊してきて、それも釣れているとは思うが。
さて、相模川での丼は痛くも痒くもないが、荒川で丼をすると、悔しくて、悔しくて、となるはず。丼にならないように対応できる糸を使うから。
フロロ0.25をまず使い、乙女が掛かるようであれば、0.4号か、金属にする。
ハリは7号と7.5号を使い、予備に8号を持って行く。
20世紀終わり頃の荒川の高田橋。瀬落ちで立て竿で釣っていて、ハリスが飛ばされたことに気がつかなかった。目印に大きい変化が出れば見逃すことはなかろう。
囮は遡上アユの乙女。掛かりアユがどのような動作をしたのか、分からないが、瞬時に鉤素を切ったということでしょう。囮と掛かりアユの共同動作で、目印に変化が現れない位置関係、力関係になっていたということでは、と想像しているが。大井川でも1度経験した。
今日のハリス切れは、大会用に買った6号のハリで生じたものであるから、悔しいとは思わない。番茶も出花娘が相手であれば、切れて当然かも。
なお、そのときの荒川高田橋上流チャラでは、大漁とのことであった。
新昭和橋付近のコロガシも、女子高生と番茶も出花が出る場所は限られているとのこと。しかもその場所には、横浜の人が、日の出とともに出勤する雄物川さんよりも先に入っているとのこと。それ以外の場所では2,30くらいしか釣れず、大きさも女子高生止まりとのこと。
久々に迷人見習いから、狩野川へのお誘いがあったが断った。
松下の瀬の分流で、番茶も出花娘や、乙女も釣れたとのことであるが、なんで分流か、なんで番茶も出花娘の、乙女の海産がいるのか、気になっていたから。
迷人見習いの話では、海産畜養とのこと。
どこで沖捕りされた海産かは不明であるが、海産畜養であるから、値段が高く、放流量も少ないはず。そのため、師範代でもツ抜けをしなかったのであろう。
ということは、ボウズを覚悟しないと出かけられない。年券がないからボウズの単価は高いなあ。荒川に賭ける身としては、手抜きをしたい。迷人見習いの結果で、今後どうするか考えましょう。
丼大王と狩野川 | |||||
片岡さん久しぶりです、ああ、それにしても暑いですね。 7月26日、約2カ月遅れで我々の鮎釣りを解禁しました。 とりあえず川を観ましょうて事で狩野川に行ってきました。 仕掛けは前の日の25日の夜に準備した。 朝9時過ぎ、牧野郷に2人、松下に3人いました。7月の最盛期ですよ寂しいよね 川の色は12月の終わり頃、ただ茶色川底が見えます。川が腐っている。 いつもの囮屋さんの小屋もなし、とりあえず囮を求めて川へ入る。 土手の上から車ごしに観た川に間違いない魚の気配は感じない。 でも10分後に一匹めが来ちゃった。23センチ、鱗の荒い人工産、 囮も変わったし、すぐに2匹めとおもいきやビックな『ボウズハゼ』、残念、その後は40分音沙汰なし、 囮が赤くなってきた。 養殖2号登場、あらまあ、またすぐに釣れちゃった。 天然の綺麗な魚です。これも23センチ近くある。 何か変、まさかこんな川で釣れるのと・・・・・・ そしてまたまた掛って来た。三匹目は即死。 その時川の中には4人、釣れているのは私だけ。でも釣りはそこまでです。 後の2時間は暑さに耐えるだけ。その間、針がかりせずの3回、 竿をたたみ、一杯飲んでいると12時、ちょうどタイミングで良い終わり頃か。 山さんはお○、あたしの上で釣ってた人に声かけたら一匹釣れたそうです。下の人はお○でいなくなりました。 遡上が無い、悪いと言っても、こんな事て有るかな、 あたしの真面目な感覚ではこんな川でも釣れる時があるかも、 ひと雨降って川が綺麗になっていけばほんの少しは釣れるかも、 でもその時はむずかしいね 帰りに畑で山さん用にお土産、トンモロコシ、キューウリ、トマト、ナス、枝豆 百姓1年目では上出来です。 ちなみに海は芳しくない。 また川のに行ったらメールするね |
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28日に狩野川松下の瀬に行った迷人見習いは、1匹釣って退散とのこと。1995年、96年並の遡上量ということでしょう。 そのとき、海産畜養の放流がされていたのかなあ。まあ、年券は買えど、1回しかいっていないから分からないが。 丼大王は故松沢さんに会い、話すことを目的に、かあちゃんのお車に乗って、売れない囮を売っていた故松沢さんのところに通っていたとのことであるが。 |
新昭和橋コロガシの雄物川さん | ||||
28日、新昭和橋の横浜さんが一番乗りをして占拠している「大きい」アユが掛かる水深のある瀬に行った。 夕方、横浜さんが帰った後にはいる。 20ほど釣れた。 計測の結果、大きいのは19歳番茶も出花娘。20歳は出ないが、馬力は強いとのこと。当然、海産でしょう。 雄物川さんは、5号、6号のオモリを使っているとのこと。この重量でないとこの場所では掛けられないとのこと。 単にハリを沈ませるだけでなく、オモリを支点として、針が掛かりアユに食い込むようにするため。軽いオモリではハリがはじかれるだけとのこと。 その場所は、コロガシのオモリ、ハリがわんさか散らばっているため、その場所を避けてコロガシ、しゃくるような操作が必要とのこと。 |
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ということは、まだ乙女は出ていないということかなあ。 もちろん、継代人工を除いての話であるが。 |
7月31日 荒川
30日、高速バスの若者は、宮城での東日本大震災の津波は、三陸沖地震の時よりも10メートル?高かった、と。そして、被災地に遊びに来て欲しい、と。阪神淡路大震災の時、藤本義一さんが、ともかく神戸に遊びに来てくれ、と話されていたが、その心境と同じかなあ。
若者は、柏崎に住んでいて、恰好の釣り場になっていた防波堤があり、立ち入り禁止を無視して入り込んでいた。しかし、その防波堤が高波で壊れてから、巡視艇の見回りまで行われるようになり、新しい釣り場を捜すことになっていると。
若者は、関越道が終わったところのバス停で降りた。車が待っていたから、それに乗って柏崎に帰ったのでしょう。
不吉な予兆?
魚乱さんの腕と、想像力及びそれを具象化する能力、さらに強靱な体力のほんのぴょっぴりでもお裾分けをしてもらえればなあ、と、新潟駅で岩牡蠣を捜した。
ありません。
代わりに、ほろ酔いセットで、麦酒と冷酒の飲めるコースで我慢をすることに。つまみは、つき出しに毛の生えたものくらいと思っていたら、十分な量。昼に安い、早い、の牛丼しか食べていないのに腹が減っていない。海鮮ラーメンもなんとかタレのなんとか丼も食べたいとの意欲が湧かず。
お医者さん、電車、バスと、冷房が効いたところで過ごして、歩いてもいないから、代謝が進んでいないということかなあ。施設に入った人が歩けなくなり、また、夜眠れなくなる現象と同じかなあ。
坂町のいずみやさんが、海水温が高くなると、食中毒を起こすなんとか菌が増殖するから、生牡蠣を食べないように、との通知が来るとのこと。しかし、笹川流れでは、岩牡蠣を食べることができるのではないか、とのこと。
もし、そうであれば、それほど離れていないところで海水温の差があるということかなあ。
いずみやさんの1号君がミヤマクワガタのメスを捕ってきた。メスは、ウロの奥深くにいて、外に出てこないため、非常に貴重とのこと。写真が、「新潟県 坂町 いずみや」 のH・Pの「いずみやブログ」に掲載されている。
オラが捕っていたクワガタは、源氏と平家。そのどちらかがミヤマクワガタかなあ。メスを捕ったことがあるのか、記憶になし。カブトのメス:ボウズは、自慢の対象外。クワガタの雌も同じではなかったのかなあ。
男は価値あり、メスは価値なし。あ、すみません、当時は、ウーマンリブはおらず、セクハラという言葉もない時代でしたから。大和撫子はいっぱいいたでしょうが。
31日の米坂線始発、といっても7時過ぎですが。その電車に女子高生が何人も乗っている。こりゃあついている、と喜んだのも束の間、新潟行きの電車が来ると皆様去っていきました。川の中にも女子高生がいない?
温泉橋下流の瀬
左岸側から腰まで入って玉引きをしている八王子さん。釣れているが、小中学生のよう。流れが左岸から右岸に寄っているため、オラの囮はヘチ寄りで楽をしょうとする。2匹釣ったところで橋の下の日影で昼飯。
那珂川と鬼怒川に離縁状を突きつけてやってきた栃木さんは1匹、その相棒は数匹。
1日温泉橋付近で釣った人が、5匹掛けて4匹。
温泉橋上流すぐの絞り込まれた滑り台は、去年よりも上流に移動している。
そのため、去年チャラの中の大きい石で出来た流れの強弱、水深の変化がなくなり、滑り台の上流のチャラは変化のない大草原。小学生が跳ねているが、どこに囮を入れればよいのか、見当がつかないから、トボトボと大草原を上っていく。
去年入れ掛かりをしていた人のいた大石川合流点の瀬の右岸側は、少し温和しくなったのではないかなあ。
それよりも、去年は、右岸側瀬尻は1メートルの水深のある砂利で、石がつまり掘れ込んだ左岸に囮を届かせられなかったが、チャラ、ザラ瀬状となり、石がびっしりと詰まっている。
そこで3匹の小中学生。
しかし、掛かりどころが悪い。囮に余裕ができない。女子高生も1人釣れたが、目に掛かっていた。
まあ、2時まで働いたし、とりあえずは5匹釣れたから良しとするか。
雪代の遅れと成長
山路さんは、温泉橋下流のトロに潜り、アユは多い、しかし、追うアユではないから止めた釣りの方が有利ではないか、と。
八さんは、20匹くらい。
雪代で2週間ほど遡上が遅れたとのこと。
相模大堰では、櫛歯状の歯に生え替わることが遡上開始の条件であるから、孵化からの時間が問題になる。稚アユの成長段階が遡上開始の要件であろう。
相模大堰を3月下旬に遡上をするアユは、11月上中旬生まれで、乙女に成長する。4月上旬に相模大堰遡上のアユは番茶も出花娘の大きさに。4月中旬では女子高生に、4月下旬以降では小中学生の大きさにしか育たないのでは。
10月下旬孵化が多く生存できれば、2011年狩野川のように、泣き尺が釣れると考えている。
相模大堰での遡上時期と大きさとの関係を雪代による遡上開始の遅れと関係づけると、2週間の遅れは、どのように大きさに、成長に関係するのかなあ。
番茶も出花娘にまでしか大きくならないとなるのかなあ。乙女に育つものも出てくるのかなあ。
雪代の影響と大きさについては、3日に再度考えざるをえない現象と出会います。
8月1日 荒川
大石川合流点付近から動く気はない。宿から近い、ほかでも芳しくないよう、小見橋まで歩くと、干からびそうであるから。
10匹の小中学生であるが、掛かりどころは相も変わらず、悪い。縄張りをしっかりと形成していないよう。
山路さんが、左岸の水深のあるところに潜るが、温泉橋下流のトロよりもアユが少ないとのこと。大きいアユも見えるが、釣りの対象となるほどの量はいない、と。
数人が、ダムサイト下流まで見に行って、竿を出した。釣れず。アカぐされも。
八さんは、ダムサイト下流を見た後、午後に堰下流?へ。今日帰る予定であったが、四時頃、入れ掛かりとなり、また泊まると。30匹。
死んだアユの腸を出して、塩をまぶして日干しにする。テク2が11月の狩野川で、塩水につけた後、丸干しの一夜干しにする大きさではあるが、今の時期は腸を出さないと保存できないのではないかなあ。
その干物を狙い、カラスがやってきた。こらあ、何千円もする鮎を盗むなあ。
今回は、友缶を借りてきた。乙女は無理としても、女子高生や番茶も出花娘が1日に20人だっこできると、8リットルの舟ではあゆみちゃんが窒息死する。
計算は合っているでしょう。が、計算合って、ゼニ足らず。なにい、意味が違うって?細かいことをいいなさんな。気分はご理解いただけるでしょう。
いつもの3点セットではなく、4点セットで、よたよた歩いてきたというのに。
カラスに盗られないように、友缶ではなく、干しアユにする網を持ってくればよかった。それも小さいもので、かさばらないものを。そうすれば、4点セットの重さと歩くときの不便さにあわずにすんだのに。
いや、先見の明のある方がいらっしゃいました。車に日干し用の網を吊している人がいました。
8月2日 荒川
舟のアユが川で全滅。21度の水温が23度にはなっているが、水合わせが必要とは思わなかった。
千種川での釣りの時は、水温が30度近いぬるま湯であるから、水合わせは行っていたが、まさか荒川で、水合わせが必要とは。
舟から死んだアユを棄てていたが、朝死んでいたアユはすでに棄てていたことに気がついて、またもや日干しの準備をする。カラスに盗まれないように石を積んだおうちを造りたいが、その動作を行うことができないから、石に置いたアユの上にザックを置く。ザックにペットボトルが4本入っているから、力持ちのカラスでも盗人にはなれんでしょう。
清流と釣りで満足?
囮を1匹買いに行く。土手にほかの川に出発する夫婦連れが。
旦那さんは脊椎狭窄症とのこと。脊椎狭窄症と椎間板ヘルニア+股関節変形では、どっちが日常生活にきびしいかなあ。どっちが治療の対応がしやすいのかなあ。
奥さんは、釣れなくても、きれいな水の川で、竿が出せるだけでも幸せです、と。
オラもそうです、と答えた。
しかし、それは嘘です。色欲ギンギラギンのオラは、女子高生が、番茶も出花娘がだっこできないと、その川への恨み辛みが全身を駆けめぐります。とても、枯れた心境にはなれません。
20世紀末の荒川は高田橋の瀬落ち。立て竿で釣っていて、ハリスが飛ばされたことに気がつかず。目印に大きな変化を生じさせないで、瞬時にハリスを飛ばしたとは、囮と掛かりアユがどんな関係になっていたのか、今でも分かりません。そのような乙女をだっこしたい。
さらに、滅び去ったシャネル5番の香りをぷんぷんさせている「香」魚に今ひとたびの逢うこともがな。
ケイ藻が優占種の荒川でも、ダム湖で繁殖している浮遊植物プランクトン:ポタモプランクトンが、香りに必要となる物質を消費している。よって、その物質がダム下流に流れ出せないため、ケイ藻に取りこまれて、アユの代謝によって香り成分に変わることができなくなっている。
20世紀末の大井川での、長島ダムができる前の大井川での経験から考えると、荒川でも大量のダム放流があり、そして、ダム湖にポタモプランクトンが発生する前に、ケイ藻が繁茂する条件の時であれば、シャネル5番の香りを嗅ぐことができるかも知れないが。
今日から泊まった多摩川さんは、小吉川そのほかのすばらしい川のことを話されていた。多摩川さんの川の選択要素には、風景、景色も重要とのこと。
そのような、基準を持ち合わせている人はどのくらい残っているのかなあ。夫婦連れさんのような基準であゆみちゃんと交際、交流しょうとされる方はどのくらい残っているのかなあ。亡き師匠の基準適用はきびしかったなあ。相模はダメ、酒匂も山北、谷峨だけ、と。
多摩川さんは、囮屋さん等が勧めた場所には入らないと。それ以外の場所で川見をして釣り場にするとのこと。混雑を避けるために。
掛かりどころが悪い
昨日、今年はじめて4時まで働いた。ふくらはぎだけでなくあちこちがぱんぱん。加齢によるものか、今年の労働量が3,4時間で週2,3回ということによるのか。
昨日は、スッ転んで竿を傷つけなかったが、肘を打ったが。もっとも竿に異常がないか、保証期間が終わる前に点検してくれないかなあ。
そのような状況であるから、2時に小学生が腹を出したところで終わり。腹を出すって、お百姓や腹に札束を詰め込んだ社長様の専売特許ではない。
いや、「腹」を出す、といっても意味は違うか。お百姓らは、たらふく、うまいもんを食べて、栄養過多で「腹」が出ている。小学生が腹を出したのは、「はらわた」を出したこと。
たった、7匹で、女子高生は1ではあるが、とても夕方まで釣ると身体が持ちません。
なお、背掛かりは1匹のみ。
8月3日 荒川
乙女にも、番茶も出花娘にも出会うことなく、荒川から去ることになりそう。雪代が遡上時期に、アユの成長に与える影響を軽く考えたということでしょう。いや、もう1つの事情は、来年があると思うなジジーには の事情も大きいですが。
ケイ藻が優占種の川も今年の荒川で最後かも。
昨日も堰下流に行った八さんは、30台、やってきたお友達たちに場所を明け渡したから、と。ということはそれほど広い場所ではないということかなあ。
乙女どころか、番茶も出花娘にも、女子高生にも見放されているから、どこに入っても同じでしょう。2時発の越後下関の電車に乗るためにも、いつもの場所が最適。
18歳女子高生、番茶も出花娘の氏素性は?
何と、小学生に18歳高校3年生が。
これを囮に使っても、喧嘩をふっかけてくる遡上アユがいるとは思えないが、小中学生を休ませるためには使いましょう。
左岸瀬から大石川合流点下流側まで動いている人もあんまり釣れていないよう。とはいえ、オラよりは数は出ているでしょう。瀬肩附近に入っている人が一時的に見えたものの長続きしていませんでした。こんなに閑散とした荒川は初めてのシーズン。
12時に近づいたなあ。もう使える囮はなさそう。小学生が掛からなければ、早じまいをするか、と思っていたら小学生が。
タバコを吸い終わったらやめるか。吸い終わると、12時20分で終わるか、と。
そうすると20歳番茶も出花娘が掛かりました。口掛かり。風が出てきたから背掛かりでないことが幸運かも。
番茶も出花娘が掛かり喜んでもよいはず。
しかし、気にくわん。
18歳女子高生も番茶も出花娘も、下顎側線孔数が4対左右対称、側線上方横列鱗数も22枚であろうきめの細かさである。
気にくわんのは、
1 スタイルがスリムではない。
2 瀬の邸宅で釣れたのであれば、遡上アユと判断してもよいが、建て売りの文化住宅で住んでいたとは、女子高生や番茶も出花娘のこの時期、時の住まいとしては不自然。
番茶も出花娘に、キャバレーの商売上手なホステスと同じじゃあ、また通わせるための貧乏人泣かせのやり方じゃあ、と文句をいった。
「なにいってんのよお、なんか小うるさいジジーが荒川の悪評を宣伝しょうとしているから、あゆみ国女王様から、あんた、申しわけけど、犠牲になってえ、といわれたから、嫌々相手をしてあげたのに、なんちゅう言い種」
と怒らせてしまいました。
その怒りは、竿をたたんで、戻るとき、荒川で2回目のすってんころり。どの体勢になれば立ち上がることができるか思案しながらの後始末のため、時間がかかりました。しかし、11月の狩野川の時とは違い、寒くなし、冷たくないし、気持ちよし。ただ、今回は煙草を濡らしてしまい、損失発生。
荒川と三面川の遡上アユのスタイルの違い
ということで、山路さんに番茶も出花娘と18歳女子高生を見てもらうと、海産であるが、放流もの、と。
一番上りは、このあたりには止まっていない、と。
雪代がおさまった時、稚鮎の歯はすべて、櫛歯状の歯に生え替わっているのではないかなあ。それでも、一番上り、2番上りといった遡上時期の違いが出るのはなんでかなあ。
稚魚の大きさの違いが、遡上速度の違いとなるということかなあ。
今年は、8月半ば頃からの増水で、中落ちがあるとしても、番茶も出花娘や、乙女がやってくるのかなあ。
それとも、上流にいった鮎も女子高生止まりということかなあ。
そのとき、荒川と三面川では遡上アユのスタイルが異なっていた、との話をされた。
三面川の遡上アユは山女魚型、荒川の遡上アユはイワナ型とのこと。
山女魚型とは、体高があり、スリムな横幅。
イワナ型とは、体型がずんぐりむっくりのようで、流線型とのこと。
現在は、三面川のスタイルが増えているとのこと。
このスタイルの違いがなんで生じていたのか、分からん、と。
三面川と荒川の稚魚の生活圏は重なっていると思うが、なんでスタイルの違いが生じたのかなあ。川の環境によるのかなあ。
今日も7匹釣れたから、良しとしましょう。
八さんが、やっと帰る気になり、八王子まで送ってくれると。ありがたい。
しかし、コルセットをしているとはいえ、腰がぱんぱん。歩いたり、姿勢を変えたりとの動作をしないともたないかも。股関節も、同じ姿勢を保つことができるかどうか、不安。新幹線でいつでも歩くなどの動作をしたいから、お断りをした。
上越新幹線はすごい混雑をする路線と思っていたら、長岡の花火大会を見に行く混雑。新幹線で花火大会を見にわんさか繰りだすとはなあ。
2階建ての新幹線には乗りたくないなあ。1階は防護壁を見るだけ。しかも、大きな荷物を担いだジジーが狭い階段を上下しなければならないとは拷問です。とはいっても、米坂線が3時間に1本、坂町で1時間の待ち合わせ。その中で、新幹線を選択するとは、無理でしょう。
お百姓さあん、早くどら息子に戻ってえ。
おまけは、両手の甲がたっぷりとふくれあがったこと、そして、たんたん狸の金玉は かあぜもないのに ぶうらぶら。
ぶうらぶらは、虫のせいと思っているが、お医者さんはそのようには考えられていない。魚野川であれば、恙虫を考えて、「誤診」を避けて適切な治療を受ける必要もあろうが、ブヨか小さいアブであれば、見立てが間違っていても問題なかろう。
ご夫婦は水のきれいな、どこの川に行かれたのかなあ。
多摩川さんは、八さんに荒川の河川状況について聞かれていたが、どこを選択されたのかなあ。
ということで、人生最大のイベントは、聞くも涙、語るも涙、の大悲劇、大悲恋、大失恋で幕を閉じました。
魚乱さんの爪の垢を煎じて飲んだくらいでは、腕も、体力も見習うことは不可能です。
書き忘れました。外道のことです。
ハヤ、カジカ。
そして、ザガニが。根掛かりしたので外しに行く。糸がどのように石に巻き付いているのか、分からないため、いろいろといじくっていた。蟹の足が糸に引っ掛かってきた。それで強く引くと、尻尾付近を食われた囮が出てきた。ホトトギスさんとは違い、ザガニを釣りあげることはできませんでした。
いずみやさんから、岩牡蠣が食べられなかったことについて、次のように返事を頂きました。 | |||||
岩牡蠣の生食禁止の原因となる菌は腸炎ビブリオ菌で、川が大増水しコーヒー牛乳色の水となって海へ流れ出した時に川の水に含まれる泥が原因で大量発生するとのことです。海水温とはあまり関係がないようで、私の認識不足でした。 新潟にいらした月曜日は、ちょうど魚市場が休業の日だったことと、もともと流通量が多くはない岩牡蠣なので生食できる食材が確保できなかったたものと思われます。残念ながら巡り会えなかった岩牡蠣は次回のお楽しみというとでお願いいたします。 |
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ということで、濁り水の海への流入はないことから、月曜日で、魚市場が休業日ということが岩牡蠣に見放された理由のようです。 | |||||
8月8日 相模川
中津川はまだ成魚放流をしているよう。
相模川の海産を相手にする方が、オラの性に合っている。とはいえ、弁天にするか、高田橋にするか、悩みますねえ。
昨日、テク2は、弁天なら右岸下流、左岸なら、瀬肩では流れの幅の中心よりも右岸側を、そして一番よいのは瀬落ち上の瀬とのこと。
今日は、昼寝をすることが目標。となれば、川から上がらなくても昼寝のできる高田橋が最適。
囮を1匹買っているところに、ブロック大会、セミファイナルで、鮎がいないといわれている那珂川で、苦行に耐えてきたチャンプ君がやってきた。
大会の時、ション便流れのところでたっぷりと釣った人について、よくもそんな場所に鮎がいると分かったのか、感心していた。
チャンプ君は弁天へ。当然右岸へ。オラが左岸瀬落ち上で釣っていると、チャンプ君の大漁を見せつけられて、精神衛生上宜しくない。その点でも、高田橋を選択して幸いでした。
立ち込んで右岸を釣るが、ポイントの大石があったあたりに囮を入れるには、腰まで立ち込まなければならない。膝くらいでは、とてもポイントに届かないが、膝上でも転んだ時、立ち上がることは困難でしょう。タイツであるから、おぼれることはないでしょうが。
荒川と違い、小石の川底は歩きやすいなあ。去年9月20日のダム放流後の石がそのまま残っておれば、どのような展開になったのかなあ。
あれえ、17歳女子高生が釣れた。ありがたいなあ。この感激は、20,30当たり前のテク2にはわからんでしょうなあ。
まあ、その後は釣れないし、囮を休ませるべきでしょうから、朝麦酒を飲みましょう。優しい社長でしょう。
そして、お昼寝。橋の下に行かなくても、雲がお天道様を隠してくれているし、心地よい風も吹いているから、川原でおねんね。
ザラ瀬などを釣っていた人たちは減りましたねえ。釣れないのかなあ。
石のアカ付きが悪い。岩佐先生は、2万ルックス以上の照度で、ケイ藻は腐るとかかれているが、らん藻でも同じかなあ。そして、腐ったらん藻が石から剥離したのかなあ。石切場でも同様のざらついた石が多かったとのこと。
朝と同様、大石があった付近に膝上まで立ち込む。チビが2匹。お前らの遊び場所と違うぞお。囮は弱るし、困ったもんじゃ。
やっと掛かったのは、女子高生よりも大きい。荒川のために張ったフロロ0.25であるから切れる心配はない。くぼちゃんが、三面では切れなかったハリスが弁天で切られた、と嘆いていたとのことであるが、その心配もない。
取りこんだのは、21歳乙女。
17歳女子高生とも、下顎側線孔数4対左右対称。
遡上アユか、海産畜養か、分からないが、川で4ヵ月は生活しているため、海産畜養としても、スタイルのいびつさは見られない。
これで囮がなくなったからやめましょう。幼児を囮にしないでおきましょう。
その頃にやってきたカちゃんがザラ瀬へ。すぐに数匹を釣る。午前の人たちと腕の違いがあるということかなあ。
オラが帰るとき10匹には届かないといっていたが。
8月10日 相模川
柳の下に2人目の乙女はいないと分かっているが、歩きたくない、橋の下で昼寝をしたい、という不純な動機で高田橋へ。
1匹の囮を買っているとき、今日も珍客?のイっちゃんが。今年始めて見かけたと思っていたが、迷人見習いとは異なり、30日ほど川に入っているとのことであるから、どこかで会っているかも。
今年の大会は、取り込みミス等で、すべて2匹足らずとのこと。その反省から、どんな川でも、どんな鮎の状況でも対応できるように、修行に励んでいるとのこと。
迷人見習いさん、あなたのお友達が難行苦行をいとわずに川に浸かっているというのに、磯にいそいそと出かけて、あゆみちゃんとは疎遠となっているあなたとはえらい違いですよ。
乙女が無理でも、幽霊でも歓迎ですよ。三途の川の状況や、あゆみちゃんの育ち具合が気になりますから。
まあ、予感は当たったということでしょう。拳大の石を2回釣りあげては、元気な養殖君もええ加減にしてくれ、と怒りますよねえ。そして、トドのつまりは毎度なじみの吸盤ボウイ。
これを奇貨として、朝麦酒にお昼寝。
高田橋でどのくらい釣れているのかなあ。堰下流にも人は入っているが、先日と異なり、ザラ瀬は少ないなあ。右岸の大石のあった付近に囮を入れている人も、掛かっていないなあ。
風が吹いているから、やめるところであるが、4時間は働かないと、身体がなまってしまう、と、頑張りました。チビが掛かっていても、変ですなあ、と思っただけで、風のまにまに竿が動いていただけ。
まあ、ボウズで嘆くこともないか。次回は真面目に弁天に行くしかないでしょうねえ。
イっちゃんは、中津と石切場に行くといっていたが、どのような結果になったのかなあ。
あ、そうそう、田名の主が竿を出していた。女子高生以上でないと、車から見学をしているというのに、竿を出しているということは、中高生のいる場所があるということでしょう。
しかし、振り子抜きが見られません。田名の主のお友達も、いつものスピードであれば取りこむこところを見られるに、それも見られず。
魚乱さんが、故須合さんの抜きと、九頭竜抜きと、振り子抜きの違いを書いてくださっているが、田名の主の抜きは、振り子抜きと表現して間違いなかった。
8月15日 相模川
今日も、見学だけ。お盆休みで、膝と股関節の注射ができないため、川の中で立ち往生したら困るから。それに、12日に小沢堰上流で川流れが。そして午後には堰下流でおぼれて救助された人がいたこともあり、ちょっぴり川に入りたくない気持ちもあって…。
12日、減水したこともあってか、弁天右岸瀬尻に入っている人はいない。立ち込んで左岸護岸を向いて水深のあるところを釣っている人もなし。テク3は左岸から瀬落ち上の瀬を釣っていたが、釣れたのかなあ。
石切場にヒゲだるま君がいた。瀬肩と瀬の境目付近を左岸から立ち込んで釣っていた。オラが見たときは4,5匹とのこと。その後、オラがいろいろと五月蠅いもんで、向きを変えて、左岸ヘチ側を釣る。すぐに数匹。人工で黄色い衣装が好きなものがいるが、その人工も、海産も中高生。午前にツ抜けしていたでしょう。
ヒゲだるま君のヒゲもおつむの髪の毛もなくなっている。落語では、髪の毛を剃られ、眉毛を剃られるのは、女の方ですよねえ。ヒゲだるま君、ねえちゃんになにをしたんじゃあ。ねえちゃんにどんな悪さをしたのか、気になりますねえ。
ヒゲだるま君の竿は超高級で、細身で風が避けていく、との宣伝文句もあったと思うが。細身にもかかわらず、豪腕の性質を備えているといわれているが、その竿でも、風の中では操作がしづらい、と。
昼から、さらに風が強くなったから、引き上げたのではないかなあ。
昨日、お百姓とウちゃんが弁天に入り、10匹前後とのこと。ウちゃんの方が多かったが、堰上流のナマズ捕りに変更したとのことであるから、弁天でもそれほど釣れないということかなあ。
ヒゲだるま君が、田名の主のお友達のシちゃんが、高田橋上流の右岸瀬の芯で、40ほどいつも釣っていたと話していたが、10日にはその勢いは感じられなかった。現在、釣れているのはチャラ、ザラ瀬だけとの話があった。
新昭和橋下流では、雄物川さんでさえ、数匹とのこと。釣っている時間の短いこともあるが、鮎が避暑地に出かけているのかも。
今日、高田橋から石切場まで歩いているときに釣れた人は見ることなし。縦貫道付近にも数人が入っていたが釣れているのかなあ。
今日、囮屋さんで、しゃべっている間に2組が。その2組は神沢に行くと。
5月3日のダム放流で、それ以前に大島で放流された人工が、鵜止まりの淵で止まり、出鮎となって神沢に出て来たり、あるいは神沢に止まった人工鮎もいて、海産に比し、大きいアユが釣れている、海産も釣れるから、と。
大島は、数年前の尺鮎フィーバーの再現を狙って、それに適する人工が放流されている、との話もあるが。
迷人見習いに、イさんとの違いを説教した甲斐があって、やっと、あゆみちゃんのナンパ修練が必要と悟ったよう。そして、弁天で、1匹掛けて取り込めず。玉引きで囮はへなへなに。
その弱みにつけ込んで、これから神沢へのアッシー君になれ、と誘惑しました。神沢の結果やいかに。
2008年は、相模大堰を遡上した3月下旬の稚鮎が大量で、6月始めから海産の女子高生が釣れていた年、迷人見習いは、転んでも竿を折らず、放さず。そのときの神沢は、左岸も石がつまり、また、瀬が存在していた。4月に見たときは、小さな瀬があったのに、その瀬も消滅し、長い距離のトロに。あるいはトロ瀬に。
鵜止まりの淵からの出鮎を対象としているのか、右岸川原に車が見える。神沢は弁天よりも混んでいるかも。
すぐに釣れたが、馬力がないなあ。風が強いなあ。それからは、引き寄せで取りこんだが、引き寄せが下手になったなあ。遡上鮎が囮を引きづり回して、引き寄せが手間取るのではなく、たいした馬力もないのに、手間取るとは。鮎足袋に掛け針を引っ掛けて逃げられる不始末まであった。まあ、目が見えにくくなり、糸が見つけづらくなったことも影響しているとは思うが、それ以前の掛かり鮎を引き寄せる動作も、下手になったなあ。
3時間ほど働いて、21歳乙女もいるが、番茶も出花娘と女子高生が主役であり、小中学生はいないが、楽しいとはいえんなあ。この楽しくないという感想は、迷人見習いも同じ。さすが、師匠達に本物の鮎と、まがい物の鮎の違いをしっかりと教えられているよう。しかも、川見とは無縁のトロ瀬ではなあ。
迷人見習いは、松下の瀬の分流、リハビリセンター前で、ぬめぬめぬるぬるの、シャネル5番の香りを振りまく鮎にいたく感激していた。
海産畜養であるから、どの程度の量が放流されたか、が問題であるが。
それにしても、狩野川の増水が多かったということが、ケイ藻に取りこまれ、それを食した鮎の体内で香り成分に変化する物質:故松沢さんが「ミネラル」と表現されていた物質が多く腐葉土から沁みだしたのかなあ。
上下の人たちよりも、オラ達の方が釣れていたのではないかなあ。
迷人見習いは8匹、オラは11匹。迷人見習いの嘆くこと激し。しかも、オラは、21歳乙女も。
しかし、6.5号のハリで、乙女が釣れるとは、楽しくないですなあ。20世紀の大井川の乙女では、針を折られていたか、ハリスを飛ばされていたでしょうなあ。
迷人見習いは、狩野川を勧めるが、海産畜養がどの程度の量、放流されたのか、問題。まあ、次回、迷人見習いが品切れにあっていなければ、考えましょう。
そして、今日、囮代を払い忘れたが、そのときもきっと忘れているでしょう。
5月3日のダム放流後、大島に放流された継代人工が、神沢の川原で大量に死んでいたとのこと。しかし、今日の神沢の鮎の密度は相当なものと思う。5月3日のダム放流が収まった後の放流ものが、その後のダム放流で大島から流れてきたものもあるということかなあ。5月3日のダム放流で、大島に放流された鮎が全滅したとも考えられないが…。今年、生産が中止された30ウン代目の県産継代人工であれば、全滅していたであろうが。
なお、気になることは、,21歳乙女を含めて、下顎側線孔数が4対左右対称である鮎が多いこと。にもかかわらず、馬力が弱い。迷人見習いが狩野川で惚れこんだ海産畜養とは大きな違いがある。ひょっとして、F1とかF2の種苗生産から稚鮎、あるいは成魚まで人間が育てた鮎?
8月19日 相模川
宮川に行ったタマちゃんが熱中症になりかけたとのこと。元気はつらつのタマちゃんも年を食ったということかなあ。
神通川からの遡上鮎は、はるか昔に宮川から消えているであろうが、垢石翁が、激流の連続と書かれた川はどうなったのかなあ。大石は、水量は、清冽な水は健在かなあ。麦飯を食べて青春時代の猟の時のことを回想した巣の内はどうなっているのかなあ。
また、高原川に行ったのかなあ。
狩野川に行く機会があれば、すぐにタマちゃんの話を聞くことができるが。大井川のあゆみちゃんが1ヵ月以上の飢饉で餓死をしていなければ、タマちゃんの話を聞くことができるが。
テク2がお墓参りのついでに、大井川は葛篭付近で竿を出した。
2日目は、ゴロちゃんが寝坊をしたため、竿にぴりぴりと来ることもなく、2匹釣れたとのこと。
前日はゴロちゃんが元気はつらつであったから、とても竿を出せる状況でない。
そんな中でよく竿を出したなあ、というと、
「誰じゃあ、お墓参りの時に大井川の状況を見てこいといったのは」
すみません、ご迷惑をおかけしました。
テク2は、沢筋に入った鮎は生存しているはず。それらは、10月を過ぎると、本流に出てくるのではないか、と。
とはいっても、塩郷堰堤下流には手頃な沢筋はないしなあ。塩郷堰堤をどの程度の鮎が遡上できたのかなあ。
あれこれと、想像していると、迷人見習いから電話。今日だけアッシー君に使うだけでなく、たまには餌を与えて、大井川の時のアッシー君にしないと。
まず、縦貫道へ。去年の9月20日のダム放流で出た石は完全に埋まったよう。絞り込まれた瀬もない。
ザラ瀬風のところのヘチから、ついで立ち込み、そして釣り下る。吸盤ボウイですら相手にしてくれない。中高生がヘボヘボと飛び跳ねながらからかっていく。まあ、今日はからかわれるのはオラ1人ではなく、迷人見習いもいるから、心強い。
鮎がいるのに釣れないとは、腕が悪いということでしょうなあ。
迷人見習いは、246号付近のコロガシの変化に気がついた。
それまでは釣り人が誰もいなかったのに、今はびっしりと詰まっていると。
しかし、246号のの上下左右、同じように繁盛しているのではないとのこと。
上流側は釣り人なし。下流側は流れが2つに分かれていて、1つは水深があり、流れが強い。その流れにも釣り人なし。水深1メートルほど以下で、流れがそれほど強くないところに、釣り人が密集しているとのこと。
土用隠れの現象かなあ。
新昭和橋下流のコロガシでも、雄物川さんでさえ、20匹ほどしか釣れず、休業が多かったのに、ここ数日、ご近所さん共々、お仕事に精を出している。土曜隠れの隠れ家を見つけたのかなあ?
水管橋付近のトロまで下った迷人見習いがあきらめた。
石切場へ。河相を見た迷人見習いは、縦貫道のところと変わりないから、弁天で討ち死にしょう、と。
弁天の瀬尻で、左岸ブロック方向を釣っている人がいるが、7月の頃のように釣れているのかなあ。瀬肩附近の人達も釣れているようには見えないなあ。
土用隠れの鮎はどこに行っているのかなあ。
麦酒を飲んで気持ちよく、瀬肩附近へ。迷人見習いはあんまりにも反応がないため、右岸側に渡りオラのトイ面に。
迷人見習いの高級竿が、乙女を掛けたように大きく曲がっている。すぐに抜けない。と思っていたら、吹き上げの風が強く、抜くに抜けなかっただけ、と。
鱗は荒いから、細身ではあるが、海産とは思えなかったという女子高生。下顎側線孔数も4対左右対称ではなかった。
また、迷人見習いの竿が大きく曲がっている。今度は拳大の石。
ということで、鮎はいるのに釣れない、遊び鮎でない鮎の居場所、土用隠れの転居先が分からず、迷人見習いの大勝となりました。(たった、1匹の差ですが。)
新昭和橋下流のコロガシでも、まだ、土用隠れのあゆみちゃんが転居したところが見つかっていないよう。ご近所さんがここ数日真面目に働いているから、土用隠れの場所を見つけたのかな、と思っていたが、奥さんは昨日5匹、とのこと。
土用隠れが、つわりの症状と説明する人がいるが、学者先生の10月11月海産産卵説を採用しない限り説明不可能。もし、そうであれば、東北、日本海側の海産鮎のつわりは7月の解禁ころから始まることになる。おかしいでしょう。
岩佐先生が、ケイ藻が2万ルクス以上の照度になると枯れる、と書かれているが、信頼性の高い観察と思っているが、それでも、土用隠れの場所を捜す手掛かりにしては不十分ではないかなあ。
というのは、もしそれだけがあゆみちゃんの転居理由であれば、水深のあるトロなどであれば、必ず大漁になると思うが。246号付近のコロガシが密集しているところも、その条件ではなさそう。
城山下が健在だった20世紀、藪下左岸には伏流水があり、また大石が転石していた。土用隠れの時期、よき釣り場所であったとのこと。
まあ、迷人見習いが何年ぶりかで?、何回目かで、オラよりもたっぷりと釣れたから、大井川の10月にアッシー君になってくれるでしょう。実りの多い、ありがたあいボウズでした。目出度し、目出度し。
8月21日 相模川
今週、三面に行くが、山路さんのH・P「旅館山路」(新潟県 高瀬温泉 旅館山路)の「親父日記」に、衝撃的は記事が書かれていた。
その内容は、
8月18日にシマノの鮎釣り選手権新潟大会が行われて、山路さんの師匠が16匹(囮込みでしょう)で1回戦敗退。
来年のセミファイナル出場者を今年行っているとは知らなかった。
19日、山路さんらは小見橋と高田橋の間に。
師匠は55,山路さんが40,Dさん(泊まり客?)が18,後から来た隣の親父(囮屋さんでしょう:山路さんと親戚)が28,
なんで、オラの時には釣れていなかったんじゃあ。
場所が大石川合流点付近が好ましくない、とは、山路さんも八王子さんもいわれていたが。
それにしてもですよ、その頃で一番よい場所といわれていた堰下流、花立?でも30台がトップ。もっとも。八王子さんは午後からしか釣っていないし、次の日は、午前だけであるが。1日釣った人には60の人がいた、と、くぼちゃんが。
そしてですよ、8月始めに三面に行った腹に札束を詰めた社長さんは、40。中高生を狙わなかったら、50,60当たり前、と豪語していらっしゃる。くぼちゃんもへいさんも30.
オラが荒川で1匹ウン千円の小中学生を相手にしているという時にですよ。
それから半月後、三面は下り坂になっているよう。
荒川は上昇局面に。
その三面に今週行くんですよ。
オラは不況になったところへ、ところへ、と引き寄せられていることになる可哀想な運命、不幸な星の下に生まれた憐れな男です。
これで、三面で、腹に札束を詰め込んだ社長の40にも、くぼちゃんやへいさんの30にも届かなかったら、三途の川からうんちをばらまくぞお。
なんでじゃあ、神さま、仏様はは不公正じゃあ。配分、分配の正義を貫いてくれえ。分配のの公平を実行せえ。
「あんなあ、お前、働かざる者食うべからず というのは分配の正義か、違うか。ユートピアが実現することが正義か。その結果は何に対して不公平となるんじゃあ」
「天国もなあ、何かと金がかかってなあ、グローバリゼーションに耐えていかんとやっていけんのじゃ。お前みたいな役立たずは天国から出て行けえ。」と、天国から追い出されました。
で、地獄に行くと、閻魔大王様が、
「今時、地獄に文無しがやってこられると思ってるんか。地獄の沙汰も金次第というやろう。天国がはねた奴を全部引き受けていたんじゃあ、地獄がなんぼあっても足りん。出て行けえ」と追い出されました。
しかたなく、トボトボと相模川へ。
弁天は、迷人見習いですら1匹。
弁天瀬落ち付近を歩きまわり10,20釣っているテク3の真似をしても、腕の差であゆみちゃんが相手にしてくれることもないでしょう。
歩く距離の少ない高田橋にしましょう。
当然のボウズ。外道はコイ。幸い4本錨を2本ずつにまとめ、そのうちの1本はハリ折れになっていたから、囮も無事。そして、雄物川さんが9時半に引き上げている3時間あまりの勤務時間と同じくらい働きました。
新昭和橋下流の雄物川さんは、土用隠れの転居先を捜し出して、そこをお狩り場にしているのではない、と。
昨日、19歳番茶も出花を釣ったが、肉付きがよくなってきて、しかもその場所は伏流水があるのか、苔の質がよくうまい、と。馬力も強かった、と。
その場所はコンクリがあり、その上をこつんこつんとオモリを叩きながら、その落ち込みへ。落ち込みには石が詰まっていて、その石のところをうまく流せると掛かる、と。しかし、その加減が必ずしも適切にできるとは限らないとのこと。
ということで、雄物川さんは、土用隠れの転居先を捜すことなく、いつも同じ場所で釣っている。ただ、1日おきにご出勤しているから、1日おかないと釣り返しが利かないということかなあ。
土用がくれの転居先
さて、土用隠れの転居先について、高松さんが話されたことが紹介されている。
宮地伝三郎・開高健・山本素石編「香魚百態」(筑摩書店・1987年:昭和62年発行)
この中の福田伴男「天空を釣る」
「箏曲(そうきょく)、地唄の世界では最高峰の方、重要無形文化財、人間国宝などといかめしい肩書きを背負っていると富山清琴先生とは、私とちょうど二周り違う同じうし年であるせいか、何かと気性が合うのである。その先生も部類のお魚好きでいらっしゃる。
最近、釣った魚を私が大切に持ち帰る習慣がついたのは、富山先生がとても喜んでいただいてくれるからなのである。
ある日、鎌倉・長谷の先生のお宅へ往診した際、ひょんな雑談(この先生は雑談がまたとても面白いのであるが)から、先生をあゆの友釣りに誘い、その伝統ある釣趣を一度味わっていただこう、とのプランを思いついた。
数年前にも、富山先生を山梨県の大菩薩(だいぼさつ)連峰山麓の渓流にお連れして、岩魚釣りをたのしんでいただいたことがある。この折には、目の不自由な先生が、手元の勘をたよりにして、ものの見事に岩魚を釣り上げたのである。
その余勢をかって、今度はあゆの友釣りをしてみたいと言うのである。岩魚釣りなら私の本職とする分野であって、容易にことが運んだわけだが、ことあゆ釣りとなると、少々やっかいではある。狩野川のあゆといったって、さてさて何処がいいのか、私には右も左もさっぱりわからず、トンチンカンなのである。
そこでさっそく、湯ヶ島の慶応リハビリ病院の石井博先生に連絡をとり、そう言うわけで、天下の富山先生があゆ釣りに挑戦するのだから、是非とも応援を頼みたい、面倒を見てくれ、と強引にお願いをしたのであった。
そして当日、漁協の山田右さん、おとり屋の主人の大川さん、青木さん、伊東の本間正俊さんら、七,八人の釣り上手達が応援指導のために駆けつけてくれたのである。」
「『あゆ(愛)が終わったら、今度はコイ(恋)にでも挑戦してみましょうかね…』
と、得意のダジャレで皆を煙にまいていた人間国宝も、八メートルの長竿をはすに構えて荒瀬に向かった時の顔つきは、まさに真剣そのもの。しかしあゆ初体験をはいえ、その風格はさすが人生の年季をほうふつとさせるものであった。
両脇で一生懸命にコーチするのは、山田右名人と石井先生である。
荒瀬のガンガンに囮を誘導した後、竿を富山先生へと手渡して当たりを待つ。と、さっそく、穂先がぐいと弓なりにもたれ込む。
『おとりに野あゆがけんかをしかけてハリ掛かりした感触ですよ。』
『エ、エッ! ハイ、よくわかります。ガンガンと、動き回っている感じ…』
『そのまま竿をそっと、まっすぐ上に立てて下さい』
白泡かむ荒瀬の水面から、二匹のあゆが上手に寄せられてくる。まさに心眼の釣りである。
『これがあゆですよ』
と、先生の両の手のひらへ乗せると、
『ほうほう、冷やっこい!』、
と笑顔がいっぱいこぼれた。」
富山さんは、椅子に腰掛けての釣り。
白泡かむとはいえない場所と思えるが…。ただ、昭和の終わり頃までは、ヘチからでも石がびっしりと詰まり、生きた流れが多数ある場所が当たり前であったと思う。
この後、福田さん夫婦の狩野川通いが始まった。
高松さんの登場
「『おとりの気持ちになって竿を操作しなければ……。ほら道糸が張り過ぎてる……』
と、山田右さんが後方からそっと教えてくれる。名人がそばにいると、とたんに釣れてくれるから不思議なものだ。
夏のある日、『土用がくれ』の時期であった。私は小屋下の激しい瀬に立ち込んで、一生懸命一人で釣りをしていたが、待てど暮らせど、さっぱり当たりがないのである。魚が何処かへ引越しでもしてしまったのかと思うほど、まったく釣れないのである。
後方の堤の上、小屋近くの松林の木陰で、家内がひとりの青年と私の方を見ながら何かおしゃべりしたり、笑ってみたりしているのが見えた。
かなりの時間、体が疲れるほどねばってみたが、とうとう一匹も型を見ない。やむなくあきらめて、竿を担いで家内とその青年の坐っている場所へ上がって小休止だ。
『釣れないの、当たり前なんだって……。夏場の土用がくれの時期はね、流心や激流の瀬じゃなくて、流れの弱いとろみたいな所を狙わなくちゃ駄目なんですって。』
と、さっそく家内が受け売りのアドバイスである。
『同じポイントを、何十回もぐるぐるひきずり回すようなおとり操作じゃ、魚がのびてしまうんですって……、ハッハッハッハッ』
『どうりで釣れないはずだよね』
コーヒーをすすりながら、改めて反省する。
『先生は、今、この季節のもっとも釣れない釣り方の模範演技をしていたんですよ』
と、その青年が言う。後で家内にきけば、この青年こそ、この年の全日本東西対抗あゆ釣り選手権のチャンピオン高松重治さんだったのである。
狩野川の若いホープ、ここ二年ばかりでめきめき頭角を現してきた俊鋭。ベテラン山田右さんの愛弟子だったのである。
そう言われれば、この夏場の頃から、われわれ夫婦が釣りを楽しんでいる周辺にやたらに出没しては、目の前でいとも簡単にポンポンと釣りあげていく若者がいるな、と気にはしていたのである。
『なんとまあ、これは大失敗! でもこれは、大川さんが悪いんだよ。五月、六月の初期の瀬釣りを僕に教えたまま、弟子をほったらかしていたんだから……。ハッハッハッ』
と、てれかくしにかたわらの大川さんのせいにしてしまったのである。
『それから、糸が〇.八号じゃいけない。〇.二号と、うんと細くて十分抜き上げがききますから……』
『エッ? 〇.二号! そんなに細いの! これもみんな大川さんが悪いんだよねッ!』
大川さんは眼鏡の奥でパチクリし、あいた口がふさがらない、といった体だ。
私の竿の仕かけを、自分のそれと取り替えて、高松さんはスルスルと音もなく土堤を降りて対岸へ渡る。葭の茂みに身をひそめ、正面に直線天空に向かって竿を垂直に立て、じっと当たりを待つ様は、まるで黒ヒョウが物陰に身をかくして獲物を狙う迫力がある。
葭の中から長竿だけが、ついと突き出して、釣り人の姿は全くめだたない。まるで忍者のようである。これぞ泳がせ釣りの極意というものか。
と、夕陽を浴びて、長竿がキラッと一閃して弧を描いた。
『当たりだ!』
対岸から観戦していた我々から、期せずして声が上がった。
高松さんは、獲物の動きにまかせ、竿の加減を見て水際へつと姿を現し、さらに竿を高くかかげてためている。小気味よく竿は満月のようにしなってふるえる。
玉網をかざすや、一呼吸。
と、二匹の銀鱗が、キラキラと踊りながら彼の手もとへ吸い寄せられるかのように空を切って飛んでくるのが見えた。
『見事』という他はない。これら一連の動作には、まるで舞い手が華麗に舞扇を取り扱うような、美しい流れがある。」
この年の紅葉が色づく頃かな、山田右さんが掘った自然薯を食べながら、また、各人が持ち寄った獲物を食べながら、狩舞会は発足しました。高松さんも本間さんも参加されていた。
山田右さんは、故松沢さんが一七歳の時に弟子入りした師匠と思っている。また、旅立ちの時、名人から譲ってもらった竿・竹竿を持って行かれたが、その名人とは山田右さんでは、と思っている。
「天空を釣る」には、若かりし高松さんの写真も掲載されている。その頃、亡きEじいさんは、トイ面でバカスカ釣る若者に恐れをなして逃げ出した。平成の始めに相模川で行われた高松さんの講習会の時、その話をされていた。
さて、高松さんの土用がくれの時の釣り場の説明は、必要条件ではあっても十分条件ではないのではないかなあ。他にどのような条件がある場所であれば、ヘボにもあゆみちゃんが遊んでくれるのかなあ。
継代人工、F1、F2も、土用がくれの習性はないのではないかなあ。というよりも、神沢のトロ、トロ瀬の所を生活圏として、一生暮らしているのではないかなあ。そんなF1?であったから、神沢では、オラでもツ抜けができたのではないかなあ。
8月23日 魚野川:湯沢の花水木
この付近は、水量が少ないものの、垢石翁や滝井さんが魚野川で釣りをした頃の水、石の大きさ、アカの状況等を垣間見ることができるのではないかなあ。
大きい石が転がり、石裏は、狩野川の石裏とは異なり、砂は巻いていない。石が詰まっている。ケイ藻が優占種。
当然、信濃川の何処かで遡上を阻害する堰が存在するでしょう。大河津分水路で汲み上げた海産も放流されているとの話もあるが…。原則継代人工ではないのかなあ。
橋からは、ヒラを打つ鮎が見えない。釣れなければ、歩いていける距離の所にコンビニがあるとのことであるから、囮を休ませるために、麦酒を買いに行きましょう。
ということで、囮1匹。囮屋さんが盛期でないから1匹で釣るとは、常識を欠如している、という。そう言われても、2匹の囮がいたとしても、あゆみちゃんがいなければ、意味ないからなあ。
昨日釣ったアユが活かされていたが、22歳くらいの乙女。そして、3時頃から釣れるとのこと。
橋を渡り、左岸に行き、少しでも水深があり、流れがあり、との変化のあるところへ、と、大きい石が転がり歩きにくい川原をちょっぴりほっつく。
サボZは、トロへ、その下流の大きい石による流れの変化があるところにサボSが、その下流の同じように大きい石で流れが絞り込まれて、強くなったり、水深に変化のあるところ、とはいっても水量が少ないから楽に囮操作のできるところにオラが。
まずは女子高生。ぬめぬめぬるぬるしているが、シャネル5番の香りはなし。
次は、よく引く。抜くか引き寄せるか、悩みながら取りこんだ22歳乙女。当然箱入り娘に。
午前、番茶も出花娘と乙女を含む4匹。
1号の中ハリスを使っているが、質が悪いのか、あるいは、編み付けが強すぎるのか、すぐに使い物にならなくなる完成品の鼻環仕掛け。大井川では絶対に使わないが、人工の放流ものであり、また明日は三面川であるから、強度に気を遣うこともなかろうと、使用していた鼻環仕掛けの中ハリスが飛ばされた。人工でこれほど馬力があるとは想定外。
サボMは、塩川の人工が大きく、また、馬力が強かった、と。
サボSも午前にオラと同じような大きさの鮎を4匹。
サボZは、鮎がキラキラ見えるのに釣れない、と、昼飯も食わずに、下流の曲がり角へ。
午後は、一番鮎を釣りきってしまい、2番鮎を釣る腕がないから、オラとサボSは釣れず。
サボZは、昼も食わずにあゆみちゃんに媚びを売ったおかげで、9匹。
荒川の山路さんが、三面川のアユは山女魚型:体高はあるが、幅は狭い。荒川の鮎は岩魚型:流線型で胴回りが太い、という特徴があった、と話されていた。このスタイルがどのような河川環境の要因の違いで生じたのか、気になっていた。
湯沢の鮎は、継代人工ではあるが、岩魚型で、胴回りが太い。もし、ケイ藻が優占種の川の鮎は、岩魚型、藍藻が優占種の川の鮎は山女魚型、と、区分できれば、単純であるが、そのような要因での区分ではないのではないかなあ。
ということで、魚野川の湯沢はケイ藻が優占種の川で、馬力いっぱい、胴回りの太い鮎が楽しませてくれました。ラン藻の方が、ケイ藻よりも栄養素が高く、大きく育つ、という話は、村上先生が否定されているように、事実ではないと断言できるのではないかなあ。川那部先生に、「絶対」という言葉を使う人は信頼できないと言われても。
8月24日 三面川水明橋下流
23日、サボMとサボTが、35匹ずつ。
例年とは異なり、女子高生に番茶も出花娘が混じるほど、大きい鮎の三面川。その代わり、例年よりはアユの数は少ないのでは、とのこと。
例年通り、拳大の石のチャラ状のところへ。小学生は釣れない。中高生が元気いっぱい囮を引きずってくれる。
サボTが、キラッと光った、目印が何処に行ったか判らなくなった、という情景が。
昨日、サボT,Sが釣れていた三面川では瀬といえる絞り込まれ、そして左岸に芯が片寄ったところに、サボS,オラ, 上流のトロの人が囮を入れるが、反応なし。1日では釣り返しができるほど、鮎が定着しないということかなあ。
結局、オラとサボSは6匹で午前を終了。
サボZは、 下流に幸あり、 と、魚野川の再来を目論んで下流へ。20匹。その釣り方は、川原からの釣り。ヘチよりに石があり、少し溝になっていて、その筋しか釣れない、と。
午後、サボZが釣っている場所へ。
石といっても、拳大の石。溝もそんなに魅力が感じられない。
なによりも、オラが川原から釣るには、袋ダモかビニール袋がないと、あゆみちゃんが息を引き取る前に舟にたどり着くことができないことに気がついた。さらに、川原からの釣りは、発汗機能が低下しているオラにとっては、熱中症よこんにちは、となってしまう。
ということで、ヘチに座り込んで釣っている人の上流で、水の中にはいる。
右岸の方が石は大きいように見えるが、右岸の人も釣れていない。
へたり込んで釣っている人と右岸の人が、女子高生は明日の囮として残しておくように、と右岸の人に話している。
監視員が、どこそこで釣れた、大きい、と、へたりさんに話すと、へたりさんは、そこは鮎がいない、釣れない、と。
それで、2人の間で場所の確認が行われ、監視員がよい思いをしたことをへたりさんが納得されていた。
へたりさんは、30,40,それともそれ以上?
1匹は釣れたが、よき場所とは思えないから、午前のチャラへ。3時頃にはダム放流があるとの話があるから、右岸側へは渡れない。ヘリコプターのご厄介になること間違いなかろうから。木の枝が張り出しているものの左岸側から釣るしかない。
朝から左岸側チャラで釣っている人は30匹を超えたと。サボZの 下流に さちありい に惑わされずにそのチャラにいた方がよかったのかなあ。
3時頃、夕方が釣れるとのご託宣を無視して、サボZ、Sが戻ってきた。
結局、1日で、サボZが33,オラとサボSが14.
雪代の遅れが小学生ではなく、中高生に成長する鮎を多くしたのかなあ。雪代の遅れが遡上鮎の減少、若しくは生存率を低下させたということかなあ。
高根川を除くと、三面川で、中高生に番茶も出花娘が主体となる釣りをしたことはなかったのではないかなあ。
インターネット等の評判から、府屋大川に出かけたサボM、Tは、超満員の府屋大川で、人が少ない下流にはいったものの、鮎は見えれど釣れる鮎はなし。
ということで、庄内小国川へ。
20前後の例年の大きい鮎を釣ってやっと満足をしたとのこと。しかし、埋まった石が増えたとのこと。
25日、まだ還暦にはたっぷりと時間のあるサボM,Tは、三面川の上流へ。
ジジ−組は朝帰り。
サボSをそそのかして、荒川の高田橋から大石川合流点まで見ることにした。
高田橋は、20世紀末に瀬落ちで釣ったことがある。立て竿で釣っていて、目印に変化が生じないか、小さい変化のうちに、ハリスを飛ばされていた。昨日、サボSも午後、ハリスを飛ばされていたことに気がつかなかったが。高田橋上流のチャラの人は入れ掛かりをしていたが。
その面影はいずこへ?石は三面川よりは大きいが、頭大の石の大きさに過ぎない。瀬落ちの流れも貧弱になっている。
小見橋と高田橋の間は、左岸土手は走ることができるが、右岸側は、川から離れた道しかない。ということで、山路さんとその師匠らが釣れた場所はどのようなところか、確認できなかった。小見橋も去年とは様変わり。大きい石はなし。小見橋上流の右岸側から入れ掛かり、丼を多発し、瀬釣りの人が並んでいた瀬は貧弱に、そして、大きい石は消えていた。去年、竿を出した左岸側橋下流も様変わり。遡上鮎が好む場所とはいえないのではないかなあ。
温泉橋下流、八王子さんが1人勝ちをしていた瀬には3人が。その上流の瀬に1人入っていたが、移動していった。
橋上流の絞り込みの滑り台の瀬の下流に1人入っていたが、釣れたのかなあ。絞り込み上流の平坦なチャラにも2人入っていたが釣れるのかなあ。
大石川合流点の瀬に1人入っていたが釣れたのかなあ。
サボSには、たった1年で様変わりしている川の変遷をたっぷりと見てもらいました。
もし、還暦経過組が新潟県は大きすぎる、とぼやいているにもかかわらず、来年もやってくることがあれば、今度はパーキングのへぎそばではなく、本場のへぎそばを味わおうとサボSと誓い合いました。
8月28日 相模川
相対的に若者のサボM,Tは、25日も午前は三面で働いた。
「ここ二日間の釣果に、十分納得しているので、オトリ屋さんが釣れないからと止めるのを振りきって、ものはためしということで入りました〓
確かに、極端に鮎は薄いです。
で、12時までやってサボM11本、サボT10本でした〓
なお、帰りに見た岩沢橋は上流、下流とも大会のような人出でした〓
おそらく、水明橋はもっと大混雑でしょうね〓」
ということで、大満足をされていました。
それに引き換え、オラはいつまで続くボウズ街道と、トボトボと、1匹の囮を持って弁天瀬肩附近へ。
昨日、くぼちゃんが5匹とのことであるから、当分、くぼちゃんと一緒に釣ることのないように心がけましょう。くぼちゃんが5匹で、オラがボウズでは、お百姓と迷人見習いが腹を抱えて大笑いをして、お二人の欲求不満の解消に貢献することになるため。
相も変わらずのぽっちゃん。高校生くらいの大きさであるのに、逆バリが外れていない。吸盤ボウイですら、お呼びでないよ、と相手にしてくれない。
蹴られがあるということあゆみちゃんがいるんですよね。にもかかわらず、釣れないということは、ウデの問題ですよねえ。
タイツを四苦八苦しながら脱いでいるときにやってきた人は、すぐに釣りあげていた。ますます腕の差を認識させられました。
今日は、右岸瀬尻に数人、といっても、3,4人が入っていた。釣れたのかなあ。
サボMらは、水管橋付近を根城にして、また、放流ものがいたこのま沢等にいって、今年のオラの釣果の10倍ほど釣っている。
それでも、水管橋付近のトロ瀬には魅力を感じないなあ。
那珂川では、みんながボウズで恥ずかしくない、となるでしょう。次の目標は、10月の大井川に、テク2やタマちゃんよりも先に行くこと。くぼちゃんにはアッシー君を揃えて、と頼んだ。1ヵ月以上の飢饉にも耐えたあゆみちゃんがいる。フィリピンのジャングルでも生存できた日本兵のようにたくましいあゆみちゃんをだっこしたいなあ。
9月2日 那珂川
鮎がいないという評判の那珂川へ。
1日に出発するが、テク2,テク3は、いつもの相模川への出勤時間並みの10時に。大会前日の釣りは初めから考えていない。
高尾のインターができて、圏央道から関越、高崎付近で北関東自動車道、そして東北道へ。
都内を通る必要がなくなり、快適なドライブが。アッシー君のテク3は大喜び。
矢板で降りて、うどんやさんへ。テク2,テク3が推奨するだけのことはあると思った。それにしてもよく見つけたなあ。
温泉に入り、黒羽でお食事と。これで、本日のお仕事は終わり。
さて、寒井は混んでいるのでは。何処で釣っても同じと考える方々は、町裏かも。そうすると、下流の方が空いているかも。永昌橋?では、跳ねが見えるが釣れないとの話も。
ということで、永昌橋の上流へ。釣り人は少ないなあ。先行の地元の人が瀬肩上流で1匹釣ったから、鮎はいるのでしょう。
虹がきれいなあ。両端が那珂川に入っている。しかも、その外側にも虹が出ている。もう、釣れなくてもよいか。
囮は2匹が死んでいて、残りの囮のうち、元気なもの2匹がオラに、くたばりそうな囮をテク2とテク3が1匹ずつ。囮が配られてすぐに囮を確かめた人が、腹鰭付近に赤化しているものがいると話していたが。相模川での大会の時も使い物、売り物にならない囮が多数配られたようであるが、大会の時に不良品を片付けているのかなあ。
すぐに掛かった。しかしハヤ。そのとき、瀬を右岸まで渡り、状況を確認したテク2が、石の色が異なる場所が1ヵ所だけある、と。そこに、錘をつけ、囮が横にならないように操作をして掛けた。鮫肌人工ではあるが、とりあえず、生きている囮が手に入った。
それを見て、ハヤのいるところに鮎がいるはずはない、と。 下流に さち ああり と、サボZを見習って下流へ。なお、オラがハヤを釣ったところで、テク3も目出度くハヤを釣ったとのこと。
2,300メートルのトロを過ぎて、ザラ瀬が始まる付近の右岸岩盤?に何人か入っていたが、去っていって1人だけ。
ザラ瀬状のところは空っぽ。跳ねがあったから鮎がいるかも、と囮を入れては見たが…。人がたむろしているのは、瀬落ち下流のトロ。しかも、流れの筋が通っているところを避けて、釣っている。
また、初めの所へ戻る。地元の人も入り、混んでいる。地元の人は水深があり、流れがほとんどないようなところで釣っていて、掛かっている。
高校生クラスの鮎が相当数死んでいる。これが跳ねている鮎かなあ。最近放流された成魚放流かなあ。
テク2は3匹、テク3は1匹。オラは、マイナスにならないように、流れ来る草等をいち早く見つけて囮を避難させ、また、根掛かり放流をしなくてすむところだけに囮を入れて、ひたすら、マイナスを避けるのみ。
もう、上がろう、と、大会終了時間を1時間余らせて終了。
余笹川合流点付近に入ったチャンプ君達は3人とも10匹ほど釣り、地元の人たちを蹴散らして優勝。チャンプ君はブロック大会、セミファイナルのボウズ?の鬱憤を晴らすことができて喜んでいました。
そして、オラがもっとも喜んだことは、テク2,3が、来年は日本海に行く気になったこと。
テク2、3は、相模川で10匹釣っても、気に入らない、と贅沢なことをいっているのにそれもままならず、中津川は壊れ橋付近に入り、立ち込んでぐるっと反転してヘチを釣る釣りに我慢ができなくなっているよう。
とはいえ、1日の雨で相模川の水が変わり、ヘボでも釣れているよ、との電話が。もし、そのような事態になれば、相模川の遡上が多ければ、狩野川の遡上が多ければ、大井川が1ヵ月以上の飢饉が続かなければ、日本海まで行く気はなくなるでしょうが。
幸い、というか、海産親が多くないようであるから、遡上量が回復するには数年かかるのではないかなあ。
ということで、神さま、仏様、来年の荒川は、番茶も出花娘や乙女の花園にしてください。そしてオラが川にはいることのできるあんよであるようにお願いいたします。最後のお願いです。
「何回、嘘をついたら気が済むんじゃあ。『最後のお願い』を百回もすれば、嘘つきというんじゃあ。閻魔様に舌を抜くように電話をしておくぞお」
9月4日 相模川カンニング
これまでに、今年ほど、土用隠れの現象が顕著になった年があったのかなあ。
その中で、9月2日、テク2のもとに、1日の雨による増水で、鮎が動き、2日には弁天の瀬肩でヘボでも釣れているよ、との電話が。
ヘボでも釣れているよ、といわれては、ボウズ街道まっしぐらのオラとしては、聞き捨てにならない。
ということで、カンニングに出かけた。
幸いなことに、高田橋には、20人ほどのチームが入っている。
土用隠れ前には1級ポイントであった右岸側にも並んで入っている。左岸側のチャラにも、堰下流にも入っている。しばらく見ていたが釣れず。
弁天の瀬肩附近、瀬落ち上流も同じ。
ということは、ヘボでも釣れていた現象は、増水後の一時的な現象かなあ。
ご近所さんが、8月31日に新昭和橋下流のコロガシで、昼間はさっぱり、夕方になると入れ掛かり、と。一流しで3匹もあった、と。
ということは、昼間は何処かに避難していて、夕バミの時に移動してくるよう。
弁天や高田橋で夕バミまで待ちたくないなあ。
人工には土用隠れの習性はないのではないかなあ。
神通川にいった人が、神通川の放流は20トン、それも全域に放流しているのではないとのこと。孫を連れた80歳の人に支流を案内したら、4、50釣ったとのこと。
昨日、注射を打っての帰り、バス中でよねさんにあったが、神通川にいくとのこと。
神通川でわからないことは、人工と遡上鮎の区別をしてH・Pに書かれていないから、どのくらいの大きさの遡上鮎が釣れているのか、ということ。
雪代が遅くまで残ったであろうから、遡上鮎は女子高生か番茶も出花くらいの大きさが限度ではないかと思っているが。よねさんが帰ってくれば、遡上鮎の状況がわかるが。
人工がいないところに入っているから、土用隠れの現象が顕著なのかなあ。
淵はないから、トロの深いところで、お昼寝をして、夕バミの時だけ出てくるのかなあ。テク3は、日の出とともに釣れると話していたが。テク3がそんなに早起きを日頃からしているとは思えないが、たまには早起きをして釣りに行っているのかなあ。
とはいえ、雄物川さんは早朝から釣っているが、ここのところ、10くらいで、20が大漁との水準に成り下がっているようであるが。
9月6日 相模川
気は重いが、あんよの練習をしないことには。
いつになったら、2匹の囮と麦酒の入ったクーラーを持ってあゆみちゃんとデートができるようになるのかなあ。
新昭和橋で夕バミの入れ掛かりをしたご近所さんは、その3日、4日後、同じ所に行くも、夕バミの入れ掛かりはなし。昼間ぽつりぽつりと掛かっただけとのこと。
ということは、夕バミも翌日に雨が降るとか、何らかの条件があっての現象かなあ。まだ、避難先から戻る状況ではないというとのよう。
それとも、アユの数が減り、鮎の密度が低くなって釣れないのかなあ。
3月下旬の相模大堰の遡上量なし、4月上旬18万、中旬58万であるから、70万くらいの遡上量で、磯部の堰の遡上達成率が4割とすると、40万。それに沖取り海産を加えたとしても磯部の堰上流で100万の数字になるのかどうか。
数が減り、そして、土用隠れになって、その相乗効果で釣れないのかなあ。
雄物川さんは、新昭和橋下流から追い出された。夜明けとともに出勤している雄物川さんであるが、夜明け前に場所取りをする人が現れた。やむを得ず、昭和橋に移動したが、数匹しか釣れていないとのこと。
それほど、場所ムラがあるということかなあ。
水管橋を根城にしていたサボZは、何回も成魚放流が行われているであろう大島に移動したよう。昨日、大島に入ったサボMは、人工12匹であるが、平日にもかかわらず、人出が多い、と。
このような状況で弁天瀬肩附近で釣れると思わん方がよかろう。
にもかかわらずすぐに掛かったが、いつものよううに ぽっちゃん。囮を送り出しているときに掛かったから、オラが相模川のアユを増やすことに協力した養殖囮君かなあ。
アカ付きは悪いなあ。トイ面の人は2匹釣れていたが。
ケイ藻と同様、ラン藻も2万ルクス以上の照度で、アカ腐れをし、また、成育が悪いということかなあ。石のアカ付きはことのほか悪い。
ボウズで引き上げるとき、弁天上流のコイ釣り場に入っているへいさんとくぼちゃんの状況は如何?と見に行く。
今日は、コイ釣りの人がいないが、いつもであれば、吸い込みをぶつけられていたでしょう。
2人とも、チビから人工の番茶も出花娘まで8匹ほどとのこと。
水深があるから、照度が2万ルクスにならず、ラン藻が生育しているのかなあ。昼から高田橋のどん深を見に行くとのことであったが、どうなったのかなあ。
2人に用がある。猫なで声で、優しく、10月に大井川に行こう、と。
アッシー君を釣るには、テク2よりも前に大井川に行くには、下手な鉄砲も数打ちゃ当たる、で、頑張りましょう。
9月9日 相模川
旧暦の9月9日であれば、重陽の節句ということか。今年の旧暦の9月9日は、新暦の10月23日。この頃であれば、人為的に手を加えていなくても、菊の花は咲き誇っているでしょう。
今が「残暑」というのも、二十四節気を「新暦」の日にちに置き換えて表現しているからであって、「異常気象」ではない。
「白露」は、新暦の9月7日とされているが、旧暦では10月21日に、「処暑」の8月23日は10月8日に、立秋の8月7日は9月22日に当たる。9月22日になれば、「立秋」らしき季節感となるでしょうに、新暦の「8月7日」を「立秋」と表現していては、季節感の存在しない「立秋」ですよね。
にもかかわらず、「秋」がきた、とのテレビでの表現は、いつになったら改まるのかなあ。
「秋」になれば、土用隠れはなくなるはず。
しかし、その兆候は見ることができず、相も変わらず、ボウズ街道まっしぐら。へいさんらのように、コイ釣り場に立ち込んで釣る趣味もなし。困ったなあ。
いや、その前に、ボウズの原因は、土用隠れなのか。それとも、海産鮎の品切れなのか。
もし、海産鮎の品切れとすれば、無意味な期待で川に浸かっていることになる。
山路さんは、今年の荒川では雪代が遅くまで残り、遡上開始が遅れたことから乙女をだっこできないのではないか、と悲観的な見通しを立てられている。
その諦めの境地が必要かも。
ということで、丼大王に遡上アユが満ちあふれていた昭和の代の狩野川での「土用隠れ」の現象がいかなるものであったか、尋ねた。
丼大王の返事 | |||||||
「毎日仕事してます。 嘘です、でも真面目に鮎は行ってません。こんな事、鮎釣りを始めて初めてです。 今まではアユ釣り中毒でした、そしてチョイ前まで今アル中毒(歩き)、現在はルリ中毒(浅丘ルリ子)、 朝1時起きて、2時に起きて、4時半前までの間DVD、VHSの映画を観ます、浅丘ルリ子の映画の観てます。 この何カ月間その日に家にいれば必ず観ます。休みの日は4本、5本も観ます、 同じ映画でループしてます。 朝の1時から2時30分のあいだにはほとんど起きます。皆これから寝る時間です。 海も駄目、川も駄目、映画を観るしかないて感じで浅丘ルリ子を観てます。 結構、金が掛りますよ鮎の小道具分以上はネ。 でも、9月も後何日もない、実は来週あたり竿を出しますかて話を山さんと昨日してたんです。 2000年前、狩野川が釣れなて時でも適当にずっと釣れていた。 年間40回以上同じ場所にかよてた。でも行くたびに普通に釣れた。 正直に言うと土用隠れという言葉は知らなかった。本やテレビでの会話の中で、田んぼの稲が穂が出る頃、鮎も妊娠初期のため釣れなくなる。 そうなんだ、いつの頃から土用隠れて言葉を使いはじめてた。 でも解禁後何日かは釣れなかった。6月中旬までは、でも別に気にしてない。川で酒を飲んで皆でいれば満足、 そのうち釣れ始めるさ20〜30匹は、そして11月23日まで適当に釣れていた。 7月も8月も一本瀬も石ころがしは適当に釣れたネ、余り気にしないで釣りしてた。 鮎が踏むほどいた時も、全然いない時でも釣れた様な記憶がする。 本当に我々は土用隠れという言葉は使った事も、そんな気がした事が無いです。 今は多分、川に行けば土用隠れでしょうて言って帰って来るでしょう。釣れないから、 いいえ違います。鮎が居ないです。 畑も終わり、海の潜り漁も終わり、残り少ないわずかな鮎の命の時間、 どう過ごそうか。行くしかないネ」 |
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そう、オラも、「土用隠れ」をあまり意識をしていなかった。丼大王と異なり、いつもたいして釣れないから、「土用隠れ」といわれるときでも、状況に変化なし。
しかし、今年のように、ボウズ街道まっしぐらの日々ではなかった。
そうすると、海産鮎の「品切れ」となるが…。
湖産放流全盛時代では、「線香花火」と湖産が称されることからも、「品切れ」が当たり前の現象であった。
継代人工では、網漁が解禁になると大漁に捕れていたように、放流鮎が川にいても「品切れ」の現象になるが。「継代人工」といっても、野島さんが一昔前に推奨していた「眼をつけた」といってけんかを売る「群馬県産」のとある養魚場の「湖産人工種苗」を除けばの話であるが。
オラの疑問は、「海産鮎」で、品切れの現象が生じるのか、ということ。しかも、その現象が生じる時期が、友区でも、コロガシ区でも時を同じくして生じた、ということ。
そのため、これまで、「土用隠れ」の現象の変形である「転居」と考えていたが…。
8月31日、新昭和橋下流で、ご近所さんが夕バミのアユの入れ掛かりをしたときは、「転居」と考えてもよいのでは、と思っていた。
しかし、夕バミの大漁は、1日限りの現象であった。
丼大王が書かれているように、「土用隠れ」を意識する必要はなかった。ただ、釣り場は、瀬の芯から別の所に変更する必要はあったが。
ということで、海産鮎の「品切れ」の現象が今年の相模川で発生したのか、それとも?
丼大王のように、ルリ子とともに時間を過ごすことはないが、たまにはさゆりちゃんと夜長をすごそうかなあ。もっとも、古に、オラがさゆりちゃんと逢い引きをしていたのは1周遅れの名画座で、冷房の効いたところで時間を過ごしたいときだけであったが。
まあ、ぐちょぐちょ考えていても詮無いこと。
今日も囮1匹で熱中症にかかるかどうか、健康状態を調べりことにしましょう。
久々に弁天に人出がある。大会の人たちは、弁天の瀬尻から、瀬肩上流トロまで満遍なく散らばっている。
三途の川の渡船料までふんだくっている「鬼」が鎮座しているところに竿をおいたから、竿を盗まれる心配がないため、右岸瀬尻に行くことにする。
トロの石は小石に頭大の石があるものの、ドロ被り。小学生は盛んに跳ねているが、その小学生達の食堂は何処かなあ。
右岸瀬落ちの袋は7月はよく釣れていたなあ。
その下流の右岸瀬尻は石が小さいなあ。立ち込んで左岸ブロック付近でよく釣れていた所はテク2のいうように、甲羅になっている。そこから上流の左岸の瀬を釣っている人たちを含めて長居をしている人は少数。動いているなあ。テク2ですら、左岸ブロック前から逃げ出しているから、あゆみちゃんがついていないのでしょう。
右岸側瀬尻では、中高生が跳ねているのになあ。
ということで、いつものようにボウズ。
しかし、今日は麦酒あり。麦酒を飲んでいると、大会参加者のお百姓が。
お百姓は、今年も新調した超高級竿でボウズ。ヤマメねえちゃんが瀬肩上流チャラ付近で2匹釣ったというのにですよ。
お百姓さあん、なんでボウズか、わかりますか?
孝行息子に変身したからですよ。今からでも遅くない、どら息子に回帰しましょう。汝を救う道はそれ以外になし。手始めに、大井川の乙女を超高級の竿で釣りましょうよお。
超高級竿には 大井川の乙女がよく似合う と、太宰さんが言っていましたよ?
久しぶりにまっちゃんに会った。竿を持たずに長良、益田川、神通川、高原川、宮川等を巡ってきたとのこと。
益田川で、名人に竿を出せといわれたので、竿を借りて40?ほど。名人と併せると、午前で100ほど。先客が釣れないと移ったところでも入れ掛かり。
先客達は2人の釣りを見学。その中の1人に尋ねられてその人の仕掛けを見ると、細糸の金属で引き釣りを。0.25号のフロロを渡して仕掛けをつくらせたとのこと。
去年は「香」魚でなかったのに、今年はシャネル5番の香りがぷんぷんしていたとのこと。
まっちゃんの入ったところは、大石の周りに砂利はなし。ただ、大石の下がえぐれているから、掛かった位置でアユを止めないと、石の下に吸い込まれてしまうとのこと。
ヒゲだるま君も見に来ていて、昨今の釣れない状況でも、1日真面目に釣れば、20くらいになるとのこと。
大会の1位は1キロほど釣ったという話があったが…。
9月13日 相模川
丼大王からのメール:「土用隠れ」と「アカ腐れ」 | ||||
メールの翌日(土曜日)に山さんと「土用隠れ」てあったけ、 松ちゃんとそんな話しをした事があったけって、 山さん、いわく土用隠れという言葉より『あかぐされ』という話はあったと、 実は俺はあまり覚えていない。湧水が有る場所は知っているが、 囮を活けていく場所は一本瀬の山側のある場所。 鮎が釣れる処は一本瀬の肩の崩れの側、2本電柱下から続く石ころがしの肩の瀬、 湧水が有る、だから必ず鮎は居る。鮎がそれなりに居たから、 でもずっと昔の話しのような気がする、でも数年前なんだな、 なんかみんな諦めが先にでるネ こんな感じが1年、2年続く、そして鮎から離れていくのかな、少しだけ寂しい、 遠い昔を夢見る。そして現場に行っても誰もいない。 まい朝、起きるのが1時過ぎ、そして浅丘ルリ子の映画を観る、これが俺の毎日。 ちなみに今朝は17歳と27歳のルリ子を観た。 鮎が釣れれば少しは変わるかな、 今週は川を覗くよ、竿をだしてみるよ。 結果を期待しないでください。 |
そうなんです。故松沢さんが話されていたのは、「土用隠れ」ではなく、「アカ腐れ」だったんですよね。
そして、藪下から、というか、お墓の付近から下流は湧き水の影響を受けているから、釣れるよ、と。そして、故松沢さんが、シャネル5番の香りを最後に嗅ぐことができたのも、テントにシャネル5番の香りが立ちこめた最後も、その藪下左岸で釣ってきた人のアユだったんですよね。時は、真夏でした。
1本瀬は、オラのウデでは囮を過労死させるだけ。いや、オラ自身も川流れになりますよね。ということで、瀬肩には囮を入れることはあっても、丼大王がバッタバッタとあゆみちゃんを引き抜いていたところは、釣りの対象外。
当然、2本電線から石コロガシの肩の瀬までがオラの釣り場。びっしりと石がつまり、流れの筋が何本もあり、1本瀬のような危険なところでなくても、安全に釣れたんですよね。
それが21世紀に入って、砂利が増えだし、石は消えていき……。
そして、21世紀にはいると、石コロガシの瀬でもオラが囮を入れることができるような、貧弱な瀬になっていったんですよね。
2005年頃には、1本瀬もおかしくなり、丼大王が、貧弱になった石コロガシの瀬のトイ面にやってきたんですよね。
すべては過去形。
とはいえ、今一度、シャネル5番の香りを振りまくアユ、ぬめぬめぬるぬるのあゆみちゃんをだっこしたい、という欲望だけは衰えず。あんよはどんどん衰えていくが……。
餓鬼の頃、近所の女どもが、
〜わたくし今度の日曜日い 東京の女学校に参ります なんとかかんとか
と歌っていた。おじゃみなどをしながら歌っていてのではないかと思うが、記憶になし。
この歌が
青葉茂れる桜井の 里のあたり?の夕まぐれ 木の下かあげに駒止めて
世のゆくすうえをつくづくと しのおぶ鎧の袖のえに 散るは涙か朝露か ?
という歌の替え歌であると知ったのは、紅顔の美少年の頃。
なんで、戦後すぐの頃、あるいは戦後になっても男と女の遊びが異なり、別々に遊んでいたのかなあ。一緒に遊んでいたら、幼稚園の時に通い夫をしていた幼な妻のともちゃんと高校で再会するまで別れ別れになることもなかったのになあ。オラは幼な妻であると気がついていたが、そして、なんとか2人きりになる機会がないかと、虎視眈々と狙っていたが。ともちゃんは通い夫であることに気がつかなかったのではないかなあ。
「瀬戸内少年野球団」は、阿久さんの願望、夢ではないのかなあ。
敗戦になっても、子どもの遊びは、「文化」に属する事柄であるから、変化していなかった。
そう、片思いの歴史は70年近く。この実績があるからこそ、あゆみちゃんに相手にされなくても、冷たくあしらわれても、振られても振られても、しつこく通い夫を演じることができるんですよねえ。
この根性で、今年の相模川で生じている現象が、海産鮎の品切れなのか、「土用隠れ」の変形なのか、それとも?。世のゆくすうえを、とくと見極めることにしましょう。
9日の大会の時、1キログラムを釣って1位になったとのこと。継代人工かと思っていたら、20匹台の海産とのこと。そのピンポイントは、女子高生が主体とのこと。
にわかには信じられなかった。
しかし、その場所を教えたのが、田名の主であると聞いて、さもありなんと思った。
田名の主は、8月の釣れなくなった時期に、高田橋右岸の瀬を釣っている姿を1度だけ見たが、振り子抜きを楽しめてはいなかったと思う。
しかし、田名の主は、亡き相模川の主と同様、釣れていないときでも、釣れない時間でもしっかりと観察をしている。オラのようにさっさと帰るようなことはしない。
2人のおつむには川のマトリックスが刷り込まれていて、釣り人のウデを斟酌して、釣れている、釣れていない状況を的確に観察しているはず。
そして、いつ、何処で釣れるようになるか、考えているはず。そのため、場所の選択に間違いは少ないのではないかと思っている。
その田名の主の助言で場所選びをしたということが事実であれば、20台も夢ではない。(事実でした)
オラも、その場所は気にはなっていたが、竿を盗まれる危険もあるからなあ。というのは言い訳に過ぎないが。同じような流れに見える左岸側に人は入るものの釣れていることは少ないから、右岸側も同じようでは、との先入観から注視をしていなかっただけ。
今日は、麦酒を飲むため、クーラー持参。
高田橋上流の右岸側の瀬を対象にする。この場所が釣れるようになるのか、ならないのか。品切れなのか、そうでないのか。それが問題だ。
10日の昭和橋のコロガシで、雄物川さんは28匹。11日は、右岸側に誰も入っていないため、アユが左岸側の水深のある方に移動してこないから10匹に届かない、と。
しかし、最上川さんらは、雄物川さんが帰る10時頃、すでに20は釣っているはず、と。
雄物川さんが20ほどしか釣れなくなったのは、品切れの現象かなあ。
オラの下流側の人はぽつん、とは釣れているが。
堰下流は人出が多いなあ。大会の1位の人の効果かなあ。
やっと、中学生が釣れた。苦節ウン10年、やっとボウズ街道から脱出できた。おまけに吸盤ボウイが2匹。
10時半か。早いが、あんまり動けないから、囮君を休ませた方がよいから、麦酒のお時間に。
そして、 橋下かあげで ねころんでえ 世のゆくすうえを つくづくとお 考えましょう、ということは有り得ませんなあ。
神さま、仏様、昼寝のとき、幼な妻と逢い引きをしている夢を見させてください。お休みなさい。
気持ちよく、昼寝から目覚めたものの、釣れませんなあ。風が出てきました。
帰りすがら、田名の主が拾ってくれた。
堰下流のピンポイントを教えてもらった。チャラ瀬の上飛ばしで効果のあるところも。
次回はその場所に入ろうとは思うが、混んでいるでしょうなあ。また、今の時期、釣れることのない高田橋に近いところにはいるしかないかなあ。右岸の人は数匹の女子高生を釣っていたし。
田名の主も今年はアユが少ない、と。そして、今の時期、というか、今年の相模川ではトロの方がよい、と。
天下の情勢
丼大王の狩野川 :9月13日 | ||||||
釣りに行かない大王です。 9月13日、狩野川の松下に行ってきました。 8時半くらい〜12時までやりました。 俺が4匹、山さんが2匹。 ビックサイズがでました。 29センチ、27.5センチのメス、後の2匹は20センチ、性別は不明 2匹とも下愕側線穴は左右4対。 綺麗になっているが、天然かどうか良く解らない。 勘が良かった、今朝は糸をはりかえていったのだ、 初めは去年からの使用中の0.05のメタコンポでやる予定でいたが、 出かけるまえに仕掛けをチェックすると簡単に切れた。 0.125のメタルで新しい仕掛けを作ったのである。 松下のガンガンで2匹とも釣れた。 ガンガンと言っても、平水より20〜30センチは低いかな、チョット強い瀬てとこかな、 平水だったら獲れないかもしれない。 大きさは満足だが半日で4匹は疲れる、あと数は倍はほしい処。 7月は鮎の気配を感じなかったが、今日は少しだけ鮎の気配は感じた、ナメあとも見える。 雨が来れば少しは変わると思うが、絶対的に魚が少ないから運よくその日に当たるかが問題。 我々は帰りの車の中で、水がでたら曜日に関係無く行く事にした。 今日の釣果は以上。 写真を添付するネ |
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迷人見習いから、師匠や師範代らが、下って取りこんでいた、との話から1ヵ月あまり。 そのあゆみちゃんの氏素性が何か、気になっていたが、去年同様、大アユがいることのよう。 とはいえ、数が少ないなあ。オラへの分け前はないでしょうなあ。 それにしても、大アユは去年、今年となんでいるのかなあ。 狩野川の川の環境、食糧事情が、この2年で激変したとは考えられない。 どのような要因が作用しているのかなあ。 オラは、10月下旬孵化の早熟ものの海での生存率が高いと想像しているが… |
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サボMらの相模川 :9月13日 | ||||||
サボZさん、サボSさんが朝から行ってる上大島に行くも、あまりの人出の多さに竿は出さず、午前中は見学のみ。 ここでは、サボZさん5本、サボSさん2本でした。 午後にサボZ、サボSさんと新昭和橋に移動して、当方は、20p級を3本でした。 イヤー、釣れませんナー。 9月のこの時期なら、まだまだ、釣れてもいいと思いますが、今年は鮎が薄い感です。 なお、午後、新昭和橋に当方と移動したサボZさんは2本、サボSさんは3本でした。 このまま、終わってしまうのでしょうか? |
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大島に人出が片寄ってくれたら、高田橋は空くと思っていたのに、案外混んでいたなあ。 もっとも、これまでの高田橋での人出との比較であって、大島と比べると、がらがらではあるが。 遡上量は1千万近くはあったにしても、5月3日のダム放流で、4月下旬の大量遡上の稚鮎は生存していない、4月上旬、中旬の遡上アユと、沖取り海産の放流ものしか、成魚放流が行われていないところにはいない、と、考えてよいのかも。 |
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丼大王と「大アユ」の思い出 | ||||||
今晩は、今年トータルで7匹釣った釣れない大王です。 この鮎の写真、剥製は自分の自慢です、泣き尺ですが、うちのリビングにデンと飾ってあります。 でもあの時はこんな鮎がいるとは。1996年石ころがし、俺もビックリ、松ちゃんもビックリ、 狩野川の鮎じゃないネ、神島橋のテトラの中にもぐりこんでた放流もんだ。 自分もそう思う、その当時なら多分24センチがマックスかな(注:狩野川の遡上アユでは)、 それまでは踏むほど鮎が居たからな。その後鮎が少なくなってから毎年28センチ〜29センチは釣れる。 でも30センチはいかない、そして踏むほどいた鮎も居なくなった。 あれから15年過ぎた。 実は昨日、山さんに一発目に来た魚は鮎かニゴイか解らない。 かなり苦戦していた、最後は糸がきれた。金属の0.125。どうかな 今日、会社でなんだった?、「解らん姿を観てないのになんだともいえないしネ」 ただ今年は居るかも、デカイノが、但しいつまでもつか今月で終わりか。 また釣りにいったらメールするね。 剥製の写真いまとった。送るネ |
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1996年狩野川で丼大王に釣れた泣き尺が、当時、県産継代種苗が放流されていた相模川でも時折話の種になっていたから、継代人工に間違いないでしょう。 オラの関心は、2011年の泣き尺と、2012年、今年の泣き尺の氏素性が同じものか、異なるのか、ということ。 オラは2011年の泣き尺は、量が多かったことから、また、迷人見習いの目利きのできる師匠が遡上アユであると判断されたことからも、遡上アユであると確信している。 しかし、今年の泣き尺は、遡上アユではないのではないかと想像している。 例えば、東北、日本海側の稚鮎を畜養したもの、あるいは、それを親としたF1では、と。 とはいっても、今年は一度も狩野川に行ったことがないものが、とやかく言うことは、学者先生の二の舞になるから、とりあえずはこれでとどめておきましょう。 川那部先生に、「故松沢さんの思い出補記:五」の中のあゆみちゃんの生活誌に係る部分をお送りしたとき、2011年の狩野川の大アユの例外現象が、10年、20年の時間軸で生じたものではないこと、故原田先生が、大鮎が成長できる、出現する要因を調査されていれば、ありがたい、と書き添えたが…。 |
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人工種苗の生産方式も進歩?しているのかも。東北、日本海側のアユを親としてF1を生産すればどのような大きさになるのかなあ。 F1、あるいはF2の生産が採算ベースに乗っているのかも。少し前までは、3,4代目でないと採算困難との話があったと思うが。 |
さて、オラにとっての問題は、お百姓様が超高級竿でボウズになったから、オラよりも腕が悪いのでは…。だって、感度、調子等が一流の竿を使えば、釣れる、なんて宣伝がありましたよねえ。現在も行われているのか、どうか、わかりませんが。
その説によれば、当然、オラよりもはるかに高級な竿を使っているお百姓様がボウズであることは、超高級竿からはるかに下の竿を使っているボウズの方が、罪が軽い、ヘボの程度が低い、となるのでは?
まあ、そんなマイナーな傷のナメ合いを吹っ切るため、堰下流右岸のピンポイントに行きましょう。
右岸側ピンポイントの下流側に先客さんがいるものの、少しピンポイントからずれているなあ、と安心してタイツをモタモタとはいていると、4人がずらっと並んだ。ああ、その中の人にはピンポイントの御利益を受ける場所に入っている人も。
あきらめて、右岸下流側の人のトイ面で釣りましょう。もう少し上流に入りたいが、先客さんがだるまさんになっている。
囮君は元気に泳ぐ。上飛ばしをすれば、女子高生がだっこできるというチャラにも入れる囮君であるが、例会の人たちを含めて、高田橋付近は混んでいる。その人達がチャラ付近を渡場にして、あるいは囮を入れて動き回っているから、チャラもあきらめましょう。
オラも釣れないが、ピンポイントに入っている人もいる右岸の一団さんも釣れていない。立ち込み位置が違うのかなあ。それとも?
右岸の人は去り、オラは先客さんの上流へ。
そこには、どん深かがあるが、すぐに浅くなるから沈しても大丈夫、と田名の主はおっしゃるが。
そらあ、津久井ダムができる前、小沢の堰付近に一の釜、その上流に二の釜、三の釜があり、一の釜に釣り船が入るとくるくると回転していた、淵で泳ぐと表面の水温は高いが、潜ると寒くて、というほど、水量が多く、流れがきつかった頃に、今の高田橋付近から右岸に泳ぐと、今の弁天の分流がある付近でやっと、右岸に泳ぎ着けた、という元気はつらつの川ガキの末裔である田名の主にとっては、現在の相模川の瀬も小川に過ぎないでしょうよ。
でもね、おらにとっては浅瀬で立ち上がることすら、大変なことなんですよ。
ということで、どん深に沈しないように、気をつけましょう。根掛かりをしたら切りましょう。
番茶も出花娘かと思えど、女子高生。
女子高生は吸盤ボウイを。なんで、花の女子高生が美男子と遊ばないんじゃあ。
「野村さんだったかしら、吸盤ボウイも香りがすと話されていたのは。私たちと吸盤ボウイは同じケイ藻を食べていたのよ。「香」魚の代謝経路まで同じかどうかは知らないけど。
だから、食料敵を追い払おうとしたのよ。」
トロでの釣りは趣味にあわないけど、その後も釣っていると、小学生から女子高生まで5匹釣れました。
5匹も釣れたのは何十日ぶりかなあ。
帰り道、川に行く田名の主に会うと、昨日、ピンポイントで24匹?を釣った人がいたから釣れないよ、と。
品切れの後の補充には日にちがかかるということかなあ。
故松沢さんが、現在の苔は、鉄くず並みの価値しかない、欲しかったら勝手に持って行け、と話されていた。そのような苔に体を張るあゆみちゃんはいないでしょうなあ。
かっては、苔が「金の塊」であった頃は、一番鮎の動向を絶えず注視していた二番鮎、三番鮎がいたから、すぐに釣り返しが利いたと。同じ話は万サ翁もされていたのではなかったかなあ。
その上、攻めるに易し、守るに難しの石組みでは、空き家がすぐに補充されることはないでしょうねえ。だからこそ、亡き相模川の主も田名の主も「釣れるはず」のポイントが「釣れていない」ことを観察されていたのではないかなあ。後、何日後には釣れるようになるはず、と。
9月20日 相模川
雨上がりの昨日、高田橋に入ったお百姓は
「今日高田橋上流で約6時間やりました。釣果12尾女子高生がほとんどです!新しい竿が坊主竿でなくなったのでよしとしょう。V(^-^)V」
釣れた場所は
「橋の上流チャラ瀬(瀬)。橋のすぐ上のトロもでていました。」
神さま、仏様も罪なこと、余計なことをするなあ。
なんで、ボウズにしなかったのかなあ。ボウズであれば、大井川の乙女を、と、どら息子に先祖返りも期待できたのに。
なお、高田橋のトロに入った人は、超新米。生まれてから5匹しか釣っていない人のこと。
その超新米が11匹も釣っていて、お百姓は危うく、負けそうになったとのこと。
超新米さんが、お百姓に勝っていたら、楽しかったのになあ。
今でこそ、でっかい面をしている迷人見習いが超新米の時、その超新米にコテンパンにやっつけられて、「悩めるマレークマ」になった可哀想な人がいたなあ。お百姓がそのようになれば、皆々様に宣伝して楽しめたのに…。
今日は、雨の心配はない。
堰下流右岸のピンポイントもあいているが、渡りたくないなあ。行きは空いていても返りは混んでいて、渡場に苦労するかも。
ということで、左岸から立ち込んでいき、流れの幅の真ん中付近から、ピンポイント近くに囮を入れたが…。
ヨシノボリを釣りに来た田名の主が、もう少し上流でないと…、と。
簡単に言わないでくださいよ。流れがなくても、腰付近までウェーダーで立ち込むとしんどいんですよ。それに転んだら、立ち上がれそうもないし。
ヨシノボリの釣りは、黒川虫をちぎって、竹につけたハリに刺して、箱眼鏡で見ながらヨシノボリのところに持って行く。
荒川のカジカ釣りもこのような釣り方かなあ。
唐揚げや、焼いた後、何とかの手を加えて調理するとのこと。
花火の打ち上げ場所として砂利を入れたところの下流側のたまりに、1メートル近い魚が数匹、水面近くを泳いでいる。コイにしてはスマート。樺太マスかなあ。
お百姓様にははるかに及ばない中学生が1匹。
ボウズにならなかっただけ幸いです。
右岸のピンポイント付近は、中高生がよく跳ねているなあ。
昨日、お百姓が釣れたチャラには数人入っていて、一番混んでいるが、釣れていないよう。
9月26日 相模川
ヤマメねえちゃんと準大鮎
22日に狩野川の青木の瀬に行ったヤマメねえちゃん。
「おはようございます♪
土曜日に狩野川に行って来ました。鮎が大きいと言われたので頂いた'硬調'を使いました。
なんと、最大25cm級の大きな鮎を初めて釣りました。びっくりする位のパワーでしたが、竿が鮎を止めてくれて、私でも楽に取り込めました。大感激&大感謝です♪
太めで体高もある、凄い綺麗で見事な鮎でした。
1日楽しんで、22〜25cmを中心に17〜20cmも混じり15匹釣れました(^O^)♪
硬調の竿でなく、中硬硬の竿なら、竿を折って釣りにならないまま帰って来るところでした。」
去年、今年と、狩野川で釣れている尺アユや、泣き尺の氏素性は何か。
東北、日本海側の海産馴致か、それを親としたF1かF2か、わからないけど、遡上アユでないことは確信した。
というとは、数が少ない。去年は遡上アユがいたから、囮継ぎができたが。
「トラック」で運ばれてきたアユであるから、産卵行動としての「下り」はしないで、放流地点付近の手頃なザラ瀬で産卵するでしょう。
産卵時期は10月でしょうから、房総以西の太平洋が側の産卵開始時期より1ヵ月ほど早い。10月に入れば、サビの入ったアユが釣れるようになるのでは。
山女魚ネエ初体験
「先日、大格闘の末に24cm位の鮎を中硬硬の竿で取り込み、限界でしたが、硬調の竿なら楽勝なのですね♪新発見に大感激でした。
25cmもおとりに使える事にびっくりしました。お陰様で24cm位の鮎が掛かりましたが、無事取り込み出来て大感激♪」
「本流の狩野川公園前の瀬では尺が出てます。減水なので、瀬釣りが出来るならお薦めかも。はっちゃんは、そこでも釣ったみたい?
私は、分流側をうろうろしてました。橋上のチャラ〜橋下の瀬頭迄。」
オラは行きたいが、去年と違い、遡上アユがいないから囮継ぎができるかどうか、運任せになるのでは、と躊躇している。
とはいえ、ヤマメねえちゃんでさえ、15匹も釣れたとなると、考えるなあ。
こんな時、どら息子がいたらなあ。
「先日の24センチ」は、中津川の継代人工の成魚放流ではないかなあ。
東北、日本海側の鮎の成長
「香魚百態」(宮地伝三郎他編:筑摩書房:1987年・昭和62年)に、
森田員正「みちのくの鮎」が掲載されている。
「しかし、これとても一応の建前のことであって、七月に解禁とはなるものの、実際には時期尚早の年も多く、昨年のように梅雨明けが大幅に遅れたりすると、はや八月の声を聞いてしまうことさえある。
さすがにその季節ともなれば、いかに北国の川といえど、解禁当初はひ弱に見えた鮎たちも見違えるほど逞しく育ち、釣り師の構える剛竿に挑むことになるのだが、しかし、その盛期は短くて、月遅れの盆を過ぎればボツボツ『落ち』の声が聞かれ始めることすらある。」
梅雨の遅れとアユの大きさの関係は経験していないが、雪代の収まる時期の遅れと大きさの関係は今年荒川で経験した。
旅館山路のH・Pの9月15日の「親父の日記」に、
「夕方、三面川で釣りをした師匠が戻って来たので釣果を聞くと58匹とのこと。前日に荒川で釣った数と同数にして重さを計ると、荒川の鮎1Kに対して三面川の鮎1.8Kであった。」
と書かれている。
例年、三面川の小中学生に対して、荒川は番茶も出花娘に乙女が主役。
それが、荒川の鮎が三面川よりも小さいということは、雪代のおさまった時期の違いではないかなあ。飯豊連峰?と朝日連峰?との雪代のおさまった時期の違いではないかなあ。また、三面川の遡上量の影響があるのかも。
森田さんは、増水による「中落ち」と「下り」の区別をされていないのではないかなあ。
「昨年の九月初旬に秋田県米代川の大滝温泉近辺で大鮎をやたらと掛けたわけだが、この時もすでに多くの魚体は黒くサビが出始めていた。
このサビ鮎を、当地では『ススケ鮎』と呼び、例年より早く、九月に入ってすぐにこの『ススケ鮎』が見られると、土地の人の間では『今年の冬の寒さは厳しかろう』と囁き合われるのだそうだそうである。」
「先にも少しふれたが、南北に長いわが国土では、南の九州と“みちのく”とで、気候に併せて稚鮎が河川を遡る時日に相当の差異がある。しかし、それにもかかわらず、産卵時期には大差がなく、むしろ夏の短い北国の方が早いから、河川に入ってから産卵までの日数を比べたら、南国の鮎に比較して北国の鮎の方がはるかに少ないことになる。
ところが一方、産卵時の体長を見ると、北国の鮎は南国のそれに比べて小さいかといえば、漁獲率にもよるであろうが、全く差がないどころか、むしろ大きいくらいで、たとえ河川に入る時点で北国の稚鮎が南国のそれより幾分大きくなっているとしても、河川に滞在する短期間での成長は、驚くべき速度であることがわかる。それに比べて南国の鮎は、ゆっくりと時間をかけて成長し、成熟する。
鮎に限らず、同一種内で急速に成長し体長をのばすという、この成長過程の違いの結果が、その筋肉は軟らかく、食べては水っぽいという評価を受けることになるわけだ。」
森田さんは、狩野川で、
「かっては11月の末、河原の石に霜を見るころまで未練をもって鮎を追った年さえあったのである。」
という経験をされているのに、なんで、「産卵時期には大差がなく」と表現されているのかなあ。学者先生の「教義の賜」ではないかなあ。
なお、森田さんは、大鮎の食糧として、ケイ藻よりもラン藻が優れていると、書かれているが、これも学者先生の「教義の賜」でしょう。
村上先生が藍藻が優占種の球磨川とケイ藻が優占種の川辺川のアユの大きさを調査され、有意の差が見られない、と。また、古のケイ藻が優占種の川でサバのような鮎が育っていた。
さらに、湯浅先生は、「ケイ藻の生物学」で、ケイ藻の殻が、それ自体は栄養とはならなくても、消化液を潤滑させる機能を持っている、と。
という森田さんへの不満はあれど、2011年、2012年の狩野川の大鮎が、東北、日本海側の沖取り海産の稚鮎が放流された結果ではないか、との推測が可能になるのでは。
迷人見習いの狩野川
迷人見習いの師匠共々、7.5号の針を折られたり、その竿では折られる、と、ご託宣されたり。
大石が転石していて下りのできない矢熊橋上流では竿を折られるでしょうねえ。
迷人見習いに、お百姓の高級竿コレクションの中の頑丈な竿をもらえ、と、けしかけています。
迷人見習いは、大井川以来の糸鳴りもあり、満足しているとのこと。
また、湯ヶ島地区の透明度10メートルの淵で、金属を使い、黒々と磨かれた石からあゆみちゃんを釣りあげたのか、どうかわからないが、そこの立て岩盤に囮を貼りつけてあゆみちゃんを釣りあげたとのこと。
立て岩盤に囮を貼りつけるのは高等な技術ですぞ。
亡き相模川の主が立て岩盤の釣りに長けた人が、囮を立て岩盤に貼りつけたときに竿を持ってみろ、といわれて持ったことがあった。
びくとも動かない、という形容ができるほど、ぴったりと囮が張り付いていたとのこと。
その操作ができるとは、そして、囮継ぎにも苦労せずに大鮎と格闘しているとすると、もはや迷人見習いに勝つことは不可能でしょう。
いや、ヤマメねえちゃんにすら勝てないということ。
オラが一番ヘボということになりますなあ。
城山下の淵の透明度はどのくらいあったのかなあ。
狩野川の大鮎が東北、日本海側の稚アユを放流したものとすると、「放流もの」の概念が変わったのかも。東北、日本海側の沖取り海産を淡水に馴致して狩野川に入れているのかなあ。その稚鮎を親としてF1,F2の種苗生産をしているのかなあ。
一昔前なら、ヤマメねえちゃんがアユの少ない狩野川で、15匹も釣ったとなれば、すっ飛んでいったでしょうに。
年を食いすぎて、相模川であんよの練習をしましょう。
堰下流の右岸のピンスポットに行けそうもないなあ。ウエーダーを履いているから、膝くらいまでしか立ちこめないからなあ。腰まで立ち込んで転ぶと立ち上がれないからなあ。
ということで高田橋上流のザラ瀬へ。
橋付近の深場に人は入っているが、ザラ瀬はがらがら。
とはいっても、ザラ瀬やチャラの川見はできないからなあ。
囮も歩けばあゆみちゃんに当たることを期待しましょう。
夢はそれほど時間がかからずに実現し、囮に苦労することはなかった。
中学生、女子高生がそれぞれ2匹の4匹。
ウナギのヒゴ釣りをして戻ってきた田名の主に、ザラ瀬、チャラ瀬の女子高校を教えてもらったから、次回はもっと釣れるのではないかなあ。
丼大王の狩野川 | ||||||
9月26日、狩野川の神島橋の下の瀬へ行ってきたよ。山さんは会議、 明日は雨かもしれない、俺は会議をキャンセルして一人で行ってきた。 数は10本、1本は21.5センチ、残り9本は25.5センチ以上、最大は28センチ 9時から2時半まで面白い釣りだった。途中から尺鮎を期待したが残念。 みんな同じサイズだね、28センチは囮にしなかった。 ここは根掛りの場合は回収は不能だからネ、 今日は3本根掛りでアウト、午後すぐに2本目、回収不能、 3本目は2時20分、掛り鮎を取り込みで失敗、逃げられた。 その囮に鉛をかませて瀬の真ん中へ、そのまま石の隙間にはいり込み、 今日の釣りは終わりました。 スタートで1分で養魚を失い、残りの1匹の養魚は頑張った。 皮1枚で25.5センチの真っ白なメスを連れてきた。 これで良しと思ったが、でも次がこないので、 もう一度養魚に瀬バリを打ち、瀬とテトラの間のちょこっと流れのゆるんだ処で我慢。 いい魚を連れてきた。 26〜27センチを囮に同じサイズがくる。実に楽しい釣りだった。 今年の狩野川じゃや満足、サイズは超満足。 写真を付けます。 |
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写真を見るとる、大鮎であることはわかるが、氏素性まではとても。 元々「目利き」ではないオラが見てもそのアユの特徴を適切に理解できるとはいえない。 ただ、丼大王が書かれているように、性成熟が進んでいるのでは、と感じている。 かっての狩野川のアユで、10月前に性成熟が進んだアユはいなかったのではないかなあ。 いや、少しは性成熟が始まったなあ、と感じるアユはいたと思うが。 たっぷりと、粗相をしているのに、写真には10匹のアユが写っている。 ますます、狩野川の大鮎の氏素性が何か、気になりますねえ。 そして、山ちゃんと丼大王とのお仕事に対する忠誠心、サボり具合も、昔のままですねえ。 変わったのはアユだけでしょう。川だけでしょう。 |
9月29日 相模川
嵐の前の静けさ。8時前であるというのに、高田橋には10人ほどが入っている。去年は、9月20日のダム放流後、アカがつき始めたときには禁漁に。したがって、相模川最後の河原での麦酒を飲んでいない。
今年は飲むぞおお。ということで、久しぶりに麦酒持参。5時間は働くぞお。ということで囮は2匹。
チャラ、ザラ瀬にはいるが釣れませんなあ。囮が1匹だったら朝帰りコース。囮が逃げたところ、蹴られたところに再度囮を入れても反応なし。
やっと釣れた中学生。
中学生は、鮎は石を釣れという教えどおりに、小石を釣ってきてくたびれた、と。
まあ、囮様を休ませるために朝麦酒を飲みますか。
堰下流右岸側のピンポイントの人は、小さいのが釣れただけ、コイがうろちょろしていた、と。
そのトイ面は、混雑している。そんな混雑になるほど釣れていたのかなあ。どん深に胸まで立ち込んでいる人までいる。
右岸瀬の釣り場に数人入っているが、釣れたのは、オラよりも年配に見える人だけ。その人は引き抜きができないため、下竿にして瀬から掛かり鮎を離して、左岸側を向いて取りこんでいる。オラも大井川、狩野川の乙女を釣ったとき、その動作をして取りこんでいるから、その方の気持ちはよくわかる。とはいえ、中高生であるから、少しかっこよく取りこむことができるのではないかなあ。
それよりも、腰まで立ち込んでいるが、こけたとき、ウエーダーで立ち上がれるのかなあ。いや、そんな心配をすることもないか。午前中だけで10匹を超えていたよう。
弁天の瀬肩から上流に人影なし。
来年の稚鮎の親には、今年の相模大堰を遡上した900万とかの量ではなく、4月中旬までに遡上した7,80万と沖取り海産がなるはず。そのうち、漁獲率を5割とすると、100万以下の親の数量となるのではないかなあ。
昭和橋のコロガシは、まだ20ほど中高生が釣れている人もいる。4月28日頃の「900万」?の相模大堰遡上量のほとんどを構成する稚鮎は、5月3日からのダム放流で生存率は0に近いのでは。そのため、解禁日でも磯部の堰下流のざかえ橋、厚木でも、唐揚げサイズの束釣りがなかったと考えている。
そうすると、来年の遡上量は、200とか300万が限度ではないかなあ。
とはいっても、海産が釣りの対象となった今年の相模川に感謝しないと。サボMらが、水管橋付近を主な釣り場にして2,300匹は釣ったことでしょうが、それに比べて、100匹もいっていないオラではあるが。
まあ、その数からすれば、最後の相模川かも知れないが、1匹釣れただけで上出来、としましょう。暖かい陽射しの河原で麦酒を飲むこともできたし。
10月3日 狩野川
2012年の狩野川のあゆ状況は、次のようになるのではないかなあ。
@ 駿河湾の稚鮎は僅少であった。当然、狩野川の遡上量は僅少。
A 5月3日の増水で、それ以前に放流された継代人工は消滅した。
B したがって、解禁日に特定の場所だけ釣れていたのは、5月3日以降のある日に放流された継代人工の成魚放流であろう。その放流が行われていなかったであろう松下の瀬等は、さっぱり。
C 7月のある頃、梅雨明け頃からではないかと思うが、「海産」の大きい鮎が釣れ始めた。そして、去年同様、9月の頃から、尺鮎や、泣き尺の海産が釣れ始めた。
D テク2が、5月中旬、アマゴ釣りをしながら、川の状況を観察した。
鮎の気配はぜんぜん感じられない、しかし、所々に稚鮎の群れが見られる、と。その稚魚の群れが東北、日本海側の沖取り海産ではないかなあ。
「放流もの」の概念が変わる年が2012年ということになるのではないかなあ。
ということで、その大アユの氏素性は、去年の大鮎の氏素性を含めて、東北、日本海側の沖取り海産を淡水に馴致してから放流したものではないかと想像している。
去年は、遡上鮎が釣りの主役であり、その延長上に大アユが釣れたから、狩野川に遡上した大鮎の10年、20年あるいはそれ以上の期間の時間軸で生じた「例外現象」ではないか、と考えていたが。
しかし、丼大王は、30年、40年の時間軸でも、狩野川の大鮎は、24,5センチ(あるいは23,4センチ止まりと話していたかも)止まり、と。
ということで、「放流もの」が大鮎の氏素性であると考えている。
この問題の前に、緊急の課題は、その「放流もの」がどの程度釣れているのか、ということ。ヤマメねえちゃんが、ツ抜けなんて、「幸運」の産物ではない、との判断が適切であるのか、どうか、それが問題だ。
ヤマメねえちゃんは、
「こんにちは!楽しんで来て下さいね。
上級者なら条件の良い日なら軽くツヌケてるみたいです。私が釣れたのは奇跡ですけれど…
同じ日に半日でツヌケて尺鮎を上げた人が居ましたから。」
そんなに「放流もの」が潤沢なのか、あるいは特定の場所だけ潤沢なのか、見に行くしかない。
鮎バックが肩に食い込む年頃になったから、ザックにタイツを入れただけで、駅まで歩いていく。舟は囮屋さんで借りる。ザックは軽くて楽でええなああ。
囮屋さんでは、昨日釣った3人組が、今日の囮と友缶に残す鮎の選別をしていた。すべて乙女。ただ、オスの方が多いようであった。
酸素不足で8匹が死んだ、とのこと。残りが20匹ほど。1人はヘボのようであるから、2人はツぬけしているということかなあ。入った場所は聞かなかった。
左岸側の流れと真ん中の流れが合流する付近に入る。去年よりも浅くなり、根掛かりをしても外しに行けそう。
すぐに乙女のオス。下顎側線孔数4対左右対称。さびが出ている。
丼大王が、神島橋の強い瀬で釣っていたとき、他の10人ほどは、流れがおだやかなところで釣っていた。丼大王が釣れているのを見て、瀬に移ってきた人がいたが、囮が違うから、その人達は釣れなかった、と。
ということで、箱入り娘にしないで囮に使う。蹴られ。細軸の7.5号もあるが、ハリ折れが心配であるから、そのまま7.5号の太軸のハリを使う。また蹴られたのかなあ、と引き寄せると、ハリスが飛ばされている。
買ってから数年経つから、ハリスが劣化しているでしょう。しかし、一撃でハリスを飛ばすとは。25歳以上の乙女は出入り禁止に。
すぐに乙女のオス。
この調子で釣れたら、オラでもツ抜けですなあ、とほくそ笑んだのが運の尽き。あゆみちゃんが世の中、そんな甘いもんじゃあおまへんでえ、と、いつもの修行、試練の時間に。見切り千両、とはわかっているが、ハリスを飛ばした乙女が気になり、離れられず。
とどのつまりは、根掛かり。タイツで入るものの、腰どころか、膝上でも危ない。泣く泣く乙女と生き別れ。
今年よりも水深のあった去年、この附近の瀬の何処でもすたすたとウエーダーで渡っていた人たちがうらやましい。
空中に頭を出している石の瀬落ちからはさらに水深があり、また、2,3人が入っているが釣れていそうもないから、ヤマメねえちゃんが釣ったであろう上流へ。
自動車道上流のチャラに数人。溝ができて、鮎が居つく環境になったのかなあ。橋下流にも数人いたが動いていった。
左岸側の流れにはその人達の間を通っていくことになるから、真ん中の流れの、流れの幅が狭まるすぐ上流へ。下流には、流れの芯が通っている左岸側の草近くを釣っている人が。テク2もその釣り方をよくするなあ。テク2との違いは、その先客さんは釣れていそうもないこと。その下流のお仲間は午前3匹とのこと。
夏を過ぎて初めての寒いなあ、という気温。しかし、カッパを着込むほどの寒さではない。
囮屋さんに戻り、麦酒を飲み、鍋焼きうどんを食べて、あったたくなった。
居合わせた2人組の1人は、韓国の米軍基地にお仕事に行った。基地の中を川が流れている。当然、韓国の大鮎を見逃すはずがないから、お仕事に竿持参。
軍人さんが友釣りに興味津々。1.5号通しの仕掛けで掛ける。腕力、体高十分の軍人さんであるから、大鮎を楽に引き抜く。キャッチミスはあるが。
軍人さん達は、生け簀を作ってしまったとのこと。
鈴子さんが、長良川でボルカー財務長官?に友釣りを教えた、と「友釣り教化書」?に書かれていたと思うが、釣り好きを釣りあげるのはいと易し、ということのよう。
なお、その人は、酒匂川の水が澄むには後2,3年かかると。鮎沢川の工事だけでなく、富士山の火山灰が流れ込まないようにする工事をあっちこっちでやっている、と。
酒匂川の水が濁っているのを嫌い、相模湾の稚鮎は早川に入ったとのこと。早川では、ちんちん釣りで束釣りも。番茶も出花娘も釣れているとのこと。
雨が降りだしそうな天気ではあるが、もう一働きをしましょう。
また、朝釣れたところに戻る。真ん中の流れの絞り込まれた瀬ではあんまり釣れていないのかも。左岸側の流れの自動車道付近の様子を見たいが、チャラを釣っている人の間をすり抜けていくのが面倒であるから、楽をしましょう。
ただし、根掛かり放流をしてもよいように、養殖君しか使わないよ。
踊り子まで1時間はあるが、乙女のメスが釣れたところで、やめました。
駅前の中華料理屋さんが廃業していた。
コンビニなんてなかった昭和の代、自動車道付近にあった青木の瀬の渡場を渡り、その中華料理店に昼飯を食べに行くことがあった。アッシー君がいないときは、握り飯が買えなかったからなあ。
昭和の代の踊り子は、5時台があった。その踊り子には何人も同業者が乗っていた。
久々に同業者が乗っていた。その人は三島でこだまに乗り換えるとのこと。
その人は松下の瀬に入って1匹、今年は終わり、と。
それで、ヤマメねえちゃんの業績を話した。また、松下の瀬よりも青木の瀬の方が鮎が濃いのでは、とも。
丼大王は、神島橋よりも石コロガシの瀬の方がナメはよい、と。しかし、鵜の大群の食堂であるから、釣る気が起きない、と。
城山下になんで「放流もの」が集まっているのかなあ。鵜は、人間がいないというだけでは、石コロガシの瀬に集まることはないでしょうに。
「トラックで運ばれて」来て、青木の瀬に放流された鮎は、当然、「下り」の行動をしないでしょう。何処を産卵場に選ぶのかなあ。
自動車道上流かなあ、石コロガシの瀬の下流かなあ。
産卵場にはオスが先に集結するという話があったと思うが、メスは何処にいるのかなあ。いつまで、瀬にとどまっているのかなあ。
ということで、ヤマメねえちゃんの15匹が「幸運」だけではなく、青木の瀬の鮎の密度が濃い、ということも考えられるのでは。
丼大王のメール | ||||||
連絡有難う。 今日は会えてよかった。 9月30日、松ちゃんのたち日、2,3日前にうちの奥さんと見に行ってきた。 墓参りじゃないよ。だから見にだよ。 多分あしたは松下だろう、本当は神島へ行きたいけど、山さんが釣り慣れた処以外は余り行きたがらない。 辛抱強いて言うか。。。。。 昔からそうだった。松ちゃんが囮の箱から石ころがしをみて関心していた。 あの下にずっといるのは山さんだなあ、慣れたところでじっとしている、辛抱強いよ。仕事も凄く辛抱強い 俺もその感覚は関心する。ただ悪い意味でのチャレンジは全くなし。 それでも釣れる、普通にネ、逆に腹がたつ、なんで? 、 松下の瀬でも、初めて釣れた場所以外はこの何年間、上下数メートルは動かない。 そしてまたそれで普通に釣れる。我々は我慢できない。 チョット釣れないとあの場所は、あの瀬は、て思うのは普通だけどね。 歩く距離は俺はあいつの何十倍だと思うヨ。 あいつにはそこが不満。そして、あいつは俺の浮気症みたいな感覚が不満かもネ でもあの石のよれ、あの流れを釣りたい、て、普通は思うけどな、 まあこれで30年二人でやってきた。 会社でも基本的に仕事の席は真向かいでずっとだな、お互いのPCをはさんでネ、 今思い出したらこの何十年横並びてことは一度もないな。 今日も机をはさんでね、一言、二言の会話だけだよ、あいつは今、2013年のシステムで忙しい。 俺も今日は半期決算で忙しいはずが午前中だけ、午後は居眠りざんまい。 明日は台風か、でも行ったら結果は報告するよ。 それじゃあ、お休み |
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丼大王と三島駅前でしばらく話した。 海での異変は、 @サザエは大きくなると沖に出て行くが、大きく育っていないから、まだ沖に出て行かない。 A夏のカワハギにすでに大きいキモができている、また型も大きい。 B磯焼けの岩礁地帯に大量の何とかの魚がいる。 これらの現象が、稚鮎の食糧である動物プランクトンの生成量に影響するのか、どうか、気になりますねえ。 やっぱり、山ちゃんが真面目人間、丼大王はサボーリマン、との予想は外れていなかった。 故松沢さんのテントで山ちゃんと会うのは休日だけ。丼大王とは平日であろうが、会っていましたからね。ということは、お前もサボリーマンじゃあ、と、いわれるかも…。 そういえば、山ちゃんの釣り姿の記憶はないなあ。釣り場が異なっていたのかなあ。 オラもあっちこっちと動くことが多いが、丼大王と違うところは、オラの動く基準は、「楽なところ」であって、そこが最良のポイントかどうかは運任せであること。川見のできないものが、変化する川とあゆみちゃんの生活誌に併せて、最適の場所を選択するなんて、下手な考え休むに似たりですからねえ。 それに、遡上鮎がたっぷりいたから、大漁を期待しない限り、そこそこ釣れたしねえ。 |
10月4日の丼大王は? | |||||||
松下の瀬 俺は0匹、山さんは6匹 囮付け放したら金属糸と囮鮎が離れていっちゃった。 2匹目の囮で頑張って23センチの綺麗なメス。 そいつを上に向けて泳がす、すぐに掛ったが金属糸がひらひら ダブった。金属の編みつけ糸からいってしまった。 金属が0.175で、編みつけ糸がナイロンの0.175の2本で編みつけ。 バカだね、前回の神島で最後に地球を釣り、切ったので帰ってから編みつけた。 何も考えなかった。0.05、0.06の時と同じ感じで作ってしまった。 今まで0.175の時は0.3のナイロンだった。 太い金属を使う意味無いじゃないか、アホや 後は12時まで川とのにらめっこ。 その間にビール5本飲んじゃった。 そのあと山さんが上がるまで、土手でヨモギをつんでた。 くさ餅を作る。違います水中メガネのくもり止めです。 冷凍保存しておくと何時でも使える。 以上 |
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丼大王改め、とんま大王と改名しょうかなあ。 11月の城山下の1本瀬で、10数匹掛けたのに持ち帰ったのが数匹。丼大王らしからぬ粗相の多発で故松沢さんも感心されていた。 それから幾星霜。 今時の金属の0.175は、オラが一昔ほど前、大井川の乙女から丼を食わされないように、と、使っていた金属の0.2よりもはるかに強いはず。 それを神島橋で使っていたから、28センチの囮で泣き尺が掛かっても丼にならず、汚名返上、と拍手(はしなかったが)。 今回は、久々にヘボを楽しませてくれました。喜ばせてくれました。 尻火鉢ならぬ尻焚き火でタモを焦がしたり、葭に結わいた舟にイタチが侵入したり、と、丼大王がヘボを笑わせてくれた芸達者の才能は、年を食っても健在なようで、ご同慶の至りです。 それにしても、山ちゃんは、よくぞ松下の瀬で6匹も釣ったなあ。 すでに、オスは産卵場所への移動、集結を始めているのかなあ。2日にツ抜けをしていた3人組の乙女もオスが多かった。 11月以降の城山下では、メスが多かったような気がしているが。 3日の寒さを感じる気温でなくてよかったですなあ。 3日なら、麦酒ではなく、お酒が似合っていたのに。その意味では、悪運が強いということでしょう。 次は、いつサボって狩野川詣でをするのか、わからないが、やっと、丼大王に火がついたようですなあ。次はどんなとんまぶりをしてくれるのか、楽しみにしてまっせえ。 |
10月6日 相模川カンニング
きいせつのかわりめを あゆみのこころでしるなんてえ
という時期になったのではないかなあ。もちろん対象は房総以西の太平洋側の海産鮎の生活誌のことであるが。
石切場の瀬にしばらくぶりで入ったテク2やしあわせ男が、釣れたとのこと。お二人の「釣れた」とは、2,30匹のことであるから、8月の下旬頃から釣れていなかった状態が改善したということではないかな。
そして、弁天下流の右岸瀬尻にも入ったテク2は、久々に「釣れた」とのこと。番茶も出花娘等は、さびが出ていたとのことであるから、継代人工でしょう。その上流の瀬では小さいとのこと。海産でしょう。
昭和橋のコロガシでも、24歳が釣れたとのこと。磯部の堰上流のトロを生活の場にしていた継代人工でしょう。
その継代人工が、9月下旬までは、コロガシの人達も敬遠していた場所にいたのに、釣り場に出て来たということは、「トラックで運ばれてきた」継代人工が、産卵場を捜しているということかなあ。
高田橋では、堰下流右岸のピンポイントに入っている人がいたが、釣れているのかなあ。
右岸瀬に入っていた2人は釣れていた。その瀬が釣り場になったということはありがたくもあり、困ったなあ。ウエーダーで安全に入れる場所は橋近くしかないし、根掛かりになれば、放流するしかないからなあ。
まあ、明日、様子を見に行きましょう。
弁天にはちょっぴりしか人は見えなかったが、まだ今の時期の出勤時間には早いからなあ。
10月8日 相模川
昨日、「晴耕雨釣」の孝行息子に変身したお百姓様が、石切場で8匹だったかな。天気予報が外れて、昼過ぎまで雨が降り、また、夏の衣装では肌寒い中、さすがは若者ですなあ。
今日は、天気晴朗、寒くなし。これであゆみちゃんが歓待してくれたら、幸せいっぱいとなるが。右岸瀬に囮を入れたいが、養殖君では玉引きになる。いつもは午前は風が吹かないのに、お百姓様の呪いか、風が吹いている。しかも、吹き下ろしの風が。
仕方ないから右岸側を釣る人が立ち位置にしているところに囮を入れる。少しは頭大の石が転がっているから、釣れるでしょう。
釣れました中学生が。しかし、はいそれまでえよお。
いさんが、河原に上がったので、それに同調。いさんは、空中バレがあっただけ、場所を変えるか考えている、と。堰下流右岸のピンポイントも定着する人はなし。オラの背後を釣っていた人は数匹釣れたかも。
まだ昼までに時間があるなあ。囮は過労死をしていないしなあ。
ザラ瀬にはいる。理由は簡単。立ち込んで行かなくてもよいから。
しかし、ザラ瀬はいやじゃなあ。竿先を効かせて流れと斜めにも引け、といわれてもですよ、そんな高等な操作ができませんしねえ。
それにですよ、石が詰まっているとはいえ、所々にそれなりの大きさの石が転がっていて、流れの筋が判りやすいのであれば、あゆみちゃんが好みそうなところがわかりやすければ、まだ我慢しますよ。20世紀末の大井川は抜里の左岸へのザラ瀬のように。
まあ、川見ができないものには大勢に影響はないか。
釣れました。しかも、今年の相模川ではあと1週間の間にだっこすることもあたわず、とあきらめていた女子高生がですよ。しかも3人も。
結局、昼までに4人も遊んでくれました。とどのつまりは、吸盤ボウイまで、仲間に入れて、と。
いさんは、チャラを釣りながら右岸側へと動き、上流へと釣り上がっていった。昼に戻ってこないから釣れているのでしょう。
ザックは、鮎バックと違い、軽くて助かる。旧大山街道の坂道も途中、休憩がなくても上れるはず。困るのは、舟を手に持たねばならないこと。舟を手に持つと、クーラーが持てない。ということは、麦酒がない。もし、10匹ほど釣れていれば、麦酒を買いに行くが、昼からも釣れるという保証はないから、帰りましょう。
迷人見習いからの電話 | |||||||
昨日、狩野川での難行苦行から逃げ出して、海釣りに行った迷人見習いに、サボっているぞお、と師匠に告げ口をするぞお、といったら、今日は大見川へ。 かっては湖産放流の大見川も冷水病の蔓延とともに、本流と同じ氏素性の鮎が放流されているよう。 結果は、泣き尺のオス。師範代はメス。 師範代は大鮎が釣れ始めた頃、0.3号の糸で、ウン十メートル下ったとのこと。 迷人見習いは、0.6号の糸に1.5号の中ハリス。ヤナギのハリスは2号。 そして、25歳くらいまでの鮎は小さい、と、鼻息の荒いこと。 また、絞めてもさびが出なかった、と。ただ、相模湾育ちの女子高生にも腹子は小さいながらももっているものがいるから、東北、日本海側の沖取り海産が腹子をぜんぜん持っていないとは考えにくいから、調べるように頼んだ。 釣れた場所は、瀬の芯ではなく、少し流れが弱いところとのこと。 さて、25歳以下が小さい、という迷人見習いに対抗するには、また狩野川で修行するしかないか。 とはいえ、0.6号のフロロを買っても、来年以降も東北、日本海側の沖取り海産が放流されるかどうか、わからんしなあ。 大井川の遡上鮎が1ヵ月以上の飢饉にも遭わずに育つことができるかどうかもわからんしなあ。 とはいえ、大井川の飢饉を耐えた乙女の状況も気になるしなあ。 囮屋さんは釣れても4,5匹というが。オラにとっては乙女の4,5匹は大漁ですからねえ。 ただ、アッシー君がいないと、テク2がお盆のお墓参りのついでにアカ付きの悪かった葛籠で、5匹だったか釣っているのに、葛籠、久野脇には行けないなあ。 囮屋さんは駿遠橋下流、丹原付近の方がよいというが。 |
10月10日 相模川
狩野川に行くつもりはあったが、天気予報が曇りと雨ではなあ。3日は、大仁では降られずに幸運だったが、相模原はあめえだったあ。
迷人見習いが、25歳以下の乙女は、ちっちゃい、ちっちゃい、と、高笑いをしているが、その前日は、海釣りに行ったということは、それまではボウズ街道まっしぐらではないかなあ。
そんな迷人見習いに張り合うほど、若くはないから、相模川でのんびりと女子高生と遊びましょう。
高田橋は空いているなあ、弁天はもっと空いているのではないかなあ。混んでいるのは、継代人工の成魚放流を行った大島と中津ということかなあ。八菅橋も、沖取り海産と中津川漁協が放流した継代人工が流れてきて混んでいるのかなあ。
吹き下ろしの風が強いから、右岸の瀬には入れない。玉引きをする勇気なし。それにいつものように、囮は1匹しかいないから、根掛かり放流は禁句ですからねえ。
ということで、ザラ瀬へ。
すぐに掛かったものの、空中に出たとたんにバレ。前回、いさんは、タモの2,30センチ手前でばれたといって悔しがっていたが、その飛距離にはるかに及びませんなあ。
その後は、何年ぶりかでマッスル背バリを使うか、根掛かりを外しに行けるから、玉引きにするか、悩んでいました。
やっと、女子高生。優しいなあ。こんなあゆみちゃんばっかりであれば、苦行を味わうこともないのになあ。
まあ、午前3人の女子高生が釣れたから、幸せだなあ。
今年2度目のかっちゃんが。とはいっても、一緒に釣りをするのは始めて。前回会ったときは、かっちゃんは葉山に成魚放流されて、テク2らが行っているということで、葉山に行ったが。
かっちゃんに、波立ちの大きい筋を釣るようにといったのに、9月下旬までの時と同様、鏡のようなところに囮をいれている。
かっちゃんに荷物を見ているように頼んで、麦酒と昼飯を買いに行った。
麦酒を飲んで、河原で昼寝をして、目覚めたら風が弱くなっていた。これで釣れないと、風の性で釣れなかった、といえませんなあ。
いや、麦酒を飲み、河原で昼寝をして至福の時を過ごせたから、仮に相模川がダム放流で終了しても、悔いはなし。
昼からは、女子高生に中学生1人を含めて、4人が釣れたから、合計7人が釣れたから、オラには大漁でした。何よりも3時過ぎまで釣ったことなんて、今年何回目かなあ。数回しかないはず。
かっちゃんは、2回神通川にいっている。
1回目は盆明けに。1日30匹台。2回目は9月上旬に行き、トロで入れ掛かり。1日60台。
うらやましいなあ。荒川の年券代を回収したというのに、かっちゃんの神通川の1日分くらいしか釣れず。また、荒川では初めての小中学生でしたからねえ。
ただ、神通川の混み様は、古の狩野川並とのこと。
さて、狩野川の大鮎は、東北、日本海側の沖取り海産のようであるから、そろそろ産卵が始まっているのではないかなあ。
狩野川は、今週で最後にして、有終の美は大井川で10月下旬に飾りますか。見事に散って見せましょう、ボウズで。
と、思っていたら、テク2から電話。
弁天右岸の瀬落ち、瀬尻の水深のある瀬で、しあわせ男とともに釣れたとのこと。サビなし。数は、20か30か、聞き忘れた。数日まともな数を釣った人がいなかったのか、よく釣れたとのこと。
弁天右岸瀬には右岸側の道路から入れるようになって、オラにとってはお二人と話す機会がなくなってしまい、困ったことです。
テク2が、同窓会の後、大井川に行くとのことであるから、同窓会後に合流することにした。
ということで、1日目は笹間度から駿遠橋まで釣り下り、2日目、3日目はテク2の案内で、葛籠、久野脇、塩郷堰堤上流にいくようになるでしょう。
狩野川に行くとすれば、その後のこと。まあ、あんよがもつかどうか気になりますが、今年最後を華々しく?しょぼくれて?終えることにしましょう。
10月12日 相模川
まだ、禁漁までに日にちはあるが、オラの相模川最後としょう。
高田橋のザラ瀬にチャンプ君が入る。その上流にも釣り人がいる。
「晴耕雨釣」の孝行息子も、いまだに100匹も相模川で釣っていないオラに同情して、「風よ吹け吹け」と呪いをかけていないから、風はなし。右岸瀬に入るつもりで、チャラを立ち込んでいく。中学生が。ありがたいなあ。これでボウズはなくなった。
右岸瀬の1人だけは10匹は釣ったのではないかなあ。その上流のオラは、蹴られ蹴れれの連続。7号のハリの方がよいのかなあ。ベストには7.5号と8号は入っているが、7号はないなあ。やむを得ず、6.5号を使い続ける。
そして、根掛かり放流。下流側の人のあんよであれば、楽に外しに行けるでしょうに。
ベストの中に入っている0.2号くらいの仕掛けを捜して、ザラ瀬へ。
オラの上流側の人は10匹を超えているのではないかなあ。チャンプ君は右岸側に渡り上流に移っている。
女子高校生のメス。最後は女子高生のオス。
やっと昼になったから、御神酒を頂く。
戻ってきたチャンプ君に何匹釣った、と聞くと、渋い、と。再度何匹?と聞くと8匹、と。
そんなに釣れたらオラでは大漁じゃあ。
チャンプ君がザラ瀬で釣れ始めると、周りに人が集まってきたから、右岸に渡り上流に動いたとのこと。
御神酒が入ったから、相模川最後のあゆみちゃんとの逢い引きに努力をしましょう。
ザラ瀬から、右岸瀬に入ったチャンプ君の釣り姿がよく見える。どんな操作をするのか、見ましょう。
1時間ほど、おとり君に働いてもらったが、釣れず。今年の相模川を終えました。
チャンプ君は頻繁に囮を引き寄せている。オラだけでなく、チャンプ君も蹴られに苛められているのかなあ。その付近には「蹴り上手」がいるのかなあ。
昨日、弁天右岸瀬落ち、瀬尻に入ったしあわせ男は30匹台かなあ。
チャンプ君は、先日興津で30匹台とのことであるが、そんなに釣ったんでは、怨まれますよ。
丼大王の10月11日の狩野川 | ||||||||
10月7日の日曜日は狩野川まで行ったが雨と寒さのため竿を出さずに帰ってきた。 とりあえず大宮人が大見川に来ているので2時間ほど馬鹿話しをしてきた。 3年ぶりかな、やっぱり歳はくっている。皆んな白髪の量が断然に多くなっていた。 懐かしい話でおおもり上がり、つい酒を飲んじゃって、その後じゃ竿なんか出せないよネ、 山さんは、のん兵衛を観ながらコーヒで話に参加。 でもやはり竿を出す雰囲気でない、やめようで10時には家に帰ってきた。 夜に電話あり、3人の釣果は、1匹、2匹、3匹、今夜は泊まりで神島の橋の下を攻めると。 翌10月8日、私は会社、もちろん山さんも、2時半ごろ電話してきた、出たよ尺がネ、30.3センチ。 合計8匹だそうです。 ほかの人の匹数は聞かなかったが最大28.5センチて言っていた。 天気が良くてよかった。 今日で竿納めていってたがもう1回チャレンジするって。 10月11日神島の橋に下の瀬に入った。 8時から13時30分までで9匹、こんなにバレが出たのも珍しい。 チラシから3本錨、いろいろ変えたが針にのらない、そして針に鱗が残る。 実際に12本は取り込んだ、バレは10本近くある。根掛りで仕掛けを3セット失った。 最大は29センチ、7匹がオス、メスは18センチが2匹。 自分の上にいた人は、20匹はいっていると思う、水中糸はナイロンの1号だって、 鮎は余り大きくないけどネ、前日はでかい鮎ばっかりだったて言ってた。 でも良く掛ってたな。 また写真送るネ |
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オラが気になること @狩野川の大鮎になっている鮎の放流は5月中旬頃と思っている。それが大鮎になることも、東北、日本海側の遡上鮎が、川に入り苔を食するようになると、急激に大きくなる性質をもっていることと共通していると考えている。 その性質が狩野川でも変わらず、とはいえ、大鮎の比率が高いような気がするが。 A東北、日本海側の沖取り海産であるから、7月はまだ大きくなっていない、その他の理由で、釣りの対象とはなりにくいとしても、7月中旬頃からなぜ急に釣れ出すのか。 日本海側の解禁日は、7月1日、荒川では7月5日ではあるが。 B産卵時期は、故郷と同じなのか、水温の高いことが、性成熟は進んでいるが、少し遅れるのかどうか。 10月11日でもまだ産卵行動をしていない鮎がいるということになるが。その比率はどのくらいかなあ。 Cこれまでの継代人工が解禁日に釣りの対象となるほどの大きさに成長するようにと、9月中旬、下旬に採卵することが多かったようであるが、東北、日本海側の沖取り海産が放流ものの主役か、脇役になると、どのような問題が生じるのか。 増水でも継代人工とは違って、消滅しない、そして大きく育つ、ということから、今後、放流量が多くの川で増えるのでは? D在来種との交雑は、産卵時期のずれから少ないとしても、放流量が増えると、どのような問題が生じるのか。海産同士の話であるから、問題はないのか。 ただ、学者先生の10月11月産卵説の正当化に寄与することにはなるが。 E写真で、雄の方が多いような気がするが、なんでかなあ。 丼大王も、7匹がオス、2匹がメスとかかれているが。元々メスの比率がオスよりも少ないのかなあ。 継代人工等の養魚であれば、養魚場でメスを跳ねるから、大きい成魚放流ではオスの比率が高くなるのはわかるが。 湖産との交雑種も、湖産親からの稚魚も、浸透圧調節機能の欠如から、遺伝子上の問題を生じなかったが、東北、日本海側の沖捕り海産の放流は、どうなるのかなあ。 大井川の後、1回、様子を見に行くように努力はしますよ。 大宮人もお元気なようで。 |
10月14日 大井川
テク2に、囮缶を借りて持って行く、といったら、笑われた。
当然ですよねえ。友舟でさえ、水しか入っていないという結果が待っているのに、友缶を持って行くというんですからねえ。
しかし、夢を見ましょう 夢を
いつでもゆめええお いつでもゆめえを
「あんさん 『夢』と『妄想』をはき違えてますわ」
そんなことをいわれてもでっせえ、「夢」と「妄想」の区別がつかへんから、マイナスイメージの「妄想」ではなくプラスイメージの「夢」を見ますわ。
ということで、荒川以来の友缶を担いで新幹線に。ただ、今回は、クーラーがないから楽ですわ。
笹間渡から、駿遠橋まで釣り下る。
川根温泉のところは、石が埋まったまま。相模からマイクロバスでやってきた人たちに、川根温泉付近は釣れん、といったのに、釣れなければ温泉に入るからいい、と。駿遠橋まで釣り下った人が2匹?釣っただけ、とのこと。
かって、あゆみちゃんが遊んでくれた石は何処にもなし。玉石がつまり、所々に大石があり、流れの筋が何本もあり、必ず囮が釣れた左岸側も、そして、右岸側も。
辛うじて、あゆみちゃんが住むかも知れない、と思えるところは、瀬落ちのすぐ上流くらい。
そこへ、抜里から様子を見に来た人が囮を入れた。
それを見ながら下流へと歩いていく。河原は石がごろごろしているのに、なんで、水の中は砂利まみれかなあ。
左岸にころがっている大石の付近もあゆみちゃんがいないよう。去年でも1匹釣れたのになあ。
抜里の左岸へのザラ瀬は消えたまま。その水が落ち込み、溝を作っていたが、その溝も痩せ細ったまま。
ザラ瀬は、頭大の石がびっしりと詰まり、大きい石が所々に転石していて、女子高生が目印を吹っ飛ばしたことも、そして、そのザラ瀬が小石になったとき、ドラエモンおじさんが小学生を、その下流の落ち込みの溝でオラが、女子高生を釣ったこともあったなあ。
左岸から右岸への流れは、石が詰まっているとはいえ、大きい石がなく、変化がないなあ。右岸ブロックのところを護岸に沿って流れていた頃は、大きい石があっちこっちに出ていたのになあ。
その瀬肩下に、名人の邪魔をして入り込み、しかも上泳がせで番茶も出花娘か女子高生を釣り、それを囮に瀬に入れてすぐに丼。邪魔をされた名人さんは、どっちみち、ヘボの手に負えるところではないよ、と、涼しい顔をされていたのかなあ。
そのようなおいしい場所はないが、6人ほど入っている。大井川で一番盛況の場所かなあ。
JR鉄橋下、神座、神尾に数人の釣り人が見えたが、大和田、丹原、駿遠橋下流には釣り人なし、の状況であったからなあ。
釣れている人は、右岸崖への落ち込みの人だけ。それ以外の人にも釣れた人がいたのかも。
「47歳」さんは、土曜日か金曜日、ちょこっとやってきて、5匹?との話であったが。
オラにはあゆみちゃんが遊んでくれないし、遊んでくれる場所の見当もつかないから、また竿をたたんでトボトボと、歩いていく。
チャラの人が4匹釣れたとのこと。しかも乙女が。そんな浅いところでは、乙女の背中が見えるのでは、と思うようなチャラ。
「47歳」さんは、その人はいつも釣れているとのこと。上泳がせをして、止めて、竿先を効かせて、という操作をしているから、うまい人とのこと。そして、釣れない時間帯はその人も囮も休んでいるとのこと。
この「釣れない時間」は休んでいる」という釣りスタイルは、亡き相模川の主に似ている。
川根温泉下流の数少ない石のあるところから、また、抜里に戻ってきたテクテクさんは、瀬で釣ってから、チャラの人と話をした後、右岸大石が転がっているところへ。
そこは、鮎がついていればすぐに釣れていたところ。長島ダムができる前は、大石の周りは玉石がびっしりと詰まり、あっちこっちと囮を入れてあゆみちゃんをだっこできたところ。玉石が砂利に変わってからも、大石のところに囮が行くと、何処に隠れていたのか、乙女がすっ飛んできて、川原に立ち9mの硬調を両手で抜いていたこともあったところ。
しかし、テクテクさんはまたもやテクテクと、駿遠橋下流の瀬へ。
そして、オラがあきらめてボウズでトボトボと、右岸へ渡るときには、チャラに囮を入れていた。先客のチャラの人は1匹追加していた。
囮の過労死はなかったが、あんよが文句をいっている。
「囮が過労死をしなかった? 当然やろう、2匹を代わる代わるに何時間働かせたんや。3時間?そんな短時間で過労死させるようでは、救いようのないヘボというもんや。
それに対して、わしは、何時間歩かされたんや。2キロ以上やでえ。そんで関節が痛くなるなとは、どんな面下げていうてるんや。」
まあ、お怒りはごもっともです。ローションを塗りたくり、漢方薬を飲みまっさかい、あと2日間、働いてください、お願いいたします。
家山八幡宮の祭礼の日。
川根町の町内を4つ?に区分して山車等が出ている。人出は多いものの、女子高生や乙女は少ないのではないかなあ。
それよりも、夜のおまんまにありつけるところがない。やっと、1軒に入れてもらえた。
助かった。
この祭礼の頃から、川根地区でも、大アユが釣れるようになったとのこと。上流から、落ちてくる鮎がいたということかなあ。
10月15日 大井川
夜明け前の北の空を、北斗七星とカシオペアが大きく占拠している。今の時期がいちばん大きく見えるときかなあ。
キンモクセイの香りが漂ってくる季節になったなあ。まだ、夜空を大きく占拠している北斗七星やカシオペアを駿遠橋から見ることがあるのかなあ。
今日は氷も握りもまだ買わなくてもよいが、煙草とコーヒーを買いに駿遠橋を渡る。
かわいいねえちゃんはどうしたの?
「結婚して、もうじき赤ちゃんが生まれるよ」
なんで、そのかわいいねえちゃんに手を出さなかったの?
「浮気はできん、上の子は大学生」
ええ!!何歳?
「47歳」
どひゃあ、30歳くらいと思っていた。
さて、いつものように、「47歳」さんとお話を。
今年の遡上鮎は、掛かったときに一気にすっ飛ぶのが少ない。ことんときてそれから走る。
先日、上流に向かって、差していく群れがいた。その群れが、下りのための集結か、それとも出鮎、差し鮎か、わからない、と。
「47歳」さんが、はじめて鮎釣をし25歳のとき、笹間渡鉄橋すぐ下のブロック直下で28歳乙女をだっこしたとのこと。
はじめての鮎釣りで、最初に28歳を釣れば、のめり込みますよねえ。決して、人工ではありませんよ。2年前まで、塩郷堰堤下流の新大井川漁協管轄の川に、鮎は放流はされていませんでした。
20世紀末、昭和橋にあった囮屋さんが、第2東名工事で下流に人工が放流された話に対して、こっちに放流して欲しい、と話されていたが。
そのとき、オラは20匹台を釣った。居合わせた人々は信じていなかった。囮屋さんの綱に曳き舟を結わえて、翌朝見ると、曳き舟のストッパーが掛かっていなかった。実際に釣れていたのか、確かめた人たちがいたのでしょう。
その日は、石風呂へと下っていったが、たいして釣れなかった。さらに七曲がりまで下っていれば大漁になっていたのかどうか。
「47歳」さんが、初めての釣りで28歳を釣りあげた場所である右岸側は岩盤に大石が数個転がっていた。そして、玉石も詰まっていた。
七曲がり右岸で、腰の曲がった人が、川原に立ち流れと並行になるように竿操作をして、囮を入れて掛かると30メートルほど下り、袋ダモに鮎を入れて、元の場所に戻るという釣り方をしているのに、左岸から普通の釣りのように、瀬の真ん中付近に囮を入れているオラの何倍も釣りあげていた。
七曲がりが長島ダムの工事の影響、運用開始で砂利まみれになり、その人は、鉄橋下流に移ってきたことがある。その岩盤と大石の場所も砂利まみれになり、あゆみちゃんが好む場所でなくなってからは、その人を見かけることもなくなった。
テク2は子どもの時、中川根町で鮎釣りをしたが、鮎の馬力に負けて寄せてくることができない。当時のナイロンは現在のナイロンと違い、強度がそれほどでもないこともあって丼の多発。お父さんに怒られたとのこと。
その後、野守の池へ。
さすがに、この時期、夜明けとともにやってくる人もいないなあ、と思っていたら、2台目の車は相模ナンバー。
なにを好きこのんで相模くんだりからやってくるんや。物好きもいるもんやなあ、と思った。
しかし、亡き相模川の主も、野守の池でへら釣りをしたいと話していたから、野守の池は、へら釣りの人にとっては1つのメッカなあ。
テク2が迎えに来てくれるまで時間がある。駿遠橋下流左岸の前山の大石が転がっているところに行くつもり。
ところが、そこには水が流れていない。河原になっている。
「47歳」さんの話では、重機を入れて流れをまっすぐにしたとのこと。駿遠橋上流の河原にあった林の木もすべて伐採したとのこと。無駄なことをするなあ。
その前山には楽しかった思い出が。
家山川の橋下流の桜並木に囮屋さんがあったとき、そこから水のあるところまで距離がある。途中、家山川が本流と並行に流れていて、水路状になっていた。そこで、舟の水を入れ替えようとしたが水温が高すぎる。4.8リットル?の舟に入った囮は、当時はまだ年相応の速さで歩けたが、河原を横切るまでに騒ぎ出した。
釣り上り、前山へ。大石の付近で女子高生が入れ掛かり。夕暮れにはたっぷりと時間はあるが、数匹釣れると、胃袋が、早く麦酒をよこせ、と騒ぎ立てる。あゆみちゃんをとるか、麦酒をとるか、オラにとっては両手に花が好ましいが、2者択一をせざるを得なかった。泣く泣く、麦酒を選択。
その後、その場所が砂利になり、コイのたまり場になり、大石のところに囮を入れることあたわず、というほどの広さのトロになったことも。
2009年かなあ。迷人見習いとテク2が、駿遠橋下流の瀬、チャラで、小中学生をたっぷりと釣っていた。
オラは前山へ。かってよりも左岸に沿う流れ込みの長さが短くなり、大石の多くが水のないところになっていたが、それでも女子高生を何匹かだっこできた。迷人見習いが、大きさにビックリしていた。
そのおいしかった場所が河原になっているとは、困ったなあ。
やむをえず、橋下流の石は詰まってはいるが、大きい石はなくなった瀬で囮君に働いてもらう。釣れないと思っていたのに乙女が釣れた。これで、3日間のボウズはなくなった。
そしてすぐにまた掛かったが、口掛かりの、タモの手前でのぽっちゃん。
この瀬で釣れることがわかっただけでもありがたい。
テク2と向かった先は、昭和橋上流。
テク2は、右岸岩盤に沿って流れる瀬へ。そのときにやってきた人はその上流の瀬へ。オラは瀬肩から上流のチャラへ。
オラが吸盤ボウイにハリスをくしゃくしゃにされて、後始末をしているとき、テク2が釣れた。このペースでは、つ抜けかなあ、と思っていた。
昼に戻ってきたテク2は、ナメはいっぱいある、しかし、そのナメのある広い場所が1匹の食堂とのこと。1つの石の苔を叮嚀に食べるのではなく、多くの石を食いちらしているとのこと。ということで、オラが見ていた1匹のみとのこと。
瀬の人も動き回り1匹。
「47歳」さんは、テク2の釣っていた岩盤のところは鮎がキラキラしていたと話していたが、そのような多くの鮎は見えなかった、と。動いたのかなあ、出鮎かなあ。
午後、テク2は、左岸トロの上流に瀬があるはず、と。
河原の竹やぶのところは、かってと流れが変わったとのことであるが、テク2や亡き相模川の主、ドラエモンおじさんらと楽しい釣りができたところの1つとのこと。
その時期は、平成の代になって2,3年目のよう。ということは、塩郷堰堤が水無川にしていた大井川に、4トンほどの義務放流量が水利権更改の時に戻ってきてすぐの頃ではないかなあ。
「47歳」さんが鮎釣りを始めたのは25歳とのことであるから、水が流れるようになってからすぐのことではないかなあ。
そうすると、みなさんは、オラよりも3年ほど早く大井川の遡上あゆみちゃんにちょっかいを出していたということのよう。
オラが大井川通いを始めたのは、狩野川から遡上鮎がいなくなり、継代人工の放流河川と成り下がった1995年から。
テク2は、足が吊りそう、漢方薬がベストに入っている?、と。当然入っていますよ。
1匹しか釣れなかった、と。
せっかく1キロ近くも歩いていったのに。
工事の濁りが入った午後、あゆみちゃんが、ダム放流の始まりと誤解して、出鮎、差し鮎がやってくるかも、と期待したが、
ゆめえは むなしいくきえてええ
数年前のこの付近のどこかで、当時と流れは変わっているが、瀬の上下の真ん中付近にテク3が、瀬肩のすぐ下にオラが入っていた。
時は村祭りの時。今年と同じ頃のこと。
トロからの出鮎の群れが見えた。そのことをテク3に怒鳴って知らせた。
出鮎はオラが釣っているところを素通りしいて、テク3のところで食事を始めた。テク3は入り掛かりに。
ということであるから、「47歳」さんの見た群れは、出鮎、差し鮎ではないかなあ。
早いが温泉へ。
テク2のあんよだけではなく、オラのあんよも、ええかげんにせえ、歳を考えろ、今年は1日に何時間川に浸かり、また、どのくらい歩いてきたたというんや、と怒りまくっている。
テク2ですら、半日くらいしか働いてないやろう、弁天瀬尻、瀬落ち付近でちょこっと歩くだけで、何キロも歩いてないやろう。それなのに、いきなり、何キロも歩いて、あんよがもつわきゃないよ、わかっちゃるけどやめられねえ。
10月16日 大井川
今日は、中川根町に行く。
塩郷堰堤の魚道を鮎が遡上していると、中電はビデオを見せて、堰による遡上への阻害はないと説明しているとのこと。
しかし、それは、「遡上できる」ことを証明しているだけで、魚道の「機能」が十分であるのか、ないのかを説明していることにならない。小学生の三谷ちゃんが、最上川の魚道があるから川を往き来する魚の移動を阻害をしていない、との説明に疑問を持ったように、そして、川那部先生が、「遡上達成率」が問題、と魚道の機能測定の考え方を説明されているように、「遡上達成率」が問題のはず。
遡上達成率の測定が、魚道下流の遡上鮎の量を測定することが困難であるからできないとしてもどのくらいの量が魚道を遡上しているか、は、ビデオの画像からコンピュータ管理で測定できるはず。相模大堰の主魚道では、県が画像から測定しているとの話がある。
その測定では、ゴミもカウントするとのことであるが、多くのゴミが流れてくる時は、数値修正する作業をすれば、それなりの精度をもった遡上量の測定ができるのではないかなあ。
そして、魚道の落ち込みの段差が大きくなり遡上阻害率が増加したら、段差を小さくしたり、電灯が魚道に設置されているのかどうかわからないが、遡上をする気にさせる改善をするべきではないかなあ。
塩郷堰堤上流の河原では、砂利をとっているようであるが、河原にいっぱいある砂利をとればよいのに、流れの中をいじくっている。それが昨日の濁りの原因でしょう。
その上流でも至るところに、重機が入っている。
そんなことをしないで、排砂をしながら、ダム放流を大量に行い、ダムの貯水率を大きく下げ、その後放流を短期間で止めて、上水放流をすれば、いつまでも濁り水を流さないようにもできるのではないかなあ。河原の砂利も、水の中の砂利も減るのではないかなあ。
井川ダムが排砂機能がなく、有効貯水量の50%以上も堆砂が進んでいるとの話があるが、長島ダムがなかった頃、井川ダムが、流れの中の砂利が堆積しないようにしていたということかなあ。
大井川鉄道の青部と崎平の鉄橋下流。
橋は、「駿遠橋」のように、橋の両岸の地名からつけているとのこと。そうすると、鉄橋の名称も想像できるとは思えど、忘れた。
テク2は、500メートル以上下流の左岸岩盤に流れが当たる付近へ。オラは目の前のチャラ、ザラ瀬へ。
そこは、長島ダムができる前の水の中のように、石がつまり、石の間の砂利が少なく、大きい石も転がっている場所。
しかし、釣れませんなあ。
数個の石で出来た棚へ。そのような場所は狩野川でもあゆみちゃんをだっこできていたありがたあい場所。
囮が急に動いた。養殖君が逃げるはずはなし。エビかなあ、と引き寄せると、逆バリが外れていた。また、その棚に囮を入れたが、反応なし。
釣り下がっていくと、勾配がゆるくやかになり、現在の大井川同様、石の間に砂利が多い。
乙女が釣れた。ありがたあいなあ。これで今日のボウズはなくなった。前回同様、箱入り娘にする。テク2に笑われようが、丼が怖い。この場所では、根掛かり放流はないが。ウエーダーでは心配であるが、タイツであるから。
テク2が戻ってきた。
左岸へぶち当たっているところを見て回り、瀬肩しかない、と。すぐに囮捕りができた。それで、ガンガンに入れた。ガンガンでも、石で出来たたるみへ。すぐに囮を上流に引っ張ってすっ飛んでいく。そのまま上流に走られると、ハリが外れる。下らせて取りこんだ。テク2でも取り込みに手こずり、どのように取りこめばよいか、思案していたとのこと。
平成の始め頃、昨日テク2が入った竹やぶのところは、絞り込まれて、勾配のきつい流れになっていたとのこと。掛かり鮎は、瀬落ちからその勾配のきつい流れを囮を背負って、上流にすっ飛んでいったとのことであるが、その時と同じ馬力を堪能した、と。
取り込みに細心の注意を払っていたのに、取りこぼしもあったとのこと。それでも5人の乙女をだっこしていた。
そして、あんよの心配があるから、と、オラが釣ったところで釣る、と。
またもや、オラが釣れなかったところで釣りあげた。2匹も。
まあ、当たり前のことですから、ノミの心臓が痛むこともないが。これが迷人見習いやお百姓様が相手であれば、話は違うが。
テク2が玉引きをしている。おかしいなあ、と思った。その理由は釣れた1匹が半分はたいたオスであるから。
継代人工は、ダム放流で消滅して、遡上鮎しかいないはず、というと、この付近で大会が行われた時に放流された人工成魚である、と。
テク2は、流れの真ん中に立ち、左右のヘチ寄りを釣っていた。そこにナメがあるから、と。
テク2の9匹とオラの2匹の乙女のうち、24歳メス1,23歳メス1、21歳オス1がいた。メスは4匹。
ベストに入っているはずの巻き尺が見つからず、20センチの定規で計測したため、20センチを越える鮎ばかりで計測に手間取り、目立つ鮎だけを計測した。帰ってから巻き尺を探し回ると、ベストの内ポケットのさらに内ポケットに入っていた。
接阻峡温泉へ。
今日もボウズでなかったから、ワンカップだけではなく、麦酒も飲みました。
温泉への道すがら、長島ダムから流れ出している水が青白くババッチイ水。透明度ゼロ。それが、少しは支流から流れ込んでいる水で希釈されているということのよう。長島ダムがなければ、もっと支流から流れ込む水量は多いはずであるが。
接阻峡温泉はぬめぬめぬるぬるの温泉。怒りっぱなしのあんよも少しは機嫌を直してくれたのではないかなあ。
10月21日 狩野川
日曜日には行きたくないが、天気晴朗、暖かい、「放流もの」の東北・日本海側の沖取り海産が、産卵時期に入っているはず。
ということで、混んでいるのは覚悟の上で出かける。
また、10月18日、大仁の水位計で瞬間的に1メートルの増水になったことが「放流もの」にどのような影響が生じているのか、いないのかも知りたい。
狩野川大橋下流の瀬尻に入るつもりが、瀬落ちから人が。その下流には千葉からやってきたやまべ釣りの人たちが。
やむを得ず、コマドリの瀬へと歩いていると、中津川から流れてきたおさんら2人が。2人は、コマドリの瀬肩に入る。
オラも水の中を歩いたが、河床は上がっているのに、水深が深くなり、とても瀬肩や瀬に行けそうもない。トロは、ドロ被りの石しかない。
ということで護岸から瀬尻に囮を入れる。蹴られたが、護岸からの釣りは事故のもと。釣り場がなかったから釣れなかったということにしましょう。
狩野川大橋周辺は混んでいるなあ。割り込めないことはないが、割り込んだとしてもあゆみちゃんがいるとは限らない。真ん中の流れを上流へと歩き、河原で転ぶという情けない状態。
流れの幅が拡がるところで腹掛かりの乙女。これで今年最後のボウズはなくなった。あなうれし。
自動車道へと釣り上がり、午前様にするか、午後も釣るか悩んでいたが、放流ものの多くはすでに産卵行動に入ったと判断して上がる。
護岸上に迷人見習いがいる。
泣き尺を釣りあげた頃の威勢は何処へ。
なにい、ボウズ? オラよりもヘボということですなあ。嵯峨沢に入るも、鮎が少ない、鮎のいる場所が変わった、と、釣れなかった理由はいっぱい。それで、状況を見ながら下ってきて、オラがいるのを見つけたとのこと。
何処も釣れているとは見えない。青木の瀬の左岸側流れのトロも、と。
迷人見習いとは違って、ボウズにならず、アッシー君も釣れたから、ぼくはしあわせだなあ。
前回、師範代が尺鮎を釣り上げたとき、これで大見川は終わり、と話したとのこと。師範代は、生殖腺重量体重比がピークに達していること、馬力が弱くなったこと等から、産卵行動が始まると判断されたのではないかなあ。
ただ、「トラックで運ばれてきた」放流ものは、遡上鮎のような下りをしないで、放流地点付近のチャラ、ザラ瀬で産卵する。そうすると、どの付近が産卵場所になるのかなあ。
また、18日の増水は、遡上鮎には中落ちの契機となるが、「放流もの」の海産にはどのような行動を誘発するのかなあ。
迷人見習いに「大差」をつけて今年のシーズンを終えることにしましょう。
大井川は、1ヵ月以上のダム放流による濁りで生じた飢饉の時、支流、沢筋に入った遡上鮎が、そろそろ塩郷堰堤下流に下ってくるはず。その下りの鮎は毎年同じようなところを食堂にするとのこと。ということは、これからが、大井川の大鮎のシーズンとはなるが、囮を用意してもらえるかどうか、これが問題だ。
あんよもくたびれたといっているから、アッシー君が出てこないと、今年の大井川はないでしょう。
川那部先生に、狩野川の2011年、12年の尺鮎、泣き尺が「放流もの」であること、そして、その氏素性は、東北・日本海側の沖取り海産の可能性が高いことを報告し、「故松沢さんの思い出:補記6」を始めましょう。
天野礼子さんが、宮地伝三郎他編「山女魚百態」(筑摩書房)に、「『男女釣行機会平等法』実施中」を書かれている。
オラは、礼子ちゃんが長良川河口堰反対運動にも参加されていたから、おっかないウーマンリブと思っていた。
しかし、間違っていました。かわいい、かわいい、ねえちゃんです。当然「オス」の血が騒ぎます。
ということで、礼子ちゃんの紹介もするつもりです。
丼大王の打率:10月21日、22日 | |||||||
片岡さん、嬉しいお知らせ。 日曜日に山さんと狩野川の神島に入った。大宮人もいたよ。 8時で釣り人20人ほど、 空いている場所は橋の下の流れが一番強い所だけ、自分的にはラッキー、 ビールを一本飲んで開始、自分が上の釣り人と話しているうちに山さんに1匹。 まだ川に立って5分も経ってない。山さんはそこから苦戦、 俺もさっそく開始、俺にも直ぐに1匹、その囮で入れがかり入れ外れ、 あっという間に5打数1安打、その後も根がかり、そして鼻カン周りに0.8の糸からダブり 最終は13打数5安打、4割を切って本当に悲しい。 月曜日、会社へ行くつもりで支度したが、狩野川の橋下の瀬へ再挑戦 前日と同じ状態、始めて10分で27センチ1本、根がかりで2本の仕掛けを失くす。 仕掛けをナイロン0.6号にして使用済の囮をつかうが錘を付けても流れに入らない。 橋のピーヤのとこで囮とり。去年最後に橋げたに竿をぶつけ竿を折ったが。 それで、橋の下はやりたくないが背に腹はかえられない、なんとそこで7匹確保、 そしてまた下の瀬へ、相変わらず外れる。チラシの1.5号の糸を切って行くやつもいた。 今日も5割がやっとこの11匹、メス4匹、オス7匹(前日は2対3) 25〜26センチ7匹、18〜23センチ4匹、だいぶ落ちてきた。 尺鮎に挑戦シリーズもそろそろ終わりかな。あと何回いくかな? |
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丼大王でも、バレが多発しているとは、あなうれしや。 全国大会で2位の人が、決勝戦?で何種類もハリを変えたということであるが、ハリの問題で解決するのかなあ。 蹴られ、水中バレは当たり前、とは、何が変わったのかなあ。相模、大井でも同じ。 気になること=雌よりも雄が多くない? もちろん東北・日本海側のアユであるから、10月は本来は下りの季節。にもかかわらず、まだ強い瀬にオスがいるとは。メスは何処にいるのでしょう。 オラが釣るような流れの弱いところでないところでオスが多い、とは、なんでかなあ。 遡上アユが下りに入る11月は、強い瀬ではメスが、いや、2本電線付近の平瀬でもメスが多かったと思うが。 石コロガシの瀬が温和しくなり、オラでも囮をいれることができるようになったときでも、メスが多かったのではないかなあ。 石コロガシの瀬尻ではオスが多かったのではないかなあ。 狩野川大橋のところの瀬は、21日は混んでいたが、釣れている人はいたのかなあ。左岸側から立ち込んで、右岸側の瀬の芯を釣っている人もいたが、その人が最後まで残った人ではないのかなあ。 そのような状況でも11匹も乙女をだっこするとはなあ。 少しは貧乏人に御報謝を。 竿をいっぱい折って、釣具屋さんが倒産しないように、ご協力をしてあげてください。 そして、川に入る人は飲酒検査をする、と漁業規則が変更になりますよ。 相模川の遡上量が回復するのに3,4年かかることから、多くの場合は4年かかることから、来年の狩野川も放流ものが主役ではないかなあ。 |
10月25日の丼大王 | |||||||
片岡様お疲れさまです まだまだ鮎つりする大王です。 今日も狩野川の神島へ。 いきなりダブり、金属の0.125号の上の編みつけからいっちゃった。 もう金属は0.05号と0.06号これしかない、釣り具屋に行っていない、 ナイロン0.6号でいく。でも囮が変わらず動きまわる。 また橋のピーヤの所で粘るしかない。 1時間後にオスの24センチ、それを持って橋下の瀬へ、結論は今日は橋下の瀬はゼロ その下の瀬のひらきは竿半分無い感じで釣り人が並び、そおドブ釣りて雰囲気でそして誰かが掛けている。 俺は全然だめ、昼チョイ前にまたピーヤへ、タイミングが良かった、 5本連チャン、そして27センチ上のメスを囮に、すぐにきた、でかい、昼飯の皆が注目、 寄らない、10秒は耐えたが糸がひらひら、みんな嬉しそう、そうだよネ10分で5連ちゃん 、そして次がデカイを釣られたら許せないて雰囲気。 俺も昼ビールと仕掛けを作りなおし。 午後はやはり橋下の瀬へ、やっぱり駄目だ。 下のひらきに割り込む、そこで5匹釣って14時だ、 最後の魚は真っ黒で、もう可哀そう、放流して今日の釣りは終わりにする。 結局9匹、29センチのオス、28センチのメス2匹、後は24〜26センチ3匹、 18〜23センチ3匹 メス3、オス6でした。 また写真付けるね |
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故松沢さんが、きれいなアユが持ち込まれて、顔つき、容姿から見て、遡上アユかと。 しかし、背鰭をもつと、帆掛け船。それで人工と判断されたことがあった。 丼大王が釣ったアユの写真は、背鰭の頭側が長く、尻尾側が短い。東北・日本海側の沖取り海産は放流されても、遡上アユと同様、背鰭の形状は、遡上アユと同じということでしょう。 丼大王の名に恥じない今日も見事な丼ぶりであるが、わからないことがある。 @ オスの比率が高いと思うが、メスは何処にいるのか。今日は、メスの比率が適正ではないかと思うが。 ただ、オスは、メスよりも早く産卵場に行っているとすれば、もっとメスの比率が高くなるのではないかなあ。 トラックで運ばれてきたアユは、海産畜養でも放流地点付近のチャラ、ザラ瀬で産卵するとのことであるから、遡上アユと違って、産卵場のオスも、昼間はその近くの瀬に舞い戻ってくるのかなあ。 A メスは25センチくらいしか大きくならないと思っていた。泣き尺や、尺アユはオスではないかと。 27センチのメスは例外かなあ。それとも、メスでも尺アユや泣き尺の大きさに育つのかなあ。11月23日まで川に浸かっていた丼大王には、「放流もの」が消える日まで、丼をしてもらいたいですよお。 東北・日本海側の海産が狩野川に放流されたら、故郷と違う生活誌を送るのか、それとも同じ生活誌を送るのか。 1990年頃、狩野川のアユが砂鉄川に放流されたときは、しばれる中でも美白のアユが釣れていたが。 それと同じか、異なるのか。どうも、産卵時期が少し遅れているのでは、と感じているが。その小さな「時期」の違いが、「水温」の作用ということかなあ。 B なんで、神島橋、あるいは、石コロガシの瀬が鵜の群れの食堂になるほど、「放流もの」の密度が濃いのかなあ。 「遡上性がある」ということで、大量放流地点になったからかなあ。神島橋が大量放流地点に選択されるとは考えにくいが。釣り人が少なかったから丼大王を楽しませるほど残っているのかなあ。 故松沢さんは、2011年、2012年の東北・日本海側の沖取り海産が放流されたことによって生じている現象をどのように話されるかなあ。 「アユに聞いたことはないが」の枕詞の後にどのような話をされるのかなあ。 なんで、故松沢さんは、携帯をもたなかったのかなあ。熱海の人からも持て、とせめられていたのに。使い方まで説明されていたのに。 まあ、オラももってないから、でかいことはいえませんが。 |
10月26日 お仕事の丼大王 | ||||||
今日は会社、山さんの一言、会社に来たじゃ 金曜日は会議の日、何もしないおじさんも出勤します。 今日、家の近くの仲間が神島に行った、3日連続で水曜4匹、木曜4匹、今日8匹だって。 さっき聞きにいってきた、本人は最高だよて、 朝1番で奥さんを順天堂病院に送り、自分は朝7時から奥さんの帰りまでの鮎釣り。 今日はトラブル無し、水中糸ナイロンの0.8、鼻かんハリス1.2号、ハリス1.5号 自信持ってやった。前日、前々日はトラブル続き、やっぱり仕掛けだな もう74歳だけど元気だよ、ほとんど26〜27センチだ。 俺も行きたかった。 今度の日曜日は雨、この季節の雨はきついし無理だろう。 うんと降らないことを祈る、水が出ないことを、 暮れに焼く鮎は少ないけど冷凍庫は子サバの群って感じ、 焼く時は爽快だろうね、 まだまだ行くよ 明日は会社にいきます。 お休みなさい。鮎はいいよ。 |
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丼大王がお仕事をすれば、幸せになる人が出てきます。 ご近所さんは鬼の居ぬ間の「釣り」、幸せになって当然でしょう。 単に、仕掛けの話だけでないかも。 74歳か、うらやましいなあ。大鮎の馬力に負けんとはなあ。 ところで、大鮎は、焼きアユよりは、煮浸しの方が、火の通りがよいのでは。 大井川で釣れたアユをテク2から貰って、久しぶりに煮浸しにした。辻さんの作りかたではあるが、ショウガを敷きつめるのは大変であるから、昆布を敷いたが。それに、ケイ藻が優占種の大井川の鮎は、「生臭さ」がないから、匂いを気にすることもなし。 これまで、狩野川だけが、大雨の圏外か、降っても静岡の他の川よりは影響が少なかったが、今度はどうなるのでしょうかねえ。 丼大王でも雨の中の釣りは敬遠する年になったということかなあ。 丼大王とは違い、0,1のデジタルの世界のオラには、電車通勤をする気力なし。アッシー君がいれば話は別であるが。 なんで、神島橋が順調なんかなあ。 人が入っていなかったから? 東北・日本海側の沖捕り海産の放流であるから、遡上性がある、ということで、大量放流をした? 漁協が放流情報を流してくれたら、少しは考える素材になるのになあ。 |
11月1日の丼大王 | ||||||
片岡様お疲れさまです。xx大王です。 今日も狩野川の神島へ行ってきました。 結果は19匹、山さんは15,16匹だと思います。 白い魚は8匹、残りは大分叩いています。 今年初めて『ひもの』を作りました。 ついでに、白子、卵、肝臓で塩辛を作りました。日本酒が待ってます。 今日の開始もテトラ前の強瀬、養魚にセバリを打ち、鉛1号を付け、沈めて瞬間もう掛りました。 28センチのまんまるなメスです。225グラムありました。 さすがにこいつは囮として使えない。 次の養魚で根掛り、金属の上から切れる。この時は金属の0.125号、 金属0.2号に張りかえる、0.2号て強いネ、この後の根掛りでも2回ともハリスから切れてくれてラインは助かった。 でも囮なし、実はその間に山さんが、5、6匹を釣っていた。 囮を拝借、いつもは14時前には上がるが15時までねばった。 釣果は変わらなかったけどネ 今日は結構の西風が吹いた、近所さんと話してて魚が落ちるなって、 ちなみに近所さんは山さんの上でメスばかりだって言ってた、今日で3連投そして明日も行くて、 釣りをしていて金属にビンビンて魚があたる、かなり落ちてる、 テトラの前の瀬の真ん中で掛る魚は小さくて黒いオス、下の開きでは綺麗なメスが混じる。 この魚が後何日持つかな、いま外ではビュンビュン西風が吹いてる。 また写真を送るね 富士山は29日の朝会社から、ついでだけど、これを見ると今年の鮎は終わりかなて感じ。 |
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ますます今年の狩野川の「放流もの」の習性がわかりませえん。 西風が吹き荒れる頃=木枯らし一番が吹き荒れる頃から、アユがそわそわし始める、と、故松沢さんが話されていたのは、狩野川の遡上アユのこと。 そして、この現象は、仁淀川の弥太さんが話されていることと同じ。 東北・日本海側の沖捕り海産か、F1か、わからないが、なんでまだ瀬にいるのかなあ。性成熟はピークに達していて、生殖腺体重比はピークのはず。 にもかかわらず、いまだに瀬が、多くの「放流もの」にとっての生活圏とは。 ご近所さんが釣っていたところは、丼大王が釣っているところとは違い、強い瀬でないのでは? もちろん、遡上アユが下りに入る11月、メスは強い瀬も、オラが釣る平瀬、瀬尻でも釣れていた。 問題は、オス。半分叩いたようなオスが、なんで、瀬の強いところ、丼大王が大好きなところにもいるのかなあ。 遡上アユであれば、性成熟がピークに達していたオスは、瀬落ち、平瀬、瀬尻、トロにいたと思うが。そして、11月1日頃の少し前からは下りに入るから、相対的に、強い瀬ではメスの比率が高くなるが。 そして、半分叩いた鮎は、瀬尻等の流れの緩いところにいたと思うが。もちろん、その氏素性は、「下り」の行動をせずに、産卵する「トラックで運ばれてきたアユ=継代人工」であるが。 「トラックで運ばれてきた」東北・日本海側の稚アユの成長した親鮎・オスは、叩いても瀬に戻ってくるのかなあ。故松沢さんは、この現象を見て、「鮎に聞いたことはないからわからないが」の枕詞のあとにどのような話をされるのかなあ。 釣り雑誌に、四万十川でも尺上、尺アユが相当量釣れていたとの記事が。 四万十川の大鮎は、狩野川の「放流もの」とは違い、瀬ではなく、トロのようなところで釣れていたと書かれていたと思うが。 ということは、東北・日本海側の稚鮎を畜養したものか、あるいは親にしたF1とかF2の人工種苗ではないのかなあ。 今後、東北・日本海側の稚鮎が放流ものの主役になるか、それを親としたF1、継代人工が増えるのではないかなあ。 その結果がどのようなことになるのかなあ。「湖産」の大量放流は、湖産の仔稚魚も、交雑種も、浸透圧調整機能不全で、海では生活できず、再生産がされず、在来の海産鮎への影響は生じなかったが。 |
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11月4日の丼大王 | |||||||
片岡さん、今日は、まだまだ鮎釣りです。 11月4日(日曜)、狩野川の神島橋の下の瀬、朝、8時〜14時まで、結果は俺が7匹、山さんは20匹くらい、ご近所さん5匹。 ご近所さんは11月1日(木曜)に大きいの5匹を検量してびっくり1100グラム、1匹平均220だよ、 俺も最後は7匹だけど、根がかりで3匹、鼻かんハリスからのダブリで1匹、まだでかいのがいる、28センチの良いメスを囮にかなりの大物きた、なかなか寄らない、あと1メートルてとこでプチン、 掛り鮎も、さんざん竿に寄せられたものが無くなり、なんだて感じで消えていく、 そして仕掛けをまた作る。 それから7,8人のグループで長岡ナンバーの車で新潟から来た連中がいて少し話しをした。 お昼の検量で28,29センチてとこかな、 山さんの中に、まん丸のでかいメスが混じっていた、手が回らず指が足らない。大げさかも知れないけど、ペットボトルを握った感覚、 全体的にまだ半分は白い綺麗な鮎がいるてことで、ご近所さんも含め今週もう1回神島へ行きます。 今回は写真なし |
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まあ、丼大王の名に恥じない丼、ではなく、鼻環ハリスからのダブりですか。それも「丼」ですよねえ。 せっかく、水中糸を0.2号の金属にしても、全体のバランスがとれていないということかなあ。 4日は、名人見習いが、神島橋に入ったかも。去年も納竿会の時、神島橋に入ったそれほどのウデでない人が1位になっていたとのこと。 四万十川でも34センチ、尺アユが多発しているようであるが、狩野川とは釣れている場所が違うよう。ということで、四万十川の大鮎は、海産畜養か、F1と想像しているが。 おらも虎視眈々と、狩野川行きを狙ってはいたんですよねえ。 しかし、この時期、風がどうなるか、それが問題。故松沢さんには、西風:木枯らし一番は3,4日吹き荒れると、婆さんが言っていた、と。怒られたことも。「婆さん」とはお母さんのことではないかなあ。 ということで、慎重になっていたことと、青木の瀬から神島橋までは遠いからなあ。 故松沢さんは、神島橋架け替えの時、下りのアユが、神島橋で水を流すために設置されていたヒューム管にビックリして、城山下を通り越して、修善寺大橋?狩野川大橋?まですっ飛んでいったという話をされていたのではないかなあ。 その架け替え工事の時、ヒューム管上流で、アユがたまり、大釣りをする人もいるとのことで、昭和の代には石ころごろごろの河原が、土砂で車でも通れるようになり、故松沢さんが「高速道路」と話されていたところを歩いて、神島橋上流までいったが、オラにはご利益はなかったなあ。 さて、神島橋になんで、丼大王が夢中になり、山ちゃんが、20匹も釣るのかなあ。 平成の始めまでの遡上アユが満ちていた11月、山ちゃんが20匹も釣ったと、故松沢さんが話されていたことはないと思うが。 だいたい、オラと山ちゃんの間には大差はついていなかったと思っているが…。 狩野川の大鮎の氏素性は、東北・日本海側の沖捕り海産と想像しているが、「下り」にどのような習性があるのかなあ。 「トラックで運ばれてきた」放流アユよりも長い距離を下って、産卵場に適する場所を捜すのかなあ。 |
11月8日 丼大王の最後かな | |||||||
11月8日(木曜)今日が今年最後の鮎釣りです(泣き1があるかも) 狩野川の神島橋の下の瀬と思ったが橋の上流の葦のきわのチャラで囮を獲ってから下流へ、 囮を放して1分で掛かった、しかし抜けない、くるぶしくらいの浅瀬を掛鮎が右へ左へ。 結局外れた。背がかりだったがはずれた、釣り針を8号のチラシから7号の3本錨へ すぐにきた、また背掛りそしてでかそう。やっと抜けた。実はこれが本日最長29.5センチ、少し叩いている、これを囮にするが泳がない、そして葦に囮が掛りはずしに行きその場所はあきらめる。 次に橋も真下へ、囮を養魚に替えて橋げたに竿先当てないように注意しながらの葦のきわを狙い、 またすぐにきた、16センチの真っ黒な小僧、この後橋の上流を30分やるが掛からない。 ハミ後はかなりある、時間待ちかな。 いつものテトラ前の強瀬へ、真っ黒小僧に背針と2号の錘でテトラぎりぎりに沈める。 直ぐにきた。俺の下流の山さん、その下の3人には全然こない。 俺は囮を替えまた強瀬の中へ、コレも直ぐにきた、ラッキーて感じの背掛りで、 でもなんか変、背掛りが泳がない(朝1も背掛り、こいつも駄目だった)、囮を前のに戻し強瀬の中へ、 そして良く掛かる。途中にはずれもあるが10時ちょい過ぎまでに7匹、 橋の真下の真っ黒以外全てメス、山さんの所は反応ナシ、その下の人と話したら3本で全部メス、 俺の上は4本中3本メス 10時半過ぎ誰一人として掛からなくなった、鮎は下がったかな、 そして2回の根掛りでやる気なし半日での上がり。 結果7匹、この釣りで今年の鮎釣りは終わりか 11月6日(火曜)の雨で魚が入れ替わった。 魚が汚い感じ、なんか顔に品がない、 そして全ての鮎(小僧は見ていない)下顎側線穴は3対だった とりあえず写真を送るよ |
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またもや、丼大王の1人勝ちですか。山ちゃんの心境はよおくわかる。 写真を見ると、帆掛け船の背鰭の鮎も。どこに放流されたのか、わからないが、継代人工の成魚放流の一部も神島橋に集まって来たのかなあ。 働かない囮の季節、放流モノはもう終わりということかなあ。 遡上鮎であれば、これから下りをし始めて、一宿一飯の食堂でお食事をされるから、丼大王好みの「強瀬」でなくても、23,4センチの乙女が相手にしてくれるのになあ。 雌の比率が増えた、ということは、すでに、「放流モノの雄」は、その界隈の何処かにある産卵場で待機しているということでしょうなあ。 それじゃあ、10月中旬、下旬、雌はどこにたむろしていたのかなあ。「強瀬」ではなく、青木の瀬の真ん中の流れにはいたが。 ただ、すでに「東北・日本海側」の沖捕り海産は子作りに励み、あるいは子作りを終えている、ということかも。 そして、神島橋で丼大王のお相手をしていたのは、継代人工の成魚放流かも。 11月4日、迷人見習いのグループの納竿会。神島橋に入った人で20台も、とのこと。 雲金付近から上流には放流モノの姿が見えなくなったとのこと。 大鮎の氏素性はわからないが、東北・日本海側の沖捕り海産と思っている。 四万十川は、丼大王の大好きな「強瀬」ではないところで、34センチや、尺鮎や、泣き尺が釣れているようであるから、狩野川と異なり、「東北・日本海側」の鮎とはいえ、人間が育てた時間のある海産畜養か、F1ではないかと想像している。 2012年の太平洋側の川に、その2つの東北・日本海側の鮎が放流されたようであるが、沖捕り海産は、継代人工とは異なり、相当の距離を下って、産卵場として適する場所を捜すのかなあ。 東北・日本海側の沖捕り海産の仔稚魚が湖産のように「1代限りの侵略者」となるのか、再生産されるようになるのか、そして、再生産されるようになれば、1代限りの侵略者でなくなれば、どのような影響が生じるのかなあ。 |