相模川 | 中津川 | 狩野川 | |||
3月~5月 | 相模大堰副魚道遡上量調査:1 磯部の堰を遡上出来ず 相模大堰副魚道遡上量調査:2 |
3月1日 3月4日 3月11日 才戸橋まで遡上出来ず |
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6月 | 海産畜養に懸想されたおっさん達 | 1日 2日 妻田の堰上流に溯上アユ? 4日 9日 15日 17日 23日 プチ束釣りの鮎とは 27日 |
丼大王 不景気の松下の瀬のガンガンで、1番上りをだっこ | 6月20日 酒匂川 | |
7月 | 7月2日 7月20日 | 7月4日酒匂川 7月7日酒匂川 7月12日酒匂川 7月17日酒匂川 7月25日、26日大井川 |
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8月 | 19日 | 2日大井川 23日酒匂川 28日、29日大井川 |
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9月 | 9月27日 | 3日 10日 20日 22日 30日 |
8日酒匂川 13日大井川 14日大井川 25日酒匂川 |
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10月 | 2日 6日 8日 9日 11日 |
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11月 | 11月10日 大井川幻想 |
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3月1日 中津川
ヤマメの年券が、アユ等から分離され、当然放流量も多くなっているかも、と。少なくても、去年よりは多い放流量でしょう。
ということで、今年は友舟を持参。
漁協前に入るが、河原側の水深が深くなり、寒い。鯉はいるが、数回ルアーを投げて逃げ出す。
ここは、放流されていないとのこと。
田代は、餌釣りの人でルアーを投げる場所はなし。下流側の瀬のはじまる附近は空いているが。
9時頃であるが、9匹?を釣ったルアーの人は移動したとのこと。餌釣りの人たちで10匹の人はいないのでは。高校生、番茶も出花娘の大きさ。
去年は、だあれも竿を出さず、河原に数人の様子見の人がいただけであったから、それよりも繁盛している。
新平山橋下流に1人。
角田大橋上流は、バスから見た時は数台の車があったが、1人の餌釣りと1人のルアーだけに。
上流が混んでいる、との話があったが。
角田大橋上流と下流のトロには放流されているとのことであるから、釣れ残りは田代よりも多いのかなあ。
いつものように、オラ専用のビアガーデンでビールを。熱燗のほうがありがたいなあ。
「それをいっちゃあ おしまいよ」
はい、寅さんのおっしゃるとおりです。
土手を歩くことが出来、ちょっぴり、川に入ることができ、ルアーを数回投げることが出来ただけでも、そして、ビールを飲むことが出来ただけでも、感謝しないと。
ビールを飲み終わった頃、原下の堰上流、交番から入ったところかなあ、30匹の人が、という話があった。
まだ、固まった状態であるから、放流地点付近のたまり場にあたれば、大漁の人がいるということかも。
3月4日 中津川
角田大橋下流は、2人のフライの人が。暫くして、毛鉤の入ったケースを流したのをきっかけに場所移動。釣り残し率は、高いとはいっても、放流量が少なければ、釣り人が寄ってこないでしょう。
サスペンドであるのに、1メートルは潜るルアーを根掛かり放流。3回転八の字結びを四苦八苦しながら作っているとき、新たにフライの人2人が。ちょっとの間、一緒にヤマメちゃんを誘惑してはいたが、天気予報にも見放されて、寒い。
角田大橋上流には車は見えるが、釣り人が見えない。と思っていたら、瀬肩上流に2人。山女魚が放流地点よりも上流に泳いでいったのかなあ。
20世紀終わり頃のニジマス放流が行われていたある年のこと。オラでも釣れるほどの放流量が行われていたのに、その年は釣れず。
ニジマスは、放流地点から下り、また、狭い流れを好むから、仙台堰上流の左岸取水口や、角田大橋上流の右岸側分流はよき釣り場であったのに、さっぱり。
その年のニジマスは大室山の養魚場からやってきたとの話であったが、放流地点よりも上流に動いていた。
今年放流された山女魚にもそのような習性があるのかなあ。1日の田代では、放流地点付近が釣り場であると思うが。
ビールを飲むこともなく、バスに。
次回はどこを見に行こうかなあ。
雪の残る山道を下り、奥道志の山女魚釣りに精を出していたサボMは、奥道志や、この間沢に行っているのかなあ。まだ、小海線から少しは見えていたと思う相木川に入っていないと思うが。
3月11日 中津川
そして誰もいなくなった。
先週の全国的に休みの日、そして、ビールの似合う暖かい日、愛川橋はフライが2人、田代はフライのカップルが2人で、あたりすらない、と思案をしているところにルアーが2人。3月1日にはそれなりに餌釣りの人が並んでいたのに、だあれもやってこない。
ヤマメの年券が売れないだけでなく、日釣り券の人だけでなく、券を買う必要のない人にも見捨てられたのかなあ。
そんな不景気真っ盛りの田代へ。
友舟だけでなく、タモも持参せず。
オラがルアーを投げているだけ。砂利がいっそう増えて、歩きやすいなあ。
まあ、肩慣らしをしたから、あんよをしたから、良しとするか。
平山橋では、放流すると携帯で知らせなくてもやってくる鵜が一羽。着水することもなく旋回しただけで、飛んでいった。
角田大橋上流も肩慣らしの人すらいない。
平成の代の一桁の頃は、ニジマスをオラでも持ち帰ることの出来るほどの放流量があった。平山橋上流で大会が行われていた頃は、大会区間外に下ってきたニジマスもいて、お持ち帰りには不自由しなかったが。
その頃の放流量とは比較にならないほどのヤマメの放流量ということでしょう。
2017年相模大堰副魚道遡上量調査 その1 単位:万匹
神奈川県内広域水道企業団社家取水管理事務所の遡上量調査資料から
2000 年 |
2001 年 |
2002 年 |
2003 年 |
2004 年 |
2005 年 |
2006 年 |
2007 年 |
2008 年 |
2009 年 |
2010 年 |
|
4月1日 から10日 |
23.2 | 204.9 | 568 | 18.4 | 830.9 | 5.6 | 0.5 | 27.4 | 188 | 20.3 | 19 |
4月11日 から20日 |
9.4 | 40.6 | 895.2 | 264.5 | 113.2 | 0 | 2.5 | 24 | 219 | 54 | 81 |
4月21日 から30日 |
36.6 | 125.3 | 387.1 | 232.3 | 499.2 | 42.2 | 23 | 275 | 229 | 40 | 70 |
4月計 | 69 | 371 | 1,850 | 515 | 1,443 | 48 | 26 | 326 | 636 | 114 | 169 |
5月1日 から10日 |
4.4 | 129 | 112.8 | 32.8 | 56.2 | 0.8 | 9.9 | 68.6 | 70 | 2 | 59 |
5月11日 から20日 |
5.5 | 40.7 | 48.5 | 41.2 | 136.7 | 0.6 | 6.1 | 13.8 | 32 | 7 | 3 |
5月21日 から28日 |
3.7 | 8.6 | 9.7 | 108.8 | 45 | 0 | 0.7 | 3.2 | 36 | 0.4 | 2 |
5月計 | 13.6 | 178.3 | 171 | 182.8 | 237.9 | 1.4 | 16.7 | 85.6 | 138 | 9 | 64 |
合計 | 101 | 550 | 2,199 | 706 | 1681 | 49 | 43 | 412 | 774 | 123 | 233 |
3月20日 ~3月31日 |
16 | 1 | 177 | 80 | 296 | 調査 対象 期間外 |
|||||
遡上初出日 | 23日 | 20日 | 25日 | 29日 | 25日 | 4月 4日 |
4月 3日 |
||||
初出日 最高水温 |
ー | 12度 | 11度 | 12度 | 12度 | 15度 | 13度 |
2011 年 |
2012 年 |
2013 年 |
2014年 | 2015 年 |
2016 年 |
2017 年 |
2018 年 |
2019 年 |
2020 年 |
2021 年 |
|||
4月1日 から10日 |
61 | 18 |
60 | 88 | 32 | 466 | 328 | ||||||
4月11日 から20日 |
271 |
56 |
29 | 170 | 464 | 475 | 432 | ||||||
4月21日 から30日 |
417 |
457 |
63 | 193 |
273 | 213 | |||||||
4月計 | 749 |
531 | 152 | 451 |
769 | 1,154 | 760 | ||||||
5月1日 から10日 |
62 |
31 | 15 | 15 |
125 | 235 | |||||||
5月11日 から20日 |
139 |
20 | 73 | 16 | 165 | 329 | |||||||
5月21日 から28日 |
22 |
4 | 7 | 11 | 12 | 18 | |||||||
5月計 | 223 |
64 | 95 |
80 | 302 | 347 | |||||||
合計 | 972 |
595 | 247 | 531 |
1071 | 1501 | |||||||
3月20日 ~3月31日 |
遡上なし | 遡上 なし |
遡上なし | 4月1日に 7万の遡上があることら3月下旬に遡上の可能性あり |
三月終わりに遡上目撃 | 三月二〇日頃に遡上観察 | |||||||
遡上初出日 | 4月4日 | 4月3日5千 | 4月4日2万 | 4月1日 7万 |
4月1日31万 | 4月1日45万 | 初出4月3日2千、4日120万 | ||||||
初出日 最高水温 |
13度 | 12度 | 16度 | 13度 |
2016年5月20日以降は、5月25日調査終了日までの数字に直してあります。
2017年の4月11日から20日には、4月20日の調査数値が入っていません。
相模大堰副魚道遡上量調査 コメント
1 相模大堰副魚道での遡上開始は、4月3日で、3月終わり頃の溯上は観察されなかったとのこと。
なお、丼大王は、東伊豆の小川の遡上開始が3月17日で、少し遅い、と。
2 これまでと違い、右岸側の副魚道遡上量が、左岸側副魚道よりも多いのは何でかなあ。
右岸側魚道の下流の水量は少ない。とはいえ、魚道を含めて水が流れている。遡上アユは、ヘチ寄りを上るため、支障はない。
寒川の魚道に変化が生じているのかなあ。
左岸側魚道の水量が去年よりも多く、流速が早くなっているが、去年の磯部の堰の魚道のように、稚鮎の遊泳力、持続力よりも勝っているというほどではない。今年の磯部の堰の魚道並の水量、流速ではないのかなあ。
3 気になることは、4月20日の相模大堰付近に鵜も鷺も見えないこと。鵜はときどき鉄砲打ちをしていたが、今年も鉄砲を使って駆除が行われたのかなあ。鷺は、遡上量調査の人が魚道にいるため、避難しているかも。
4 4月19日、磯部の堰の魚道の状況を見に行った。
去年よりも左岸側の流量が減っている。従って、魚道の流速も去年よりは小さくなり、稚鮎の遊泳力、持続量でも溯上可能では。
しかし、昭和橋及び昭和橋下流で流入する八瀬川の塩田桜橋にアユのヒラ打つ姿は見えず。磯部の堰は二つあり、また上流側の堰の魚道上り口が、上流に向いているため、上り口が見つけにくい。
それに相模大堰の魚道で、右岸を遡上する稚鮎が多い事が、左岸側に魚道のあることに影響するのかなあ。
堰と堰の間に鵜は3羽、横断テトラポットに鷺が10羽ほど。
5 磯部の堰の魚道上部の水量は、どのような要因により、変化するのかなあ。
二つの流れに分ける昭和橋下流の中州の形状変化かなあ。左岸側の瀬の水深が深くなり、流量が増えるからかなあ。
6 相武台下から下溝までの一駅しか歩いていないのに疲れた。そのうえ、左岸土手の芝桜見物のババ様に追い抜かれるとは、 みじめ みじめ。
7 3月終わり頃に沖取り海産がとれたとの話があった。そして700万以上の遡上量であるから、今年も沖取り海産の採捕量は豊漁ではないかなあ。
8 オラは、光合成+栄養塩の多寡→植物プランクトン繁殖量→動物プランクトンの繁殖量→稚鮎の生存率に影響
と、思っていたが、川那部先生は、それ以外の要因でも動物プランクトンの生産量に影響を及ぼす→稚鮎の生存率が影響を受けるのでは、と示唆されている。
琵琶湖では、動物プランクトンを食するイサザの冬季現存量が稚鮎の生存率に影響するとのこと。
海では、栄養塩以外に何が影響するのか、一応調べている。まだ、水野先生らの本から見つけられない。とはいえ、「故松沢さんの思い出:補記10」をそろそろ閉め切らないなあ。
相模大堰副魚道で、遡上量調査が始まって以来、初めての遡上量が3年連続1千万前後の水準になってるが、動物プランクトンが、大量の稚鮎の胃袋を満たすことができたのは何でかなあ。
昭和の代の狩野川では当たり前の現象であったとは思うが。
9 中津川は、第二漁協下流の魚道に水が流れていると思うから、才戸橋まで遡上出来るはず。雄物川さんが、その付近のコロガシは優しいから、友を曳いても大丈夫、囮はすぐにとれる、と。一回位、バスを乗り継いでいこうかなあ。
磯部の堰魚道を溯上アユは上っていない。
才戸橋まで溯上アユは上っていない。第二漁協下流の魚道か、それよりも下流で、遡上障害が発生しているのでは。
磯部の堰の上流側魚道の水量、流速は、去年よりもちょっぴり弱くなり、稚鮎の遊泳力、持続力でも遡上出来るかも、と、少しは期待していたが、残念ながら昭和橋に溯上アユの気配なし。
中津川の第二漁協下流の魚道は、去年の二番上り、三番上りは魚道に水が流れて遡上出来たが、一番上りは溯上性向のある時機を逸していて、遡上出来なかったよう。
しかし、毎日二回行われる観光用ダム放流のとき、差し鮎がやってきて、雄物川さんらは大忙しであったとのこと。
雄物川さんは、水量が増えるから、差し鮎がやってきたと考えているが、たまたま観光用ダム放流で水量が増える頃に、差し鮎の時間になるということでしょう。
平成の初め頃までの狩野川は城山下、一本瀬に淵からの差し鮎がやってくると、丼大王は、ビールを飲むことも忘れて、差し鮎「効果」に歓声をあげていたのでは。
流れの幅が狭まり、大石ごろごろの石コロガシの瀬でも出アユが玉引きの方々の竿を絞り込んだことでしょう。オラはその方々の上流の平瀬で、おこぼれを期待していただけであるが。
その差し鮎、出アユで釣れていたのは、居付きの鮎が、攻撃衝動を解発されたためで、出アユ、差し鮎そのものが釣れていたのではないから、大きかったことでしょう。
雄物川さんらはコロガシであるから、居付きも差し鮎もだっこしていたことでしょう。
いや、その上流の長坂の橋上流の友区でも同じように大きい鮎が釣れたとのことであるから、一番上りが出アユ、差し鮎にならざるを得ない現象と、堰による遡上阻害のない狩野川とは異なる現象ということかなあ。
才戸橋上流側の魚道にブロックがおかれて、上段の段差が大きくなった状態が、変化しているから、ひょっとすると、壊れ橋界隈でも、溯上アユが何年ぶりかで釣れるかも、と期待していたが、 ゆめはあ むなしくきえてえ
いったいどこで、どのような遡上阻害が発生しているのかなあ。
去年の12月1日でも、第二漁協対面の雄物川さんらが釣り場にしていた附近には、鷺、カモメの白軍団が乱舞し、瀬の中から黒い首がにょきにょきと10個ほど水面に出現していたのになあ。今年は、そのような情景を見ることはなし。
4月29日、お大人から、「昭和橋は鮎はいますよ厚木側にたくさんの鮎を確認しました。」とメールが来た。
そんな馬鹿な、1時頃に中津川からの帰り、昭和橋から見た時は、アユの気配すらなし。
右岸からホースで放流された稚鮎では。
30日、昭和橋に見に行く。
右岸側流れの二本目のチャラに6センチ位の稚鮎が、100匹か、数十匹見える。お大人が見た時の多くが、上流に移動したのでは。
県産種苗であれば、動くことすら趣味に合わないようであるから、沖取り海産の直放流では。
2015年、オさんが、4月下旬?頃の昭和橋で、おぞましいほどの鵜の大群を見ていた。
磯部の堰を何らかの条件があって、遡上出来たかも、と、剛速球で鵜を退治せん、と、石を持って、昭和橋の右岸側にいったのに、厚かましい鵜の姿はどこにもなし。
9時頃、数十羽の鵜の編隊が、上流に飛んでいく。行き先は大島かなあ。
2015年は、磯部の堰の魚道上流側に堆積していた土砂が撤去されて、魚道に水が流れるようになり、大量遡上が始まった。その溯上アユを鵜は見逃さず、ということでしょう。
5月7日、才戸橋から雄物川さんらの釣り場まで、ところどころで川の中を見たが、アユの気配なし。
昭和橋も同様。
圏央道の橋付近で、三人がちんちん釣りをしていたが、釣れることなし。もし、溯上アユが大量にいれば、入れ掛かりの筈。小学生のねえちゃんでも。
お大人は、セクシーなねえちゃんの目利きはできても、溯上あゆみちゃんの目利きはヘボですなあ。
余命幾ばくもないジジーが、溯上アユを求めて、あっちの川、こっちの川、と、さまよい歩くのはかわいそうでしょう。
徘徊老人のアッシー君になってえ。
丼大王の庭先を流れる東伊豆の小川では、3月17日に溯上が始まったとのこと。
例年よりも5日位遅かったとのこと。
2017年相模大堰副魚道遡上量調査 その2 単位:万匹
神奈川県内広域水道企業団社家取水管理事務所の遡上量調査資料から
2000 年 |
2001 年 |
2002 年 |
2003 年 |
2004 年 |
2005 年 |
2006 年 |
2007 年 |
2008 年 |
2009 年 |
2010 年 |
|
4月1日 から10日 |
23.2 | 204.9 | 568 | 18.4 | 830.9 | 5.6 | 0.5 | 27.4 | 188 | 20.3 | 19 |
4月11日 から20日 |
9.4 | 40.6 | 895.2 | 264.5 | 113.2 | 0 | 2.5 | 24 | 219 | 54 | 81 |
4月21日 から30日 |
36.6 | 125.3 | 387.1 | 232.3 | 499.2 | 42.2 | 23 | 275 | 229 | 40 | 70 |
4月計 | 69 | 371 | 1,850 | 515 | 1,443 | 48 | 26 | 326 | 636 | 114 | 169 |
5月1日 から10日 |
4.4 | 129 | 112.8 | 32.8 | 56.2 | 0.8 | 9.9 | 68.6 | 70 | 2 | 59 |
5月11日 から20日 |
5.5 | 40.7 | 48.5 | 41.2 | 136.7 | 0.6 | 6.1 | 13.8 | 32 | 7 | 3 |
5月21日 から28日 |
3.7 | 8.6 | 9.7 | 108.8 | 45 | 0 | 0.7 | 3.2 | 36 | 0.4 | 2 |
5月計 | 13.6 | 178.3 | 171 | 182.8 | 237.9 | 1.4 | 16.7 | 85.6 | 138 | 9 | 64 |
合計 | 101 | 550 | 2,199 | 706 | 1681 | 49 | 43 | 412 | 774 | 123 | 233 |
3月20日 ~3月31日 |
16 | 1 | 177 | 80 | 296 | 調査 対象 期間外 |
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遡上初出日 | 23日 | 20日 | 25日 | 29日 | 25日 | 4月 4日 |
4月 3日 |
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初出日 最高水温 |
ー | 12度 | 11度 | 12度 | 12度 | 15度 | 13度 |
2011 年 |
2012 年 |
2013 年 |
2014年 | 2015 年 |
2016 年 |
2017 年 |
2018 年 |
2019 年 |
2020 年 |
2021 年 |
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4月1日 から10日 |
61 | 18 |
60 | 88 | 32 | 466 | 328 | ||||||
4月11日 から20日 |
271 |
56 |
29 | 170 | 464 | 475 | 459 | ||||||
4月21日 から30日 |
417 |
457 |
63 | 193 |
273 | 213 | 231 | ||||||
4月計 | 749 |
531 | 152 | 451 |
769 | 1,154 | 1028 | ||||||
5月1日 から10日 |
62 |
31 | 15 | 15 |
125 | 235 | 159 | ||||||
5月11日 から20日 |
139 |
20 | 73 | 16 | 165 | 329 | 191 | ||||||
5月21日 から28日 |
22 |
4 | 7 | 11 | 12 | 18 | |||||||
5月計 | 223 |
64 | 95 |
80 | 302 | 347 | 350 | ||||||
合計 | 972 |
595 | 247 | 531 |
1071 | 1501 | 1378 | ||||||
3月20日 ~3月31日 |
遡上なし | 遡上 なし |
遡上なし | 4月1日に 7万の遡上があることら3月下旬に遡上の可能性あり |
三月終わりに遡上目撃 | 三月二〇日頃に遡上観察 | |||||||
遡上初出日 | 4月4日 | 4月3日5千 | 4月4日2万 | 4月1日 7万 |
4月1日31万 | 4月1日45万 | 初出4月3日2千、4日120万 | ||||||
初出日 最高水温 |
13度 | 12度 | 16度 | 13度 |
5月11日から5月20日の数字は、5月18日までの調査数値です。
磯部の堰の魚道上部の流量は、去年よりも少しは少なくなったかなあ、稚鮎の遊泳力、持続力でも遡上出来るかなあ、と、淡い期待を持っていたが、遡上出来ず。
中津川では、妻田の堰の魚道か、それよりも下流で遡上障害が発生しているようで、去年と異なり、才戸橋までにアユの姿は見えず。
昭和橋の人道橋から、4月29日午後にウジャウジャと稚鮎が居いる、との話があった。そのお大尽が見た少し前の1時頃、才戸橋下流を見ての帰りに昭和橋の人道橋から右岸側を見たが、アユの姿なし。その後に、右岸側からホースで放流されたアユでしょう。
翌朝、見に行くと、100匹ほどの最後の群れがゆっくりと上流に泳いでいった。沖取り海産の直放流の稚鮎は、どの位の距離を上流に泳いでいくのかなあ。
5月20日頃、昭和橋右岸には誇大広告並に表現すれば、稚鮎がウジャウジャいた。これは、放流地点から動くことすら趣味に合わないという、究極のサボリーマンの習性を持っている県産継代人工種苗でしょう。
相も変わらず、左岸側の瀬の流れには、アユの姿なし。溯上アユがいれば、左岸側の瀬でもひらを打つアユが見えるが。
中津川の妻田の堰の状況を見たかったが、魚道ができた10年余り前と異なり、草ぼうぼうで、魚道の見えるところにたどりつけず。ということで、中津川の遡上阻害が、妻田の堰の魚道で発生しているのか、それよりも下流で発生しているのか、確認できず。
沖取り海産の直放流量はどの位行われたのかなあ。県外への販売が多いのかなあ。
酒匂川の栢山の堰の下流側に砂礫が堆積して堰との段差がなくなり、堰が遡上阻害にならない状態になっていた。酒匂川の遡上量はわからないが、松田地区でも溯上アユがいることは確信している。山北まで遡上出来るのかなあ。何処かの川の試し釣りと違い、酒匂川の試し釣りでは、それなりの数が上がっていると思っている。
なお、飯泉の堰で、稚鮎が確認されたのは、4月以降、それもまだ魚道を上る前のこととのこと。ということは、1番上りの数が少ない、2番上り、3番上りが遡上鮎の主役かなあ。それで、「遡上量が多い→食糧不足→小さい」 という話になっているのかなあ。
相模大堰副魚道遡上量調査その1の コメント
1 相模大堰副魚道での遡上開始は、4月3日で、3月終わり頃の溯上は観察されなかったとのこと。
なお、丼大王は、東伊豆の小川の遡上開始が3月17日で、少し遅い、と。
2 これまでと違い、右岸側の副魚道遡上量が、左岸側副魚道よりも多いのは何でかなあ。
右岸側魚道の下流の水量は少ない。とはいえ、魚道を含めて水が流れている。遡上アユは、ヘチ寄りを上るため、支障はない。
寒川の魚道に変化が生じているのかなあ。
左岸側魚道の水量が去年よりも多く、流速が早くなっているが、去年の磯部の堰の魚道のように、稚鮎の遊泳力、持続力よりも勝っているというほどではない。今年の磯部の堰の魚道並の水量、流速ではないのかなあ。
3 気になることは、4月20日の相模大堰付近に鵜も鷺も見えないこと。鵜はときどき鉄砲打ちをしていたが、今年も鉄砲を使って駆除が行われたのかなあ。鷺は、遡上量調査の人が魚道にいるため、避難しているかも。
4 4月19日、磯部の堰の魚道の状況を見に行った。
去年よりも左岸側の流量が減っている。従って、魚道の流速も去年よりは小さくなり、稚鮎の遊泳力、持続量でも溯上可能では。
しかし、昭和橋及び昭和橋下流で流入する八瀬川の塩田桜橋にアユのヒラ打つ姿は見えず。磯部の堰は二つあり、また上流側の堰の魚道上り口が、上流に向いているため、上り口が見つけにくい。
それに相模大堰の魚道で、右岸を遡上する稚鮎が多い事が、左岸側に魚道のあることに影響するのかなあ。
堰と堰の間に鵜は3羽、横断テトラポットに鷺が10羽ほど。
5 磯部の堰の魚道上部の水量は、どのような要因により、変化するのかなあ。
二つの流れに分ける昭和橋下流の中州の形状変化かなあ。左岸側の瀬の水深が深くなり、流量が増えるからかなあ。
6 相武台下から下溝までの一駅しか歩いていないのに疲れた。そのうえ、左岸土手の芝桜見物のババ様に追い抜かれるとは、 みじめ みじめ。
7 3月終わり頃に沖取り海産がとれたとの話があった。そして700万以上の遡上量であるから、今年も沖取り海産の採捕量は豊漁ではないかなあ。
8 オラは、光合成+栄養塩の多寡→植物プランクトン繁殖量→動物プランクトンの繁殖量→稚鮎の生存率に影響
と、思っていたが、川那部先生は、それ以外の要因でも動物プランクトンの生産量に影響を及ぼす→稚鮎の生存率が影響を受けるのでは、と示唆されている。
琵琶湖では、動物プランクトンを食するイサザの冬季現存量が稚鮎の生存率に影響するとのこと。
海では、栄養塩以外に何が影響するのか、一応調べている。まだ、水野先生らの本から見つけられない。とはいえ、「故松沢さんの思い出:補記10」をそろそろ閉め切らないなあ。
相模大堰副魚道で、遡上量調査が始まって以来、初めての遡上量が3年連続1千万前後の水準になってるが、動物プランクトンが、大量の稚鮎の胃袋を満たすことができたのは何でかなあ。
昭和の代の狩野川では当たり前の現象であったとは思うが。
9 中津川は、第二漁協下流の魚道に水が流れていると思うから、才戸橋まで遡上出来るはず。雄物川さんが、その付近のコロガシは優しいから、友を曳いても大丈夫、囮はすぐにとれる、と。一回位、バスを乗り継いでいこうかなあ。
6月1日 中津川
朝方の雨で、竿を担がずに中津川へ。昔では考えられないこと。狩野川に溯上アユがいた頃であれば、合羽を着てのあゆみちゃんとの逢い引きは当たり前、であったのに。
8時頃の高田橋は10人余り。弁天では、瀬肩よりも上流に数人。継代人工を相手にしょうとしていると思うが、弁天は放流地点ではないから、ダム放流がないと、県産種苗はいないのでは。
テク2らは、昭和橋か石切場に放流された沖取り海産の直放流アユを相手に、瀬に入るでしょうが、重役出勤であるから、まだ川にはいないでしょう。
角田大橋下流の瀬で1匹釣れているのが見えた。
仙台堰下流の瀬で釣れているのでは、と思っていたが、2,30分の間に釣れている人は見えず。
八菅に放流された沖取り海産の直放流が、堰まで泳いできて、一杯跳ねていたとのことであるから、溜まっているのでは、と思っているが。
Oさんは、堰下流の大石が数個転がっているところに入っていたが、竿か仕掛けのトラブルで、戻ってきた。大石も一つだけしか見えない。埋まってしまったのかなあ。
堰下流から壊れ橋下流まで、法面の草木がなくなり、法面の勾配も緩くなったから、オラでも水面に降りることができるが。とはいえ、1ヶ月ほど前には草のなかった法面に50センチほどに成長した草も見えるから、草ぼうぼうになる日が近いかも。
4月29日の1時頃、中津川の妻田の堰上流等を見ての帰り、昭和橋人道橋の右岸下流側を見たが、アユの姿なし。その後、お大尽が見て、アユがいっぱいいる、溯上アユと。
翌日の9時頃、あんよの状態を見るため、昭和橋へ。もし溯上アユであれば、2015年にオさんがおぞましいほどの鵜の大群がいた、という状況になっているかも、と、剛速球で鵜を退治せんと、石を持っていった。
右岸側に100匹ほどの稚鮎がいた。その稚鮎もゆっくりと泳いで、人道橋の上流へと上っていった。
お大尽が見た沖取り海産の直放流の残りでしょう。
鵜なんていやしない。いや、2,30羽の鵜が上流に飛んでいった。大島に行ったのかなあ。
左岸側の瀬にはアユの姿なし。溯上アユがいれば、当然、放流地点ではない左岸側にもアユが見える。
5月30日、あんよの状態を見るため、昭和橋へ、
数日前と同様、放流地点である右岸側にはアユが見える。そのアユは、放流地点から動く趣味すら持たない県産種苗でしょう。
溯上アユがいない、と確信したとき、雄物川さんが,妻田の堰上流を見に行く途中。雄物川さんは、アユがいた、と。放流ものではないかなあ。
妻田の堰の魚道を見に行ったが、草ぼうぼうで、魚道にたどりつけず。
10数年前、妻田の堰に魚道ができて数年の間は、魚道を見ることの阻害物はなかったのに。
ということで、妻田の堰の魚道に遡上阻害が発生しているのか、それよりも下流で遡上阻害が発生しているのか、わからない。
オラ専用のビアガーデンで、らっきょうや朝取りの空豆で、ビールを飲める幸せを愉しんでいると、田代では、大漁の人も、と。沖取り海産の直放流の稚鮎は、上流に5キロ以上も泳いでいく能力はあるから、県産種苗ではないかなあ。
明日は,竿を担いでいきましょう。
なお、「トラックで運ばれてきた」アユの子供に異変が生じているかも。
昭和橋上流左岸には湧き水のか所はあるが、その量も減り、また、止水状の面積も小さくなっているから植物プランクトンの繁殖量が少ないはず。したがって、稚鮎の餌となる動物プランクトンも少ないはず。
4月には稚鮎の姿が見えなかったから、下りの行動をしないで産卵した「トラックで運ばれてきた」アユの子供は餓死したと思っていた。
ところが、5月になって、数10匹の群れが。
大きさは3センチほど。普通は、5,6センチの大きさになっているが。
それが5月30日には、100匹ほどの群れと10数匹の群れが四つ。
どこで動物プランクトンを食べることができ、また、生存限界以上の「ぬくい」水の所があるのかなあ。
この異変をどう考えれば良いのかなあ。
びわ湖に外来種の植物プランクトンが大量発生して、在来種の植物プランクトンの繁殖量が減った。そのため、びわ湖の在来種の動物プランクトンが、激減して、2017年春の稚鮎の激減になったとこと。
在来種の動物プランクトンは、外来種の植物プランクトンが大きすぎて食べることができないとのこと。
びわ湖の湖産に、またもや、危機がおとづれたよう。
6月2日 中津川
1日の中津川は、「野口おとり店」のH・Pのように、盛況な人々も。よねさんは30匹台。
まあ、幸せな人々のおこぼれにあずかりましょう。
仙台堰で上流に上ることができない沖取り海産の直放流が、食堂を求めて、出アユのような行動を行い、居付くものもいるかも。ということで、堰と壊れ橋の中間附近へ。
左岸側の方が流れは強いが、根掛かりを外しに行けそうもないから、流れの真ん中付近よりも右岸側でおとなしく釣りましょう。
4匹が釣れた。
1匹は、3センチ位と思っていたが、9センチあった。昭和橋上流左岸に5月下旬頃に突然出現して、5月30日には四つの群れになっていた「稚鮎」と同じ位の大きさに思えたが。
ということは、昭和橋上流左岸に出現した稚鮎の群れも9センチあるということかも。
そうすると、それらの群れは、「トラックで運ばれてきた」アユの子供ではなく、昭和橋下流左岸側に放流された沖取り海産の直放流かも。
当然、鼻環を通すこと能わず。ハリのように細い。
小学生か幼児かと思った大きさも、寸法だけは小学生ということでしょう。とはいえ、体形ができている小学生を含めて,4匹。1匹は、下顎側線孔数が4対左右対称ではなかった。
昼前になったから、ビールですなあ。専用ビアガーデンに戻る途中、堰上流の人は、チビ4匹、と。
もう引きあげても良いが、角田大橋上流も見ておきましょう。
小学生が5匹。その中には中学生がいるかも。しかし、高校生はいない。
海産畜養はどこにいるのかなあ。9センチも長さはあるが、体形は幼児のままの沖取り海産は、コケを食べることができるのかなあ。動物プランクトンが繁殖していいないところにいるから、コケを食べることができなければ、餓死することになるが。その気配はないよう。
1日、相模川に入ったサボMは、16センチから18センチの海産畜養か、継代人工の成魚放流を48匹。
継代人工の成魚放流であれば、大島の専売特許と思っているが。
中津川では、どの程度、海産畜養が釣れているのかなあ。
中津川では、「普通」の大きさの海アユを釣ることは、贅沢ということかなあ。それとも、釣れている場所があるのかなあ。
とはいえ、風が吹かないようにならないと、優男は、相模にも酒匂にも行けませんなあ。
あんよの状態を見るためにも、明日は、弁天を歩いてみましょう。
妻田の堰上流に溯上アユ?
6月1日、雄物川さんは、妻田の堰上流へ。
50匹台とのこと。
少ないなあ、というと、雨が止む頃は放流ものを対象にしていた。しかし、その頃から、ぴょんぴょん跳ねる鮎がやってきたから、溯上アユを対象に変えたとのこと。
ということは、妻田の堰の魚道等から、遡上出来る場合があるということかも。
オラが見た妻田の堰の魚道は、右岸側にあり、10数年前にできてから数年は見ていたが、魚道を流れ落ちた水が、砂礫の堆積で、真っ直ぐに下流に流れず、反転して堰からの落水に合流するようになっていたから、遡上達成率は低下したのでは、と思っていた。
現在はどうなっているのか、見に行くしかない。
雄物川さんは、いつでも囮をやるよ、と。
まあ、慌てて行くこともないので、お天道様がほほえんでいる頃に行きましょう。
お百姓さまあ、お仕事が終わってからでも行けますよ、角田大橋で落ち合っても大丈夫ですよ。橋を渡って、右岸沿いに下っていき、才戸橋を渡り、座架江橋から西に走る道路の長坂の橋上流は友区ですから、友缶を持って来てくれれば、囮を運べますよ。
昨日、針のようなアユを「10センチ」と書いたが、気になって仕方がない。定規の見間違いでは。明日、中津でまた針のような鮎が釣れると思うので、慎重に計測しましょう。
6月4日 中津川
「こあゆつりし」中津川は、どのような状態か、二回目で、目星はつくかも。
というよりも、酒匂川に行きたくても、風が吹き荒れることがあるようで、優男には無理ですなあ。
あんよがだるいから、前回よりも堰と壊れ橋の間とはいえ、壊れ橋に少し近い方へ。
根掛かりを外しに行けた。ありがたや。
しかし、下顎側線孔数が4対左右対称ではない、県産種苗の小学生が1匹だけ。
沖取り海産の直放流は、堰に近い方にいるということかも。
ビールを飲んだ後、角田大橋の上流へ。3匹の小学生ではあるが、県産種苗。沖取り海産の直放流は、上流に泳いでいって、橋に近い界隈にはいないということでしょう。
才戸橋下流で友釣りをした人が、溯上アユはいないとのこと。
雄物川さんは、ぴょこぴょこ跳ねる鮎が姿を見せたから、溯上アユと判断したが、放流ものでも跳ねるから、気にはなっていた。
雄物川さんは、2015年、16年は、ほとんど妻田の堰上流で釣っていたから、溯上アユがいれば、どの程度の数になるか、は、わかっていていても、溯上アユか、トラックで運ばれてきたアユかどうかには、あんまり興味がないよう。
沖取り海産の直放流の稚鮎は、上流に泳いでいく。
放流地点ではない馬渡橋界隈で愉しんでいる方も。
馬渡橋から、深沢尻下流に行くという人が。トンネル横には、大きな石が、瀬があり、海アユの好む環境があったが、現在はどの程度その情景が残っているのかなあ。
その人はどの位、釣れたのかなあ。とはいえ、オラのあんよでは行くこと能わずではあるが。
右岸護岸工事が行われる前、護岸沿いに淵があった。その淵からの差し鮎を対象に、テク1は淵上流の瀬に入ることが多かった。淵がなくなってどの位になるのかなあ。
6月9日 中津川
暖かいなあ。いや、暑いなあ。
仙台堰と壊れ橋の真ん中付近へ。前回よりもちょっぴり堰に近づく。
そして、釣り下る。下流には2人、上流にも2人、されど、上流の人は消えていく。下流の人も1人だけに。
今年初のボウズかなあ、と、ビール時間だけを気にしていると、心優しい小学生が。
よねさんが、ビールを用意しておいてくれた。有難いなあ。鼻環仕掛けを作ってくれて、ビールを用意してくれて。
これで、帰ることは、ヘボの名折れ。
角田大橋上流へ。これまでは橋に近いところで、楽をしていたが、瀬肩の少し下流へ。
よねさんが取り込んでいる姿を見ながら、あんよの練習をしていて、3匹の小学生か中学生。
1匹、高校生か、番茶も出花娘ではという大きさの鮎が跳ねた。角田大橋に最近、海産畜養が放流されたのかなあ。上流側の人も、そのハネを見ていたら、邪魔っ気なオラが消えるように、と思っていたかも。
そのご希望に応えて消える。いや、あんよが疲れたから。腕まで、竿を持つだけであるのに、だるくなる。肩の痛みには注射をして貰えるが、腕のだるさには注射をしてくれないでしょうなあ。これぞ、「加齢の証明」ですなあ。
海産畜養に懸想されたおっさん達
「6月1日 サボM
8:00前~15:30頃まで相模川で48本(16~18㎝主体)
釣れる場所は瀬肩など、とにかく流の速い場所を背バリのベタ竿でやりました。
久々の解禁日の入れ掛かりでした。
この場所に放流は 困難なので下流から上ってきたと思われます。
その上流に入ったサボZたちは、空振りでした。
初期は、流れの早い瀬肩、早瀬をやるのが鉄則だと思ってます。
当たりは、強烈でしたよ!
ハリスが飛ばされたり、針が折れたことが何度かあったので、最終的には7.5号のキープ形の針にしました。
6月3日
サボTと!
今日解禁のサボTに敬意をということで、午前中はデルデル瀬肩を攻めてもらい、当方は、その少し上流をやりました。
午前は、サボT25本、サボM17本
午後は、サボTは、上流の渡場からデルデル瀬肩のさらに下流と広く攻めて13本、サボMはデルデル瀬肩周辺で8本でした。
型は12~19㎝で1/3~1/4位はチビです。
デルデル瀬肩は午前にサボTが根こそぎ釣ったので鮎はもういませんでした(^o^;)
結果をまとめると
7:00~16:00
サボT38本、サボM25本、型バラバラの12~19㎝でした。
デルデル瀬肩は、サボTが徹底的にやって品切れとなりました(^^;)))
以上!」
溯上アユであれば、「品切れ」になることはないでしょう。1番アユが、釣られて、その動静を虎視眈々と狙っていた2番アユ、3番アユが、何時間後に縄張りアユになるのか、釣り返しの効くようになる時間が、故松沢さんや、狩野川から、飛騨川、宮川等に居所を移していた「山下」さんの関心事でした。
昭和橋右岸側、あるいは、左岸側の戦車道付近に放流された沖取り海産の直放流、それに、海産畜養でしょう。
あるいは、3段の滝付近に放流された「海アユ」も混じっているかも。
中津川では、海産畜養が釣れた、という話はあったのかなあ。小アユ釣りしかの川、であるように思うが。
海産畜養は、群れではなく、個人生活をする成長段階になっても、養魚池で群れで生活をしていた習性が、川に入ってもしばらくは続くのかなあ。
そうであるとしても、どのような川の条件,環境のところで、途中下車をするのかなあ。
びわ湖の湖産に異変が生じているが、今年放流される湖産への影響はないと思っていたが、さにあらずかも。氷魚からの畜養アユだけではなく、春に採捕された湖産も放流用アユに使われているかも。
そして、今春の採捕量が、外来の植物プランクトンの大量繁殖で激減したことが,湖産放流に影響を与えているとの話があった。
桂川詣でのくちゃんに,湖産以外のアユが混じっているか、観察して貰いましょう。
「故松沢さんの思い出」:補記10から
「4 故原田先生の危惧が現実化するかも。
2017年の春、びわ湖の稚鮎漁獲量が激減。
イサザとの動物プランクトンをめぐる争いとは異なる激減。
その原因について、A、B説とも、外来の植物プランクトンがびわ湖では大量繁殖して、在来の植物プランクトンの繁殖量が激減したことにある、と。
びわ湖の動物プランクトンは、外来の植物プランクトンが大きすぎて、それを食糧とすることができない。
そのため、動物プランクトンが激減して、稚鮎が、餓死した。当然、イサザにも被害が及んでいるでしょう。
さて、Aは、外来の植物プランクトンは、北米の湖で生息しているもの。その植物プランクトンがどのようにびわ湖にやってきたか、については書かれていない。
Bは、オーストラリアに生息している植物プランクトンが、水鳥に運ばれてびわ湖にやってきた、と。
オーストラリアから、びわ湖に直行する水鳥はいないと思うから、赤道付近の湖、池で途中下車し、そこから、別の水鳥に運ばれて来た、ということになるのかなあ。
それでも、そのような水鳥がいるのかなあ。もし、いるとすれば、何で急に大量繁殖の現象になったのかなあ。
オラは、ブラックバスやブルーギルと同様、あるいは冷水病原菌と同様、人為によるものと妄想しているが。
そして、湖産の人工増殖が、現在以上に大規模に行われるようになるのではないかなあ。その結果、故原田先生の危惧が現実化する可能性があるのでは。
そのような大それた問題は、川那部先生らの薫陶を受けられた方々にお任せして、オラは「生理生態」や、東先生の湖産の二群にされたときの文を何とか探し出すことにしましょう。
ということで、酒匂川では、栢山の堰の下流側に砂礫が堆積して、堰との段差がなくなり、堰の所でも遡上ができるようになったから、松田地区でも溯上アユにお目にかかれるかも。その恩恵にあずかれるように、酒匂川に行きましょう。
大井川も、去年とは違い、溯上アユがいるかも。
6月15日 中津川
せっかく、酒匂川の年券を買ったからには、酒匂へ、とは思ったが、天気予報に黄色い風の矢印が出ていると、行く気が萎える。竿を持っているだけでも、腕がくたびれる年頃ですからねえ。
溯上アユとの出会いが期待できる夢の実現は後にとっておいて、中津川へ。
仙台堰下流には,10羽程の鳶が輪を描いていた。堰上流に放流された病気持ちの人工が流れてきて鳶のごちそうになっていたとのこと。その鳶も姿を消したとのことであるから、病気持ちの人工も たえはてえたあ ということかなあ。
海底の様子を見に行く。
瀬肩が上流に延びて、歩くだけで疲れる。溯上アユが居れば、気に入られる場所になるのになあ。
瀬、瀬落ち附近はそれ程の変化はなし。かっての大石2,3個が作り出す鮎が好む空間を2度と見ることはないなあ。
やさしい小学生でボウズはなし。
もう1匹跳ねたが、ピンポイントに囮を入れる腕はなし。密度が低くても釣り上げる技術を必要とするところから退散。
よねさんが用意してくれたビールを飲んで、瀬肩下の瀬へ。角田大橋に近いところが楽ではあるが、あんよの練習にならないからなあ。
今年はじめて、煙草を濡らす事態にはなったが、6匹の小学生。
小学生のほとんどの下顎側線孔数が4対左右対称ではない。
沖取り海産の直放流が減り、何処かの人工が、瀬を上って来たということのよう。
6月17日 中津川
天気予報では、小田原に黄色い矢印が出ていない。酒匂川にするか、一応悩んだが、遡上量は多くないようであるし、アオノロの出ているところもあるようだし、あんまり魅力たっぷりという状況ではないし…
邪魔くさいなあ、ということで中津川へ。
ジジー症候群、「加齢の証明」ですなあ。
よねさんが、2日で、40匹ほど釣った界隈に入っても釣れないことはわかっているが、釣れない言い訳を考えなくても良いから、楽ですなあ。
それに、仙台堰下流の病気持ちの人工が流れてくるのを食糧としていた10羽程の鳶も消えたとのことであるから、少ない釣り人であれば、寂しいなあ。
ということで、角田大橋上流,瀬肩下流へ。
見た目で、中学生とわかる大きさのアユ、今年一番大きいかも。次は毎度おなじみのぽっちゃん。
少し釣り下がるが、煙草は切れるし、ただ、朝酒は好ましくない、というだけで、ひたすら、チャイムを待つ。
バケツ5杯の成魚放流があった。その成魚は、オラのところまで10㍍足らずを泳いできた。とはいえ、交通事故もなし。
居付きの鮎がいない、少ないから、放流効果による攻撃衝動が解発されて、入れ掛かり、という情景もなし。
ボウズでないから,有難いなあ。
ビールを飲んでいるとき、馬渡橋で、囮に食らいついた泣き尺の岩魚が釣れた、との話が。ダムがなかった頃であれば、田代の球場横のコンクリート護岸になる前であれば、湧き水が出ていたから、避暑地もあったが、現在は、避暑地はあるのかなあ。避暑地のないとき,イワナはどうなるのかなあ。
居合わせた人が、東北の、草むらにマムシのいる川で、バッタを餌にして、岩魚がよく釣れていた、と。
思い出に浸るジジーが増えたということかなあ。囮で、岩魚を釣った人は若者ですが。
6月20日 酒匂川
栢山の堰の下流側に砂礫が堆積して、堰との段差がなくなり、遡上障害は消滅した。
しかし、遡上量が多いのかなあ。
4月始めに飯泉の堰で、溯上アユが目撃されたとの記述はあった。
もし、この頃が、溯上アユの初見であれば、1番上りはいないことになり、2番上り、3番上りだけになるが。
東伊豆の小川では、3月17日に、丼大王が溯上を確認している。これは、例年よりも5日位遅い、と。
同じ相模湾であるから、場所ムラはあるとしても、酒匂川に1番上りがいたのか、どうか、は気になりますねえ。そして、遡上量も。
丼大王は、チビだけでなく、17,8センチの溯上アユを愉しんでいるが。
という、高尚な動機付けではない。楽をしたい、めんどくさいなあ、というジジー症候群に反旗をひるがえすために、年券を買ったのに、未だ酒匂川にやってくることなし。
それに明日から雨で、ダム放流があれば、1,2週間は濁りっぱなし。
新栄倉庫前へ。20世紀末には、その表示が、外壁か屋根にされていたが、消えている。大きな建物が新たに追加されている。
最後にここに来たときは、20世紀末頃の湖産放流全盛時代が終わり、継代人工しかいないときで、トロ風の平瀬で、継代人工が好みそうな流れであった。
それが、チャラに変わっている。上流側はザラ瀬風ではあるが。根掛かりがはずせに行けるから、有難いなあ。
左岸側からは、竿1.5本間隔位で、並んでいる。右岸側から竿を出している人は数人。ザラ瀬もそれなりに入っている。
中高生が跳ね、小学生も負けじと跳ねている。アユがいるから一安心。
まず、小学生が釣れたから、ボウズはなし。次はいつものぽっちゃん。
それで打ち止めかなあ。
いや、そうはならなかった。
ぶっといアオノロよりも軽いのではないかと思う鮎が掛かっていた。
何年ぶりかの吸盤ボウイも。吸盤ボウイ君、おまんも絶滅危惧種の仲間入りか。何が棲みにくくなった原因じゃあ.。
とどのつまりは、釣れている、しかし,取り込めない。針金にびっしりと絡みついたアオノロの中にアユがいる。
当然、昼前ではあるが、ビールの時間ですよ。
とくに美味しい場所はないのではないかなあ。満遍なく釣れているような河相に見えるが。
朝とは違う場所に入るため、見ていると高校生を立て続けに3匹の人が。
とはいえ、それで打ち止めであったかも。
オラは、1時過ぎまで働いたが、ボウズ。女子高生で電車が混む前に、学生が帰る前に、電車に乗らないと、アユバックが邪魔っ気になる。
結果は6匹。
下顎側線孔数は4対左右対称。定規で測ると、中学生が5匹、小学生が1匹。
ということで、溯上アユが主役かも。そして、丼大王が小川で愉しんでいる17,8歳の1番上りは少ないかも。
18日、大会下見で混んでいる弁天の瀬に、石切場でチビを数匹釣ったヒゲダルマ君がいた。美味しい場所が空いている、というが、そこに飛んでいかずにコンロに火をつけ、お食事の準備。
ヒゲダルマ君は、溯上アユがいる、と。当然オラは、磯部の堰の魚道の水量が増え、流速が稚鮎の遊泳力、持続力を上回っているから、溯上アユはいない、と。
学者先生が、堰の魚道を全部見て,遡上阻害があるかどうか、判断したとのことであるが、磯部の堰の魚道をどのように判断したのかなあ。
まあ、学者先生の見たてが適切とは考えられないから、土嚢を置いて、流量を減らす、なんて処方箋は、川那部先生らの一群でないと、期待できないからなあ。
高田橋上流にやってくると、テク3が犬と散歩している。
テク3は、磯部の堰の魚道を遡上していない、弁天に溯上アユはいない、と。
ヒゲダルマ君とテク3の見たての違いは何故生じたのか。
ヒゲダルマ君は、湖産放流全盛時代の終わる頃に釣りを始め、釣り場は、等級の高い、高価な湖産が放流されていた酒匂川の竹藪周辺。
したがって、溯上アユの生活史は経験していない。
テク3は、狩野川通いは日常生活、とはいかないまでも、お休みのたびに通っていた。したがって、溯上アユの生活史を熟知している。
去年、溯上アユがいない,僅少の狩野川に出掛けたのは、オラ位かと思っていたが、テク3も3回様子を見に行っていたとのこと。
流石に、今年は狩野川の年券を買う意欲は生じない。1995年、6年同様、溯上アユがゼロの水準ではないかなあ。
酒匂川で、溯上あゆみちゃんと戯れましょう。
とはいえ、アユバックは重いしなあ。駅の階段の上り下りはきついしなあ。アッシー君を釣りたいなあ。
6月23日 中津川
先日放流された継代人工の成魚が、上流に泳いでいったが、どのあたりまで泳いだかなあ、プールを歩いて、あんよの機能維持をする運動もあるようであるから、海底に行ってみましょう。
先客が上流の瀬から、瀬落ち上流へとやってくる。その人は、高校生をだっこしたが、先日の放流ものか、海産畜養か。
毎度おなじみの小学生が釣れたから、今日もボウズではない。有難いなあ。
次は、高校生。今日は、二匹目のぽっちゃんはないが、ハヤ。おまんも生きづらい川になって大変やなあ。冷水病原菌で、数を減らしたんか、それともそれ以外の何か? 鵜の冬の食糧になっていることは1つの要因であり、また、おまんらが危惧種になったため、鵜はヘラブナを食べている現象もあるが。
まあ、ハヤが、アユにおっぱわれていないということは、アユはいませんなああ。チビはいるかも知れないが。そのチビも釣ったから十分です。2匹になりました。
今日も,20世紀には珍しくなかったお邪魔虫と再会できました。
ビールを飲んでから、ニセアカシアの木があった附近の上流へ。
何と、高校生が釣れた。引きが強く、取り込みにもたもた、後ろの草にアユが引っ掛かった。もたもたと外しに行こうと歩く動作の準備をしていたら、草から外れた。高校生はまた泳ぐ。
何と、下顎側線孔数は、4対左右対称。去年、今年と、小中学生や幼児と戯れていて、高校生の海産畜養とはお初であるから、その馬力に対応できなかったということ。
ビールはいつものように、オラ専用のビアガーデンで。
ショウガをスライスして、味付けをして煮込んだもの等を肴に飲むビールはうまいなあ。
駅の階段を、右足、左足を交互に出した上り下りができず、手すりにつかまらないと大変のババ様に優越感を浸りながら、おしゃべりをしているから尚更ですなあ。
酒匂川の帰り、新松田の駅で、エレベータを利用したことは、黙っていましょう。
「眼をつけた」と、喧嘩をふっかける「追い気」が勝れた「人工鮎」が、再び登場?
秋川や、奥道志川で、プチ束釣りが出ているとのこと。
湖産と雖も、束釣りになることは、まずないと思うが、何でかなあ。
今年の秋川には、平成の一桁代(と思っていたが、間違っているかも)の九段会館で行われた東レアユフォーラムで、野島玉造さんが群馬で凄い鮎が作られた、と、自慢していたアユと同種のアユがほおりこまれて、プチ束釣りの人もいらっしゃるようであるが。
その年?、野島さんが自慢したアユが、吉田川に放流された。
その鮎について、天龍玉三郎さんは、束釣り続発、1週間後にはアユも釣り人もいなくなった、と。
その類いのアユが、また生産されるようになったということかなあ。
その類いの、眼をつけた、といって突っかかってくるアユもどきが奥道志川にも放流されたということかなあ。
もし、そうであれば、縄張り鮎を釣る趣味の丼大王には興味の対象とはならないアユですなあ。
さて、この東レ鮎フォーラムがいつ行われたのか、記憶になし。
多分、長良川河口堰が出来て、長い長い止水域が出来て、七日分の弁当を持った流下仔魚が、弁当を食べ尽くしても、海の動物プランクトンを食べることができなくなって餓死し、岐阜県が長良川の「溯上アユ絶滅危惧種宣言」を数年前に出すこととなった初年頃、狩野川が遡上量ゼロ水準になった頃、湖産に冷水病が発症して死んでいった頃のことではないかと思うが。
そして、この年を最後に東レアユフォーラムが開催されなくなった。
それで、吉田川での「野島さんが素晴らしいアユ」と賞賛されたアユの放流された後のことを書かれた天龍玉三郎さんの記憶はあるから、玉三郎さんのブログを見た。
それは、次のように表現されているが。「2009年」は、玉三郎さんが、バリバスのテスタとして、バリバスのH・Pに書かれた年ではないと思ったが…。
しかし、この推測も外れていた。
「平成14年6月9日」の観察であるから。
ブログ「鮎師 天龍玉三郎」の「釣行記:第10話の中の第9話」 2009年年末に記述
「『 爆釣り 』、 郡上八幡吉田川の青空に、野鮎が乱れ飛んでいる。
平成14年6月9日郡上八幡解禁日の事である。
狭い場所で滅茶苦茶に野鮎が掛った。
『 こんな友釣り見た事ねぇずら・・・。 』
玉三郎は、驚きの余り、開いた口が閉まらなかった。
釣果100匹、150匹当たり前。それも解禁日から一週間続き、そして吉田川に鮎がいなくなった。「放流群馬産」の驚くべき実態である。」
今回プチ束釣りを演出しているアユは、その時の「群馬産」とは、氏素性というか、誕生の経緯を,親を、異にしているかも知れないが、機能というか、習性は同じであると思う。
継代人工ですら、「アユではない」と毛嫌いをしていた亡き師匠や大師匠はなんといわれるかなあ。
「おまんなあ、そんな理想を捨てろ。そうしたら、丼大王よりも多くの鮎が釣れるでえ。瀬の中の丼大王が立ち位置にしている流れにすら、囮を入れる腕もないおまんであっても、川見のでけへんおまんでも、アユがいさえすれば、釣れるありがたあいアユじゃ。」
なんて、ことはおっしゃらないですなあ。
東レアユフォーラムの最後の年がいつであるか、忘却の彼方であるが、このとき、本間さんから八の字結びを作る編み棒方式の道具を貰ったことははっきりと覚えている。
今も持っているが。
ということで、野島さんが、「追い気の凄いアユ」が生産された、と自慢された年がいつの東レアユフォーラムであったのか、解明できず、というか、納得できる兆候を「確信」できず。
なお、玉三郎さんに、引用にかかる了解は得ていません。城山下が鯉釣り場のように変貌していなければ、故松沢さんが、囮小屋を開いていれば、玉三郎さんと出会える機会があり、事後承諾を得ることもできるが…。
6月27日 中津川
久しぶりに,病気持ちの放流ものが堰上流から流れてきて、仙台堰下流で10羽程の鳶が食堂にしていた壊れ橋と堰の間へ。
鳶でさえ、敬遠する堰下流、もちろん、目的は違うが。閑散としていることには変わりなし。
斜面の草をきれいになくしたが、今では多くの場所が、川原への道を探すことが困難なほど、生い茂っている。
草がまだ繁茂しておらず、川へ入りやすいところから、釣り下ることに。壊れ橋に近い附近に1人だけ。
もし、溯上アユが居れば、どんだけ幸せ一杯になることやら。もっとも、その時は、広い空間を独り占めにすることは出来ないが。
蹴られが1回だけ。とどのつまりが、ボウズハゼで、ボウズ。
ひさんのように、流れが良く、一抱えはあるような石も点在している左岸側に囮を入れることをしないから、当然か。
早めにビールタイム。
信州の牧場に育つという草丈が数センチになると、開いてしまうというワラビが肴に。
このワラビは、あく抜きが必要でなく、しかも、通常のワラビよりも軟らかい。
その採集者のババ様に、早くあんよの手術をしろ、と、憎まれ口を叩きながらのビールはうまいなあ。
もう、これで帰っても良いが…。
昼からは角田大橋上流のニセアカシアの木があった附近へ。
よねさんでさえ、釣れていないという話があったから、気は楽ですなあ。
高校生が釣れた。中学生が釣れたところで、バスの時間には少し早いが、大満足で竿を畳む。
ともに、下顎側線孔数が4対左右対称。
丼大王は、東伊豆の小川の1番上りである17,8歳の女子高生を品切れにしたよう。これからどうするのかなあ。
とんでもない状況と思われる松下の瀬に行くことはないと思うが。継代人工が放流されていると思われる松ヶ瀬に行くのかなあ。いや、溯上アユがいないとわかっている松ヶ瀬に、のこのこと出掛けることは余程の事情がないとあり得ないのでは。
海の漁師に専念するのかなあ。堰上流に移植した2番上り、3番上りが大きくなるときを心待ちにして、ビールを飲むのかなあ。
サボMらは、あっちの川、そしてあっちの川、と。トラックで運ばれてきたアユがいる場所を求めて、走り回っているよう。
7月2日 中津川
堰下流から壊れ橋の間のあゆみちゃんの密度が高いとは言えない。運が良ければ釣れるかも。
しかも、やっと入ることができた。壊れ橋下流の右岸土手の草がなくなり、そのあたりに入る空間があると思ってはいたが、草の成長が早く、もう釣り人のための空間はなくなっているかも。
ボウズハゼだけのボウズ。
周りでも釣れている気配なし。おんなじ釣れないなら、楽をした方が。ということで、堰上流の平瀬よりも弱い流れへ。
去りゆく人がいる中、時間つぶしを。
20世紀の終わり頃、那珂川は、溯上アユがわんさかいた。湯殿大橋界隈での大会のときのこと。
囮を沈んだ丸太に囮を持って行かれて、検量場に。故諏合さんが、よう、戻ってきたか、と、にこやかに迎えてくれた。
しかし、舟から10匹のアユが出てくると、最後まで頑張らんと駄目だ、と雷を落とされた。1回戦通過は、故諏合さんの読み通り、込みの12匹。
故諏合さんの教えを守り、終了時間間近まで囮を酷使したが、ボウズのまま。
みんながボウズなら、恥ずかしくない。
「みんな」とは?母標本の1割でも、5割でも、「みんな」と表現しても、まちがっちょる、とおっしゃる方は、まずいないから、便利な表現ですなあ。
今年、綱渡りで持続していたボウズなしは、ボウズハゼとともに去りぬ。
10年ぶりくらいかなあ、Oさん、Mさんらの顔を見るのは。
角田大橋下流の瀬の人は,山女魚が数匹釣れた、と。20センチも。その1匹がアユであったら、1回戦は通過できたのに、と。
3月のヤマメは、角田大橋付近にも放流されたということかなあ。
お日様にこにこ、,ビールに似合うお天道様のお出まし。
帰りの車は、元気溌剌の4歳の子供と同乗。その元気が、空気を介してオラに染み込んでくれたらなあ。
酒匂川の2番上り、3番上りに手を出すことにしましょう。
丼大王のように、間違っても、松下の瀬のガンガンのところで、超不景気の中、1番上りをだっこしょうなんて、思わない。もちろん、分流のアユを相手にしたくなるかも知れないが。
迷人見習いは、今年はじめて狩野川に行っているはず。
竿を持たずに、吊り橋からアユがいるか、どうかを見るだけ、とのことであるが、丼大王の松下の瀬での快挙を餌に、竿と囮を持って行け、とけしかけたが…。
迷人見習いは、酒匂川の大口橋付近を狙っている。堰がなく、砂止めブロックが遡上阻害を起こすこともなく、山北方面にも遡上出来ているということかなあ。
まあ、便乗することにしましょう。
7月4日 酒匂川
今晩からの台風で、ダム放流があると、しばらくは酒匂川に行けない。
アオノロは流れたとはいえ、ヘチの石には根が残っている。アカ付きは良好とはいえないよう。
故松沢さんは、砂礫が増えてきた狩野川で、白川の後のアカ付きが遅い理由を、グラインダーでアカを削りとってしまったから、と。狩野川以上に砂利の多い酒匂川であるから、グラインダー効果が一層発揮されているかも。
新栄倉庫前へ。10時近くにやってきては、ザラ瀬の瀬落ちから順番に埋まっているようで、前回と同じ附近へ。
17歳高校生2匹、,14歳1匹、小学生1匹、これらは、下顎側線孔数は4対左右対称。
中学生の2匹は人工。先日の増水で、流れてきたよう。
そして、ここ毎回、何でか、わからないが、愛されてしまった吸盤ボウイが。
まだ、二時前ではあるが、薄日が差してきた。今日は曇り空と思い、麦わら帽をかぶっていない。熱中症適齢期であるから、帰りましょう。
2番上りが、7月になったことから、高校生になっている者もいることがわかっただけでも収穫です。
川原から駅まで、1キロ余りあるのでは。アユバックを背負って、疲れたから、神社のところでバックを下ろして、煙草を吹かしていると、お婆さんが声をかけてくれた。囮屋さんのお婆さん。今年も、その前も、全国大会に出たことのある息子さんが、店にいたから、お婆さんのあんよが弱ったのかなあ、と思っていたが、さにあらず。
迷人見習いは、スポーツカーで、狩野川を見に行った。
天は二物を与えず。メジナやあゆみちゃんを釣り上げるウデは長けているのに、人間のねえちゃんを釣り上げるウデは、さっぱりですなあ。
スポーツカーの座席に鎮座していたのはおっさん。
スポーツカーの品位をおとしまっせえ。スポーツカーが泣いてまっせえ。
迷人見習いの狩野川見聞
大見川の発電所の堰下には、チビがウジャウジャ。その外にもチビがウジャウジャいるところがあった。
また、きれいに磨かれた石のところもあった、と。
狩野川全体から見れば、部分に過ぎない現象であろうと思っているが。
興津川等、三番上りのアユがいても、一番上りのアユが殆どいない現象と同じということかなあ。駿河湾では、一番上りとなる流下仔魚、稚鮎が、動物プランクトンを食べることのできない海で、生存率が著しく低下したということかなあ。
そして、量としても狩野川は二番上り、三番上りの量が少ない、ということが、部分でしか溯上アユの現象を観察できないということかなあ。
7月7日 酒匂川
狩野川で竿を出しての、溯上状況の調査は迷人見習いにまかせるとして、オラは酒匂川で遊びましょう。
女子高生のストーカーになって、足柄大橋上流に行くか、オラでも根掛かりが外しに行ける新栄倉庫にするか、一応悩んだが、女子高生の魅力に打ち勝って、新栄倉庫へ。
8時過ぎであるから、ザラ瀬の落ち込みから3人目のところに入れた。
いきなり高校生。だっこしたときは番茶も出花娘では、と思ったが、女子高生であった。
もう1匹の女子高生。
その後は、幼児に小学生、それに中学生が1匹だけ。
チビも9時頃には打ち止め。
すべて、下顎側線孔数は、4対左右対称。合計7匹。
上流側の人も下流側の人も、女子高生か番茶も出花娘か、という大きさを釣っていた。対面も。
昼の時合いはなかった。ビールを飲んで上流側の人が、オラに遠慮して囮を入れなかった気になる波立ち附近に囮を入れるが、反応なし。
まだ1時ではあるが、4時間近く働いたから、帰りましょう。
アオノロが流れてくる。糸につくだけなら、我慢できるが、ハリや鼻環にまとわりつくのは困る。ことに小学生を囮にしているときは。
左岸側の方が水温が高いから、アオノロの繁殖量が多い、との話があったが。
数年前、新十文字橋界隈で、よねさんが、右岸側の方が水温が低いことに気がついて、右岸側に囮を入れていたことを思い出した。
丼大王が、松下の瀬のアオノロに四苦八苦し、レンゲの瀬で、アオノロに出くわさないだけで、大喜びとは,よく分かる。
新十文字橋付近は、瀬になっているが、右岸側から竿を出す人もおり、どのような釣りができるのかなあ。十文字橋付近は、平瀬というよりもトロっぽい流れではないかなあ。
溯上アユであるのに、馬力が気にくわないのは、何でかなあ。
迷人見習いと大井川に行った時、糸鳴りがする、とびっくりしていた。
師匠に、同じ溯上アユであるのに、狩野川のアユよりも、大井川のアユの馬力が強いのは,何でかと訊ねた。
師匠は、溯上距離ではないか、と。
酒匂川の高校生の馬力がそれ程でもないように感じるのは、溯上距離だけでなく、流れが弱いからではないかなあ。強い瀬はほとんどない。
迷人見習いが、溯上アユ調査をして、松下の瀬の分流以外でも溯上アユの2番上り、3番上りのいる場所を見つけたとしても、狩野川に行く気になるかなあ。
囮屋さんが、仕入れた囮のほとんどを絞める事態に我慢できるのかなあ。
まあ、狩野川に行く気になるかどうかは、迷人見習いや丼大王の結果を参考として考えましょう。
迷人見習いから、溯上距離と馬力の強さの相関関係がない、異なる現象が、日本海側の小河川で経験した人がいる、と。
昭和の代、、狩野川が大増水のとき、土肥温泉に行った亡き師匠が、家族サービスにもかかわらず、竿を積み込んでいた。
当時は、松崎、那賀川といっていたのではないかなあ。
そこで友を曳いていると、橋の見物人が、もっと右、左、上、下、と五月蠅かったとのこと。
そのアユが狩野川からやってきたアユとは聞いたが。馬力は聞かなかった。
仁科川で、上流か中流で、釣れた鮎よりも、後日、下流で釣れた鮎の方が、馬力があって、びっくりしたことがあった。そのアユが、狩野川から来たアユか、その外の川から来たアユか、どうかはわからない。
ということで、日本海側の小河川のアユが、その川で育った鮎とはいえないこともあるのではないかなあ。
ことに、荒川のアユは、石が大きく、流れも三面川よりも強い瀬があり、馬力の強いアユがいると思っている。
そのアユが、増水で海に出て、水が早く澄む小河川に入ったら、馬力の強いアユとなるのではないかなあ。
そうや、花水川?の東海大学付近の溯上アユを釣ったら。その馬力は1つの現象,事例にはなるよ。
7月12日 酒匂川
天気予報は、黄色い矢印。
困ったなあ、今週は、2日はお医者さんで使わざるを得ないから、雨こんこんが降っていないときにあんよの練習に行くしかないからなあ。
もたもたと悩んでいて、新栄倉庫前に着いたのは、10時過ぎ。テク2やマムシキラーさんたちが、弁天の瀬にやってくるのも10時過ぎであるから、ジジーの出勤時間としては、遅くはないか。
これまでで一番下流側へ。風が吹いているから、どこでも変わりはなし。
とはいえ、糸につくアオノロは前回よりも太くなったなあ。
蹴られたことも、ハリにアオノロが着いたことも、感知できそうもなし。時折、囮を引き寄せてみるしかないなあ。
下顎側線孔数は、4対左右対称の中学生1匹。これで、ボウズはなくなった。
昼のチャイムが鳴った。でっかい面をして上がると、オラの上流側の人が、右岸まであゆみちゃんを求めて往復していた。小さい、と。そして、右岸側の方が水は冷たいが、アオノロが石に着いていることに変わりはない、アオノロが流れてくるが、藪下で釣り場に渡る人がアオノロを流しているのでは、と。
その「昔男」さんは、満さんが、全国大会で1位になったのに、優勝者にされなかったことを知っていた。
そして、満さんが品がない、と、その大会の主催者から非難されたことについて、萬サ翁らは引き抜きをしていたこと、その取り込み方は、アマゴの引き抜きをアユに適応したもの、とも。
故松沢さんは、引き抜きをしないが、竹竿しかつかわないが、掛かった瞬間、手のひらを返すような動作をして、掛かり鮎が上流にすっ飛んでいくように仕向けて、下って来たアユを引き寄せで取り込んでいた。
故諏合さんは、上流に掛かったアユを飛ばし、掛かり鮎が下って来たとき、タモを使わずに、囮鮎を外して舟に入れ、掛かり鮎を外して鼻環を通し、逆バリを打っていた。
そのように、いかに早く取り込むか、それぞれ工夫をしていた。
その大会の主催者,取り巻きの「釣り名人」は、井戸の中の蛙に過ぎないのに、そのことに気がつかず、でっかい顔をしていたという話に共感。
ビールを飲むのも忘れて、満さんと同い年の「昔男」さんと話し込むことになった。
「昔男」さんは、お父さんが持っていた竹竿でアユ釣りを始めた。昭和50年頃のこと。
奥寒狭川で、貧富水水の川に育まれた硅藻を食べて育ったシャネル5番の香りをぷんぷん漂わせる「香」魚を心ゆくまで釣っていたとのこと。
それは、冷水病で終了。
豊川や、寒狭川には、溯上を阻害する堰があるということでしょう。
オラは、寒狭川にもダムができていたと思っていたが、ダムを造るため、岩盤等の分布状況,地質調査をしていたが、民主党が、ダム建設の中止を決めたことで、実現には至らなかったとのこと。
宇蓮川にはダムがあるが。
丼大王が、「たまには鮎釣りも機能で無くファッションです、いいね。」
と、風流人のようなことをおっしゃるから、オラも、「風流人」らしかったこともあったと、自慢しないと。
飯田線の湯谷で降りて、宇蓮川のきれいな水、たっぷりと流れる大石のある川を眺めて、鳳来寺へと山道を歩く。寺の宿坊に泊まる。仏法僧の声を聞くため。昭和30年代後半のこと。
結果は、ねんねしてしまい、仏法僧が鳴いたのかどうか、不明。
丼大王の「風流」も、漆を何度も塗ったタモ。きらびやかなタモ。
まあ、風流という表現が,「誤用」である、と騒ぐひとがいるかも。趣味と実益は兼ね備えてはいるが…。
寄り道をしないで、「昔男」さんのお話へ。
狩野川では、嵯峨沢や月ヶ瀬に通っていたとのこと。月ヶ瀬には、子供が遊べる場所や、大きな淵があったが、その淵はなくなった、と。城山下の淵と同じ運命かなあ。
子供さんたちは、継代人工と海アユとの味の違いがわかるとのこと。
現在は、腸を取り出して食べているが。
とりあえず、ビールを飲んで、釣りを再開。しかし、ヘチの水温が高く、未使用の養殖が死んでいる。
千種川の上郡で、ぬるま湯のような水温でも、養殖君を死なさなかったが、左岸側ヘチの水温が養殖君の生命にかかわるほど高いとは。
まあ、数分、竿を出したが、風が強いからやめましょう。
「昔男」さんと、溯上アユが満ちていた頃、そして、湖産が貧富水水の川で、硅藻を食べて、シャネル5番の香りを振りまいていたことを経験された人に会えただけでも、大満足です。
そして、「追い気の強い」人工鮎が、先祖返りをしたかのように、奥道志川等でプチ束釣り等を演じて、釣り人を集めている年に、「昔男」に逢えたことに感謝しましょう。
なお、丼大王は、小川のウナギをあゆみちゃんで釣って、蒲焼きにして胃袋の中へ。
7月17日 酒匂川
酒匂川に、継代人工の成魚放流が行われたとのことであるが、幸いなことに、新栄倉庫前は、運搬車のホースが,バケツが、 水のところに届かないから、その影響はなし。
2番上り、3番上りだけが対象。
十文字橋を渡ったのは、二昔と何年か前のこと。
湖産放流全盛時代が終わる平成の初め頃、冷水病で湖産が死んだから、とは気がつかず、何処かに湖産が居るはず、と、動きまわっていた頃のこと。
左岸側ヘチ寄りの水温が28度、同じときの右岸側の水温が22度かだったか、24度だったかと書かれた表示があった。
この温度差は適切でしょう。昼の右岸側ヘチ寄りの水温は、22度であった。
28度は、千種川の上郡地区で、経験したことはあったが。いや、関西の川では、それ程珍しい現象ではなかったよう。
その影響か、左岸側の川原に車を停めた人々も右岸側に渡ってくる。左岸側の釣り人は1人だけ。
「昔男」さんが、右岸側もアオノロが流れてくる、と話されたように、糸にアオノロはつく。しかし、左岸側ほどぶっといアオノロではない。
また、「昔男」さんが、波立ちの筋の石の間には、砂がある、と。とはいえ、石裏の砂を巻き上げるほどの流れの強さはないから、気にしなくてもよさそう。
ここんところ、懇ろになっている吸盤ボウイでボウズかなあ、と思っていたが、下顎側線孔数が四対左右対称の中学生が2匹。
11時半頃、ザラ瀬やオラの上下で竿と出していた一団が昼飯を食べに左岸に渡っていった。
1人が転んだ。当然、オラが転んでいたら、バックがなくても大変であるのに、バックを担いでいたのでは、どんな事態になることやら。煙草を濡らすことではすまない。
また、流れの中に狭いながらも溝があることがわかった。
昼のチャイムが鳴っても、まだ、釣っている真面目なオラ。
昼飯を終えた一団が戻ってきた。
ザラ瀬に入っていた人が、7,8匹のアユを盗まれた、と。チビは残してあるが、と。
その人の上流側か、対面の人が盗んだと考えて良かろう。昼ごろには、ザラ瀬は無人になっていた。
数年前、大井川でも、アユ盗人の話があったが、それは、舟や友缶を川に活けて、川から上がった後にアユ盗人が出現したもので、真っ昼間でのアユ盗人ではない。
ビールを飲み、握りをかじりながら、アユ盗人の被害に遭った人の釣りを見ていた。
ザラ瀬の瀬落ち前後、附近に囮を入れている。中高生であるのに、慎重な取り込みをしている。細糸を使っているのかなあ。
その人は、1人だけの宴会が終わって、帰る頃までに数匹を釣っていた。
そのペースから、アユ盗人の目に止まったということでしょう。
ペットボトルを1本しか持って来ていない、氷がとけている、と、釣りを止める理由には事欠かない。
土手を中学生の一団が、走っているが、そのような年頃ではなし。
新十文字橋は、流れが2つに分かれている。その左岸側の流れは無人。右岸側の流れの人は、右岸ヘチを立ち位置にしている。
十文字橋は「石を釣れ」とは真逆の底石の状態。ただ、成魚放流地点であると思うから、それらには良き場所と思われているかも。
7月20日 中津川
先日の雨で、酒匂川は一時的に50センチほどの増水になった。
砂がグラインダーの役目をして、アカ付きが薄いように思えるアカを削ったかも。
アオノロは右岸側では少ないとはいえ、流れて糸につかなくなったとも期待できそうもない。
それに、天気予報では、風は黄色い矢印。
というような、お話しは言い訳で、1キロ余りの距離をバックを背負って歩くことがしんどいということが本音。
残るは中津川。
ヘボ社長のブラック企業であるにもかかわらず、囮君は元気に泳いでくれる。何でかなあ、と思っていたら、下顎側線孔数が4対左右対称。15歳、中学生の海産畜養。
昼には少し早いが、元気な囮君に乾杯。
今日もビールが飲めたことは有難いなあ。
昨日は、聴診器で心臓に雑音がする、ということで、ここ数年、年1回の超音波?の検査を受けている。前年と変わりなし。
検査中はうたた寝。
異変が生じたら、薬かなあ、注射かなあ、手術かなあ。
もう一つ、年1回、うたた寝をする検査がある。
人工股関節の術後二年目検診のとき、去年よりも骨密度が低下している、ということで、週1回と毎朝飲む薬。
3年目検診とき、若者の7,80%まで骨密度は回復している。しかし、薬をやめたら、元に戻る、また、骨密度は、大腿骨附近と椎間板附近が低い、と。
薬や注射で対応できることほど楽なことはない。そして、骨密度はどこでも同じと思っていたが、場所で違いがあるとは。
この検査は、骨密度検査に特化したCT?の下で、20分ほど寝転がっている。やることがないことから、うたた寝。
ビールを飲んだから、少しはあゆみちゃんを軟派しましょう。
一番楽な角田大橋の近くは釣り人がいる。割り込む空間はあるが、午前の少し下流の瀬へ。
掛かった。下流の人は、引き寄せで取り込んでいた。風よ吹くな。
暫し、風はやんでくれた。
15歳、下顎側線孔数4対左右対称。これで、ボウズにならず、1時過ぎのバスに乗れる。海産畜養にしては、力が弱い。川での生活が短いのかなあ。
丼大王の小川では、溯上アユが未だにいるということは、「川のウジ虫」といわれるほど、アユが湧いてくることの現れかも。丼大王ですら、どこに隠れることができるのか、心配されている小川の環境であるが。
隠れることも困難な、3面張りの劣悪な環境であるのに。河床だけが、コンクリートではなく、魚が少しは棲める形状にされてはいるが。
もし、中津川や、相模川の磯部の堰上流に溯上アユが居れば、オラでもボウズになることはないのになあ。
7月25日 大井川
大井川漁協は、所定量の河口産を採補できたとのことであるから、去年より遡上量が多いのでは。
そして、「釣り吉くんの釣行記」には、鍋島で満足されるあゆみちゃんとの逢い引きが報告されている。
気になるのは、笹間渡鉄橋のところの横断ブロックが遡上阻害になっているのかどうか。
去年とは違い、左岸側のブロックが切れたところは河原側に十分な流れの幅ができている。
また、ブロックの間をジグザグに上るとしても、段差が大きいところがあり、溯上が困難では、と思っていたが、段差の小さいところがあるから、溯上ができる。
小田原からこだまに乗るが、立ち呑みビール。小田原・三島間の6枚綴り回数券が1枚あたり千円の頃には、こんなに混んでいなかった。三島に通う女子高生も乗っていた。
三島では降りる人は多いが、乗ってくる人も多い。新富士では降りる人の方が多く、やっと、少し空間ができた。
静岡で、島田止まりに乗るか、浜松行きに乗るか、どのような違いがあったか、記憶にございません。
とはいえ、乗客が多いであろう浜松行きでは、鮎バックが迷惑になるから、島田行きに。
案の定、浜松行きに乗るには、階段を上り、隣のホームへ。まあ、朝っぱらであるから、歩けたが。
今日の大井川鐵道の電車は、昭和33年生まれ。オラが紅顔の美少年であったかも知れない頃に生まれている。
夏休みであるのに空いている。
長島ダムができてからは、見慣れている砂利の川原を眺めている。
神座(かんざ)も大石、玉石がごろごろ、流れの中に敷き詰められていて、下流のラッパ君が丼をした一荷を上流のオラに掛かったこともあったなあ。
神尾の駅のお狸達は、新調され、大きくなっているが、以前の古ぼけたお狸さんがごちゃごちゃ並んでいる方が好みですなあ。
車窓から、釣り人はどこにも見えませんなあ。いや、数人は見えたかなあ。
駿遠橋下流側には、ご近所さんがいつも竿を出していたが、釣れないからなのか、釣りのできない状態になったからか,その姿が見えないなあ。
こんな昔語りをするときは、あゆみちゃんにつっけんどんをされた、ということでしょうなあ。
発電所廃屋へ。鉄橋上流の左岸から右岸への流れのところに2台の車。その1人が、去年会ったのでは、と。記憶にございません。
1人は、廃屋前の流れが、左岸崖にあたる瀬肩付近に入った。
その上流の砂利しかない川の中を横断して、廃屋前へ。
去年と様相が変わっている。
左岸側というか、川原寄りにチャラが。これは去年と同じであるが、少し深くなっているから、白川になったあと、最初にコケがつき、入れ掛かりになるかも。
その沖は、右岸崖に沿う絞り込まれた瀬になっていたが、その瀬の流れの幅が広がっている。オラにとっては有難い流れに。
すでに11時を過ぎている。先程の人は、午後の方が釣れる、と。
フロロ0・5号、とはいえ、2014年に使用したものであるから、経年劣化して乙女では丼になるが、番茶も出花娘には対応できるはず。
ハリは7号。これも接着剤の劣化が気になるが。去年の7号をベストに予備として入れてはいるが…。
来た。強い引き。その場で囮を留めるなんて、優男には無理。
ヘチに寄せる。風様、暫し休んで下さい。オラの祈りが風神様に通じて、抜いた。女子高生か、番茶も出花娘か。
3人の女子高生か、番茶も出花娘をだっこしたが、ばね指、あんよの痛みが出て来た。即効性のある漢方薬を飲んだが、ボデーの心配が。
ここでは、テク3はどのようなポイントの選択、釣り方をするのかなあ。
溯上アユが歓待してくれる大井川であることが分かった。
よたよたと水の中を歩いて、車の行き止まり場所に戻った。ここで動けなくなっても、面倒を見て貰えるでしょう。
お二人さんは、七曲がりに行くとのこと。その時、飴色になった竹籠か、籐籠を背負った人を見て、去年会った人であることを思いだした。
その人は、アユがいないことはわかっているが、発電所廃屋前の瀬を眺めながら、昼飯を食べるだけで満足、と、籠をしょっていった人。
左岸から右岸へと流れ、右岸に沿っている流れへ。
テク2は、発電所廃屋前で、モテモテになった時、まだ時間があるから、この流れに囮を入れたことがあった。
テク2は、波立ちのある筋の右岸側、ヘチとの間にあるかけ上がり,溝に囮を入れていた。
オラがその真似をすれば、根掛かり放流か、川流れになってしまう。
即効性のある漢方薬を飲みながら、女子高生、中学生を6人だっこしたが、もう、ボデーが持たない。
結果は、中学生はなし。16歳から18歳の女子高生。18歳女子高生の体型は、番茶も出花娘なみにできあがっている。溯上あるであるから、当然ですなあ。
七曲がりの状況を知りたいが、行き倒れにならないうちに囮屋さんに戻らないと。川原を歩ければ、少しは時間短縮になるが、もたもたと歩くから、舟のあゆみちゃんが苦しい、と騒ぎ出す。やむを得ず、砂利底のヘチを歩くしかない。
無事。囮屋さんに到着。
これまでであれば、温泉に入って、家山の宿に行くが、1995年からお世話になっている宿が廃業に。隣の宿も営業をしているか、どうかわからない。21世紀のいつ頃かまでは、地名、笹間渡、野守の池に民宿もあったが。
仕方がないから、「ホテル」へ。
亡き長老が気に入っていたハンバーグやさんへ。
ビールは飲めたが、ハンバーグの載った皿を空にするだけで四苦八苦。そして、バネユニが多発。ばね指常習の二本の指は、2回の注射の効果があり、ばね指にならないが、その他の指がばね指初発。即効性のある漢方薬を数袋飲んだ。
ねんねしているとき、足がつった。漢方薬とペットボトルは準備しているから、電灯をつけるだけで収まった。
7月26日 大井川
漢方薬の残りは二袋。それに、天気予報は雨。これでは、鉄橋上流の女子高生のところには行けない。
川根温泉の前で時間をつぶすことにする。
長島ダムがなかった頃、頭大の石がびっしりと詰まり、所々に一抱えある石が転がっていて、それによる流れの変化で、あゆみちゃんがどこで掛かるか、楽しみであった。
しかし、夢のあと。
砂利の中のかっては良き石であった石頭が,辛うじて水中に出ているところへ。
蹴られた。昨日から、蹴られて、逆バリが外れているのに気がつかないことが。
目印で、蹴られた変化を見分けられないのは何でかなあ。眼鏡を替えるしかないのかなあ。蹴られた目印の変化を見分けられないからかなあ。
左岸崖への流れの瀬で、釣れている。
その附近へ。
瀬の右岸側は、広大なチャラ。そのチャラから、数十メートルにわたり、瀬へと流れ込むザラ瀬がある。
チャラも、ザラ瀬も、小学生から女子高生まで跳ねている。
縄張り鮎はいないと思う。群れアユもいない。こんな環境のアユはどのようすれば、攻撃衝動が解発されるのかなあ。
瀬の人は1人は釣れているが、下流側の人は釣れていないのでは。場所の問題かなあ、腕の問題かなあ。
黒い雲が出ていた。
しかし、いつものゴロちゃん雲の真っ黒ではない。
とはいえ、真っ黒な雲に変身するかも。逃げろや逃げろ。
囮屋さんに着く前に雷鳴も、雨も。とはいえ、子供のゴロちゃんで怖くはない。
昼頃、雨が止んだから、笹間渡駅へ。
電車が来るまでに、1時間以上はある。昼飯を食いに行こうかなあ。雨がいつ降るかわからんしなあ。ときどき、土砂降りになるしなあ。
幸い、待合室は禁煙ではない。
子供2人が1等で駆け込んできた。それ程ぬれていない。とおちゃんが2等、大分ぬれている。かあちゃんが3等、びしょ濡れ。
夏の雨であるから、風邪を引くことはないでしょう。
迷人見習いくうん、スポーツカーを出汁にねえちゃんを釣ろうと、無駄な抵抗をしているときではおませんでえ。多分、一番難しい釣り場ではないかと思う川根温泉下流のチャラ、ザラ瀬のあゆみちゃんをたぶらかせることは、ウデの上達に役立つと思いますよ。
石風呂、葛籠では、歩かなくても大丈夫ですよ。
お百姓さまあ、上越の管理釣り場に、走って行くのであれば、太っ腹もスマートになるでしょうが、車で行っているようじゃあ、そして管理釣り場に着いてからも、銀座を歩いているのと変わりのない歩きでは、「太っ腹」三兄弟から、脱出できませんよ。
そうだ、行こう、大井川へ。
8月2日 大井川
アッシー君が釣れた。
葛籠の竹薮へ。前回は竿を出したのは11時過ぎであるが、今回は9時前、そして、無駄な時間を除くと、8時前には竿を出せた。
ヘチの石には、アカ上にうっすらとドロがのっているため、食みあとがくっきりとよく見える。
この薄いドロは、昨日の駿遠橋の水位計で、一時的に50センチの増水になった結果かなあ。
ちっちゃい食み跡、ぶっとい食み跡がある。溯上アユが上っていることは間違いなし。
この食みあとは、今朝の朝食の痕跡かなあ。
先客は下流側に2人だけ。
腹に札束を詰め込んだ太っ腹君は瀬肩付近へ。オラは、その下流へ。
大きめの囮を背負って、上流にかけていく。最初は中高生の方が助かるのになあ。9時過ぎまでに6匹、それからは中学生が根掛かりの痛み、疲れにもめげず、ブラック企業でよく働いてくれた。11時過ぎにやっと囮のお仕事から解放された。
太っ腹君も8匹釣れたあと、ばったりと釣れなくなり、瀬肩上流の鏡を釣り上っていく。右岸側の川原は石、左岸側の川原は砂利。右岸から左岸へと流れが変わるところで、右岸側ヘチに囮を入れて、5匹?。
下流側の2人は、同じ場所で釣っていて、動かない。
数年前、くちゃんが、午前中?に30匹掛けて取り込んだのは15匹という快挙を成し遂げた時には少しは転がっていた大きい石はなくなっている。水深も、オラが安心して、根掛かりを外しに行ける深さになっている。
それでも、あゆみちゃんのたむろする食堂,ケーキ屋があるのかなあ。
ビールを飲みたいが、ちょっぴり涼しい。雨が降っていないから、有難いが。
昭和橋下流を見に行く。瀬が2,3か所できている。数人の釣り人が見える。石風呂がどうなっているのか、見に行かなかった。
昭和橋上流の太っ腹君の記憶にある場所を見に行くと、砂利まみれで、水が流れているだけ。
笹間渡鉄橋上流の車で行けるところへ。
太っ腹君は、5匹とか、7匹とか釣れた。オラはボウズ。
前回、オラでも釣れた左岸側ヘチ寄りでもさっぱり。太っ腹君は、テク2と同様、右岸側の波立ちがあり、石がある,溝、駆け上がりがると確信できるところに囮を入れて、5匹以上。
ということで、久野脇、石風呂、発電所廃屋前、七曲がり以外の場所見は終わりました。
太っ腹君が、あゆみちゃんよりも人間のねえちゃんの方が好みといって、あゆみちゃんを持って帰らないため、オラが総取りをした。
湖産放流全盛時代に、奥寒狭川、あるいは狩野川の月ヶ瀬を釣り場にしていた人が、子供さんが、「本物の鮎」と、継代人工との味の違いを識別できると話されていたが、孫殿に「本物」の鮎の味を経験させないと、オラのように味音痴になりますよ。
さて、総取りをしたアユの釣果は、23匹。数が全然合いませんなあ。太っ腹君は、小学生を逃がした、とのことであるが…。まあ、こんな誤差は毎度のことで。
18歳女子高生は、2匹。
くちゃん、迷人見習い君、お百姓様、次のアッシー君の出番は、あなた方ですよ。太っ腹君よりも多くあゆみちゃんをだっこしないと、名声に泥を塗ることになりますよ。
8月19日 中津川
雨乞いをしたのは誰じゃあ。
お百姓さん? キュウリとの格闘に疲れて、上越の管理釣り場に行くために。
違う?
「秋の作物の準備ができません(T_T)
消費者の皆様にも追々負担をかけるかもしれませんね!」
なんじゃあ、こんな真面目なお百姓様はオラの記憶にはございません。
とおちゃんの目を誤魔化すため、高級車から軽トラにあゆみちゃんのナンパ道具一式を移し替えて、10分、20分後には川の中にいたお百姓さんとおんなじ人?。
雨こんこんが、大井川を濁らせているとはいえ、長島ダムがなかった時は、笹間ダムの水を使っている川口発電所下流は濁っていても、その上流は濁りが収まっていた。
何で、未だに濁りがとれないんじゃあ。
昨日、酒匂川を見に行った。
十文字橋から見る水の色は釣りに支障なし。光合成もできる。
新栄倉庫前の上流側にあったザラ瀬はなくなった。波立ちが以前よりも下流側に長くなった。オラにとっては有難いこと。
左岸側に釣り人が多いのは、川原での駐車場が左岸側にあるからでしょう。そして、まだ、少し増水をしていて、底が見づらいため、右岸側に渡る人がいないからでは。
新十文字橋の2つの流れのうち、流れが少し強い右岸側の流れに囮を入れている人はいない。
アカ付きの問題かなあ。アカ飛びはあったのかなあ。あったとすれば、どの程度かなあ。
いずれにしても、釣りに支障はない川の状況。
ただ、見物しているときに釣れた姿は見えず。
天気予報は相も変わらず、不安定な天気。雨こんこんやゴロちゃんがお出ましになっても、すぐに臍を隠すには、中津川が便利。
よねさんや幸せ男が、壊れ橋や仙台堰下流で、10匹以上釣り上げているから、堰下流に行ったのではありませんよ。あんよの練習ですよ。
5月には重機を入れて、法面から水際まで1本の草もなかったのに、草ボウボウに。
水辺への釣り人道は数カ所しかない。壊れ橋をあきらめて、これまで同様のところへ。
ヘチには、チビの食み跡だけでなく、中高生の食み跡もある。とはいえ、総ナメではないから、数が多いとはいえない。
ヘチのすぐ沖の石の食み跡は一層少ない。
ヘチの食み跡は、増水時の避難場所の食堂かなあ。
アカ飛びはなかったかも。新アカがつくまでもないのかも。
幸せ男が20匹近く釣ったのは、左岸側のヘチ近くではないかなあ。
かっては、大きい石が所々に転がっており、溝もあったから、良き釣り場であった。その頃の残照がまだあるのでは。そこではと中高校生が跳ねているから、瀬が大好きな幸せ男には、良き釣り場でしょう。
囮君は、健気にもブラック企業の社長とわかっているのに、長時間労働に我慢してくれた。
昼まで頑張ろうと思えど、根掛かり。途中まで入ったが、中津川で川流れをしたら、恥ずかしい。竿を畳み、糸をたぐり、最後にひっぱると囮が回収出来た。
古いハリであるから、鉤素が経年劣化していたということでは。
当然、これを奇貨としてビールタイムへ。
何回目のボウズかなあ。
狩野川の遡上量が多く、丼大王らエリ-トの一部だけがあゆみちゃんをだっこできるという状況ではなく、凡人でもあゆみちゃんをだっこできるほどの密度であれば、何の悩みもなく、狩野川に行くのになあ。
8月23日 酒匂川
新栄倉庫上流のザラ瀬が消えたということは、頭大の石がダム放流で転がったということでしょう。
そして、ダム放流が収まった後でも、一時的な雨の増水で、砂利がグラインダーの機能を十分に発揮して、アカをそぎ落としていたことでしょう。
したがって、アカがつき始めて数日しか経過していないと思う。
ヘチ寄りの石表に、アカが十分についている石と、薄い石とがある。波立ちのある中でも、同じようにアカ付きの異なる石があるのではないかなあ。
そんなことよりもオラにとっての大問題は、目に汗が入り、塩で目が痛い。
貧富水水の水であれば、顔を洗うが。
それにもめげずに、囮を入れる。ぽっちゃんが2回。下顎側線孔数が4対左右対称の15,6歳の溯上アユをだっこしたから、ボウズではない。
口掛かりをしたアユのキャッチミス。
そして、刺身にできるのではないかと思える吸盤ボウイ。囮は元気溌剌であるが、オラにふらつくという異常が。11時前であるが上がる。
下流側の人は、小学生から女子高生まで、10匹以上だっこしているよう。ときどき、ぽっちゃんもしていたが。
土手についている階段を上ることも大変。
囮屋さんのおばあちゃんに氷を貰い、クーラーに入れて、ビールを取り出し、以前は囮販売に使っていた小屋で休む。
しかし、ビールが飲めない。ちょびちょびと飲んでいると、95歳?97歳の?のおばあちゃんが心配をして、氷の入った飲み物や、缶コーヒー、そして枕を持って来て、寝るように、と。
ビールがグイグイ飲めないことから、熱中症を疑うに至ったが。
新松田駅から、十文字橋を渡り、囮屋さんまで1キロ余りは歩いたとはいえ、お天道様に照りつけられた時間はそれ程でもないのに、熱中症になるのかなあ。
塩入の飲み物も500CCは飲んだのに。
昼頃、小学生1匹しか釣れず、おばあちゃんの顔を見に来た人が。
去年、やってきたとき、かっては囮販売に使っていた小屋が閉まっていた、と。
今は、10メートルほど離れた家で、囮販売をしていて、小屋はオラのように休む人達が使っている、と,話したら、おばあちゃんの顔を見に行った。
その人は、湖産放流全盛時代は、竹薮やこのあたりを釣り場にしていたとのこと。
そろそろ、大井川に行くことを考えているが、発電所廃屋まで歩けるかなあ。七曲がりへ行けるかなあ。
中津川では、8月19日、沖取り海産の直放流が、あっちこっちで大漁になっていた。何で、急に華やかな宴になったのかなあ。
H・P「野口おとり店」を参照して下さい。
8月28日大井川 29日
あゆは どおこえ いったあ
囮屋さんは、まだアカがついていない、来るな、と。
しかし、ダム放流が収まって数日以上になる。笹間ダムの水を流している川口発電所より下流では、濁り水であっても、その上流は澄んでいる。
その状況が今年は変化しているとの話もあるが、光合成ができる濁度には何日も前からなっているのでは。底水放流ではないでしょうが。
囮屋さんは、オラのために囮を大きな水槽に入れてくれていた。そこではコケが少しは繁殖できているのでは。元気な囮。
囮代はいらないよ、と。それで、オラがあゆみちゃんをだっこしたら囮代を支払う、という、成功報酬にして川へ。
発電所廃屋前の本線横には、チャラがあったから、そこではアカ付き良好、避難場所の食堂になっているのでは、と考えていた。
テク2が、アカ付きの悪いときに、葛籠の右岸側崖を降りたところにある本線の横のチャラに連れて行ってくれたことがあった。
大漁。ただ、あゆみちゃんの動作が敏捷すぎて、水面ににょきにょきと頭を出している石頭に糸を引っ掛けそうになり、オラは長時間の釣りはできなかったが。
その記憶からも、少なくても、チャラが避難場所の食堂になっているはず。
舟にブクを入れて、いつもと違い、川原を歩いたにもかかわらず、最初に川を渡るところに来て、気がついた。
今から、発電所廃屋前に行っても昼ごろになる。
そのうえ、酒匂川でのプチ熱中症の経験が頭をよぎった。単に、水分を補給していても、熱中症か、その系統の状態になることがある、と。酒匂川では、95歳?のお婆さんが面倒を見てくれたが、ここではそのような対応が期待できない。
ということで、太っ腹君が5匹余り?を釣り、その前にオラが行った時は、オラでも波立ちの手前で6匹?をだっこできたところで、我慢することに。
アカ付きは悪い。光合成ができる透明度、濁度になっているのに、酒匂や相模よりもアカ付きが悪いのは何でかなあ。
富栄養水と貧富水水の違いかなあ。囮屋さんは、浮游流下微粒子の影響では、とのことであるが、その量であれば、相模や酒匂の方が何倍も多いと思う。相模では、数日前からやっと、真っ黄色の水が少し薄い色になってきた状況の如し。
ヘチのドロ被りの石にぶっとい食み跡はあれど、そのような石は僅かだけ。
川根温泉下流のチャラが、釣りやすい状況になっていた。アカ付きは悪いとはいえ、囮君を働かせる。
中学生が釣れたから、ボウズではない。本線を釣っていた人が、アカがついていない、と、「村の市」の人に話して帰っていったとのこと。
あんなにいた溯上あゆみちゃんは、どこにいるのかなあ。淵は長島ダムができてから、昭和橋左岸崖のところ、駿遠橋下流左岸前山のところ等、なくなっている。
ホテルに泊まるが、オラには合わない。家山の宿のように、窓を開けると、川の音が、涼しい風が入ってくる方が、冷房の音や冷気よりも好み。長島ダムができて、石が詰まっていた川が砂利の川に変わり、魅力が減ったとき、そして、今回は宿がなくなっていくことに、大井川との付き合い方を変えるしかないか、と、覚悟したが。
29日、5時に起きて、コンビニに氷等を買いに行こうとしたら、道路がぬれている。雨はほとんど降っていないが、竿を出す気力はなくなった。
8時にはお日様にこにこであるが、帰ることに。
囮屋さんで、話し込んでから笹間渡駅へ。
昨日、金谷の駅で、大井川鐵道の切符を買う人が100人ほど。こんなに多くの乗客がいるのは初体験。どんなイベントがあったのかなあ。
半分は、新金谷で降りたから、ジェームス号に乗るのでしょう。半分は、井川まで行くのかなあ。
廃業された森屋旅館さん、長い間、お世話になり、ありがとうございます。
大井川に初めて行ったのは、1995年。狩野川に遡上アユが全然いない年、そして、塩郷堰堤から水が流れるようになって、2、3年後です。
家山の駅員に囮屋さんの場所を聞いて、桜並木へ。大井川には同じ駿河湾であるのに、遡上アユがいました。
駿遠橋へと釣り上がっていき、初めてお母さんと会いました。
長島ダムができてから、川の石はどんどん埋まっていきました。七曲がりで会うことのあった腰の曲がった方、駿遠橋下流側で遡上アユが多いときはいつも竿を出していたご近所さん、それらの人々とも長島ダムができてから数年で出会うことはなくなりました。
21世紀の始まった頃ではないかと思いますが、お父さんが、自転車で家山川付近にできたコンビニに、氷を買いにいってくれました。コンビニがないとき、氷は、食品スーパーが店じまいをする6時半までに買わなければならず、不便でした。しかも、かき氷にする大きさ。
そのコンビニも長続きせず。駿遠橋を渡ったところにサークルKができたときは有難かった。しかも、かわいいねえちゃんがいることも。それも、閉店に。
笹間渡の囮屋さんに、数年前に電話をしたとき、弱々しい声で、囮屋をやめるかも、と。幸い、その後の電話では普通の声に戻っていましたから、大病ではありませんでした。
囮屋さんの小屋は、食事も出しています。そこにたまにいるおばちゃんは、コテージ村の食堂が、現在の位置に変わる前、食事を作っていました。山菜天ざる茶そばでビールを飲むため、握りを持っていくことをやめていましたが、そのおばちゃんがいなくなると、普通のエビの天ざる茶そばになりました。
家山の食堂のおばさんが亡くなられたことも囮屋さんから聞きました。
お盆のとき、松を燃やすところも減ったようで。
中川根町の青根?出身のテク2に松を使っていることを教えて貰いましたが、松の木がありません。しかし、松食い虫にやられる前には松があり、1本の松を見つけておくと何年もその松を使えたとのこと。
数年前、家山の飲み屋さんにいったとき、かっては呑み客がいっぱいいたのに、ひとりぼっち。
マスターは、儲かっているのはお寺さんだけ、と話していましたが。
釣りをしていて動脈瘤の苦痛に耐え、やっと近くの家に帰り、救急車で運ばれ、あるいは、くも膜下出血で3ヶ月入院したものの、後遺症のない人もいらっしゃるが。以前よりも生存の可能性が高くなったとはいえ、「運」の良さが大きいのでは。
ヘボの医者、病院に行けば、その御利益もないと思います。
いろいろと不具合の発生する年頃ですから、運よく、日常生活ができることを期待するしかないかも。
本当に長い間、お世話になり、ありがとうございました。
「運」の良いお医者さん、治療に出会えますように。
家山の杉田屋旅館が、9月から、営業を再開するとのこと。
杉田屋旅館について記憶していることがございます。とはいえ、その記憶が適切であるか、どうかは、保証できませんが。
20世紀には、お婆さんを見かけることは多々あったが、21世紀のいつ頃かから、見かけることはなくなりました。
息子さん=旦那さんが、オラが泊まったとき、朝飯まで作ってくれた、と、後日、泊まった時にお嫁さんに話すと、びっくりしていました。
旦那さんは、宿の仕事には一切手を出さなかったのに、と。
旦那さんは、オラよりも若いと思っていたが、お嫁さんがオラと同世代のようで。
お嫁さんは、兵庫県の三木出身で、神戸大空襲の炎を見ていたとのこと。オラは、明石から見ていたから、せいぜい15キロ位しか離れていないが、三木では30キロ、40キロと離れているのではないかなあ。
旦那さんは、亡くなられたとのこと。
旦那さんは、杉田屋旅館が創業100年との看板を掲げていることについて、歴史を話してくれた。
1 森屋旅館のすぐ下流側に,渡し場の石碑が建っている。
渡し場は、遠州側は1軒の権利、駿河側は、6軒?の権利。当然、遠州側の方が実入りが良かった。
2 筏下りの人々が、杉田屋旅館のところで休んでいた。そのこともあって、明治26年?に、宿を始めた。その建物は、現在の宿の裏手に残っている。
現在の宿は明治32年?に建てた、と。
3 岡部宿には、旅籠が保存されている。旅籠での武士の使う部屋と、町人の使う部屋の作りが異なっている、と。どのように異なっているのか、忘れた。
4 「撮り鉄」?の作品が展示されている。その方々も、営業が再開されることを喜んでいることでしょう。
素泊まりでも構いません。よろしくお願いします。
9月3日 中津川
H・P「野口おとり店」に、解禁以来の賑わい、と、表現されているほど、久々に釣り人が多い。
囮屋さんで、5年、いや10年ぶりに見る顔も。その人の名前が思い出せない。この健忘症というか、アルツハイマ症候群というか、は、元気に日々育っているが、どんどん機能低下していくあんよが少しでも長く動くように、川の中を歩きましょう。
海底に、同時に到達した上流側の人、その人の上流の瀬に1人。
3人も入っている。その後も瀬に2,3人がやってきた。
そして、11時頃までに1人もいなくなった。当然、オラもビールタイムに。
昼飯時であるのに、高田橋から見える弁天瀬肩界隈も大入り満員。とはいえ、この人々の多くは、大会参加者かも。
丼大王が、松下の瀬で、相も変わらず、乙女をだっこしているというのに、何度目の出家かなあ。
9月8日 酒匂川
お天気も、アカ付きも、風も、それから…、サボる理由は見当たらない。ジジー病には邪魔くさいなあ、もあるようであるから、酒匂川に行き、少しは病に抵抗することにしましょう。
囮屋さんのところにはドングリがいっぱい落ちている。ドングリには二つあり、一つはこのとがった、というか、細長いドングリ。もう一つは平べったいドングリ。アベ?といったかなあ。
これに楊枝のようなヒゴをさして、コマにして勝負をしていたなあ。べったん、ラムネ、独楽を手のひらに載せての鬼ごっこ、泳ぎの季節が終わってからの秋冬の遊びの始まりが、アベ?のコマづくりであったなあ。
新栄倉庫上流側は、悪い河相ではない。
しかし、あんまり釣れていないなあ。オラの下流側の人は釣り下り、そして、鏡へと移っていった。ダム放流前にザラ瀬であったところが、最初に空き家になった。
チビのぽっちゃん。囮君が、真面目にやれえ、と怒っている。小学生と雖も溯上アユじゃあ,囮になることを忘れるなあ。
気持ちええなあ、こんな引きが何匹もあれば、酒匂川にやってくることが苦にならないのになあ。18歳女子高生。
次は中学生。
そして、ながあい、ながあい、アオノロ。とどのつまりは、でっかい吸盤ボウイ。
そして、大粒の雨が少し落ちてきた。ゴロちゃんが、恥ずかしそうに鳴りだした。
まあ、やむかも、と囮屋さんの水槽に舟を入れ、休み小屋でビールタイム。
山の方の雲は、真っ黒ではないが、黒いなあ。たまに大粒の雨がぽつぽつと落ちてくる。握りは駅で食うか。
湖産放流全盛時代が終わった頃の報徳橋。ゴロちゃんが聞こえた。すぐに橋のたもとの喫茶店に逃げ込んだ。アッシー君達は笑っていた。
しかし、ゴロちゃんは落ちるところが気まぐれであるだけではないんですよ。働き方も気まぐれなんですよ。
千曲川の更埴?でのこと。
ゴロちゃんがやってきて、皆さんは囮屋兼食堂へ。ゴロちゃんが通り過ぎて、お天道様が顔を出したから、皆さんは川へ。オラはビールを飲みながらサボっていた。
突然、どかあん、と。竿をほおりだしていた。
ここでは、ぐるっと一周して、ゴロちゃんが戻ってくることがあるとのこと。
それにしても、予告もなく落ちるとは、ルール違反じゃあ、と雷神様に文句を言うと、自然現象には予見可能性があると思うのは、人間の思い上がりじゃあ、と。
まあ、酒匂川からの早逃げで、雨に打たれることはなかった。電車は、雨とゴロちゃんに追っかけられていた。
神奈川県内に大雨警報が出たが、空振りのようで。
それ程、ゴロちゃんは気まぐれですからねえ。
さて、丼大王は、暫し「遠慮」を実行していたが、釣れる筋を見つけると、いつものどう猛な,貪欲な性格に逆戻り。
迷人見習い君、新栄倉庫附近での川見をどのようにする?
筋?、面?
そして、どこに囮を入れる?教えて。
なお、18歳女子高生の尻ビレは、雌の形状になっていた。そうすると、丼大王の餌食になっている狩野川の乙女の尻ビレの形状変化だけでは東北、日本海側=対馬暖流を生活圏とする海産畜養、とは判断できないことになるなあ。
今日の丼大王の狩野川は、
「本当に今日は釣れた、合計31匹だ、写真サイズが9匹、オトリころの17,18センチが5匹、
残りは20センチ以上、久し振りに楽しく遊べた釣だった。」
写真サイズは、23,4歳の乙女。
これが、溯上アユであれば、西風が吹き荒れる頃、11月始め頃に、下り等、産卵行動のため、あゆみちゃんはそわそわすることになるが、東北、日本海側の海産畜養であれば、その頃には、放流された近辺の砂礫層のところで、産卵を終えていることになるが。
なお、丼大王行状記は、近日中に更新します。
9月10日 中津川
壊れ橋と仙台堰の中間附近へ。
草の繁茂がすさまじく、釣り人道はここでも貧相になっている。そのため、先客を避けてヘチを歩く距離が長くなった。法面の草を重機?で、壊れ橋下流側まで1本も残らず、きれいになくしたのに。
「雑草は、何故すぐに生える?」と、考えても詮無いこと。
下顎側線孔数は、4対左右対称。
女子高生に、中学生、2人がだっこできて、ボウズ街道まっしぐらではない。有難いなあ。
19歳番茶も出花娘までだっこできた。今年初めての番茶も出花娘。
喜びもここまで。
番茶も出花娘を囮にして、番茶も出花娘が掛かると、抜けない。1人は、振り子抜きのようにして上流に落としてバレた。1人はどうにかこうにか、だっこできたが。
腕力が一層落ちた。
大井川で、硬調9メートルでは抜けなくなり、7.5~8メートルに換えたのに、この竿で抜けなくなったから、どうすれば良いのかなあ。
しかも、乙女ではなく、番茶も出花娘ですよ。
溯上アユではなく、沖取り海産の直放流ですよ。
竿を短くできないし…、河原に立って両手で抜く動作のできるところには少ないし…。
引退?そんなことになったら、あんよの劣化が、おつむの劣化が急速に進展するでしょうなあ。
故松沢さんは、振り子抜き、九頭竜返しでの取り込みでは、着水の時の操作が肝では、と話されていた。着水させず、空中をぶらぶらさせて、タモに入れておれば、だっこできたのかなあ。
大井川での取り込みをどうすればできるのか、引き寄せをしょうかなあ。もう忘れているかも。
お天道様、2日間安定した状態にして下さい。そうなれば、大井川に行けますが。
今日は、漁協の大会が行われていたから、その参加者もいたのでは。そして、釣れず、移動したのでは。そのため、釣り下ることができて、番茶も出花娘に出会えたのでは。
とはいえ、何で、この場所で釣り人の毒牙に掛からず、生き延び、そして、オラにだっこされることになったのかなあ。左岸沿いの流れの筋ではないのに。
なんて、今年の初体験に浮かれていたが、丼大王は、昨日も、狩野川のあゆみちゃんを気持ちよくだっこしていました。
オラが、4匹、うち2匹が番茶も出花娘で浮かれているのになあ。昼ビールが格別にうまかったのなあ。
丼大王にとっては、オラの釣果は、「不漁」の領域ですなあ。
9月13日 大井川
JR鉄橋を渡るとき、大井川の中に、泥水の流れている場所があった。
12日の雨による駿遠橋の増水は、10センチほどであるのに、何で濁り水、泥水があるのかなあ。
大和田(おわだ)から見る大井川の水は濁りなし。その上流から駿遠橋の間に、数人の釣り人が入っている。
囮屋さんから、川原を歩いて発電所廃屋まで歩くぞお、と、元気溌剌。舟にブクを使用するようになったから、水の中を歩かなくても良くなった。
車の終点に二台の車。その人達は廃屋に行っているのでしょうなあ。
急遽、笹間渡鉄橋から廃屋までの中間附近に場所変更。この界隈に手頃な目標地物がないため、「中間地」と,しておこう。
なんと、石には泥が分厚くついている。
太っ腹さんと、葛籠に行った時も、うっすらと泥がついていたが、あゆみちゃんの朝食には影響なく、大も小も食んでいた。
しかし、ドロが厚すぎて、ハミのある石は一つだけ。右岸側も同じではないかなあ。
太っ腹君と葛籠に行った時、「中間地」では、泥のついた石はなかった。葛籠から「中間地」までの数キロを流れてくるまでに、ドロはなくなったということでしょうなあ。
昼までの1時間ほど、囮に無駄な働きをさせたが、諦めた。
川根温泉下流の本線の流れの瀬肩付近のザラ瀬、分流の瀬肩付近にはハミがある。乙女では、と思われるぶっといハミも。
この附近では、ドロは薄い。
このハミの主は、出アユかなあ、差し鮎かなあ。
出アユとすれば、本線にも、分流にも泥水が流れてくる前の生活をしているあゆみちゃんがいるはず。
しかし、見つからず。テク2やテク3がいれば、あるいは思いもかけないところに囮を入れることのある太っ腹君がいれば、あゆみちゃんの住まいがわかるのになあ。
囮屋さんは、12日の夕方、泥水の川を見て当分釣りにならない、と判断された。
しかし、朝、川を見ると、濁りはない。急いで、囮を仕入れに行ったとのこと。
その泥水は、支流の泥水か、ダムからの泥水か。
長島ダムは、泥水の層の水を流すことも、お茶の子さいさいかも。サイレンは鳴ったとのことであるが。
また、駿遠橋界隈では釣れていたとのこと。
9月14日 大井川
もし、「中間地」のあゆみちゃんが、空腹に耐えかねて、まずいまずいドロ被りのコケを食べざるを得ない状況になっていれば、大漁になる。しかし、武士は食わねど高楊枝、と、空腹を我慢しているかも。
川根温泉下流の瀬から下流へ。
三木露風に、「我は見る廃園の奥 ~」なる詩があるが、長島ダムが埋め尽くしてしまった石の川を、「廃園」を見ながら偲ぶことにしましょう。
迷人見習いは、増水後の残りアカは、流れのインとアウトの関係で判断する、と話していた。
左岸崖に沿うこの流れでは、いかい石の配列で判断していた。いかい石の周りには、玉石がびっしりと詰まっていた。いかい石の一部に残っていたアカは、すぐ玉石やいかい石を良好な食堂にしていたのでは。
抜里下流の左岸へと落ち込むザラ瀬には、玉石がびっしりと詰まり、いかい石が転石していた。
目印がぶっ飛んでも、引き抜くことができたなあ。ここでは、乙女を釣ったことはないかも。
長島ダムができて、ザラ瀬は玉石変じて砂利に。その落ち込みだけはまだ石があった。
オラは落ち込みで、ドラえもんおじさんは、釣れないとわかっていながら、砂利のザラ瀬で。オラの釣りの指導をするためでは。何人かのあゆみちゃんをだっこできていたから、指導の言葉はなし。
ドラえもんおじさんは、その下流の平瀬に移り、あゆみちゃんを次から次へとだっこしていたから、地元の人がびっくりしていたなあ。
駿遠橋上流に数台の車が見える。
その中の2人が、ドラえもんおじさんがせっせとあゆみちゃんを軟派していた平瀬、それが変じて瀬になっているところに入っていた。
オラも囮を入れた。しかし、釣れない。
泥のついた石はなし。泥垢を食べなくても良い。
泥水が流れてきた前の日常生活が営まれているはずであるのに、何で釣れないのかなあ。
駿遠橋上流の車は一台だけになった。
まあ、あゆみちゃんに嫌われることには慣れているから、引きあげましょう。
いかい石が転石していたところに囮を入れる。ここは、いかい石の並びがつくる流れが複雑で、根掛かりをすると泣くことになるから、その周りの玉石のところまでしか、囮を入れることはなかったが、いかい石の名残にも安心して囮を入れることができる。囮の動きも見ることが出来るというのに、野鮎の動きを見ることはなし。いかい石には泥垢はついていないのになあ。
先程の場所の瀬肩上流では、オラにびっくりして、上流に走って行った一群のアユがいたのになあ。いずこに行ったのかなあ。いかい石のところ以外に石のあるところはなくなっているのになあ。
川根温泉下流の瀬肩付近に一群のアユがいた。オラにびっくりして上流に走って行った。瀬肩付近のハミは、出アユが残したということかなあ。
そうすると、鉄橋下流のブロック付近から下流の何処かに、砂利の中、あるいはその付近を生活の場所とするアユがいるということかなあ。
囮屋さんでは、昼食会?が、開かれていた。
おばちゃんは、また来年、というから、とんでもない、今年まだ何回もくるわ、と。
10月は囮をおかん、なんていわんと、10月どころか、11月も働いてや。
太っ腹さまあ、孫殿をがきっちょに大評判のトーマスやジェームスの汽車に乗せてあげて。そして、井川まで行き、寸又峡温泉で、のんびりと孫殿のお相手をしてあげて。
そうすれば、太っ腹殿が寝たきりになった時、孫殿が面倒を見てくれますよ。
そのついでに、新金谷まで、オラを乗せていってえ。帰りは電車で帰ってくるから。
迷人見習いさまあ、糸鳴りをさせたあゆみちゃんが恋しいでしょう。いつまでも大井川に溯上アユがいるとは限りませんよ。
いつまでもおっさんで、足腰が、腕力が達者とは限りませんよ。それが衰えるジジーは、孫殿の成長よりも急速にやってきますよ。そうだ、行こう、大井川へ。
アッシー君が欲しいなあ。
2日ともボウズでも恥ずかしくない。狩野川ではボウズのない丼大王が、海の漁協組合員である丼大王が、サザエでボウズになっているから、川の漁協組合員であるオラが、あゆみちゃんでボウズであっても恥ずかしくないよ。へりくつ?へりくつも技のうち、気にしない、気にしない。
9月20日 中津川
相模川も酒匂川も台風の雨で濁っている。大井川は駿遠橋で一時的に一メートルの増水。
中津川は台風の雨の影響圏外。
仙台堰下流、壊れ橋との中間より少し下流へ。上流側に2人、壊れ橋上流の平瀬に数人。
すぐに中学生、そして女子高生。こんな調子で釣れたら、狩野川の丼大王をしのぐ釣果ですなあ。重量でははるかに及ばないが。そんな奇跡はありませんよねえ。
狩野川には、東北、日本海側=対馬暖流を生活圏とする海産畜養、あるいはそれを親とするF1が放流されていて、丼大王が乙女をせっせとだっこしているが。太糸の鼻管仕掛け等を作っているが。
チビのぽっちゃん、石の間の草に根掛かり、腹掛かりのぽっちゃん、そしてクライマックスは、抜けない、身切れ。
女子高生を抜くことにあたふたとしているようでは、世も末ですなあ。
とはいえ、ボウズではなく、三人の沖取り海産の直放流が釣れたから、ビールが旨いなあ。
これまでと行動が違う。
今年始めて、午前様ではなく、午後も働く。お天道様がビックらこいても、もう、台風は来ないでしょう。
とはいえ、歩きたくないから、角田大橋上流のニセアカシアの木があった附近へ。
女子高生が三人。計6匹。中津川では、今年初めての大漁では。
引き寄せに慣れるようにしないと大変なことになりそう。
4時過ぎの高田橋上流は数人、弁天瀬肩上流は一人。濁りの中でも頑張っていますなあ。
9月22日 中津川
酒匂川は、アカの状況がよく分からないし、雨こんこんの降りそうな天気予報であるからパス。いや、本音は、鮎バックが重いから。
前回で、運を使い切ったから、クーラーはなし。
仙台堰下流へ。そして、前回よりも少し下流側の楽な瀬へ。壊れ橋下流の瀬では30匹台の人がいらっしゃるが、その瀬まであんよをするのは大変。
自己成就型予言は的中。オラのお仕事は、おっかなびっくりで根掛かりを外しに行くこと。まだ、石の間に挟まった草や小枝あるということは、釣り人が多く入っていないということかも。
何年ぶりかで玉引きも。そして、根掛かり。外しに行くと、赤い玉が見えるから、玉を喰い込ませたのではなかった。
掛かった。引き寄せで取り込むつもりが、初動操作の注意事項が思い浮かばない。抜けた。19歳番茶も出花娘。下顎側線孔数は4対左右対称。
囮が養殖であれば、沖取り海産の直放流の番茶も出花娘を抜くことができるようで。
オラの下流側の人はチビ1匹、ということで、オラの上流側に移った。壊れ橋下流の瀬の人は、釣れていて、余裕の場所移動をしたとのこと。
あゆみちゃんは釣れなくても、吸盤ボウイは、吸盤を切ると囮にできる大きさとチビ。邪魔者には愛されているなあ。
氷とビール、と注文すると、おばちゃんは、1匹だけやろう、冷蔵庫の氷で十分や、と。
ごもっとも。
そして、帰りの道中、雨に濡れずにすんだから、運に完全に見放されているのではないようで。
9月25日 酒匂川
酒匂川の増水は短時間の50センチほどで、ダム放流はなかったとのこと。
十文字橋から見える川には、アカ飛びの場所もあるよう。
囮屋さんは、午後、夕方に釣れる、と。
新栄倉庫界隈に入るが、アカがほんの僅かしかついていない。
光合成ができるようになって、数日は経過しているはずであるが、新アカが十分についている状況にはほど遠い。
空きっ腹を抱えたあゆみちゃんは、どこにいるのかなあ。
淵はないから、いつもの生活空間にいるしかないでしょうが。
両側とも、それなりに釣り人が並んでいる。オラの下流側の人は1匹の高校生をだっこしたあと、上流に動いたから、オラの動ける空間はさらに広がった。
時折、中学、高校生をだっこしている人はいるが、どんなに幸運に恵まれた人でも、数匹でしょう。
オラは、囮の1匹が雌のため、よく働いてくれて困った。まあ、ビールタイムまでは働いてくれたら、助かるなあ、と思っていたが、小学生をかけた後も元気に働いてくれる。ありがた迷惑ですが。
昼過ぎ、我慢できず、皆さんを放流して、ビール。
立ち込んでヘチを釣る人も、1,2匹の人がいる位で、ヘチもあゆみちゃんのたまり場ではなさそう。
とても、つ抜けをしている人が出現するという状況ではない。
流れに、イン、アウトの関係になるところも、いかい石が転がっているところもないから、そして、砂利川であるから、50センチ程度の増水でも、白川になったのでしょう。
残りアカのないことが、新アカがつくのに時間がかかっているということでしょう。
コロガシであれば、釣れるでしょうが。
10月1日から報徳橋上流のコロガシが解禁になる。おばあちゃんは、10月14日まで囮を置くとのことであるから、10月に白川になったら、どこにあゆみちゃんがたむろしているのか、見に来よう。
丼大王が、狩野川で錆び鮎、黒い鮎を釣った。
狩野川の溯上アユではない。東北、日本海側=対馬暖流を生活圏とする鮎の海産畜養、あるいはそれを親としたF1でしょう。
9月27日 相模川
いつも風が吹いていてしんどいなあ、重機で作った溝が怖いなあ、ということで、敬遠していた相模川弁天ではあるが、一回も竿を出さないことは、申し訳ない、という、へんてこな理由で弁天へ。
ダム放流前と様相が変化している。弁天の状況は、高田橋から見ていたが、ダム放流後は、瀬肩付近が繁盛していても、20,30匹は当たり前、と、テク2らが入っていた瀬は、流れの様相の変化からか、釣り人が少なくなっていた。
瀬肩付近を避けて、瀬脇へ。
石はあるのかなあ。こぶし大の石だけかなあ。頭大の石は詰まっているのかなあ。
テク2らがやってくる、と思っていたが、姿を見ることはなし。ということは、頭大の石が埋まった?
テク2らは、どこを釣り場にしているのかなあ。昭和橋上流?、水管橋付近の瀬?葉山?
うちゃんが、急瀬の竿を使えるところが減ったから、今年は一回竿を出しただけ、と。あちこちの川での急瀬の竿を使えるところが減っただけではなく、弁天の瀬でもダム放流後、急瀬では鮎がつかなくなった、ということかなあ。
普通の風であるが、しんどいなあ。
ダム放流後の濁りが薄くなったとき、初心者のねえちゃんが、風の中、何匹かのあゆみちゃんをだっこしたとのことであるが、瀬肩界隈だけが、釣り場かなあ。
ビールタイムには早いが、石の状況がわからない中での釣りはしんどいなあ。酒匂川でも中津川でも、川見はできなくても、石の状況は見える。
ということで、相模川ではボウズで1年は終わるかも。ただ、28日、ダム放流がされるかも。
28日、6時前、大井川の駿遠橋では10センチの増水。ただ、黄色、赤の雨量が。昭和橋では20センチの増水。まだ、ダム放流はないと思うが。
太っ腹さまが、大井川に連れて行ってくれるとのことであるから、あゆみちゃんがだっこできなくても、弁天で竿を出した御利益はありました。
9月30日 中津川
偶然、よねさんと同伴出勤。昨日、余裕の10匹台のよねさんのお裾分けにありつけるかも。
いつものように、堰と壊れ橋の中間附近よりも下流へ。
壊れ橋上流のトロ状のところは,混んでるなあ。よねさんの趣味からは壊れ橋下流の瀬に行ったのでは。
しばらくは煙草を吸う時間はたっぷり。
上流の人も下流の人も釣れてないなあ。
掛かった。抜けない、やっと抜けた。箱入り娘に。次も以下同文。
しかし、だっこした鮎を囮にして掛かった、抜けない、困った,引き寄せのできるあゆみちゃんの位置ではない、無理を承知で抜く。がっちりと背掛かりで、ぶらぶらさせてタモへ。
下流側の人の竿が大きく曲がっている。やっと抜けたが、タモですくっている。オラ同様、腕力がないんですなあ、と嬉しくなった。
しかし、その人は九メートルのノーマルですよ。おまんは、7.5~8メートルのズームでしょう。抜くときの労力の差がどれほど大きいか、考えてみな。その人よりもどんだけ、腕力がないか、一目瞭然じゃあ。
ごもっとも。
女子高生を追加して、ひたすらチャイムを待つ。
氷とビール、と、高らかに注文。前回は、1匹だけやろう、冷蔵庫の氷で十分、とおばちゃんに言われたが、今日は氷を買わざるをえんよ。あ、そうそう、ビールはよねさんがおごってくれているから、買わなくても良し。
下顎側線孔数は4対左右対称。
番茶も出花娘は、21歳が1,20歳が2,19歳が1,高校生が1。
前回よりも大きくなった、何でかな、と思っていたら、相模湾の稚鮎を育てている養魚場の人が、今頃の時期、急に大きくなると話していたとのこと。
前回よりも腕力が低下したのではなく、沖取り海産の直放流が大きくなったということでしょう。少し、安心した。
しかし、そうであれば、大井川の溯上アユも大きくなっているはず。乙女が普通に釣れるかも。
太っ腹様に大井川に連れて行って貰うときは、数年前のフロロの0.5ではなく、新しく0.5を用意することが安全かも。
1時過ぎの高田橋は、両側から竿が出ている。弁天は、瀬肩付近に数名、瀬は二人、車も少ない。
10月2日 中津川
またも、大雨の予報は空振り。
大井川も10センチの増水が短時間。太っ腹さまあ,迷人見習いさまあ、アカ飛びはないでしょう。そろそろアカも十分についているかも。
とりあえず、ボデーをなまらないようにしないと。
仙台堰と壊れ橋の中間よりも少し下流へ。
全然反応なし。何でかなあ。
水量が前回、番茶も出花娘にもてたときよりも半分近くに減っているから?、品切れ?よねさんと同伴出勤をしていないから、よねさんから立ちのぼるあゆみちゃんをうっとりとさせる芳香がオラについていないから?
昼のチャムもなったから、ビールが恋しいなあ。最前から左岸側に囮を入れていたが、来た。
下顎側線孔数4対左右対称、21歳、100グラムの番茶も出花娘。
また、おばちゃんに冷蔵庫の氷を貰う。朝とは違い、気温が上がり、ビールがぴったりの状況になりました。
丼大王行状記の「増水、下りの行動日替わりメニューの今昔、そして容姿」へ
10月6日 中津川
最高気温が11月並、とのこと。10月初旬にダウンを着たことがあったかなあ。もっとも、20世紀は、西風が吹き荒れて後、高いダウンではなく、ジャンパーを着ていたが。
いつもの仙台堰と壊れ橋の中間よりも少し下流側へ。
煙草がたっぷりと吸えますなあ。水中バレが1,囮並みのでっかい吸盤ボウイも。
品切れ?
そんなことはおまへんわ。たった、数匹番茶も出花娘をだっこしただけで、品切れにならへんわ。
名人豹変す。
多くの栗の皮をむきながら,今年は釣りをしない、とおっしゃっていた名人様。
翌日?60匹。決してサラバではない。日々釣り人が入っている。
その後も、同じ附近で、20,30当たり前。
いったい、なんぼあゆみちゃんをだっこできるんですかねえ。
あゆみちゃんは、名人の何に魅力を感じて、だまされるのかなあ。
その場所は決して一等地ではない。むしろ、敬遠したくなるような、縄張り形成の魅力に乏しいところ。
それに比べると、オラの場所は、縄張り形成の魅力たっぷりですがねえ。
今晩、どの位の雨量になるのかなあ。
宮ヶ瀬ダムは、流量を減らしたこと等で、70%から80%近くの貯水率になっているが、余程の流入量がないと、ダム放流はないのではないかなあ。
ダム下流の支流の流入量もそれ程多くはないから、白川になることもなく、連休は安泰では。
心配は、大井川の長島ダム。
やっと、アカ付き良好になった頃と思うが、また泥水を流すと、ドロ被りの石になってしまう。白川になってしまう。
太っ腹さんが、大井川に連れて行ってくれると、おっしゃって下さっている。邪魔をしないで。龍神様、南アルプス、大井川流域にあんまり雨を降らさないでえ。
10月8日 中津川
ダム放流も、濁りもない中津川は大入り満員のよう。上流の方が人出が多い、との話も。
いつものように、仙台堰と壊れ橋の中間よりも少し下流側の波立ちのある棚へ。
まずは番茶も出花娘が歓待してくれた。乙姫さんに、次は高校生をお願いします、と頼んだ。
抜けない問題だけでなく、丼が心配。あゆみちゃんの体重での糸の劣化はないとはいえ、草や枝が絡んだことによる傷が心配。
乙姫さんは、ヘボの丼はかわいそうと、高校生を生け贄にしてくれた。
その後も乙姫さんの暖かいご配慮によって、丼になることはなし。
しかし、宴は1時間足らずでお開き。
上流側の人が上流へと少し動くと、上流の棚に、下流側の人が少し下流に動くと、下流側の棚に、と混んでいる中で涙ぐましい努力をしたんですがねえ。
水量が少ないため、根掛かりを外すこともできました。
上流側の人はどの位釣れたのかなあ。
上流側の波立ちのない所の人達は去って行った。
下顎側線孔数は、4対左右対称。
番茶も出花娘は、21歳1,20歳1,19歳1,高校生は3.
よねさん、ビールをありがとう。気温が高く、オラにとっては大漁で、旨かったよ。
大井川は、オラの龍神様への祈りが通じて、10月7日の雨で、駿遠橋で一時的に20センチの増水になっただけ。
いつ行こうかなあ。
10月9日 中津川
昨日食べた番茶も出花娘の腹子が、数日前に比べて大きく、長くなっていた。まだ10月上旬であるのに、気になった。腹ぱんぱんではないと思うが、西風が吹き荒れる頃までにはまだ20日ほどある。あゆみちゃんにも早熟と奥手があるとの故松沢さんの話であったが、少し、性成熟が早いなあ、と思った。
また、沖取り海産の漁は、4月以降に行われていると思うから、1番上りはすでに川に入っている。2番上り、3番上りになる稚鮎が、沖取り海産の直放流であることからも、気になり、今日の番茶も出花娘の腹子の成長具合を見たいなあ、と。
しかし、昨日と同じ場所に入り、囮君は、エビにも、根掛かりの苦痛にも,鼻面をひっぱられてもめげず、働けど働けど…。
結局ボウズ。
まちゃんやよねさんが釣り残してくれなかった、ということにしておきましょう。
1匹の囮を使うこともなくビールタイム。
オラの状態を見て、平山橋界隈に行ったおさんが、オラよりも早く上がっているのに、番茶も出花娘を10匹近く。
おさんは、2時間ほどしか働いていないのに。
おさんには、数年ぶりに会ったが、川見も、あゆみちゃんをたぶらかす腕も劣化していませんなあ。忙しくなって、あんまり川にやってこられないとおっしゃっているが。
平山橋界隈に、それ程、美味しい場所があるとは思えなかったから、腕で釣るおさんと、運で釣るオラとの違いですなあ。
おさんに逢えたことで満足です。
それに、おばちゃんが野菜のお土産をくれたから、番茶も出花娘よりもお女中に喜ばれます。ありがとう。
10月11日 中津川
仙台堰と壊れ橋の中間よりも少し下流へ。
ウンともスンともいいませんなあ。
ハヤとアブラッパヤ、昔の外道が釣れた。
ハヤは、冷水病の蔓延の影響を受けて減ったのかなあ。何年ぶりの外道でしょう。
アブラッパヤは、昭和の代には、相模川で、がきっちょの手頃は釣りの相手であったが、ハヤと同じ運命をたどったのかなあ。
子供のハヤや、アブラッパヤが、瀬にいるということは、あゆみちゃんはいないのでは。
アユがいると、ハヤやヤマベは瀬から追い出されるはず。
とはいえ、いつ頃着いた食み跡か、わからないが、うっすらと泥がついた石には、食み跡が見えるが。
ビールを飲んでいると、Kさんがやってきた。平日のサボりができるほど、閑ではないでしょう、というと、どの業態でも忙しいのはない、と。それほど仕事のない業態もある、と。
午後は、角田大橋上流へ。
ここでは番茶も出花娘は期待できませんなあ。
Kさんが、瀬肩付近から上流へ、くまなく囮を入れていたが、釣れず、移動していった。
1等地ではなく、2等地、3等地だけが釣れるのかなあ。まあ、そうであるとしても、1等地だけを頼りにしましょう。釣り人が歩き回るところで跳ねがあるが。
またボウズ。
中津川をボウズで締めくくりたくないから、昼からも働いたが、ボウズとは、無駄な抵抗をしたもんですなあ。
囮君はよく働いてくれた。ありがとう。
Kさんが、鮎はいるが、追うアユはいない、と。追うアユがいないということが適切な観察でしょう。
Kさんは、海底に移動して10匹ほどのあゆみちゃんをだっこしている。
疲れたから、明日は見学だけにしましょう。明後日からは雨こんこんの予報。今日は、お日様にこにこ、30度位の暑い予報であったが、曇りで気温はそれ程上がらず。
今日のように、予報が外れて、雨の降らない週末を期待したいが。
丼大王行状記「10月頃の大雨の影響、増水による小川のアユと神島の鮎の違いは?
11月10日 大井川幻想
9日、駅について、電車に乗るだけ、という状態になって、美白の乙女の丼をしないように、前日に作ったフロロ0.5号、よねさん御作の1号の中ハリスの鼻管仕掛けを使った仕掛けをベストに入れたか、気になり、ベストを着ていないことに気がついた。
10日、出直そうと準備をしたが、天気は我に味方をしているが、起きたとき、邪魔くさくなった。というよりも、始発の相模線に、始発のこだまに間に合わない時間になっていた。
故松沢さんは、下りが始まった今の時期は、「日替わりメニュー」と。
そして、ある年の晩秋に長良川に行くため、服部名人に、明日行くから、囮を用意して、と、電話。名人は、釣れない、来るな、と。故松沢さんは、鮎の形をしたものを用意して、といって出掛けた。
大岩に乗って囮を操作するも釣れず。網打ちが下流から上流へと行くと、入れ掛かり。
100匹プラス+20匹ほどの大漁に。
網打ちが大岩にやって来たから、感謝をこめて20匹ほどを渡した。
網打ちは、こんなに釣れるなら、明日ここで釣るよ、と。
故松沢さんは、明日はここには鮎はいないよ、と。
このような情景が、長良川に溯上アユがいた時代にはあった。
故松沢さんが大岩に乗って釣りをしていた舞台は、郡上八幡と思っていたが、萬サ翁が少年時代を過ごした美並かも。
ベストを忘れたことが、吉と出るか、凶と出るか、の楽しみもあるのに、邪魔くさいなあ、とは、ジジー丸出しですなあ。
2つの台風で増水した大井川もアカ付き良好になっているでしょうに。
笹間渡鉄橋上流は、コロガシが解禁になっているから、シャクリで囮捕りができるのに。
瀧井さんは、相模川の神沢を釣り場にしたときは、シャクリで囮捕りをされていたから、シャクリでの囮捕りがオラにできるかも。
笹間ダムが濁り水を流しているであろうから、川口発電所の水が合流する地点のすぐ上流、鍋島には、濁り水を嫌って、下りを中断した鮎が溜まっているのかなあ。それとも、濁り水を気にせずに下りの行動をしているのかなあ、気になりますねえ。
ということで、9月に、囮屋さんで昼食会?をやっていたおばちゃんが、また来年、といったことが現実になりました。
もちろん、アッシー君がおれば、話は別ですが。太っ腹様、くちゃん、名人見習い様、美白の乙女が待っていますよ。
釣りに病んで
妄想は川原を 駆け巡る
( 旅に病んで
夢は枯れ野を かけ巡る
芭蕉 )