相 模 川 | 中 津 川 | 狩野川 | 酒 匂 川 | その他 | |
3月から 5月 |
相模大堰副魚道遡上量調査1 相模大堰副魚道遡上量調査2 5月30日磯部の堰を上った |
3月2日 遡上アユはいる?いない? |
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6月 | 14日 17日 | 1日 5日 9日 22日 29日 | 2日 | ||
7月 | 3日 20日 23日 | 8日 13日 15日 17日 | 26日 | ||
8月 | 23日 | 30日 | 6日 31日 | 20日大井川 | |
9月 | 9日 11日 16日 | 18日 23日 | |||
10月 | 8日 | 22日 26日 31日 | 13日 | ||
11月 | |||||
3月2日 中津川
去年と違い、田代に3人入っている。河原の人達は、ほかの場所に行った。水深が浅い。どこなら、ヘボのルアーに食い付いてくれるのかなあ。
田代から、新平山橋下流へ。10羽ほどの鵜が食後の休憩をしている。それを蹴散らすため、川に入り、ルアーを振る。鵜はどんな川見をして、放流されたこと、放流地点を知るのかなあ。
平山橋に餌釣りの人が。
角田大橋上流にはルアーが3人。
角田大橋下流の瀬落ちまで行くことはやめた。次回にしましょう。
昨日は、水量が多かったとのこと。
ヘボの誉れ高いMちゃんが、ウデ達者のまちゃん同様の7,8匹とのこと。つ抜けの人もいたとのこと。
今年は、あんよの練習で、ルアーを振っていて、山女魚が釣れることもあるかも。そして、木っ端山女魚ではなく、20センチ台とのこと。
2018年相模大堰副魚道遡上量調査 その1 単位:万匹
神奈川県内広域水道企業団社家取水管理事務所の遡上量調査資料から
2000 年 |
2001 年 |
2002 年 |
2003 年 |
2004 年 |
2005 年 |
2006 年 |
2007 年 |
2008 年 |
2009 年 |
2010 年 |
|
4月1日 から10日 |
23.2 | 204.9 | 568 | 18.4 | 830.9 | 5.6 | 0.5 | 27.4 | 188 | 20.3 | 19 |
4月11日 から20日 |
9.4 | 40.6 | 895.2 | 264.5 | 113.2 | 0 | 2.5 | 24 | 219 | 54 | 81 |
4月21日 から30日 |
36.6 | 125.3 | 387.1 | 232.3 | 499.2 | 42.2 | 23 | 275 | 229 | 40 | 70 |
4月計 | 69 | 371 | 1,850 | 515 | 1,443 | 48 | 26 | 326 | 636 | 114 | 169 |
5月1日 から10日 |
4.4 | 129 | 112.8 | 32.8 | 56.2 | 0.8 | 9.9 | 68.6 | 70 | 2 | 59 |
5月11日 から20日 |
5.5 | 40.7 | 48.5 | 41.2 | 136.7 | 0.6 | 6.1 | 13.8 | 32 | 7 | 3 |
5月21日 から28日 |
3.7 | 8.6 | 9.7 | 108.8 | 45 | 0 | 0.7 | 3.2 | 36 | 0.4 | 2 |
5月計 | 13.6 | 178.3 | 171 | 182.8 | 237.9 | 1.4 | 16.7 | 85.6 | 138 | 9 | 64 |
合計 | 101 | 550 | 2,199 | 706 | 1681 | 49 | 43 | 412 | 774 | 123 | 233 |
3月20日 ~3月31日 |
16 | 1 | 177 | 80 | 296 | 調査 対象 期間外 |
|||||
遡上初出日 | 23日 | 20日 | 25日 | 29日 | 25日 | 4月 4日 |
4月 3日 |
||||
初出日 最高水温 |
ー | 12度 | 11度 | 12度 | 12度 | 15度 | 13度 |
2011 年 |
2012 年 |
2013 年 |
2014年 | 2015 年 |
2016 年 |
2017 年 |
2018 年 |
2019 年 |
2020 年 |
2021 年 |
|||
4月1日 から10日 |
61 | 18 |
60 | 88 | 32 | 466 | 328 | 2,181 | |||||
4月11日 から20日 |
271 |
56 |
29 | 170 | 464 | 475 | 459 | 3,597 | |||||
4月21日 から30日 |
417 |
457 |
63 | 193 |
273 | 213 | 231 | 622 | |||||
4月計 | 749 |
531 | 152 | 451 |
769 | 1,154 | 1028 | 4,219 | |||||
5月1日 から10日 |
62 |
31 | 15 | 15 |
125 | 235 | 159 | 251 | |||||
5月11日 から20日 |
139 |
20 | 73 | 16 | 165 | 329 | 221 | 130 | |||||
5月21日 から28日 |
22 |
4 | 7 | 11 | 12 | 18 | 33 | ||||||
5月計 | 223 |
64 | 95 |
80 | 302 | 347 | 413 | 361 | |||||
合計 | 972 |
595 | 247 | 531 |
1071 | 1501 | 1441 | 4,600 | |||||
3月20日 ~3月31日 |
遡上なし | 遡上 なし |
遡上なし | 4月1日に 7万の遡上があることら3月下旬に遡上の可能性あり |
三月終わりに遡上目撃 | 三月二〇日頃に遡上観察 | 調査開始は4月2日 | ||||||
遡上初出日 | 4月4日 | 4月3日5千 | 4月4日2万 | 4月1日 7万 |
4月1日31万 | 4月1日45万 | 初出4月3日2千、4日120万 | ||||||
初出日 最高水温 |
13度 | 12度 | 16度 | 13度 |
2018年の「4月10日から20日の調査は、4月2日から4月14日までの数量。
2018年のコメント
相模大堰副魚道での調査は、整数の1位の位で行われているが、万単位に置き換えている。そのため、合計では、原資料の数量に近づける操作をしなければならないが、5月20日頃までの調査表をもらったときに微調整を行うことにする。
そのため、原資料では、4月15日までの遡上量が、合計「30,749,020匹」、左岸側が9,809,260匹、右岸側が20,939,760匹、となっているが、その数字とは少し誤差が生じている。
調査開始日は、4月2日。4月15日は、大雨で調査休止。
4月11日~4月20日の期間の欄は、4月15日までの数字。
1 大量遡上はなぜ?
3年連続で、1千万の水準で溯上していることだけでも、相模大堰副魚道での調査開始以来の「異変」である。
1千万水準の遡上量の翌年には、親が多い→相模湾の植物プランクトン、動物プランクトンの繁殖量に限界がある→1千万水準の遡上量の翌年は、食糧不足から稚鮎の生存率が著しく低下する。
少ない食糧を、餓死する稚鮎の食べた分がが無駄にならないように、と、形成される順位制や縄張り性が、稚鮎には存在しないため、生存率の大幅な低下になる。
そして、三年後に1千万の水準に回復するという4年周期の1千万水準の遡上量。
これが、相模湾の植物プランクトン→動物プランクトン繁殖量の限界に関連している現象であったかも。
しかし、2018年は相模湾の植物プランクトン繁殖量→動物プランクトンの繁殖量が,これまでの生産量をはるかに凌駕し、稚鮎の生存率の低下どころか、一層高めているよう。
もちろん、次の妄想は抱いていたが。
10月のダム放流で、大量の栄養塩が海に流れた→植物プランクトンの大量繁殖→動物プランクトンの大量繁殖→稚鮎の生存率の著しい低下が回避される→1千万水準の遡上量
学者先生は、海アユの産卵時期を10月、11月、と。
しかし、「目」にタコでしょうが、故松沢さんや、仁淀川の弥太さんは、西風が吹き荒れる頃=木枯らし1番が吹く頃に、あゆみちゃんはそわそわし出す、と。
房総以西の海アユの産卵時期は、11月、12月である。
このことは、川那部先生もご存じと推測している。長良川の河口堰建設による生物影響調査に直接関与されなかったが、長良川の産卵場が上流へと移動し、JR鉄橋付近になった、ということをご存じであるから、トラックで運ばれてきた下りをしないで産卵する板取川合流点付近の流下仔魚を「遡上鮎」と判断していた和田さんとは違い、適切に遡上鮎の産卵場を判断されていたから、産卵時期も適切に判断されていたと考えている。
ダム放流の濁りも11月にはなくなったから、産着卵に泥が付着し、呼吸ができなくなり、孵化できない卵もなく、親の数に見合う孵化が行われ、流下仔魚はたっぷりあったはず。
したがって、1千万の水準の遡上アユがいるのでは。
ところが、その推測、願望を打ち砕く3千万、いや、5千万に到達するかも知れない遡上量とは、これいかに?
相模湾が、「豊饒の海」に、上方にシフトしたということかなあ。
2 磯部の堰は遡上出来る?
相模大堰の遡上量調査の人がまだいない時間帯、魚道で跳ねる稚鮎も、魚道の階段にたむろする鷺も見えない。鵜も見えない。
鵜は、鉄砲打ちで避難したのかなあ。
1羽のカラスが、鷺の真似をして階段に立って首を水に突っ込んで、稚鮎を捕まえていた。
寒川の堰は、堰から平水の時に落水するところは、左岸寄りから,呼び水の流れ、階段状の魚道、デニール?型の魚道と並んでいて、遡上達成率は非常に高いと思われる構造になっている。
その結果が、相模大堰の右岸側、左岸側の副魚道の選択に影響しているとは思えないが。
にもかかわらず、右岸側よりも左岸側の副魚道の遡上流が多いのが、これまでの傾向ではないのかなあ。
今年は、右岸側の遡上量が多いのは、何でかなあ。どのような要因が、右岸側、左岸側の選択を稚鮎にさせているのかなあ。
磯部の堰の下流側の魚道は、上り口が上流側に向いているため、その上り口に気がつくまで、遡上出来ずに、稚鮎が溜まる。
にもかかわらず、鵜も、鷺も見えない。いや数羽の鵜は飛んでいたが。
今日、4月20日は,磯部の堰付近で鉄砲打ちをする日ではあるが、すでに鉄砲打ちが行われたからかなあ。
上流側の堰の魚道の左岸寄りに、寒川の堰の「呼び水」と、看板に書かれているコンクリートを打った勾配の緩い流れと同じような流れがあった。そこに、水が流れていたから、階段状の魚道だけでなく、そのコンクリート底の流れも,水量が少なければ、遡上出来ると思っていた。
しかし、水が流れていない。ゲートが下りている。前回見た時は、ゲートはなかった。取り外していた。修理をしていたのかなあ。
水を少し流してくれたらよいのに。
とはいっても、上流側に向いた上り口を直さないと、遡上達成率が高くならないのでは。また、稚鮎の遊泳力に見合う水量管理をしないと、去年のように遡上不可能な「魚道」になる。
今年の水量は、稚鮎の遊泳力でも遡上可能と思うが。
三段の瀧のコンクリートの魚止めの機能を果たすところ。
ここは、ダム放流で、本流が濁ったときで、遡上量が多い時は、コロガシや毛鉤で大漁になる人もいる。
そこに、5センチほどのひらを打つ魚が見える。稚鮎が、コケを食んでいるのかなあ。
100匹はいないと思うが。3段の滝合流点よりも下流には、沖取り海産の直放流をしていないとは思うが。
もし、トラックで運ばれてきたアユ:沖取り海産の直放流を3段の滝よりも下流に行っていないとすれば、磯部の堰を上ったアユということになるが。
3月終わりに沖取り海産の直放流をしたという話がある。それは横須賀から運ばれていたという話がある。もし、横須賀から運ばれていたとすれば、長井沖での採捕でしょう。
そうすると、まだ櫛歯状の歯に生え替わっていないから、コケを食することができず、動物プランクトンを食することになるが。
それは、弁天の分流、高田橋の左岸の小さな溜まりで見ることが出来るが。
弁天分流では、「トラックで運ばれてきた」アユの子供が、20センチほどの積雪の時、川面に落ちた雪が、水温を低下させ、稚鮎の生存限界以下の水温となり、消えた。
そして、日々カワセミの写真を取りに来ていた人も、その数日後に消えた。しかし、沖取り海産の直放流が石切場で行われた後の4月10日頃から,またやって来た。先日は、3人の写真家。
もし、3段の滝下流でヒラを打つ魚が、溯上した稚鮎だとすれば、昭和橋下流左岸に流入する八瀬川の塩田桜橋でも稚鮎が見えるはず。
10センチほどの魚が見えたが、それは、砂利のところを泳いでいるから、ハヤかアブラハヤでは。
石を並べた堰状の落ち込みに、5センチ位のひらを打つ魚が見えた。これは稚鮎では。ただ、昭和橋下流側に放流された沖取り海産の直放流か、遡上鮎か、は不明。
磯部の堰が、普通に、遡上出来る状況にあれば、相模大堰副魚道の遡上量調査結果で、弁天での遡上鮎の状況を判断できるのになあ。
2004年か、2008年の磯部の堰が遡上出来るようになった時の4月29日の高田橋。
幅1メートルほど、何層にも重なって、何時間も遡上鮎が左岸側へち沿いをのぼっていた。
現在のチャラ状の水深とは違い、当時は水深1メートルほどあった。
この現象であれば、磯部の堰を遡上出来た、といえるが…。高田橋から、溯上した形跡のアユの姿は見えず。
中津川は、去年は、才戸橋よりも下流、妻田の堰か、それよりも下流で、遡上阻害が発生していた。今年はどうなったのかなあ。
酒匂川も遡上量が多いとは思うが、栢山の堰の状況はどうなったかなあ。
去年のように、堰下流に砂れきが堆積して、堰との段差がなくなり、どこでも遡上出来る状況かなあ。
小田急鉄橋下流の堰は、右岸側の堰の切れたところを水が流れているのかなあ。
来週、富士道橋の囮屋さんに、年券を買いに行きましょう。漁協前等にも山女魚の成魚放流が行われているとのことであるから、ルアーを振り振り、開成まで歩くよ。
とはいえ、途中で、あんよがストライキをするかも。
大井川は、河口で、採捕目標量が達成できたとのことであるから、去年並みの遡上量があるかも。
狩野川は?
越後荒川は、遡上量が多いとしても、雪代がいつまで続くかが問題。数年前のように、大石川合流点の瀬では8月であるにもかかわらず、小中学生という状況に気をつけましょう。
遡上鮎はいる?いない?
史上最高かどうかは判らないが、相模川では相模大堰の副魚道の遡上量調査で、1千万の遡上量があれば、遡上鮎とオラでも遊べるのになあ。それが4月15日現在で3千万とは、至福の夏になるのかなあ。
去年は、磯部の堰の魚道への水量が多く、稚鮎の遊泳力では遡上出来ない状況で、沖取り海産の直放流だけが、釣りの対象であったが。
今年は如何?
4月27日、酒匂川へ。
ルアーを振り振り富士道橋上流の漁協前から開成まで釣り上るつもりではあったが、堤防を歩くことにした。
去年は漁協前への流れ1本であったが、砂止めブロックの所で流れが2本に分かれ、1本は、右岸護岸に沿って流れている。そこは石があるから、よき釣り場になるが。オラのあんよでは、河原へ渡ることに不安はあるが。
報徳橋の所の汚れたアカがコンクリート護岸にあり、また、それに隣接して汚れた石があり、両方に食み跡が見え、そして、数匹の稚鮎がひらを打つのが見えた。
丼大王が、雨雨降れ降れ、と、雨乞いをしたため、相模、中津同様、石が綺麗になり、ほかでは食み跡が見つけられない。
栢山の堰の魚道上部にこぶし大の石が溜まり、水が流れていない。
去年は、魚道下流側は貧相な流れであったから、遡上鮎が魚道を使うことなけれど、今年は魚道に水が流れていれば、利用者がいるのになあ。
去年は、堰下流側に砂れきが堆積していて、どこでも遡上出来たが、今年は30センチ位の段差ができているところも、流速の速いところもできている。
鵜が、30センチ位の段差のある流れに潜ってお仕事をしている。
土手とはいえ、歩きやすいとはいえ、ジジーにはしんどい。
しかし、ビールを飲んだから、十文字橋まで歩かないと。
足柄大橋上流は、世紀の変わり目頃は、トロで、橋脚の所にしか瀬らしきものはなかったが、立派な瀬が二つの流れの両方にある。
もし、酒匂川にも遡上アユがいるのであれば、よき釣り場になるが。
小田急鉄橋下流の堰の切れている右岸側は、水が流れている。流れがきついようにも見えるが、距離が短いから、稚鮎でも遡上可能では。
十文字橋の右岸側は、去年同様、砂利。石の所でも、ひらを打つ鮎は見えず。
ということで、相模湾の稚鮎の大量現象を見聞できなかった。
もちろん、遡上アユがいない、という観察もできていない。
飯泉の堰に遡上障害が発生していないか、どうか、相模湾の稚鮎生存率が高いから、酒匂川の遡上量も多いはず、との願望が事実であるかどうか、年券を買ったからには、再度酒匂を見に来ましょう。
4月28日中津川の才戸橋の堰から、妻田の堰上流
才戸橋の魚道の上部が欠落したところにはブロックがおかれて、高くなった段差の代わりにきつい流れができている。
橋下流の横断構造物の所の流れの強さは、段差のあるところは変化はないが、どの程度遡上可能かなあ。
橋からは稚鮎の姿は見えず。
妻田の堰上流の左岸コンクリート護岸の所まで、所々で河辺に行くが、鮎の気配を見ることはなし。
護岸の所、雄物川さんが、釣り場にしているところは、右岸側へと流れる方の水量が増えて、水量が少なくなり、また、底の空いたブロックの底に砂れきがたまり、雄物川さんが得意とするブロックに錘をあてて、びっくりして飛び出す鮎を掛けるという釣りのできない川相に。
去年の雄物川さんは、必要な時に、必要なだけ、釣っている、と。
四万十川の野村さんが、川は天然の冷蔵庫、と、話されていたことと同じように話していた。当然、雄物川さんは、不漁であったから故の弁明。
その野村さんも、「天然の冷蔵庫」として、四万十川の恩恵を受けることができたのは、昭和50年位より以前、ウエーダがなく、わらじの半跏にゲートル巻きの出で立ちで、学者先生が、房総以西の海アユの産卵時期が、10月、11月と、数年前発行の「アユ学」でもいまだに御託宣なさっていても、11月15日再解禁で、産卵場に入ることが躊躇され、1番上りになる産着卵も、2番上り、3番上りを産む親アユも、人間に虐げられておらず、また、「斑模様」で、川が汚くなっていなかった時期、NHKが、「最後の清流」とテレビで報道していたことが、「ウソ」ではなかった頃、また、野田さんらが、四万十川の川下りの時、敢えてチンさせて、「とっちゃんぼうや」に先祖返り,いや、子供返りをしていた頃まで。
雄物川さんは、今年はどこを釣り場にするのかなあ。
よっぽど、去年は釣れなかったんでしょうなあ。
もっとも、そのコンクリート護岸の上流側には、ブロックの底が埋まっておらず、また、以前の俤はないが、鮎が着きそうな雰囲気のところが短い区間あるが…。
その護岸の下流側に3,4センチの爪楊枝タイプの鮎が。沖取り海産の直放流では。
そうすると、櫛歯状の歯に生え替わっていないと思うが、動物プランクトンは直ぐ上流の溜まりから流れてくるのかなあ。
その溜まり、川の流れが上流からは入り込まず、植物プランクトンが繁殖できているであろうから、動物プランクトンも繁殖しているはず。
そこには、大きさは、4,5センチで、数量も百匹単位で見える。
この護岸の所にいる稚鮎は、沖取り海産の直放流ではないかなあ。
ということで、妻田の堰下流で遡上阻害が発生しているのか、才戸橋の魚道を遡上出来たのか、確認することはできず。
気分としては、遡上出来ていないように感じるが。
昭和橋
3本の流れのいずこにもアユの姿は見えず。
去年、右岸側の流れに沖取り海産の直放流をした直後の稚鮎を見て、遡上アユと勘違いした太っ腹さん、翌日、オラも再度昭和橋に行き、最後の数百匹の群れが、上流に泳いでいくのを見ているから、稚鮎がおれば、人道橋から見える。
全然アユの姿、形なし。
昭和橋の橋脚の下で、磯部の堰の魚道を上った稚鮎がいない事を嘆きつつ?、ビールを呑み、左岸をとぼとぼと歩く。
本流の水が少し流れ込んでいるが、多くは、その上流のたまり水が流れているところに稚鮎が。
その上流の伏流水のたまり水の所には百匹単位の稚鮎が。
そこは、弁天の分流とは違い、「トラックで運ばれてきたアユ」の子供がいなかったところ。
弁天の分流には、「トラックで運ばれてきたアユ」の子どもがいて、日々、カワセミの写真を撮影する人がいた。
20センチほどの積雪の時、本流からの水が流れ込まず、弁天ヘラ釣り場横の伏流水が流れている分流の川面に落ちた雪が、アユの生存限界以下に水温を低下させ、子供は消えた。
それから数日後、撮影者も消えた。
4月上旬、再度撮影者が現れた。石切場の放流された沖取り海産の直放流が分流に入り込んだよう。
中旬には撮影者が3人になったとこも。
流れが3本に分かれる原因となっている中州の下流側に3,40羽の鵜が。
その鵜の下流側、一番右岸側の流れでは、去年、沖取り海産の直放流が成長して、サボZらが、入り浸っていたが、今年は、その流れが少し貧相になっているかも。
とはいえ、鵜の食堂になっているからそれなりに釣り場になるのでは。
なお、昭和橋下流左岸に放流されたと思われる沖取り海産の直放流が、左岸のたまり水の所に入ったと考えている。
ということで、いずこでも、「遡上アユ」と,確信出来る現象を見ることはなし。
角田大橋左岸分流に入り込んだ多くの稚鮎の氏素性は?
仙台堰魚道の下段の水面との段差を低くする措置がされている。また、魚道を遡上せずにコンクリート床板の所にやって来た稚鮎の遡上対策として、組み立て式?の魚道がおかれている。この魚道は、才戸橋の堰にもおかれていた。
丼大王は、東伊豆の小川の1番上りが、囮にできるほどの大きさになっていると。
そんな状景を見ることが出来るのかなあ。まあ、オラがこの世にのさばっているうちには実現されることはないでしょうなあ。
狩野川では? 今年の大井川では?
大井川は、河口での稚鮎採捕が、予定量達成できたとのことであるから、去年並みの遡上量があるかも。
2018年相模大堰副魚道遡上量調査 その2 単位:万匹
神奈川県内広域水道企業団社家取水管理事務所の遡上量調査資料から
2000 年 |
2001 年 |
2002 年 |
2003 年 |
2004 年 |
2005 年 |
2006 年 |
2007 年 |
2008 年 |
2009 年 |
2010 年 |
|
4月1日 から10日 |
23.2 | 204.9 | 568 | 18.4 | 830.9 | 5.6 | 0.5 | 27.4 | 188 | 20.3 | 19 |
4月11日 から20日 |
9.4 | 40.6 | 895.2 | 264.5 | 113.2 | 0 | 2.5 | 24 | 219 | 54 | 81 |
4月21日 から30日 |
36.6 | 125.3 | 387.1 | 232.3 | 499.2 | 42.2 | 23 | 275 | 229 | 40 | 70 |
4月計 | 69 | 371 | 1,850 | 515 | 1,443 | 48 | 26 | 326 | 636 | 114 | 169 |
5月1日 から10日 |
4.4 | 129 | 112.8 | 32.8 | 56.2 | 0.8 | 9.9 | 68.6 | 70 | 2 | 59 |
5月11日 から20日 |
5.5 | 40.7 | 48.5 | 41.2 | 136.7 | 0.6 | 6.1 | 13.8 | 32 | 7 | 3 |
5月21日 から28日 |
3.7 | 8.6 | 9.7 | 108.8 | 45 | 0 | 0.7 | 3.2 | 36 | 0.4 | 2 |
5月計 | 13.6 | 178.3 | 171 | 182.8 | 237.9 | 1.4 | 16.7 | 85.6 | 138 | 9 | 64 |
合計 | 101 | 550 | 2,199 | 706 | 1681 | 49 | 43 | 412 | 774 | 123 | 233 |
3月20日 ~3月31日 |
16 | 1 | 177 | 80 | 296 | 調査 対象 期間外 |
|||||
遡上初出日 | 23日 | 20日 | 25日 | 29日 | 25日 | 4月 4日 |
4月 3日 |
||||
初出日 最高水温 |
ー | 12度 | 11度 | 12度 | 12度 | 15度 | 13度 |
2011 年 |
2012 年 |
2013 年 |
2014年 | 2015 年 |
2016 年 |
2017 年 |
2018年 | 2019 年 |
2020 年 |
2021 年 |
|||
4月1日 から10日 |
61 | 18 |
60 | 88 | 32 | 466 | 328 | 2,181 | |||||
4月11日 から20日 |
271 |
56 |
29 | 170 | 464 | 475 | 459 | 3,597 | |||||
4月21日 から30日 |
417 |
457 |
63 | 193 |
273 | 213 | 231 | 622 | |||||
4月計 | 749 |
531 | 152 | 451 |
769 | 1,154 | 1028 | 4,219 | |||||
5月1日 から10日 |
62 |
31 | 15 | 15 |
125 | 235 | 159 | 251 | |||||
5月11日 から20日 |
139 |
20 | 73 | 16 | 165 | 329 | 221 | 130 | |||||
5月21日 から28日 |
22 |
4 | 7 | 11 | 12 | 18 | 33 | ||||||
5月計 | 223 |
64 | 95 |
80 | 302 | 347 | 413 | 361 | |||||
合計 | 972 |
595 | 247 | 531 |
1071 | 1501 | 1441 | 4,600 | |||||
3月20日 ~3月31日 |
遡上なし | 遡上 なし |
遡上なし | 4月1日に 7万の遡上があることら3月下旬に遡上の可能性あり |
三月終わりに遡上目撃 | 三月二〇日頃に遡上観察 | 調査開 始は4月2日 |
||||||
遡上初出日 | 4月4日 | 4月3日5千 | 4月4日2万 | 4月1日 7万 |
4月1日31万 | 4月1日45万 | 初出4月3日2千、4日120万 | ||||||
初出日 最高水温 |
13度 | 12度 | 16度 | 13度 |
雨、内水面祭りによる調査休止は、4月15日、4月25日、5月3日、5月4日、5月9日、5月14日
1 相模湾の植物プランクトン→動物プランクトンの繁殖量は、古の水準に戻った?
今年の遡上量=海での稚鮎の生存率は、昭和20年代のいつごろまでか、判らないが、相模湾、その頃は、相模灘との呼称であったと思うが、その頃の植物プランクトン→動物プランクトンの繁殖量が存在していたのではないかなあ。
そして、相模湾の植物プランクトン→動物プランクトンが、大量に繁殖し、稚鮎の胃袋を満足させる量が、ここ数年増加しているのでは。
相模大堰副魚道の遡上量調査の結果、1千万の水準の遡上量調査の翌年は、遡上量が激減していたのに、ここ4年はその現象が見られない。
親の数が多く、流下仔魚が多くなっても、稚鮎の胃袋を満足させる動物プランクトンの繁殖量が多くなり、生存率が激減する現象がなくなったということでは。
その水準が、今年の大量の流下仔魚の胃袋を満足することができるのか、どうか、来年の春が楽しみですなあ。
相模湾の汀帯の冬の動物プランクトンの繁殖量調査が何処かに存在するのでは、と思っているが。
2 磯部の堰上流、鮎津橋上流には、遡上鮎はいない。
(1)沖取り海産の直放流の現象
① 昭和橋
昭和橋上流左岸の護岸に沿って、たまり水があり、その下流側に少しの本流の水が流れ込んでいる。
その地区を、本流の水が流れ込んでいるところをA地区、その上流の10メートル余りある地区をB地区、新昭和橋のある100メートル余りの地区をC地区とする。上流からの本流の流れ込みはない。
4月、A地区に、稚鮎がいっぱい入り込んだ。昭和橋下流左岸側に放流された沖取り海産の直放流でしょう。
4月中旬、5月、護岸を横断する雨水排水口から、雨の時に水が流れ込んだ。それで、A地区とB地区がつながった。
それで、狭いA地区の稚鮎は、動物プランクトンに不自由していたが、B地区に泳いでいき、餓死する稚鮎は減った。
また、50センチ、60センチの鯉が恋をするためにA地区にやって来ていたが、鯉もB地区に泳いでいった。
C地区は、B地区との間の砂れきの堆積距離が長いこと、少し高くなっているため、雨量が多くないと、泳いでいけない。
5月上旬、BとCがつながった時、稚鮎だけでなく、鯉も10匹ほどCに入った。
5月中旬、各地区がつながった時、鯉は恋の季節が終わり、Cから本流に戻った。
Cの稚鮎は、100匹ほどの単位から、二つの群れに合併した。護岸のコケを食べるものも少数であるが出て来たが、群れでの行動をしている。
5月20日、再び、Aに稚鮎の群れが見えた。
昭和橋下流左岸に沖取り海産の直放流がされたのでは。
この群れにとって、少し幸せなことは、Aの動物プランクトンが繁殖できる範囲が、4月の住人よりもちょっぴり広がったこと。
とはいえ、完全な止水状ではなく、また面積も狭いため、Bに移るほどの雨が降らないと、餓死するものが増えるのでは。
昭和橋から、稚鮎、若鮎が見えることはなし。
鵜は、昭和橋上流の中州に100羽以上がたむろしていたが、変化が生じているよう。
5月中旬、朝、何処かに出かけ、おらが帰るときに戻ってきていた。花火に脅かされたのかなあ。
中州が鵜だけでなく、鷺もやって来た。5月20日には、鷺だけになり、鵜は消えた。
どこか、よき食堂を見つけたのかなあ。県産継代人工の放流が始まっているようであるが。
② 弁天分流
3月の20センチほどの積雪のあった雪が降ったとき、水面に降った雪が、水温を稚鮎の生存限界以下に下げて、稚鮎の姿は消えた。この親は、「トラックに運ばれて来たアユ」。
日々、カワセミの撮影に来ていた人の姿も数日後に消えた。
4月中旬、再び、3,4センチの稚鮎が見えた。そして、カワセミの撮影者も現れた。
その場所で植物プランクトンが繁殖できるのか、気になっていたが、伏流水の量が少ないこと、ヘチ寄りは止水状でることから、植物プランクトンが繁殖できていたかも。
5月中旬、また、稚鮎が減った。雨による増水で、中州への車道になっているところに本流からの水が入り、稚鮎が上流に泳いでいったよう。
また、ヘラ釣り場の水と分流の水が一体化して、ヘラ釣り場に泳いでいった稚鮎がいて、ヘラ釣り場で稚鮎が釣れていた。
現在は、アカを食べている稚鮎がいるよう。
③高田橋、小沢の堰
小沢の堰の魚道を上っているアユがいた、ということが、磯部の堰を遡上したアユがいる、という根拠になっている。
しかし、魚道を上ったのは、遡上鮎ではなく、石切場や高田橋に放流された沖取り海産の直放流である。
魚道を上ったアユは、櫛歯状の歯に生え替わっていないものが多く、その一部は、堰上端の左岸側、鯉が産卵場にしている溜まり、そのすぐ沖合にたむろしている。
鯉は、水草がないため、水中になった河原の草に産卵している。
何で、水草がなくなったのかなあ。流れの平坦化が影響しているのかなあ。
産卵した草が、減水して空中に出れば、孵化できないが、今年は、雨が多いようで、無事に孵化できるかも。
④ 才戸橋下流
鮎が見えたのは、妻田の堰上流のコンクリート護岸が綺麗に整備されているところ。ただ、そこには止水状の場所が乏しいから、沖取り海産の直放流の稚鮎は、どの位、動物プランクトンを食べることができるかなあ。
雄物川さんは、その場所の釣り人が優しい、といって、そこに通うのかなあ。必要な時に必要なだけ釣る、と華麗な負け惜しみを言って、そこに通うのかなあ。
それとも、我慢できなくなり,場所替えをするのかなあ。
楽しみですねえ。
妻田の堰の魚道を見るには、「草」漕ぎをすることになる。ジジーには過酷な作業であるから、サボります。
迷人見習いは、246下流の堰が遡上出来ない、といっていた。
その時は、才戸橋までたっぷりと遡上アユがいたから、信用していなかった。
しかし、その堰を見て、迷人見習いの適切な判断にびっくり。
3年前、4年前には遡上出来た。去年、今年は遡上出来ない。
その原因は魚道の形状にあるよう。
階段状の魚道は短く、段差に対応するため、ブロックを積んでいる。そのブロックが瀬の役割を果たしているようであるが、その流速が問題かも。
遡上出来ていた時の条件が、何でなくなったのかなあ。どのような条件であれば、遡上出来るのかなあ。
ということで、今年も、溯上あゆみちゃんをだっこするには、大井川、酒匂川に行くしかなさそう。
(2)鵜はいずこに
鵜の動きが気になるが、歩いて観察する元気なし。
2 駿河湾の海に何が生じている?
狩野川の遡上量はどの位かなあ。
親が少ない中、稚鮎の生存率が非常に高くなるとか、他の川の流下仔魚が狩野川河口域に回遊してくるとか、の状況かなあ。
大井川は、河口で、放流に必要としている量が採補できたということであるから、去年並みの遡上量があるのかなあ。
丼大王が、在庫調べを始めたとのことであるから、オラもベストに必要なものを入れましょう。
在庫調べの必要なし。ハリも在庫たっぷり。ハリを替えても釣れることはないでしょうから、無駄な針交換をしなくてもよし。糸も。古い糸でも切れるということはないでしょう。
大井川の時だけは気をつけましょう。
沖取り海産の直放流に、櫛歯状の歯に生え替わっているものが多ければ、真面目に強度検査が必要であるが。漁連の義務放流量120万、数年前までは230万の何倍もの沖取り海産の直放流量であると想像しているが。
3 4月の遡上量が多いのは何でかなあ。(相模大堰で。当然、川に入ったのは3月中旬でしょう。)
11月生まれの流下仔魚が多く、また、生存率が高いということかなあ。12月生まれの流下仔魚が少ないといってよいのかなあ。あるいは、12月生まれの生存率が11月生まれよりも低いということかなあ。
これまでは、1番上りになる鮎よりも、2番、3番上りになる鮎の方が多いように思うが。
なお、寒川の堰は、堰から落水している所は、呼び水と名がついている斜面、階段状の魚道、デニール型?魚道で構成されているから、流れに逆らって泳いできた稚鮎は、どこでも遡上可能性がある。
したがって、3月中旬の遡上開始から、相模大堰の魚道まで、足止めに会う可能性は低い構造の堰と考えている。
2018年相模大堰副魚道遡上量調査:1のコメント抜粋(再掲)
1 大量遡上はなぜ?
3年連続で、1千万の水準で溯上していることだけでも、相模大堰副魚道での調査開始以来の「異変」である。
1千万水準の遡上量の翌年には、親が多い→相模湾の植物プランクトン、動物プランクトンの繁殖量に限界がある→1千万水準の遡上量の翌年は、食糧不足から稚鮎の生存率が著しく低下する。
少ない食糧を、餓死する稚鮎の食べた分がが無駄にならないように、と、形成される順位制や縄張り性が、稚鮎には存在しないため、生存率の大幅な低下になる。
そして、三年後に1千万の水準に回復するという4年周期の1千万水準の遡上量。
これが、相模湾の植物プランクトン→動物プランクトン繁殖量の限界に関連している現象であったかも。
しかし、2018年は相模湾の植物プランクトン繁殖量→動物プランクトンの繁殖量が,これまでの生産量をはるかに凌駕し、稚鮎の生存率の低下どころか、一層高めているよう。
もちろん、次の妄想は抱いていたが。
10月のダム放流で、大量の栄養塩が海に流れた→植物プランクトンの大量繁殖→動物プランクトンの大量繁殖→稚鮎の生存率の著しい低下が回避される→1千万水準の遡上量
学者先生は、海アユの産卵時期を10月、11月、と。
しかし、「目」にタコでしょうが、故松沢さんや、仁淀川の弥太さんは、西風が吹き荒れる頃=木枯らし1番が吹く頃に、あゆみちゃんはそわそわし出す、と。
房総以西の海アユの産卵時期は、11月、12月である。
このことは、川那部先生もご存じと推測している。長良川の河口堰建設による生物影響調査に直接関与されなかったが、長良川の産卵場が上流へと移動し、JR鉄橋付近,忠節橋になった、ということをご存じであるから、トラックで運ばれてきた下りをしないで産卵する板取川合流点付近の流下仔魚を「遡上鮎」と判断していた和田さんとは違い、適切に遡上鮎の産卵場を判断されていたから、産卵時期も適切に判断されていたと考えている。
ダム放流の濁りも11月にはなくなったから、産着卵に泥が付着し、呼吸ができなくなり、孵化できない卵もなく、親の数に見合う孵化が行われ、流下仔魚はたっぷりあったはず。
したがって、1千万の水準の遡上アユがいるのでは。
ところが、その推測、願望を打ち砕く3千万、いや、5千万に到達するかも知れない遡上量とは、これいかに?
相模湾が、「豊饒の海」に、上方にシフトしたということかなあ。
2 磯部の堰は遡上出来る?
相模大堰の遡上量調査の人がまだいない時間帯、魚道で跳ねる稚鮎も、魚道の階段にたむろする鷺も見えない。鵜も見えない。
鵜は、鉄砲打ちで避難したのかなあ。
1羽のカラスが、鷺の真似をして階段に立って首を水に突っ込んで、稚鮎を捕まえていた。
寒川の堰は、堰から平水の時に落水するところは、左岸寄りから,呼び水の流れ、階段状の魚道、デニール?型の魚道と並んでいて、遡上達成率は非常に高いと思われる構造になっている。
その結果が、相模大堰の右岸側、左岸側の副魚道の選択に影響しているとは思えないが。
にもかかわらず、右岸側よりも左岸側の副魚道の遡上流が多いのが、これまでの傾向ではないのかなあ。
今年は、右岸側の遡上量が多いのは、何でかなあ。どのような要因が、右岸側、左岸側の選択を稚鮎にさせているのかなあ。
磯部の堰の下流側の魚道は、上り口が上流側に向いているため、その上り口に気がつくまで、遡上出来ずに、稚鮎が溜まる。
にもかかわらず、鵜も、鷺も見えない。いや数羽の鵜は飛んでいたが。
今日、4月20日は,磯部の堰付近で鉄砲打ちをする日ではあるが、すでに鉄砲打ちが行われたからかなあ。
上流側の堰の魚道の左岸寄りに、寒川の堰の「呼び水」と、看板に書かれているコンクリートを打った勾配の緩い流れと同じような流れがあった。そこに、水が流れていたから、階段状の魚道だけでなく、そのコンクリート底の流れも,水量が少なければ、遡上出来ると思っていた。
しかし、水が流れていない。ゲートが下りている。前回見た時は、ゲートはなかった。取り外していた。修理をしていたのかなあ。
水を少し流してくれたらよいのに。
とはいっても、上流側に向いた上り口を直さないと、遡上達成率が高くならないのでは。また、稚鮎の遊泳力に見合う水量管理をしないと、去年のように遡上不可能な「魚道」になる。
今年の水量は、稚鮎の遊泳力でも遡上可能と思うが。
三段の瀧のコンクリートの魚止めの機能を果たすところ。
ここは、ダム放流で、本流が濁ったときで、遡上量が多い時は、コロガシや毛鉤で大漁になる人もいる。
そこに、5センチほどのひらを打つ魚が見える。稚鮎が、コケを食んでいるのかなあ。
100匹はいないと思うが。3段の滝合流点よりも下流には、沖取り海産の直放流をしていないとは思うが。
もし、トラックで運ばれてきたアユ:沖取り海産の直放流を3段の滝よりも下流に行っていないとすれば、磯部の堰を上ったアユということになるが。
3月終わりに沖取り海産の直放流をしたという話がある。それは横須賀から運ばれていたという話がある。もし、横須賀から運ばれていたとすれば、長井沖での採捕でしょう。
そうすると、まだ櫛歯状の歯に生え替わっていないから、コケを食することができず、動物プランクトンを食することになるが。
それは、弁天の分流、高田橋の左岸の小さな溜まりで見ることが出来るが。
弁天分流では、「トラックで運ばれてきた」アユの子供が、20センチほどの積雪の時、川面に落ちた雪が、水温を低下させ、稚鮎の生存限界以下の水温となり、消えた。
そして、日々カワセミの写真を取りに来ていた人も、その数日後に消えた。しかし、沖取り海産の直放流が石切場で行われた後の4月10日頃から,またやって来た。先日は、3人の写真家。
もし、3段の滝下流でヒラを打つ魚が、溯上した稚鮎だとすれば、昭和橋下流左岸に流入する八瀬川の塩田桜橋でも稚鮎が見えるはず。
10センチほどの魚が見えたが、それは、砂利のところを泳いでいるから、ハヤかアブラハヤでは。
石を並べた堰状の落ち込みに、5センチ位のひらを打つ魚が見えた。これは稚鮎では。ただ、昭和橋下流側に放流された沖取り海産の直放流か、遡上鮎か、は不明。
磯部の堰が、普通に、遡上出来る状況にあれば、相模大堰副魚道の遡上量調査結果で、弁天での遡上鮎の状況を判断できるのになあ。
2004年か、2008年の磯部の堰が遡上出来るようになった時の4月29日の高田橋。
幅1メートルほど、何層にも重なって、何時間も遡上鮎が左岸側へち沿いをのぼっていた。
現在のチャラ状の水深とは違い、当時は水深1メートルほどあった。
この現象であれば、磯部の堰を遡上出来た、といえるが…。高田橋から、溯上した形跡のアユの姿は見えず。
中津川は、去年は、才戸橋よりも下流、妻田の堰か、それよりも下流で、遡上阻害が発生していた。今年はどうなったのかなあ。
酒匂川も遡上量が多いとは思うが、栢山の堰の状況はどうなったかなあ。
去年のように、堰下流に砂れきが堆積して、堰との段差がなくなり、どこでも遡上出来る状況かなあ。
小田急鉄橋下流の堰は、右岸側の堰の切れたところを水が流れているのかなあ。
来週、富士道橋の囮屋さんに、年券を買いに行きましょう。漁協前等にも山女魚の成魚放流が行われているとのことであるから、ルアーを振り振り、開成まで歩くよ。
とはいえ、途中で、あんよがストライキをするかも。
大井川は、河口で、採捕目標量が達成できたとのことであるから、去年並みの遡上量があるかも。
狩野川は?
越後荒川は、遡上量が多いとしても、雪代がいつまで続くかが問題。数年前のように、大石川合流点の瀬では8月であるにもかかわらず、小中学生という状況に気をつけましょう。
遡上鮎はいる?いない?
史上最高かどうかは判らないが、相模川では相模大堰の副魚道の遡上量調査で、1千万の遡上量があれば、遡上鮎とオラでも遊べるのになあ。それが4月15日現在で3千万とは、至福の夏になるのかなあ。
去年は、磯部の堰の魚道への水量が多く、稚鮎の遊泳力では遡上出来ない状況で、沖取り海産の直放流だけが、釣りの対象であったが。
今年は如何?
4月27日、酒匂川へ。
ルアーを振り振り富士道橋上流の漁協前から開成まで釣り上るつもりではあったが、堤防を歩くことにした。
去年は漁協前への流れ1本であったが、砂止めブロックの所で流れが2本に分かれ、1本は、右岸護岸に沿って流れている。そこは石があるから、よき釣り場になるが。オラのあんよでは、河原へ渡ることに不安はあるが。
報徳橋の所の汚れたアカがコンクリート護岸にあり、また、それに隣接して汚れた石があり、両方に食み跡が見え、そして、数匹の稚鮎がひらを打つのが見えた。
丼大王が、雨雨降れ降れ、と、雨乞いをしたため、相模、中津同様、石が綺麗になり、ほかでは食み跡が見つけられない。
栢山の堰の魚道上部にこぶし大の石が溜まり、水が流れていない。
去年は、魚道下流側は貧相な流れであったから、遡上鮎が魚道を使うことなけれど、今年は魚道に水が流れていれば、利用者がいるのになあ。
去年は、堰下流側に砂れきが堆積していて、どこでも遡上出来たが、今年は30センチ位の段差ができているところも、流速の速いところもできている。
鵜が、30センチ位の段差のある流れに潜ってお仕事をしている。
土手とはいえ、歩きやすいとはいえ、ジジーにはしんどい。
しかし、ビールを飲んだから、十文字橋まで歩かないと。
足柄大橋上流は、世紀の変わり目頃は、トロで、橋脚の所にしか瀬らしきものはなかったが、立派な瀬が二つの流れの両方にある。
もし、酒匂川にも遡上アユがいるのであれば、よき釣り場になるが。
小田急鉄橋下流の堰の切れている右岸側は、水が流れている。流れがきついようにも見えるが、距離が短いから、稚鮎でも遡上可能では。
十文字橋の右岸側は、去年同様、砂利。石の所でも、ひらを打つ鮎は見えず。
ということで、相模湾の稚鮎の大量現象を見聞できなかった。
もちろん、遡上アユがいない、という観察もできていない。
飯泉の堰に遡上障害が発生していないか、どうか、相模湾の稚鮎生存率が高いから、酒匂川の遡上量も多いはず、との願望が事実であるかどうか、年券を買ったからには、再度酒匂を見に来ましょう。
4月28日中津川の才戸橋の堰から、妻田の堰上流
才戸橋の魚道の上部が欠落したところにはブロックがおかれて、高くなった段差の代わりにきつい流れができている。
橋下流の横断構造物の所の流れの強さは、段差のあるところは変化はないが、どの程度遡上可能かなあ。
橋からは稚鮎の姿は見えず。
妻田の堰上流の左岸コンクリート護岸の所まで、所々で河辺に行くが、鮎の気配を見ることはなし。
護岸の所、雄物川さんが、釣り場にしているところは、右岸側へと流れる方の水量が増えて、水量が少なくなり、また、底の空いたブロックの底に砂れきがたまり、雄物川さんが得意とするブロックに錘をあてて、びっくりして飛び出す鮎を掛けるという釣りのできない川相に。
去年の雄物川さんは、必要な時に、必要なだけ、釣っている、と。
四万十川の野村さんが、川は天然の冷蔵庫、と、話されていたことと同じように話していた。当然、雄物川さんは、不漁であったから故の弁明。
その野村さんも、「天然の冷蔵庫」として、四万十川の恩恵を受けることができたのは、昭和50年位より以前、ウエーダがなく、わらじの半跏にゲートル巻きの出で立ちで、学者先生が、房総以西の海アユの産卵時期が、10月、11月と、数年前発行の「アユ学」でもいまだに御託宣なさっていても、11月15日再解禁で、産卵場に入ることが躊躇され、1番上りになる産着卵も、2番上り、3番上りを産む親アユも、人間に虐げられておらず、また、「斑模様」で、川が汚くなっていなかった時期、NHKが、「最後の清流」とテレビで報道していたことが、「ウソ」ではなかった頃、また、野田さんらが、四万十川の川下りの時、敢えてチンさせて、「とっちゃんぼうや」に先祖返り,いや、子供返りをしていた頃まで。
雄物川さんは、今年はどこを釣り場にするのかなあ。
よっぽど、去年は釣れなかったんでしょうなあ。
もっとも、そのコンクリート護岸の上流側には、ブロックの底が埋まっておらず、また、以前の俤はないが、鮎が着きそうな雰囲気のところが短い区間あるが…。
その護岸の下流側に3,4センチの爪楊枝タイプの鮎が。沖取り海産の直放流では。
そうすると、櫛歯状の歯に生え替わっていないと思うが、動物プランクトンは直ぐ上流の溜まりから流れてくるのかなあ。
その溜まり、川の流れが上流からは入り込まず、植物プランクトンが繁殖できているであろうから、動物プランクトンも繁殖しているはず。
そこには、大きさは、4,5センチで、数量も百匹単位で見える。
この護岸の所にいる稚鮎は、沖取り海産の直放流ではないかなあ。
ということで、妻田の堰下流で遡上阻害が発生しているのか、才戸橋の魚道を遡上出来たのか、確認することはできず。
気分としては、遡上出来ていないように感じるが。
昭和橋
3本の流れのいずこにもアユの姿は見えず。
去年、右岸側の流れに沖取り海産の直放流をした直後の稚鮎を見て、遡上アユと勘違いした太っ腹さん、翌日、オラも再度昭和橋に行き、最後の数百匹の群れが、上流に泳いでいくのを見ているから、稚鮎がおれば、人道橋から見える。
全然アユの姿、形なし。
昭和橋の橋脚の下で、磯部の堰の魚道を上った稚鮎がいない事を嘆きつつ?、ビールを呑み、左岸をとぼとぼと歩く。
本流の水が少し流れ込んでいるが、多くは、その上流のたまり水が流れているところに稚鮎が。
その上流の伏流水のたまり水の所には百匹単位の稚鮎が。
そこは、弁天の分流とは違い、「トラックで運ばれてきたアユ」の子供がいなかったところ。
弁天の分流には、「トラックで運ばれてきたアユ」の子どもがいて、日々、カワセミの写真を撮影する人がいた。
20センチほどの積雪の時、本流からの水が流れ込まず、弁天ヘラ釣り場横の伏流水が流れている分流の川面に落ちた雪が、アユの生存限界以下に水温を低下させ、子供は消えた。
それから数日後、撮影者も消えた。
4月上旬、再度撮影者が現れた。石切場の放流された沖取り海産の直放流が分流に入り込んだよう。
中旬には撮影者が3人になったとこも。
流れが3本に分かれる原因となっている中州の下流側に3,40羽の鵜が。
その鵜の下流側、一番右岸側の流れでは、去年、沖取り海産の直放流が成長して、サボZらが、入り浸っていたが、今年は、その流れが少し貧相になっているかも。
とはいえ、鵜の食堂になっているからそれなりに釣り場になるのでは。
なお、昭和橋下流左岸に放流されたと思われる沖取り海産の直放流が、左岸のたまり水の所に入ったと考えている。
ということで、いずこでも、「遡上アユ」と,確信出来る現象を見ることはなし。
角田大橋左岸分流に入り込んだ多くの稚鮎の氏素性は?
仙台堰魚道の下段の水面との段差を低くする措置がされている。また、魚道を遡上せずにコンクリート床板の所にやって来た稚鮎の遡上対策として、組み立て式?の魚道がおかれている。この魚道は、才戸橋の堰にもおかれていた。
丼大王は、東伊豆の小川の1番上りが、囮にできるほどの大きさになっていると。
そんな状景を見ることが出来るのかなあ。まあ、オラがこの世にのさばっているうちには実現されることはないでしょうなあ。
狩野川では? 今年の大井川では?
大井川は、河口での稚鮎採捕が、予定量達成できたとのことであるから、去年並みの遡上量があるかも。
5月30日 磯部の堰を遡上した
5月29日、テク2に会った。
テク2は、昭和橋の3本の流れのいずれにもわんさかアユが見える、弁天の瀬でも、はじかれたアユがヘチに見える、と。
ご近所さんが、昭和橋下流側でわんさかアユが見えたのは、継代人工と思っていたが、遡上アユかも。
5月20日頃に昭和橋から見た時は稚鮎も若鮎も見えなかった。
ということは、5月20日頃を過ぎてから、磯部の堰を上ったアユがいるということ。
もう、1番上りの遡上性向は消滅し、2番上りでも遡上性向があるのは一部であろう、と、20日頃に昭和橋からの観察をやめていたが。
テク2が昭和橋からアユを見たのは、5月24日頃。
30日に高田橋から見ると、石は5月24日よりも綺麗になっている。
稚鮎は見えるが。もちろん、若鮎が好む住環境のところではないが。
丼大王の伊豆の小川の水中撮影で写っている「若鮎」が、磯部の堰を遡上したとは思えない。3番上りと一部の2番上りの溯上する群れと一緒に、差し鮎として、一番上りに磯部の堰を上る者がいるのかなあ。
それでも差し鮎の行動範囲は限られるから、昭和橋まではやってこないのでは。
いずれにしろ、磯部の堰を遡上したアユがいる。
しかし、「1番上り」ではないと確信している。
弁天の瀬で、テク2やマムシキラーさんたちがどんな大きさの鮎を釣り上げているのか、ビールを呑みながら眺めましょう。
雄物川さんが遡上アユがいない中津の妻田の堰上流を諦めて、磯部の堰下流に行かないかなあ。そうすると、1番上りの大きさも判るが。
多分、釣り人を含めて、遡上量が多いから、大きく育っていない、という評価をするでしょうが。
1番上りはいない、2番上りがどの位磯部の堰を遡上したのか、判らないが。
また、どんな条件があって、磯部の堰の下流側魚道を上ることができたのか、興味津々であるが。
6月1日 中津川
鮎津橋の堰を遡上していない、と確信している。
にもかかわらず、中津川に行くとはこれいかに。
高田橋も弁天も人出があるなあ。
角田大橋上流の瀬肩に近い瀬に。上流の瀬肩上に1人、橋上流に10人ほど。
1時間以上働いたが、囮君も疲れた、と。オラはもっと疲れたよ。煙草を1箱余分に持って来て正解。
オラ専用のビアガーデンで、今年もビールが飲めたことに感謝しましょう。
仙台堰下流を見たが、数人。
よねさんたちは、継代人工が放流されたところに行ったのかなあ。
高田橋の人出は昼過ぎでも減っていないよう。弁天はちょっぴり減ったように感じるが。ことに瀬は。
6月2日酒匂川
十文字橋左岸のヘチの汚い石は数日前よりも少し増えているなあ。
新十文字橋上流平瀬状のところで、釣れている人がいたが、囮も釣れた鮎も小学生のよう。
新栄倉庫上流は、波立ちのあるところ、この界隈ではもっとも瀬らしいところ、もっとも丼大王が見れば、チャラじゃ、と判断するでしょうなあ。
そこが空いている。左岸側の人も去って行った。
ヘチの石が汚いものもあるが、食み跡があったり、石表が磨かれている石もある。にもかかわらず、去って行くとは何でかなあ。
波立ちのない、平瀬状のところは、釣り人で繁盛しているが。
上流側は、2本の流れになっており、竹薮よりも上流迄続いているのでは。右岸側の流れの幅が狭く、瀬状になっているところもある。左岸側の流れの巾は広くチャラ状。
その瀬状のところの人々も消えた。
栢山の堰は、去年よりも少し段差ができたところもあるとはいえ、下流側に砂れきが堆積して、どこでも遡上可能。魚道は、下流側に水がたっぷりとあるが、魚道上部にこぶし大の石が滞積して、水が流れていない。水が流れておれば、利用者がいるとは思うが。とはいえ、少し左岸側に移動すれば、遡上可能であるから、遡上阻害があるとは言えまい。
小田急鉄橋下流の堰の切れたところの流れは、強くなったり、段差ができたり、ダム放流で変化しているようであるが、遡上は可能。
にもかかわらず、1番上りがいないとはこれ如何に。
差しアユか出アユのやってくる時合いでしか釣れないのでは、と、思い、11時にビールタイム。
相も変わらず、その界隈で波立ちのあるところには、釣り人が定着しない。
1番上りが何でいないのかなあ。
丼大王ですら,何の取り柄もない?小川で、1番上りの女子高生を堪能しているというのに。
チビ3匹。丼大王は、女子高生を計測しているが、オラは、チビを計測するために持ち帰る。
何と、幼児と思っていたのに、10歳が1匹、12歳が2匹。当然、体型は小指よりも太いとは言え、「若鮎」にはほど遠い。
丼大王は、これを餌釣りで釣って、囮にしていたのかなあ。オラにはとても無理。
ということで、昼になったから上がりましょう。
一番上りが、何でかいないと判ったから、松田地区でなくてもよい。
次回は、富士道橋上流にしましょう。右岸護岸に沿ってできた分流には石が入っているから、途中下車している1番上りがいるかも。
サボMは、1日、昭和橋上流の中州が見れた附近、去年楽しめたところに入った。チビ1匹。
沖取り海産が、いつ頃、どこで採捕されたか、が問題。
もし、今年の沖取り海産が、3月の終わり頃に、三浦半島の長井沖等で採捕されておれば、櫛歯状の歯に生え替わるまで、週単位か月単位の時間が必要では。3番上りになる海にいる稚鮎。
そして、磯部の堰を遡上したアユは、5月25日頃のようであるから、その頃に遡上性向を持っているのは、3番上りであり、それに2番上りが混じっている程度では。
磯部の堰上流では、とても丼大王のように女子高生をだっこできる条件にはないと思う。
なお、サボMは、1日、あっちこっちを車でまわり、いずこも同じ「冬の夕暮れ」と感じて、2日も昭和橋上流に入り、チビから15センチを午前中で、つ抜けとのこと。
そして、
「チビ~16㎝が21本でした。
デカオモリ(2.5~3号)で青ノロを攻略しました。」
とさ。
アオノロの出ているところもあるとは。酒匂川の新栄倉庫上流でも、少し、アオノロが糸にくっついた。
そんな川の状況で、21匹とは、相模、中津の友区では竿頭?
6月5日 中津川
高田橋は、昨日友釣りが10人いたかなあ。ちんちん釣りと堰下流のドブ釣りが数人。
今朝は友釣り1人、ドブ釣りらしき人が2,3人堰下にいるが、まだ竿を出していない。ちんちん釣りは0。
弁天は昨日、今日とも10人ほど。ただ、瀬は少ないなあ。
昨日?の朝日新聞に引きの強さを愉しんでいた、なんて、高田橋地区と思える写真と文が掲載されていたが、どなたからかの伝聞のガサネタ。まあ、「事実」は、遡上量が多かった、ということ。しかし、遡上アユが、高田橋にいるのかどうか、いるとしても、1番上り、2番上り、3番上りであるのか、どうか、については、一切考慮されていない伝聞に基づく記事。
角田大橋上流へ。数人いるが。瀬肩のすぐ下流へ。
煙草がたっぷり吸える。
囮が流れるとエビが釣れている。竿操作が悪いということでしょうなあ。
2時間近く働いたとき、また、囮が流れた。
ありゃあ、アユが引っ掛かっている。
囮並みの大きさの継代人工。
何で、ここに継代人工がいるのかなあ。
オラ専用のビアガーデンで呑むビールは旨いなあ。
伊南川、小国川、九頭竜川、長良川の白鳥地区などを今もさすらっている人のおはしを聞いて,愉しむ。
湖産放流全盛時代の伊南川は、廊下でもよければ、というほど繁盛していた。今は、それらの宿がどんどん少なくなっているとのこと。
ということで、中津川の年間ボウズはなくなりました。
6月9日 中津川
朝の高田橋は、2,3人、弁天は10人ほど。昼の高田橋は10人ほど、弁天は10人ほどが見えた。
角田大橋上流側はオラ専用。橋下流は、2人入ったが、1人は去っていった。
釣り下がりながら、エビとごみが釣れるだけ。
まあ、こんなもんでしょう。
沖取り海産の幼児。幼児とはいえ、体長は10センチクラスかも。体型は幼児のままであるが。これで、またもや、ボウズはなくなった。あなうれし。
そして、ハヤ。ハヤを釣ったのは20世紀のいつ頃までかなあ。寒バヤを吸い込み仕掛けに黒川虫やイカの腸等をつけて釣っていた人が姿を見せなくなった頃から、そして、オラの囮にひっかかるハヤがいなくなってから、30年近くになるのではないかなあ。
男子厨房に入るべからず、の戒律が一番厳しいのでは、と妄想している薩摩隼人さんが、タケノコ料理を造り、持って来ていた。当然、つまみに。その時のビールは旨かったなあ。
あゆみちゃんには申し訳ないが、5月25日頃、3番上りが磯部の堰を上って、サボMらが、昭和橋界隈で20匹などと小中学生と戯れている方々には味わえない至福のひとときでした。
なお、中津川で、子持ちの継代人工を釣った人が。
1992,3年頃、湖産に冷水病が蔓延して、出荷量を少しでも増やすため、継代人工の大きさだけは湖産並みにしょうととして、電照で大きくしていた頃と同じ現象ですなあ。
前さんは、あゆみちゃんの性成熟が、短日化ではなく、積算日照時間が作用しているのでは、と、考えられたとき以来の6月の腹ボテ継代人工の出現すなあ。
養魚場にどんな事情が発生していたのかなあ。
6月14日 相模川
3番上りが磯部の堰を遡上しているから、アユの密度は、中津川と比べものにならないほど高い。とはいえ、風が吹くしなあ。
弁天の瀬に囮を入れる。流れが弱い下流へと釣り降っていく。
テク2らは、昨日まで昭和橋界隈が主漁場で、3,40匹。時間は4時間位。
遡上アユでは風に吹かれたとき、囮も掛かり鮎も小中学生では取り込み困難で、継代人工を釣りに葉山や昭和橋下流に入ることもある、とのこと。
テク2は珍しく10時前のご出勤。瀬肩のザラ瀬を動きまわり昼までに20匹ほど。
オラは,12センチから14センチ4匹。4匹も釣れるとはありがたいなあ。体型は、酒匂川の鉛筆ではなく、ほぼできあがっている。
テク3もやって来た。オラが釣り始めたところで、根掛かりしたとき、外しに行かずに切っていた。
もう1人竿を出した。誰か判らない。ビールを呑みながら、話を聞いていると、湖産放流全盛時代、寒狭川や、振草川等は綺麗な水、と、懐かしんでいた。そして、気田川には浜松から上っていった、と。テク2は、大井川から山越えの方が近い、と。確かに家山か、昭和橋付近から気田川に通じる道があり、20世紀、気田川から大井川に移ってきた人がいたなあ。
そして、その口髭とあごひげの人が誰か、判った。たまちゃん。おつむの毛がなくなったから、ヒゲを伸ばしているとのこと。
丼大王もおつむが薄くなり、ヒゲを伸ばしていたのではないかなあ。
タマちゃんに会うのは何年振りかなあ。大井川と狩野川が健在の時は、同行する機会があったのになあ。
幸せ男もやって来た。
相模川の常連さんで、顔を見せないのは、マムシキラーさんだけ。今日も昭和橋に入っているとのこと。
テク2は、遡上アユが対象であるから、上り道?通り道?を見つけないと釣れない、と。
大井川の葛籠で、出アユがやって来た。オラのところには止まらず、テク3の所附近へ。その時は、出アユの道というより、どこの食堂に行くのか、であったように思うが。
何年振りかで、昔の方々と会えて、しかも、今年一番の大漁となった、よき午前様でした。
6月17日 相模川
大会下見で大入り満員ですなあ。
弁天の前回の場所に空間がある。
悩んだのは、ビールにするか、酒にするか、ということ。上着を着ていたが、脱いで,そして寒さを感じ、次はビールの気温に。この変化を読み切れず、酒をバックに入れる。
オラの上流側の人は、若い方のSさん。若いといっても、もう30代後半ではないかなあ。オラと同じ位の釣果ですなあ。
午前様で5匹。11歳小学生は、沖取り海産の直放流ではないかなあ。12歳2匹、14歳2匹の3番上りは、体型ができあがっている。
今年始めて、養殖君以外を囮にした。
中津川では、囮が替わることは期待できないから、養殖君を如何に長時間労働させることができるか、その練習中ですが。
Sさんが、小バリにすれば、よく泳ぐ、と。ということで、帰り道、特別小さいハリはなかったから、5.5号を買った。
何でか3番上りしかいない酒匂川、沖取り海産の直放流しかいない中津川、そして、相模川で、5.5号の1ケースは使い切れるでしょう。
オラよりも遅くやって来た大会下見の人は、桂川通い。湖産が楽しめるとのこと。ただ、去年の増水で、釣り場による格差が大きくなったとのこと。葛野川は、なれれば湖産が溜まった場所もあり、大漁になるとのこと。
どの程度、下見ができたのかなあ。
ヒゲダルマ君は、瀬肩付近のザラ瀬で20匹ほどとのこと。
動けない中でよくぞあゆみちゃんをだっこできたなあ。
6月22日 中津川
気温が高くなるとのことであるから、ビールが旨かろう。
ということで、中津川へ。
角田大橋上流の瀬肩へ。そのすぐ下流のいつもの所は、先客あり。
波立ちに囮を入れて、水中バレ、空中バレ。
やっとタモに入ったが、ハリが外せない。どんなかかり方をしたんじゃあ。
また、養殖君の出番。次は囮に使えた。
そして、また空中バレ。やっと11時になったから、ビールタイムに。
橋上流に放流していた。大会までにはいなくなるのでは。
ビールを呑みながら、同年代のばあちゃんと戦後のお話しを。
タニシか、何か、川の生きものを生で食べて、赤痢騒動になったことがあったとか、のこと。
オラは、マブナもヘラブナも食用蛙も火を通したものを食べていたが。
バスを待っていると、お百姓さんが。
腹が出っ張ったとの話があったが、それ程出っ張っているようには見えない。
お百姓さん曰く、働いているから、と。
ほんまかいな、今日も東京にルアーを買いに行き、ついでに豆腐を買ってきただけで、歩いていないよ。
よねさんは、何であゆみちゃんをだっこできるのかなあ。あゆみちゃんもお金持ちが好きなんかなあ。
和歌山のドンファンさん同様、よねさんがお金持ちであるからかなあ。何しろ、超かっこええタモを使っているから、あゆみちゃんがしびれるのでは。
とんでもない言い訳を考える時間があったら、腕を磨け、ビールを呑むな、と、天の声。
まあ、ぼうずではなく、13歳、14歳の中学生がだっこできたから、満足しないと罰が当たりますよ。体型はできあがっている。
東伊豆の情けない川が、増水しても、若鮎が淵もなく、ヘチもない中、海に避難することなく、川に止まった。
そのような海鮎の女子高生や番茶も出花娘にオラが出会うことができるのかなあ。丼大王が羨ましいなあ。
6月29日 中津川
丼大王の東伊豆よりは、風が弱いはず。
にもかかわらず、風が嫌じゃあ、と川に入らないと、あんよは弱る一方ですよ。
しかも、世の中は、骨密度の低下だけではなく、筋肉の老化が騒がれていますよ。
とはいえ、相模川の風は嫌じゃあ、ということで、中津川へ。
角田大橋上流の瀬肩付近に入るが釣れず。数人の同業者で釣れた人も見えたが、皆さん、11時頃には土手上に。
オラも、よねさんが釣りきった、との言い訳を用意して、ビールタイム。
もちろん、跳ねるアユがいるから、よねさんには迷惑なお話ですが。
昼から、風が強くなったから、高田橋や弁天の大会下見の方々も、竿を畳んだのでは。
寒川堰堤での鮎の採捕は、ホースでおこわなれているとのこと。当然、櫛歯状の歯に生え替わっていて、コケを食することができる。そして、畜養費用もかからない。
そうすると、この放流量も継代人工並か、それよりも多いかも。海産畜養よりも多いかも。
その影響を考慮しなければならないのかも。かっての湖産や矢作川で行われている逆梁との採補量の違いがあるのか、ないのかを考えなくてはいけないのかも。
7月3日 相模川
風が強い、嫌じゃあ、といっていては、あんよが動かなくなるなあ。
弁天まで舟をぶら下げ、鮎バックを担いでいくだけで、しんどいなあ。
つものように、平瀬状のところへ。
瀬肩のザラ瀬の人も少ないなあ。大会下見の人々がいなくなったからかなあ。まだ、一つ大会が残っているとのことではあるが。
うんともすんとも言いませんなあ。
丼大王なら、やあめたあ、というかも。東伊豆の小川で、1番上りを、綺麗な1番上りを相手に戯れている方が愉しいよ、と、おっしゃるでしょうなあ。
対面にヒゲダルマ君がやって来た。
ヒゲダルマ君は、二つの大会に出たとのこと。その結果は、オラはビールを呑みながら聞いていたから、不確かなもの。ビールを呑んでいなくても、適切に記憶する能力が乏しいから、正確ではないことを前提に書くと次のようであった。
A大会は、囮配布が後ろであるのに、弁天瀬肩のザラ瀬の一等地がぽっかり空いている。そこで1回戦通過に。
2回戦もそこに入ったら、全然釣れない。まあ、1番上り、2番上りがいて、縄張りを形成していても、2番鮎、3番鮎が、1番鮎の動静を観察していて空き家になるとそこに縄張りを形成するとしても、すぐには縄張り鮎にはならんでしょうなあ。
釣り返しが効かない現在の川相、コケの状態。故松沢さんは現在のコケは、鉄屑と同じ、欲しかったら持って行け、というコケ、という表現もされていたが。そのため、釣り返しが効かない、と。
ましてや、3番上りであるから、また、石の状況からも強固な縄狩りを形成することはあるのかなあ。
その上、3番上りには、気まぐれなところがあるのかも。
B大会は、高田橋下流側へ。上流を見ると、右岸側にぽっかりと空き家が見える。そこで、1回戦通過の匹数を釣った?いや、バレがなければ1回戦が通過できた?
まあ、二つの大会とも、上位大会には行けなかったが、中津川の大会で、1番、とおっしゃって、でえんと椅子にふんぞり返っていたOさんとは違い、「検量が一番」なんて、ことはなかった。
ボウズで、ビールを呑んでいるオラも椅子にふんぞり返っていたOさんと同じですなあ。
ヒゲダルマ君は、瀬肩から、右岸を釣り下り、また上って来た。ザラ瀬は釣れず、瀬落ち近くのボサが生えている見てくれの悪いところで釣れた、と。
ヒゲダルマ君にもらったのは、13歳2,11歳3,10歳3.
この中には、3番上りでなく、沖取り海産の直放流も含まれているのでは。動物プランクトンを食べていた成長段階で、川にほおりこまれて、流水では植物プランクトンが繁殖せず、空きっ腹を抱えて生き延びたものの、10歳位で成長が止まったのでは。
テク2らは、昭和橋が釣れなくなり、葉山に行っているかも、と。
葉山は、大きいというから、継代人工を放流したの?、と聞くと、15歳位、とのことであるから、3番上りが対象のよう。
ヒゲダルマ君は、米代川の溯上鮎に異変が生じているよう、と。
例年は、桜鱒の溯上とアユの溯上は近接しているが、今年は、桜鱒が上って来ても、鮎はやってこない、とのこと。
平成24年8月のこと。
越後荒川の大石川合流点の瀬で、釣れるんは小中学生。その気になれば、相模川での大会優勝者の匹数のウン倍をオラでも簡単に釣れる。とはいえ、番茶も出花娘や乙女をだっこしたくてやってきたのに、小中学生では、越後下関の町を散歩して、ねえちゃんを見つける方が愉しいなあ。
その年は、雪代の収束が遅れた。高瀬温泉の主人は、二週間ほど、と話されていたが。コケを食べる櫛歯状の歯に生え替わっているのに、川に入ることができず、8月でも小中学生であった。
今年も東北、日本海側の川では、その現象が起こるのかなあ。
ヒゲダルマ君は、今年は、米代川等で、溯上鮎の番茶も出花娘や乙女とご対面できないと思うから、丼大王が東伊豆の「情けない」川でだっこした女子高生や番茶も出花娘の写真を見て、追憶に浸ってもらいましょう。
ついでに、狩野川に溯上鮎がいっぱいいる、と話す方がいらっしゃるとのことであるから、丼大王の狩野川での結果をポストに入れておきましょう。印刷した写真付きで。
風が吹いているから、河原でビールを呑んで満足したから、河原を後にした。
7月8日 中津川
大井川は、一時2メートルの増水。現在は1メートルほどの増水。濁りがとれて、アカがつくまで1週間、10日ほどかかるなあ。
長島ダムがなかった時は、いかい石があり、また、伏流水が、いかい石の附近にあって、袋状のアカ付きの早いところがあり、その場所を見つけると、うはうはであったことも。
酒匂川も一時的に1メートルほど増水し,濁り水であるから、しばらくは行けないなあ。
当分、中津川か相模川で、ビールを呑む楽しみを目的に、ボウズ街道を歩くしかないなあ。
テク2は、葉山で、0.25で丼を、また、抜くときに腕力が落ちたことを実感せざるを得ないあゆみちゃんに逢えたとのこと。
海産畜養が葉山にいた。それにお目にかかれたとは羨ましい。
とはいえ、相模川は、風が吹くから避けたい。
海産畜養、と、テク2には話したが、相模川漁連のH・P には、海鮎については、
5月28日 海産アユ 15グラム 33,300匹
6月9日 海産中間育成 25グラム 40,000匹
の記述しかない。
これだけしか、海アユが放流されなかったとしたら、とても、テク2の腕力の衰えを感じさせる鮎とは考えられない。
ということで、海産畜養以外には考えられないとしても、その氏素性に確証はない。
第一漁協が単独で放流したものか、どうかは、第一漁協のH・Pには、放流情報が記載されていないため、確認できず。
風?ウソこくな。
おまんがセクハラしょうと虎視眈々と狙っているねえちゃん、まだ5回位しか友釣りをしていないねえちゃんでさえ、ちょこっと竿を出して5匹、同じくそのくらいの経験しかないおっさんが10匹位釣っているのに、ボウズでは、ジジ-の沽券に関わるから、相模川を敬遠するんじゃろう。
まあ、そのような忖度?も働いていることは否定はしませんが。記憶にございますが…
よねさんも、田代詣でをして10匹台とのこと。
いつもの角田大橋上流の瀬肩付近ではないから、オラのボウズとの格差を気にしなくても良いが、万一格差が顕在化すると、精神衛生上穏やかではなくなるから、角田大橋下流のトロへ。
ここは、宮ヶ瀬ダムがなかった時は大石ごろごろであった。
河床が、1メートル以上上がったのでは。
丼大王のなさけない小川での釣り姿を真似て、見釣りをしましょう。
いかい石の石頭が水中に出ている所に鮎が群がっている。砂利のなかの石は勝負が早い、と。
しかし、皆さんが仲良く食事をしている状態では、相手にしてくれませんなあ。
その附近の流れてきた石の鮎も相手にしてくれませんなあ。
またボウズかなあ。
やっと、2匹の小学生。これで、ボウズ街道が中断した。
ありがたや。
ビールを注文すると、よねさんが、代済みとのこと。
ありがとう、よねさん、旨いビールをありがとう。
ビールを呑みながら、前立腺癌の手術を数年前にして、今は、注射をしている人の話に盛りあがる。
オラもその予備群で、頻尿対応の薬を飲んでいるが、お医者さんの関心は、癌にあるようで、その検査のついでに、頻尿対応の薬の処方箋を書いてくれている感じ。
その人は、注射が,あるいは薬で、骨密度の低下を生じるから、骨密度対応の薬を飲んでいるとのこと。
オラと同様、週1回と毎朝の薬かなあ。
いつ、テレビで宣伝している尿漏れ対応のパンツをはくようになるのかなあ。先陣を切るのは誰かなあ。
よねさんは、いつもの角田大橋上流の瀬肩付近に入り、オラよりも後からやって来たのに、10匹台とのこと。
よかった、橋下流のトロにいって。ウデの差が顕在化しなくて。
3番上りすらいない中津川では、オラの相手をしてくれるあゆみちゃんがいなくても、やむを得ませんなあ。
3番上りのいる相模川でも、、ボウズは当たり前ですからねえ。
河原から出るとき、軽トラの人が、鮎はいないが、ねえちゃんはいっぱいいるよ、ねえちゃん釣りに替えたら、と。
ごもっとも。宝くじが当たったらそうするよ。
7月13日 中津川
昨日の夕方、大雨警報が出たが、その警報がテレビで流れた頃にはこの界隈の雨は止んだ。
とはいえ、局地的な大雨のようで、あっちこっちで雨の降る状態は異なったよう。
相模川は、3,40センチの増水ではあるが、高田橋や弁天瀬肩付近では、チャラの水位が少し増えただけのよう。
津久井ダムは底水放流であるから、ダム底まで濁りが到達していないからか、濁りもない川を見ながら、中津川へ。
泥水が、津久井ダムの底に到達するとき、濁るのかなあ。
角田大橋上流は、オラを含めて3人。海底に行った人が1人いたが、元気ですなあ。
小学生2人をだっこできたから、ボウズではない。あなうれし。
丼大王が、松下の瀬で、沈しかかったことを喜んでいたら、オラも転んだ。膝の深さの処ではあるが。それでも、煙草を濡らし、立ち上がる動作に四苦八苦し……
いじめっ子が見ていないから安心していたが。
今日も気持ちよく、よねさん差し入れのビールを。
友釣り10回位の人が、2匹釣れたが、小さい、囮にできない、ということで、囮の追加買いにやって来た。
どのようなことを話せば、少しは役に立つかなあ、と、一応考えるふりを。
しかし、まちゃんがやって来た。まちゃんがおれば、何の心配もない。
仕掛けの話もしているよう。小バリを提供したかも。
平成の代が始まった頃、高田橋で講習会があった。
友釣り二回目、牛の鼻環のように大きい鼻管、鯉が掛かっても切れない太糸、手尻1尋、その人を相手に、講師の西角さんは、入れ掛かりをさせた。その釣り人は、あゆみちゃんの虜になったが、ここ数年、見かけないなあ。
先日、よねさんは、初心者の面倒を見ていて、いつもの10匹台には届かなかったとのこと。
まちゃんは、釣り支度をしてやってきているが、というよりも、車には道具一式いつも積まれているが、別に自らの釣りをしなくても、満足されるから、後日、どのような結果になったか、を聞けば十分です。
7月15日 中津川
丼大王でも、暑い、と、松下の瀬から、昼には逃げ出しているから、オラが午前様でとんずらしても、恥ずかしくない。
その上、丼大王は10人以上のあゆみちゃんをだっこしている。オラは、ボウズかボウズでないか、の、マイナーな結果ですからねえ。
とはいっても、川に入らないことには、あんよは弱る一方。そして、二度と回復することはない。
角田大橋上流へ。
杖を忘れたから、あんまり動けず、ボウズになった、と言い訳を考えていたら、下流側の桂川や相模川を釣り場にしている人が、去っていった。
そこは、立ち位置にするところが、砂利が多い。杖なしには有難い。
小学生が4匹、そのうち、囮にできるのが2匹。
何で、団子になるのかなあ。竿操作の何が適切でないのかなあ。
迷人見習いさん、囮を適切に泳がす竿操作を教えて。もう、数年、迷人見習いさまの竿操作を見てないから、忘れたよお。
とはいえ、ボウズでないから、堂々とビールが飲める。
昼、田代から戻ってきた人は10匹以上ではあるが、車の大群に閉じ込められないようにするのが大変、と。
川遊びの人達の影響も大きいのでは。
角田大橋上流でも、橋に近いところの釣り人は、川遊びの人達を避けて、去っていった。
こんな、ささやかすぎる満足では、さちゃんは釣れませんなあ。
さちゃんは、イサキ釣りに行き108匹、そのほかに、アジ28匹、さらに、タカベ、大サバ、メジナも。
イサキは、さしみ、唐揚げ、塩焼き、卵味噌煮に。
初めての太刀魚では6本。紫蘇巻き、天ぷら、骨せんべい、蒲焼きに。
舟釣りにねえちゃん達がなびくのは当然ですなあ。
今年冬の磯釣りは不漁であったとの話はあったが、これを奇貨として釣れるのは、おっさん。
夢も、ちぼうもおまへんわ。
昼過ぎの高田橋には釣り人が見えるのに、弁天では瀬肩に数人。弁天で何が起こったのかなあ。
7月17日 中津川
前回の元気の源であった孫娘殿にセクハラができないから、今日はボウズでしょうなあ。
仙台堰下流にウエーダで行くには、途中で倒れてしまう危険があるから、丼大王を見習って、半ズボンに鮎足袋の昭和の終わり頃のファッションで。
その頃、タイツをはいていない人は、まだ多かった。半ズボンで、ゲートルを巻いていた人も。
鮎足袋は、数回の使用で、水じゃあじゃあのウエーダーのメーカーのもの。もちろん、別のメーカーの非常に頑丈な鮎足袋は用意しているが、どこまで不良品とは意識することもなく、製造され、鮎用品としての一流メーカーとしての信用だけで販売されているのか、最後の確認をしましょう。
いつになったら、検査数値を改ざんする、という行為よりもはるかに技術力の低さを証明しているウエーダや鮎足袋、タイツの生産を止めるのかなあ。
鮎足袋は、布は破れていないのに、その中に収められているポリプロピレン?の量はさらに減り、もはや存在しないほどの状態。個体が、気体に変容するすばらしさ、ということかなあ。
この性質を有する物質を製造することができるとすれば、鮎足袋ではなく、他の製品では、素晴らしいものができるかも。
そのどうしょうもない鮎足袋を四苦八苦してはいて、いざ、仙台堰下流へ。
一番ゆるい斜面を降りて、水に浸かると、冷たい。
昭和の代では、今の時期、半ズボンで水にはいって、冷たい、なんて感じることはなかったのになあ。
ヘチで、杖に水圧を感じる。水量が少し多いのかなあ。
暫く、囮君に働いてもらったが、流れに負けそうな状況であるから、いや、囮だけでなくオラも。
角田大橋下流のトロへ。
幼稚園と保育園の幼児たちが、元気にトロに入り、はしゃいでいる。先生は、遊び相手になりながら、事故のないように面倒を見ているが、大変ですなあ。
水温にも馴れると、半ズボンは気持ちええなあ。当然、ボウズ。
自己成就型予言がまたもや的中。
よねさんが、またもや、ビールを用意してくれていた。
オラが面倒を見てもらっているのに。
相模大堰で、遡上量調査をしていること、その資料をもらいに行く部署を教えてくれたのもよねさん。
先日、高田橋で、顔は覚えているが、名前を忘れた人に会った。
その人は、心臓弁膜症の手術をしたが、味覚障害が発生したとのこと。心臓とおつむは関係ないと思っていたが、そうでないのかも。
味覚障害の結果、酒もビールも味が分からなくなった、とのこと。
オラは、心臓弁膜症の超音波?による検査を毎年受けているが、前年と変わらず、ということで、手術には至らず。
味音痴になる前に、よねさんのビールを味わいましょう。
ありがとう。
脊柱管狭窄症兼頸椎の異常ある人が。
その人は、軽い対症療法で、対応できているとのこと。羨ましいなあ。
オラは、今は、「加齢の証明」といわれる状態ではあるが、いつ、ブロック注射や、理学療養士のお世話になるか、びくびくしている。
孫娘殿のかあちゃんが、動物病院にお犬さんを連れて行ったら、熱中症のお犬さんがたくさん注射を打ってもらっていたとのこと。
犬が熱中症になるとは、何という世の中じゃあ。
お犬さんは、「野生」の動物ではなくなったということかなあ。
オラよりも軟弱とは,これ如何に。
相模川は、昭和橋上流の釣り人がいない、減ったと、ご近所さん。
弁天も瀬肩付近でも高田橋よりもはるかに釣り人が少ない。何でかなあ。
少しのダム放流によるアカ飛びとは考えにくいが。
7月20日 相模川
酒匂川は、3番上りしかいない、それならば、相模川と変わりはない。それに天気予報は、黄色い矢印の風。これも相模川と同じ。黄色い矢印は、5メートル位の風速であるが、酒匂川も相模川も+αの風速になる。
となれば、相模川にしましょう。
弁天の釣り人が少なくなったとはいえ、竿盗人を避けるには、平瀬状の所しか入るところがない。
竿等を預けて、今年始めて高田橋で釣りましょう。
小沢の堰の落水部分の幅を長くしたことによって、かっての流れの幅の数倍の流れの幅となって生じたチャラであるから、高田橋上流がチャラ以外の川相になることは期待できないのでは。
どこに活きた流れの筋があるのかなあ。差しアユ、出アユの通り道の筋はどこにあるのかなあ。
先客は、Iさん1人。橋近くの右岸寄りに主に囮を入れている。とはいえ、Iさんの腕でのスピードでは想像できないほど、取り込みが少ないなあ。
どこも同じ流れに見えるから、考えても役に立たず。
囮にできる小学生2匹。
ハリスが飛ばされていた。吹き上げの風の中、おばせを造ろうと、無駄な抵抗をしていた時に飛ばされたのかなあ。
飛ばしたのは何者?
鯉では、敏捷な動作をしないのでは。葉山同様、大きい海産畜養が放流されているのかなあ。
橋の日陰で、ビールを呑んだから、満足。
先日、お犬さん達が熱中症になり、注射を打ってもらっているのに、オラが熱中症にならないとは何でや。
1 お犬さんよりもオラが「野生」である。
2 バカは熱中症にならない。
3 半ズボンに鮎足袋姿であるから、水中の足の太い血管の血の温度を下げ、それが全身にまわっているから。
孫娘殿のかあちゃんの説:3が、オラが熱中症にならない理由と思っていた。
ところが、プールでも熱中症になる、と。
その理由として、頭が空中に出ているから、そこが暑くなっている、水中でも汗をかいているから、水の補給がいる、と。
ただ、これらの説明は、テレビ局で少し異なっているように感じるが。
とはいえ、今日も、半ズボンに、昭和の終わり頃から頑丈な、丈夫な鮎足袋を製造してくれているメーカーの鮎足袋で川に入った。
暫く、ウエーダーを休ませましょう。
サボMが、昭和橋上流で、つ抜け、と。それに満足できず、あちこち釣り場を求めてさまよっている、と。
何で釣れなくなったのかなあ。3番上りが品切れになることは考えにくいが。高い水温?
この理由付けはよく行われているが、適切ではないと思う。
関西の8月の盆の頃のように、30度近いぬるま湯のような水温では判るが。囮を2回引き戻すと、もう働けん、と。伏流水や、支流の伏流水が流れ込む距離の短いところを見つけると、うはうはに。
そんな高い水温ではないですよなあ。
丼大王は、やる気の乏しい狩野川のあゆみちゃんをだっこしているから、水温の高いせいにすることも適切ではないかも。
7月23日 相模川
昨日、弁天で行われていた名人の講習会を、堂々と盗み見をした。予定では、ビールを呑みながら、長時間見ているつもりであったが、暑い。10分、20分しか見ていなかった。
弁天瀬肩の瀬で、錘をつけていた名人は、オラが見ているときは釣れていなかった。
その上流のザラ瀬で、ねえちゃんが、名人の指導で、流れの筋を変えながら囮操作をしていたが、釣れていなかった。とはいっても、10分ほど見ていただけで、暑さに負けて、退散したが。
これまでの1級ポイントであったから、すぐに釣れるはずですがねえ。
囮は1匹、釣れる状況ではなさそうであるから、橋下の日陰で、ビールを呑むことに専念しましょう。
高田橋は5人もいないなあ。昨日、久しぶりに人が多かった弁天はどうなっているのかなあ。
右岸側の水深のある附近の2,3人は、たまに小学生を釣り上げているが、囮にできたかなあ。
「土用隠れ」?。
昼の水温は、15度。なさけない東伊豆の小川のように、ぬるま湯ではない。
相対的に水温が高くなった?
津久井ダムは底水放流。そこから、高田橋までは5キロ余りの流程。とても、大きく水温が上昇するとは思えませんなあ。
「土用隠れ」の説明に、つわり説もあったが、学者先生はいざ知らず、房総以西の太平洋側では、西風が吹き荒れる頃=木枯らし一番が吹き荒れる頃から、産卵のための下り行動を含めて、あゆみちゃんはそわそわする。したがって、11月12月が産卵時期であるから、性成熟がはじまっているとは絶対にあり得ない。
湖産でも、その年は湖で生活する「小鮎」は、9月上旬頃から産卵するから、小鮎であれば、つわりもあり得るかも。とはいえ、まだ早いのでは。
ということで、なんで、3番上りが釣れなくなったのか、判りません。
ヘボの考え休むに似たり、であるから、橋の日陰で、ビールを呑んで休みましょう。ついでに昼寝をしましょう。
あ、そうそう、初心者のきさんが、昨日の午後、ちょこっと弁天瀬肩上流に囮を入れて、数匹のあゆみちゃんをだっこしたとのことであるから、「釣れない現象」を普遍化することが間違っているかも。オラがヘボであるだけかも。
とはいえ、弁天瀬肩界隈の1級ポイントが釣れなくなっている,釣れる数が少なくなっていることも事実であると思えるから、なんでかなあ、という問いは可能では。
このようななかでも、丼大王は、「水が欲しい」なさけない小川でも女子大生を、「トラックで運ばれてきた」?鮎が主役と思っている狩野川の松下の瀬でも、バレ、バレ、と、文句を言いながらも、あゆみちゃんをだっこしているとは、腕の問題だけ?,
7月26日 酒匂川
朝、涼しいと感じたのは、何週間ぶりかなあ。
台風もやってくる。
大井川は、1,2メートルの短時間のダム放流であるのに、まだ、濁りが残っているとのこと。釣りには支障はないが。囮屋さんは、来るな、と。長島ダムに何が発生しているのかなあ。
仕方がない、年券のある酒匂川に行きましょう。
囮屋さんのばあちゃんは、今年は96歳のはず。オラの年を聞いて、元気やなあ、と。元気なんてないよ。
昨日、大粒の雨の中、釣っていた人達は大漁。雨から逃げた1人は釣れず、と。
増水を予知して、入れ食いをする、という話があったと思うが、その現象かなあ。
昨日の雷雨は、川音川、その上流の四十八瀬川には濁りをもたらすほど降ったが、川音川合流点より上流の本流には、恵みの雨となったよう。
逃げ出した人は、オラと同じですなあ。
湖産放流全盛時代に黄昏が立ちこめていた頃、報徳橋で釣っていた。遠雷がした。オラはすぐに喫茶店に逃げ込んだ。アッシー君達は笑っていた。
大井川で、どんなにゴロちゃんに虐められたか、車通勤の人には、その怖さはわらんじゃろなあ。
今日も、新栄倉庫上流へ。
この界隈では、右岸側河原には車が入れない、草むらは、護岸附近にしかないから、見通しがきく、竿泥棒を気にしなくてもよいから。
ばあちゃんは、荷物を置いていけ、といったが、河原と護岸の間には、コンクリート護岸を1メートルほどとはいえ、降りなきゃ。その下の階段は問題ないが。
コンクリートの斜面の上り下りは、オラにとっては危険この上ない。
瀬に入る。
すぐに女子高生。それをもたもたと外して、囮をつけていると監視員が。
杖を使っているのに立ち上がれないオラを見て、手を引いてくれる、と。せっかくのご厚意ではあるが、この動作ができないと、益々あゆみちゃんとの縁切りが近くなる。
やっと、立ち上がれた。次からは、立ち上がるとき、杖を一段短くしましょう。いや、ボウズ街道当たり前、であるから、この動作をしていないことが、問題かも。使わない動作は、筋肉はすぐに衰える。
根掛かり放流をすると、どんな女子高生であるか、検証できなくなるから、箱入り娘にして、次の養殖君に働いてもらう。
この養殖君は、成果を上げたのに、まだ働け、といわれ、根掛かりにも、エビにもなるという過酷な勤務にも耐えてくれた。
根掛かりを外しに行こうとしたが、半ズボンでも無理。
糸を切るため、竿を畳んでひっぱると、根掛かりが外れた。ありがたや。迷人見習いがおれば、すたすたと根掛かりを外してくれるのになあ。
次は、お茶を飲む動作をしていて、空中に頭を出している石に水中糸が巻きついた。外しに行くと、途中で外れた、掛かっていた。
次の幸運、最大の幸運は、ズームが固着した。前回は、太っ腹さんとたちゃんに、直せ、といえばすんだが、ばあちゃんとオラがねじって固着を直すことは無理ですなあ。
竿ケースに入らない竿をどのようにして持ち帰るか、考えていたら、釣れなくなった。
いや、因果関係は逆か。釣れなくなったから、固着対応を考えていた、ということかも。
悩んだ効果はあった。なんでか、固着が解消した。ありがたや。
当然ビールでかんぱあい。
他の人は、オラと違い、小学生も釣れていて、玉引きをしている人も。
女子高生7人のナンパができたから、意気揚々と帰れるが。
昼からも働いた。二時まで働いた。
根掛かりをしても助けに行ける可能性のあるところ、ということで、瀬尻風のところへ。
ズームの固着を避けるため、ズームを使わないで、取りこみましょう。
二時までの1時間働いて、小学生2,中学生1,女子高生1。
夢のつ抜け。
丼大王では当たり前のことではあるが。
こんな幸運は、もう生じないでしょうなあ。
11匹のうち、5匹の女子高生は、下顎側線孔数4対左右対象、背びれの形状は、頭側が長く、しっぽ側が短い。したがって、海産畜養でしょう。2匹の女子高生は継代人工でしょう。
小学生の2匹と、中学生の2匹は、3番上りでしょう。
ばね指と足がつったときに即効性のある薬をベストに入れ忘れていることに気がついた。
ばね指対応の注射を二回しているから、大事には至らなかったが、足がつっていたら、大変な思いをしていた。
ということで、ボウズ街道まっしぐらのヘボが、つ抜けをしたことで、いろいろと体験することができました。使われない動作は、すぐに錆びてしまうことも。
8月6日 酒匂川
また、嵐がやって来そう。
丼大王でもお疲れのようであるから、7月終わりの嵐の時のように、嵐をぶっ飛ばしてくれる念力があるか、どうか、気になりますねえ。
また、熱中症は、水と塩を補給していても、必要条件を満たしているだけで、十分条件ではないよう。高校生でも熱中症になるご時世であるから、やさジジーが熱中症になることは当たり前と考えるべきでは。
その二つの条件を考慮すると、曇りの今日は、最良の日かも。
前回、昔はなんで1番バスに乗っていたのか忘れていた。小田急のラッシュを避けるため。
そのことを思い出したが、3番上りと海産畜養のために、1番バスに乗る元気はでませんなあ。
ということで、ラッシュが終わる頃の小田急に乗る。
96歳のばあちゃんの気力をもらうため、新栄倉庫上流へ。
濁りは、笹濁りの薄い状態。アカ付きも十分のよう。
囮屋さんに着くと、息子さんが。
ばあちゃんは、7月終わりの嵐の時に、何かを片付けようとして転んで骨折したとのこと。今年は店をやれない、と。
そんなああ。
息子さん夫婦が店を開けるが、出勤時間前しかあけることができない、と。
もう、10時であるが。今日は、休んでいるから、開いている、と。ということは、オラは運に見捨てられていないことになる。
せっかくの運を大切にするため、瀬で根掛かりを外しに行って、転びたくない。
ということで、瀬尻というか、平瀬というか、海産畜養は望めないところへ。
上流の瀬の人が、玉引きをしていて、でっかい布を釣った。ごみがまだ残っている。
背びれに黒い線がくっきりと出ている。しかし、背びれの頭側としっぽ側の高さが同じ。
まあ、継代人工としては綺麗なものでしょう。
3番上りの小学生が3匹、継代人工の高校生が4匹。吸盤ボウイを加えてもつ抜けにならず。
2時前、着替えが終わったとき、瀬の人が、河原を下ってきた。
布のごみを避けて取りこむため、下っているとのこと。
両手で抜いて、河原に飛んできた番茶も出花娘の海産畜養。
オラと同世代のようで、抜く力が弱くなっているのかも。
大井川では、河原に立って、両手で抜いて、袋ダモに入れて、舟まで運ぶ。
その動作を、もう何年ご無沙汰しているかなあ。
番茶も出花娘や、乙女に再会できないまま、人生を終えることになるのかなあ。
ばあちゃんは、骨密度が低くなっていたのかなあ。
術後の2年目検診の時、1年目より骨密度が低下している、ということで、週一回と毎朝の薬を。
3年目検診の時、若者の70%に回復している。
4年目検診の時、椎間板附近と大腿骨附近の骨密度が低い、回復しないときは、注射をする、と。
5年目検診の今年、注射コースが追加されるのかなあ。
骨密度が、場所で異なるとは、想像もしていなかった。
骨密度の検査に特化したCT?の下で、20分ほど寝転がっている。やることがないから、うたた寝の誘惑と戦うことになり、大変。
少なくとも、いつの間にか骨折の危険はない状態になっているよう。
ばあちゃん、ばあちゃんの英気は頂いたよ。ありがとう。
ボウズにならず、叉、川で転ぶこともなかったよ。
来年は元気な姿を見せて。
すぐ上流で、流れは二つに分かれている。
左岸側の流れは、チャラ。前回の時は誰も入っていなかったが、今日は大入り満員。
ダム放流後、最初にアカ付きがよくなった、ということかなあ。
ただ、昼からは釣り人が減ったから、大漁場所は少なくなったということかなあ。
ヘチのドロ被りの石に大きい食み跡がある。大きい継代人工か海産畜養を放流していたということかなあ。
海産畜養は、ダム放流の時、上下の移動をせずに、ヘチへの水平移動をしただけかも。そのため、布のごみがあるのに瀬に囮を入れていた人が、海産畜養をだっこできていたかも。
相模線を降りると、ゴロちゃんがお出迎え。
臍をかくことが出来るから、怖くないよ。
今朝は雨。昨日出かけたご利益もばあちゃんの英気の賜物でしょう。
8月20日 大井川
1995年、6年、そして、去年も、駿河湾の稚鮎生存率が小さく、狩野川で遡上鮎が期待できなかったときでも、大井川には遡上鮎が、オラの腕でもだっこできるほどの密度があった。
ダム放流がやんで2週間ほど、アカがついているはず。
アッシー君が釣れたから、葛籠へ。
大井川初?のくちゃんが、30匹ほど掛けて取り込んだのは15匹ほど、そして、去年はオラもあゆみちゃんをだっこできた瀬が、大きい石が埋まり、流れに変化がない。これじゃあ,遡上鮎が途中下車してくれているか、心許ない。
久野脇親水公園へ。
何年振りかで見ると、キャンプ場が整備され、左岸から右岸に流れてきて、右岸沿いにあった瀬を見に行くことが出来ない。
アッシー君は、何とか、瀬が見えるところへ、と、河原を走ってくれたが、諦めるしかない。親水公園手前から、その瀬が見えるところに入る道はあるものの、どの道か、記憶になし。
発電所廃屋前の瀬を右岸道路から見るつもりであったが、崖の木が生い茂っていて見えず。
笹間渡鉄橋上流の去年釣れた瀬を見ることもなく、大和田へ。
仕方ない、ここで囮を入れてみましょう。
ヘチには、枯れたアオノロ,まだヒゲの出ていないアオノロがあるのに、アカ付きが悪いなあ。
太っ腹さん共々釣れない。あゆみちゃんがいる気配を感じられない。右岸護岸付近に入った人も去って行った。
オラ達も去りましょう。
ということで、あゆみちゃんがいるのか、いないのか、不明ではあるが、河原を走り回った時間が、大井川にやって来た証拠です。
もう、大井川のアッシー君を見つけることは出来ませんなあ。
もし、ダム放流がなく、アカがついているかも、と思えるときは、囮屋さんに電話して、囮を確認して、電車通勤をするかも。
その日の来ることを願っているが。
パーキングで食べた朝食の桜エビのかき揚げうどんは旨かったなあ。
丼大王のように、あゆみちゃんをだっこできない、ということは、オラの辞書にない、と、豪語したいと思っていた大井川であったが。
8月23日 相模川
酒匂川に行こうか、と、少しは悩んだが、台風の影響を受けた雨は、小田原の方が早く降るとの予報。
そして、風が出て来た。
もし、3番上りがいたら、中津川にするが。
弁天まで歩く元気はなく、高田橋で途中下車。
だあれもいないし、根掛かりしても、怖い思いをしないで外しに行ける。
小学生4匹。ボウズでないから幸いとしましょう。
幼児を連れた人が、大島の継代人工の成魚放流も品切れでは、と。
また、今年、よかった川は、庄内小国川とのこと。
日本海に流れ込んでおり、叉、山奥から流れている川でないから、雪代が遅くまで残ることもなかったから、と思う。
その上、放流も真面目に行っているとのこと。
近くの川で、遡上鮎が釣れそうもないから、遠くても出掛けて行きたいとのこと。
丼大王が、狩野川で乙女を含む女子大生を13匹だっこしたから、オラも、と出かけるほどのウブではなし。
丼大王であるから、女子大生をだっこできたのであって、オラはボウズ間違いなし。
とはいえ、オラにも夢がある、と、自惚れて、囮屋さんのおばちゃんに会いに行こうかなあ。
台風が過ぎてから、身の振り方,処し方を考えましょう。
8月30日 中津川
ダム放流後、光合成を不可能にする濁りはなかった。
角田大橋上流の瀬は、少し水量が多いことから、オラのあんよでは根掛かりの時、川流れの懸念がある水量。とはいえ、10センチほどの増水であるが。
鮎足袋に半ズボンとはいえ、怖いことは避けましょう。
角田大橋下流のトロへ。
東伊豆のなさけない小川で、丼大王らが、餌釣りやバケで釣っている3番上りよりも小さい幼児が。沖取り海産の直放流です。
幼児達の声がしたから、水遊びの邪魔をしないように、瀬落ちへ。
幼児1匹で終わり。
橋上流は、他の川に行き場のない人達か、並んでいる。この人達の何人が、昼からも釣りをしているか、興味はあるが、ビールを呑んだし、バスが来るから帰りましょう。
ああーすうは いずこのかわかあ
中津川は、明日は平水になっている。
酒匂川は、3番上りと海産畜養が期待できるが、まだ水量が少し多く、少し濁りもある。
どっちにしょうかなあ。
起きてから考えましょう。
台風がやってくるようであるし、川に入る機会はどんどん減っていくなあ。
8月31日 酒匂川
富士道橋上流の分流を目指す。
5月の時よりも、分流が上流に延びて、明治製菓上流から始まっている。したがって、右岸に沿う流れの釣り場の選択肢が増えている。分流の流程は1キロほど。
残りアカは期待できない。
故松沢さんが、グラインダーで石を削りとった状況、と話されていた白川状態。
ダムのなかったときは、上部が平坦な、砂止めブロックの間には、頭大の石が何層か、重なっていて、すぐにアカがつく状況であったが、今は、ブロックのまわりは砂利だけ。
光合成が出来る水色になって数日は経っていると思うが、アカのついた石はなし。
丼大王が、狩野川の松下の瀬のアオノロの根を流すほどの出水を期待しているが、その白川状態。
幼児に,吸盤ボウイの幼児。幼児に好かれるとはなんでかなあ。
沖取り海産の直放流は行われていないと思っていたが。「海産畜養」に、幼児も入っているのかなあ。
継代人工は、一斉に採卵、孵化作業を行うが、海産畜養は、孵化日が異なる稚鮎を育てる。そのため、大きさによる選別を繰り返し、大きさに合わせて餌を与える手間が掛かる、との話があったと思うが。
その作業を行わずに、「海産畜養」として放流しているというとかなあ。
昼前ではあるが、氷が溶ける前にビールを呑みましょう。
風はそれ程強くないが、竿を畳みましょう。
高水敷きを歩くことが、釣り人道が造られていないからツタが生い茂り大変。それでも、川相を見ておかないと。
明治製菓上流には、コンクリート護岸にアカがついているところがあった。
そこには、女子高生か、女子大生かの姿が数匹見えた。
短いながらも、数カ所の瀬がある。
釣り場としては、変化に乏しい、あるいは、石がない、貧相な川相のところが多いとはいえ、オラが安全に釣ることが出来る場所。
本流も見たいが、去年までと違い、中州は草ボウボウ。草むらを歩く元気はないなあ。
囮屋さん夫婦は、2人とも、診療科目は違うが、2か所ずつのお医者さん通いが、去年よりも増えていないとのこと。
お互い、お医者さん通いですんでいるから、感謝。
青紫蘇を酢に入れて造った薄い赤色の爽やかな飲み物を今年始めて頂いた。梅酢に紫蘇ををつけたと思っていたが,さにあらず。
9月9日 中津川
7日、ジジー半原を徘徊
半原上流、愛川大橋のところにある魚止めが気になりますねえ。テク3らは、その下流で、海産畜養や、汲み上げ放流のあゆみちゃんをだっこしたのかなあ。
湖産放流全盛時代の5月1日頃、日向橋から、中高生のあゆみちゃんを見てにやにやしていた。ある年に見えなくなった。冷水病の蔓延。
日向橋のところにあった食堂は、2戸の建物になっている。その食堂が囮を置かなくなったのは21世紀になってからかなあ。20世紀終わり頃かなあ。
ダムが出来てから、日向橋上流の石ころの河原が、草の河原になっていったが、今や、流れのないところは蘆や草が我が世の春を謳歌している。
流れの中には、一抱えありそうな石も転がっているが。愛川大橋のところの高水敷きを歩くが、あゆみちゃんは見えず。5日?のダム放流でも、一時的な笹濁りで、相模川と違い、泥濁りではないが。透明度は50センチか、それ以上あるのになあ。
三川合流点の中津川は、濁りを嫌ったアユが集まり、何束釣れるのかなあ。
魚止めの堰は、湖産放流全盛時代,ダムがなかった頃よりも高くなっているよう。その頃は、元気な海アユなら、越えることが出来るほどの高さであったが。
石小屋へと歩く。以前は、川沿いに歩いていたが、坂道を上っていく。
垢石翁が、中川根町から大井川を見た時、「物置小屋のような」いかい石にびっくりしていたが、それよりも大きな石・岩が石小屋にはあった。
その石はなし。そして、「石小屋ダム」となっていて、それが、副ダムとのこと。
発電用のダムで、その水はどこに流れているのかなあ。直接中津川に入っているのではなさそう。トンネル状の排水路があるのかなあ。
もう、半原の風景を見に来ることもないでしょうなあ。
愛川橋上流の絞り込まれた瀬、でかい石が点在していた瀬、そこで高校生の子供さんに釣りをさせていた親が、掛けることは出来るが、取り込みが出来ない、と笑いながら話されていた大石ごろごろの瀬が、復活することはないのでは。
そんな郷愁に浸っている場合じゃあ,ないでしょう。丼大王は、手足の痛みがあるにもかかわらず、あゆみちゃんを軟派しまくっているんですよ。
まあ、その真似をすることは不可能であるが、久々に中津川に行きましょう。
囮屋さんの水槽のうち、2つの水槽にこれまでとは違う鮎が泳いでいる。
番茶も出花娘に乙女が。
背びれの形状は、頭側が長く、しっぽ側が短い。帆掛け船ではない=継代人工ではない。
2つの水槽のうち、上段の水槽には側面、上部に光が入る。それで、白っぽい色。
下段の水槽は、1面しか光が入らない。したがって、黒っぽい。
つまり、あゆみちゃんのもっている保護色の機能が,機能している。
この乙女と番茶も出花娘の氏素性は如何?
あちゃあ、漁協の釣り大会で角田大橋は満員。平山橋から移動してきた人が、2人分は空いたよ、と。
仕方ない、仙台堰下流へ。
釣り人道が少しその俤を残しているところを下ると、その上下に釣り人が。その人達は立ち込んでいないから、ヘチを歩いていくことが出来ない。
叉、大地を歩いて、橋下流のトロへ。
沖取り海産の直放流の生き残りの幼児、次はアブラッパヤ。
アブラッパヤは、ガキ共のよき遊び相手であったが、なんで激減したのかなあ。
小学生が、あご掛かりで釣れて、ボウズでないことを喜んで、終わり。
今日は、3,4年前、才戸橋まで遡上アユがいたときは、長坂の橋上流から才戸橋までの友区を釣り場にしていて、今年は昭和橋上流の右岸側の瀬を釣り場にしているTさん、神沢に瀬があった頃一緒に行った名前を忘れた人、そのほか、数人に会った。
まだ、舟釣りに転向していない人達がいることが判っただけでも有難し。
さて、2つの水槽に入っている乙女と番茶も出花娘の氏素性は如何?
静岡県の養魚場で生産されているF1とのこと。
この稚鮎が放流されていれば、オラが午前様の日々を送らなくてもよかったのに。
神奈川県内水面試験場は、30ウン代の交雑種の生産を止めてからも、海アユのF1の生産は、行っていない。なんでか判らんが、いろんな組み合わせをして種苗生産を行い、それを継代化いるよう。
その原因は、高橋さんや、「アユ学」のように、房総以西の海アユの産卵時期が、10月、11月である、との学者先生の教義が影響しているのかなあ。
その教義に従えば、海アユを親に使ったとしても、10月に採卵すると、卵、精子の成熟が不十分な状態での採卵になる。
そのことが、海アユ同士のF1は、小さい、弱い、という現象になっているのかなあ。
静岡県の養魚場を調査すれば、海アユを親としたF1の生産が如何に、可能になるか、を学べるのではないか。
「二嶺ピーク」の現象を調査の結果、承知されている内水面試験場であるから、その10月中旬の「ピーク」が、湖産等のトラックで運ばれてきたアユの子供であることを認識するだけで、房総以西の海アユの性成熟、産卵時期が、11月12月であることを理解できると思うが。
学者先生の教義の呪縛から、内水面試験場が離脱できる日が来るのかなあ。
内水面試験場が、静岡県の養魚場に調査に行く日がやってくるのかなあ。
8日の土曜日は、他の川が濁り、釣り場にならないから、中津川は大入り満員であったとのこと。
夕方になると、釣り人が少しずつ減り、まちゃんは、その間に入れてもらった。
そして、海アユのF1を釣った。
1匹だけでも,幸運そのものであるのに、釣り人が減っていくご利益を1人?で享受して、何人もの海アユのF1の乙女や番茶も出花娘をだっこしたとのこと。
うらやまし。
しかし、最上川の支流・小国川に出かけた人は、越流する状況で、釣りどころではなかった、と。田圃で鮎が捕れていた、と。
そのような、運不運があれど、沖取り海産の直放流の生き残り、数少ない汲み上げ放流、海産畜養を相手にしなければならないとは、今年もヘボには不運な年ですなあ。
相模大堰副魚道の遡上量調査では、7,8千万の遡上アユがいたというのに。
なお、県産継代人工は流れた、との話はあるが、オラには判らない。葉山に放流されたと思われる成魚の継代人工はどこの種苗かなあ。大島の継代人工の成魚放流は?
9月11日 中津川
20度ちょっとの気温では、半ズボンに鮎足袋では寒い。久々のウエーダー。
少し増水している。角田大橋上流で空いているのは、橋から20メートルほど離れたところ。砂利が多いとはいえ、楽ですなあ。
10時を過ぎると、2,3人を残して去っていき、2,3人が新規に参入。結局、オラだけが、朝からの釣り人1人に。
皆さんが、釣れていないということは、F1が釣れない、と、ひがむことは贅沢かも。
とはいえ、F1を釣るために7号のハリを使っているんですがねえ。多分、025よりも太いのでは、と思っている糸を使っているんですがねえ。
まちゃんらが、F1を釣り残してくれるほど、心優しいとは考えられません。
まちゃんは、「釣り残していても、おまんの腕では釣れんよ」とおっしゃるかも。
そんなことはないよ、皆さんが去っていくなか、高校生3匹、中学生1匹の帆掛け舟の背びれ・継代人工を釣ったよ。
どこの継代人工の種苗か、養殖か判らないが。すでに腹子をもっていた。
日向橋上流は、遡上アユがいない鮎見橋上流では、一番、海アユが多いかも。
海産畜養、汲み上げ放流がたまっているのかも。
先日、マムシキラーさんとすれ違った。マムシキラーさんは、日向橋上流に向かっていたのかなあ。
とはいえ、河原の草むらには山蛭が生息しているとのこと。ガキの頃は、池や田圃への溝で、魚や泥鰌を捕っているときに蛭とは仲良しさんであったとはいえ、山蛭と付き合いたくないなあ。そうすると、流れの中を歩くことになるが、オラのあんよでは、動きまわることは困難でしょう。
先生1人に生徒2名という豪勢な講習会の時に入った殿淵から右岸へのザラ瀬で、先生は、このザラ瀬で釣れるときの条件を話された。
そのお話を少しでも覚えておれば、遡上鮎のいる川の川見が少しは出来るようになったのではないかなあ。そして、ヒゲダルマ君に、「ほったらかし釣り」といわれない腕になっていたかも。
少しは気温が上がり、ビールを呑んでも風邪をひかないから、ビールタイムにしましょう。
9月16日 中津川
相模川は、笹濁りに改善。光合成が出来ているのかなあ。
弁天の瀬肩付近に左岸側から竿度出している人4人。昼過ぎには5,6人が、右岸側から竿を出していた。
数週間、飢饉が続いていたが、3番上りへの影響はどうなったのかなあ。房総以西の太平洋側の海アユであるから、まだ、性成熟がはじまっていないが、今後、性成熟にどのような影響を生じるのかなあ。
角田大橋上流は、瀬肩付近から瀬は満員。
橋に近い砂利の多いところは空いている。
オラの上流、2人目の人がヘチに誘導して、下って来て、タモに吊し込んだ。F1の番茶も出花娘か、乙女。
うらやまし。
オラと同じ年代のようで、よねさんと違い、0,15?のような細糸を使っていないから、丼にならず。
オラは小学生に、重さを感じるものを含めて3匹のバラシだけ。待望のボウズ。重さを感じたのは、逆バリが切れていなかったから、逃がされた囮かも。
よねさん、ビールの差し入れありがとう。
先日、少し水量の多いとき、Kさんが寒中水泳。
枝等が石の間に挟まっていて、根掛かりしやすいとのこと。
今日は、動くことのできる瀬へ行く、と。半原の交番を入ったところの上流側の瀬に入ったのかなあ。
よねさんは、平山橋まで行ったのかなあ。
17日は、お天道様にこにこ。
16日以上に中津川は、込むでしょうなあ。そらあ、砂利の多いところは空いているでしょうが。
弁天の状況を見に行くことで、ボウズの回数を節約しましょう。
酒匂川の明治製菓上流は、階段があって、しかもオラのあんよで分流を渡れるところがあるのか、どうか心配、ということで、サボりましょう。
小田急鉄橋下流なら、その心配がないことはわかっているが。骨折したばあちゃんの囮屋さんも、休日であるから、8時を過ぎても店を開けているかも、とは思えど、番茶も出花娘や乙女の遡上アユがだっこできる夢がないからなあ。
丼大王は、増水による濁りも味方につけて東伊豆の情けない川の遡上アユを品切れに章と孤軍奮闘、いや、ご近所さんたちと励んでいるが、その効果は、1番上りには効果が認められるものの、2番上り、3番上りにはいかがなもんでしょうかねえ。
9月18日 酒匂川
川音川は、平水の倍ほどの水量。しかし、松田の水位は増えていない。ということは、昨晩の雨は、鮎沢川流域では降っていないということかなあ。
光合成が出来るようになって数日経っているとはいえ、チャラに入りたいなあ。
新栄倉庫上流の、流れが2つに分かれている左岸側の流れは、チャラであった。
そこを目指すが、河原の釣り人道が1本しかないこと、そこには階段がないことを忘れていた。
やっと、高水敷きの護岸を降りて、流れにでると、あちゃあ、数回のダム放流で、左岸側のチャラが、瀬に。右岸側の流れが、浅いトロ状に。
ヘチの石のアカ付きは、良好というにはほど遠い状況であるが、囮君に働いてもらいましょう。
たまにチビを掛けている人がいるものの、釣れていなせんなあ。
囮君よりもオラが疲れた。
とはいえ、働いていない囮君がいることは、癪じゃあ。
十文字橋付近であれば、瀬でないところには入れる。砂利の中に石が転がっている状況であるが、囮君に働いてもらい、オラは楽を出来るでしょう。
先客2人は、ヘチの石に座り、ヘラ釣りスタイル。
囮君が、上流に上っていけなくなれば、そこで止めましょう。ヘチのかけ上がりには石があるから、沖に出さなくてもよし。
チャイムが鳴っても30分は働いた。丼大王ですら、オラの何倍ものあゆみちゃんをだっこしているのに、チャイムとともに上がるご時世であるのに、真面目ですなあ。
中学生2匹。背びれの形状は帆掛け舟。下顎側線孔数は4対左右対称ではない。
酒匂川では、小さい継代人工も放流しているということのよう。
そして、ここ数回のダム放流でも、避難先は、ヘチ寄りということのよう。
ビールを呑んでいるとき、監視員が話しかけてきた。
橋の基礎に荷物を置いている人が。オラは、川側に置いていたが、その反対側に置いている人が。この界隈でも竿泥棒がでている、と。
また、田の用水がなくなったから、今日の水量が平水とのこと。
明治製菓界隈で、階段があり、中州に渡ることの出来る弱い流れがあるのかなあ。ないときは、どこを釣り場にすればよいのかなあ。
17日、相模川は笹濁りが少し薄くなっている。
高田橋に数人、弁天に10人余り。
弁天では、相模ナンバーでない車がほとんど。
その中に、中野の人が。多摩川の調布の堰下流に行くことがある人。
囮屋さんがない、と。アユルアーで囮捕りをすると、ナマズや鯉はすぐ掛かるが、鮎は釣れない、と。また、臭い、と。上流の下水処理場の影響があるのかなあ。
9月23日 酒匂川
久々にビールが旨いお天気に。
酒匂川の富士道橋界隈を調べておかないと。10月から、報徳橋上流はコロガシが解禁になるからなあ。
釣り場の条件は、階段があること、流れを渡るとしても、流速が弱いこと、河原の草原に釣り人道がついていること。
ということで、富士道橋の所の右岸側分流から。草原に釣り人道が見えない。下流に行けばあるかも、とは思うが、あんよに水圧を感じるから、止めましょう。
富士道橋を渡る。
何十年振りかなあ。
湖産放流全盛時代、9月15日を過ぎると、土手の囮屋さんはなくなる。まだ営業をしているのは小田原地区では、店を持っている2軒かなあ。そのため、橋を渡ったことがあったが。
漁協前のトロは、沖に出て行くと、腰よりも深そう。止めた。
右岸から左岸に流れる瀬に入りたかったが、階段が見つからない。それに、草原が大繁盛している。
護岸のコンクリートのアカを食む小中学生らしき鮎は見えるが。
橋下流の左岸側は、階段が見つからない。河原の草むらは部分的であるのに。釣り人はいるのに。
仕方がない、右岸側分流の階段があり、石の河原にあるところにしましょう。明治製菓よりも下流であるが。
1時間以上、ウエーダーを履いて歩いたから疲れたよ。
短い瀬が2つある間で、下流側の瀬の瀬肩付近へ。
高校生。上流側の瀬落ちの流れが強いところでも18歳高校生が。
こぶし大の石が主で、頭大の石が少しあるだけであるが、アカはついている。
チャイムが鳴る前であるが、ビールを。
午後も1時間ほど働いた。
チビ1,高校生が6匹。
継代人工のように見えるが。背びれの形状は帆掛け舟に近いが。下顎側線孔数は、4対左右対称のようにも見えるが,一見しただけでは判別できない。
継代を余り重ねていないのかなあ。鱗も鮫肌ではなく、細かい。
丼大王は、小川で、群れアユが、縄張り鮎になる過程を観察されている。
川相は、石が小さいなど、小川と同じような感じであるが、ここには群れアユ、出アユ、差し鮎はいるのかなあ。
まあ、オラが根掛かりを外しに行かなければ、安全な場所が見つかったから、ありがたや。
抗癌剤治療をされている人が、今年も来られるとは思っていなかった、と。髪の毛は抜けている。
亡き師匠も、抗癌剤治療で、髪の毛が束で抜けて、侘しかった、と。
そして、抗癌剤治療をした1週間ほどは苦しいが、それを過ぎると、次の治療までは快調、と。それを利用して、亡き師匠は釣りに出かけていたが、湖産放流全盛時代は終わっているから、伊南川や益田川に行くことはなく、大井川や三面川の支流、高根川などに遡上鮎を求めて行っていた。
狩野川は、遡上鮎が釣りの対象となるほどの量、密度に回復していなかった。
10月8日 中津川
7日は、30度の気温、薄い笹濁りで、田代も、角田大橋も、八菅橋界隈も,繁盛していた。それどころか、放流がされているのかどうか、判らないが、霊園下流にも釣り人がいた。八菅に放流された成魚放流の継代人工が、ダム放流で流されてきたことを期待しているのかなあ。
田代には、昭和30年代生まれの「若者」であるTさんは、ノンアルコールビールを呑んで、テントからでていく気配なし。
じいさま達は釣り始める頃合いを待っている。遅れて到達したまちゃんは、釣り方を見たいとのじいさまの要求に応えて、数匹を釣ったとのこと。
その釣り人の賑わいに比べて、あゆみちゃんはどの位釣れたのかなあ。
8日は、強い濁り。ただ、相模川と違い、20センチ位の深さの石は見える。
あんよに水圧を受けたくないから、角田大橋下流のトロへ。
ヘチの石に中学生位の食み跡が見えるが、橋上流に成魚放流された継代人工が流れてきたのかなあ。
釣れなくても、恥ずかしくない。やっと、ビールタイムに。
囮屋さんには、ドラえもんおじさんも。ドラえもんおじさんは、8月に鮎釣りを止めたよ、と。
狩野川が元気だった頃は、11月12月は当たり前、と川に入っていたのに、8月に止めるとは。まあ、アユがいないから、当然ですね。
宮ヶ瀬ダムは、津久井ダムと違って、選択放流が出来るから、濁り水が副ダムから流れないように出来るという話ではなかったかなあ。
しかし、ダム湖の表層の水は澄んでいるのに、濁り水が流れてくることもあった。
ダム湖の濁り具合で、放流するゲート操作をしていないのではないかなあ。
そのため、7日の濁りの少ない水から、8日の強い笹濁りになったのでは。
ダム湖の垂直方向の濁り具合を調査して、濁りの少ない水が流れるゲートを選択することは大変かなあ。
田代にたむろしていたじいさん達は、われわれが退場したら、鮎釣り人はいなくなる、と。昭和30年代生まれのTさんが「若者」ですからなあ。
さちゃん、舟釣りに精を出さずに、釣れない川にも来てえ。
さちゃんが川に姿を見せたら、20歳、30歳の平成生まれで、川は埋まりますよ。
なにい、それはセクハラじゃあ、と?
大丈夫ですよ、たばこ税の多額納税者であるオラに忖度して、大蔵大臣さまが、セクハラという罪はないとおっしゃってくれていますから。
丼大王は、東伊豆の情けない小川や、隣の小川で,鮎が減った、と文句を言いながらも番茶も出花娘もだっこしている。遡上鮎が多い年ではないといいながら、まだ品切れにならず。
10月13日 酒匂川
相模川は、まっ黄黄。台風24号によるこの水色の前も、アカなし状態が続き、何日か、アカがつき始めたときに食事を少し出来ただけでは。あゆみちゃんは、飢饉にどの位の期間、耐えうるのかなあ。食糧不足の時、性成熟にどのような影響が出るのかなあ。流下仔魚量はどうなるのかなあ。
新松田の鉄橋から見る酒匂川は強い笹濁り。釣りが不可能ではない濁りとは思うが。コロガシの人は、大入り満員、という程ではない。
富士道橋上流の右岸分流は、明治製菓上流から本流に分かれている。川相はがらっと変わっているが、分流には濁りなし。開成、栢山、富水と流れてくるだけで、なんで、濁りが消えたのかなあ。もちろん、本流が濁っているのか、どうか、見ていないが。
12日、明治製菓上流から、赤橋まで釣り下った人が、40匹とのこと。
ダムがなかった時は、石がびっしりと詰まっていたから、至る所が釣り場であったが、今や、砂利のところが多い。そんな川相で、赤橋まで下っていくとは凄い。オラは、ウエーダーを履いて、大地を歩いても、とても歩けない距離。
何と、その人は76歳とのこと。オラと同じじゃあ。
まあ、人様のことを羨ましく思っても仕方がない。
分流の瀬はなくなり、一面砂利。砂利でないところ、小石のところに囮を入れるしかなし。瀬落ち下流の流れは絞り込まれているが、水深はあるが、アカはついていないでしょう。もちろん、チャラ状の小石にもついていないが。ただ、川流れの危険もなく超安全。
護岸から幼児達が見えたが。松田地区のコロガシで、60匹なる数字が出ていたが、この数字には、幼児が相当数、構成員になっているのではないかなあ。
頭大に近い大きさの石が見えるのは、中州のヘチ位。
釣れた。次も。二匹目が根掛かり。外しに行くと、腰よりも浅いのに、流れが強い。引き返したくなるが、根掛かり棒で、当てずっぽうでヒッカケまわす。
蘆がつれた。蘆の茎が流されずに、石に挿まれるような、大きい石はないと思うが。
まあ、オラも流されず、囮も回収出来たから、目出度し、目出度し。
ビール日和にはほど遠いが、川でビールが飲めるだけ幸せと思いましょう。
11月、熱燗娘?は、ありがたかったなあ。冷えたボデーが温まったから。その酒はいつ頃まで存在していたのかなあ。
もっとも、丼大王は、11月でもビールを呑んでいたのではなかったかなあ。丼大王の発熱量は、冬でも生足の女子高生並ということかなあ。
広いだけ、安全だけが取り柄のところで、小石相手に囮を入れるのも、酒匂川最後の日故のこと。結果は小学生。
高校生2匹と小学生1匹で、ボウズでなかったことに感謝しましょう。
背びれの形状は帆掛け舟。
今年、酒匂川に遡上鮎はいない、と、まちゃんのお友達。オラもそう判断している。
栢山の堰が去年同様、どこでも遡上可能になっているのに。今回のダム放流でどうなったか、判らないが。
飯泉の堰の魚道の遡上障害か、溯上期の河口付近の瀬切れか。相模湾に稚鮎がいっぱいいたのになあ。
丼大王が、去年同様、ボウズにならないのに、鮎が少ない、といいながらも、12月も小川であゆみちゃんを追っかけてくれるでしょう。
その継続した調査が、房総以西の海アユの性成熟、産卵時期が、東北、日本海側の海アユの性成熟、産卵時期と異なることを物語ってくれる。
川那部先生は、長良川や宮崎県の観察眼に優れた川漁師の話を聞かれて、房総以西の海アユの性成熟、産卵時期が、宇川での観察と異なることを承知されていると確信している。
にもかかわらず、高橋さんや「アユ学」の学者先生は、10月、11月が海アユの産卵時期とされているのかなあ。不思議ですねえ。高橋さんは、3体の耳石調査から。なんで、耳石が孵化日からの日数を表示しているのか、その説明はないが。検証方法の記述もないが。2月孵化もあるが、孵化できたとしても海にたどりつける水温ですかねえ。
その弊害は、高知県内の川の海アユの減少や、神奈川県内水面試験場の鮎種苗生産にも及んでいると確信している。
10月22日 狩野川
遡上アユがいない、僅少と判ってはいるが、2年も狩野川に行かないことは問題ですなあ。1995年からの遡上量なしの時は、そのうち回復する、という時間的な余裕があり、叉、大井川が同じ駿河湾であるのに遡上鮎が釣りの対象となるほどの環境にあった。
いつ、川に入ることができなくなるか、判らん年頃になっているからなあ。
回想にふけることもジジーの特権。
止むをえんと、やっと出陣。天気晴朗、それに出かけなくてもすむ口実が見つからんからなあ。
舟は囮屋さんで貸してもらえるから、ザックでよし。駅まで歩ける。薬よし、杖よし。ところが、ベルトを忘れた。何とかなるでしょう。「ついうっかり」症候は、順調に進行していますなあ、
酒匂川の栢山付近から、雪を頂いた富士を眺めるのは、何年振りかなあ。三島から見る雪化粧の富士も。穏やかな相模湾も。
平成の初め頃まで、「いずっぱこ」には、同業者と乗り合わせることが当たり前であったが、21世紀になると、数回あるだけ。
10月下旬であるのに、まだ稲刈りがされていない田圃が多い。10月初め頃には多くの田圃の稲刈りが終わっていたのではなかったかなあ。
囮屋さんのおばちゃんは元気。とはいえ、お医者さんには通っているかも。白黒の猫は死んで、近所の黒い猫が、慰めにやって来ている。
タマちゃんが、とっていた柿の実をとる人はいるのかなあ。故松沢さんが、子どもの頃、柿の種のとばしっこをした時の種が育ち、柿を食べさせてくれたのは、今頃の時期でなかったかなあ。
自動車道上流への釣り人道は、辛うじて存在している。
右岸側と、上流の瀬肩付近に釣り人がいるだけ。
チャラといっても、溝もなく、駆け上がりもないだだっ広いチャラ。チャラを毛嫌いしないテク3ではあるが、この川相でも竿を出すかなあ。石による波立ちはあるが。
丼大王が、贅沢な嘆き節をとどろかせているから、オラがボウズでも恥ずかしくないなあ。
あ、釣れた。高校生。叉釣れた中学生。丼大王さま、すみませんねえ。ヘボがボウズにならなくて。
自動車道附近に降りてきた1群は、下流へと釣り降っていく。正面の階段を降りてきた1群は、左岸の瀬へと行く。瀬肩付近の人も消えて、右岸側から竿を出している人と叉2人だけになる。
最後に、20歳番茶も出花娘が釣れた。これが,遡上鮎であれば、大騒ぎをすることになり、無事取り込めたどうか、不確か。6.5号のハリであるから、身切れをしていたかも。
このオスは、囮に使うと真っ黒になる。
右岸ヘチ寄りで根掛かりをしたから、昼のチャイムとともに上がる。
中学生2匹、高校生2匹、番茶も出花娘1匹の5匹。
背びれの形状は帆掛け舟。オスは1匹で、残りはメス。豊満熟女といえる程、腹ボテではなし。松下の瀬に放流されて、流れてきた継代人工でしょう。
囮屋さんに戻ってきた2人は、狩野川大橋界隈や、その下流に入ったが、根掛かりで囮を弱らせ、あるいは放流させたとのこと。
増水で流れてきたごみや、草木が石に挟まっているよう。丼大王の同輩のようで。
ということは、平坦なチャラで釣りをしてよかった、ということですなあ。
気持ちよく、駅に行くと、踊り子がすぐに来る、と。当然、特急券も買う。
三島と熱海の間は、2,30分に1本しか電車が走らない。そのため、時間調整に、地魚天ざるを食べ、ビールか酒を呑んでいた。地魚には、ごち、でんでん、クロムツという名前があったと思う。そのそば屋さんは、21世紀には変則的な営業時間になっていた。今も営業しているのかなあ。
踊り子から、酒を呑みながら、雪化粧をした富士を眺めることが出来るとは幸せですなあ。新型のロマンスカーにも乗ったし。
平成の初め頃、本厚木や町田に停車するロマンスカーの本数が少なく、朝、特急券を買っていた。
当時、神奈川県内共通年券があった。
早川は、他の川がしらっ川でも、いち早くアカがついた。ふだんは富栄養の水で、汚いコケであるが。
そのような状況のとき、白川の狩野川から逃げてきたチャラバタさんがやってきた。オラは大して釣れないのに、ばかすか釣る。ウデの差を見せつけられて、ロマンスカーに乗り、煙草をふかせ、ビールを呑んでいた。
「ツキ」逃げ(勝ち逃げ)はよくないですよねえ。
ボウズで終えるのが、遡上アユがいない、僅少の狩野川への礼儀ですよねえ。もう1度、狩野川に行くことになるのかなあ。
さちゃんら、セクハラ対象のねえちゃんと同伴出勤であれば、いつでも出かけるのになあ。
ボウズではないとはいえ、継代人工では、はらはらどきどきのハートのときめきもないしなあ。
10月26日 狩野川
同じ柳の下に二匹目の泥鰌はいない、ということかなあ。遡上鮎さえおれば、情けない東伊豆の小川のように、忍法「雲隠れの術」を駆使して、いまだに生き延びている乙女をだっこする人もいらっしゃるが。
遡上鮎が回復するまでの時間的な余裕は、もうないかも。ということで、天気晴朗の予報を信じて大仁へ。
とりあえず、自動車道上流のチャラへ。
先日、右岸側から釣っていた人が、今日も同じ場所に入っている。そこには鮎がたまる条件があるのかなあ。
かっての大井川の七曲がりの右岸側ヘチ近くのように。そのヘチ寄りの場所で、腰の曲がった人は、竿と糸をほぼヘチと平行に近いような竿操作をする。
掛かると、河原を歩いて、取り込み、叉元の位置に戻る。伏流水がでているのかなあ。取り込み、叉、囮を入れるまでに時間は掛かるが、七曲がりで竿頭になることも多かったのでは。
長島ダムが出来て、七曲がりがつぶれてから、その人を最後に見たのは、笹間渡鉄橋下流の右岸側の大石が転がっていたところ。
現実に戻りましょう。
右岸側の人は、舟を置いたまま、自動車道附近に移動した。
オラは、すぐに高校生。背びれの形状が、帆掛け舟のメス。
万一、遡上鮎の「日替わりメニュー」の行動をする魁のあゆみちゃんと遭遇しても、丼を避けるため、去年大井川で使ったフロロの0.5を使っていた。
なんでかなあ、糸が穂先から外れた。投げ縄結びでなく、チチワにしていたことが一因でしょうなあ。
踊り子までの時間がたっぷりあるが、ボウズのまま、向かいの階段を使って堤防へ。
夫婦の釣り人が休んでいた。
夫婦の釣り人は少ないなあ。酒匂川で見たSさん、狩野川のMさん、それにホトトギスさんだけかなあ。
舟釣りやワカサギの舟釣りには夫婦もいらっしゃるようであるが。
夫婦さんは、旦那さんがチビ3匹。チビといっても中津川のチビではなく、中高生であるが。奥さんはボウズ。
旦那さんは、26歳を釣ったとのこと。何年か前、デカアユの素を相当量放流した、との話があったが、今年もデカアユの素を放流しているのかなあ。それが、丼大王の竿を折ったり、丼の原因かなあ。もっとも、丼大王の竿は、オラ同様くたびれた竿であったかも。
叉、旦那さんは、オラの下流側に入った人が、立ち込んで右岸側のヘチ寄りを釣っていたから,釣れない、と。
腹子をもっているあゆみちゃんは、出アユ、差し鮎とは異なる移動をしているのかなあ。鮎の通り道の話は、テク2やテク3が重視するポイントであるが。丼大王が、東伊豆の小川で、磨かれた石に騙されることがあるようで、腹子をもったあゆみちゃんの行動は神経質、その他、鮎は喰うためだけに生きるのではあらず、の心情に変わっているのかなあ。
狩野川大橋から、流れを見ると、一抱えある石がいっぱい転がっていた橋上流が砂利に。その中に頭大の石や、大きめの石が転がっている川相に。一つの石に高校生のあゆみちゃんが見えたが。
右岸からの流れと左岸からの流れの合流点も石が詰まっている状況ではなく、叉、左岸側の流れも、瀬肩付近以外は石が詰まっていない瀬になっているかも。
橋下流側は、右岸に沿って流れていたが、二つの流れに分かれ、左岸側の流れにのみ、波立ちがある。
コマドリの瀬は、21世紀に中州ができて、二つの流れに分かれたが、その中州が島になり、島の左岸側の流れの幅が狭まり瀬になっている。その瀬に、ヘチがあるのかなあ。ヘチがなければ、頑丈な人しか入れないのでは。瀬肩上流に1人入っているが、石は出ているのかなあ。
この砂利川への変貌から、自動車道上流のチャラは貴重な釣り場ということになるのでは。その下流の右岸側瀬に入っている人はほかよりは多いが、どの程度の砂利があるのかなあ。
城山下も見たかったが、高水敷きのコンクリートにも草が我が世の春を謳歌しているから、歩けない。道路を横断するしかない。やめたあ。
迷人見習いの師匠が、大仁もつぶれる、と話されていたが、どこまでつぶれるのかなあ。松下の瀬は?新堤は?
昭和の終わり頃の松下の瀬は、オラでも渡ることができた。右岸側護岸の囮屋さんが、ここの土手の草を刈っているから、ほかで囮を買ってきた人は入るな、と。それで、左岸側の河原に移った。
松ヶ瀬や雲金はどうなっているのかなあ。
丼大王のご近所さんが、小川の護岸の上から、餌で乙女を釣って、丼大王が取りこんだとのことであるが、昭和の終わり頃、青木の瀬は、流れの芯が右岸側に寄っていた。河原からでは、立ち込まないと芯附近に届かない。護岸の高水敷きからは、簡単に芯に囮を入れることが出来る。
その釣り方をしている人達がいた。どのようにあゆみちゃんを活かしていたのか、記憶になし。
富士は予報が外れて、雲の中。
1回しか富士を見ていないと、後悔するかも。もう1回、狩野川に出かけるしないかなあ。狩野川大橋界隈まで、砂利川になったことが、「トラックで運ばれてきたアユ」が、神島まで移動しなくても産卵場となる砂礫層の場所がいっぱい出来て、丼大王が神島でも「汚い鮎」を大量にだっこできなかったかも。その手がかりに遭遇するかも。
10月31日 狩野川
先日、テク2らご一行が、大仁に入り、城山下まで歩いたとのこと。
ちょいナメの石はあるが、磨かれた石は少ない、瀬に砂利が入っている、蘆際位しか釣れない、と。
ご一行が、つ抜けしなかったようであるから、オラがボウズでも恥ずかしくない。
20世紀の河原は、石ころの河原であり、草は生えていなかった。蘆際なんて存在しなかった。
桑園変じて海になる、という程の川の変貌。
その中で、自動車道上流のチャラは、砂利が入っていないだけ、ましですなあ。ちょいなめどころか、綺麗に磨かれた石も少しはある。とはいえ、縄張りが形成される環境にはほど遠い。
右岸側から釣っている常連さんが、橋近くにおり、そして、さらに下流の瀬へと動いていった。
上流側に2人。
仕掛けは、9m竿の物のよう。何年前のもんかなあ。天井糸の長さ調節が動かない。掛かったら、引き寄せで取り込みましょう。囮を替えるときには、その仕掛けを捨てましょう。
1時間程して、その仕掛けを捨てる。新しい仕掛けに囮をつけると、鼻環が折れた?プラスチックが外れた?囮君はさいなら、と。この鼻環仕掛けは、使い古しの5年以上前の市販品。
叉、その仕掛けを捨てて、ポケットに。
次の使い古しの仕掛けに使用済みの囮をつけたが、踊り子までたっぷりと時間があるなあ。城山下を竿を持たずに見に行って、時間つぶしをしょうかなあ、と思っていたら、番茶も出花娘が釣れた。
その後、中学生2匹、高校生2匹も。5匹も釣れたとなると、オラには大漁ですなあ。
背びれの形状は,頭側が長く、しっぽ側が短い、ではなく、毎度おなじみの帆掛け舟。継代人工様々。
そして、オス。
叉来るしかないなあ。
理由は、「トラックで運ばれてきた」鮎の雌は、まだ下流に移動していないということかも。そうであれば、継代人工やF1の豊満熟女が釣れるかも。
それに、富士は朝の「いづっぱこ」車内から見えたが、昼の踊り子では雲の中。
そして、駅弁を食べながら,酒を呑み、富士を眺めるというコンビニが都会の証であった頃に、時折やっていた贅沢の再現が出来なかったから。
駅弁は、七時、八時では、新幹線乗り場でしか売ってないよう。小田原では、乗り換え時間が短いから、新幹線乗り場には行けない。三島では、「いづっぱこ」が、10分、15分間隔ででているから、新幹線乗り場に行っても何ら、支障はない。
今度は、来年に使う仕掛け一式を造り、粗相のないようにしょおっと。それで、今年は店じまいにしょう。とはいえ、豊満熟女が釣れたら、叉、変心するかも。
そんな妄想は、実現可能性がゼロでしょう。丼大王が、松下の瀬で、豊満熟女をだっこできず、チビのメスで、今年の狩野川を去っていますよ。
いや、ヘボの特権は、妄想することにあるから、丼大王の実績は、気にしない、気にしない。
故松沢さんは、西風が吹き荒れた頃=木枯らし一番が吹き荒れた頃から、あゆみちゃんはそわそわすると話された。この頃から下りが始まり、日替わりメニューになる、と。また、西風は、3日間は吹き荒れるとばあさんが話していた、と。
もちろん、遡上アユの話で、継代人工の話ではないが、継代人工にも共通するところがあるのかなあ。
今年、その西風は、吹き荒れたのかなあ。
この話を聞いたのは、21世紀の西風が吹き荒れていたテント小屋でのこと。
相模原は無風。大仁の駅を降りて、狩野川の土手を歩いて行こうとしたら、強風で歩くこと不可能。家の並んでいる道を歩いて、土手を上がって、テント小屋へ。
故松沢さんは、出勤されていた。オラのような変人がやっているかもと,思われていたのかも。
その時、もっといろんな話を聞いていたら、オラのあゆみちゃんの生活誌の知識が増えていたのになあ。
先日のテレビの天気予報の風の予報では、西伊豆に、あるいは駿河湾に赤い矢印が出ている日が3日続いていたが、ほかの予報では、せいぜい7メートルの予報が1日だけあった。
水温は、14度。一応、西風が吹き荒れた頃の水温に近いが。
継代人工にも、F1にも、水温変化が、行動に影響するのかなあ。まあ、丼大王以上に暇人のオラは、豊満熟女を求めて、検証しに行く、という、大義名分がありますなあ。
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