2013年 あゆみちゃん遍歴賦
相模川 | 中津川 | 狩野川 | その他 | ||||||||
3〜5月 | アユが過密で小さいアユか 相模大堰副魚道遡上量調査:1 相模大堰遡上量調査:2 5月23日 |
3月1日 3月17日 5月17日:中津川のコケがおかしい? |
サボZのこのま沢2日 |
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6月 | 2日 4日 6日 8日 18日 23日 25日 29日 |
1日 | 9日大井川 10日大井川 30日大井川 |
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7月 | 7日 24日 27日 | 6日 | 23日 28日 | 1日大井川 11日大井川 |
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8月 | 3日 25日=高橋勇夫の大鮎誕生説批判 29日 | 9日 | 14日大井川 15日大井川 16日大井川 30日酒匂川 |
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9月 | 1日 | 7日 20日 21日 23日 | 6日酒匂川 12日大井川 13日大井川 27日酒匂川 29日酒匂川 |
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10月 | 12日 13日 14日 | 6日 8日 10日 | 30日 31日 | 3日酒匂川 21日大井川 |
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11月 | 3日 9日 14日 17日 21日 23日 |
ホームへ戻る 故松沢さんの想い出へ
3月1日 中津川
去年、刺し網?によるヤマメの密漁が行われていた、との話があった。放流したにもかかわらず、さっぱり釣れないところがあった。
密漁を避けるためか、ダム下流では昨日放流された。
これでは、鍛冶さんが、ヤマメがどんなに釣れても竿を折る、と書かれている管理釣り場の釣りと同じですなあ。
田代の管理釣り場は、ヤマメの放流量が増えたということで、3時間コースにお百姓が20回ほど釣りに行っている。歩かずに釣れるということと、おいしいお食事をたらふく食べているため、お腹が布袋様以上に出っ張り、少しはへこまさないとウエーダーがはけないと。うらやましい悩みですなあ。オラは、せっかく53キロまで増えた体重が、粗食のために51キロになってしまった。
まあ、そんなことよりも、今年の中津川のヤマメの状況ですなあ。
当然、放流地点から散らばっていないはず。ニジマスのように下ることもないはず。
馬渡橋の状況は割愛して、漁協前から見ていくことにした。
両岸から10人近くは入っている。釣れた人が1人見えたが小さいなあ。また瀬肩上流の瀞は浅くなっているなあ。釣り場が狭くなったということはルアーを振る場所がないということ。餌釣りの人たちにこの場所が見放されるまで待ちましょう。
田代は釣り人は多いとはいうものの、満員ではない。
まっちゃんは、9時前に7,8匹釣れて満足し、焚き火をおこしている。
去年、狩野川で尺アユを釣ったヤマメねえちゃんもはっちゃんもいる。まっちゃんも尺アユを10匹ほど釣ったとのこと。主な釣り場は神島橋やさらに下流の大門橋や千歳橋もあるとのこと。東北・日本海側の沖捕り海産が尺アユの氏素性であろうが、増水時に避難した場所は神島橋より下流にも存在していたということかなあ。
とはいえ、昭和の代とは違い、石が小さくなった神島橋よりも下流には行きたくないなあ。
平山橋の人達は減っていったから、放流量が少ないのかなあ。
海底(おぞこ)は人無し。やっとルアーを振れるとはいえ、なあんもいないところでルアーを振るとは、気が乗らないなあ。
今日の目的である水の中を歩く練習をしましょう。
頭大の石が詰まったところは歩きにくいなあ。この調子では、あんよの練習を真面目にやらないと、あゆみちゃんのナンパ稼業に差し支えが生じるなあ。
角田大橋は数人残っているだけ。放流量が少ないのかなあ。
田代から上がってきた人達は、10匹とか20匹。みなさんは花粉症かも。まだ11時前ですが。
さすが、釣れればなんでもよいとのはっちゃんはまだ釣っているよう。
次回はそれほど人は出ていないでしょうから、田代でも、馬渡橋でもルアーを振れるでしょう。そして、あんよの練習をしましょう。
サボZの3月2日 | ||
奥道志に行くつもりでしたが、このま沢が意外に空いていたので、昼からこのま沢をブドウ虫でやって、 ヤマメ(20p級)〓8匹 ニジマス(20〜25p)〓15匹で勘弁してあげました〓 半日でしたが、夕方までぽつぽつとよく釣れました〓 魚は、沢山残ってます〓 なお、明日、来週末も放流するそうです〓 いくらなんでも魚、入れ過ぎでしょう。 簡単に釣れるとつまんないだよねー〓 |
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サボZがサボって東北に渓に行かなかったということは、お年を召されたのかなあ。それとも、今年の大雪では、「時期にあらず」ということかなあ。 「本物」のヤマメを求めて、あっちこっちの渓を彷徨っていたサボZにとっては、放流量が多いということは、釣りやすいということは、楽しくはないということかなあ。 餌にブドウ虫を使ったということは、冷たい水に入りたくない、あるいは、放流ものの人工種苗を釣るには、川虫を使うまでもない、ということかなあ。 中津川は、どのくらい、放流ものが残っているのかなあ。お日よりの良い日に、あんよの練習に精を出すようにしましょう。 |
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3月17日 中津川
寒中水泳はしたくない、釣れないのに水に入りたくない、あんよの練習が必要と分かっていても、いやじゃあ。
と、サボりっぱなし。やむを得ず、ウエーダーを持たずに馬渡橋へ。
橋から全然お魚が見えませんなあ。その見えない付近にフライを投げていらっしゃる方が。その下流側に餌釣りの人が。
ひょっとすると残りのお魚がいるかもしれないところには、カヌーの人が。
漁協前から田代はだあれもいない。
ということで、ルアーを振ることなし。
サボMは、この間沢でお茶を濁していて、奥道志に行かないから、あんよが衰えたのかなあ、と思っていたら、16日に奥道志でルアーを振り、あっちこっちの状況を見ていた。そして、混んでいるところも、すいているところもあり、2ヵ所で、5匹、3匹と、初ルアーに満足していた。20センチから23センチ。
2012年は、過密状態であったから、鮎が小さい?
「アユの本」の高橋勇夫さんの講演会があった。
去年の8月に高田橋に潜り1平方メートルあたり3匹だ?ったか、5匹だったかのアユが見えたから、過密とのこと。そのため、鮎が小さかった、と。
そうであろうか。
遡上鮎が多い→なわばりの維持が困難→群れ鮎が増える→なわばりアユの空間で、10匹ほどの食糧が生産されている→その食糧を群れ鮎が「平等」にたべることができるから皆が大きく育つ となっても、過密であるから育ちが悪く、鮎が小さい とはならないと考える。
川那部先生は、「曖昧の生態学」(農山漁村文化協会)で、
「六〇年代までこの川(注:宇川)、アユの数は中々多かった。五五年(注:一九五五年)には幅一〇メートル長さ一〇キロばかりにおよそ五〇万尾、瀬の中央では一平方メートルあたり一五尾以上が群れて大きくなっていた。しかし、翌五六年は八万尾。一けた程度の変化はこのように毎年起こった。」
「ほぼ三〇年前から考えはじめて、これも二〇年ばかり以前に発表したものに、アユのなわばりの『氷河期依存習性説』というものがあります。実はアユのなわばりはほとんどの場合、労多くして効少ないものなのです。それにもかかわらず川の瀬では、必要な餌の量の十倍以上もある一平方メートル程度のなわばりを持って、たいへんなエネルギーを費やして自分の餌場を守っている。アユの身の引きしまっていて味のよいのは、いくらかはそのためなので、人間にはありがたいことだけれども、アユにとってはどうなのか。なぜこういう言わば損な性質をもっているのか。
それは過去にあった危機的な状況を乗り切るための手段だった、というのがこの説です。ほぼ一万年前まで続いた最後の氷河期には、餌となる石の上の藻類の量は今よりもうんと少なくて、このなわばりの大きさはちょうど必要な餌の量を賄う程度であった。すなわち、この時はなわばりが必要不可欠であった。」
ということで、一平方メートルあたり一五尾以上という状態も生じる。
このとき、大きさはどうなるか。高橋さんや一部釣り人のように、「過密状態」であるから育ちが悪く、小さいのか。
宮地伝三郎「アユの話」(岩波新書)
なわばりアユとなわばりを持てないアユとの行動、関係も引用しなければならないが、高橋さんのように、過密であるから小さい、とおっしゃる学者先生が、釣り人並みに「アユの話」すら読んでいないようであるから、手抜きをします。
五六年の一平方メートルあたりざっと〇.九尾のときは、
「さてこうして、なわばりを持っている連中は、いい場所を残らず占領し、もっていないアユをそこへ入れない。したがって、なわばり地域からはみ出した連中は、悪い場所で生活しなければならない。ということになれば、その間に成長の差が生じるのは当然であろう。七月中旬に計測したところによると、なわばりを持っているアユの体長が平均一七センチメートル程度だったのに対して、持っていないものでは、平均一二センチメートル程度にしか過ぎなかった。体長のこうしたちがいがいったんできると、それが体力のちがいとなって、なわばりアユとあぶれアユとがすみ場所を交代することはますますむずかしくなる。だから体長はますます互いに開いてしまう、という循環的なことになる。すなわち、二つの行動型は、成長の上で二つの階級を形成するようになるわけである。」
「アユの数がどんどん増えていくとどうなるだろうか。なわばりを持てないあぶれアユが増加していくだけだろうか。
その答えは、五五年の宇川の状態がよく示してくれる。
解禁日の漁獲量調査のために京都から大きいリュックサックを背負って手伝いにきた釣り好きの学生が、“あれがみんなアユですか”と驚きの声を上げたほど、アユは川の全体に一面にぎっちりとつまり、むらがりむれてすんでいた。一平方メートルあたり五.四尾という密度は、川全体の平均だから、多いところには一五尾も二〇尾もいるわけで、何ともものすごい次第である。こうなってくると一尾ずつが一平方メートルのなわばりを確保するなどと言うことは話にもならない。
ほとんどのアユが、瀬といわず淵といわず、あちらこちらでも、群れを作って生活している。なわばりアユもいなくはないが、それは極めてまれで、全数の五%にも満たない。しかもそのなわばりは、早瀬につくられたものでも、先に牧川の淵でみたものに似て、かなり不安定であった。」
「こうして、なわばりが安定せず、群れが川の全面を制約を受けないで泳ぎまわり、はむ回数からみて二つの行動型に差が少なく、その上、なわばりと群れとの間に、しょっちゅうメンバーの移行がある、ということになれば、当然この二つの行動型を示しているアユの間に、成長の差はないだろうと考えられる。
じっさいに体長をしらべてみると、どんな河床型の場所でも、なわばりを持っているの、持っていないものともに、およそ一八センチメートルぐらいに育った。体長に差がないと、それは逆に相互の行動型やすみ場所の移行を容易にし、ますます体長の差をなくさせる方向に動くわけである。つまりこの場合は、社会行動型のちがいは体長の上での、階級を形成するようには発展しない。
さて、一平方メートルあたり五.四尾というのは、先の〇.九尾にくらべて六倍、なわばり基準にくらべれば約九倍の高密度になっているわけだから、平均体長もぐんと小さくなっているはずである。ところがじっさいにあらわれた平均体長は、〇.九尾のときの一四センチメートル、五.四尾のときの一八センチメートルと、密度の高いときのほうがかえって大きくなっている。この一八センチメートルは、安定したなわばりアユの平均体長一七センチメートルを超すという、甚だ奇妙な現象を示しているのである。」
このあと、さらに、なんでかなあ、との推察が続くが、高橋さんにはその説明まで必要なかろう。
仮に高密度であったとしても、それが原因となって、アユが小さい、とはいえないことはご理解いただけたのではないかなあ。
それにしても、「学者先生」の一員である高橋さんが、川那部先生の本も、「アユの話」も読まれていないということかなあ。それでいて、大きいアユを育てるには、アユの密度を下げるべし、と話し、その話に放流を行っている方の中には、賛同される人が出現するとは、嘆かわしいことですなあ。
なお、二〇一二年の相模川、中津川が「高密度」とはいえない。念のため。
学者先生が単に高密度=育ちの悪いアユの出現 としゃべっているだけなら、学者先生の稼ぎの問題だけですむが、放流を行っている人がその話が「事実」である、と学者先生の信者になれば実害が生じることになろう。そこで、しつこくもうひとつの引用を。
川那部浩哉「生物と環境」(人文書院)
五五年のアユは、
「あちらにもこちらにも、三尾から二〇尾ぐらいの群れが、石から石へと移動しながら、はんでいる。これはおたがいがただ集まって、ばらばらに行動しているのではなくて、統一されて同じ行動をとっているのであって、はむときは、いわばともえ型になって、適当な時間間隔をあけて、同じ石をはむのである。(第9図:省略します)。定住する生活は、単独の個体で行われるものであって、経済的にいっても、大きい群れが定住する生活は成りたたない。群れのアユは、上のような巴型のままで、少しずつはみ場を変えて動いていったり、また、はむ体型を変えて、たがいに追尾しながら移動し、別の場所へ行って、あらためてはんだりする。」
群れといっても日本サルのように閉鎖的、地位、順位があるのではなく、
「魚のような進化の段階のものでは、サルのような形の群れはもちろんない。」
「すなわち、群れを構成する各個体には、まだ、個性といったものが、社会をうんぬんするほどはっきりとはあらわれていないし、それよりもまず、群れの永続性がない。」
「すみついている時期のアユの群れは、じつにまとまりが弱い。海にいる遊泳性の魚、すなわち、ブリのなかまだとか、マグロ・カツオといった魚は、分裂合流をあまりしないでまとまっているが、アユにいたってはひどいのになると数分のうちに十数回も分裂合流をするといったありさまである(第10図:省略します)。」
なわばりアユは大石のかげ等にあるが、小さな群れには対抗しても食物をとる時間がなくなってしまう。10尾20尾の群れが来るとあきらめて追わなくなってしまう。
淵での状況
「流れのゆるいところに、勝手な方向をむいて、ときどき胸びれを動かす程度で、ぽかんと浮いているアユがみつかる。だいたいアユという魚は朝から夕がたまで、からだを反転させながら藻類をはんでいるのがふつうであるが、アユの数の多い年には、昼間からこのような休息状態のものがみられる。こうした集まり状態のアユは、ときどき、その一部または全部がばらばらに右往左往しはじめ、それがはげしくなると、他の個体のあとについていくという行動がはじまる。ここに群れができ、岩盤についてはむようになるのである。群れが一つのはむ場所から、次のはむ場所へ移るとき、一尾がその場へのこれば、単独で定住する個体ができ、そのなかの一部が、なわばり行動を示すのである(図11図:省略します)。」
そのようなアユが十分に食糧を摂っているのか、はむ回数で代用したところ、
「そうすると、なわばりを持っているアユは、朝から夕がたまで、平均して藻類をたべている。これに対して、群れアユは、藻類をたべるときには、なわばりを持っているアユより多くたべるが、たべないときもある、といったちょうしで不規則である。しかし、一日を通じてみると、食物をとった量はまあまあ同じぐらいといえそうで、少なくとも、けたちがいといった感じではないのである(第12図:省略します)。
ということで、ほんの少数のなわばりアユと群れアユの間に、
「食物をとる量の差も大きくないし、しかも、しじゅう移行が行われるということになると、その成長についても大きい差がないのではないか、ということが想像される。事実、体長をしらべて、グラフを書いてみると、どちらかの社会行動をとっているものが、特に大きいとはいえないのである。すなわち、この場合には、社会行動のちがいは、体長分布の上で、階級のちがいにはならないのである(図第13図:省略します)」
宇川での55年、56年のデータから:群れ鮎の成長はよい
「五五年度の群れで生活していたアユの数は、五六年度のアユの総数の、ほぼ六倍と考えられるが、その大きさは、五六年のなわばりを持っているアユとくらべてひけをとらない、というよりむしろ、数の多い五五年の群れのほうが、成長がいいといった傾向さえ感じさせる(第8図・第13図:省略します)。」
ということで、仮に高田橋や中津が、過密状態であるとすれば、成長の悪い小さいアユは、「過密」が原因・理由ではないと考える。
高橋さんは、「アユの話」くらいは読んでいるでしょうねえ。川那部先生の本も読んでいると思うが如何?
それでも、高田橋や中津の育ちの悪いアユが「過密」が原因とおっしゃるのであれば、川那部先生のどこが、どのように、間違っているのでしょうかねえ。
2012年の相模大堰副魚道の遡上量調査では、3月下旬の遡上なし。4月上旬18万。4月中旬56万。4月下旬412万である。
このうち、4月下旬の400万の多くは、5月3日のダム放流で流されて相模大堰や寒川の堰に叩きつけられて死に絶え、さらに濁り水による10日か2週間の飢饉で餓死して著しく生存率は低くなっていると思う。
そうすると、高田橋にいたアユは、18万と56万のうちの少し、磯部の堰魚道の遡上達成率が低いと思われるが、大きくみて5割としても3,40万。実際はもっと少ないであろう。それに沖捕り海産が加わるが、とても過密とはいえないと思いますが。
相模大堰を3月下旬に290万が遡上した2004年は、解禁日に17センチが。そして梅雨明け以降は20センチ台、23センチくらいが、普通に釣れていた。
ということから、11月生まれの稚魚生存率が高いときは、20センチ台の遡上アユが釣りの対象になるということではないかなあ。なお、2004年の相模大堰副魚道の遡上量は1600万。にもかかわらず、大鮎に育っている。したがって、2012年は、「過密」とはいえない。小さいアユであったのは、4月中旬の相模大堰副魚道を遡上したアユであること、および、沖捕り海産が畜養されずに放流されたことが影響しているのではないかなあ。
ケイ藻を食してラン藻に遷移する?
高橋さんも阿部さんと同じ狢のよう。
高橋さんは、昭和30年生まれとのことであるから、貧腐水水が川を流れていた頃は知らない、ということでしょうなあ。
αかβ中腐水水を「清流」と評価する世代ですなあ。そして、その自覚を持ち合わせていないということでしょう。
高橋さんは、貧腐水水のとき、ケイ藻がたべられたあと、藍藻が優占種となって生成してくる、と考えているのかなあ。「きれい好き」のケイ藻が繁殖する貧腐水水に、ラン藻が繁殖するのかなあ。
村上先生や真山先生は、「清流を知らずしてケイ藻を語る人」たちと付き合わざるを得ないでしょうから、たいへんですね。同情します。
高橋さんは、奈半利川に側流的に産卵場としての砂礫層を作っていて、11月からそこに産卵していると。もし、11月から産卵であれば、学者先生の産卵時期の教義を捨てたことになる、と思っていたら、耳石調査では10月孵化、と。
ミリ単位の物体を縦割りか横割りか分からないが、半分に適切に切断し研磨を行うには相当の腕がいるのでしょうなあ。「アユの本」に10月孵化の他、2月孵化が書かれているが、伏流水のあるところではもっとも川の水温が下がる2月でも孵化できるでしょう。しかし、仔魚が海まで生存限界以上の水温のところを流れ下るのは不可能でしょうなあ。そもそも、2月に孵化していたとしても、採取されるほどの量にはならないはず。単に腕が悪く適切な耳石調査ができなかったということでしょう。ということで、耳石調査から、孵化日を推定できる、しかし、適切な調査を行うには腕が必要であり、その腕がないことを前提として考えるべし、耳石調査の信頼性が低いと考えるべし、となるのではないかな
相模大堰副魚道遡上量調査その1 単位:万
2000 年 |
2001 年 |
2002 年 |
2003 年 |
2004 年 |
2005 年 |
2006 年 |
2007 年 |
2008 年 |
2009 年 |
2010 年 |
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4月1日 から10日 |
23.2 | 204.9 | 568 | 18.4 | 830.9 | 5.6 | 0.5 | 27.4 | 188 | 20.3 | 19 | |||||||||||
4月11日 から20日 |
9.4 | 40.6 | 895.2 | 264.5 | 113.2 | 0 | 2.5 | 24 | 219 | 54 | 81 | |||||||||||
4月21日 から30日 |
36.6 | 125.3 | 387.1 | 232.3 | 499.2 | 42.2 | 23 | 275 | 229 | 40 | 70 |
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4月計 | 69 | 371 | 1,850 | 515 | 1,443 | 48 | 26 | 326 | 636 | 114 | 169 |
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5月1日 から10日 |
4.4 | 129 | 112.8 | 32.8 | 56.2 | 0.8 | 9.9 | 68.6 | 70 | 2 | 59 |
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5月11日 から20日 |
5.5 | 40.7 | 48.5 | 41.2 | 136.7 | 0.6 | 6.1 | 13.8 | 32 | 7 | 3 |
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5月21日 から28日 |
3.7 | 8.6 | 9.7 | 108.8 | 45 | 0 | 0.7 | 3.2 | 36 | 0.4 | 2 |
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5月計 | 13.6 | 178.3 | 171 | 182.8 | 237.9 | 1.4 | 16.7 | 85.6 | 138 | 9 | 64 |
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合計 | 101 | 550 | 2,199 | 706 | 1681 | 49 | 43 | 412 | 774 | 123 | 233 |
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3月20日 〜3月31日 |
16 | 1 | 177 | 80 | 296 | 調査 対象 期間外 |
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遡上初出日 | 23日 | 20日 | 25日 | 29日 | 25日 | 4月 4日 |
4月 3日 |
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初出日 最高水温 |
ー | 12度 | 11度 | 12度 | 12度 | 15度 | 13度 |
2009年 浜名湖産放流。駿河湾の稚鮎大量。11月以降、12月始めまで、昭和橋付近に鵜山ができる。「トラックで運ばれてきた」
海産畜養の産卵場所になった。
2008年 3月下旬の遡上量は、調査対象期間外であるから、不明。しかし、4月上旬の遡上量が多いことから、3月下旬の遡上もあったのではないか。
また、解禁日から17センチが釣れた。
2011 年 |
2012 年 |
2013 年 |
2014 年 |
2015 年 |
2016 年 |
2017 年 |
2018 年 |
2019 年 |
2020 年 |
2021 年 |
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4月1日 から10日 |
61 | 18 |
60 | ||||||||||||||||||
4月11日 から20日 |
271 |
56 |
29 | ||||||||||||||||||
4月21日 から30日 |
417 |
457 |
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4月計 | 749 |
531 | 89 | ||||||||||||||||||
5月1日 から10日 |
62 |
31 | |||||||||||||||||||
5月11日 から20日 |
139 |
20 | |||||||||||||||||||
5月21日 から28日 |
22 |
4 | |||||||||||||||||||
5月計 | 223 |
64 | |||||||||||||||||||
合計 | 972 |
595 |
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3月20日 〜3月31日 |
遡上なし | 遡上 なし |
遡上なし | ||||||||||||||||||
遡上初出日 | 4月4日 | 4月3日5千 | 4月4日2万 | ||||||||||||||||||
初出日 最高水温 |
13度 | 12度 | 16度 |
1 2012年の4月25日 100万 4月28日81万 4月29日129万 4月30日118万
3月下旬、4月上旬の遡上がなかったか、少ないため、20歳の番茶も出花娘をだっこした人は少数ではないか。
2 2012年の4月下旬、の大量遡上した稚アユは、5月3日のダム放流で生存率が著しく減少したと思われる。そのダム放流で、神川橋では3メートルの増水。
もし、その大量遡上した稚アユが生きていれば、解禁日には、座架依橋、厚木では唐揚げサイズの束釣りが多数いたものと思われるが、座架依橋の人が、昭和橋のコロガシの状況を見に来るほど、釣れていなかった。
2012年相模大堰副魚道遡上量は、590万クラスであるが、そのうち、4月上旬は18万、中旬は73万。
そして下旬は457万ではあるが、その多くは5月3日からのダム放流で流されて大堰の下部床や寒川の堰の下部床に叩きつけられ、あるいは、その後の濁りによる飢饉で死滅したであろう。
生存率が著しく低い状態になったことは、もし、4月下旬遡上の稚アユが健在であれば、解禁日には、座架依橋、厚木では唐揚げサイズの束釣りが多発していたであろうが、座架依橋の人が昭和橋のコロガシの状況を見に来ていたほど不漁であった。
ということは、2013年の遡上アユの親は、4月上旬の18万、中旬の73万が上限で、それに下旬の生き残りと沖捕り海産の放流ものとなろう。そのうち、オラのように心優しい人ばかりであれば、多くが人生を全うできたであろうが、アユが少ないにもかかわらず、20,30人のあゆみちゃんをだっこするジゴロさんがいらっしゃったから、どの程度の数が産卵行動に参加できたのかなあ。
高橋勇雄さんは、相模川高田橋、中津に潜り、1平方メートルあたり3匹?5匹?のアユがいたから、「過密」が原因でアユが「小さい」とのご託宣をされたが、そのご託宣で、アユも、あゆみちゃんのお尻を追っかけまわしているオラもハッピーになるとは考えること不可能ですがねえ。
こんな学者先生のご託宣を信じて、もし、今年の放流量が決められていたら、去年以上に河原で昼寝する時間が増えることになりますが。
高橋さんは、あっちこっちで、遡上アユをふやすために布教されているようですが、百害あって一利なし、ではないのかなあ。
さて、百万くらいの親からどの程度の稚魚が遡上してくるのか、気になっていた。
もし、去年の四月下旬の五百万近くの稚アユが親になっていれば、海の動物プランクトン生産量の限界を超えるかも、との心配が生じていたかもしれないが、高橋さん以外で、アユが「過密」であると判断した釣り人はいないと考えているから、親の数が少ないと確信している。
その結果は、四月上旬が60万。去年は17万であるから、去年の4月上旬よりも多い。磯部の堰魚道の遡上達成率が何パーセントか分からないが、仮に50%とすれば、30万が番茶も出花娘に育ってくれることになるが。たまには乙女をだっこできるかもしれないが。
仮に4月下旬に去年のように大量遡上があったとしても、せいぜい中学生くらいまでにしか育たないのではないかなあ。
さて、大量遡上の翌年に生じていたこともある遡上量の激減がどの程度発生していたのか、見てみましょう。
相模大堰副魚道での遡上量調査が1999年に始まり、10年余り。「継続は力なり」で、少しは遡上量の変遷を考えることができる。
まずは、大量遡上のあった年とその前年=親の数の見当のために、翌年=海の動物プランクトン生産量の限界を考えるために見てみましょう。
大量遡上の前年 | 大量遡上の年 | 大量遡上の翌年 | |||||||||
2001年:平成13年 | 2002年:平成14年 | 2003年:平成15年 | |||||||||
500万余り | 2000万余り | 700万余り | |||||||||
大量遡上の前年 | 大量遡上の年 | 大量遡上の翌年 | |||||||||
2003年:平成15年 | 2004年:平成16年 | 2005年:平成17年 | |||||||||
500万余り | 1900万余り | 49万 | |||||||||
1999年以降、1千万以上の遡上量は、この2年だけである。 次に700万以上の遡上量のあった年を見る。500万以上でもよいが 対象年を減らすためです。 |
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大量遡上の前年 | 大量遡上の年 | 大量遡上の翌年 | |||||||||
2010年:平成22年 | 2011年:平成23年 | 2012年:平成24年 | |||||||||
120万余り | 900万余り | 500万余り | |||||||||
大量遡上の前年 | 大量遡上の年 | 大量遡上の翌年 | |||||||||
2007年:平成19年 | 2008年:平成20年 | 2009年:平成21年 | |||||||||
400万余り | 700万余り | 120万 | |||||||||
大量遡上の前年 | 大量遡上の年 | 大量遡上の翌年 | |||||||||
2002年:平成14年 | 2003年:平成15年 | 2004年:平成16年 | |||||||||
2000万余り | 700万余り | 1900万余り |
と、いう親の量と、その子孫の関係にあるようですが、この現象に法則性があるのかなあ。ないのかなあ。
はっきりと判っているのは、平成24年・2012年の遡上量500万余りとはいえ、そのうち、親になるまで生存できたのは、100万とかの水準であること。そして、その子は4月中旬までに90万ほどであること。
海のプランクトン発生量が唯一の稚アユの生存量を決める要因ではないかも。それでは、どのような要因があるのかなあ。
そして、高橋さんには、500万以上の遡上量があっても、「超過密」にはならないこと。また、育ちが悪い原因にならないこと。育ちの悪さは、発育段階が、櫛歯状の歯に生え替わる時期が、いつか、コケを食するようになる時期が3月下旬、4月上旬か、に依存する可能性が高い確率で考えられるのではないかということ。
2012年の荒川は、雪代が例年よりも2週間ほど遅くまで残ったとのこと。その結果は、三面川よりも小さいアユの荒川になった。
新潟県 高瀬温泉 「旅館山路」のホームペ−ジに、三面川と荒川との50匹ほどの重量の比較が掲載されているように、荒川のチビアユは初めての経験。
東北・日本海側のアユは、コケを食するようになると急速に大きくなり、房総以西の太平洋側のアユがコケを食べている期間よりも1,2ヵ月短いにもかかわらず、乙女に、泣き尺の大きさに育つことができる。
このことからも、房総以西の太平洋側のアユも、コケを食するようになったのがいつか、は大きさに関係していると考えている。
3月下旬、4月はじめに相模大堰副魚道を越えた稚アユは、20センチ台に、4月下旬以降に相模大堰副魚道を越え達アユは、中学生か小学生の大きさに。
もうひとつ、高橋さんの間違いは、コケが食されるほど、コケの生産量、:純同化量が増えるということ。勿論、限界はあるでしょうが。とはいえ、川の中の物質循環でコケの生産量が制限されていた貧腐水水の古とはちがい、「窒素やリンがどばっと外部から投入されている」現在のαかβ中腐水水では、光合成があたかも無制限に、限界なく進んでいる、と勘違いしても、高橋さんほどの間違いよりは小さい間違いでは。
ということで、今年も相模川では、皆様の満足を実現するほどの遡上量ではないのでは。
駿河湾の稚アユは去年よりも多いようですから、アッシー君達、よろしくね。
相模大堰副魚道遡上量調査その2 単位:万
2000 年 |
2001 年 |
2002 年 |
2003 年 |
2004 年 |
2005 年 |
2006 年 |
2007 年 |
2008 年 |
2009 年 |
2010 年 |
||||||||||||
4月1日 から10日 |
23.2 | 204.9 | 568 | 18.4 | 830.9 | 5.6 | 0.5 | 27.4 | 188 | 20.3 | 19 | |||||||||||
4月11日 から20日 |
9.4 | 40.6 | 895.2 | 264.5 | 113.2 | 0 | 2.5 | 24 | 219 | 54 | 81 | |||||||||||
4月21日 から30日 |
36.6 | 125.3 | 387.1 | 232.3 | 499.2 | 42.2 | 23 | 275 | 229 | 40 | 70 |
|||||||||||
4月計 | 69 | 371 | 1,850 | 515 | 1,443 | 48 | 26 | 326 | 636 | 114 | 169 |
|||||||||||
5月1日 から10日 |
4.4 | 129 | 112.8 | 32.8 | 56.2 | 0.8 | 9.9 | 68.6 | 70 | 2 | 59 |
|||||||||||
5月11日 から20日 |
5.5 | 40.7 | 48.5 | 41.2 | 136.7 | 0.6 | 6.1 | 13.8 | 32 | 7 | 3 |
|||||||||||
5月21日 から28日 |
3.7 | 8.6 | 9.7 | 108.8 | 45 | 0 | 0.7 | 3.2 | 36 | 0.4 | 2 |
|||||||||||
5月計 | 13.6 | 178.3 | 171 | 182.8 | 237.9 | 1.4 | 16.7 | 85.6 | 138 | 9 | 64 |
|||||||||||
合計 | 101 | 550 | 2,199 | 706 | 1681 | 49 | 43 | 412 | 774 | 123 | 233 |
|||||||||||
3月20日 〜3月31日 |
16 | 1 | 177 | 80 | 296 | 調査 対象 期間外 |
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遡上初出日 | 23日 | 20日 | 25日 | 29日 | 25日 | 4月 4日 |
4月 3日 |
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初出日 最高水温 |
ー | 12度 | 11度 | 12度 | 12度 | 15度 | 13度 |
2011 年 |
2012 年 |
2013 年 |
2014 年 |
2015 年 |
2016 年 |
2017 年 |
2018 年 |
2019 年 |
2020 年 |
2021 年 |
|||||||||||
4月1日 から10日 |
61 | 18 |
60 | ||||||||||||||||||
4月11日 から20日 |
271 |
56 |
29 | ||||||||||||||||||
4月21日 から30日 |
417 |
457 |
63 | ||||||||||||||||||
4月計 | 749 |
531 | 152 | ||||||||||||||||||
5月1日 から10日 |
62 |
31 | 15 | ||||||||||||||||||
5月11日 から20日 |
139 |
20 | |||||||||||||||||||
5月21日 から28日 |
22 |
4 | |||||||||||||||||||
5月計 | 223 |
64 | |||||||||||||||||||
合計 | 972 |
595 | |||||||||||||||||||
3月20日 〜3月31日 |
遡上なし | 遡上 なし |
遡上なし | ||||||||||||||||||
遡上初出日 | 4月4日 | 4月3日5千 | 4月4日2万 | ||||||||||||||||||
初出日 最高水温 |
13度 | 12度 | 16度 |
2009年 | 浜名湖産放流。駿河湾の稚鮎大量。11月以降、12月始めまで、昭和橋付近に鵜山ができる。「トラックで運ばれてきた」海産畜養の産卵場所になった。 | ||||||
2008年 | 3月下旬の遡上量は、調査対象期間外であるから、不明。しかし、4月上旬の遡上量が多いこと、4月1日から多くの遡上量が観察されていることから3月下旬の遡上も相当量があったのではないか。 また、解禁日から17センチが釣れた。 |
||||||
2012年 | 4月下旬に大量遡上。 しかし、5月3日のダム放流でその大量遡上の稚魚の多くが流され、あるいはその後の飢饉で死滅した。そのため、座袈江橋、厚木のコロガシで唐揚げサイズの束釣りはなし。 5月3日の大雨で狩野川に放流された継代人工は消滅。解禁日前に嵯峨沢、西平橋に放流された継代人工の成魚放流のみ、釣りの対象に。 梅雨明け以降、東北・日本海側の沖捕り海産か、F1が尺アユ、泣き尺に育つ。 |
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今年の遡上鮎の親は、100万匹程度の水準ではないかなあ。
4月下旬以降に相模大堰を遡上した稚鮎は、小学生、大きくても中学生までの大きさにしか育たないのではないかなあ。
2012年、雪解けの収まる時期が例年よりも2週間遅れた荒川では、三面川よりも小さい鮎というオラにとっては初めての経験をすることになった。東北・日本海側の鮎が、コケをはみ出してから急速に育つ習性を持っているとはいえ、2週間ほどコケをはむ時期が遅れたことが、成長・大きさに多大な影響を生じていることにびっくりした。
100万匹台の遡上量では、磯部の堰を5割の稚鮎が遡上するとしても、少ないなあ。中津川は、魚道の下段の段差が大きく、去年同様遡上障害が発生しているから改善を要望した、と、漁連便りに書かれていることから、遡上鮎はおらず、沖捕り海産と、県のF1かF2の人工種苗で生き残ったものしかいないのでは?
これまでであれば、中津川漁協単独の放流も行われていたが、去年、高田橋、中津川に潜った「アユの本」の高橋さんが、1平方メートルに3匹?5匹?の鮎がいたから、過密である、そして、過密であるから大きく育たない、とのご託宣を行った。このご託宣信者がキャップであるから、漁協単独の放流が行われないかも。
仙台堰下流には八菅に放流された海産も移動してきているが、堰下の溜まりで網で取られなかった稚鮎がどの程度いるのかなあ。
とすると、中津川ではオトリを休めるために昼寝の時間が増えるなあ。
昭和の代に先祖返りをして、狩野川詣でとなりそうですなあ。
もっとも、狩野川からの発信は「事実」の発信ではなく、売らんがための誇大広告が多いようであるが。
ただ、2月末に沖捕り海産が1トン採捕されて、半月の畜養の後、千歳橋等に放流されたようであるから、去年よりは遡上アユが多いといえるのではないかなあ。
5月17日 中津川のコケがおかしい?
囮屋さんが、「アユの本」の高橋さんが去年の中津川のアユが小さいかった理由について「過密」であるから、と、ご託宣されたことにまちがっちょる、と。
去年の中津川は、魚道の維持修繕を行わなかったため、遡上できないと思っていたから、面食いのオラは数回しかいっておらず、コケの状況をあんまり見ていない。
16日、放流アユの姿が見えるかどうか、馬渡橋から下ったが、見えず。
そして、コケの状況もなんか変。
囮屋さんは、去年と同じ状況のコケと。
狩野川にアマゴ釣りがてら、あゆみちゃんの状況を見に行ってきたテク2も、中津川のコケが変である、と。
囮屋さんは、宮が瀬ダムが植物プランクトンの発生を抑えるために薬をまいているのでは、と冗談を言われていた。それほどおかしなコケの状況。
栄養塩はたっぷりとあり、お日様ニコニコで、濁りなし。にもかかわらず、コケの状況が変であるのはなんでかなあ。
テク2は、これから青ノロの大繁殖がはじまるかも、と。
高橋さんの「過密」状態の中津川、相模川のご託宣が、今年の放流量に影響しているのか、どうか分からないが、漁連の義務放流量で終わるのかなあ。それとも、例年どおりの中津川漁協の単独の放流も行われるのかなあ。
まあ、継代人工の成魚放流には興味がないため、どっちでもよいともいえるが。
高田橋からもアユは見えません。内水面祭りのときに体験放流されたのは県産のF1かF2ではないかと想像しているが、その稚鮎が消えてしまったのかなあ。サギが日ごとに下流へと移動していったとの話もあったが。
狩野川、大井川へと釣り人がなびく、という状況になるのかなあ。テク2はすでにその1人となっている。
テク2は、青木の瀬が工事でとんでもない変容、と。オトリ捕りをする場所も、必ずオトリを入れていた場所も消滅した、と。大雨が降って流れが変わることを願っていた。
昭和の代の青木の瀬は、右岸側護岸沿いに流れが白波を立てて流れていた。護岸から釣る人もいたが、多くの人は立ち込んで瀬の芯に囮を入れていた。
その立ち込んでいる人の立ち位置よりも少し沖目にオトリを入れるのがオラの腕では精一杯。
そして掛かった。番茶も出花娘に翻弄された。下流側の上手い人が、ヘボがあゆみちゃんに翻弄されているのを見て、ご自分の釣り操作をおろそかにしてオラが粗相をしないように動いてくれた。
そして取りこんだことが、オラのあゆみちゃん狂いの始まり。それまでは、たまに亡き師匠について行くくらいであったが。
そらあ、びっくりしたなもお。尺バヤよりも強い引きと持続力。
自動車道が建設されていた頃からかなあ。流れが変わったのは。その頃には、故松沢さんに入り浸り。とはいっても、サボリーマン君達ほど多くはサボっていないと自負しているが…。そして、丼大王のウン分の1しか釣れなくても恥ずかしくなし。
ある年の晩秋、コマドリの瀬はアカ付きがよくなっているのに、城山下の2本電線等はアカ付き悪し。
循環型温泉が塩素を大量に入れた温泉水を水路に流し、山田川?に流れ込んだから、ということではなかったかなあ。
中津川のコケがおかしい、という状況には、何が影響しているのかなあ。
5月23日 相模川
19日、サボMに相模、中津と回って貰った。天気晴朗なれど、下見の人は殆どなし。すでに相模、中津は見捨てられているのかなあ。
新昭和橋から、チャラ状のところに少し稚鮎が見えたが、少ないなあ。これが遡上アユか、沖捕り海産かは分からないが。稚鮎のいるところ、コイあり、で、数匹が浮かんでいた。
高田橋からは、相も変わらず、チャラ状のところにも、少し瀬風になっているところにも稚鮎の姿見えず。
23日、あんよの練習、といっても、水の中に入らんことには練習にならないことは分かっちゃいるけど、水も滴るジジーにはなりたくないからなあ。
高田橋上流側のチャラに稚鮎が飛び跳ねている。この稚鮎はどこから来たのかなあ。数日前までは,5月23日にも稚鮎は姿を消していたから、のぼってきたと思うが。
堰下のふくろにも稚鮎がいた。
遡上アユであればありがたいが。
当然、コイも数匹見えるようになった。堰上流ではヘチにコイがたむろしていたが、その集団は産卵しているのかなあ。
鵜が堰下の落ち込みに2羽。鵜にも敬遠されているということかなあ。
さすがの「アユの本」の高橋さんでも、「過密」とのご託宣はしないでしょうなあ。
弁天にはへら釣り場のへらを食べるために、2,30羽の鵜がたむろしていたが、今はいずこへ? また、鵜がへらの釣り人を駆逐してしまいました。
石切場のヤナギ前に数羽の鵜が。これでも、石切場から堰の間では一番鵜が集結している場所。
もし、鮎が多く、ことに、継代人工の成魚放流がされていれば、河原に鵜がずらっと並んでいらっしゃるのに。
故松沢さんの想い出:補記6のアマゴちゃんとさつきちゃん、山女魚ちゃんとさくらちゃんの「二角関係」を、川那部浩哉「生物と環境 川魚の生態を中心に」(人文書院)の中の文でかっこよくまとめようとは考えたものの、思いは叶わず。
あゆみちゃんのお尻を追っかけながら、なんとか宿題として考えてみよう、と思っていたが、魚乱さんが「俺達のアユ釣り」にとんでもない記事を紹介された。
それは、五ヶ瀬町で、山女魚を淡水と海水で五ヵ月養殖したところ、海水養殖では淡水養殖の五倍の重量に成長したという記事です。
さつきちゃんやさくらちゃんは、海に下るからでっかくなることができる、それは海水がアマゴやヤマメに及ぼす生理機能?への影響ということのよう。
そうすると、海に下らず、幼魚紋を残している「さつきちゃん」は、「戻りアマゴ」は、どうなるのかなあ。
また、シラメ、萬サ翁は「シロメ」と観察されているアマゴだけが海水養殖で生存できるということかなあ。
ということで、さつきちゃんとさくらちゃんをめぐる「二角関係」を、あるいは陸封されたアマゴ、ヤマメちゃんとの関係をどのように考えれば礼子ちゃんが「少しはまともに本が理解できるようになったわね」と評価してくれるかも、と期待できる「まとめ」はさらに遠のいていきました。
6月1日 中津川
始発のバスに乗って角田大橋へ。始発とはいっても、角田大橋に着くのは8時過ぎであるが。
「アユの本」の高橋さんのご託宣を信じて行動した結果がどうなっているのかなあ。
その前に、川那部浩哉「環境と生物」(人文書院)で、高橋さんが2012年の相模、中津の鮎が「過密」と評価されたことが、どのような状況を観察していたのか、推察してみましょう。
少し端折って、「追い出されたアユたち」の節に、
「なわばりを持てるような場所がほぼ全部つまる数以上に、もっとアユの数が増えるとどうなるのだろう。」
鞍馬川での実験で、
「アユを少しずつ入れていくと、なわばりの数がふえてくる。しかしそのうちに、石の状態などからみて、これ以上はなわばりが作れないという状態に達する。それでもまだ、アユをどんどん入れてやる。そうすると、いわば余分のアユは、なわばりを作れないような、石の状態などのよくない場所で、集まって生活するようになる。だがこのあつまりは、おたがいが統一されて、同じ行動をするわけではない。したがって、群れという言葉はこの場合使いにくいのであって、このようなアユの行動を、一尾ずつ追跡してみると、むしろ、行動圏の重なった単独生活のアユといった方がよいことが分かる。(第7図)。」
アユの集団を、なわばりアユ、群れアユ、遊びアユと区分することがあるが、この区分での「遊びアユ」に該当するのではないかなあ。ただ、「冷水病」の名称同様、適切な呼称とはいえないと思うが。
「このようなアユは、単独で生活しているものではあるが、なわばりを持っているアユのように、他のアユを追って自分の場所を防衛するといった行動は、全くしないのである。」
この現象からは、「遊びアユ」の呼称は適切ともいえるが。
「しかしこれらは、なわばりを持っているアユがつり上げられると、そこへ入ってなわばりを作る。したがって、この実験からはいちおう、このあつまっているアユは、なわばりを持っているアユに追い出されたものであり、なわばりがあけばそこへ補給されるというふうに、いうことができる。」
ということで、高橋さんが、「過密」といったこの「遊びアユ」がいなければなわばりアユがいなくなれば「補給」されるアユもいないことになるのではないでしょうかねえ。
「金網でしきったときには、しきったという影響がそうとうあらわれているかも知れない、ということが想像される。だがその後の、天然アユが海から上って来る川での調査でも、ある年には、なわばりを持っているアユと持っていないアユとが、すぐ近くにすんでいて、しかもそれが、行動の安定性とか生育状態といった面からみて、いわば階級化されているといったばあいがある。」
宇川での観察
「一九五六年には、この川のアユの数は、なわばりが並んだ値から考えた数のほぼ一.五倍程度であった。この年の宇川橋という橋の上から、川を見おろしてみると、流れのわりあいに速い底の石の大きい場所は、なわばりを持っているアユに完全に占められてしまって、なわばりの密集地域といったほうがいいような状態になる。しかしこのばあいにも、その附近のアユの数はなわばりを持っている数よりもはるかに多い。この残りの連中は、ときどき小さい群れを作って、なわばりの密集している地域へやって来るのだが、その範囲へ入るととたんに、なわばりを持っているアユにさんざんに追いちらされて、ばらばらになり、ほうほうの体(てい)といったかたちで、川岸によった、流れのゆるい、石の小さい、藻のあまり生えていない場所へ追いやられてしまう。そうして悪い場所で群れを作って、わずかに食物を摂るのである。」
ということで、「群れアユ」が「なわばりアユ」を蹴散らす状態とは異なる小さな集団が存在している。
高橋さんはこの現象を見て「過密」と評価されたのではないかなあ。
この状態では、
「このようなちがいは、結果として、アユの成長にもあらわれてくる。成長をはかるのには、アユのめかたでいくのがいちばんいいのだけれども、めかたを計るためには、特定の個体をつかまえなければいけない。しかし、あのアユ、このアユといって、特定の個体を捕まえるのはなかなかむずかしい。そこで精度は低いが、目測の体長でいくことにする。」
ということで、「遊びアユ」をみて、「過密」と、そして、「過密」であるから成長が悪く、小さいとのご託宣を信じられた方は、今年の放流量についてどのような行動をされたのかなあ。
なお、ついでに、淵での「社会的な生活」をみると、
「だが、淵では、なわばりが並んだような状態は、今までの経験では見ていない。なわばりを持っているものも少しはあるが、多くのものは群れであったり、ひとりでいても行動圏が重なっていたりする。淵での藻類の質や量は、たしかに瀬のいい部分にくらべると、おとっている。こんなことを考えてみると、淵でのアユというのは、今までのべてきたような追い出されたアユと同じで瀬のなわばりがあけば、一尾ずつ淵から補給されていく、といったものではなかろうかと想像している。しかし、この想像はあまりあたっていないようだ。淵は瀬のアユの補給源だと単純にいってしまえないものがある。淵の中には、瀬から全く独立して、アユを成長させるような価値を持ったものがあり、瀬のアユがつりあげられても、それを補給するような動きは、それほどはっきりしないばあいもある。だから、瀬と淵とでは環境のなりたちがちがっており、アユは違った生活の様式で、おのおのの場所を利用しているといった面も、大きく取りあげなければならない。淵での生活については、あとでもう一度ふれたいと思う。」
川那部先生は、淵のアユが瀬のアユとは違った生活の様式を持っていると書かれているが、故松沢さんは、その生活の様式に出アユ、差しアユがある、と。
城山下の淵から、一本瀬には差しアユが、石コロガシの瀬には出アユがあると、入れ掛かりになる。手返しをよくするため、針を尻尾よりも内側にセットして、脳天に針掛かりをするようにして、「生き絞め」にする。オトリは交換せず、死んでいてもよい、と。
とはいえ、死んだオトリを操作する腕がないと差しアユ、出アユであろうとかからないとは思うが。
川那部先生は、アユの生活環境として、立派な淵と瀬がセットになっていることが重要と書かれているが、故松沢さんも同じ考えであったと思う。
ということで、高橋さんの「過密」を「遊びアユ」の視点で見ても、「過密」の評価が適切とはいえないのでは。
一体、いかなる判断基準で、高橋さんは「過密」と判断されたのか、凡人には想像もつきません。
「サラリーマンは気楽な稼業だ」と謳っていたのは植木さんだと思っていたが、間違っているかも。
「気楽な稼業」を満喫しているサボリーマン君が、今は「気楽な稼業」でなくなった、と一応しおらしくなっている。
そうすると、気楽な稼業は、高橋さんら「学者先生」だけということかなあ。
さて、狩野川の解禁日、当然、迷人見習いは松ヶ瀬にお出かけ。
ところが、昼過ぎまでバーベギュー。これじゃ上手くなるわきゃないよ。それでも、12センチ?くらいの遡上アユを釣りご満悦。継代人工は左岸側の人が。その後、少し場所を変えて右岸側の上流に動くと、そこはなぜか継代人工と遡上アユが。合計16匹?が釣れてご満悦。
ところが翌日の26日、水温が低い、釣れない、と朝帰り。
水温が低いことが「釣れない理由」ですかねえ。メジナも水温が2度下がると移動していき釣れない。その現象と同じとおっしゃるが。
川那部先生は、「種間関係と釣り―その二面」の節で、
「淡水魚は、生活様式の幅が広い点で定評がある。淡水という環境は川はもとより湖においても、地質年代を通してみると極めて不安定であった。したがってその性質を幅狭く固定すれば、途中で死滅せざるを得なかったのである。大概のものは食い、大抵の所で産卵できるものだけが、現在まで続いているのだ。だがこのことを逆に言えば、共存する場合にはその相互作用に大きい重なりの生ずることを意味する。この時淡水魚には、重なりを減らすべく調整能力がある。共存下におけるすみ分けと食い分けは、その典型的なあらわれなのだ。」
川の生物は、「鈍感力」が生きていく上で、必須の習性ではないでしょうかねえ。
水温が二,三度変化したから、食欲がない、なんて言っていたら、やせ衰えるか、オラのように骨皮筋衛門になるしかないのではないでしょうかねえ。
去年の狩野川の解禁日を思い出してください。水温が低いから釣れなかった、と書かれていましたよね。アユがいなかったから、正確には、釣りの対象となるほどに成長したアユがいなかったから、でしょう。
二日目が釣れなかったのは「品切れ」ということでしょう。
狩野川沖の海域で、沖捕り海産で大きい稚アユが捕れた、大きい稚アユが遡上した、との話があったけど、それが事実としても、その量は?
二〇〇八年相模川の相模大堰副魚道調査における四月一,二,三日の大量遡上、調査期間外の三月下旬の遡上アユの目撃、このことから、三月下旬も大量遡上があった、と判断したことが適切であったのは、解禁日から一七歳女子高生が釣れましたよねえ。六月の神沢で、迷人見習いさんが見事に転んだ年ですよ。
もし、「大きい」稚アユが大量に遡上していれば、あるいは半月の畜養で放流された海産畜養に「大きい」稚アユが多ければ、品切れにはならないでしょうが。
水温低下があゆみちゃんの活性を下げることになるのは、一一月一日頃の「西風が吹き荒れた」後です。水温一六,七度が、一二度くらいに低下します。そのときは「釣れない」状態になるが、故松沢さんは、すぐに低い水温に慣れる、と。
それから、夏の夕立は水温を下げて、あゆみちゃんを活性化させる、との話も、関西の川の話ではないのかなあ。
盆の頃の千種川は上郡。三〇度近くの水温、ぬるま湯のような水温になる年があった。釣れたアユでも数回泳がせるとばたんきゅう。左岸に支流が流れ込んでいるところは、近くに伏流水が支流に流れているのか、周りよりも少し冷たい。その一角はよく釣れたなあ。
そのような高水温の川では、夕立はあゆみちゃんの食欲を増進することになろうが、関東の川では、どうかなあ。
まあ、二日目が腕の悪さで釣れない、とはいえないお気持ちは分かりますが、「釣れない」から朝帰りでは、今年もオラに負けることになりますよ。海釣りのときに、オラに負けた言い訳を考えておいてください、迷人見習いさん。
サラバ効果
故松沢さん達は、11月1日頃、湯ヶ島の漁師が、鮎がいなくなった、と、中流域にやって来ると、いそいそと湯ヶ島に出掛けていった。下りで鮎が少なくなったが、サラバ。
当然大漁に。そして、伊豆長岡でねえちゃんを侍らせての酒盛りに。
それほどサラバ効果は絶大ですよ。
25日、バーベギューに現を抜かしていても16匹?、26日は朝から修行されたから、20,30当たり前、と思われたのでしょうねえ、迷人見習いさん。
25日がサラバ効果と気がつかないとは、まだまだ修行が足りませんなあ。
26日、1日修行をすればツ抜けはしたでしょうが。
6時前、握りを買いに歩いていると、最上川さんに出合った。毛鉤の流し釣り、ちんちん釣りをするため、小沢の堰上流にいったが、大入り満員。高田橋も。それで、石切場に行くとのこと。
新聞には遡上量が多いと書かれていたとのことであるが、ちんちん釣りが繁盛するほどの遡上量ではないと思いますが。
ごちゃごちゃと書いているのは、ボウズだからでしょう。そのとおりです。
始発のバスで角田大橋へ。高田橋はほどよくつまっていますなあ。弁天も少しは入っているなあ。
始発といっても、角田大橋についたのは8時過ぎ。
宣誓
1 朝帰りはしません。
2 朝麦酒は飲みません。
囮屋さんでは、ヤマメねえちゃんが放流地点ではないかと思う橋すぐ上で、助平な継代人工を釣り上げている、その上下の男はそれほど釣れていない、と。
橋上流の瀬は閑散としていますなあ。海産畜養はどうなったのかなあ。
通常、解禁日は混んでいて入れない壊れ橋上流へ。遡上アユは、魚道の維持修繕がされてないようであるから、いないでしょう。1週間ほど前に放流された継代人工の放流地点かどうかはわからい。八菅に放流された海産畜養が、やってきているはずであるが。
アカ付きは悪いなあ。宮が瀬ダムが植物プランクトンの繁殖を防ぐため、薬をまいているのでは、との冗談が現実味を帯びてくるなあ。
高橋さんのご託宣で放流量が少ないとすれば、罪なことをしますなあ。ご託宣の結果に責任を問われることがないとは、気楽な稼業ですなあ。
9メートルの竿は重いなあ。両肩と両手の平に3回の注射をしているから、腕が上がらなくなることはないでしょう。
いや、そんな心配は不要。さっぱり釣れません。釣り人は減っていき、オラもやめたいなあ。
海産畜養がチビという話は事実かも。幼児が掛かったが。
なんで、海産畜養がチビなんかなあ。
壊れ橋上流の釣り人は数人に。例年なら釣れている堰に近い大石のところの人もいなくなった。
寂しいから止めましょう。
囮屋さんで麦酒をいただきました。
朝麦酒を飲まないと宣誓したんでしょう。
まあ、誓いは破るために行うモンですよねえ。
まだバスまで時間があるから、ヤマメねえちゃんを見に行く。継代人工といっても中学生。
ヤマメねえちゃんの上下の男の1人はよねさん。ヤマメねえちゃんよりは少ないとのこと。
高田橋は角田大橋よりも盛況。弁天にも人が入っているが、瀬肩より上流のトロに多いが、なんでかなあ。
明日、高田橋に入って様子を見よう。
6月2日 相模川
中津川角田大橋すぐ上流の放流地点付近で、流れが弱く、小石のところに入ったヤマメねえちゃんとよねさんはともに40匹くらい。ヤマメねえちゃんの方が数匹多い。腕は、雲泥の差があるのになあ。
ヤマメねえちゃんに助平な男、いや継代人工がにじり寄ってきた御利益かなあ。
はちゃんは、あっちこっち彷徨ってヤマメねえちゃんのトイ面にやってきたが釣れず。さすが、海千山千のはちゃん、狭い範囲しか釣れないことをすぐに見破って、その場所をあきらめて再び放浪の旅に出て行った。
ご近所さんは、いつも鮎が見えるところに鮎が見えないから、様子を見に行くだけといっていたが、釣れていたから、午後、昭和橋へ。30台の中学生。しかし、幼児はいない。
なんでかなあ、中津でも、高田橋でも幼児が釣れているのに。
海産、継代人工が入り交じっていた。70匹の人は、女子高生も釣っていたとのこと。当然人工でしょう。
例年釣れる昭和橋上流の左岸ブロックのところは釣れていなかった、と。
オトリを1匹にするか、2匹にするか、悩んでいるところにジロちゃんがやってきた。
昨日、高田橋に入り、チャンプ君共々、20台。継代人工も海産も、湖産まで混じったとのこと。
ということは、高田橋にも鯉幟のときの体験放流以外での放流が行われたということでしょう。弁天の瀬肩上流瀞に人が並んでいたのも、その付近で放流が行われたからでしょう。大島への一点豪華主義の放流ではなくなったのかも。
なお、ジロちゃんとチャンプ君は、嵯峨沢に入り、動けない中、ともに30台とのこと。釣れたアユには、継代人工、海産畜養、遡上アユが混じっていて、それらの状況の説明をしてくれたが、忘れた。今日は、弁天に行くとのこと。上位大会へと進むお二人は、「釣れた」「釣れない」だけを基準として行動の、場所の選択をしていないようで。
ジロちゃんが高田橋の状況を見てくれたから、オトリは1匹に。
そして、ジロちゃんが一番場所と話していた橋すぐ上は、人がつまっている。そのほかはがらがらというのに。しかも、右岸がよいということで、立ち込んでいる人もいる。そこは、去年の8月頃までよりも浅くなっているなあ。
まあ、そこが品切れでないかどうかをながめることにしましょう。いや、入る空間はあるが、そこまで歩いていくのがしんどい、転んだら格好悪い、ということが本音で、手前のチャラに。瀬のなくなった高田橋では、瀬の雰囲気を残している貴重な場所。まあ、玉引き、振り子抜きの田名の主の釣り場は高田橋から消滅し、お遊びでチャラを玉引きしたり、お仲間のオトリ採りをするため、やむを得ず、大嫌いな立て竿の釣りをするだけで、ヨシノボリを釣り、それを餌にウナギのヒゴ釣りをすることが多くなる年ではないかなあ。
跳ねる中学生はいるが、釣れませんなあ。ジロちゃんが釣れる時間という10時までオトリ君働いてや。
釣り人が少ない中、10時ころ、トイ面の人が大きく竿を曲げた。ニゴイ君のお出ましでした。
橋のすぐ上もほとんど釣れていませんなあ。いや、釣れた人の方が少ないのかも。全員がボウズではないと思うが。
やっと10時半に。3時間ほど働いたなあ。オトリ君も疲れたでしょうが、3月からの水の中でのあんよの練習をサボったため、オラも疲れた。もうやめましょう。
ということで、サラバ効果は消滅していました。「品切れ」です。何日後に釣れるようになるのかなあ。
大井川の囮屋さんに電話をすると、遡上アユは多いが、小さい、12歳くらいが大きい方かも、と。
残念なことに今年も塩郷堰堤下流、新大井川漁協管内の本流に放流されているとのこと。まあ、瀬を釣る限り、放流ものに煩わされることはないでしょうが。
早く、大井川へ行きたいが、狩野川が先かなあ。お百姓さん、来年があると思うなジジーに御報謝を、アッシ−君をたのんまっせえ。
6月4日 相模川
ボウズ街道まっしぐら、いつまで続くのかなあ。
たいして水の中を歩いていないのに、節々や筋肉がちょっぴりかったるいなあ。
高田橋に近いところは立ち込んでいる人で満員。その手前にオトリを入れるが、釣れるとはとてもとても。跳ねる中学生、小学生はいるのになあ。迷人見習いよりも修行の時間が多い、ということだけが目標になりそう。
ジロちゃんが釣れる時間帯といった10時を過ぎても、立ち込んでいる人の竿は変化なし。
もっとも、2日はオラが帰った後の11時前から立ち込んでいる人2名が一時入れ掛かりとなり、20匹ほどになったとのこと。
まあ、釣れないといっても、みんなでボウズは恥ずかしくない。立ち込んでいる人も11時前になっても時折中学生が釣れているだけ。
河原で今年初めてのお昼寝をしましょう。いや、経費節減の折、オトリが1匹であるから、休ませてあげましょう。やさしいなあ。
起きると、田名の主がいた。
解禁日、しんちゃんやピーちゃんは、ちんちん釣りと友釣りで、大きい継代人工を2人合わせて100匹以上釣ったとのこと。
田名の主もちんちん釣りで20,友釣りで10匹足らず釣ったとのこと。
それで、2日は堰下の溜まりからチャラというか、ザラ瀬まで釣り人が並んでいたんですなあ。
しかし、大きい継代人工は釣りきられたのではないかなあ。
そして、去年までは大島に放流されていた大きい継代人工が高田橋にも放流された、ということではないかなあ。
弁天に解禁日に入ったテク2は、楽しい釣りにはならなかったよう。
熊さんは、今日も弁天でちんちん釣りをして、跳ねるアユがいる、といっていたが。
弁天は、ちんちん釣りでハヤの釣れる比率が高田橋よりも高い、と。どういうことかなあ。アユが少ない、ということでなければよいが。
6月6日 相模川
昨日、高田橋から昭和橋まで歩いた。
高田橋上の橋近くの右岸を釣る人の他、堰下流の鏡とその下流のチャラ瀬、ザラ瀬状のところを釣る人がいた。
橋下流の右岸ドブ釣りの人は5人ほど。遡上量が多いときはずらっと並んでいるが。
弁天は、上流側に2人、左岸への落ち込みのすぐ上に2人。解禁日に弁天でも大きい継代人工が釣れたとのことであるから、去年までは大島にしか放流されていなかった大きい継代人工が弁天に放流されたということでしょう。
弁天下流の瀞にはドブ釣りの人が1人やってきただけ。遡上量の多いときはずらっと並んでいるのに。
石切場は瀬肩上流に1人いたが竿を畳んでいた。かっての淵のところに2人見えたが、どんな釣りをしているのか、見に行く気が起こらない。ヘチの石はババッチイまま。遡上アユが多いときは、きれいに磨かれ、テク1が見釣りのお遊びをすることもあるのに。
圏央道のところの1人は帰り支度。
水管橋のところに車1台見えるが、釣り人は見えず。
新昭和橋下流のご近所さんが入る瀬は2人。
去年まで、雄物川さんの1級ポイントであった左岸ブロックのところは深くなり、流れも強くなっているから、コロガシがやりにくいかも。
その下流側のブロックがなくなるところが、今年の雄物川さんの釣り場とのこと。雄物川さんは10時頃かあちゃんが迎えに来て帰ったとのことで、どのくらい釣れたのか分からない。
雄物川さんの釣り場に入っている人が2匹の中学生を釣るのが見えた。
しかし、昭和橋付近までに入っている人で釣れていたのはその人だけ。まあ、短時間しか見ていなかったが。
今日は、釣れていようがいまいが、あんよの練習のため、オトリ1匹と持って高田橋へ。
橋近くに入ったが、みなさんが立ち込んでいるところまではいると、転んだとき起き上がれそうもないから、今年入れられた石の作る流れからはじめる。
数年前のダム放流で頭大の石が詰まった川底になったが、今年は砂利底に所々石があるだけ。腰近くまで立ち込めば、頭大のつまった石のところになるのかなあ。
立ち込んでいる人が数匹の小学生を釣ったが、他の人は、1,2匹ではないかなあ。
オラの囮がいる付近で幼児と小学生が跳ねている。1匹、中学生が跳ねた。
これらが全川に散らばるのは、7月かなあ、梅雨明けかなあ。そのとき、中高生に育つあゆみちゃんはどのくらいいるのかなあ。
やっと10時半になった。相模川のアユを1匹増やして今日のあんよの練習は終わり。
高田橋下流のドブ釣りも空っぽ。
迷人見習いからの抗議 | ||||||
迷人見習いが、メジナについて、オラの記述がまちがっちょる、と。 メジナは、こませで寄せられて沢山いる。しかし、水温変化で泳層?が変化する。素人はメジナがいなくなったと判断して帰るが、そこからが、「名人」の出番。タナを20センチ単位で変化させていき、メジナの居場所?を探る。それでもだめなら10センチ単位でタナどりを変化させる、と。 メジナ釣り大会でそれなりの実績を上げている迷人見習いの五月蠅いこと。メジナとグレのちがい、いや同じでしょうが、それすらわからんオラには見当がつきませえん。 |
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迷人見習いさん、狩野川で釣れないから、と、海釣りに精を出すんではないですよ。 うちゃんは、今日は休みであるが、あゆみちゃんではなく、マルいかにするか、するめにするか、どこの舟にするか、悩んでいました。 遡上アユが多く、また、3月下旬、4月上旬に相模大堰副魚道を越えた鮎が多ければ、うちゃんが海釣りに精を出すこともなかろうに。 テク1も孫に引かれて、田代の管理釣り場から脱走したニジマス釣りをしてあんよを鍛えたというのに、海釣りのよう。 お百姓さんまで、海釣り病に感染していないでしょうねえ。 |
6月8日 相模川
空いているなあ。
高田橋のすぐ上に入れた。久々に表層付近を泳ぐオトリ。しかたがないから錘を付けて沈ませる。
上流側の人が中学生か小学生を釣ったが、何人が釣れているのかなあ。解禁日、ちんちん釣りも含めて大漁であったピーちゃんもしんちゃんも来ていないなあ。
ザラ瀬に移り彷徨っていると、口掛かり。海産畜養の中学生。
迷人見習いの師匠は、海産畜養と遡上アユの違いについて、遡上アユは、尻尾の切れ込みが胴体近くまで深く切れ込んでいる、と。海産畜養は、尻尾の切れ込みが深くない、と。
ボウズ街道から脱出できたアユは、下顎側線孔数4対左右対称、尻尾の切れ込みは浅い。
まだ9時半であるが、ボウズ街道から脱出できたし、明日は大井川にいくことになるでしょうから、竿を、骨を折らないうちに止めましょう。
今日は、雄物川さんは休養日。
解禁日は昭和橋上流で97匹。その後は4時半から昼前までで5,60匹とのこと。
朝日が水面を照らすと、かたまってくる。それは継代人工とのこと。
昭和橋下流の磯部の堰上流の瀞でねんねをして、朝、雄物川さんの釣り場にやってくるのかなあ。
雄物川さんがコロガシでぽっちゃんぽっちゃんとやっているすぐそばで、ドブ釣りの人が継代人工の大きいのを釣上げている、と。
継代人工は昆虫を食べるのかなあ、と。あれでは友では釣れんでしょう、と。
遡上アユの群れもあったとのこと。
6月に入って遡上アユとはどういう意味かなあ。
磯部の堰の魚道の上り口が見つからず、モタモタしていたのかなあ。磯部の堰上流の瀞で遊んでいたのかなあ。
雄物川さんは、今年は去年よりも海産が多い、と。なんで、そのように見えるのかなあ。弁天下流、高田橋下流のドブ釣りは、絶不調になっているというのに。
遡上アユの中学生は、継代人工の大きいものよりも馬力が強い、と。雄物川さんは、海産畜養と遡上アユの区別をしていないと思うが。
ここ数年、雄物川さんは毎年ご病気になるが、悪運強く、シーズンがはじまる前に治ってしまう。今年は高血圧に関係するご病気であったが。近く、白内障の手術をするとのことであるが、それによって助けられるあゆみちゃんは少しでしょうなあ。眼帯がとれたら、殺生をはじめるでしょうから。
何しろ、真っ黒になるほどの塊で、一流しで2匹掛かるときもあるほど「過密」な場所ではあるが、雄物川さんが登戸から来た人に場所を譲り渡しても、その人は釣れず。コロガシの技術の違いをしゃべってくれたが分かりませえん。
なお、海産もかたまっている、と。海産畜養だけかなあ、遡上アユもかたまっているのかなあ。
6月9日 大井川
梅雨が明ける前に大井川に行ったことはないのではないかなあ。
テク2からお誘いがあり、当然ホイホイとついていく。
それに、「藁科川の鮎釣り」のよしよしさんが「ほのぼの〜」の鮎釣りをした、あるいはしたいと書かれていることに触発されて、オラも「ほのぼの」とした鮎釣りをしたいから。そのためには、自然環境がよく、そしてあわよくば「本物の鮎」の生活反応が期待できるところに行きたい。
そうすると、俗世間から隔離した空間のある大井川へ、となる。そして、遡上鮎がいる。
笹間度の囮屋さんに着くと、「釣り吉君の日記」を見てやってきた人が。
「釣り吉君」は、瀬の芯で番茶も出花娘を釣っている。ということは、今年、塩郷堰堤下流の本流に新大井川漁協が放流した鮎は、海産畜養ではないかと思っている。
当然、年券を買う。そして、昭和橋上流の右岸崖に流れがあたるところの瀬へ。
モタモタと鮎足袋をはいている間に、テク2は1匹を、友缶から舟にオトリを入れる間にまた1匹を。
やっと竿をだしたが、上下を動くテク2は、釣れていますなあ。ボウズにはなりたくないなあ。しかし、釣れるのはエビだけ。
トイ面の人も釣れたなあ。見渡す範囲で釣り人は8人ほど。その中で何人が釣れているのかなあ。
やっと、中学生。中学生とはいえ引きが強いなあ。かって、9メートルの硬調を使っていて、乙女が掛かったときは川原に立って、両手で抜いたが7.5〜8メートルでも乙女が掛かったときは抜くのに四苦八苦し、両手で抜くことになるのかなあ。腕力の衰えは如何ともし難し。
テク2が、オラのあんよで根掛かりが外しに行ける水深と流れの強さのすぐ下流から崖のところの瀬落ちまで何往復かして、ひとり勝ちをしていますなあ。
流れの幅のまん中付近の芯は、砂があるから、そこを外して両側のヘチ寄りを釣れ、と。
テク2は取り込みも慎重にしていますなあ。下りながら取りこんでいることがある。
昼、テク2は15匹。オラは2匹。
10倍の格差はつかないからありがたや、と思っていたら、テク2は身切れが5匹いる、と。え、それはまずい。オラは中学生が2匹だけ。10倍の格差がつくことは、ヘボの沽券に掛かる。
麦酒を飲んで気持ちよくなって、昼寝の時間と思っていたのに、そんな余裕はなくなった。
テク2が慎重な取り込みを行い、針は7号を使っているのに、何で身切れかなあ。
今の時期の海産鮎は、身が柔らかく、「水鮎」といわれていた。鎧を着た継代人工しか知らない人は、「水鮎」なんて表現とは無縁のよう。
テク2が身切れをしていたのは、また、慎重な取り込みでは身切れを防げなかったのは、女子高生よりも大きいあゆみちゃんが多かったから。中学生や女子高生であれば、高い確率での身切れを生じていなかったでしょう。海産畜養の番茶も出花娘が多く掛かっていたから。
昼寝をせずに修行に励んだ結果、小学生、女子高生を追加して合計5匹になった。
まあ、これで10倍の格差はないでしょう。
テク2は上がる4時前までに合計30匹ほど。正確な数を検証できないのは、その日に中学生を全部、10日にオラのオトリとして、女子高生と番茶も出花娘を4,5匹舟に入れてくれたから。
テク2が4時前に上がる気になったのは、他の人がほとんど消えたから。もうひとつは、腰が痛くなったから。オラも腰が張っている。何かのキッカケでブロック注射が必要になりそう。
温泉に入ると、ことに、「腰痛」が効能とされている湯に入ると、治まった。塗り薬を塗り、筋肉をほぐす漢方薬を飲んだから明日も修行ができるでしょう。当然、筋金入りのコルセットは外せないが。
6月10日 大井川
夜半にフクロウが鳴いていたが、近くにウロがあるのかなあ。
早朝の野守の池には、バス釣り青年は3人いるが、へら釣りは1人だけ。なにかへら釣りに好ましくない変化が生じたのかなあ。
予定では、竹藪にはいることになっていた。
しかし、昨日、右岸に入ってきた車の人達が思わしくなく、竹藪に移るもまた戻ってきて、そして消えていった。そのため、竹藪は品切れ状態になっているかも。
右岸道路から川を見ながら石風呂へ。七曲がり下流の発電所廃屋下の瀬はよい瀬になっている。石風呂の瀬もよし。
ということで、予定を変更して石風呂にはいる。
分流にもハミ跡がある。分流で釣るのも選択肢としてはあるが、あえて本流へ。
テク2は腰の痛みが消えないのに、右岸崖のところまで昨日同様、何往復もしている。
しかし、昨日とは違って、あんまり釣れていない。バレはしている。
オラは2匹の女子高生が釣れたから、今日のテク2の状況では、10倍の格差をつけられる心配はないと、気楽に釣っていた。根掛かり放流をしない場所にしか、オトリを入れない。しかも、テク2が昨日釣った元気はつらつの女子高生に番茶も出花娘がオトリ。さらに、昼過ぎには上がり、そば屋に行くから、3時から5時の入れ掛かりの時間は釣りの時間ではない。
結果は、オラの2匹にたいして、テク2は番茶も出花娘を主体に11匹。
さて、身成のそばやさんは、江戸期に建てられたぶっとい梁が2段に組まれているラーメン構造?のように曲線を描いて作られている。
矢板のうどんやさん同様、どうして目立ちにくい旨いモンやさんを見つけるのかなあ。
昨日は、テク2の1人勝ちではないかなあ。他の人はオラとどっこいどっこいでは?
テク2は、瀬の芯は除外する。砂が巻いていたり、砂が多いから。オトリを入れるのは、両側のヘチ寄り。
そして、令嬢の住み家を見つけ出すと、そこに錘をつけた囮をちんにゅうさせて、ふらふらとさせる。
まあ、そのようなイメージですな。
あるいは、ツー ツー トン のモールス信号で囮操作をする。ツーで、オトリをオトリの身長ほど引き上げ、トンでどうするのか、忘れました。
まあ、石組みと、それによってできている流れの筋から、令嬢の住み家を見つければ、あとはちょっとずつオトリを動かせばよし、ということではなかったかなあ。
所詮、オラには鵜の真似をするカラスです。出発点の令嬢の住まいを的確に判断する川見ができませんから。
オトリも歩けば、あゆみちゃんにあたる、の、ほったらかし釣りが身の丈に合っています。
テク2が釣って、そして貰った女子高生と番茶も出花娘は、下顎側線孔数は4対左右対称。番茶も出花娘の尻尾の切れ込みは中学生とくらべて浅いから、海産畜養でしょう。尻尾の切れ込みが深い中学生は遡上鮎でしょう。女子高生は海産畜養と遡上鮎の両方がいる。
梅雨明けにはどのくらい幅が、体高が発育しているのかなあ。
去年のように1ヵ月以上の飢饉が起こるのかなあ。
1回のダム放流で飢饉になっても、次のダム放流まで間があいておれば、その間に体力を回復し、生存できるが。
尻ビレに明るい蛍光色の青い筋、オレンジ色の筋が入った衣装を着てシャネル5番の香りを振りまくあゆみちゃんではないが、海産鮎であることに満足をしましょう。香りは、スイカの香りでも、キュウリの香りでもないが、少し不純な匂いを含んでいるが、ちょっぴりとするのは長島ダムの植物プランクトンが、あゆみちゃんに取りこまれて香り成分に変化する物質を消費しているからやむを得ないことでしょう。
ということで、よしよしさんの「ほのぼの〜」のあゆみちゃんとの逢い引きを楽しむことができました。
6月18日 相模川
15日、高田橋から川をながめたが、鮎のいる気配が感じられない。石は以前よりもさらに汚れている。弁天まで歩く気にならず、帰ったが。
弁天か石切場にテク1,テク2,テク3がそろい踏み。マムシキラーさんまでやってきたとのこと。この4巨頭が竿をだしたとは思えない。天下の情勢を話していただけではないのかなあ。解禁日にまともな鮎に巡り会えなかったから、世の行く末、ではなく、今年行く川を話し合っていたのではないかなあ。
テク3には、大井川でのテク2の幸せを宣伝し、仕事はさぼるために行うモンじゃあ、と悪魔の囁きをしておいたが、その効果が出るのかなあ。
ご近所さんが久しぶりに昭和橋に行ったが、青ノロが繁茂している、と。大島でも繁茂しているのに、高田橋と弁天は何で繁茂していないのかなあ。
小沢さんは、矢作川の6月は青ノロだらけ、7月になると消えていき、釣り人が入り出す、と話されていたが、どのような条件で繁茂し、また消えていくのかなあ。
狩野川も電車通勤ができるところは青ノロが繁茂しているとのこと。松ヶ瀬に行くには、かってはバスを使っていたけど、寄る年波には勝てず、アッシー君が必要です。お百姓さん、迷人見習いさん、くぼちゃん、宜しく。
もうひとつ、何でか分からないことは、臭い鮎のこと。ご近所さんが臭いアユが釣れた、と。くぼちゃんも、先日、高田橋上で9匹釣れた中に1匹、臭い鮎がいたとのこと。
何で、同じ水の中で生活しているのに、「部分」に臭い鮎が作られることになるのかなあ。
明日から雨のようであるから、あんよの練習をしておかないとなあ。こんど、大井川に行ったら、瀬を釣りますよ。根掛かり外しを宜しく。
去年から続くオトリ1匹、クーラーなし、麦酒なしでのご出勤。
高田橋近くの右岸側を釣る人はなし。堰下の鏡にも人がいるなあ。大きい継代人工の残り福狙いかなあ。ザラ瀬の人は少し増えたなあ。
橋のすぐ上があいているから、今年入れられた石が作っている流れの筋へ。
掛かったもののぽっちゃん。
やっと、10時過ぎたか。あんよの練習にはならない短時間労働、歩かない釣りではあるが、楽しい釣りとはいえないから止めるか。
5匹いるものの幼児と小学生と、継代人工。
囮屋さんに立ち寄ると、よねさんがこれから釣りに行く、と。誘ってくれるものの、楽しいあゆみちゃんとの逢い引きにならないから断った。
そのとき、よねさんは、チビであっても尻尾効果で、10センチ以上ある、と。
びっくりして計ると、幼児と思っていたものが小学生、小学生と思っていたものに中学生も。
よねさんの「科学的」評価に逆らって、カンピュータによる区分で評価すると、幼児が2,小学生が3,そして、誰かがオラ同様、相模川の鮎をふやすことに貢献するために捨てた養殖が1、ということで5匹。数だけを見れば大漁ではあるが。
くぼちゃんとチビ鮎の育ち具合について話した。よねさんの計測によれば、10センチ以上ある幼児と小学生が大きくなるのか、と。くぼちゃんは、夏至の頃までに消化器器官が発達していない鮎は、大きく育たない、と。
そうなんですよね。だからこそ、夏を過ぎてもチビがいるのですよね。
去年の雪代が2週間か、例年よりも遅れて収まった荒川で、三面川よりも小さい鮎という現象も単に2週間コケを食べる日数が遅れた分の成長の遅さではないんですよね。大変な成長の悪さを生じるんですよねえ。食糧の潤沢の問題ではない成長阻害が生じるんですよねえ。
消化器器官が夏至までに成長していない、という状態は、どのくらいの大きさの遡上鮎、海産畜養で判断すればよいのかなあ。幼児、小学生は当然消化器器官が所定の成長をしていない、では、中学生は?高校生は消化器器官が発達していると思うが。
相模大堰副魚道を3月下旬に上った稚鮎は、番茶も出花娘、乙女に育つが、4月下旬に上った稚鮎は小学生、中学生くらいの大きさにしかならない、という、オラのカンピュータも「夏至の頃までに消化器器官が発達」していないと大きくならない、との説に依拠しているが…。
ということで、梅雨明けになっても相模川の遡上鮎が、釣りの対象となるほど多くの鮎が、女子高生や番茶も出花娘に成長することは期待できないと思いますよ。
大井川に行くしかないのではないかなあ、お百姓さん、くぼちゃん。超高級竿を泣かせないためにも、竿の「格」にあったあゆみちゃんを釣りましょうよ。
唯一の気掛かりは、ダム放流。その前に様子を見に行きましょうよ。
6月23日 相模川
21日は、水の中に入ろうかなあ、と、ちょっぴり迷いはしたが、天気が変わることを理由として岡であんよの練習。
チャンプ君は弁天に行ったとのこと。上位大会への常連さんは、さすが釣れないから、といって手抜きをすることはありませんなあ。
そのチャンプ君が弁天の鏡からさざ波のところを釣っているのを見ていたが、釣れていなかったが、どこで釣れたのかなあ。20匹に届かなかったとのことであるが。
お百姓も今年はじめて竿をだしたようで。高田橋と弁天を掛け持ちして8匹とのこと。
なお、チャンプ君は、今日は石切場に行ったよう。何で石切場は絶不調かなあ。護岸工事の影響だけとはいえないのでは。
昨日、弁天の左岸への落ち込みすぐ上の棚を釣っていた3人は釣れず、引っ越しをしょうと話していた。
弁天で10匹以上釣れた、といっても、その主人公はチャンプ君ですからなあ。真似をしても無駄な抵抗ですわ。
ということもあって、いつものように高田橋上。
右岸への釣り場は2人だけ。空いてますなあ。今年入れられた石の付近に立つ。
今年初めての吸盤ボウイ君が。お行儀がよく、仕掛けをぐちゃぐちゃにはしなかった。
次は中学生が。
今年入れられた石のところにあんよを入れたが、石の間を歩くこと、ままならず。丼大王が磯?ですべって、転んで、骨折をするご時世、いやお歳ですから、転ばないように、骨折しないように気をつけましょう。
回れ右をして左岸側を向いて釣ると、高校生が。
2匹とも、下顎側線孔数4対、左右対称。尾っぽの切れ込みは少し浅いように感じるが。まあ、海産畜養としておきましょう。
まだ、10時前か。上がるには早過ぎるなあ。
大会の下見に来ていた人が、ザラ瀬ですぐ1匹、右岸を釣る場所でも釣れて合計8匹。これだけ釣れたら当然上位大会へ行けるでしょう。
しかし、大会の時に1級ポイントに入れるとは限らないし、また、動けないから石切場を見に行く、と。
その人は、右岸側に渡るとヘチの石が綺麗に磨かれていた、と。食堂ではあっても、居付きのあゆみちゃんはいないよう。時合いにあたれば釣れるのかなあ。
その人とお話をしていたから、11時近くまで川の中に入っていました。おわり。
6月25日 相模川
いつものように、高田橋へ。
釣れませえん。その上、天気予報が外れて雨こんこんが降ってくる。オラの川見同様、当てにならん天気予報ですなあ。
橋の下に避難しているとき、大会の下見に来た群馬の若者に相模川の情況を話した。絶不調の石切場、次にあんまり釣れていない弁天、そしてその2ヵ所よりは少しは釣れている高田橋。高田橋は右岸側が一級地点となるが、混むでしょうなあ。ザラ瀬も釣れるが、1ヵ所でどの程度釣れるのかなあ。
ということで、今日は竿をださずに、弁天、石切場の釣れ具合を見た方がよい、と。もし、弁天、石切場で釣れている場所を2,3ヵ所発見できたら、1回戦通過の可能性がある、と。数日前の大会では1回戦通過の釣れた数が2匹、と。
雨がやんだから、ザラ瀬というか、チャラというかに入り、毎度おなじみの吸盤ボウイ。やっと調子が出て来たなあ、吸盤ボウイ君。当然、ボウズは怖くなし。
中学生が釣れた。もう3回連続ボウズなし、ということになるのではないかなあ。この中学生は継代人工。
12時のチャイムが鳴る直前、口掛かりのぽっちゃん。
よく働いたなあ。また雨が降りだしたので、橋の下でウェーダーを脱いで、ズボンに履き替えたとき、ゴロちゃんのお出まし。しかし、1声ほえただけ。
大井川と違い、すぐにヘソを隠せる場所に行けるからありがたいなあ。
大井川の七曲がりでゴロちゃんのお出ましの徴候を発見すると、一目散に1キロ以上歩いてコテージ村へ。ベストに2千円が入っていれば、食堂で麦酒を。ないときは野外炊事場等でゴロちゃんが去るのを待つのみ。
抜里でゴロちゃんがお出ましの時は大変でした。現在は、お茶屋さんができているから、ヘソを隠すのに、河原をつききればたいして時間がかからない。しかし、20世紀には逃げこむ建物なし。流れを渡り駅に逃げこむか。それも護岸、土手を上らないと。木の下にいることもできない。竿から少し離れたところで、くわばら、くわばらと震えながら、びしょぬれになるしかなかったなあ。
お百姓さん、可哀想でしょう。
雨宿りをかねて店に行くと、くぼちゃんが居た。
くぼちゃんは、冷水病で死んだあとの追加放流の湖産を釣りに道志川に行くか、継代人工の安定した放流先である桂川に行くか、悩んでいた。お百姓さんがかっての女誑しの、放蕩息子に戻ってくれたら、日帰りで大井川に行きたい、と。
狩野川の中流域は青ノロがいっそう繁盛しているとのこと。
お百姓さま、弁天で釣れましたあ?
大会の下見ですか。弁天瀬尻は、石切場に放流された鮎がやってきていますか。瀬肩から上のさざ波のところは、どこら辺にあゆみちゃんがついていますか。
くぼちゃんの大井川日帰りの願いを聞いてあげてください。オラの願いは無視しても構いませえん。ただ、くぼちゃんについていくことはお許し下さい。
平成の代がはじまってそれほど年数が経っていない頃、相模川の講習会に鈴子さんがやってきた。講習会の最後に鈴子さんは、相模川には鮎がいない、と。
そうでしょうねえ、河口堰のなかった長良川で釣りをされていた鈴子さんが見れば、相模川は「鮎のいない川」でしょうねえ。その頃は磯部の堰を遡上鮎は上れなかったからなあ。磯部の堰を遡上鮎が上れるようになったのは21世紀になって数年後のこと。
鈴子さんの後、吉川さんが講習会にやってきた。背バリで半日だったか、1日だったか、オトリを弱らせることなく、泳がせることができる、と。しかし、吉川さんも釣れなかったのでは。
相模川の講習会には、その後西角さんと高松さんもやってきた。
西角さんは、友釣り2回目の手尻1尋、コイが掛かっても切れない太糸、牛の鼻環のようにでっかい鼻環の人に入れ掛かりをさせた。当然その初心者君はあゆみちゃんに現を抜かすことに。
高松さんは、泳ぎださないオトリを辛抱強く、5分か10分ほど泳がせの体勢で待っていたなあ。泳ぎだしたオトリが友を連れてきたかどうかは忘れた。一度、調教されたオトリは、引き寄せられても、こんどは気持ちよくすいすいと働きに出ていったなあ。
なお、相模川の講習会にやってきた講師の順は、間違っている可能性が大きいです。何しろ、1日前のことどころか、1分前のことも綺麗さっぱり忘れる「年頃」ですから、3昔前のことを正確に覚えているわきゃないよ。「昔々あるところに…」という時間軸での記憶ですからねえ。
その相模川と中津川が、「過密」の鮎がいる、とおっしゃった「アユの本」の高橋さんは、潜って何を御覧になったのかなあ。1平方メートルに3匹か5匹の鮎がいたから「過密」と判断されたようであるが、それは、なわばり鮎ですか、遊び鮎ですか、群れ鮎ですか。いや、そのような区分すら考慮することなく「過密」と判断されたのでしょう。
今年の鮎の密度は去年とそれほど変わりがないと思いますが。少しは去年のほうが高い密度とは思いますが。
そうそう、高橋さんは「つり人」の先月号(今日、今月号が発売されているから、「先月号」)に四万十川だけでなく、奈半利川にも潜ると大鮎がいた、と。飽食と高い水温による大鮎の育ちである、と。(この表現が適切であるのかないのか、自信はありません。図書館でちらっと見ただけで、新刊であることからコピーができなかったため。)
ほんまかいな。急速に大きくなる東北だったか、日本海側の鮎の急成長を高橋説の正当性証明に使われているが、適切な説明ですかなあ。
「飽食」についていえば、去年、一昨年だけの現象ではないでしょう。また、去年、今年の相模川も、アカぐされが目立つほど「飽食」の時代、いや年ですよ。
故松沢さんが、「学者先生はそういうが」と、怒り心頭に発しているにもかかわらず、オラには静かに学者先生の間違いを教えてくれたが、オラもその教えのおかげで、ちょっぴり学者先生のご託宣を「まちがっちょる」と考えることができるようになりました、と自負しているが。
この問題は、「故松沢さんの想い出:補記7」で考えることにして、
川那部浩哉「生物と環境 川魚の生態を中心に」(人文書院)のなかの、「関係の発見」の節に、
「食物となる生物の大きさには、上下の一定の限界があるということである。もっと質的な例をあげれば、底生生活の方向に進化したカマツカに、水面上を乱舞する昆虫の成虫を食わせることはできないし、遊泳力の弱い仔魚に、瀬の中央の石につくけい藻を食わせることはできない。つまりこれらは、その種の歴史(系統的な位置)と個体の歴史(生活史上の位置)とにおける体制の問題である。」
この引用では意味不明でしょうね。
おらのいいたいのは、「生活史上の位置」を異にして、コケをはんでから短時間での成長をしている東北・日本海側の鮎を、人間が房総以西の太平洋側の川に運んでくれば、どうなるか、ということ。房総以西の太平洋側の川の鮎の生活誌(川那部先生は「生活史」と表現されている)とは異なり、短期間に大きくなる、性成熟の頃までに古巣の川と同様の成長を遂げるのではないかということ。移植先の鮎の生活誌に同化しないのではないかということ。
その結果が湖産同様「1代限りの侵略者」になるのか、生態系の攪乱者になるのかも気になるが。
高橋さんは、何で2年前から狩野川、四万十川に出現した「大鮎」の氏素性の違いに気がつかないのかなあ。
天野礼子「萬サと長良川」(ちくま文庫)の「最後のアマゴ釣り」の節に、
「『(注:素石さんは萬サ翁に)その川マスは、海から遡ってくると教えてくれはった。そして、シラメはマスの子ではないかとも。萬さんは、シラメをシロメと呼んだはりましたな。確か今西さんと初めて逢うてもろた時、そうおっしゃった』
『ほうや、白目なんや。シモで今はシラメを放流しとるで、天然と養殖がまぜこぜになってまっとるが、本物のシロメは、目が二重(ふたえ)になって、すっきりしとる』
『アマゴは黒目の外にビューティスポットといって、チョボチョボッと黒いのがあるんですが、シロメにはそれがないといわれた。今西さんは、あれを非常に感心しておられました。ぼおっと見とったら、何十年でも気がつかんことやと』」
高橋さんが何十年も川に潜って「観察」しているといっても、「ぼおっと見とる」だけでは。
去年と今年の相模川の鮎の量、密度は似たり寄ったりと思いますが。とても去年の鮎の密度は、「過密」と表現できる量ではありません。むしろ、「過疎」で、なわばりを形成しなくても食糧に不自由しない密度かも。
もちろん、去年の5月3日のダム放流による4月下旬以降の大量遡上の稚鮎の多くが死亡せずに、生存していれば、そして、磯部の堰の魚道の遡上達成率が高ければ、「過密」といえる現象も一部では出現していたかも知れませんが。
右京さんの推理力のウン分の1でも高橋さんが持ち合わせておれば、奈半利川の「大鮎」が、飽食の時代の申し子ではなく、東北・日本海側の沖捕り海産、あるいはそれを親とするF1ではないかと、勘ぐるのではないかなあ。
6月29日 相模川
いつものよおに たかたはしへ
さすが、大会の1週間前であるから、少しは人が居ますなあ。
右岸を釣るところまで立ち込みたくはない。転んだら川流れですからねえ。ということで、今年入れられた石の筋へオトリを入れる。幼児というか小学生というか、おちびさんが釣れたから、またもやボウズにならず。
と喜んでいるところにジロちゃんが。ジロちゃんは立ち込んですぐに2匹。あんまり釣らんといて、10倍の格差はいやじゃあ。
5センチか10センチ、増水してきた。急いで逃げたいが、すたすた歩けるわけはないですよなあ。やっと、絶対に安全なところへ。ということでザラ瀬でオトリ君に働いて貰う。1匹高校生が釣れた。
やっと10時を過ぎたから帰りますか。
ジロちゃんは7匹釣って市場調査に出掛けていった。
石切場からこちゃんが8匹?釣ってやってきた。
石切場で釣れた?スゴイ、今年石切場で釣れた人の何人目でしょう。しかも8匹とは。サラバ効果か、ピンポイントの極楽の発見か、遡上鮎が入ってきたのか。
高校生も幼児も人工。幼児はゴールデンウイークの時の体験放流に使われたと思っている県産のF1かF2の人工ではないでしょうかねえ。
こちゃんは、先日の大会の時、バレ2匹とのこと。ばれていなければ、1回戦を通過できたのに。
あ、そうそう、オラも今日2匹バラしたよ。なわばりを持っているという鮎ではないのかも。
6月30日 大井川
テク2は、相模川がまともな鮎がいない、ということで、悶々としていたから、先日の2回の大井川の増水が50センチメートルほどで、濁りもアカ飛びもないから行こう、と。当然、便乗します。
平口オトリにつくと、今だかってお目にかかったことがないほどのお客さん。これでは竿1本分とはいわないが2本分くらいの混みようかも、と心配になる。
ところが右岸道路から昭和橋上流の竹藪にはいるとだあれも居ない。皆様はどこに入ったのかなあ。
竹藪が釣れなければ、右岸崖のところあるいは久野脇に行けるから、移動は便利。
いつものように、テク2がかけた。数メートル下りながら取りこんだ。それから、竿を畳んだ。番茶も出花娘に丼をするかも、と、竿も糸も取り替えた。その甲斐なく、次に釣れたのは小さい、と。小さいといっても、テク2の基準での話で、女子高生の大きさで、小学生の話ではない。というよりも小学生は掛からない。小学生は瀬の住人ではないのでしょう。
右岸崖の瀬の瀬肩上流の小石底のチャラには、小学生がいっぱいたむろしていて、逃げまどっていた。
テク2に根掛かりを外しにいって、とは恐れ多くていいにくいが、あゆみちゃんを頂戴、といって、オトリを補充しても、テク2の恋路の妨げにならないほど、釣れるはず。
幸い根掛かり放流もなく、中学生が2匹釣れた。ただ、石がごろごろしていて、足場がオラにとっては悪い。それで瀬肩のほうに移動する。そこは立ち位置は砂利、小石。心の準備もないときに掛かった。のされそうになったが、下ることができる。ヘチに寄せてだっこした女子高生か番茶も出花娘。
身長は20センチはないが、体高があり、乙女の体型になっている。
もう1人の女子高生をだっこした。
7号のハリ折れ。今の時期のあゆみちゃんでハリ折れは初めてではないかなあ。9月、10月では7.5号のハリ折れは頻繁に経験しているが。
オトリが上流にすっ飛ぶ。相模川ではコイとの遭遇であるが、大井川ではコイは見えない。素早く、負荷を掛けて針を食い込ませなければならないが、その動作ができずに針が外れた。逆バリは切れているのに。
テク2が移動しょう、と。
何と、テク2は2匹だけ。オラが4匹と、前代未聞の椿事が発生していた。
釣り人は1人、移動の時1人がやってきたが、これだけ。囮屋さんにいっぱいいた人達はどこに入ったのかなあ。
右岸崖の瀬に移動。
オラは中学生2であるが、テク2は5匹ほど。この時点では、テク2とどっこいどっこい。
しかし、午後は、テク2が13ほど、オラは5。
ということで、オラは11匹と今年初めてのつ抜け。テク2は20匹ほどであるから、2倍の格差ということに。こんな成績優秀なことは2度と発生しないでしょう。
テク2が左岸側で入れ掛かりをしているのを見て、朝から釣っているのに釣れていないであろう人が、どこの馬の骨か、分からぬおっさんがひょこひょことやってきて、あゆみちゃんをピョコピョコとだっこしていることに我慢できずに、真正面に入ってきたから、入れ掛かりは終了、という事態も。
どこの馬の骨であるか、その腕前も熟知しているオラは、嫉妬しても無駄ですよ、と悟っているから、テク2の入れ掛かりに免疫ができているが。
テク2は、その場所はいつも鮎が付いているから、伏流水が出ているのかも、と。
寒くて、いや涼しくて、震えながら釣っていたから、クーラーの中に入っている麦酒も冷酒も手つかず。
テク2は足が吊り、筋肉をほぐす漢方薬を3袋飲んで、おさまった。
しかし、とんまぶりは健在、ということに。竹藪では、根掛かりを外したものの、糸が切れているのに気がつかず、オトリ君は自由の身に。
昼からのとんま君は、舟の蓋が開いていることに気がつかず、何匹かがトンズラ。
このようなミスをするテク2を見たのは始めて。あんよの状態が注意力に影響したのかなあ。
川根温泉の熱い湯の浴そう、それに腰痛、肩こりに効くと効能が書いている浴そうにたっぷりと浸かり、オラのボデーは異常なし。
テク2は、夜中に足が吊り漢方薬を飲む事態に。
そもそも、お歳を考えず、瀬に入り、また、動き回って筋肉を酷使するからですよ。
7月1日 大井川
今日は、塩郷堰堤上流が解禁日。それで、塩郷堰堤上流がどのような状況か、調べることも今回の目的。
中電は、塩郷堰堤の魚道を上る鮎のビデオを見せて、堰堤があゆみちゃんの遡上を妨げていない、と。
中電の説明はおかしい。魚道が遡上阻害を補う機能を発揮されている、とは説明しているが、遡上達成率がどのくらいか、を説明していない。50%以下で、どのくらいかなあ。
葛籠(つずら)に向かうため、堰堤の道路を走ったとき、鵜が堰堤下に10羽以上たむろして、お食事をしていた。魚道を上れないあゆみちゃんが堰堤下にたまっているということではないのかなあ。
囮屋さんに着くと、「釣り吉くんの日記」の釣り吉さんが今日、本川根町の方に行く、と。釣り吉さんのお仲間の人が、もうじき釣り吉さんが着く、釣り吉さんは、本川根町等の川、鮎の状況を下見している、と。
テク2は、横浜の一団を中川根町方面に案内することになっている。
そこで、平口オトリで待ち人を待つことに。釣り吉さんのお仲間の人および釣り吉さんが、鮎の状況を話してくれたが、塩郷堰堤上流の地名も分からないため、テク2が入る場所の判断をした。
横浜さん達は、シルバー入漁料の制度があることを知っていた。オラは知らなかった。
その人達は、いまだにアマゴやヤマメ釣りに出掛けているとのこと。67歳さんは、大井川にも数十年前に寸股川等にやってきたことがあり、少しは川の状況が理解できるよう。
テク2が、大井川、気田川等では、瀬の芯は砂が巻いているから芯を外して、瀬脇からヘチを釣るように、と話すと、67歳さんは気田川が、芯とその両側で水の色が違う、ということで、すぐに理解していた。
釣り吉さんらが入る場所の状況は、「釣り吉くんの日記」でわかるから、テク2は、横浜さんご一行を崎平?に案内した。ここは去年の10月下旬?1ヵ月以上の飢饉を生き延びた乙女を何人か、テク2がだっこしたところ。
テク2は、川を見ながら、川の状況を説明した。
そのあと、テク2は、橋と鉄橋が並んで見えるところをオラ達のはいる場所とした。ここは、数年前の10月末、タマちゃん共々やってきて、お二人さんはいい思いをしたところ。
しかし、瀬の石の色が悪い、鮎がいない、希薄かも。
ということで、塩郷堰堤上流は次回、あるいは10月の下りのために、下りの途中にたまる頃に入ることにして、石風呂へ。
いつものように、テク2がさっさとあゆみちゃんをだっこするものと思っていたが、さにあらず。
テク2もボウズとのこと。
しかし歩きまわるテク2は分流が気になると分流へ。テク2が分流から出てこない。見切り千両の格言どおりの行動をするテク2が分流に入り浸っているということは、釣れているかも。
それで分流に行くと、5匹掛けて、4匹取りこんだ、と。まずい。無限大の格差になる。
分流には中学生か小学生しかいないと思っていたのに、女子高生が。当然、遡上鮎。
3週間前には中学生であった遡上鮎が、女子高生や番茶も出花娘に成長している。
1匹釣れてお昼に。今日の石風呂の状況では、テク2のように左岸側から芯を外して釣っている人が10匹ほどで、ダントツの1位のようであるから1匹でも10倍の格差にはならんでしょう。
その人は、オラが右岸側からオトリを入れていたところにも左岸側からオトリを入れて掛けていた。芯より手前に掛かり鮎を誘導する操作には時間がかかっていたが、芯の手前にあゆみちゃんを誘導したあとは抜くのが早かった。
あったかいなあ。当然1日冷やしてある麦酒を。そのあとは昼寝をしても余裕ではあるが、転ぶ危険の少ない、根掛かりを外しに行きやすい、という軟弱モンの場所で、軟弱な中高生が居ないか、試してみましょう。いませんなあ。
しかし、テク2も1,2匹追加しただけのよう。
ということで、釣れなくても満足できた2日間でした。
そして、釣り吉さんとそのお仲間に会えたことも。
なお、横浜さんから、昼に電話があり、ボウズもいるが6匹から8匹を楽しめたとのこと。
67歳さんは、元気ですなあ。瀬では踏ん張りが利きにくくなった、とおっしゃっているが、うらやましいですなあ。瀬どころか、石ころごろごろのところでも、あんよが大変ですから。
接阻峡温泉に入る予定も変更して川根温泉に入り、元気を回復して帰路へ。横浜さん達は、接阻峡温泉に入り藁科から新東名に乗る予定をこなしたのでは。
テク2のあんよが運転中に吊ることもなく、よかったなあ。
お百姓さあん、くぼちゃあん、お仕事をしている場合ではないですよ。高校生、番茶も出花娘に成長した遡上あゆみちゃんが待っていますよ。放流地点付近に入らない限り、継代人工に会うこともないですよ。パーキングで焼き鳥を買い冷酒を飲んでも、2回パーキングで休んでも、3時間ほどで帰ることができますよ。
7月6日 中津川
鮎がいない、まともな鮎が放流されている可能性が少ない中津川には解禁日以来のこと。
放流地点を釣ることしかあり得ない状況、ということで、田代へテクテクと歩いていく。
国道と接しているところがあいている。動けるからお地蔵さんにならなくてもすむはず。
さすが、空いているということは釣れないということでも。その下流の瀬は並んでいるが。
オトリを替えるとき、上流の車止めのところを見に行く。そこは田代で上流側の放流地点のはず。どの程度残り福があるのか、分からないが、無理にはいることもなかろう、というほどの人はいる。
ということで、国道と接しているところに戻る。
風が強い、放流が少ない、その他、釣れない理由には事欠かない環境条件、人為的条件ですなあ。
真面目に「石を釣れ」の格言を実行しても成果なし。
昨日の相模川での大会で竿を折った人が2人いたとの話が。その風よりも今日のほうが強いのではないかなあ。中津川は昨日の相模川の風の強さよりも弱いのではないのかなあ。まあ、風で竿を折るほどの強さの風の中での釣りではないことに感謝しましょう。
右岸側だけは跳ねが少しある。とはいえ、跳ねている魚は鮎だけではない。それ以外の場所には魚の生活反応が感じられない。左岸へ流れる瀬には人が並んでいるが、どの程度釣れているのかなあ。
モタモタ歩いて検量時間に間に合うようにするには、10時過ぎには終えることになる。釣れないから、何時間オトリを泳がせても同じですなあ。
と、竿を畳む時間だけを考えていて、2匹釣れた。
1回戦通過。
2回戦はどこに入ろうかなあ。風はさらに強くなっている。瀬はいやじゃあ。
海底(おぞこ)の瀬落ちへ。
ここは放流地点とは無縁のところ。ダム放流がないから、上流から流れてきた継代人工もいないでしょう。根掛かりを外しに行けることがメリットかなあ。
あ、そうそう、上流から流れてくる死ぬ寸前の鮎が4匹見えた。その氏素性は何かなあ。
瀬落ち上流に数個の大石があり、その石横、石表、石で出来た流れの筋にオトリを入れると、釣れていた時代もあったなあ。その大石も1つだけになり、また頭大の石の詰まっていた瀬落ち等も砂利が多くなったなあ。
当然ボウズ。検量開始時間ぴったりに戻る。そんなことは自慢になりませんなあ。
相模川よりもひどい成績のようです。
7月7日 相模川
昨日の風は、相模川では午前に強く、午後は弱くなったとのこと。中津川とは逆。何で少ししか離れていないのに、風の強さに時間差が出たのかなあ。オラにとっては、午前に中津川で強い風が吹いていたら取り込みができなかったのでは。午後は、放流地点とは縁遠い場所であることもあり、オトリを替えるために竿を肩に担ぐ動作でも粗相をしそうであったから、最初のオトリをそのまま使い続けた。
今日の大会は、かっては那珂川に行っていた。当時、酒匂川が会場であったが、その大会への参加者の釣具店の枠は少ししかなく、ド素人のオラには回ってこなかった。
それに、当時は那珂川に釣りに行くことが楽しみであったから、電車通勤をしていた。行きはタクシーを使うが、帰りはタさんが宇都宮まで運んでくれた。もう1人、鬼怒川や那珂川の大会のとき宇都宮まで運んでくれた桐生の人、三平クラブに入っていたイさんがいたが、その方とは再会することはなかった。
タさんは、酒匂川でも会ったことがあったが、鬼怒川や那珂川の大鮎相手の仕掛けで酒匂の女子高生を釣っていた。
その那珂川での大会にアッシーくんと行くこともなくなった。遡上鮎でなく、継代人工が釣りの主役になったから。
それ以来のことであるから、もう1昔以上前のことではないかなあ。
石切場であれば空いているでしょう。釣れなくても恥ずかしくない鮎の状況。
石切場に行く人々に追い抜かれてどん尻で到着。
コさんが瀬で釣れている、とのことであるから、瀬の近くを、と、左岸ヘチを歩こうとすると、ヘチを釣るから、と立ち込んでいる人が。仕方ないから、そのなわばりくんの上流側で、立ち込んでいく。
溝もなければ、頭大の石の詰まったところもなし。ただ、跳ねる鮎はいる。それが唯一の救いですなあ。
ところが、下顎側線孔数が4対左右対称の番茶も出花娘が釣れた。海産畜養が、何であんまり高級住宅街とはいえないところにいるのかなあ。
女子高生も小学生も釣れた。小学生は体型ができあがっていない針金の体型。その氏素性は何かなあ。県産のF1かF2の人工種苗かなあ。3匹が釣れて、なわばりくんに感謝しないとなあ。
検量時間内に戻るには9時頃には竿を畳まないと。歩く時間が他の人の倍はかかるからなあ。
それに、ライターをズボンから出し忘れて、禁煙を強いられていて、我慢の限界。
柳下流の右岸チャラを釣っている数人はよく釣れているなあ。その附近の石はよいとの話があるが。
大会手伝いにきている迷人見習いが、オラが去ってからすぐにオラのトイ面の人達が入れ掛かり、とのこと。
まあ、あと10分ほど釣っていても大丈夫ですが、ゆっくりと歩きたいですからねえ。
瀬に入ったコさんは、すぐに釣れて、いただきい と喜んだもののその後は釣れなかったとのこと。
何で、1週間か10日くらい前から石切場で釣れ出したのかなあ。どんな条件が発生し、あるいは変化したのかなあ。
さて、放流もの主体と思われる遊び鮎だけがいる相模川とは違い、遡上鮎が満ちている狩野川の状況を迷人見習いから聞いておかないと。お百姓様が、かっての道楽息子に変身することを期待すること能わず、というご時世に対応してアッシーくんにするには、迷人見習いの狩野川でのおいしいお話に期待するしかない。
迷人見習いは、ドーム前(八熊橋上)とか、リハビリ前が中心とのこと。
そこでは、放流ものがいるのはヘチだけ、と。ただ、ドーム前とリハビリ前では、遡上鮎が付いている場所に少し違いがあると。
ドーム前では瀬肩など釣りやすい場所には遡上鮎は着いていない、リハビリ前は瀞上流の棚の3段目?くらいまでとのこと。河相の違いが影響しているのかなあ。
ドーム前は岩盤底に大石が転がっていなかったかなあ。
松ヶ瀬は、ブルが入り、遡上鮎の好む住み家ではなくなったとのこと。
その話をしているとき、テク1がやってきた。もう相模川、中津川の鮎状況にに見切りをつけているテク1ではあるが、昭和の代のように狩野川詣でをするとはいわず。海釣りに孫を連れて行く、と。
テク1も狩野川詣でをしてくれたら、アッシーくんのメニューは広がるのになあ。
さすが、高松さん、今年の相模川の鮎状況について、なわばりを形成する鮎が少ない、と観察され、いかに群れ鮎と上手に付き合うか、を話された。その話を書いてもよいが、適切に表現できる自信がヘボにはないため、止めておきます。
7月11日 大井川
先日の雨でも、大井川は神座の水位は1メートルほどの増水。アカ飛びはあるかも知れないが、白川ではないはず。平口さんに確認の上出発。
お百姓さまには、今年もお買いになった超高級竿には、大井川の「ほんもの」のあゆみちゃんがお似合いですよ、と。
お百姓様の「腹」友さんは、まともな釣りがしたい、と。行こう大井川へ。仲を取り持つくぼちゃん。
昭和橋上流竹藪と右岸崖の瀬のどちらへも行けるように、右岸から河原に入る。お百姓様の車のボデーは石に当たっていますなあ。まあ、動くから問題はないようですが。
皆様は、両方とも初めての場所ですが、竹藪を選択。
瀬肩附近、前回オラが釣れたところに「腹」友さんが。
すぐに掛かり大きく竿が撓っている。腕力と金力で強引に抜く。皆様には太糸、7号以上の針を使え、と、でっかい面をしてお説教したため、多少、強引な竿操作をしても、ビクともしない。
そのすぐあとにオラも番茶も出花娘をだっこできたからでっかい面をしていても、恥ずかしくない。
ところが、「腹」友君は、すぐに番茶も出花娘と女子高生を連続でだっこした。
こりゃあ、帰りの車内で何を言われるかわからんなあ、ということでくぼちゃんの下流側の瀬に入る。
くぼちゃんは、けられが多発。けられではなく、身切れでは、との話も。逆バリは切られており、明確にあたりがあったことが判る状況であるから、身切れの可能性もあるが。いずれにしても、継代人工に適合するように特化した針を使っているからではないかなあ。
ということで、午前の結果は、くぼちゃん5くらい、飛ぶ鳥を落とす勢いの「腹」友君はすとーんと失速して3匹だけ。オラは5匹の番茶も出花娘と女子高生。女子高生も体高があり、乙女の体型にできあがっている。
当然、瀬に入ると思っていたお百姓さんは、遡上鮎では何らかの条件がない限り、今の時期と成長段階の遡上鮎ではチャラが釣り場にはならないはず。にもかかわらず、「腹」友君よりも上流のチャラに入って2匹だけ。継代人工の放流ものと遡上鮎とは、生活誌を異にするんですよ。迷人見習いもそのことは理解していますよ。そして、狩野川は八熊橋上のドーム前から上流の遡上あゆみちゃんをだっこしていますよ。「継代人工」の「放流」に慣れすぎて、目を曇らされたんですねえ。
さて、午後になると、皆様は瀬へ。
オラは下流側に入り、瀬落ち上流の変なところにオトリを入れる。そして、左岸崖に流れがあたるところから下流の流れを見に行く。じゃり、じゃりのオンパレード。長島ダムの工事の影響が出始めてから抜里でも、笹間度鉄橋でもお馴染みのじゃりじゃり。崖のところの大きい石には鮎がついているとは思うが、根掛かり材料もついているでしょう。冒険は止しましょう。
午後は、風が吹いて、くぼちゃんは取り込みミスを多発。それでも番茶も出花娘に女子高生を合計14匹。22歳乙女まで入っている。
もしも、午前中の遡上鮎の「今」に適合する針の使用、午後は保持力重視の針を使用していたら、取り込みミス等による損失はずいぶん防げたのではないかなあ。20匹どころか、30匹になっていたのではないかなあ。
「腹」友君は、午後も勢いに乗れないまま、合計6匹。オラは合計7匹。女子高生は、番茶も出花娘よりも少ないのではないかなあ。
さあて、お立ち会い、本日のスターはこの人でえす。お百姓さんでえす。
午後、瀬に入ったお百姓様は、5匹釣れて午前と合わせて7匹に。
なにい、それがどうしたというんじゃあ。
それはですねえ、25.5センチ、下顎側線孔数4対左右対称のアユはいったい何者でしょうか。正式計測では、身体が少し曲がっていたこともあって、25.1センチのようですが。
相模川は昭和橋の深瀬で、7月10日、25センチが出たとのことです。これも下顎側線孔数が4対左右対称とのことです。
2011年、2012年の狩野川の尺鮎、泣き尺、四万十川の尺鮎フィーバー、高橋勇雄さんは、四万十川だけでなく奈半利川にも大鮎がいた、と書かれているようですから、相当多くの川で、湖産同様、「1代限りの侵略者」になるのか、「生態系の攪乱者」になるのか、現在では不明かも知れない種苗が放流されていると考えるべきでは。
高橋さんのように、奈半利川の大鮎が飽食の影響である、なんて、トンチンカンな観察をするのではなく、人間が「トラックで運んできた鮎」と考えるべきでしょう。
その、オラは東北・日本海側の鮎を親とするF1ではないかと想像している鮎が、大井川にも放流されている、ということでしょう。
その「問題児」をお百姓さんも釣りあげた1人です。
全国内水面漁業組合連合会が、大鮎に育つ人工種苗、F1の生産に関与しているのかなあ。
お百姓さあん、「腹」友さあん、くぼちゃんに大差をつけられて口惜しいでしょう。
「本物」の鮎の引きと駆け引きは楽しいでしょう。
新東名を使えば、圏央道?を使えば、温泉に入り、パーキングでお食事をしても、日帰りができるでしょう。
また行きましょうよお。いつでも暇ですよお。
7月23日 狩野川
ダム放流もないのに、10日余り、オトリを握らないとは、年食ったなあ。
いや、田名の主ですら、21日に河原に車はあれど、釣り姿はなし。お仲間のオトリを確保したから、車の中でおねんねをしているのでしょう。
テク1やサボリーマン君達は道志川かなあ。道志川で釣れているアユは湖産かなあ。湖産だとすれば、冷水病に強い鮎種苗ということかなあ。それとも、湖産ではない鮎が放流されているのかなあ。
テク3は、狩野川通いではあるが、昭和の代とは異なり、毎週出掛けているのではなさそう。
迷人見習いは、矢熊橋よりも上流で2、30匹の安定した釣果を誇っているのに、21日には大会が行われている松下の瀬で竿をだし、相模川での大会並の数しか釣れない、と。師匠から、そろそろ大会に出よ、といわれたのかなあ。迷人見習いは、釣れない理由を水温低下と話しているが、高水温が低水温になったのであるから、むしろあゆみちゃんの活性が高まるはず。
また、1号のハリスできられた、とのことであるが、今の時期の狩野川の鮎の大きさ、馬力では、1号の鉤素が切られることはあるまい。ハリスの質が悪いのか、自動ハリス止めが面取りをきちんと行われていない等の問題があるのではないかなあ。
昭和橋のコロガシは、日により、釣れる場所が異なる、午前はさっぱり、と、ご近所さん。22日の鮎は、成魚放流の継代人工と思えるモノが主役。2,30匹釣れる状態にはなった。小中学生はいなくなった。
雄物川さんは、昭和橋すぐ上流で釣っていて、あっちこっちと動かないから、定点観測として変化を理解しやすいが、白内障の手術後、暫く釣りを避けていた。先日からいつものように夜明けとともに釣り出して9時、10時には帰っているが、状況を聞く機会がない。
7月18日、大仁の水位計で1.5メートルの増水。これで青ノロはなくなったのでは。アカ飛びがあるとしても部分的では。アカがつき始めているのでは。
ということで、年券を買うことをかねて、様子を見に行く。いつ、迷人見習いから、果たし状がきても対応できるようにしておかないと。
三島で、丼大王と会った。
足の骨折後の変化に対応するため、まだあゆみちゃんとの逢い引きを自重しているよう。当然、オラと同様、軟弱もんが釣る場所で釣るんですよ。足の踏ん張りも、バランス感覚も落ちていますからね。
丼大王は、プレートにチタンだったか、ステンレスだったかを使っているから、プレートの除去をしなくてもよいといわれているとのこと。異物をあんよに残しておいて、何か障害を生じないのかなあ。
骨折した足と反対側の股関節が痛む、と。そうなんですよねえ。治療対象、リハビリと関係ないところに影響が出るんですよねえ。オラの場合は、椎間板ヘルニアの痛み、両肩の痛み、手のひらのバネ指のような状況、これらは注射で落ちついているが。
青木の瀬の自動車道上流のチャラに入るか、下流の瀬に入るか。アカ付きは問題なし。
瀬に入る。すぐに中学生の腹掛かり。そして女子高生の背掛かり。このスピードで釣れると、時速10匹、途中、中休みがあるとしても、2,30匹は固い、と。
しかし世の中、そんな甘いモンではおまへんでえ。
10時頃、オラと同じくらいの年で、麦わら帽をかぶった人がやってきた。オラと、麦わら帽さんとの違いは、あんよの達者度。麦わら帽さんは、石のところをすたすたと歩く。オラはよたよたと歩く。
麦わら帽さんは、オラの下流の流れの幅が拡がり、平瀬状になったところにはいる。掛かると、一気に抜くことはできない。9メートルあるいは9メートル→9.5メートルの竿で抜く腕力はないよう。何度もバウンドさせて寄せてくるが、大井川でのくぼちゃんと違い、そのような取り込みでもばれない。
オトリは空中に長い時間放置され、水面に掛かり鮎が落下すると、掛かり鮎は疾走していくが、その間だけ息をつくことができる。また、オトリ君は空中にぶら下げられて、という繰り返しで、タモに収まる。
番茶も出花娘を主体に午前だけで10匹と越えたのではないかなあ。オトリ君は息も絶え絶えになったのではないかなあ。なお、麦わら帽子さんは、3時頃、雲が出てくると引き上げたから、20匹になったかどうか、聞くことができなかった。
麦わら帽子さんと違い、オラは、蹴られのオンパレード。
逆バリは外れているが、逆バリが身を切り裂くほどの強いあたりではなさそう。鮎バックには他の針も入っているが…。
昼、囮屋さんに戻ると、左岸の瀬を、立ち込んで対岸のヘチ寄りを釣っていた不良患者さんも戻ってきた。
瀬の芯はアカが飛んでいる、と。ヘチ寄りで小学生から番茶も出花まで、10匹。
不良患者さんは、入院中、病室に麦酒を調達して呑み、あるいは、別の病院では病院を脱走して、飲み屋さんで呑み、と。
その飲み屋さんにはカラオケセットがあり、上手な人が歌っていた。その人と目があった。婦長さん。そのとき、不良患者さんはなんと言ったと思います?
「弟?兄?がお世話になっています。一卵性双生児と間違われるほど、弟?兄?と似ているんです。」
その嘘がばれる何日か後までには、婦長さんと「呑み」友になっていたから、婦長様まで病院脱出の、飲酒の共犯者に仕立て上げていたとさ。
それにくらべて、オラは何と優秀な入院患者でしょう。飲酒なんて、もってのほか。地下の喫煙室に車いすでせっせと通う。同室の6人中5人が喫煙所通い。なのに、かわいい看護婦さんに怒られるのはオラのみ。なんでじゃあ。
不良患者さんが、2011年から続いている狩野川の大鮎の氏素性について、@東北・日本海側の沖捕り海産の海産畜養、A東北・日本海側の鮎を親とするF1という推測に対して、B人工種苗の生産中に、大きく育つ鮎がいて、それを親として稚魚生産をしたものも放流されている、と。相模川の大島に放流された尺鮎フィーバーの氏素性はこれである、と。
去年の11月始め、丼大王が神島橋で釣った泣き尺に、海産の他、人工が混じっていたのはこの鮎かなあ。この人工は今年も狩野川に放流されている、とのこと。
不良患者さんともっと話していたかったが、狩野川の様子を見ることが目的であるから、川へ。
狩野川大橋付近に降りる。
テク2がオトリ採りをしていた流れと石組み、アユがたまるといっていた石組みのところは、橋梁工事の影響で見事に消滅している。
その附近は、拳大の石が中心。もし、瀬のアカ腐れがあれば、食堂になるかも知れないが、瀬のアカぐされがない今日は食堂にはなっていないのではないかなあ。
左岸側流れは、オラの手に負える状況ではなさそう。
麦わら帽子さんは、まん中の流れの勾配がきつくなり、瀬らしくなっている付近で相も変わらず掛けている。
その上流にオトリを入れるも蹴られ与三郎のまま。ああ、夢は幻に。
ゴロちゃん雲が弱いながらも見えてきた。蹴られ与三郎では釣りを継続する元気なし。
囮屋さんに戻る。かって、学校からの帰りに川にやってきた中学生2人が自動車道付近で入れ掛かりをしていたことがあった。その1人が高校生になって囮を買いに来ていた。高校生になると、忙しいから、いつも釣りのできる状態ではない、と。
どの程度、腕を上げたのかなあ。
ということで、散々な1日でしたが、幸運もありましたよ。
踊り子に間に合わないと思っていたのに、車中で切符を買うことができた。三島は土砂降り。
上溝で降りるとまたもや土砂降り。ゴロちゃんも騒いでいる。駅でバスをやり過ごす。次のバスに乗るときは土砂降りであるが、バスを降りて野菜の販売所で煙草を吹かせて雨宿りをしていると、雨こんこんはやんだ。ゴロちゃんも消えた。
この運の強さで、蹴られ与三郎から脱出しないと、迷人見習いにヘボヘボと蔑まれることになるなあ。
7月24日 相模川
ゼロサムゲームではなく、0 1のデジタルの世界であるから、相模川は見るだけ、という状態であるのに弁天へ。
これまで、小沢さんのオア兄さんの講習会は毎年行われているが、今年は、小沢兄弟が講師。野次馬根性旺盛のオラが申し込みをしないわけがない。それに、小沢兄弟がボウズ当たり前の相模川で、どのようにあゆみちゃんを誑かすのか、興味津々。
6時に講師の実釣。だめオトリであるのにあゆみちゃんを釣りあげる。その解説を紹介することはヘボには無理。オトリが替わり、釣れるまでの時間が短くなる。
なんでじゃあ。ボウズ街道を歩いてきたオラのプライドはどうなるんじゃあ、とは思いません。さすが名人と、思うだけ。
その後オラ達が釣ることになるが、オラのボウズ街道は健在。1匹、掛かる機会があったが、昨日の狩野川でも生じた古い針のすっぽ抜け。相模川では中学生くらいでは、と使ったのが運の尽き。古い針を捨てる決心がつきました。
小沢兄弟に生徒が1人ずつ指導してもらえる時間に。
弟さんの時、釣れた。番茶も出花娘の海産畜養が。お兄さんの時には釣れなかったが。お兄さんの個別指導の時、狩野川が会場の時は必ず釣れていたのになあ。
さて、小沢さん弟に、前あたりと蹴られの区別はできるのか、ということと、蹴られの時、逆バリが外れたことを識別できるのか、尋ねた。無理とのこと。あたりが強い、弱いで、考えるしかないのでは、と。
そうですね。昨日の狩野川で、あたりのたびに逆バリは外れていたが、そして、逆バリがオトリの身を切り裂くほどの強さではない蹴られであったが、名人でも前あたりとケラれを識別できないことがあることが判り、ちょっぴり安心しました。
午後、また、名人の実釣があり、よく釣るなあ、と。
ただ、弁天の短い瀬では2匹しか釣れていなかったから、大きい石がなく、住環境悪し、という瀬では流れが強くても芯では釣れないということかも。
しかし、瀬肩上流の平瀬状のところでは、その中になる流れの筋、相対的な瀬肩等、あるいは小さな溝等を判断して、囮操作を行い、よく釣っていたなあ。
そのウン分の1でも釣れたら、オラは「見る人」から「釣り人」に変身するのになあ。
小沢さんは、これから釣れるようになると話されたが、どうかなあ。昭和橋のコロガシは、なわばりを作らない遊び鮎でも釣ることができるが、オラはなわばりをつくる鮎の「一番鮎」しか釣れないからなあ。
まあ、相模川でも竿をだすように心がけましょう。鮎がいないのではないから。
その結果が今までどおりとしても、決して小沢さん兄弟の教え方が悪かったからではありません。念のため。
どんなにすばらしい教え方をされても理解できないことが、真似のできないことが、ヘボのヘボたる所以ですから。
7月27日 相模川
小沢さん兄弟の講習会の成果があるとは思えないが、ヘボでも効果測定をしないと講師に申し訳が立たない。
雨の予報が当たれば、それを口実にして効果測定をサボることができるのになあ。天気予報は当たりませんなあ。
効果測定は、講習会場の弁天で。弁天には瀞も含めて10人以上がいるなあ。
囮をつけて立ち上がるとき、モタモタの動作のため、エビになっていた。これで、働き者のオトリの筈がだめオトリに。
いつもであれば、錘をつけてそれなりの流れの筋に入れるところであるが、小沢さんがだめオトリの操作を教えてくれたから、それをやってみましょう。
上竿にして……それから…… まあ、何とかオトリが働いているようで。
しかし、前あたりがありませんなあ。前あたりがなくても吸盤ボウイが釣れました。吸盤ボウイと鮎は、棲みわけも食い分けもしていないから、鮎のいる可能性のあるところにオトリが入っているということでしょう。
こつん、があったが、逆バリが外れていた。小沢さんは、逆バリの打ち方も教えられていたが、その打ち方であれば、前あたりで逆バリが外れるということはないということかなあ。
だめオトリでも、社長様がしっかりしていれば釣れるが、だめオトリとだめ社長では、釣れませんなあ。
出光さんなら、だめオトリ・だめ社員を解雇しないで使いこなされたようであるが、今時の社長様は解雇されているのでしょうなあ。オラも、今時の社長様のように、だめオトリを解雇したいが、1匹しか働き手がいないから、使うしかなし。小沢さんの講習の効果があれば、身についていれば出光さんらのようにだめオトリを使いこなせるのになあ。
ヘボはどこまでいってもヘボということでしょう。
ということで、 いつものよおに まくうがおりてえ とボウズ街道まっしぐらは変わらず。
邸宅に侵入してきた闖入者に、きゃあ といっても逃げないで平手打ちを、卍固めをする気の強いあゆみちゃんしかオラには釣りあげることのできないことが確認された半日でした。
狩野川であゆみちゃんを相手にしているはずの迷人見習いに、どの針を使っているか、聞いた。
しかし、今日はお仕事とのこと。
解禁日、蹴られ。すぐに針を代えて見物人がいることもあるほど、1人勝ちのこともある迷人見習いさん。現在、蹴られのない針は2つとのこと。
ただ、6.5号とのこと。これからは6.5号が適合する鮎の状況は少なくなるから、これからも使える針を、となると、7号になるが、7号でも2つの針が適合するか、どうかは分からない、と。
それほど、今年の狩野川のあゆみちゃんに適する針は限られているよう。なんでかなあ。
そうすると、気の強いあゆみちゃんを求めて狩野川でなく、大井川となるが、富士山の世界遺産の効果で東名の渋滞がスゴイとのことで、アッシー君はいないでしょうなあ。電車通勤をすることになるのかなあ。
7月28日 狩野川
迷人見習いから、遅くまで仕事になる、早朝からの釣りができなくなった、面倒見るよ、と。
タクシー、電車を乗り継いで迷人見習いの待つ駅へ。先日よりも道路が混雑していない、と。とはいえ、狩野川を見ながら上流へと向かったのは9時前。
迷人見習いが推奨する矢熊橋から上流は、人が入っている。どうも、迷人見習いは、広い場所を一人占めしないと20,30は釣れないよう。遡上鮎が主役となれば当然のことであるが。
ドーム前はまだ入れそうであるが、オラのあんよでは心もとないからパス。殿淵もよってらっしゃい、見てらっしゃい、というほどの空間はなし。
ということで、迷人ご推奨の嵯峨沢等の上流部をあきらめて講習会が行われている上流側の松ヶ瀬で釣ることにする。空いているということはあんまり釣れていないのかも。迷人見習いですら、松ヶ瀬にはいるのは解禁日以来とのこと。
さて、最大の課題は、蹴られの少ない針を入手すること。当然、迷人見習いから2種類の針を貰う。6.5号の大きさには不満はあるが。
松ヶ瀬の砂利は、何年か前よりも減っている。迷人見習いは、その頃、工事が行われていて、砂利がふえていた、とのこと。
しばらくぶりといいながら、迷人見習いの竿が撓っている。どのくらいの大差をつけられるのかなあ。迷人見習いの師匠が大会に出ろ、といったとのことであるから、腕前が上がっているのでしょうなあ。「男前」は底辺を彷徨っているままであるが。
師匠の意図は、「釣れる場所」、1級ポイントだけでの釣りでは、釣りの幅が拡がらない、変化に対応できない、鮎の習性、生活誌を観察する目を養うこともできない、ということかなあ。
ということで、先日、大会が行われていた松下の瀬で、上流部しか行くことのなかった迷人見習いが我慢の釣りをしていたのは、来年の大会出場を意識してのことであった。
オラにも掛かった。番茶も出花娘、と思っていたが、計測の結果は、18歳女子高生。迷人見習いと違い、チビ、小学生が混じることなく、女子高生が4匹。迷人見習いは8匹ほどとのこと。
まあ、このくらいの格差は、狩野川を釣り場としている迷人見習い相手では当然でしょうなあ。重量ではチビのいないオラのほうが上かも。
昼は、休まず、パンをかじるといっていた迷人見習いであるが、上流とは違い、小さい、といって、ゆっくりと昼休み。オラは当然、麦酒タイム。
午後、迷人見習いから貰った針がなくなった。「貫通力抜群」との針を使うが、蹴られ。何で、今年の狩野川の海産鮎に適合する針が限られるのかなあ。継代人工は1匹も釣れなかったのに。
仕方ないから、大井川で蹴られることのなかった7号のハリにする。このハリでは、5割ほどの確率で掛かった。
チビも掛かったから、蹴りの主体は、チビかなあ、と思ったが、強いあたりでも蹴られていたから、チビだけが蹴られの原因ではなさそう。
3時過ぎ、再び18歳女子高生が釣れた。迷人見習いも。
これからがゴールデンタイムのようであるが、渋滞が気になるから帰りましょう。いや、本音は疲れたあ。
合計、迷人見習いが16匹。オラが12匹。
女子高生が最大であるから、6.5号でも問題ないということかなあ。迷人見習いは、上流はもっと大きいのが釣れるとのことであるが。それは遡上鮎かなあ、海産畜養かなあ。嵯峨沢では継代人工も混じるとのこと。
横瀬の交差点を過ぎると、渋滞の予感が。
伊豆スカへ出て箱根新道、西湘へ。そして、西湘の渋滞がはじまる地点より前で一般道へ。これで渋滞に巻き込まれることなし。
さて、大井川への電車通勤はいつにするかなあ。今日、大雨が降らなければよいが。何しろ、ダム放流で濁りっぱなし、ということが、今年はいまだ発生していないという初経験の大井川ですから、そろそろ、2週間の飢饉が発生するかも。その前に行きたいが。
お百姓さまあ、迷人見習いからのことづけです。
「竿捌き、囮操作を一新した、リニューアルした、もう負けることはないよ。そのすばらしい竿捌き、囮操作を見においで。」とのことです。
迷人見習いの天狗の鼻をへし折りに行きましょうよう。
8月3日 相模川
7月28日に迷人見習いとともに松ヶ瀬で釣っていたとき、下流側で講習会が行われていた。その講習会は午前で終わり、2人の講師は名人が入っている宮が瀬?へ。
迷人見習いは、その場所は鮎は沢山いるが、むつかしい釣りになる、と。遊び鮎が多いということかなあ。名人のお仲間もすでに朝から釣っているから、なわばり鮎は釣りきられたでしょう。
そこへ、3名人よればバトルの開始。
その結果は、60,40,40,とのこと。
さすがにこの数には、いつも名人に大差をつけられている迷人見習いもびっくり仰天。
何で、遊び鮎をだまくらかすことができるんじゃあ。
遊び鮎が主体の相模川で、名人の「0」のない数を釣りたいなあ。
そんなことは無理ですよ。「0」ではなく、「6,4」のない数字がヘボにはお似合いですよ。まあ、そうですが、志は高く持ちましょう。
弁天に行くと、右岸側に海釣りをサボったウちゃんが。今年はじめてみる釣り姿。
そして左岸にはジロちゃんが。ジロちゃんは、相模川で行われた2つの大会の2回戦で、両方ともボウズとのこと。そのショックで2週間ほど釣りをしなかったとのこと。
先日の気田川では、ゴロちゃんが恋路のじゃまをしなければ30は楽に釣れていたであろう、と。
気田川の鮎はきれいで、中高生であるが激しいあたりと俊敏な動きが楽しかった、と。それは遡上鮎。船明ダムのトンネル状の魚道に電灯がついてから、天竜川の鮎が遡上できるようになった、との話は事実ということのよう。
船明ダムでは稚魚は育っているのかなあ、それとも育つことができないのかなあ。
大井川の鮎は継代人工で汚い鮎である、とも。数年前から塩郷堰堤下流に放流されるようになったとのことであるが、継代人工が主役かも。
それで、放流地点とは無縁のところでは、遡上鮎主体に、狩野川の2011年、2012年の大鮎の主役を務めた東北・日本海側の海産畜養かF1しかいないよ、と話した。
小沢さんの講習会の効果もなく、吸盤ボウイが2匹掛かっただけ。小沢さん兄弟は、すぐに前あたりを察知されていたが、前あたりが期待できるところをどのように判断されていたのかなあ。なわばり鮎でなく、遊び鮎の居場所をどのように見つけることができるのでしょう。小沢さん兄弟は、すぐに前あたりを感じるところにオトリを入れていましたよねえ。そんな川見ができれば、ヘボよさようなら、となることができるんですがねえ。
最後に登場したのはタマちゃん。
タマちゃんは、家族サービスで荒川に行くと。オラは荒川に行かんほうがよいと。
去年の8月、荒川にいた鮎は、海産畜養の番茶も出花娘以外は、小中学生。
去年は、雪代がおさまったのが2週間ほど遅いとのとで、2週間ほどの成長の遅いことと思っていたが、とんでもない。成長のある段階にコケを食べることができないということは、その後の成長阻害に大きな影響を生じるということ。
それに、今年は、解禁日以降、竿を出せたのは女川に数日あるだけ、大石川ではそれよりも少ないよう。ということで、増水による飢饉が加わっているから、去年よりもさらに成長が悪いはず、と。
ということで、大井川に行くしかないよお。
かあちゃん達を汽車に乗せ、また、寸又峡温泉などで休んで貰い、遊んで貰い、泊まり、昼間は大井川で釣りをしょうよう。気田川へも山道を1時間ほど走れば行けるよ。
タマちゃんは青木の瀬で釣ったとき、蹴られが気にならなかったとのこと。針は7号と7.5号を使ったとのこと。6.5号だけが針の形状によって蹴られが多発するということかなあ。
来週はゴロちゃんもお休みのようであるから、狩野川に行ってくることにしょう。
なお、ジロちゃんとウちゃんは、瀬肩上流の平瀬状から、どんどん下り、瀬尻を右岸側から釣っていたが、どの程度釣れたのかなあ。また、ウちゃんは、海釣りに戻るのかなあ。大井川に行かないのかなあ。ウちゃんを勧誘できなかったことが残念。
ということで、今日もボウズ。みんながボウズなら恥ずかしくないが。相模川の鮎を1匹増やして帰る日のなくなる日が来るのかなあ。
8月9日 狩野川
1日、6時間しか眠れん、不眠症じゃあ、と、迷人見習いに話すと、十分な睡眠じゃあ、と。やはり、睡眠不足ですよねえ。昼寝はすぐできるから。
高温注意報が発令の中、6時間の睡眠では熱中症の潜在患者、と思い、8時間眠れたら、狩野川に行こうと思っているうちに金曜日になってしまった。盆休みで混むはずであるから、その前に行くしかない。
新松田に釣り人1人が降りた。何年ぶりの釣り人の下車かなあ。小田急鉄橋下流で、取りこんでいる人あり。十文字橋に釣り人あり。
やっと、濁りは出なくなったよう。とはいえ、丹沢湖の工事以来、砂利がふえていき、石がなくなった酒匂川。湖産ブランドにブレンドされている継代人工等の比率がゼロであった、あるいは僅少であった酒匂川。当然、冷水病の発生以来、継代人工の放流に変わっているのではないかなあ。
遡上鮎は、栢山の堰の魚道の遡上達成率が低いとの話があるが、どの程度上っているのかなあ。
囮屋のおばちゃんと、薬、検査の状況の話をして、まん中の流れの自動車道付近にはいる。前回、麦わら帽さんが釣れていた付近に下っていくが、水が少ない。麦わら帽子さんは、腰下くらいの水深にも立ち込んでいたが、チャラ瀬並みの深さしかない。さっぱり反応なし。そのすぐ下流の白波のところにオトリを入れて根掛かりをしたら、放流間違いなし。
狩野川大橋へと下っていくが、2,3人の釣り人がいるだけ。
左岸側の流れと合流しているところに1人いるが、釣れているのかなあ。移動していったから釣れてないんでしょうなあ。
拳大の石で、とても、令嬢が住む邸宅とは無縁のところに、所々頭大の石がある。喫茶店で休んでいる女子高生がいるかも。
下顎側線孔数4対左右対称、尻尾の切れ込みが浅いように見える番茶も出花娘が。これでボウズはなくなった。
大橋のところの人2人も消えた。左岸側も人が移動しているだけ。橋下流瀬尻の釣り人を見て、昼飯に。大変、握りを一箇しか食べることができない。熱中症になりかけているのかなあ。水分補給をして塩飴をなめているが。
昼からは、左岸流れの様子を見ることにする。
自動車道付近で、草原をつききろうと思ったが、釣り人道がない。それに、ブヨの発生する頃であり、草原の中は歩きたくない。20世紀に、ブヨに刺されて、顔面がクレーターになった人がいたが、その人も亡くなられた。
右岸側流れのチャラは、石がさらに埋まり、歩きやすくなったことはありがたいが。女子高生が跳ねているが。
帰りに右岸側チャラを歩いたが、所々に小さな深み、小さな溝があり、石が詰まっているところがあった。小沢さん兄弟は、その小さなポイントをどのように見つけているのかなあ。波立ちと流れの変化だけで、見つけているようですが。
やっと、草むらを歩かなくてもよいところにたどり着いた。
左岸側の流れでも、自動車道付近はオラでもオトリを入れることができる流れ。ただ、ウエーダーでは、オラのあんよでは根掛かりを外しに行くのは困難。
待望の女子高生が釣れた。体型のできあがった小学生も。この小学生をチャラに使いたいなあ。まあ、それは将来のことにしましょう。と、ねばるも、小学生を追加しただけ。4匹しか釣れなかったが、釣り人が去っていく青木の瀬でボウズにならなかったことに感謝しましょう。
暑い河原の散歩はしたくない、ということで、映画館へ。昭和30年代後半、冷房の効いた映画館はありがたい場所。喫茶店では、1時間ほどしかねばれないが、映画館では、入れ替えがないため、半日過ごすことができた空間。
「終戦のエンペラー」を見た。観客はほとんどが年寄り。青木の瀬の釣り人同様、閑散としている。
この映画のどの部分が事実であり、また、どの部分がフィクションであるのか、分からない。
しかし、アングロサクソンの意思決定の仕方、「責任」の帰属と、日本人のそれらに大きな差があることは、米軍准将に仮託して、適切に表現されていると思う。
丸山が「責任の上奏」を発表したのは、昭和22年の「日本政治思想史」ではなかったかなあ。
成沢光「政治のことば」に、「きこし召す」と「しろ召す」の概念が書かれているはず。
すめらみことは、「きこし召す」は行う。しかし、「しろ召す」ことはしない。しろ召すことは、臣下の役割。
「殿、いかにいたしましょう」「良きにはからえ」という意思決定の仕方が、日本人の意思決定の仕方。これは、官僚機構でも、会社でも変わりはなし。
なお。すめらみことは、上奏の終点ではなく、神に「きこし召す」。そうなると、意思決定の責任者は誰?
アングロサクソンと日本人ともに、「軍隊」は、社会とは異なる原理で動いている、という認識で一致している。
しかし、「軍隊」イメ−ジは異なる。
アングロサクソンの「軍隊」イメージは、プライバシーのないこと。日本人にとっては「5時から男」は、社員、社会人としての最低の部類に属することで、会社人間として、四六時中働くことが当然のこと。プライバシー尊重なんて、サボリーマンの証拠。
日本人の軍隊イメージは、「上意下達」。
稟議制で、下から意思決定を積み重ねていくこと。アングロサクソンにとっては、会社であろうが、上意下達は当然のこと。フリードマン?の「組織の中の人間」?は、その行動様式への批判ではなかったのかなあ。
という「文化」の違いの中で、「責任」を求めるとき、大きな違いが生じることになるが、それを適切に表現しているのでは、と思っている。
戦争中も「敵国」文化の研究を怠らなかったアングロサクソンの面目躍如ということかなあ。
あ、そんなことは、あゆみちゃんとは関係ないですよねえ。
しかしですよ、何で、湯ヶ島やそこに近いところで、遡上鮎の女子高生や番茶も出花娘がたむろしていて、松下の瀬や青木の瀬が遡上鮎に毛嫌いされたんでしょうねえ。城山下が遡上鮎から嫌われていることと関係しているのでしょうかねえ。
川那部先生は、立派な瀬と、立派な淵が一体となっている生活空間が、あゆみちゃんの好むところ、と。
「つり人」800号記念に、「つり人」創刊号が掲載されている。
そこに、「鼎談 狩野川の鮎釣 名人が語る友釣の奥義」がある。
「佐藤 一番大きくなる場所は?
野田 大仁橋の上下流です。この附近では長さを言わず目方ですが、七月には卅匁くらいになるでせう。」
「一〇匁」が大きいと考えるか、小さいと考えるか。
一番上りは湯ヶ島に行っていると思うが、何で、大仁が、松下の瀬と青木の瀬が大きくなるのかなあ。
アングロサクソンと日本人の行動様式の違い同様、あゆみちゃんの生活誌に時間軸での違いが表れていると言うことかなあ。
8月14日 大井川
追憶への旅路
新横浜始発6時の新幹線に乗ると、8時前の大井川鉄道に乗れるから、笹間渡に9時前に着く。
オトリを舟に入れて、ひたすら、上流へと向かうが、鉄橋を越えて左岸から右岸への落ち込みのところで、オトリ君が騒ぎ出したから、水の中にはいる。
「藁科川の鮎釣り」のよしよしさんが、「川がお湯です。生温いどころじゃない。」と書かれているから、関西の川並の水温かと心配していた。しかし、冷たい。とはいっても、「生ぬるい」水温と比較してのことですが。
湖産放流全盛時代の千種川は上郡でのある年の盆に経験した「ぬるま湯」よりは冷たい。そのときは、数回引き戻すと、釣れたアユでも、「わしゃ、もう働けん、こんな環境の悪い中で働かせて過労死させる釣り人は、乙姫様に告訴してやる」と訴えられたときよりも冷たい。
ありがたい。ゆっくりと水合わせをして、左岸から右岸への流れが落ち込んでいるところで竿をだす。
今の時期、土用隠れでしょう。オラは「つわり説」ではなく、水温が高いことによる現象と考えているから、落ち込みの水深のあるところが避暑地になっていると考えているから、場所選択は間違っていないはず。
しかし、長島ダムの影響後の落ち込み、淵は、石底から砂利底へ。
ここも砂利底で食糧のあることろは、右岸の立て岩盤だけ。立て岩盤を釣るには、オトリを岩盤に貼りつけるようにしないと釣れない、と、亡き相模川の主が話していたが、その高級な竿操作、囮操作ができるはずがない。
しかし、釣れるポイントは立て岩盤だけであるから、川見は楽。しばらく、岩盤附近にオトリを泳がせていたが、川流れをして遊びたい子供が、じゃまなジジーは早く立ち去らないかなあ、と恨めしく思っているようですから、目的地へ急ぐことにしましょう。
発電所廃屋前の水のあるところは、かってよりも少し上流側になっているが、石がある。河原にはいかい石がごろごろしているから、その一部が水中に出ているということかなあ。
大きな白波が立っている下流側へ。上流側にはオラを追い抜いていったヒゲさんが。
オトリ君は元気に働いてくれるものの釣れませんなあ。
また竿をたたんで、青い鳥の住むという上流へ。ヒゲさんは5匹とのこと。釣りはじめて1時間くらいしかたっていないのではないかなあ。
やっと、恋の密室空間についた。
桑田変じて海?となる状況。
ただ、七曲がりの出口というか、落ち込みの上の瀬は、流れの幅が拡がり、オラにとっては釣りやすくなっている。
あゆみちゃんとはいろんな想い出を作ることのできた恋の密室空間でしたが。
すぐに番茶も出花娘が。ありがたい、これでボウズはなくなった。
あゆみちゃんはすぐにおじゃま虫の吸盤ボウイを。
「身の程を弁えずに美女と見ればすぐに手を出すげす野郎がいるから、困ったものねえ。」
まあ、かわいいねえちゃんにしょっちゅう声を掛けていた「げす野郎」経験者としては、吸盤ボウイの気持ちはよくわかります。
そして、すぐに番茶も出花娘を。遡上鮎の番茶も出花娘をだっこするのは大変ですなあ。
腕力の衰えをひしひしと感じます。それはテク2も同じ。ただ、テク2は、乙女が対象であるが。
糸は0.5号のフロロにしているから、強引な竿操作をしても、丼はあり得ない。
ということで、2台目の汽車の汽笛が鳴る頃までの10分、20分の時間に3人の番茶も出花娘をだっこできました。ありがたや、ありがたや。
このまま、ここで釣れば、浮き世世之介の気分を味わえることになるかも。
握りを2個食べることができたから、まだ熱中症の前兆はないでしょう。
しかし、のりちゃん、まさこちゃん、ともちゃん達の家に夜這いに行き、成功したことも、肘鉄を食らったこともあった家は砂の下。
太宰は「御伽草子」の「浦島太郎」で、太郎が乙姫様との誓いを破り、玉手箱を開けて懲罰としてじいさんになった、との「常識」に異議を唱えている。
乙姫は、太郎が見ず知らずの人達の中で暮らしていくことができないことを予見していて、その情況で生きていくには、追憶の世界にはいるしかない、との心優しい配慮から玉手箱をおみやげにした、と。
オラは、玉手箱がなくても追憶の世界に身をどっぷりと浸して、過ぎ去りし日々を楽しませてくれたあゆみちゃんを思い出すことができました。目出度し、目出度し。
まだ、1時前であるが、番茶も出花娘に別れを告げましょう。
ここで動けなくなると、何日後に発見されるかなあ。ペットボトルもあと1本しか残ってない。
発電所廃屋前の瀬の上流側のヒゲさんは下流に移動している。オラがオトリを入れていたところに入っている人は、右岸側の瀬脇にオトリを入れ、掛けた。芯を横切らせて手前に誘導して取りこんだ。5匹くらいとのこと。ただ、背掛かりがやっと手に入った、と。
ヒゲさんは、右岸から左岸に流れている瀬落ちすぐ上のところにオトリを入れている。
かっては、そのザラ瀬には頭大の石が広い範囲で詰まっていて、オトリが横に泳いでいくと、目印がすっ飛んだこともあったなあ。
左岸崖に沿う瀬尻には砂利の中に少し石がある。そこに白い裸体がキラキラしている。午後になってどこかから出てきたのでは。その誘惑にも負けず、下流へと歩いて行く。
左岸から右岸への流れの中の右岸への落ち込み上流の瀬はあゆみちゃんが住んでいるように見えるが。
2時間かかってやっと囮屋さんへ。舟の中で死んでいたのは、養殖と釣れた鮎1匹ずつ。
テク2の到着を待つ間、平口さんと、そして、あとからやってきたかって、コテージ村の食堂にいた小母さんとお話をする。
釣り吉さんがやってきて、宜しく、といっていたとのこと。釣り吉さんは、例によって、いっぱいあゆみちゃんを釣ってるのでしょう。いや、「釣り吉くんの日記」によるとデカ鮎の1日のようで。
小母さんに、コテージ村で食べた「山菜天ざる茶そば」を食べたいといったが、今は無理とのこと。
七曲がりから、ゴロちゃんに追っかけられてコテージ村に着き、野外炊事場でヘソを隠した。次は、コテージ村に食堂があることが判り、ベストに2千円ほど入れるようになった。それで、次のヘソを隠す場所は食堂になった。
そのとき、山菜天ざる茶そばをつまみに麦酒を飲んだ。すっかり、山菜天ざる茶そばが気に入った。
ゴロちゃんに追っかけられなくても、鉄橋附近、鉄橋上流で釣っているとき、昼は、山菜天ざる茶そばと麦酒の贅沢をすることもあった。
山菜がエビに替わり、どこにでもある天ざるになってから、コテージ村の食堂に行くことはなくなった。小母さんがやめたから。
その頃、食堂にいたお尻ぷりぷりちゃんはどうしている?と聞いた。
元気よ、孫がいるよ、と。
えっ、当時20代か、30才くらいでは、というと、笹間渡温泉から川根温泉に変わったときにコテージ村ができたから、15年くらい経っている。したがって、当時40才くらいよ、と。
ねえちゃんの年を見る目は、川見同様、ヘボですなあ。
テク2の状況
相模川で釣った鮎を友缶にいれて藁科から中川根町へ。その道中には何か所か湧き水があり、そこで水を入れ替えることができるから、友缶にはビニール袋に入れた氷を浮かべてない。
ところが、湧き水が枯れている。水の入れ替えができず、焦ったが、無事川に友缶を活けることができたとのこと。
そして、お墓参りを済ませて、崎平?へ。
テク2は、塩郷堰堤上流には、
@ 駿河湾育ちの稚魚の畜養鮎
A 東北・日本海側の稚魚畜養か、それを親としたF1
B 継代人工
の3種がいて、遡上鮎はいないか、僅少とのこと。
中電は、塩郷堰堤の遡上達成率がどの程度か、いつになったら考えるのかなあ。魚道が機能していないのに、「遡上している」と、「機能」の質を考えない状態が永遠に続くのかなあ。
そして、テク2は、番茶も出花どころか、乙女までだっこしている。
その数、20台、とのことであったが、30台かも。乙女をオトリにすると、さっぱり釣れないかったとのこと。そのこともあって、また、17日まで釣るつもりでいたこともあって、15日の朝、乙女や番茶も出花娘の大きいものを開いて、塩水につけ、網で干していた。
食堂での話。
温泉から出て、夜の飯をどこで食べるか、家山ではお盆ということもあり、法事の予約で、食いそびれるかも。
笹間渡で食べるしかないかも。幸い、テク2はタマちゃんと違い、呑兵衛ではないから、下戸に毛の生えたようなものであるから、オラだけが麦酒を飲んでも心苦しくはない。
麦酒の突き出しに出てきた肴が変わった品物。
それは、ナスを短冊状に切って油で揚げて、氷を入れただし汁につけて、そこにすったニンニクをいれたものとのこと。
夜中に、足が吊った。漢方薬1袋でおさまったから助かった。腰の不調も、動けなくなることは回避できているから、明日も釣りができるでしょう。とはいえ、もし、七曲がりで追憶に浸ることなく、あゆみちゃんのお尻を追いかけていたら、どうなっているのかなあ。
テク2は下痢がひどかったとのこと。それも熱中症の前触れかなあ。オラは、先日の狩野川のように、去年8月の荒川の夕食が食べることができなかったように、食欲不振が前触れかなあ。
荒川の時は、年券代を稼ぐため、4日間働いたが、雪代の2週間ほど遅くおさまったことが2週間の成長の遅れではなく、甚大な成長阻害を生じていて小中学生しかいなかったため、3時まで働いたのは初日だけで、その後は午前様であったのになあ。
もっとも先日の狩野川の時も、踊り子の車中で冷酒と麦酒は飲むことができたし、荒川の時も、小鉢のおかずを肴にして麦酒と冷酒は気持ちよく飲むことができたが。
8月15日 大井川
今日は、テク2の車に乗り、崎平?へ。
昨日、テク2が30匹ほど釣っているから、ヘボの取り分が残っているとは思えないが。
囮屋さんで、安倍川のシさんに会った。テク2共々何年ぶりかなあ。どこにはいるのかなあ。今年は大井川に入り浸りかなあ。
テク2がオラのはいるところは昨日、竿をだしていない、見てくれのええところは、誰でもオトリを入れるから鮎は品切れ、無視せよ、見てくれの悪いところを釣れ、と。
干物を作ってから、鉄橋の方へと上っていくテク2が、オラの釣り場を見て、そんな見てくれのエエことろはだめ、と。
まあ、昨日、勝ち組だけでなく、囮の追加買いにいった負け組もいることですから、ボウズでも恥ずかしくないよなあ。
右岸側に入ってきたグループの人達は、河原からの釣りに徹している。どのくらい釣れたのかなあ。少し下流のトイ面の人は、流れがカーブする上流に移り、河原を下りながら取りこんでいたが。
そのグループは午後には去っていったが。
テク2は9匹を釣り戻ってきて、開きを作っていた。オラは蹴られがあっただけのボウズ。
沢のところで昼飯。休んでいると、短い竿のフライの人が上流へと釣り上っていった。テンカラでは竿が長すぎる、フライの方が、枝を気にせずに竿操作ができる、と。連れている犬が釣り場に飛びこんだりしていたから、どの程度釣りに専念しているのかなあ。どのくらいの距離を上っていったのかなあ。
この近所に奥さんの実家があるから犬と子供達とやってきた人も。
その人は、東京で法事があったとき、法事終了後福島へヤマメ釣りに。風評被害にあっている福島の川は空いていたとのこと。
その人は、鮎釣りはむつかしいからしていない、と。
萬サ翁は、アユとアマゴと川マスの釣りの難しさ度合いについて話されて、鮎は寝ていても釣れる、と話されていたと思い、天野礼子「萬サと長良川」(ちくま文庫)をひっくり返した。
「萬吉はいつも、アユに関しては『ありゃ、目えつぶっとっても釣れる』と言い、アマゴに関しては『だまくらかいて釣る』と言っているが、この川マスだけは自分と対等なところへ置いていた。自分が相手をうかがっているとき、相手も自分をうかがっているのだと思うのである。」
ということですから、寝ていては釣れないかもしれないが、山女魚よりも鮎釣りの方が簡単ですよ。
それでも、ボウズ?
萬サ翁は、オラのためにも適切な言葉を残されていますよ。
杉錠の息子の斎次郎さんに
「魚にはな、そなわっとる魚というんがあるんや。わしが釣れて、あんたに釣れん魚があるじゃろう。あれは、あんたにそなわっとらん魚や。じゃが、あんたにそなわってる魚は、あんたにも釣れる。たとえばじゃ、去年はじめて川マスをやったとき、掛けても掛けても切られるもんでくやしがっとったが、あんなもんは気にせんでもええ。釣り落とした魚は、あんたのもんじゃなかったんや。そなわっとる魚は必ず釣れる。今日もな、あんたはいつもとおんなじくらい釣れるで、行ってこい。なんちゅうても萬サの弟子やとひとにはいわれるんやから、上手(うも)うなってもらわんとな。神戸へ帰って忘れてもうては困るで」
ということで、たまたま、オラに「そなわっとる魚」が海外旅行に出掛けていて留守なんですよ。
午後は、左岸護岸沿いに汽車が見える場所へ。
テク2は上流の橋の方へ。オラには、目の前の瀬でまん中に立ち、両方のヘチを釣れ、といって。
幸い、まん中は砂利で、浅く、流れが弱いから、オラでも安心。
右岸が瀬状になり、石もある。しかし釣れませんあ。幸い、ゴロちゃんが遠くでうなっているから竿をたたんだ。
5匹釣って戻ってきたテク2が、オラがオトリを入れていたところにオトリを入れるも、釣れず。まずは安心。
さらに釣り下り、左岸側、右岸側瀬脇、ヘチにオトリを入れる。2匹釣れた。
少しゴロちゃんが近づいてきたようで、竿をたたみ、干物を片付けて温泉へ。
今日も昨日と同じ食堂へ。
そこには大井川鉄道の写真が何枚も飾られている。
子供たちが青い機関車が通ったとき、「トーマス」がきた、と叫んでいた。その「トーマス」の言葉が思い出せなかったから、店の人に青い機関車の名前を聞くと、「SL号」と。そんな何の変哲もない名前ではなかった、というと、写真撮影者達に問い合わせてくれたが、やはり「SL号」と。
「トーマス」の名は、絵本に使われているから、大人が使うと著作権等の問題が生じるため使っておらず、子供たちだけが使っている青い機関車の名称かなあ。
8月16日 大井川
昨日の夜、野守の池で、花火の打ち上げや、盆踊りや、灯籠流しやぼんぼりの点灯等が行われていた。その騒ぎにも吾関せず、でねんねして、3時前に目が醒める。不眠症かなあ、それからねんねできないから散歩に。
15日の夜には、送り火が焚かれているが、その行事をする家が減ったなあ。
送り火に使われるのは松の根とのこと。テク2はそれを採りにいっていた、と。松なんてないのでは、というと、松食い虫にやられる前は松はあった、と。そして、松を切ったあとの根は残っているから、何年も同じ場所で松根を採ることができた、と。
戦争中、航空機?の燃料にするから、と松ヤニを集めていたと思うが、それよりは理に適った送り火の素材ということのよう。
今日は、囮屋さんで「釣り吉くん」に会えた。釣り吉くんは下流に行くとのこと。
笹間渡の鉄橋下を通り、上流まで車で行ける、というと、七曲がりに行こうとなった。水から遠いことろに車を止めるのは嫌いであっても、川の中は何キロも釣り歩いているテク2。
テク2の気を引く場所はあるが、発電所廃屋前の瀬に行く。
テク2は大きな白波の立っている上流側へ。オラは下流側へ。差してくるあゆみちゃんは見えるのになあ。
テク2が1匹釣ったあと、右岸側に渡り、そして消えていった。見切りは早いなあ。
3人組も上流に歩いていったから、オラも上流へ。
七曲がりの下流側の瀬の石がわずか2日しか経っていないのに汚れているなあ。岩佐先生は、「珪素の話」か、「珪藻の生物学」に、照度が二万ルクスを超えると、珪素は死ぬと書かれていたと思うが、その状態はここ数日にはじまったことはないはず。死んでも、食するアユがいれば、新しいアカが育つはず。アカぐされをしていない場所が途中にもあった。
ということはアユが避暑地に出掛けたということかなあ。
乙姫様が、あゆみちゃんとの恋に命をかける気持ちもないジジーとは付き合うな、と指令を出しておきましたよ、と。
それはひどい仕打ちですよ。継代人工だけか、海産アユも含まれているのか、分からないけど、あゆみちゃんでさえ、死んで流れ、また底に沈んでいる状況ですよ。その気温の中でオラがくたばると、水中にまで悪臭が立ちこめて大変ですよ。
今回は二日のボウズでもなあんも気にしませんが、次回はあゆみちゃんと逢い引きをさせてくださいよ。
テク2は、七曲がりでも2匹掛けて一匹取りこんだと話していたと思うが。
そして、テク2は下流へ。左岸に流れる瀬落ち上で、2匹。
オラはその流れが左岸崖に沿って流れるところへ。
そこは、前回の帰り道でもあゆみちゃんが白い裸体をキラキラさせていたところ。今日も裸体が見える。
長島ダムの影響が出る前には、淵は、瀬落ちは石底で、崖のところには必ず大石が転がっていて絶好の避暑地になっていたんですがねえ。
その片鱗が残ってるから、まずは石は詰まってはいないものの、裸体が見えるところへ。
しかし、20才以上のオトリにけんかをする女子高生がいるとは考えられないけど。もっと住環境よし、攻めにくく守りやすい石組みのところであれば、はちゃきん娘がいるでしょうが。
崖よりの大石が転がっているようなところも反応なし。
ということで、あゆみちゃんに冷たくあしわられた大井川ですが、楽しい3日でした。
しかも、テク2から番茶も出花娘や乙女を20匹ほど貰い、大漁、大漁。
今年の遡上アユは、3月中旬の遡上開始ではないかと思うが、その遡上開始時期の早さと、ダム放流による2,3週間の飢饉のなかったことが遡上アユが番茶も出花娘に育っているのではないのかなあ。
いつもの遡上アユは、7月下旬、8月始めは、飢饉による体力を回復終えた頃で、まだ成長に力をまわすことができず、女子高生の大きさ。9月頃になって、番茶も出花娘の大きさに、そして、9月下旬頃から乙女になるのも出てくる。10月には乙女の数がふえる。
テク2は、膝の水がたまり、痛くなったこともあり、17日に日帰りで来る予定のタマちゃんに電話をして、雨が降るまで待った方が川の状況がよくなる、相模川の弁天の瀬肩附近だけでなく、瀬落ち上の棚も、瀬尻でも釣れるようになり、しあわせ男が30釣った、と。
ということで、テク2も中川根町か本川根町で製造された蒟蒻を買い、今日帰ることに。
これまでも盆の時に電車通勤をしたことがあるが、今年の大井川鉄道では、麦酒の立ち飲みをした。それほど満席になっているのは初めての経験。汽車に乗ろうと思わなくてよかった。
テク2もそれほどの渋滞に巻き込まれることなく、午後7時頃には帰宅できたとのこと。
8月25日 相模川にも行かず 高橋勇夫さん大鮎誕生説批判
猛暑を避けるため、「竿」出しではなく、冷房完備の空間で「玉」出しに励まれて、稼がれた御仁がいらっしゃる今年の夏ですから、その御仁よりも代謝機能が格段に低下しているオラが、川に行きたくない、というのは、自然の摂理ですよねえ。
その上、大井川は七曲がりで、しゃがむ、立つという動作の時、身体がくの字に曲がる危険を感じていてとなると、節制しないと。
あと1,2回ブロック注射をすれば、腰の不安もおさまるのではないかなあ。
迷人見習いから、今日狩野川への早朝からの釣りのお誘いがあったが断った。
迷人見習いは、30匹ほど釣り上げていて、もう、お百姓に負けることはない、と豪語されているんですがねえ。お百姓さまあ、今年も購入された超高級竿は、まだ、2回しか使ってないのでは。そんな資源の無駄遣いをしていると、迷人見習いに高笑いをされるようになりますよ。
かっての軽トラに乗り、いかにもお仕事に行く出で立ちでとおちゃんの目を誤魔化し、女遊びに出掛けていた放蕩息子、どら息子は今いずこ。
迷人見習いの師匠は、放流ものの一部、継代人工の一部ではないかと思うが、下りをはじめている、と。いや、湖産の放流もされているとすれば、湖産も入っているかも。
もちろん「トラックで運ばれてきた」放流ものであるから、遡上アユの下りとは違って、流下仔魚が弁当を食べ終わるまでに動物プランクトンを食する地点の産卵場に下ることはなく、「放流地点」附近の砂礫層のヵ所で産卵するでしょうから、遡上アユの「下り」とは異なる「下り」の態様であるが。
迷人見習いは、「青いアユ」が釣れた、と。
これは、安倍川でも釣れているようであるし、かって大井川に放流がなかった時代にも釣れたことがあった。
食糧、生活空間の特性によるのか、それとも氏素性の違いによるのか。迷人見習いが釣れたアユの観察と氏素性等の違いに興味を持つようになるまで、疑問の解決は待つことにしましょう。
くぼちゃんは、相模川は石切場の瀬尻で、16匹?を釣った、キラキラする塊がいた、と。その氏素性は継代人工と確信しているが、8月に入ってから、瀬尻で継代人工の活性が高まったのはなぜかなあ。
弁天瀬尻でも、しあわせ男が30匹ほど釣っていることから、何らかの共通性があるとは思うが。
去年、尺鮎フィーバーのあった四万十川の尺鮎の氏素性は、東北・日本海側の海産畜養か、それを親としたF1と考えている。
今年の「つり人」のアユ解禁号に、四万十川の尺アユの釣り人の記録と、「アユの本」の高橋勇夫さんの「尺アユの条件」が掲載されている。
高橋さんは、舞台を奈半利川に選ぶ。そして、大鮎が四万十川だけでなく、奈半利川でも存在していて、その発生理由について、飽食の時代とされている。
いつものように、「ほんまかいな」、故松沢さんの口癖の「学者先生はそういうが」の評価をせざるを得ない。
もし、「飽食の時代」等の環境要因であるとすれば、相模川は毎年尺アユフィーバーに湧くことになるでしょうがねえ。
高橋さんは、北海道のアユについて
「そんな中、冷水病の発生が見られない北海道の河川でアユを調査してみると、5月にはいってやっと遡上が始まるのだが、7月には23〜25センチにも達しているアユが結構多い。少なくとも高知のアユよりははるかに成長スピードが早い。」
そうなんです。東北・日本海側のアユは、房総以西の太平洋側のアユよりも成長速度が早いんです。
宮地伝三郎他編「香魚百態」(筑摩書房)に、森田員正さんが「みちのくの鮎」に書かれている生活誌の通りです。
「昨年の九月初旬に秋田県米代川の大滝温泉近辺で大鮎をやたらと掛けたわけだが、この時もすでに多くの魚体は黒くサビが出始めていた。
このサビ鮎を、当地では『ススケ鮎』と呼び、例年より早く、九月に入ってすぐにこの『ススケ鮎』が見られると、土地の人の間では『今年の冬の寒さは厳しかろう』と囁き合われるのだそうである。」
「ススケ鮎」の出現時期について、鮎が性成熟をする時期を「水温」あるいは「気温」から予知する能力があるとすれば、狩野川、四万十川に放流されたであろう東北・日本海側の鮎の性成熟あるいは産卵行動が、一〇月下旬、一一月始めになることの説明がしやすいのではあるが。
他方、狩野川の鮎を砂鉄川に放流しても、性成熟が早まることはなかった、という現象もあるが。
「ところが一方、産卵時の体長を見ると、北国の鮎は南国のそれに比べて小さいかといえば、漁獲率にもよるであろうが、全く差がないどころか、むしろ大きいくらいで、たとえ川に入る時点で北国の稚鮎が南国のそれより幾分大きくなっているとしても、河川に滞在する短期間での成長は、驚くべき速度であることがわかる。それに比べて南国の鮎は、ゆっくりと時間をかけて成長し、成熟する。
鮎に限らず、同一種内で急速に成長し体長をのばすという、この成長過程の違いの結果が、その筋肉は柔らかく、食べては水っぽいという評価を受けることになるわけだ。」
川那部浩哉「川と湖の魚たち」(中公新書)の「食う食われるものの関係」に、
「一般に個体の生長率は、生まれてまもなくの時に最も大きく、年齢がたつにつれてだんだん小さくなっていく。魚の場合には、生殖可能の時期に達してからも、個体の生長がとまらないのが普通だが、これは広く動物界を見まわしてみるとむしろ例外で、一般には、生殖をはじめると生長はほとんどとまってしまったり、またあっても大変少なくなってしまう。一方、体を維持させていくための呼吸の方は、体の大きさそのものではないが、およそ体重の三分の二乗に比例するから、結局、摂取速度に対する純同化速度の比は、成長とともに小さくなってくる。草食の哺乳類においても、もちろんこれは例外ではない。」
鮎は、性成熟が始まると、体長は大きくならないのかなあ。大きくなるのかなあ。サケの場合はどうかなあ。
川那部先生が、「川と湖の魚たち」に、山女魚・アマゴを登場させていてくれたら、今西博士の「イワナとヤマメ」と、何が違い、何が共通するのか、考える気が起こるかも、と思えど、何でか、山女魚・イワナを登場させてくれていない。
さて、高橋さんの「学者先生の特性、習性」は、改めて書くことはないとは思うが、ジジー心から、何で北海道の鮎の生活誌を知っていながら、その生活誌の鮎が「トラックで運ばれてきた」と考えることができないのかなあ。
何で、奈半利川には「遡上鮎」しかいないと考えるのかなあ。
不思議な習性ですねえ。
ついでに、高橋さんは、冷水病の被害がなかったことも奈半利川の大鮎出現理由に挙げているが、海産鮎が冷水病に強いことをご存じないのかなあ。もし、そうだとするとヘボの「風下」にもおけん知識力ということになるのでは。
迷人見習いさん、故松沢さんに遡上鮎の生活誌を教わった最後の弟子と自惚れているヘボからのお願い。
迷人見習いの師匠のように、「目利き」ができる釣り人になって下さい。「遡上鮎」とそれ以外のアユの違い、生活誌の違いに興味を持つ釣り人になって下さい。くれぐれも猫も杓子もごっちゃまぜにする学者先生、あるいは多くの釣り名人のようにはならないようにしてください。
次回のお誘いは断りませんので宜しく。
8月29日 酒匂川変じて相模川での腰馴らし
迷人見習いの行状
迷人見習いは、25日に大見川の発電所地区に入った。40匹とのこと。
青ノロはあるが、釣りが嫌になるほどの量ではない、と。何で青ノロが大見川で発生するようになったのかなあ。湖産放流時代、大見川の水は本流よりきれいと言われていたが。青ノロの発生は水質とは関係ない側面もあるようであるが。
釣れたアユは、海産と継代人工が半々くらいとのこと。大見川に遡上鮎がいるとの話は聞いているが、どこら附近まで上れるようになったのかなあ。
かっては、本流からそれほど上流にいかないうちに、遡上が妨げられているとの話で、湖産放流の川であった。故松沢さんが湖産を「線香花火」と表現されていたように、燃え尽きるのは早く、8月には大見川から人影は消えていた、少なくなっていた。
迷人見習いが、サラバにはいって40匹というのであれば、さほどびっくりしないが、迷人見習いが腕がよい、と評価している兄弟子のイさんが28匹と聞くと、なにい、とヘボは身構えざるを得ない。
それに、迷人見習いは、他の日に、殿淵から吊り橋の間で32匹とのこと。
かっての殿淵から吊り橋は、ザラ瀬あり、瀬あり、と、あゆみちゃんが好む生活環境であったが、ブルが入り、真っ平らにしてからは、継代人工だけの釣り場になったと思う。
名人ご推奨の遡上鮎が釣れるヵ所も、殿淵の吐き出しから少しは流れにメリハリが出てきた左岸よりの短い区間だけ。
第1回マスターズで、本間さんが根掛かりを外しに潜った右岸側の瀬、そのまま対岸側から釣り、萬さんに勝った瀬が復活はしていない。
そして、駐車場があるから、釣り人は多い。そんな中で30匹台とは。
迷人見習いが師匠に来年から大会に出よといわれたほど、腕を上げているとなると、もはや、気軽にしょうぶ、しょうぶといえなくなるなあ。
「頭が高い、このお方を何と心得るか、かっての迷人見習い、今は『名人』であるぞ」というときがやってくるのかなあ。くわばらくわばら。
酒匂川の状況
二回目のブロック注射を打ったから、しゃがんで たって という幼児でもおちゃのこさいさいの動作が、ジジーにも少しは楽にできるかも。
どの程度回復しているか、相模川で検証するしかないなあ。と思っていたが、肘に注射をするため、ツさんがやってきた。
ツさんは、何とかという立派な病名で、数ヶ月前には毎週注射を打ちにきていたが、今は痛くなったりしたときだけ注射を打っているとのこと。そして、相模川の竿がぶれるほどの動きをする鮎を抜くことができる、と。
ツさんは酒匂川のあっちこっちにも通っている、と。目印がすっ飛ぶ鮎と遊んでいる、と。針は6号とのことであるから、中高生ではないかなあ。中津川のゴミを釣ったときのような釣りとは全然ちがう、と。
ということで、ブロック注射の効用を確かめるには、酒匂川の方がよいなあ。酒匂川であれば、始発のバスに乗ると、8時過ぎには新十文字橋附近で竿を出せるなあ。
気掛かりなのは、砂利。新栄倉庫前から上流も砂利がふえている、しかし、小石のところでも釣れる、と。
ということで、どこで氷や握りを買うか、ということまで検討したんですよ。当然麦酒も。
久々に酒匂関係のネットを開いた。そうすると、先日足柄大橋で花火大会が行われて、チャラにいっぱいいた鮎が消えた、と。
仁淀川の弥太さんは、火振りの橙色?の光に驚いた鮎は、母なる海に逃げ帰ろうと、下流に逃げる。その習性に反して上流に逃げる鮎が出てきた、と。その上流に逃げる鮎は継代人工ではないかと想像しているが。
今年の酒匂川にいる鮎は、遡上鮎と海産畜養が主流ではないかと思うから、花火にびっくりして、下流に逃げているのでは。
そうすると、富士道橋附近が手頃かなあ。
と思い、漁協の釣果情報を見るとつ抜けでない数字が多いように見えた。ていねいに見たわけではないが。ツさんであるから、遊び鮎に近い鮎をたっぷり楽しむことができるということかも。
なお、足柄大橋の花火大会の影響が書かれているH・Pには、そのあとの短時間の濁りを伴った増水で、鮎が下った、との記述もある。
湖産であれば、下りをするものもいるでしょうが、また、継代人工の中には下りをするものがいるでしょうが、海産鮎、房総半島以西の太平洋側の海産鮎であれば、今の時期に下りをする鮎はいない。
というこは、栢山の堰の遡上達成率が低く、その上流では、海産の生活誌を観察しにくいということかなあ。遡上達成率が低くても、沖捕り海産、海産畜養が相当量放流されていれば、それらの産卵行動開始時期が、11月1日頃以降、「西風が吹き荒れる頃=木枯らし一番が吹く頃」からという現象を観察できるのではないかなあ。
ここまでどこの川にするか、悩んでいるとき、台風がやってきそうという天気予報。
ダム放流による2週間、3週間の飢饉の前に大井川に行くべきでは。
しかし、笹間渡鉄橋付近とか、その下流に遡上あゆみちゃんが途中下車したくなるような生活環境の場所が多くあれば、行けるが、七曲がりまでいかないと遡上あゆみちゃんが住みたくなる住環境良好の場所がないとなると、考えるなあ。
ブロック注射を2回打っているから、しゃがんで たって の動作をしても身体がくの字になる危険地帯突入にはならないとは思っているが。
新幹線の座席は、椎間板のカーブと同じカーブを実現しているとのことで、また、そのほかにも腰に負担が掛からないように作られている、とのことであるから、電車通勤での問題はないが。
問題は、宝くじがまたもや外れて、資金配分をどのようにするのが破産しないであゆみちゃんと逢い引きできるか、ということ。
狩野川は、増水後に行けばよかろう。天気が悪くならなければ、9月1日に迷人見習いがオラでも安全に釣りができる殿淵に運んでくれるということであるから、電車通勤をしなくてもよい。
ボウズはオラの習性
ということで、オラに「そなわった鮎」がいないとわかっている相模川で我慢しましょう。
「釣れない」から、どこに入っても変わりなし。弁天の瀬尻で継代人工を相手にすることもいやじゃあ。ということで高田橋のザラ瀬へ。
自己成就型予言的中。吸盤ボウイが3匹のみ。きらめく鮎が見え、跳ねる鮎も少しはいるのになあ。オラの下流側の人は5匹ほど釣れているのになあ。
あ、そうそう、オラだけがおじゃま虫にあゆみちゃんとの恋路を邪魔されていたのではない。河津川レディスアンドフェスティバル参加のレディさんは、おじゃま虫を20連チャンとのこと。それでもめげずにあゆみちゃんとの恋を成就させようとされたとは、敬服あるのみ。
堰下の鏡の人もボウズではないのになあ。
帰るとき、田名の主がやってきた。
昨日、堰下左岸側のドロ被りの石が磨かれている。その附近を釣れと知り合いに教えてウナギ釣りを。
24日の花火大会の打ち上げ場所が堰下。透明度が低い相模川といえども、花火にびっくりして下流へと避難した大鮎になる可能性のある継代人工、解禁日にちんちん釣り等で200匹ほどは釣られたのではないかと想像しているが、その生き残りが、避難先から戻ってくるときにドロ被りの石を磨いていたよう。それを釣りあげていたとのこと。
今日も、その鏡に入っている人々がいたが、釣れているのを見たのは1人だけ。もう、古巣のドン深に戻ったのかなあ。
高田橋上下のトロも釣り場に変身。数日前、子供でも大漁であったとのこと。
海産畜養と、数は少ないと思っている遡上鮎が品切れで、継代人工が釣りの主役になっているのかも。弁天と高田橋の中間の瀞にも数人が。
田名の主はザラ瀬に入っていったが、どこに移ったのかなあ。
酒匂川でも、花火で逃げたあゆみちゃんが元に戻っているかも。
明日様子を見に行くしかないかなあ。日曜日には大雨が降るかも知れないし。
8月30日 酒匂川
ツさんが話していた酒匂川の鮎がいかなるものか、見に行くしかない。
新松田に降りたが、朝飯は立ち食いそばで間に合うとしても、氷があるのかなあ。幸いあったが、板氷はなし。少し川の方へ歩いていくとコンビニがあったから、次回から、そこで板氷は準備できることがわかった。
由緒ある神社の前を歩くのは何年ぶりかなあ。二昔近く前のことではないかなあ。
湖産放流全盛時代の平成の世が始まった頃、ヒゲだるま君は、竹藪に通っていた。酒匂川といえば、竹藪しか知らなかったのではないかなあ。それほど、竹藪は良き淵・瀞と瀬が一体となっていた住環境抜群の住宅地であった。
それにつぐ住環境が、新栄倉庫上流の瀬ではなかったかなあ。
なお、竹藪のところの淵と瀬は、護岸工事の時に川にもブルをいれ平らにしてしまい、今は存在しません。河川管理者の建設省は、水が生き生きと流れる状態は成敗すべし、と考えられているようで。
新栄倉庫下流へ。あららあ、水深10センチほど、拳大の石は詰まっているが。石は綺麗に磨かれているが。
このチャラをどのように釣ればよいのかなあ。
チャラ松さんはどのように? ドラえもんおじさんは、どこにオトリを入れて竿先を効かせた操作をされるのかなあ。テク3は上飛ばしに徹するのかなあ。
オトリが泳げなくなったらお仕舞いかも。
「ボウズ男」に番茶も出花娘が。
吹き下ろしの風であるから、オバセが効いて助かるなあ、と思っていたが、抜くときは困った。幸い取り込めたが。
午前、7匹。
釣り人がいるのは、新栄倉庫の上流と、新旧十文字橋の間。オラのいるドチャラは最後は1人ぼっちに。そんなに魅力のない場所かなあ。
囮屋さんにペットボトルをとりに行っただけで、握りを食べることも、麦酒を飲むこともなく、釣りに精を出しました。
新十文字橋の下に行った。
瀬がある。頭大の石がある。とはいえ、オラでも安全に根掛かりを外しに行ける貧弱な瀬。
こつんと感じた。オトリを引き戻すと、6.5号のハリがすっぽ抜けている。今年買った針やでえ、酒匂川の鮎であって大井川の鮎ではないでエエ、販売者責任をとれえ、大井川や狩野川へのアッシー君になれえ。
「お客さんわかりました。そういたします。証拠を提出してください。ない?それじゃあ、責任の取りようがございませんねえ。どうでしょう、この針を買えば、乙女もだっこできますよ。」と、いつものように三途の川の渡船料までむしり取られるのが落ちか。
7号のハリを使う。このハリは10月11月の狩野川で主役になって貰う針であるから、酒匂川では使いたくないなあ。
そして、番茶も出花娘と乙女が釣れた。こんどは風が弱まっていたから、取り込みに苦労することはなかった。それに、狩野川用の水中糸を0.2号から0.3号に代えていたから、1歩も動かずに抜くことができた。
まだ1時半であるが、また風が強くなってきた。午前よりも強い。やめるしかなし。
ということで、9匹。風がなければ、つ抜けをした、と、日記には書いておこう。なお、乙女は22才。
さて、釣れたあゆみちゃんの氏素性であるが、海産畜養ではないか。遡上鮎が混じっているか、どうか、観察しなかった。
少なくとも、釣れたアユには継代人工はいない。
ということは、酒匂川は、海産畜養が放流ものの主役ということではないのかなあ。
そして、海産畜養には、東北・日本海側の稚鮎の海産畜養あるいは、それを親としたF1が混じっているのではないかなあ。
ということは、相模川や中津川の継代人工を相手にしなくてもすむようになる、ということかも。
かっての湖産放流全盛時代においても、酒匂川は、高い等級の湖産を買い付けていたとのこと。当然、その高い等級、高価な「湖産」には継代人工や、昭和55年頃までには海産畜養のブレンドもされておらず、相模川とは大違いであった。
湖産放流全盛時代が、冷水病で終焉すると、継代人工の時代となった。継代人工を釣るために酒匂川に来なくても相模川で十分。それに、砂利まみれの川になり、石のあるところはわずか。砂利止めブロックの間とか、護岸のブロック附近とか。
今日釣れたアユは、番茶も出花娘と女子高生が半々くらい。酒匂川が、継代人工にさようならをして、海産畜養こんにちは、という方針に変えたのであれば、また、年券を買うことになるなあ。かっては、県内共通年券があり、便利で、安くすんだが。
花火の火振りと同じ効果で、チャラから避難したと考えても、一体どこに避難したのかなあ。避難場所となるような瀞、淵はないし。石は磨かれているし。
富士道橋附近がどうなっているかも見に行くしかないか。
ツさんがいうほど、酒匂川の鮎の馬力が強いとは思わなかったのは、大井川の遡上鮎、9月、10月の乙女や番茶も出花娘の馬力に翻弄されているからか。
9月1日 相模川
迷人見習いから、狩野川へのお誘いがあった。ところが、タクシーが1時間経っても来ない。5時は交代時間であるから台数が少なくなるので、その時間よりも30分前に電話したのに。そして、これまでは遅くても10分、20分ほどでやって来るのに。大幅な人員削減をしたのかなあ。
ということで、迷人見習いのお誘いを断るしかなくなった。
土曜、日曜の酒匂川は、混んでいるでしょうから、相模川でボウズ記録の更新をするしかないなあ。
鮎バックが重いから、高田橋へ。
昨日、橋から見た石は汚かったのに、チャラ状のところの石は綺麗。出鮎、差しアユがあるということでしょう。
当然、ボウズ。おじゃま虫だけは温かく迎えてくれた。
お馴染みさんは5匹とのこと。高田橋ではトップクラスでは。
お馴染みさんは夕方入れ掛かりになる、と。そして、丼にも。
ということは堰下のドン深や橋下流の瀞からお食事にやってくる鮎が大勢いるということでしょう。
水管橋のところで、40匹との話もあるから、釣りの対象は継代人工になった、ということでは。昭和橋のコロガシでも、8月にはいると中高生は減り、継代人工の成魚放流であろうと思われる均等の大きさが主流になったとのこと。
そして、その継代人工がやってくるのは午後。午前はあんまり釣れない、と。
という状況ではボウズ街道が終点になることはないでしょう。
9月6日 酒匂川
5日の雨は、酒匂川上流には降っていない。松田の水位計が一時10センチほど増水していた程度。
アカ飛びなし、濁りなし。
新十文字橋下の波立ちが空いている。乙女には7.5号のハリが似合う、と思い、7.5号のハリを使うが、蹴られ与三郎。
ツさんは目印を吹っ飛ばすあたり、といっていたが、前回そのようなあたりはなかったなあ。何らかの条件の時にそのような強いあたりがあるのか、それとも、目印がどこにいったか判らないようなあたりではない、ということかなあ。
迷人見習いは、狩野川の鮎のあたりが強くなったから、針の形状にこだわらなくても良くなった、と話していたが、酒匂川では針の大きさにこだわらないと、蹴られ与三郎になるということかなあ。
ツさんが6号のハリを使っているのも、乙女はだっこしなくても良い、という考えからかなあ。
ということで、蹴られて、おじゃま虫に可愛がられて、オトリは弱る一方。
我慢できず、6.5号の針に替えるも、すでに遅し。
囮の追加買いをする気も起こらず、竿を畳む。
そして、川音川合流点付近がどうなったのか、見に行く。途中、十文字橋から見える一抱えある石にアユの姿ない。拳大の石の食料しか食べないのかなあ。そんなことはない。石は綺麗に磨かれている。どこにいるのかなあ。
ありゃあ、流れがすっかり変わってしまい、左岸側に分流があるだけで、本流は右岸寄りに。
合流点付近が砂利まみれになったときでも、足柄大橋右岸への流れは石があったのに、チャラになってしまっている。
湖産放流全盛時代は終わり、砂利がどんどんふえていた頃、ここが本部となる大会が行われていた。その大会は、生ビールが飲めるからうれしかったなあ。
ある年、新栄倉庫付近に入って、そこそこの継代人工が釣れたことがあったなあ。
藤棚の下のベンチで麦酒を飲み、薬を飲んで帰りました。
9月7日 中津川
ボウズ街道まっしぐらは当確と思って、クーラーなし。
角田大橋上流のニセアカシヤの木があったあたりが空いていた。はっちゃんが釣れるという場所。釣れないのは腕が悪いから、と思いながら1つ上の棚にオトリを入れる。釣れました。
はっちゃんが竿を貸せ、と。すぐに釣れました。そして、7.5−8メートルの竿の操作性、調子等に感心していた。その竿を使って、ボウズ街道まっしぐらとは、これ如何に。
オラの下流側のよねさんは午前中ボウズ。にもかかわらず、午後には3時前に18匹になっていた。
釣れる空間は小さい、狭い、ということかなあ。それにしても、1匹のオトリを数時間も働かせることができるとはすごいなあ、と思っていたら、背バリを使っていた。かってのよねさんは、オモリを使っても、背バリを使うことはなかったのではないかなあ。
久しぶりに昼麦酒を飲んだし、はっちゃんが釣ったものはオラのもの、ということで7匹も舟に入っているから、根掛かりを外しに行くときに怖い思いをしなくてもよい瀬肩でしばし竿をだす。1匹釣れた。もう満足。またもや麦酒タイム。
こんな贅沢な釣りはありがたいなあ。下顎側線孔数4対左右対称であるが、海産畜養でしょう。坂本の堰を、崖:斜面をスイスイと登り、あるいは、堰下でぴょんぽこぴょんぽこ跳ねる稚鮎が今年は見えなかったから、中津川への遡上はないと思ってよいのではないかなあ。3ヵ所の魚道を修繕した2011年?には、坂本の堰をひょいひょいと上り、ピョコピョコと飛び跳ねる稚鮎がいたが。
大きさは女子高生。いつ放流されたものかなあ。
はっちゃんは、酒匂川の鮎のあたりが強くない、と。そのあたりでも蹴られない針を巻いていた。当然、おねだりをして貰う。ヤナギも。
はじめに蹴られないで数匹のあゆみちゃんが釣れたなら、その後は蹴られてもやりくりがつくから大漁になるかも。なによりも、ボウズよさようなら、となることができますから、ありがたや。
9月12日 大井川
鮎はいるの?
11日、はっちゃんから貰った針の「蹴られない」効果を試すため、酒匂川に行くつもり。しかし、天気予報は外れて雨。中津のニセアカシアがあった附近に海産畜養が、またたまっているのか、検証することに予定変更。
なお、そこで釣れたアユは、白子を持っているから、「絶対に」遡上鮎ではない。遡上鮎が、房総以西の遡上鮎が、9月上旬に性成熟が始まることは「絶対に」ない。
川那部先生が、「絶対に」という表現を使う説は信頼性に欠けると書かれているが、それでも「絶対に」9月上旬に房総以西の太平洋側の遡上鮎の性成熟が始まることはない。故松沢さんがあゆみちゃんの性成熟にも早熟もあれば奥手もある、と話されていたが、9月上旬に性成熟が始まる「早熟」あゆみちゃんはいない。
オラも誤解していたが、東北・日本海側の海産畜養、あるいはそれを親としたF1は、大きくなるものだけが放流されていると思っていたが、女子高生レベルにしか大きくならないものも放流されているということのよう。
「鮎・山女魚・キジさんに会いたくて」のホトトギスさんが、9月7日に塩郷堰堤上流で釣った鮎に白子が入っていたと書かれているように、東北・日本海側の海産畜養またはそれを親としたF1では当然の性成熟でしょう。
ということで、中津に行くには、高校生が登校してからのバスでないと鮎バックが邪魔者になる、と。次のバスを待っているときにテク2から電話が。
良かった、雨が降っていたから、テク2に置いてけぼりを食わなくてすんだ。
藁科から千頭へ。
コンビニがないため、千頭でパンを買い、朝と昼に食べることにする。
オトリは、テク2が相模川で釣っていてくれたものが、2個の友缶に元気で生きている。
まず、鉄橋と橋が並んでいるところへ。
テク2は下流へ。オラは車を止めた附近でオトリを出し、うんともすんとも言わないから、青い鳥を求めて上流へ歩いていく。
酒匂川の拳大よりも小さい石のチャラ。あゆみちゃんは跳ねていて、泳いでいるのが見えて、あとからやってきた人が釣れてはいたが。
テク2は、石の色が悪いから、と、さっさと竿を畳んで、オラを捜していた。
ハミ跡があるものの、テク2は輝いていないから古い、と。
崎平?へ。
そこでも鮎の気配がする石がない、と。
囮屋さんを捜しながら、勝手知ったる昭和橋上流の右岸崖への瀬に。
テク2はすぐに掛けたが、即死。追って掛かったものではない。石の色も輝いていない。オラは、先客の2人が釣っていたから瀬肩上流でも釣れるものと思っていたが、うんともすんとも言わない。
もう、鮎はいないんかあ。平口さんとこで、囮を買い、七曲がりへ。
発電所廃屋前の瀬は釣れず。七曲がり出口の瀬の石はオラが見てもババッチイ。鮎がいる気配なし。
オラは、その上流の、かってあゆみちゃんたちがいたおうちが砂利に埋まり、そこに辛うじて石がのかったところへオトリを入れる。番茶も出花娘をだっこした。
しかし、長居をする場所には見えない。
発電所廃屋前の瀬尻が、右岸から左岸へと流れる瀬落ち上に袋があり、石は綺麗が。
瀬落ちから立て岩盤と大きい石があり、あゆみちゃんがいるように見えるが。
左岸から右岸への瀬へと、流れ流れてたどり着く。
テク2は、唯一石が並んでおり、また、流れが右岸側に寄っているところの右岸ヘチへオトリを入れた。3匹釣れた。いつものテク2の面目躍如、と思われたが。
時は3時を過ぎている。
また掛かった。
テク2は、下りながら取りこもうとする。
オトリが鼻環からトンズラしている。そして、掛かり鮎も身切れをしてはいさよおなら、と。
変則丼でテク2もあきらめた。
テク2のオトリが飛んだことがもう1回ある。盆の時、今朝入ったところにある貧弱な分流で取りこんだが、オトリが鼻環から外れていた。しばらくして、底に沈んで、身をぴくぴくさせている鮎を見つけた。それが囮。脳震とうをおこさせるほど強いあたりがあるということ。
変則丼でテク2もお疲れです。
囮屋さんに行って、鮎がいない、遡上が少ない、というと、そんなことはない、放流はそれほど多くない、と。
しかし、何か変ですねえ。
テク2は、かっての大井川の遡上鮎の背鰭には、まるい玉のように見えるものがついていた、と。
数年前まで塩郷堰堤下流の新大井川漁協管轄の本流には放流されていなかったから、遡上鮎しかいなかった。しかし、背鰭の特徴に記憶はない。学者先生並みの貧弱な観察力ということでしょう。
ただ、もし、遡上鮎が多くいれば、今の時期でも中高生が多く釣れず筈。
もちろん、今年はダム放流による2,3週間の飢饉が発生していないから、番茶も出花娘や乙女が多くなっていることは、理解できるが。
テク2は、2泊をやめ、1泊で帰る、と。
また、今年の大井川は終わりかも、と。
オラは釣れなくても痛くも痒くもないから、あゆみちゃんに冷たくされても、数が減っても、それほど苦に感じないが。
夜、食堂に行くと、駿遠橋下流に入った人が6匹?と。
橋梁工事で流れを変えた駿遠橋下流に鮎が着いているのかなあ。放流ものでは。
今年の大井川には、駿河湾の稚鮎の海産畜養、河口で採捕された稚鮎、東北・日本海側の海産畜養あるいはそれを親としたF1、そして、継代人工が放流されているよう。
そして、遡上鮎がどのくらいいるか、ということになるが、囮屋さんは、川と海の水は伏流することなく繋がっており、遡上できる、遡上量が多い、と話されていたが。
囮屋さんの水槽には塩郷堰堤上流で今日釣れた10匹余りのデカ鮎等が泳いでいるが、テク2の情熱を消し去るには十分の今日のあゆみちゃん事情でした。
1週間前の千頭での60センチ、神座での1メートルの増水で、東北・日本海側の海産畜養またはそれを親としたF1は、「トラックで運ばれてきた鮎」は、仔魚の弁当がなくなる5日あるいは7日の間に、動物プランクトンを食べることができる海に下らなければ死んでしまうが、その海からの距離を知ることができない。
放流地点に近いところのチャラ、ザラ瀬の砂礫層の所で産卵をする。その場所に東北・日本海側の海産畜養あるいはそれを親としたF1は、移動したのではないかなあ。
9月13日 大井川
苦あれば楽あり
桃源郷のテク2
握りも持たず、昼までは頑張りましょう、と、発電所廃屋前の瀬、その下流の左岸立て岩盤のところ等をめざして出掛ける。オラはオトリの再度の追加買い、テク2は昨日釣った2匹を温存している。
テク2は、左岸立て岩盤にオトリを入れるが、ここは昼からの場所とすぐに見切りをつけて上流へ。
左岸崖への落ち込み上流の袋になったチャラで、オラに釣れ、と。
長島ダムがなかった頃、この瀬落ち上は、頭大の石が詰まってザラ瀬になっていた。そこで掛かると、掛かり鮎は沖へ走り、また、瀬落ちに逃げこもうとしていた。そのため、取り込みは遠距離恋愛になることが多かった。キャッチミスに対応するため、川原に立つことに心がけていた。
釣れました。番茶も出花娘が。
テク2が来いと大声を出し、また、手招きをしている。
発電所廃屋の瀬落ちに入ったテク2は、すでに乙女を数匹だっこしている。針は7.5号を使っていたが、はじかれるから8.5号に替えて、ハンマー効果?を狙っていた。
その8.5号でも、掛かり、下り、あるいは上流にすっ飛んでいくときは針のすっぽ抜けを防止するため上流に上り、と、取り込みには細心の注意を払っているのに、オラが見ているときでも数回身切れを起こしていた。
しばらく、オラもテク2の下流側にオトリを入れたが、オラにそなわったあゆみちゃんはいない。というよりも、8号のハリを使っていたものの、乙女が掛かっても、だっこできるかどうか、不安。番茶も出花娘がオラには限界かも。
ということで、オラは七曲がりの瀬肩よりも上流へ。
オラが消えてから、テク2は発電所廃屋前の瀬肩附近に入ったコロガシの人と競うように乙女をだっこしていたとのこと。
あゆみちゃんのおうちがあった附近で番茶も出花娘が釣れた。2匹の番茶も出花娘がだっこできたから満足です。
コロガシの人が七曲がりの瀬に移ってきたが、釣れているようには見えなかったが。
上流に友釣りの人が。垢石翁が、「物置小屋のような大きい石」と表現していた中川根町の石が、地上に残っているすぐ上流に。そこはアカがつき始めたときはいち早くアカが付いていたことがあったなあ。
その場所から動いていないから、釣れているのでは。
下っていくと、テク2は、今日の主釣り場にする予定であった左岸崖への瀬落ち下流に入っている。崖の岩盤とその付近にころがっている大石の間等にオトリを入れたりして数匹釣りあげている。
笹間度鉄橋を汽車が通った。
腹が減ったなあ。囮屋さんに行き、そばを食べよう、となった。
氷水にどばっと入れて絞めたテク2のあゆみちゃんは、20匹以上ではないか。ほとんどが乙女ではないか。
そして、最大の乙女は27才。
当然、東北・日本海側の海産畜養またはそれを親としたF1でしょう。
大井川に遡上してきたいかい鮎で、25センチ級が釣れるのは、10月下旬。沢筋に井川ダムの濁りを嫌い逃げこんで、居心地が良いためそこで生活していたあゆみちゃんが、下りのために本流に出てきたときでしょう。
寿司屋さんは、家山の村祭り・八幡様の祭りの頃に、10月15日頃に、駿遠橋附近でもいかいアユが釣れるようになったと話されていた。当然、塩郷堰堤のない頃の話ですが。
囮屋さんに行き、稲庭うどんを注文。
オラは小母さんが漬けた漬け物、らっきょをつまみにまずは麦酒を。
その稲庭うどんの量の多いこと。テク2は普通の量を想定していて、握りも頼んだ。
「大?小?」と聞かれて、「中」と返事していた。
その握りの大きいこと。
それでも全部平らげていたから、熱中症?で、胃袋を痛めた、とは想像できませんが。
かって、囮屋さんには、11月でも遡上鮎は川にいて、釣れるから、11月もオトリを置いて、と頼んだが、元売りにオトリがないよ、と。
そう、11月に大井川に行くときは、藁科でオトリを調達していたが。新東名ができて、便利になったが。
20世紀には10月1日頃には1軒しかオトリを置いていなかった。そこでもたいした量を置いていなかったから、明日行くからオトリを置いておいて、と電話をしていったのに、「売り切れた」と。しばらくはその囮屋を利用するしかなかったが、平口さんが囮屋さんをやってくれて助かった。そして、10月末までは置いて、と、電話でごり押しをしていた。
さて、15日には中津川ご一行を大井川に案内することになっているが、台風でだめでしょうなあ。
遡上鮎であれば、ダム放流があっても、ヘチさえあれば流されることも、また性成熟をしていないから下りの行動をすることもない。
そうすると、どのくらいの遡上量があったのか、検証できる。
10月1日頃にはアカがついているのではないかなあ。そして、飢饉で落ちた体力を回復するのに1週間ほど。
そして、ダム放流後は、「放流もの」は消えているでしょう。放流ものの「デカ鮎」も。
どこが釣り場になるのかなあ。楽しみですねえ。
ということで、テク2にもう1日泊まる?と聞くと、台風が来るのはわかっているが、体力が持たん、仕事をいれた、と。
テク2もそれ相応のお歳をとっているということのよう。
それにしても乙女を20匹ほど、いや、20匹以上だっこすれば、疲れますよねえ。しかも半日で、ですよ。それに、明日の釣り場を捜すだけでも大変か。翌日にはまだ縄張りを作るほどにはなっていないよう。
テク2は、昨日、発電所廃屋前の瀬の石を見て、明日には釣れるようになるのでは、と、秘かに狙っていたとのこと。同じ理由で、昨日、変則丼をしたところは鮎が着いていなかろうと、始めから釣り場の対象外にしていた。
この先読みを含む川見の能力が、乙女の大漁だっこになったのでしょう。
継代人工のたまり場であるトロ瀬を釣っているだけでは、川見の腕では上がりませんよ、サボリーマン諸君。
9月20日 中津川
先日、山女魚キラーさんに会った。
今年、高田橋右岸での解禁日は2束。山女魚キラーさんは、小学生、幼児の遡上鮎と放流ものの識別を体色で行っているとのこと。そのとき、遡上鮎と海産畜養の区別ができるのか、どうか、疑問はあるが。
その結果は、「遡上鮎」の体色は3分の1もなかったとのこと。遡上量が多いとおっしゃる方々もいらっしゃるようであるが、決して多くない。
もし、遡上量が多ければ、山女魚キラーさんやドブさんは4束が常識。
山女魚キラーさんとドブさんがはじめて話をされたのは、お互いによく釣るなあ、と気づいていたが、会ってからしばらくたって、加賀バリを使っている人がいるとの風聞が入ってきてからとのこと。
始めは気持ちよく、間に入ってもよいといっていた早朝組であったが、この2人は間に入れるな、とのお達しが広まるまでには時間がかからなかったとのこと。
毛鉤の選択だけでなく、流れを読むことも大事とのこと。それがあってか、ドブさんと同じ毛鉤を使う人でも、1本バリのドブさんに大差をつけられていたということかなあ。
ことしの3月1日、山女魚キラーさんは、見るだけといっていたのに、餌釣りの人が釣れないから、とお休みしたとき、そこに入ってもよいか、と断って入った。
フライで放流直後の山女魚をバカスカ釣り上げて周りの人々をびっくりさせていたとのこと。
何で、フライの方がよく釣れるんじゃあ。
萬サ翁は、アマゴはだまくらかいて釣る、と話されているが、毛鉤よりも、餌の方が釣れるんでは。餌よりも毛鉤の方がだまくらかす能力が高いとは、なんでじゃあ。
山女魚キラーさんは、大井川で出合った人と同じで、枝が張りだしている渓を釣るときは、テンカラよりもアンダースローのできるフライの方が使い勝手がよい、と。
山女魚キラーさんは、数年前にドブさんが釣りのできない身体になった、と。
ドブさんは、お父さんが朝鮮に漆がある、ということで、輪島から朝鮮に移り、何棟かの工場を建てた。したがって、社長様のお坊ちゃまであった。
近くの川でどのような遊びをしたのか、どのような魚がいたのか、聞いたが忘れた。
敗戦の時、引き揚げ港になっている釜山へ懇意にしていた漁師のポンポン船で向かった。10分走ると停まるような舟であったが、陸路を釜山に向かった人達よりははるかに楽であった、と。そのとき、お坊ちゃまは8才だったかな。
解禁前、ドブさんと山女魚キラーさんは、ファミレスで毛鉤を広げて作戦?会議をしていたが、その情景はもう見ることができない。
宮が瀬ダムの放流はなかった。
とはいえ、宮が瀬ダムの表面水が澄んでいても、副ダムが真黄色ということがある。副ダムと本ダムはどのような関係にあるのかなあ。
17日、よねさんがニセアカシアの木があった付近で20匹ほど釣っている。前回、そこで釣れたアユは、東北・日本海側の海産畜養かそれを親としたF1で、下顎側線孔数4対左右対称、そして腹子を持っていた。
そのタナ以外は釣れていなかったが、海産畜養を惹きつけるどんな住環境の魅力があるのかなあ。そして、どこから補給されているのかなあ。
ニセアカシアの木があった附近は先客あり。
橋上流の放流地点付近も先客あり。ということで、その中間附近の瀬に入る。
中学生が釣れた。酒匂川でも中学生は混じらなかったのではないかなあ。
高校生2匹を追加。
2時間以上働いたから、足慣らしにはなったでしょう。
3匹とも、下顎側線孔数は4対左右対称ではない。そして、オトリに使っている間にさびが出た。
ということは、10月はじめ頃に産卵させた人工種苗ということでしょう。
県産の30ウン代目まで生産されていた継代人工種苗の生産は止めたはずであるから、どこの継代人工種苗を放流したのかなあ。
まあ、相模川と違い、ボウズでなかったからありがたいということかなあ。せめて、海産畜養であれば、ありがたいが。
9月21日 中津川
昨日がお彼岸であることに気がつかなかった。昼のバスは、お墓参りをした人達で満員に。この状況で鮎バックを担いでいくことは、邪魔者になる。ということで、相模川スタイルで、クーラーなし、バックにウエーダーを入れて舟と竿を手に持っていく。当然、今日もオトリは1匹。
新平山橋下流の海底との間が空いているはず。
角田大橋上流の継代人工と海産畜養の「すみ分け」の場所が何処かも気になるが、今日は混むでしょう。
先客は1人だけ。平瀬状のところにオトリを入れるとすぐに中学生。
石は泥がこびりついている。瀬の石であればそのような石ではないかも、と、瀬にオトリを入れるが音沙汰なし。
それで、平瀬状の、鏡に近いところへと釣り上る。そこは泥がこびりついている石はない。むしろアカが飛んでいるような感じがする。
また、中学生。そして高校生も。
3匹の下顎側線孔数は、4対左右対称ではない。いつ頃放流された継代人工かなあ。
新平山橋の瀬に入っていた人も下ってきた。新規に1人やってきたが、空いていますなあ。3時間は働いたから、麦酒の時間ですよお。
ドラえもんおじさんがやってきて、こういう状況の時は、ヘチを釣れ、と。石頭だけではなく石の底部分のコケがなめられているから、釣り場になる、と話されて帰っていったとのこと。
石の底部分をなめている、との話は故松沢さんもされていて、石頭だけのハミ跡だけを見るな、と。
さて、困ったなあ。
狩野川は雲金付近から上流しか遡上鮎の一番上り、二番上りはいないようで、青木の瀬、松下の瀬で途中下車したあゆみちゃんは僅少のよう。
電車通勤はできないしなあ。アッシー君が欲しいなあ。
当分、相模川の濁りはとれないでしょうから、狩野川に行くしかにのでは。お百姓さん、くぼちゃあん。
9月23日 中津川
角田大橋上流は混んでいるでしょうなあ。壊れ橋上流がどんな状況か、見に行きましょう。ということで、舟をぶら下げて橋から見ると、橋上流は人影なし。壊れ橋上流には車が並んでいる。川見同様、釣り人の行動予測もヘボですなあ。
口掛かりぽっちゃんのみ。
ヘチに石が転がっていて歩きにくい。水中のあんよの練習をしていたが、転んだ。幸い、煙草はぬれず。
周りで釣れている人はいるのかなあ。去っていく人はいるが。
石が新平山橋下流で見た泥がこびりついた状態。コケを食する鮎が薄く、何層にもコケが着いていて、はがれ落ちる前の状態の時に泥がついたということかなあ。
囮屋さんで、茹で落花生で麦酒を飲み、沢庵の古漬けを貰いました。大井川ではらっきょうを貰い、あゆみちゃんに嫌われてもつまみを貰えてありがたいなあ。
オさんが渋滞を覚悟の上で、中津川を見捨てて狩野川に行っている状況であるから、オラが釣れなくても恥ずかしくない。
その狩野川上流に、昨日は、師匠が前日に30台を釣ったところに入り、釣れない、と泣きべそを掻いていた迷人見習いからお電話が。
泣きべそを掻いていたのに、午後から釣れて20ほどとのこと。これだから今年の迷人見習いの腕を軽んじたら泣きべそを掻くことになりますよねえ。
迷人見習いからお百姓様への伝言です。それは、もう2度と負けることはない、とのことです。そういわれて黙っているのは癪ですよねえ。狩野川に、大井川に行きましょうよお。
今日の迷人見習いは、数匹釣って、風が強いかあやめたとのこと。そのとき、撮影が行われていて、その被写体が釣れず、恨めしそうに睨みつけられたとのこと。
罪なことをしますなあ。みんなが釣れないのであれば、名だたる被写体も言い訳ができるものを。
丼大王(「意見・感想」の「9月10日」にリンクしょうとしたができず)が、3月の骨折から7月には川に入れるはずと予想していたのに、9月が解禁日。
その状況からも、松下の瀬で途中下車をした1番上り、2番上りはいないか、僅少と見てよいのでは。番茶も出花娘は継代人工か海産畜養ではないかなあ。
まあ、西風が吹き荒れる頃・木枯らし一番が吹いて、遡上鮎がそわそわし出して下りが始まる前に狩野川の様子を見に行くしかないなあ。
9月27日 酒匂川
前回、富水に降りたのは一昔以上前のこと。
湖産放流全盛時代に黄昏が訪れ、酒匂川にも継代人工が放流され始めた頃の10月。平成5,6年頃ではないかなあ。
土手の囮屋さんは、9月20日頃には店を閉め、10月になってもオトリを置いているのは1軒か2軒。
その1軒の囮屋さんと、10月のひろおい、ひろおい河原に2人だけで竿をだしていた。富士道橋にあった瀬で、囮屋さんが瀬に、オラがその上流の瀬肩附近に。
オラに釣れたのは錆びた湖産、半分はたいた湖産。囮屋さんは、継代人工で番茶も出花娘。この年以降も時折、酒匂川の様子を見に行くことはあっても、松田地区が多かった。
ということで、1昔と何年ぶりかで富水に降りた。
駅から見える工場の社名が変わっている。
川へと向かって歩いていくと、宿がなくなっている。大会前日、橋架け替えの時になくなったという鬼怒川亭で一緒になったことのある2人連れの人が、酒匂川での大会の時に泊まっていた宿。
そのお二人とは、狩野川は殿淵附近での大会前日にも一緒に泊まったこともあったが、21世紀になったからお逢いしたことはなし。
囮屋さんにはお馴染みのご夫婦がご健在。旦那さんは76才とのこと。肺炎になったり、子供の頃のぜんそくが再発して気管支炎になるくらいで、入院することもなく、毎日4キロほど河原を歩き、また畑仕事をされているとのこと。当然、川にも入っているとのこと。
囮屋さんは、今年酒匂川に放流された鮎について、
1 氷魚からの畜養ではなく、川に遡上してきた湖産を採捕して、6月対応用に放流している。
2 相模湾の沖捕り海産を畜養して放流している。
3 愛知県から仕入れた数センチの稚鮎を漁協の池で畜養して放流している。
下顎側線孔数4対左右対称、9月はじめに性成熟が始まっている、デカ鮎にもなっている可能性の鮎で丼の原因者になっている鮎、これらは、東北・日本海側の海産畜養か、それを親としたF1ではないかと考えているが、それが愛知県で育てられているとは、想像もしていなかった。東北・日本海側の養魚場からやって来るものと思っていた。
継代人工も放流されているか、どうか聞き忘れたが、数少ないオラに「そなわった鮎」には、下顎側線孔数4対左右対称が乱れた鮎はいないから、仮に継代人工が放流されているとしても、放流鮎の主役ではないのではないかなあ。
富士道橋上流に入る。
当然残りアカはなく、白川は覚悟の上。アカ付きが始まっているか、どうかという状態の筈。そして、砂利まみれの筈。
先客は、左岸側からヘチ附近を釣り、また、広いチャラかザラ瀬か、というところに入り、左岸側にオトリを入れている。
湖産放流全盛時代の5メートル間隔とは程遠く、広々としているためその人達の間にも入ることはできるが、その人達の最上流の少し下流、砂止めブロックのところにはいる。その最上流の人は10匹以上釣ったのではないかなあ。
かって、石が砂止めブロックの間にしかない、護岸附近のブロックしかアカがない、という時代があり、そのようなところを釣る人がいらっしゃったが。美保ダムができて、あるいはその工事の影響から砂利が急増した頃のこと。
その砂止めブロックが、頭だけを水中に出して砂利で埋まっている。歩きやすいことはありがたいが、石はどこになるのかなあ。
監視員さんは、左岸ヘチ寄りに石はあるが、今回のダム放流あるいは単なる増水でどの程度石があるのか、むつかしい問題、と。
砂止めの左岸側にコンクリートの塊でできた石裏状の筋にオトリを入れるとすぐに下顎側線孔数4対左右対称の番茶も出花娘が。
そこに石はあるのかなあ。いや、コンクリートでもアカがあれば、アユはハム筈。遡上量が多い年のゴールデンウイーク、富士道橋から報徳橋までの護岸、その附近にころがっているブロックが綺麗に磨かれていた。
この番茶も出花娘は、お転婆娘で、立て竿にすると泳ぎまわりストップアンドゴウなんて囮操作は不可能。迷人見習いさん、どうすれば制御できるの?上竿にすれば、鼻環に掛かる力が少し強いと、怒り出すし。困ったなあ。
とはいえ、昼まで1人で働いてくれたから大助かり。
3リットルのクーラーには麦酒なし。
昼からは先客が去っていった広いチャラ、ザラ瀬状のところへ。ここには石はある。アカは付いていない。
女子高生が掛かったが、吹き上げの風が強い。抜くのは楽であるがキャッチミスは間違いなし。ということで引き寄せをしていたが、バレ。
逆バリが切れていない。はっちゃんから貰った蹴られの発生しない針はアカが付いてからのために温存している。
3時前まで働きました。
番茶も出花娘と女子高生が1匹ずつ。ボウズにならなくてありがたいなあ。
蹴られやバレを含めても7匹ほどのアユ。この程度のアユの密度かなあ。
アカ付きがよくなってからもう1度来るしかないなあ。
駅前にできたコンビニに机が置いてあり、そこで麦酒を飲み、煙草を吸って、至福の時間を過ごしました。
9月29日 酒匂川
狩野川にするか、アカが付いていない酒匂川にするか、ちょっぴり悩んだけど、近い酒匂川に。
酒匂川に放流された鮎に、相模湾の稚鮎を畜養した海産畜養がいる、と書いたのは間違いでした。漁協は相模湾の稚鮎を購入していないとのこと。
なお、遡上鮎が多いときは、ローリングダムまで上り、その下に溜まりドブ釣りの対象となっているとのこと。ただ、飯泉の堰の魚道、栢山の堰の魚道の遡上達成率はどのくらいかなあ。
富士道橋上流のチャラへ。前回、番茶も出花娘が釣れたコンクリートの塊の筋にオトリを入れようと思ったが、先客が左岸側から釣っている。その上流の前回釣れていた人のところにオトリを入れるが、空き家かなあ。アカが付いていないから補充されることもないということかなあ。
下流の広いチャラへと動き、午前、あっちこっちで下顎側線孔数左右対称の女子高生が3匹。
前回の番茶も出花娘の卵巣は少し大きく、女子高生のはそれほど成熟していなかった。女子高生は遡上鮎かなあ。
昼、お休みの2人は、ワカサギサイズしか釣れず、オラが竿頭、と話された。それほど釣れていないのかなあ。
昼が過ぎると、オラが入っていた界隈には3人しか残らず。
ワカサギサイズさんは、富士道橋下流のトロへ。そのほか、漁協前の分流に移った人も。前回、報徳橋下流の瀬尻に入った人は早々に去っていたが、今日は数人が長居をしている。川の砂利を取ったとき、混入していた石をそのところに戻したとのこと。
その石が、ダム放流で埋まらず、残りアカをつけているのかなあ。富士道橋下流瀞も同じ状況かなあ。
鮎沢川に流れ込む富士山の火山灰は、流入を阻止できたよう。ただ、今回の大雨は1メートルほどの増水にしかならなかったかも知れないから、雨量が多くなっても流入を阻止できるのかどうか。
赤橋までの距離が短い、と感じていたが、その上流に新しい橋ができていた。その橋のところにも釣り場があるとのことであるが、どの程度石が残っているのか、わからないとのこと。
アカが付いている石はほんのわずか。薄い薄いアカが。石よりもアカが多いのは護岸のコンクリート。ハミ跡もある。「ころがらなかった」ところだけ残りアカがあるということかなあ。
まあ、食糧がないのに、3匹も釣れたから、麦酒を飲んで感謝をしましょう。
駅前のコンビニに机が置かれているということは、そこで麦酒を飲む習慣になり、早上がりの誘惑が強くなりますなあ。困りましたなあ。
10月3日 酒匂川
9月15日の増水で白川になり、まだアカが付いていないことは承知の上で、またもや富士道橋へ。
増水で転がらなかったところに残りアカがあるかも。そして、残りアカがあれば、新アカの付きも早いかも。
そうすると、砂止めブロックの端に転がっているコンクリートの塊のあたりがねらい目、と。ところがそこに立ち込んでいる人が。
仕方ないから、分流へ。
分流がさらに分流に分かれている。石は、新十文字橋上流のドチャラよりも大きさの変化に富んでいるが、似た環境。これじゃあ、どこにオトリを入れればよいのかわからん。左岸護岸際の分流の「分流」を見に行く気にならず。両方の分流とも、何人かの釣り人あり。
富士道橋の下流へ。
瀞は近いと思ったが、ブロックが勾配のある瀬に転がっていて立派な白波の立っている瀬から相当下流になる。歩きたくないから、瀬肩へ。上流側の人は時折釣れているよう。
橋の真下の人も掛かって橋桁に竿をぶつけないように下り取りこんでいる。オラだけが釣れない。
結果は、下顎側線孔数4対左右対称の女子高生。
そのほかは、引っかけタイプの自動ハリス止めに2回ハリスを巻いているのにハリスのすっぽ抜け。そして番茶も出花娘のぽっちゃん。
これじゃあ、やる気よりも麦酒気になりますなあ。
前回は釣り人が減っていった広いチャラの人気が高い。分流の人は減っていった。
昼、広いチャラの2人が4匹ずつ釣りあげていた。
その1人は、昼上がりでツ抜け。
しかし、広いチャラのみなさん全員がハッピーではないよう。ツ抜けさんからオトリをもらっている人もいらっしゃった。
何で、前回と釣れている場所が変わったのかなあ。食糧事情に変化はなし。
報徳橋下流の瀬では、砂止めブロックできた溝が釣れているとの話があったが。
酒匂川漁協の義務放流量はどのくらいかなあ。
漁協の池で畜養された量では、義務放流量に及ばないであろうし、それに湖産を加算して義務放流量に達するのかなあ。
もし、それで、義務放流量に達しないとき、いかなる氏素性の成魚放流が行われているのかなあ。
すでに、放流ものの産卵が行われているとのこと。そうすると、アカが付いたとき、瀬に入るのは遡上鮎だけとなり、どの程度の遡上量があるのか、少しは見当がつくことになるが。
飯泉の堰の魚道に張られた?ステンレス?を磨いて遡上量調査を行い、その量によって放流量を変えているとの話であるが。
来週、もう一度、酒匂川にやってくるのか、舟に入る砂が嫌で来る気が起こらないのか、どっちになるのかなあ。
9月29日、丼大王と大宮人は神島橋へ。
3年前から神島橋は、放流ものの「聖地」になっているがなんでかなあ。放流地点とどのような関係にあるのかなあ。
そして、そこにたむろしている放流ものの氏素性は3年とも同じかなあ。違うのかなあ。
29日に丼大王が釣った自称28才、物差しでは26才は、継代人工ではないかと思われる容姿に見えるが。
大宮人はオラよりも若いと思っていたが、練馬人までオラよりも若い、二才若いとは癪じゃあ。しかもどっこも悪くないとはなお癪じゃあ。
「藁科川の鮎釣り」のよしよしさんが、先日狩野川は松ヶ瀬で釣った鮎をオトリにしていると、黒く錆びたとのこと。
当然、放流ものでしょう。
迷人見習いが、6月の狩野川の雲金より上流にチビがいっぱいいる、と話していたが、それらは、遡上鮎ではなく、放流ものではないかなあ。
昭和21年から+α年までは、一番上り、二番上りは大仁付近で途中下車するものが多かったかも。いや、湯ヶ島地区よりはその量が少なかったから、大きく育つことができたのかも。
しかし、4月中旬頃以降に川に入った稚鮎は、湯ヶ島地区まで上るのは大仁付近で生活をする稚鮎よりははるかに少なかったのではないかなあ。
その点でも、迷人見習いが6月に見た稚鮎の集団は放流ものではないかなあ。
そして、青木の瀬で見る限りでは、今年の狩野川の遡上量は、去年よりは多いとしても、いわれているほどの「大量遡上」ではなく、迷人見習いの毒牙に掛かっているののには放流ものが相当含まれているのではないかなあ。
大井川のアカ付きが、酒匂川並に遅いのはなんでかなあ。
光合成が可能になるほどの透明度にはなっているようであるが。残りアカも崖の附近に転がっているいかい石には少しは残っていると思うが。袋になったところの石には早くアカが付くのでは、と思うが。
10月6日 中津川
舟の中に砂がたまるくらいなら、大したことはないが、ドライタイツの高級な履き物に砂がはいると大変なよう。
まあ、そんな高級な履き物とは無縁であるから、酒匂川でもよいが、中津川の方が楽です。相模川もやっと高田橋に釣り人が、昼過ぎには弁天瀬肩上流にも釣り人が見えた。
コロガシでは、濁りが強かった方がまだ釣れていたが、最近はさっぱりとのこと。品切れかなあ、移動したのかなあ。
壊れ橋附近が釣れているとの話であるが、歩く距離を短くしたい。ということで、角田大橋上流のニセアカシアのあった附近へ。
水量は二トンに減っているし、放流ものは生殖腺が十分に発達しているであろうから、この附近の瀬にいるとは考えにくいが。
しかし、ヘドロがこびりついたような石にハミ跡があるから、まだあゆみちゃんがいるかも知れない。奥手の鮎がいるかも。
今日は沖の石も見える。そこもヘドロ状のものがこびりついている。ダム放流の時、ヘドロも流したのかなあ。
まあ、朝帰りをしたくないから、オトリ君、昼まで1人で働いてや。
半分叩いたかも、と思われる黒くなった高校生の継代人工。下顎側線孔数4対左右対称のまだサビのない高校生、番茶も出花娘も。昼までに5匹。
どのような氏素性の鮎がいるのかなあ。継代人工だけが放流されているのであればわかりやすいが。
10月8日 中津川
ドロ被りの石ではなあ。とはいえ、出掛けるのもしんどいなあ。そして、歩くのもしんどいなあ。となると角田大橋上流のニセアカシアの木があったところとなる。壊れ橋界隈は人気の場所とのことであるが。
このタナに補給される場所はあるのかなあ。
オラは釣り残しをいっぱいしているが、はっちゃんやよねさんらは、釣り残すことは男の恥じゃあ、と、綺麗さっぱりあゆみちゃんのいない場所にしているが、そのような御仁が入っていないでしょうなあ。
番茶も出花娘の下顎側線孔数4対左右対称のメスが。これでボウズはなし。
このオトリにすぐに、半分叩いたような、ニキビ面の継代人工のオスが。
おまんの気持ちはよおくわかるが、まだ真昼間でっせえ。時と場所を考えろ。
さ、働け、というとオスにしては珍しくよく泳いでくれますなあ。
オスを連れてきたと思ったら、ハヤ。
ハヤのいるところにあゆみちゃんはいないですよねえ。
また、番茶も出花娘に働いて貰う。
せっかく釣れたとはいえ、毎度お馴染みのおじゃま虫。味噌汁の具にすると食べ応えがある大きなやつ。
ドロ被りの石で、おじゃま虫に恋路を邪魔されるということは、麦酒の時間ですなあ。麦酒を飲んで失恋の痛手を癒さないと。
しかし、まだ10時過ぎ。朝酒は肝臓に悪いよなあ。ということで、正午のチャイムが鳴るまで頑張りました。番茶も出花娘も、水中バレ、蹴られにもめげず働いてくれました。
囮屋さんに戻ると、よねさんがきていた。
午後も働け、とおっしゃいますがねえ、9時から3時間も働いたんですよ。もう、限界です。
よねさんが昼から釣るとは、どういう風の吹き回しかなあ。
気温は30度ほど。水を持っていかなかったから、喉はからから。麦酒は旨いなあ。
10月10日 中津川
ドロ被りの石では、「石を釣れ」といっても意味ないでしょうし。それにどの程度の鮎が残っているのか、わからないし。とはいえ、大井川のアカ付きが遅いとなれば、やむをえんか。
ニセアカシアのところへ。
まだ残り物がいるかどうか、心もとないが、歩きたくないからなあ。
逆光でさっぱり見えない。対岸の葦に糸を引っかけてしまった。オトリも葦に絡んだ。それでも、オトリ君が過労死しなかったから、釣りを続けたが。
オトリが流れていく。おじゃま虫かなあ、と取り込もうとすると、口掛かりのぽっちゃん。帰ろうかなあ、と思っているところに、よねさんが重役出勤。
平山橋にいくと。
やむを得ん、平山橋界隈に様子を見に行くか。
よねさんは新旧平山橋の間に入っている。オラは新平山橋の下流へ。
ドロ被りのアカがないところは例外で、一面ドロ被りの石。エエ石が入っているのになあ。跳ねる鮎がいるのになあ。
まあ、昼まで我慢しましょう。
我慢した結果、女子高生が。下顎側線孔数は4対左右対称ではない。体長は女子高生であるが、体型は妊婦。
今年の中津川の最後がボウズでなかったから、幸いです。
やっと昼のチャムがなった。
壊れ橋から平山橋附近を見に来た人は二匹、角田大橋上流からきた人は、チビが1匹、と。
壊れ橋界隈も品切れかなあ。
ビ−ルを気持ちよく飲み終えたところに海底(おぞこ)に入った人が上がってきた。番茶も出花娘を主体に15匹ほど。小学生が1匹混ざっているが。
よねさんはどのくらい釣れたのかなあ。
10月12日 相模川
ボウズ街道まっしぐらの相模川は避けたいところであるが、10日に弁天で行われた釣具店対象の竿キャンペーンで、サクラ?いえ、実釣を行ったテク二が大漁であったとのこと。テク二がどこに入ったか、わからないが、鏡のところではないでしょう。波立ちの大きいところでしょう。
どこにはるか、ということよりも切実な問題は、麦酒を持っていくかどうか。麦酒を持っていくことになれば、クーラーを持っていくことになる。そして、ザックではなく、鮎バックを担ぐことになる。
担ぐべきか、担がざるべきか、それが問題だ。
結局、麦酒は現地調達にする。
となれば、高田橋の方が便利ではあるが、人が多いなあ。やむを得ず、弁天へと舟をぶら下げて歩いていく。オトリが1匹であるから、水の入れ替えは不要。ありがたいなあ。
ところが、弁天に着くと、大会以来の大入り満員。
なんでじゃあ。
テク二らの釣果が広まったから?シーズンの終わりまで3日目であるから?
竿泥棒が闊歩しているようであるから、見通しの良いところを捜す。その附近で空いているところにはいるしかないなあ。
テク二はその下流の瀬に入って、サラバ状態のご利益を受けた側面もあるのではないかなあ。その附近に入っている人でもあんまり釣れていませんなあ。
右岸側の人の方が動きやすいようで。オラのトイ面の人は10匹近くは釣れていたかも。オラの下流がの人は、左岸ヘチから囮を出して数匹釣れていた。
どうも、左岸ヘチから竿2,3本分くらい沖のところに高校生のアパートがあるよう。とはいえ、空き家も多いのでは。
中津川の新平山橋下流よりも泥垢のついた石のハミ跡ははるかに多い。石は新平山橋の方が立派であるが。おかげで歩きやすい。
結局、2回蹴られただけで、トボトボと高田橋へと向かう。
すぐ上流にサちゃんがいた。サちゃんは、オラがリハビリやら何やらで通っている整形外科で、椎間板ヘルニアで立っているだけでも痛い、あんよがしびれ、痛く歩くことが困難な状態が注射でおさまった。
その注射は、レントゲン?の画像を見ながら、患部に注射する。痛い痛い注射で、ボデーがぴくんとなったとのこと。オラの椎間板ヘルニアの注射は、かっては椎間板附近に行われていたが、現在は、尾てい骨附近に打つ痛くない注射。
サちゃんは、中学生を釣った。大井川に連れて行って、とおねだりをして分かれた。
高田橋下流にサボリーマンご一行が。
サボMは、皆様がお仕事をされていた9日か10日にこの界隈で12匹釣った余裕か、釣りをせず、写真を撮っていた。
ダム放流前でも、ドブ釣りをするような水深のところで継代人工の大物が釣れていたとのこと。今日は、小さい、と。
サボMをアッシー君にして麦酒を買いに。
そして、皆様が釣っている流れがあるのかないのか、石があるのか、ないのかわからんところでは釣れなかったから、橋すぐ上の今年石が入れられたところへ。
少しは、石を釣れ、瀬を釣れ、の、あゆみちゃんの生活環境らしい残影があるところで高校生5匹。
まあ、こんなに釣れたのは初めてかなあ。
下顎側線孔数4対左右対称もいたが、尻尾の切れ込みが浅い。よって、遡上鮎ではないでしょう。あとの継代人工はどのような氏素性かなあ。
10月13日 相模川
今日も、弁天は混んでいますなあ。昨日よりは少し減ったかなあ。
瀬尻にも一杯入っていますなあ。ダム放流で、石切場上流に流れて避難した鮎がそのまま居ついているということかなあ。
石切場の瀬肩附近ではないかと思うところは横1列に今日も並んでいますなあ。釣れている場所は限られているということかなあ。
まあ、オラは昨日よりも少し瀬に近いところで、のんびりとオトリとたわむれることにしましょう。
瀬の人もあんまり釣れていないなあ。オラのトイ面の人は周りでは一番釣れているように見えるが、昨日のトイ面の人よりは少ないよう。
おじゃま虫にまで見放されて、毎度お馴染みの相模川の鮎を1匹増やして、今年の相模川は終わりです。
明日は、大井川への前日であることから、あんよと肩の骨休めをしましょう。
10月14日 相模川は
お天道様はぴっかぴっかに。
それでも散歩とはなあ。石切場に入ったテク2が3匹ですから、賢明な選択では。
高田橋には田名の主ご一行の10人ほどが入っている。田名の主などは右岸を釣っているが、田名の主の振り子抜きを見ることはなし。そもそも、田名の主が、ヘチからサンダル履きで釣り、あるいは絶対にしたくない立て竿で釣ったりしていたこと自体、遡上鮎がいない、少ないということでしょうなあ。
おかげで、田名の主が軟弱モンのオラの領域まで入ってきたからオラのボウズ街道まっしぐらになったのかも。
弁天はやっと隙間ができました。ことに瀬は広々としている。瀬尻の釣り人も少なくなった。
釣れていない釣り人を見ることは楽ですなあ。
石切場は、大会以来のこと。瀬はおだやかになったなあ。ヤナギ前の鏡を含めてあんまり釣れていないよう。
縦貫道付近は人だかりがしている。瀬はなくなったように見えるが。継代人工が好む住環境になったということかなあ。
イさんが、昨日釣った鮎を置いてあるから竿をだすが、鮎を逃がしてやる日かも、と。イさんと会ったのは今年初めてかなあ。
今年の遡上量が多い、との話があったが、その根拠は、4月下旬に主魚道を大きい稚鮎がいっぱい上ったのを目撃されたから、副魚道の量の倍は遡上したのではないか、ということのよう。
しかし、何で4月下旬に一番上りとなるはずの大きい稚鮎が上ったのかなあ。
もし、相模大堰下流にも海産畜養が放流されている、となれば、それが魚道を上っているにすぎないことになるが。
多分、その現象ではと推測しているが。
世紀の変わり目の頃、寒川の堰下流には一杯でかい鮎がいるから、遡上量は多い、との話が出回っていた。
亡き相模川の主は、それは間違っている、放流された継代人工がダム放流で流されて堰下にたまっているにすぎない、と。
その根拠は、亡き相模川の主のお友達が、シラスウナギを捕っているとき、光の中に入る稚鮎が少なかったから、と。
結果は、遡上量は僅少。
それと同様の現象が4月下旬に相模大堰主魚道で生じたと思うが、どこに、どのような氏素性の鮎を放流したのか、公表されていないのではないかなあ。中津川漁協のH・Pを参考にして考えるしかないようで。
田名の主やテク2にとっては、ダム放流のたびに瀬が貧弱になっていくことの方が大きな問題かなあ。石も頭大の石が詰まっているという状態には程遠い状況になっていく。
大会の時、石切場に入った場所は石は小さい、砂もある、ボウズは当然、と思っていたのに、何匹か釣れた。まあ、継代人工ではそのような住環境の方が身の丈に合っているということかなあ。
迷人見習い君、先日、お百姓さんやくぼちゃんに会ったそうで。
腕を上げた迷人見習い君に、お二人はヘボ呼ばわりされることを覚悟している節もありましたよ。オラは、それほどとは思っていませんよ。いつでも勝負をしますよ。
腕を上げることも大切ですが、師匠のように、鮎の違いがわかる目利きになって下さい。学者先生同様、どんな鮎が川にいるのか、わからない、興味を持たない釣り人が大勢いますが、その仲間にはならないようにしてください。
そして、遡上鮎の生活誌を学んでください。それが、故松沢さんの最後の弟子と自惚れているオラからの遺言ですよ。
故松沢さんは、迷人見習いの師匠の観察眼をすばらしいと評価していましたよ。
大井川にここ数年前から塩郷堰堤下流にも放流がされるようになったとはいえ、まだ遡上鮎が主体の筈。
やっと、アカがつき始めたというのに、台風がやってくる。
長島ダムがなかった頃であれば、笹間度鉄橋上流と七曲がり、鉄橋下流から駿遠橋下流まで、頭大の石がつまり、瀬もザラ瀬も瀞もあった。アカ付きの早いところも。
16日に台風が来るとわかっているから、電車通勤をしてでも出掛けたのに。
現在は、電車通勤をして石が詰まったところに行けるのかどうか不明。
ということで、台風を避けるためには、明日の大井川へのお出かけはなしに。今年の大井川は終わりかも。
11月、12月でも遡上あゆみちゃんはいるが、オトリがない。遡上量が多くはないと思われる狩野川だけになるのかなあ。
台風君よお、南アルプスに大雨をふらさんように頼みまっせえ。
10月21日 大井川
16日の台風は、駿遠橋で50センチの増水。アカ付きが遅いアカを流したとしても部分的では。
20日にアッシー君が掛かったものの、雨の予報でばれてしまった。
16日の台風では、天は吾を見捨てず、であったが、今週やって来る台風がまた吾を見捨てず、となるのかどうかは神のみぞ知る。
せっかく、ダム放流がなかったから、今日、電車通勤をして天のお志に感謝しないと。
相模川から安倍川まで濁り水。興津川が少し濁りが薄く、釣り人もいた。大井川は濁りは当然としても、水量の多いことが気になる。川口発電所から下流で濁っていても、その上流は濁っていない、という状態が大井川では普通の状態。しかし、水量が多いとなると、ダム放流の濁りかも。
不吉な予想は当たった。神尾、福用も濁り水。
昨日、そんなに雨が降ったのかなあ。
かって、朝の5時50分の天気予報で、過去、現在、未来の南アルプスでの雨の情報はなし。気持ちよく、あゆみちゃんと逢い引きを楽しんでいたら、サイレンが。いつもよりもしつこく鳴っている。対岸にやってきた中電のパトカーが盛んにライトを点滅させている。雨が降っていたとしても、長時間の雨ではなかろうから、河原が水没することもあるまい。とりあえず、竿を畳んで様子を見ることにする。しばらくすると濁り水が。
この時ほど、南アルプスの雨こんこんの予報がむつかしい、と実感したことはなし。
昨日、天気予報の雨量状況で時折赤や黄色の表示もあったが、それほどの長い時間ではなかったと思う。それに、長島ダムの貯水率は低い水準では。
ああそれなのにそれなのに。
ゆめはあ むなしくきえてえ
平口さんが早く囮販売を止めたいからいじわるをしたのかなあ。
昨日の雨の中、抜里の人は10匹台とのこと。
川根温泉下流の左岸側と抜里には、石の出たところがあるとのこと。とはいえ、濁りの中で釣りたくはないしなあ。鵜が川根温泉前で何十羽がお食事を楽しんでいるとはいっても、濁りが強すぎるなあ。
平口さんに神座のミカンを貰ったから、クーラーの中はミカンで一杯。
神座のミカンは、昭和30年代か40年代にミカンの過剰生産で木が切られて、お茶に変わったとの話があったが。それでも、まだミカンは作られていて、川根温泉の道の駅や神座の道路沿いで販売されている。
あゆみちゃんがだめでもミカンがあるさ。
温泉に入ると、 朝湯が大好きで の方々で盛況になっている。
しかし、その方々は、何年生まれ?昭和8年。若いなあ。という会話が聞こえてくる。オラはさらに若いことになる。
小原庄助さんとは異なる年齢の方々が朝湯を楽しんでいる。
オラも、温泉に入っているときは、肩の痛みも手のひらのこわばりも消えて、この状態が続いてくれたらなあ、と思えど、注射を打つしかないでしょう。
笹間渡鉄橋近くでちょっと贅沢をしてスーパーで買ったチーズをつまみに酒を飲んでいると、1100ccのバイク青年が、汽車とバイクの写真を撮りたい、と。
大井川鉄道の時刻表を持っていたので、汽車が鉄橋を通る時間を教えた。
バイク青年は、写真を撮ったあと、寸又峡に行くとのこと。
それで、今日はもう1台汽車が通ること、崎平の鉄橋でも写真が撮れることを教えて別れた。
その汽車は、子供たちが「トーマスがきた」と夏に叫んでいた青い機関車ではなかったが。なお、バイク青年は、「トーマス」のことをご存知であった。
雨が降って大井川に出掛けなくても、何年かの間には遡上鮎が多いときに出会える、というアッシー君たちがうらやましいなあ。
今週の台風もあめこんこんを降らせなければ、遡上あゆみちゃんと遊べるんですがねえ。
あゆみちゃん、暗い夜道をよたよたと歩いて、通い夫をしたオラのことを忘れんといて、他の人よりも優しくしてエエ。
10月30日 狩野川
昨日は、雨こんこんで出掛けなかったが、半月も水の中に入らないと、あんよの機能低下が気になりますねえ。一度、低下した機能を戻すのは大変なようで。歳はとりたくないですなあ。
27日に迷人見習いが、狩野川に行っていないということは、アカ付きが悪いのかなあ。
迷人見習いが、師匠から個人授業をされたとき、師匠の真似をして満足のいく数のあゆみちゃんをだっこできた。
これで、終われば、めでたしめでたいとなるが。
師匠は、迷人見習いが入ったところに入り、バカスカ釣って、にやっ、と笑って去っていったとのこと。
そのにやっ、は、迷人見習いの高く伸びた鼻をへし折るには十分の効果がありました。
亡き相模川の主等テクニシャンが、オラが釣っていたあとにやってきて、「場所守ご苦労さん」、と。オラは十分満足できる数のあゆみちゃんをだっこしていたんですよ。 それなのにい それなのにい 亡き相模川の主等のテクニシャンは、オラが釣っていたところにはいって、バカスカ釣りあげるんですよ。
迷人見習いも、腕の違いが実感できた個人教授のようでした。
教訓 名人やテクニシャンの進路妨害をし、あるいは不法侵入をしても、許される。これはヘボの特権である。
逆に、名人やテクニシャンが囮を入れたところでヘボは釣るな。
さて、遡上鮎の下りが始まったのか、始まっていないのか。それが問題だ。
相対的な水温低下が、遡上鮎の下りの条件の1とすると、仮にそれが5度とすると、10月15日以降の状況ではその条件は発生している。
絶対的な水温で、12,3度になることが遡上鮎の下りの条件とすると、今日の青木の瀬の水温は16度であるから、下りの行動を誘発する水温にはなっていないことになる。
故松沢さんや、仁淀川の弥太さんらが、西風が吹き荒れる頃=木枯らし一番の頃から、あゆみちゃんがそわそわして、恋の季節となり、下り等の産卵行動を行うものが出てくる、と。
学者先生の海産鮎が、「10月、11月」に産卵するという「教義」への異端ではあるが。当然オラは、学者先生らに無視されている「異端」が適切な観察、事実と信じているが。
28日の台風ではなく、前線による瞬間的な数十センチの増水前、青木の瀬の自動車道上流のチャラで、マッちゃんら目刺し風の一夜干しに最適な食材である小中学生しか釣れず。
他方、迷人見習いは、上流には大きい鮎がいなくなった、松下の瀬か青木の瀬か不明であるが、そこに師範代がはいって、番茶も出花娘をだっこしていた、と。
もし、迷人見習いの話が適切であるとすれば、そして、それが遡上鮎とすれば、下りが始まっていることになるが。しかし、雲金よりも上流域には、継代人工、駿河湾で採捕された稚鮎の海産畜養が多く放流された可能性がある。そして、そのなかの多くが15日の3メートルの増水で流された、ということもあり得る。
そうすると、師範代のだっこした番茶も出花娘は、遡上鮎の産卵行動としての「下り」の動向ではなく、10月15日の大仁の水位計で3メートルの増水となった結果ということになるかも。
三島駅で、丼大王と会う。
骨折した附近が傷み、また腫れているとのこと。おかしいなあ。骨のくっつけ方が悪いのかなあ。動作障害、機能障害は骨のくっつけ方が悪いと生じるが。そして、20年ほどすると、股関節、膝の関節の変形が進行し、毎週注射をする状況になり、さらに注射の回数を増やして、とお願いすれば、手術をしろ、となるが。
その手術では、人工股関節と、膝の人工関節では、膝の人工関節の方が脱臼の危険、動作障害が大きいかも。そして、日常生活に適する状況になるのも遅いかも。
まあ、丼大王と「杖」友になりました。もっとも杖の使い方には違いがあるようであるが。
あ、そうそう、先日神島橋で釣れた鮎の大きさが、27才に間違いないと、携帯の写真を見せられたが、メールで送られてきたのは、その2匹がなかったと思い、メールを捜したが、見つからず。なんでかなあ。
大井川以来、久しぶりの囮2匹。
しかし、水に入り、余りのアカの薄さに、食糧がないのに釣れるはずはないよなあ、と、前途悲観。
水量が少し多いから、自動車道上流のチャラへ。チャラといいながら、ウェーダーで転んだら、立ち上がるのに四苦八苦する深さ。股下まであるところもある。水深に変化が少しできたから、下りのあゆみちゃんで1宿1飯の食堂にするものもいるかも。
目刺し風の一夜干しに最適な大きさのあゆみちゃんが、白い裸体をこれ見よがしに誇示しているが。上流の人達も釣れていないのでは。
上流の人が自動車道付近に降りてきて、右岸ヘチで一夜干しサイズを2匹釣って、お食事に去っていった。
囮屋さんに戻れば、もう止めた、となるから、昼過ぎまで働いて、一夜干しサイズ一匹。ありがたいなあ、ボウズはなくなった。その中学生は囮に使っているとき、錆びた。性成熟は進んでいる、生殖腺重量体重比が、それなりの高い水準になっているということでしょう。
やっと、1時になったから上がる。護岸に上ると、おーい、と大声が。まん中の流れに入っている人から。誰か識別できず。囮屋さんで、テク3であると聞いて、護岸から手を振った。
アカ付きが悪くなければ、テク3のトイ面から釣るのになあ。養殖を含む3匹のあゆみちゃんは、元気はつらつ。くたばったのはオラだけ。
何で、アカ付きが悪いのかなあ。15日の3メートルの増水から半月ほど経っているのに。光合成ができる状況であるのになあ。
10月31日 狩野川
お百姓さんの「腹」友君を脅迫した甲斐があり、やっとアッシー君になってくれた。
行き先は、青木の瀬とは違い、アカの付いているところがあり、それなりに釣れているとの話しもある松下の瀬。
分流を渡るのにも四苦八苦。やっと、本流にたどり着いたのはよいが、とても長居ができる状況ではない。すぐに、楽なところを捜そうと、また、分流を渡り河原を歩いて上流へいきたいが、渡ってきたところには釣り人が。水量が膝くらいであれば、渡場に苦労はしないが、所によっては股下まである状況では、よほど条件のよいところでないと、プチ川流れの危険がある。
「腹」友君が釣っている上流へと行く。すでに5匹の一夜干しサイズを釣ったとのこと。この場所であれば、怖い思いをしなくても釣りができそう。
渡場を捜していて眺めていた限りでは、「腹」友君ほど釣れている人は見かけなかったが…。
午前、1匹の一夜干しサイズが釣れたから、ボウズにならなくてありがたや。「腹」友君は、6匹で午前終了。
午後も同じ場所へ。1匹釣れたが、分流の方が楽ですなあ。オラは分流へ、「腹」友君は、上流側から2番目の中洲沖に立ち込んでコケが着いているという話のある右岸側に囮を入れていた。
それにしても、10月15日の大仁の水位計で3メートルの増水以来、何でアカ付きが遅いのかなあ。「腹」友君は、他の川でもアカ付きが遅いという話があったとのことであるが。
もう、コケがあるかどうかは、場所選択では考えないことにしましょう。無駄なことのようで。石が相対的に詰まっていて、砂利が巻いていないところで我慢しましょう。
5匹の一夜干しサイズが遊んでくれた。
オスは囮に使っていると錆びたから、小中学生といえど、性成熟がそれなりに進んでいるのでしょう。
「腹」友君は、番茶も出花娘も釣れたとのことであるから、右岸側の方が少しはアカが付いているということかなあ。
オラの7匹に対して、「腹」友君は11匹。
この差は、「腕」の差ではなく、「あんよ」の差ということにしておきましょう。
「腹」友君、遡上鮎の下りはまだ始まっていないかも。下りが始まれば、乙女も、番茶も出花娘も、その「腕」をもってすれば、よりどりみどり、ウハウハの歓待をしてもらえますよ。4時まで働いても、風邪をひくこともなかったでしょう。またアッシー君になってよう。
10月31日の丼大王の神島橋へ |
11月3日 狩野川
駅で、網代に投げ釣りに行く人に今年初めて会った(多分)。
10月、例年であれば20匹ほどのカワハギが釣れていたのに、今年は8匹。魚が減った、と。丼大王も、伊東附近の魚が減り、釣り人が相模湾に出掛けている、と。
海水温が高いことが原因かなあ。相模湾では、キハダマグロが釣れているとのこと。キハダマグロはマグロの格では下の方とのことであるが、引きが楽しい、針が曲げられてしまうとの話があった。
投げ釣りさんは、台風のあと、網代の魚がどう変化したか、見に行くとのこと。
囮屋んさんに着くと、しあわせ男とたきちゃん達がやってきた。今年初めて会った。
自動車道上流のチャラは釣りやすいが、前回様子を見ているからまん中の流れを釣り下ることにする。
なお、チャラは始めは20、30メートルほどの間隔であったが、どんどん人がふえて10メートル間隔もなくなっていたから、まん中の流れにはいって正解でした。
アカ付きは、前回よりもほんのちょっぴり薄いアカが付いて石がふえたというくらいで、アカ付き良好には程遠い状態。
丼大王は、故松沢さんが、
「昔、松チャンと垢のつき始めはヘチでも芯でも同じ、芯には、それなりに気合のある魚がつく、それに誰も竿を出して無い処だから、魚がいれば絶対に掛る。」
ということで、5号玉をつけて釣った。どこでも同じなら、楽なところで釣りたい、とオラなら思いますが。
まん中の流れの方が左岸の流れよりは釣りやすいでしょう。
釣れませんなあ、狩野川でボウズの洗礼を受けることになるのかなあ。もう、諦めの境地になっているときに、一夜干しサイズのオスが。ボウズでないことの貴重な証人であるから、箱入り娘にする。
そして、番茶も出花娘のオスが。
丼大王は、美白の乙女を囮にして地球に埋め込んだが、オラはそんな悲しいことはしませんよ。箱入り娘にしますよ。
まあ、番茶も出花娘というものの、オスであるから囮に使う。根掛かり。あと2メートル立ちこめれば救出できるが、糸を切るしかない。
再度、釣りはじめたとき、左岸の流れを釣り下ってきたしあわせ男とたきちゃんがまん中の流れに移った。
しあわせ男が3匹、たきちゃんが5匹の一夜干しサイズとのこと。
アカ付きの悪さもあり、しあわせ男は早上がりをしたそうであるが、たきちゃんは、石で出来た白波の所を1つ1つ潰していて、つ抜けをしているから、早上がりはなかろう、と、オラが根掛かり放流をしたところをすたすたと戻っていった。
もう少し早くやってきていたら、根掛かりを外してもらえたのに。
しあわせ男は、先日、テク3が釣っていたように、流れの芯が右岸へよっているところを左岸側から釣るつもりで、上流へと向かった。
オラは午前様。
たきちゃんやしあわせ男はどのくらい釣れたのかなあ。
オラは、ボウズにならなかっただけ幸せです、ということです。
先日は新潟の酒、今日は石川の酒、次はどこの酒を飲むことになるのかなあ。
しあわせ男は、9月15日のダム放流後、まだ濁りの濃い相模川は弁天で41匹を釣ったとのこと。
濁りが続くと、鮎も濁りに慣れるのではないか、とのこと。
白川ではなかったから、釣りになったということかなあ。その後、新しい鮎が入ってくることを期待していたが、そうはならなかったとのこと。
やはり、今年の相模川の鮎は、それほどの密度ではなかったのではないかなあ。高橋勇夫さんなら、1平方メートルに3匹、5匹の鮎がいるから、「過密」とご託宣するでしょうが。
さて、今日の水温は15度。西風が吹き荒れる頃の水温よりも1,2度あるいは3度高いが、下りの行動がはじまっていないのかなあ。それとも、10月15日の増水の時に、生殖腺重量体重比がピークの水準よりも低い性成熟であっても、下りをしたのがいたのかなあ。
いずれにしても、乙女が歓待してくれるのか、どうか、確認するために狩野川詣でをするしかない。
あんよの機能低下を遅らせるためにも、川に入るしかないです。
丼大王の11月3日神島橋
11月9日 狩野川
三島駅で丼大王と会った。
シーズン中は、週休3日が当たり前?の丼大王が、土曜日にお仕事とは、お天道様も面くらい、「異常気象」という看板も出てくるでしょうなあ。
故松沢さんは、西風が吹き荒れて後、「日替わりメニュー」になると、下りの情景を話されていたが、運任せでは伊豆長岡の飲み屋さんに通うことはできなかろう。何らかの現象を観察して、その日にはやる食堂を見つけていたはず。
丼大王に、その日に栄える食堂をどのように見つける?、と聞いたが、昭和の代では、正確には平成3年頃までは、次から次へと、日々新たな下りの群れがやってくるから、気にしていなかった、と。
確かに、丼大王は、城山下の1本瀬で、日々訪れてくる下りの乙女や番茶も出花娘を待ち構えていればよかったなあ。
それでは、今年のように、日々下りの群れが来ていないように思えるときは、どうすればよいの?
囮屋さんの小母さんが、転んで腰を痛めて痛そう。6時間ごとに飲む鎮痛剤で痛みをなくそうとしているとのこと。
整形外科にも釣り人同様、ヘボもいるからなあ。気をつけてくださいよ。
水温13度。西風が吹き荒れてからの水温になっている。17,8度から急に水温が低下したのであれば、低い水温になれられる時間が必要であるが、今年は15度くらいに下がっていたから、急激な水温低下ではない。
ということは、水温低下になれる時間は必要なかろう。
そして、アカ付きは前回よりもはるかによくなっている。
これで、下りの鮎が一宿一飯で利用する食堂がわかれば、桃源郷を味わえるかも。
まん中の流れの上流側の瀬は数人。チャラは一人だけ。空いているし、川流れの心配はないからチャラへ。
逆バリが外れることはあっても、ボウズ街道まっしぐら。一夜干しサイズの中学生しかいないのかなあ。
チャラも、まん中の流れの上流側の瀬も、去っていく人がいる。釣れてないのでは。
はっちゃんが土手の上から叫んでいる。釣りの支度はしていない。今日は宴会かなあ。
まあ、見事にボウズ街道まっしぐらでした。
新潟県 坂町 「いづみや旅館」(http://www.izumiya3.com/)の 「いづみやブログ」に、11月3日子供が鮭様をだっこした情景が掲載されている。
おかみさんは、荒川のサケ釣りを日本で一番過酷な釣りと書かれていたと思う。
その理由は、予約日を変更できないこと。今年の場合は9月に受け付け開始、そしてすぐに満員に。
ルアーに行ってらっしゃい、といって投げると、すぐに「ただいま」と戻ってくる強風でも、雨が降ろうが槍が降ろうが、予約日の変更ができないから。去年、ドクターストップならぬ漁協?ストップがかかったのは、吹雪の時だけではなかったかなあ。
その荒川の鮭様を子供がだっこしたんですよ。
おかみさんは、子供が鮭様をだっこできた理由を
「そして来ました2投目!純粋で素直な心に荒川の鮭様が悩殺された瞬間です。お父さんの手は借りていません、自分の力で釣った鮭様だよ、すごい!!」と。
「純粋で素直な心」がないから、狩野川のあゆみちゃんもオラを無視しているのかなあ。
「純粋で素直な心」なんて、60余年も前になくしているからなあ。よこしまな心のものにはあゆみちゃんも悩殺されないということかなあ。
午後、狩野川大橋下流の瀬落ち、瀬尻を見に行く。
大石は減ったかも。また、砂利が所々に入っているかも。
瀬尻から瀬落ちへと進むが、かかった。
番茶も出花娘か。ボウズでなくなったことはありがたいが、乙女をだっこしたいなあ。
そして、子供のように
「『お願い、引っ張らないでぇぇぇ〜』の素直な言葉が可愛いこと可愛いこと、そうだよね〜、サケの力強さはスゴイよね。よく頑張りました、エライ!!」
「引っ張らないでえ」と叫びたいですなあ。今年も乙女をだっこできないのかなあ。
さて、狩野川大橋付近に転がっていた大石もなくなったよう。どこに下りの乙女や番茶も出花娘が利用する食堂があるのかなあ。
それとも、すでに下りをする乙女はいないということかなあ。
なお、おかみさんは、鮭様のシーズン、その後にやってくるさくらちゃんのシーズンには、河原を駆けめぐっています。
子供のカカ様は、子供が小学3年生であること、また、場所移動したところでも1匹の鮭様をだっこしたとのこと。
「いづみやブログ」には、子供が鮭様をだっこしたときの動画も掲載されています。
子供のことではなく、あゆみちゃんが問題ですよねえ。
昼、囮屋さんでラーメンを頬張って冷えたボデーを暖めていると、3匹釣れたなどの声が。それが妥当な水準かなあ。15匹釣れた、との声もあった。これはひとり勝ちではないかなあ。
もう、乙女や番茶も出花娘の下りは10月15日の増水で終わったのかなあ。それとも?
「純粋で素直な心」は、お天道様も悩殺したようで、荒川の過酷な釣りにならず。
ところが、よこしまな心に満たされている狩野川衆には、天気予報はお日様ニコニコであるが、お日様は雲隠れ。なんちゅういじわるなお天道様じゃあ。ダウンジャケットが似合う日でした。
11月14日 狩野川
前回、中学生に逆バリを切られているのに蹴られが多発。
やむを得ず、ハリス付きの高い針を買いに。もう、ハリス付きの針を買う人がいない、来年までおいておくと腐る、カビが生える、賞味期限が切れる、9割引にしろ、とわめいたが、いつものように大枚2枚をふんだくられた。大枚といっても、オラの「大枚」は野口さん。
あゆみちゃん、可哀想と同情してえ。けらないでえ。
平成2,3年頃までの河原は石ころだらけであった。その石ころに霜が降りていた。丼大王も、霜の降りた河原の石の上を歩いていた記憶があるから、オラの記憶間違いではない。
そのときに比べると、霜もなく、暖かい。
水温11度。西風が吹き荒れた後の水温としては低い水温とはいえないが、そして、一気に水温が低下したのではなく、徐々に水温が低下しているから、低水温にあゆみちゃんが慣れる時間は必要ない。つまり、「水温が低い」ということを「釣れない理由」とすることは不適切ではないかなあ。
迷人見習いは、11月3日?の納竿会の時、松下の瀬に入った。
松ヶ瀬は、番茶も出花娘や乙女はいない。オスも下ったものが多く、メスが多い、と。
「トラック」で運ばれてきた放流ものは、10月15日の増水で流されて、松ヶ瀬から姿を消したのではないかなあ。
そして、雄のほうがメスよりも先に下るから、遡上鮎のメス主体の一夜干しサイズが主役になっているのではないかなあ。
ということで、松下の瀬へ。
迷人見習いは、松下の瀬の左岸側は砂が巻いている。ということで、立ち込んで右岸側を釣る。
水が少し高い状態の時であった。24.5才乙女が掛かったときは、プチ川流れのようになり軸足を石に押しつけて辛うじて取り込めたとのこと。
その乙女は大物賞に。数も20匹ほど。
もう、迷人見習いはオラの手に負えそうもないなあ。来年、コテンパンにやっつけられるときは、お百姓などを道連れにしましょう。
迷人見習いの師匠は、湯ヶ島地区から下りをした遡上鮎が、蓮花で暫しの逗留をするとのこと。
平成2,3年頃までは城山下の淵は砂底ではなく、石底であった。
下りにはいると「日替わりメニュー」といわれながらも、一本瀬や、石コロガシの瀬に入った人は満足のできる数を揃えていた。丼大王は一本瀬で、「不況」知らずであった。
ということは、城山下の淵は、「暫し逗留」の場所では。
当時の石コロガシの瀬は、流れの幅が狭まり、大石ごろごろ、オラの手に負える場所ではなかった。軟弱もののオラは、淵と石コロガシの瀬のあいだの平瀬の2本電線附近に入っていた。それでも、中学生だけでなく、女子高生や番茶も出花娘が遊んでくれた。乙女はいなかったが。
自動車道上流のチャラへ。
蹴られどころか、鮎が遊んでくれません。居着きの一夜干しサイズのメスも動き、その後を埋める下りの鮎もやってきていないということかなあ。上流側の人は、左岸流れに去っていった。「見切り千両」とはいえ、どこに入ればよいのかなあ。
バレが1回あっただけで、まん中の流れへ。
一夜干しサイズが2匹。1匹は、女子高生の大きさかも知れないが、大勢に影響なし。
狩野川大橋上流の大きい石がなくなる最後の所で、白い裸体が見えたが。
橋上流の左岸の袋になった流れのなさそうなところに入っている人がいる。10月15日の増水で流れてきた「トラックで運ばれてきた」鮎が、そこで産卵をしているのかなあ。日曜日にもその情景があったとの話があるが。
丼大王が、とある対談で、上流に多く放流する理由を下りの時、中流、下流側で釣れることになるから、不公平はないと話されていた、と。
さすが、故松沢さんが、何某の「小僧」と話されていた「観察眼」ですなあ。
「トラックで運ばれてきた」鮎が、下りをしないで産卵する情景は、平重郎さんや、萬サ翁が観察されているのに。
仔魚の5日、あるいは7日の弁当がなくなる前に、動物プランクトンを食することのできる海、あるいは汽水域に到達するには、海からの距離を考慮した産卵場所を知る必要があるはず。それは、遡上中にしか、認識、学習できないのではないかなあ。「本然の性」ではなく「気質の性」ではないのかなあ。
12時台の踊り子に間に合った。まずは酒を飲み、そして、熱海で伊豆急からの接続待ちをしているときに駅弁を買い、と。コンビニがまれであった時に朝飯で食べた駅弁ではあるが、今日の値段ほど高かったかなあ。
ロマンスカーがすぐに来るから、ロマンスカーに。
こんな贅沢をすると、おゼゼがもつわきゃないよ、わかっちゃいるけどやめられねえ。
ということで、1日で「本物の」大枚が消えてしまいました。
くぼちゃん、お百姓の「腹」友君、可哀想でしょう、アッシー君になってえ。
11月17日 狩野川
昨日は、青木の瀬のどっかで釣れた、との話が。下りの1群が入ってきたのかなあ。自動車道上流のチャラには向かい合った4人が入っている。その1人が釣れていた。下りの1群が釣れたのはそのあたりが1つの場所かなあ。まだ留まっているのかなあ。
迷人見習いが、先日釣れたのは、川見の腕が上がったから、適切な川見ができたから、と鼻高々であったから、松下の瀬の右岸へ。
舟をぶら下げて歩いていると、はちゃんとヤマメねえちゃんご一行がいた。帰りに話せばよい、と、ひたすら、松下の瀬の右岸へと歩く。
ところが、川沿いに歩けない。かっては川沿いに歩いて行けたと思うが。
コンクリート護岸に変わったのは、21世紀になってからではなかったかなあ。
今を去る二昔以上前、右岸の土手に囮屋さんがあった。その囮屋さんに、土手の草を刈っているから、他で囮を買った者は、ここに入るな、と。
当時は左岸側の分流はなかった。そして、オラでも渡ることのできる場所があった。もちろん、今よりはあんよは少しは上手であったが。
それから、コマドリの瀬や城山下に行くようになった。
そして、観察眼に優れた元川漁師の故松沢さんに出合うことができた。
故松沢さんから、鮎の生活誌に係る学者先生の教義が間違っていることを教わることができたから、そのいじわる囮屋さんに感謝しないと罰が当たるなあ。
護岸に沿った流れにも、その沖の葦の沖の流れにもハミ跡がある。石の半分くらいの面積が磨かれているものもある。群れが磨いたのかなあ。
みなさんが素通りしていく葦の沖側を立ち位置にして囮を入れる。すぐに番茶も出花娘が。そして中学生、女子高生の合計4匹が釣れた。この調子でいけば、迷人見習いは畏れるにたらず、とおもえど、それで打ち止め。
お寝坊になっているこの時期のあゆみちゃんが朝食をとっているところに闖入したから、怒りんぼが掛かったのかなあ。
養殖君で働いていないものもいるが、昼になりました。上がりましょう。
メスではあるが、錆びている。居着きではなく、下りの途中の遡上鮎かなあ。
迷人見習いが入ったところはどこかなあ。そのときよりも水は落ちているから、普通の人は多くの所で渡ることができる。下流側から3番目の左岸中洲の下流側かなあ。
はちゃんもヤマメねえちゃんもまだ戻ってこないとのこと。自動車道上流のチャラに入っているはず、と。
今日は下りのあゆみちゃんが移動してもういないのでは。朝の4人組もいない。はちゃんはまん中の流れの瀬に入っているのでは。ヤマメねえちゃんは左岸側の流れに入っているのでは。
もう、ノルマを果たしたから、竿をだす気はなし。囮屋さんで着替えをしていると、ジャパンカップ優勝者への託けものを松ヶ瀬に届けた帰りのまちゃんが。
まちゃんは、昼休みになるであろうはちゃんやヤマメねえちゃんらと話をしてから帰るとのこと。
まちゃんでも竿をださない中、ボウズでなかったから、ありがたや。
11月21日 狩野川
前回、松下の瀬の右岸護岸沿いの流れの石頭に、群れのはみ、1匹のはみがあり、気になっていた。
故松沢さんは、石頭ではなく、石底のはみを見ろ、といわれていたが。
遡上鮎の下りの群れからはぐれたあゆみちゃん、道草を食うあゆみちゃんがいるかも、とテクテクと歩いていった。
しかし、石は汚れている。道草を食っていたあゆみちゃんも他の群れにはいって下ったのかなあ。
葦の沖側に立って、囮を泳がせるが。
先日、神島橋で丼大王は、サラの囮であるのに、サーフィン大好きな養殖君に錘をつけてやっと沈ませて、美白の乙女までだっこしていた。
だめ社員でも社長様が有能であれば、成果が上がるということでしょう。
ここで使っている囮はオス。だめ社員にだめ社長では、成果が上がるわけがないよ。その上、あゆみちゃんが少ないとなれば、倒産して逃げ出すしかない。
故松沢さんは、オラには、メスの有能な社員を選んで舟に入れてくれていた。養魚場でメスをはねるから、メスの比率が低いのに。オスは丼大王等の有能な社長様に入れていたかも。
青木の瀬の真ん中の流れにはいる。
こっちの方が石は綺麗なあ。とはいえ、どこで釣れるのか、わかりませえん。
女子高生か中学生は微妙な大きさの一夜干しサイズの錆びたメス。これでボウズを免れた。この一夜干しサイズは元気ですなあ。12時のチャイムが鳴っても働いてくれるが、はでな蹴られがあったのみ。
だめ社長は疲れたよお。いつもの昼上がり。午前様でないから上出来です。
今年の遡上量は、1994年並ではないのかなあ。
昭和の代には、城山下の石は11月23日でも綺麗に磨かれていた。その情況に異変を生じたのは、1992年。11月22日には綺麗に磨かれていたのに、23日は曇っていた。
1993年は、11月中旬には曇り、汚れた石になった。
1994年は、11月上旬でも曇り、汚れた石になった。
そして、1995年は、遡上鮎は見えず。解禁日でも石はババッチイまま。「冬の川」と川の状況、石の状況は同じで、継代人工が放流されたところだけ、継代人工が釣れていたようであるが。
1996年、「狩野川復活」なんて記事が出ていたが、1995年と状況は同じ。
またしても、釣り名人といえども、観察眼の劣る人もいる、と再認識をすることに。
もし、今年も10月15日の増水で白川になることもなく、あるいはアカ付きがよかったら、11月上旬でもババッチイ石になっていたかも。ババッチイ石が多くなっていたかも。
あゆみちゃあん、こんどは歓待してえ。荒川では、小学3年生が鮭様をだっこしているご時世ですよ。美白の乙女をだっこさせてえ。小学生のように、「そんなに引っ張らないでエエ」と叫びたいよお。
11月23日 狩野川
昨日、自動車道のピア附近で46匹?とのこと。下りの群れに出会えた幸運な人がいた。遡上量が少ないから、下りの群れに遭遇できるのは、宝くじに当たるほどの幸運としかいいようがないなあ。
狩野川大橋下流の瀬落ちは、水が少なくなったから、入れると思っていたが、護岸沿いがえぐれていて入れず。あと、5メートル上流へ上ることができたら、穴場の御利益があったかも。
いつものようにまん中の流れへ。
釣れている人はいるかなあ、と数人の釣り人を見ながら、石を見ながら歩いていく。
結局、上流側の瀬が落ちついたところへ。
前回と違い、囮に不自由しますなあ。朝帰りはしたくないなあ。
今朝、三島であった丼大王は、先日山ちゃん達と神島にいったが、ブクを使っているのに囮が死んでしまいやめた、とのこと。1匹は、それに近い状態ですなあ。図体は乙女並み。こんな乙女が掛かったら、感謝感激になるが。
もう1匹の尻尾が食われたのか、欠けている囮が二度目のおつとめをしてくれた。
女子高生のメス、サビあり。
あとはひたすら、昼のチャイムが鳴るのを待つのみ。二匹釣ったところでやっと鳴った。これで、朝帰りではなく、昼上がりに。
二昔以上前の11月23日、丼大王の釣り姿を見ることはなかったから、故松沢さんのテントの片付けをしていた?と尋ねたら、テントの片付けは地元の人達がやってくれていたから、腹の中に飲食物の片付けをしていた、とのこと。
オラは、城山に日が落ちて、テントもなくなり、人影もない石ころだらけの河原をとぼとぼと歩いていた。
高倉健さんの男の憂愁漂う背中を演じながら。とはいえ、鮎バックを背負っているから、背中は見えず、大根役者を晒すこともなかったが。
いや、 ひろおいかわらに ぽつんといるよね という状況であったから、大根役者でも恥ずかしくない。
そして、その頃は、あゆみちゃんと心と心が通っていたよねえ。あゆみちゃんがいない川ではなかったよねえ、あゆみちゃんが少ない川ではなかったよねエエ。
今年の11月に美白の乙女も、女子高生もいなかったのはどんな条件によるのかなあ。
ひろおいかわらに ぽつんといても あゆみちゃんが遊んでくれていたから寂しくはなかった。
11月の城山下の1本瀬や石コロガシの瀬には三つ星レストランがあり、丼大王らは番茶も出花娘や乙女をだっこしていたが、平瀬のオラはB級グルメでお食事をする女子高生に小中学生や番茶も出花娘が混じっていた。11月23日といえどもその情景は変わらず。
そして、今年の11月と違い、美白が多かったと思う。
ジジーへの応援歌
健さんが登場したから、健さんのひいひいひいひい?おばあさんにあたる天保の代に生きていた小田宅子(いえこ)さんに登場していただかないと、今年のあゆみちゃんとの逢い引きを終えることはできない。
田辺聖子「姥ざかり 花の旅笠 ――小田宅子(いえこ)の『東路日記(あずまじにっき)』(集英社文庫) : 2004年発行」
「文中にあるように、宅子さんは俳優・高倉健さんの五代前の人である。そもそも、『東路日記』は、高倉さんが、〈うちの先祖の人が、こういう手記をものにしているが、これをわかりやすく読めるようにならないものだろうか、面白そうなのだけど〉と、旧知のイラストレーター・福山小夜さんに示され、福山さんは、また、当時、集英社出版部に籍を置いていられた池孝晃氏に紹介されたのだった。」
この経緯があって、田辺さんが、江戸期の女性旅行記にふれることとなった。
「私を『東路日記』にめぐりあわせてくれたのは、あるいは〈善光寺サン〉なのかもしれない、と思ったりする。」
和歌を学んでいる宅子さんたち、筑前は現在の中間市の商家のおかみさん達4人が、お伊勢参りをしょう、と、下男3人と出掛けた。
お伊勢参りを済ませると、善光寺さんにもお参りしないと、片参りになる、と善光寺へ。
善光寺のお参りが済むと、二荒山へ、江戸へ、と。
往来手形をもっていないため、関所抜けをする旅。
最初は碓氷峠の横川の関所を避けるため、妙義山権現にお参りすることもできた。
二荒山信仰と東照宮の関係、東照宮への姥桜の評価はいかに。
江戸の賑わい、芝居を見てすごし、
「馬喰町から移ってきたのは北新堀の宮川屋という宿である。ここは郷里の陶器商人たちの常宿であった。宮川屋の待遇も下へもおかぬもてなしで、ここでも上底井野の〈小松屋の御寮人(りょん)さん〉はたいへんな顔である。もちろん前以て小松屋当主こと、宅子さんの夫・清七から懇切な連絡が届けられ、一行をよろしくとの心くばりはゆきとどいていたであろうが。応じて宮川屋も、『いといと、ねもころにあるまじまうけす』という按配。」
当初の予定は、お伊勢参りで、その後の旅はその都度変更されているのに、筑前にも手紙で知らされていることになる。
箱根の関、新居関をいかにやり過ごすか。
吉原の昼見世も見学した。鎌倉も。
「宅子さんたちは、この藤沢の里で重要な用があった。
『先(まず)此里の若松屋といふに着く。こは我国の陶(すえもの)屋の問屋なれば、江戸北新堀、油屋なにがしより、こゝをたのみて箱根のうらを越えしめんとて、みちしるべの文をものせり』」
「宅子さんらの計画(あるいは油屋の提案)によれば、藤沢から西北をめざし、甲州街道へ出、再び信州へ入って上諏訪まで辿りつき、さらに南下して遠江(とおとうみ)の秋葉山に至る秋葉みちを取って、東海道御油(ごゆ)宿に合流せんとする壮大なルートである。箱根や新居関をよけようとすれば、日本のまん中を大迂回(うかい)せねばならぬ。」
甲州街道に出るまでの道筋の記述は、オラには馴染みのあるところ。
角田のバス停の近くの坂を上り、三増から志田峠に至ったようである。
志田峠の茶屋で
「広い茶屋の縁から見渡すと、ひときわ高い、真っ白な峯が見えた。是なん、富士の山と聞いて、宅子さんははじめて雲に掩われない富士山を見た感動を、歌にする。
『我こゝろかけつる空に雲はれて けふふじの嶺(ね)の雪をみるかな 宅子』
しかし、志田峠からは富士山は見えないはず。丹沢の山脈がじゃまをしている。
それでは、どこかなあ。相模川を渡るまでの峠越えで、富士の見えるところは。
沼田村で、川越をする。
「『この川の向かひに年坂(ねんざか)の関とてあり。この関を越えんとてさまざま(注:ざまは、記号表示であるが、記号が見つからない)心をなやますこと、我も人もかぎりなし。やゝ時うつりて日も七ツといふ時になればいそぎて沼田川を渡りて、そこの人を頼みて道のしるべを乞ふに、かつがつうべなひたれど、ひそかにものする道なればとかくする内、日も暮(くれ)ぬ。心もうちさわぎて、畠の中、桑の林などおしわけつゝ、甲斐の国へ通う道筋に出でけむとて、勝浦(かつら)川を渡り、いそぎて小原村につく。ここにやうやう(注:やうの記号が見つからない)やすき思ひをなして、小松屋といふにやどる』」
このヵ所が削除されている本もあるが、御法度への配慮とのこと。
「宅子さんらは地元の人に番所よけの道案内をたのむ。『かつがつうべなひたれど』というから、里人はしぶしぶ引きうけたものの、ひそかにゆく間道なので、その支度とか、いざというときの申し合わせなど聞いているうちに日も暮れてきたのであろう。『心もうちさわぎて、畠の中、桑の林などおしわけつゝ』というのは緊迫感がある。」
箱根の関を避ける間道の案内が「八文」との記述が何かに書かれていたと思うが。そして、八文が安い、との話もあったと思うが。
戦時体制下の御法度が平時には適用できない部分が出てきて、それを回避するための手法が考案されている事例が、姥桜の旅の花笠にも表現されている。
唯物史観や発展史観信奉者が健在であった頃にこの本が出版されていたら、ドンだけ非難されたことやら。
江戸期の識字率の高さや、安全と生活水準の高さがやっと日の目を見る時代になって、3,40年かなあ。もちろん、生活水準にしろ、識字率にしろ、比較対象を現在に求めることは適切ではなかろう。当時のイングランドの識字率と比較しても遜色なし、という話ではなかったかなあ。
さて、高遠から、またもや山道へ。
「『ゆふ立のはれ行くあとの夏山は たヾ緑のみおくふかく見ゆ』」
「四十(よそ)エモンがハタ吉に命じて荷の中から携帯食糧を取り出させる。かねてこういう折もあらんかと心づもりした乾飯や塩。今までは曲がりなりにもどうにかなりこうなり、屋根のあるところに腰をおろし、椀や皿に盛られた食料を口にできたわけだが、この秋葉みち、それも信濃路では、何百年も時代の歩みがとどまったままの如くである。ハタ吉はかいがいしく、一行がふところから出した手塩皿代わりの懐紙に乾飯と塩を盛ってゆく。」
「しかし、女人たちは、険阻な山坂に加え、木陰にそれぞれ手拭いや風呂敷を敷いて、乾飯をもぐもぐ食べようとは、
〈こりゃー、思いもかけん道中でござすなあ〉
と情けなそうなおちくさん。
〈まるで乞食(ほいと)の一座でごたる〉
とおぜんさんが無邪気に感心するのがかえって剽軽で皆をくつろがせる。
いずれも暮らしに困らぬ大家のご寮人さんなれば、かつて味わい知らぬ体験であろうが、〈若いときの苦労は買(こ)うてもせいち、いうじゃござっせんな。こげな苦労ばしてお詣りしたら、お知りなされたら、さぞ秋葉の三尺坊権現さまも、奇特なことじゃとほめてつかあされて、霊験灼熱(いやちこ)たい。〉
と宅子さんが声はげましていえば、
〈そげんたいねえ。ほんなこと、みな、気は若いき……〉
と久子さん。宅子さんは引きとって、
〈みな、うろたえて見りゃ一七,八たい。おてついてゆるっと見たら五十……には見えまいき、三十七,八,ちゅうとこでござっしょうか〉
みなみな、――笑うことよりほかのことぞなき、……というところ。宅子さんも、さすがに『伊勢物語』のみやびを再び持ち出す気にもなれぬらしく、
『かかる事も旅のならひとおもへば哀れになん。』
と本音が出て寡黙になる。しかしこの街道の難は、ここなどまだ序の口であった。なおも巳馬(みうま)(南南東)さしていくと、これも難所として有名な青崩(あおくずれ)峠。その名さえ、禍々しい〜」
「『いとさかしき坂路にて、崩れたるみねの傍を行間(ゆくあいだ)いとあやうし。
山風もあらくな吹きそ青くづれ 崩れしみねをう打(うち)こゆる日は 宅子』
この峠は五十丁の三里、是なん、信濃の国と遠江(とおとうみ)の国の境界である。」
「『いかにせむ知らぬ山路に行き暮れて あはれやどらん家もなければ 宅子』」
焼失前の秋葉神社詣り、鳳来寺詣りをして、東海道へ。
豊川稲荷へも詣でて有松の絞り染めに目を奪われ、買い物をし、京、大坂の楽しんで、大阪から舟に乗船。
こんな姥桜のウン十分の一も歩けんようじゃあ、情けないことじゃのお。
とはいえ、遡上あゆみちゃんが乏しい川に行く気はおこらんよって。困ったなあ。
リハビリの先生に、つかわん筋肉はすぐに弱るけん、といわれているしなあ。まあ、あんよの練習は川でないところで行うことにして、竿をしまいましょう。
「『今日はとてぬぐや信濃東路の 花にも馴れし旅のころもを 宅子』」