2011年あゆみちゃん遍歴賦 | ||||||||||||||||||||||||||
相模川 | 中津川 | 狩野川 | その他 | |||||||||||||||||||||||
5月まで | 相模大堰遡上量調査1 相模大堰遡上量調査2 |
3月1日 4月2日 4月14日 4月29日 5月14日遡上状況 |
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6月 | 9日 10日 12日 15日 19日 22日 24日 25日 26日 28日 29日 30日 |
1日 3日 6日 | ||||||||||||||||||||||||
7月 | 2日 3日 6日 8日 10日 12日 13日 15日 |
17日 28日 31日 | ||||||||||||||||||||||||
8月 | 14日 24日 | 4日 9日 12日 | 11日 | 大井川18日 三面川序章 三面川27日 28日 |
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9月 | 17日 18日 | 15日 29日 | 荒川序章 荒川9月7日 荒川9月8日 |
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10月 | 丼大王と海苔と根掛かりの狩野川 | 7日 | 4日 12日 13日 19日 20日 25日 30日 |
丼大王:11日 丼大王:25日 |
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11月 | 丼大王:11月10日・海のズガニ不漁 | 丼大王:2011年の終了 | 2日 4日 5日 9日 12日 13日 16日 20日 23日 |
3月1日中津川
今年は山女魚の放流で、ニジマスではないとのこと。
ただ、放流量がどの程度か、また、昨日、放流されたことがどのような影響をもたらすのか。
田代に8時前に着いたが、もう竿をしまっている人も。田代では釣れている人を見かけなかった。漁協前では釣れた人もいた、との話があったが。
田代の瀬落ちから瀬尻は、ニジマスであれば、下って、溜まる場所の1つであるが、誰もおらず。
海底には3人。1人が諦めて土手を上流に歩いていったから、4人が入っていたということ。
下流側で1匹釣れた。その人もオラと同じで、あんよの練習に来ていたから、坊主と1匹では雲泥の差がある、と喜んでいた。
瀬落ち、瀬尻が一段と浅くなっている。石も埋まっているから歩きやすいが、これではあゆみちゃんも居候をしないのではないかなあ。
角田大橋上流も9時過ぎでも竿を出しているのは数人。
ルアーをはずしに流れに入ったが、2トンのダム放流では流されることはあるまい。とはいえ転ぶと10度以下の水温では冷たいなあ。
囮屋さんで麦酒を飲んでいると、海底からおなじみさんが1人戻ってきた。1匹釣れたとのこと。海底で釣れたのは2匹だけとのこと。バケツ何杯かを放流したとのことであるから、ほとんどが残っている。田代でも、角田大橋上流でも同じではないかなあ。
釣れた人は、イクラを流しても釣れない、友釣りのように上流に引かないと、と話していたが。
ダム下流に2100匹を放流したと漁協のホームページに書かれているが。
ここ数年少なくなっているのかなあ。鮎釣りでの収入が減っているからなあ。
2008年の大量遡上の時、妻田の堰の魚道を見つけられずに、少ししか上れず、2009年は、県産継代人工が放流前に漁連のプールか、県財団の種苗センターで死に、義務放流量を賄うため、浜名湖産の海産畜養を放流した時も、中津川に放流する分まで相模川に放流して、中津川には質の悪いどっかの継代人工を入れて、閑古鳥の鳴く日が多かった。2010年も安もん買いの銭失いかと思えるような、質の悪い継代人工を入れたようで、釣り人は少なかったなあ。
妻田の魚道を上れるように簡易改修するとの話はあるが、どうなることやら。
まあ、数の多寡はわからないが、放流したものがほとんど残っているようであるから、あんよの練習の楽しみがありありがたいことです。
3月5日 中津川
お腹が減った、という山女魚もいるかも、と思えど、寒かったから、やっと今日出漁。年をとったなあ。釣れるとわかっていたら、話は違うかも。
馬渡橋から見える魚は無し。浅くなり、石もなくなったから、隠れることもできず。魚がいれば見えるはずであるが。
橋上流は、サスペンドでありながら、1.5メートルほど潜るルアーの根掛かりを気にせずに引くことができたが、今やほんの小さい空間しか不可能。
フライや餌釣りの人が2人やっているが。
漁協前へと道を歩く。護岸のところの瀬は、まだ石が詰まっているが、大きい石は下のほうが埋まったよう。
漁協前に2人いたが。
田代でも2,3人。Iさんがいた。
1日から3日間、田代、漁協前、馬渡で毎回2匹とのこと。今日は釣れないから、角田大橋に移る、と。
結局あんよの練習もちょっとだけやって上がりました。
4月2日 中津川
今回の地震に係る事象について、「俺達のアユ釣り」、「藁科川の鮎釣り」、「鮎、山女魚、キジさんに会いたくて」が、有益な情報を発信されている中、ルアーを振ることに心苦しくもあるが、あんよの練習をして、寝たきりにならないように、と。
転ばぬ「先」の杖、ではなく、転んだ「後」の杖の使い勝手になれておく必要もあるし。
ということで、3月29日に各場所にバケツ何杯分かの山女魚が追加放流された中津川へ。田代球場前の浅場で、今年初めての山女魚。
国道沿いでは、跳ねるものも、ルアーを追ってくるものも、バレもあったが。
解禁日に、この間沢に行った年配の方は、160で、3分の1が山女魚とのこと。そんなに釣ってしまっては、解禁日の混雑を避けて、2日に行ったサボZさんが少ししか釣れなかったのも納得。
その方は、昨日は愛川橋に入り、6匹、ルアーの人は10台とのこと。
また、鹿留ではでっかいニジマスが釣れる、と。
左岸への落ち込みは浅くなり、石が埋まり、歩きやすくなったが、鮎はつきそうもない。
平山橋までしか歩けなかったが、鮎の釣り場は減っている。
4月14日 中津川田代
3月29日にバケツ何杯かの山女魚の追加放流がされたとはいえ、寒い中あんよの練習に精を出すのも億劫。
やっと暖かくなったから久しぶりにに桜咲く田代へ。
ダム放流量は3,4トンから倍に増えて、流れる水になっている。
ルアーを振るチャリンコの大学生の2人連れは、馬渡橋まで往復して6匹。食いが浅くバレも、と。
チャリンコさんは、大物が釣りたい、と。
この間沢下流の奥相模湖、宮が瀬ダムの早戸川の流入附近は、5,60センチのニジマスが差してくる、中津川のダム放流が100トン近くになったときには、田代の管理釣り場から流れ出したものが、田代や角田大橋下流で釣れる、と話した。
チャリンコさんのルアーに反応して、オラのルアーに反応がないということは、腕の差ですね。
今日も、大した距離を歩かずに帰りました。
2011年遡上量調査:相模川大堰副魚道その1 単位:万
2000 年 |
2001 年 |
2002 年 |
2003 年 |
2004 年 |
2005 年 |
2006 年 |
2007 年 |
2008 年 |
2009 年 |
2010 年 |
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4月1日 から10日 |
23.2 | 204.9 | 568 | 18.4 | 830.9 | 5.6 | 0.5 | 27.4 | 188 | 20.3 | 19 | |||||||||||
4月11日 から20日 |
9.4 | 40.6 | 895.2 | 264.5 | 113.2 | 0 | 2.5 | 24 | 219 | 54 | 81 | |||||||||||
4月21日 から30日 |
36.6 | 125.3 | 387.1 | 232.3 | 499.2 | 42.2 | 23 | 275 | 229 | 40 | 70 |
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4月計 | 69 | 371 | 1,850 | 515 | 1,443 | 48 | 26 | 326 | 636 | 114 | 169 |
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5月1日 から10日 |
4.4 | 129 | 112.8 | 32.8 | 56.2 | 0.8 | 9.9 | 68.6 | 70 | 2 | 59 |
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5月11日 から20日 |
5.5 | 40.7 | 48.5 | 41.2 | 136.7 | 0.6 | 6.1 | 13.8 | 32 | 7 | 3 |
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5月21日 から28日 |
3.7 | 8.6 | 9.7 | 108.8 | 45 | 0 | 0.7 | 3.2 | 36 | 0.4 | 2 |
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5月計 | 13.6 | 178.3 | 171 | 182.8 | 237.9 | 1.4 | 16.7 | 85.6 | 138 | 9 | 64 |
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合計 | 101 | 550 | 2,199 | 706 | 1681 | 49 | 43 | 412 | 774 | 123 | 233 |
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3月20日 〜3月31日 |
16 | 1 | 177 | 80 | 296 | |||||||||||||||||
遡上初出日 | 23日 | 20日 | 25日 | 29日 | 25日 | 4月 4日 |
4月 3日 |
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初出日 最高水温 |
ー | 12度 | 11度 | 12度 | 12度 | 15度 | 13度 |
2011 年 |
2012 年 |
2013 年 |
2014 年 |
2015 年 |
2016 年 |
2017 年 |
2018 年 |
2019 年 |
2020 年 |
2021 年 |
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4月1日 から10日 |
61 | |||||||||||||||||||||
4月11日 から20日 |
254 | |||||||||||||||||||||
4月21日 から30日 |
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4月計 | 315 | |||||||||||||||||||||
5月1日 から10日 |
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5月11日 から20日 |
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5月21日 から28日 |
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5月計 | ||||||||||||||||||||||
合計 | ||||||||||||||||||||||
3月20日 〜3月31日 |
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遡上初出日 | 4月4日 | |||||||||||||||||||||
初出日 最高水温 |
13度 |
3月下旬に相模大堰を越えたアユは目撃されていない。
調査開始日は、4月4日であるが、この日が遡上開始日で、1万七千。
2011年の「4月中旬」は、4月17日までの数量で、4月18日から20日の数量を含んでいない。5月15日頃に更新します。
社家取水管理事務所のコメントに、平成20年等の同時期の遡上量との比較が行われているが、数量だけを見ると、2008年:平成20年と同水準である。
しかし、平成20年は、「4月上旬」の遡上量が多い。
これに対して、今年は、4月上旬の遡上が少なく、4月中旬の遡上量が多い。
このことが、あゆみちゃんの成長・大きさにどのように作用するのかなあ。
なお、調査日と遡上量を組み合わせた波形で見ると、2003年:平成15年の波形に近似している。
3月下旬、4月上旬に相模大堰を上った鮎は、20センチ台に成長できるのではないかと思うが、4月中旬に上ったあゆみちゃんは、20センチ台に成長できるのか、できないのか。
去年のように、5月1日頃に上ったあゆみちゃんは、大きくても18センチくらいのようであるが。
なお、遡上の遅れを水温の影響とする見方があるが、4月4日の最高水温は13度。遡上は10度くらいの水温で始まっているようであるから、水温ではなく、孵化からの成長時間によるのではないかなあ。11月中旬もしくは下旬までに孵化したものは、大きく育っているのではないかなあ。
来年は大量遡上の年になるかも。
大量遡上の翌年は、遡上量が激減する傾向にあるようであるが、稚魚の食糧である動物プランクトンが有限であること、有限の食糧のなかで、「全員が死ぬのは忍びない」ということで形成されている「順位制」や「縄張り制」の社会秩序が、稚魚では形成されていないことが関係しているのかなあ。
もう10年ほど、相模大堰での遡上量調査が継続すれば、海での稚魚の生活誌の一端がわかるかも。
懸念材料
次のような遡上阻害のお話があります。歩いては見に行けないので、お車をお持ちの人は見に行って頂戴。
@ 磯部の堰の魚道に水が流れていない。これに対して、土砂を取り除いたから魚道に水が流れている。
A 中津川の第一鮎津橋、、道万取水堰、才土橋下魚道の改修をした。
B 妻田の堰の魚道を降りた水は真っ直ぐに下流に流れているのかなあ。
C 三川合流点付近は、チャラになり、堆積した土砂が、中津への遡上をいやがらせる形状になっている。
4月29日 中津川
先週、山女魚の追加放流をしたとのことであるが、バケツ何杯、という量ではオラの分けまいはあるまい。
田代には、鮎の気配が感じられない。平山橋からも見えず。
坂本の堰を遡上しているのが目撃されたとの話があった。どの程度の量かなあ。
相模川の高田橋上流では、ちっちゃいハミ跡がちょっぴり見えたが、どこの放流物かなあ。昨日、磯部の堰をまだ上っていないとの話であった。2,3日前、磯部の堰に見に行ったときも、堰の落水のところのサギは数羽だけ。鵜も見えず。
まだ、磯部の堰を上っていないと見てよかろう。
2011年遡上量調査:相模川大堰副魚道その2 単位:万
2000 年 |
2001 年 |
2002 年 |
2003 年 |
2004 年 |
2005 年 |
2006 年 |
2007 年 |
2008 年 |
2009 年 |
2010 年 |
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4月1日 から10日 |
23.2 | 204.9 | 568 | 18.4 | 830.9 | 5.6 | 0.5 | 27.4 | 188 | 20.3 | 19 | |||||||||||
4月11日 から20日 |
9.4 | 40.6 | 895.2 | 264.5 | 113.2 | 0 | 2.5 | 24 | 219 | 54 | 81 | |||||||||||
4月21日 から30日 |
36.6 | 125.3 | 387.1 | 232.3 | 499.2 | 42.2 | 23 | 275 | 229 | 40 | 70 |
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4月計 | 69 | 371 | 1,850 | 515 | 1,443 | 48 | 26 | 326 | 636 | 114 | 169 |
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5月1日 から10日 |
4.4 | 129 | 112.8 | 32.8 | 56.2 | 0.8 | 9.9 | 68.6 | 70 | 2 | 59 |
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5月11日 から20日 |
5.5 | 40.7 | 48.5 | 41.2 | 136.7 | 0.6 | 6.1 | 13.8 | 32 | 7 | 3 |
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5月21日 から28日 |
3.7 | 8.6 | 9.7 | 108.8 | 45 | 0 | 0.7 | 3.2 | 36 | 0.4 | 2 |
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5月計 | 13.6 | 178.3 | 171 | 182.8 | 237.9 | 1.4 | 16.7 | 85.6 | 138 | 9 | 64 |
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合計 | 101 | 550 | 2,199 | 706 | 1681 | 49 | 43 | 412 | 774 | 123 | 233 |
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3月20日 〜3月31日 |
16 | 1 | 177 | 80 | 296 | |||||||||||||||||
遡上初出日 | 23日 | 20日 | 25日 | 29日 | 25日 | 4月 4日 |
4月 3日 |
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初出日 最高水温 |
ー | 12度 | 11度 | 12度 | 12度 | 15度 | 13度 |
2011 年 |
2012 年 |
2013 年 |
2014 年 |
2015 年 |
2016 年 |
2017 年 |
2018 年 |
2019 年 |
2020 年 |
2021 年 |
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4月1日 から10日 |
61 | |||||||||||||||||||||
4月11日 から20日 |
332 | |||||||||||||||||||||
4月21日 から30日 |
417 | |||||||||||||||||||||
4月計 | 749 | |||||||||||||||||||||
5月1日 から10日 |
46 | |||||||||||||||||||||
5月11日 から20日 |
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5月21日 から28日 |
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5月計 | ||||||||||||||||||||||
合計 | 795 | |||||||||||||||||||||
3月20日 〜3月31日 |
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遡上初出日 | 4月4日 | |||||||||||||||||||||
初出日 最高水温 |
13度 |
3月下旬に相模大堰を越えたアユは目撃されていない。
調査開始日は、4月4日であるが、この日が遡上開始日で、1万七千。
2011年の「5月上旬」は、5月8日までの数量
遡上量では、2008年と同水準である。しかし、4月上旬の遡上量は、2008年の方が2011年よりも多い。
なお、調査日と遡上量を組み合わせた波形で見ると、2003年:平成15年の波形に近似している。
3月下旬、4月上旬に相模大堰を上った鮎は、20センチ台に成長できるのではないかと思うが、4月中旬に上ったあゆみちゃんは、20センチ台に成長できるのか、できないのか。
去年のように、5月1日頃に上ったあゆみちゃんは、大きくても18センチくらいのようであるが。
なお、遡上の遅れを水温の影響とする見方があるが、4月4日の最高水温は13度。遡上は10度くらいの水温で始まっているようであるから、水温ではなく、孵化からの成長時間によるのではないかなあ。11月中旬もしくは下旬までに孵化したものは、大きく育っているのではないかなあ。
来年は大量遡上の年になるかも。
大量遡上の翌年は、遡上量が激減する傾向にあるようであるが、稚魚の食糧である動物プランクトンが有限であること、有限の食糧のなかで、「全員が死ぬのは忍びない」ということで形成されている「順位制」や「縄張り制」の社会秩序が、稚魚では形成されていないことが関係しているのかなあ。
もう10年ほど、相模大堰での遡上量調査が継続すれば、海での稚魚の生活誌の一端がわかるかも。
大きさについて
2008年は、解禁日に17センチが、そして梅雨明けには20センチ台が釣れた。
しかし、4月中旬に相模大堰を越えたアユがその大きさに育つのか。
10日、2週間の遅れということは、、孵化時期がそのくらい遅く、11月終わり頃から孵化している、成長がそれだけ遅い、ということにならないのかなあ。
そうすると、遡上量では、2008年と同じ水準でも、大きさでは違いが出るのではないかなあ。
懸念材料
次のような遡上阻害のお話があります。歩いては見に行けないので、お車をお持ちの人は見に行って頂戴。
@ 磯部の堰の魚道に水が流れていない。これに対して、土砂を取り除いたから魚道に水が流れている。
→水は流れていた。しかし、磯部の堰は2段の魚道になっていて、下流側の魚道はV字型になっている。
したがって、魚道の上り口が上流側に向いているため、魚道への上り口に誘導されにくい構造になっている。
4月28日現在、下流側の魚道を越えたアユはいないのではないか。上流側の堰での白鷺も数羽のみ。
連休の頃から、高田橋分流、弁天左岸分流で、5センチくらいから10センチ以下の稚アユが跳ねているが、それらは、海産畜養であって、遡上鮎ではなかろう。
海産畜養は、同じように餌を食べるのではないようで、成長段階の違いからか、同じような大きさにそろえる養殖方法は大変な労力が必要なよう。したがって、小さい鮎も放流されることになる。
なお、連休明けも、弁天、高田橋には遡上鮎の気配が感じられない。
磯部の堰の魚道は、増水して、魚道の付近が周りよりも緩やかな流れになったときに、そこに稚アユが集まり、魚道からの落水に気がつく、という条件が必要かなあ。
いずれにしても、遡上量「達成率」が非常に低い数字となる構造である。
A 中津川の第一鮎津橋、、道万取水堰、才土橋下魚道の改修をした。
B 妻田の堰の魚道を降りた水は真っ直ぐに下流に流れているのかなあ。
C 三川合流点付近は、チャラになり、堆積した土砂が、中津への遡上をいやがらせる形状になっている。
→中津川の坂本の堰で、4月29日に遡上アユが観察されたとのこと。量は不明。
海産畜養の他、どこかの継代人工が放流されている。5月10日頃には宮城産継代人工が放流された。トラックは見たが、放流されているところは見なかった。大きさの写真は、野口おとり店のホームページに掲載されている。
追伸
5月連休明けに、昭和橋で大量遡上が目撃されたとのことです。
5月14日遡上状況
中津川の角田大橋から壊れ橋までは、テク1の観察通り、「冬の川」の石。どの程度、遡上があったのかなあ。
相模川の高田橋分流のチビは、連休中よりも増え、本流のザラ瀬にもアユは増えているが、総なめには程遠い。
中津川の水量は、2、3トンから、5トンくらいに増えているが、これが遡上阻害の改善にどの程度寄与するのかなあ。
相模川も20センチほど増水。磯部の堰魚道の上り口がわかりやすくなったのかなあ。
なお、堰があることによって、一番上り、二番上りが成長順、大きさ順に順繰りに遡上していないよう。むしろチビの方が磯部の堰を早く超えていうのかも。
まだ、五,六センチくらいの遡上鮎が、弁天で観察されていたとのこと。
6月1日 中津川壊れ橋上流
相模川は、2メートル台のダム放流後、それほどの濁りはなかったが、昨日から山梨の水が流れてきて濁り。濁りとアカ飛びではしんどいから、濁りのない中津へ。
よねさんは、6時に出勤して、仙台堰下流に入ったとのこと。6匹釣ってから、角田大橋上流に移ったとのこと。
壊れ橋と仙台堰の中間附近にはいる。ダム放流12トンくらい。平水の2,3倍の水量。
60トンのダム放流があったが、アカは飛んでなかった。
水温14度。10月下旬の水温。
まずは遡上鮎の中学生。これでボウズはなくなった。その後は、1人の海産畜養の女子高生を除くと、小学生と幼児。
合計8匹。
まだ10時半であるが、初心者らしくないおっさん改め、「迷人見習い」が狩野川の解禁日に釣った人工を除く数になったから、麦酒タイム。ついでに、はり込んで買った高級な握りを食べた。
去年、ヘボのオラに全戦全敗したから、「迷人見習い」ですよ。
なにい、文句ある?4,5回しか負けていないのに、「全敗」とは納得がいかん、と?
零はどこまでいっても零じゃあ。
グレ釣りの栄光を保ちたいなら、ヘボに勝ってから文句をいえ。
帰ろうかなあ、寒いし。
ちょこっと竿を出したが、送ってくれる人がいるからすぐにやめた。
左岸の瀬の芯には中学生がいるのかなあ。幼児ですら、玉引きするところにいるということは、遡上鮎の数が少ないのか、それとも、芯にだけ中学生がいるのか、どっちかなあ。もう少し減水したら、左岸の芯に囮をいれることができるが。
中津にも遡上鮎がいることが、そして、釣りの対象になる量があることが判った。
あとは、中学生がどのくらいの密度でいるのか、ということ。
6月3日 中津川
週末は混むかも。そうすると今日は暖かいし、その前にあゆみちゃんと遊ぶ方がよい。
とはいえ、遡上量がわからない。人工の放流ものは、ダム放流時に放流地点からどっかに消えたであろう。
サボZさんが愛川橋を見たいという。
今世紀になって初めてかなあ。原下の堰下流に入った。
宮が瀬ダムがなかったとき、ここの瀬は、現在よりも流れの幅が狭く、大石が水中に転がり、その周りに玉石がびっしりと詰まっていた。高校生を調教してたお父さんが、掛けることはできるけど、全然取り込めない、と笑顔で話していたことがあったなあ。オラは瀬脇のあった左岸側から釣ったから、取り込めないことはなかったが。
その素晴らしい瀬が消えてからしばらくはいったことがあるが、今は昔のこと。
釣れませんなあ。
ヘチに避難しているチビの中に囮を入れると、掛かったが落ちた。ヒラを打つのは1匹見えただけ。
愛川橋から上ってきたサボZはチビ1とのこと。
田代を見ると、下流側の瀬に入っている人はなし。放流ものが好む場所に釣り人は固まっているが、それほど混んでいない。
解禁日に大漁であった人もいたというのに、空いているなあ。
壊れ橋上流へ。仙台堰に近いところは空いているが、解禁日に入った附近から下流はそこそこ人がいて、どこにはいるか、空間探し。
解禁日と同じ附近に入り、小学生か中学生の大きさが1匹。ボウズにならなくてありがたや。サボZも動いて1匹。
八菅橋上流の送電線下等を見たが、相も変わらず砂利が多い。
八菅橋下流の斎場附近へ。砂利はなく、石の状態はよいが。サボZは小学生か中学生を2匹釣ったがそれまでよお。
オラの下流側の人も釣れてなかったなあ。
結局、サボZは囮をいれた各場所で釣りあげ、計4匹。オラの4倍。迷人見習いがいなくてよかった。
迷人見習いは、狩野川の解禁日に27匹釣り、そのうち、X匹が海産と書け、と抗議のメールをよこした。オラは面食いであるから、人工には興味がないと返事を出したが、今日、迷人見習いがいたらなんと言われたことやら。
遡上鮎がどの程度の量なのか、まだ見当がつきません。
昭和橋のコロガシは、チビが掛かるが、数匹レベルとのこと。
この調子では、週末は、早川に殺到して、中津はそれほど混まないかも。
6月6日 中津川
注射を打ちにいくべきか、遡上あゆみちゃんのフィーバー台を探しに行くべきか。
それが問題だ。
4日、弁天下流側瀬肩附近に一位のお局さんがいたが、オラが見ている間には釣れず。たいして釣れなかったとのこと。
石切場の上流側瀬肩には人がいるし、テク2が数日前に20釣ったが、今日は釣れているのかなあ。
人工が好むその下流の水深のあるところには誰も入っていない。見物人の方が多い。下流側の瀬肩にも人はなし。
5日、大島。
濁りが圏央道の山を削ったためとの話があったが、ダムの濁りで、圏央道の工事による串川の濁りは、一過性のものではないのかなあ。
神沢の上流側トロに数人見えたが、大島に放流された人工が流れて溜まっているのかなあ。鵜止まりの淵上流の瀬は1人だけ。
シルバーシート前には釣り人はいっぱいいるが、水の中に入っているのは数人だけ。
さて、テク2が葉山で30,しあわせ男が石切場で40とのことであるが、問題は、その翌日には釣れないということ。何日おけば釣れるのか、鮎がつくのか。人工ではなく、遡上鮎の15センチくらいまでの大きさであるが。
中津川は、土曜、日曜は大入りであろうから、竿抜けポイントはないはず。
しかし、土曜、日曜が釣れない日であれば、ポイントに鮎がついているかも。それに、今日は天気晴朗、気温高い、麦酒はうまいはず。昼寝をしても気持ちのよい陽気。明日は曇りとのことであるから、中津川へ。
まじめにやれえ、と、あゆみ国女王様が怒っている。しかしねえ、女王様、小学生や幼児では、罪悪感があって、気乗りしないんですよ。せめて中学生に老い先短いジジーと遊んでやって、と、よろしくお願いしますよ。
今年の釣り場である仙台堰と壊れ橋の中間くらいにはいる。ここの瀬には人工はいない。遡上鮎が対象であるが、密度は薄いかも。
チビですか。ここはじっと我慢の子になりましょう。しかし、囮はもう働きたくないと。代えましょう。
悲劇が起こった。高級タモが水圧を受けやすいとは知っていたが、中腰がしんどいから膝をついて次の養殖を出したとき、タモからさっと逃げられた。
ホトトギスさんやたけちゃんのように1匹の囮で釣る習慣を身につけていないため、囮の追加買いに。
やっと、小学生か中学生かという囮サイズが。次は小学生。ここは小中併存校?
そんな美味しいお話はないですよね。
動ける空間があるから、動いたが、幼児、小学生主体にやっと8匹になって麦酒のお時間に。
麦酒は飲んだ、瀬よりも楽なところがええなあ。壊れ橋に近づいていくが、フィーバ−台はないですなあ。
2時を過ぎると、もうやめたくてやめたくて。年を食ったなあ。
結局、遡上鮎ばかり13匹。
よねさんは、角田大橋上流で、人工の高校生、乙女ばかり釣ってきたが、オラよりも数は少ない。よねさんよりも多く釣れたとは、前代未聞の珍事ですなあ。重量でははるかに及びませんが。
田代、角田大橋上流で、いろんな産地の人工の高校生、乙女をそろえてきた人は20以上。重量はオラのウン十倍。
角田大橋上流の瀬の人は、海産畜養ではないかと思う高校生の引きを楽しんだとのこと。
6月9日 相模川弁天
濁りは気にならないほどの状況になっているが、アカはついているのかなあ。
2メートルあまりのダム放流で、弁天の瀬の小石が頭大の石に変わったのかなあ、砂利は流れたのかなあ。
上流側の瀬肩より上流のトロで釣っている人は、高田橋に放流されてまだ残っている人工を対象としているのかなあ。
瀬肩はあいている。
ダム放流前には、はんでいる鮎が見えていたが。
なんと青ノロが繁茂している。とりあえず、囮をいれるしかないか。沖の方はアカがついてるとは思えないから瀬脇よりも手前に。養殖は弱いなあ。こんな流れでも流されているよ。0.8号のオモリでやっと留まった。
あらまあ、中津のチビがいやでやってきたのにチビとは。幼児に小学生4匹。
まだ9時前か、帰るには早過ぎるなあ。
下流側の瀬肩上流へ。
上流側瀬落ちの砂利が流れたか、見たかったが、そこに入っていた人が消えていったから、不況でしょう。
下流側の瀬肩附近には、青ノロがない。しかし、アカもヘチ付近にしか着いていないよう。すぐに中学生。何じゃあ、平瀬でも鮎がいるじゃん。
下流側の人が瀬肩から瀬を釣っているから、その人を見て、瀬の状況を調べましょう。石が大きくなく、アカ付きが悪ければ、根掛かり放流に、囮の過労死に、と、なるから、他人様の状況を見る方が、安全ですからね。
中学生は、はぐれ中学生のようで、さっぱり釣れませんなあ。
下流側の瀬の人も、根掛かり放流をして分流へ。
まだ11時か。いやもう11時や。麦酒を飲んで元気になろう。
麦酒を飲み、早飯を食べているときに、Iさんが市場調査にやってきた。
テク2は、どこに入っても釣っている、と。
それで、弁天ではどこに入っていた?と聞いた。
弁天では釣ってないよ。葉山と石切場だよ、と。葉山にはハミ跡がいっぱい見える、と。
テク2が、腕では釣れない場所と判断していた弁天では、釣れなくて当然か。
朝帰りは御法度です。
小学生を囮にして、釣るも、小学生が1匹追加できただけ。
それにもめげずに、1時まで働きました。これで朝帰りの汚名はなし。
分流の人もチビ8匹とのこと。分流のアカ付きも悪いなあ。
石切場に行くには疲れるなああ。鮎バックが肩に食い込むなああ。
葉山に行くにはアッシー君がいないと、あんよが引きつるなあ。
困ったなあ。
なんで、弁天上流側の瀬肩附近では青ノロが発生しているのかなあ。
なんで、弁天のアカ付きが石切場や葉山よりも悪いのかなあ。石の大きさかなあ。
昭和橋のコロガシでは、昨日までは40くらいであったが、今日は束釣りが出ているとのこと。釣れている鮎には人工は少ないとのこと。人工は死んだのが多いのかなあ。
雄物川さんは、91か2で1時上がりとのこと。同じ1時上がりでも、オラとの差が大きすぎるなあ。あゆみちゃんの意思を無視してナンパのできるコロガシの特性であるから、仕方がないか。
神様は、なんで雄物川さんの病気を鮎シーズンオフに発症させたのかなあ。今、発病させてくれたら、雄物川さんの毒牙に掛かった鮎が弁天に差してきて、オラと遊んでくれたであろうに。
遡上鮎が、避難先から大量に戻り始めたということかなあ。
6月10日 昭和橋
昼過ぎ、Tさんに乗せて貰って、昭和橋を見に行く。
釣り人は少ない。束釣りが出ているのに、なんでかなあ。
左岸分流に雄物川さんが、アッシー君の奥さんを待っていた。4,50ではないかなあ。いつものブロックよりも下流側で釣っていた。ブロックのところはもう少し水が引かないと、ブロックを住処にしている鮎を釣ることができないから、とのこと。人工が思ったよりも多い。
上流の分流流れ込みの流れの強いところのMさんはチビ。流れが速く、人工が好まないところのよう。
Tさんは、昭和橋近くの本流で、60台を釣って帰ってきたが、人工も混じっているとのこと。また、去年、増水が少なく、また、増水の規模が小さかったため、臭い鮎のときもあったとのこと。
磯部の堰上流トロで、流された人工が留まったのかも。
圏央道の橋付近はコイ釣りが。
石切場には、上下の瀬肩附近に人はいるが、護岸前の放流もの主体のところは、今日も人はなし。
テク2は高田橋上流の分流との合流点付近に入り、チビのオンパレード。流れの強いところであるのに、囮にできる小学生はわずか。
葉山でも、オラのあんよで安全な場所もあるとのこと。
6月12日 相模川葉山島
アカ付きがよいとの話がある葉山に、迷人見習いと出かける。
白川ではないが、ヘンな苔。2メートルあまりの増水でも流れなかったと思われる腐りアカのついた石、泥かぶりのような石。瀬落ちでは、石はきれいで、アカがついていた。
大島で行われていた河川工事によってヘドロが石にこびりついて、その上にアカがついたところもあるということかなあ。
上流側で左岸に流れる瀬はテク2が好むところではあるが、オラには無理。ということで、右岸側から、その下流で左岸へと流れている瀬へ。
オラの上流に迷人見習いが。迷人見習いの入ったところはチャラ状であるから、遡上鮎は梅雨明けまでは住みつかないと思うが。
今年初めての遡上鮎の女子高生。当然、証拠物件として、根掛かり放流を避けるために、箱入り娘に。
養殖は3匹いるから楽ですねえ。その付近で居座っていてもよかったが、流れの強いところも囮をいれたい、その方が、女子高生が両手に花となるのでは、と釣り下っていく。
迷人見習いは、それに合わせてオラの入っていた瀬肩附近へ。
根掛かりで糸を切りたくないなあ、と、3匹釣ったところで瀬落ちへ。瀬落ちのアカはきれいであるが、水深が1メートル以上ある。光合成ができるのかなあ、真夏には鮎がつくが今はついているのかなあ。
小学生が釣れたから鮎がついている可能性がある。
それが判ったから、また瀬肩附近へ。
迷人見習いは8匹とのこと。
迷人見習いは、師匠から、泳がせができるようになったといわれて自信満々、得意満面。
ただ、師匠は泳がせができるようになっても、鮎を掛けることができるということではない、といわれて、その練習に余念がない。
そのために、テク2がよくはいる上流側で左岸へ流れている瀬に移動した。
まあ、今日は、迷人見習いが師匠に賞められたことのご祝儀として、花を持たせてやるか。
という強がりをいっているが、どこの瀬が釣れるのか判らないだけ。
迷人見習いは、テク2ポイントの瀬にいったが、押しが強くとても泳がせること不可能、と、その瀬肩附近の数人の中へ。
そこも鮎がついているのは、芯に近いところだけであるが、その附近に囮をいれている人はいないから、釣れないはず、と。そして、芯に近いところに囮をいれるには立ちこまなければならず、見かけよりも流れが強いから大変とのこと。
麦酒を飲んでうろちょろと、上流側の平瀬状のところに入ろうと思ったが、なんと混んでいる。テク2ポイントに流れが分岐する瀬肩の人達が移動していた。
朝の場所は、根掛かりが気になるがしばらくやるしかないか。
オラが糸を切ろうかな、と悩んでいたところに、楽々と根掛かりを外しに入っていく人が。うらやましいなあ。
麦酒を飲んだ後の瀬の釣りはしんどいから、瀬落ちへ。
ここは、数年間、淵から差してくる鮎がつく一等地で、いつも混んでいたところであったが、瀬の形状が変わり水深があるため、時期にあらず。
迷人見習いは、朝の瀬で、下の棚に落ちるほど強い引きであるのにばれた、と。早掛けタイプの三本錨で、身切れを起こしたのではないかなあ。
今の時期の遡上鮎は水鮎といわれるくらい、まだ、身は柔らかいし、増水後は身が柔らかくなる、という話もあったのではないかなあ。
結果は、迷人見習いが囮にした鮎を強く引きすぎて鼻が切れたり、ばらしたり、師匠が見ていたら雷を落とすであろう粗相もあって12,3匹。
オラが7匹。
迷人見習いはキュウリの香りがする鮎が2匹?、と。そして、女子高生と思っていた鮎は15歳中学生。
オラは16歳女子高生が2匹。他は、チビはなく小中学生。迷人見習いが早掛けタイプの針を使っていなければ、あるいは4本錨を使っていれば、女子高生とご対面できたかも。
アカの状況は弁天とは違い、白川ではないが、正常なアカ付きのところと、ヘドロの上にアカがついたようなところとある。なんでかなあ。瀬のほうが石が汚く見える。
オラが昼から入ろうと思った平瀬状のところの人達は、2時に帰るときには、また、テク2ポイントの流れにわかれる瀬肩に移動していたから、去年、小椋さんがお仕事で釣りをされていた平瀬は釣れないということかなあ。
6月15日 相模川葉山
明日の大会の準備のために、相模川に行くおっさんの車で葉山へ。
前回同様の場所にはいるが全然釣れません。中学生も高校生も品切れ?小学生でもありがたいが。
やっと釣れた17歳高校2年生。下顎側線孔数は4対左右対称、鱗も粗くない。ただ、今の時期の遡上鮎よりは太め。海産畜養か。
囮が変わったというのにさっぱり。仕方がないから、朝麦酒。
麦酒を飲みながら見ているが釣れていない。オラの下流側の人は瀬落ちに移り消えていった。
オラの上流側の人は、オラよりもあんよが下手、取り込みももたもたしている、と、優越感に浸った。
ところが、この方は、御年87歳。どひゃああ
あんよがオラよりも下手と失礼なことを思って、申し訳ございません。
しかも、午後、オラが5匹のとき6匹も釣っていいらっしゃる。
滝井さんや垢石翁と会われたこともあるのかなあ。
御年87歳の方の下流で小学生の低学年。ここは、人工だけではなく、小学生の低学年もいなかったのではないかなあ。
まあ、中学生も釣れたから、と思えど、御年87歳さんよりも少ないとは。若者?の沽券にかかわる事態です。
瀬落ちに行き、バレ。やっと中学生。
また、朝の場所、御年87歳の人の場所附近をうろちょろ。
御年87歳の人は、2時に上がるが、オラは、1時間長く働いて、まだ、若いぞお、と。
やっと合計9匹に。
テク2ポイントへの流れの瀬肩の人が釣れてない、と。
ということで、葉山も線香花火かなあ。
明日の大会では、石切場の状況をとくと見物しましょう。
やんごとなき方が、休み時間をたっぷりとって疲れない優雅な釣りをして、60,70とのお話があった。それが、チビや小学生の低学年であれば、オラの腕では所詮無理、と潔く諦めるが、中学生や女子高生が混じっているとなると話は別。お裾分けを頂かないと。
弁天もアカ付きがどうか、釣っている人から判断しましょう。
まあ、こんな贅沢な愚痴を言えるのも、静岡のような大雨が降らなかったからですよね。
昭和橋のコロガシは、人工が消えて、小中学生とチビ。束釣りは1人くらいで、5,60コース。
楽をして、市場調査をようとしたが、大会は延期になった。 右岸への渡場がないとはいえなとは思うが、万一の事故を懸念されたのであろう。 お百姓も、オラと同様、楽をして市場調査を目論んでいたよう。お百姓を利用すれば、石切場が楽に行けるが、とおちゃんによほど厳しくお説教をされたのであろう。今年は、いつもの年にまして、まじめに働いていらっしゃる。 その時に、農業をさぼらせて、勘当されては困っちゃうなあ。 仕方がないから、散歩がてらに石切場の状況を見に行くことにしますか。 |
6月19日 相模川弁天
夏日の天気予報が梅雨寒に変わっている。麦酒なく昼休肝日、囮が過労死したり根掛かり放流をしたら朝帰りもありで、弁天の下流側瀬のアカ付きを見に行く。
友船をぶら下げていると、ヒゲだるま君が川にご出勤をするところ。当然便乗する。
弁天下流側の瀬のアカ付きはよくなった。
ヒゲだるま君は、金属の0.02で、瀬のチビにも対応する仕掛けであるから、オラは、ヒゲだるま君の上流側へ。
ヒゲだるま君は掛けるも、何匹釣ったら、囮を取り替えられるかなあ、と。オラもチビ。
しかし、その後に中学生に小学生高学年。これで、囮の過労死はなくなった。
ヒゲだるま君は徐々に立ちこんでいって、右岸側へと流れ込むザラ瀬へ。そこでよく掛けていた。
成魚放流もいたとのこと。高田橋に放流された人工が流れてきたのかなあ。
午前に25ほど。
そのトイ面上のオラは、超チビを含めて13.囮に出来るのは3分の1くらいかなあ。
午後、テク2ら根こそぎ軍団が、相模縦貫道の橋脚から流れてきた。
根こそぎ軍団の気配を感じて、あゆみちゃん達は逃亡して、全然釣れません。
しあわせ男は、徐々に立ちこんでいき、右岸のヒゲだるま君のポイントへ。しかし、品切れか、それほどの勢いはない。いつもは、時速10匹は当たり前であるが。
とはいえ、しあわせ男の騙しのテクニックは凄く、上流側の瀬まで1周して12,3.オラの1日分を2時間足らずで釣るとはなあ。
テクTも、右岸のヒゲだるま君のポイントを釣ったが、数匹。しかし、石はきれいに磨かれていたとのこと。
テク2は右岸に渡り、瀬尻、瀬落ち、瀬と、去年の大漁ポイントを調べたが、どこも良場ではなかったよう。
今日は、市場調査であるから、とのこと。右岸へ渡る人を眺めていたが、溝はない。石も大きいのは少しとのこと。
結局、午後は、オラは、目玉を釣ったり、蹴られたりして、チビを2匹追加しただけ。
ヒゲだるま君も上流の、瀬、瀬落ち等にいったが、数匹で、合計29匹。
1日途切れずに釣れるほど、美味しい場所は、現在のところないよう。
テクTだけ、3時に上がらなかったから、夕方のハミ時の御利益を受けたのかなあ。サラリーマンの鑑ですよね。ずる休みをするどっかのサボリーマンとは大違いですよね。
昨日、石切場では、しあわせ男が釣れない、と陸に上がっていたが、時速10以下では満足出来ないとは贅沢なことですなあ。
ドラえもんおじさんはドブ釣りで遊んでいたが、60以上釣れても、バーベキューをしながらの贅沢な時間配分であっても、さすがにチビと小学生が主体では、囮を曳く気分が乗らないということかなあ。
日々変化する水量のため、中学生、高校生は、押しの強い水深のあるところに入り込んで出てこない、とのお話。
7月以降、梅雨明け頃から、中高生が主役になるのかなあ。
上流側瀬、瀬肩の青ノロは健在で、それが流れ出していて、糸にくっつく。
下流側の瀬肩でも、アカ付きと同様、青ノロが前回よりも増えているが、上流側瀬肩附近ほどではない。
6月22日 相模川弁天
今年始めての半袖のいでたち。今日の麦酒はことのほかうまいでしょう。
葉山に行くには小1時間鮎バックを背負って歩かねばならない。御歳87歳の方よりは若いとはいえ、肩に食い込む鮎バックは痛いからなあ。
ということで、いつものように弁天は下流側の瀬へ。
昨日、お百姓が上流側の瀬肩よりも上流で25釣ったとのことであるが、高田橋に放流された人工の行動範囲であるし、青ノロの中を釣りたくない。
昨日、石切場の上流側の瀬肩附近のヘチを見たが、石が汚くなっていた。食堂は沖に移動したのかなあ。
弁天下流側瀬肩附近は汚い石はない。
それにしても釣れませんなあ。右岸のヒゲだるま君の場所に入った人は、右岸を向いて釣らなければならないのに、囮を入れる附近を立ち位置にしている。右岸に渡れたら、その人が動いた後に入りたいところであるが。
瀬の人は時折掛けるが根掛かり放流もあるから、鮎は溜まらないのではないかなあ。ほんとうにたまに掛ける。
オラはさっぱり。やっと小学生の低学年。ぎりぎり囮に出来るが、腹掛かりではなあ。
暇に、退屈に負けて10時過ぎには麦酒のお時間。握りも食べていつでも朝帰りが出来る準備完了。
やっと、昼のサイレンが鳴った。
もう朝帰りではない、昼上がりじゃあ。
その理由も、2本の水を飲みほして、熱中症になりたくないからじゃあ。決して釣れないから逃げ出したのではないぞお。
それにしてもなんで釣れないのかなあ。品切れということはあり得ない。どこかに住処を変えたのかなあ。不思議ですねえ。
この状態が持続すると非常に困ります。何でか、教えて。
1匹の他は、2回の団子のぽっちゃん。
まあ、ボウズではないからヨシとするか。
それにしても、いきなり30度台、この高い気温に、囮が過労死をする前に、人間がひからびそう。この気温の急激な変化があゆみちゃんを避暑地に避難させたとは思えない。津久井湖は底水放流であり、その水温は安定しているはず。大島から10キロほど流れてくる間に水温が高くなるとしても、水量が多いからそれほどの上昇にはなるまい。
次回はどこに行こうかなあ。
昭和橋のコロガシは大漁とのこと。
ただ、釣れる場所は限られていて、少し離れると釣れないとのこと。
ということは固まっているということではないかなあ。なんで固まっているのかなあ。どこに固まっているのかなあ。
6月24日 相模川
じいさんは、川へ働きに、と、意欲満々?であったが、風が吹いている。天気予報も赤と黄色の風のマークが。ありがたいなあ、お天道様もボウズにならないように、年寄りにお恵みを下さった。
昭和橋のコロガシは、束釣りや50,60当たり前、の状況の人もいるのに、それほど混んでおらず、釣り場さえ間違えなければ、数は十分とのこと。
ただ、固まっているから、場所を間違えると全然釣れないとのこと。
しかし、その「固まっている」現象は、人工とは異なるとのこと。
人工であれば、池袋のトキワ莊界隈のように、狭い範囲に固まっているが、今年は、50メートル、100メートルの空間での固まっている、という状況とのこと。
郊外の新興住宅地同様、戸建て住宅地に入れば、大漁になるが、そこから1歩外れて、野原や田畑のところにはいると、さっぱり、とのこと。
しかも、新興住宅地は瀬の中にあり、人工が固まるトロにはないとのこと。
昨日、高田橋で講習会が開かれていた。
貧弱な瀬になり、石も小さくなっているから、遡上鮎が好む住宅地はないと思うが、どこかにあるかも、と見ていた。
おなじみさんが、分流合流点付近から立ちこんで釣るが、小学生で中学生はない。その後、少し下流の水深のあるところを左岸側ヘチから釣るが、美味しい場所ではないよう。
中学校がどこかにあるのかなあ、どこにもないのかなあ。もし、中学校がないとすれば、遡上鮎の中学生はどこに行ったのかなあ。
一昨日、弁天上流側の瀬を右岸側から釣っていたお百姓も見学に来ていた。
お百姓は25匹、10センチから18センチというが、どこかのように人工の成魚放流でないかぎり、18センチはない、と文句をいった。
お百姓は例によって、指を広げて大きさを証明したが、その指の幅が18センチあるのかないのか、それが問題だ。
ベストを着ていないから、巻き尺がなく、その時は測れなかったが、感じでは15,6センチに見えた。
小さい方の10センチは上げ底じゃあ。
5センチほど上げ底になっている、と非難したかったが、お百姓もご承知の風情。
まあ、青ノロの中、25も釣ったからご立派です。戸建て住宅があるのは右岸側だけとのこと。
葉山への、神沢へのアッシー君になるようにそそのかしたが、さすがにこれまでにこき使われた学習効果が作用して、釣りあげることは出来ず。
高田橋が貧弱な瀬となり、石も小さい、遡上鮎が住まいを選択するには「住環境良好」とはいえない、何よりも田名の主を見かけることがないから、小学生はいても、中学生はいない、と思える。
しかし、試してみることが必要。運がよければ、女子高生が両手に花、ということもあり得る?
まあ、女子高生は妄想としても、高田橋に挨拶をしなければ、と思っていましたが、風に邪魔されました。
言い訳と、いや、理屈と鳥もちはどこにでもつく。
6月25日 相模川
昨日は、風の性にしてさぼったが、風が強いだけではないんですよ。
例年は、5月の連休頃から、遅くても6月始め頃から、半袖になって、柔肌をお天道様に晒して、暑さになれていくのに、23日にいきなり30度以上の気温でしょう。これでは、あんよどころか、気温調節機能の低下著しいジジーにはこたえますよ。
ということで、24日には、昭和橋まで歩きました。もちろん下心ありで。
坂を上りたくないため、弁天にも石切場にも降りずに歩くも、スーパーに入り、空調の効いた店内で、アイスキャンデーを食べ、500cc2本を買う。
水管橋附近はドブ釣りと友釣りの人が右岸に見えたが。
新昭和橋下流の瀬には4,5人のコロガシの人が。その中に近所のTさんもいたのでは。その瀬落ちから昭和橋までのトロには釣り人なし。もし、継代人工が、磯部の堰上流で留まり、死んでいないのであれば、釣り人がいないことはないと思うが。
左岸分流の本流からの落ち込みに近いところには、いつものようにKさんが、小さいといながら釣っていた。
雄物川さんの指定席であるブロックのところはあいている。そこにいるはずの最上川さんは、昭和橋下流から上ってきていた。
昭和橋から下流側を見ると、分流の芯の拳大の石はきれいに磨かれている。曇った石はない。しかし、小学生。
本流も同じような大きさの石であるが、所々に頭大の石もある。きれいに磨かれてますねえ。藍藻が優占種であるから、黒々としています。
昭和橋下流のコロガシは、ザラ瀬状のところを釣っていた。
とても、侵入者に対して防御が行いやすい石組みのところはありません。友釣りでは釣れないでしょうね。交通事故かじゃれる、あるいは、眼をつけた、ということでも攻撃衝動が解発されるけんかっ早いものは釣れるでしょうが。
川那部先生が、縄張り形成で1人勝ちを選ぶか、それとも、縄張り形成で得ることの出来る利益が、経費との釣り合いの取れないときは縄張りを解消する、その結果は多くのものが大きくなる、と。
この説に従えば、乙女は別の理由から少ないとしても、今年の相模川は女子高生が多いという可能性も出てくるが。
さて、新昭和橋下流の瀬が、中高生の遡上鮎のたまり場の条件を備えているところと判った。しかし、その場所が石切場よりも上流に存在するとしても、あゆみちゃんの意思を重視する友釣りでは、ナンパ場所となるのかなあ。
帰り支度をしていた最上さんの18センチ級を見た。
下顎側線孔数が4対左右対称になっていないから、人工と教えた。鱗も少し粗かった。
これで、雄物川さんが何日か前、釣っていた18歳くらいも継代人工と考えてよいと思う。その時は、アッシー君の奥さんが迎えに来ていたから、クーラーの中をのぞいただけであったが。
6月の最高気温が39度になったところもあるから、相模川でも相当の気温であろう。
帰りにまたスーパに入り、アイスキャンデーをなめ、缶コーヒーを飲み、水分を補給し、ほてったボデーを空調の効いた店内で冷やした。
さて、今日はその6月最高気温よりも低くなる、との予報。
とはいえ、急に変化した高気温にボデーが馴染んでいないと思うから、バスに乗れば、坂を上らなくても済む高田橋へ。
23日の講習会を見た後、7時まで釣ったお百姓が、自慢話をせずに帰ったということは、あんまり釣れず、また、「自称」18歳も釣れなかったということではないかなあ。もし数、大きさで満足のいく結果であれば、オラに対して優越感を味わうために結果を自慢してから朝飯を食べたはず。
ということで、美味しい場所ではないが、お百姓が、えぐれたところもある、流れが強い場所もある、と話していたから、その変化のあるところに囮を入れれば、中学生が遊んでくれるかも。
人工を対象としている釣り方の人の中で、立ちこんで釣ることは、それらの人にとっては邪魔ではあるが、先に立ちこんでしまえば、諦めてくれるでしょう。
さあてと、事前準備は万端、39度になったところもあった気温も10度ほど下がるという予報。
しかし、昼頃から雨の予報が気になる。11月の氷雨はこたえるが、今の時期の雨は、ゴロちゃんさえお出ましでなければ、五月雨やぬれていこう、という苦痛とは無縁の雨ではあるが。
結局、中高生が遊んでくれないから、川に入っても退屈であるから、さぼる言い訳を探しているだけですよね。
サボり、高田橋だけを見ることになりました。
オラが中学校がある可能性と考えていたエリアに6人が入っている。その人達の誰かが中学生を釣りあげたなら、そこが美味しい場所、となるが。
一番気になっていた右岸よりの流れを玉引きしている人も、右岸側から釣っている人も、ぽつん、ぽつんの小学生のよう。
そのほかの人もさっぱり。
葉山に送らせたおっさんが、昨日、9匹とのことであるから、多分そのくらいが高田橋の瀬での良いほうの釣果ではないかなあ。もちろん、チビねらいであれば別であるが。
むしろ、立ちこまずに流れの通っているところを釣っていた人が20以上になるのではないのかなあ。
ということで、明日は必ず働きに行きます。いや、そのつもりです。
弁天下流側の瀬で、糸についた青ノロを取り除くことが唯一のお仕事というのも寂しいですから、高田橋にします。
6月26日 相模川高田橋
もはや、高田橋にご挨拶省略、という口実はないですよねえ。水冷の効いた環境でひからびてしまうという恥ずかしい状態になる可能性も、気温が25度くらいというのでは有り得ませんよね。霧雨が降っているといっても、短時間でしょうし。
ということで行きました。
分流合流点下流の瀬。ここなら膝くらいまで立ちこめば、瀬に囮が入る。何よりも逃げ出すには楽ですから。
さっさんが見ていても釣れず。右岸の人達も釣れず。今日は大会の下見のために多くの人が入っているから、右岸に入っている人達がヘボ、ということは理由にはなりませんよね。さっさんが、オラだけでなく、そのほかの人も時たま釣れている人がいるだけの状況を見て、神沢に行ったことやら、葉山に行ったことやら。
ジロちゃんらも見に来て、もう1,2メートル沖で釣れるよ、と。その後、どこに下見の場所を選んだのかなあ。
見学者はいるものの釣れませんねえ。
よねさんまでやってきた。よねさんは右岸ザラ瀬、チャラのあいているところにはいるが、チビ等3匹で、堰に近い瀬に移動したとのこと。
いつまで続くぬかるみぞ。商業立地とは対極にある行列の出来るラーメン屋さんに冷えたボデーを暖めに行くことになるのかなあ。
諦めの中、突如気持ちよい引き。18歳高校3年生。人工かと思ったが、下顎側線孔数4対左右対称。海産畜養かなあ。
まあ、最初に高校生とはありがたい。チビなら、ラーメン屋さんに橋を渡って行っていたかも。
次が中学生。この調子では、アイされた、と実感出来るかも、と妄想したのが運の尽き。いつもの小学生低学年が。
世の中そんな甘いもんやおまへんでえ。とはいえ、午前8匹とは感謝感激。
涼しいため、麦酒なしの昼休肝日にして正解でした。
午後も頑張るぞお。
下見の人達が減り、右岸側の人はめっきり少なくなった。
オラの上下は人がいるから、5メートルくらいしか動けないが、まじめに働きました。
その結果は、18歳高校3年生2人を含む高校生4人、中学生8人、小学生の高学年4人、残りが小学生低学年とチビ。人工なし。合計21匹
こんなに囮に不自由しない釣りが出来るとは、想定外でした。
よねさんは、堰に近い瀬で12,合計15とのこと。高校生が多かった、と。
弁天は大入り満員と思っていたが、テクTが、60も釣ったとのこと。そんなに釣ったら、大会のときに品切れになりますよ。大会のときにその場所に入れなくなりますよ。少しは、他の人、とりわけオラのために残して置いてくださいよ。
まあ、これまでのチビと小学生主体ではなく、女子高生も中学生も遊んでくれたし、楽しい1日となりました。
バネ指になりそうになって、漢方薬を飲み、風が吹かないため9メートルの竿を使い続けて、腕が痛くなり、釣りながらローションを塗るという、久々の薬のご厄介になった1日でもありました。
6月28日 相模川高田橋
昨日、天気予報を信用せずに、注射を打ちにいって正解でした。
今日の目的は、
@ 中高生の生活の仕方が変わって、縄張りをもつものが出て来たのではないか。
A 中1日で縄張りをもつようになるのか。
B 左岸瀬のどこまでが中高生の好みに合う場所か。
目的は破るためにあるものとは承知しているが、たまにはまっとうな心がけをしたいもんです。
今日は8時前についたが、先日の場所は空いていない。仕方ないから、分流合流点に近いところから始める。ここの筋は、中学生ならオモリなしでも流されないのではないかなあ。
先日と違い、それほどたたないうちに掛かった。しかも高校生の筈。取り込んだのは、下顎側線孔数4対左右対称の海産畜養であろう。
そして、高校生ではなく、19歳乙女。今年初めての乙女。
中学生に小学生。この調子が持続すれば、時速10匹かも、と、捕らぬ狸の皮算用をした途端、さっぱちですわ。
中高生よりも小学生とチビが前回より高い比率。
養殖を使い、根掛かり放流をしてもよいと、入れて、見事に根掛かり。お百姓がいたら、外しに行かせるのになあ。
お百姓は、昨日の雨の中、一時中断はあったものの、弁天の上流側瀬から下流側の瀬まで釣り、32。中高生が多かったとのこと。当然、遡上鮎であるから、小学生もチビもいた。
ただ、青ノロが糸に絡み難儀したとのこと。
また、上流側瀬尻の平瀬というか、トロというか、オラが楽の出来るところでも釣れたとのこと。
今日は、大島の鵜止まり上流の瀬に行くとのこと。
その結果は、14で、高校生と乙女。小学生はなし。
それらの大きい鮎は、海産畜養と人工の成魚放流。人工がほとんど。
鵜止まり上流の瀬も、シルバーシート前も満員とのこと。
午後、麦酒を飲んで気持ちよいが、あゆみちゃんは飲んべえは嫌い、とそっぽを向いている。
お百姓が弁天の瀬尻でも釣れたというので、高田橋に少し近づいて、瀬尻に行くも釣れず。ハヤが2匹釣れたが。
それでも2時過ぎまで働きました。
19歳乙女1、女子高生2,他は小中学生にチビ。合計9匹。午後は零。
ということで、中1日ではつかないかも。
また、瀬の中で釣れる場所の範囲は、上下では狭いかも。
6月29日 相模川高田橋
昨日、あゆみちゃんが飲んべえは嫌い、と遊んでくれなかったから、麦酒なしで出勤。
昨日よりもアカ腐れがひどくなっている。
藍藻も、2万ルクス以上になると、珪藻と同様に、アカ腐れをするのかなあ。
弁天は、高田橋よりは釣れているようであるが、青ノロが糸にまつわりついてうっとうしいから、やめておこう。
分流合流点下で釣るが、しばらくして中学生。あら、鮎がいるやん。喜んだのも束の間で、腹掛かり、その後はうんともすんとも言わん。
今日は、右岸側に渡った人の1人が、右岸に向いて釣り、それなりの数を釣ったのではないかなあ。
それ以外の人は、どこに中高生が隠れたのかなあ、と探し回っているのでは。
瀬落ち的なところに行くと、腐ってないアカがある。透明度50センチあまりの相模川を「清流」と評価している学者先生がいらっしゃるが、透明度が低いから、底石の部分が2万ルクス以上にはなっていないということかなあ。
しかし、朝入っていた人も消え、オラも、朝帰り。
田名の主が釣りをせずに針を巻いていたから、荷物を置いて麦酒を買いに。
高田橋のありがたいことは、すぐに麦酒が買えること。
飲んべえは嫌いじゃあといったあゆみちゃんがどこに行くかも告げずに去っていったから、自棄麦酒を飲まずにいられようか。
先日、田名の主が、お友達らのオトリ捕りをしたとのこと。鼻環を通さない状態の囮をそろえるために、動き回ったとのこと。健全な瀬があった頃は、瀬を上下するが、大きく動き回る釣りをしていないから、田名の主にとっては、居ついてくれないあゆみちゃんに手こずったよう。
6月30日相模川
大会を見て、美味しい場所をカンニングしょうとしたが、美味しい場所はないのかも。
弁天上流側瀬を右岸から釣っていた人が消えたのはなんでかなあ。1等地の筈であるが。
1位のお局さんが弁天下流側瀬肩附近から瀬落ちの中州に移り、掛けていたがどの程度釣れたのかなあ。その中州から右岸側の瀬を釣っていた人の方が掛かっていたのではないかなあ。
石切場の上流側の瀬を右岸から釣っていた人はどの程度釣れたのかなあ。
下流側の瀬を釣る人は見えなかったが、その上で釣る人はいた。人工が好む場所であっても、今の時期の遡上鮎は嫌う場所と思うが。
高田橋で、美味しい場所はなかった、と。
先日、テク2とIさんが神沢へ。釣れず、午後は水管橋上流の瀬へ。
テク2は40コース。
それを知ったしあわせ男は翌日出かけたがちょぼちょぼ。
まだ、補充されるまでに何日か、かかるよう。それが中2日なのか、3日なのか、それとも?
藁科でも同じ現象が見られるようであるが。
午後、雷雨があり、神川橋の水位計で、一時的に60センチほどの増水になった。 この増水と濁りで、どのような変化が生じたのかなあ。 青ノロは減ったのかなあ。糸にまつわりつくことはなくなったのかなあ。 腐りアカはどの程度流れたのかなあ。 29日の新昭和橋下流のコロガシでは、大漁であったとのこと。 これまでは、瀬の中の一部が釣り場であったが、その日は、小石のところでも中高生が、また、これまで釣り人の入らなかった瀬落ち下の深場でも釣れた、とのこと。 |
7月2日 相模川高田橋
今日、予定されていた大会が延期になったとのことであるから、高田橋へ。
60センチあまりの増水で腐りアカはなくなっている。しかし、表面の腐りアカが流れても、その下に生えていたのではないかと思うアカがついているから、白川ではない。アカ付きはよい。
やる気十分、ではあれど、朝帰りになるのか、昼上がりになるのか、それとも早上がりになるのか。夕方まで働くことのないことは確実ですが。
田名の主が、中高生あゆみちゃんの隠れ家を探し求めて3千里、というほど歩いたとのことであるから、隠れ家の見当もつかぬオラが囮を過労死させるのは、時間の問題。
今日の大会に出る予定であったKさんがやってきた。
Kさんの下流にはいるが、チビ3だけ。囮が変わることなし。
何でか、濁りが左岸に入る。そして、少ししか立ちこんでいないはずであるのに、流れが強くなった。河原に置いた鮎バックが水浸しになっている。どういうことかなあ。
水は引いたが、釣れないことは変わりなし。11時前、Kさんが帰るという。鮎は要らないというので貰った。中高生が主体にチビは1,2匹。なんでじゃあ、しかも12匹。
過労死の心配がなくなったから、早飯どころではない。待望の中学生も釣れて計6匹。
これで朝帰りはなし。
麦酒を買わずに豪華な?握りを食べ、午後も働く。
またも10センチほどの増水。朝よりも増水の量が少なく、濁りもないが、どのような目的でダム放流をしているのかなあ。
Kさんのお陰で、2時まで働くことが出来た。しかも、中高生が主役になった。
合計12匹。
先日の大会のときも、釣れた人と釣れない人の格差が大きかったとのことであるが、中高生あゆみちゃんの隠れ家を探すのは大変なよう。とても、オラの手に負える状況ではなさそう。
早く、全川に鮎が家を持つようになって、オラにもお裾分けが来るようになって欲しいなあ。
Kさんありがとう、また囮を頂戴。
弁天上流側瀬肩の青ノロがなくなったとのこと。ただ、その上流のどのあたりまでなくなったか、判らないとのこと。
7月3日 相模川弁天
川見はできない、あゆみと心と心が通わない、ナンパの殺し文句が判らない、そんなヘボに中高生あゆみちゃんの隠れ家を探し出すことは出来ませんよねえ。
ということで、隠れ家探しから撤退します。
もうじき、高級住宅地でなくても、住むようになるでしょうから、その日が来ることを心待ちにします。
朝、雄物川さんの家の前を通ると、雄物川さんは、貰った友用の10メートルの竿をコロガシに適するように詰めていて、調子を試していた。
雄物川さんは、昭和橋上流の左岸分流で昨日108匹、今日は70台とのこと。
なにい、まだ8時前ですよ、釣れないから帰ってきたのではなく、クーラーがいっぱいになったから朝帰りとのこと。
なんちゅう贅沢な朝帰りじゃあ。
しかも、18,9才の番茶も出花娘を両手に花とは。
雄物川さんは、人工と遡上鮎との容姿その他の違いには興味を持たないが、唯一、馬力の強さには強い関心を持っている。
番茶も出花娘達は、曳く、曳く、対岸の草むらに逃げこもうと。
23,4才の遡上鮎が掛かると、竿を肩に担いであゆみちゃんにお尻を向けて、沖への逃走を止めたことも。今年もその情景が再現されると、今からほくそ笑んでいる。人工とは馬力が全く違う、と。
コロガシでは、下流への疾走だけでなく、沖への疾走がなんで生じるのかなあ。オラが沖への疾走で丼をしたのは、河口堰がなかった頃の長良川は美濃でのこと。大井川でも、沖への疾走はなかったのではないかなあ。
しかも、昨日も、今日も、番茶も出花娘には、身切れをして逃げられたものもある、と。
身切れになるとき、竿を通してひしひしとその兆候が伝わってくる、と。
10号の針でも、身切れをしてしまう、今は身が柔らかいから、と。
閻魔大王様、さぼっていないで、嘘つきを懲らしめてくださいよ。雄物川さんは、病み上がりのとき、4,5匹釣ったら満足で、それ以上は釣らんよ、といっていたんですよ。もう何回、束釣りをしたことやら。しかも、遡上鮎の乙女まで軟派しまくっているんですよ。こんな嘘つきをのさばらしておいてよいのですか。天上の秩序は保てませんよ。
Tさんに昨日、雄物川さんが昭和橋上流の左岸で束釣りをした、と話したら、昨日は、増水、減水、増水、減水と水量が変動したが、新昭和橋下流の瀬ではそれほど目立った数は釣れなかったとのこと。
今年は、例年とは違い、1ヵ所で何匹でも繰り返し掛かるとのこと。そして、水量の変化で鮎が動くがなんで分流に鮎が溜まったのかなあ、と。
ああ、雄物川さんの豪勢なお話を聞いた後では、ますます気が滅入るなあ。中高生ですら、天の恵みと喜んでいる日々ですから。
帰り際、孫の毛針の流し釣りに付き合っていたテク1が、昨日、石切場の下流側瀬の中の、一番流れがきついところでテク2らが番茶も出花娘に竿を大きく撓らせて20,30と取り込んでいたとのこと。
まあ、その場所では、優男並みの腕力のオラには囮を入れることも、取り込むことも出来ないから、乙女が釣れているといっても、指をくわえていているしかないですわ。
ここのところ、弁天にご無沙汰しているので、また、青ノロの状況も気になるので、弁天まで歩いた。
下流側瀬肩附近の人は早々と動いたから、少し瀬肩に近いところに入れた。
この場所は、溝もなく、筋に流れの強弱もなく、今時の遡上鮎が住みたくなる条件はないが、錘をつけなくてもよいし、立ちこんでも、立ちこまなくても環境条件に変化がないことから、ヘチ附近を立ち位置に出来るという、軟弱もんにはありがたーい場所。
瀬の人は釣れていたが、とても番茶も出花娘の大きさには及びませんなあ。
人のことはいえませんが。中学生が1,小学生とチビを合わせて7.
11時には麦酒とお昼食。風がもっと吹いてくれたら、短竿でもしんどいから、朝帰りの決断となるが、ある程度以上には強くならず。
やっと昼になったが、囮もたっぷりと休んで、過労死はしてくれない。やむを得ず、上流側瀬尻のトロへ。
1時間ほど水に浸かったけど、もう退屈で、退屈で。
糸にからみついた青ノロを取り除くことがお仕事とは。雷雨前よりは流れてくる青ノロは減ったとはいえ、まだうっとうしいことには変わりなし。
遡上鮎が不調の理由を水温が低いから、という人がいた。水温を測ると、22度。
それを見せると、水温が低いから、と、水温の性とはいわなくなった。食糧不足でもない。ヘチには腐りアカが、あるいは汚れたアカがある。食糧不足であれば、戦後の食糧がなかった頃のように、まずい垢でも食べるはず。
1時過ぎ、帰りの支度をしていると、テク1が変わったナンバープレートのバイクがある、と。
それは、高鷲村(たかすむら:現在は郡上八幡市)
オラよりも2時間以上遅く昼飯に上がってきた高鷲村さんの話を聞いた。
@ 亀尾島川、粥川は今でも清流。現在、亀尾島川のダム計画は中断しているが、どうなるか。
A 粥川、亀尾島川のアマゴは放流ものではない。吉田川も。
B シラメについて
シラメとは、眼に白い斑点があるから。アマゴとは異なる眼の中の斑点の色をしている。アマゴの目の中の斑点の色は聞いたものの忘れた。
C シラメはギンケする。
それがサツキマスになる。サツキマスは、メスだけではない。オスが3割ほどいる。
産卵のときは、サツキマスの雌にアマゴの雄が放精する。
井伏さんが、「釣師・釣場」(新潮社)の「最上川」の章に、雌のヤマメを釣ったことがない、マスの産卵のとき、オスのヤマメが真っ黒に群がっている、という話を書かれているから、このヤマメ、サクラマスの雌雄の関係について今西博士はどのように観察されていたのかなあ、と気になっていた。
高鷲村さんは、アマゴの同じ親から孵化した稚魚を育てたとのこと。その時、シラメとアマゴにわかれるとのこと。シラメはギンケするとのこと。遺伝要因ではなく、環境要因でアマゴとシラメにわかれるのでは、と。
このことについては「故松沢さんの想い出:補記5」で、紹介するつもりです。
D 長良川に遡上しているアユは、木曽川、揖斐川生まれであって、長良川生まれではない。
E 高鷲村さんは、高校生のとき、鮎を売って小遣いを稼いでいた。バイトよりもはるかに実入りがよかった。
ということは、人工鮎でさえ、高く売れるということかなあ。
九頭竜川産でさえ、刎ねていた目利きは不要になって、大きさだけで値段をつけているのかなあ。
7月6日 相模川高田橋
今日は、なあんもかくことはおまへん。
見事に出家しました。しかも、出勤前のへいさんから、囮込み8匹のチビ、小学生をもらい、それらも見事に過労死、あるいは過労死寸前にしてしまいました。
まあ、初めのうちこそ人はいたけど、1人去り2人去り3人去り、とお好きなところに入れるのに。
もちろん、はじめは、番茶も出花娘はどこにいるのかなあ、攻めるに易く、守るに難しの貧弱になった瀬、小さくなった石の高田橋でも、番茶も出花娘がいるはずであるから、運良く遭遇できるかも、と淡い期待を持っていましたよ。
それが、チビにすら見捨てられるとは、お釈迦様でも知らぬ仏の…。
水が少し減ったことが影響しているのかなあ。
明日の大会の現地調査でやってきたしあわせ男は、竿を担いだまま、右岸のポイントの指示を出すだけで、囮をつけることなく、石切場か、弁天へご一行共々去って行きました。
おわり。
7月8日 中津川
よねさんの粘っこい釣りでないと、中津川のあゆみちゃんをだっこできないのでは、あるいは、遡上鮎は少ないのでは、ということでご無沙汰をしていたが。
田代や角田の人工の成魚放流は嫌じゃ、遡上鮎が釣りたい、といいながら、平山橋の瀬まで歩くのはしんどいなあ、と、結局角田大橋上流の瀬にはいる。
すぐ上の人はよく釣れているなあ。小中学生であるが。
昨日、はっちゃんが抜いたところに入ったのかなあ。ハヤは釣れたが。ハヤがいるということは鮎はいないのでは。
オラの下流側の人も釣れてませんなあ。
中学生が釣れたから、相模川に続いてのボウズはなくなった。
中学生がよく働いてくれたから、養殖君も元気。上流側の瀬はどこまでも人がいるが、下流側に隙間ができたから移るも、さっぱり。
またもや、オラの下流側の人は込み15とのこと。
まあ、みんなが釣れたら、ゲームは成り立ちませんわ。オラのような犠牲者も必要ですね。
1位になったこと2度のOさんが下流側のブロックから帰ってきて、込み11とのこと。
人工の成魚放流の寄与率が低いはずの下流側のブロックでは、1回戦通過匹数は、上流側よりも低いと予想されていたため、当確と思っていたが。
結果は、上流側が込みの10,下流側が込みの12.
ヤマメちゃんのお尻を追いかけていて、あゆみちゃんと疎遠になっていたOさんにお仕置きがあったということでしょうね。
それにしても、場所ムラがあるものの、遡上小中学生に縄張り意識が芽生えていたとは、気がつかなかった。
いや、相模川でも遡上鮎に縄張り意識の変化が生じているのかも。
鮎三郎さんは、今年もブロック大会に行きます。
オラは、8リットルの引き船があたりました。ありがたいことです。これで、大井川の河原を歩いていて、苦しい、何とかしろ、と舟の中のあゆみちゃん達に責め立てられることが少しは減るかも。
Oさんらは、8リットルの舟に入る鮎はあるの?、と。
7月10日 相模川
迷人見習いが、久々に狩野川を離れて相模川にやってくる。
まず、石切場の瀬を見せる。弁天は青ノロが流れてくる、というと、いやじゃあ、ということで石切場の上流側の瀬に。
迷人見習いは、すぐに番茶も出花娘を。次も、そして次も。この調子では大差をつけられると、そして、迷人見習いの「弟子」にされると心配になった。
ところが、動き回るもそれっきりで勢いはなくなった。ということで、オラが小学生から中学生4匹に対して番茶も出花娘を含むとはいえ、5匹止まり。
昨日の大会で、全国区候補が、動ける範囲を、沖へ、上下へと動いて釣りあげたからかなあ。
動くことに。
水管橋上流の瀬に行くが、瀬が貧弱だ、瀬肩上の人が動かないと、瀬が釣りにくい、ということで、葉山島へ。
6月にいい思いをした右岸側を流れて淵に落ちる瀬は、水量が減ってチャラに。
上流側で左岸へと流れている瀬は、左岸側に河原が出ているし、瀬肩上から楽に渡っていける。そこへ入るように、といったのに、見える鮎を釣る、とトロへ。
オラが左岸へ渡れるあんよをもっていたら、左岸に渡り、その瀬に入ったのになあ。
仕方がないから、その瀬肩附近を釣るが、釣れず。もう少し立ちこめたら釣れたであろうが。
迷人見習いの入っているトロは、転んでも流されることはないし、杖を使い、立ち上がれるはず、楽をしょう、と、迷人見習いのところへ。
迷人見習いは、見える鮎を釣る練習に余念はないが1,2匹を釣っただけ。
遡上鮎が、トロやチャラで釣れるようになるには、時にあらず、ということですよ。
昼に朝食を食べたお百姓がやってきた。
なんちゅう真面目人間に変身したことでしょう。釣りにうつつを抜かして、とおちゃんに勘当され、行き場所もなく、詫びを入れる、とおちゃんが改悛した証に竿を全部捨てよ、と命令し、オラがウン10本の高級竿を拾い、という高邁な夢が実現不可能となる雲行きですなあ。
お百姓は左岸に渡り、オラがねらっていた瀬の中の棚に入った。
すぐに釣れた、へっぴり腰で下り、取り込む姿も。
結果は、2時間ほどで、番茶も出花娘がほとんどで、20近く。
それを見た迷人見習いが悔しがると思いきや、それほどでもなかった。「見える鮎」を釣る練習に励んでいたということでしょうかねえ。
迷人見習いは、最後にオラが入っていた左岸への流れ込みの瀬肩にやってきた。オラの立ち位置よりも立ちこんだら釣れるはず、というオラの言葉に従い、立ちこんで番茶も出花娘をだっこした。しかし、その筋ではそれっきりで反応がなかったとのこと。
そのザラ瀬が釣れ出すにはまだ時期尚早ということかなあ。
お百姓は、ど芯ではあまり掛からなかったとのこと。
遡上あゆみちゃんは、成長時期により、季節により住まいを変えるから、付き合うのはしんどいなあ。あと少しで、オラでも対応可能な場所でも縄張り意識のあるあゆみちゃんが住んでくれるようになるはずであるが。
ということで、迷人見習いが10近く、オラが5.
右岸の流れがチャラになったから、中州に渡ることができる。
そして、出る出る瀬を見たが、お百姓が釣っていた場所より上は強い流れ。そこに5匁の錘をつけていたとはいえ、今よりもウン10センチ水量が高かったときに、テク2らはよく囮を入れ、そして取り込めたなあ。さすが、球磨川に飛行機で出かけるだけのことはありますね。
あ、そうそう、6月に葉山で釣った鮎を冷凍して、ヒラマサかカンパチの餌にした迷人見習いさんの結果は、目的のお魚は釣れず。それで、鮎を捨てると、ヒラマサかカンパチが食べていた、と。
それを釣ったら、というと、竿が折れる、リールが壊れる、釣り具を買いたくないと。
相模の水が汚い、という人がいる中、海の魚は水質による鮎の味の違いを気にせずに食べるようですね。ヒラマサかカンパチか、どっちが大きいのかも判らないヘボの聞いたお話でした。
ついでに、ヤマメキラーさんはどこをほっついているのかなあ。今年はチビや小学生の鮎はすぐに手にはいるから、冷凍を餌にしなくても、新鮮な鮎、生き餌を餌に出来るから、いっぱい釣れているのかなあ。
7月12日 相模川高田橋
弁天は青ノロ、石切場まで歩くのはしんどい、葉山に行けば、行き倒れになるかも。
仕方ないか、高田橋で新調した麦わら帽のお披露目をするか。
1年ほどで破れる麦わら帽ではなく、飴色に変色しても使える麦わら帽が欲しくて、古利根川近くの春日部に行って10年以上になるかなあ。
その帽子屋さんに、飴色に変色した麦わら帽が展示してあったので、それが欲しい、といった。
オラより少し年配の方は、その麦わら帽は、小学生が見学に来たときに説明する資料であるから、駄目、と。
その麦わら帽子社長さん?が、麦わらを中国から輸入しているといわれた。
日本でも麦の栽培が行われているのになぜ?と訊ねた。
日本では「麦刈り」ではなく、「穂刈」をするようになったから、と。
米については機械での刈り取りをするようになっても、「稲刈り」であって、「穂刈」ではないから、現在も稲藁を利用しているのに、なんで麦については「穂刈」になったのかなあ。
社長さん?は、中国の麦わらについて、河北と華南では麦わらの品質が違う、と。麦わら帽子にはどっちが適しているか、説明されたが、忘れた。
古利根川を散歩して、春日部駅に出た。春日部の産物を食べさせてくれそうなところが、1軒目についたが、休業日。
もし、そこで、その地のものを食べていたら、その後も電車に乗って春日部に出かけていたでしょう。
数年ぶりで註文をしょうとしたら、かってのページと異なっている。若者向けの帽子しかなく、野良用あるいは園芸用の麦わら帽がなくなっている。
技術者はいるはず、型もあるはず、ということで、かってのメールからお願いした。
次の問題は、支払い方法。カードをもっていないから、従来のように郵便局での支払いをお願いしたが、宅急便の代引きで便宜を図っていただいた。
もう、次の麦わら帽の註文はないとは思っているが。
分流合流点の下流に囮を入れるが、暇ですなあ。
ハヤかなんかの鱗が2回釣れて、やっと中学生。ありがたいなあ、今日もボウズはなし。こんな状況では、早飯にするか。
コンビニに麦酒と冷えた麺類を買いに行こうとしたとき、お百姓がやってきた。午後からさぼる?と聞いたら、狩野川に行くときまでは働く、と。誰が真面目人間に変えたんじゃあ。女か。女道楽にうつつを抜かして貰わないと、高級な竿が手にはいらん。もっと真面目に女道楽をせえ。
右岸を釣っていたボウズ刈りさんも上がってきた。20ほど。瀬大好き人間が釣る場所ではない、葉山の方が合っているのに、というと、大きさも比べものにならんしなあ、というが。
葉山は他の場所の瀬と違い、抜いた翌日の午後には鮎がつくことを知っていて、昼まで高田橋で釣っているのかなあ、と思っていた。しかし、午後も右岸を釣っていた。今日は練習日兼弟子の教育日かなあ。昼からはチビを釣ったのを見ただけであるが、夕方のはみ時には相当釣るでしょうから、数は50はいくでしょうなあ。
漁協が一番釣れている場所と紹介していたから、と、やってきた人が、全然釣れない、と。ボウズ刈りさんだけしか右岸側でも釣れていないが、夕方には釣れるの?というから、葉山の出る出る瀬を紹介した。
石切場の瀬も。
まあ、ボウズではなく、そして、早上がりの2時前まで働いたからヨシとしましょう。味噌汁に入れたら食いでのある吸盤ボウイも釣れたし。
囮屋さんに、イサキ釣りに行って赤黒くなったおっさん「見習い」がいた。その見習いさんは、ヒラマサよりもカンパチの方が大きい、泳層はカンパチの方が上層とのこと。
見習いさんは、タカベも釣ろうとしたが、釣れなかったとのこと。タカベは、イサキよりも泳層が上で、のべ竿でも釣れることがあるとのこと。
7月13日 相模川相模縦貫道橋
釣れたり釣れなかったり、と不安定ではあるが、人は少ない、ということで相模縦貫道橋上のザラ瀬へ。
テク2に説明を聞いてから、テク2が前日に釣った番茶も出花娘を囮にする。よく泳ぎますなあ。
囮が泳いでも、無能な社長の下では、業績が上がらないという見本ですなあ。
テク2は、右岸瀬肩から釣り下り掛けているのは見えるが、ペースが速いとはいえませんなあ。
ザラ瀬は苦手であるから、瀬落ちへ。瀬落ちで玉引きをするが、先行者2名同様釣れず。
先行者は、もう、水深のあるところでも釣れるはずであるが、と、不思議がっていた。
ということで午前はボウズ。テク2も10にははるかに足らず。テク2が釣れないからオラに釣れなくても当然ですよね。
橋の下の日陰で麦酒を飲んで、もう帰ってもよいところであるが。
中学生をだっこできてありがたいですなあ。それを囮にすると出がけにチビ。最後は小学生。
番茶も出花娘との逢い引きに合わせて7号の針にしたが、その甲斐もなし。
テク2には番茶も出花娘も混じっているとはいえ、8匹で、とても、満足の出来る数字とはいえず。
お互いに、熱中症も怖いから、2時に上がりました。
ザラ瀬の釣りに少しは慣れておかないと。
Oさんらの危惧が今日も的中して、8リットルの舟の能力を満たす鮎はありませんでした。
7月15日 相模川高田橋
中津川で小中学生に遊んで貰うか、運がよければ番茶も出花娘に出会えるかも、と夢見る方がよいか、悩みましたよ。
その結果は、バスの時間を気にせずにいつでもトンズら出来る高田橋へ。
相模川で一番釣れる場所と書かれていたという話も効果がなくなったということかなあ。いつものように分流合流点下流に入るが動けますねえ。動けるのに釣れないとはこれ如何に。
チビにまで嫌われたようで。吸盤ボウイにはまたもや気に入られて。吸盤ボウイの空中バレまで経験しましたよ。
やっと、チビが。ありがたいですなあ、これで出家しなくてもすみました。
そろそろ麦酒を飲んで囮を休ませましょうかな、と朝麦酒を思い描いていると、久々の中学生。これでまた少し麦酒の時間が延びました。
高級住宅街でないといやじゃあ、とおっしゃる番茶も出花さん、中高生さん、そろそろ、郊外の住宅地でも我慢してくださいよ。戸建て住宅に住まないと、鮎の沽券にかかわりますよ。
とはいってみたものの、まだその気はなし。瀬落ちでも遊んでくれる鮎はなし。増水しているときの鮎はどこに行ったんでしょうかねえ。補充されないだけでしょうかねえ。
風通し抜群、桜の木の下のベンチで一眠りをして、坂道を上りました。
時期は異なるが、西行さんの気分を味わいました。おわり。
7月17日 狩野川:大鮎の狩野川?
狩野川の遡上量がどのくらいか、人工はどうなったのか、遡上鮎はどのくらいの大きさに育っているのか、よくわからない。
やっと、現地調査が出来るようになった。
湯ヶ島地区で、ドブ釣りをされている人のところでチビ、小学生の群れているのが見えたが、それ以外では見えず。水量は少なくなっている。
迷人見習いは、湯ヶ島の方が大きい遡上鮎が釣れている、しかし、難易度は高い、数は下流の方がでるはず、と。
今日の隠された陰謀は(陰謀であるから、隠されていて当然ですが)、お百姓を女道楽に引きずり込むこと。したがって、数が釣れないと困る。
ということで、修善寺大橋下流、岩盤附近へ。
分流合流点の本線との境で、中学生、次が高校生。これで出家はなくなった。しかし、釣れないし、楽なところはないかなあ、と下流へと動く。
お百姓は立ちこんで右岸側の領域付近に囮を入れている。へっぴり腰の下りをしないで取り込んでいる。
迷人見習いは、5匹釣ったといって、上流へと動いた。あんまり釣れないのかなあ、と少し安心した。
素晴らしいあたり、浮かない、上流に泳ごうとする。だっこしたのは、下顎側線孔数4対左右対称の22才。
迷人見習いが、湯ヶ島で7月上旬に22才が出た、と。見習いの師匠は、そのアユが、海産畜養ではない、一番上り、と。
オラは、大きさに疑問を持っていて、師匠の海産畜養ではないという判断に間違いはないから、ヒネアユか、と思っていた。
一番上りであれば、群れが小さいといえども、ほかでも、同水準の大きさの海産鮎が釣れているはず。よって、ヒネアユか、と思っていたが。
しかし、オラにも22才乙女が釣れたから、師匠の一番上りの推測が妥当といえるのではないかなあ。お百姓も22才乙女を釣った。
午前、お百姓は10以下、迷人見習いは、最低目標20といっていたのに、7.オラは3,瀬が大好きのウッチャンは0.
ウッチャンは、今日は運転をしないから、麦酒を嬉しそうに、美味そうに飲んでいた。
なんでまだ瀬の中の流れの強いところしか釣れないのかなあ。足許が覚束ないから、楽なところはないかなあ。分流にはいる。高校生と娘ではあるが人工。成魚放流ではないから、それなりの馬力はあるが。
とはいえ、分流で人工も味気ないから、本線に戻る。
大見川から流れてくる青ノロ、瀬の中にも青ノロの群落があり、その中に囮を入れると、針、鼻環にびっしりと青ノロがつく。
ヘチには番茶も出花娘、女子高生くらいの大きさの鮎と思われるハミ跡があるが、その主は遡上鮎かなあ、人工かなあ。
お百姓は、午後もオラの囮を入れているところよりも沖に立ちこんでプチ入れ掛かりもして、15.女子高生に番茶も出花娘が主体で小学生はなし。迷人見習いは午後2匹を追加して9匹。ウッチャンは瀬釣りで珍しくボウズ。
お百姓さんよお、ウッチャンよりも釣ったからには、世界チャンピオンへの道が開けましたよ。畑や田んぼで1日過ごしていては、せっかくの才能が泣きますよ。川で働きましょう、とおちゃんに勘当されましょう。
あそうそう、迷人見習いよりも4匹少なかったが、空中バレがなければ、立ちこめないオラと同じ数ですよ。7号の針を使ったが、なんで空中バレを多発したのかなあ。本格的なあたりでないからか、針が適していないからか、次回は7号の針の種類を増やします。
狩野川の遡上鮎は、一番上りは大量ではないとしても、いつものように3月のある頃に遡上していた。
しかし、2番上り、3番上りはそれほどの量ではない、ということかなあ。湯ヶ島地区で小学生の群れを見たが、岩盤のところ附近では見ることなし。
中高生もそれほどの量でないということなのか、単に縄張りを形成しないということだけなのか。見習いの師匠は7月下旬になれば、瀬の強いところ以外でも縄輪張りをもつようになる、といわれたとのことであるが。遡上量が少ないとすると、どの程度、オラが竿を出せるところで釣れるようになるのかなあ。
台風で、どのような変化が生じるのかなあ、生じないのかなあ、お百姓さんよお、また、雲金に調査にいこうよお。
7月28日狩野川 松下の瀬
先日の台風で、相模川は神川橋の水位が7月18日に4メートルの増水。中津川は100トンのダム放流。
相模川では、ここ数年ダム放流による1メートルくらいの増水しかなく、今回の増水でどの程度石が出たのか、興味はあるものの、真っ黄色の濁りがとれて、光合成が可能になるにはまだしばらくの時間がかかりそう。
中津川は、白い色の濁りになっているから、ヘチ等の水深の浅いところでは光合成が可能になっているであろうが、石が出るほどの増水ではない。ダムは300トンの放流が可能との話があるが、もし、その規模の放流が可能な機能を備えているなら、300トンの放流をして石を出して欲しいが。
台風による増水は、狩野川では7,80センチほどであるから、青ノロは流れているのではないかなあ。残りアカは相当あるのではないかなあ。
禁断症状を鎮めるには狩野川に行くしかない。
幸いなことに、小沢さんの講習会に、今回は天ぷら受講生ではなく、受講料を払っているから、でっかい面をしていじめっこの車に乗ることが出来る。
松下の瀬の分流付近が講習会の場所になったが、オラは生コン前まで行く。
青ノロは流れているが、根は残っているであろうから、また繁茂するのかなあ。
先日、お百姓が立ちこんでいた附近に1人立ちこんでいる。その人は派手に竿を曲げている。その先はアカがついている高級住宅街ということのよう。例によって、その人の立ち込み位置よりも手前に囮を入れるがさっぱりですわ。アカ付きの問題ではないですわ。
やっと掛かったら、女子高生ではなく、番茶も出花娘。困ったなあ。根掛かり放流はしたくないからなあ。囮に不自由するなあ。
下流で手頃なところは、と探すが、釣れませんなあ。
結局、番茶も出花娘を2匹追加して、昼に。
講習において、小沢さんが、受講生の竿を自ら持って数匹釣って囮を確保してあげたり、と、分流の狭い範囲でそれなりに釣れていたとのこと。
小沢さんが実釣に備えて、今時の遡上鮎の着き場としては微妙な場所に囮を入れて、状況を調査されているのを麦酒を飲み、握りを頬張って眺めていた。
実釣は流れの強い瀬、筋で。
すぐに掛けるもバレ。その棚で2、3匹を釣り、上下の棚へ。見てくれのよい上流側の棚の筋の石、苔は悪い、と。
下流側の棚の筋はよいが釣れず。まあ、各5分しか囮を入れてなかったから、時間不足ということかなあ。
講習会が終わり1時間半ほど釣りをすることになった。
今時の遡上鮎が好む流れの強いところは満員。その上流の平瀬状のところへ。番茶も出花娘を働かせて、丼、なんてことになると泣きの涙であるから、養殖を働かせる。
養殖君が働きたくないと文句を言い出したから、番茶も出花娘を囮にする。掛かった。浮かない、ヘチに寄せるが浮かない、なんでじゃあ。ニゴイでもアマゴでもない。
やっと浮いたら、タモまで飛んできてくれない。その時になって、やっと囮に番茶も出花娘を使っていることに気がついた。幸い、背掛かりが外れず、だっこできた。最後は女子高生。
なんで女子高生が最後じゃあ。始めに女子高生が釣れていたらオラの人生はバラ色になっていたのに。
ということで、下顎側線孔数4対左右対称、21才1,20才2,19才1に女子高生1。釣れたときは22才乙女と思っていたのになあ。馬力がさらについたなあ。
同乗者に、下北半島やあっちこっちのヤマメ、イワナを追っかけているねえちゃんがいた。サボMのお仲間、垢石翁の娘さん並み(娘さんとヤマメ 娘さんとアユ)のそのねえちゃんは、マムシにびっくりし、熊を爆竹で驚かせ、と。
ヤマメ、イワナには興味はないが、月光川、日向川には興味がある。シャネル5番の香りを振りまくアユがまだいるかもしれないから。
残念ながら、月光川はキャッチアンドリリース区間があり、ややこしいからあんまり行っていないとのこと。
小沢さんは、シャネル5番が現在でもするアユのいる川として、馬瀬川は当然として、五ヶ瀬川、高津川、匹見川かなあ、といわれた。
小沢さんが馬瀬川の情況を話されているとき、滝井さんに登場する村岡老人のように、馬瀬川を知りつくしている方が、今年の馬瀬川の状況について、小沢さんにいろいろと尋ねられていた。
その場所に係る特徴の話については馬瀬川に行ったことのないオラには判らないが、馬瀬川に放流されている人工?については、かってよりも質がよくなったとのこと。
先日、いじめっ子らが九頭竜川に行った。キュウリの香りがした、と。大雨で九頭竜ダムの水が入れ替わり、珪藻に取り込まれて香り成分に変化しているであろう何らかの種類の栄養塩がダム湖の浮遊植物プランクトンに費消されずにダム下流に流れ、また、いつもの藍藻ではなく、珪藻が優占種となる貧腐水水になっていた、という条件があったのかなあ。
ねえちゃんは、イワナ?を釣っていてザガニを釣ったとのこと。ハリスが傷んでいるかもしれないと思いながらも交換せず、ハリス切れになったとのこと。
まあ、ミミズに食いつくザガニがいることはあり得るかなあ、と思うよ。
しかし、去年、三面川で、囮にザガニが食いついていたとのこと。下手物食いのオラでも、未だにザガニを釣ったことはない。
とても、おもろいねえちゃんに会いました。
ということで、狩野川の松下の瀬は、青ノロの影響がない状況になっていること、アカがついていること、一番上りの遡上鮎が対象で、「大鮎の狩野川」になっていることを確認できました。迷人見習いは、雲金のアカ付きが悪いと話していたから、日曜日に見に行こう、っと。
そして、小沢さんの話も面白く、さらに、ホトトギスさんのような「新種」?のねえちゃんに会えて楽しい1日でした。
あそうそう、遡上鮎が、高級住宅街だけでなく、郊外の住宅地でも住むようになる年頃になったのか、どうか、これがまだ不鮮明。番茶も出花娘は、その界隈の必ずしも1等地、高級住宅街ではないところで釣れたから、全川に散らばって縄張りを形成する年頃になったのでは、と思えるが、まあ、日曜日にお百姓らの状況を見てみましょう。
7月31日 狩野川松ヶ瀬
雷、その他による増水が気になるが、地域別の雨雲発生予報では、今回も天城方面の雨量は大したことはなさそう。赤や黄色の表示はなく、短時間に青の表示があるだけ。
湯ヶ島には100円温泉がまだ存続しているとのことであるから、手ぬぐいをもって出発。
狩野川大橋から見ると大して増水していない。大見川も。濁りもそれほどではない。
宮田橋から見ると、温泉よりもあゆみちゃんコースの川に見える。
着替えが終わったとき、ゴロちゃんのお声が。運の尽きかと思えど、ゴロちゃんは天城へと去っていく。
お百姓と迷人見習いは、駐車場付近に入り、すぐに釣れたとのこと。オラと迷えるマレーグマ君は、上流へと行く。マレーグマ君は吊り橋近くまで上るが、オラはその手前で歩くのをやめた。
マレーグマ君は釣れたものの1ヵ所で何匹も掛からない、と悩んでいた。
オラにもやっと釣れたのは番茶も出花娘。次が花の女子高生。そして、久々の中学生。
その頃、濁りがきつくなり、水が増えてきた。天城の雨で鉄砲水はないであろうが、増水してきた時、河原が石であればすぐに避難できるが、芦原の中を歩くのは難儀なことであるから、オラとマレーグマ君はあがった。
朝麦酒を飲みながら、お百姓や迷人見習いをからかい、時間を過ごしていました。
しかし、まだ11時前。天城の雨の影響も納まりかけたので、また川に入ったが、釣れませんなあ。
結局、午前の部は、お百姓と迷人見習いが8,マレーグマ君が4,オラが3.
これでは、初心者の時の迷人見習いに狩野川でこてんぱんにやっつけられて、悩めるマレーグマとされたマレーグマ君の悪夢は再びかなあ。
午後も、朝釣っていたところに入っていた一団等が消えていったため、オラとマレーグマ君は上流へ。
マレーグマ君はペースが上がるときもあるが、持続することはなし。オラはさっぱりですわ。囮を瀬の芯に入れることも、その近くに入れることもあたわず。手前の筋で強そうな流れのところに囮を入れるだけ。
お百姓がやってきて、根掛かり放流。他人の不幸は蜜の味ですわ。
駐車場に近いところに移ったマレーグマ君は時折掛けていたが、最後は素早く抜くことが出来ずに身切れ。もっとパワーのある竿を使わないと、今年の狩野川の遡上鮎を取り込みませんよ。
結局、1日分の合計は、マレーグマ君が11,お百姓が10,迷人見習いが9,オラが5.いや、オラ以外は+1だったかな。
21才の番茶も出花娘をオラ以外は釣っていて、釣果は少ないものの大きさには満足していた。なお、駐車場に近いところでは人工も混じったとのこと。
そして、悩めるマレーグマ君の得意満面に対して、迷人見習いの悔しがること、泪ちょちょ切れる情景を楽しむことができました。
お百姓も、マレーグマ君に負けたからには、再度勝負して欲しいなあ。アッシー君を期待してまっせえ。
狩野川が、遡上鮎の大アユの川となることは、なんぼ先の長いお百姓でも何回も経験できるとは限りませんでえ。ましてや、来年があると思うなジジーには、のオラは今生最後の機会でっせえ。よろしく頼んますわ。
それに、迷人見習いの師匠や師範代がなんでいっぱい釣れているのか、見たいんでしょう。そのためには、とおちゃんに勘当されることも覚悟して、年券を買わんとなあ。
8月4日 中津川
狩野川の番茶も出花娘に肘鉄を食らってもちょっかいを出すか、同じ遡上鮎でも小中学生の中津川にするか、悩みました。
番茶も出花娘に張り倒されても、マゾの楽しみを、とは思っていたが、朝になると、鮎バックを担いで2キロを歩くか、ウエーダーで往復2キロを歩くか、どっちが楽か、と悩んだ末、「歩きたくない」、ということで、笹濁りの中津川へ。
壊れ橋上流、堰との中間附近があいている。その上下はそれなりに人が入っている。
釣れません。水量は10トンであるから、普段の2,3倍ではあるが、楽をしたいから、壊れ橋の方へと下る。
吸盤ボウイが釣れただけで、遡上鮎の小中学生からも肘鉄を食らうのかなあ、と悲しい気分になっていた。
そこに現れたお百姓。高校生に小学生にチビ。お百姓が幸運の女神になってくれるとは、ありがたいですなあ。
お百姓には、キャベツの種まきを今日中に終えて、狩野川に行こうと言ったのに、竿を出して、お仕事をサボりよった。オラが最初に囮を入れたところで3匹とのこと。
その時、雨で引き上げるオラは5匹。
しかし、遡上鮎の小中学生もいるが、番茶も出花娘は人工。なんで人工がいるのかなあ。昨日放流された人工ではないと思うが。
午後は、歩きたくない、ということで、角田大橋上流の瀬肩へ。
やっと遡上鮎らしい元気な中高生が。
角田大橋下流まで、楽なところにはいるが、ぱっとしませんなあ。
結局、1日働いて、人工と遡上鮎合計9匹。
よねさんが同じような数であるから、ヨシとするか。
なお、お百姓は、4時頃の土砂降りまで釣って、15匹とのこと。その近所のメーカーの服装で決めた人は、30台とのこと。
人工の番茶も出花娘と遡上鮎の中学生では、中学生の方が泳ぎは達者ですなあ。まあ、人工も釣れていたから、囮の過労死もなかったから感謝しなければいけないんでしょうが。
九頭竜川に行ったご一行さんの1人、「新種」?のねえちゃんは1日目が14,2日目が昼までで2匹との話があった。
2日目は、何がよくなかったのかなあ。1日目は40台の人ももいたとのこと。
大きさは中高生とのこと。
中津川が遡上鮎の中高生だけでなく、人工が混じるとなると、狩野川の番茶も出花娘を軟派しにいくしかないが、アッシー君がいないとしんどいなあ。
お若いよしよしさんでも、川を見てまわり、パチンコをしたとのことであるから、川の状況が安定しない中、鮎バックを担いで狩野川にいくことに我慢できるかなあ。歳を取ったなあ。
名人見習いの師範代と親戚の方と今日もあった。
その方が先日、去年釣りをしていて熱中症になった人のことを話されていた。すわることが出来ない、寝ることも。救急車で運ばれて1日入院して回復されたとのことであるが、熱中症にならないように、気をつけるしかないかなあ。
その親戚の方は、九頭竜川、神通川等に出かける予定とのことであったが、夕方に会ったときには中止になったとのこと。もう、盆休みが始まるところもあるようです。ただ、天気も安定するとはいえないようで、狩野川に出かけるのでさえ、決断がいる情勢ですから、北陸まで行くには相当の決断が必要ということでしょうかねえ。
今日も昼の雨だけでなく、4時頃に土砂降り。囮屋さんにすぐに避難できる場所で釣っていたから助かったが、狩野川ではびしょ濡れになって30分は歩かないと。アッシー君達、余命幾ばくもないジジーがびしょ濡れになってほっつくのは可哀想と思うでしょう。
なにい、思わないってえ。ちょっとは敬老精神をもてえ。
8月9日 中津川壊れ橋上流
もう、ゴロちゃんや急な雨に苛められることはないでしょうねえ。
先日、相模川は、石切場等で黄色い濁りの中でも光合成が行われていて、テク2等が2,30釣っているとのこと。
しかし、山梨の豪雨が流れ込んだ津久井ダムが、ダム放流量を増やしたため、前回釣れたところに囮を入れられないと。それで、テク2は壊れ橋に移動。釣れずに引き上げる人で、あいたから、そこに入り、20と。
その日に、消防グランド上流に入ったテク2が40と。
そんな美味しい話を聞くと、壊れ橋に行くしかないですよねえ。
しかし、入るところはないですなあ。
電線のところは、下流側の人に接近して入っても、その人は電線に邪魔されて、上には動けないから、邪魔にはならないでしょう。
案の定、その人は、折角女子高生を掛けたのに、抜くとき電線に竿先を当てて、ばらしていた。その後釣れず、昼前に消えたので、オラの釣り場は広がった。
何じゃあ、20才くらいあるのに、下顎側線孔数は4対左右対称であるのに、オラの竿で楽に抜ける。遡上鮎ではない。
相模湾の稚アユを和歌山に送り育てた和歌山産が放流されたとの話があるが、その「和歌山産」の海産畜養かなあ。
そのほかにも人工が。
結局午前は、遡上鮎の15才までが2匹に、放流ものが2匹。
テク2はどこを釣ったのかなあ。
壊れ橋下の瀬を渡る人がいたから見ていたが、水深の変化がなくなっている、流れの強弱がなくなっている。
一抱えはある石がごろごろしていて、石の周りはえぐれ、また石と石の間は、流れが変化していたのにそれが消滅している。棚も消滅して、勾配はあるものの、均質な流れになっている。これじゃあ、遡上鮎はつくまい。
壊れ橋下流の瀬も、ダム放流量が100トンに制限され、掃流力不足で石がどんどん埋まっている他の瀬の例外ではなかった。
テク1は消防グランド付近で釣ったということかなあ。
昼にやってきたお百姓が、午後は釣れるよ、と。
午前、角田大橋上流の瀬の偽アカシアの木附近に入った相模川でのマスターズ、ジャパンカップで1歩及ばず、上に行けなかったKさんが4匹、と。
Kさんでさえ4匹では堰上流は望みはなかろう。それに石の色が悪くなった、と。
それでまた壊れ橋へ。
壊れ橋には人が見える。堰との中間附近の瀬落ち風のところに1人入っているが、その下はあいている。
さっぱり釣れませんなあ。
お百姓、嘘をついたな。
上流側の人が消えたので、瀬落ち風のところに入るも、3時半前に釣れたのは1,2匹。4時頃から釣れた。
憧れの遡上鮎の女子高生もだっこできました。よく走るなあ。しかし、午後は短竿を使っているから、どんなにもがいても放しませんよ。放流ものの海産畜養とは比べものにならない馬力。
結局、午後は放流ものを含めて8匹。その多くは4時から。
中津川のあゆみちゃんは、午前は釣れず、、「4時から女」ということかなあ。
ということは、6時のバスにしないと釣れないということかなあ。とはいっても、ボデーがもちそうもないし、困ったなあ。バネ指、腕の筋肉痛に、漢方薬を飲み、ローションを塗り耐えていた身には、ちょっときびしいなあ。
よねさんは、昨日、平山橋下流の瀬に入り1匹とのこと。
今日は堰下左岸に入り、21匹。
堰下のほうがよいということかなあ。
マムシキラーが様子を見に来て、帰る人が20ほど釣っているのを見て、そんなに釣れるのか、とびっくりしていた。マムシキラーさんも競争相手になると厳しいなあ。マムシキラーさんは、テク2が来ているはずと探していた。
テク2は消防グランドに入ったのかなあ。
8月11日 狩野川雲金
お百姓が久々に狩野川に行くという。しかも、いつもとは異なり、うさんくさいおっさんだけではなく、ねえちゃんも。
そんな美味しいお話に割り込まないオラではありません。色気たっぷり、興味津々。
そのねえちゃんは、「新種」?ねえちゃん:ヤマメねえちゃん。
ヤマメねえちゃんには、ヤマメの在来種のいる可能性のある川、珪藻が優占種の川で、アユが遡上している川、ヤマメとサクラマスの産卵に係る観察あるいは話を期待していたが。
オラの亡き師匠は、水と鮎の品格、品質、「鮎」には継代人工を含まれない、など、釣れたら何でもよい、大きければ幸いです、というオラに、しつこくそれらの違い、お話をしてくれていたが、ヤマメねえちゃんの師匠は、そのようなお話をされていなかったよう。
殿淵から下流の瀬へ。
蹴られ、次は蹴られてエビに、その次は蹴られて団子になりぽっちゃん。3度あることは4度ある。とどのつまりは、タモまであと少しでぽっちゃん。
なんでじゃあ、もう我慢できん、悪いのは針じゃあ、といつもの八つ当たりで針を交換。お百姓曰く、おばせの出し過ぎ、垂れすぎ、と。
やっと釣れました番茶も出花娘。これを囮にしては抜けないから、引き寄せで取り込もう、と、意気揚々。引き寄せがしやすいようにフロロの0.3号を使用している。
しかし、不運は永遠回帰の神話の如し。根掛かり。あと1メートル立ちこめれば何とかなるかも、と思えど無理です。上流の方にくぼちゃんが見える。久保ちゃんがそこで釣れていようが、くぼちゃんを活用するしか苦境脱出の道はなし。
大声と身振りで誘惑すると、気がついてくれた。石の間に巻き込まれているとのこと。何とか救出してくれた。
オラの下流に入ったくぼちゃんは釣れたが、オラは蹴られすらなし。
まだ昼にはたっぷり時間はあるが、竿をたたんで殿淵へ。
何十年ぶりかでやってきた同年配の方が、殿淵、柿木川出合いの変貌ぶりにびっくりされていた。
アユが好む石底の殿淵、大石と玉石だけの底であった柿木川出合い、殿淵から右岸へのザラ瀬での流れ出し、右岸に沿う絞り込まれた瀬、それらはすべて消滅。
むかしの石は、流れは今いずこ。砂利さんこんにちわ。この情景が古の情景に変化することはあるのかなあ。
オラの上流側で釣っていた人は20台、殿淵から上流に入ったヤマメねえちゃんは8くらい。その近くで釣ったお百姓は5くらい。くぼちゃんも4くらい。
ヤマメねえちゃんは、迷人見習いの再来か、弁天様の化身か。
午後、松ヶ瀬に行くにはどうするか。
護岸のはしごは、手すりがないから利用不可能。吊り橋を渡り左岸からいつもの駐車場に行くか。しんどいなあ。とりあえず、8リットルの舟をもって右岸を下っていく。高松邸のところのはしごは、手すりがついている。ありがたい、もう歩かなくてもよい。
トイ面にくぼちゃんが。オラが竿を出す前に3匹も。
右岸側は砂が多くなり、溝は消え、石が乗っかっているだけ。流れの芯は左岸に寄っている。こんな条件の時はどこを釣ればいいんでしょうか、迷人見習いさんよお。
流れはそれほど強くないが、石が詰まった筋はあるから、囮も泳げばあゆみに当たる、を期待して、くぼちゃんがどのくらい釣るのか見るだけにしましょう。次回の左岸側からの釣りの参考のために。
くぼちゃんが立ち位置にしている筋の上流側で22,3才は十分にあろうアユが跳ねた。ということは立ちこまないで、ヘチからの釣りでよいということかなあ。
お百姓とヤマメねえちゃんは、吊り橋上流のチャラ状のところへ。
吊り橋から見ると、そんなに多くのアユは見えないが、なんであんなところに、と思う流れの貧弱な筋に番茶も出花娘がついている石がある。
1日の合計は、お百姓が15,ヤマメねえちゃんが12,くぼちゃんが9.オラが1.
3人とも、22才を含めて、遡上鮎の番茶も出花娘を数匹づつ釣りあげている。
ヤマメねえちゃんは、盛んにお百姓を誘惑している。
お百姓は、盆は出荷が忙しいから、濁りが薄くなってきて、釣れ始めた相模川に行けない、と。
嘘つき、ど素人に教えるのがしんどい、とぼやいていたのに、そのど素人にダブルスコアほどの差をつけられて、黒い顔を真っ青にしていたのはどなた様でしょうかねえ。
お仕事が忙しいからではなく、相模川でもぶっちぎりでヤマメねえちゃんに勝てる自信がないからでしょう。
いや、負けてしまい、「自信」、「誇り」が木っ端微塵となり、大きな図体を隠す穴がないからでしょう。
そうなんです。ヤマメねえちゃんは、2回?蹴られて、針が合わない、と即交換。オラと何という違いでしょう。その違いは、ヤマメねえちゃんが、即、番茶も出花娘をだっこできたのに、4回もにいげたあゆには未練はあるが、という、違いになりました。
ということで、東名が大井松田の前に何でか渋滞があったことは想定外ですが、その先の渋滞は裏街道で避けたため、深夜の帰宅とならず、これも幸いでした。
何よりも、ヤマメねえちゃんの才能にびっくりしました。
迷人見習いさんよお、ヤマメねえちゃんと勝負をされてはいかがですか。オラが審判で参加しますよ。
8月12日 中津川
今日、八菅の火の見櫓付近で、伊藤正弘さんの講習会がある。ただ見をしたいが、足がないなあ、と考えているところに、地震で早起きを余儀されたのか、お年のせいか、早く起きたお百姓からメールが。
見学に行くとのこと。釣り具を積んで、麦酒を積んで便乗。
見ているだけで暑いなあ。
伊藤さんはせっせと釣りあげているなあ。大きさは小中学生で、仙台堰下流よりは小さいのではないかなあ。
講習会にヤマメねえちゃんが参加している。ねえちゃんに、講習会のあと釣りをする?と、お百姓さんが訊ねたら、する、と。ということで、仙台堰と壊れ橋の中間附近の瀬へ。
ヤマメねえちゃんは、講習会で7匹とのこと。
時間は、3時頃であるから、そろそろ、「4時から女」が登場するはず、とオラ達は「大漁」の2文字しか考えていなかった。
しかし、今日は、「4時から女」の休業日ですかねえ。釣れませんなあ。まあ、仕方がないですよねえ。釣り人は入れ替わり立ち替わりで、休日があるものの、あゆみちゃんは、連日働きづめで、安息日をよこせ、と、ストをやっているのでしょうねえ。
お百姓の上流側のオラに掛かった。風は強いし、浮かんなあ、と取り込みに苦労して、身切れ。お百姓にいろいろと操作ミスを指摘された。
身切れを避けるため、7号の針に変えてしばらくして掛かった。取り込んだのは、女子高2,3年生。
お百姓は根掛かり放流を引っ掛けて、外すのに苦労をしたり、左岸葦の根掛かりを外しに行って、引っ掛かっていた仕掛けを何種類か、回収したり、と、アルバイトに精を出していた。
そのおっさんらを尻目に、上流のザラ瀬風のところのヤマメねえちゃんは釣っていますなあ。
夕日を見ながら、釣りをしたのは何年ぶりかなあ。10年以上前のことではないかなあ。ヤマメねえちゃんは、昨日は夜の10時頃に寝たとしても、講習会に参加するため、今朝は4時前には起きたのではないかなあ。元気ですなあ。
さて、結果は?
ヤマメねえちゃんはぶっちぎりの7匹。ただし、これは推測値で、実際はこれ以上の可能性がある。オラ達と違い、数えるのに時間がかかるため、計算で判断したため。
お百姓とオラは2匹。
これじゃあ、お百姓が相模川で釣りたいというヤマメねえちゃんのお誘いを断るのも当然かなあ。
その上、相模川がアカがついたところもある、20,30釣る人もある、とはいっても、今朝は濁りが少しは薄くなっていたのに、昼前には少し濃くなっている。津久井ダムは底水放流であり、ここ数日の間に山梨でも雷雨もなかったから、なんで1日のうちで濁りの濃さに変化が生じたのかなあ。
こんな不安定な川の状況では、ヤマメねえちゃんにこてんぱんにやられることも現実味がありますねえ。それを察知したとすれば、お百姓の危機予知の動物的、いや、植物的勘は凄いですねえ。
8月14日 相模川弁天
濁りは真っ黄色から白っぽい濁りになり、瀬にもアカが着いているということであるが、また、20,30釣れたという話もあるが。
とはいえ、まだ素人衆が、ヘボが、しゃしゃり出てもあゆみちゃんが相手にしてくれないであろうと思っていた。
8月12日、新昭和橋下流の瀬と瀬落ちで束釣り以上が、そして近所の人も70と。
神川橋の水位計で4メートルの増水後、新昭和橋下流の瀬でも少ししか釣れておらず、昭和橋上流左岸分流で、何回か、束釣りをし、50,60当たり前の雄物川さんでさえ、中津川の最戸橋付近に出稼ぎに行っていた。
ということは、あゆみちゃんが避難場所から瀬に戻ってきたということかなあ。
13日には、弁天下流側瀬に入ったテク2が、70とのこと。
やっと、ヘボでも釣れる状態に川がなったということではないか、と、いそいそと出かけました。
さい先のよいことに、囮屋さんにお百姓がいたから、弁天まで舟をぶら下げて歩かなくてもよかった。
しかもですよ、弁天上流側の瀬肩附近ですぐに、小中学生。新昭和橋下流では、女子高生も番茶も出花娘も混じっているというから、女子高生が来てもよいように7号の針しかもってきてませんよ。
ところが、いつものように幕が下りてえ…。
社長出勤のヒゲだるま君も、釣りは、時間の長さではなく、速度じゃあ、といういつもの勢いはなく、数匹釣って右岸に移った。
10時過ぎには麦酒のお時間です。麦酒を飲みながら、オラのところに入った振り子抜きさんを見ていた。午前だけで20を越えたのでは。対面のヒゲだるま君はオラがいつも味わう惨めさを味わっていました。
振り子抜きさんとオラの違いは、腕の差?
いや、立ち位置の差です。オラよりも2,3メートル立ち込み、さらに、竿が7メートルと9メートルの違いがあるから、オラの囮の位置よりも5メートルほど沖を釣っている。
ヒゲだるま君も昼、人が減り、瀬を立ちこんで釣り出すと、少しは速度が上がっていた。
ということで、ヘボのやせ我慢の結論は、流れの芯に近いところを釣れ、ということでは?。
やっと、「腕」ではなく、「運」でもあゆみちゃんと遊べる川の状況になったと思っていたのに、世の中、そんな甘いもんやおまへん。
午前に、20台は何人か、いるとは思うが、女子高生を何人がだっこできたのかなあ。
なんで、新昭和橋の瀬では女子高生が釣れているのに、弁天では小中学生だけかなあ。
瀬落ちも釣れず。石は増水前よりは出ていると思う。
下流側の瀬と瀬肩附近には大勢の人がいたが、どの程度釣れたのかなあ。増水前と同様、大漁のあとは、2,3日たたないと縄張りをもたないのかなあ。
ああ、いつになったら難行苦行のナンパから解放されて、うはうはの喜びを味わえるようななるのかなあ。
大井川に行くしかないのかなあ。長島ダムが出来てから初めての神座の水位計で4メートルの増水になって、どの程度石が出たのか、確かめる必要もあるしなあ。
嘆き節が相模川にも轟き渡ったく3匹でした。
その「敗因」は、「腕」ではなく、立ち込み不足:「あんよ」であると、ヘボにとってはありがたあい口実が見つかった?ことで、満足することにしましょう。
8月18日 大井川
神座の水位計で4メートルの増水となったのは、長島ダムが出来てから、初めてではないかなあ。
この増水によって、長島ダムが出来てからどんどん埋まっていった石がどの程度出たのか、あるいは出なかったのか、また、アカ付きはどうなっているのか。さらに、梅雨明けの7月下旬、8月上旬にシャネル5番の香りを振りまいていた「香」魚が再来する可能性かあるのか、ないのか、見に行くしかないですよねえ。
その結果が、どうであろうとも、「ヘボ」観察者らしくふるまわねば、と高邁な使命感?に燃えて、いや、あわよくば、あゆみちゃんとの酒池肉林を夢見て、いざ出発。
しかし、19日は雨との予報を見て、早々と予定変更、日帰りに。
JRから見る大井川は濁っている。しかし、川口発電所上流の大井川鉄道の福用、大和田から見る大井川は青い色で、現在の中津川よりも透明度が高そう。この現象は20世紀と同じ。
河原の石は、また、大和田の瀬の石は、小さいままですなあ。
笹間渡鉄橋上流側の石も小さいままですなあ。
鉄橋上の石が小さいことの意味
大井川は、珪藻が優占種であることが影響しているのか、光合成が出来るほど水が澄んでも、アカ付きに時間がかかる。
そして、アカ付きが悪い時でも、アカが少しはついているところが、笹間渡鉄橋上流の大石と頭大の石がびっしりと詰まっていたチャラと、葛籠、七曲がり、発電所廃屋下流の袋であった。
そのほかでは、川根温泉下流の瀬落ちから抜里までの左岸岩盤、大石の間の流れ、そして、駿遠橋下流左岸前山の大石ごろごろのところであった。
したがって、今日の釣り場も、第1目標は、発電所廃屋下流の袋、七曲がりの袋であった。そこらは、砂利、小石で埋まっていないのでは、と。
笹間渡往復切符を買うと、川根温泉がただで入ることができる。
一泊用の下着等は、鮎バックから取りだしたが、手ぬぐいは入っている。
発電所廃屋下流まで歩くには、一キロ以上は砂利で埋まり、あるいは転がる石で、アカがついていないところを歩くことになるし、流れを一回渡ることになる。しんどいなあ。
あゆみちゃんに加齢臭は大嫌い、と敬遠されているから、温泉に入って身をきれいにして、次回はあゆみちゃんがすり寄ってきてくれるようにする方がええなあ。
囮屋さんにつく時には、一番歩く距離が短く、楽な、そして、アカがついている可能性のある川根温泉下流左岸に沿って緩やかに流れている大石の転がっているところをほっつくことに決まっていた。囮が過労死したら、温泉に入っている時間を多くすればよい。
囮屋さんにつくと、葛籠に行くという一人と二人組が。どんな状況かは行ってみないとわからない、と。大井川では、創業者利得を求めて、川の状況が悪くても竿を出す人は少ないということかなあ。釣りを終えて戻ってきたとき、凄いオフロード車で、河原に出来た段差を乗り越えていた人は、昭和橋を見に行くと。
囮屋さんに、鮎が釣れるときは、毎日駿遠橋下流の瀬で釣っているご近所の方が見えなかった、というと、その方は数匹釣れればよい、と笹間ダム上流の笹間川に行っている、と。
寿司屋さんは、笹間川は現在の大井川で一番水がよいといわれていたが、もし、海産畜養が放流されていたら、ぬめぬめぬるぬるの柔肌から、シャネル五番の香りをぷんぷん漂わせているあゆみちゃんに会えるのかなあ。
ということで、塩郷堰堤下流には4人の釣り人がいることにはなるが。
川根温泉下流の左岸瀬には、大石と頭大の石で、袋に近い状況の石組みがあったが、むかしの石は今いずこ、に。
川を渡るとき、アカの状況を見たが、転がらなかった石でもアカがつき始めている石はわずか。河原をちょろちょろ流れている流れの石でも、アカがつき始めたくらい。4メートルの増水になったのが7月18日、白い色の濁りになってからでも10日以上になるのになあ。
川根温泉下流の瀬落ちの左岸岩盤にはハミ跡がいっぱい見えるとのことであるが、右岸からでは竿が届かないしなあ。そこが避難場所の1つのようであるが。
左岸に沿う流れの大石の周りは砂利のまま。机状の石、大石の石表も泥かぶりのアカではないかと思うが、そこを狙うしかないなあ。
囮君に好きなところに行って、と。
抜里の、左岸から右岸への流れになる手前まで釣り下ることにする。
なんということか。目印がすっ飛んだ。
ちょっぴり細身ではあるが、女子高生。こんな幸運もあるとは、ありがたいなあ。
蒸気機関車に乗るには、3時前には温泉に入らないと。囮達は過労死することもなく働いてくれるが、蹴られがあっただけ。
葛籠に行った人達はどうだったのかなあ。
囮屋さんに電話をすると、一人の人は五匹とのこと。流れを渡るとき、鮎は見えたがアカ付きは悪い、と。さらに、右岸から崖を下るのが大変になったとのこと。
二人組は立ち寄らなかったから、結果はわからないとのこと。
ということで、4メートルの増水では、河原の石が出て歩きにくいところもあるものの、流れの中では、新たに石を出すほどにはならなかったようです。
狩野川の城山下は、平成の始めまでの石ころの河原から、現在は3,4メートル砂利が堆積しているはず。この砂利が流されるには、6メートルとか、8メートルとかの増水が必要ではないかなあ。
そうすると、大井川でもそのくらいの増水がないと石がでないのではないかなあ。さらに、ダム放流量を減らすときも、砂利が流れの中に堆積しないようにする工夫が必要ではないかなあ。
ということで、19日の天気予報が外れて晴れになったが残念とは思わない川の状況でした。
そして、生涯最後の蒸気機関車に乗る1日になりました。
8月24日 相模川
21日の雨が降り出した中で、お百姓は、弁天左岸上流側瀬肩附近で28.お百姓よりも遅く来て、右岸瀬肩附近に入り、ヘチを立ち位置にして、釣ったヒゲだるま君は30台とのこと。
その日、新昭和橋下流瀬のコロガシに11時頃に出かけた近所の人は、70,同行者は鮎に引っぱられたとのこと。ということは、遡上乙女に育ったものもいるということかなあ。
22日の増水の時、お百姓は9.
ということで増水の時に必ずしも釣れず。新昭和橋下流の瀬では増水前はそれほど瀬に入っていなかったが、増水を契機として瀬に入ってきたとのことであるが。
さて、昨日、3,40センチの増水になったとのこと。今日は平水に。
弁天上流側の瀬肩に入るが、釣れませんなあ。
アカは十分についているというのに。濁りは大井川よりも強いのになんで、大井川よりもアカ付きがよいのかなあ。富栄養の水であるからかなあ。
お百姓が冷やかしにやってきて、11時を過ぎたから麦酒のお時間、というと、これからがゴールデンタイムであるから、飲むな、と。そんなことをいわれましてもですよ、初心者のヤマメねえちゃんに何倍もの差をつけられて狩野川、中津川と負けていてもですよ、この風と釣れない中で腕を磨くなんて出来ませんよ。ビ−ルを飲んで、ヤマメねえちゃんに負けた時の言い訳を考えた方が時間の有効な使い方ですよ。とはいっても、敗戦の言い訳も底をついたからなあ。
右岸瀬を釣って、下って、小中学生を取り込んでいる人は、よほど細糸を使っているのかなあ。とても大漁には見えない。
先日、その瀬で、お百姓が今年初めての丼を食べたときは、番茶も出花娘に、のされたからで、小中学生ではなかったようであるが。
昼から、ゲンさんがやってきて、すぐに瀬で掛けたがそれっきり。空中バレを多発。瀬落ちから瀬尻と動いたが、最後にオラが釣っていた瀬肩附近に入って1匹追加。
右岸のヒゲだるま君が30台を釣ったところに入っているヒゲだるま君並みの腕の人もぽつりぽつり。
なんで、皆さん釣れないのかなあ。増水で避難したということはなかろうに。アカが飛んだとしても部分的であろうに。
みんなが釣れなければ恥ずかしくない。小中学生5匹で満足しましょう。
8月26日 三面川序章
相模川が4メートルの増水になるダム放流後、新昭和橋下流の瀬のコロガシで70,束釣り、また、弁天でお百姓が28,ヒゲだるま君が30台と釣れて、避難先からあゆみちゃんが瀬に戻った、と思ったが、それほど、単純ではなかったよう。
避難場所から瀬に戻るといっても、昭和橋付近のトロと、石切場上流のトロの鮎が、携帯もないのに、同時期に瀬に戻ることになったのはなんでかなあ。何を感知したのかなあ。そのほかの場所でもその日頃に瀬に戻ったのかなあ。
その後の数十センチの増水、減水の繰り返しで、釣れるときも、釣れないときもあったようで、何があゆみちゃんの行動を左右しているのか、判らないまま。
25日、新昭和橋下流の瀬にご近所さんがコロガシに行き、先日の増水による大漁の再現を夢見て、少し増水したものの、サイレンが鳴るもかまわず、釣っていたとのこと。
少し増水をしたにもかかわらず、今回は釣れず。
そのうち、真っ黒な水になり、やっと、流れを渡ることが出来たとのこと。川流れになるか、ヘリコプターのお世話になるか、際どいところであったとのこと。
ということで、増水が始まったからといって、大漁ともいえないよう。
そして、先日の雨の時、道志川は真っ黒になっていたのに、その影響は津久井湖では出ていなかったとのことであるから、26日の濁りは、相模湖上流に真っ黒(真っ黄色)な水が流れ込んだからかなあ。津久井ダム下流の主な濁りの基は、支流の串川くらいしかないが。
ご近所の方が危ない目に遭っていた頃、中津川仙台堰下流の強い瀬に種まきを途中からサボって入ったお百姓は、昼頃から6時まで働いて、遡上鮎の女子高生主体に11とのこと。
その動機が問題。種まきが忙しいから、と、ヤマメねえちゃんのお誘いを断る口実を作るため。オラが、50才、いや、30才若かったら、ねえちゃんに平手打ちを食らうとも、ちょっかいを出すのになあ。
不純な動機で仙台堰下流で浮気をしたお百姓に神様は懲罰を。
スッ転んで、穂先を折り、危うく改名するかもという恐怖を与えました。
今月号の「つり人」に、三島さんが狩野川の遡上大鮎について書かれている。その中に、0.3号で丼、との記述があったと思うが、貧乏人は丼を食うべからず、が、家訓であるから、何号の糸を使えばよいのか、悩みますねえ。人工の大鮎、尺鮎、というお話では、敬遠するだけですが。
しかも、大鮎が釣れるか、囮が過労死するか、の、ヘボには厳しい環境のようで、困りましたねえ。
昨日のダム放流が、少し収まった26日朝の高田橋上流。
濁りはいつものような状態に戻っている。右岸の瀬の芯に囮を入れることは不可能な水量ではあるが、分流合流点付近に、股下まで立ちこんで、右岸寄りの瀬の近くに囮を入れている人が、入れ掛かりをしていた。どのくらい、持続したのか判らないが。
そのような、不安定な関東を離れて、盆の頃には、あと少しで3桁になったという方のいらっしゃった荒川、当然、三面川もアユがいっぱいいるはず、と、「香」魚は期待できないものの、関越道へ夜出発する。
新潟でも、増水があったが、数十センチ程度のようで、アカがすべて飛んではいないと思うが。
ただ、性成熟が進み、生殖腺重量体重比が、ある程度進んでからの増水の時は、中落ちをするようで、日本海側の遡上鮎は、中落ちの時期になっていると考えている。
そうすると、アカ付きだけでなく、鮎の居場所にも変化が、密度の偏りが、生じていて、旅人には厳しいかも。
それでも、安倍川以西附近よりは条件が良いはずと思っているが。
8月27日 三面川
朝、オラが見た相模川は、午後には濁流と化していたであろう。
天気予報の雨雲レーダーには、三面川に真っ赤な雨雲はかかっていなかったように思うが、三面川が濁ったとの話があった。
夜明け前、まほろばの里の道の駅の駐車場には、車中泊の車が相当止まっている。
その中の、今日帰るという群馬さんが三面川の状況を教えてくださった。
昨日も、それ以前も、雷雨等の局地的な大雨が降ったが、三面川よりも、高根川流域で降っていた。ことに26日の雨は、高根川を増水させ、その濁りが、高根川合流点下流に出たが、それより上流の三面川には影響はなかった。
したがって、高根川合流点から上流、高速道橋梁、岩沢橋附近ががねらい目になる、と。
水明橋下流は、小さい、と。
ということで、当初の高根川から、岩沢橋、高速道付近に目標を変更した。
岩沢橋に着くと、軽トラで、囮と券を販売していた。
囮屋さんが友で釣った鮎を売っていた。養殖アユと同じ値段。どっかの川の人工の放流ものであろうが、遡上鮎であろうが区別をせずに、川の水に浸かった鮎を「天然鮎」として、販売しているところとは異なり、遡上鮎が販売されていた。
当然、釣った鮎であるから、カカリどころその他の条件によっては、弱い鮎もいる。どの程度選別をすることが許されるのか、判らないが、オラの舟に入った鮎は、元気はつらつであった。サボTさんのアユはよくなかったとのこと。
さて、高速道上流の河原に車を止めた。どこに入ろうかなあ。
三面川は、荒川とは違い、瀬の芯があゆみちゃんの高級住宅街になることはまれ。石の大きさに帰因するのかなあ。三面川には2つの大きなダムがある。かっては、大石があったと、故みずのようにさんが書かれているが、今では頭大の石が大きい石の代表格。
荒川にも2つのダムがあるが、三面川のダムよりも上流に位置し、1つは支流のダムであり、このダムの位置、大きさの違いが、石の大きさの違いとなったのかなあ。
そして、アユは、その状況に合わせて、生活習慣を異にするようになったのかなあ。
まず、左岸駐車場から、流れの真ん中に渡りたいが、オラのあんよで渡ることが出来るかなあ。
渡れました。右岸へのザラ瀬があるが、その周辺では反応なし。
ザラ瀬が落ち込んだととろに、右岸ヘチに沿って石があり、その手前は砂利で深そう。ヘチに囮君は泳いでくれるが、ボサに引っ掛かって欲しくないなあ。
釣れました女子高生。
オラの下流側に移ってきたサボMさんは、番茶も出花娘をだっこしている。オラにも番茶も出花娘が来たが、三面で、番茶も出花娘が遊んでくれるとは思っていなかったため、取り込みが大変でした。しかも、6.5号の針を使っていたため、背中をざっくりと切り裂き、身切れ寸前でした。
7号の針に代えるも、サボMさんの好調とは裏腹に、釣れませんなあ。カニは釣れたが。
しかも、根掛かり。サボMさんに外しにいって貰うが、深く、押しが強く無理。
泣く泣く女子高生との別れを覚悟して、引っぱると、お天道様は吾を見捨てず。針がすっぽ抜けてくれた。何年か前の針であり、接着剤が劣化していたのかなあ。ありがたいことです。
午前は、サボMさんが番茶も出花娘や女子高生を含んで10台、オラが4,そして、サボリーマン軍団の三面川の帝王・サボTさんが2匹。帝王は、かって、並み居るどっかのテスター軍団を尻目に大漁であったこともあったとさ。
さあ、午後はどこに入ろうかなあ。右岸側に渡ることが出来るかどうか、心もとないから、駐車場上流左岸から、枝を気にしながら釣るも、気分爽快とはいかないし、釣れていれば、世の中も明るくなろうものを、短竿でキャッチミスとはなあ。
左岸側のヘチを歩いていくことは困難であるから、土手の自動車道を歩いて、岩沢橋へ。右岸に渡るには橋しかないのかなあ。渡ったあと、降り口はあるのかなあ。橋上流の左岸には階段で下りることが出来るが…。そこはチャラになっているが…。釣り人はいるが…。
悩んでいても詮無いこと。橋下の瀬に囮を入れるが、釣れる気がしませんなあ。
今度は高速道橋へ。左岸側にはめぼしいチャラ風の場所はなく、右岸寄りにはあっても、渡れそうもないしなあ。もっと下流に行けばどうか、判らんが、青い鳥が住んでいる場所を探し疲れました。
元の場所に戻る。立ちこんで左岸側ヘチの溝を釣り、5匹の小中学生。
計9匹。午前は、釣った数よりも空中分解が多かった、という、ばれたろう症候群が発症していなければ、楽につ抜けになったのになあ。お百姓がいれば、いろんな種類の針を用意しているから、今日の三面川に適する針をよこせ、と、かち上げることが出来るんですがねえ。
サボMさんは、午後は5匹。合計20台。
さて、岩沢橋下流右岸側で、午前、午後とも釣っていたサボIさんは、ともに10台ほど釣れて20台。そして、アユカケの大小各1も。さらに、28日の北の方の川でも1匹、と。アユカケ帝王といおうかなあ。
もう1人の帝王・サボTさんは、さすが帝王ですなあ。分流やその合流点付近で、合計30。
朝出発で、一気に三面まで来るのはしんどい、というとっくに還暦経験組は、魚野川で竿を出したが、水はきれい、水清ければ魚は棲まず、の格言を味わって、数匹とのこと。いや、放流量が少ないか、消えただけですよねえ。貧腐水水でも、珪藻は喜んで繁茂し、アユは喜んで、珪藻を食しますからねえ。
8月28日 三面川
還暦経験組は、昨日と同じ場所へ。相対的若者?は、囮屋さんもない北の川へ。
岩沢橋の軽トラさんに釣り場の説明をして貰う。
今年は例年に比して、一層アユは気まぐれで、昨日釣れたからといって今日も釣れるとは限らない。橋下の瀬は、大漁になることも稀にあるが、囮の過労死のことが多い。瀬は、岩沢橋上流に2ヵ所あるから、瀬が好きならそこがよいが、数は出ない。
釣れないから、と、車で移動するのは、時間の無駄遣い。
その他、いろいろと教えてくださった。
さて、昨日渡ることを躊躇していた流れが、左岸側だけが深いのであって、右岸側は浅い、とのこと。それで、渡ったが、オラのあんよでは限界の流れですなあ。杖がなければ、途中で諦めたかも。
昨日、サボI、Tさんが釣っていた付近へ。
今日の囮は弱いですなあ。玉引きで釣れる場所が恋しいなあ。
やっと中学生。沖に出て行くが、あんまり沖に行くな。根掛かりをしたとき助けに行けないから。囮屋さんは9時には店を閉めて、訓練に行くと言っていたから破産してしまうよお。
囮が元気になると、釣れますなあ。小中学生は優しいですなあ。トイ面でも、枝に穂先をぶつけ、時には糸を引っ掛けながらも、オラよりも多く釣っていますなあ。しかも、流れの芯が左岸側に寄っているから、番茶も出花娘も混じっていますなあ。
女子高生を囮に、根掛かり。深くて入っていけません。泣く泣く、今生の別れ、生き別れを悲しみつつ、糸を引く。切れたのは、鼻環上のつけ糸のところ。
お百姓から貰った、いや、かち上げた、と、人の評価はそれぞれですが、強い水中糸ですなあ。
0.4号をつけ糸にし、テク2御作の鼻環仕掛けをつけて、再度ナンパに精を出しました。
10時に17匹。一服して、あと2時間頑張りましょう、と、ポケットに手をもっていくが、煙草がない。いつ、どこで、落としたのかなあ。少し前にも吸ったから、水の中に落としてしまった。2時間も禁煙生活をすることは、つらいなあ。
禁煙生活は体にも、あゆみちゃんナンパにもよくない、あゆみちゃんはニコチンが好きじゃあ、と、書いたら、国賊扱いにされますなあ。
しかし、国賊にされようとも、あゆみちゃんは釣れませんなあ。加齢臭は嫌い、と、そっぽを向かれていたから、川根温泉で加齢臭を洗い流した効果が効いてきたというのに。
ああ、お天道様は、なんと残酷な試練をヘボに与えるのかなあ。
ということで、午前は25。サボSは9。
さて、昨日、サボIさんが、午前午後とも同じ場所付近で釣れたということが、稀な現象であることは判る。とはいえ、どこに行けばよいのか、新天地を開発するといっても、西へ西へと行けばよいのか、見当がつきません。8リットルの舟とはいえ、河原を歩くとあゆみちゃんが苦しい、早く川に浸けろ、と騒ぐから、河原を歩いて、橋上流のチャラまで行くのは困難。高速道上流付近のチャラ風のところが釣れていれば、サボZさんが午後もその付近に行ったはず。
ということで、アユがいるのは判るけど、どこに入ればよいのか、さっぱり判らず、いつものずぼら病症候群が出て、朝と同じ場所へ。
上下に動けるから、動くが、左岸の人が午前同様、掛けてはいるのに、釣れませんなあ。
オラの上流へと、サボZ、Sも移って来たが。そのため、午前よりも動ける範囲が狭くなったが。
これを釣れない理由、口実としましょう。何が事実か、だあれも検証できないでしょうから。
合計は、サボZ,Mとも14,オラは31.
今日は、番茶も出花娘をだっこした人はなし。昨日は4人とも何人かをだっこしていたが。
オラには女子高生はわずか。しかも、背掛かりは少ない。なんでかなあ。サボSさんもカカリどころが悪かった、と。
群馬さんは、中落ちをするほど生殖腺が発育しているアユはいない、少ないといわれていたが、その通りではないかなあ。
絞めると、メスの下腹が薄い赤色になるのはいるが、と。
増水による中落ちが始まっているかどうかは、産卵場付近にオスの大きいアユがいるか、あるいはオラ達の釣った鮎について、メスの比率が高い、ということで、少しは適切な判断が出来るのではないかなあ。
故松沢さんが相模川以西の太平洋側の海産アユ産卵時期について、学者先生の教義となっている10月、11月説は間違っている、西風が吹き荒れる頃:木枯らし一番からそわそわし出す、因って、11月、12月である、との話とは違い、日本海側の海産アユの話であるから、中落ちが始まっていても不思議ではないとは思うが。
あるいは、増水による中落ちをする鮎は、もっと上流、ダムがなかった頃に、遡上していた上流部の地点のアユの現象に係る話かなあ。
群馬さんは、支流の門前川にシャネル5番の香りを漂わせるアユがいる、と。
帰り、高速道から見えた門前川は、貧腐水水の「清流」と思える水であった。
ただ、門前川は、どチャラの釣りになること、ポイントが小さいため、3キロ、4キロと歩かなければならない、と。
群馬さん、いろいろと教えていただき、ありがとうございました。お陰で、楽しい2日を過ごせました。
相対的「若者」は、白川の中での釣りになったが、少しは乙女をだっこできたとのこと。
29日はいつものように、3時過ぎには起きることが出来た。
夜明け前の空に輝くオリオンを今年も見ることができてありがたいなあ。
それに、何十年ぶりか、判らないが、流れ星を見た。餓鬼の頃はよく流れ星を見たと思うが、夜が暗かったからかなあ。今昔で流れ星の数が変わったとは思えないが。
そうそう、七夕を海に流しに行くとき、近所のねえちゃんと一緒でした。当然、新暦の「7月7日」ではない。8月7日か8日である。新暦の7月7日では梅雨の走りが始まっているであろうから、牽牛も織り姫も傘をさしての逢い引きになるでしょうに。
そのねえちゃんが理想の女像かなあ。ねえちゃんの妹たちが一緒であったかどうか、記憶になし。その時も流れ星を見たと思っているが。懐中電灯を持っている家があるとしても、電池は貴重であるから、子どもの夜遊びに使えず、月明かり、星明かりの道を歩いていたから、流れ星はすぐに見つかる。
国道の山側の木立の中に、家が見えたから、集落があるのでは、と散歩の場所にした。
昔からの道があった。その道の国道側には、同じような造りと規模の家が並んでいる。高さは実質3階建てくらいで、建坪は50坪あるのかなあ。
美濃のうだつのある家並みとの違いは、建物の間に空間があること。雪下ろしをするための空間かなあ。
只見川さんが、お父さんが亡くなり、家をつぶすと話されていた。屋根の雪を下ろす作業が不要となるように屋根に設備を設置したが、降ろした雪を片付けないと、隣に迷惑をかけることになるから、と。
道の山側は、同じような造りの家もあるが、そうでない造りの家もある。また、道に沿って建っていない。なんでかなあ。
ということで、この道は由緒ある街道ではなかったのかなあ。猿沢町という町名であるが。
表札はかかっているが、窓ガラスが壊れた家もあったから、廃屋もあるということかなあ。
虚空蔵尊というお寺のお堂があった。
手水鉢には、山からの湧き水?がこんこんと流れ込んでいた。その水を飲み、お寺であるのに、鰐口を鳴らすのと同じような、綱でならすようになっている鈴と銅鑼を鳴らした。
蝋燭とお札は、自由にとれるようになっていて、お金を所定の場所に入れるようになっている。お札が、500円ではちょっと高いなあ、と躊躇したことが、神様、いや仏様の逆鱗に触れるかなあ。
3.5キロ、上っていくと、奥の院にたどり着くとのこと。その道は林道になっているよう。
道から奥の院まで、お寺の財産であった頃もあったのであろう。今では、お寺の財産は小さな空間となっているのではないかなあ。
聖から俗へ、俗から聖へ、の、財産移動の状況が林道という形で表現されているということかなあ。
還暦経験済み組は、疲れた、ということで、去年同様、3日目は釣りをすることなく帰り、相対的「若者」は高根川へ。
群馬さんが高根川にもシャネル5番の香りを振りまくアユがいると話されていたが、昭和橋付近ではなく、そこから上流の第2橋、第3橋よりも上流の話ではないかなあ。
相対的「若者」の結果は如何に?
帰り道、相模湖は黄色い濁り、津久井湖は白っぽい濁り。このままであれば、相模川は釣りの出来る水色ということになるが。
「釣りの出来る水色」とは、濁りがなくなることではない。
垢石翁だったか、川漁師だったかの話で紹介したように、水深20センチほどのところに手をついて、手の甲が見えれば、釣りの出来る濁り、ということ。
お百姓はダム放流をしている中津川で、27日に9,ヤマメねえちゃんは、28日に中津か相模川で釣っていたとのこと。
台風が雨を降らせると、相模湖の黄色い濁りが津久井湖にやってきて、底水となり、相模川に流れ出すでしょう。いつ頃までダムの真っ黄色の濁りが残るのかなあ。
荒川序章
台風の影響による大雨で、9月3日、相模川は神川橋の水位計で5メートルの増水。前回よりも1メートル高い。
弁天下流側の石が出たのか、石切場下流側の瀬が、まっすぐに左岸淵に流れ込むようになったのか、あるいは、柳の木の前のトロに溝が出来たのか、気になるが、アカが付くようになるまでに少なくとも2週間はかかるでしょう。
中津川は100トンのダム放流であるが、相模川よりも光合成が出来る濁りになるのが早いため、10日くらいでアカが付くのかなあ。そして、成魚放流の人工は、今回も流される等で、消えたか少なくなったのではないかなあ。
大雨は、新潟には降らなかったよう。
ということで、楽しい思い出には恵まれないものの、宿が釣り場に近く、そして囮屋さんにも近い荒川へ。
荒川では、鉤素を切られて泣いていたり、鮎が全然おらず、釣り人がだあれもいない川であったり、去年は、瀬のど芯の人は大漁であるのに、瀬脇までしか囮を入れることの出来ないオラは、恨めしくそれらの人を眺めている、という実績しかない川であるが。
今年は遡上量が多いのではないかと思うから、24,5才の乙女よりも、女子高生、番茶も出花娘が主役ではないかなあ。
米坂線は、昭和30年代終わり頃に乗ったことがある。
板谷から、山道を歩いて五色温泉へ。6日間スキーをして、板谷駅近くまで滑って降りて、新潟か、坂町か、新津で夜汽車に乗ったが、その頃とくらべて、米坂線の列車本数は半減以上しているのではないかなあ。
宝くじがまたもや外れたから、夜行バスで新潟へ。新潟から米沢に行くべにばな号に乗って、越後下関へ。そして、重文の家の前を歩いて高瀬温泉へ、と考えているが、宿の人が迎えに来てくださるかも。
こんなしんどい目をしているからには、あゆみちゃんとの楽しい逢い引きをしたいなあ。
雨村翁や滝井さんも、アームチェアフィッシングをされたことと思うが、オラにも楽しい回想が出来ることを願っているが、どうなることやら。
雨村翁のアームチェアフィッシングの舞台には、
@ 猿猴(えんこう)一党に誘われて行った仁淀川鷲の巣の鯉料理、そして雨村翁は、力負けをしてウナギにひごを取られることになったウナギ釣り
A 鎌井田の瀬の鮎と人と (人情 垢石翁との釣り)
B 吉野川の八畳の滝の忘我
C 歩けど歩けど、されど少ししか恵まれなかった四万十川
これらがアームチェアーフィッシングの舞台から外されることはなかったのではないかなあ。
あそうそう、今話題になっているドジョウを馬の毛のワッカで頭附近を締め付けて獲っていたこともありましたね。
滝井さんの舞台は、馬瀬川、飛騨川、それに新子ちゃんといった相模川神沢は外せないのではないかなあ。
老いの相談をされることになった仁科川も舞台の一つかなあ。
荒川のあゆみちゃん、今回が越後のあゆみちゃんを軟派しに行く最後になるかも。最後だけは、越後美人との楽しい思い出ができるように、協力をしてえ。
へぎそばの思い出
先日、三面川からの帰り、アッシー君のサボSさんが、「へぎそば」の意味を教えてくれた。
20世紀の終わり頃に、亡き師匠らと三面川から、山側の国道を通り、荒川、胎内川を越えて、歩道もない、信号もない国道を走り、田んぼの中の道に左折した。
川沿いの田んぼの中に1軒の建物がぽつんと建っていた。
そこで、天ざるを食べた。木の枠の入れ物に小分けにされたそばがいっぱいのっかっている。天ぷらは、山菜やその付近でとれた野菜で、エビなんてどこの天ざるにも付いているものはなし。
21世紀になって、胎内国民宿舎に泊まり、人っ子1人いない荒川で、アッシー君らに友釣りの形だけをやらせて、ぽつんと建っているそば屋さんへ。その時は、国道沿いにも同じ店と思われるそば屋さんがあったが、再び田んぼの中へ。
同行者のそば好きがいたく気に入って、数年後、その店のありかを尋ねてきたから、だいたいの道筋を教えた。
そのそばの名前を忘れていた。そして、つなぎに海藻を使うことも、亡き師匠らに聞いていたが、その海藻の名も忘れた。
サボMさんの説明によると、「へぎ」とは、木枠で出来た器とのこと。
高速道が整備されて、三面まで一般道を通ることもないから、渋滞のなかった山側の国道を走ることはさらさらなかろう。
亡き師匠らは、田んぼの中の1軒屋のそば屋さんをどのようにして見つけたのかなあ。
あそうそう、大井川の川根温泉コテージ村の食堂の山菜天ざる茶そばも気に入っていた。
今は経営者が替わり、エビが付いている普通の天ざるになっていたが。
その食堂に、お尻ぷりぷりちゃんがいた。今も新しい経営者の下で働いているのではないかなあ。お尻ぷりぷりちゃんにセクハラをしたが、旧経営者の元ねえの記憶には残っていなかった。ということは、セクハラの仕方が足りなかったのかなあ。
9月7日 荒川 温泉橋上流
温泉橋のすぐ上流、瀬肩チャラに輝いている石の筋がある。
すぐに女子高生。喜びもこの一瞬で終わり。午前やっと、小中学生が3匹が加わっただけ。
左岸の少し水深のあるトロを釣っている人もあんまり釣れてないよう。
午後は、大石川合流点下流の瀬尻へ。
宿の山路さんに説明をして貰う。その瀬尻の左岸側は石が詰まっていて腹に子を持った番茶も出花娘が溜まる。右岸側は、水深が深くなる手前までは石が詰まっているが、その先は砂利。そして、砂利のところに立ちこんでも、深すぎるから、左岸側の石のあるところまでは届かない、と。
瀬尻から、瀬落ちまで、石が詰まり、住環境抜群、というのにさっぱり。小中学生が4匹が遊んでくれただけ。小中学生は、すいすい すいすい すいいすいい と、気持ちよく泳いでくれたのになあ。
長逗留をされている横浜さんは、今日は休養日ということで、山路さんの釣りを見学されている。
山路さんは、上流の瀬から瀬肩へと釣り上っていった。横浜さんの話では、釣れる気配のないところでも囮を入れて、状況を調べている、とのこと。
夜行バスで疲れ、いつ、椎間板ヘルニアが再発するか、やばい状況のため、3時過ぎに終えた。
盆の頃に、束釣りに近い大漁の人がいたということは、小中学生が主体ということかなあ。
それにしても、なんで、荒川が小中学生のいる川になったの?
去年の8月終わりは、ど芯に囮を入れた人達だけが、大漁であり、また、丼を食べていたのに。瀬脇に囮を入れるところまでしか立ちこめないオラは、少ししか釣れなかったのに。それでも、番茶も出花娘であり、女子高生であって、小中学生ではなかった。
それがなんで、三面並みの小中学生に歓待される川になったの?
越後大島に堰があった。魚道がついているようには見えなかったが、山路さんは右岸に魚道がある、そして、その魚道を少し長くした、と。
その影響で、一番上りだけでなく、遊泳力の劣る2番、3番上りも遡上できるようになったのかなあ。山路さんは、それでも、遡上期の水量が遡上量の「達成率」に影響しているのではないか、と話されていたが。
8月終わりの三面川でも、番茶も出花娘が釣れたのは、水深のあるところ。現在の荒川でも同じようである。
そうすると、去年と今年の腹に子を持った番茶も出花娘や乙女の付き場が異なるのはなんでかなあ。去年と今年に荒川に来た日にちは、1週間しかずれていないのに。
不思議ですね。
場所の違い? 去年は小見橋、今年は温泉橋。石の違いでは、小見橋の方が荒い石が多いように思う。このようなことが、付き場に影響しているとは思えないが。
山路さんは、下りが始まるのは9月下旬頃、と話されたと思う。不確かな記憶であるが。
下りのための集結もまだ始まっていないのでは。
こんな、あんなで、荒川のあゆみちゃんがなんで小中学生もいるようになったのか、逆に、三面川で、なんで番茶も出花娘が釣れたのか、あゆみちゃんの心が、生活が判らなくなった1日でした。
なお、20世紀に、高根川の昭和橋から、2,3橋上流で、亡き師匠らと番茶も出花娘を釣ったが、その頃も、本流は小中学生が主体であった。
9月8日 荒川 温泉橋上流
朝、関川の道の駅、重文の渡辺家のあたりを散歩。三面川に近いまほろばの里の道の駅には車中泊もいらっしゃるのに、関川の道の駅にはそのような方もなし。
渡辺家では、どのようにして、蓄財をされたのかなあ。紅花は、山形から最上川を使い、酒田に運ばれるルートの他、米沢街道も使われていたのかなあ。渡辺家に係る本が出版されているから、そのうち、図書館で見ることができるかも。
米沢街道筋の越後下関には、むかしの面影を維持している建物が数軒あった。その造りに越後下関付近の独自性もあるのかなあ。
渡辺家の面する道は、遊歩道として整備されていて、用水路から水を取り込んでせせらぎが造られている。そのせせらぎの石の色は黄色。珪藻が優占種である。当然、用水の供給元の荒川も珪藻が優占種。
水質日本1に何度かなっている荒川の方が、三面川よりも水がきれいで、石も大きいのに、なんで、三面川の方が混んでいるのかなあ。
もっとも、珪藻が優占種の荒川でも、シャネル5番の香りを振りまく鮎には出会っていない。ダム湖の浮遊植物プランクトンが、シャネル5番の香りを生成する物質を消費しているということかなあ。
山路さんは、ダムが出来てから荒い石がどんどん埋まっていると話されていたが、それでも、三面川とくらべると雲泥の差がある。
三面川で子どもの頃、遊び、おぼれそうになったことのある横浜さんも、故みずのようさんと同じく、ダムがなかった頃の三面川の石は荒かった、と。
横浜さんは、伏流水の出ているところに舟を置かないように、と。
水温が高いところに舟を置かないように、ということは判るが、水温の低いところに舟を置かないように、とはどういうことかなあ、と不思議に思った。
夕方の水温が23度。夏場はもう少し高いかも。そうすると、伏流水のところとの温度差は大きいということになる。
狩野川の湯ヶ島、老舗旅館で、漁協役員との話もあった経営者が、温泉排水を河原に埋めた管から、狩野川に流していた。
オラは、舟を置いたときに水に手をつけていたため、異変に気がついて、事なきを得た。雑誌にその温泉排水の被害にあった人の話が出ていたから、被害者は相当いたのではないかなあ。
そのように、高い水温での鮎を死なせることは理解できているが、水温の低いところに舟を置いて、鮎を死なせる、との話ははじめて聞いた。
たしかに、荒川の砂、石の間は、シルト等で目詰まりを起こしておらず、伏流水が多く湧きだし、あるいは、河原の水が地下にしみ込んでいる環境にある。
昭和50年頃の相模川の高田橋から石切場までにも、伏流水が出ているところが何カ所もあった。そこで、餓鬼にシマドジョウや、スナモグリ、ハヤ等の稚魚を捕らせていても安全であった。
今や、駐車場、運動場の整備、護岸整備がされて、伏流水が湧き出している場所はなし。
水温23度ということは、日本海側、サケが遡上する那珂川付近から北の海産鮎の産卵時期は、相模川以西の太平洋側の産卵時期の水温よりも高い水温で産卵を開始するということかなあ。
そして、産卵の終了も、水温の低下が早いであろうから、11月始め頃には終わるということかなあ。
「故松沢さんの想い出:補記その5」で、東先生の松浦川での流下仔魚量調査結果における海産鮎の産卵時期が普遍化できる現象ではない、宇川での鮎の産卵時期に係る調査結果が、普遍化できる現象ではない、といわんことには、故松沢さんの最後の弟子と自惚れているオラの沽券にかかわりますよねえ。
松浦川の鮎が日本海側の鮎と生活誌を同じくする鮎である、といえればなあ。
岩井先生の「水温低下」と産卵時期との相関関係の存在に対する疑問については、「絶対水温」で考えるのではなく、歴史を背負った、生活史をもっているアユと水温の関係、「相対水温」で考えれば、合理的な説明は可能では、と推測しているが。
三面川は、網漁が解禁となり、網打ちのしやすい高根川では、釣りの出来る場所は少ない、と。また、人混みを嫌い、ダム近くの瀬で釣りをされて、荒川にやってきた人は番茶も出花娘や女子高生が釣れたが、10に届かない、と。
ということは、下りの行動はまだ行われていないということかなあ。
明るくなった温泉橋から、橋の下流を見ると、石が詰まり、あゆみちゃんが住みたくなる瀬になっている。
山路さんに尋ねると、思わしくない、とのこと。なんでかなあ。
温泉橋上流の瀬肩チャラを十分に釣り歩いたとは思えないから、再び、そのチャラへ。
山路さんは、高田橋の下流に小さな堰があり、その堰で止まった鮎が差してくる場所があるから、そこに案内するといわれたが、腰もあんよも、危険信号発令中のため、断った。
昨日とは違い、最初は小学生。わらしべ長者を夢見たが、小中学生だけで、女子高生も遊んでくれない。
釣れる場所は、荒い石で流れの強さが変わり、あるいは、水深が変わるところ。そして、石裏にも石がびっしりと詰まっているから、砂が巻いている範囲を気にしなくてもよい。
11匹釣れたところで、握りを食べていると、温泉橋下流に入った1群の1人がやってきた。
大小各1匹とのこと。山路さんが話されたように思わしくないということのよう。荒い石が、流れの強さ、深さに変化をつけていないからかなあ。瀬尻のトロでも思わしくないとのこと。
その人は、オラが囮を入れていた附近に立ちこみ、少し水深がある左岸を釣っている。
なお、その人は、流れが変わり、右岸側の流れが瀬切れになった、と。
橋下流が思わしくないとすると、また大石川合流点付近に行くしかないか。
オラの上流の瀬落ちのすぐ上流で釣っている地元の軽トラの人が、入れ掛かり。昼頃にやってきて、盛んにかがみ込んでいたから釣れているとは想像していたが。
瀬肩附近には、その人の相棒が入っているが、それほど釣れているようには見ないが。
いや、もっと釣れないのはオラです。
この3人しかいない広い空間で、瀬落ちまで動くもさっぱりです。石は詰まり、アカ付き良好、何が不満なんでしょうかねえ。
一時は、入れ掛かりの人の上流に行こうとは思えど、あるいは、番茶も出花娘のいるという左岸瀬尻に行こうと思えど、河原は大石がごろごろ。大井川の川根温泉下流同様、河原は歩きにくい。大井川は、流れのあるところは砂利であるから、そこを歩けばよいが、荒川は流れの中も頭大の石からそれよりも大きい石がびっしりと詰まっている。太ももが痛くなっているのに、そんなところを歩いたら、スッ転ぶこと間違いなし。温泉橋を渡る元気もなし。
結局、午後は4匹の小中学生。あ、そうそう、最後は今回初めてのおじゃま虫、20才くらいのハヤでした。
昨日、宿にやってきた4人組の1人と、9日の朝土手で話した。
その足立さんは、五十川が素晴らしい、ということで、釣りはじめようとしたときに土砂降り。やむを得ず、府屋大川へ。数日前に増水したが、大きい鮎が15匹釣れたとのこと。8日は、三面川に行ったが、凄い人混み。チビが釣れただけ、と。
今日は、胎内川に行く、と。
胎内川は瀬切れを起こしている。越後平野?の田んぼを潤すためにすべての水を使っている。
しかし、遡上期には瀬切れはないため、遡上に支障はないとのことであるが。
とはいえ、早場米の栽培が増えているようであるが、その用水の需要が遡上期と重ならないのかなあ。
7日の夕食に、カジカの唐揚げが出た。
美味しいとは感じなかった。大きければ美味しいのかなあ。
それとも、海の魚が手に入りにくかったから、食べていたということかなあ。
9日はどうするか、一応悩みました。
関川の道の駅には、釣り人が釣り上げた鮎の塩焼き300円、と。
当然、どっかの川とは違い、放流ものではなく、遡上鮎の値段。
その価格にははるかに及ばないものの、単価千円にするには10匹ほどを午前中に釣らねばならないが、無理でしょうなあ。それにですよ、2時台に越後下関から乗ると、東京着は19時。鮎バックを背負って、ラッシュアワーの終わっていない電車に乗ることは不可能。その前の電車は12時。これじゃあ、釣りにならん。
ということで、9時台の米沢行きのべにばな号に乗りました。
大石川には、羽越水害?を契機として、ダムが建設されたとのこと。その水害の時、水は渡辺邸のある付近にも出たとのこと。どのくらいの高さの水になったか、各建物に水位が表示されているとのこと。
荒川本流には、1つのダムと思っていたが、2,3あるのではないかなあ。
あゆみちゃんのことも、ダムのことも、判らないことが増えただけの、最後になるかもしれない越後美人を訪ねる3日間でした。
なお、山路さんは、
えちごせきかわ 高瀬温泉 旅館 山路 Homepage
http://www.geosities.jp/yamaji3016/
を開設されています。
9月15日 狩野川
迷人見習いが、25才乙女を釣ったというお話があるからには、狩野川の状況も見ておかねば。
テク2は、増水がまだ納まらなかった狩野川大橋上下の瀬で、番茶も出花娘や乙女を2日間で30,テク2には珍しく丼も食べたとのこと。
お百姓を誘惑していたが、意思堅固で、台風による雨で遅れた作業X日分を取り返さなくては、と。
え、嘘つきい、台風で遅れた分はX日−2日だあ。出荷作業を終えると、相模川や中津川であたかも農作業をしているかのようにふるまいながら、女遊びをしていたじゃないかあ。
アッシー君にならないと、とおちゃんに密告するぞお。
荒川に、昼頃に軽トラ2台でやってきた2人は、お百姓のお仲間ではないのかなあ。出荷作業だけを終えて、夕方まで女遊び、と、時間的にはお百姓の行動パターンそっくりですが。そして、その中の1人は、朝から働いているオラを尻目に、一杯あゆみちゃんをだっこしている、というところまで、お百姓にそっくりですが。
お百姓さん、どう思います?
電車で通勤するため、タクシーを呼ぶ前の1服と、外に出ていると、軽トラが。
お百姓が、夜明け前に働いている。
たまには夜の畑を見回らないと、サツマイモが、そして、もうすぐすると里芋が盗まれるから、と。そして、盗んだことがすぐに判らないように、茎を埋め戻していく、と。
そんな作業が出来る体力があるのであれば、お百姓に雇って貰えばよいのに。そうしたら、お百姓をアッシー君にこき使えるのに。
先日、中津川の状況を見に田代に行った。バーベキューの凄い人出。
お友達にオトリを獲って、と頼まれたご近所さんは、先日2台の舟の鮎を盗まれた、と。子どものいたずらであれば、鮎を放して、蓋を開けたまま舟を河原に置いておくが、その時は、蓋が閉められていたとのこと。偽装工作をするところも、サツマイモドロと似ているなあ。
川も畑も、こそ泥さんがいらっしゃるよう。畑のこそ泥さんが、サツマイモにまで手を出しているとは知らなかった。もっと単価の高いものしか対象としていないと思っていた。まあ、こそ泥さんのお陰か、お百姓がオラが難儀していることを知っているからか、駅まで送ってくれて大助かり。
このツキが狩野川まで持続してくれたらなあ。
なにを、ごちゃごちゃと、あゆみちゃんと関係のない浮き世のことを書いているんじゃ。釣れなかったからか?。
はい、その通りです。聞くも涙、語るも涙、ああ不幸から、貧乏から、いつになったら脱出できるのでしょう。
囮屋さんからウエーダーをはいて1キロほど歩いて到達した松下の瀬、生コン上流。
大仁橋から見えた範囲での松下の瀬は10人くらい。ところが、生コン上流は動き回れるほどの空間はなし。そんなに釣れているのか、と。
とはいえ、1人あたりの空間が広いから、間に入ることの出来るところはある。
中学生のぽっちゃん。まあ、あゆみちゃんがいることが判り、余裕のぽっちゃん。
しかしですよ、釣れている人はぽつん、その釣れている人もぽつんとしか。
立ちこんでいる人が、番茶も出花娘か女子高生を釣り、それを囮にしてすぐに釣りあげたのが、唯一の例外のぽつん、ぽつんかなあ。
昼、囮の追加買い。4人分の追加買いに来た人と一緒であったから、恥ずかしくない。
生コン前に移動。ずらあ、と並んでいて今度こそ入れない。
煙草をぷかぷか吹かしながら、立ちこんでいる人の後ろに入ろうかなあ、と。
去年と違い、浅くなり、流れが少し貧弱になり、何よりも困ったのは、芯よりも手前に何本もあった石で出来た筋がなくなっていること。
小石が増えて歩きやすくはなったのはありがたいが。
ここも、生コン上流の状況と変わらず。立ちこんでいる人と右岸側の人がぽつん、ぽつん、かな。
11月20日までのナンパ場所には好ましくないなあ。道頓堀の何とか橋のような、ナンパ場所を見つけないと。
青木の瀬の様子を見るしかないか。
団子のぽっちゃんをしても、悟りを開いているから、惜しくも、悔しくもなし。
トボトボと、ぱんぱんに張った太ももと腰の張りを気にしながら、青木の瀬へ。
左岸側の流れの瀬肩に3人いるということは、釣れているのかなあ。あ、そうそう、松下の瀬も空いていましたなあ。本流並みの水量となった分流もぽつん、ぽつんの人。
草原の中の道を探しながら、真ん中の流れへ。流れに出たところに先客が。
その人の下流へ。
すぐに番茶も出花娘が、そして、女子高生が。くわえた煙草に火をつける暇もなし。そして、番茶も出花娘が。
このあと、やっと火をつけることができた。
これまでの、2時までの半生は何だったんでしょうかねえ。
期待をしていなかった真ん中の流れであゆみちゃんに歓待されるとは。
番茶も出花娘を追加してから、狩野川大橋の近くの右岸側の流れが渡れるか、どうかを見ようと、下る。
左岸側の流れとの合流点付近の流れが強くなっている。中州のところにヘチがあるから、歩くには支障はないものの、楽ではない。ということで、橋付近の渡場の利用を諦めて、元の場所へ。
先客さんは、鮎よりも下流側に立って、引き寄せようとしていたが、寄ってこないんですよね。オラも大井川でその体勢で何とか、引き寄せようとしたことがあったなあ。
先客さんが釣り上っていたから、その人が友缶をおいている附近、草原への入り口へ。オラが釣っていたところよりも、流れの変化が大きいなあ。
5匹目、片手になったから、気持ちよく、竿をたたんだ。
今年初めての22才乙女もだっこしました。当然、人工ではなく、海産ですよ。
草原を、道を探しながら歩いたが、判らなくなり、また戻った。その時、先客さんも下ってきていたので、道を聞き、ついでに、20を超えたでしょう、といった。
先客さんは、越えていない、午前中は1匹、とのこと。
迷人見習いかお百姓が、午前は釣れない、と話していたが、水温が低いことが理由ではあり得ない。なんでかなあ。
生コン上流も、生コン前も、あんなに繁盛していたということは、釣れているから、と思う。午後には釣れたのかなあ。午後も少しの時間、釣っていたのに。
こんな、浮き沈みの激しい狩野川のあゆみちゃん、気まぐれのあゆみちゃんと付き合うのは大変やなあ。先が思いやられます。
とはいえ、大満足でした。
9月17日 中津川
壊れ橋上流や、あっちこっちで大漁の人がいらっしゃるようで。
とはいえ、久しぶりの中津川で、あゆみちゃんが歓待してくれるとは考えられないものの、様子を見ることは必要ですよね。
もちろん、あっちこっちの川で、あゆみちゃんに冷たくされたから、敬老の日も近いことから、博愛精神あふれるあゆみちゃんを期待はしているが。
雨が時折降るし、白い濁りの川では朝麦酒の方が似合うなあ、と囮屋さんで思案していると、お百姓が仕事帰りにやってきた。
狩野川に行く日が決まったことから、朝麦酒を我慢して、竿を出すか。狩野川行きと朝麦酒を我慢することに、何の因果関係もないことは判っちゃあいるけど、ヤマメねえちゃんの口振りを借りたら、ブルーな気分ということですなあ。
久々に、濁りの川で囮を働かせても釣れませんなあ。壊れ橋と堰の真ん中付近がぽっかりと空いていたから、ありがたや、と思ったんですがねえ。
上下の人も消えていったなあ。風は吹いてくるなあ。壊れ橋付近が混雑をしているが、遡上鮎が好むのはその人達の少し上流の瀬ではないのかなあ。
まあ、釣れないものがどうこう言っても、田作の歯ぎしりほどの価値もないか。
昼前には麦酒タイム。
麦酒を飲めば、動きたくない。角田大橋上流の瀬を見て、橋下流の楽そうなところへ。
ありがたいなあ、吸盤ボウイが覚えてくれていた。しかも、仕掛けをぐちゃぐちゃにしないお行儀のよいこと。
小学生が1匹釣れたからあがりましょう。
荷物を囮屋さんにおいてきたから、明日の天気は釣り日和になって下さいよ。
と、寂しい中津川を書いているところに、狩野川からの帰り道のテク2から電話。
昨日、今日とも、タマちゃんと合わせて30ほど。
しかもですよ、先日オラが大きさを測っていた、と囮屋さんに聞いて、負けじと計測したとのこと。
その結果は、テク2が29センチ、タマちゃんが28センチ。
テク2でも抜くことも出来ず、あゆみちゃんに引きずられて、狩野川大橋下流の流れが弱くなるところまで、下ったとのこと。
橋上下の瀬はオラの腕では対応不可能であるから、そんな大鮎と出会えることはないが、西風が吹き荒れてから=木枯らし一番が吹いてから、下り等の産卵行動を開始する時期になると、必ずしも強い瀬でないところでも大鮎が一宿一飯の宿を求めてお泊まりになることがある。その時はオラにも大鮎と出会えるチャンスがある。
その時に粗相のないように、皆様から品物を調達しておきます。
9月18日 中津川
釣りに行ってらっしゃあい、と、お日様ニコニコ呼びかけるう。
混むでしょうなあ。仙台堰下流で入れそうなところはあるかなあ。ありました。そして、「鮎、山女魚、キジさんに会いたくて」のホトトギスさんに会いました。
ホトトギスさんは、1匹釣っただけで、場所替えをするとのこと。見切り千両、ということでしょう。
流れが弱いところではあるが、何とかなるでしょう。
ホトトギスさん効果か、すぐに女子高生、そして中学生2人。
もっとホトトギス効果が続いて欲しいが、麦酒の誘惑が強くなる状況へ、と、いつもの通りの展開に。4匹目を釣ってお休みの時間に。
麦酒を飲んで、腹ごしらえをして、歩く距離を節約するため、角田大橋上流偽アカシアの木附近へ。
ヘドロが石にこびりついている。100トン放流の時に宮が瀬ダムがヘドロを流したのであろう。数年前、4月のダム放流と一緒にヘドロを流したことがあった。その時よりも、ダム放流量が100トンと多いため、ヘドロがこびりついた石は少ないようであるが。
状況を見に来たサボMさんがそのヘドロを見て、やる気をなくしたから、狩野川へ、と誘惑したが、遠い、と。三面川の方が遠いんですけど。
まあ、3匹追加できて、7匹になったから、よしとしましょう。
そして、ホトトギスさんにお会いできましたから。
サボMさんは、当分、道志川の山女魚ねえちゃん通いかなあ。
相模川の大島、弁天、石切場の流れが相当変わったようであるが、道志川も、流れが、石が相当変わったとのこと。渡ることが出来ない深いところが出来、あるいは砂利になったところも。
そして、台風の影響による増水から10日以上たつのに、まだ水量が多いとのこと。
津久井湖の水の色は少し変わってきたとのこと。 相模湖からの真っ黄色の水の流れ込みが減ったのかなあ。
9月29日 狩野川
9月20日の台風による増水前、少し濁りの薄くなった昭和橋下流の瀬に1.5人分が入れる場所だけ、大漁になっていたとのこと。その場所にはいるため、雄物川さんと最上川さんは、抜け駆けを防止し、また、他の人よりは早くはいるため、5時出発の協定を締結。
この協定は、昭和橋まで3つの信号しかない雄物川さんが有利で、3日間で240匹。
朝飯を食べに引き上げたあと、その場所に入った最上川さんがどのくらい釣れたのか、まだ聞いていない。
雄物川さんが釣ったなかには、雄物川さんの眼鏡にかなう馬力十分の22才乙女も混じっていたとのこと。
その乙女は、卵をもっていたが、まだ、塊にはなっていなかったとのこと。性成熟が進んでいないから、増水による下りはしないはず。中落ちはするのかなあ。
20日の台風による増水は、大仁の水位計で4m、相模川でも神川橋の水位計で4m。
学者先生の10月、11月に太平洋側の海産鮎が産卵する、との教義が、「事実ではない」、故松沢さんや弥太さんらの「西風が吹き荒れる頃=木枯らし一番が吹く頃」から、産卵行動としての下り等の行動をするため、「そわそわする」との観察が適切であると考えているため、相模川でも、狩野川でも、あゆみちゃんが日常生活の出来る日を待っているはず。
相模川では真っ黄色の濁りが釣れないため、光合成が行われず飢饉が続いているが、狩野川では、澄んで光合成が行われているはず。
狩野川が久々の4mの増水で、どのようになっているのか、見に行きたいなあ。
アッシー君が欲しいなあ。
台風による仕事も増えて、何日分ものお仕事の遅れをを取り戻さなくてはならず、川でねえちゃんと遊ぶ暇はない、とおっしゃるお百姓。
しかし、お百姓に撒いていたこませが効きました。
9月15日頃、狩野川大橋すぐ下の上下の瀬で泣き尺を釣ったテク2にあやかろうと、あるいは悪くても、松下の瀬で迷人見習いが釣った25才乙女をだっこしょうと、悶々としながら、お仕事をなさっているお百姓に、30センチほどの増水になった、澄んでいる、アカがつき始めたかも、と、囁けば、効果てきめん、お百姓が釣れました。
10メートルの荒瀬の竿も積み込まれた高級車で出発。
狩野川大橋から見ると、青木の瀬の3本の流れが2本になっている、左岸、真ん中の流れの瀬がよい感じに変わっている、迷い子になった草原の草がほとんどなくなっている、松下の瀬は、分流の方が本流よりも水量が増えたように見えるが、瀬の流れは、本流の方が強そう。
生コン前は一層浅くなり、右岸寄りだけが瀬で、また、左岸側はめぼしい石はなし。
その上流は以前同様、感じのよい瀬である。
お百姓は、増水時にあゆみちゃんが避難できる淵、河原をもった松下の瀬、青木の瀬の方がよい、というが、一刻も早く川の状況を見たいオラは、午後、移ろう、と。
岩盤のある分流へ。岩盤にヤマメねえちゃんが、その下流にオラが。
すぐにダイエット中の女子高生。しかし、それっきりのため下流へ。ヤマメねえちゃんも岩盤に鮎の気配がない、と、下流へ。午後、その分流の岩盤を見ると、きらきらしている。そこの岩盤は午後の場所かなあ。
お百姓は、さすがに10mの荒瀬ではなく、普通の9mを使っている。根掛かりして、糸を切るつもりで引っぱると、ハリスがすっぽ抜けて囮は回収できたが、瀕死の状態とのこと。
生コン前で、1匹。
午前の結果は、オラとヤマメねえちゃんが2匹。ヤマメねえちゃんは番茶も出花娘ではないかなあ。お百姓はボウズ。囮の追加買いをするか、お昼寝をするか悩んでいました。
午後、ヤマメねえちゃんが水中バレをするのを見ていて、喜んだとき、やっと釣れました。
そして、河原にあった草むらが水の中に移動していることが判ったため、養殖鮎だけを囮に使うことにした。
ヤマメねえちゃんは、養殖君を1匹を放流したものの、被害はそれだけ。理由は、囮が弱り、ヘチに近いところの筋に囮を入れたところ釣れたから、その後は、囮を沖に出さないようにしたとのこと。
凄い。川の状況を的確に判断して対応している。しかも、追われたから、囮を止めていると、釣れたことも、釣れなかったこともあった、と。
お百姓も追われても、それっきりがあった、と。まだ、本格的に縄張りを作っていないということかなあ。
アカは、動かない一部の石に付き始めた、という段階。来週のいつ頃に、あゆみちゃんの胃袋を満たすほど十分に付くのかなあ。
見事、オラとお百姓が2匹の養殖君を根掛かり放流した3時頃まで働いて、お百姓はボウズ。オラは3,ヤマメねえちゃんは4.
ヤマメねえちゃんの流れの芯、強いところを避けて、その手前の筋を選択した眼力の勝利でした。
お百姓さん、増水時のあゆみちゃんの避難場所として、条件のよい場所とはいえない生コン上流を選択してごめんね。
次回は、大仁橋の淵と河原、狩野川大橋下流の河原、城山下の淵と河原が避難場所になるであろうところに接続した瀬のある松下の瀬、青木の瀬、藪下、石コロガシの瀬で、泣き尺や25才乙女をだっこしょう。
アカ付き十分になったら、また、いこうよう。
10月4日 狩野川
ヤマメねえちゃんに大会で1位の数を釣ったのに、品がない、等の理由で3位?にされた人がいる、と話した。その話が、雑誌ではなく、本にも書かれていたと思い、探していて、故松沢さんが職漁師になるときに弟子入りをした師匠の名前を思い出した。
その本は、鈴木康友「鮎釣り烈士伝」(つり人社)である。
鈴木さんは、
「狩野川といえば山田右さんという、今では伝説になった名手がいました。一帯ではアユ釣りに関して“右に出る”釣り人はいなかったでしょう。後にアユ釣り界を西の京都PFC(注:RFCか?)とともに東西に2分する狩野川名人会の名手達の多くは、山田さんの釣りに傾倒して腕を上げていったといわれてます。
その頃わたしが狩野川で釣りをしていると、その山田さんが言うのです。
『お前、どこを釣っているんだ。足元がポイントだよ。』
やっとオトリを沖に出して、もうすぐ掛かるかと心待ちにしているのに、沖では釣れない、ポイントは足元だ、岸に上がって釣れというのです。
神様のような大先生の言葉に逆らえるはずがありません。仕方なく岸に上がって、オトリを放すと、『ヘチから30cmの間を泳がせろ』です。そのとおりにしたら、なんと入れ掛かりで釣れました。これは、今の野間清さんの『鍋の縁を釣る』という釣りに似ています。釣り残しを釣る極意です。」
この文を読んで、松沢さんに職漁師として出発したときに、誰に入門したのか、と訊ねたとき、「山田う」だ、知っているか、といわれたときのことを思いだした。
「う」の字が判らなかったので質問したことを覚えている。「右」であった。その読み方が「う」であったか「ゆう」であったかは定かではないが。
ヤマメねえちゃんに話した事柄について、鈴木さんは、
「彼ら大御所に続いて、村田満さんは当時誰もが驚いた『引き抜き』を引っさげて登場。長手尻の優雅な引き寄せ取り込み派の中には、『邪道だ』『友釣りに対する冒涜だ』とまで言う人もいたほどです。」
という村田さんの引き抜きに対する「評価」を書かれているが、具体的な大会の情景は書かれていない。そのうちに見つかるかも。
この「引き抜き」について、亀井さんが萬サ翁が行っていたと書かれているから、もしそれが事実とすれば、満さんが邪道だと非難されたことがますます摩訶不思議な現象となるが。
とはいえ、竹竿で、引き抜きが出来るのか、気にはなる。振り子抜きの方が両手を使えるからやりやすいと思うが。
故松沢さんは、竹竿の重さは竿尻を腹で支えるから、それほど重さを感じないと言われていたが。
故松沢さんの師匠の名前を思い出したから、丼大王に確認をお願いした。
その返事は来ていないが、丼大王も狩野川に9月29日にいたことが判った。しかも、根掛かり放流を多発したことも。
丼大王からの10月1日のメール(一部、あゆみちゃんのナンパを休んでだべっていた事柄は省略)
「こんにちは。
今日は会社を休みました。今、山さんに体調は悪い訳ではないけど休みますて電話した。
海も今日から潜り漁が禁漁です。寂しいな。
する事が無いので海苔を干すためのコモ(すだれ)を編んでます。
夏にち茅を刈り取り、雨に濡れないよう大事に干し、娘の部屋に保存していました。
プラスチック性の『すだれ』も売っているが、海苔も商売じゃないから自分の趣味の範囲だからネ、楽しくやるヨ。
この後アユの仕掛けを作ります。
29日には松下にいました。
山さんは12,3匹かな。俺は5匹でした。魚は、やはり痩せてたね、それに小さくなった。
じつは俺は新堤の前で8本釣り、5つ鼻カンまわりを切りました。鮎はかかるが仕掛けが無くなるので諦めて松下に戻り一杯飲みながらダラダラと時間をすごした。
松下の本流は埋まり、当日の状況でも根がかりしてもはずしに行けた。分流の方が水は多いような気がする。
最終的に仕掛けは2セット、鼻カンまわり6つを失くした。
終盤に来て仕掛けの作りは疲れる。
今年はあまり釣れなかった。いつも松ちゃんの処、城山下でバーベキュをやるのだが中止です、アユが無いです
無理すればできるが、あまり乗り気でないし、山さんも同じ、幹事さんに2・3日前に中止を言った。
9月30日は松ちゃんの『たち日』、早いねもう5年だね、
今年1回だけ石ころがしで竿をだした。
8月18日、8つ釣ったかな、魚はやせてた、そのまま川を下り神島の橋の下で20〜24センチ以上が8本、以下が2本。
なんで石ころがしは駄目だろう、川が砂で埋まり大きいアユのなめる石が無くなったからかな。
後1カ月、何回行けるかな」
丼大王が、サボリーマンになった日に、狩野川に行かないとは。
2日に雲金に行った名人見習いがほとんど白川であるのに、いろんな大会が行われていて、大入り満員。
その中で、テク2から教わった強い流れのところで、囮を底に誘導し、泳がせる技を行い、、ダイエット中のあゆみちゃんを釣った。そうすると、上下挟まれてしまったとのこと。その数3匹。
同じ河相で4匹釣ったヤマメねえちゃんとお手合わせをしたい、と。
ヤマメねえちゃんがはじめて鮎釣りをしたのは一昨年かなあ、その時の情景を知っている名人見習いにとっては、信じがたい現象のよう。
そういう名人見習いも、2年目にどのくらい腕を上げたことやら、オラ達にとっては驚異であったんですがねえ。
今年の季節の移ろいは、メリハリが利いているなあ。
例年なら、ゴールデンウィークの頃から、半袖の日があるのに、半袖になったのが6月下旬。
9月20日の台風前は、30度以上の気温。台風が去ってから気温が下がり、9月終わりは上着を着ての釣りに。9月29日の生コン前の水温は15度。9月に15度の水温になったことがあったのかなあ。
なお、10月4日の水温は14度。
城山下が4mほどの増水で昭和の頃のように、石の詰まった瀬が回復したのか、あるいは、河原が石ころだらけの河原に変わったのか、気になりますねえ。
丼大王が、鮎に嫌われる石コロガシの瀬になった、と書かれている状態が少しは改善されたのか。
11月15日頃の狩猟解禁になると、犬に追われた鹿が左岸から右岸に渡り、身を隠していた草むらは減ったが、石コロガシの瀬は瀬でなくなったままのよう。
その上流の淵は、その下流に出来たトロと一帯となり、かっての石が詰まったチャラ状の長い瀬肩は消滅したまま。淵上流の1本瀬も瀬に変わらず。
コマドリの瀬に、平成になってから年々太らせていた中洲が低くなったが、消滅はしていない。
ということは、城山下が、遡上鮎に好まれる河相には程遠いと言うことではないかなあ。
松沢さんが亡くなられて5年になるとは、月日のたつのが早いなあ。
それにくらべて、流れの中が石がごろごろする状態になるのは遅いなあ。いや、2度と昭和の御代のいい石と瀬・流れがあゆみちゃんの住処を作ることはないのかなあ。
狩野川大橋から瀬を眺めて、橋上下の瀬が緩くなったように思う。オラでも囮を入れることが出来るかも。
右岸の瀬がなくなったが、真ん中の瀬と左岸の瀬がよくなっている。
今日の釣り場は松下の瀬。
一番上流の中州付近の本流に。前回、ヤマメねえちゃんが葦の根掛かりを防ぐため、流れの強いところを避けて、ヘチよりを釣っていたが、それを真似した。
女子高生が1匹だけ。ヤマメねえちゃんも同じ。
分流上流側の棚へ。番茶も出花娘が。当然、箱入り娘に。その時、手尻が長く抜くのに四苦八苦したから少し短くした。
そこで女子高生を釣ったところでお休みの時間。
麦酒と酒を持ってきた。寒いときは酒を。この予想は的中した。アルコールの選択予想は当たるのに、川見の予想はなんで当たらないのかなあ。
酒を飲んだからには、分流で、立ちこまなくてもよく、根掛かりを外しに行ける確率の高いところで、のんびりと釣りましょう。
とはいえ、分流ではそれなりに強い流れのところにオトリを。
なんと乙女が。
動けるから下りながら、女子高生、中学生、さらに乙女が。
結局、午前の3匹よりも多い5匹。合計8匹。
23才乙女に22才乙女。手尻を短くしていて助かった。
ヤマメねえちゃんは午後、抜くことに難儀してバレ。
そして、ヤマメねえちゃんよりも多く釣れたのは初めてではないかなあ。
げんさんやくぼちゃんは、3,4匹。
寒い中、8人のあゆみちゃんが遊んでくれてありがたいなあ。
乙女や番茶も出花娘はダイエット中ではなかった。どこで、なにを食べているのかなあ。まだ動かない石の一部にアカがつき始めた頃のままであるが。
分流は、石がいっぱいあり、流れの筋も多いから、遡上鮎が大量の時は面白い釣りが出来るのではないかなあ。
10月7日 中津川壊れ橋上流
相模川の濁りは、真っ黄色から薄くなってはいるが、まだ、水深2,30センチのところに手をついても手の甲は見えそうもない。帰り、高田橋で1人釣っていたが。
中津川は釣りの可能な水色になっている。透明度は30センチくらいか。
朝帰りにならなければよい、と、竿掛けの附近から釣り下る。
ヘチの泥垢にはハミ跡がある。アカ付きは狩野川よりもよいかも。
中学生が釣れたから、とりあえずは満足。あとは、暇をいつまで我慢出来るか、ということ。
11時前、ヤマメねえちゃんが仙台堰と壊れ橋の間では、はじめて釣った肩のところに入ったバス通勤の人が6.掛かると上流に走るアユもいて水中バレもあった、とのこと。
朝麦酒を飲み、あとは帰る時間を考えるだけ。
お百姓が様子を見に来た。肩のところで6匹しか釣れていないのであれば、まだ釣れるから、そこへ入れ、と。
そういわれましても、もう疲れました。朝帰りにならなかっただけで十分です。それに、杖を忘れてきたから、転びそうです。
といって、送ってもらいました。
お百姓を狩野川へ、と、誘惑しているが、台風で稲が倒れて、機械で刈り取りが出来なければ、女遊びどころではない、と。
神様、仏様、機械で稲刈りが出来るように、くれぐれもお願いいたします。
丼大王と、海苔と、根掛かり | |||||||||
海苔づくり | |||||||||
海苔の話ですが。岩海苔です。鉄製のヘラ(正式名称は不明だが自分はパンと言っている)で石に付いた海苔をカキ取る。 それらを水道水で汚れや砂利を洗い流す。その後海苔をまな板の上で細かく切り刻み、それに薄めの塩水とヌマ(正式名称はわからない)を入れる。 海の石についてるヌルで、川で言えば石垢のようなものです。 たたいた海苔の繋ぎと香りづけの為にいれる。でも量が多すぎると海苔が苦くなる。 それをコモの上に木枠を置き、海苔と水を一緒に流し込む、それを天日乾しにする。 そして乾燥したら海苔の出来上がり。 写真があったら送るネ。 ただ今年は海水温が高いから海苔はどうかな?、石に上手く付くかな? 松ちゃんの話ですが、山田さんの名前のことは機会が在ったら聞いてみます。 |
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根掛かりの狩野川:10月2日 | |||||||||
10月2日は狩野川に行きました。 松下の瀬の一番下で12・13センチの囮を2匹獲り、新堤に行き前回(29日)のリベンジのつもで竿を出すが残念、返り討ちにあいました。 前回よりひどい『入れ根掛り』にあいました。 鮎は釣れるには釣れるんですが根掛りがひどくて、同じ石のごみに3回も根掛り そこは駄目、囮を持っていっては駄目、分っているが油断すると囮鮎がそこに行ってします。 まわりの観客は大喜び、鮎を釣って拍手、地球を釣って拍手喝采、最後は慰めのビールの差し入れで終了。 前回、仕掛けが全滅してのでその日のうちに金属の0.175を2本、0.09のPEを1本、0.6ナイロンを1本の仕掛けを作成、そのほか鼻カンまわりを8セット作成。針はチラシ6本、3本イカリ8本を準備した。 帰りには0.6ナイロンとイカリ針1本が残りました。 この2回で仕掛け2年分を使いきった。 根掛り時の回収不可能な場所でのチャレンジ、下の方の瀬よりここの方が鮎がでかい んですヨ、 結果は8本の鮎が残ったんです。これじゃ駄目ですネ。 山さんは松下の瀬で粘り16本、ダブルスコアーでの完敗でした。このところ勝てませんな。 今年の魚は辛抱強く我慢の釣りがいいみたい。 月曜日に急遽、つり具やに行き金属糸、背針、錘、を仕入れた。 再チャレンジの準備に金属の0.175を2本、金属の0.125を2本、金属の0.006を1本、 鼻カンまわりを8セット、背針仕掛けを18コ作った。 これで6日にトライの予定が雨が降ったので中止です。 諦めて会社に行ってきました。 |
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オラの感想 | |||||||||
丼大王に、海苔について、訊ねた。 四万十川の河口域に山崎さんが栽培を導入したアオサ、青海苔ではないかと思ったから。 しかし、アオサやアオノりではなく、「岩のり」であった。 岩のりや岩牡蠣といえば、日本海側の産物と思っていた。 岩のりは、テレビでも冬の風物詩として放映されているし、岩牡蠣は、魚乱さんが東北行脚の時に必ず食べていらっしゃる。 オラ達も、去年の三面川の時に、村上で食べた。 しかし、伊豆でも岩のりを採っているとは、想像もしていなかった。 先入観が事実を見誤る、ということか。 日本海側の宇川での海産アユの調査結果、あるいは、東先生の松浦川での流下仔魚量調査結果が、狩野川の鮎が特殊な性成熟である「晩熟型」であり、その他の太平洋側の海産アユは「10月、11月」に産卵している、という学者先生らの教義になったと想像している。 その前提、「科学的」根拠となっているのは、宇川と松浦川での調査結果であると想像している。 岩井先生は、12月産卵の「事実」をご存知であるのに、「10月、11月」産卵教義をまちがっちょるとはいえぬほど、学者先生の教義は不動のよう。 伊豆の「岩のり」と、日本海側の「岩のり」は、同じものかなあ。それとも、違うのかなあ。違うにしろ、同じものにしろ、どのような点が共通していて、どのような点が異なるのかなあ。 木曽川で10月始めに採捕したアユから絞り出した卵を使用しているから、「海産アユ」と判断していた日高川漁協。前さんが指摘されているように、木曽川で採捕したアユであるから、「海産アユ」とはいえないであろう。 10月はじめに相模川以西の太平洋側のアユが腹子を持っているとしても、「塊」にはなっておらず、「絞り出せる」ほどの性成熟をしていない。 学者先生の教義は、海のアユは、みな同じ性成熟時期である、となっているが、なんで同じと判断されたのか。ほんものも、養殖も、湖産も、「目利き」で区別できず、その上、宮地伝三郎「アユの話」や、東先生の松浦川での流下仔魚調査の影響が「教義」の「正統性」持続に貢献していると考えているからには、その理由を述べる「説明責任」がありますよねえ。 「故松沢さんの想い出:補記5」で何とか「説明責任」を果たしたいが。 あそうそう、東先生は、松浦川で流下仔魚量調査をされたとき、交雑種を区分されていないが、なんでかなあ。仔魚の大きさだけで湖産、海産親の子どもと判断されたのではないかなあ。 それとも、「湖産」ブランドに「日本海側の海産稚魚養殖が「ブレンド」されていて、「湖産」親の数が少なく、交雑種の存在を考慮しなくてもよかった、ということかなあ。 |
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丼大王改め、「根掛かり大王」としてもよいが、「丼大王」には、昭和の御代の狩野川の遡上鮎が満ち、石が詰まり、流れの強い瀬があった頃の川と鮎の最後の栄光を反映している。 1本瀬が消滅する2,3年前の21世紀の出来事であるが。 これに対して、「根掛かり」は、河原に砂利が、土砂が堆積していき、アシ等の草原となった結果である。 石ころだらけの河原が、平成の代になるとともに消滅していき、川が川らしくなくなり、鹿の棲める河原になった証である。 今回の4メートルの増水は、平成になって初めての水量ではないかなあ。 それでも、城山下の石コロガシの瀬は復活していない。 丼大王が、11月3日に丼をたらふく食べて、カエサルヒゲ?をぴんと立てていた1本瀬もまだ消滅したまま。 21世紀に城山下の瀬が、石の詰まった流れが、石底の淵が再生するのかなあ。 それとも、22世紀以降にならないと、古の川も、鮎も再生できないということかなあ。 |
10月12日 狩野川青木の瀬
アカ付き良好、水温15度。
狩野川大橋から川見を、そして、橋下流の護岸から川見を。当然、川見をするのはテク2.
テク2のご託宣は、泣き尺が住む瀬の流れの強さ、水深、アユが流されないように作用する大石がなくなった。したがって、瀬落ちの石の状況等で、瀬落ちに泣き尺がいるとしても、9月20日の台風前に釣れた橋付近は泣き尺の住居にはならない、と。
橋上の小さな甲羅、流れの筋が重なっているところ等は釣れるはず、と。
そんなことを説明されても、オラには、どこも同じように見えますが。
ということで、テク2は、橋の上へ。オラはその下流側へ。
テク2はすぐに3匹釣るも、オラは早々と養殖君を過労死に。
テク2は真ん中の流れを上流へと釣り上がる。
オラも橋上を諦めてテク2のいる上流へ。そのとき、すでにテク2は6,7匹。
やっと番茶も出花娘が。これで囮の追加買いはなさそう。その貴重なあゆみちゃんが根掛かりしたとき、テク2が助けてくれた。
テク2は、また、下流へと釣り下り、次には、流れを渡り、左岸側の流れの上流側の波立ちの大きい瀬に入ると。そのときすでに10匹ほど。
オラは、貧乏生活を助けてくれた女子高生に感謝感激をしているというのに。
左岸側の瀬は、ヘチの大きい石にぶっといハミ跡がある、しかし、釣りにくい、と。
大きい石が釣りやすい配置になっておらず、石と石の間に囮を通せない、石裏から引き上げようとすると、そこは根掛かりの巣。
ということで、吊しの釣り方しかできない、と。
午前、テク2がご満悦であるのに、オラは4匹。
まあ、囮の追加買いをした人達から見れば幸いです、ということ。
午後、オラは吸盤ボウイとけられのみ。
対するテク2は、根掛かり放流や仕掛けのトラブルによる減収がありながら、合計で33匹。
乙女は22才くらいが混じった程度のため大きさには満足はできないものの、数は、青木の瀬のトップクラスではないかなあ。
いや、10匹台は何人いたのかなあ。
10月13日 狩野川青木の瀬
散歩の時に、城山下を見たが、石コロガシの瀬はほんの一部に白波が立っているだけ。流れの幅が拡がり、大石の多くが埋まったままではないかなあ。
その上流から藪下まで、トロと化していた。当然、丼大王が、ある年の11月3日にたらふく丼を食べた1本瀬も消滅したまま。淵も砂底で、どこまで浅くなったのかなあ。
藪下の一部が瀬になった。そこには遡上鮎が付いているかも。
コマドリの瀬は、中洲の規模あるいは高さ縮小、左岸側の流れが強くなっているかも。
また、狩野川大橋からテク2と川見の講習会。
テク2は、真ん中の流れと、橋までの間のあゆみちゃんは、昨日釣り上げたために、まだ空き家が多かろうということで、左岸流れと真ん中の流れが合流する附近の左岸側中洲からヘチ、あるいは、流れの筋が複数重なっているところに入る、と。午後になれば真ん中の流れの空き家に鮎が付くかも。
その目論見は、どっかのテスターらが、どかどかと流れを渡り消滅。そのテスターの1人が釣れずに動いた後に入り、数匹かけて憂さ晴らしを。
オラは、真ん中の流れは空き家が多く、午前中は見込みないと思い、左岸側の流れの瀬肩附近へ。瀬肩附近であれば根掛かりが外しに行けるはず。
さい先好調、すぐに口掛かりぽっちゃん。その後すぐに番茶も出花娘が釣れたから、とりあえずはオトリに不自由はないはず。
とはいえ、その後は、根掛かり外しに、糸に引っ掛かった茎を外しに、さらには根掛かりした草とエビを同時に釣るという、大忙し。
瀬の中だけではなかった葦の茎との奮闘に疲れ果てて、真ん中の流れへ。
今の時期は、あゆみちゃんはなんでチャラを毛嫌いをするのかなあ。困りましたねえ。
自動車道上のチャラには小中学生が跳ねているが、乙女や番茶も出花娘の柔肌を経験しているから、小中学生ではもの足りませんなあ。
真ん中の流れの瀬肩附近で、またもや口掛かり。今度は女王様が可哀想と思し召して、取り込めた。
3匹で午前は終了。
テク2は10くらいとのこと。ということは2日間で、40台と10匹にも満たない、というウン倍の格差じゃないか。
誰じゃあ、高級な竿を買えば、いっぱい釣れる、と嘘をついたのは。
今からでも遅くはない。9割引にしろ、寝たきりやアルツハイマー等、釣りができんようになったら、竿を返すから。
そうそう、お百姓も高級な竿になったから釣れた、といってましたよね。嘘をつきましたね。その代償は、狩野川へのアッシー君で埋め合わせてくださいよ。
なにい、稲刈りが忙しい?投光器をつけて夜も稲刈りをしてくださいよ。
午後、根掛かり放流をしないですむ場所は?
2本の流れが合流する附近。葦の茎は見えず。
その場所の大きめの石の配置、流れの形状から、テク2は、扇状にオトリを送り出すと掛かる、と。
しかしですよ、そのような状態の鮎を釣るには
@邸宅ではなく、戸建て住宅の小さいポイント見抜く川見の能力
Aオトリの自発的意思ではなく、扇状にオトリを送り出す腕が必要。
オトリ君がかってに扇形に泳いでくれることはあっても、意識的に扇形に泳がせるなんて、無理ですよ。
Bその扇形にオトリが泳いだ先に、戸建て住宅があった、という幸運は、ヘボにとっては、小惑星探査機ハヤブサの奇跡並みの暁光ですよ。
ということで真似をしないことにしましょう。
いつものよおに、オトリが泳げばあゆみちゃんに当たる、で、頑張りましょう。
テク2は、小さな溝を見つけ出せ、と。
それでは小さな溝と、小さな石で出来た石裏の違いをどのように識別するの?
答え 石裏で囮を引くと嫌々をする。溝で囮を引くと素直についてくる。
まあ、そのようなテク2の講習の成果を発揮できるとは思ってはいませんが、あゆみちゃんをだっこしたいなあ。
ということで、橋上から真ん中の流れを釣りぼっていく。
午後の結果は8匹。合計11匹。テク2の合計は13くらい。
2日間の合計はやっと15.つ抜けをしました。テク2のウン分の1ですが。
お百姓さんの腕では、30,40は堅いですよ。あゆみちゃんがおいで、おいで、と、待っていますよ。
オスが多いように思うが。
大井川の10月も、オスが多いときがあった。下りのための集結か、とも思っていたが、瀬で下りの集結はしない。メスはどこに行っているのかなあ。泣き尺はどこにいるのかなあ。
少なくとも、20才クラスのオスは、9月20日の台風による増水で下りをしていないといえると思う。
あゆみちゃんに事理弁識能力、分別が身につき、すっ飛びアユが稀になった状況では、川見、囮操作の腕の差が大きく出ますなあ。毎度のことで、気にするな、とは思えど、あんまりにも格差があると、少しはへこみますよ。
その上に、根掛かり要因となるアシ等の茎が石の間に挟まっているんですから。テク2ですら、その茎を引っぱって切ろうとしても切れずに、放流したことも。
右岸チャラに溝が復活していたら、その溝で小中学生と遊べるのになあ。
「西風が吹き荒れるころ=木枯らし一番」が、吹き荒れた後の下りの時に、一宿一飯宿を求めた大アユが、オラでも釣りやすいところでお食事をするのを、楽しみにしましょう。オトリが過労死をしない状況になるか、大アユが遊んでくれるか、神のみぞ知る。
丼大王:10月11日狩野川神島橋 | |||||||||
片岡さん、おはようございます 今日、16日は雨のため鮎釣りは中止です。 10月11日は山さんに内緒で狩野川の神島橋に行ってきた。 釣果は12匹です、メス9匹、オス3匹、 メスは20〜25cmで腹がパンパンが6匹、17cm前後で普通が3匹、全部綺麗な魚だった。 オスの2匹は23cm、残りは15センチてところかな。 8時より橋の上流から釣り開始、すぐにオスのチビが腹掛かり、囮にするがサーフィン状態、また養魚に変更。 それから1時間以上、囮は普通に泳いでます。なんとなく鮎の水泳訓練て感じ。 囮を養魚から天然に代えて橋の下流に行こうとしたが駄目でした。 しかたないので養魚で下流の瀬をやるが2号の錘を付けてても沈まない、 下がって、下がって、やっと養魚が沈む位置を見つけそこで粘る。 しばらくして囮の動きがおかしくなった。 来るな来るな、ガツンじゃなくてグリグリグリと口掛り、囮が代われば良し、 綺麗なメス23cmはある、いい囮に変わりました。流れのきつい瀬に入れる、ここから入れ掛りか? あっと言う間にゴミの餌食、5分間持たなかった。仕掛けを作り直し、また養魚に頑張ってもらう。 時間がかかったがメスを連れてきた。ゴミに注意しながら昼のチャイムまでに8匹、 4時間もやってでだよ。 昼飯前にあと1匹のつもりがゴミに掛ってしまった。これもいいメスである。 昼飯のついでにテトラの上から川を見たら、ゴミは工事用の黄色と黒のロープで2〜3メートルある、 そのロープの上流がわに最初の囮が、下流がわに2つめの囮が掛り、見ていると水の流れより上下左右にウネウネして、海ヘビかウツボが餌をくわえて泳いでいるみたいでドキとする。 本当に気持ち悪い。元々ヘビ系は苦手だからネ。 午後は橋の上流左岸から竿を出す、群れ鮎に当たった、途中でバラシはあったがメスばかり5匹獲り、正面の客が根掛りを外しにジャブジャブ来て群れは何処に。 2時終了。午前7匹、午後5匹でした。 神島から石ころがしを見たら、朝から帰る時まで3・4人は居たヨ、まるきり釣れない訳じゃないと思う。 12日の夜は大潮まわり、ズガニを見に海に行った。 先の15号台風で大きな石は、バレーボール、ソフトボール、野球ボール位の石で埋まってしまいズガニの隠れ家がなくなった。 台風の時に海も荒れてたら、川から来た石は波に持っていかれたのに海は大荒れにならなかった。 台風の通過した位置があれだからネ。 これから先ガニ獲りは如何しよう、今年の台風による海の荒れは期待できないし来年以降かな。 だけどガニは川から降りてくるから、何処かに居るはずです。 次の大潮の時また挑戦してみる。 |
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オラの感想 オラには、雄のほうが多かったのに、神島橋では、メスが多い、そして、25センチも。 青木の瀬の大きさは、テク2でも22センチくらい。 なにが違うのかなあ。 今年、まだ、腹ぱんぱんのメスを釣っていないが、青木の瀬や松下の瀬で腹ぱんぱんのメスを釣っている人はどのくらいいらっしゃるのかなあ。 テク2は、子持ち鮎の煮浸しを目的としていたが、どの程度、性成熟が進んだ鮎が釣れたのかなあ。 丼大王が蛇を嫌いとは以外ですなあ。 マムシキラーさんのように、ウミヘビを捕まえて、食べているのではないかと思っていたが。 今年、中津川に流れてくる蛇が多かったなあ。蛇にとってもダム放流の繰り返しは、生活をする上で、不便だったということかなあ。 たった4時間で、根掛かり放流をしながら8匹釣って、ご不満とは、丼大王らしいですなあ。 |
10月19日 狩野川青木の瀬
16日の大仁で30センチほどの増水になった影響がどのようになっているのか、気になりますねえ。
16日の早朝の雨の中、青木の瀬にいたタマちゃんは、濁りが薄くなるまで、待っていて、瀬肩に入りおみやげを持って帰ったとのこと。
さすが、タマちゃん、温泉に入って、コンパニオンを侍らして、なんて、俗っぽい考えはまるでなし。
城山下が健在のころ、中落ちしてきた鮎は、城山下の淵に溜まり、1本瀬に差してきて、丼大王の竿を撓らせ、昭和の代には藪下にも差していた。出アユは、石コロガシの瀬に。オラ達軟弱ものは、石コロガシの瀬肩と淵との間にあった平瀬の2本電線附近で、先住民の小中学生とは異なる大きさの女子高生や番茶も出花娘が混じり喜んでいた。
丼大王からのメールで、松沢さんが亡くなられて5年たつことに気がついたが、その城山下が消滅してすでに、5、6年以上たつということでもある。
ということで、青木の瀬、松下の瀬で、どこが中落ちの鮎が止まる場所なのか、あるいは素通りしてしまうのか、囮を入れてみてのお楽しみ。
テク2が、この時期、オトリ取りの目論見が外れて苦労することがある、と話していたから、オトリを過労死させて、テク2にオトリのおかわりを頼むとしても、数時間は自前で対応するしかないでしょう。
水温15度。これまでと変わりなし。気温は低く寒い。時折風が吹く。お天道様は隠れたまま。
狩野川大橋上流の2つの流れの合流地点附近で、オトリを長持ちさせるために玉引き。割合早く、女子高生のオスが。長居は無用、と、真ん中の流れを釣り上っていく。テク2は釣れない、とのこと。
午前の結果はその1匹だけ。テク2は、番茶も出花娘のメスを釣り、オトリが換わり勝ち組のコースに乗ったと、にんまりしたが根掛かりで、囮の追加買いの生活に。
テク2が囮の追加買いをするのを初めて見た。
午後、根掛かり放流をしたくないから、自動車道上の右岸チャラへ。小中学生を相手にしていれば、どん底生活はなかろう。
よく跳ねますなあ。跳ねるだけがお仕事?
違うわよ、嵐が来たという噂があったから、見に来たのよ、なによ、50年後の嵐じゃない、いえ、50年後の嵐でも、もっと格好いいわよ。ああ、退屈、暖房の効いたお部屋で、マロンケーキを食べて、嵐のビデオを見ることにしましょう。
ということで、1人の女子高生が遊んでくれただけ。
テク2は6匹。ぱんぱんのお腹をしたメスもいるとのこと。
番茶も出花クラスまでの大きさ。正確に測れば22才乙女がいるかも。
まあ、テク2が6匹であれば、幸いとしますか。チャラで寒中水泳の予行演習をしたが。
しかし、4時前にやってきたすんばらしいベストを着た若者、そして、もう1人の中学生。すんばらしいベストの若者は、どっかの大会で優勝して、メーカーが目をつけた新人かと思っていたら、中学生。
その2人の中学生がですよ、各人6匹。
翌日、そのお話を聞いて、びっくり。2匹しか釣れないオラは中学生よりもヘボということじゃ。
10月20日 狩野川青木の瀬
昨日、左岸側の流れの人しか釣れてないよう。ということで、テク2は左岸側から、狩野川大橋付近の他の人が見逃すような場所からはじめる、と。
オラは自動車道すぐ上の左岸側の流れへ。ここなら、根掛かりを外しに行けるはず。
すぐに番茶も出花娘のオス。
出花娘君は元気はつらつ、上へ、沖へと泳ぐ。あんまり沖に行くな。けられ。いつものけられ与三郎に。
やっと女子高生のメス。どうするかなあ、温存しょうかなあ、オトリに使おかなあ。
石への根掛かりを外しに行った時、見た目よりも流れが強い。水深の変化もある。
ということで、沖に出ていないようにして泳いで貰う。
竿数本分上流側の人は、左岸へと釣りながら渡ったが、釣れたのかなあ。消えていったなあ。
11時前、オラの下流側に立ちこむ人が。その前にそこに入っていた人は消えていったが。
上流側にも人が。すぐに乙女をかけた。風が吹いた。それでも抜いた。節落ち。引き寄せで取り込んだ。その乙女をオトリにして、左岸側の流れへ。すぐに根掛かり。途中まで入っていったが、諦めて根掛かり放流。昨日のテク2と同じ運命になったのかなあ。
それにしても時折吹く風の中でも引き抜くとは、腕力があるなあ。オラは、吸盤ボウイですら引き寄せて取り込み、いや針から外した。そのとき、肩にかけた7.5mの竿が風にあおられて困ったのに。
風の中の又三郎は、オラには似合わない。
右岸チャラに、右岸ヘチを釣る人と、流れの真ん中付近を釣る人が。
どっかに溝はないか、探すことにした。ヘチ釣りの人は、盛んに跳ねるアユに馬鹿にされている、と。その気持ちはよおくわかります。
小さいながらも溝を見つけた。午後はそこを釣ろう、っと。
テク2は戻ってこない。風が時折吹くから出かけたくないが。麦酒を飲んだことであるから、一仕事をするか。
右岸チャラの溝に元気はつらつの女子高生を。
思っていたようにはいきませんなあ。時合いの問題かなあ。跳ねているアユには番茶も出花娘もいる。
なんで、おまんらは働かないんじゃあ、と、文句をいった。
なにをとんちんかんなことを言っているの、ここはサボリーマンがぬくぬくと生きていける天国よ。食べ物はいっぱいあるし、おっかないお姉さんたちもいないし、と。
待望の強いあたり。たて竿にもその反応あり。しかし、囮だけしかいない。針がない。フックに二回まいたはずであるが…。
あゆみちゃんが、ヘボの上にドジとは、面倒を見きれないわ、さいなら さいなら。
トボトボと、真ん中の流れへ。
今日の三匹目となる番茶も出花娘。ありがたいなあ。
ということで、中学生よりもヘボであることを証明した二日でした。
テク2はどうだったかだってええ?
悪いやつほどよく働く。昼飯を抜いて働いていましたよ。狩野川大橋上流左岸から小さい場所へ。昼前に釣れ始めて、ここは昼しか釣れない、と、昼抜きに。附近の人が、早く昼飯を食いに行け、と恨めしそうに待っていたとのこと。
その人達の恨めしい との呪いは、帰りのテク2の足がつりそうな前あたりとなり、川沿いの狭い裏街道を避けて、渋滞の激しい厚木を走ることになりました。
何匹釣ったかって?ちょうど20ですよ。恨めしい、と呪いをかけられた場所で稼いだ後は、あっちこっちと動いて。
ということで、大きさで見ても、16日の増水で、青木の瀬のアユの中には中落ちをしたものがいるようです。その後をうめる上流からの中落ちがどのようになったのか、また、狩野川に来るしかないですよね、お百姓さん、迷人見習いさん。
10月25日 狩野川青木の瀬
23日の3,40センチの増水で、中落ちがどのように生じたのか、その結果が青木の瀬ではどうなったのか、見に行くしかありませんねえ。
狩野川大橋の下、右岸を見ていた自転車通勤さんは、竿を出すことなく、左岸の橋下へ。
左岸橋下の流れが強くないところは、昼を過ぎても朝からの人が残っていた。甲羅などのあるところで釣れていたのかなあ。
オラが、左岸に行くには橋を渡るしかないが、左岸が約束の地とは限らないため、右岸の2つの流れの合流点から釣りはじめる。
腹に白子をもったオスに、すいすいすいすい泳げといっても無理ですよね。ソリッド穂先で玉引きをする。
テク2が、あたりが弱く、堅い竿では針がはじかれる、というから、ソリッドを使ったが、オラの場合は、硬調の堅さではなく、針が合わないことによる蹴られであると思うから、ソリッドを使っても蹴られが減ることはないと思うが。とはいえ、1回でも蹴られが減れば、貧乏生活にはありがたい。
さっぱり駄目ですなあ。
ドロかぶりの石が多い、ハミは見えない、釣り上っていくがおじゃま虫ですらやってこない。
左岸の自動車道上へ。
ドロかぶりの石は少ない。ナメは多くない。
2匹目の養殖君に、ねえちゃんを軟派してくれたら、いつもよりは100円以上高いお酒を飲ませたるよ、といって働いて貰うが…。
上流側の人は消えた。左岸の草むらから釣る人が乙女を掛けて下って取り込んだ。
それをオトリにして根掛かり。草むらから2,3m沖でも腰までの深さ。
オトリを回収して、また根掛かり。今度も深さは変わりはないが、根掛かり外しで回収できず。糸を切っていた。葦の茎に針だけでなく、糸が絡んでいたのではないかなあ。
その後、左岸の人は釣れず。左岸瀬の芯といえども、乙女の数は少ないのかなあ。
中落ちをしても、補充されていないということかなあ。
右岸チャラの石は泥かぶりをしていないが、オラが昼から釣ろうかな、と思っている附近に立ちこんで、右岸ヘチを釣っている。丼が釣れていた。
昼からどうしょうかなあ。
オトリの過労死はない。踊り子の時間まで苦行に耐えることにするか。松下の瀬の分流に行くには、時間がたりんなあ。
左岸の流れが釣れるかどうかわからんし。
真ん中の流れの自動車道附近にはいる。泥かぶりの石が多い。
下流側の人が今日初めての1匹目。続いてオラにも。しかし、団子のぽっちゃん。女王様の思いやりも夢に。しかも、吸盤ボウイを釣ったときのように鼻環周りがごちゃごちゃに。
その附近を作り直し、天井糸を長くしょうとしたら、ぷつん。この完成品の天上糸は気に入っていたのに耐久性に乏しいとは。
もう少し苦行に耐えたら、踊り子の時間になる。
番茶も出花娘が釣れた。ありがとうよ。あんさんの情けで出家しなくてもすむよ。
囮屋さんに戻ると、昨日は10匹以上が何人もいた、と。
1日おきの釣れる日と釣れない日のサイクルはまだ健在ということかなあ。次の釣れる日は、26日、28日ということになるのかなあ。
このサイクルは青木の瀬と松下の瀬は同じかなあ。
釣れない口実によく使われる水温が低い、ということは使えませんなあ。
今日の水温は17度。ここ数週間では高い水温ではないかなあ。先日もその前も15度。
出家をせずに踊り子で飲む麦酒とお酒はうまいですなあ。11月は肝臓の検査があるが、その頃までには異常値は治まっているでしょう。
ヤマメねえちゃんが、先日、天国と地獄を見たというが、オラは地獄から脱出できそうもありませんなあ。中学生よりもヘボでは仕方がないか。
ヤマメねえちゃんと天国と地獄と | |||||||||
10月22日、青木の瀬の自動車道上、右岸チャラに入ったヤマメねえちゃんは、雨の中24か25匹とのこと。 23日は大入り満員になったこともあり、生まれて初めてのボウズとのこと。 釣れる日、釣れない日の周期が健在とすれば、22日は釣れる日、23日は釣れない日、24日は釣れる日、25日は釣れない日となるが。 |
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とはいえ、25日にやってきたしあわせ男は、動き回ってたっぷりと釣れていたから、腕の差も大きいということ。 | |||||||||
丼大王の10月25日 | |||||||||
10月25日狩野川の神島橋に行ってきました。 今日も一人です。山さんは家族旅行です。 でも暑かったね、途中で一枚脱いでベストの後ろに入れての釣りですヨ。 8時30分橋の上流の瀬から開始、正面右岸に一人いるが、左岸は誰もいない自分一人。 養魚が元気なうちに早く囮のチェンジをしたい、中まで入り川のド真中を釣りました。 自分はそっと泳がせてという事ができないので瀬での引き釣りです。 5分で綺麗なメス、23cm近くある。一匹釣れて一安心です、まずは1匹だね。 盛期じゃないので時速何匹てことはないけど、それでも10時までにメス3匹、オス3匹の計6匹、結構釣れるじゃん。 21〜24cm、メジャーを持って計ってる訳じゃないけど自分の指物差し、 親指から中指で20、親指から薬指で21て感じ。これは右手で左手は1p長い。 橋の下流の深瀬に知り合いを発見、そちらに移動、 3年ぶりのお話し、しかしみんな歳をとっ行くな。昔は今よりも若かったあたりまえか。 本人は石ころがしに行ったが3人ほど人がいたので神島に来たとのこと 2人でしゃべりながらやるが全然反応なし。今日は石が曇っている、前回は地球を釣りながらでも結構は釣れたが。 1時間やるが駄目なので、また橋の上流に戻る。 正面の人にでかいのがきた、28cmはあると思う。川をはさんで見た感覚なので・・・ そして自分にもきた。これはでかい、魚を止めることが出来ない。 下がってやっと止まった。抜きに入り竿を突き上げる。 パンと音がした、やっちまった。竿が橋に当たって折れた。 橋げたのピーヤーの所で釣りしているので上には注意しながらいつもやっていてのに 正面で釣り上げたのをみて、そして自分の鮎の引きを感じてつい油断してしまった。頭の上を忘れてた。 竿先は回収したが、掛かり鮎は逃げてしまった。 いつもなら、竿ケースの中に別の竿と替え穂があるが今日は奥さんに送ってもらい竿ケースは車で一緒に帰っちゃった。 竿の2番を抜き、折れ残った1番を抜き、さらに折れた1番の尻にナイロン糸を巻いて 応急処置を考えたが、またそこで手抜きしてしまった。 2番に1番の折れが刺さったまんま、その中に1番を差込んだ、 なんか変に先の短い状態で釣りを開始した。そしてすぐに掛かった。抜いた竿先は大丈夫だ。 これもメス、22pはある。今日の残りはこれでやれる。 鼻カンをつけ、逆針を打ち竿を立てたら糸がフワフワ、一瞬何が起きたことか。 手に持っている竿先を見上げ、そして水面をみた時には仕掛けともども流れの中に消えていった。 お昼のチャイムと共に終了。迎えの電話をする。 迎えが来るまでのあいだ橋の上から眺め探したり葦の根元をなどを見たがない。ある訳ないか、 うろうろしている時流れてきた引き船を拾った。シルバーの4.5のやつ、橋の上から見える葦に縛ってきた。 流した人が探しにきたら判るところにネ。 今日は釣れた魚は全部いい、はずした魚もネ このあと21時半頃ズガニを海に見に行ってくるネ |
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25日は、オラがやっとボウズにならなくても済んだ日。 その日に豊満美女をだっこしているとは。 昭和の代の神島橋のところはザラ瀬であったが、今や強い瀬になっているのか。 そのザラ瀬で、オトリをオモリの代わりのように引きまわしながら、歩く場所は一定、何度も四角い線を描きながら歩いて、たっぷりと釣っていた囮屋さん。もう遙か前に亡くなられたのではないかなあ。 まだ、丼大王が大好きな強い瀬に豊満美女がいるということは、下りに入っていないという可能性もあるなあ。もちろん、下りに入っても、強い瀬で一宿一飯の食堂を利用する豊満美女も多いが。 |
10月30日 狩野川青木の瀬
東京では木枯らし1番が吹いたということであるが、伊豆ではどうかなあ。
水温14度。下りが始まる水温。しかし、今年は、木枯らし1番が吹く前から水温が15度くらいになっている。そして、中落ちを促す増水が何度かあった。これらが、11月のあゆみちゃんの行動、大きさにどのように影響するのかなあ。
城山下が昭和の代にように、瀬、淵、瀬、その間に平瀬がある、という川相であれば、なあんも考えなくてもその一帯のどこかで釣れるはずであるが。
狩野川大橋付近は混んでいるなあ。ただ、先日と違い、中洲の左岸側に入っている人はおらず、左岸側の人も中洲よりも沖の瀬を釣っている。
自動車道上流左岸は人がいる。その間に入れないことはないが、動き回れない。煙草を吸いながら見ていると、橋付近の人が掛けたが空中バレ。
右岸チャラの様子を見に行くと、山女魚ネエがやってきた。山女魚ネエは、昨日の大入り満員の中、13匹とのこと。さすが、ボウズは私の辞書にはない、とおっしゃるねえちゃんですなあ。
オトリの働き具合を見るため、チャラで竿を出したが、長居の場所ではなさそう。チャラの人が右岸へ渡る位置にいるため、真ん中の流れの上流側で、もう1匹の養殖君を働かせた。何の反応もなかったが、メスであることがわかりありがたや。人間のねえちゃん同様、メスの働きで、裕福な生活になるかも。
右岸に渡る空間ができたため、護岸を歩いて、狩野川大橋下流トロへ。
コマドリの瀬肩上流トロに数人はいっている。そこから上流のトロ、平瀬は、昭和の代には大きい石が転がり、その間に頭大の石がつまり、楽な釣り場であったが、平成の代が始まると、瀬に中洲ができ、それが年々成長するとともに、大きい石の間は砂利になった。
21世紀のある年、石コロガシの瀬に入ったが思わしくなく、藪下、コマドリの瀬と、彷徨っていた。故松沢さんが、双眼鏡に映るはずのオラの姿がないため、川流れか、と自転車で走り廻り、最後にコマドリの瀬にやってきて、オラがいて安心されていた。
やはり、21世紀になって、天龍玉三郎が11月のある日、城山下の1本瀬から、上流へとさまよい歩き、コマドリの瀬肩附近で釣っている人とは異なり、中洲から左岸の強い瀬を釣って、美味しく酒が飲めたこともあった。「天龍玉三郎釣行記」に、そのときのことが載っていると思うが。
ということで、コマドリの瀬上流のトロにはいるのは、21世紀になってはじめてではないかなあ。
護岸から見ると、石がある。瀬尻に入りたかったが、あとからやってきた人がコンクリート護岸を降りて入ったため、トロから釣りはじめる。
ドロかぶりの石になめもある、乙女も跳ねる。
目印が飛ぶ。しかし、ハリが乗っていない。
瀬尻の人が丼。また釣りはじめたが、あきらめて移動した。それで瀬尻へと釣り上がる。強いあたり、引き。しかしハリが乗っていない。ソリッドでは、今時のアユを相手にするときは、竿の絞り込みをもっと強くしなければいけない、ということかなあ。
護岸から瀬尻を釣っている人は5匹とのこと。乙女はいない。
腰まで、ウエーダーで入っていると、冷たさが身に沁みるなあ。
平成の始めまでは、タイツで11月の川に入っていたのになあ。もちろん、河原からの釣りができるところを選んでいたが。発熱量が大幅に減ったということかなあ。生身のあんよをさらけ出している女子高生がうらやましいなあ。
護岸さんが、丼さんは上流で釣った鮎をオトリにしていたとのこと。そのオトリを丼で失い、養殖君に変えたが、泳ぎがよくないから、釣れない、と判断されて去っていったのでは。
今の時期、元気はつらつのオトリでないと、豊満美女も女子高生も相手にしてくれないからなあ。ことに、トロやチャラでは。
このトロ、瀬尻で釣るには、オトリを確保してから、ということになるのかなあ。どこでオトリの確保ができるのかなあ。
メニューが1つ増えたことで、良しとしましょう。
午後は、どこに入ろうかなあ。
昨日は、テク2が11,タマちゃんが6匹とのことであるが、今日はそれ以上に釣れていないかも。
自動車道付近の左岸の流れも空き家になっている。釣れなかったのでは。
真ん中の流れを釣り下るか。またもやメスに働いて貰う。ごめんね、長時間労働をさせて。
テク2が左岸の流れを釣り上り、真ん中の流れへ。6匹しか釣れない、と。
タマちゃんは、釣れないから城山まで行って、釣ってきたとのことであるが、藪下までいったのかなあ。
テク2にオトリを貰っているときに掛かったが、団子のぽっちゃん。
その後も釣れませんなあ。真ん中の流れの下流は、先日と異なり、ドロかぶりの石がきれいになっている。下りのアユがなめたのかなあ。
涙雨が降ってくるし…。
哀愁漂う背中の釣り人も、これからの時期からは絵になるでしょう。あと何回、哀愁男を演じることになるのかなあ。
こんな状況では、お百姓もアッシー君に釣れませんああ。神島橋に行きたいのになあ。
あ、迷人見習いをアッシー君にすることを忘れていた。迷人見習いさん、残り幾ばくもないジジー最後の機会の遡上鮎の尺アユが、豊満美女が釣れる機会をよろしく。もう、大アユの狩野川とは出会えないでしょうから。
11月2日 狩野川青木の瀬
相模線で、久々に三浦半島や網代に投げ釣りに行く人と一緒になった。その人は、網代では、投げ釣りで、ジャリメを餌にして、カワハギを釣るとのこと。なんで、投げ釣りで釣れるの?なんで、ジャリメで釣れるの?
また、網代にはカレイがいないとのこと。ヒラメは釣れることがあるが。
三浦半島と網代の魚がなんで習性が違うの?
キスは深場に移っているから、カワハギ6,7枚が目標とのこと。
熱海から、丼大王が乗ってきた。
10月30日、神島にいったが、短い瀬に人が入っているため、松下の瀬へ。
ハイリスクにノーリターンで、早々とお酒の時間になったとのこと。
30,40当たり前の丼大王がそういう状態では、オラが0,1のデジタルの世界に浸っているのは当然のことかなあ。
なお、根掛かりは、葦に行き着く前に、根掛かりで切った人の糸に引っ掛かってしまうとのこと。
3日をあけずにキャバレーがよい
それじゃ身体がもつわけないよ
あ、間違えた。
それじゃお金がもつわけないよ
わかあっちゃいるけどやめられない
植木さんや谷さんを知っている人は、人口の半分もいなくなったのではないかなあ。
スーダラ節が鳴り響いていた頃は、経済的に裕福な気分に浸ることができたよき時代だったのではないかなあ。
快晴のはずが曇り。水温14度。どうなるのでしょうかねえ。
まずは、狩野川大橋上流の合流点へ。
何じゃあ、すぐに釣れたよ。オスの中学生。トロで使えるかも、と箱入り娘に。次もオスの中学生。養殖君は数分しか働いていないから、そのまま働かせる。
次は、乙女のメス。
そのあとは沈黙が続き、最後は待望の番茶も出花娘ではあるが、オス。
オスがどのくらい、トロで泳いでくれるか不安であるから、上流右岸のチャラへ。次が左岸瀬肩附近へ。あきませんなあ。
真ん中の流れの上流側へ。ここでやっとメスの女子高生。朝釣れていてくれたら、トロにいったのに。
どうも、上流側の石に汚れたものが見えるから、食堂は狩野川大橋付近に移ったのではないかなあ。
ということで、最後は真ん中の流れの下流へ。
3時のお仕舞いのときに女子高生のメス。
乙女は、23才。久しぶりに計測をした。嬉しいですなあ。結局、オスが3,メスが3.中学生のオスも下りはじめたのがいるということかなあ。
トロの人は朝からずっとやっていたから、釣れているのではないかなあ。
11月4日 狩野川
暖かいですなあ。水温は14度。
狩野川大橋上流の大衆食堂へ。料亭とはいえないが、下りのアユがおまんまを食べに寄ることは期待できる。
しかし、前回と違い、今日はお休みかなあ。1匹だけ。トロに行くしかないか。
狩野川大橋下流トロでは、番茶も出花娘のオスが。さらに、乙女のメスが。
瀬尻の人は釣れないからか、消えていった。そういうオラも、4匹。番茶も出花娘が跳ねているというのに、なんで釣れないのかなあ。
いや、何年ぶりかで、乙女のメスがだっこできたから幸せです。
もし、背掛かりであれば、7号の針が折れたかもしれないが、カカリどころが悪く、だっこできた。海産畜養ではなく、遡上鮎では長島ダムができる前の大井川以来の豊満美女ではないかなあ。
長島ダムができる前、井川ダムの貯水量が大きいとはいっても、堆砂で、有効貯水率が5割を切っていたのではないかなあ。そのため、大雨のときのダム放流量が多く石が出ていたし、濁りも2週間ぐらいでおさまったから、飢饉はダム放流後20日くらいで終わっていた。
それに、10月頃からの増水による中落ちをした乙女は、瀬の芯に付くから、狩野川では軟弱ものには高嶺の花。しかし、塩郷堰堤の義務放流量は4トンくらいであるから、瀬の芯とはいっても、オラでも囮を入れることができる。
ということで、豊満美女をだっこするには、取り込むときに川原に立って、両手で硬調の竿を抜けばよかった。
身切れと、ハリ折れ、ハリス切れに泣いたこと多々あったが。
その豊満美女、熟女も、下りのときは、必ずしも瀬の芯の食堂を利用しない。チャラでも、トロでも、平瀬でも、かっては見向きもしなかったであろう食堂で、お食事をされるようになる。したがって、下りの季節は、軟弱もんにとって、豊満美女、熟女をだっこできるありがたあい ありがたあいときである。
瀬落ちを護岸から釣っている人が6匹だけで、釣れない、と贅沢なことを。
オトリを休ませるために、お酒を用意している。
昼、酒を飲めば、自動車道上流チャラしか「ノーリスク」の場所はないですよね。もちろん、普通のあんよの人にはチャラ以外にも「ノーリスク」の場所はあちこちにあるけど。
そのチャラで転び、立ち上がりまたすぐに転び、と、さんざんな目に。酔っぱらいは川に入るべからず、ということでしょうね。
まあ、憐れに思ったあゆみちゃんが1匹、遊んでくれたが。
ということで6匹。
タマちゃんは、コマドリの瀬までいった。
先週とは違い、石がくもっているとのこと。下りのご一行様が去っていったということかなあ。
釣れたものの、根掛かりを外しに行って、握りを水浸しにしたり、養殖を根掛かり放流したり、と、歩いたわりには効少ない4匹。
タマちゃんらは、夜陰に紛れて舟の中でにゃんにゃんをする不届きなオスを出さないため、オスを絞めているが、今日はそんな余裕はない。お行儀のよいオスがいるかもしれない。ということでオスも生かしておいて、焼鳥屋さんへ。
タマちゃんが、その焼鳥屋さんにこだわったのか、よくわかった。
食材の質がよい、塩が並みの塩でない、そのうえ、生山葵が出てくる。タマちゃんが、鮫の皮で出来たおろし板で山葵をすり、それを焼き鳥につけると、またひと味変わった味わいになる。
しかも、1品の量が多い、高くない。それほど、量が多いとは思わず、危うく食べ残しそうになった。敗戦前後の食糧難時代の申し子にとっては、食べ物を残すとは罪であるから、完食することは義務である。
そのとき居合わせた人達の話から、狩野川で子どもが遊べなくなったのは、シアンが流れてから、とのこと。
シアンが流れた、とは、持越鉱山の鉱毒事件のことかなあ。昭和40年代のことかなあ。
それ以前は、川の中に石を積んで、プールを作り、そこで泳いでいたとのこと。そして、鮎はヤスで突いていた。竿で釣ることもあったが、ヤスで突く方がよくとれたとのこと。
また、学校にはプールができていった、と。
網代へ投げ釣りに行く人が、アブラメは、昔は網代にもいたということであるが、現在はいない、と。そして、アブラメはまずい、と。
オラは、餓鬼の頃釣ったアブラメを含めて、唐揚げや煮魚で食べていた。
阪神淡路大震災の野島断層が保存されている淡路島の豊島の仮設店舗で、アブラメの唐揚げ、煮魚、刺身を食べた。せいぜい20センチくらいの大きさが出てくると思っていたら、尺上の大きさ。こりゃあ、1匹2,3千円かと思っていたら、500円。
それよりも困ったのは、食事も頼んでいたから、完食すること。四苦八苦して完食した。それ以来の完食の苦労をした夜でした。
しかも、タマちゃんは飲み足りなさそうであるが、オラは2月以来の無事寝るところにたどり着けるか、不安な状況。久しぶりに軽い二日酔いになりました。
タマちゃん、飲み足りなくてごめんね。
11月5日 狩野川
朝飯を食べ終えて、食堂の駐車場で煙草を吹かせていると、相模川の女たらしのテクニシャン2人がやってきた。その人達はどこに入ったのかなあ。また、タマちゃんの話によると、その駐車場に止まっていた山梨ナンバーの人もうまいとのこと。
とりあえず、狩野川大橋上流の「ノーリスク」の場所へ。
オスが泳ぐことがわかった。渡場になっているそこで根掛かりをして、怖い目にあったことと、10時近くになったから、大橋下流トロへ。
オスのオトリが走った。
お前、相手が大きいとは言ってもメスや。逃げるんやない。ねえちゃん、今晩お暇?あちきと遊ばない?と、声をかけて、色目を使い、お尻を振るんや、と、注意をした。
昨日、瀬尻が釣れていなかったということは、今日は釣れるかも、と、釣り上がる。
瀬尻はヘチでも、腰上の深さがある。水温14度。ウエーダーを通してつめたさが身に沁みる。
また、オスのオトリに文句をいった。
お前、この川の住人やろう、どこに繁盛しとうケーキ屋さんがあるかわかるやろう、そこへ行ってナンパしろ、冷たくって仕方ないわ。
オス君は、何をあほんだらなことをぬかすんや。おまんがもっと気持ちよく働けるように操作をしてくれたら、すぐに豊満美女を軟派したるわ。馬鹿社長が仕事の成果がでんように、でんようにと、足をひっぱちょるんや。
オスとけんかをしていたら、番茶も出花娘のオスが。次も。
もう、腰下の水深のところに行きたいから、瀬尻が番茶も出花娘のオスのたまり場とわかっていたが、下流へ囮を入れて、よたよたと下っていく間もなく、またもや番茶も出花娘のオス。
もう、メスが欲しいなあ。トロでオトリに好きなところにいってや、と。殿様は君臨すれど、統治せず。殿、いかがいたしましょう?→良きにはからえ。
7匹目は引き寄せで取り込んだ豊満美女。引き寄せが下手になったなあ。上流側からなかなか手元に、糸をつかめる位置に豊満美女を誘導できない。
昼前、ニゴイ。1番目のオス君、あらぬ誤解をしてごめんね。ニゴイに追われて逃げたんやなあ。豊満美女から逃げたと誤解してごめんね。
今日は、裕福な生活をしている。ニゴイに負けてなるものか。糸を張り替え、昼も抜いて働く。
凄いあたり、竿を絞る、外れた、オトリが空中を飛ぶ。尺アユコースではないかなあ。
この少し前、7.5号3本錨で、豊満美女に焦点を合わせた。その結果、蹴られが増えた。貧乏生活をしていたら、7号に落とすところではあるが、今日は豊満美女相手に初志貫徹。
やっと2時になった。12時過ぎには食事時間も終わったようで、蹴られ与三郎はあるものの、オスにも見放された。
結果は、10匹。
タマちゃんは、左岸自動車道上流へ。石がピカピカに磨かれている。先週のコマドリの瀬附近同様に。
すぐに5匹。自動車道下流の人は昼からも釣れているというのに、タマちゃんはそれっきりで、放浪の旅を。
2日間のタマちゃんと合わせた22才以上は、
22才メス2,オス1,24才オス1.
正確に計測をしたら、22才が増え、また、1才ほど大きくなる可能性はあるが。
番茶も出花娘を含めると、雌よりも雄のほうが多いということは、メスの下りはまだ少なく、また、オスの下りもまだ多くないということかなあ。メスは、まだ瀬の芯にいて、高リスク、ノーリターン、あるいは少額の実入りを受容する人だけが、豊満美女を手にすることができる、ということかなあ。
オラにとって、ノーリルクの場所はチャラしかなく、そこに溝がないから、下りの豊満美女も、お呼びでないよ、と、寄りつかないでしょうなあ。
タマちゃんは、今日であゆみちゃんとの逢い引きは終わり。
福島の川のサケ漁獲の資格を持っているから、サケを夜、網打ちでとりに行く。
暗い中、お兄さんは、上ってくる鮭の帆柱が作る航跡を見ることができ、適切な位置に網を打てるが、タマちゃんは、暗闇の中、航跡を見つけることも困難で、しかも網も適切に打てないが、それでも獲れるとのこと。
村上の飲み屋さんは、コロガシでサケを捕っているとのことであったが、漁法の違いはなんでかなあ。
捕ったサケの雄は逃がし、メスだけを持ち帰り、卵を出して、かってはぬるま湯で卵をほぐし、今は60度のお湯で、手で卵をほぐしているとのこと。熱いでしょうに。手でないと駄目、とのこと。
肉はうまくないから捨てる、と。
村上のサケは、海のものだけを料理に使用しているのかなあ。川で捕ったサケも料理に使っているのかなあ。イヨボヤ(魚の王様:サケのこと)会館で行われているという塩サケの講習会には、川のサケを使っているのかなあ。
塩をすり込むといってもコツがあり、さらに、1回の塩のすり込みではなく、何日間かおいて何回か、すり込んでいるのではなかったかなあ。
囮屋のおばちゃんが大好きという岩手の鼻曲がりは、川のサケかなあ。
江の川で、黒田明憲「江の川物語 川漁師聞書」(みずわ出版)に、
「女の人も獲りょたよ。それ言うんが、サケが上ってくる時期が、ちょうど、川岸で漬け物にする白菜や大根を洗う時期と一緒なんよね。そこへサケが、ゆらゆら流れてくるんで、手でひょいっと獲って、たらいの中に入れて、洗い終わった白菜やら大根やらと一緒に持って帰るわけ。中にゃあ、二匹も三匹も獲って帰る人がおったよ。」
江の川の産卵後のサケはどのように料理されていたのかなあ。
サケ料理の仕方によって、福島では「まずい」と言われている身をうまい食べ物に変えていたのかなあ。
11月9日 狩野川
養老孟司先生と内田樹先生の対談「逆立ち日本論」(新潮選書)に、合気道をされている内田先生が、
「世間に対する、養老先生とぼくの対応の違いがどこから来るといえば、養老先生は死体を相手にする解剖学のご専門であるのに対して、ぼくが生きている人間を『活殺(かつさつ)自在』に操作する技術である武道を稽古してきたということと少し関係があるような気がします。武道というのはいわば人はどういう場合に死んで、どういう場合に生きるのかということだけを研究するのもですから。
武道の相手は原理的には『敵』ということになります。でも、この『敵』という概念は因習的な敵とは違います。『敵』には心身のパフォーマンスを標準値以下に下げるすべてのファクターを算(かぞ)え入れることができる。風邪を引いても、友だちに批判されても、恋人に裏切られても、親が死んでも、雷に打たれても、会社が倒産しても人間の心身の安定は、乱れます。心身のパフォーマンスを下げるファクターって、そういうふうに考えると無限にあるわけです。原理的にはウイルスから妻まで、こちらの心身の安定をかき乱すものはぜんぶ『敵』にカウントできる。」
そうなんです。オラがあゆみちゃんに振られっぱなしの原因は、「敵が多い」、心身がかき乱されるファクターが多いからであって、決して「ヘボ」が原因ではないんじゃないかなあ。
「そういうふうに考えると、『敵を倒す』というのはいうほどには簡単な話じゃないことがわかる。『風邪のウイルスと戦う』とか『幼年期の心的外傷を倒す』とか『津波の虚(きょ)を衝(つ)く』とか、そういうことはできませんから。こういうものはもう『来ることは仕方ないとして、あとはどうやって折り合いをつけるか』というふうに考えるしかない。
だから武道的に考えると、『そういうことがあっても平気』なシステムを構築するにはどうしたらよいか、というふうに考え方を切り換えるしかない。ウイルスと対抗するためには、ウイルスが健全で無垢な身体に侵入するというスキームをとらない。それよりは、人間というのはいろいろな常在菌の巣窟で、菌の構成比率がちょっと変わっただけなんだから、こっちの菌を少しこっちへ回して……というふうに計量的に考える。考えてみたら自分がこの世に存在すること自体天変地異のようなものなんだから――ぼくの場合なんか、『ウチダの存在自体が災厄である』という言い方をされることがありますし――、雷撃に打たれたり、地震で家が潰れたりするくらいのことは『ありがちなこと』だと思っていた方がいい。そうやってどんどん『折り合ってゆく』ようにする。」
まあ、あゆみちゃんに冷たくされたときの折り合いは、麦酒や酒を飲めば解決できるが。
「主体に対してあちらからうるさく干渉してくるファクターとどうやって折り合い、そこで生成した複合体をどうやって操作するかを考えるということと、動かないものを精密に考察していくことの違いですね。」
養老先生は死体を対象にされている。そのことと武道の違いを話されているが、オトリとの折り合いは難しいですなあ。
さらに、オトリを操作して、あゆみちゃんを誑かすというのは、もっと難しいことなんですねえ。
「前代未聞の災害」、「異常な天災」とのお話は、どのくらいの時間の幅でのお話かなあ。10年?、100年?、1000年?
送電塔が、地震に対してどのくらいの強度をもっているのかなあ。送電線への着雪で、「想定外」の荷重がかかり、送電塔が倒れたことがあったなあ。
送電塔に頼る電力の「2系統化」の信頼性は地震のときには無力化するのではないかなあ。
そのときの対応としての自家発も、1ヵ所に集中していては、危険分散にはならないでしょうに。
「折り合いをつける」費用が何十億か、何百億かわからないが、それをけちったために、何兆円の損害と風評被害の氾濫になっているのではないかなあ。
原子力発電の安全神話に守られて、あるいは、原子力発電の安全神話を守るために、地震、津波による災害との折り合いを安くし、あるいは不十分の対応で折り合いをつけた結果にくらべたら、オラとあゆみちゃんとの不仲を麦酒や酒で折り合いをつけることは可愛いもんですなあ。
ゼネコン退職者が、十津川の堰き止め湖の復旧について、土砂を取り除き、山肌にコンクリートの擁壁を作る手法はやめた方がいい、と。
その退職者さんは、かっては、砂防ダム建設で無限にお仕事があると思われていたのではないかなあ。川那部先生は、砂防ダムは無限増殖するしかないと考えられているかも。
野田さんは、十津川の山崩れは明治にも起こっていて、そのため、今も十津川と北山川の濁りの違いが残っているとのこと。
大熊先生も自然制圧思想による治水に異議を唱えられている。
十津川の堰き止め湖にはどのような対応をするのかなあ。旧来と同じ手法を採用するのかなあ。
まあ、前書きの長いということは、釣れないということですなあ。
前回、女たらしのテクニシャンの喜びをささやかながら、味わえたから、ボウズでも良し。アユバックにはオトリと、あゆみちゃんとの折り合いをつけるためにお酒が用意してあります。
青木の瀬の真ん中の流れ上流チャラは、汚れた石が。左岸流れの自動車道付近も、タマちゃんがきれいに磨かれていると言っていたが、曇っている石もあるなあ。
下りのアユが移動して、新しい群れが入っていないということかなあ。自動車道下流の人が数匹の女子高生を釣ったが、昼前には消えていた。
その上流で釣るも釣れず、狩野川大橋下流のトロへ。汚れた石のみ。仕方がないから、腰上まで水に浸かり、瀬尻へ。
中津でおなじみの小学生が。小学生でも良く泳ぐなあ。番茶も出花娘を軟派してくれたが、団子のぽっちゃん。
釣れない上に冷たいから上がる。水温14度。
瀬落ちに左岸側から立ちこんでいる人は、発熱する下着を着ているのかなあ。若いから発熱量が多く、ウエーダーを通しての冷たさを感じないのかなあ。
その人も、護岸側の人も瀬落ちで長居はしていなかった。
いつ見ても人が入っていたのは、左岸流れのトロだけ。そこは、深く、根掛かりをしたら、放流するしかないとのことであるが。
午後は、釣れないのであればどこでも同じ、ということで、真ん中の流れを釣り下る。下流側の瀬で番茶も出花娘の雄と雌各1.
まあ、今の時期、下りの一宿一飯のあゆみちゃんの群れに遭遇しないと、厳しいですなあ。瀬についているとはいっても、どこについているのか、川見ができないから見当がつきません。それに、一番上りは、3月の中旬か、下旬に相当量上ったと思うが、2番上り、3番上りの量が多くないのではないかなあ。
11月10日、丼大王から | |||||||||
おはようございます。 昨夜ズガニを見に海へ行ってきました。 オスばかり3匹です。30分探してやっとですよ、居ませんね、 朝まで砂をはかせて今塩茹でしちゃいました。 今日、会社から帰っての酒のつまみです。 |
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熱海から乗った丼大王の話 9月20日の台風で、海岸の石が少なくなり、海のズガニの住まいが貧弱になったとのこと。しかし、川から下ってくるズガニがいるから、どっかで、海の生活をしているはず、と。 ハマグリを捕るときは、泳ぎながら、砂の上に水管?を出しているから、それを捜して掘るとのこと。びっくりさせると、隠れてしまうので、静かに探すとのこと。 砂が流されてしまうと、ハマグリは石の上にいて隠れるところがないため、タコがやってくれば、その餌食になってしまうとのこと。 そのタコが、壊れた瓶にいるのを見つけて、ヤスを取りに帰り、タコを捕まえて酒のつまみにするのが丼大王。 その丼大王が、桑の実で果実酒を作ろうとして梯子?から落ちて、今頃になって痛みが強くなり手の甲が不自由となり、今期のあゆみちゃんナンパが困難に。いや、竿は持てるとのことであるから、女遊びをするかもしれないが。 丼大王と、仕事中に女遊びの密談をしている山ちゃんは、今月はとてもお仕事が忙しく、女遊びどころではないとのこと。そうすると、オラと遊んでくれる豊満美女、熟女が増えることになるが…… 今年の東伊豆のアユは大きかったとのこと。 相模湾のアユは、3月下旬に相模大堰を遡上したものなし。4月上旬も少ない。 ということは、11月上旬、中旬に孵化したものの生存率が少ない、ということではないかなあ。 そうすると、東伊豆に遡上しているアユは、狩野川同様、駿河湾からやってきた稚アユかなあ。 城山下の淵、瀬が健在であった昭和の御代、丼大王は、淵でフナではないかと思えるほど、体高のある鮎を釣り、故松沢さんをびっくりさせたとのこと。 また、丼の鮎が淵に流れてくると、ぐるっと1周して、葦が生えているところに引っ掛かるとのこと。それを水浴をかねて泳いでいって獲ったこともあったとのこと。 まあ、このあたりの話は、電車の中でのこと故、正確性に欠けるが、それほど豊かであり、大鮎が育つ空間もどこかにあったということではないかなあ。 |
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11月12日 狩野川
前日の雨による大仁の水位計での増水は40センチ、現在は20センチくらいの増水。
水温15度。
石はドロかぶりに。泥をかぶっていない石はどこかなあ。ドロかぶりの石にハミ跡があるのもあるが、増水前のハミ跡が多いよう。ということは、青木の瀬には下りの一宿一飯の鮎は入っていないということかなあ。
狩野川大橋上流の二つの流れの合流点の棚は釣れず。テク2が自動車道上附近の左岸の流れにハミがあると。
それほど、目立つ量のハミではないが、まあ、「低リスク」であるから、良しとするか。
女子高生のメスが1匹だけ。
テク2は、自動車道の橋下流の瀬の瀬の芯よりも手前で3匹。沖に出して根掛かり。やっと立ちこんで外せたとのこと。その後は、狩野川大橋付近の本線ではない流れ等を釣り歩き、10匹で、真ん中の流れの上流側、オラのすぐ下に。
そのとき、オラは番茶も出花娘2匹を含めて合計3匹。
テク2がすぐに掛けた。
なんで、あゆみちゃんまで、金持ちが好きなんじゃあ。貧乏人を大切にしてくれ。
狩野川大橋付近の瀬の芯に入れても釣れなかった人が、座り込んで、ヘチ寄りを釣り、10匹ほどの番茶も出花娘をそろえていた。その人は、2,3匹釣れても、そのあとは沈黙の時間に。それでも、我慢の子に徹して同じ場所で釣ったとのこと。
瀬には、アカ飛びの場所があるとのこと。砂が巻いて、グラインダーの機能を果たして、アカをそぎ取ったのではないかなあ。
結局、数人の中で、オラがもっとも貧乏な人に。
ドロかぶりの石、アカ飛びの石、どこが釣れるのかなあ。
下へ帰るうう 旅人の群れええ ああすはいずこの瀬えかあ
歌舞伎町の歌声喫茶で、昭和30年代後半、北帰行が歌われていた頃、北上夜曲も歌われていた。
政治人間のやつが、東北で北上夜曲に出合い、いたく感動し、そのときの情景を話してくれた。オラは、人間を操作対象、手段としか考えていないやつが、情緒的な話をしたから、びっくりしたことを覚えている。しかし、その歌い手が女高生であったのか、飲み屋のねえちゃんであったのか、記憶になし。
もし、北上夜曲との出合いを、可愛いねえちゃんが感動して話してくれていたのであれば、そのねえちゃんが感動した情景を今でも覚えていると思うが。
宮地伝三郎「アユの話」(岩波新書)に、下りのアユが、頭を下にして下る、と書かれている。故松沢さんは、増水による下りのときは別にして、尻尾を下に向けて下る、と。
丼大王は、狩野川に遡上鮎が満ちあふれていた昭和の代、11月に下りが始まったとき、糸にびんびんアユがあたるのを感じた、と。
もし、頭から下っているのであれば、糸にさわることは例外的に生じても、頻繁には生じることはあるまい。
「故松沢さんの想い出:補記5」に、前さんが「アユの話」に違和感を感じたと書かれているが、どこに違和感を感じられたのか、そして、東先生の松浦川での流下仔魚量調査結果が、なぜ、房総半島以西の太平洋側の海産アユの産卵時期と異なっているのか、学者先生の海産アユの産卵時期の教義である「10月、11月」がなぜ間違っているのか、を、書かざるを得ない時期が、刻々と迫っていることを感じた今日でした。
当然、疲労困憊した心身を癒すため、焼鳥屋さんへ。
今回は量の調整がうまくいって、最後の山菜うどんを味わいながら食べることができた。椎茸うどんがあればなお嬉しいが。
11月13日 狩野川
瀬でも、アカ飛びか、ドロかぶりのアカとなると、トロのドロかぶりのアカと同じはず。食料に違いがあるじゃあなし。
左岸自動車道上で釣れず。オラの上下の人も消えていく。右岸チャラで、昨日テク2が1匹釣ったが、ピンポイントの釣りになる、と。すでに3人入っている。その間に入ることはできるが、ピンポイントを探すには動き回りたい。それがかなわぬ故、昨日の鮎がありオトリには不自由しないから、大橋下流トロへ。
瀬尻に入っている人がいる。コマドリの瀬肩附近に数名。
トロは誰もなし。ぶっといハミがある。その主が居座ってくれていたら、うはうは、となるが。
昨日、目につけていた磨かれている石の附近にオトリが泳ぐ。
番茶も出花娘。それを囮に使うか、箱入り娘にするか、悩んでオトリに。煙草を吸い終わらないうちに掛かった。勿体ないが煙草を消すしかない。
舟を動かないようにして、両手にだっこして箱入り娘にしたメスの乙女。23才。
乙女をだっこしたのは、タマちゃんと一緒の時以来であるから、先々週以来のこと。もう10日も前のこと。
絞めると熟女に変わった。
タマちゃんは、福島の川で、鮭が獲れたのかなあ。闇夜でないと、鮭は上らない、とのことであるが、今は満月に近いお月様。それでも、鮭は上っているのかなあ。
それからは沈黙の時間。
瀬尻を護岸の下の部分から釣っている人は釣れているなあ。コマドリの瀬肩の人は消える人もいるなあ。
やっと番茶も出花娘と女子高生のオスを追加して4匹に。
青木の瀬の真ん中の流れは午後から釣れるはず。
低リスクの上流側へ。凄いあたりであるが、トロのとき同様、ハリが乗らず。テク2もハリ掛リしないあたりが今日もあった、と。
湘南さんは、左岸側流れで、4匹の根掛かり放流。今日釣れたものを全部つぎ込んだとのこと。
ということは、瀬の芯についているものがまだいるということ。いつ、下りに入り、どこの食堂を利用するのかなあ。
次回こそ、両手に花を味わいたいなあ。
朝、山上のホテルまで散歩して、城山を横に眺めた。下から見上げる城山とは少し趣が違うなあ。
城山の岩肌に、10月20日頃、他の木よりも早く、真っ赤に色づく木が生えていた。その真っ赤な紅葉を見て、故松沢さんと、もうじき、木枯らし一番が吹いて、下りが始まるなあ、と話していた。
その木が、21世紀のある年、なくなった。
神島橋にもいった。まだ、夜明け前であるから、川の中まではわからないが、かってのザラ瀬変じて瀬になっていた。丼大王が橋に引っ掛けて穂先を折った瀬は、丼大王にとっては物足りない流れの強さであると思う。橋下のブロックで流れが狭められたところは、丼大王の好みに合う流れの強さではあるが、「ハイリスク ノーリターン」が理解でいる瀬。
オラにとっては、瀬尻から下流で、石が詰まっているのかどうか、気になるが。河原をみる限り、小石、砂利。
かっての大石が転がり、玉石が詰まった状況ではないのかも。
コマドリの瀬は、9月20日の台風による大雨のあと、流れが1本になっていたが、その後の1メートル近い増水の時に3本の流れに戻ったよう。
大橋下流の護岸から見釣りをしている人は、オラがトロから引き上げる1時過ぎに4匹とのこと。
昨日、オラの下流側で11匹目を釣ったテク2が、乙女ではないのに、ヘチへと誘導して抜いていた。理由は、もう、大アユはいないということで、くたびれて切れそうな鼻環仕掛けを取り替えずに使っているから、と。
見釣りの人も大鮎ではない、と。
10月に入ってからの何回かの増水で、中落ちしたアユが多く、下りの行動で大鮎がやってくることは青木の瀬では期待できないのかなあ。
松下の瀬は、中落ちしたアユの滞在した量が少ないのかなあ。神島橋はその量が多いのかなあ。
オラは、まだ、豊満美女、熟女をだっこできる機会があると、ダメモトで、あと1,2回は青木の瀬附近へ出かけるよ。あゆみちゃん、最後のお願いです。尺アユとはいわないけど、25才くらいの豊満美女をだっこさせてえ。
タマちゃんとのときは、気温は低くはなかったが、お日様が雲隠れしていたため、暖かくはなかった。
今回の2日は、お日様ニコニコ、気温が20度を超えていたようで暑いくらい。
それに、昨日はテク2に4倍の格差をつけられたが、今日は2倍の差に縮小。
これじゃあ お金がなくても、狩野川通いをやめるわけにはいきませんよね。
水温14度。
今時の水温は、12,3度になることが多いが。
今年の水温、気温の変化はメリハリがないのではないかなあ。木枯らし一番=西風が吹き荒れることなく、夏の気温、水温から、晩秋の気温、水温になったが、その後は、秋の深まりが遅いのでは。
そのため、中落ちはしたが、まだ下りの行動をしていない鮎が、大アユがいる状況であるのか、どうか。故松沢さんは、このような情況をどのように話されるのかなあ。
岩井先生は、水温と下りは関係ない、と書かれているが、場所の文法が適用される状況での評価が必要と考えている。長い歴史の中で、日本海側とサケの上る太平洋側、それと、房総半島以西の太平洋側では、「水温低下」の意味合いが異なると考えている。
もちろん、岩井先生が書かれているように、「水温低下」が性成熟を促し、下りの行動を誘発するのではない。
性成熟が進んで、下りの行動が行われる。そのとき、たまたま水温低下が生じている。その水温低下が生じる時期は、場所の文法に則っている、ということであろう。
さらに、性成熟は、前さんが、「積算日照時間」に関係している、と書かれているが、これは、実験環境において、日照時間を短縮したり、自然の動きに合わせたりした結果、「短日化」が、性成熟を促し、よって「海産アユは10月、11月」に全国一斉に産卵している、という学者先生の教義が「適切」であり、川漁師の故松沢さんや、弥太さんらの「西風が吹き荒れてから」下り等の産卵行動を起こすとの観察はまちがっちょる、と。
しかし、岩井先生は、「短日化」が性成熟を促すとの説に疑問を呈されているが。気がつかれているが。
丼大王の2011年終了 | |||||||||
片岡様お疲れさまです。 釣行数は22回、かなり多いいです。この数年は14〜15回がいいところです。 釣果の平均は12匹くらいです。メチャクチャに少ないです。たぶん平年の1/3くらいです。 少しでも遅くまで竿をだせば次の年の解禁日までの待ち時間が短くなるが諦めました。 山さんも11月28日リリースの仕事が詰まってきて大忙しです。自分は暇ですがネ、 そんな訳で今年の鮎釣りは終わりにしました。 2010年の8月、城山『石ころがし』で鮎釣をした。 城山、松沢おとり店の後を松下さん(松ちゃんの妹の旦那)がやっている。ここも松下さんだから松ちゃんだね。 おとり小屋(旧松沢)で一杯飲みながらこんな話がでました。 2011年度狩野川の河川改修予定に城山が入っていると、 城山下崩れ、城山の一本瀬は、水出のたびに左岸の土手が削られていくし、上にある道路も危険であるとのことで、 今の流れにテトラを入れて埋めてしまい、こまどりの下から城山トロに流れを真っ直ぐにする話である。 ここは昔の川の流れ跡があり、いまは草むらだが丸い良い石がビッシリ詰まっていて最高です。 石はよくても良い垢がつくかは別だけどね。 その時はおとり小屋から見て神島橋の上流の土手に新しいテトラが積んであった。 あれを使うと言ってたので現実味があった。良い話で期待が膨らむ。 狩野川大橋、こまどり、城山へと、完璧な一本瀬ができる。 そして、このまま直線的に石ころがし、神島へとつながり、砂がたまる事がなくなる。 川がどんなになるか楽しみだった。そうなれば2011年の鮎釣りは城山かな。 おとり屋さんの松(松下サン)ちゃんは、来年は今の仕事を辞めて専業のおとり屋になるか、なんて話をしていた。 しかし2010年の12月、2011年1月、2月工事の気配なし。3月11日の震災、これで河川改修費用は東北へ行っちゃったか? でも、この河川改修案は大歓迎である、来年の2012年以降に期待しよう。 城山の一本瀬の話で思い出した。 当時は親子丼はかなりあった。たぶんD社の金属糸の出始め頃かな、鮎も元気であったが、糸も弱かった。 金属との繋ぎは電車結びだったかな、多分編みつけじゃないと思う。 掛かった瞬間に、または竿をためている時に行ってしまう。 金属とナイロンの結び目、金属の中間からとか、しかしよく切れていった。 この数年は親子丼てのは考えられない。 魚とのやり取りで切れた事は、金属の0.06の時に石巻かれては今年1回あったかな。 後は記憶がないな。 流れてきたゴミや葉っぱを巻き込に切れるか、根掛りで深くて改修不能な場合は自ら切るしかない。 今の糸が強くなったのかも。ちなみに今年使用した糸は 金属の0.06,0.125,0.175 複合の0.06,0.125 PEの0.09 ナイロンの0.6 仕掛けが無くなったときにナイロンの0.6を使った。これは凄い、根掛りの時に引っ張るとハリスから切れることが多かった。オトリ鮎は結構回収できた。 普段からバカが少し長めのところに、ナイロンが伸びるもので、掛かり鮎を引き抜くのは難しかった。 ナイロンを使った釣りは久しぶりなのでまいった。 話は全然違うが、以前に話たかも知れないけど、俺が川で冷えてお腹が痛いなんて言ってたときに、松ちゃんは、鮎釣りしててお腹が痛くなったら鮎のフンをしぼり出し、それをなめた(のんだ)。 ちょっと熱ポイ時にもやった。なんて話をしてた。 今の餌(垢)を食べてる鮎じゃどうかな。 それではお休みなさい。 いまからズガニを見てきます。 |
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丼大王が、平年のウン分の1しか釣れない、ということは、全体としての遡上量は少ない、ということではないかなあ。 今年の狩野川は、一番上りは、3月中旬、下旬頃に相当量が上り、釣りの主役となったが、2番上り、3番上りの遡上量はあまり多くなかったのではないかなあ。 そして、その1番上り、2番上り、3番上りの遡上量に影響しているのは、海での生存率、動物プランクトンの発生量ではないかなあ。 去年は10月、11月にチビ鮎が多く釣れたが、今年は少ない。たまに小学生が釣れるくらい。 テク2が、去年はチビアユを目刺しのようにして、一夜干しにしていたが、今年はそれが全くできない。 2010年、親になった遡上鮎は、12月生まれが多く、11月生まれは少なかったと考えている。 しかし、2011年は、11月生まれが釣りの主役となった。仔魚量が11月の方が12月よりも少ないにもかかわらず、遡上したアユは、11月生まれの方が多いということは海の動物プランクトンの発生量でしか考えられないが。 12月生まれの仔魚が狩野川河口海域に到達したときに、動物プランクトンが減少していた、と。 稚鮎は、沿岸海域を移動しているから、11月生まれは、狩野川河口域からはなれていたため、動物プランクトンの減少の影響を受けなかった、ということではないかなあ。 城山下がどのような形に変わるのかなあ。 山から流れてくる土砂が、山の荒廃から増えているのではないかなあ。その土砂を河川勾配がそれほど大きくないコマドリの瀬から神島橋までの間で、滞留せずに流れるようになるのかなあ。 丼大王が、丼をたらふく食べたのは、21世紀になってからの城山下1本瀬の11月3日。 したがって、糸の強弱、接続方法の話ではない。 丼大王が、金属の0.175も使っていたとはちょっぴり意外。オラは大井川の9月、10月は、貧乏人は丼を食うべからず、の教えに従って、金属の0.2を使っていたが。 今年は、テク2もオラも、0.3か0.4号のフロロを多用している。 金属糸の接続に編み付けが出て来たのは、金属糸登場から数年がたっているはず。 鈴子さんが、接続方法にちり紙ぺったん、と、貼りつける方法を紹介していたなあ。 ウルカを何年も寝かせたものを、腹痛やその他の病気の薬として使用している話はあるが、糞を利用していたとは。効果のほどは別として、薬も今のように効能書きどおりの、多様な薬がなかったからなあ。 小学3年の時に肺炎、4年の時に満州熱、正式には発疹チフスかなんかで、満州からの引き揚げ者に多く発生していたからつけられた名前のようであるが、ペニシリンが利用できたから、死なずに、憎まれっ子世にはびこる、と、悪ガキどもに苛められている。 |
11月16日 狩野川
電車の中での丼大王の話。
東伊豆の小川に、番茶も出花娘がいた、毛針?で何十匹と釣っていた人もいた、と。
→ということは、東伊豆には、駿河湾の稚鮎と、相模湾の稚鮎が入っているということかなあ。
大きい鮎は、3月上旬か、中旬に遡上した11月生まれの駿河湾育ち、小さいアユは4月中旬以降に遡上した12月生まれの相模湾育ちということかなあ。
昭和の代の11月は寒かった。尻火鉢ならぬ尻焚き火で暖まっていて、タモの網を焼いてしまった、熱燗娘は必需品であった、と。
水温が12度くらいはあるから、水の中のほうが暖かかった。
霜が降りなくなった。
→このような情況はオラにも判る。故松沢さんも、河原にテントがあったあった頃、焚き火をして、冷えた釣り人を暖めていた。
なお、丼大王は、ウエーダーのなかった頃、胴長を使っていたとのこと。
土手の霜を踏むことなく歩いたのは、平成の代になってからすぐのことかなあ。
ハバノリ?(ハンバ?)が、小川の冷たい水が流れ込む附近に育っていたから採った。ハバノリは、水温15度以下で胞子を飛ばす。海水温が高いから、水温の低くなる場所で育っていた。ハバノリは、雑煮に欠かせない食材。味噌汁にも入れる。香りがよい。
→ブダイを釣るときの餌と同じ海苔かなあ。10歳くらいの時、寒い中、ジャンパなんてものはなく太い毛糸の手編みのセーターだけを着て、突堤からアイゴを釣っていた。そのときの餌は藻エビであったと思うが、アイゴもハバノリ?を食べるといわれてなかったかなあ。
こっちでは、アイゴを食べないが、瀬戸内ではアイゴを食べる。釣ったあと、トゲに刺さらないように、どのようにして、ハリから外していたのかなあ。足で踏みつけていたのかなあ。
葦に舟を結びつけていたら、イタチが入って、鮎を全部殺してしまった。イタチは、舟にはいることはできても、出ることはできなかった。
→酒の肴にならないイタチは無事放免されたとのこと。イタチの最後っぺはあったのかなあ。あ、スカンクの最後っぺだったかな。
山から追われた鹿が、葦の生えた河原に棲みついていた。鹿は、水に入り、葦の軟らかいところを食べていた。また、夜には田畑に出かけて干してある稲や大根を食べていた。
→狩猟が始まったが、今年は鹿はどこで生活をするのかなあ。去年は、大仁橋から鹿の姿が見え、また、河原の砂地のところには足跡があったが。葦の多くが流され、隠れることのできるのは、石コロガシの瀬附近の樹木の繁茂しているところかな。
ザガニが獲れなくても、ハバノリ?を見つけて、近所にお裾分けをするとは、タダでは海から引き上げない丼大王らしいですなあ。
オラも、あゆみちゃんが駄目なら、ウナギやザガニを担いで帰りたいが。
水温12度。やっと、西風が吹き荒れた後の普通の水温になった。気温も下がったようであるが、焚き火で暖を採るほどの寒さではない。寒いのは懐だけ。
最初から、狩野川大橋下流のトロに行きたくないが、養殖君が泳がなくなるとお手上げであるから、やむを得ん。
ドロ被りの石で、磨かれているところが増えているとはいえない。
蹴られ3回。どうするかなあ。囮を替えたとき、気分転換に7.5号3本錨に。霊験あらたか。
23才豊満美女。馬力は落ちているなあ。
腰上まで入り、瀬尻を釣るには発熱量低下著しい年頃では、風邪の餌食になる。膝上でも冷たいから、トロを去る。
青木の瀬の真ん中の流れの上流側へ。
ドロ被りの苔がついていた石がきれいに磨かれている。その石には苔がたっぷりとついている。昨日、一宿一飯の群れが磨いたのかなあ。その群れはまだ滞在しているのかなあ。
豊満美女は舟の中で豊満熟女に変身していた。それでは箱入り娘にすることもないし、根掛かりをしても助けにいけるはずでオトリにする。
番茶も出花娘のメス。
この二匹で午前は終了。
午後は、女子高生のメス二匹。
ああ、石をきれいに磨いた群れはどこに行ったのかなあ。このまま石は曇っていくのかなあ。それとも新しい群れが磨くのかなあ。その群れには豊満美女はいるのかなあ。
オスの多くは下ったのではないかなあ。メスの豊満美女とはもう会えないのかなあ。11月いっぱい、オトリがおいてあるとのことであるから、まだ数回来ることも可能であるが、ボデーがもちそうにないから、あと1回かなあ。
11月20日 大雨の影響
19日の大雨で、大仁の水位計で2メートル近い増水になった。
11月に孵化する産着卵の多くは流されたであろう。ということは、11月中旬に孵化したものしか、来年の11月生まれはいないことになる。
よって、来年は、今年と違い、「大鮎の狩野川」は、期待できないということになるのではないかなあ。
2011年の「大鮎の狩野川」をふたたび経験することはないのではないかなあ。いや、経験できたのは、テク2やタマちゃん、丼大王であって、オラではないが。
もちろん、継代人工や海産畜養ではなく、遡上鮎の話であるが。
5月末の大雨で、解禁日に合わせて放流されていた継代人工の多くは流され、あるいは死んだであろう。そのため、6月以降に放流された継代人工が大島や中津川で釣れることがあっても、その影響がなかった弁天から下流では、遡上鮎のチビが釣りの主体になった。
狩野川でも、継代人工については同様の現象が生じていたであろうが、11月生まれの遡上量が多かったことから、7月はじめに雲金で22.5センチが釣れたとのこと。
他方、12月生まれの遡上量は少なかったのではないかなあ。
想像できることは、11月生まれが動物プランクトンを食べることができたが、12月生まれは動物プランクトンを食べることができた稚鮎が少なかった、ということ。
2010年は、テク2が、一夜干しのチビ鮎の丸干しを楽しんだように、12月生まれの稚鮎の親は多く存在していた。
したがって、孵化した仔魚の量は、11月よりも、12月の方がはるかに大量であったと考えている。
12月生まれが、弁当を食べ切る前に、狩野川河口の海域にたどり着いたとき、動物プランクトンの繁殖が少なかった。
その頃には、11月生まれは他の沿岸海域に移動しているため、飢饉に遭うことはなかった、と考えている。
他方、相模川では、相模大堰での遡上量調査において、3月下旬の遡上は確認されておらず、初出は4月4日である。
そして、遡上量は、1千万ほどになったとはいえ、4月上旬は60万ほど。この中に11月生まれの稚鮎が何パーセントかはわからないが、含まれていたのではないかなあ。
とはいえ、20センチ台に育つ可能性をもった11月生まれの量は少なく、その結果、昭和橋上流のコロガシで、数回束釣りをした雄物川さんでも、22センチが最大、ということになったのではないかなあ。
19日の雨で、大井川でも神座の水位計で2メートル近い増水になっているから、駿河湾に流入する川の産着卵の状況は同じようになるのではないかなあ。
そうすると、駿河湾の2012年の遡上鮎は、12月生まれが主体になるのではないかなあ。
相模川はどうかなあ。ダム放流はなかったのではないかと思うが。厚木の水位計で30センチほどの増水。ダム放流がないとはいえ、11月に産卵する親の数が少ないと思うが。
10月に入ってからの数回の増水で中落ちをするアユがいたはず。
狩野川の中落ちした大鮎が住処としていた瀬の芯は、9月20日台風による4メートルほどの増水で、葦の茎によって釣り人から守られていた。
狩野川で、4メートルほどの増水になったのは、平成になって初めてかなあ。平成の始めに1回あったかなあ。
この4メートルほどの増水により、狩野川大橋のすぐ下流にあった大石が数個で形成していた泣き尺の住処は消滅した。テク2もタマちゃんも、9月15日の泣き尺が最後となり、その後は普通の25才くらいのあゆみちゃんが最大となった。
他方、神島橋には大鮎の住処があったが、丼大王は、「ハイリスク ノーリターン」を覚悟せざるを得ない状況になっていた。
青木の瀬では、左岸の流れが大鮎の住処になっていたかもしれないが、瀬の芯は、「ハイリスク ノーリターン」の場所であるから、確認はできなかった。
10月以降の増水による中落ちは、オラが泣き尺をだっこできる機会を消滅させたのではないかなあ。
もし、増水による中落ちがなければ、11月の下りのとき、オラでも囮を入れることができる場所でも、一宿一飯の宿を求めた下り鮎の食堂になっていたと思うが。
9月20日の台風による増水で、城山下の状況は変わらなかった。瀬、淵、平瀬、瀬、トロという変化が回復することなく、長い平瀬、トロのまま。所々に波立ちの瀬があるだけ。
鹿も河原の芦原に逃げこみ、隠れ、夜陰に紛れて田畑の稲や大根を食べに行ける場所は少なくなって困っているのでは。
とはいえ、葦を流したものの、石ころだらけの河原の復活にはならず。すぐに葦が繁茂するでしょう。
19日の2メートルほどの増水で、もうあきらめるしかなし。お百姓にいつまで未練たらしく女遊びをしているの、歳を考えたら、とお説教されても、下りの一宿一飯のあゆみちゃんが大量に遊んでくれる、との、淡い期待、妄想を抱いて出かけていたが。
今の水温ではアカが付くまでに1週間ほどかかるのではないかなあ。
ドロ被りのアカの付いた石が綺麗に磨かれた。その石がいつ曇るのか、曇らないのか、そこで滞在する下りアユがいるのか、いないのか、その変化を観察したかったのになあ。
11月23日 狩野川
11月23日になっても、女遊びをしに狩野川に行くのは1994年、平成6年以来のこと。
19日の雨で2メートルほどの増水であるから、アカ飛びと下りの二重苦は覚悟の上。今年は相模川でも最後の晩餐をしていないから、あゆみちゃんがいようがいまいが、別れの挨拶をしておかないと。
丼大王が電車に乗ってきた。
昭和の代では考えられない現象。山ちゃんらと11月23日は女道楽をする日であったはず。
丼大王は、9月20日の4メートルほどの増水と、10月の何回かの増水が厳しい、と。生殖腺が発達しかけているこの頃の増水で、避難先から戻らない鮎に、中落ちや下りのアユがいるため、釣り場から鮎が下流へと移っていくから。
とはいっても、城山下の瀬と淵と平瀬と瀬とトロが健在であった頃は、そこが避難場所であり、中落ちのアユの生活の場であり、増水による下り鮎がしばらく住みついてくれていたのではないかなあ。
現在は、中落ちの鮎はどこに生活の場を求めているのかなあ。産卵場の1つといわれている大門橋や千歳橋附近までの間には、あゆみちゃんが好む住環境の場所は少ない、小さいように思うが。
もっとも、9月20日の増水の後も、葦の要塞が瀬の芯を守っていなければ、大鮎が釣れていたとは思うが。
オラにとっては、10月の増水による中落ちの方がこたえた。折角、泣き尺等が下りのときにオラのオトリが入るようなところでもいるようになる、と思っていたのに、中落ちしてしまったようで。
丼大王の話
ハバノリは海水温が高いため、枯れてしまい、あんまり採れない。メジナの餌は、ハバノリとは別の海藻。そして、大根?の葉も餌になる。
ザガニは、東伊豆でも、仁淀川の弥太さんがやっているように、石臼で砕き、汁を濾してその汁を料理に使っていた。丼大王は、1斗缶でゆでていたこともあった。
最上川さんは、ザガニを採るときは、延縄のように長いロープに紐を吊し、そこにみかきニシンをむすびつけて、食いついた頃たぐり寄せていた。逃げるものもいたであろうが一晩で150ほど採れていたとのこと。
アイゴはションベン何とかというほど臭い(聞いたが忘れた)。潜っていても、アイゴがいると、臭い匂いが漂ってくるとのこと。
瀬戸内のアイゴはそんなに臭くないと思うが。阪神地方は、海の魚が臭い匂いがするかどうかは、鮮度の問題も含めて敏感であるから、強い匂いでは食材にはならないと思うが。
ベラをなんで瀬戸内では食べて、関東では食べないのかなあ。かっては、15センチほどのベラを食べていたが、昭和40年代以降、魚ん棚に並んでいるベラは10センチほど。身がないのではないかなあ。
生息域の両端の魚の味は悪い、その真ん中に棲んでいる魚はうまい、という話があったと思うが、そのようなことが影響しているのかなあ。
あ、そうそう、はじめて神田で食べた天ぷらがテンコチ。瀬戸内では食わず嫌いで食べていなかった。
孫が釣ってきたテンコチを捨てるわけにもいかず、母が鯖折りにして、ぬめりのある皮をはいで天ぷらにしたら、いける、と。白身魚で、肌のぬめりだけが問題であるのに、その対応をせずに、なんで食べなかったのかなあ。
イクラを作るときは、海の鮭の方が、イクラの皮が軟らかいので好ましい、と。先日、丼大王は、酒の肴をそろえるためにイクラ作りをした。湯でほぐして、酒を沸騰させてアルコールを飛ばしたもの、味醂、醤油だったかな、で、異なった味にした、と。
飲んべえらしいなあ。
丼大王の退職のときの記念写真は、花束を持っていない。お酒の瓶を持っている。どこまでも飲んべえですなあ。
山ちゃんに渡るはずのハバノリをもらった。
明日の味噌汁でどんな味、香りかを初体験します。
狩野川大橋を渡り、橋付近の本線から少し分離しているところへ。
アカ飛びでないところはほんのわずか。鮎も増水で下り、もっと少ないのではないかなあ。まあ、釣れるとはおもえんから、ぶつぶつといいながら、恍惚の人になり、何時に帰ろうかなあ、と思っていたら、女子高生のオス。半分はたいたようなオス。
湖産放流全盛時代の9月下旬から10月14日まで、酒匂川で釣れていた等級の高い、単価の高い、海産や継代人工ブレンドがされていない湖産ブランドのように、さびの強い、ざらざらの肌。酒匂川の湖産のさびアユの大きさは、小中学生であったが。
ボウズにならないですんでありがたや。そのうちに女子高生のメスも。これはそれほどさびが出ていない。
父子でやってきた人は、あっちこっちと動いているが。
お父さんはオラと同年配くらいかなあ。杖を持っている。杖といっても、スキーのストックであるから、オラのように立ち上がるときにも杖を使う、という使用はしていないのであろう。
父子の息子さんが、狩野川大橋下流の瀬尻に行っていたが長居はせずに移動していたから、釣れないのでしょう。
左岸から橋下流のトロにはいるのは初めてであるから、様子を見に行く。浅いのはヘチ寄りだけ。すぐに腰上になる。
水温12度。これじゃあ長居はできない。しかも、右岸側と違って石が小さい。まあ、時間つぶしにはいいか。
やっと、11時を過ぎた。朝帰りには好ましい時間ですなあ。
自動車道上の右岸チャラの様子が気になるが、そこを歩いていた人が左岸自動車道上流に行ったから、アカがないんでしょうなあ。
どこも同じ貧乏所帯では、朝帰りの方が楽です。
父子さんの車は消えている。
かって、長老達は、最後の日には御神酒を川にあげていたが、オラは胃袋に流して、今年のあゆみちゃんの追っ掛けを終えました。
昭和の代、オラと一緒にあゆみちゃんのナンパをしていた師匠、大師匠に続いて、Uさんも亡くなられた。
亡き師匠もUさんもオラよりは若い。「憎まれっ子世にはばかる」とは、公理かなあ。
旅立たれた3人は、湖産放流全盛時代の最後の頃、日本海側の滝谷川?に行って、楽しい釣りができたとのこと。ことに、夕バミのときは入れ掛かりを楽しめたとのこと。
Uさんと、那珂川の大口橋?から、鬼怒川の柳田大橋へと行ったことがある。鬼怒川の大会では1回戦は通過したが、それよりも餃子を食べに行ったことの方が記憶に残っている。Uさんは、仕事にかこつけてというか、仕事を出汁にして宇都宮の餃子のうまいところを知っていて、そこで水餃子やいろんな餃子を食べた。
その後、那珂川に行くために宇都宮に泊まったとき、駅近くの店で餃子を食べたが、そのときのような感動はなかった。
Uさんと、1995年の夏、狩野川城山下のアユのいない汚い石を見て、河津川へ。そのとき、かって、歩いて天城越えをしたトンネルがすでに使われなくなっていて、ループ橋になっていることを知った。
Uさんらは、湖産放流全盛時代が、冷水病の蔓延で終了してからは、そして、狩野川の遡上量が激減してからは、あゆみちゃんのナンパから遠ざかり、伊豆に行くといっても農作業のために。
最後に、旅立って行かれた3人と一緒に釣りに行ったのは、20世紀の終わり頃の大井川。そのときは釣れなかったなあ。
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