相模川 | 中津川 | 狩野川 | その他 | |
3~5月 | 相模大堰副魚道遡上量調査1 相模大堰遡上量調査2 |
3月1日 | ||
6月 | 1日 1日の補記 3日 6日 18日 大会見物 |
6月11日 6月30日 | ||
7月 | 3日 7日 7月27日 | 7月14日酒匂川 23日酒匂川 29日酒匂川 | ||
8月 | 11日 13日 15日 | 4日大井川 5日大井川 9日酒匂川 24日大井川 |
||
9月 | ダム放流後の相模川 | 10日 25日 9月28日見学 30日 |
||
10月 | 2日 5日 10日 14日 | 20日 24日 31日 | 7日酒匂川 12日酒匂川 | |
11月 | 12月1日 | 5日 12日 |
3月1日 中津川
寒いなあ。風も少し吹いているなあ。
とはいえ、あんよの練習もしないと、バランス感覚の低下、踏ん張る力の低下、いろんな低下が生じるしなあ。
嫌々の釣りであるから、バスに乗って、ベストを忘れたことに気がついた。しかし、ルアーの入った入れ物がザックに入っているから、入漁料を負担するだけで済むか。
角田大橋のところの車は数台。釣り人は少ないなあ。
田代には三人の人がいるが、竿を出している人はなし。その後2,3人がやってきたが、見るだけ。
放流をしているのかなあ。
放流はしている、二千匹放流したとの話もあったが。
水量は二トンとのこと。
もし、人工の放流ヤマメにも人影を見たら警戒するという習性があれば、木化け、石化け何て釣り方は無理で、釣れないのではないかなあ。
愛川橋では、釣れた人もいたとのこと。
とはいえ、愛川橋を見てやってきた人もいたが。
ウエーダに着替える気にもならず、土手を歩いて角田大橋へ。
数人が竿を出しているが、放流地点よりも下流側の人が一匹釣れたとのこと。
こんな状況では、来年のアユとヤマメの年券の別立て料金、値上げになればどうなるのかなあ。
かって、酒匂川の山北等にヤマメ釣りに行っていた人は、毎週放流をしていたが、そのうち、最初の放流だけになった、と。
やむを得ない天下の情勢かなあ。
この間沢は、その上流の共管区はどうなっているのかなあ。
2016年相模大堰副魚道遡上量調査 その1 単位:万匹
神奈川県内広域水道企業団社家取水管理事務所の遡上量調査資料から
2000 年 |
2001 年 |
2002 年 |
2003 年 |
2004 年 |
2005 年 |
2006 年 |
2007 年 |
2008 年 |
2009 年 |
2010 年 |
|
4月1日 から10日 |
23.2 | 204.9 | 568 | 18.4 | 830.9 | 5.6 | 0.5 | 27.4 | 188 | 20.3 | 19 |
4月11日 から20日 |
9.4 | 40.6 | 895.2 | 264.5 | 113.2 | 0 | 2.5 | 24 | 219 | 54 | 81 |
4月21日 から30日 |
36.6 | 125.3 | 387.1 | 232.3 | 499.2 | 42.2 | 23 | 275 | 229 | 40 | 70 |
4月計 | 69 | 371 | 1,850 | 515 | 1,443 | 48 | 26 | 326 | 636 | 114 | 169 |
5月1日 から10日 |
4.4 | 129 | 112.8 | 32.8 | 56.2 | 0.8 | 9.9 | 68.6 | 70 | 2 | 59 |
5月11日 から20日 |
5.5 | 40.7 | 48.5 | 41.2 | 136.7 | 0.6 | 6.1 | 13.8 | 32 | 7 | 3 |
5月21日 から28日 |
3.7 | 8.6 | 9.7 | 108.8 | 45 | 0 | 0.7 | 3.2 | 36 | 0.4 | 2 |
5月計 | 13.6 | 178.3 | 171 | 182.8 | 237.9 | 1.4 | 16.7 | 85.6 | 138 | 9 | 64 |
合計 | 101 | 550 | 2,199 | 706 | 1681 | 49 | 43 | 412 | 774 | 123 | 233 |
3月20日 ~3月31日 |
16 | 1 | 177 | 80 | 296 | 調査 対象 期間外 |
|||||
遡上初出日 | 23日 | 20日 | 25日 | 29日 | 25日 | 4月 4日 |
4月 3日 |
||||
初出日 最高水温 |
ー | 12度 | 11度 | 12度 | 12度 | 15度 | 13度 |
2011 年 |
2012 年 |
2013 年 |
2014年 | 2015 年 |
2016 年 |
2017 年 |
2018 年 |
2019 年 |
2020 年 |
2021 年 |
|||
4月1日 から10日 |
61 | 18 |
60 | 88 | 32 | 466 | |||||||
4月11日 から20日 |
271 |
56 |
29 | 170 | 464 | 414 | |||||||
4月21日 から30日 |
417 |
457 |
63 | 193 |
273 | ||||||||
4月計 | 749 |
531 | 152 | 451 |
769 | 880 | |||||||
5月1日 から10日 |
62 |
31 | 15 | 15 |
125 | ||||||||
5月11日 から20日 |
139 |
20 | 73 | 16 | 165 | ||||||||
5月21日 から28日 |
22 |
4 | 7 | 11 | 12 | ||||||||
5月計 | 223 |
64 | 95 |
80 | 302 | ||||||||
合計 | 972 |
595 | 247 | 531 |
1071 | ||||||||
3月20日 ~3月31日 |
遡上なし | 遡上 なし |
遡上なし | 4月1日に 7万の遡上があることら3月下旬に遡上の可能性あり |
三月終わりに遡上目撃 | 三月二〇日頃に遡上観察 | |||||||
遡上初出日 | 4月4日 | 4月3日5千 | 4月4日2万 | 4月1日 7万 |
4月1日31万 | 4月1日45万 | |||||||
初出日 最高水温 |
13度 | 12度 | 16度 | 13度 |
1 2015年は大量遡上であったが、一番上り、二番上りが遡上性向を持っている4月、5月上旬には、磯部の堰の魚道上部に堆積した砂礫層のため、魚道に水が流れておらず、遡上出来ず。
三番上りが遡上する5月下旬頃には、魚道に水が流れていたため、三番上りは遡上出来た。
2016年の磯部の堰は、これまでとは違って、左岸側に流れが寄っている。そのため、魚道上部の水深は深くなり、また水量が多い。
稚鮎の游泳力が流速に堪え得るのか、気になる。
なお、昭和橋下流に流れ込んでいる八瀬川の塩田桜橋には、4月21日も鮎の姿見えず。「冬の川」の石。
2 中津川は、遡上達成率は判らないが、2015年、最戸橋か八反田橋付近迄は遡上出来た。それよりも上流は、魚道の修繕をしないと遡上不可能。
したがって、角田や田代では、「トラックで運ばれてきた」数少ない鮎を相手にするしかなかった。
今年は、魚道の修繕をしたとの話もあるが…。
3 2004年、2008年の大量遡上の翌年は、遡上量が激減している。
今年は2年続けて大量遡上となっている。「全滅するには忍びない」という事で、少数に食糧を分配する縄張り制も順位制も存在しない稚鮎が、餓死しなかったのは、
2015年のダム放流量が多かった→栄養塩が大量に海に流れた→植物プランクトンの繁殖量が大量→動物プランクトンの繁殖量が大量→餓死する稚鮎が少ない→通常の生存率が維持 できた
という図式が存在するのかなあ。
なお、「鮎の本」に、海水温が高いと捕食者が多くなり、遡上量が少ない、との記述があるが、適切な観察とはいえないと確信している。
丼大王が、伊豆の海で春先に酒のつまみとして海の恵みを満喫している海藻が、海水温が高いため、さっぱり育っていない、と。
とはいえ、何で、2年連続で大量遡上になったのかなあ。
4 2016年の4月11から20日の遡上量調査は、4月19日までの数字である。
また、4月17日は、強風で、調査を行っていない。
22日に遡上量調査資料をもらいに行ったとき、相模大堰左岸副魚道に遡上鮎は見えなかった。
遡上調査を時折行い、統計学の推計手法で推計値を算出する方法は、遡上量調査においては、日にち、時間による変動が大きいため、適切ではないかも。
神奈川県広域水道企業団の社家取水管理事務所の調査は、1時間ごとに、計測し、計測していない時間を考慮して倍数にしている。
それでも、統計処理をする抽出調査よりは、実態に近いと思う。
4 こあゆちゃあん、さっちゃあん、磯部の堰の魚道を見につれていってえ。もう、来年があるさ、といえんジジーに孝行を。
2016年相模大堰副魚道遡上量調査 その2 単位:万匹
神奈川県内広域水道企業団社家取水管理事務所の遡上量調査資料から
2000 年 |
2001 年 |
2002 年 |
2003 年 |
2004 年 |
2005 年 |
2006 年 |
2007 年 |
2008 年 |
2009 年 |
2010 年 |
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4月1日 から10日 |
23.2 | 204.9 | 568 | 18.4 | 830.9 | 5.6 | 0.5 | 27.4 | 188 | 20.3 | 19 |
4月11日 から20日 |
9.4 | 40.6 | 895.2 | 264.5 | 113.2 | 0 | 2.5 | 24 | 219 | 54 | 81 |
4月21日 から30日 |
36.6 | 125.3 | 387.1 | 232.3 | 499.2 | 42.2 | 23 | 275 | 229 | 40 | 70 |
4月計 | 69 | 371 | 1,850 | 515 | 1,443 | 48 | 26 | 326 | 636 | 114 | 169 |
5月1日 から10日 |
4.4 | 129 | 112.8 | 32.8 | 56.2 | 0.8 | 9.9 | 68.6 | 70 | 2 | 59 |
5月11日 から20日 |
5.5 | 40.7 | 48.5 | 41.2 | 136.7 | 0.6 | 6.1 | 13.8 | 32 | 7 | 3 |
5月21日 から28日 |
3.7 | 8.6 | 9.7 | 108.8 | 45 | 0 | 0.7 | 3.2 | 36 | 0.4 | 2 |
5月計 | 13.6 | 178.3 | 171 | 182.8 | 237.9 | 1.4 | 16.7 | 85.6 | 138 | 9 | 64 |
合計 | 101 | 550 | 2,199 | 706 | 1681 | 49 | 43 | 412 | 774 | 123 | 233 |
3月20日 ~3月31日 |
16 | 1 | 177 | 80 | 296 | 調査 対象 期間外 |
|||||
遡上初出日 | 23日 | 20日 | 25日 | 29日 | 25日 | 4月 4日 |
4月 3日 |
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初出日 最高水温 |
ー | 12度 | 11度 | 12度 | 12度 | 15度 | 13度 |
2011 年 |
2012 年 |
2013 年 |
2014年 | 2015 年 |
2016 年 |
2017 年 |
2018 年 |
2019 年 |
2020 年 |
2021 年 |
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4月1日 から10日 |
61 | 18 |
60 | 88 | 32 | 466 | |||||||
4月11日 から20日 |
271 |
56 |
29 | 170 | 464 | 475 | |||||||
4月21日 から30日 |
417 |
457 |
63 | 193 |
273 | 213 | |||||||
4月計 | 749 |
531 | 152 | 451 |
769 | 1,154 | |||||||
5月1日 から10日 |
62 |
31 | 15 | 15 |
125 | 235 | |||||||
5月11日 から20日 |
139 |
20 | 73 | 16 | 165 | 84 | |||||||
5月21日 から28日 |
22 |
4 | 7 | 11 | 12 | ||||||||
5月計 | 223 |
64 | 95 |
80 | 302 | 319 | |||||||
合計 | 972 |
595 | 247 | 531 |
1071 | 1,473 | |||||||
3月20日 ~3月31日 |
遡上なし | 遡上 なし |
遡上なし | 4月1日に 7万の遡上があることら3月下旬に遡上の可能性あり |
三月終わりに遡上目撃 | 三月二〇日頃に遡上観察 | |||||||
遡上初出日 | 4月4日 | 4月3日5千 | 4月4日2万 | 4月1日 7万 |
4月1日31万 | 4月1日45万 | |||||||
初出日 最高水温 |
13度 | 12度 | 16度 | 13度 |
5月11から20日までの遡上量は、5月11日から16日までの遡上量。
5月2日から5月4日までは、内水面祭りのため、遡上量調査は行われていない。
1 相模大堰を遡上した稚鮎が、磯部の堰を、中津川では去年の同様、才戸橋付近まで遡上出来るか、それが問題だ。
2 磯部の堰の魚道は遡上出来なかったと考えている。
理由
磯部の堰魚道上部は、これまでとは違い、流れが左岸側によっている。そのため、魚道上部の水深が深くなり、又流量が増えている。そのため、魚道の流速が稚鮎の游泳力よりも大きくなったと考えている。
したがって、亀井さんが、琵琶湖の小川で観察された状況が発生している。
3 才戸橋上流にある堰の魚道は、上部の段差が50㎝ほどあるから、稚鮎が跳躍できない段差と思う。そのため、才戸橋上流には遡上鮎はいなかった。
5月に才戸橋から、去年の12月1日にコロガシが、シャクリが、小さい錘を使用して行われていた長坂の橋まで見たが、鮎の姿は見えず。
ただ、この区間は、草が生い茂っているため、水に沿って、降ることが出来ないため、所々でしか流れの中を見ることが出来ないが。
長坂の下流は「自由区」.したがって、その下流のどこに溯上阻害要因が発生しているか、判らない。
磯部の堰上流、昭和橋上流の相模川で、遡上鮎がいるときに観察される現象が存在していない。
1 ヘラ釣り場の稚鮎
(1) 弁天のヘラ釣り場 遡上鮎が多い時は、稚鮎が入ってくる。水面に対して平行に跳ねていること、ヘラ釣りの人がジャミが多い、と、嘆くことで稚鮎の存在が判る。今年はその現象がない。
(2) 右岸六倉のヘラ釣り場 ヘラ釣り場に接して、上流側に湧き水の池がある。「トラックで運ばれて来た鮎」は、氏素性を問わず、下りの行動をしないで産卵する。石切場のトロで動物プランクトンを食べて稚鮎になる。1月を過ぎて水温が生存限界に近づくと、「ぬくい水」を感知して、ヘラ釣り場、湧き水の池に入ってくる。3月には稚鮎の多くがヘラ釣り場も生活空間とするため、「ジャミ」として嫌われる。
(1) したがって、六倉のヘラ釣り場で稚鮎がわんさかいても、遡上鮎がいることの証明にはならないことの方が多い。
(1) 今年は、高田橋橋脚のところの溜まりに薄氷が張らなかったと思う。水温が生存限界以上に高いところが多く、弁天分流への流れ込みのすぐ上流でも3,4㎝の稚鮎が見えていたから、「トラックで運ばれてきた」鮎の子どもの生存率は高かったのではないかなあ。
2 先日、又もや、昭和橋の人道橋から川を眺めた。
そこの流れは右岸側から、1:平瀬状 2:チャラ状 3:ザラ瀬状、瀬に近い流れ と、三本の流れになっている。
1の流れには100匹ほどの鮎が見るのでは。
2の流れには1,2匹。
3の流れには鮎は見えず。
ということで、右岸側に放流された鮎が、1の流れで見えていたのではないかなあ。
ただ、左岸側でも放流しているはずであるが、その放流鮎はどこに行ったのかなあ。放流ものの好む流れではないということかなあ。そうすると、遡上鮎が好む流れということになるが。
なお、Oさんは、4月25日、昭和橋で、大量の鵜、鷺が、おぞましいほどの量で、食事をしていたとのこと。その前日が放流日ではなかったのかなあ。
相模大堰副魚道遡上量調査その1のコメント
1 2015年は大量遡上であったが、一番上り、二番上りが遡上性向を持っている4月、5月上旬には、磯部の堰の魚道上部に堆積した砂礫層のため、魚道に水が流れておらず、遡上出来ず。
三番上りが遡上する5月下旬頃には、魚道に水が流れていたため、三番上りは遡上出来た。
2016年の磯部の堰は、これまでとは違って、左岸側に流れが寄っている。そのため、魚道上部の水深は深くなり、また水量が多い。
稚鮎の游泳力が流速に堪え得るのか、気になる。
なお、昭和橋下流に流れ込んでいる八瀬川の塩田桜橋には、4月21日も鮎の姿見えず。「冬の川」の石。
2 中津川は、遡上達成率は判らないが、2015年、最戸橋か八反田橋付近迄は遡上出来た。それよりも上流は、魚道の修繕をしないと遡上不可能。
したがって、角田や田代では、「トラックで運ばれてきた」数少ない鮎を相手にするしかなかった。
今年は、魚道の修繕をしたとの話もあるが…。
3 2004年、2008年の大量遡上の翌年は、遡上量が激減している。
今年は2年続けて大量遡上となっている。「全滅するには忍びない」という事で、少数に食糧を分配する縄張り制も順位制も存在しない稚鮎が、餓死しなかったのは、
2015年のダム放流量が多かった→栄養塩が大量に海に流れた→植物プランクトンの繁殖量が大量→動物プランクトンの繁殖量が大量→餓死する稚鮎が少ない→通常の生存率が維持 できた
という図式が存在するのかなあ。
なお、「鮎の本」に、海水温が高いと捕食者が多くなり、遡上量が少ない、との記述があるが、適切な観察とはいえないと確信している。
丼大王が、伊豆の海で春先に酒のつまみとして海の恵みを満喫している海藻が、海水温が高いため、さっぱり育っていない、と。
とはいえ、何で、2年連続で大量遡上になったのかなあ。
4 2016年の4月11から20日の遡上量調査は、4月19日までの数字である。
また、4月17日は、強風で、調査を行っていない。
22日に遡上量調査資料をもらいに行ったとき、相模大堰左岸副魚道に遡上鮎は見えなかった。
遡上調査を時折行い、統計学の推計手法で推計値を算出する方法は、遡上量調査においては、日にち、時間による変動が大きいため、適切ではないかも。
神奈川県広域水道企業団の社家取水管理事務所の調査は、1時間ごとに、計測し、計測していない時間を考慮して倍数にしている。
それでも、統計処理をする抽出調査よりは、実態に近いと思う。
4 こあゆちゃあん、さっちゃあん、磯部の堰の魚道を見につれていってえ。もう、来年があるさ、といえんジジーに孝行を。
6月1日 相模川
相模川にも、中津川にも友釣り区間には遡上鮎がいない、と確信しているから、丼大王の「夏燃えぬ」病が感染している。
相模大堰副魚道での遡上量調査では、1千万以上の海アユが遡上している。
しかし、磯部の堰の魚道上部では、流れがこれまでとは違って、左岸側に寄っている。そのため、魚道上部の水深が深くなり、流量が増えている。
したがって、魚道の流速が大きくなり、稚鮎の游泳力を上回っていると推測している。
これに対して、遡上量が多い、小沢の堰の魚道を大量に上っている、その他、磯部の堰が溯上阻害を起こしていないとの話が多い。
さて、どうなることやら。
試し釣りでは、二時間半、4人で、高田橋等の相模川が80-8=72匹、中津川は田代だけなのか、その他の場所でも調査をしたのか、定かではないが、63-8=55匹で、相模川の方が多く釣れている。
そうすると、磯部の堰を遡上出来て、中津川は、去年遡上出来ていた才戸橋よりも下流の魚道で遡上障害が生じている、との説明が適切であるかのように見えるが。
高田橋の7時前の釣り人は、橋付近が20人ほど、堰と橋の中間付近よりも上流に10人ほど。
9時には、テレビ撮影が終わったからか、釣れないからか、橋付近が10名、上流が5名ほどに減っている。
弁天では、瀬肩より上流のトロに10名ほど、瀬には、とはいっても瀬尻上流に5人ほどであったが‥‥。
人が減った高田橋の、橋と堰の中間付近に入る。囮君は元気溌剌、時折、急に走るが、ばちゃんばちゃんと跳ねる鯉君と遭遇したからかなあ。
斜め上流の対面の人が、2匹取り込み、1匹バラしていたが、釣れている人はその人だけしか見えない。
やっと、12時のチャイム。1時間以上働いたから十分です。流れが弱いとはいえ、根掛かりを外しに行けたし、鼻環をつけることが出来たから、まあ十分でしょう。高田橋の鮎を1匹増やして、ビール。
若い人が事故で亡くなられているのに、川でビールを飲めることは幸いとしましょう。
昭和15年、興津川でボウズであった佐藤惣之助さんも、ボウズを嘆いてはいない。オラに「備わった」鮎がいないことにしましょう。
なお、午前中に、橋付近で16匹?を釣った御仁がいらっしゃるとのこと。ボウズの人が多いとは思うが。
Tちゃんは、相模川を見限って、桂川の年券を買うとのこと。
桂川へは、県央道を使うと1時間足らずで到着するとのこと。
まあ、オラは、酒匂川の遡上鮎がいると思われる小田急鉄橋下流の足柄大橋付近か、栢山の堰下流の砂利が一杯あるところで我慢しましょう。
旧大山街道をやっとこさ上ることができてありがたい。
大島の階段状の遊歩道を上っていたとき、運の悪いことに小学生も上っていた。あんよは階段を上がりがたい状態に、心臓はぱくぱく、しかし小学生にしゃがみ込んだ姿を見せることは、ジジーの沽券に関わる。
やっと展望台に着いた。いかにも鵜止まりの淵上流の瀬を見るふりをして、手すりにもたれていた。小学生は元気溌剌、歌まで歌い出す。それほど、あんよが弱っているから、旧大山街道の坂道を上ることができたことはありがたいなあ。
荷物を置いて、弁天を見に行く。
瀬肩上流のトロの人は消えていた。瀬肩付近から瀬に並んでいる。
瀬の真ん中付近にテク3がボウズ、といって、いすに座って休んでいる。
去年、3番上りが差してきたのは、ヘチから竿1本分ほど沖のところ。しかし、今年は、その囮を入れていた位置を立ち位置にして、テク2,マムシキラー、Nさん、1人おいて上流に幸せ男が並んでいる。
それぞれ、つ抜けしているとのこと。
そして、4人とも、同じ流れの筋に囮を入れているとのこと。
つ抜けどころか、20匹を超える勢いで釣り上げている。テク2は七号のハリを使っているのに、空中バレガ多い。下流側の人との間隔が狭いため下っての取り込み操作が出来ないから、とのこと。
右岸側の人は釣れず。テク3は、去年の溝がなくなったのでは、と。いや、右岸側だけでなく、左岸側の人もたまに取り込む人がいても、4人のペースとは段違い。
さて、磯部の堰を遡上したアユでないことは間違いないとして、どこに放流された海産畜養等の海アユかなあ。石切場かなあ。昭和橋かなあ。
6月1日の続き
弁天の瀬の流れが強いところのテク2からNさんまでは、海アユの女子高生の大きさ。瀬肩に少し近い幸せ男が使っている囮を見たが、中学生の大きさ。全部がその大きさとは考えられないが、強い流れのところ、そして、特定の筋だけが海アユの着いているところのよう。
ただ、その量は限られているとテク2らは判断して、2日には葉山に行くとのこと。
さて、中津川はどうなっているか、気になりますねえ。
H・P「野口おとり店」では、よく釣れていますねえ。氏素性は不明ながら、「勝ち組」の人々が釣り上げたあゆみちゃんの写真が誇らしげに載っている。
なお、才戸橋上流側の魚道の上端の段差が50㎝ほどもあることにびっくりした。かって、仙台堰付近まで遡上したこともあったから、初めからその高い段差ではなかった、と思っていたら、魚道が崩れたから、とのこと。宮ヶ瀬ダムが出来てから、大石がごろん、ごろんと不気味な音を立てて転がる増水もなくなった。100トンのダム放流量に抑えられているとの話であるのに、何で、魚道が崩れたのかなあ。
そして、今年はそれよりも下流の魚道が崩れたため、才戸橋までも遡上出来なくなったとのこと。
囮を買いに来た人が、大量遡上というが、石が磨かれていない、汚い、遡上鮎はいないと。
そうなんです。石が磨かれていないことは、大島の農道橋、高田橋からよく見える。テク3は、弁天左岸側ののヘチ寄りの石は去年とは違い、磨かれていない、と。
1995年、狩野川の遡上量がゼロの水準であったとき、ドラえもんおじさんが、「冬の川」の石と記者に話されていた。
磨かれていない石があること、総ナメでないことは、アユの量が少ないことの証明です。もちろん、増水で砂利が石を磨くことがあるから、きれいな石になっているから、鮎が多い、ともいえない現象もあるが。
中津川が、海アユを含めて放流が成功している、相当量の放流が行われているとなれば、見に行くしかない。
竿をかつがずに様子を見に行くとはなあ。まあ「後期」高齢者であり、又、「夏燃えぬ」病に感染しているから、やむを得ないか。
田代の車止め、国道沿い、その下流の瀬に人はいるが、どの程度釣れているのかなあ。
新旧平山橋のあいだの人は移動を始めていた。角田大橋上流の人は釣れているのかなあ。
お祭りが過ぎて釣り人が少ないのは当然のことか。
当然、囮屋さんでビールを飲みながらおばちゃんとお話し。
試し釣りの結果がよかったところは混んだが、仙台堰下流から壊れ橋までは空いていたとのこと。そこにはいったKさんは、型のよい海産畜養?を主として大漁であったとのこと。それは八菅橋に放流された海産畜養等の海アユではないか、とのこと。
今年の漁連義務放流量120万の構成は、相模湾の稚鮎が多かったことから、沖捕り海産が豊漁で、海アユの比率が高いのではないかなあ。
昨日、角田大橋下流であゆみちゃんが歓待してくれているのに、お仕事で、泣く泣く午前様となったよねさんがやって来た。酒匂川に頼らなくても、中津川で間に合いそうな雰囲気。
葉山を見に行く。
かっての瀬は貧弱になり、とてもテク2やテク3のお眼鏡に適う河相ではないなあ、と見ていた。
平瀬で跳ねる鮎も見えたが、その氏素性は判らない。藤木の瀬のところのブロックをならべた堰状のところは、左岸側=河原側も水が一杯流れている。かっては緩やかな流れがあったが。これでは、流速が稚鮎の游泳力を上回るから、大島への溯上が出来ないのではないかなあ。
大島の右岸側に住んでいるオラと同年配らしい人が、子どもの頃、いかに多くの鮎が捕れたか、話してくれた。又、九頭竜川で、外道の桜鱒を取り込んだとき、地元の人でもその大きさにびっくりしていたとのこと。
弁天の瀬で釣り返しが効かない、と葉山にやってくるつもりであったテク2らは宗旨替えをしたのでは。と、思いながら滝井さんらも歩いたであろう「県道」を歩いていると、テク3が葉山をあきらめて弁天へ。当然便乗する。
テク3は、昭和橋の真ん中の流れで4匹釣り、葉山にやってきたが、貧弱な瀬にあきらめて弁天に向かうとのこと。
オラには弁天の瀬の釣れる筋に囮を入れることは、立ち込むことが生命の危険と隣り合わせのため、不可能。
ということで、中津川に主力をおくか、酒匂川の年券を買うか、悩ましいなあ。
大井川は、鵜300羽?程が塩郷堰堤下流で、又、あっちこっちであゆみちゃんを食べているとのこと。1日の解禁日は釣れなかったとのことであるが、鵜に見捨てられている相模川は石切場より上流、あるいは磯部の堰より上流よりは、鮎が多いといえるかも。
平口囮屋さんも元気。あとはアッシー君を釣り上げて、様子を見に行かないことには。
飲酒、喫煙可で、余命幾ばくもないジジーにごほうしゃ、どうしても肺がんが怖い方には、喫煙だけは我慢しますよ。
6月3日 相模川
昼前に行ったが、風強し。舟の水を流して帰る人有り、バックミラーに竿を立てかけて煽られる人有り。竿は、河原にたたきつけられていたが、折れてはいなかった。しかし、ひびが入っているのではないかなあ。
ということで、相模川の鮎を1匹増やして終わり。
くらあい くらあい お話しだけでは、アベノミックスに逆らうことになりますよねえ。年券代も日釣り券代もアベノミクスに協力をしてか、値上げしているご時世ですから、少しは景気のよいお話しを。
何年前かなあ、狩野川で中学生の釣り人に会ったのは。その中学生が成長したような20代前半ではないかと思う若者がやってきた。いつも「後期」おっさんでも若いという中で、「本物の」若者に出会えた。
次は、桂川
解禁日に桂川に行った人は、大入り満員のため、上流へ、上流へと遡上していき、猿橋でやっと空き部屋にありつけた。
それでもウン10匹。数字を聞いたが忘れた。
そして、2日、Tちゃんと相棒が、平日であるから大丈夫と。ただ、混雑も想定して、初めから猿橋上流へ。
10時半から、Tちゃんが30匹台、相棒が60匹台とのこと。
桂川には、値上げの、そして磯部の堰上流には遡上鮎のいない相模川だけでなく、静岡県からも武田信玄を成敗、と押しかけてくるのかなあ。
6月6日 相模川
弁天は、解禁日、Nさんでも20くらいと思っていたが、40.そして、先日右岸側に入ったが、アオノロ、しかし、1人だけ釣れていたとのこと。
20才くらいの「本物」の若者は、弁天の瀬に入り釣れなかった、18匹、と。なんちゅう贅沢じゃあ.昨日は、大島に向かったが、どうなったかなあ。
立ち込む弁天の瀬は嫌じゃ。遠すぎる。ということで高田橋。もう、10時になるのに、10人もいないなあ。
小学生・これでボウズから脱出できた。次も小学生・これで、迷人見習いの狩野川解禁日と同数。又小学生・これで迷人見習いを追い越した。
そのうち、下顎側線孔数4対左右対称は2匹。
そして、全部腹掛かり。
次は高校生であるが人工。高校生は幼児を。この幼児の氏素性は何かなあ。連休中の内水面祭りのときの体験放流では、5センチ以下の稚魚はいなかったと思うが。沖捕り海産の直放流かなあ。
もう、2時間も働いたから、ビールを飲んで帰ってもよいが、Sさんがやってきた。
Sさんは、中津川の田代で40,桂川で60,と、貧乏生活をしていない。少しは釣れないSさんを見ておこうと、囮をつける。やってきました、毎度おなじみの吸盤ボウイ。おまんなあ、Sさんのように裕福な人の邪魔するのが、正義というもんじゃ。
ということで、竿を畳む。
なお、Tちゃんと桂川に行った相棒は、Sさんかなあ。
コロガシ
雄物川さんは、中津川の下流域に行っているが、芳しくない、と。田水に水を取られて、チャラ。人工は大きいが。
ご近所さんは、昭和橋下流に入るが、釣れない、小さい、と出掛けなくなった。厚木の三川合流地点等では、豊漁という話があるが。縄張りに入りたくないからかなあ。
6月11日 中津川
よねさん達、一部ではないかと思っている裕福な方のいらっしゃる中津川へ。
解禁日には、八菅か、消防グランドに放流された海アユが壊れ橋から仙台堰の間で、楽しめた御仁がいらっしゃる。
オラなら、「配分正義」から、いっぱい釣り残しますがねえ。まあ、そんな期待は無理な御仁ですから、ボウズ怖くない、と、仙台堰下流、壊れ橋上流へ。
蘆が我が物顔に繁茂し、水辺に出る道が二本しかないよう。仙台堰下流には数人入っているが、法面を下りること能わず、ということで、下流に来たが、これ程、水辺に出ることが制限されている状況になっているとは想定外。
かっては瀬ではなかったかと思う附近から釣り始める。そして、下流へ。
左岸に大きい石と溝があり、そこに囮を入れると、あゆみちゃんと逢い引きが出来ていた溝が21世紀にも存在していたのかなあ。
まあ、遡上鮎がいないから、ボウズも恥ずかしくない。
そして、漁連の義務放流量は、数年前の230万から120万に減少している。唯一の希望は、相模湾の沖捕り海産が豊漁で、海アユの放流比率が高いこと。
小学生が1匹釣れた。下顎側線孔数は、4対左右対称ではない。この人工は、この附近に放流された「貴重」な、放流ものかなあ。
壊れ橋付近の二台?、オラが釣っていた付近に入っていた三台?、仙台堰下流の数台の車が、昼になっても移動していないから、釣れているのかなあ。
まあ、川で転ばなかった、竿を折らなかっただけでも幸いとしましょう。
なお、丼大王が、東伊豆の小川の遡上鮎に、爪楊枝のような、コケを食べる櫛歯状の歯に生え替わっていないと思われる稚鮎が、いる、と。
6月18日 相模川
昨日は、天気晴朗なれど、8時頃でも、高田橋にはちんちん釣りが1人だけ。
流石に、今日は、大会下見の人で、2,30人は入っている。
混んでいることでもあるから、先にビールにしましょう。対面の人がたまに釣れているなあ。その下流側の人が、昼であがってきて、友缶に鮎を移し替えるとき、数えると、10匹釣れていた。
何の変哲もない場所であるから、縄張り鮎ではないのでは。
いや、縄張り鮎はいないのでは。縄張りを作らねばならないほどの鮎はおらず。みんな仲良く食糧を食べても余りに余り、平和そのもの。もっとも、「アユの本」の高橋さんは、トロっぽいところをぷかぷか流れて1平方メートルにX匹のアユがいるから、「過密」と御託宣するかも。
先日行われた大会では、30匹の人もいたとの話。
この数字だけを見れば、大量のアユが磯部の堰を上った、と、一部の人の観察が適切、となる。
しかし、どこで釣れたのか、どういう氏素性のアユが構成員か、を考慮すべし。
大会当日、高田橋では、橋に近いところが繁盛していた。暫くすると、ばらけて、堰下流からほぼ均等に散在していた。
弁天の瀬では、左右とも竿1本分で並んでいた。それが、右岸側は隙間だらけに。そして、瀬尻が繁盛していた。
その瀬尻、あるいは、左岸ブロック附近の深場で、30匹が出たのではないかなあ。
もしそうであるとすると、石切場に放流された人工が、弁天瀬尻までを生活空間として、移動、回遊していた、そして、さらばであったことが、大漁になった、と考えているが……。
弁天の瀬の左岸側で釣れている鮎は、人工ではなく、石切場、あるいは昭和橋に放流された海アユが上って来た、と考えているが。
昭和橋には、1,2週間前に成魚放流が行われたよう。
ご近所さんがコロガシで、今年初めて高校生を釣ってきた。それで、追加放流は、人工だけと思っていたが、雄物川さんは、雨で少し増水したとき、昭和橋下流の戦車道と呼ばれているコンクリートが打たれているところで、巾1メートルにも満たない範囲で、差し鮎をいっぱい釣った、馬力があった、と。
そうすると、海産畜養も追加放流されたのかなあ。
桂川へ、桂川へ、と釣り人はなびく。
湖産が、桂川の池で温浴療法?か、何かをされていて、冷水病原菌のキャリアではあるが、発症しないように手段を講じられているかも。
とはいえ、桂川の評判は高まるばかり。相模川の年券は買わずに、桂川の年券を買う御仁も。
その桂川の湖産について、容姿は美しい、しかし、馬力がないから、桂川には行かない、という人が。
氷魚からの畜養で、更に桂川の養魚池で育てられていれば、馬力はないでしょうなあ。
昭和のあゆみちゃんをだっこしていたその御仁から見ると、桂川の湖産も、「トラックで運ばれてきた」魅力に欠ける面もあるアユということかなあ。
酒匂川の状況があんまりよく分からない。遡上鮎が栢山の堰を上ったものもいる、ということは間違いないのでは。そして、小田急鉄橋下流の堰は上れない、ということも。
足柄大橋に入った人が、そこで釣れた鮎は砂をはんでいない、と。そして、その人は大漁であったが、他の人はあんまり釣れていなかった、と。
そうすると、足柄大橋のところの瀬も石が詰まったところは狭いのかなあ。
まあ、そろそろ、酒匂川に行きますか。
今日は、相模川の鮎を1匹増やした、つまりボウズですからなあ。1時間一寸は働いたのになあ。
悲劇の主人公はオラだけではない。
先日、中津川の深沢尻を目指した人は、梯子を下りる心配をしていたが、現地に行ってみると、河原は草ボウボウ。とても草の間を歩く気にはならず、田代へ。
田代に行けども、芳しくなかった、と。
中津川の追加放流も数量等が、限定的ということかなあ。
那珂川が、大量遡上で、黒磯にも遡上しているとの話があった。
20世紀末、諏合さんが亡くなられた年の翌年?、洪水で、諏合さんが、掛かったときに、ホッホッと掛け声を発して、振り子抜きをしてタモを使わずに取り込んでいた湯殿大橋の瀬は消滅して砂利になり、黒羽で護岸工事が行われた。
21世紀に釣れた鮎は、人工。御前山等の堰の魚道に不具合が生じていたのではないかなあ。
遡上アユがいるようであるが、電車通勤をする気力も体力もなし。アッシー君を釣り上げよう、っと。
大会見物
6月25日
大会の1回戦は9匹釣れないと落選。いかにも遡上アユがいるかの如き状況。5月に、小沢の堰の下にいっぱい溜まっていたことを、観察した人も。
小沢の堰下で、板を立てて、逆梁のような状況にして、その板を飛び越えた稚鮎をタモで受けて大漁であったという話も。
もし、磯部の堰の魚道を遡上アユが上っているのであれば、高田橋の下流側に見えるトロチャラの石もきれいに磨かれているのでは。そこには、まだコケを食むことの出来る櫛歯状の歯に生え替わっていないと思われる稚鮎が見える。その稚鮎を狙っている鯉も。
高田橋に放流された鮎は、ゴールデンウイークの時に行われた内水面祭りでの体験放流で使われた県産種苗の5センチくらいの人工。
試し釣りの時に放流されたのは、どのような鮎かなあ。中津川漁協のH・Pに記載されている放流状況には、例年放流されている他県の継代人工の記載がないから、相模川でも中津川と同じ氏素性の鮎が放流されていたとすれば、県産種苗か、沖捕り海産の直放流か、海産畜養ということになるが。
県産種苗のF2?とはいっても、親は海産の養殖同士ではない。海産の養殖とF11?を掛け合わせたもののF2?。
したがって、かっての30ウン代で廃嫡となった県産継代人工とは異なる鱗、容姿かも。
今年初めてまちゃんに会った。まちゃんも、磯部の堰の魚道を遡上していない、中津は才戸橋よりも下流の魚道で遡上障害が発生している、と。
やっと、オラと同じ観察の人に出会えた。
高田橋には30人ほど。その内の半分くらいは橋に近いところに。そして、1時間後には、半分くらいの人が移動していた。
毎朝、ちんちん釣りの人が入っている堰から数十メートル下流に入った人は、チビではあるが、1回戦通過。2回戦は、弁天の瀬肩付近に入ったが、チビのバレが多く、上位大会の切符に届かず、と。
その弁天の瀬は、左岸、右岸側ともびっしりと並んでいる。
更に、瀬尻にもびっしりと。
ビールを飲みながら、幸せ男、Nさんと、弁天の瀬の2回戦を眺めていた。
右岸側が釣れていた。しかも、立ち込まないで。幸せ男、Nさんは明日の対策を検討していた。弁天右岸側のKさんのすぐ上の人の方が、Kさんよりも釣れていた。
ただ、お二人は、明日、釣り返しが効くとは考えていない。海産畜養、沖捕り海産の直放流量が相当あるとはいえ、遡上アユの量とは比較にならない放流量に過ぎないから、と思う。その遡上アユが磯部の堰の魚道を上ることができない、となると、現在釣れている場所を避けて、明日釣れる筋を考えているのでは。
6月26日
高田橋は、30人足らず。橋の近くは1時間以内に半減。
弁天瀬尻は大入り満員。しかし、脳梗塞で、今夜もつかどうか、といわれたOさんは、瀬尻で通過したのは幸せ男とNさんくらい、と。Oさんは数匹足りず。
Oさんは、リハビリもきつい状況にはならず。先日行われた大会で、囮をつかめる、鼻環が通せる、万歳、ということになる。最も、その大会で折角釣れたのに、濁流となった川に邪魔され、大会はドロンとなった、とのこと。
2回戦の弁天の瀬は空いている。幸せ男、Nさんは、昨日釣れていた人の筋を少し外して釣るものと思っていたら、Oさんが、高田橋にいった、と。
1日では釣り返しが効かないどころか、その周辺でもアユが少ないということか。放流地点である高田橋の方が、質を問わなければ、数はいるということか。当然、縄張りアユが対象ではないが。
橋近くの貧弱なれど唯一の瀬にいたのは幸せ男、橋と堰の中間くらいの右岸側にいたのは、Nさん。どの位釣れたのかなあ。縄張りアユを釣る友釣りではなし。
瀬で釣るのがアユ釣り、波立ちのないところで釣るなんて、とんでもはっぷん、で、入る場所が決まっている幸せ男にとっては、高田橋に入らざるを得なかったとは、苦渋の選択でしょうなあ。
6月30日 中津川
海底(おぞこ)に向かう。
以前よりも深くなっているのかなあ、それともダム放流量が少し多いのかなあ。歩くのがしんどいなあ。
テク2らが大井川に行っていると思うが、2,3日川に入れるのか、と心配していたとおりかも。2日であれば、何とかなるが。
これまでであれば、シーズンになると、52キロの体重が48キロくらいになるのに、今年は53キロが54キロに。腹に札束を詰め込んだ社長様や、お百姓様のようにはなりたくないよう。
もっとも、お二人はビフテキにマグロのトロをたらふく食べてのお腹であるが、オラは貧しい食事ではあるが、川であんよを使わないから体重が増えたのであって、原因を異にするが。
やっと、瀬落ちに着いた。
上流側に1人。その後、もう1人が。
かっては目印になっていた大きい石が2,3個転がっていたが、水中に辛うじて頭を出しているだけになっているのでは。
高校生。次は上流に走られて水中バレ。次は蹴られ、そして、囮が走った。ここには鯉はいないはずであるから、アユに追われたのでは。
ということで、ボウズにならず。そして、海底には3匹は残してある。
そもそも、米さんらが抜いた後でボウズにならなかっただけでも幸せです。
ここは放流地点ではないから、角田大橋に放流された海産畜養か沖捕り海産の直放流が上って来たのでしょう。
上流側の2人は遙か前に消えたから、熊に襲われると困る。とはいえ、昼ではあるが、体重を減らすため、もう一仕事をしないと。
角田大橋のすぐ上に行く。
放流地点、あるいは放流地点に近くなければ、無視するような流れと石であるが。
小学生、中学生が各1匹。やっと、1時になった。
ビールを飲んで、壊れ橋へと歩く。
仙台堰の魚道は、段差が大きいところがあるため、遡上不可能でしょう。
傾斜になったところで、小学生が跳ねているが、上れないでしょうなあ。泳いで上るとしても、左岸側の堰上流部に鷺のいるところで上ることができるか、どうか。
壊れ橋まで、車は一台だけ。
角田大橋から見ると、橋下流の方が見える鮎が多い。瀬落ち下の淵風のところに昨日、放流された鮎かなあ。
元ねえちゃんと、3匹の氏素性調べをした。3匹とも、背鰭は、帆掛け船ではなく、頭側がしっぽ側よりも長い。
そして、ねえちゃんは、下顎側線孔数が四対左右対称になっている、と。オラは「乱れている」ようにしか見えなかった。
しかし、背鰭の形状から海アユの可能性が高いことから、気になって、虫眼鏡で見たら、小学生は明確ではなかったが、中学生、高校生は四対左右対称であった。
ということで、おらの目が悪く、元ねえちゃんの目が正常、ということでした。
ああすは いずこのかわか
なんて、いえるあんよになっているのかなあ。まあ、足が張っていても、鎮痛剤も貼り薬も塗り薬も飲み薬もあるが。
7月3日 中津川
ヒゲだるま君が、初めて大会に参加するとのこと。
昭和の終わりか、平成の初め、ヒゲだるま君は、永井さんの話を食い入るように聞いていた。その前にビールが並んでいたか、どうかの記憶はなし。湖産放流全盛時代、ヒゲだるま君は、等級の高い湖産が放流されていた酒匂川の淵というかトロというか、と、瀬が一体となっていた藪下?竹藪?等であゆみちゃんをたっぷりとだっこしていた。その河相は今や廃墟となった歌枕のごとし。
当然、当時の狩野川でも遡上アユを。
ヒゲだるま君、Mさん共に田代を目指す。
オラもよたよたと、田代へ。
新平山橋下流や橋付近はそれほど混んでいない。田代の下瀬は、大入り満員。
車止め前の瀬は、オラを含めて五人ほど。十分に動ける。動けるが、あゆみちゃんがいるのかなあ。
高校生が三人。下顎側線孔数は4対左右対称、背鰭は、頭側の方がしっぽ側より長く、帆掛け舟の帆ではない。そして、元ねえちゃんがいい香り、といっていた匂いがする。その匂いは、スイカの香りでもなく、キュウリの匂いでもなく、迷人見習いが時折遭遇して相模川も中津川もいやじゃとごねる臭い匂いでもない。
匂いまで、変化しているとは、どのような物質に依るのかなあ。
オラの上流側に入ってきた人は、乙女か番茶も出花娘を2匹だっこした。数少ない海産畜養がまだ残っていたとは、この瀬に入る人が少なかったということかなあ。高校生も番茶も出花娘も、石で出来た波立ちの筋にいたから、住環境、食堂としては、「変な」場所ではないが。
この場所では、立ち込んで右岸へ地を釣る人が多く、今日もその釣り方をする人がやってきたが、全員短時間に消えていった。オラと上流側の人、そして、その人の上流の人だけが、石で出来た波立ちの筋に囮を入れていた。
なお、番茶も出花娘か乙女をだっこした人は、丼になることもなく、よく取り込めたなあ。オラは、高校生でもあたふたとしていたというのに。
Mさんは、田代の下瀬に入り、込みの2=ボウズ、ヒゲだるま君は、新平山橋下流から海底へ。9センチも含めたら5匹。オラよりも釣れた、と、自慢していたが。
気温は30ウン度。汗が出てこない。まずい。熊君の飲み物を横取りして、3本目の飲み物に。さらに、缶ビールは二本飲んでいるのになあ。何で、ビールは脱水症状に貢献してくれないのかなあ。脱水症状を心配していたが、そうではなく、代謝障害かも。
熊君が、水をかぶれ、と。全身に水をかぶることは、心臓への影響が気になるから、顔と腕を水で洗った。それで、やっと汗が出るようになった。ありがたや。
とはいえ、ふらつくような気分までは解消しない。
熊君、熱中症の代謝障害では、と、気がついてくれて有難う。これからもジジー孝行をするんですよ。先ずは大井川への、那珂川へのアッシー君を宜しく。もちろん、お仕事に忙しい、と、自己申告をしている熊君の代わりに乙女がアッシー君になってくれたら大歓迎ですよ。
放流アユの氏素性は?
今年は、相模湾の稚鮎が多かったことから、沖捕り海産の採捕量も多かったと考えている。
そのうちのいくらかは、和歌山等に販売されたのではないかなあ。そして、畜養する施設の能力を越える分は、直放流され、その量は大量ではないかなあ。
沖捕り海産の漁期の開始は、4月下旬頃からかなあ。そして、成長段階を異にする稚鮎が混じっているため、まだ、コケを食べることの出来る櫛歯状の歯に生えかわっていない3,4センチくらいの稚鮎も昭和橋上流左岸側の鯉が産卵していた溜まりに5月上旬に見えるようになったのでは。
もう、夏至が過ぎているから、消化器官が発達していない小学生は、大きくならないのでは。中学生はどうなるのかなあ。狩野川に遡上アユが満ちあふれていた1992,3年以前の11月になっても釣れていた、見えていた小学生がその見本では。
県産種苗は放流されているが、その他は、沖捕り海産の直放流と海産畜養で、その量は、漁連の義務放流量、120万を超えている放流量かも。
あるいは、磯部の堰下流には遡上アユが満ちあふれているであろうから、第二漁協、厚木観光管理区間で放流される分が、昭和橋上流や中津川に放流されているかも。
又、寒川の堰?附近で、汲み上げた遡上アユも放流されているようであるが、調布の堰での網で稚鮎を採捕しているテレビ映像では、1日に8千匹ほどの量であったから、逆梁での採捕と比べて、僅少に過ぎないから、とりあえずは無視をしてもよい量では。
ヒゲだるま君は、仕事にかこつけて九頭竜川の勝山、神通川の空港付近、すぐに濁りがとれる千曲川の支流に行ったが、去年の神通川は遡上アユが僅少、と。
安曇川に行きたい、と。
いとも簡単に釣れるている、と。
ヒゲだるま君、平成の初め頃は、青年からおっさんへの変わり目であったから、無理が利いていたが、今は、おっさんから「後期」おっさんへの変わり目ですよ。まあ、たっぷりと睡眠がとれるように行程を考えるんですよ。
ヒゲだるま君に、今日の釣果では、1匹+9センチの差をつけられたけど、髪の毛ではオラの方がふさふさしているよ。
それにしても、前頭部が見事に禿げ上がっているなあ。「後期」おっさん丸出しでっせえ。当然、お体の衰え、足腰の衰えが進行していると思うから、九頭竜川や神通川では無理をしなさんな。
オラには、車で安曇川へ行くことは、腰への負担から無理。
数年前、越後荒川で同宿した人が、帰りに乗せてくれる、と。しかし、断った。
腰が、筋金入りのコルセットをして、塗り薬、飲み薬を使っているのに、こわばっていた。新幹線であれば、30分か1時間ごとに車内を歩けば、対応可能であるが。
しかし、新幹線の車内を歩かなくても大丈夫であった。理学療養士に聞くと、新幹線の椅子は、腰への負担がかからないように最良の作りになっているとのこと。
ということで、那珂川や大井川が、車での限界かも。
大井川とテク2
テク2が大井川に行ってきた。
塩郷堰堤上流には、相模湾で採捕された沖捕り海産が和歌山に送られ、畜養された鮎が放流されている、との話があったとのこと。ただ、石がきれいに磨かれているとはいえない状態であるから、気になる、と。
昭和橋下流にはアユの溜まっているところがあった、と。
もう10年以上前のこと。地名で下りて、昭和橋へと歩いていた時、長老ご一行が車を停めた。濁りがあるから塩郷堰堤上流に行く、と。どらえもんおじさんは、昼頃には濁りがとれる、と。
森下おとり店下流で、20匹以上釣れた。囮屋さんにいた人たちは、信用していなかったようで、囮屋さんの箱に舟を結んで宿に行ったが、翌日、舟のストッパーが外れていたから、調べたよう。
そのおとり店がなくなって20年近くになるのかなあ。長老が亡くなって十年くらいになるのかなあ。
13センチくらいだけでなく、17,8センチがすっ飛んでいくのは、葛籠など。ただ、竹藪や久野脇の全部を見たのではない、と。
そして、駿遠橋と、抜里のところによき石の瀬ができた、と。
1日目に発電所廃屋付近と七曲がりを釣り、舟を平口囮屋さんの箱に入れておき、2日目に抜里、駿遠橋に釣り下ると、宿に荷物を置いておく釣りが出来る。
その行程が消えて、出来なくなって、もう10年以上になるのかなあ。久しぶりに電車通勤をしたくなったなあ。
いや、熊君、迷人見習い君らのアッシー君は大歓迎ですよ。電車通勤は、「後期」高齢者には堪えるからなあ。それに、早朝のタクシーは予約しておかないと、あぶれるからなあ。大変なんですよ。大井川鐵道の金谷発9時17分の電車がなくなったから、新横浜発6時のひかりに乗るしか選択肢がなくなって、さあ大変。
7月7日 中津川
酒匂川に行こうとは思えど、1番のバスに乗っても小田急ではアユバックが迷惑になりそう、それに、ごろちゃんも怖いしなあ。
ということで、女子高生らが通学を終えた後のバスで、中津川へ。
あんよの練習であるから、海底へ。
前回よりは歩くことになれたとはいえ、疲れるなあ。
その上、オラが3匹のあゆみちゃんを残していたのに、よねさんらが根こそぎかっさらって、釣れませんなあ。
先日、ヒゲだるま君が釣った「9センチ」よりも小さい、細いアユ。これでもボウズではないよなあ。
ビールを飲んで元気に、とはならず。
角田大橋の橋影は先客。その下流に入るも、今年初めての囮の過労死。オラも過労死しそうであるから、早上がり。でも、午後も働いたよ。
野口おとり店のH・Pには新平山橋や馬渡橋では、あるいは角田大橋上流ではみみっちいお話しではないアユの写真が掲載されているというのになあ。
昭和橋のコロガシでは、釣れる場所が日替わりメニュー、釣れる時間帯が限定している、とはいえ、人工の高校生、トラックで運ばれてきたチビの海アユがご近所さんでも20匹ほど釣れているのになあ。
昼間が釣れない、という話は、土用隠れではないのでは。垢ぐされ、食糧問題ではないのでは。あゆみちゃんも熱中症を避けているのかなあ。
昔雷、今熱中症
湖産放流全盛時代が終演し、酒匂川も継代人工が放流アユの主役になった頃、遠雷がした。すぐに報徳橋近くの喫茶店に避難した。アッシー君達に笑われたが。
竿にびりびりが来ても釣り続ける度胸はありませんよ。
というよりも、大井川での雷さんで、身体が縮む思い数回。
抜里での時は臍を隠す場所なし。今なら、お茶やさんにちん入すれば臍を隠せるが。
ぎりぎり笹間渡の駅に到達。ずぶ濡れになって電車に乗り込み、家山で下りると、女子高生も下りてきた。ここからドラマが始まる、と、妄想していると、お母さんが車で迎えに来た。携帯は高級品であったから、高校のある駅から公衆電話を使ったのでは。
ゆめはむなしくきえてえ
川根温泉、コテージ村が出来たとき、コテージ村の食堂に逃げ込んだ。
山菜天ぷら茶そばで、ビールを愉しんだ。それから、山菜天ぷら茶そばとビールを目的に、ゴロちゃんが来なくても食堂へ行くことも。
その山菜天ざる茶そばも食堂の位置が変わり、経営者か料理人が変わり、山菜から普通の海老に変わってからは、足が遠のいた。
千曲川では、雷と雨で皆さん、おとり店の食堂に避難。雷の音が消え、稲光も見えなくなり、皆さんは川へ。オラは雲がなくならないから、ビールを継続。
突然、落雷したときの音響。皆さんは竿をほおり出して身近な車へ。
ここのゴロちゃんは、ぐるっと一周して戻ってくるとの話があったが。
狩野川でのゴロちゃんの記憶がないのは何でかなあ。一度も遭遇しなかったからかなあ。
アッシー君達、オラがゴロちゃんにおっかなびっくりであることが判って頂けたでしょう。
乙女ちゃん、車でないときがいかに大変か、判ったでしょう。アッシー君を宜しく。
セクハラは我慢して。車内でビールは飲んでも禁煙するから。
7月14日 酒匂川
リハビリをしてくれている理学療養士が、おまんの年頃では、1週間、10日くらいの入院でも、筋力の低下、動作能力の低下が著しく、過酷なリハビリをしなければならなくなることがあるよ、と。
そのように脅かされては、酒匂川の状況が悪い、アユバックが重い、しんどい、なんて、泣き言やゴロちゃんが怖い、なんて、酒匂川に行かない理屈を言っちゃあおれませんなあ。
富水から囮屋さんへと歩いていくと、数年前には名前は変われど活動していた工場が、操業を停止している。そんなに製造業は厳しい環境にあるのかなあ。
湖産放流全盛時代から、土手の囮屋さんが店じまいをしても、そして、10月になっても囮を置いてくれていたT商店に着いた。
おじさんもおばさんも元気。Tさんは、ブロック注射を毎週打っているとのことであるが、注射や薬で対応できるときは幸いです。
もっとも、Tさんは、川で転んで、二本の竿を折ったとのこと。そのようにならないように、転ばぬ先の杖を使いましょう。
荷物を預かってくれる置き場に行くと、アユバックその他が何人分もある。今日、こんなに来ているの?と聞くと、いや、電車族が置いているだけ、と。
安心した。毎回荷物を担いでくるだけでも少しは運動になっていますからねえ。昔の顔に逢えることがあるのかなあ。
報徳橋を目指していけば、石のところがあるかも。
ウエーダーが重い、暑い、遙か上流に報徳橋が見える。
なるほど、右岸護岸に沿った流れに水がない、左岸側が本流になり、右岸側が分流のようになっていたことはあったとは思うが、完全に右岸側の流れがなくなったことはあったのかなあ。砂止めブロックが空中に顔を出しているから、河床が上がって、右岸側に水が流れなくなったのではないよう。
左岸側の河床が下がった、ということであれば、石が出ているかも。
報徳橋は遠いなあ。とても歩けない。右岸から左岸に流れを変える附近に、河原に降りる階段があった。
今日は、報徳橋と富士道橋の中間附近で竿を出すことに。
右岸から左岸に流れを変える勾配の一寸はきつく、この附近では一番流れの強いところに、ちんちん釣りの人が。
その下流の瀬落ち風のところにビールを置く。
こぶし大の石と頭大の石。砂利まみれではない。次回は、鮎足袋にしょう。少しは楽に歩ける。
とはいえ、どこに囮を入れれば、あゆみちゃんを誘惑できるのかなあ。
小学生ではあるが、体形はできあがっている。囮にすると、元気に泳ぐ。丼大王が狩野川の松下の瀬で13センチを囮にしたときのような、背バリをつけ、錘をつけてガンガンに囮を沈める、何てことをしなくても、楽に泳いでいける流れの強さ。有難いなあ。
根掛かりを外しに行くと、見てくれのよい流れのところは、砂利が入っている。大井川の河相と似ている。沖を釣らない方がよいかも。
ちんちん釣りの人が去った後、流れの強いところにも行ったが、砂利が巻いてるかも。
アカ付きは薄い。少しの増水でも、砂利が舞い、グラインダーの役割をしてアカを削り落とすのかなあ。
この界隈には、1番上り、2番上りが、途中下車をしていない?
小田急鉄橋下流の堰は、右岸側で堰が切れているから、遡上は可能なよう。報徳橋上流、その上流に出来た橋の上流の栢山の堰の魚道を今年は遡上しているようであるが、一番上り、2番上りはどこまで上ったのかなあ、どこにいるのかなあ。
Tさんは、十文字橋より上流にある堰でも、水量が適切な量になった時は遡上可能になるから、山北まで上っている、と話されていたが。
酒匂川漁協のH・Pの山北の情報でも、松田地区や報徳橋下流と大きさに違いはないように感じるが。
遡上アユが満ちあふれていた狩野川でも、1番上り、2番上りは、丼大王が狙う深窓の令嬢が住んでいる邸宅に囮を入れさえすれば、1番上り、2番上りの大きい鮎が釣れていたから、遡上量が多すぎる、ということにはならないとは思うが。
しかし、今の酒匂川にはそのような邸宅はなく、文化住宅があるだけ。そうすると、食糧をみんなで仲良く食べるしかない、という状態で、大きく育つことが出来ない、エリートがいない、ということになるのかなあ。
1匹の高校生は、人工。中学生かも、と思える大きさの遡上アユもいたが、小学生が主体。
計9匹。今年最大の釣果。
人工ではないかと思うが、漁協前や報徳橋付近では、塊になっているアユがいる、との話が。
ビールタイムを除いて、4時間は働いた。時合いの時があるのかなあ。
十文字橋界隈は、土曜、日曜は大入り満員かも。2時過ぎの小田急鉄橋から見える範囲にはそれなりの人がいた。
今日の場所は、ちんちん釣りが去った後、一人がやってきて、オラの下流に入った。釣れず、ちんちん釣りの人が入っていたこの界隈では一番強い瀬に入ったが、去って行った。
その人が始めに囮を入れたところで、小学生が釣れたから、時合いかなあ、囮の違いかなあ。
もし、一番上り、2番上りがいないとすれば、何でかなあ。いや、東伊豆の小川で、丼大王が3月中旬に1番上りを観察しているから、相模湾の1番上りがその頃に酒匂川にも遡上していると思うが。
年券を買って、今年の遡上アユの行く末を見ることになるのかなあ。
さて、オラは磯部の堰下流までは、遡上障害はないと思っている。しかし、厚木にも釣り人が少ないとの話が。何でかなあ。
厚木の鉄橋から川を見たのは3時過ぎ。にもかかわらず鉄橋上流は無人、鉄橋下流は数人だけ。
まさか、246のところにある堰が遡上阻害になっているということはないでしょうなあ。
最上川さんに、磯部の堰下流で釣って、というと、流れが弱いから嫌じゃ、と。そんなことをいうけど、去年、中津川では才戸橋まで遡上出来ていたから、長坂?下流の自由区に入って、小さい錘を使ってコロガシをしていたやん、と逆らったが‥‥。
迷人見習い君、狩野川だけで釣りをしていては、師匠や師範代の腕に到達できないと思いますよ。
おまんの天狗の鼻を伸ばす肥やしになってあげますよ。
こあゆちゃん、さちゃん、やまめねえちゃん、酒匂川で、小学生の遡上アユがいかなるものか、経験して。その時、オラもつれていってえ。
7月23日 酒匂川
相模川は弁天瀬肩付近で20匹ほど釣った御仁もいらっしゃるが。
桂川も、品薄になっているところもあるようであるが。
桂川は、混雑しているからいや、ということで、釜無川に行っている人も。おらが釜無川に行ったのは、昭和の終わり頃ではないかなあ。
釜無川は、きれいな水、大きい石、されどおらの手には負えず、ということであったと思うが。亡き師匠らは、愉しい釣りが出来ていたと思うが。
その場所は、御勅使川(みだいがわ)の流れを変えて、釜無川の流れにぶつけて、御勅使川、あるいは釜無川の流速を弱める、という信玄公の河川事業が行われた附近、信玄堤附近であったと思うが。
当時は、そのような素晴らしい洪水対策事業が信玄公によって行われていたことすら、知らなかったが。越流水であれば、洪水の被害はないといえるのでは。
釜無川の、御勅使川の洪水制御は、大熊先生の「洪水と治水の河川史」に書かれていたと思っていたが、違っていた。したがって、信玄公の釜無川の洪水対策を確認できず。あんまり当てにならないということです。
ということで終われば、いつものオラのアルツハイマー進行形になるが、「故松沢さんの思い出の補記」に紹介したかも、と、しゃかりきになって探して見つけた。
大熊孝「川がつくった川、人がつくった川 川がよみがえるためには」(ポプラ社)の「3.川に関する基礎知識」の「河川技術の三分類」に。
その中の信玄公が行ったとされている河川技術だけを、前段となる「三技術」の説明を省略して紹介します。(子供が読みやすいように、ふりがなが振られていますが、省略します。又、原文にない改行をしています。)
「御勅使川の洪水は急流で釜無川の堤防に直角に激突するため、破堤が頻発しておりました。そこで、信玄は、御勅使川を図15(注:図は省略)のように二派に分けて釜無川に合流させ、上流側で合流させた洪水を釜無川左岸の高台の岩にぶつけ、そこで反転した流れを下流側のもとの合流点に向かわせ、御勅使川のもう一派の洪水にぶつけることによって、洪水の勢いを殺(そ)いだといわれています。すなわち『水でもって水を制し』、破堤を防いだというわけです。」
大熊先生は、御勅使川の洪水対策を、
1 「この技術全体の発想」を計画的段階、思想的段階
2 「高台にぶつけ反転してきた洪水を下流の合流点にちょうどぶつけたという技術」は、「川の流水現象を科学的、普遍的に認識しておかなければ達成できません。」
「そこで、この段階を普遍的段階と呼ぶことにしておきましょう。」
3 「さらに、信玄は、御勅使川を二派に分ける分岐点に将棋頭という石組みを置き、洪水をうまく分流しています。流水を分派させる技術は、現代でも大変難しく、あとで述べますが、分岐点に堰とか水門をつくらねばなりません。信玄はそうした堰、水門を作らずに分派に成功したというわけです。」
ほかに「木材を組んだ牛枠類という、流水の勢いを弱めるための水制(図16参照 注:省略します。いろいろな形の牛枠類が紹介されています)や、前述した雁行(がんこう)する霞堤(かすみてい)、さらに後述する堤防を保護し洪水の越流を制御する水害防備林などをあみだしたと伝えられています。
すなわち、信玄は川を制御する具体的な技術にもすぐれていたことになるわけです。
この技術は、思想的段階で発想され、普遍的段階で認識されたことを実行する手段であり、手段的段階とよぶにふさわしいでしょう。」
大熊先生の川を制御しょうとし、実現させていた先人の素晴らしい「技術」の紹介と意味をこのようにはしょることは、間違った、不適切な対応とは承知しているものの、あゆみちゃんとの逢い引きに支障が生じるため、ご容赦を。
釜無川を見に行きたいなあ。少しは、景色から感じるものがあるかも。
7時過ぎの小田急厚木の鉄橋から見える鉄橋下流の釣り人は数人、上流側も。少ないなあ。何でかなあ。
酒匂川の松田の鉄橋では、下流側は無人、上流側はまだ空きあり。
Tさんは、50センチほど増水した、と。せいぜい20センチくらいと判断していたが。
前回同様、報徳橋と富士道橋の間へ。水のなくなっていた右岸護岸沿いに少し水が流れている。
白川。
迷人見習いは、残りアカの場所を認識するには、流れのインとアウトの識別をしなければならない、と。
そんな必要はなし。砂で削られたのではないかと思うが、いずこも同じすっぴんの石ばかり。頭大よりも大きい石がないから、アカ付きは遅れるかも。
おひさま、きらきらになってから、ビールを飲もうと、頑張っているのに、貧乏人の傷口に塩を塗り込む吸盤ボウイ。囮を休ませるため、雲の中のお天道様ではあるが、ビールを。
上流側の人が、明日の大会のために富士道橋附近から下流を見に行く、と。ここは、釣れる、釣れないには関係なく、満員になるから、と。
その人は、オラが小学生3匹、というと、おんなじようなもの、と。
10台くらいの車が土手に止まっていて、半分は他県の車であったが、その人達はどこに入ったのかなあ。右岸に沿う流れに入った人たちは消えていったが。
左岸土手の漁協のところに車を停めた人が、護岸を滑りながら下りて、舟を活けていた。食後、トロを渉り右岸側へ。腰くらいの深さ。石はあるのかなあ。
そして、右岸側の砂止めブロックの上流側を渉り、ザラ瀬の小さな分流へ。河原から竿を出しすぐに釣り上げていた。そのザラ瀬を動いて何匹か釣って、流れが合流しているオラの斜め上流に移ったのを見て、竿を畳む。
土手の車のそばでビールを飲んでいるM、その横でまちゃんがキュウリをかじっている。
明日の大会の下見とのこと。その大会は、干物やさんが主催して、アユは干物やさんに、参加者は、アジやら、鯛?などの干物を貰えるとのこと。
まちゃんは、富士道橋下流のどの付近まで行けるか、調べた、と。その結果は、12,3匹。Mは、ボウズのよう。
T商店で、年券を買うことが目的のようなもの。
酒匂川の年券を買うのは、昭和の終わり頃以来。その後は、神奈川県内共通年券を使っていた。その年券が廃止になってからは、酒匂川も継代人工の放流河川となって幾星霜。もはや、年券を買って通う魅力はなくなっていた。今年は遡上アユと遊ぶには、酒匂川に来るしかない。
平日なら、松田地区も大入り満員ではないということであるから、数日後の新アカが芳しい匂いを放つ頃に行きましょう。
7月27日 中津川
雨が降ってきても、雨宿りがすぐに出来る。
海産畜養は、たえず、大きさ別の分別をして育てるとのこと。沖捕り海産には、成長段階を異にする稚鮎が混じっているから、やむを得ない作業かも。
その作業で、現在も12センチくらいの大きさのものがいる。それを使ったら、ということで、千円で3匹の囮。
湖産放流全盛時代、S養魚場では、池田湖産を養殖していた。
それは、囮屋さんに入るとき、12,3センチくらいの大きさで、1985年くらいから始まった神奈川県産継代人工と比べると遙かに小さい。
しかし、泳ぎは達者。
池田湖産が、琵琶湖のアユに冷水病が蔓延して、九州ダム湖産、池田湖産の評価が高まり、当然価格が急騰。
それで、S養魚場でも継代人工を養殖するようになった。
今年は、去年同様、沖捕り海産が大量に獲れたと思う。したがって、稚鮎の直放流もあるが、畜養もある。
その畜養アユが大きくならない。それで、囮屋さんが試験的に「小さい」海産畜養をおいた。
大きさは、池田湖産が囮として使われていたときと同じくらい。泳ぎも人工に比べて遙かに達者。
十分に囮として使える。
ただ、継代人工の大きさに馴れた人が、小さい、と不満を言うこともあるから、沖捕り海産の畜養である旨を説明すれば、オラのように、継代人工が囮として使われる前の小さいながらも泳ぎの達者なアユを求める人がいるのではないかなあ。
その泳ぎの達者な囮のお陰で、角田大橋上流瀬肩付近から、小学生が4匹。そのうち、人工は1匹。
バラしたのは3匹。
囮君達は余力たっぷりであるが、雇い主は、くたびれたあ、ビールを飲んで元気になりましょう。
囮屋さんには、まちゃんがいた。
まちゃんは、先日の酒匂川での大会は、すぐに釣れたのに、周りの人々が寄ってきて、動くこと能わず、その上、浅いところであるから、アユが逃走して、5匹くらいしか釣れず、とのこと。
安心したよ、ウデがあってもウンがなければ釣れないこともあるよ。
まちゃんは、昼から、角田大橋下流に入ったが、どの位釣れたのかなあ。格差社会を味わいたくないから、オラは昼過ぎに逃走。
7月29日 酒匂川
しいずかあなあ しずかなあ かあわのなつう
昨日の8時頃、高田橋に人影なし、孤独を好む1羽の鵜も食堂を換えたかも。
弁天は一人。石切場は七人で、チャラで2,30釣れる人がいる、と。
その人は、目標の数を決めて、その数に到達したら、やめるとのこと。
高田橋に入る人にも、川見の修行には、がら空きの方がありがたい、と。
その下流は、昭和橋上流の二人まで、だあれもいない。
5月上旬に鯉が産卵していた昭和橋上流の淀みにいた「トラックで運ばれてきた」アユの子供が、まだ、動物プランクトンを食べているのかなあ。小学生の大きさになったものもいて、石が磨かれているところもあるが、外界には出て行かないのかなあ。
昭和橋下流のコロガシも数人だけ。
雄物川さんは、中津川の下流に行くことが多いよう。その場所は、流れの巾の殆どがチャラで、蘆の生えている附近数メートルが溝になっていて、そこに、S養魚場から来た海産畜養がいるとのこと。
その海産畜養は、馬力があり、肩が広い容姿とのこと。肩が広い、とはどのような状態をいっているのかなあ。
時には、昭和橋の戦車道に。巾1メートルよりも狭い空間を差してくるアユがいることが、雨のあとで期待できるから、先日の雨の時も出掛けていた。
雄物川さんは、お裾分けシンジケートに満遍なく、お裾分けが出来て、お返しに野菜をたっぷりともらっているとのこと。
ご近所さんは、昭和橋下流で、小学生は同行者に渡すため、人工の高校生を持ち帰ってくるが、一人で10匹台ではないかなあ。
相模川よりも、もっと、もっと、しいずかなあ しずかなあ ではないかと思っている狩野川は松下の瀬に、丼大王は、アオノロにもめげずに、番茶も出花娘か乙女の人工をだっこしている。
大会の時に放流された人工の優等生かなあ。
もう、 しいずかあなあ しいずかなあ の川はあきたよ。
ということで、酒匂川の松田地区へ。平日であるから、よりどりみどりのはず。
とはいえ、新十文字橋界隈は混んでいるはず、と、土手を上流に歩いて行くが、いずこの河原も同じで、石変じて草むらとなる、草むらに釣り人道のあるところがない。
結局、新栄倉庫の上流側まで行って、やっと、水の所に入っていける道があった。
生ビール飲み放題?の大会以来の場所。
その時はトロであったが、波立ちのある瀬になっている。しかし、丼大王が囮を入れるほどの瀬ではない。チャラに毛の生えたようなもの。頭大よりも大きい石もある。アカ付きは十分でしょう。
ここから釣り下っていけばよし、と余裕であったが、9時過ぎになると、ずらっと竿が並んだ。湖産放流全盛時代よりは、竿間隔が広いとはいえ、下っていける状況ではない。
10メートルほどの区間を釣り下って、人工の番茶も出花娘1,高校生は3匹で、1匹を除いて海アユ、小中学生3匹は、1匹を除いて海アユ。計7匹。
上流側の小さな分流、チャラの人は移動しなかったから釣れているのでは。オラの何人か下流の人二人は、共に10匹を超えているのでは。
根掛かりを外しに行って、頭大よりも大きめの石のところを見たが、砂利がある。丹沢湖が出来る前の玉石がびっしりと詰まった河床の状態ではない。このため、波立ちが勝れているところに囮を入れても反応がないということかなあ。
囮屋さんに戻らないと。昼に店じまいをするとのこと。来た道を帰ろうかと思ったが、水温が高い、オラのよたよた歩きでは囮屋さんに着く前にアユが死んでしまう。ということで、新十文字橋まで、水の中を歩いていく。途中、河原のどこにも釣り人道はなし。
オラの釣っていた所より下流は、水深の浅いトロ状や、チャラ。新十文字橋のところの瀬も、去年とは流れが変わり、よねさんのお眼鏡に適わないかも。
新十文字橋の日陰で、呑むビールはうまいなあ。さっきまでは邪魔っ気だった風も心地よいなあ。
どの位の人が昼からも残っているのかなあ。
松田地区は、平日でも、最初に入った附近から大きな空間を独り占めにすることは困難かも。
岩流瀬も昔の俤はないとのこと。
とはいえ、しいずかあなあ しずかなあ の川ではないから、酒匂川は、貴重な存在かも。
迷人見習いくうん、スポーツカーに乗っているから、ねえちゃんが釣れるもんじゃあない、と、そろそろ気がついているでしょう。高級な竿を使っていても、あゆみちゃんのナンパ成功とはいえないことと相似たり。
スポーツカーを売って、オフロード車に、飲酒喫煙自由のオフロード車に買い換えたら。
狩野川には行く気がおこらないとしても、酒匂川は、川見、操作の練習場になると思うよ。
8月4日 大井川
2015年の狩野川の遡上量は、1995年、6年並みの僅かだけ。
その時は、来年があるさ、と、いえたが…
また、天龍玉三郎さんが雑誌に紹介された大井川へ。
大井川鐵道の家山に降りて、駅員に囮屋さんを聞いて桜並木へ。
狩野川と同様、駿河湾であるのに、大井川には遡上アユがいて。
さらに、硅藻が優占種で、アユの体内に取り込まれて香り成分
になる物質を、井川ダム湖の浮遊植物プランクトンが消費していない
梅雨明けの時期限定で、シャネル5番の香りをぷんぷん
漂わせる「香」魚もいたのに…
あの すばらしい あゆを もおいちどお
2016年の狩野川の遡上アユは、丼大王が、松下の瀬で、アオノロの首飾りと人工の成魚放流を釣っている状況。
大井川の「遡上」あゆみちゃん、今ひと度のあうこともがな
あれから20年、大井川も、大井川に住んでいるはちゃきん娘も しわくちゃあずになりました。
二年前、テク2が、そして多くの人が、これぞ遡上アユ、という感動を味わった発電所廃屋へと歩く。
流れは二つに分かれ、左岸側の流れは食みあとが1つあれど、主はいずこかへ。右岸崖に沿う流れは、錘をつけないと囮を入れること不可能な流れに。
七曲がりは、相も変わらず、長島ダムが出来る前の流れには帰らず。
大石と玉石がびっしりと詰まり、腰の曲がった人が、右岸側の河原を立ち位置にして、竿と糸を流れに平行にして、すぐに掛けて河原を下っていき、袋ダモにすくい、舟に戻る、そして、同じ動作を繰り返す。
その効率の悪い取り込み方、釣り姿でも、まともな釣り方をしているオラの何倍も釣り上げていた。そこには、湧き水が流れていたのかなあ。
その腰の曲がった人を七曲がりで最後に見た時は、長島ダムが最良の食堂、住居を壊していたときで、普通の釣り方をしていた。その翌年かに、笹間渡鉄橋右岸側の大石だけが2つ転がり、その周りは玉石から砂利、小石に変わっていたとき。
もう、恋の密室空間であったこの空間にやってくることがないかもなあ。
いや、数年前、すぐに三人の番茶も出花娘が。しゃがんで、立って、の動作を3回連続で行っていると、腰がギク、と。
折角の逢い引きが、腰の異常で続けることが出来なくなったとは、何という不幸な星の下に生まれたのやら。
そんな郷愁に浸るしかないほど、あゆみちゃんの姿とは無縁の感じがする流れ。
いや、石風呂まで釣り上がっていけば、あゆみちゃんがいるかも。
とはいえ、ここまで歩いてくるだけでも、あんよが疲れ、疲れて‥‥
下界に下っていきながら、流れを見ていたが、所々にあった小さな食堂はなくなっているよう。
オフロード車で、笹間川の流れが「水たまり」ではなく、ささやかながらも「流れ」に変わったところも走り渡り、発電所廃屋に行くという籐籠の人。
平成の初め頃迄は、籐籠は当たり前。かあちゃん孝行を偽装して、砂鉄川で、あゆみちゃんと戯れていた亡きウさんが、岩手で買ってきてくれた籐籠を使っていたが、紐が切れてアユバックに変わったが。岩手の籐籠は、こっちの籐籠よりもはるかに安かった。
籐籠さんは、昼飯を食べるだけでもよい、と、上流へ歩いていった。
左岸から右岸に流れが変わり、右岸沿いに流れている流れでは、テク2が帰りがけの駄賃で囮を入れていたところ。右岸ヘチ近くの溝に囮を入れていたが、立ち込みたくないため、大井川では避けた方がよい流れの巾の真ん中付近に囮を入れる。波立ちの大きいところには、砂があるが。
中高生がタモの手前でぽっちゃん。初めてのあゆみちゃんとはいえ、もはや、残念という気持ちにならないほど、悲観の極みに。
釣り吉さんが、笹間渡鉄橋を渡る「トーマス」を見ながら釣っていたと思われる鉄橋の上流側には数人が入っているが、眺めるだけで素通りをする。
かっては、七曲がりで昼まで、午後は、駿遠橋まで釣り下ったこともあったが。
5時過ぎには駿遠橋に到着し、6時に店を閉める食料品店に行き、かき氷に使う大きさの氷を買わなくてはならず。後片付けをしているから、6時30分までは面倒を見てくれたが。
家山川近くに出来たコンビニは短命に終わったが。
今日は、温泉で身を清めてから、駿遠橋まで、「道」を歩く。しかも、荷物の多くは囮屋さんに預けて。
時折、川根温泉や駿遠橋で、大漁の人がいらっしゃるが、「食」住環境が好転したからか、それとも?
川根温泉下流、抜里下流の「食」住環境が好転したようには見えない。抜里下流の流れが左岸崖に沿って流れるところは、長島ダムがなかったときは、大きい石が転がり、そのあいだには玉石がびっしり。よきザラ瀬であったが。
駿遠橋上流も石が出たようには見えないが。
食堂で、ビールに冷酒。
多分、戦前、垢石翁が、宿の主の甘言にだまされて?ウイスキーをたらふく飲まれた宿ではないかと、妄想している宿に泊まる。
この宿は、明治26年、筏乗りが暖を取り、休んでいたことから宿の建物を建てる。そして、明治31年?川側に新館を建てる。
久しぶりに夜中に足がつる。漢方薬を飲む。何で、即効性があるのか、分からないが有難い薬。足がつったとき、ばね指の時、霊験あらたか。もう3、40年くらい前に整形外科で処方してくれた椎間板ヘルニア対応の薬であったが、その用途とは別の使い方に気がついて、どれほど助かったことやら。
8月5日 大井川
駿遠橋下流側のブロックは、流れが右岸側に寄ったため、段差が大きくなり、一番右岸側の流れに辿りついた遡上アユしか遡上出来ない。
笹間渡鉄橋のところのブロックの所の流れが、段差が遡上を妨げる状況になっている。左岸側のみ、遡上出来る流量、流速ではあるが、その流れを上ったあと、笹間川の流れではなく、本流の流れを選択出来る稚鮎はどの位いるのかなあ。
駿遠橋、笹間渡鉄橋のブロックが遡上阻害を起こしているとはいえ、もしそうであれば、塩郷堰堤の魚道が遡上阻害を起こしてからの現象ではないかと思うが、堰下流の地名にずらっと釣り人が並んでいた状況になるのではないかなあ。
岩井先生は、「魚の国の驚異」の「疲れを知らぬ赤い肉」の章に、最高速度、その持続時間は1秒足らず、そして、5秒後、10秒後に低下する速度を書かれている。
残念ながら、それらの数字が、具体的に、どの程度の流れに対応するのか、見当がつかない。
しかし、遡上期の稚鮎の游泳量、跳躍力は、「若鮎」から想像されている状況よりもはるかに低いと考えている。亀井さんが、子供さんと釣りをしながら、湖産の游泳力を、持続時間を観察された事例、藤田さんが、相模川は現在の小倉橋がある附近で観察された蛇籠の堰の影響ぐらいで考えるしかないが。
この問題は、故松沢さんの思い出で、少し整理することにしましょう。今年の磯部の堰の魚道上部の水量、流速では磯部の堰の魚道を遡上出来ない、ということが妄想ではないことを少しは論証してみたいから。まちゃんは、オラと同様の判断をされているから、まちゃん、お知恵を貸してくれるように頼みますよ。
さて、大井川に遡上アユがいるのか、いないのか、いないかも、と考えた方が適切かも。
平口さんのところに、新大井川漁協が放流した鮎の氏素性と量を記載した資料があった。
これまでは、塩郷堰堤下流の本流には、放流をしていなかった。
しかし、今年は、駿遠橋、川根温泉、昭和橋付近に放流をしている。
4月17日 駿遠橋 河口産
4月19日 駿遠橋上流 海産畜養
4月30日 駿遠橋上流 天龍川諏訪産F7
笹間渡鉄橋上流? 天龍川諏訪産F7
昭和橋上流 天龍川諏訪産F7
なお、この記述は、適切に表現されていない可能性が非常に高いと自覚しています。
ただ、これまでとは違い、塩郷堰堤下流の、新大井川管内にも放流がされている、ということを示すに過ぎません。
「食」住環境が、改善されていないとはいえ、どんな状況か、を確認するお仕事に精を出しましょう。
川根温泉下流は、だあれも見向きもしない砂利まみれのところが一層増えているのではないかなあ。二年前までの酒匂川は富士道橋附近を歩いたときと同じ感じ。
そして、何でか、アカ付きが悪い。1週間以内の増水は、2,30センチが短時間発生しただけであるから、砂利が石をこすり、あるいは、小石が転がったとしても、ここまでアカのない石が増えるかなあ。
硅藻は、二万ルクス以上の照度で、垢ぐされをするとのことであるから、垢ぐされをした腐れアカが剥がれ落ちたのかなあ。もし、そうであれば、水深のあるところでは、アカ付き良好となるが。
川根温泉下流左岸に沿って流れているところには、大石が転がり、かっては玉石がびっしりと詰まっていたから、よき食堂であった。殊に、アカ飛びのあとは残りアカがあり、又、他よりも早くアカがついていた。
しかし、うんともすんとも言いませんなあ。
その下流の、あゆみちゃんが駆け回ってくれていたザラ瀬が砂利まみれになってなくなってからのある年のこと。
昭和橋上流の左岸側のゲートボール場から入った瀬で、ドラえもんおじさん達三人組が、前日に三人とも60匹、当日もオラ達がついた頃には20匹ぐらいずつを釣っていた。
オラは、相模ナンバーと栃木ナンバー、嫌な予感がしたが、アッシー君が犬を連れていないから、違う、ということで入ったが、3名人が釣り残しをする優しさなんて、期待できるわきゃないよ。
ということで、抜里に移った。
オラが、かってのザラ瀬が左岸にぶち当たるところで、女子高生をそれなりのペースでだっこしていた。ドラえもんおじさんは、オラの後ろの砂利のところで、小学生を釣っていた。
満足して、右岸の瀬落ち上流の瀬へ。栃木の名人の進路妨害をして、すぐに女子高生。そして、乙女か番茶も出花娘か、寸殺で、いや、掛かったと思った瞬間、囮と共に去りぬ。名人は、身の程をわきまえなさいよ、とほくそ笑んでいたかも。
ということで、ドラえもんおじさんが釣っている平瀬の対面でおとなしくあゆみちゃんと遊んでいました。
その楽しい思い出の場所まで、釣り下る気にもならず。
川根温泉前の分流へ囮を入れるも、釣れる気配なし。わかっちゃいるけどやめられねえ。
最後は、釣り吉さんがトーマスを眺めていた鉄橋上流へ。餌釣りか、ちんちん釣りの人の上流へ。
ここも、長島ダムがなかったときは、右岸崖に沿って大石が転がっていて、玉石が詰まっていたから、増水後は、アカ付きの悪いときは、よき食堂であったが。
やっと、昼前に。いつもの相模川同様、大井川の鮎を2匹増やして終了。
迷人見習い君やくちゃん、こあゆちゃん、6時の新横浜発の新幹線に乗ることがどんなに大変か、想像してえ。余命幾ばくもないジジーにごほうしゃ。
昭和橋や葛籠に行けば、遡上アユがいるのか、いないのか、分かるよ。
とはいえ、去年の7月以降、ヘドロに濁り水を流しっぱなしのダム放流は、石を出してくれなかったから、釣り場は限られるとは思うが。
呉服屋の大旦那が亡くなられたとのこと。塩郷堰堤がなかった頃の大井川を、遡上あゆみちゃんを知っている人が又一人亡くなられた。
大旦那の仕事を邪魔しても聞いておきたかったこと。
それは、
井川ダムの上流側に、秋道先生が遡上出来ないという1次河川、2次河川があり、ダム付近に遡上出来ることも、出来ないこともある3次河川があり、それよりも下流の支流は、4次河川、渓流相の笹間川は5次河川では、と想像している。
支流のどこまで遡上出来ていたのか、そして、支流に遡上出来たアユは、性成熟が始まった瞬間に、支流に別れを告げていたのか、ということ。
寿司屋さんが、村社の八幡様の祭りの頃=10月15日頃、久野脇や鵜山(七曲がり附近?)では、それまでとは大きさを異にする大アユが釣れた、という話であるが、それが、支流に入った鮎では、と想像している。本流のアユは、まだ性成熟が未熟であるから、下りをしないと思っているが……。
遡上アユ命、のオラが、遡上アユをだっこできる日がやってくるのかなああ。
丼大王は、庭を流れる、いや間違えた、庭先を流れる小川で、あゆみちゃんと戯れているが、同じ東伊豆の小川に遡上アユがいるのであるから河津川にも遡上アユがいるのではないかなあ。
どこまで遡上出来るのか、分からないが。
何で、丼大王は、河津川に行かないのかなあ。
8月9日 酒匂川
1週間の入院でも、急激に筋肉が衰えて、きついリハビリをしなければならなくなる年頃であるから、動き回れ、と脅かされていたが、大井川で七曲がりまでの1キロほどを歩いて、その脅しが現実になりそう、と実感した。
80才の三浦雄一郎さんが、エベレスト登頂が出来るから、負けるな、何て、大それた事ではなく、少しでも川の中が歩けるようになりましょう。
ということで、昼からも釣るつもりで、荷物を預かって貰えるT商店へ。
新しい場所を開拓する気力もないから、富士道橋と報徳橋の中間へ。
砂止めブロックの上流に一人いる、と、見えたが、ブロックに止まっていた鷺。サギにだまされるとは、新しい偏光眼鏡が欲しいなあ。
右岸から左岸への流れに小中学生が跳ねている。あゆみちゃんがいない状況ではない。
しかし、釣れませんなあ。
囮君は、吸盤ボウイ、穴あき石、小学生のぽっちゃんにもへこたれずに働いてくれる。これぞ、仕事人間の見本です。暫く休んで又働いて。
アカは薄い。照度が2万ルクス以上であることが関係しているのかな。土用隠れかなあ。いや、瀬で跳ねている鮎がいるし、この界隈では、左岸漁協前が1メートル近い水深があるとはいえ、頭大の石すらないと思うが。
そうすると、土用隠れとしての避難先はあるのかなあ。避難先がないときはどのようにあゆみちゃんは過ごすのかなあ。
漁協前から、トロを上って来た人は何匹かは釣れていたが。
オラは、幼児と小学生で4匹。
Kさんのおばさんが作ってくれた紫蘇の葉を使った冷たい飲み物を今日もごちそうになり、貧乏で痛む心が癒やされました。
松田地区に行くしかないのかなあ。混んでいるしなあ。荷物を預けられのは昼までやしなあ。
まあ、今日も囮を休ませるため、早ビールを呑んだから、実質、昼までの働きにしか過ぎないが。
Tさんは、オリンピックと高校野球が始まったから、松田地区もそれほど混んでいないとはいうが。
しいいずかなあ しいずかなあ +おばちゃんの紫蘇の葉を使用したなんとも爽やかな飲み物+荷物を預かってくれる報徳橋と富士道橋の間にするか、何でか、ここよりは鮎が多いのではと思える松田地区にするか、悩みますねえ。
お百姓さんは、「キュウリの猛攻にバテてます」とのことであるから、アッシー君に使えないしなあ。
何年か前も、作付面積を間違えて、あゆみちゃんと遊ぶどころではなかったときがあったけど、今年は、適度の雨とお天道様にこにこが関係しているのではないかなあ。
もっとも、キュウリの猛攻がなくても、あゆみちゃんをたぶらかしたくなる川もないか。
来年は、桂川の年券を買うのではないかなあ。くちゃん、案内人を覚悟しておいた方が慌てなくてすみますよ。
8月11日 中津川
中津川は、日向橋、トンネル横等、これまで余り人が入っていないところ、放流地点と離れたところで、幸運に恵まれた人がいるにしても、遡上アユがいないことは相模川同様であるから、ボウズも恥ずかしくない。
海底(おぞこ)迄歩くつもりであったが、少し水量が多い。ウエーダーで転んだら、対処不能になるかも。ということで、その手前の瀬肩付近へ。
見える範囲には、ニセアカシアの木があった附近に、新人とその教育係の人だけ。
河原は、田代ほどではないにしても、賑わっているのになあ。
アカ付きは、大井川、酒匂川に比べて、はるかによい。というよりもたっぷりとアカがついている。
照度2万ルクス以上が、硅藻の枯れ死、生長に影響していて、藍藻が優占種のところでは、その影響が少ない、ということかなあ。
攻撃衝動が解発されていない鮎でも釣れる、と、はちゃんか、まちゃんか、よねさんにもらった二段の蝶バリを使えど、蹴られただけ。
瀬肩だけでなく、子供たちが水遊びをしている付近迄下ったのになあ。
オラ専用のビアガーデン「おとり」で、ビールを呑んで幸せ一杯になっているのを見ていたやはり朝帰りのご近所さんが、釣りのあとと湯あがりのビールは最高、と。
車で来なくても歩いてくればよい距離だと思うが。
大井川の年券を持っているんですがねえ。
河口産が採捕されているから、遡上アユが狩野川とは違って、ゼロに近い水準ではないはず。
駿遠橋のブロックまでは遡上障害はないはず。大和田から家山川合流点付近迄に、まだ石のある瀬があるかも。
長島ダムが出来る前には、大きい石が転がり、その周りは玉石が詰まっていたけど、頭大の石のあることころがあるかも。
桜並木のところの囮屋さんがあれば、電車通勤も出来るが、今ではアッシー君がいないと、その付近に入ることはできないんですがねえ。
8月13日 中津川
オリンピックと高校野球が始まって、酒匂川の松田地区も空いている、との話はあるが、元々の混みようが、昨今の川では半端ではないから、ゆったり、のんびり、という状況は期待できないでしょう。
ということで、河原は大入り満員でも、河の中は空いている中津川へ。
海産畜養の15,6センチか、大きな継代人工か、囮の選択が出来る。当然、スリムで、泳ぎの達者な海産畜養を。
海底まで歩く。上流側に1人、暫くして1人が追加しただけ。その人達は、途中で消えて、代わりに2人が入ったが。その中の1人は、1匹釣れていたのが見えたが‥‥。
おまんなあ、人様のことよりも自分のことを考えろ。
瀬落ち附近から囮君はどんどん泳いでくれますが。跳ねる鮎も5匹と数匹はいますが。アカ付きは良好ですが。
それでも、釣れんとは、おまんがへぼじゃあ。
よおく、わかっています。人工養殖が囮の時は、何時間働かせるんじゃあ、ブラック企業で訴えるぞお、といって、ストライキをされるんですがねえ。
ところがですよ、今日の囮は、ぽっちゃんがあろうが、長時間働かさられようが、不平不満を言わないんですよねえ。オラは、専用のビアガーデンで、ビールを呑みたいんですがねえ。仕事人間の社員・囮を、社長をこき使うブラック社員じゃあ、と、訴えたいなあ。
やっと掛かった。そして、ジジーはおよびでない、と、だっこされないように、強い抵抗をする今年初めてのあゆみちゃんに出会えた。
次の囮は、一寸鼻を引っ張ると、過剰反応をして、扱いにくいなあ。たまには煙草を吸いたいから、ライターをつけるときに鼻を引っ張りすぎることもあるんですよ。
と、囮君に文句を言っていて掛かった。
2匹も釣れるとは有難いなあ。
囮君と釣れた2匹とも、下顎側線孔数は4対左右対称。
背鰭は、頭側としっぽ側の長さ・高さが大きくは違ってはいないが、帆掛け船ではない。囮君は、釣れた鮎よりも黒っぽいが、これは保護色のなせる事柄でしょう。
昼になった。もう十分、と、竿を畳む。
専用のビアガーデンでビールを呑んでいると、10匹以上釣った人が、バーベギューをする、とやってきた。しかもですよ、小学生か、中学生の娘さんは、山女魚を釣っている。オラは、3月1日でもボウズで、今年は山女魚を1匹も釣ってないよお。
こんな、差別、格差にあっても、囮ちゃんが、気持ちよく泳いでくれたから、落ち込むことはなし。めでたし、めでたし
8月15日 中津川
酒匂川の松田地区にするか、中津川にするか、迷ったが、天気晴朗とはいえない状況のようで、中津川にする。
15センチくらいの海産畜養をもって、海底へ。前回、5匹+αのあゆみちゃんを残してあるから、ボウズはない、と思っていたが、昨日、よねさんが10匹以上釣ったとのこと。よねさんが釣り残しをしてくれるほど、心優しいとは思えないから、ボウズかなあ。
海底の瀬落ちには先客がいて、番茶も出花娘くらいの大きさを取り込んでいた。
その上流に入る。
かって、大きい石が2,3個転がっていたときは、オラでも川見のまねごとをすることが出来たが、その目印が埋まってしまい、どこが食堂か、見当がつかない。
しかし、1匹釣れて、ボウズはなくなった。
根掛かりをしたから、一応、外しに行くが、それ以上の立ち込みは危ないから、やめた。迷人見習い君達がいてくれたら、すたすたと歩いて根掛かりを外してくれるのになあ。今年初めての根掛かり放流で、ビールタイムにしょうかなあ、と思っていたが、運よく、外れてくれた。
流れの真ん中付近まで石を見たが、頭大の石はあるが、その周りには小石や砂利が少しあるから、よき食堂ではないかも。
先客さんが、何匹か釣って、場所移動をしたから、瀬落ちへと囮を入れる範囲を広げていく。
7匹釣れた。その大きさと容姿は前回と同じ。
ただ、1匹例外があり、18才は人工。
気持ちよく、囮屋さんに戻ってくると、よねさんの鮎バックがある。
昼からも働く元気はないから、着替えて専用のビアガーデンでビールを。
その時、よねさんが、ビール代を払ってくれている、と。鼻環仕掛けを作ってもらい、その上、ビールまでおごってもらうとは、申し訳ない。感謝感激。
7匹という中津、相模では最高の釣果とビール、おらあしあわせやなあ。
こあゆちゃん、くちゃん、よねさんを見習って、余命幾ばくもないはずのジジーを大井川に連れて行ってえ。
年券を持っているよ。駿遠橋下流にはアッシー君がいないと、数キロ、囮屋さんから釣り下ることになるんですよ。かわいそうでしょう。
丼大王は、青い絨毯をしきつめた狩野川を見て、流石に竿を出す気にならず。庭先の小川で、あゆみちゃんと戯れているが、21センチの大きさの遡上アユが、今の時期に釣れても不思議ではない。
ただ、遡上アユであるのに、メタボであるのは何でかなあ。
大井川の10月半ば頃、性成熟をしている状態ではないが、太った鮎が釣れることはあるが。それにしても8月で、遡上アユがメタボとは。継代人工はメタボは当たり前であるが。
8月24日 大井川
今年の大井川は、河口で稚鮎が採捕されているから、狩野川並みの遡上量ゼロ水準ではない。しかし、1995年の狩野川の遡上量がゼロ水準の時に、大井川が遡上アユを楽しめる救世主となった状況であるのかどうか。それを確かめるには、橋脚のところの先掘?を防止するブロックがある笹間渡鉄橋、駿遠橋よりも下流で釣るしかない。
やっと、アッシー君が釣れた。
駿遠橋下流の流れは、左岸前山の崖にぶつかっていたが、そこは河原になっている。
その場所は、大石が転がり、年により形状に変化があったものの、オラにはありがたい場所であったが。
腹に札束を詰め込んだメタボ君は、その上流の轍のある場所に車をおけばよいのに、少しでも水辺近くまで乗り入れようと石ころの斜面を下っていく。そんなに歩くことを嫌うからメタボになるんじゃああ。
瀬に石があり、波立ちもある。
くちゃんが瀬肩で掛けた。掛かりどころが悪く、囮に使うことに苦労したとのこと。二年前?同様、くちゃんの快進撃か、と思えど、それっきり。
メタボ君も、釣れたとはいえ、快調とはいえませんなあ。
オラは、吸盤ボウイが2匹だけ。吸盤ボウイとアユの食糧は同じであるから、吸盤ボウイがのさぼっているということは、アユが少ないということかなあ。なお、メタボ君も午前5匹の吸盤ボウイを釣ったとのこと。
12時、家山の駅に汽車が到着。その少し前から、メタボ君の竿がしなっている。くちゃんにも、囮をやるから、働け、と余裕に。
オラは汽笛とともにビールタイム。河原で呑むビールはうまいなあ。あと何回、河原でビールが飲めるのかなあ。
メタボ君は、昼頃の入れ掛かりがあって、午前の部は7匹、午後は1匹。
くちゃんは、昼寝の後、橋近くに入って、3匹掛けるも、取り込めたのは1匹で、、計2匹?。
だから、遡上アユの馬力を考えて、7号のハリでは身切れをするから、今の時期は7.5号の保持力重視のハリにするんですよ。桂川の放流ものとは比べものにならない馬力ですよ。
オラはボウズ。
なお、メタボ君は、22才を囮にして、23才を釣り上げた。その時は丼を覚悟したとのこと。しかし、高級な、「高価」な竿のお陰で取り込めたとのこと。なお、人工が1匹混じった、と。
お二人さんは、大井川の遡上アユの馬力を楽しめたから、又アッシー君になってくれるかなあ。
殊に、くちゃん、身切れをしないようになることが「本物」のあゆみちゃんをだっこすることには不可欠ですよ。又、大井川で修行してえ。その時は、余命幾ばくもないはずの「後期」高齢者を乗せてえ。
駿遠橋下流の瀬では、遡上アユが多い時は、駿遠橋のご近所さんが、オラがまだ宿から立ち去らない早朝から竿を出していた。その人はまだ川に入っているのかなあ。
20世紀末か21世紀初め、駿遠橋上流の歩きやすい河原の林?の中を歩いていた。その車道の両側の木に所々、ビニールの白いテープがたなびいていた。
犬と散歩にやってくる駿遠橋のご近所さんに、そのテープの意味を聞くと、夜陰に紛れて、刺し網をする人の車の案内標識とのこと。
刺し網をする場所の近くの林には、アユを脅かす竹竿が隠されている、又、刺し網漁が行われたことは、河の中にアカのついていない石があることで判る、と。
ご近所さんは、ここで話していることが聞こえる距離のところに刺し網漁の仲間がいる、と。
仁淀川の弥太さんが、火振り漁、刺し網漁の時は、遡上アユが危険、恐怖から逃れようと、母なる海に逃げようとして、下流に逃走する、と話されている。もっとも、火振り漁では、黄色いめらめらと燃える火に驚いて、河原に飛び跳ねるアユもいて、子供たちにとってはそのアユを拾うことは、よい夕涼みの遊びになっていた、とのことであるが。
その犬と散歩のご近所さんはお元気かなあ。
ということで、最後は、温泉に。
当然、ジジーの、無免許の、ボウズの特権で湯あがりのビールを1人愉しむ。
道志川の横浜市水道局の堰堤に魚道が出来た、との話があった。
もし、魚道が出来たのであれば、青野原へも遡上出来る。
オラが、津久井「湖」産を釣りに行った時は、砂利、小石で、うじゃうじゃいるチビアユが、コロガシや毛針で釣り放題、という状況であった。
その後、宮ヶ瀬ダムから相模大堰で取水するための水が流されるようになって、石が出て、アユが育つ環境となった。今はコロガシを引退したご近所さんは、それを釣るために通っていた。
迷人見習い君、狩野川が駄目、と河から疎遠になっていたら、足腰はどんどん衰えますよ。青野原の状況を見に行こう。囮をもって。ついでに、大井川の数少ない遡上アユも、一攫千金を夢見て出掛けよう。
9月10日 中津川
何日ぶりかなあ。「おっさん」の頃、「後期」おっさんの頃であれば、天気予報が雨、通り雨を予報していてもあゆみちゃんとの逢い引きをしていたのになあ。
「野口おとり店」のH・Pには幸せな人たちに釣られたあゆみちゃんが連日写真付きで掲載されている。
まあ、幸せ組には入れないが、雨は降らない、ダム放流は止まっている、濁りは透明度ゼロではない、ということで、バス停へ。今日は土曜日であるから、高校生は休みのはずが、一杯いる。仕方なく、一台後のバスにした。
海底まで歩くつもりであったが、先客が入っている。それよりも、透明度が3,40㎝ほど。底が見えないところもあるから、転んだら大事になる。あんよの練習をやめて瀬肩付近で釣ることに。
残りアカか、新アカか。
残りアカ狙いでしょう。ヘチのドロかぶりの石に食み跡が。
この付近には袋はないし、イン、アウトの流れが明確になっているところもないから、石裏に囮を入れましょう。
煙草に火をつけるいとまもなく、掛かった。
その立ち位置付近の頭大よりも大きな石には、太い食み跡が。番茶も出花娘が、増水で避難したときの食堂かなあ。海産畜養かなあ、継代人工かなあ。避難後、今はどこにいるのかなあ。
残りアカはあちこちにあり、むしろ、アカ飛びが、流れの強いところとか、石の大きくないところということかなあ。
下流側の人が、釣れているのに動いたから、オラのなわばりは広がった。
角田大橋上流はずらっと並んでいるから、ほかの場所を見ることは出来ませんなあ。
やっと昼のチャイム。
計6匹。中学生が4匹、小学生が2匹、各1匹の下顎側線孔数が4対左右対称ではない。
いつもとは違って、幸せ組とウン倍の格差しかないと思うから、幸せですなあ。
昼過ぎの高田橋は数人、弁天に人は見えず。分流に水が流れていて、車では渡ることが出来ないからかなあ。
昭和橋下流のコロガシは1週間ほど前から、戦車道のところでは小中学生、伏流水があり、まわりよりも濁りの薄いところには、番茶も出花娘達が跳ねていたとのこと。ただ、番茶も出花娘達は浮いているから、釣れなかった、と。雄物川さんなら、軽い錘を使うでしょうが。
15才くらいを中心として、20匹くらいは釣れているとのこと。
ダム放流後の相模川
相模川の濁りも笹濁りとなり、高田橋に次いで弁天にも釣り人の姿が見えるようになった。
どのような状況であるのか、他人のふんどしで相撲を取ることに。
その前に、相模川よりも1週間ほど早く、釣り人が姿を見せていた中津川の状況から。
1 9月10日中津川送電線下のげんさん
「自分も午後から中津川へ。
消防グラウンドは釣り人一杯で高圧線のちょっと上の瀬に入ってみました。
中高生6匹、小学生4匹、幼稚園児2匹、相変わらず下手くそでキャッチミス3匹、途中バレ3匹、循環の釣りが出来ずいつもの釣果で残念な結果でした。」
10匹もだっこして、贅沢を言うんじゃあないよ。
消防グランドは、9日、少なくても2人が20匹コース、それで大入りでは。
Kさんは、10日も消防グランドで30匹。前日は20匹コースの1人。何で、消防グランドが釣れたのかなあ。
なお、9日の壊れ橋でも20匹コースの人あり。
消防グランドが放流地点とはいえ、沖捕り海産の直放流が放流アユの主役のようであるが、継代人工とは違い、上流へ移動している。そうすると、八菅に放流されたものが、消防グランドに溜まったのかなあ。
なお、沖捕り海産が、消防グランド左岸小川に入り込んで、堰で溜まっていたものが放流後にいたとのこと。
送電線の付近に行ったのは5年いや10年ほど前のこと。送電線下から、前年テク2が大漁であった瀬を見て、カジ淵へと歩く。磨かれた石はなし。それで、下流へと歩いて火の見櫓下流の鯉の巣のトロへ。Sさんもやってきたが釣れず。オラは釣れて、さらに左岸から右岸へのザラ瀬状の所でも釣れて、検量。
まさか皆さんが釣れていないとは想像もしていなかった。10匹ほどでトップ。初体験。
その年は、県産種苗の継代人工しか川に居なかった。腕ではなく、運で釣るには、アユのいないときが最適環境です。
今年は、沖捕り海産の直放流がトラックで運ばれてきた鮎の主役であり、かつ、放流量も漁連の義務放流量である120万を大きく上回る量が放流されているのではないかなあ。
なお、数年前までは、漁連の義務放流量は230万であった。
9日に20匹コースであったよねさんが海底(おぞこ:たけやぶ)に10日に入って20匹コース。オラの前を通っていかなかったから、新平山橋への河原の車道を歩いて行ったんでしょう。
大井川は、短時間、1メートルのダム放流?の増水であったが、昨日には平水に。長島ダムがなかった頃は、1メートルの増水では、残りアカの場所はあっちこっちにあったが。長島ダムが出来てからでも葛籠の袋等、釣り場が全滅ということはなかったが。
駿遠橋下流左岸の前山の崖を流れていたところが河原になり、駿遠橋下流、大和田(おわだ)上流には残りアカを期待できる場所があるのかなあ。
新アカがつく時を狙いましょう。
2 9月11日の相模川弁天のくちゃん
「メールありがとうございました。
今日は朝☔だったので釣りはダメかなと思い、午前中用事を済ませておりました。
メールが入っていたので、1時頃相模川に行きました。
テク2,テク3,幸せ男君とも20匹以上の釣果。
後から釣り初めたまむしキラーも順調に釣り上げている中、一人蚊帳の外、やっと2匹だけ。
皆さん上がってから囮を貰い、やっと5匹追加。
明日の囮にならない鮎を20匹ほど貰い帰って来ました。
明日も皆さん行くそうです。
昨日10日に束釣りした人がいたそうです。」
弁天は、残りアカではなく、新アカ狙いではないかなあ。
しかも、新アカは、ヘチだけでなく、瀬の芯附近にもついているということかなあ。
囮シンジケートの皆さんは、丼大王と同様、瀬が大好き人間ですからなあ。
今年の弁天は、去年の三番上りだけが磯部の堰の魚道を上ることができた、という状況とは違い、遡上アユはゼロ、昭和橋、石切場に放流された海産畜養及び沖捕り海産の直放流が弁天「瀬」のアユ。
その海アユの付き場が、ヘチを立ち位置にしていては釣れない場所のようで。去年、ヘチを立ち位置にしていたのはテク3とオラだけ。今年はテク3も立ち込んでいるのではないかなあ。
いや、新アカ狙いであるから、テク3は、立ち込まないで、適切な筋を見つけているのかなあ。
「サラバ効果」は、いつまで続くのかなあ。
中津川は、至る所でサラバ効果に恵まれる、という状況ではなくなったと思うが。
ヘチからではあゆみちゃんの食堂に届かない可能性のある弁天には行くにくいなあ。
くちゃんからのメ-ル
「昨日はテク2もテク3も岸近くに立って浅場を釣っていたと思います。
自分の上で釣っていたおばさんも岸に立って次々と良い鮎を釣り上げていました。
まむしキラーさんは真ん中近くまで立ちこんで釣っていましたが。」
とのことであるから、新アカはヘチ寄りにしかついていないのかも。笹濁りであるから、少し水深が深くなると、光合成が出来ないのかも。
3 9月12日丼大王からのメール
何時もは、「意見・感想」の「丼大王行状記」に登場している丼大王にも登場してもらいましょう。理由は、増水後のダムのある川とダムのない川の違いを見るため。とはいえ、川那部先生も長良川で観察されているように、現在のダムのない川でも濁りがすぐにとれる状況ではないため、古の増水後の川を表現しているとはいえないが。
「片岡さんおはよう、大王です
10,11と2日続きで狩野川の松下にいきました。
釣果は16と12匹です、大きさは24~18、綺麗なのが多かった。
二日間ともガンガンは駄目、その上でしたね。
11日は昼前は11本掛けて6本はずれ、取り込みは5本。
午後からハリをチラシに換え、8本取り込み、バラシは無し。
最後はタモに入れて、ご近所さんと話している最中に脱走、結局7匹か。
雨が激しくなったので終わりました。
しかし釣り返しがきかないな、今日は裏の小川でオトリ獲り。」
狩野川の遡上量が少ない、ということは想像できるが、どのような状況かなあ。迷人見習いが通ってくれたら有難いのになあ。
丼大王が、幸せなことは判るが、それに勧誘されてもオラはボウズでしょうから、まだ行く気にはならないなあ。
釣り返しが効かないことは、故松沢さんが、コケを死守するほどの価値ある質ではなくなったから、と。黄金のコケの時は、一番鮎の動静を、二番アユが、三番アユがたえず観察していて、一番アユが不在となるとその後釜になっていた。
現在のコケは鉄屑であるから、欲しいなら持って行け、と、いう例え話をされた。
その状況とは異なる「釣り返しが効かない」状況であると思うが。
つまり、故松沢さんの釣り返しが効かない理由は、遡上アユが川に満ちていたときの、硅藻ではなく、藍藻が優占種になった時の話。
アユが少なければ、アユの密度が低ければ、攻撃衝動が解発される食糧問題も起こりがたいため、いろんな騙しのテクニックを要するのではないかなあ。
又、雨が続くようで、こんどはいつ川に行く気が起こるのかなあ。アッシー君がいればすぐ釣りに行く気になるのになあ。
9月25日 中津川
9月25日 中津川
前回とは違って、100トンのダム放流であるから、残りアカは期待できない。久しぶりのお天道様であるから、ビールを呑みたくて、バスに乗る。
まだ、普段よりも数倍多い13トンのダム放流量であるから、川流れを避けるため、仙台堰上流のトロへ。
ダムがなかった時は、大石ごろごろ、玉石びっしりであったが、今やヘチには頭大の石ですらちょこっとあるだけ。左岸側には石があるとは思うが、立ち込む危険はしたくなし、白川では石の状況が影響することは余りあるまい。
先客さんは、瀬落ち下流から、堰まで歩いて、小さい、3匹といって、去って行った。その人は八菅に行ったが、大入り満員で、あたりすらなし、と。消防グランドは、開きしか釣れないはずであるから、空いているここにやってきた、と。
オラは、幼児をぽっちゃん、ハヤかなあ。中学生が獲れたから、ボウズはなくなった。下顎側線孔数は、4対左右対称。〆は、中学生のぽっちゃん。
このトロに3人やってきたが釣れたのかなあ。
囮屋さんには、珍客万来、とはいえないが、20匹コースは当たり前のKさん、何年ぶりかのOさん、その上ドラえもんおじさんも。このうち、竿を出した人はいるのかなあ。
高田橋上流、弁天瀬肩上流には数人ずつ。
漁協H・Pに,前回のダム放流で遡上した、中津川には遡上アユと海産畜養がいる、と。
6月始めでも遡上するかかどうか、きわどい時期であるのに、8月終わり頃に遡上しますかねえ。遡上アユが友区にはいない、と断言できるが、遡上アユが8割とは、いかなる観察をされているのかなあ。これでは、魚道が遡上阻害になっているから修繕せよ、と、要望することすら、あり得ませんなあ。もう、相模川を含めて、友区では遡上アユに逢えないことになるのかなあ。
9月28日 中津川見物
土、日曜日の中津川へのダム放流量が、13トンであったから、当然、それよりも減っている、と思っていたが、17トン。土、日曜日だけ釣り人サービスをしたということのよう。
増水時の釣りは、昔囮が流れ、今転ぶとオラが流れる。川流れはしたくないから竿を持たずにバスに。
「吾輩は猫である」の猫殿は、カマキリを補食する動作でも運動になるとおっしゃっているから、川に入らなくても、川沿いを歩くだけでも運動になるでしょう。
駿遠橋ではまだ30㎝、酒匂川でも同じ。後、何日後に行く気になるのかなあ。
丼大王は、今日も東伊豆の小川できれいな乙女をだっこしているのかなあ。
馬渡橋下流の河原、中州の蘆の倒れ方から判断すると、100トンのダム放流の時は、17トンの時よりも1メートルほど水かさが増えていたよう。そうすると、河原の草木は永遠に不滅です、となる。二度の石ころだらけの河原にはならないということかなあ。
橋上流に3人。現在は、橋梁工事が休止しているからか、河原に車が入ることができる。
田代の球場前は2人。下瀬は10人ほど。
流石に新平山橋界隈には人影なし。角田大橋上流は数人。
塩ゆで落花生でビールを呑み、篠ノ井線の姨捨からの風景、飯山線の雪の中を走る汽車の話を長野鉄道?沿線が故郷のババ様と話して愉しかったなあ。
そして、びっくりしたのは、千曲川がブラックバスの釣り場になっているということ。大鮎の千曲川変じてバス釣り場とは、これいかに。
9月30日 中津川
酒匂川の年券代を少しでも取り戻すため、酒匂川のつもりではあったが、2,30㎝増水しているから、中津川へ。中津川も16トンのダム放流であるから、増水しているが、瀬肩をあきらめて、前回同様、仙台堰と角田大橋の中間付近に入れば、川流れの心配はない。
オラ専用のビアガーデン「囮」に行くと、後期高齢者がたむろしている。皆さん、入る場所の協議をしていたが、あそこは流れが狭まっているから駄目、などと話している。オラ同様、あんよと相談しながら、場所を選択している。結局、角田大橋上流にしたよう。
根掛かりをして、流れが緩いし、股下までであれば大丈夫、と立ち込んでいき、長い根掛かり外し棒で外した。根っこのついた蘆。
ついでに沖を見たが、石が主役になっているところは左岸寄りだけのようで、見える範囲には、「石を釣る」何て場所はない。
ということは、交通事故を期待するしかなし。
小学生、幼児の4匹。小学生には下顎側線孔数が4対左右対称でないものもいた。
前回、ぽっちゃんをした幼児を鮎ではないと思っていたが、鮎かも。
漁協が、「遡上鮎がいる」と判断しているのは、寒川の堰付近での汲み上げ放流のことかなあ。そうすると、数が合わないが。
テレビで、調布の堰下流で網で採捕している映像が放映されていたが、1日で7千匹?くらい。
矢作川や、昭和30年代のいつごろまでは琵琶湖に注ぐ川で行われていた逆梁での遡上鮎の採捕であれば、大量に採補できるが、網では大した量を捕ることは出来ない。
磯部の堰を遡上出来なかった湖産放流全盛時代、相模川第一漁協あるいは漁連で、その下流で網による稚鮎採捕をしたことがあったとのこと。
その時の漁協の人が、手間賃、昼飯代等を考えると、高くついた、と、話されていた。
現在は、海アユが高くなっているから、放流代金代としては湖産や継代人工等を購入するよりも採捕した方が有利となるかも。
漁協H・Pによると、汲み上げ放流は4月下旬に3回、15,000匹となっている。
そうすると、中津川の友釣り区にいる海アユは、沖捕り海産が主役となるが。もちろん海産畜養もいるが。
寒川の4月下旬の遡上鮎ということであるから、3番上り。したがって、大きくても中高生で、乙女の大きさに育つことはない。
沖捕り海産は、いつ頃採捕したものが直放流されたのかなあ。
もし、4月以降であれば、1番上りは櫛歯状の歯に生え替わり、川に入り、コケを食べていると思うから、2番上り、3番上りの稚鮎と思うが。そうすると、まだ櫛歯状の歯に生え替わっていないから、植物プランクトンが繁殖できる止水状のところで、動物プランクトンを食べることが出来るものが生存できた、となるが。
生存できても、動物プランクトンの食糧不足から、成長が悪いのではないかなあ。
それが、現在の幼児ではないのかなあ。
そして、食糧不足の期間が長期でなかったもの=櫛歯状の歯に生え替わるまでの期間が少しは短かったものが、小中学生になっているのではないかなあ。
今回のダム放流後、昭和橋のコロガシでは、小中学生に変わって、腹子をもった高校生が増えたとのこと。
その人工は、昭和橋に放流されたものかなあ、大島や葉山に放流されたものかなあ。
10月2日 中津川
ダム放流量は10トンくらいであるから、平水の2,3倍くらいの水量で、2,30㎝の増水ではないかなあ。
そうすると、仙台堰上流の瀞でなく、角田大橋上流の瀬肩に入ることができるかも。
とはいえ、何時もよりは上流の平瀬状のところに入る。
海底(おぞこ)の瀬落ち、瀬尻には、3人入っているが、1人を除いて去って行った。残った人も釣り下って来る。
アカ付きは良好とはいえないが、ヘチの石には中高生の食み跡が少しはある。
しかし釣れませんなあ。蹴られがあっただけ。
橋上流には9時頃までがらがらであったが、混んできた。ほかが満員でやってきたのかなあ。
その人達を無視して、橋のすぐ上流の平瀬へ。
海産畜養の高校生はよく泳ぐなあ。小学生がぽっちゃんしても疲れた、何ていわない。
中学生の下顎側線孔数が4対左右対称が釣れたから、ボウズではない。
酒匂川の年券代を少しでも回収しに行こうと思ってはいたが、2,30㎝の増水とのことであるから、やめた。2,30㎝の増水でも、新栄倉庫附近上流では、ヘチを立ち位置に出来るところもあるが、10月1日からコロガシが解禁になっているから、どの程度、混んでいるのか判らない。
報徳橋下流ではコロガシのことを考えなくてもよいが、何時もの富士道橋と報徳橋の間の瀬では、2,30㎝の増水が気になる。富士道橋附近では河相がどうなっているのか判らないから、行かなくてよかったかも。
大井川の駿遠橋も2,30㎝の増水であるから、いつ行けるようになるのかなあ。
10月5日 中津川
酒匂川は、栢山の堰の魚道の遡上達成率は低いのではないかなあ。あるいは、相模川とは違って、遡上量が大量でないのかも。
とはいえ、磯部の堰の魚道や、中津川の下流の方の魚道で遡上阻害が発生している相模川よりも鮎が多いから、天気さえよければ年券代を回収するために出掛けたいが、昼ごろに小雨が降るとの予報。
ということで、中津川へ。
ダム放流量は、9トン、現在は4トンぐらいでは。
角田大橋上流の瀬肩下の瀬へ。
掛かった。流れの緩いヘチがない。丼も覚悟した。0.25のフロロであるから、丼はあり得ない強度ではあるが、解禁日以来、使い放しで草や落ち葉が糸に絡んで傷がついているかも。幸い、だっこできた。今年初めての番茶も出花か、と。
今は昔、狩野川城山下で、24,5才?の遡上乙女をだっこできた、と思った。故松沢さんが計測をしてくれた。1,2センチ短かった。故松沢さんは、トンカチで延ばそうか、といったが。故松沢さんが長良川の集荷場に鮎を持ち込んだとき、尺鮎だ、と居合わせた人々が騒いだが、故松沢さんは、泣き尺と判断されていた。結果は泣き尺。
容姿で、あゆみちゃんの氏素性を的確に判断するだけでなく、大きさも即座に判断できるとは、あゆみちゃんで半年は食っている目利きのすごさを見聞できたときでした。
オラは、だっこするまでの馬力の強さで、大きさを判断する習性があるよう。
とはいえ、18才の女子高生といえども、今年最大の大きさには変わりなし。下顎側線孔数は4対左右対称。
小学生を釣り、大満足で、囮屋さんへ。
よねさんの鮎バックがある。
その上、よねさんがビールをおごってくれていた。昼からも少し働かないと。
午前、よねさんはニセアカシアの木があった附近で3匹。何時もはウン倍の差をつけられるのに、1.5倍の差とは上出来、上出来。
へさんは、ハヤ1匹とのこと。
昼からは、川流れの汚名を絶対に着ることのない角田大橋のすぐ上流へ。
3時前に小学生が釣れて気持ちよく終了。
へさんは、数年前に廃止となった大井川のジジー割引を知っていたから、大井川に行ったことがあるよう。ただ、神座よりも下流ではないかなあ。
台風がそれるようであるから、誰か、行かないかなあ。
丼大王が松下の瀬、上島橋でだっこした25才級乙女は、東北、日本海側の海産畜養か、それを親としたF1かなあ。
迷人見習い君、納竿会には出席するんでしょう。数年前の大鮎の素が、今年放流されたのか、どうか聞いといて。
ついでに、上島橋の乙女が痩せている理由も。松下の瀬と上島橋で食糧事情が異なるとは思えないが、なんで、上島橋が痩せている乙女かなあ。
10月7日 酒匂川
報徳橋上流のコロガシ解禁になったところも、コロガシはあんまり入っていないとのことであるから、十文字橋界隈でもよいが、コロガシの仕掛けに根掛かりするとうっとうしいから、富士道橋上流へ。
右岸護岸沿いの水の流れていなかったところに水が流れ、チャラになっている。数人入っている。
オラは、何時もの報徳橋と富士道橋の間の砂止めブロック下流の右岸から左岸へ流れを変える瀬へ。
アカ付きは薄いなあ。濁りはないのに、まだ、光合成はしないのかなあ。いや、日数が経っていないのかなあ。
掛かった。番茶も出花娘。馬力がある。掛かりどころは悪いのに。次も同じ。そして、小学生のぽっちゃん。ぽっちゃんは、番茶も出花娘もある。そして、だっこした鮎と同数。全部取り込んでいたら、夢のつ抜けになったのに。
丼大王は、先日、松下の瀬で底バレを多発して、ヤナギに換えて遡上鮎も放流鮎も少ないと思っている狩野川で、オラの何倍もだっこしているから、ハリを変えろ。
そんなことをいわれましても、2,3年前の6.5号を使い切るためにほかのハリはおまへんわ。
そのハリは、接着剤の劣化は気になってはいたが、ハリスの劣化には心及ばず。ハリに近いところでハリス切れあり。
2匹の番茶も出花娘と2匹の小学生をだっこできたから、満足して、左岸に沿って流れるところへ。
左岸側は流れは強いが、河原側・右岸側は小石のチャラ。ここは楽ですなあ。
囮が流されるとはこれいかに。人工丸出しの鮎が掛かっていた。
昼ビールは禁酒であるから、握りを食べた後、富士道橋附近にあるというチャラへと、歩いていく。
漁協前の下流で、チャラが途切れ、水深が深くなり、さらに、流れが強くなっている。河原は草原。あきらめて引き上げることに。
ダム放流後、漁協の池に残っていた人工が放流され、乙女も釣れたというチャラの状況を見には行けず。5番目に釣れた人工は、それがヘチを伝い、食糧を探しに来たものかなあ。
瀬で一番強い流れの、オラの上流側で短時間釣っていた人は、そこでは釣れず、漁協前附近で馬力のない人工だけが釣れたとのこと。
まあ、昼を過ぎたし、富士道橋への道を絶たれたから、上がりましょう。
右岸のチャラには数人が入っている。上流側の階段のあるところは渡ることは出来ない。下流側の階段のところは、幸いにも人がいない。
囮屋さんに戻ると、朝そこで見かけた人も戻ってきた。3匹かな。御年80才。しかも東京を通り過ぎたところからやってきた古くからの常連さんとのこと。
常連さんは、酒匂川も那珂川も遡上は少ないのでは、と。
10月10日 中津川
昨日、一昨日の雨こんこんによる増水は、駿遠橋で短時間だけ40センチ、松田は30センチ。
酒匂の遡上鮎ではなく、海産畜養では、と思っている番茶も出花娘をだっこして、尻尾の切れ込みの深さを確かめたいが。それに、ぽっちゃんした番茶も出花娘を他の人に奪われたくないが、アカ付きの悪さが気になりますねえ。その中での30センチの増水がさらに僅かなアカを流してしまったかも。
それに、今日は大入り満員かも。その場所は動けないと意味がない瀬。もちろん、沖へと立ち込んでいけば話は別とは思うが、オラには立ち込むこと能わず。
ということで、酒匂川は後日にして、中津川へ。
角田大橋は、あんまり混んでいないなあ。囮はたっぷりとさばけたということであるから、皆様はほかの繁盛している食堂に行ったよう。
瀬肩下の瀬に入るが、さっぱり。瀬肩の人は、小中学生を数匹だっこしているが。
根掛かり。沖の筋での根掛かり故、とても外しに行けない。竿を畳んで糸と竿を真っ直ぐにして、引っ張った。糸は切れず、根掛かりが外れた。
ボウズでも、楽なところでボウズになりたい。
ということで、角田大橋のすぐ上流へ。
囮が変わった動きをしたときは、点検すべし。ハリが尻尾に絡んでいることも。逆バリが外れていることも。
結局、何時ものようにボウズに。
おばちゃんは、オラが着替えているときに、ビールとつまみを用意していて呉れた。
川の中は、10月であるというのに、生足の女子高生の発熱量が羨ましいとはいえ、ビールにはまだ季節外れということはない。
平成の初め頃迄は、11月でもタイツで釣りが出来たのになあ。もちろん、あんまり川に入らなくてもよい城山下の二本電線、柳があった平瀬で釣ってはいたが。そして、熱燗娘で腹の中から暖をとっていたが。
前回がボウズでなく、今回がボウズであったのは、ひとえに囮君の違いによるものでしょう。
前回は海産畜養、今日は継代人工。
海産畜養は、駄目社長であっても、社員がしっかりしていて、適切に働けば、商売繁盛、という見本を示してくれた。
まあ、なんとも素っ気ないことではあるが、仕方がないか。
酒匂川は、松田の水位計データを見ているだけでは、川の状況を見誤るよう。
今回のダム放流による濁りと水量は、鮎沢川の状況を加味しなければならないとのこと。
御殿場線が運休になるほどの大雨が鮎沢川流域に降り、増水に、濁りに大きく関与していたとのこと。
さらに、ダム放流が納まった後の雨による増水でも、砂止めブロックの上流に堆積している砂の流失があり、アカ付きを悪くしているとのこと。
ダムがなかった時は、砂止めブロックの上流に砂が溜まることはなかった。石が詰まっていた。
小田厚の赤橋付近の砂止めブロックのところでも、ヘチに砂利のあるところはあっても、例外的な現象であった。
それが、ダムが出来てからは、砂利の堆積が当たり前になった。
その砂利が、増水のときに流れるから、石がグラインダーで磨かれる状況になったとのこと。
どの位の増水で、砂止めブロック上流側の砂が流れるのかなあ。
10月12日 酒匂川
先日の雨による松田の水位計は、2,30センチの短時間の増水。これぐらいでは、いくら砂利の多い酒匂川でも白川にしないだろう、と、富士道橋と報徳橋との中間附近の瀬へ。
何と、まだ、10センチか20センチの増水。これだけであれば、なあんも支障はないが、白川。折角つき始めていたアカは流れている。
まあ、囮君に働いてもらわねば。
囮君は、こんな状態で働かすとはブラック企業だ、と、オラに反旗をひるがえし、海老、地球だけを釣りまくる。
砂止めブロックすぐ下流の左岸側に入っている人は、時折しゃがみ込んでいる。そこだけ、チャラであるから、あゆみちゃんがいるのでしょうなあ。
右岸に沿うところは、本流の水が流れ、分流に格上げされている。1人入っているが。
干物屋さんの大会前日、まちゃんが、富士道橋下流にチャラがあり、30匹コースであったから、富士道橋下流へと歩く。
富士道橋下流の本流は、2昔ほど前の、湖産放流全盛時代が終わり、酒匂川でも継代人工が放流され、又、狩野川の遡上量がないほどの状態で、又、神奈川県内共通年券がなくなる頃の10月、囮屋さんと2人だけで寂しく釣っていたときと、流れが全く変わっている。
その時の流れの巾の数倍の巾になっている。水深も深くなっている。立ちこめる範囲は砂利で、石はなし。
鵜は二羽いたが。鳶が水浴びをしていたが。とても竿を出す気にならない。
赤橋上流には新しい橋がある。
その橋の付近で、湖産放流全盛時代、左岸側が少し空いていたから左岸に渡った。帰るため、右岸側の隙間を求めて、流れの巾の真ん中付近が、馬の背ではあるが、砂利であったから、そこを歩いていた。怒る人はあれど、隙間なし。しかし、心優しい若者が、ここを渡ってもよい、と。
それ以降、左岸側が少し空いていても右岸側から釣ることに徹しました。若者さん有難う。もうおっさんでしょうが。
結局、本流にはチャラが見当たらない川の状況。
まちゃんは、右岸に沿う流れのチャラを釣ったのではないかなあ。富士道橋上流で伏流水がでていて、それが橋下流ではチャラの水になっていたのでは。
まだ働いていない囮君を働かせるために右岸護岸沿いのチャラで時間つぶしをする。幼児か小学生かがぽっちゃん。
やっと昼に。
お日様にこにこの河原で、ビールが飲めるだけでも有難いと感謝しましょう。
なお、橋上流には数年前に入ったが、砂利まみれで、所々にある頭大の石だけが釣り場であったが、その状況は変わっていないのでは。
数日前の増水は、鮎沢川よりも、川音川の方が大きかったとのこと。そのため、松田の水位計では増水が小さく出ていたよう。
もう、松田地区しか石は少ないのかなあ。小田急鉄橋上流側に見える砂の中の大きめの石は、アカがついていた。
囮が売れる河相とは思えない富士道橋界隈。一部に石の出ているところはあるが。
囮屋さん、おばちゃん、あんまり売れない囮を置いていてくれてありがとう。紫蘇の葉を使った爽やかな飲み物を何時もごちそうさま。
80才の昔からの常連さんが話されていたように、もう、来年又逢おう、とはいえない年頃であるから、来年も元気であったら、又逢いましょう。
先日、川流れで亡くなった人は、コロガシをしていたとのこと。
報徳橋上流で、コロガシをしていて何で川流れをしたのかなあ。増水の中、渡ろうとしたのかなあ。
夕暮れ前の高田橋に、田名の主が。数匹釣って、バレ連続、と。県産種苗ではないかなあ。先日、田名の主のお友達が50匹コースとのこと。その時と鮎が変わった、と。下ったのでは、と。
まあ、磯部の堰を遡上した鮎はいない、とか、高田橋の鮎の氏素性云々の議論をする気にならないから、黙っていた。
なお、田名の主は、消防グランドで、皆が竿を出していない瀬で、玉引きをして大漁だったとのこと。ただ、うなぎ釣りの竿にうなぎが掛かったため、その時に鮎釣りはやめた、そこには毎年うなぎがついているとのこと。
田名の主は、ヒゴ釣り等の時、山の竹藪で獲ったドバミミズではないかと思うが、色とか、大きさが里にいるドバミミズとは違いのある大きなミミズを使っている。今回もそのミミズを使ったのかなあ。
弁天の瀬で、30匹ほどのテク2、マムシキラーご一行が帰るところに出会った。弁天の瀬に入っている人をたまに見かけるが、多くは瀬肩よりも上流のトロに入っている。
10月14日 中津川
9時前、高田橋に人影なし。弁天の瀬は10人近く。
中津川の囮屋さんにはまだ、川に行かずに数人がたむろしている。午後にならないと、釣れない、ということかなあ。
あんよの練習のため、壊れ橋へ。
数人入っているが、橋のところの人は釣れているが、1時間ほどで去って行った。
オラは煙草を吸い終わる前に高校生。下顎側線孔数は4対左右対称。
オラのあんよで根掛かりが外しに行けるかどうか、微妙であるから、ボウズでないことの貴重な生き証人を箱入り娘に。
10人ほどの人が入れ替わりながらも入っているが、立ち込んで左岸側ヘチに囮を入れている人以外は、ボウズかも。
ヘチの大きめの石には、ダム放流の時に避難していたあゆみちゃんの食堂になっていた痕跡はあるが。左岸ヘチで、高校生が跳ねているが。
ビールを飲んで帰ろかな、と思ったが、まちゃんが仙台堰上流のトロに行ったとのことであるからそこへ。そこでは、川流れはないでしょう。
下顎側線孔数4対左右対称の小学生。
まちゃんは、オラが上がる2時頃から、高校生も釣れだし、5匹になったのかなあ。石のないところで釣れている、と。
鮎は石を釣れ、の格言も死語になっている現象もあるのかなあ。
まちゃんは、狩野川での大会の時、入川順位が尻から2番目。瀬に入った。大きい鮎はいないから、と、細糸の金属で丼。丼大王が松下の瀬等で愉しんでいる大鮎の素が放流されていたということ。
その丼がなければ、入賞していた、とのこと。
3時頃の高田橋は10人ほど、弁天の瀬は数人。テク2らは、弁天の瀬がサラバ状態の時に大漁だったのかなあ。
大井川の遡上が出来る駿遠橋下流で、乙女をだっこしに、電車通勤をするつもりであったのに、釣り人がいない、囮はない、ということで、乙女をあきらめるしかなし。
ああ、何と不幸な巡り合わせでしょう。
仕方ないから、狩野川でボウズの修行をしましょう。
おばちゃん、ビールに、いろんなつまみを何時も有難う。元気であったら、来年も宜しく。温泉で、けがの養生をするんですよ。
10月20日 狩野川
迷人見習いでさえ、遡上鮎がいないから敬遠している狩野川。アオノロの絨毯、組合長が代われど、嵯峨沢等への放流はしても、松下の瀬等への放流はしていないかも、と疑う状況の狩野川。10月頃の大仁の水位計で3メートルの増水から、トラックで運ばれてきた鮎が流されてきて、松下の瀬で、丼大王は愉しい釣りになっているが。
「デカアユの素」がいかなるものか、野次馬根性で狩野川へ。まあ、オラに釣れなくても他の人の鮎を見ることが出来るかも。
「いずっぱこ」?に同業者が。いずっぱこで、同業者と乗り合わせるのは、何年ぶりかなあ。しかもその1人は、相模原の人。もう1人は、昔の幅広のリュック。今様の縦長のリュックでは、舟とウエーダーを入れることが困難で、鮎バックが重くて困っているオラには羨ましい光景。その人のタモは小さい。引き寄せによる取り込みかなあ、ドブ釣りかなあ。遡上鮎が満ちあふれていた頃の城山下左岸には、11月頃からドブ釣りの姿が見えていたが…。ドブ釣りとすると、どこに入るのかなあ。
そして、囮屋さんには、10人ほどがいる。こんなに混んでいるとは何でかなあ。「デカアユの素」の効果かなあ。
おばちゃんは、今年は入院なし、とのこと。そして、11月いっぱい囮を置くとのこと。
さて、年券を買うか、悩みますねえ。
囮屋さんで舟を借りるから、重たい鮎バックではなく、ザックであるのに、駅の階段を上るとあんよが疲れる。大井川に電車通勤をしたときは、鮎バックであったがあんよの疲れはなかったのに、僅か1,2ヶ月であんよが衰えているとは大問題。
80才でエベレスト登頂の三浦雄一郎さんほどのあんよは無理としても、駅の階段くらい、すたすたと上りたいよう。
ということで、年券を買うことに。
丼大王が「デカアユ」を愉しんだのは、10月始め。もし、デカアユの素が、東北、日本海側=対馬暖流を生活圏とする鮎の海産畜養か、それを親としたF1であるとすると、産卵を終えているか、産卵中となるが。
下りの行動をしないで産卵する「トラックで運ばれてきた鮎」の、松下の瀬附近で生活することになった放流ものの産卵場所は、自動車道上流のチャラ風のところかも。
ところが、デカアユは、「深いところ」で釣れている、と。
初志貫徹で、自動車道上流のチャラへ。
中州側を歩いていると、泥かぶりの石。たまに、かっては一時的な食堂であった石もあるが。右岸寄りで中高生が跳ねているから、過疎地であっても、廃村ではない。
流れの巾の右岸寄りの方が石はきれいに見える。とはいえ、縄張り鮎はいないのでは。群れアユがいるほどの個体数はなかろう。どんなときに掛かってくれるのかなあ。
攻撃衝動が解発されるときは、どんなときかなあ。
乙女が釣れた、と思ったが、さにあらず。20才の番茶も出花娘。下顎側線孔数は4対左右対称ではない。絞めると黒くなったから、性成熟は進んでいる。いや、継代人工であるから、性成熟が遅い、ということになるが。
だっこしたときは美白の海産畜養と思っていたのに。
とはいえ、ボウズでないからありがたや。
乙姫様は商売上手ですなあ。初日からボウズではやってこないから、と、生け贄を差し出すとは。
昼過ぎに上がり、セーターを着込んだだけでも暑いお天道様の下で、狩野川大橋の上下が見えるところでビール。
オラは、「深いところ」を、橋下流の右岸護岸に沿って流れているところと思っていたが、橋上下のトロのことであった。
デカアユの素が釣れた人は見えなかったが、性成熟が進んだ段階になっている「デカアユの素」とはいえる。瀬に入っている人もいたが、釣れたのかなあ。
先日、テク3がわんちゃんを連れてやってきたが、川を見ただけとのこと。
迷人見習いは、遡上鮎がいないから、とやってくることすらないのでは。
上島橋は、9時前に10人ほどとのことであったが、何で、増水のときに流されてきた放流ものの避難場所になっているのかなあ。
10月24日 狩野川
大仁の天気予報は、天気晴朗、気温は20度余り、風は5メートル以下。こんな好条件で出掛けないなんて、乙姫様に怒られます。ビールを持って、いざ出陣。
囮屋さんに着くと、テク2と幸せ男がいる。
お二人さんは、帰りは送っていく、と。ただ、3時まで釣る、と。
これが大問題じゃあ。囮の追加買いはしたくない。どのように3時までの時間を過ごそうかなあ。
大仁駅から10分ほど歩いたところに温泉があった。その温泉は20世紀になくなったと思っていたが、数年前まで営業していたとのこと。今も営業していたら、温泉で暖まることが出来るのになあ。
お二人さんは、狩野川大橋へ。オラは、自動車道上流のチャラへ。
お天道様は雲の中、寒い、吹き下ろしの風は強い。天気予報の嘘つきい。
前回跳ねていた数のウン分の1のハネ。土手の人が、もっと上流、と教えてくれたが。
やっと釣れたのは、継代人工の高校生。ボウズでなくて一安心。
左岸の瀬に入っていた人は早々と上がってきて、その後は囮を追加したのかどうか判らないが。又、オラの下流の瀬に入ったが。
瀬が大好きなお二人さんは、橋付近のトロが余程美味しい場所でなければ、瀬に移るな、とは予想していた。
予想通り、左岸瀬を釣り上り、オラの上流に現れた。
そして、すぐにあゆみちゃんをだっこした。土手の人の忠告に従っていれば、と後悔をしたが。
結果は、幸せ男が2匹、1匹は24才腹ぱんぱんの雌。テク2は1匹のみ。オラと同数とはこれいかに。アユがいないと、ウデの差が出ないという見本ですなあ。
昼になった。お二人さんも帰る、と。
お仲間のもう1人が瀬を釣り場にしていた人。その人も上がる。
さて、テク2は、先日、宮田橋周辺で釣り、食み跡がヘチ等にあるものの、3匹。
幸せ男は、狩野川大橋橋脚附近で20匹近く。26才も。それで、狩野川大橋のトロを出発点にしたが、前回と違い、ハネはない、追われる気配なし、ということで、放浪の旅に出て、オラの上流のチャラでボウズを免れたとのこと。
3人さんは、前回との余りの違いに、狩野川は終わり、と。「下った」のではなく、「産卵が終わった」から、アユがいなくなった。
テク2は、相模川は弁天の瀬で釣った沖捕り海産の直放流であろう小中学生を.冷たい風が吹く頃に一夜干しにするとのこと。
オラも年券がなければ今年のアユ釣りを終えたいが。まあ、そのような事態になることは予想できたから、年券を買ったが。年券代を回収しょうとの浅ましい了見で、ボウズ修行に励みます。
なお、丼大王も終わりかも
3人さんは多摩川の調布の堰下流付近に行くとのこと。囮屋さんというか、養魚場があるとのこと。
オラは、コロガシと一緒であるから、コロガシの仕掛けが根掛かりになるのが嫌であるから行かないが。
なお、ヒゲだるま君は、コロガシの人が少ないからか、コロガシの仕掛けに引っ掛かることを気にすることはない、と。
ということで、3人さんの狩野川最終日ということで、鰻丼。
オラは、すでにビールを飲んだものの、寒いから、熱燗二合。
こんな贅沢もお二人さんと会う偶然がなければ出来ませんなあ。
雄物川さんは、中津川でコロガシをして、たらふく遡上鮎を食べ、そしてあっちこっちにお裾分けをしたが、その場所は、妻田の堰下流のよう。
ということは、妻田の堰に遡上障害が発生していて、去年と違い、才戸橋まで遡上出来なかったのではないかなあ。
さて、その釣り場は大勢が入ることができるほどの長さはないとのこと。ということは、中津川大橋付近のトロが瀬のすぐ近くまで続いているということかも。
増水後、大勢の差し鮎が瀬にやって来るのが見えたとのこと。
雄物川さんは、10月14日には腹子をもったあゆみちゃんもいたが、その腹子は、糸のように細いもので、まだ性成熟をしている状態にほど遠かった、と。
この観察だけでも、房総以西の太平洋側の海アユは、西風が吹き荒れる頃=木枯らし一番が吹く頃から、下りの行動をする、そして、産卵場で産卵が始まる、と、考えることが出来るのになあ。学者先生は、何でかような現象すら観察されないのかなあ。
不思議ですねえ。
雄物川さんは、遡上あゆみちゃんの番茶も出花娘と女子高生が同時にかかると、素晴らしい馬力を楽しめた、と。
初期は、海産畜養で、そして遡上鮎が育ってからは、番茶も出花娘が大きいアユとはいえ、馬力を楽しめたとのこと。
漁協のH・Pに、八菅や田代にも遡上鮎がいる、と書かれている状況では、魚道の遡上障害がなくなるように修繕するまでには時間がかかるのではないかなあ。
磯部の堰の魚道側・左岸側に流れが寄って、流量が増え、流速が遡上鮎の游泳力を上回った状態は、藤田さんが戦前の諏訪ノ森付近で観察されたように、蛇籠を使って、流量を、段差を稚鮎の游泳力、跳躍力に合わせるようにすれば、と思うが。
しかも、遡上期の2ヶ月ほどの措置であり、恒久的な構造物ではないから、河川管理者の許可も得やすいのでは。
10月31日 狩野川
昨日は、天気予報どうり大寒、小寒の中の大入り満員とのこと。今日は、天気予報どおり20度を越える気温で暖かい。
水温は14度。
遡上鮎がいれば、丼大王も、テク2,テク3も狩野川を見捨てることはないが。
テク2らは、丼大王が竿を納めた日、自動車道上流のチャラで囮捕りをしてから、狩野川大橋上流で「デカアユの素」を釣り、今日は多摩川の調布の堰下流に行っているはず。
そんな状況では、ボウズも恥ずかしくない。
自動車道上流のチャラではあるが、これまでよりも上流へ。
今年初めての乙女をだっこした、と思ったが、20才の番茶も出花娘の継代人工の雌。せめて海産畜養であれば、大喜びになるが…。
上流側の階段を降りてきた人が、釣り人道をそのまま歩いて水に入ればよいのに、オラに遠慮して、芦原の中を上流に少し歩いてから流れに入った。10メートルほどは空いているのに。
なんとも礼儀正しい人ですなあ。
その人は、右岸チャラの石を見ながら渡り、左岸の瀬肩付近を見て、又、チャラを見て、そして左岸の瀬肩付近で竿を出していた。
どの位釣れたのかなあ。
昼のチャイムで、根掛かりを外して竿を畳む。昼の踊り子に乗るために。
車内は、オラと同様のジージー、バーバーが主役。
酒を飲み気持ちよし。
来年は、遡上鮎と戯れることが出来るのは、多摩川だけかも。
相模川は、流下仔魚が多すぎて、動物プランクトンが不足し、生存率が著しく低下するかも。
そうすると、遡上鮎と戯れることが出来る可能性は、多摩川だけとなるかも。
多摩川に行ったのは、湖産放流全盛時代の青梅の河辺での大会に数回だけ。
迷人見習いをたぶらかして多摩川に行こうかなあ。来年のために少し様子を見ておきたいなあ。多摩川の河原には、セクシーでかわいいねえちゃんがいっぱいいるよ、といってもだまされるほど、うぶなおっさんではないよなあ。困ったなあ。
囮屋さんのおばちゃんは、オラよりも飲む薬の量、種類が多い。
骨密度の検査方法にもいろいろあるよう。普通は、尿とか血液で検査しているのではないかなあ。
オラは、CT?の骨密度検査に特化したような機械の下で20分ほど寝て検査を受けている。
その結果、骨密度は高くなってきたが、薬をやめると又低くなる、とのことで、今年も週一回、起きたときに飲む薬と毎朝食後に飲む薬の処方箋を3ヶ月ごとにもらいに行くことになった。
おばちゃんの薬はそれとは違う。
骨密度は、どこでも同じ数値と思っていたが、部位によって異なるとのこと。腰と股関節の骨密度の改善が大きいとのこと。この効果で、中腰の姿勢で囮交換が出来るのかなあ。負荷がかかっていることが実感できる状態ではあるが。
雄物川さんは、12月1日の再解禁日に中津川に行くから、乗っていけ、と。囮はすぐに獲れる、と。
その場所は、妻田の堰のすぐ下流で、その堰の魚道の遡上障害の影響はないところ。
しかし、それほど釣り場は広くない。
左岸護岸沿いの溝が一つ。中州を挟んで右岸側はチャラで釣りに適さないとのこと。そのチャラの流れと溝の流れが合流する附近の瀬がもう一つの釣り場とのこと。
そこに友釣りが入ると、コロガシの人の迷惑は大。それに、去年は、才戸橋まで遡上鮎がいたが、今年は妻田の堰下流までしか遡上鮎はいないから、去年よりも混むはず。
ということで、1日に見には行くが。
雄物川さんは、その付近に鮎を餌にしたザガニの篭を置いている。
故松沢さんが下って来るザガニを獲るために仕掛けていた竹で出来たドウとは違う篭であるから、下りのザガニを捕るのではなく、餌を求めているザガニを捕っているのではないかなあ。
10匹余り獲れることもあるとのこと。
又、溝に鮎を餌にした仕掛けを入れておくと大きなナマズも釣れるとのこと。ナマズは最上川さんが持って帰るとのこと。
11月5日 狩野川
テク2が狩野川に行くというので、当然アッシー君に活用。
先日の多摩川の調布の堰下流のこと、大井川の昭和橋周辺と葛籠のことを聞くことが出来るから、たとえ、ボウズであっても有難いお誘い、いや、便乗。
囮屋さんに着いたとき、ヤマメねえちゃんが上島橋を目指して通っていた。いや、もっと下流かなあ。
いずれにしろ、今年初めて会ったのではないかなあ。当然、女神に出会った御利益があるはず。
囮屋さんにいた青梅の人たちは、鮎ではなく、キノコを採りに行くとのこと。
まあ、遡上鮎がいないから、賢明な選択でしょうなあ。
何時ものように、自動車道上流のチャラへ。下流側の人は数匹釣れていますなあ。もう、雄は射精を終えて死に絶えたものものいるでしょうから、継代人工の数も減っているでしょうなあ。丼大王が上島橋で「デカアユの素」をだっこしたときでも、雄が25才以上のデカアユであるのに、はたいた後、あるいは叩いている最中で容姿が悪いから、と写真に撮らなかったときから、もう何日かなあ。自動車道上流にいる鮎は、デカアユの素ではなく、継代人工であるが、当然、雄ははたいた後で減っているかも。
遡上鮎なら、こんなことを気にしなくても、まだ下りすらしないぴかぴかのあゆみちゃんがうじゃうじゃいるんですがねえ。迷人見習いをアッシー君に出来るんですがねえ。
前さんのお友達が、雄鮎は、何回も雌をだっこできるという話を聞いて、鮎の雄を羨ましく思ったことを書かれているが、継代人工の雄が、まだいるとはなあ。
そうなんです、今日は、継代人工の雄も釣れた。
もちろん、デカアユの素ではないが。
下流側の人は数匹釣れていたが、左岸の流れに移り、昼から又チャラに戻ってきた。左岸側は釣れず、五匹とのこと。
その人とは違い、オラもテク2も釣れず。オラも、テク2も仲良く空中バレをしてから、テク2は、狩野川大橋上流へ。
オラは、白い裸体がチラッと見えるところにはあゆみちゃんがいるから、貧弱な波立ちのところから、チラッと裸体が見えるところへ、と、宗旨替えをした。
「目利き」、川見は成功。五匹も釣れた。
狩野川大橋上流で一匹しか釣れず、チャラに戻ってきたテク2も、また、オラの下流側で数匹釣った後、左岸に移り、釣れず、昼からチャラに戻ってきた人も、仲良く2時前に五匹。
その後も、まだチャラで釣っていたその人は、夕方の時合いでどの位釣れたのかなあ。
なお、背掛かりは1匹だけで、残りは下半身に掛かっていた。
ヤマメねえちゃんに逢ってアドレナリン?が満ちあふれて、5匹も釣れたとは、まだ狩野川に行くしかないなあ。ねえちゃんに歓待された時は、「裏をかえさいといけない」という習慣の世界もあるようですからなあ。
下顎側線孔数が4対左右対称のアユはいないから、継代人工。中学生も釣れたから、それは遡上鮎かも、と期待したが。
又、狩野川で、今年初めて雄が釣れた。一番大きいのは雄。20才、21才の番茶も出花娘は2匹。
テク2が狩野川大橋で釣ったアユはもっと大きい。とはいえ、25才の大きさかどうかは、判らない。
ヤマメねえちゃんは、上島橋かなあ。もっと下流かなあ。もっと下流では、遡上鮎がいないとき、「トラックで運ばれてきた」鮎が下りの行動をするとは考えられないから、アユがいないのでは。
いずれにせよ、今日も上島橋は混んでいた。
11月3日、高田橋上流、小沢の堰の上下に3羽ずつの鵜がいた。そこに、今年鵜がいることはあっても、孤独を愛する1羽だけがたまに見えただけであったが。
何でかなあ、と、一応考えながら、弁天の瀬に行くと、瀬落ちのすぐ上に50羽ほどの鵜がたむろしている。
磯部の堰下流にはいっぱい遡上鮎がいるはずなのに。産卵場付近等に鉄砲打ちが入っているからかなあ。
4日は、何時もの今年の石切場から高田橋の相模川に戻り、鵜は1羽もいない。
「川見」の出来ない若造が、でっかい面をして、1群を弁天の瀬に連れて行って、親分に馬鹿め、と怒られているのかなあ。
いずれにせよ、理解不能な鵜の現象でした。
多摩川の調布の堰下流では20匹ほどとのこと。25才くらいもいたが、それは上流から流されてきたのではないか、と。
砂利は多い、瀬もある、ただ、変化に乏しい河相であるから、退屈する、と。
夏は水温が高く、トロにたむろしているようで、釣りにならないのでは、と。
水温が高いのは、小河内ダムが、底水放流から上水放流に変えたからかなあ。
コロガシの人は親切で間に入れてくれるとのこと。
多摩川の鮎は、ハリを外す能力を学習していて、うまかったとのこと。
釣り吉さんは、笹間渡鉄橋のすぐ上流?で、大漁であったようであるが、その後大井川に行っていないよう。ということは、それが継代人工であったからではないかなあ。
釣り吉さんは、船明ダム下流に流れ込む阿多古川で、天竜川のダム放流の濁りを嫌って差してきた遡上鮎?を愉しまれている。もし、網打ちがいなければ、その後も阿多古川に行かれたのでは。
テク2らは、遡上鮎が好む葛籠の岩盤のところ等では、例年とは違い、不満足な結果に。昭和橋下流では所々で釣れたとのこと。遡上鮎ではなく、トラックで運ばれてきたアユしか、駿遠橋、あるいは笹間渡鉄橋上流にはいなかったのではないかなあ。
11月12日 狩野川
秦野駅のすぐ手前、おしろいをぬった富士が、「あかねさす」富士になっている。駅を過ぎてから、再び富士が見えたときには、くれないは消えていた。
朝日と、富士と、オラとの位置関係で、しばし紅をさした富士が見えたのかなあ。
栢山付近からも、富士が見えた。おしろいをぬった富士を見て、そして最後にもおしろいをぬった富士を幾たびか見て、あゆみちゃんとの暫しの別れが完結していたが…。
昨日の雨で、大仁の水位計は短時間ではあるが、30㎝の増水。
遡上鮎がいれば、西風が吹き荒れた頃から、あゆみちゃんはそわそわしているから、増水でさらに下りが誘発され、丼大王が囮を入れる令嬢の住む瀬の邸宅だけではなく、平瀬の「文化住宅」でも、乙女や番茶も出花娘が歓待してくれることがあるが…。
「文化住宅」も死語になったかなあ。昭和30年代後半から、新幹線等から見える京阪の新しい家並みは、狭い敷地いっぱいにわんさかと家が建ち並ぶようになった。その頃では異様な風景であったが。
先日、いずっぱこで同乗した相模原さんは、狩野川大橋周辺へ。オラはいつものように自動車道上流のチャラへ。
ドロかぶりの石に、たまにハミが見えるが、磨かれたような石はないなあ。
継代人工、「トラックで運ばれてきた」アユは、増水でどのような行動をしたのかなあ。
前回、雄が釣れ、そして、はたき終わった雄はいなかった。叩いている最中の雄もいなかったように見えたが。
そうすると、メスはまだ産卵を終えていないものがいるはずであるが…。どこに移動したのかなあ。
根掛かりをした。外れる気配なし。外しに行くが、どこに根掛かりをしているのか、判らない。そもそも、ボデーが鼻環に引っ張られても上方に向かない。根掛かり外しで、ハリがあるかも、と思うところを引っ掛け回し、やっと囮が浮いた。
囮の鰓の下側から尻尾側にかけて、肉がなくなっている。
うなぎか、いや、そんなことはい。水深3,40㎝くらいであるから、うなぎなら姿が見えるはず。
ザガニか。
やっと、昼になった。目出度く出家できました。相模原さんも戻っていたが、小春日和の時は、又来たくなる、と、話して温泉へ。
丼大王は、小川で下りのザガニや、カニ篭でザガニを獲っている。
そこで、丼大王が海に下った後のザガニが産卵せずに生活をしている話、仁淀川の弥太さんの下りのザガニの「シオセ」や、カニ汁の作り方の話、厄介者であった江の川のザガニが、縁起を担ぐ九州の炭鉱で重宝されて出荷されるようになった話へのリンクをしています。
ザガニが川の、海の幸として食されることも、多様なよう。丼大王は大きいザガニにカボチャを食わせて、味を良くしているし…。
雄物川、最上川さん達は、鯉の吸い込みの仕掛けにザザ虫をつけて、ニゴイを釣り、それをエサとして、カニ篭を沈めていた。その場所は、弁天の下流・トロであったが。ついでに、ワカサギも釣る三足のわらじを履いていたが。ワカサギと鯉釣りの時は、小沢の堰上流であったが。
ここ数年、鯉があんまり釣れなくなってその姿は消えた。津久井湖から流れてくるワカサギも釣れず。
今年は、雄物川さんは、中津川の妻田の堰下流にカニ篭を沈めている。10数匹の時もあるが、丼大王の小川よりは少ないよう。
オラよりも多種の薬を飲んでいるおばちゃんは、湯治にも行かず、11月いっぱい囮を置くとのことであるが、来年、川に入れる状態であったら、又逢おう、といって別れた。
踊り子は、熱海までは数分遅れ。伊豆急からやってくる踊り子と連結するが、一時間ほど遅れるから、電車から降りろ、と。
既に、酒を飲み終わってはいるが…。熱海発の快速等も間引き運転をしているよう。
最後は、電車にも嫌われた今年のあゆみちゃんとの逢い引きとなりました。
もう、遡上鮎と戯れることはないのかなあ。
12月1日 中津川
朝方にはやむとの予報の天気ではあるが、バスを降りた九時半頃にやっとやんだ。そして、中津川に着いた頃に薄日が差し始めた。
何種類の鴨が浮いているのかなあ。
サギが三,四〇羽、水に入っている。その上空には二,三〇羽のカモメが舞っている。ここは、白の陣地かな、と思っていたら、黒・鵜も二,三〇羽が水の中から首を出した。
豊穣の川。
雄物川さんも朝方の雨で来ないでしょう。酒を飲んで暖まりましょう。
川の様子を見に来た人が、雄物川さんのお友達。
お友達から話を聞いた。
1 オラが妻田の堰といっていたところは、皆さんが釣り場にしているところよりもすぐ下流にある。したがって、今年も才戸橋までは遡上出来ていたはず。
しかし、妻田の堰改め、第二漁協下流の堰の魚道は、増水した時でないと、水が流れていない。
2 その堰の下流に水門があり、その水門を開けているときは、ちょろちょろ水しか流れていない。
3 昨日、黒くなるほどの塊のあるところが二カ所だったか、三カ所だったか、あったから、雄物川さんご一行が来たら案内するつもりであった。
なお、上流に飛んでいった白、白、黒は、下流へと戻ってこなかったから、長坂付近にも豊饒の地があるのでは。
それにしても、何で、カモメが産卵場付近の厚木下流ではなく、妻田改め第二漁協下流のの堰上流までやってきたのかなあ。
なお、10月14日に、「黒い塊」で、大漁だった人の鮎は、錆びていたとのことであるから、雄の下りが集結していたものではないかなあ。それとも、「トラックで運ばれてきた」継代人工かなあ。
お友達は、26才乙女をだっこしたとき、心臓附近に激痛が。仕掛けを二度と使えない扱いをして片付け、竿を一本ずつではなく、竿尻をコンクリートにぶつけて畳み、帰宅して救急車に。
心臓の附近に動脈瘤が。それでも破裂しなかった幸運。それからはスマホを持ち歩いている。
また、くも膜下出血のイメ-ジは、死ぬか、寝たきり。ところが後遺症もなく回復した人もいる。
とすると、運がよければ、三途の川を渡らなくてもよい時代になったよう。
お友達は、中津川を三川合流点付近まで案内してくれるとのことであるが。
また、昨日、塊が見えたところへも案内してくれるとのことであるが、遡上鮎が、才戸橋までいたことが判っただけで十分。そして、第二漁協下流の右岸魚道は、水が流れているか、どうかを見る必要があることが判っただけでも大収穫でした。
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