2010年あゆみちゃん遍歴賦

相模川 中津川 狩野川  
5月まで  相模大堰遡上量調査:1

相模大堰遡上量調査:2
 3月1日   3月3日  3月5日
3月11日  3月13日  4月9日
4月24日
   
6月  2日  4日  6日  10日  17日  1日  3日  12日  15日  
24日  25日  28日
   道志川20日
7月  14日  1日  2日  5日  8日  10日  13日  15日  17日   21日  22日  28日  31日  18日  25日 
 
8月  20日  24日  1日  4日  13日  18日  22日  酒匂川8日
三面川8月27日
荒川8月28日
9月  10日  12日  15日  17日
 18日  22日  
 
26日  那珂川 9月5日 
10月  14日  2日  6日  16日  
23日  24日 26日
 
11月      3日  6日  11日13日  17日 18日
21日
 

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                    故松沢さんの思いで:補記4
3月1日  中津川
平山橋上流の瀬落ちは浅くなり、流れが出来ているから、海産アユはつくのでは。
しかし、ニジマスが下ってきて、溜まるにはあまり適地とは言えないのでは。
海底の瀬落ちも浅くなった。
放流地点のひとつである角田大橋上流では、10以上が何人かいるが、どの程度のヤマメの比率かなあ。1人は、ヤマメ5,ニジマス5とのことであったが。
橋下流の瀞、数人が10ほど釣っているようであるが、ニジマス。
オラはバレ2,ニジマス1.ニジマスにしては、ルアーに飛びついてきたから、やる気満々のニジマス。
11時頃には橋上流の放流地点は1人だけになっていたが。

漁協のホームページでは、ヤマメ、岩魚の放流となっているが、ニジマスのブレンド率が高いのではないかなあ。
半原の魚影が濃かった、との話もあるが、ニジマスが多いようであるから、下り、どこに溜まるかなあ。日向橋下流の淵かなあ。

3月3日  中津川
馬渡橋からニジマスが見える。その位置に立ち込んで左岸の深みを釣った人が数匹。
その上流で釣るも、様子を見に来るニジマスはいるものの食いつかない。ルアーの師匠はどんな騙しのテクニックを使うのかなあ。

漁協前は3人。入る場所はあるが、田代へ。瀬に1人、国道前に1人。少ないなあ。放流量が少なかったのかなあ。4月下旬の山女魚の追加放流まで駄目かなあ。

7月頃から、アユを餌にして尺上の山女魚を釣っているNさんが馬渡橋に様子を見にやって来た。
Nさんのお話
ヤマメ、イワナの放流はダム上流が主とのこと。
09年高田橋の解禁日も前年同様、ドブ釣りで2束とのこと。ただ、08年は遡上アユであったが、09年は遡上アユは10匹ほどに過ぎなかったとのこと。したがって、山女魚の餌は10匹ほどしか、そのときは確保できなかった。
そのNさんがドブ釣りで一目置いているのがドブさん。ドブさんが去年ドブ釣りをしているのを見かけなかったが、オラは弁天に通っていたから会えなかっただけかも。

Nさんは、大井川で、車止めから4時間歩いていくところに、50センチ級の岩魚を釣りに行っていたとのこと。今は膝が悪くなりいけないが。
尺上のヤマメをアユを餌にして釣るとき、ヤマメは尻尾で餌をたたくとのこと。釣り人はそのときにアワセをしているが、それでは釣れない、と。尻尾でたたいた後、下流側で待ち構えていて、そのときに食いつくとのこと。
でっかくなるにはそれほど用心深くないと生きていけない、と。

馬渡橋に様子を見に来た人が、田代にもやってきた。
馬渡橋で釣れたのは、オラが釣っているときに釣れていた人が5,6匹。オラがルアーを振っていたところに入った人は釣れなかった、と。
半原の交番を入ったところの人も、釣れていなかった、と。
日向橋上流の浄水場前は見てこなかったとのこと。

3月3日  中津川
馬渡橋からニジマスが見える。その位置に立ち込んで左岸の深みを釣った人が数匹。
その上流で釣るも、様子を見に来るニジマスはいるものの食いつかない。ルアーの師匠はどんな騙しのテクニックを使うのかなあ。

漁協前は3人。入る場所はあるが、田代へ。瀬に1人、国道前に1人。少ないなあ。放流量が少なかったのかなあ。4月下旬の山女魚の追加放流まで駄目かなあ。

7月頃から、アユを餌にして尺上の山女魚を釣っているNさんが馬渡橋に様子を見にやって来た。
Nさんのお話
ヤマメ、イワナの放流はダム上流が主とのこと。
09年高田橋の解禁日も前年同様、ドブ釣りで2束とのこと。ただ、08年は遡上アユであったが、09年は遡上アユは10匹ほどに過ぎなかったとのこと。したがって、山女魚の餌は10匹ほどしか、そのときは確保できなかった。
そのNさんがドブ釣りで一目置いているのがドブさん。ドブさんが去年ドブ釣りをしているのを見かけなかったが、オラは弁天に通っていたから会えなかっただけかも。

Nさんは、大井川で、車止めから4時間歩いていくところに、50センチ級の岩魚を釣りに行っていたとのこと。今は膝が悪くなりいけないが。
尺上のヤマメをアユを餌にして釣るとき、ヤマメは尻尾で餌をたたくとのこと。釣り人はそのときにアワセをしているが、それでは釣れない、と。尻尾でたたいた後、下流側で待ち構えていて、そのときに食いつくとのこと。
でっかくなるにはそれほど用心深くないと生きていけない、と。

馬渡橋に様子を見に来た人が、田代にもやってきた。
馬渡橋で釣れたのは、オラが釣っているときに釣れていた人が5,6匹。オラがルアーを振っていたところに入った人は釣れなかった、と。
半原の交番を入ったところの人も、釣れていなかった、と。
日向橋上流の浄水場前は見てこなかったとのこと。

3月5日  中津川
ニジマス相手では気が進まないが、あんよの練習をしておかないと。
愛川橋は一層浅くなったなあ。
ダムがなかった頃、橋上流の瀬は流れの幅が絞り込まれていて、大石が水中にあり、放流アユのエリートが住んでいた。高校生が釣るのを指導していたお父さんが、掛けるけど取り込めない、と。オラが9月10月の大井川のあゆみちゃんに翻弄されていた情景があった。
当時、0.6号とか0.8号の糸でそこに囮を入れてもすぐに弱らしていたから、左岸の瀬脇を釣っていたが。今なら、腕の上達がないとしても、金属糸やマッスル背針にオモリでエリートと勝負できるのになあ。
その高校生は、あゆみちゃんにうつつを抜かす人生を送っているのかなあ。それとも、馬力のあるアユが減り、感動がなくなり、清く美しい人生を送っているのかなあ。
原下の堰魚道下流の淵は、左岸大岩から飛びこむ子供がいて、そのお裾分けを得ようと淵下流の瀞瀬で待ち構えていることもあったが、淵が飛びこめる状態であったとしても、今では飛びこむ子供はいないか。

解禁日、愛川大橋から日向橋附近までそれなりに釣れていたとのことであるが、よく釣れた人でも10匹台とのこと。

桜並木は半原に放流したものも含めて溜まっているかもしれないが、川中を歩く距離があるから止めた。
馬渡橋はいつもの橋上の左岸止水状の水深のあるところの人が数匹。その上流の人は諦めて橋からニジマスの様子を見ていた。
冷やかしのニジマスすら来ない。釣られたのかなあ、下ったのかなあ、と考えていてバレ。まあ、1匹はいるか。

漁協前は1人しかいない。
田代の球場前の瀬は2人いるが釣れたのかなあ。国道沿いは休む人のみ。

3月11日  中津川角田大橋下流
ニジマス主体であれば下っているはずで、橋上流の放流地点はいなかろうと、橋下流へ。釣れません。
止めて、堰のすぐ上流に行くと、ヤマメの天敵Nさんがフライをしていた。
天敵さんは、解禁日に半原日向橋上流で40とのこと。日向橋上下、浄水浄水場前とも、溜まっていたところに入った人は釣れていたとのこと。どの程度残っているのかなあ。

天敵さんのルアーは、メジナ用の小さいメタルジグと天敵さん御作のもの。
メタルジグは不規則な動きをするから有効とのこと。スピナーになっているメタルジグは、回転板がルアーの上部ではなく、針側に着いている方が効果がある、とのこと。

さて、天敵さんが管理釣り場で3時間70匹のルアーは一風変わっている。見たときはワームかと思った。
ともかく不規則な動きを激しくする。管理釣り場に、天敵さんと同じルアーを使っている人が1人いるとのこと。

お魚はルアーをなんだと思って反応しているのかなあ。
オラが大好きなミノーは、お尻ぷりぷり、そんなネエちゃんがいたらむしゃぶりつくのになあ。
ところが、天敵さん御作のルアーは、
不規則極まりない動きをするルアー。しかも不規則な動きの度合いを自由自在にルアー形状を変えて演出できる。

天敵さんのルアーの対極にあるルアーが、Xスティックではないかなあ。単なる棒になんで反応するのかなあ。
その棒で反応するのに、なんで、不規則な激しい動きをするものにも反応するのかなあ。お魚の好みは判りませーん。

ルアーの師匠が、衝動食いがルアーの目的との説もある、といわれていたが、
衝動食いとしても、衝動食いをもたらす動きにこんなに違いがあるとはなあ。
天敵さんのフライにも、毛鉤の原則を無視したものもある。虫に似せて、羽や足を本物らしく作るのではなく、羽も足もなく、虫で似ているとすれば、サシ。それが有効なときもあると。

天敵さんは、管理釣り場でルアー、フライの有効性を検証してから、川で使っているとのこと。
管理釣り場であれば、魚がいないことはない。したがって反応する効果を持つルアーであるか、どうかを検証できる。
そして、川にいるお魚も成魚放流の、人工のニジマスや山女魚。当然管理釣り場での検証に耐えたルアーやフライは有効性が高いはず。

その天敵さん御作の変なルアーを横取りしたから、試してみよう、ット。
なお、天敵さんも早々と止めた。
放流地点から例年のように下ってきてるが、堰の上にたむろして、回遊してくるとのこと。回遊してくるとき以外はお魚がいないとのこと。なお、今年放流された山女魚は下っているよう。
仙台堰では魚道改修工事をしていて、左岸から水を流しているが、その流れの早い中を下り、堰下流でもニジマス、山女魚が釣れていたとの話があった。その主は、若者チャンプであるが、若チャンプは、裏釣法をニジマスにも応用したということかなあ。

天敵さんが鮎で山女を釣りはじめる梅雨時まで、どのくらいの山女が残るのかなあ。生き残りが少ないから、そして、生き残った山女魚は、山女魚の習性が強くて、警戒心があり、知恵がつく。そのエリート山女魚を相手にするから、その頃にはルアーではなく、鮎を餌にするのかなあ。

3月13日  中津川馬渡橋
橋から見えるニジマスは、浮いているのが3匹だけ。減ったなあ。常連の餌釣りさんもいない。
山女魚天敵Nさんからもらったルアーといえども、お魚がいなければ釣れるわけないよなあ。
ルアーやフライの人は初めての場所らしくがんばっているが、オラは漁協前へ。
ダム上流へ行くつもりであったというルアーの人が、雪が積もっていていけないからやって来たが、早々に引き上げる。田代も1人がいるだけ。
ということで、天敵さんからせしめたルアーの効用は、後日確かめるしかありませんでした。 このま沢は山女魚放流とのことであるが、どの程度残っているのかなあ。

4月9日  中津川田代
ニジマスを2.30釣れることも、また、数匹の人もいるということで、時折ルアーを振っているが。
山女魚天敵さんから奪い取ったルアーらしくないルアーを振るも釣れず。そこへ天敵さんがやってきた。天敵さんは胆石の治療で退院後、初めての釣りになる。今日は餌釣りをするとのこと。

天敵さんが釣れてオラが釣れないと癪ではあるが。
幸い天敵さんも釣れず。今日は着いていない、と。
天敵さんの餌釣りは、オモリ0.8号くらい、オモリのした40センチほどに餌をつけて、餌がオモリよりも上を流れるようにして、竿を上下し、餌が落ちるような動作をするとのこと。餌が落ちるとき、魚は反応するとのこと。

解禁日の半原、天敵さんは、ゼロ釣法の人が釣れず諦めていたので、入ってもいいか、といって、そこで釣る。ウン十匹の入れ掛かりをしたため、またもや顰蹙を買うこととなった。先日、退院してやって来た天敵さんに対して、居合わせた人たちが、ヤマメのたたり、といっていたが、そのとおり。
天敵さんは左岸ブロックに移動。20分ほどの間にニジマス25センチ位を3匹。

最初に釣っていたところのヘチに先日放流されたアユの塊が見える。
漁協のホームページでは、県産人工となっていた。
しかし、下顎側線孔数4対左右対称。天敵さんも海産の容姿である、と。県産継代人工と違って、きれい。
大きさは10センチ近く。体型は針金ではなく、出来上がっている。沖取り海産を畜養したものであろうが、この量が多ければ愉しませてくれるのであるが。

つぎの山女魚の放流は、4月25日の前ではないかなあ。

4月23日  中津川
馬渡橋から鮎の稚魚が見え、一部は苔をはんでいた。
田代にはヘチに二つの小さな群れが見えた。
県産の継代人工も放流されているようであるが、相模湾採捕の海産畜養も放流さていて、その量は、継代人工よりも多いようであるから、去年ほどひどい状態には、ならないのではないかなあ。

鮎が放流される前、仙台堰下流に細いはみ跡があったとのことであるから、少しは遡上鮎がいるということかなあ。
ただ、相模川の遡上量は、3,4年周期で変動しており、釣りの主役となるほどの遡上量が期待できる周期は来年、再来年であるから、どの程度の遡上量があるのかなあ。

田代ではおなじみさんがニジマスを数匹釣り上げていた。
餌は、晩酌で食べたイカの刺身の残りもの。おなじみさんはそれをエコだ、と自慢していたが、手抜きをしたかっただけではないのかなあ。
おなじみさんは、とうもろこしでもニジマスが釣れると。

4月24日、山女魚?の追加放流が何カ所かで行われるとの話があった。

2010年相模川遡上状況

今年は、去年とは違い、沖取り海産が採捕されたようである。
3月中旬には、相模川に淡水への馴致後放流された。3,4センチの大きさで、針金のようなものも。動物性プランクトンは食べることができても、水生昆虫どころか、コケを食べる歯に生え替わっていない。
この沖取り海産の成長度の構成比はどのようになっているのかなあ。
中津川には、海産畜養が放流された。10センチ足らずではあるが、体型はできあがっていて、水生昆虫を、また、コケを食べることができると思う。
ということで二回、30万ほどは採補できているはず。何回、採補できたのか、わからないが。
。2010年4月20日まで、及び、過去の
相模大堰右岸、左岸副魚道の遡上量調査は次の通りです。
                                  単位:万

     2000年 2001年 2002年 2003年 2004年 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年 2010年
4月1日
から10日
23.2 204.9 568 18.4 830.9 5.6 0.5 27.4 188 20.3 19
4月11日
から20日
9.4 40.6 895.2 264.5 113.2 0 2.5 24 219 54 81
4月21日
から30日
36.6 125.3 387.1 232.3 499.2 42.2 23 275 229 40
4月計 69 371 1,850 515 1,443 48 26 326 636 114
5月1日
から10日
4.4 129 112.8 32.8 56.2 0.8 9.9 68.6 70 2
5月11日
から20日
5.5 40.7 48.5 41.2 136.7 0.6 6.1 13.8 32 7
5月21日
から28日
3.7 8.6 9.7 108.8 45 0 0.7 3.2 36 0.4
5月計 13.6 178.3 171 182.8 237.9 1.4 16.7 85.6 138 9
合計 101 550 2,199 706 1681 49 43 412 774 123
3月20日
〜3月31日
16 177 80 296
遡上初出日 23日 20日 25日 29日 25日 4月4日 4月3日
初出日
最高水温
12度 11度 12度 12度 15度 13度

        2000年「合計」数値には、主魚道調査数値18万をふくむ。また3月20日から3月31日の数値をふくむ。        

        2000年は3月23日から調査開始

        2002年は3月25日から調査開始

        2003年は、3月29日から調査開始        

       2004年は3月21日調査開始
2010年は、沖取り海産が二回は獲れているようであるから、去年よりは遡上量が多いのでは、と思っていた。
しかし、去年と同じくらいの水準のよう。
去年、弁天、昭和橋で馬力を愉しませてくれた浜名湖産?の海産畜養は、下りをしないで、磯部の堰上流で産卵したものが多かったのでは。
磯部の堰上流は、止水域であるから、動物性プランクトンが繁殖できる可能性がある。
生存限界を超える水温7,8度以下にはならない湧き水のところもあるのでは。
そのため、堰上流に流れ込む八瀬川に3月下旬に、群れが見え、六倉のヘラ釣り場で、稚アユがヘラ釣りの邪魔をしているのでは。

裏釣法の対象ではなく、ヘボでも釣れる大きさのアユに育つのは、4月、あるいは3月下旬の遡上量の多寡が大きく影響しているのではないかなあ。
まあ、皆さんのカンピュータで、遡上アユが釣りの対象になるか、釣りの主役になるか、考えてください。

2010年遡上量調査:相模川大堰副魚道その2

     2000年 2001年 2002年 2003年 2004年 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年 2010年
4月1日
から10日
23.2 204.9 568 18.4 830.9 5.6 0.5 27.4 188 20.3 19
4月11日
から20日
9.4 40.6 895.2 264.5 113.2 0 2.5 24 219 54 81
4月21日
から30日
36.6 125.3 387.1 232.3 499.2 42.2 23 275 229 40
70
4月計 69 371 1,850 515 1,443 48 26 326 636 114 169
5月1日
から10日
4.4 129 112.8 32.8 56.2 0.8 9.9 68.6 70 2 59
5月11日
から20日
5.5 40.7 48.5 41.2 136.7 0.6 6.1 13.8 32 7
5月21日
から28日
3.7 8.6 9.7 108.8 45 0 0.7 3.2 36 0.4
5月計 13.6 178.3 171 182.8 237.9 1.4 16.7 85.6 138 9
合計 101 550 2,199 706 1681 49 43 412 774 123
3月20日
〜3月31日
16 177 80 296
遡上初出日 23日 20日 25日 29日 25日 4月4日 4月3日
初出日
最高水温
12度 11度 12度 12度 15度 13度

相模川大堰副魚道の遡上量は、220万くらいではないかなあ。
4月の遡上量は、去年よりも50万ほど多い。
5月1日は、59万の遡上があったが、5月2日から4日までは、内水面祭りのため、調査を行っていない。
5月5日から10日までは、0から三千ほどで、五千もない。

さて、5月1日の遡上が59万と多いが、このうち、どのくらいの比率で、オラと遊んでくれる大きさになるのかなあ。
また、磯部の堰魚道の遡上阻害率が判らないが、裏釣法小父さんは、ウン十匹、オラは数匹となるほどの遡上量量ではないとは思うが。
3月下旬から、4月中旬、あるいは下旬までに遡上したものは、オラと遊んでくれる大きさのあゆみちゃんに育ってくれるとは思うが。
いずれにしろ、相模大堰副魚道での遡上量が、4月下旬までに4,500万ないと、オラと遊んでくれるあゆみちゃんが一杯いるとはならないようで。

昭和橋付近で跳ねているチビは、遡上アユかなあ。それとも海産畜養の子供が、磯部の堰上流の止水域で繁殖する動物性プランクトンを食べ、また、生存限界7,8度を上まわる水温であろう湧き水のあるところで生存できていたものかなあ。

畜養されないで放流された沖取り海産の生存率、成長度は気になる。
中津では畜養後に放流されているから、生存率は高く、大きくなるのであろうが。

東先生は
「卵の大きさと、体の関係は全く違いますね。皆さんもよく知っておられるとおり、大きい魚は卵がうんと多いし、卵一つ一つの大きさもわずかだけど大きいわけですが、その関係が全く違うということですね(注:「違う」とは、湖産と海産における体と卵の大きさの関係)。海のアユが体の大きさに従って一つの線の上にのる。琵琶湖のアユは全部全くちがう線の上にのる。」

原田先生は
「海アユでも、おそく海から上がったものは大きくならないらしいけど、時間が足りないのか、それとももう、どうやっても大きくなれないのか。」

6月1日  中津川
遡上量は200万台か。
また、釣りの対象となる大きさに成長するには、3月下旬から4月中旬頃までには遡上していないと無理ではないかなあ。
ということで、相模大堰副魚道を遡上した量、遡上した時期からみて、遡上鮎が対象とは期待できない。

そうすると、放流物を対象にすることになるが、海産畜養が放流されたのは、中津だけではないのかなあ。
その量が充分とは思えないが、継代人工の生存率が相当低いと思っているから、中津へ。

壊れ橋上流は、チビ1.
海底へと移動するも、人が多く、右岸に渡れそうもない。
幸せの女神が微笑んでくれた。角田大橋上流の瀬が空いた。海産畜養は瀬につくから、玉引きをする。
3匹。満足して、まだ10時過ぎであるが、ビールを。
どこか、瀬に入れないかなあ、と見渡しても、無理。昼飯を食べて、またビール。
もう、帰っても良いが、一緒にやってきた米さんがビールも飲まずに働いている。
橋から天下の情勢を見ると、橋上流の瀬が空いている。
そこへ、相模川から逃げ出してきたサボリーマンのMとT。橋上流の瀬へ案内し、竿を出す。すぐに2匹。
しかし、狭くなり、橋下流に移動。

この時点で、米さんは10とのこと。
橋下流の瀬の右岸に入ったHさんは2時間も働かずに、8。徹夜で呑んでいたのに、効率の良いこと。

橋下流の瀬肩にはいるが、音沙汰なし。またビールを飲みに。
結局2匹につき1本のビールを飲んだ1日でした。
なお、ボウズも多い中、2時過ぎで、サボTは6,Mは4とのこと。
仙台堰下流は良くなかったよう。
海産畜養が瀬で釣れて満足でした。
なお、田代は、球場前の瀬の右岸溝のところだけ大漁であったとのこと。

6月2日  相模川
昨日のビール代を稼ぐために、囮を買わず、竿を担がずに相模川を散歩。
昨日20匹ほどの人もいたという高田橋上流は、分流のチンチン釣りのほかは、分流合流点上流のトロに数人。

橋付近にドブさんが居ない。ドブさんも、ヤマメ天敵さんも釣れなかったのかなあ。
弁天は数人。分流の渡場になっているところに、ここ10年ほど川で会うことがなかったYさんが分流のチビを眺めている。Yさんは、伊豆に別荘を持ってからは、そこを足場にして興津あたりまでいっていて、相模は来てないとのこと。
分流ではチンチン釣りの人がさっきまで釣っていたとのこと。
囮が過労死したため、どうしょうかとチビを眺めているとのこと。
本流では数人が居るが。

弁天下流のトロへ。
ドブさんが居た。

昨日は、高田橋右岸で2束あまり、その後弁天下流に来て60ほどとのこと。ヤマメ天敵さんは、3束とのことであるが、ドブさんは冗談も多いから、天敵さんに確かめないと判らん。

ドブさんの下流に、数年前に友釣りに引き込まれたIさんがドブを。
ドブさんは、数分で1匹釣っているのに、Iさんは釣れない。Iさんに、ドブさんの毛鉤をかっぱらえ、といったが、毛鉤のせいではなく、腕だと。そして、群れで回遊してくれば釣れるが、1匹、2匹の回遊では、ドブさんしか釣れない、と。
Iさんの下流側の人も釣れてないなあ。

ドブさんは、座ったまま動かないで釣る。天敵さんは少し動きながら釣る。ドブさんに、少しは歩け、メタボがちょっぴり改善するかも、というが、お前は食うもんが悪い、もっとええもんを食え、と。いつもの非難合戦。
今日の鮎も、昨日の鮎も、
人工放流物がほとんどとのこと。
このトロの鮎は、石切場に放流されたものか、高田橋のものか、どっちかなあ。

トロの鮎は、瀬に出てくるようになるのかなあ。
分流のチビはどの程度、友釣りの対象になるほど、育つものがいるのかなあ。裏釣法小父さんに釣られる大きさにしかならないのかなあ。

石切場は1人だけ。
石切場の囮屋さんが店じまいをしただけではないのかも。
Iさんが、昨日は中津から移動してきた人もいた、と。そのお陰で、瀬が空いて、オラは海産畜養とご対面が出来たからありがたいことです。
逆に、サボM・Tのように、相模をほっついて中津へ、の人もいたが。

1日の昭和橋のコロガシは、鯉釣り族が入ったが、
雄物川さんが2、30ほど、ボウズも
そして
人工だけでなく、下顎側線孔数4対左右対称の女子高生も、チビも
釣れないから、今日は行かない、という人も。
コロガシは、あゆみちゃんの意思を無視して釣ることができるから、縄張りを持っていなくても釣れる。したがって、解禁の頃は、遡上鮎が多ければチビ、中学生を主に、遡上が少ないときは、人工が友釣りよりも多く釣れていた。それが、雄物川さんの2,30ほどが目立つ数、ということは、人工の生存率が低いのではないかなあ。

午後
弁天の左岸分流
、ヘラ釣り場に近いチャラにずらっと7人。
Iさんもドブで手にしたオトリで釣っている。小中学生にチビと人工の15,6才も。
小学生でも目印をすっ飛ばした、と。
本流は、瀬肩上から下流瀬まで数人。

そこへ、
酔いどれ釣り人であるにもかかわらず、昨日、角田大橋下流の瀬で短時間に8匹釣ったHさんがやってきた。
チャラ状のところは満員であるため、小さな落ち込み下流へ。少し水深のあるところに入った。みてくれの良い左岸ブロック側に囮を入れたが、反応がないため、
足もと近くのヘチ寄りへ。すぐに中学生、高校生。
Iさんは、こんな場所で釣っていると言いふらすな、と。瀬釣りのIさんの沽券に関わるから。
いわないよ、と答えたが、言いふらしてやる。昨日、Iさんのトイ面で波立つ瀬を釣っていた人が釣れなかったことのねたみ、うらみも込めて。

下流トロも、ドブ釣りが増えている。
ドブさんは、午前よりもペースが上がっており、3,4回流しても釣れなければ、針を変えていた。
2時過ぎには束になっていた。ほかの人も午前よりもペースが上がっていた。
田植えが終わるまではあゆみちゃんと遊ばない、というマムシをつかまえてマムシ酒にしてしまうマムシキラーさんが様子を見にやって来た。マムシキラーさんは7月を過ぎていつ頃かには、このトロでも友で釣れるほど、ヘチの石が磨かれると。ここにいる人工は、石切場に放流されたものでは、とのこと。

石切場は数人。水管橋附近も数人。石切場よりも少し多い。

昭和橋上流コロガシ区(自由区)
本流は人なし。
分流に鯉Kさんと最上川さんがいた。
鯉Kさんは、昨日56,今日は43。中学生に、15、6才が主体。鯉Kさんのつれあいは、橋近くで、高校生主体の10ほど。本流からの流れ込みに近い流れの強いところの人はひらひらタイプ。
人工は分流に入っているよう。また、海産畜養を親とする子供か、沖取り海産か、遡上鮎か判らないが、チビも分流に入っているよう。ただ、チビは流れが強いことろでは身切れをして取り込め難い、とのことであるから、本流にも居て、取り込める数が少ないということかも。
また、分流でも釣れる場所に偏りがあるのかも。

ということで、コロガシとドブ釣りの状況から見ると、人工が多く死んだとはいえないかも。
あるいは、人工の購入先による生存率に差があるのか、どうかも判らない。

6月3日  中津川
肝臓に係る検査に備えて、昼禁酒を決意して、中津へ。可愛い、愛嬌のある女医さんは、何で検査日を忘れないのかなあ。何で、肝臓に頼らずに、胃袋のアルコールを直接分解してくれる薬がないのかなあ。

角田大橋上流、1日にサボMさんが釣っていた付近の瀬にはいる。
女子高生。次は中学生。快調快調。
しかし、団子の中学生がぽっちゃんしてからは、いつものよおに煙草を吹かす時間が多くなるも、玉引きをしているため、煙草に神経を集中できない。
やっと掛かった。中学生であろう、と、余裕の対応をしていたら、走られた。海産畜養とはいえ、今の時期のあゆみちゃんにのされる心配はないが、抜く距離が長い。
オラの10倍の値段の竿を使ったサボMさんが、キャッチミスをしたとのことであるが、その轍は踏みたくない。
ヘチに寄せているから、よたよたと、あゆみちゃんとの距離を詰めて抜く。

その後も中学生、女子高生。
6匹も釣ると、解禁日と同じ。もう満足。そうすると、ビールが飲みたい。禁酒と禁煙の誓いは、破られるために行うもの。

午後は、午前の場所よりも少し下流側で、根掛かりが外しに行けそうなところへ。
中学生が3人。
もう、瀬釣りはしんどい。
瀬肩上流のチャラへ。ここならば、根掛かりを外しにいける。
あら、チビ。まあいいか。
小学生に中学生まじり。

5時のバスまでがんばり、
15匹
下顎側線孔数はほとんどが4対左右対称。
女子高生3,幼児1,中学生5,小学生6
海底の人は8で、宮城産の乙女も。

1日のヤマメ天敵さんのドブ釣りは、3束とのこと。2日は、夜明けから高田橋で釣りはじめ、1束ほど釣ってから出勤したため、オラが見に行ったときには、帰っていたとのこと。

6月4日  相模川
中津の瀬で、海産畜養が釣れることは判っているが、瀬釣りでは、空間がないときびしい。ということで、釣り人が少ないであろう弁天へ。

1日、雄物川さんは、昭和橋上流のコロガシで、2,30との話があったが、一山当てて、120とのこと。
一山当てることが出来れば、5,60であるが、そうでないと、10,20かボウズとのこと。人工が固まっているということのよう。なお、4日に水量が平水になり、昭和橋の本流でも釣れたとのこと。ただ釣れる場所は、水深のあるところとのこと。人工の高校生、乙女が主体。
その雄物川さんが、昭和橋のコロガシをしないで、高田橋下流の右岸ブロックでドブ釣りをしているとのことであるが。
ブロックにはずらっと並んでいる。見ていたときはチビが主体であったが、人工の乙女も掛かっていたとのこと。

弁天下流側の瀬肩上に行く。1人は釣れているが釣れません。瀬肩も。早々とビール。
そのとき、上流側瀬肩上、ヤナギ上で10ほど釣ったジローちゃんがやってきた。狩野川ではすでに150ほどとのこと。何でそんなに休めるんじゃあ、と文句を言ったら、代休を消化しなければならないから、と。代休制度の悪用じゃ。

ジロちゃんは、瀬肩上流ですぐに釣りあげる。小さい、と。
跳ねているのは小学生に中学生が混じるくらい。これらが釣りの対象になるのは、6月下旬かなあ。
ジロちゃんは、瀬で玉引きをして5匹。
結局3時間しか働かずに20.オラはチビ1でっせえ。

柳上流へ移動。小学生4.
ジロちゃんの5分1であるが、ハヤも吸盤ボウイも釣ったから、品数では上まわったので、ヨシとするか。

ジローちゃんの分も合わせて、下顎側線孔数4対左右対称は
小学生6,中学生5,
下顎側線孔数が乱れているのは、小学生4,中学生8,
幼児2.
上流側瀬肩上は高田橋で放流された人工の領域ということかなあ。

6月6日  相模川
弁天の上流側の瀬と下流側の瀬の中間へ。
去年よりも浅くなり、根掛かりが外しやすくなったが、石も小さくなった。
ハネがあるから鮎が居るという理由だけで入る。
当然釣れず。チビ1。

上流側瀬の上に入るが釣れず。
下流側の瀬等で10台が何人か居るというのに。
しかも、オラが最初に釣っていたすぐ上の、上流側の瀬の落ち込みで、10時頃から入れ掛かりも。何で時間が来ないと釣れないのかなあ。この状態はいつまで続くのかなあ。

午後は、歩きたくないから、上流側瀬の上の浅く、流れが弱く、楽なところへ。
午前は釣れなかったのに、午後は4.ここも2時頃からでないと釣れないよう。
下顎側線孔数4対左右対称は
中学生1.
下顎側線孔数が乱れているのは、中学生2,小学生1.
幼児1.
まあ、20台の人も、おれば、15くらいが何人か居るが、5匹釣れたことで、感謝することとしましょう。

6月10日  相模川
6日に、10時から入れ掛かりがあった弁天上流側瀬の瀬落ち附近へ。
時間が来ないと釣れなかったから、時計持参。
幸せは10時、の筈であるが。右岸トイ面はぼつぼつ釣れるものの、左岸側では釣れませんなあ。
今日は、回遊をしない日なんあかなあ。 チビ1匹で、上流側の瀬肩上流へ。
昼過ぎにやってきたお百姓さんは、昨日は、高田橋上流、分流合流点付近で10ほどとのこと。
そして、弁天の上流側瀬の右岸側が安定して釣れているとのこと。今日も、源さんが6匹釣っていると、携帯で。
お百姓は右岸瀬肩へ。

釣れず眠くなりお昼寝。
起きたら、お百姓が下りながら最後は金魚すくい。今どきの鮎で下るとは、軟弱ものめ。かって、亡き相模川の主と振り子抜きを競い、亡き相模川の主が3,4匹取り込む間、もたもたしていて1匹しか取り込めず、冷やかされたから振り子抜きを止めたの?
そのときも竿を買っていたなあ。
今年も高級竿を買ったなあ。高級竿には細糸がよく似合う、ということですか。

源さんは、12といって帰って行った。ケラレが多かったと。またぽろりも。逆針は切れているのに、と。
ほかの人の結果は4匹のオラと違い、10台。
左岸瀬で10あまり釣った人の中に、ヌメリの強い女子高生が居た。下顎側線孔数4対左右対称であった。遡上鮎ではなかろうから、どこかの海産畜養ではないかなあ。
この海産が多く放流されていたら、6月下旬以降には楽しくなるが。

高田橋のドブ釣りは、5日は盛況であったが、6日の昼には2,3人に。
弁天下流トロのドブ釣りは盛況を維持している。7日、ドブさんの姿が見えないから、品切れかと思ったが、60ほど釣り、8時過ぎに帰った、と。

8日、昭和橋上流分流のコロガシ。雄物川さんが9時前に30ほど、と。その理由は、下流に鵜が入り、上流に追い込んでくれたから、と。
しばらく見ていたが、雄物川さんも、最上川さんもぽつぽつしか釣れず。
上流の絞り込まれた瀬では、みさごさんが、小中学生を。
10日には、分流も本流も10,20しか釣れず、人工の放流物は品切れでは、と。

6月12日  中津川
高田橋のドブ釣りは回復していないよう。弁天のドブ釣りは、以前よりも少し下流に釣り場が変わった。そこは小さい、と敬遠されていたが、人工が減ったのか、回遊してこないのか判らないが。
昭和橋のコロガシは、本流で50ほどの人が1人いたが、分流は20ほどとのこと。
これらの状況を見ると、相模川に放流された人工は、生存率がそれほど低くないのかも。
弁天下流側の瀬の下流寄りは、、トロからの差しアユが釣りの主役とのことであるから、そのうち、瀬につくのかなあ。

中津川に放流された人工の生存率は相模川に放流された人工よりも低いのではないかと思うが、海産畜養と、先日放流された継代数を3,4代目くらいで留めているという話のある宮城産が釣りの主役になるのでは。

角田大橋上流の瀬は満員のため、海底に行く。瀬落ちが空いていた。すぐに釣れた。それを見て、Tさんがオラの下流へ。
午前、オラは5,Tさんは2.
午後、橋上流の瀬肩チャラでやりたかったが、人がいるため、海底へ。ビールを飲んだ後の川歩きはしんどいなあ。
オラは3匹しか釣れず。Tさんは、4時頃に入れ掛かりもあり、10を超えたのではないかなあ。

下顎側線孔数4対左右対称は、8匹の内6匹。
高校生に、中学生まじり。
田代の瀬の人は、36.こんなに釣れば、上下に人がにじり寄ってくるのは当然ですよなあ。そのなかの20才乙女は、人工とは思えないほど、鱗がきめ細かかった。宮城産なのか、それとも?瀬に入っていたから、通常の継代人工ではなかろう。
ということで、高校生を軟派するには中津であるが、浮き沈みも激しいようであるから、ボウズにならなかっただけ、幸せと感謝しましょう。

6月15日  中津川
中高生の海産畜養が主体である海底に行く。
釣れませんなあ。12日に、Tさんが浚ってしまったからかなあ。
やっと中学生。よく働いてくれますねえ。あ、そんなに左岸ヘチに近づくと根掛かりするよ。
ジャンプ、なんじゃあ、コイ敵ではない、尺アユでもない。フロロ0.2号であるから、切れることはない。どんどん下がっても、人はいない、瀬はない。
尺のニジマス。せっかくの中学生は消えてしまった。

囮を休ませるためには、昼ビールしかない。1カ月間は、可愛い女医さんの検査もない。昼休肝日を暫くは意識しなくてもよい。
囮を休ませたから、壊れ橋上流で働いて貰う。鮎が居る気配がしませんなあ。
仙台堰下流へ。
堰下流の瀬にいるはずの米さんが見えませんなあ。米さんは堰上流のチャラにいたが、竿を畳んでいる。先日、20ほど釣れた堰下の強い瀬で、5匹釣って、2匹根掛かり放流とのこと。まあ、先日の米さんの釣果は、平さんが教えた結果ではあるが。やはり品切れということかなあ。

堰上流のトロへ。チャラで跳ねる鮎もいませんなあ。いたのは、重役出勤をして、海底から移ってきたテク1.釣れませんなあ、との挨拶。テク1が釣ったのは水面に張りだした枝。
しばらく、あっちこっち囮様が泳いでくれたが、ケラレがたまにあるのみ。酔いどれ釣り人から貰った5号の針を使う気にもならず、ケラレを我慢する。もう少し鮎がいる気配があれば、5号の針を使うが。

ということで、オラの釣果は微妙。ボウズか1匹か。釣ったことは事実。それがニジマスに変わったことも事実。ニジマスが万札に変わる可能性のあったことも事実?、そんなことはあるわけがないよ。
まあ、堅いことを言わんと、1匹にしておこう。

6月17日  相模川
昨日、ドブさんが、久しぶりに弁天下流トロにいた。午後の出勤であるが、少し釣れているだけ。さわるが掛からない、とのこと。雨が降っていた先日もファミレスで、ヤマメ天敵さんと、双方が作成した毛鉤の品評会をしていたのに、その成果なし。ほかの2人が釣れていないのに、釣れているだけ、ドブさんらしいということかなあ。夕方の回遊を待っているといっていたが。

ついでに石切場を見た。ジャカゴ前は盛況なれど。引き釣りでは釣れない、と。
下流瀬を瀬肩から釣っていた大会下見さんらは、数匹はバタバタと掛かるが、それが続かない、と。ただ、これまでよりは石の色が良くなった、と。
海産の中学生が縄張りを持つようになるには、もう少しかかるということかなあ。

そんな事前情報を参考にしたくても、川見の出来ないオラは、弁天下流側の瀬へ。
瀬肩に1人、瀬に1人。右岸側に立ち込んで、右岸寄りを釣る人が1人。
瀬肩と瀬の人の間にはいる。マムシ天敵さんが、左岸側でも釣れる、といった瀬の場所よりも少し上流側であるが、やむを得ん。
オラの下流側の瀬の人が数匹中学生風を釣るも、釣れなくなり、移動。その人の後に入っても釣れるわけがないよなあ。何で、ハヤじゃ。次は吸盤ボウイ。これにコイ敵が掛かれば、おじゃま虫のそろい踏みじゃ。

上流側と下流側の瀬の間のトロ瀬風にはいる。
1人おいて上流の人は10を超えたのではないかなあ。上流側の瀬を左岸側で釣っている全国区さんも15とのこと。
右岸ボサ附近の人は今日はあんまり釣れてませんなあ。

やっとこさ、中学生。
石切場の事前調査さんらが、引いては釣れない、囮が変わらんと釣れない、と話していたが、やっと、、その条件が満たされたはず。
しかし、この中学生は、弱いなあ。遡上鮎ではないよう。それにしても、上流側の人はうまく操っているなあ。複合金属の細糸で、オバセを最小限にする操作をしているのかなあ。
2匹釣ったところで、やっとこさお昼。

昼休肝日を決意したため、ビールはない。寂しいなあ。
上流瀬肩の上流、柳よりも上流の水深のないトロへ。
ここでもバレを。風が強くなっていたから、引き寄せで取り込もうとして、ツマミ糸をつかんだら、ばれたとは、なぜじゃあ。
囮並の大きさの高校生が釣れたが、泳がんなあ。中津の田代で、1点豪華主義を味わったOさんも、人工としては容姿端麗の乙女であるのに、全然泳がない、と話していたが、それと同じ人工かなあ。

3時頃やって来たお百姓は、柳から下り、瀬肩を右岸、左岸へと。
昨日、講習会の名人が、瀬を左岸から釣り、初期放流の人工も混じっていて、小さい鮎、との事前説明を裏切ることになって、びっくりしていたとのこと。

ここで3匹釣れて計5匹。
お百姓は3匹。やはり、最近放流されたらしい18才級はさっぱり泳がない、とのこと。
お百姓が、明日の囮として確保したのは、養殖モノ。釣れた鮎は、浮いてしまうから、と。
下顎側線孔数4対左右対称は、中学生1匹のみ。
瀬にも、上流側の瀬と下流側の瀬の間にも、海産だけではなく、人工も相当入っているよう。
なお、お百姓は、高田橋に入ろうとしたが、大会の事前調査で満員、中津に行っても同じとのこと。
明日から暫くは見るだけにしておこう。天気も悪そうだし。
オラは、逆針が切れるケラレが、お百姓はバレが多発しているが、なんでかなあ。もっともオラもバレは釣れた数と同数はあったが、これは、腕の悪さが影響しているのでは。

6月20日  道志川
湖産放流であるから、冷水病が心配。
解禁日であるから人出が心配。
両国橋から鮎見えず。水源の森は込んでいるから、道の駅へ。
7時の水温14度。アカ付き悪し。
冷水病原菌は、水温16度から22度で増殖し、濁りや水温の変化等のストレスがあると発症するとのことであるから、まだ本格的には発症していないのでは。

道の駅から下流へと降っていくが、鮎が見えん。もし、水温が低い、日照不足で光合成が阻害されていて垢の生育が悪い、というのであれば、小学生、幼児が多くいるはず。それらが、チャラ、ヘチに見えない。

サボTは、小学生1.そのほかに吸盤ボウイに山女魚。
オラはボウズ。
モタモタと道を歩いて、道の駅に戻ると、前がたっぷりと空いている。
10名様お帰りい。朝は満員だったのに。
高校生は成魚放流の湖産では。次は小学生。中学生も。
計4匹釣れた。

相当量が死んだのではないかなあ。
明日、サボMが、サボリーマンの本領を発揮して、最良の場所で釣るから、湖産が死んだのかどうか、残りアカしかないのか、日照不足で光合成が阻害されていてアカ付きが悪いのか、はっきりするでしょう。
ということで、桃源郷を求めて、道志川までやって来たのに、これまでで最悪の解禁日の状況でした。

サボM    6月21日奥道志9時〜3時まで
午前:郵便局下流3本(15センチ×2+チビ)  1匹は冷水病出てた。
午後:滝原オートキャンプ場下流を釣り歩くも0匹
過去最低の奥道志でした。
事前に情報が入っていたので日釣り券にしたのがせめてもの救いです。
今年の奥道志には行く価値ありません。
なお、解禁日に多少釣れていたのは、直前に漁協があわてて成魚放流を行ったものが釣れたとのことです。
オトリでオトリを釣ってもなー・・・  これなら相模川の方がよっぽど釣れます。

ということで、すでに冷水病が大量発生していたよう。
20日の水温が14度であったが、前日の雨で、30センチほど増水をして、たまたま14度の水温に低下したのではないかなあ。
そして、14度になる前のどのくらい前か、判らないが、水温は16度以上になっていて、冷水病原菌が増殖をして、その後の増水による水温低下・変化や濁りによるストレスで、冷水病が発症したということでは。
オラにとっては、サボMが、道志川を諦めて、少しはまともなアユがいる川に運んでもらえる可能性が出て来てありがたいと云うことかなあ。 

6月24日  中津川
昨日の相模川での大会は、雨、風でとても大変だったが、今日の中津川の大会は、オラの行いが良いために、ピッカーン。ビールがよく似合うお日和です。
角田大橋の大会本部から、田代まで歩くか。とはいえ、田代に着いたら、満員御礼、というのも困る。
またもや、ついている、橋上流の瀬に空いているところがある。解禁日にサボT、サボMが釣ったところ。その後も、海産畜養が釣れている。しかも、昨日は雨風で釣り人が入っていないはず。もう一つおまけで、10時過ぎにはビールが飲める。

釣れない。楽をしていては当然のことですよねえ。それを哀れんで吸盤ボウイが。吸盤ボウイ君よおお、お前の3,4倍の大きさがあり、体重では5倍、10倍もあるでっかい養殖に喧嘩を売るなよなあ。少しは身をわきまえて生きていかんと死んじゃうよ。
説教をして逃がしたお礼に、女子高生を下さった。
錘を外す。中学生も。解禁日には中学生はオモリを必要としたが、馬力がついたなあ。錘なしで大丈夫。

吸盤ボウイ君の恩返しはこの4匹で終わりかなあ。
10時、上流側の人が動いた。当然そこに入る。4匹の中高生。
計8匹。
1回戦通過。
田代は盛況の人も貧乏人も。

2回戦は、ビールを飲んだ後であり、楽をしたい。
瀬肩上流のチャラ状のところへ。溝があるから、小学生と幼児が遊んでくれるはず。
しかし、遊んでくれなかった。小学生が1.
海底の瀬落ちに入った人は、20.田代組にも10台が何人か。海底は1回戦でも釣れてなかったのに、何でフィーバーしたのかなあ。
原則、釣り返しが利かなかったよう。 

6月25日  中津川
昨日、大量に釣られたから、今日も釣れるあゆみちゃんが残っているとは考えられない。
しかし、テク1が、角田大橋上流の瀬で、釣り返しのきく場所があるという。
あると云われれば、ヘボでも試してみたくなる。

テク1は、勤務時間がわずかであるが、オラは、長時間労働で少しでもテク1のナンパ数に近づきたいということで、8時過ぎには働く。
テク2は、釣り返しが利くというが、ほんまかいな。幼児が釣れただけ。
しかし、女子高生が釣れた、中学生も小学生も。
釣れない時間には、テク2の川見がまちがっちょる、と、うらみもしたが、11時を過ぎれば、女子高生3,中学生4,小学生4,幼児1の12匹。

少しの間でも、テク2の川見を疑って済みません。
昨日オラが釣っていた瀬では、立ち込んで右岸ヘチを釣っていることから、釣れてないんでは。
その附近を含めて、1日はおかないと釣れなかった。6月も下旬となったから、海産畜養の縄張り形成にかかる時間が短くなったのでは、と思っていたが、テク1が教えてくれた場所以外の瀬では、まだ1日は空けないと、縄張りが形成されないのかも。

当然、幸せ一杯のビールを。
午後は、昨日の大会で、2時間に20も釣れた海底瀬落ちから瀬尻へ。
Tさんが大漁であったときも、20には届かなかったのに、何で2時間で20も釣れたのか。なんらかの異変が生じたのか、野次馬としては、釣れない可能性が高いと判っていても、囮を入れるしかない。

瀬尻から上っていく。囮は元気溌剌の海産畜養の小中学生が一杯いる。女子高生までいる。
それほど時間がかからないうちに女子高生が釣れた。
瀬落ちへと釣りのぼり、また、釣り下るも、ケラレと囮のすっ飛びの逃げがあるのみ。
ケラレが多いということは、針を何にするか、悩まざるを得ない季節に入ったということかなあ。
すっとびの逃げに対してはどう対応すればよいのかなあ。
21世紀が始まった頃の那珂川は寒井。オラは囮の逃げを何度やっても止めることが出来なかった。テク1と交代すると、養殖を囮に使い簡単に釣り上げてしまった。
錘を使える場所であれば、錘を使う手もあるが、養殖を使うとは思いもよらなかった。

ということで、数はテク1の短時間に釣っていた半分ほどに過ぎない乍らも、テク1の川見の適切さを再確認することになりました。
なお、テク1が教えてくれた場所は、土手から見る流れとは違い、囮を入れると流れの強弱、筋は、一層変化がある場所でした。

大会の翌日であるにもかかわらず、13匹も釣れて、しかも、すべて下顎側線孔数4対左右対称でした。
なお、田代でチビが3時頃から多く釣れているが、これは5月に相模大堰を通過した海産ではないかなあ。そして、これは大きくならないのではないかなあ。

6月28日  中津川
角田大橋上流の瀬は、1日では縄張りが形成されないであろうが、天気がどうなるか判らないため、月曜日であっても行くしかない。
テク1が釣り返しが利くという場所は先客あり。解禁日にサボTが入ったところへ。
釣れませんあ。やっと釣れたのはハヤ。
ハヤに、お前なあ、こんな流れの強いところは、あゆみちゃんが住んでも、あんたらは追い出されてるはずじゃあ。と、諭して返す。前回は吸盤ボウイがお礼にあゆみちゃんを4人くれたが。
ハヤではお礼を期待できないか、とは思いながらも、囮君に働いて貰っていると、小学生。やむをえんか。

高校生が釣れたとき、テク1ポイントが空いた。
しかし、先客は6匹釣ったとのこと。これじゃあ、スットビのオラにも釣れる鮎がいるわけはないよな。
また、上流へと動き高校生。

さらに上流の大きな波立ちへ。
養殖君でオモリをつけて高校生。3年生の高校生は、ナンパの証拠として、箱入り娘にしたいが、囮に余裕がない。根掛かりがしないことを願うのみ。
願いは通じて、高校生らが5匹。

午後は、海底へ。
ケラレはあるが、釣りのぼる。
やっと高校生。この3年生も馬力がついていたなあ。下流側の平さんをうらやましがらせた。平さんよりも上流側で釣っていて正解で、3匹。これから、というときに、強い通り雨。
雨に水をさされなければ、大漁になっていたかも。いや、そんなことはないよね。

重役出勤の米さんは、13,4匹。良く釣るよなあ。22才は、人工か、海産畜養か。

10匹は、すべて下顎側線孔数4対左右対称。
高校生7,中学生2,小学生1.

昭和橋のコロガシも4,50ほど釣れるようになり、型も高校生や乙女になったとのこと。氏素性は判らない。

7月1日  中津川
昨日、解禁以来はじめて、愛川橋を見に行った。橋から成魚放流の姿見えず。
サボZの車は見えるが、姿は見えず。ダムが出来る前、溝になっていて、大石が転がっていた橋上流の1等地の瀬にも見えず。原下の堰下流あたりかなあ。そこが見える場所まで行くのはしんどいから止めた。可愛い、ボインのネエちゃんであれば、下心をむんむんさせて探しに行くが。
サボZは、原下の堰下流から、深沢尻まで釣り歩いて、数匹とのこと。事前調査の甘さを笑いましょう。

馬渡橋上流のチャラには、6月に放流されたどこかの成魚放流が、まだ死なないで、群れをつくっている。その一部が、橋下流の瀬附近に入っているのかなあ。チャラ上流の瀬落ちでも釣れていた。

角田大橋上流の瀬を、下流から上流へ。
海産畜養は品切れか。ウンともスンとも言わない。おじゃま虫まで、命を助けたから、あゆみちゃんを人身御供として差し出せ、という、博愛の心をなくしたジジーが来ているから、家から出るな、と、外出禁止令が出ているのか、さっぱり。
挙げ句の果てには、波立ちが大きい場所で、今年初めての根掛かり放流。
それだけではない。1号のオモリをつけて、ハヤが。何でハヤじゃ。ハヤはあゆみちゃんに追っぱらわれているはずじゃあ。追っぱらう人がいないということか。

囮君にあと1時間、いや30分働いて、と懇願した。まだ、10時であるから、朝ビールにも早すぎる。囮君は、嫌々ながら30分がんばってくれた。

11時、囮の追加買いをして海底へ。先日、平さんと、ダム下流の支流からの水で大きく増水することはないとは思っていたが、万一のことがあるから、瀬肩よりも上流で左岸ボサのはえた河原に渉った。平さんは、そのときに溝を見つけて、そこでは人工がつくはず、と。
その場所から釣りはじめたが、目的地である海底瀬落ちから瀬尻の人が、お昼だというのに、中々動かない。

釣り上がるとき、3連チャンの蹴られ。7号の針にしたが。
待望の瀬尻に入り、中学生。次いで小学生。これで、順風の筈であるが。
このままでは、サボZに笑われてしまう。まあ、先に笑ったからおあいこか。
小学生と幼児。やっとこさ4匹。
諦めて戻ってくるとき、帰り支度の人が、海底の一番流れがきついところで20と。
しばらくそこには竿が入っていなかったのでは。

バスの時間待ちのため、角田大橋上流の楽なところへ。
昨日、米さんは、橋下流で20とのこと。
ここは小学校かなあ。小学生と幼児計3.

ああ、つかれた。
橋上流の瀬は品切れと思っていたが、昨日、20も釣った人もいたと。
そうすると、ボウするまでに中1日必要な今年の状況から、品切れではないかも。
明日、確かめるしかない。
根がかり放流に、囮の追加買い、そして蹴られ病の症状の悪化、なあんも良いところがなかった1日ですが、明日もがんばるしかないか。それで瀬のあゆみちゃんが遊んでくれなければ、品切れと思うこととしょう。

田代で乙女も出ている。ブロックに隠れていたのかなあ。
幼児から中学生計7匹は、下顎側線孔数4対左右対称でした。
ついでに、ケラレの主は、小学生かも。橋上流の楽な場所、小学校でも数回蹴られたから。小学生が蹴っているのであれば、叱ることも出来ないか。
昨日の状況は、「野口おとり店」のホームページを見てください。

7月2日  中津川
海産畜養が品切れなのか、それとも数が少ないから、縄張りを形成する必要がなく、昼寝をしていて、1日おきでないと、釣れないのか、確かめる必要がある。
川那部先生は、個体密度が高いときは縄張りを形成することに要するエネルギーと、縄張りを形成することによって得られる実入りとのバランスが保てないために縄張りを解消する、と。
また、個体密度が低いときも、縄張り形成のメリットがないために、縄張りを形成せずに、サボリーマンになると。

昨日は、昼寝の日と思っていたら、オラがビールを飲んでいるときにオラが釣っていた1つの場所に入った人が、喜んでいたとのこと。
なんじゃあ、オラがヘボであったから釣れない、ということではないか。
その汚名を返上するためにも、今日はナンパを成功させたい。

サボMポイントにはいる。
高校生に中学生、オラの予見があたった。
しかし、釣れなくなる時間も。ただ動ける。
強い引き。重たい。高校生とは考えられない。やっとだっこしたのは乙女。
午前、8.

午後海底に行く。
瀬落ちには先客が。その上流の瀬へ。
高校生。中学生も。
瀬での釣りはしんどいし、根掛かりを外しにいけるかどうか、5トンのダム放流量になったとはいえ、心もとない。瀬落ちの人が昼食に行ってくれたら、と思っていたが、竿をおいての昼食のため、海底を去ることに。

角田大橋上流の瀬肩に近い瀬が空いている。
またもや凄い引き。今度は乙女への心の準備が出来ているから、それほどあわてなかった。
もっと釣りたかったが、ゴロちゃんのお出まし。音だけではあるが、怖い。

計11匹、下顎側線孔数4対左右対称。
乙女は20才と切りあげて21才。
小学生2,中学生5,高校生2.
ということで、品切れではないこと、海産畜養の乙女がいることが、そして、縄張りを形成するには1日の昼寝の時間が必要であることが判りました。

7月5日  中津川  
今日は、海産畜養あゆみちゃんがお昼寝の日であろうから、お医者さんに行く方がノミの心臓にはよいことは判っている。しかし、今日よりも明日の方が天気が不安定のよう。ゴロちゃんも雨も嫌いなオラとしては、あゆみちゃんを獲るべきか、天候を取るべきか、悩んで末での出勤。

悩みは的中し、角田大橋上流のサボMポイントは釣れませんなあ。サボTポイントも同じ。
やっと中学生が遊んでくれたというのに、2匹のうちの1匹を根掛かり放流。
今日は、囮の追加買いをしないと固く決意している。

途方にくれて動いていると、去年、壊れ橋上流でお会いした只見川さんが、声をかけてくださった。
只見川さんに、昔の川やあゆみちゃんについて、お父さんらに聞いて、と頼んでおいたが、オラの方が忘れていた。

只見川さんのお話
只見川さんは、只見川が会津大川?が「阿賀川」となって合流する附近に生家があるとのことです。
生家には、90才を超えるお父さんが1人で住んでいるとのことです。今年の4月、雪囲い?をはずしに行った時、まだ雪があり、山は真っ白であった、と。

お父さんがアルバムを出されて、戦前の只見川の写真を見せられたとのこと。その写真は、只見川さんも初めて見る写真とのことでした。
写真には
大石がゴロゴロしていて、渓谷ではないかと思うような川の光景。
垢石翁が
大井川の中川根町や、宮川の情景を表現されている光景が、只見川にも、あるいは阿賀川にもあったということでしょう。

只見川さんのお父さんのお話
@ 大鮎がいた。
A 囮は、コロガシの仕掛けで獲るが、大石がゴロゴロしているため、コロガシの方法では穫れない。
錘の下に針をつけるのは、コロガシと同じであるが、針の下に浮きを着けるとのこと。

滝井さんが、相模川神沢でオトリ捕りをされていた「セザクリ」とはちがうのかもしれない。

B 仕掛けは吹き流しであった。
C マス=サクラマスはドバみみずで釣った。

只見川さんは、7月に竿を出されたが、高校生クラスであったとのこと。
堰の魚道が改修されて、遡上鮎が3割?程混じるとのこと。

只見川さんは、阿賀野川で大きい鮎を釣ろうとされた。
どのくらいの水深があるのか判らない深い場所、強い流れの阿賀野川。地元の人に、大きく立ち込まなくても釣れるといわれたが、どこから来た?、と尋ねられて、東京、と答えると、それじゃあ、阿賀野川で釣るのは無理だ、といわれたとのことです。
阿賀野川には、鹿瀬ダム、豊実ダムがあるようであるが、それらの魚道も遡上できるということかなあ。

只見川さんは、瀬を見切って橋付近へ。
オラは瀬で。
不幸の予言は良く当たる。中学生2匹。そのまま橋付近に行っていれば、まだ打撃は少なかったであろうに。
貴重な中学生を根掛かり放流。そして吸盤ボウイ。
吸盤ボウイに、恩返しにあゆみちゃんをちょうだい、といって放した。吸盤ボウイは、あゆみちゃんにも好みがあります。こんなくたばり囮では無理です。あゆみちゃんをだっこしょうとは、身の程知らずもはなはだしい。でも、お釈迦様は、地獄の壁を登られるように、手足に吸盤をつけてくださるから、それで満足しな。さようなら、と消えていきました。

午後、3日に放流された成魚であろうと、なんであろうと、囮が欲しい。ということで、橋上流へ。
只見川さんは、橋上下で9匹釣り、昼で帰るとのこと。
オラの上流側の人は79才。心臓が悪く、障害者手帳も持っておられる。電車、バスで練馬から来られたとのこと。

おじゃま虫にまでヘボと馬鹿にされたが、数匹の囮をもって、サボTポイント附近から、上流へ。高校3年生の海産畜養も遊んでくれたから、満足しましょう。
8匹のうち、下顎側線孔数4対左右対称は、5匹。
あゆみちゃんには冷たくされたが、只見川さんら、釣り人には恵まれた1日でした。
なお、最後に釣れたのはヤマベ。ヤマベをおじゃま虫として釣ったのは、10年以上前のことであろう。湖産放流とともに多くのヤマベが運べれてきたのであろう。そのヤマベが再生産されている場所は限られているのではないかなあ。相模川では弁天のヘラ釣り場等。

只見川さんのお父さんが、只見川で鮎を釣られていたことから、只見川にも鮎が遡上していたと考えて良いのではないか。
秋道先生は、上流から、河川の次数を計算されて、鮎は4次河川までは上り、3次河川の間が遡上限界ではないかと、考えられている。
そうすると、只見川の上流のどこかまで、鮎が遡上していたということではないかなあ。

只見川流域において営まれていた川と、川の生き物をかいしての生活の記録がどの程度残されているのかなあ。
江の川における重要有形民俗文化財ほど保存されているのかなあ。江の川における
黒田明憲「江の川物語  川漁師聞書」のような川漁師の話が記録されているのかなあ。
素石さんら、釣り人は、阿賀野川流域の情景をどの程度記録として残されているのかなあ。

只見川さんもびっくりされていたが、お父さんが保存されていた川の写真は、現在の只見川からは想像も出来ない大石ゴロゴロの川であったとのこと。
只見川さんは、それらの石は、植木やさんが庭石に運び出したのではないか、と冗談をいわれていた。
それほど見事に大石は消えている、と。
相模川の神沢も何メートルか掘れば、滝井さんらが見ていた石が出てくるのかなあ。大井川の中川根町の河原を何メートルか掘れば、垢石翁が見ていた物置小屋のような石が出てくるのかなあ。

7月8日  中津川
天気予報はあてにならないが、今日は晴れの筈。
角田大橋上流のサボMポイントから上流へと上っていくが、海産畜養は品切れかなあ。米さんが独り占めしたために囮の追加買いをしたのはいつのお日いかあ。
やっと掛かったが、馬力がないなあ、成魚放流の一部がここまで泳いできたのかなあ。高校生であるが、と文句を言っていると、タモにあたりキャッチミス。ああ、今日も囮の追加買いかなあ。
やっと高校生。そして、またいいあたり。しかし、油断していたために石で出来た瀬落ちに走られ、バレ。その後も中学生の空中バレ2.最後は、吸盤を切れば囮にできる大きな吸盤ボウイ。

諦めて、そして禁煙2時間はこたえるから、煙草を取りに囮屋さんに戻ると、まだ11時。今日は、明日の肝臓検査のために昼休肝日と誓っているために、また川へ。そして、テク1ポイント附近へ。
何と、遡上鮎の小中学生に成魚放流が、8匹も。これで、囮の追加買いはしなくて済む。
そうなれば、昼休肝日も止めてビールを。
可愛い女医さんは、検査日を忘れないから、カレシーと逢い引きをして休診にならないかなあ。

握りを食べて、川へ行くと、只見川さんがいる。
今日は木曜日ですよ。そんなにしょっちゅう釣りに行っていると、リストラされるよ、と、怒られなかったのですか。
只見川さんは、サンダルを釣って囮放流、次は、鼻でないところに鼻環を通して、囮は死んじゃっただあ。囮の追加買いを。
橋付近を釣っていた只見川さんは、昼上がりをしたが、9匹とのこと。

朝と同じ下流側の楽な瀬へ。
そこは小中学校併設の場所。まだ、給食時間のようで小中学生に成魚放流もまじり、8匹。
しばらくして、釣れなくなった頃、壊れ橋下流に入った米さんがやってきて、20匹あまり、と。
米さんは、瀬の上流で追加をしたものの、26.

オラは、小中学校付近に居座り、合計24.

オラが釣った24匹の内、下顎側線孔数4対左右対称は17.そのうち、海産畜養の乙女は1,高校3年生は1.

米さん同様、先日、壊れ橋付近で釣った平さんは20台であったとのこと。
遡上鮎の小中学生が釣れはじめたということであろう。
しかし、米さんも何処が小中学校か、探す必要があると。まだ広くには散らばっていないのでは。散らばるのは梅雨明けかなあ。
海産畜養は品切れ近いのではないかなあ。


7月10日  中津川
土曜日は、オラのために年金代を稼いでくださっている方々が、あゆみちゃんとの逢い引きを楽しみになさっているから、さぼりたいところではあるが、今後の雨こんこんの心配もあって、出掛ける。

前回の小中学校に闖入するが、釣れるのかなあ。
小学生と幼児に、中学生は何処に消えたの?と尋ねたら、気色悪いジジーが身の程もわきまえずに声をかけてくるから、六本木ヒルズに引っ越したよ、と。
愛甲郡愛川町に六本木ヒルズはないぞ、と怒ったが。
幼児や小学生だけじゃあなあ。中学生と高校生がお望みですが。
何とか7匹のうち、午後の囮になる中高生が3匹。
囮の追加買いが必要でなくなり、また、肝臓の検査もすんだから、昼休肝日を意識しなくてもよい。ビールを飲んで、午後に期待しましょう。

米さんが、平さんの教え通り海底の上流側の瀬に行ったはず、と。平さんは、米さんとは違い、その場所のあゆみちゃんを半分しか釣らないといっているが、自己申告であるから、事実かどうかは不明。
午後、角田大橋上流の瀬は込んでいるため、海底へ。

海底の瀬尻は、6月の海産畜養の中高生の場所から、遡上鮎の小学生、幼児の場所に変わっていた。
瀬落ちも中学生はいない。海産畜養の高校生は瀬に入ったのかなあ。
瀬で高校生が釣れてオトリに余裕が出来た。
オラの上流に棚があるから、そこまで釣りのぼろうと思うと、昼休みの釣り人がいた。
ということで、動けるのは、瀬落ちからその上の瀬まで。

強い当たり、強い引き、どんな高校生かと思えど、中学生、小学生も。
今日もぽっちゃん病は健在で、午前だけでなく午後も。
蹴られ与三郎も。平さんは7.5号の細軸の針にして、ケラレとバレ病から脱出したとのことであるが。

瀬に監視員のNさんがやってきた。Nさんがオラの竿を取りあげ、7mの竿は扱いやすいなあ、といって、すぐに高校生を釣り上げた。Nさんの成果はオラの成果。当然オラの釣った数に含める。
Nさんの筋に入れるとまたもやすぐに釣れた。

海底の上流側の瀬に行くはずの米さんは、先客があり平山橋上流まで行く。釣れないよ、といって、酒盛りをしている人もいる中、10ほどしか釣れない、とやって来た。
強い当たり、引き。乙女か。丼を食べたくないから、米さんを蹴散らし、瀬尻まで下る。取り込んだのは高校3年生。
乙女でなかったことは残念であるが、米さんを蹴散らしたことに大満足。

そして、竿を畳んだが、海底で14.合計21.
米さんが12,3であるから、はじめて米さん以上に釣ったのではないかなあ。
こんなに釣れた海底で、先日、サボリーマン3人組がボウズとはどういうこっちゃあ。オラの腕とサボリーマンの腕の差ということかなあ。そういうことにして、優越感にひたっておこう。

高校生11匹は、下顎側線孔数は4対左右対称でした。
午前はどうなることかと、やきもきしましたが、午後は、優越感にひたることが出来た楽しい1日になりました。

7月13日  中津川
一昨日は雨、昨日は風。当然海底は更場状態の筈。
しかし、昨日の風の中、海底で20も釣った人がいると。オラの大漁の時の数じゃあ。せっかく雨の予報にもかかわらず、やって来たのに。

午前海底。
幼稚園の瀬尻、小学校の瀬落ちをパスして、中高生と援助交際をしたい、と瀬へ。すぐに高校生。次が中学生。
昨日の影響はないやん。
という判断が砂糖よりも、かっては存在していたチクロよりもあまあい判断。さっぱり釣れませんなあ。
更場でないとしてももう少し釣れるはずじゃあ。先日のNさんが、昨日5時から11,という話。これじゃ釣れるわきゃないよ。わかっちゃいるけどやめられね。
やっと目印がとぶ。
上流側にいったうまい人はどの程度釣れたのかなあ。オラと違い、動き廻らずに、ていねいな竿操作をされていた。
結局10匹しかあゆみちゃんは相手にしてくれなかった。更場であったら、20は固かったであろうに。何で、風の中で釣った人がいたんじゃあ。

午後、ビールも入り、海底に行く元気もない。釣れないと判っていても、角田大橋上流の瀬へ。
瀬肩に近い瀬にはいるが釣れるわきゃないよなあ。ところが高校生が釣れた。幼児も。4人が遊んでくれたころ、テク1ポイントが空いた。
楽あれば楽あり。
釣れなくても楽な方がありがたい。

中学生が遊んでくれないかなあ。
来てくれました。それどころか、高校生も、19才乙女も。
オラの上流側の人は、20ほどとのことであるが、よく釣れたなあ。

合計16.
高校生と19才乙女計8匹の下顎側線孔数は、1匹を除いて、4対左右対称。
Nさんは、田代で1時間ほどしか働かずして、10とのこと。


7月14日  相模川
大島の鵜止まり上流の瀬は、海産畜養の乙女が、お百姓を引きづり廻しているとのことであるが、お百姓共々、小沢さんの釣り姿を見るために弁天へ。
上流側の瀬肩上流のチャラ、トロには講習会受講生がいるため、いつもの上流側瀬尻へ。
お百姓は右岸へ渉り、ボサ上に。ご本人としては、瀬落ち附近に行きたかったのであろうが、先客あり。

そのトイ面のオラは小中学生、しかも掛かりどころは良くない。お百姓も似たようなもの。
やっと、高校生が釣れた。
その後、お百姓は、鯉か、と叫んでいる。風が強いこともあり、お百姓の高級な竿は良く撓っている。鮎と判ると、オラはやっかみから、早く抜け、ぼやぼやするな、と。乙女は、21才下顎側線孔数4対左右対称。
その乙女を根掛かりしたときは、根掛かり放流せえ、と、忠告したのに、ウェーダーに水が入り込んでも救助に成功。残念。
お百姓は、大島の鵜止まり上流の瀬では、こんなのが、遊んでくれる、と。

2人とも仲良く5匹。
下顎側線孔数は4対左右対称でした。

小沢さんが、瀬で釣ってくれたら、瀬に鮎が着いているか、確認できたのに、瀬肩上流で受講生に説明しながら、釣り方、ポイントの選び方等を説明されていたため、瀬にどの程度の鮎が着いているのか、確認出来ませんでした。
それにしても、天気予報がオラのあゆみちゃんのナンパ場所同様はずれっぱなし。風はないとの予報が、受講生が使っていたメーカーの竿を折ってしまいました。

7月15日  中津川
今朝の朝焼けはきれかった。
空の青も、東の空は、少し薄い青であるが、明度は逆に高かった。
東雲は、ちぎれちぎれの雲で彩りを異にして、3色か4色に彩られていた。
これが、天変地異の予兆か、オラに幸せをもたらす吉兆か。

偽アカシア附近のサボT,Mポイントは、米さんだけではなく、昨日も大漁の人がいたから、今日は品切れの筈。
迷わずに海底へ。
上流から、Nさんポイントに人が降ってくる。しまった、と思ったが、その人は、Nさんポイントで止まったから、その下流の瀬落ち上へ。
口掛かりのぽっちゃんは仕方がないか。小学校に近いから、小学生の蹴られもしゃあないか。
余裕もここまで。

とどのつまりは吸盤ボウイ。
もう怒ったぞお。
川那部先生が、瀬の優占種であるあゆみちゃんに楯突く不届きな吸盤ボウイが、あゆみちゃんを追うかどうか、あるいは、あゆみちゃんが吸盤ボウイを追うのか、興味津々であり、それを試された釣り人を紹介されている。
囮が元気を回復するまで、オラも、川那部先生の疑問解決に貢献することにした。
しかし、吸盤を切りとるとはいってもやりにくいなあ。鼻環を通すといっても、通しにくいなあ。
やっとこさ、実験準備が整った。整ったものの「宮崎市内の釣り名人」とは異なり、あゆみちゃんは釣れず。
しかし、その間に上流側の人が去っていった。その意味で実験成功、いや、実験に費やした時間が有意義でした。

Nさんポイントに釣り上がる。
釣れませんなあ。昨日、だれかが釣った後かいな。
苦節100分、やっと高校生。
またもや、「しかし」です。次の中学生はタモにあたってぽっちゃん。何で風が吹いたんじゃあ。

囮屋さんには、朝帰りはせん、囮の追加買いはせん、と宣言してきたが。
故松沢さんのところでは、21世紀になってからは遡上量が少ない狩野川での朝帰りは、丼大王ら、特定の女誑しは例外として、オラには当たり前のこと。冷えた身体を三島の蕎麦やさんで、デンデンとかゴチとかいった故松沢さんでも名前は聞いたことがある、という次元のお魚を肴に熱燗で一杯が楽しみであったから、いそいそと朝帰りをしていたが。やっと、11時を過ぎた。サボリーマン3人組のボウズよりは幸せか。

午後は、角田大橋上流の瀬のどこかにはいるつもり。
偽アカシアの周辺は、品切れでは。
テク1ポイント附近に入れる。
その周辺を動き回って5匹。
計6匹。
ああ、疲れた。バスの時間調整のため、またもやビールを。しばらく肝臓の検査はないから、自棄ビールも気にしない、気にしない。
あ、そうそう、放流したての海産畜養ではないかと思える鮎が1匹釣れました。肌の色が違います。

7月5日、只見川さんのお話を書きましたが、只見川さんから、次のメールをいただきました。
間違った理解をしていました。
なお、常滑川は、かって、「入れ歯を洗うことが出来る鮎の川」?として紹介されたことがあるが。
あ、そうそう、常滑川には、何年かの間、年に数本呑んでいた酒蔵があったのではないかなあ。
先日の≪オラ鮎≫に記述されたダムの事≪阿賀野川には、鹿瀬ダム、豊実ダムがあるようであるが・・・≫ですが、

鹿瀬ダムのすぐ下流に支流常浪川があり、その下に揚川ダム(これが最下流のダムになる思います)、

その下に支流新谷川となっています。

昨年私が竿を出したのは新谷川と阿賀野川の合流点付近でした。

合流点から新谷川を上流にさかのぼった(2Km位かな?)ところにオトリ屋さんがあります。

7月17日  中津川
土曜日でも少しは動けて、釣れるであろうと、淡い期待はあるが。
その期待は、昨日、米さんが、角田大橋上流の偽アカシア付近の瀬でオラの大漁の日並みに釣ったにもかかわらず、海底に行って、またもやオラの大漁の日並みに釣っていることから、万事休す。

とはいえ、空調とは無縁の部屋にいるよりも、水冷の効いた水の中の方が涼しいか。
海底に先客がいるが、その下流があいている。
米さんがいい流れ、といっていたから、当然、品切れの筈。
萬サ翁は、30分でボウするようになると話されているが、鮎の数量が少ないから、1日空けないと、縄張りは形成されない。
とはいえ、ケラレがあり、ハネが2匹あったから、3匹はいるか。

口掛かりのぽっちゃんは仕方ないか。
高校生に中学生。そして、タモにあたってのキャッチミス。もう、9mの竿で、高校3年生をだっこできる腕力がないということかなあ。

上流側の人は、只見川さんでした。
3匹釣ったが、転んで煙草をぬらして、禁煙を持続することが出来ないから、車に戻るとのこと。

瀬肩のすぐ下流の瀬で釣っていたはっチャンがやって来た。
15ほど釣ってやって来たが、昨日米さんに抜かれた後であることから、ケラレがあったのみ。はっちゃんでも釣れないから、オラが釣れなくて当然のこと。
はっチャンは、早昼をしょう、と。当然、異論はございません。ついでに、囮を1匹取りあげました。これで、心おきなく、ビールが飲めます。

午後は、空いている角田大橋上流の瀬へ。
すぐに釣れた。
流れの真ん中よりも手前では、19才も。
歓迎したくはないが、先日放流された海産畜養の成魚も囮に不自由しているから、ありがたい。そんなこんなで8匹。
合計10匹の内、下顎側線孔数が4対左右対称でないのは1匹。

はっチャンは、午後は、仙台堰上流で一杯いる放流物と遊んで、合計25ほど。いつも、このようにしおらしくしていてくれたら、オラと遊んでくれるあゆみちゃんが少しはいるのになあ。

只見川さんの話

1 阿賀野川が三面や荒川のようにこっちから釣り人が行かないのは、昭和電工の新潟水俣病が影響している、と。地元の人は阿賀野川で釣るが、こっちの人は支流に入ることはあっても、阿賀野川には入らない。
川那部先生の物質循環に係る当然の結果として、新潟水俣病が昭和電工の近くではなく、下流域で発生したことを知らないのかなあ
川那部浩哉「食物連鎖と阿賀野川」
2 常滑川について
土日は、阿賀野川合流点付近に囮屋さんがいるが、平日は、上流の方に1軒しかないから不便である。
水がきれいであるから、お盆の頃、ブヨが大量に発生する。
囮屋さんのことは、何とかなるが、ブヨの対策で、完璧な方法があるのかなあ。
なければ、梅雨明けから8月上旬しか釣りに行けないが。

7月18日  狩野川雲金
山に保水力があった頃は、今日の水量くらいあったのかなあ。
瀬の芯は判らないが、ヘチ、瀬脇のアカは飛んでいない。
高松邸のすぐ下流、釣れた。あれえ、チビではない。高校生。下顎側線孔数4対左右対称。次は小学生。小学生は、高校生を。

どうも、高松さんが、狩野川の評判を落としたくないから、ネエちゃん、口うるさい爺さんと遊んであげて、とあゆみちゃんに頼まれたよう。
もう少し遊んでえ、中学生でいいですから、と頼んだが、なんちゅう贅沢をいうんじゃあ。後は、おまんの腕で生きていけ、と見放されました。
それから上流へと釣り上がるも、チビが3匹。
吊り橋付近は大会の人が、オラの上下には講習会の人が。

宮田橋下流に行ったが、かっての流れとは様変わり。砂は多いし、大きい石はないし。
結局水冷を楽しんだだけでした。

40近くの人が何人かおり、20台は半分。
結局釣れたところからあまり動かなかった人たちの方が、多く釣れたよう。
高校生以上には人工も混じっている人もいたよう。
ということで、チビだけではなく、遡上鮎か海産畜養か、判らないが、高校生もいることが判りました。


相模川の状況
久しぶりに、田名の主と会った。田名の主は、朝飯前に、高田橋分流チャラで、お仲間のご指導をされていた。
その下流には、瀬で釣らぬ者はアユ釣り師とはいえない、と、田名の主らと同様、瀬で固い竿で、強引にあゆみちゃんをだっこすることが生き甲斐のしんちゃんまで、しゃがみ込んで、チャラを釣っている。
瀬が釣れなくなったから、と。

田名の主らは、瀬が貧弱になった高田橋を敬遠して、大会が行われていた頃から、大島の中の島の上流側で海産畜養の22才位を楽しんでいたとのこと。
その瀬は、かって、亡き相模川の主がオトリ採りに活用していたところ。当然オトリ採りだけではなく、大漁ポイントでもあったが。
現在は、流れの芯がぼやけ、かっての強い瀬のイメージではなくなっているが、それでも他と比べれば、瀬らしい、と。
その瀬でさんざん楽しんだとのこと。
激しい当たり、追われているのが判るのに、針ガカリせずに、蹴られているとき、お仲間が、イカリは蹴られない、というのでイカリにした。
結果は、お仲間も激しいケラレに合い、結局、イカリもチラシもそのときの状態では、針が合っていない、ということになった、とのこと。

3連休でどのくらい、海産畜養が残っているのかなあ。大島は、大入り満員、空きを待つ人までいたとのことであるから。
まあ、漁協のホームページが事実を適切に記述していない、というか、しかるべき職務遂行者の裁量による放流種別、数量の配分が行われているというのか、まあ、そんなもんでしょう。お互い、情報の適切さは、自らが試してみないと判らない、ということでしょうかねえ。

7月21日  中津川
昨日、相模川の大島を見に行った。
鵜止まりの淵に出る崖の道を降りていくと、その上流の瀬に車が入っている。また、河原に車が入ることが出来るようになった。
数人がいる中、お百姓さんもいた。田圃の水管理が大変であるから、当分釣りは出来ん、といっていたよなあ。とおちゃんにリストラされるでえ。
お百姓は、3匹釣り、丼。
お百姓は、2年ほど前転んで折った振り子抜きの竿を修理して、使っていた。
それで丼?お百姓のドジは、オラの栄養補給剤。
だいたいですよ、「荒瀬」の竿にナイロン0.6号を使ってですよ、今どきの鮎で、そして、球磨川ではなく、相模川は鵜止まり上流の瀬で、丼とは、あんさん、ヘボとちゃいますか。

なんやてえ、石に擦れて丼やてえ。
テク2がいつもいってますやろ。掛かったら一歩も下がらず、掛かったところからあゆみちゃんを動かさず、絞り込んでいると、必ず、浮く瞬間がある。そのとき一気に抜くんや、と。
それを何ですか、あんさんは、あゆみちゃんを走らせたんですか。「荒瀬」の竿が泣きまっせえ。

お百姓のドジを楽しんで、中の島の上流の瀬を見に行こうとは思えど、この暑さかな。
清流の里の食堂が営業をしていたら、ビールを飲んで、腹中冷すれば、陽もまた涼し、で、歩く気にもなるが、食堂の開店には時間がありすぎる。
ということで、お百姓のドジを楽しんで帰りました。

あゆみちゃんが日に日に少なくなっている中津で、ナンパ道の難行苦行に耐えるには、お百姓のドジが、心の支えになってくれるでしょう。

ここしばらく定番となっている海底へ。
昨日、3人で5,60匹を釣ったとのことであるから、今日は釣れるわけはないよなあ。いつになったら、修行は終わるのかなあ。修行のない世界に行きたいなあ。

高校生が残っていた。中学生も。そして、強い引き。瀬落ちに誘導して抜こうとしたが、囮も浮かない。ばれた。
お百姓とは条件が違いますよ。
お百姓は「荒瀬」に、0.6号。オラは中硬くらいに、0.2号のフロロ。当然囮の動きを止めることは出来ても、抜くには条件がいりますよねえ。

これで世の中も末、とはかなんでいたが、今日のあゆみちゃんはなんでか優しい。結局6匹。
ビールを飲んで、覚束ない足もとを気にしながら、安全に釣りの出来るのは、角田大橋上流。
偽アカシア附近は、まだ人が残っているから、それよりも下流、テク1ポイント附近へ。
あいているということは釣れないからですよねえ。
最後は、団子の腹掛かりでぽっちゃん。それでも諦めずに囮を出すと、今度は、団子で背掛かり。
これが合計10匹目となり、無事、難行苦行を終えることが出来ました。

平さんは、海底の曲がり角上流の強い瀬で大きい囮に乙女が掛かり竿を折った。傷がついていたのであろう、と。
オラは竿保険に入っているから、3千円で修理できるが。

7月22日  中津川
釣れんでしょうなあ。そんでも水冷の方が、空調のない家にいるよりも涼しいでしょうなあ。
だいたいですよ、米さんやはっチャンが、後のことも考えずに釣りすぎるからいけないんですよ。

万一、1日おくことで釣れるかも、品切れではないかも、と、海底へ。
昨日よりもあゆみちゃんは冷たいですなあ。おつむは暑くて、暑くて、水分補給をしないと、熱中症になりますよ。川で熱中症になり救急車のお迎え、となっては、お百姓だけではなく、いじめっ子の楽しい楽しい話題提供になるだけですよね。

瀬尻の小学校にまで下って、やっとこさ中学生。
刀傷を背負った昨日の乙女はどこにいったのかなあ。いや、乙女でなくても高校生でも小学生でも大歓迎ですよ。
上流の棚に行った只見川さんは釣れたのかなあ。今日は何といって、川にご出勤できたのかなあ。大切なお得意さんを案内すると行ってきたのかなあ。そのお得意さん?は、角田橋上流瀬肩から、目的地の海底を見て、歩きたくない、と。

小学生を追加しただけで、とぼとぼと水の中を歩いていきました。
橋上流の瀬も空いてますなあ。
あれえ、只見川さんがすでに戻っている。駄目でしたか。

朝帰りをするか、難行苦行に立ち向かうか。それが問題だ。まあ、ビールを飲んでから考えましょう。

大井川で、水深2,3メートルあるところで、令嬢がワインを飲みながら涼んでいるところに闖入して、令嬢をだっこしたこともあったなあ。
行こう、橋下流のトロへ。
水冷が気持ちいいですねえ。きらりきらりは見えるけど、釣れませんなあ。
大井川の想い出は盆の頃でしょう。まだ、早すぎますよ。
暑いだけでは、避暑地での生活をしてくれないのかなあ。元気な河童が邪魔なジジーと見ているようですから、退散しましょう。

橋下流の瀬に行き、元気溌剌名中学生。これで、橋上流の瀬で釣れるかも。
偽アカシアの附近に入ろうとしたら、下流側の人が近くへ。ここは、そんなに良い場所なんですかねえ。
その人の下流へ。釣り下りながら、釣れませんなあ。
18才人工、下顎側線孔数4対左右対称の高校生と中学生。
合計6匹でした。
明日から何処で生活をしょうかなあ。
只見川さんは、Nさんから田代の説明を聞くことができたのかなあ。

昭和橋のコロガシでは、雄物川さんが50に1足りない、2足りない、と裕福な生活をしているが、ほかの人は10,20が多いとのこと。
今日の本流側では、2,30も。
それから見ると、中津もまだ品切れではないとは思うが。

7月25日  狩野川:嵯峨沢、たごと、雲金
初心者らしからぬおっさんから、嵯峨沢で高校生、乙女が釣れた、と。
おっさんは、師匠の教えを身につけたから、30は釣れる、ダブルスコアで、勝つ自信がある、と。
当然、そのお誘いに乗る。

嵯峨沢は、二昔以上前に、亡き師匠や大師匠と行って以来のこと。
砂が多くなったなあ。大石で出来る複雑な流れの筋に対応できず、亡き師匠らが釣り上げるのをうらやましく眺めていたが、今では少々のことでは、おどろかんぞお。

渉りたくないから、いや危なくて渡れないから、右岸から釣る。
オラが何処にしょうかなあ、と、よたよた歩いているときに、おっさんは掛けていた。高校生ではない。中学生でもなかろう。
やっとこさ、釣り場所を決めて口掛かりのぽっちゃん、下半身掛かりを取り込んだ中学生。
こんな状態では、乙女どころか、高校生も無理でしょうなあ。

おっさんは、上流から、オラの下流へと移ってきた。
結果は、オラが9,おっさんは7,高校生なし。
おっさんに文句を言うと、高校生や乙女を釣ったときは、おっさんの師匠らがバトルをした、おっさんらは3時間、師匠らは2時間。その時間内で釣った数が150ほど。30匹はトップではなかった、と。

何で、それを早くいわんのやあ。
その時に高校生や乙女は根こそぎ釣られて仕舞い、次の成長が間に合わんのとちゃうんか。その後増水がないから、差しアユ、出鮎はあっても、ある程度の距離を移動してくる鮎はいないんとちゃうかあ。
今日、そのメンバーがだあれも来てなかったのは、品切れを知っていたからとちゃうんかあ。

ということで、たごとへ。
ここは初めてであるが、その近くの100円だったかの温泉には入ったことがある。また、浄蓮の滝下流で釣ったこともあったが。

渡場に鮎が見える。渉りたくないから、上飛ばしで、見える鮎のいるところへ囮を行かせるが、中学生だけ。
渉り、おっさんのいる方へと下っていく。棚が二つある。しめたと思ったが、大石の周りは砂。砂の中の石は勝負が早いとはいえ、大石にぴったりと囮を吸いつかせることには能力が足りない。
歩くのに精一杯であるが、囮を出して、高校生。
2匹しか釣れず、落胆していると、おっさんも3匹とのこと。乙女は白波の立っているところで釣れたとのこと。

たごとは、珪藻が優占種とはいえ、何処で釣れてもシャネル5番の香りがぷんぷんするあゆみちゃんということではなさそう。流れの中に伏流水が出ているところ等、限られた場所の苔を食べているあゆみちゃんだけが、シャネル5番の香りを振りまいているのではないかなあ。
故松沢さんが、城山下の藪下で、左岸山からの伏流水のでているところで釣ってきた鮎から、シャネル5番の香りがテントに満ちていた、と話されていたことと、同じ現象がたごとでも存在しているのではないかなあ。

たごとは、ていねいに釣り歩けば、ポイントは相当あると思う。しかし、すぐに釣れてくれないことには、オラのアッシー君として、お百姓らを釣る魅力に欠けることとなる。
ということで、雲金へ。

雲金は釣れませんなあ。おっさんと同じクラブの人が、数人いたが、どのくらい釣れたのかなあ。1人は30との話があったが。

高松邸の上流でもチビ、困ったなあ。
動き回って、おっさんの下流へ。
この状態では、おっさんが、喜び勇んで、帰りの車の中がうるさいなあ。
と、嘆き悲しんでいたが、おっさんはタモを流していた。囮を交換するとき、タモなしで行い、故須合さんのタモを使わないオトリ交換の技術を持ち合わせていないため、数匹逃がしてしまったとのこと。

となれば、それほどの差はついてはいまい。
雲金でのオラの結果は5.合計16.
おっさんは、28−16−囮4=8匹。仮におっさんが6匹逃がしていたとしても、オラの方が腕が上なんだよなあ。
とはいえ、おっさんに勝っても、あんまり嬉しくないんですよねえ。お百姓がチビと小中学生が主体では、相模の大島の方が面白いよお、といって、アッシー君になってくれそうもないからなあ。

ということで、おっさんのイライラはおさまりませんでした。
あ、そうそう、おっさんの目標は30でした。前回等腕を上げた今年の結果から、当然楽に釣れる目標と思っていたようですが、帰りには、釣れなかった理由を能弁に話されていました。
おっさんは、今日の反省文にどんなことを書いたのかなあ。オラとの競争の重圧に負けて、オバセ操作が雑になった?釣ろう釣ろうと気がせいて、雑な操作をした?
まあ、明日のお仕事は早いことですから、くよくよせずにお早くお休みなさあい。
また、遊んであげますから安心してください。

嵯峨沢には多くの継代人工が放流されたとの話があるが、1mほどの増水の時に流されたのではないかなあ。継代人工大嫌いなオラであるが、継代人工を気にしなくても済んだ。
たごとには放流されていないとのこと。
嵯峨沢では少し、
雲金では相当量の緑藻が出ていた。緑藻は、栄養塩等、どのような条件があるときに繁茂するのかなあ。単に富栄養の水という条件だけであれば、相模川は緑藻繁茂の常習地帯となり、釣り人はいなくなるのでは。
矢作川では、6月は緑藻が繁茂していて釣りにならず、7月になって緑藻が消えていき、釣り人が入ってくる、との話があった。この現象では水温が影響しているようでもあるが。とはいえ、水温が緑藻繁茂、消滅の原因ともいえないのではないかなあ。

おっさんからの抗議の電話
おっさんのクーラーに、死んだ囮が3匹入っていたから、「28」ではなく、「31」である。したがって、おっさんが持ち帰れたあゆみちゃんは、「11」である。
「11」に、粗相をして逃がしたあゆみちゃん「6」を加えれば、「17」である。よって、おっさんの勝ちである、と。

昨日、雲金で、おっさんの属するクラブの人たちが潜ったとのこと。
その結果は、高校生、乙女が一杯いたとのこと。
それらは、怯えているから、釣りの対象にはならないとのこと。
10センチでも増水すれば、絶好の釣り日和にな、とのこと。

再度のおっさんからの電話
釣り分けについて
人工と遡上鮎または幼児期に放流された海産畜養は、棲む場所を異にするから、オラでもある程度の確率で釣り分けが出来ると思っている。
しかし、遡上鮎の釣り分けが出来るとは、激流とか、エリートが好む場所とか、特定の環境条件がないと、無理ではないかと思っていた。
そのことを帰りの車の中で話していたことをおっさんが忘れていなかった。
そして、その話に対する
「例外現象」に係る電話である。
1 おっさんの師匠は、嵯峨沢での指導の時、釣り場所を2か所に特定して、そこをかわりばんこに使い、中学生を交えずに高校生以上の大きさのあゆみちゃんをそろえた。

  この話だけであれば、単に、高校生、乙女が棲んでいる場所を選んだから、ということになる。

2 25日、オラ達が四苦八苦している雲金は松ヶ瀬で、おっさんの入っているクラブの師範は、40ほど釣ったが大きさはバラバラ。
  当然でしょう。オラも何でこんな強い流れで幼児じゃあ、小学生じゃあ、と、場違いの大きさに嘆いていたから。
しかし、そのとき、師匠は、17,8才だけをそろえていたとのこと。

おっさんだけでなく、オラも、何でじゃあ、と。
おっさんにその技を盗め、といったが、そんなことが可能になるわきゃないよ、と。

まあ、オラは「水が変わると活性が上がる」といわれていることを最大限利用すことに精を出すことにしましょう。
そのためには、お百姓が狩野川に雨が降った後すぐに出勤出来るように、たぶらかしておく必要があるなあ。すでに1万回はとおちゃんに怒られているのであるから、1回怒られる回数が増えるだけでしょう、お百姓さん。

「水が変わると活性化する」という現象は、どういう意味を持っているのかなあ。
「水が変わる」前のあゆみちゃんは、怯えているのかなあ、水温が高いからかなあ、それとも?


7月28日  中津川

先日の雷雨で、相模川は少し増水しているのに、中津川はお湿り程度との話があった。
「水が変わる」と、あゆみちゃんが活性化して、オラでもナンパできると思っていたのに。

海底へ。
全く釣れません。吸盤ボウイにすら見放されました。
そんな中で、大きいぞお、これで囮の心配もない、と、大喜び。
しかし、結果は、乙女の大きさのハヤ。
ハヤがいるということは、この瀬にはあゆみちゃんがいないということじゃ。
何で、ばれなかったんじゃあ。ばれていたら、乙女を、惜しいことをした、と、皆様に吹聴できたのに。

朝ビールで囮を休ませる、早昼を食べて囮に休暇を与える、風が出てきたから、7メートルに代える。
これぐらいの口実があれば、朝ビールを飲んでも、国民の皆様が、納得されるでしょう。
ボウズを覚悟していたら、遡上の中学生。君は、ヘボの救世主です。ありがとうございます。できましたら、乙女もよろしく。
そんなにおいしいお話はありませんよねえ。
結局、11時迄は我慢しましたが、朝ビールの事実は残りました。

後ほど、Nさんのいうのには、2時間ほどで昨日は10ほど、一昨日は16とのこと。そのほかの人も釣れていたから、海産畜養が品切れになるよなあ。
昨日放流された成魚には興味ないものの、海産畜養がいないのか、いるのか、そのことだけが気がかりです。

ビールが入れば、歩きたくない。
偽アカシア前の瀬へ。
何で成魚放流が瀬で釣れるんじゃあ。
また釣れた。抜いたとき、転んだ。何で転んだんじゃあ。オラ悪いことはしてへんでえ。
石に掴まってやっとこさ立ち上がり、草に絡んだ天井糸を外し、水中糸をたぐっていくと、掛かり鮎がついている。あありがたやありがたや。

禁煙をしたくない、昼出勤の米さんがやってきた。米さんに場所を明け渡し、煙草を取りに行く。

米さんから50メートル以上下流側で空いているところにはいる。
釣れずに引き上げた後で釣れるわけはないよなあ。
凄い、寄せても沖に走る。これぞ海産畜養の乙女。

成魚放流の乙女に高校生、海産畜養の乙女に高校生、遡上鮎であろう中学生と多彩な顔ぶれで合計9匹。
米さんは、昼から働いたに過ぎないのに、11匹。図体は大きいが泳がない成魚放流に、乙女の海産畜養、と、オラと同じような構成でした。

7月31日  中津川
狩野川等が増水で白川であろうから、弁天、高田橋は満員。
当然、中津も満員であろう。
しかし、海底の下流側の瀬は空いている。
海産畜養がまだ残っているのか、それが海底で確かめたいこと。
瀬を玉引きするが釣れませんなあ。釣れるのは蝦だけ。何で、玉引きしているのに蝦になるのかなあ。
これじゃあ、ボウズ、囮の追加買いか、と。

強い引き。海産畜養の19才。
これを根掛かりで失いたくないから、瀬尻の小学校、幼稚園跡に行く。中学生の遡上鮎。ありがたい。また瀬を玉引き。
やっと5匹。
海産畜養が少しと、遡上鮎の15才くらいがいるよう。

小学校跡地に入った人は消えていったが、11時にやってきた人が30分ほどで5匹。その人は立て竿でていねいにオバセ操作をされていた。そのとき、オラは水中バレでビールへと歩く。

午後は、角田大橋上流の瀬へ。午前はあんなに混んでいたのに、入る場所がある。釣れてないんでしょうなあ。
はっチャンもいつもの勢いはなく、14止まりであったから、オラが釣れなくても不思議はないが、3匹。

合計8匹の内、19才海産畜養が3.成魚放流1.ほかは海産畜養、遡上鮎の中高生。
これからどうしょうかなあ。海産畜養が少なくなっていることは確か。それを遡上鮎の15才くらいまでが埋めているようであるが、数がそれほど多くはない。
相模では、瀬で釣れそうもないしなあ。
狩野川に垢がつくまでは我慢の子しかないか。

8月1日  中津川田代球場前、相模弁天
初心者らしくないおっさんが、狩野川でオラの倍を釣ると豪語したのに、結果は、オラよりも少なかったことが余程こたえたようで、オラの場所である中津で腕の差を見せつけてやる、と果たし状をよこしてきた。

おっさんは、前回、囮を2匹用意したために囮操作が雑になった、という反省から、囮を1匹しか持たない。
まあ、鮎が少ない川ではどうなるのか、楽しみですなあ。

瀬でそれほど時間がかからずに遡上の中学生。
良く泳ぎますなあ。
それから、海産畜養の乙女に高校生。
しかし、4人の乙女をキャッチミス等でバラした。
結局、海産畜養や遡上鮎の乙女をだっこするには、9mの竿では、オラの腕力が不足しているということでしょうなあ。
早く7.5mの竿を手に入れたいなあ。
釣った数以上もバラしたということは、
川那部先生がバラシの名人といわれたが、その名跡を次ぐ素質がオラにはありそうです。

おっさんは糸にもさわらない、と。中層を泳ぐどっかに放流されているという継代人工では糸にさわっても、遡上鮎や海産畜養が糸にさわることはないよお。
おっさんにオラの囮を提供したにもかかわらず、おっさんはめでたく出家できました。

しかし、これでめげるような柔な神経のおっさんではございません。
相模川は弁天の瀬へ。
流石におっさん、狩野川で30は当たり前というだけのことはある。すぐに釣った。しばらくして2連チャン。
これが鮎であれば、見物に来たお百姓が拍手喝采となるが、拍手がない。ハヤに吸盤ボウイ。
あきれたお百姓は、マイナーな勝負に退屈して去っていきました。
その後、2人とも仲良く釣れませんでした。

田代で、海産畜養と遡上鮎が釣れる数は、海底や角田大橋上流と同様、2,3か所動けた人で20くらいが上限であろう。
それ以上の数は、成魚放流等の放流物が固まっているところに入った結果ではないかなあ。

まあ、おっさんはよい人生経験をしましたね。おっさんがあゆみちゃんのお尻を追いかけはじめた時は、相模川が大量遡上、その次の年は狩野川が昭和の頃のように遡上があり、また、相模川では、中津に入れる予定との話もあった分を含めて海産畜養を相模川に入れたために、放流鮎の生存率は高く、また、鮎の習性を失っていなかったという幸運に恵まれたように、川には当たり前に鮎がいた状態の時ですよねえ。
今年の相模川はその状況とは違うんですよ。
中津川も海産畜養を放流しているといっても、数量が問題ですよねえ。遡上量も。
相模川は、1995年、6年の狩野川ほどひどくはないが、2000年頃の狩野川並の遡上状況ですよ。
そのような状況で、囮を1匹とは、世の中を甘く見ていませんか。
まあ、これに懲りずにアッシー君として活躍してください。終わり。

あそうそう、
おっさんが中津の鮎は臭い、と。
そう、少し前から、焼くと養殖のような臭い匂いがして、とても「香魚」とはいえない。
鮎の「香り」は、生まれながらのもの・「本然の性」で、食料であるコケとは関係ない、とおっしゃる高橋勇雄さんらは、この現象をどのように説明されるのでしょうかねえ。
CODとかBOD、透明度といった指標での水質では、相模川よりも中津川の方がすぐれていると思うが、コケの質が何で悪いのかなあ。宮が瀬ダムでの水の滞留時間が長いことが、影響しているのかなあ。
村上先生らが書かれた本にどの程度、ダム湖の水の特性が書かれているのかなあ。シーズンが終わったら読んでみよう。

中津川の鮎が臭いと、少し前から感じていた。オラだけの感覚かと思っていたが、おっさんも臭いということであるから、「臭い鮎」になっていると考えて間違いはないと思う。
岩井保「魚の国の驚異」(朝日新聞社)に、
「ネズミザメやアカエイの肉は、新鮮なうちは、煮付けによいし、練り製品の原料にもなるが、時間がたつとアンモニア臭が強くなり、評判が悪い。
筋肉や血液に含まれる尿素が分解され、アンモニアが発生するからである。」

宮が瀬ダムが出来る前には、シャネル5番の香りを振りまく時期もあった中津川の水にどのような変化を生じて、コケにどのような異変を生じているのかなあ。

岩井先生は
「尿素を体内に蓄えることによって、かれらは体液の浸透圧を高く維持でき、海水中で行う浸透圧の調節が楽になる。また一方では、窒素代謝の産物を無毒の尿素にして排出できるわけで、有毒なアンモニアにして排出する硬骨魚類よりすぐれた適応を示す。」

今年は、宮が瀬ダムから、100トン、あるいは50トンのダム放流がなかった。
このことが、宮が瀬ダムでの
水の滞留時間を著しく長くし、その結果が、栄養塩の組成に変化を生じて、「尿素」を生成する物質がコケに生成されているということかなあ。
仮に、そうであるとしても
、「生きている」鮎が臭いのであるから、「尿素」が、体内で分解されて「アンモニア」に変身しているということが必要となるが。

真山先生が、シャネル5番を生成する物質が珪藻に含まれているといえても、その
代謝経路は解明されていない、と教えてくださったが、「尿素」が、「アンモニア」に変身する代謝経路なんて、あゆみちゃんにとっては、想像も出来ない事態ではないかなあ。

秋に大きな台風が来て、宮が瀬ダムの水を入れ替えてくれるまで、臭い鮎は続くのかなあ。
秋道先生が、女子大生に行われたアンケートで、「鮎は臭い」から嫌い、との結果を得られたが、「臭い鮎」は、養殖でも、継代人工でもない中津川の鮎にも生じていることに衝撃を受けた。
ますます、
「香魚」は幻になるなあ。
「よしよしさん」が、藁科川の支流で、シャネル5番の香りをっぷんぷんさせているあゆみちゃんを釣られたとのことであるが、うらやましいなあ。

8月4日  中津川
海底へ。
釣れないと思っていたのに、釣れちゃった。
高校生は遡上鮎かなあ。9メートルの竿では、キャッチミスになったなあ。7メートルー7.5メートルを使ったオラの作戦勝ち。
とはいえ、背掛かりの中学生をぽっちゃん、と。バラシ名人の名跡を継ぐ資格は充分。
11時過ぎまでがんばったけど、成魚放流を含む4匹。
午後の囮は確保できた。遡上鮎が高校生になっているものがいると判っただけでもありがたい。海産畜養は、18,19才は番茶も出花。

当然、気持ちよくビールを飲んで、角田大橋上流の瀬へ。
空いているなあ。偽アカシアのところも入れるが、根掛かりを外しにいけないところもあるから、その下流へ。
18,9才は番茶も出花チャンが遊んでくれる。ありがたいなあ。しかも、ひろびろとしていて、動ける。

またもや、高校生がぽっちゃん。なんでじゃあ。鉤素がすっぽ抜けていた。その少し前には取り込んだのに、何で鉤素がすっぽ抜けたんじゃあ。フックが開いたようには見えない。
囮に不自由はしないから、上へ、下へ、と。
結果は9匹。合計13匹。
下顎側線孔数4対左右対称でないのは、3匹。成魚放流もそれくらい。

田代の臭い匂いの鮎にうんざりしたが、今日はそれほど臭くなかった。前回の海底、偽カシア下流よりも臭い匂いが弱くなっている。
Nさんに田代で、いつ頃から、成魚放流を除いて、臭い匂いがするようになったか、尋ねたが、判らない、と。

壊れ橋付近では、遡上鮎の小中学生が釣れているとのことであるが。

8月8日  酒匂川
湖産放流全盛時代の酒匂川は、湖産に格付けがあり、その等級の高い湖産が放流されていた。従って、海産や継代人工のブレンド率は低いか、0であったという話を漁協関係者がされていて、相模川では、それよりも低い等級の、従って人工等が相当量ブレンドされていて、当然価格の低いものが放流されていたとのこと。

亡き師匠や大師匠はそのことを釣れた鮎から感じていたために宮が瀬ダムがなく、酒匂川よりも水質がよかった中津川にも行かずに、酒匂川の山北や谷峨に出かけていた。
その酒匂川も、冷水病の発生でおかしくなり、さらに、砂まみれの川に変わっていって、オラの足も遠のいた。
米さんは21世紀になっても数年前まで酒匂川に通っていたが。

平成何年頃までか、忘れたが、神奈川県内共通年券があった。1万3,4千円であった。
芦ノ湖の神奈川県側でも、3月1日から何日間かは使えないが、その後は使えるために、非常にありがたい年券であった。当然、酒匂川でも、あるいは、ほかの川が白川の時にでもいち早くアカがつく早川でも使えた。

5月の連休に酒匂川を見に行っていたが、遡上鮎が多いときは、護岸のコンクリートまで磨かれていた。
しかし、10月1日?から、報徳橋?から下流はコロガシが解禁になっていたため、釣り場は、富士道橋付近になることが多かった。それより上流で、9月下旬以降でも営業している囮屋さんを知らなかったこともあるが。

湖産放流の川であるため、9月25日頃にはほとんどの囮屋さんが店を閉め、釣り人も、オラだけとか、オラと囮屋さん、という状態であった。
そのオラでも、砂まみれの川が嫌で、21世紀になってからは、数回しか酒匂川に入っていない。

1993年10月11日、富士道橋付近のチャラに20センチ台の継代人工がたむろしていた。そのときが、湖産とは違う大きい鮎が大量にいることを知った最初の時と違うかなあ。すでに冷水病の影響は出ていた頃である。従って、継代人工の放流、あるいは、継代人工の成魚放流が、相当量行われていたのであろう。
1995年9月28日には、継代人工が釣りの主役になっていて、サビたりはたいた鮎:湖産ではなくなっていた。

そのような経緯で、酒匂とは縁遠くなっていたから、あんまり期待しないで、時間を過ごすことだけを考えていた。
小田急鉄橋、堰下流、砂まみれになっていたところに石がある。
左岸を新十文字橋までいくことのできた河原は草茫々。
ということで、新十文字橋上流の瀬がどうなったのか気にはなるが、鉄橋下流堰下で釣ることにする。

あれえ、釣れた、鮎がいる。しかも人工ではない高校生。次も。乙女も。下顎側線孔数4左右対称であるから、海産畜養を放流しているのであろう。
しかし、順調な流れに水をさしたのは、刺身にできる大きさの吸盤ボウイ。
おまえなあ、30メートルほど下流のザラ瀬瀬肩にいる一位のお局さんのようなうまいやつのあゆみちゃんとの恋路を邪魔しろ。何で、ヘボを苦しめるんじゃあ。
と、説教したところ、吸盤ボウイは、一位のお局さんのような女たらしさんは、我々の食料敵を退治してくれるありがたあい人、神様仏様ですよ。あんさんのようなヘボは、邪魔なだけですわ、と。

おじゃま虫に馬鹿にされたが、乙女が2匹も釣れると、0.2号では万一のことがある。「貧乏人は麦飯を食え、ヘボは丼を食うな」は、昭和26年頃から、池田総理大臣:当時の大蔵大臣が厳命されたことですから、順法精神に富むオラが破ることはできませえん。
ということで、0.3号に張り替えているときにUさんがやってきた。
オラの場所を明け渡すから、鼻環仕掛けをちょうだあい。釣れなかったら返せとの条件でいただきました。
しかし、Uさんはすぐに消えていきました。

下流側の人が、一位のお局がせっせと釣り上げるのをみて、下流側へと移動。その後に入り、また釣れた。
一位のお局さんはバレを多発したというが、オラは、腹、口、下半身掛かりであろうが、バレず。

ビ−ルを飲んだ後も同じ場所付近に入り、二時までに15匹。
下顎側線孔数4対左右対称でないのは、高校生1匹のみ。
19才から22歳の乙女は6匹。あとは高校生。小中学生なし。
1位のお局さんは、20ほど。
足柄大橋上流の絞り込まれた瀬で25才の海産畜養も出たとのこと。
こんなに多くの海産畜養が放流されていて、石がある状態では、酒匂川にくることが必要かなあ。
お百姓は、父ちゃんに最後通告をされたようで、アッシー君に使えないしなあ。電車しかないか。

8月13日  中津川
パソコンが壊れててんやわんや。あゆみちゃんを軟派するどころではなかった。
今日も混んでいるかもしれないが、まずは海底へ。
瀬落ちの小学校跡地と、上流の棚に近いところの間がぽっかり空いている。先客は、玉引きをしない人かなあ。ラッキー。

すぐに番茶も出花の18才くらい。そう、4人目までは早い。
しかし、「すっ飛び」鮎は、この瀬では、5,6匹が限界。従って、5匹目が掛かると、その後はさっぱり。
ビールが恋しくなるまでに4匹追加できたから、ありがたい。

ビールの後は当然、歩かなくてもよく、根掛かりを外しにいける角田大橋上流の瀬。
今日、海産畜養の成魚放流をしたが、オラが釣っているところはその影響がないはず。
5匹釣ったところで、雨がぱらついてきた。ゴロちゃんが来ると怖いから、囮屋さんに避難。どうも天気が悪くなりそうであるから、あきらめてビールを。

14匹のうち、下顎側線孔数が4対左右対称でないのは、1匹の高校生だけ。
番茶も出花の18才から20才までがほとんどで、少し16才が混じる。
2匹の20才は、豊満。遡上鮎の10月頃からの体型をしている。人工であれば不思議ではない体型であるが。
鮎も、ガキの頃の栄養状態がよいと、太るのかなあ。
太っていても、馬力はあったから、成魚放流ではあるまい。

8月18日  中津川
海産畜養もそろそろ品切れに近いのではないかなあ。
まずは海底へ。上流側の棚には人が見えるが、玉引きのところから下流はあいている。水が減っているから、海産畜養が釣れれば、玉なしでも囮が流されることはあるまい。

前回と違い、釣れませんなあ。
やっと釣れても、高校生で、乙女はなし。
とはいえ、4匹が釣れたから、昼からの囮に不自由はしない。酒匂の海産畜養がどの程度の放流量か、わからないが、酒匂に出稼ぎに行く決心がついた。一昔前であれば、酒匂には釣れようが釣れまいが、ほいほいと出かけたのに、年をとったなあ。

午後は、当然ビールで歩きたくない状態であるから、角田大橋上流の瀬へ。
ここも釣れませんなあ。
ゴロちゃんがお出ましの前にやっと4匹。
まあ、難行苦行とはならなかったから、幸いです。
先日、相模川の新昭和橋に入ったご一行様は、10匹ほどしか釣れない、と、贅沢な不満を言って、バーベギューに切り替わったとのこと。何という贅沢な悩みをするご一行様じゃあ。10匹も釣れたら大漁というオラを見習え。
小さなつずらを愛するオラに、何で、宝くじが当たらないのかなあ。

下顎側線孔数が4対左右対称でないのは、8匹のうち3匹。人工が混ざるとは、そろそろ海産畜養が品切れということかなあ。

月20日  相模川弁天
酒匂川にいくことで朝を迎えたが、曇っている、雷が来るかも、その他。中津は水が変わったが、海産畜養は品切れに近そう。相模川の小中学生の遡上鮎と遊ぼう、と。
臨機応変、いや、節操がない、ちゃらんぽらんということですなあ。

弁天上流瀬肩上流は継代人工の比率が高いはず。当然、面食いのオラは、下流側の瀬へ。
テク2が大井川同様へ地を大切にせよ、と。ただ、大井川のヘチを大切に、ということと、相模川でのヘチを大切に、とは意味合いが異なるかも。相模川では、トロからの差し鮎の通り道であることが主な理由。
トロに近い左岸に行くと、少し水が増えていて、囮を長持ちさせるには適さない。ということで、下流側の瀬肩上流へ。

「俺たちの鮎釣り」で、魚乱さんが、パンティの幅が一番狭まったところがポイント、と、「4畳半ふすま絵下張り」?並の格調高い?ポイントの解説をされている。
魚乱さんの方が、「4畳半ふすま絵下張り」?よりも、ポルノ作家の素質が高いのでは?。オラは、最高裁でもわいせつ文章と判決された「4畳半ふすま絵下張り」?も、判決文も読んだが。

そのパンティの一番狭まったところはどこにあるかいなあ、と探す間もなく高校生。すぐにまたもや高校生。
こうなると、遡上鮎は小中学生ではなく、高校生や乙女になっているはず。
6.5号から7号に代えた。
18才の高校3年生は馬力があるなあ。7号に代えて正解でした。次は番茶も出花の19才。6.5号では粗相をしていたでしょうなあ。

いつもの通り、これで打ち止め。昼までに2人の高校生と乙女を追加しただけ。
しかし、しばらく会わない間に、パイパイも大きくなり、いや、ボデーが大きくなり、馬力がついたなあ。
当然、かんぱあい。

午後、瀬の人が2人去ったから、その瀬へ。
先客がなかなか抜けないのを見て、何をもたもたしてねん、と、優越感に浸っていたのに、抜けん。3匹目のバレ。
瀬では7号の針では無理ということでしょう。7.5号に代えてからは取り込めました。
先日の酒匂で、1位のお局様が、バレを多発した、といったとき、オラはバレなし。その理由は、オラが6.5号から、7号、7.5号に代えていたから。それをほめられたのに、7号のままでした。

瀬では腕力負けをするから、瀬肩から上流へ。
午前の5匹に対して、午後は9匹。
すべて、下顎側線孔数4対左右対称。18才の高校生を含めて、番茶も出花の18,9才は、4匹。
中学生は1匹のみ。
これじゃあ、酒匂に行かなくてよかった、ということです。ちゃらんぽらんもご利益あり。

8月22日  狩野川雲金
初心者らしくないおっさんからのおさそい。
おっさんの魂胆は、オラに2連敗しているから、早くその屈辱から逃れたい、ということ。
今の時期は、「土曜がくれ」といわれるほど、あゆみちゃんの気分は優れない時期。
土曜隠れの現象を性成熟が始まるつわりと解するか、それとも、高水温によるあゆみちゃんの夏ばてと解するか、結論が出ていないのではないかなあ。
オラは、夏バテ派。理由は、もし、つわり説とすれば、湖産は7月中旬に、日本海側の川、鮭が遡上する川では、7月中旬に「土曜隠れ」の現象が生じるのではないかなあ。そのような現象は湖産等に見られるのかなあ。

土曜隠れの時期であるから、毎週、狩野川詣でをしているおっさんが有利。しかも、前回は30匹を釣ったという。
そのような状況で、今年2回目、おっさんとは別に行った1回を含めて3回目の狩野川に行くオラが、おっさんに勝てるわけがないよなあ。
おっさんが鼻を高々と伸ばして、雲を突き破ることの確率は限りなく100%に近い。
まあ、おっさんをアッシー君にする投資と考えることとしょう。

午前
テニスコート上流に入るが、小学生と高校生1匹ずつ。
前回、おっさんは30匹釣り、その半分が18才から22才の番茶も出花娘、というから、7号の針を使ったのに。
粘る気も起こらず、高松邸下流へ。おっさんは吊り橋付近のチャラに行ったようであるが、3匹ばらして1匹しか釣れず、と下っていった。
ということは、チャラ状のところは、今日は思わしくないということかなあ。
上流へと釣り上がる。
13匹。おっさんは6匹。

おっさんの嘆き悲しむ姿は見飽きたなあ。しかし、何度見ても楽しいなあ。

午後
あ、そうそう、おっさんはしおらしく目標を20に置いていた。目標に達しないとき、オラに何を書かれるかわからんから、と。
テニスコート上は、おっさんを含めて思わしくなかったとのことであるから、午前と同じ場所へ。
しかし、オラも、オラの上流側の人も10台であったから、釣れるわけがないよなあ。
釣れない予想はよく当たる。3時前まで、出家街道まっしぐら。

オラの上流側の人はよく釣っているなあ。その人の1つ下の棚でやっと小学生。おっさんをへこますには乙女はいらぬ。
その棚で上流側の人のペースには遙かに及ばないが、数匹釣れた。
その人はオラが動かないから、おっさんの下流、テニスコート付近に去っていった。

おっさんは、オラが釣れておらず、他方、おっさんは快調に釣れていたから、逆転したものとほくそ笑んでいた。
結果は、
合計オラが22,おっさんが19
18才から20才の番茶も出花娘は5匹ほど。小中学生は半分ほど。
おっさんはテニスコート上で人工が混じったとのことであるが、オラは人工なし。

ヘボに負けたおっさんはどんないいわけをするのかいなあ。楽しいなあ。

午後、オラの上流で、せっせと釣っていた人は、おっさんの師匠とのこと。
ネエちゃんであれば、にじり寄って、まじまじと眺めるけど、野郎であれば、顔なんて見やしないから、わからなかった。
師匠であるとわかると、ばかすか釣られていても、当たり前や、となる。おっさんの下流に移った師匠は、そこでも入れ掛かりを演じていたとのこと。

おっさんの嘆き節
おっさんは集中力を高めるために、囮を1匹しか買わないが、3回の連続バレが敗因であった、と。もう少し早く針を代えていたら、と嘆いていた。前回、「効用」あらたかな針が、今回は外れ針であった、と。
しかし、かって、おっさんの師匠は、針の形状ではなく、ソフトタイプのハリスを使わなかったことがバレの原因と話されていたという。
オラも、故松沢さん同様、絡み重視のハリスが効果があると思う。流れの強いところでは、針がしっぽ等にまつわることもあるが、そのときは、1ランク大きい針にすればよいのではないかあ。

おっさんは、鮎を冷凍しても、臭くならない方法を話してくれた。
鮎保存用のビニール袋に、鮎を1匹ずつ入れる。
そのビニール袋に水を入れる。
水を出すと、ビニール袋の中は真空状態と同様になるから、そこで、空気が入らないようにして、冷凍庫に入れる。
おっさんは、その冷凍鮎を甘露煮にしているとのことであるが、オラは煮浸しの方が好みです。

おっさんのいいわけは今回は少しだけにとどめておいて、おっさんの希望を書いておきます。
それは、お百姓さん、悩めるマレーグマにされたSさん、オラ以上にヘボとされているTさん、おっさんは、あんたらには絶対に負けんと豪語しています。
一度おっさんと遊んでやってください。そのときはオラも乗せていってください。
お百姓さんは、とおちゃんに最後通告をされても、その効用は三日坊主でしょう。もうほとぼりは過ぎたでしょう。もし、本物の改悛であれば、お百姓さんの持っている竿のうち、8メートル以下の竿の資源有効活用をはかるため、オラにちょうだあい。
いつものように、三日坊主であれば、おっさんと勝負をしに狩野川に行こう。
終わり

8月24日  相模川弁天
前回、瀬で乙女をだっこできなかったから、今日は是非ともだっこしたい。
下流側の瀬肩上へ。しばらくして高校生。ここでは7号の針で十分でしょう。
しかし、午前5匹だけ。口掛かり、腹掛かりのぽっちゃんが4匹。まあ、背掛かりのバレでないからやむを得ないか。

初心者らしくないおっさんの師匠は、口掛かり等の追いの悪いときは、尻まで近寄っていない、従って、チラシのハリスを長くして釣ると、背掛かりになると。
とはいえ、仕掛けで対応するのではなく、だましのテクニックで対応したいなあ。
おっさんは、ヘボにそんな技が身につくわきゃないよ、と笑うでしょうなあ。
もし、女たらしの技を身につけていたら、おっさんがチームの仲間達にこてんぱんにやられた胸の痛みをオラと勝負して癒そうとすることはないか。

瀬肩から下へと行くが、釣れませんなあ。今日は7.5号の針を用意したのになあ。
風は吹いてくるし、この風になれるまで相当かかるなあ。天気予報では、白い矢印であるが、この程度の風はいつも吹いているからなあ。
とはいえ、乙女を囮にした時は、河原で抜いて正解でした。見事にキャッチミス。大井川での乙女をだっこできなかった教訓が生きていました。

暑いなあ。サボリーマン達でさえ、水冷の効いたところ?よりも、空調の効いたところが快適、と、お仕事に励んでいらっしゃるようで。
とても、3時からのおやつの時間まで釣る気力もなし。
ということで、午後は4匹。

9匹全部が下顎側線孔数4対左右対称。
19才と18才が4.残りは16,17才の高校生。
水温は、午前が26度、午後が27度。これでは囮ちゃんにせっせと働け、ということは、かわいそうですよね。
三面川の水温はどの程度かなあ。

8月27日  三面川
8月はじめに、お百姓が50台を釣り、1位が60台であったという水明橋下流の河原の囮屋さんを目指すが、盆の頃の増水でテントを撤収したのか、見あたらない。流れの状況から、場所を間違えたのではないと思うが。
水は少し濁っているが、釣りには支障はない。しかし、ヘチの石にアカはついていない。ということで、
支流の高根川の昭和橋下流にはいる。

アカ付きは十分であるが、小石の川。根掛かりを外しに行けない瀬、深トロもないオラにはありがたい川相。
かって、亡き師匠らと入った高根川は、昭和橋の上流の橋付近であろう。そこは石も鮎も大きかったが。

午前、チビに中高生が混じり、サボTが30。また、オラが2匹の時、すでに10は釣っていたサボMが長い釣れない時間を過ごしていたとのこと。オラは17.
午後も、
サボTは、快調に釣り、合計50.オラはやっとこさ合計33
遅れて到着したサボZでも合計21というのに。

水温は23度。相模、中津の26度、27度よりも低く、また、水冷が効かないおつむの気温も相模や狩野川よりも涼しく感じて楽しい時間が過ごせました。
ただ、お百姓よりは遙かに少ない数しか釣れなかった言い訳を考えなければならないことが面倒ですが。
とはいえ、そのような浮き世の煩わしさ、雑念を吹っ飛ばす
きれいな容姿の鮎でした。

泊まりは、故みずのようにさんの奥さんのふるさとであろう朝日村にあるまほろばの湯の敷地内にあるコテージ。
サボZが持ってきた熊野川のお酒を飲んだ。
寝る人もいる中、オラとサボZがほとんどを飲んだのではないかなあ。
ということで、28日は、何年ぶりかの二日酔いの朝を迎えました。

朝日村の散歩
夜明けの空に輝くオリオンを眺めながら、もうじき、あゆみちゃんともお別れかなあ、と、毎年の感慨を。
多くのコウモリが飛んでいる。ここはコウモリが多いなあ、何でかなあ、と思いながら、田畑の間の道をさまよう。用水路に勢いよく水が流れているから、高根川のどこかに堰があり、そこから取水されているのかなあ。
集落は遙か先に見えることから、このあたりは、新しい、といっても、戦後の開拓地かなあ。

農道の石の色が白っぽい。
かって、東海道を走る汽車の窓から見ていた土の色が白っぽい色に変わったのは濃尾平野のどのあたりからだったかなあ。「白砂」青松といいながら、逗子の浜の砂の色は白くなかった。朝日村は関西の浜と同様、風化した花崗岩の土かなあ。

夜明けとともに、1カ所をのぞいて、同じくらいの高さの山々が周りを囲んでいるのが見えた。その山裾に朝霧が白い帯を巻いていいるところが三面川かなあ。
何の声か、わからないが、鳥の鳴き声が聞こえていた。初めて聞く鳴き声であった。

8月28日  荒川
還暦を過ぎた3人は、荒川へ。還暦までにたっぷりと時間のある三人は、山形県境付近の小さな川へ。
小見橋から眺めると、
アカ付き良好、鮎が見える。高田橋からも同じような川の状況で、鮎の姿が見える。
2008年ほか、国土交通省が行ったBOD、COD等の指標による水質基準で日本一きれいな川と評価された荒川。石も大きい。
しかし、釣れるかどうかは別の問題。
当たるも八卦、当たらぬも八卦、ということで、
小見橋左岸に車を入れる。

橋上流の瀬落ち付近へ。
頭大よりも大きい石がびっしりと詰まっている。三面川、高根川の小さい石とは異なる世界。

右岸トイ面の編み笠人はよく釣れているなあ。
しかし、荒川では当たり前の乙女ではなさそう。高校生くらいの大きさに見えるが、どうかなあ。取り込みはオラ同様、素早く鮎を浮かせて取り込むことができず、瀬脇、ヘチ寄りに誘導してから抜いている。

監視員に聞くと、
今年の鮎は小さい、少ない、とのこと。
何で少ないのかなあ。何で小さいのかなあ。雪代の影響が遅くまで残り、成長に必要なこけを食べる時間が短かったからかなあ。

編み笠の上流に入った人が掛けた。ためた。丼。
それを見て、0.3号フロロから0.4号フロロに変える決心がついた。
糸を張り替えてから、組合員証の人の下流側に入った。
組合員さんは、糸を張り替えているとき、オラが釣っていたところには入らず、オラが下流側に入ってから、上流へと釣り上がっていった。オラが元のところに入ると思われて、遠慮されていたのではないかなあ。

組合員さんの囮は、釣った鮎であるから、流れの芯の幅の中に入っていく。うらやましいなあ。
掛けた。そして丼をされた。荒川の鮎を熟知されているのに。

それに比べて、オラは、水中バレ、空中バレ、蹴られ、と、あゆみちゃんに袖にされるばかり。午前にだっこしたのは番茶も出花の18才女子高生と中学生の計3匹。しかし、中学生2匹のうち1匹は根掛かり放流をするし、「貧」すれば鈍する。
ああ、つれないなあ。
ここで、ビールを飲んで傷ついたハートを癒すのが慣例であるが、二日酔いであることから、かわいい女医さんのご意向を重視して、昼休刊日に。わびしいなあ。

午後、橋脚付近のトロへ。
19才番茶も出花の19才が。もう一人、同じ大きさの豊満美女が
しかし、またもや根掛かり。豊満美女と今生の別れか、と嘆き悲しんでいたが、0.4号のフロロを使っていた効用が発揮されました。糸を引っ張ったとき、1号のハリスが切れました。
もう、ノミの心臓に悪い場所は嫌じゃあ。
橋下流、瀬落ち付近の左岸へ。
サボSさんがトイ面から釣っている。
サボSは、午前、橋付近で養殖を根掛かり放流。残りの1匹は、使用済みで弱っている。にもかかわらず、1匹釣れてから追加ができて5匹とのこと。

橋下流で、中学生、高校生が釣れて、
合計5匹
サボZは12,サボSは9匹。ということで、荒川初めての2人が、オラの倍以上を釣りました。荒川で、大漁の夢を実現できる日は最早なさそうです。

昼、
荒川名物のカジカ捕りのグループが何組かやってきた。その中におじいさんと孫、その両親のグループがあった。
孫はさっさとヨモギの葉をすりつぶして、箱めがね、水中めがねのガラスに塗って曇りどめをして川に入っていった。
おじいさんは、孫の父親に何やら説明をされていた。孫のお母さんはさっさと川の中に入っていける出で立ちであったから、お母さんが荒川出身ではないかなあ。
どのくらいのカジカが捕れたのかわからないが、子供達の歓声がしていたから、相当捕れたのではないかなあ。しかも、丼の鮎も捕まえていた。
どこに行けば、カジカの料理が食べられるのかなあ。

還暦までにゆとりたっぷりの3人組は、スポ、ドカン、と、激しいあたりとやりとりを小河川で堪能してきました。
12から20匹。サボTは、ヤマメまで釣ってきました。
午前中は水温が低くどうなることやら、と心配していたとのこと。
友釣り3年目のサボIは、昨日もオラ以上に釣っている。サボIは、その川の上流でヤマメ釣りをしたことがあるとのこと。

サボIにしろ、初心者らしくないおっさんにしろ、「3年目」の浮気ならぬ「友釣り3年目」のおっさんはオラにとっては天敵じゃあ。
サボIは、毛針を巻いて、あるいはルアーを振って、あっちこっちの川でヤマメを追いかけている。初心者らしくないおっさんはグレ釣り大会で入賞したこともある。そんなおっさんはあゆみちゃんのナンパ術の取得が早いということでしょう。
もう少し、じじーを大切に、敬老精神を持ってえ。

村上の食堂で
村上に来たからには、鮭か、そのほかの魚が食べたい。割烹は高いであろうからパス。「魚」の字が入った食堂であれば、魚を食べることができるのでは。
岩牡蠣があった。サボSは、先日、お仕事で行った日本海側の町で大きな岩牡蠣を食べたとのこと。
「俺たちの鮎釣り」の魚乱さんは、毎年日本海側のあゆみちゃんを軟派されているが、その目的の1つには岩牡蠣を食べることを含んでいるのではないかなあ。
ということで、
オラは岩牡蠣を

村上の酒を飲みながら、岩牡蠣を食べ、、枝豆、茶豆、だだ豆?の違いや、甘みがたっぷりある豆の収穫時期といったことをマスターに聞きながらまたもや二日酔いの道へ。
マスターは三面川の組合員証を持っているから、鮭も捕っている。
その仕掛けの話の中で、リールについて、太鼓リールの方が、スピニングリールよりも強く、10キロ級を取り込むには
太鼓リールでないと無理とのこと。スピニングリールではガイド部分に不都合が生じるとのこと。オラにはその説明が適切に理解できたとはいえないが。

鮭は、川に入る前の肉は赤い色を、川に入ると白い色になる、と。しかし、川に入っても赤い色の鮭が釣れることもある、と。
白い肉の鮭は、砂糖?で甘く煮込んで食べる、とのこと。
ルアーで釣れるのは、餌と思って食いつくのではなく、おじゃま虫を追っ払う動作の時に掛かるのではないか、とのこと。
この説によれば、川に入ってから餌を食べずに、体内に蓄えた栄養分を消化している、との観察と一致しているのかなあ。

岩井保「魚の国の驚異」(朝日新聞社)の「疲れを知らぬ赤い肉」の章に、
「しかし、ひとたび川にはいると、速度をぐっと上げないと、川をさかのぼれない。カナダのフレザー川をのぼるベニザケは、
約二〇日間で一〇〇〇キロ以上を泳ぎきり、湖に注ぐ小川で産卵する。この川の流れは時速四.八キロといわれ、流れにさからって二〇日間で産卵場に達するには、飲まず食わずで、毎時七キロの速さで泳がねばならない。ダムや滝などの障害物を乗り越えて上流へのぼるには、膨大なエネルギーを消費してがんばる必要がある。
 ベニザケは故郷に着いたときには、
脂肪分をほとんど使い果たし、タンパク質は約半分に減っている。産卵が終わると、疲労のため死んでしまう。種族維持の執念が、ベニザケに能力以上の遊泳を可能にさせるのであろう。」

三面川の産卵場への遡河行動と、フレザー川のベニザケの行動を同一視するのが適切かどうか、わからないが、
海と川での肉の色の違いは、餌をとらないことによって生じる肉質の変化をあらわしているのではないのかなあ。
「イヨボヤ」(「魚の王様」の意味。:鮭のこと)会館
に行けば、鮭の生活誌がわかるのではないかなあ。

三面川の「居ぐり網漁」について、斉藤邦明さんは、川漁師緒方誠一さんの話されたことを「川漁師 神々しき奥義」に紹介されているが、その話の対象となる魚は、サクラマスであった。
マスターは、
鮭についても居ぐり網漁が行われている、と。
また、緒方さんは、川に入ってきたサクラマスの味の方が、海のサクラマスの味よりも優れている、と話されているが、マスターは、人によって味の評価は異なる、と。
なお、マスターは、最近行われた三面川の河川工事の流れ等、川への影響、そして、鮭、サクラマスへの影響を話されたが、理解できる状況ではなかった。

鮎の産卵時期、産卵場所、コロガシ解禁の状況等も話されたが、適切に聞きとり、理解できたといえないので割愛するしかない。

鮎の保存方法については、初心者らしくないおっさんとは異なる方法を話された。
@鮎を氷水と一緒にビニール袋に入れて、冷凍庫に入れる。
Aビニール袋が一枚であれば、化学製品であるビニール袋から化学成分が溶け出して、肉やけ?身焼け?をおこすことになるから、二枚のビニール袋に入れる。
B一枚のビニール袋は一月ほどで取り替える。
C解凍するときは、鮎を入れたビニール袋ごと、水道水に入れる。

こうすると、長期保存ができるし、肉やけ?もせず、臭い鮎にもならないとのこと。
なお、サボMは、1匹ずつビニール袋に入れた後、ストローで空気を吸い出してから冷凍庫に入れるとのこと。
三者の冷凍保存するときのやり方で共通するのは、「空気」を鮎から遮断する、ということではないかなあ。

村上の散歩
駅からそれほど離れていない山裾にお寺があった。
その付近の町名が羽黒町。お寺の一つの山門付近の石碑に、羽黒山云々の言葉が彫られていた。
また、観光パンフには、最後の即身仏が村上の観音寺にあるとのこと。
村上と、羽黒山、湯殿山とどのような関係があるのかなあ。

駅に近いところは、城下町の頃の町並みとは離れているため、重文の中級武士の家、若林邸までは歩かなかった。
かって、1月1日乗り放題:一万円?あるいはもっと安い切符があった。そのときも、鮭料理を食べたかったが、元日にやっている食堂がないと、気づいたのは、盛岡から、三重連の汽車が山道を登っていた田沢湖線を経て秋田に着いたとき。
結局、秋田駅付近で開いていた食堂で稲庭うどんを食べて、特急いなほに。
村上で降りたが、若林家の家を外から見て、新潟へ。
その村上で、岩牡蠣を食べることができて幸いでした。
還暦経過組は朝帰り。還暦まで十年前後はある方々は、どっかで釣りを。
相対的「若者」は、三面川の岩沢橋上流に入り、各人10ほど。乙女や女子高生が主体とのこと。そして、釣り人がいっぱい居たとのこと。

9月5日  那珂川
8月下旬の全国大会では、会場となった町裏、寒井で、大漁であった。
しかし、4日に町裏で見ていると、釣れていない。黒羽橋でも同様。何でかなあ。

去年、釣れた湯殿大橋下流に行きたかったが、車の便がない。テク2は、那珂橋で流れ込む支流付近にはいると。オラは町裏が満員であろうから、馬洗いの上流へ歩いていくつもり。ところが、高岩への道が、立ち入り禁止になっている。そこを避けて上流にいける道はあるものの、オラのあんよでは心許ない。ということで、高岩からの流れ出しの瀬尻付近へ。
その付近が、何でかあいている。しかも、町裏もそれほど混んでいない。
なんでじゃあ。

まずは高校生。下顎側線孔数4対左右対称。海産畜養ではないかなあ。しかし、それのみ。昨日の夕方、人道橋の左岸チャラにいっぱいの鮎が見えて、中には追いかけっこをしているものもいた。
いつもの町裏では、そこへ渡ることも入ることもできないが、浅くなり、チャラになっていることもあり、また、人が少ないから左岸チャラに行ける。釣れませんなあ。夕方の場所かなあ。
また、高岩からの吐き出しへと移るが、途中、去年の個人戦で入った場所を囮と散歩した。砂利で石が埋まったのに、深くなっている。どのくらい河床が上がったのかなあ。
左岸ヘチ寄りでは流れが通り、石もあり、釣れているとのことであったが、その場所への立ち込みは去年と違って不可能。

結局、最初の場所付近にはいる。ただ、オラの下流側の2,3人はいなくなっていたから、瀬肩に近いところにはいれた。
釣れました。遡上鮎かなあ、15才くらい。
瀬肩に近い方が釣れるのかなあ、それとも流れが弱くなっている瀬尻の方が釣れるのかなあ。
悩んでも仕方ないですね。
結局、12時までに、海産畜養と遡上鮎ではないかと思う6匹。
まあ、最悪の事態は避けることができてありがたや。

テク2は、目的の場所にはいるが、その付近の人を見ていても、1,2匹しか釣れていない。ということで、その場所のすぐ上流の瀬を玉引き。そこも、何でかがら空き。すぐに掛かり、15ほど釣って、安心していた。
テク2の組は、湯殿大橋上流を目指したが、道を間違えて、別の場所に入ったとのこと。始めは釣れなかったが、すぐに釣れる場所を探し出して、ご一行は、20台と、20近く。
テク2は皆さんの足手まといになることもなく、ほっとしていた。
テク2らの組は4位。箒川など、大漁になるところを知っている地元の人のグループをのぞくと、トップの成績でした。
オラ達の組も、湯殿大橋上流に行ったTさんが20台であったから、真ん中付近の順位になりました。

当初の予定通り、1時間かけて上流に歩いていたら、草むらの中を四苦八苦しながら、歩くことになったのではないかなあ。河原の草むらはどんどん勢力を拡大しているようであるから。
そして、最初の場所は、ヘチの石が泥かぶりで、逆光で沖の状況が見えなかったから、悪い場所では、と疑うことになったが、そうではないよ、沖は石がきれいに磨かれている、と、また、瀬肩に近い人が消えることもある、と、希望を失わなければ、つ抜けをしていてかも。

オラは、玉引きをしていて、エビを多発する。
テク2は、囮の行動の自由度を上げようとして、錘を鼻環から離しすぎているから、エビになる、と。
下流側の石Aを乗り越えると、その上流側の石Bの石裏に囮がいる感じになる。
そうすると、囮はすうっと上流に泳ぎ、そのときに反転するとエビになる。
従って、錘を鼻環から離しすぎないようにつけることが望ましい、と。

9月10日  相模川弁天
何週間ぶりかなあ、相模川で釣るのは。

水温27,8度では、囮が過労死するまでに10分、20分といった時間もありうる。
1994年、千種川の上郡の水温が高く、姫新線の徳佐駅前に行ったことがあった。盆の頃で、コロガシが解禁になっていた。投網が解禁になっていたのか、わからない。
囮屋さんに入漁券は持っているか、と聞かれたので持っていない、と答えた。囮だけを買ったが、日釣り券を買え、とはいわれなかった。もう、鮎が少ない、釣れない、ということであろう。
日釣り券は3千円か3.5千円もしたから、囮屋さんも強くいえなかったのではないかなあ。
川にはコロガシが1人。それで、その人よりも下流へと釣っていった。
4匹が釣れたが、電車賃を考えると、上郡で、ぬるま湯につかって、釣っていた方がよかったかも。
もっとも、中高生の上郡とは違い、
乙女の大きさであった。湖産なのか、それ以外なのかはわからない。千種川は湖産放流河川といわれていたが。

1996年には、揖保川の山崎に行った。
このときは、水温の問題ではなく、湖産の冷水病の問題ではないかなあ。
揖保川は23,4才の乙女の大きさ。
その頃も人工を放流していたと思う。
山崎の釣具店で会った組合長は、竜野の堰に魚道を設置すること、海での稚魚の群れはイカナゴや鰯:ちりめんじゃこの群れとは区別できるから、それを採捕して放流したい、との話をされていたが、実現していないのではないかなあ。
群れの区別はできても、混獲はあり得るのではないかなあ。故松沢さんらが、狩野川に遡上するであろう稚鮎を採補して、放流する川に運んだ。放流された魚が飛び跳ねているのを見て、鮎ではない、と判断して、その川の漁協の人の接待を断り、逃げ帰ったとのことであるから。
揖保川では、
人工乙女が13匹釣れた。

8日の台風による雨で、神川橋の水位計は1mあまりの増水になっていたが、9日の高田橋は、10センチほどの増水で、濁りなし。
ダム放流はしていない。橋上流ヘチのチビ集団も健在。
雨で水温が下がったはず。

ところが、
今日は濁っている。釣りには支障はない濁りであるが。
水温が下がり、あゆみちゃんが元気になった、との予測はどうなるのかなあ。昨日は、テク3が葉山で、テク2が弁天で楽しく遊んだというが。
津久井湖はまっききとのこと。水温の低い雨による濁り水が底に沈んだのか、流砂が沈んだのか、昨日は澄んでいたのに濁り水になっている。

珍しく、昼前にやってきたテク2,テク3ですらあんまり釣れていないから、
4匹で文句を言えないか。
午後は釣れるはず、ことに3時からは入れ掛かり、のはずが、午後の方が釣れず、
2匹を追加できただけ。
なんでじゃあ。
テク3も午後の方が釣れなかったとのこと。
とはいえ、酒匂川よりも恵まれているなあ。それに1ヶ月ぶりの雨で、水温が、
午前24度、午後26度と、2,3度下がったから感謝すべき濁りかなあ。

6匹の19才、高校生のうち、下顎側線孔数4対左右対称は2匹。いつの間に継代人工が紛れ込んだのかなあ。

9月12日  相模川弁天
下流側の瀬肩上の先客は釣れているなあ。
右岸に渡った幸せ男も釣れているなあ。
やっと2匹釣れたが、養殖囮を働かせるには瀬での玉引きしかない。上流側の瀬に行くがあんまりきれいな石ではないなあ。贅沢は言えないか。柳のところのチャラは釣れているが、そこで働ける囮はないし。

結局、釣れずに元の場所へ戻る。
3匹釣れたが、使える囮はいるのかなあ。

午後、人工の23,4才。これに突っかかってくる鮎がいるとは考えられないが、囮に不自由しているからやむを得ず使う。
またもや強い引き。丼。何年ぶりの丼かなあ。0.3号フロロは人工鮎では切れないはず。目印付近で切れていたから、草が引っかかったときに傷がついていたのかなあ。
過労死する囮はあれど使える囮はない。瀬で玉引きしてやっと囮を確保したが、それまで。

結局4匹。
海産はいないのではないかなあ。
丼をした人はトイ面の人も、20台を釣った遠慮を知らない幸せ男も、と。あ、丼とは無縁のテク2も。
人工の大きいのが入ってきたのかなあ。
那珂川でのチームバトルで2回優勝している那珂川の人たちが、昨日、大島の鵜止まり上流の瀬で、27才を3匹釣った人がいたとのこと。その人達は今日も、弁天で、20台もあり、喜んでいた。
下流側の瀬落ちの左岸ブロックで、テク1が乙女を100以上も釣ったとのことであるから、それらの生き残りが下流側の瀬肩上流にも入ってきたのかなあ。

9月15日  相模川弁天
12日の囮過労死に、また、何年ぶりかの丼に打ちのめされて、しかも、みんなが釣れいないのであれば、ノミの心臓が痛むことはないが、10台は多数、20台も何人かいるとなると、「ヘボ」丸出し。これでは鮎ちゃんと逢い引きをしょうという気力もなくなってしまうよなあ。
ということで、昨日は、中秋の月餅を買いに中華街に行き、ナンパをさぼったが、明日の天気の方が不安定との天気予報に促されて、10時から釣り開始。
こんな遅いお仕事開始は初めてのこと。
下流側の瀬肩にはいるが釣れませんなあ。12日と違い、少しは場所を選ぶことができる。とはいえ、瀬肩上流で1匹のみ。

釣れないときはビールで心を癒すしかない。
5日の那珂川での大会で4位になったチームの一員であったテク2がビールをもらった。30ウン位のオラ達の組のオラはポロシャツをもらった。そのポロシャツと、テク2のビールを交換したため、今年の昼ビールは飲みきれないほど、たっぷりとある。

午後は、さらに上流の楽なところへ。
幸い、立ち込んでいる人はいないから、ヘチに近いところがポイントのこの場所で19才を含めて釣れて、囮の過労死は心配なくなった。
明日のために様子を見に来たウーさんが、竿を貸して、と。すぐに釣り上げた。なんでじゃあ、オラが朝からせっせと働いているのに、あゆみちゃんはどこを見てるんじゃあ。働くもんが冷遇されるとは、まちがっちょる。
癪であるから、ウーさんの分をオラの成果に加えよう、っと。
それでも、つ抜けとはならない8匹。

下顎側線孔数4対左右対称は半分。
19才は1匹。

死んだ鮎が流れてくる。大きさは高校生。
始めは、過労死させた囮を流しているのかと思ったが、数が多い。
昭和橋のコロガシ区でも、死んだ鮎が流れてきたり、傷ついた鮎がたまる湧き水のところに入ってきて死んでいった、とのこと。
冷水病原菌が増殖するのは、16度から22度くらいの水温であるから、26度の水温である現在、冷水病による死は考えられない。
県産継代人工は、濁り、水温変化のときに、川に生息している雑菌で死ぬと、県内水面試験場が話されていた。
9月8日の雨の後、水温は変化し、また、10日から津久井湖に流入した濁り水が、川に流れ出した。
とすると、どっかの継代人工がこの環境変化で、川に生息している細菌に感染して今日から死に始めたということかなあ。

9月17日  相模川弁天
下流側瀬肩付近から上は混んでいますなあ。しかし、入れないことはない。
今日も、死んだ鮎が流れてくる。
大島でも死んだ鮎が流れていたということであるから、大島から昭和橋までに放流されたどこかの産地の継代人工が川の雑菌に感染して死んだということであろう。
ということは第2漁協管轄でも死んでいるから、漁連放流分ということかなあ。
しかし、昭和橋で見られた死んだ鮎が、石切場で放流されたものであれば、漁連ではなく、漁協単独放流ということになるが。
放流鮎の質には無頓着な状況では、死んだ鮎の氏素性、産地を考えようとすることはないか。

釣れませんなあ。
周りもぽつぽつと釣れている人があるくらい。
しかし、昼、下流側の瀬の下側にいった人は10台を持って帰ってきた。中州から左岸側瀬を釣っている人も少しは釣れていた。
おじゃま虫にまで愛想を尽かされたんでは、ビールを飲んで、囮君の元気が回復するのを待つしかないか。

午後も釣れませんなあ。トイ面の瀬肩上の振り子抜きの人はぽつぽつ釣れているが、10を超えていないのでは。
最後は、華々しく、瀬で根掛かり放流をして、散るのもよかろう、と、瀬を玉引きするもうんともすんとも言いません。もう、養殖君は働くのは嫌じゃあ、と。

ヨン様や、ドラえもんおじさんらに釣られることは誇りに思っていいですよ。しかし、ヘボに釣られることは、末代までの恥ですよ、と、あゆみ王国の女王様のお触れが、行き渡ったようです。
そのお触れを知らないあゆみちゃんはどこに行ったらいるのかなあ。狩野川に誰か行かないかなあ。

ということで、めでたく出家できました。
上流側瀬の上流も、朝は混んでいたが、お天道様が高いというのに、すいていますなあ。
石切場の柳前のトロは、これまでは午前に10人ほどの人が入っていても、午後はほとんどいなくなるのに、今日は、午後も人が減っていない。釣れているのかなあ。
先日、大島のシルバーシート下流の瀬で、何でか3時頃から人がいなくなり、そこに入った悩めるマレーグマ君が、乙女と楽しく遊べたとのこと。

継代人工が死んだことが、釣れない理由なのか、女王様のヘボ排斥のお触れが原因なのか、調べる必要がありますね。

9月18日  相模川弁天
鮎国女王のヘボいじめか、はたまた、鮎が少ないからか、オラの出家の原因を調べるため、懲りもせず、弁天へ。

昨日と違い、おじゃま虫が3匹も釣れた。これで出家はない、ということであれば、おじゃま虫様々であるが。
トイ面にドラえもんおじさんが。いつもの時速10匹以上という状況ではなさそう。見切りの早いこと。あっちこっち囮を入れて、去っていった。1時間もいたのかなあ。
そして、移動先で、入れ掛かりをしていたとのこと。鮎国の女王様は何でえこひいきをするのかなあ。
あ、そうそう、よい子の皆様は、ドラえもんおじさんの真似をしないでください。
藁科川でも、ドラえもんおじさんが大漁であるのを見て、その付近に人だかり。しかし、だあれも釣れませんでした。もし、真似ができるのでしたら、オラが真似をしています。
場所は、高田橋上流のチャラです。

釣れないのであれば、1発勝負と、左岸テトラのところへ、おっかなびっくりで行った。養殖君はよく泳ぎ、テトラのところへ。
来た、と思ったら蹴られ。6.5号のハリではハンマー効果がないのかなあ。瀬肩上流では、ハリにふれただけの蹴られであったが、
今度こそいただき、という強いあたりであったが、6.5号のハリ折れ。
午後、再度やってきて、7.5号のハリにしたが、今度は養殖君がテトラまで泳いでくれず、人工の大鮎釣りは失敗しました。

結局、下顎側線孔数4対左右対称の高校生が1匹。出家できなかったことが幸せかなあ。

石切場の柳前トロは今日も午後になっても人が減っていない。弁天では上流側の水の中の柳付近でもすいているというのに。

川那部先生は、個体数が少ないとき、サボあゆみになる、と書かれている。その現象がヘボには釣れない原因ということのよう。
鮎国の女王様、変な言いがかりをつけて申し訳ございません。
でも、ヘボが虐げられていることはご理解ください。今日も、ドラえもんおじさんは結局あゆみちゃんを軟派できる場所を見つけて、だましのテクニックでいっぱい、あゆみちゃんを誑かしています。
あゆみちゃんに、甘い言葉に気をつけろ、純情可憐なヘボと遊べ、とのお触れを出してください。

9月22日  相模川弁天
0,1ゲームのデジタルの世界から脱出するには、狩野川に行くしかない、とは思っている。しかし、アガサ・クリスティの「ミス・マープル」を見てからねんねすると、10時半を過ぎる。3時、4時起きは当たり前、の不眠症?のオラであるから、起きることは可能でも、あゆみちゃんが遊んでくれなければ、水の中でうたた寝をすることになりそう。
それでは、斉藤邦明さんが、故大竹さんに弟子入りをして、岩の上で釣ることになり、ねんねして落っこちた「故事」の二の舞になりそう。
ということで、相模川へ。年をとったなあ。

いつものように、下流側瀬肩付近で釣っていると、Iさんがやってきて、昨日、幸せ男が30台を釣った、と。しかも、いつもは無視する左岸からも釣っていた、と。
これじゃあ、釣れるわけがないよ。立ち込んでいき、幸せ男の釣り残しを探すしかない。
テク3とともに、立ち込んでいき、左岸に向いて釣れた。
今度は右岸に向いて釣るとすぐに釣れた。なんじゃあ、幸せ男はいっぱい残してくれているなあ。

なーんて、甘いおっさんではないですよね。
全然釣れません。テク3にあわせて下りながら、右岸の波立ちをねらうが、2人とも釣れません。釣れているのは瀬に入ったテク2だけ。

ビールを飲んで、これから、と思えど、眠い。河原でねんね。
テク2,3やIさんも釣りに行くから、起きたが、釣れませんなあ。
あゆみ国の女王様、そりゃあ、デジタルの世界から脱出することが目標とはいいましたよ。しかし、それはですね、内気で、引っ込み思案が信条のオラのささやかな願いで、それで満足しているのではないですよ。
10ほどしか釣れないからあきらめた、という人もいらっしゃいますから、もう1声を。
女王様は、それでは、と22才の人工を。
もう1匹よろしく、とお願いして、1匹。
しかし、女王の顔も2度まででした。

下顎側線孔数4対左右対称は、高校生の3匹。乙女は人工。
吸盤ボウイを含めたら、つ抜けしたかなあ。テク3は23才の人工を1人はだっこしたものの、2匹をハリス切れ。最後のハリス切れは、後1mほどで生じて、オラが歓声を上げてあげました。

テク2は20ほど。
テク1は、いつものように左岸ブロックの上からの釣りで20あまり。
石は、新昭和橋のヘチの泥かぶりとは違い、きれい。何でオラと遊ぶあゆみちゃんはいないのかなあ。

先日、3,40年は使い込んでいると思われる菅笠に友缶の人が、故Eじいさんが、四万十川にも入れ込んでいた、と。
故Eじいさんが、伊南川や、高原川等の、水がきれいで、石が大きかった湖産放流の川に行っていたことは知っていたが、四万十川にも入れ込んでいたとは知らなかった。
いつ頃のことかなあ。

菅笠さんは、小沢の堰がなかった頃、1の釜から、3の釜まで見通せた、と。
また、立ち込んでいるコロガシの人の背後で友釣りをして、大漁であった、と。コロガシの錘の音にびっくりして、瀬からヘチ寄りに移動したためでは、と話されていたが。
そうすると、昭和30年代には、相模川がコロガシの川になっていてたということかなあ。
滝井さんや、垢石翁が相模川で友釣りをされ、垢石翁は、相模川も友釣りをする職漁師がいたことを書かれているが、その状況が、何でコロガシだけになったのかなあ。
故Eじいさんらが、友区を作ろうとすると、コロガシは、相模川の伝統漁法だ、との反対で平成の頃になるまで、実現しなかったが、昭和30年頃以前は、決してコロガシだけの川ではなかった。

故Eじいさんは、四万十川には、飛行機で行っていたとのこと。ということは、昭和40年代か50年代かなあ。
昭和30年代であれば、故Eじいさんは、どぶ釣り用の船を貸し出していたから、四万十川まで出かけられず、また、飛行機が四国に降りていたか、疑問がある。
たぶん、小沢の堰ができて、船からのどぶ釣りができなくなり、あるいは、津久井ダムができた頃以降ではないかなあ。

菅笠さんが、故Eじいさんのことを知っていたと、故Eじいさんのお嫁さんに話したら、まだ生きていたの、と。
生きていたどころか、鮎釣りに精を出していますよ。

1ヶ月以上、飢餓状態の続いていた大井川で、釣り吉さんが駿遠橋付近ではないかと思うが、乙女のあゆみちゃんをだっこしている。
テク2は、中川根町にお墓参りに行ったついでに、川を見てきた。大石にはハミがあった、釣り人は釣れずに移動していた、と。
明日の雨が多くなければ、10月に大井川に行けるかも。

9月26日  狩野川雲金
久しぶりに、初心者らしくないおっさんからお誘いがあった。
おっさんは、おっさんの師匠が狩野川で一番釣りの難しい場所、と、話されている慶応病院上流の
宮が瀬を釣り場に選んだ。
おっさんの意図は、
「運」ではなく「腕」で釣る場所を選択すれば、オラに連戦全敗の汚名を晴らすことができ、また、オラが師匠にどんな告げ口をするか、心配で、心配で、不眠症になりそうな状況からも脱出できるのでは、ということであろう。

しかし、宮が瀬に行くと、早稲の稲刈りが始まっており、農道を駐車場にできなくなっていた。
移動するしかない。八熊橋を見ると、砂利まみれに、柿木川出会いも砂利まみれに。殿淵も昔の面影はないものの、おっさんが釣れると思っていたところは、大会の人が。
宮田橋下流は、かっての状況と変わりすぎていて、オラが入る場所に困ったこともあって、いつもの松ヶ瀬へ。

大会の人の間へ。
おっさんの師匠が囮が死にそう、と。このお言葉を素直に聞いたらいけません。名人らの「釣れない」とは、時速5匹ぐらいしか釣れない、ということで、オラのように、日速5匹ではないですからね。
でも、師匠の下流側に入ったオラでしたが、師匠の釣れるところを見ませんでした。師匠は、オラの下流側に移り、オラが1匹釣り、1匹ばらしたとき、上流へと去っていきました。

おっさんが上流から下ってきたから、囮をくれる?と聞くと、いないよ、と。そして、ホテル上に行きました。
昨日の天気予報は、風が出ないといっていたはずであるのに、風が吹く。久しぶりに9mの竿を使っていたが、7mに代えたいから、おっさんのところに行き、キーを借りる。
そして、下流へ行くが、砂、砂、浅い。
おっさんの師匠は、今の時期の鮎は神経質になっている、今日のように渇水のときは、人間におびえて、深いところ等に入っている、と。そのような深い場所は、宮田橋近くしかなく、そこは常連さんが、いつも釣っていてよそ者は入れない、と。

また、最初の高松邸下流へ行く。
2匹釣れた。計3匹。
昼、おっさんは、5匹をばらし、だっこできたのは0.ばらした5匹目は中高生にもかかわらず、ハリス切れ。人の不幸は蜜の味、オラはやんやの喝采。
オラも3匹ばらし、午後も1,2匹のバレがあったが、団子でのバレ。何で、団子になるのかなあ。
おっさんは、だいぶんしょげかえっていたなあ。返り討ちにあいそう、と弱気の発言も。それにしてもマイナーな争いですなあ。

午後、おっさんは、強い蹴られがあったから、鮎がいる、ということで、朝と同じホテル上。
オラは下流がだめであるから上流へ。大会の人は消えていたが、あいていた高松邸下流へ。ぽつぽつ釣れた。下流側の人が下っていったから、下流に行くか。そのうち、上流側の人も消えた。上流側であれば、根掛かり放流をしなくてもすむ。
ということで、上流側に棚1つずつ移動。そこは中学校でした。20才先生も、18才高校3年生も釣れた。
4時、おっさんの師匠の前で、かっこよく乙女を釣り、終わりたかったがチビ。

天気予報は外れて、寒いなあ。水温は昼に19度。水の中の方が暖かい。確か、真夏日に近い気温との予報ではなかったかなあ。
おっさんも寒い、ということで、すぐにやめた。

おっさんは11匹、オラは20匹
おっさんは大きさでは負けない、といっていたが、オラの20才から、高校生、中学生と多彩なあゆみちゃんを見て黙ってしまいました。おっさんは、オラが昼から釣ったところは、静かになると、数は釣れるが、小中学生の場所であるから、大きさ、重量を基準にすれば負けてはいない、と思っていました。
しかし、何でか、オラには高校生から乙女まで釣れていて、困っていました。
そこで、次は、青い色の美女の女子高生を3人だっこできた、と。
はい、そうですよ、その美女では負けました。

午後、おっさんは、風によるキャッチミスを避けるため、堅めの竿に代えた。
傷があったのか、折れた。立ち込んでいって、掛かり鮎も回収した。
前回、たごとでも、大石から滑り落ちたのに、竿を折らなかった。なんと
悪運の強いおっさんですこと
おっさんは折れた部分を切り、竿を詰める作業をした。その結果、手重りが改善され、操作性もよくなった、と。
亡き相模川の主も自分の好みに合うように、竿を詰められていた。
簡単に竿を詰めることができるから、オラの9mの硬調も8メートルに詰めてくれないかなあ。無理でしょうなあ。技術的にはできても、とんでもない調子の竿になってしまうのでは。宝くじに当たり、7.5メートルー8メートルの竿を買うしかないか。三途の川に持って行きたいから、早く宝くじに当たってえ。


ということで、
「腕」よりも「運」がまたもや勝ちました
これでは、安倍川へのアッシー君が釣れなくなります。そこで、去年のように遡上鮎が多いときは別にして、今年のように遡上鮎がそれほど多くないときは、川見の能力がないと、安倍川では釣れないよ、「腕」をあげたことを検証するには最適な川ですよ、日帰りができますよ、とあまあいささやき。
おっさんを釣るのは簡単ですね。10月中旬、安倍川に行けそうです。
そして着替えのとき、おっさんの涙雨が、ざあざあと降り出しました。天気予報は何で外れたのかなあ。おっさんのせいかなあ。

10月2日  中津川
100トンのダム放流であるから、白川であろう。
田代の管理釣り場から、ヤマメやニジマスが逃げ出したはずであるから、ルアーを振る。
田代でニジマスをばらした。田代に管理釣り場の水がはき出される右岸から、左岸へ地に避難できたニジマスがいるということであろうか

ヤマメはどこに固まっているのかなあ。
まだ少し濁っているから、ルアーが見えにくいのかなあ。角田大橋下流のたまっている可能性が高いトロでもルアーを振ったが。

田代でも、角田大橋でも友釣りがいて、角田大橋上流の流れの強いところの人は2匹釣っていたが、どの程度残りアカがあるのかなあ。
相模川高田橋上流の分流付近、弁天の分流付近の本流にも人がいたが、白川ではないかなあ。
遡上鮎、海産畜養は、ヘチ等の避難場所がなくらない限り、雑炊で流されることはない。
弁天の中州は水没しなかったから、アカさえつけば、釣り場になるが。1週間かなあ。もう少し早いかなあ。

10月6日  狩野川:大仁、青木の瀬
相模、中津で釣れている人もいるが、白川状態ではないかなあ。0,1のデジタルの世界での修行は、年寄りにはこたえるから、狩野川へ。しかし、アッシー君がいないから、松下の瀬、青木の瀬に行くしかない。

青木の瀬はすいているなあ。10月下旬以降の釣り場の下見を兼ねて、松下の瀬の、分流よりも上流へ。
水温17度。「あきた阿仁川」のホームページで、阿仁川の鮎が下りを始める水温が、海産鮎の下りの行動を開始する水温と想定すると、15度くらいであるから、狩野川の遡上鮎がまだ下りの行動をするととはない。川漁師の常識である「西風が吹く頃」=木枯らし一番が吹く頃、と考えるべきである。

昭和の終わり頃、右岸堤防にあった囮屋さんが、土手の草刈りをしているから、ほかで囮を買ったものは、ここにはいるな、と。
青木の瀬に比べて、駐車スペースが少ない松下の瀬の方がすいていた。そこで、松下の瀬に歩いていったが、その日以降は、青木の瀬か城山下へ行くようになった。
コマドリの瀬か、青木の瀬で釣っていたが、たぶんその年の11月頃、故松沢さんのテントに始めていったのではないかなあ。
そして、故松沢さんから、本物の鮎とは?、鮎の生活誌は?、あるいは古の川と状態を聞くことができたから、右岸土手の囮屋さんには、感謝しなければなりませんね。

その松下の瀬は、いっそう平坦化していた。昭和の終わり頃と比べても、数メートルは河床が上がっているのではないかなあ。
アカ付きは緑藻を除いて、よくないのではないかなあ。
とはいえ、オラの上流側の天秤持ちもしている人は釣れているなあ。
やっと釣れたら腹掛かり。
そして、待望の2匹目が釣れたとき、船がない。何でじゃあ。

握りを入れているナップザックから、ビニール袋を取り出して、囮と釣れた鮎を入れて、とぼとぼと下っていく。
大井川では、1晩熟睡した乙女を船から出すとき、河原で取り出し、ビニール袋に入れる行程をしないと、にいげえた乙女にゃあ、未練はあるよ、となる。そのため、ビニール袋は必需品。
故松沢さんは、鮎を強く握るから暴れるといわれていたが、弱く握っても、おとなしく男のいうことを聞いてくれないんです。
ということで、大井川では必需品のビニール袋が狩野川で役立つとは、思ってもいなかった。
あ、そうそう、大井川では、握りをビニール袋に入れて、河原においていたら、カラスがたくわんを残して、きれいに食べてしまった。それからは、ナップザックに握りを入れるようにしている。大井川では、見える範囲にオラだけ、ということは珍しいことではなかったから、カラスにとっては親切なじいさんが来た、とねらっていたようです。

分流の始まるところに船が止まっていた。
そこにいたおっさんに、船を拾ってくれた?と尋ねた。いや、というそのおっさんは、誰あろう、オラから今日の米代をふんだくり、家庭内離婚の原因者、腹に札束を詰め込んだ社長様でした。
オラは、船が流れたのは初心者らしくないおっさんの呪いと思っていたが、社長の営業戦略で船が流れた、と確信しました。

社長に欠陥商品じゃあ、弁償しろ、というつもり。
社長は、にこやかに、お客さあん、10年の前の船では、あゆみちゃんが汚い、といって、嫌いますよ。あゆみちゃんに嫌われるのは、腕だけではなく、部屋が汚いこともありますよ。どうです、新しい船を買われては。今買えば、三途の川でも使えますよ。お安くしときますよ。
こういう展開になる直前、社長に番茶も出花の娘が釣れた。オラ、社長とあゆみちゃんの恋のキューピットではないぞ。

天気予報が外れて、風。このまま9mの竿を使っていると、前回の初心者らしくないおっさんの二の舞になり、キャッチミスの多発に。
仕方がないから、短い竿と交換するため、囮屋さんに戻り、青木の瀬で釣ることになった。

去年よりも平坦化していて、流れにメリハリが少なくなっている。とりあえず、竿を出したが、釣れません。下っていき、分流合流点の狩野川大橋上流に行ったが、ここも釣れる気がしない。

午後は、分流で小学生と遊ぶことに。
掛かったが、小学生では、と、取り込みをぞんざいにして、ぽっちゃん。
小学生は、せっかく遊んであげようと、敬老精神、博愛精神を発揮して、好みではないけど、、掛かってあげたの、なんちゅう仕打ち、と怒り、それからはだあれも遊んでくれず。

波立ちのあるところ、流れの強いところを釣ればよいから、遡上鮎が対象のときは、楽ですね。
にもかかわらず、小学生を怒らせてしまった祟りはなかなか静まりません。
元気な小学生、石頭を超えていく、と思ったら、高校生におんぶされていた。
まあ、テク2と違い、丸干しの一夜干しにできるほどの小学生の数には遙かに及ばないが、合計6匹釣れたことは、幸せでした。
何よりの幸運は、初心者らしくないおっさんがいなかったこと。
おっさんがいたら、船を流し、小学生にも相手にされず、嘆き悲しんで自棄ビールを2本も飲んでいるオラを見て、積年の恨みを晴らすことができて、歓喜の涙雨をざあざあと降らせたことでしょう。

社長らご一行の車に便乗して帰りました。社長の息子は、15匹。まだ、1,2年しか友釣りを経験していないのに、Hさんに講釈をしていました。
10月下旬から、テク2はどこにはいるかなあ。青木の瀬は、11月1日頃から下りを始めるあゆみちゃんの一宿一飯の場所になるのかなあ。
青木の瀬で、20ほどの人が一人はいたが、オラとどっこいどっこいの人が多数派でした。

10月14日  相模川弁天
アカ付きが悪いが、最後の日であるからやむを得ない。継代人工はダム放流で流されているであろうから、遡上鮎の小中高生が対象。
ビールを2本、つまみはいつもの100円ではなく300円、握りも高いものを持って、準備万端。あゆみちゃんに冷たくされても、午後まで川にいることができるはず。

弁天上流側瀬肩上の水中の柳とヘチの間は、ダム放流でも動かない石のはず。アカがあるかも。
アカはつき始めていたが、3人入っている。1人は、立ち込んでいるから、消えていくとは思うが、待ちたくないから、下流側瀬肩上へ。
石はさらに小さくなっている。一抱えほどの石も埋まった。

小学生が釣れたから、これで坊主はなし。
次は中学生。暇で、周りを見渡すと、瀬が釣れている。
重役出勤のテク2,3らがやってきた。テク2は右岸瀬尻へ。テク3は上流の瀬肩上へ。

丼が釣れた。
自家製の極楽背針を使っているから、瀬で釣っていたのであろう。しかし、掛かっていた鮎は、高校生。高校生で丼をするとは、よほどの細糸を使っていてのではないかなあ。
これで打ち止めかなあ。テク2は釣れているなあ。
瀬の人は午前に10ほど、と。しかも、瀬の芯で釣れて、瀬脇では釣れなかった、と。アカ付きが悪いのに何で瀬の芯かなあ。

そのような人とは無縁のオラは、早くもビールを。
2本目も飲んで、気持ちよく、午後の釣りを。
すぐに釣れた。テク3は、午前、オラがねらったところに入れず、その下流の瀬肩で数匹とのこと。それで、午後は、右岸側の柳付近に入りたかったが、先客があり、その下流の瀬を徘徊することになった。

瀬が大好きのタマちゃんが、分流で釣っていたが、昨日、確保した囮が弱く、やむを得なかったとのこと。
タマちゃんは、最後は本流の瀬に入り、釣れて満足していた。オラも、タマちゃんを見習って分流で1匹釣ったが、最後はタマちゃんの上流、瀬肩で高校生を釣り満足でした。
テク2は、午前10ほど釣ったが、午後は皆と同じように釣れず、15.オラの6匹とテク3やタマちゃんと似たようなものであったからビール2本の効果はあったということでしょう。

10日のダム放流の日、テク2ら瀬大好き人間が、葉山の分流に分かれる下流の瀬に入った。20匹コースであったとのこと。それを知ったテク3は、翌日の11日に参加したが、ダムの放流が50センチほど減ったためか、品切れか、わからないが、釣れず。皆さんは、バーベギューを始めたとのこと。

ということで、テク2が持ってきた塩と酒を神様に捧げて今年の相模川は終わりました。オラは、日本の神様はビールが嫌いだと思い、ぜえんぶおなかに入れました。

10月16日  狩野川松下
故大竹さんが、
「稲刈りの頃、アユは再び瀬に着く」と話された。故松沢さんは、その「稲刈りの頃」とは、10月10日頃、と。
初心者らしくないおっさんの師匠は、稲刈りの頃に、
増水という条件がいる、といわれたとのこと。

「鮎、山女、キジさんに会いたくて」のホトトギスさんが、10月11日のアカ飛びの興津川でのことを次のように書かれている。
「で、栗拾いを終え、ニコパさんとなおきちさんが釣っているところに行ったら、二人してジャカジャカ釣っているじゃありませんか!Σ( ̄□ ̄|||)
そこは立派な
『瀬』なのです。

『瀬で釣れてるの??』って、叫んだら、
『瀬で釣れてますよー』とニコパさん。
エ?ッ?! そうなの???(|||_|||)ガビーン!

慌てて、"正攻法”で瀬を釣り始めたら、バンバン(って言っても4匹だったけど)釣れるじゃありませんか!
今年は、あちこちの増水している川で散々釣って、残り垢狙いで、ヘチとか水深のあるトロ瀬とかばっかりしか釣らなかった弊害で、
瀬で普通に釣れるなんて、これっぽっちも頭になかったんですよ。
今日も狙ったのは、ヘチとか、残り垢のある石裏周りとかばかり…。
それなのに?、瀬でこんなに普通に釣れるなんてぇ?????????!!!
あんなに増水したのに、瀬の垢が流れていなかったのね?。
もっと早く教えてよぉ??! ーーーっていうか、もっと早く気付いてってば!!」

10月14日、弁天で一番釣れた人は、右岸瀬尻のテク2と、下流側瀬の人、そして、上流側瀬肩上の水の中の柳付近の人ではないかなあ。
その中の、瀬で午前に10匹釣った人は、瀬脇やヘチではなく、
瀬の芯で釣れた、と。そこは、大石があるのではなく、アカ飛びをしているのではないかなあ。
その人の下流側の人も瀬の芯で掛けていたが、根掛かり放流や、身切れで瀬から離れたこともあった。

そこで、問題は、遡上鮎が「稲刈りの頃再び瀬に着く」との現象が、
瀬の石のアカ飛び状態でも生じるのか、ということ。
また、稲刈りの頃、
増水がないときはどうなるのか、ということ。
平成の始め以前の城山下であれば、丼大王に、状況、結果を聞けば事は足りる。
そして、故松沢さんに尋ねたら、
「鮎に聞いたことはないからわからないが」の枕詞の後、どのようなお話をされるのか、聞けばすむこと。
しかし、城山下の瀬は消え去り、故松沢さんに尋ねることもできない。
とりあえず、狩野川に行くしかない。雲金よりも青木の瀬、松下の瀬の方が、増水によるアカ飛びは大きいようであるから、先日の増水で、アカが飛んでいるかも。

おまんに「サボリーマン」といわれたくない、とおっしゃるサボMは、色欲の固まりのおまんが、そのような高尚な動機付けで、狩野川に行くはずがない。嘘つき、というでしょうなあ。
あははは、さすがですねえ。川見、ではなく、人見が良くできました。
9月下旬以降の、禁欲生活で、禁断症状になっているからです。そして、暖かそうで、風もなさそうで。
でも、禁断症状の治療を必要としていた人は、松下の瀬にはいっぱいいましたよ。

三島駅で、丼大王にあった。
今年初めての逢う瀬を逃がすことはない。だいたい、土曜日に、丼大王が、お仕事をされること自体、異常な現象です。

丼大王の話
1 まっちゃんは、
水の引き際は、瀬の芯に鮎が付く、と。
そこで、30センチ、50センチ?高のときは、立ち込んで、芯を釣っていた。

2 それでは
白川のときは?大石ごろごろしていた平成の始めまでの城山下の1本瀬や、石コロガシの瀬ではなく、現在のように、残りアカがあり得ない状況では?
残りアカがない状態ではわからない。残りアカがあれば、アカ付きも早いであろうが。

3 「稲刈りの頃」は、白川でも、瀬に着く?
わからない。ただ、他の時期と違い、性成熟と関係があるかも。

ということで、丼大王の話で、とりあえず、オラのお仕事は終わりました。あとは、禁断症状を治療するだけです。

松下の瀬に行く。高水敷きを歩いて分流よりも上流へ入りたいが、芦原、薄原に、水のところに出る道がない。結局、丼大王が、通っているという生コン前まで行った。
混んでいますなあ。
あいているところに入ったが、小学生、中学生。釣れたから、幸せです。
上下の人は、錘をつけていたから、釣れていないのかなあ。
立ち込んでいる人は、11時頃、5匹ほどの入れ掛かりをしたものの、数は少なかった。

目印が水中に消える、目印がすっ飛ぶ、高校生とご対面か、と思えど、小学生。小学生といえどもよく泳ぎますなあ。中学生になれば、竿を持っているだけ。ぐうたらの無能力の社長様、お殿様と同じで、良きに計らえ、ですみます。
12時の時報が鳴ったとき、10匹目は、女子高生。

午後は、分流に分かれる上流へ。
生コン前は、午後も人が詰まっているのに、この少し上流から下流はがらがら。そんなに午前は悪かったのかなあ。
やっと、浮かない、抜けない、というのが掛かった。
とはいえ、だっこできたが。なんと乙女。囮が小学生で助かった。
そのあとは、帰りの算段。5時の踊り子がなくなったから、3時40分に乗るしかない。そうすると、囮屋さんまで戻る時間を考え、また、大仁駅の売店がなくなったから、ビールは駅前通の酒屋さんで買うことになる、よって、2時40分には上がることになる、との計算をした。

その計算が終わってからも高校生、乙女が釣れたが、それらは、人工。
ということで、高校生1匹と乙女1匹が海産。残りは、小中学生と人工の高校生、乙女。
合計15匹。

囮屋さんで、あとは、ビールを買いに行くだけという状態のとき、テク3が戻ってきた。
テク3は、お仕事に平塚に行ったが、それほどの仕事量がないため、箱根を超えて、狩野川を月ヶ瀬まで見る。
松下の瀬の混雑に大会をしているのか、と。ほかは、吊り橋付近が少し混んでいただけ、と。
結局、昼過ぎから狩野川大橋すぐ上流の瀬にはいる。
玉引きで高校生を10近く。また、囮を出すとき、小学生が一ちょ前に追ってきて、掛かったから、それらは、全部逃がしてきたとのこと。
もったいないなあ。丸干しの、一夜干しの素材になるのに。
今、塩水に小中学生をつけています。

テク3の場所では、雌の比率が高かったとのこと。オラは、雌と雄は変わらぬ比率で、小学生でもサビの出たものがいた。
なお、「サビ」鮎というとき、江の川では、はたいた鮎をいうようですから、同じ表現でも、その内実が異なることがあるということに注意をしましょう。

10月23日  狩野川
青木の瀬よりも、オラにとっては、松下の瀬の生コン前の方が釣り易いから、囮屋さんから、てくてくと歩いていく。
右岸への瀬、その瀬落ちから下流は混んでいる。しかし、生コン前はそれほどでもない。
あまり時間がかからずに、乙女。最初に乙女とは、男女を問わず、箱入り娘にするところであるが、根掛かりを外しに行けそうであるから、囮にする。すぐに小学生。ありがたい。

朝の水温は15度。16日よりも2度低い。
にもかかわらず、立ち込まないで釣るオラにあゆみちゃんは優しく、すぐに数匹釣れ、囮の心配はなくなった。
ただ、困るのは、天気予報が外れ、風が吹いていること。キャッチミスをするほどではないが、蹴られたときに気がつきにくいこと。また、お天道様が出ず、少し寒いこと。
昼までに9匹。

午後は、テク2の状況を見たいから、青木の瀬へ。
テク2は、真ん中の瀬を右往左往したが、釣れたのは、その瀬が落ち込む付近だけとのこと。そして、狩野川大橋すぐ上流の瀬で、休んでいた人に場所を譲ってもらい、昼に入れ掛かりになり、昼飯も食べなかったとのこと。

テク2のすぐ下流に玉をつけて囮を入れたが、テク2らが荒らしたあとでは釣れるわけがないよなあ。
ということで、テク2が右往左往して釣れなかった真ん中の流れへ。
そこで、5匹釣れたから、満足しましょう。
合計14匹。
テク2は20くらい、とのことであったが、28.キャッチミスの2匹を加えると30.しかも、高校生、乙女が主体。小学生は少し。オラの小中学生主体とは大違い。

結局、ダブルスコアのいつもの腕の差は変わりませんでした。

10月24日  狩野川
オラは、松下の瀬へ。
8時前というのに、右岸への瀬、その瀬落ち付近から下流は、今日も大入り満員。
その中に丼大王もいるのかなあ。

ということで、昨日釣った場所の1つにはいる。昨日は動けたが今日は動けそうもない。
立ち込んで芯を釣っている人は釣れているが、オラの上流側、そして、ヘチから釣っている下流側の人もあまり釣れていないのではないかなあ。
当然、、オラも昨日よりも出足不調。
ねらうは、波立ちのある筋、石表、石と石の間。

昼前には、根掛かり放流。囮を助けにいって、糸を引っ張ると切れた。0.3号のフロロであるから、切れるはずがない。とはいえ、1ヶ月以上使っていたからなあ。
根掛かりした囮を捕まえようとしたら、根掛かりが外れて、囮は消えてしまった。
「藁科川のアユ釣り」のよしよしさんが、根掛かり外しの時、おばせをくれて、上流に引く等の動作をすると有効、とのことを書かれていたが、そのような状況になったのかなあ。

ああ、踏んだり蹴ったり。とはいえ、囮には不自由しない。昨日のアユがいるから。
テク2と待ち合わせる2時半に間に合うようにするには、1時半には上がり、ビールを飲む必要がある。
その時間が刻々と近づいている。
テク2は、昨日、昼頃から入れ掛かりがあった、というが。その兆候はなし。
朝の水温は14度であったから、昨日の昼間の水温があまり上がらなかったからかなあ。
故松沢さんは、水温が低下してもアユは慣れる、しかし時間が必要、とはなされていたが、17度の水温から、15度、14度の水温になれるには数日必要ということかなあ。

と、ぐちゃぐちゃ弱いおつむで考えていると乙女が。その乙女を囮にすると、また乙女が。
テク2が今年の狩野川のアユは馬力が弱いといっていたが、大井川の遡上鮎との馬力で比較にならないにしても、少し弱いなあ。
とはいえ、高校生と違い、重量がある。もし、根掛かり放流をしていなかったら、傷ついていたであろう糸の部分で丼をしていたかも。
14匹を釣り、ビールを飲み、そのために持って行っていたクーラーの氷水で絞め、気持ちよく、43,4度の200円温泉に今日もつかりました。
テク2は、20ほどのことであるから、ダブルスコアは免れました。

今日は、小学生が2匹で、中高生が主体。
昨日の乙女も含めて、3匹の乙女は雄
そして、
テク2が釣ったのも、生殖腺体重比が10%、あるいは30%という腹ぱんぱんのはいなかった。当然、闇に紛れて、船の中でにゃんにゃんする不届きなアユもなし。
テク2は、
雌のアユが釣れるところと雄のアユが釣れるところが分かれていた、と。玉引きをする瀬の中でも、メスよりも早く下るとの話がある雄が固まり始めたのがいるということかなあ。

根掛かりを外しにいって、
大石の周りが、小石のところと、砂利のところがあった。
オラの下流側で、ヘチから釣られていた人は、そのような川の状況を知っていたのかなあ。
そして、釣れないから移動したのではなく。
数匹しか釣れない、と予想されて、移動したのかなあ。
テク2も数匹釣れたら移動しないと、後が続かない、と。
アユが薄いということではないかなあ。
オラに乙女が釣れたのも、
雄が少し下りの準備をしょうとしていて、瀬の芯から動いたからかなあ。そして、その場所は、ヘチに近い波立ちのある筋で、大きい石の周りは小石のところ。

今年の狩野川の遡上は、去年の遡上量よりも少ない、遡上開始時期が遅い、と、初心者らしくないおっさんの師匠が話されていたが、生殖腺体重比がまだ低い、という現象は、遡上時期が遅いということと、関係しているのかなあ。
岩井先生は、このような現象を、光周性とは異なる性成熟の状況を、前さんの積算日照時間が性成熟と関係しているのではないか、という仮説を、どのように説明されているのか、興味があるが。
「学者先生」の本は多く発行されているが、川那部先生のお知り合いの人の本が発行されていないため、雑誌で探すしかないが。

あそうそう、初心者らしくないおっさんが、17日に、雲金は松ヶ瀬が特定の筋しか釣れなくなった、と、宮田橋下流で時速5匹とのことであった。
何で、松ヶ瀬で釣れる筋が限られるようになったのかなあ。宮田橋下流で、時速5匹が午後も続いたのかなあ。

200円温泉は、大見川の小川橋にある。
昨日は釣り人がいなかったが、今日は小雨が降り出したときでも、上流に3人、下流に1人いた。
湖産放流全盛時代には、大見川は混雑していたが。
今も石は大きいが、放流アユの質が問題では、と思うが、あんまり良い話は聞かない。
遡上できるように堰に魚道をつけたとのことであるが。小川橋上流の堰にも、左岸に魚道がついているが、どの程度、遡上阻害を解消できたのかなあ。

松下の瀬の、右岸への流れの瀬落ち付近を釣りたいと思っていたが、26日頃には、西風=木枯らし1番が吹き荒れるかも。そうすると、故松沢さんが、話されていた
アユの付き場所が日替わりメニューになるかも。
あるいは、
性成熟がそれほど進んでいないため、しばらくはそれほど下りに参加するアユがいないかも
いずれにしても、松下の瀬で一番人気のところに入りたいなあ。

200円温泉に、明日免許更新の講習会に行くという人が入っていた。次回の免許更新の時は90才?とのこと。
元気ですなあ。
昨日、オラは、左腕が痛くなり、手が指がこわばりかけ、漢方薬を飲み、竿を葦において、あっちこっちに塗り薬を塗ったというのに。
9月中旬以降、川で働く日数が少なかったため、これまでとは異なる筋肉痛が出たということ。あるいは、1日の釣りで昨日ほどの状態になることはなかったと思うが、筋肉の衰えは、使わなければすぐに生じるということかなあ。
そのため、今朝はお肌の手入れを念入りに行い、事なきを得た。しかし、昨夜は足がつり、ローションを塗りたくった。
テク2も同じで、漢方薬を飲んだ。
それに比べて、80ウン才でなんと元気な方か。うらやましい。
あ、そうそう、今日、立ち込んでいた人もそれなりのお年の人であった。テク2ですら冷たい、といって、長く立ち込まなかったというのに。

10月26日  狩野川松下の瀬、そして狩野川大橋
土曜、日曜の筋肉痛が完治してはいないが、明日、木枯らし一番が吹くかも。そうすると、水温低下になれるため、数日は釣れそうもない。ということで、念入りにお肌の手入れをして出発。
囮屋さんで着替えが終わると、テク2,テク3がやってきた。お仕事があるから、当分行けないといっていなかったかなあ。テク2らも、天気予報から、今月の釣りは無理かも、ということでやってきた。

オラは、松下の瀬で、行列のできる店がどんなところか見たかったから、右岸への瀬の瀬落ち下流へ。
かけ上がりがあるのかなあ、溝があるのかなあ、と期待していたが、全然釣れません。
周りでもたまに釣れているだけ。
朝の水温17度。24日よりも3度高い。にもかかわらず釣れないとはどういう事じゃあ。
苦節2時間、囮の追加買いをするしかないかなあ、と思っていたとき、やっと高校生。囮が変われば、との期待もむなしく、状況は変わらず。

我慢できず、行列のできていた店のところから、いつもの場所へ。
ここでも釣れませんなあ。まだ木枯らし一番は吹いていないし、何が変わったのかなあ。
昼前、やっと、汚いおっさんが。
こんなおっさんでは、ねえちゃんは相手にしてくれんでしょうなあ、と思いながらも、囮にすると、すぐに、美少女中学生。なんじゃあ、加齢臭が趣味のねえちゃんもいるのか、と思いながらも、囮にするが。

囮の追加買いも、狩野川大橋の瀬で釣っているテク2らに囮をちょうだい、という必要もなくなったから、すぐ近くのコンビニへ。ビールを飲んで、元気をつけましょう。
しかし、元気は出ませんなあ。
やっと釣れた美少女を囮にしても変化なし。

こうなったら、養殖君らを使うしかないか。つかんだのは汚いおっさん。
すぐに美少女が釣れた。なんじゃあ、こりゃあ。
最後は養殖君で、3匹目のドジョウを。
見事に成功。
ということで、
6匹
変な日でした。
前回も同じであるが、
小学生はどうした?どこかに移転したのか、それとも、おとなしくなったのか。

まあ、3時まで過労死させることなく釣りができたことを感謝することとしましょう。
囮屋さんに戻ってくると、女たらしの
幸せ男がいる。
25匹とのこと。それを聞いていた帰りの人たちがびっくりしていた。オラもびっくりした。
松下の生コン上の瀬で7匹。釣れん、ということで、狩野川大橋上の瀬へ。そこで乙女、高校生を3時間足らずで、18匹。
瀬の強いところだけ掛かった、と。
幸せ男がそれくらいということは、朝から釣っているテク2らは?

テク3は、
真ん中の流れで18。小学生は少ない。そのあと、ピア付近で、0.175のナイロンで丼、0.2号のナイロンで乙女を囮にして乙女が団子で掛かり丼。それでも7匹。合計25
何で真ん中の流れで釣れたんじゃあ。そこで釣れれば、松下の瀬にいかんでもよいのに。
オラも団子でぽっちゃんをしたが、貧乏人のぽっちゃんはこたえるなあ。金持ちの丼は痛くも痒くもないか。

テク2は、前回は、橋付近の瀬に午前は入れなかったが、今回は楽々入れた。
結果は丼1があるのに、
45ほど。しかも乙女、高校生がほとんど。
何で、テク2の釣りを邪魔する人がいなかったんじゃあ。
あたりもすばらしかったとのこと。

水温14度とそのあとの雨量は少ないものの雨が降ったことで、少しは鮎が動いたということかなあ。
それにしても、何で松下の瀬は釣れなかったのかなあ。何で、不細工なおっさんにあゆみちゃんがモーションをかけ、美少女の囮をを無視したのかなあ。人間界で、あゆみ界の現象が発生してくれたら、宝くじが当たらなくても、うはうはの楽しい日々を過ごせるのになあ。
あゆみちゃんの心はわかりませーん。

11月3日  狩野川青木の瀬
10月31日の雨で、相模川は1メートルほどのダム放流で、弁天の中州がほとんど水没。今年のダム放流では、一番多い水量かなあ。
他方、中津川は2トンの放流量となっているが、何で少ないのかなあ。流入量のほとんどを津久井湖に送っているということかなあ。石が出たのか、小石がふえたのか、気になるが。

狩野川は、1メートルほどの増水であったが、20センチほどの増水になっているから、テク2共々、創業者利得を求めていざ出陣。
平成始め以前の狩野川であれば、1メートル、2メートルの増水で、アカ飛びの心配をすることはなかった。
しかし、砂利がふえ、砂利がグラインダーの役目をして、苔を削り取る今日ではアカの状態の心配はあるが、白川にはなっていないはず。

狩野川大橋上下の瀬へ。
玉引きをして、1匹の囮を使い、過労死をしそうになれば、真ん中の流れか右岸分流へ、と考えていた。
橋下の小さな中州に渡ったテク2は、すぐに取り込んでいた。
オラに掛かったのは中学生。それは、真ん中の流れで使うから、箱入り娘に。
そして、真ん中の流れに移る。分流でやりたかったが、石が曇っている、釣り人が入っている、ということで、自動車道の橋脚付近から、真ん中の瀬へ。

高校生が、中学生が釣れて、一安心。
中学生は、18才、美肌女子高生を連れてきた。これだから、女道楽をやめられない。
とはいえ、根掛かり放流は嫌であるから、橋上流まで釣り上る。そこは、平水の時はチャラで、釣れず。
しかも、橋上流にあった右岸溝が消えている。結局、ハヤが釣れただけ。
テク2は、相模川は葉山でハヤを囮にして釣っているが、玉引きをする場所であるから釣れていたのではないかなあ。

ビールを飲みながら、狩野川大橋から眺めると、アカがついているところ、ついていないところがある。
テク2も真ん中の流れに移っていた。
ということで、昼からも真ん中の瀬にはいる。1匹釣れた。テク2が2時前に上がろう、と。
ということはテク2も釣れていないというとであろう。
オラが7匹、テク2が10匹.

前回、テク3が釣った25匹の半分は釣りたかったが。とはいえ、テク2が前回の4分の1も釣れなかった。テク3も前回の4分の1しか釣れなかったであろうとすると、オラの方が多く釣れたから、オラの腕が立派ということにしておきましょう。当然テク2にも、テク3にも秘密ですが。
もし、秘密がばれると、根拠薄弱な計算式を使い、もっともらしい体裁をとって、「ヘボ」であることを誤魔化す手口は、「学者先生」と同じじゃあ。おまんが、「腕」ではなく「運」で釣る環境、条件の時には強いことは認める。それは、腕達者とはいわん。悪運が強い、憎まれっ子世にはばかる、というんじゃあ、といじめられますから。

それにしても、水温14度。増水。下りに入ったアユもいるとは思うが。
前回のテク2の45匹ほどのアユは、プロが甘露煮にしてくれたとのこと。その中には、性成熟がピークのものはいなかった、片腹ができはじめているもの、とのこと。性成熟がピークに達していない段階でも下りの行動をするとして、何処に一宿一飯の宿を求めているのかなあ。どういう条件のところが好みかなあ。それを調べるために、また行くしかない。

ヘチの一抱えほどある石に高校生であろうハミ跡があり、その女子高生をだっこする妄想をしていて、今日2度目のころり。幸い、左腕をびしょびしょにしたが、高価な煙草は今回も無事でした。
そして、大見川の熱い200円温泉で暖まり、風邪を引くこともなく、2時間あまりで帰りました。
大見川はなぜか濁っていた。崖崩れがあったのかなあ。小川橋の釣り人は3人。
松下の瀬の生コン前は釣り人1人。

11月6日  狩野川松下の瀬
天気良好、アカ付きはそれほど悪くない。
久しぶりに電車の中で丼大王に会った。

丼大王の話
1 11月3日、松下の瀬の落ち込み上流で、15,山ちゃんが16.型は一回り小さくなった。
2 瀬の中のたるみの場所で掛かった。
3 チラシのハリスを長くすることで、背掛かりになる。
4 今年は乙女があまり釣れないため、海での釣りが多く、狩野川では12,3回だけ。
5 海のザガニが、8月まではとれたが、その後は少ししかとれない。性成熟にほど遠い1,2才のザガニが海で釣れる。
今年、下ってくるザガニが非常に少ない。

とのこと。
定年間近になり、これまでとは打って変わって土曜日でも働くとは、まじめですねえ。まあ、11月中にコンピュータシステムを立ち上げなければならないということは判りますが、すごい変身ぶりですね。あゆみ王国の女王様が、丼大王を働かせるために、乙女の少ない狩野川にしたのかなあ。
ビールだけは健在で、3日も、5本を持って行って、4本しか飲めなかった、と。そんなに飲んで、何で肝臓が文句を言わないのかなあ。送迎している山ちゃんは、かわいそうに。
それにしても、ザガニが何で下ってこないのかなあ。川にも数が少ないのかなあ。海で捕る丼大王だけでなく、河津川からも捕りに来ているということであるから、親の数が減ったのかなあ。

松下の瀬へ。
水温12度。
日替わりメニュー
が本格化する水温になっている。
それでも、小学生。小学生に、ねえちゃんを連れてきて、と頼むと、連れてきてくれました。初やつじゃ。
しかし、その後は、高校生が休みもなく2時間働いてくれたが、いつものように釣れません。
やっとこさ、昼までに5匹。

ビールを買いにコンビニへ、と思っていたが、早上がりもあり得るから、踊り子の中で、体を温めるために、酒を飲むつもりになり、昼休肝日に。
合計9匹。小中学生が半分で、乙女はなし。

あと1匹でつ抜けになるが、踊り子の時間と、大仁駅の売店がなくなったため、酒を買いに行く時間をとらねばならないため、泣く泣く上がったが、囮屋さんに戻ると、テク3が来ていると。

テク3は、青木の瀬で釣ったが、橋付近の瀬では釣れず、囮が過労死寸前になったとのこと。
真ん中の流れを主に釣って
9匹。オラと同じ。テク3も、あと1匹釣って、つ抜けをしたかった、と。乙女はなし。

丼大王も、下ったとしても、上流から下ってくるのがいるため、品切れにはならないはず。
しかし、
10月終わりの水温15度ほどの時に、2回の増水。これで、高校生や乙女が下ったとすれば、補充はないことになる。
すでに高校生、乙女は一気に下ったのか、どうか、次回のお楽しみ。

ヘボの技は、下手であるから、釣れない、とはいわずに、釣れない何らかの屁理屈を探し出すこと。
今回の屁理屈は、水温が、11月3日の14度から、12度に下がったこと。
このため、
低くなった水温に適合するため、数日が必要であるから、今日は釣れなかった。
この推測は、決して、ヘボの屁理屈ではありませんぞ。故松沢さんに教えてもらったことですぞ。
いずれにしろ、又行って、結果を見ないと、水温の低下が釣れなかった原因かどうかも判りませんなあ。

あ、そうそう、初心者らしくないおっさんは、石表で5分ほど囮を止めること、と。テク3も、止めてふらふらさせることが効果がある、と。今の鮎は、尻にまで接近して攻撃しないで、見ているだけであるから、と。

岩井先生の「光周性」だけが性成熟、下りの行動の要因として、説明できないことが、適切な観察であり、前さんの孵化からの「積算日照時間」が、性成熟の大きな要因である、水温が15度くらい以下になることが、下りの行動の動機付けではないか、と、考えているから、その仮定を少しでも確認するために、納竿は出来ません。お酒で体を温めて、足がつる対応を念入りに行い、又狩野川へ。

11月11日  狩野川青木の瀬
夜明けの空に、北斗七星とカシオペアが大きく育っている。何で、この時期に北斗七星とカシオペアが大きく見えるようになるのか、その説明は全然覚えていない。
ただ、北の空を北斗七星とカシオペアが占拠するようになると、あゆみちゃんとの別離が近い、ということは判る。

風も収まったから青木の瀬へ。
水温12度。6日と変わりはない。23日までほぼこの水温で推移する。その後の水温は判らない。そして、時折、15度くらいに上がることがある。
今年は、水温が15度くらいになった後、2回の1メートルほどの増水が10月末にあった。この増水で、
生殖腺体重比が、ピークに達していないあゆみちゃんも下ったのかどうか。

真ん中の流れで直ぐに掛かったが、瀬掛かりを目的としてチラシにしていたのに、腹掛かり。囮も弱るし、困ったなあ。
狩野川大橋の瀬には、同年配の人が2人。橋下流の中州付近へ囮を入れるが、さっぱりですわ。ヘチ寄りで小学生が跳ねているのになあ。

囮にありつけた、と思ったら、バレ。
前回のテク3同様、囮の追加買いをするか、午前様にするか、悩みながら、また、真ん中の流れへ。
白波の立っているところで小学生。ありがたいなあ。
しかし、小学生しか釣れない。中高生が遊んでくれないと、元気が出ませんなあ。
鮎バックのお酒が早く飲んでえ、といっているし。

11月の朝帰りは恥ではない、それが、昼上がりとなったから、感謝すべきです。
ということで、最初の中学生1のほかは小学生4で、お酒を飲みました。
次は、松下の瀬かなあ、コマドリの瀬かなあ。
まあ、ゆっくりと考えましょう。

11月13日  狩野川
風も吹かない、暖かい、という予報に、出かけないとあゆみちゃんに嫌われる。
松下の瀬にするか、コマドリの瀬にするか。コマドリの瀬であれば、囮が過労死したとき、狩野川大橋の瀬で釣っているテク2から囮を貰うことが出来る。
コマドリの瀬肩はチャラで、溝がない。小学生は跳ねているが、養殖が泳いでくれるとは期待できない。

ということで瀬の棚へ。
初心者らしくないおっさんは、
今の時期、石表に5分止めよ、と、師匠から教わったとのこと。石表に止めることは養殖君では困難であるが、錘を付けて、棚のなかでふらふらさせることは出来る。直ぐに高校生。チラシの効果で、掛かりどころも良い。

少しずつ、棚を下る。
コマドリの瀬に、突然、平成のはじめに中州が出来て、それからどんどん悪くなった。平成3,4年頃の10月下旬か11月始めに、中州の左岸側の強い瀬を、玉引きして大漁であった天竜玉三郎が、コマドリの瀬に最後の花を咲かせたのではなかったのかなあ。
現在は、水中にあった大石は見えないが、勾配があるため、砂利はなく、頭大の石が詰まっている。あゆみちゃんが好むのではないかなあ、と思っていたが、
4匹で終わり。

藪下を見ると、瀬が出来ている。また、大石の周りは砂利であったが、頭大の石がふえている。
釣れるはずであるが。釣れたのは、刺身に出来るような大きさの吸盤ボウイ。今年最後の吸盤ボウイかなあ。

昼に青木の瀬に戻ると、狩野川大橋の瀬にテク2が見えない。釣れなかったのかなあ。
護岸でビールを飲みながら見ていると、テク2が分流で釣っている。甘露煮の蓄えは終わったから、丸干しの素材を調達しているのかなあ。
しかし、
3匹の小学生とのこと。なんだあ、オラよりも少ないとは。
テク2が上がる?と聞くから、まだ温泉は開いてないよ、と。ということで3時上がりになった。

真ん中の流れで掛かった高校生。しかし、ぽっちゃん。今年の狩野川の鮎の引きは弱いが、いっそう弱く、あわせをしなければならないよう。
すぐに釣れた。しかし、その後は1匹のみで
、計6匹
今回は、小学校はお休みのようで、中高生が5匹。
テク2も6匹。

水温12度。
もし、鮎がいれば、12度の水温に、もうなれているはず。テク2ですら釣れなかったということは、
水温が15度ほどに低下してから2回あった増水で、生殖腺体重比が、それほど高くない鮎も下ったということかなあ。
もし、そうであれば、下り、産卵床に到達した鮎は、
生殖腺体重比がピークになっていなくても産卵を開始するのかなあ。
もし、
産卵を開始しないのであれば、食料はどうするのかなあ。
故松沢さんはオラの疑問にどのような話をされるのかなあ。
丼大王さん、知っていたら教えて。

ということで、とりあえず、今年のあゆみちゃんのお尻を追っかけることは、終わりになるかも。
しかし、初心者らしくないおっさんの雲金情報で、まだ下りをしていない中高生がいる、となれば、話は変わるが。

藪下に出来た瀬も、コマドリの瀬も、盛期にはどのような状況か、試したいなあ。
松下の瀬は、分流が出来る附近は少しの釣り人。生コン前は磧に4人組がいるだけ。
大見川の小川橋上流に1人。43度の温泉から見ていたテク2が、掛かった、と。大見川の小川橋までは遡上出来るようになったといえるのではないかなあ。

11月6日、大仁橋上流に立派な角を持った鹿がいた。
猟が始まると、犬に追われた鹿が、城山下で川に飛び込み、右岸に逃げてくるが、まだ禁漁期間中。
テク2は、日本ミツバチの巣箱を、丹沢に置きに行ったとき、4,5頭のメス鹿がいた、と。昔は、皆で鹿をとっていたが、集落の人達が年をとり、鹿が増えすぎている、と。
鹿は、追われると逃げる路が決まっているから、沢筋で待ちかまえているとのこと。肉は、山を上り下りする生活の場にいるものがモモ肉等が発達していて旨い、とのこと。
イノシシは、ドングリを食べているときの肉が旨い。それ以外の時は、雑食性であるから、まずい、臭い、とのこと。今年はドングリが少ないからまずいのかなあ。
あ、そうそう、温泉に行く路にキジがいた。もうじき、ホトトギスさんの鉄砲打ちが始まるなあ。

11月17日
あゆみちゃんとの別れは、男の哀愁漂う情景でなかればならない、と。
その情景とは、あゆみちゃんに相手にされず、空のクーラーを下げて、とぼとぼと、河原を、土手を1人寂しく歩いているオラの全身から悲哀がしみ出している。
この情景が狩野川のイメージとして定着したのは、1992、3年頃から、遡上量が減り、2000年頃には少し回復したが、11月のあゆみちゃんはまだ少なかったから、ヘボとは遊んでくれなかったことに起因する。

今年は、まだ男の哀愁の域に達していない。ということで、出かけるつもりであった。
しかし、朝の大仁の天気予報は、雨になっている。1ミリの雨であるから、あゆみちゃんとの逢い引きには差し障りはない。

とはいえ、気乗りがしない。
よねさんが、高級なカッパを買って失敗をした、と。理由は、かっては雨が降ろうが、風が吹こうが釣りをしていたが、今は、雨が降ったら、やーめた、となる。カッパの出番がないから。
オラも、今年、高級なカッパを貰った。それを使わないということは、資源の無駄遣い。ということで、クーラーに氷を入れたが、やあめた、となった。
あめえのふるひるはあ、の釣りが億劫になったとは、年をとったなあ。

10月末の増水で、下りをした鮎もいるが、雲金では、生殖腺体重比が、それほど高くない鮎が釣れている、と。
初心者らしくないおっさんらは2,30.普通の人はオラ同様、10以下、と。
それらの鮎の中には、下りの集結をはじめているのもいるようで、日ごとに、メスの固まり、雄の固まりの場所が異なる、と。時には1日のうちでも同じ場所で、雄、メスが変わる、と。
ということは、それらが下ってきているはず。明日は、そのあゆみちゃんとの逢い引きを楽しみにしましょう。哀愁漂う男は、健さんに任せて廃業にしたいなあ。

11月18日  狩野川城山下
大仁の天気予報は、風も、雨も問題なしで、朝の予報は見なかった。
哀愁漂う男の舞台は、
城山下の藪下にする。昭和の終わり頃は、絶好のあゆみちゃんナンパ場所であったが、平成にはいると、オールドファンの郷愁の場に過ぎない、といわれる状況になった。そこに、小さいながらも瀬が出来た。
この瀬がどんなものか確かめ、ナンパ場所でないときは、コマドリの瀬で、根掛かり放流をして、かっこよく、哀愁漂う男を演じることとなっても悔いはなし。

名優が演じられそうかなあ。今の時期の養殖としては、よく泳いでくれる。しかし、せっかく掛かったがぽっちゃん。先日、テク2からも、あわせの動作が必要、と注意されていたが。
それでも泳いでくれる。
しかし、1時間も泳ぐと、疲れるよなあ。その上、チラシでのエビにもなるし。ということで、針は6.5号の碇に、また、囮を替え、せっせと働けよ、と。
掛かったのは高校生。

これで、狩野川では、俗人のまま終えることが出来る可能性が出来た。
高校生は、小学生を。

今朝、電車であった丼大王が、
城山の鮎は小さい、人がいないから鵜が大群で集まっていた、と。
ということは遡上鮎はいるが、
12月生まれしかいない、ということかなあ。11月、あるいは12月上旬生まれは、途中下車しなかったということかなあ。
また、10月末の増水による下りを除くと、今年の下りは遅いのでは、とのこと。

午前、小中学生に高校生1匹を含む6匹
ただ、左岸の瀬の芯は釣らなかった。昭和の終わりと違い、流れの幅が広がって、浅く、緩い流れになっているから、立ち込んで左岸寄りの芯を釣ることは可能であるが、そこがナンパ場所かどうか分からないから、コマドリの瀬の落ち込みから出ている太い瀬共々、囮を入れなかった。いや、コマドリの瀬からの落ち込みの太い筋に入れたが、高校生が簡単に流された。丼大王のいう背針と錘を使わないと無理のよう。

6匹釣れたから、朝帰りはない。
午後は、かって、一本瀬のあったところへ。そこの
瀬がなくなり平坦化している。どのくらい河床が上がったのかなあ。
平成の始めは、石ころの河原が、砂利の河原になり、現在は、
土の河原になっている。木がどんどん成長しているから、そのうち、河原に河畔林が出来るのかなあ。
平成の始めに存在していた
石ころの河原よりも3、4メートルは土砂が堆積しているのではないかなあ。

せっかく掛かったが、ぽっちゃん。
2時になったが、踊り子の時間までまだ1時間以上ある。小学生に働いてや、というと、よく泳いでくれる。
しかし、風は時折吹くし、雨粒が落ちてくる。故松沢さんがおられたら、これ幸いとやめて、故松沢さんに質問をする時間となるが。
2時25分、中学生が。雨は気になるが、中学生を働かせないということは、信義にもとる。煙草1本吸い終わるまでオラも頑張ろう、と、35分まで働くも、大粒の雨が。
天気予報は雨も風もなかったはず。何で外れたんじゃあ。

ある年の11月3日一本瀬で、丼大王が、10匹ほどの丼をした。
5日に、その話を故松沢さんから聞いたオラは、大喜びをした。いつも、20匹ほどの乙女をそろえ、オラの何倍もいい思いをしている丼大王が、数匹しか持ち帰らなかったから。
しかし、何で、丼を多発したのか、喜びすぎて、故松沢さんに聞くことを忘れていた。
西風が吹き荒れてから、水温が15度以下になると、下りが始まり、これまでは、支流などで、人の毒牙に掛からずに育った鮎が下ってきて、1宿1飯の宿を求めて、一本瀬で乙女が釣れることは、丼大王は熟知している。そのなかには22,3センチがいることも。そして、時には24センチも。
オラでも24センチをナンパしている。ただ、オラのナンパ場所は、石ころがしの瀬肩、瀬脇、瀬尻等、掛かり鮎が流れの加護を受けないところ。それでも掛かり鮎が弱るまで待っていないと抜けない。
そのような鮎が1本瀬で掛かることを知っているはず。
もっともびっくりしたのは、故松沢さんではないかなあ。仕掛けの不備ではなく、また、鮎の馬力の見込み違いでない。とすると、
25,6センチの鮎ということになるが。狩野川で、継代人工を除いてそのような大きさの鮎が、いるのかなあ、と思われたのではないかなあ。
今年はもう会えないが、来年もし会えたら、何で丼をしたんじゃあ、と聞いておこう。
その一本瀬が消滅するとは、故松沢さんは予想されていたのかなあ。

午前様にもなれず、
9匹のあゆみちゃんと遊べたとなると、哀愁を漂わせる男の演技も、締まらないなあ。
いまひとたびの逢うこともがな  となりそう。
雨にぬれたが、踊り子で飲んだ酒が19度。すぐに寒さは消えました。

11月20日  狩野川
今年の狩野川の遡上鮎は、12月生まれが主力のようで、雲金でも、生殖腺体重比がピークに達してい鮎が多いとのこと。
とはいえ、産卵期に突入していることには間違いがない。
ただ、水温が15度以下になった10月末の増水が下りの行動にどのように作用したのかなあ。
その直前、テク2が狩野川大橋の瀬で、メスを主体に集結していた乙女や高校生の大漁であった。それらは、増水と共に産卵場に下ったであろう。
しかし、その後の、雲金や湯ヶ島からの下りの補充が来ていないのではないかなあ。

水温12度。安定している。
松下の瀬の生コン附近はだあれもいない。
ヘチ附近の大きい石には、小学生だけでなく、高校生級のハミ跡もある。それらのハミ跡の主は何処にいるのかなあ。
釣り下っていくが、釣れるのは、エビ、石、水生昆虫だけで、おじゃま虫にまで見放された。
当然ですよねえ。
小中学校が何処にあるのかも分からず、下りの集合場所も分からず、下りの鮎が一宿一飯の宿を求めるところも分からず、唯一の望みは、はぐれオオカミに出会うことだけ、という有様ですから。

午前様の哀愁男の主演男優賞を夢見ていた
11時、待望の中学生。これで出家は免れた。
生コン前にやってきた今日初めての釣り人は、立ち込んですぐに釣った。うらやましいなあ。
やっと2匹になったから、午前様はなくなった。サラの囮を持って、少しはかって知ったる青木の瀬で午後は釣ろうと、握りをほおばりながら、立ち込んだ人を見ていたが、その後は釣れなかった。

青木の瀬で、小中学校がある可能性の場所は1カ所だけ。そこが駄目なら玉引きの瀬しかないが、風があるから、また、囮を長持ちさせたいから、玉引きはしたくない。
そのオラを哀れんでくれたあゆみちゃんが
4匹。
合計6匹
で、今年の女道楽を終えることにします。

18日は、雄が1匹だけで、メスの生殖腺体重比は、ピークの5,6割くらいの性成熟段階であるのに、黒かった。
今日は、オスが混じったが、メスのサビが強かった。ただ、高校生は、おっぱいがふくらんでいるのに、美白。
何でかなあ。

今年の狩野川の遡上鮎は、
11月生まれが少なく、12月生まれが主体で、12月の中でも中旬以降が主力ではなかったのかなあ。
そのためかなあ、10月末に下りをした後、湯ヶ島や雲金からの下りがとぎれたのは。生殖腺が十分にまだ発達していないからかなあ。

小学生は何処に行ったの?
たんに、やんちゃ坊主が色気づいただけかなあ。それとも付き場を替えたのかなあ。
故松沢さんは、日替わりメニューで、付き場が変わる西風が吹き荒れて後、どのようにして、その日の着き場を選ばれていたのかなあ。

哀愁に満ちた男の主演は無理ではあったけど、三枚目くらいは演じることが出来ました。
踊り子の中で、御神酒をおなかに入れることが出来、無事今年を終えることが出来ました。来年があるか、どうかは分かりませんが。

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